ヘリコニア過去ログ1401



Re: 本日の朝日新聞に

 投稿者:w1allen  投稿日:2014年 1月31日(金)23時12分26秒
返信・引用
  > No.5127[元記事へ]

管理人様

朝日新聞デジタルにも掲載されていますね。
(要無料会員登録)
http://www.asahi.com/articles/DA3S10952059.html

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

「原子力船むつ消失事件」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月31日(金)21時16分20秒
返信・引用 編集済
   西村京太郎『原子力船むつ消失事件』(角川文庫84、元版81)読了。
 面白かった。この時期(70年代末〜80年代初頭)、著者はすでに『寝台特急殺人事件』(78)でトラベルミステリに手を染めていましたが、テレビドラマは「寝台特急〈ブルートレイン〉殺人事件」(79)、「消えた乗組員〈クルー〉」(80)、「終着駅〈ターミナル〉殺人事件」(81)の3本程度で、まだ出版社に骨抜きにされていなかったようですね。本書がそれを証明しているように思います。
 トラベルミステリー作家になってしまう前は、遠征先へ向かう列車の中から巨人軍全選手を消失させてしまう『消えた巨人軍』のような、スケールの大きい、奇想天外なトリックですでに人気作家でした。本篇もその系列で、原子力船むつが、佐世保港のドックでの修理を終えて下北半島の母港に向かう途中、台風のさなか新潟沖で忽然と消失してしまう。折しも佐渡ヶ島の尖閣湾に大量の魚の死骸が浮かび上がり、ついで湾内の海水から人体に有害なレベルの放射線量が検出される。ひょっとしてむつは、この湾の海底に沈没しているのか? ところが政府は、高放射能を理由に、なかなか本腰を入れて海底を調査しない。
 一方、長崎港のドックでは、見た目がむつとそっくりな大型船が建造され、むつの佐世保出港と同じ日に進水し、いずこへか出港していきます。この船の注文主は、アラブの国だった……!?
 と、後半は、俄然国際謀略物語に、スケールアップします。とはいえパズラーであることにブレはない。ただスケールアップした分、やや強引に抑えこんでいて、前後関係から推測すれば、どう考えてもわずか数日で、アメリカから深海調査船が到着する感じだったり、同様に数日で、船がアラビア海まで行っていたりする計算になるのです。この瑕瑾は作者もわかっていて、後半は何月何日とか、事件から何日たった、と言った記述は皆無になります。姑息といえば姑息ですが、それを許容しなければこの壮大なパズルは完成しないので、仕方がありません。私は、面白かったので許容しますが、それではパズラーとして認められないという読者もいるかもしれません。
 いずれにせよ、先回確認したように、現実の「時間線」に従えば、そもそもの最初から不運を背負い、何も良いことがないまま、何も成し遂げずに1993年原子炉を撤去され、「海洋地球研究船みらい」に看板を書き換えられてしまうことになる「むつ」ですが、この小説の時間線では、どうやら働き場所を見出すことができたようで、その意味では本書は、むつの鎮魂曲に、結果的になりえているかもしれません。もちろん、それがこの小説上の時間線のわが国にとって、良かったのかどうかは、また別の話です(汗)。

 ということで、河合隼雄『無意識の構造』に着手。積読崩し本ですが、もくじをぱらぱら見ていたら、「グレートマザー」という項目があったので(^^;

 

本日の朝日新聞に

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月31日(金)00時03分2秒
返信・引用 編集済
   眉村さんを囲む会にも欠かさず出席して下さっています藤野恵美さんですが、このたび朝刊の「おやじのせなか」に、インタビュー記事が掲載されました!
 ちょこっと言及されている現在4歳の息子さんの記録を、mixiでずっと続けられていて、これが無類に面白いのですよ。本にしたらいいのに、と思っているんですが、まだボリューム不足かな。しかし藤野さん36歳なのか。私も歳取るはずですな(ーー;

 

 『原子力船むつ消失事件』は、210頁。残り130頁。面白いです。はっきりいって昨日読んだ本の10倍面白い!
 昨日の書き込みで、「尖閣諸島」と書きましたが、写し間違いでした。正しくは佐渡ヶ島の「尖閣湾」でした。
 新潟沖で消息を絶ったんだから、そりゃあそうでしょう、と思われるかもしれませんが、謀略史観に染まっている私は、きっと無線連絡が嘘で、実は佐世保を出港してから南下して、尖閣諸島に来たんだろう、と自動的に思い込んでしまったのでした(^^;。とりあえず、当該投稿訂正しました〜。
 

とまとさま

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月30日(木)14時04分38秒
返信・引用
  いやあ、お久しぶりです。「キュブーレ閣」に進化なさっておられたとは。画像もあり、お話もまたまた違う方向みたいに思えました。やはり、御自分の世界をお持ちになられて、バージョンアップされたようで、何か生き生きとされているご様子です。
今後も、おもしろバージョン、お願いします。
 

Re: 「もぐら通信」より

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月30日(木)02時31分40秒
返信・引用 編集済
  > No.5124[元記事へ]

w1allenさん
>それがメインストリームと高校生の時は思っていたのです
 そうなんですよね。リアルタイムな情報をどうやってつかまえるか、その手段がわからないんですよね。それこそ、「新潮文庫の一〇〇冊」みたいなのを(各社のを集めて)頼りにしていました。同時代の(いま生きていて小説を新刊を出している)作家というのが、想像できなかったような気がします。
 その点いまはインターネットがありますから、情報はいくらでも入ってくるので便利になりました。逆に若い人は、無駄に情報に振り回されてしまっているかも(古典は「時」によって選別されていますが、新作はそれがなく当たり外れは大きいといえる)。

 さて、西村京太郎『原子力船むつ消失事件』に着手しました。

 佐世保で原子炉遮蔽設備の改修を終えたむつは、原子力は使わず補助エンジンのみで新母港関根浜へと出港した。新潟沖航行中異常なしの無線連絡後、消息を絶つ。やがて佐渡ヶ島尖閣湾沖で大量の魚の死骸が発見され、近海が放射能に汚染されていることが判明する……。

 都知事選のさなかにこの選択、私には珍しく、なかなかタイムリーでしょ(>そうなのか?)(^^;
 まだ冒頭なんですが、現実と小説の時系列を確認します。
(事実)
 昭和49年8月26日 原子炉出力上昇試験のため、母港青森県大湊港出港。
     8月28日 青森尻屋岬沖で初臨海達成。
     9月1日 放射線漏れ発生
     10月   住民の反対で帰れなかった(むつ漂流)大湊港に、ようやく帰港。原子炉封印。
 <佐世保港で改修工事実施決定>
 昭和53年10月16日 佐世保入港
 昭和54年 7月9日 ドック入り(〜57年)
 昭和56年 5月24日 新母港を関根浜に建設合意。
 昭和57年 9月6日 大湊港に再入港
 昭和63年 1月27日 関根浜港入港

(小説)
 1)昭和52年、三陸沖試運転中に原子炉故障発見
 2)「3年余り」もしくは「4年間」ののち、つまり昭和56年の10月18日、佐世保港を出港し、関根浜港に向かう

 この(現実との)差異は何か。1)は多分、本書の「むつ」は実際の「むつ」とは違います、フィクションですよ、ということでしょう。
 2)の設定は、本書が56年11月、創刊されたばかりのカドカワノベルズの一冊として書きおろし刊行されたことと無関係ではないでしょう。
 で、本書が刊行された時点では、むつはまだ佐世保港に留まっていた。関根新港もまだ完成していなかった。著者が執筆していたのは、さらに数か月前なので、現実の進行が、予定より遅れたことを示しているのかもしれませんが、いずれにせよ、著者は現実に先立って創作したということです。というか、リアルタイムでカドカワノベルズを読んだ読者には、そんなことはあたりまえに受け入れていたんでしょうね。

 

Re: 「もぐら通信」より

 投稿者:w1allen  投稿日:2014年 1月30日(木)00時59分40秒
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  > No.5120[元記事へ]

管理人様

拙文をお読み頂き、ありがとうございます。
漱石、龍之介を読んだのは、それがメインストリームと高校生の時は思っていたのです。
今では、半分正解で、半分不正解だったと思います。当然、評価されるべき文豪でありますが、
それだけでは、狭い視野のまま、小説を読んでいたと思います。

管理人さんに影響を与えた北杜夫先生、実は書いていた高校時代の友人もファンです。
東京に遊びに行った際、北杜夫先生の自宅を張り込んだこともあります(笑)。
隣りが、宮脇俊三先生のお家だったと思います。
去年NHKのBSで、放送された「どくとるマンボウ闘病記」を録画してくれ〜とせがまれました。
では、失礼します。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

「魔神航路」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月29日(水)23時01分17秒
返信・引用 編集済
  > No.5122[元記事へ]

 承前。後半、かなり盛り返しました。面白く読了。といっても物語自体は全然終わってなくて(というよりも始まったばかり?)、アルゴ船は黒海どころか、エーゲ海のレームノス島の女人国に留まったまま。このときの騒動で(ゼウス=タケシの介入。具体的にはノブユキ=テューポーンがキュベレーに向かって突っ込んだ瞬間)、主人公ノブユキ(ノブチン)は元の世界へ跳ね飛ばされ、時間的には、最初の(ギリシャ神話の世界へ飛ばされた)事件から1か月後のある日、実家で覚醒します。
 ――のですが、この元世界では当の事件は、他の6人は事故で死んだか行方不明だかになったけれど、ノブユキのみ奇跡的に助かり、その日から1か月間実家でぼうっと暮らしていたようになっているようです。
 覚醒したノブユキが海岸に行くと、変な漁船が突堤に係留されていた。船体には「あるご丸」の文字!? そして中からテューポーンとオルフェウスが出てきます。彼らも跳ばされたのだが、なぜか数年さかのぼってこの地に到着し、ノブユキの覚醒を待っていたのでした。ノブユキとテューポーンが再融合することで、神話世界に戻ることが可能になり、ノブユキは神話世界に残された6人の仲間を救出するべく、テューポーン、オルフェウスと共に、ふたたび神話世界へと、開いた穴に飛び込んでいくのであった。めでたしめでたし(なのか?)。
 という、典型的バローズタイプのヒロイック・ファンタジーです(ただしかつてのソノラマ文庫的なHFですね。YA(これも死語か)といいましょうか)。

 こう書くと、なかなか面白い設定なんですが……うーん……ストーリーがねえ、行き当たりばったり感横溢しておるんですなあ。ただギリシャ神話はきちんと咀嚼されて使われており(そのまんまではなく(良くも悪くも)都合よく取捨選択されていて)、なかなか面白い。ある意味豊田有恒的な世界ですね。続編が出たら読みたいかも。でも、本のどこにも続刊の告知がないんですよねえ・・

 ということで、仁木英之『魔神航路 肩乗りテューポーンと英雄船(PHP文芸文庫、12)読了。

 

「魔神航路」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月29日(水)01時06分8秒
返信・引用 編集済
   ブックオフでふと手にとった仁木英之『魔神航路』、主な登場人物覧に「キュベレー」の名前を見つけた。おおシンクロニシティと購入し、読み始めたら、あっという間に190頁(/320頁)。
 東京の大学に進学した主人公が、半年ぶりに帰郷し、幼なじみ7人組が集まった。7人のうちのひとりは漁師になっていて、その漁船に乗って舟遊びに出かけるも、不思議な現象に遭遇し、気がつけば主人公はギリシャ神話の世界に飛ばされていた。しかも魔神テューポーンと「合体」したかたちで! 残りの友人たちも、しだいに見つかるのですが、それぞれ神や英雄と合体している(たとえばヘラクレス)。そして彼らは、運命にもてあそばれるようにアルゴ探検隊に組み入れられ、黒海の涯・コルキスにあるという金羊皮を求めて出帆する。どうも、金羊皮の洞窟が、元の世界・現代日本とつながっているらしいのです……

 とあらすじを書くと、なかなか面白い設定なんですが……うーん……最後まで読み通せるか。いや面白いからこそ一気に190頁も読めたわけだが……逆に言えば単に面白いだけなんですよねえ。今後に期待。まだ「キュベレー」が登場していませんし。

 

「ユングとオカルト」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月28日(火)20時19分42秒
返信・引用 編集済
  秋山さと子『ユングとオカルト』(講談社現代新書、87)読了。
 積読崩し本。ちょっと期待していた内容とは違いました。ユングは西暦紀元1世紀頃の「グノーシス主義」、中世の「錬金術」、17世紀「薔薇十字団」の思想に影響を受け、それらを学説に摂り込んでおり、それらを知らなければユングの学説(とりわけ後期)は理解し難いし、まずそのタームの奇矯さにびっくりしてついていけない、ということで、この3つについて解説されます。
 いま解説と書きましたが、解説というより名前の羅列なんですね。わたし的には、グノーシス主義であれば、それがキリスト教とどこが違っていて、それはどんな理由からなのか、といったところまで突っ込んでくれなければ興味が持続しない。カタカナ文字頻出する紙面を目が横滑りしていってしまう、丁度小川隆の解説を読んでいるような味気なさを感じてしまいました。
 そして、上記の理由で、ユングの学説自体の解説はほとんどなく、そこも期待はずれでした。
 ただヤルダバオトとか、デーミウールゴスとか、プレーローマといった、クトゥルーかと見間違いそうなジャーゴンには目が慣れたと思うので、次に類書を読むときには少しは理解が進みやすいかも。というか、そういうジャーゴンを覚えて喜ぶ読者のための本でした(^^;

 

「もぐら通信」より

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月28日(火)19時06分30秒
返信・引用 編集済
   安部公房読者のためのWEB雑誌『月刊もぐら通信16号』(PDF)より、w1allen「私の読書遍歴」を読みました。
 本篇は、w1allenさんがいかにして安部公房に辿り着いたかを振り返った文字どおりの読書遍歴記。
 小学校高学年で星新一や赤川次郎によって読書に目覚めたそうです。これはごく普通だと思います。中学で一旦読まなくなり、高校で再度目覚めるのですが、戻った先が漱石や龍之介といった明治大正の文豪だったというのが凄い。というか普通じゃないです(汗)。
 この年頃では、やはり友人の影響は大きいですよね(私もそうでしたが、新聞の書評を参考にしたりするという発想はまだないんですね)。そして大学で、やはり友人の示唆で『第四間氷期』に出会う。そこから現代文学(同時代文学)が、氏の視野にががっと拡がって来る。
 このゆくたて、よく分かるような気がします。
 私の場合は、中学卒業し高校入学前の春休みに北杜夫『どくとるマンボウ青春記』に出会い、ががっと現代(同時代)文学作品が視界に飛び込んでき、しばらくSF読みは休止状態になりました。いやSFも読みましたが、それまでの黄金期の名作から、現代SF、要するに日本SF第一世代の作品を読むようになりました。ただしSFとしては読んでいず、現代日本文学の一環として読んでいたようで、大江、開高、高橋和巳などと区別なく読んでいました。そこで『第四間氷期』に引っかかり、『砂の女』で取り憑かれたと言う感じですね。
 w1allen氏の場合は、「新潮文庫の一〇〇冊」(古典も含まれてますが)を頼りに読んでいく過程で、『砂の女』で安部公房を再発見し、それから病膏肓、現在に至ったみたいですね。
 安部公房へ至る道はいろいろあるわけですが、こうしてみると、案外、大筋では似た道のりになってしまうのかもしれませんねえ(笑)。
 

「なぞ転」第3回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月28日(火)01時07分41秒
返信・引用 編集済
   プルトニウム300キロ 米、日本に返還要求
 ああそんなことをしちゃいけません。お子ちゃま宰相が気に入っているオモチャなんだから、取り上げたらダメですよ。泣くよ〜。
 家の中でこっそり泣くのだったら構わないけど、国連行って足バタバタさせて、やだやだやだもーん、なんてされたら、目も当てられません。取り上げてしまいたい気持ちはわかりますが、どうかそれだけはご勘弁を>オバマさん。

 ということで(どういうことだ)、「なぞ転」第3回視聴しました。
 
 うむ。このアングルも、いかにも阪南団地なんですよねえ。いや一個一個仔細に見れば違うのですが(たとえば前の道はもっと広くて片側2車線)、それらが全体で醸し出す雰囲気が、阪南団地なのです。正確には私が持っているイメージに近いのです。後ろに霞む山脈は和泉山脈でしょうか。もっとも阪南団地の中に入って、この高さから、この方向を見たことはないので、実際のところは分かりませんが、方角的には和泉山脈以外に考えられません。右手の、もっと近い山は合致するものを思いつかないですけど(^^;

 さてドラマですが、今回も面白い!
 なんとこの世界にはショパンが存在しない!? ということは、ドラマの(広一たちの)世界は、私たちの「この世界」ではない、どこか別の平行世界という設定なんですね。これはドラマのオリジナル設定ですね。いや驚いた。
 では、典夫たちがもといた世界が「この世界」なんでしょうか。違いますね。典夫のいた世界ではA・C・クラークは物理学者なので、ここも違うようです。
 おそらく私たちの「この世界」のことも、きっとドラマのどこかで明かされる、そういうシナリオなんじゃないでしょうか?
 はっ! ひょっとして我々の「この世界」は、お子ちゃま宰相のオモチャですでに吹っ飛んでなくなってしまっているのかも(>おい)(^^ゞ
 

Re: 管理人さん皆さんこんばんは。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月27日(月)09時47分17秒
返信・引用 編集済
  > No.5117[元記事へ]

トマトさん
 いろいろご配慮頂き、ありがとうございました。私のレスも削除いたしました。

 さて、サイト拝見しました! Hという本好き少年が強烈ですなあ(^^;。自分の家に他人が居座ってしまう恐怖というのは、この作品にかぎらず、トマト作品に意外によく現れるモチーフではないでしょうか? 安部公房の「闖入者」(ある晩突然、九人家族が大挙して押しかけ民主主義の名の下に主人公の家を占拠してしまう)を思い出しました。安倍公房も夢を素材にすることが多い作家ですが、夢の世界では頻出する事態なんでしょうかねえ。私は夢を殆ど見ない(正確には覚えていない)人間なので、推測するばかりなんですが。(追記。筒井康隆にも、これに似た「理不尽な恐怖」を描いた作品がありますね。筒井も夢から作品を作り出す作家ですよね)

 ところで、【「場末の天使」と「教養の城、知識の御殿」のわがまま】は、私の環境では中身が白紙に見えます。単純にまだアップされていないだけなのかもしれませんが、ひょっとして不具合かとも思いましたので、とりあえずご報告しておきますね。
 

管理人さん皆さんこんばんは。

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月26日(日)20時42分31秒
返信・引用 編集済
  今週は土日も忙しかったです。
スマホになれるとパソコンたちあげるの面倒になりました。
しかし昔のSFMにもスマホは登場しませんでしたね。


前回の投稿では管理人さんにお手数お掛けしまして申し訳ありませんでした。該当拙投稿に関しましては一部削除させていただきました。

弊website、更新しました。

http://porcini.web.fc2.com/

 

「深紅の碑文」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月26日(日)17時13分18秒
返信・引用 編集済
  上田早夕里『深紅の碑文(上下)』(Jコレクション、13)読了。
 いや、圧倒的な力作でした。本篇は『華竜の宮』の続編ということになりますが、むしろ『華竜の宮』こそ本篇の前日譚と呼びたいほど(勿論異論はあると思いますが、私の裡ではそういう位置づけ)。
 あ、それでは不正確ですね。この二書の関係は、マルクスでいえば『経哲草稿』と『資本論』のそれであり、レヴィ=ストロースでいえば『悲しき熱帯』と『野生の思考』のそれと同型というべき。つまり単なる前後的継承(発展)関係(だけ)ではなく、そこには「継承」とともに「認識論的断絶」があるからです。マルクスもレヴィ=ストロースも、前者の著作では熱い「人間主義」が勝っていたのが、後者ではそういった「人間主義」を取り込んだそのままに、冷厳な「反人間主義」者に移行しています。
 青澄もまた、『華竜の宮』では、眉村さんの所謂「インサイダー」(アウトサイダー・インサイド)として「熱い」理想家の面が勝っていましたが、『深紅の碑文』では、いみじくもツェン・リーが予言したとおりに、「権謀術数」を操る冷厳なリアリストになっていきます(余談ですがサルヴァー・ハーディンが背後に見え隠れします(^^;)。
 なぜそうなったのか。現に在る(既に在る)体制を変革しようとすればそうならざるをえないからです。
 眉村さんがインサイダー論を唱えたとき、平井和正が「政治権力を持っている側は大人でね。大人ってものは、そんな情緒的なものでは全く動かされないんじゃないですか」と懐疑を表明したわけです。つまり猪突猛進では駄目だと言っているわけです。これは実は半分誤解があります。その誤解を解くべく、眉村さんはこう反論します。「でも可能性はある。体制の仕組みがわかればその弱点もわかってくるわけでしょう。その弱点をつかないで正面攻撃ばっかりしたら、それは玉砕だ」『万国博がやってくる』石川喬司解説)
 『華竜の宮』時代の青澄の行動原理は、この眉村さんのインサイダー論そのままですよね。しかし平井和正には、この行動原理すら子供っぽいと見えたようです。が、それは上に書いたとおり半分誤解で、猪突猛進型と混同してしまっている。事実は外からの猪突猛進では駄目だから、中にはいって弱点を突こう、ということなんです。でも一方で、平井和正の直感は正鵠を突いていた面もある。眉村さんも次第にそう認識していったようです。それは『司政官』の物語が、次第に司政官の挫折で終わる話が増えていったところからも伺えるように私は思います。そしてもう、眉村さんは「司政官」の話を書かないんじゃないでしょうか。
 司政官たちに敗因があるとすれば、それは自己の管理する「惑星」単位でことを進めようとしたところではないでしょうか。中央政庁という上部組織が旧態依然としたままでは結局潰されてしまう。それにもともと、眉村さんが描きたかったのは、熱き心を抱いた「司政官の生きざま」、その「悲哀」なのであって、「体制の変革」そのものが主題ではありませんでした。だから「小説」とすれば、これで成功している。眉村さんの目論見は十全に表現されています。
 一方そこが、本書の小説世界とは違うところでもある。『華竜の宮』には、眉村的なところがまだ色濃かったですが、本篇では画然と、「認識論的断絶」があります。それにともなって筆法も変わりました。先回述べたように、本篇は「全体小説」として構想されている。全体小説とは高橋和巳『邪宗門』のような小説です。全体小説においては、「理想主義」も「現実主義」も、数ある「理想主義」のひとつ、数ある「現実主義」のひとつとして捉えられ、描かれる。一個の個人の中にも「マキャベリスト」もいれば「ガンジー」もいて、それが状況によって現れたり消えたりする。それが現実の姿ですが、小説では往々にして、その中の一人格のみを取り出してあとは捨象したり、行動も前後矛盾するようにみえる行動は極力避けようとする。たとえば明智光秀の謀反は歴史小説的には非常に解釈しがたく、作家はその行動の統一性に知恵を絞るわけです。全体小説はそういう「恣意」を排して、各登場人物の、内的論理に任せて、「論理の赴くがまま」(高橋和巳)に行動させて規制しない、そういう小説形式です。
 著者はこの形式が、「リクリテイシャス後〜プルームの冬」間の地球世界をまるごと描くに最適の方法論として採用したに違いありません。この筆法のもと、前作『華竜の宮』の物語自体もまた、『深紅の碑文』の全体世界の一要素に吸収されてしまう。そうしてこの世界は、自己の論理に基づいて、海上民を生み、その海上民からシガテラが生まれさらにラブカが生まれる。ルーシーを生み、救世の子を生み、人類の種を乗せた恒星船が、世界から集められたAIの選良たちに守られつつ「播種」されるべき系外惑星目指して飛び立っていく。このへん、著者は黄金期のSF作品をいろいろ意識しているようで、それを探すのも楽しかった(NODEはコードウェイナー・スミスかも(^^;)
 こういう世界ですから、Aの理想とBの理想はぶつかり合う。これは書き方によっては相対主義ニヒリズムに陥ってしまう。しかし本書はそうはならない。それは登場することごとくの人々が「一生懸命」生きているからです。敗退していく人々も「生きて死んでいく」。それはニヒリズムとは対極の世界観で、どこかで救世の子が言っていた言葉ですが、この小説世界が、根源的に「救済」をテーマにしているからにほかなりません。
 まだまだ言い尽くせていないのですが、というか、まだ読み切れていない感が強く(実際『華竜の宮』も再読でようやく理解できたかな、というくらいですから、この長大な物語が一読で分かるわけがないのです)しばらく措いてもう一度トライする予定(その前に「邪宗門」を読み返さなければと感じている。これを読んでから本書を再読すれば、もっと別の地平線が見えてきそう)。
 ある世界をまるごと切り出した、たぐいまれなる傑作小説でした!


 

Re: NHK新会長「飾り窓」……

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月26日(日)15時57分4秒
返信・引用 編集済
  > No.5114[元記事へ]

> ですので、今後はかのお方は、「飾り窓」については、何も発言しないと思います
 ???
 そりゃあもう、飾り「窓」については発言しないでしょうね。次があるとすれば飾り「枠」のほうじゃないですか。「窓」「枠」、区別して読んでくれていますか?
 私の書き込みは、他にいろいろ適当な例が考えられる中で、わざわざよりにもよって日本人に馴染みの少ない飾り「窓」を例に選択したのは、ひょっとして会長がこの掲示板を見ていて、一種のサインとしてそうしたのではなかろうか、と思ったからで、もしそうであれば、次には必ず、飾り「枠」について発言するはずだ、という話です。もし発言しなかったら見ていないことに決定、ということです(^^;
 

Re:NHK新会長「飾り窓」……

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月26日(日)15時27分58秒
返信・引用 編集済
  管理人様
かのお方は「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」とおっしゃったと言うことです。その後、実際の発言を取り消した、とのことです。(新聞記事に詳しく載っていますが)
ですので、今後はかのお方は、「飾り窓」については、何も発言しないと思います(でも、……、今更、「飾り窓」と言う言葉を出されたのは、この掲示板の読者ではないのではないかと思いますが。なあんて)
海野様
漫才やってるかもしれませんよ(管理人様には、猛烈に反論あり、かも。大阪人の刷り込まれた血筋かも)
海野様に、面白がってもらえたことは、実は嬉しかったのですよ(管理人様にはご迷惑だったかも)
 

NHK新会長「飾り窓」について発言す(違)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月25日(土)20時54分16秒
返信・引用 編集済
   →朝日新聞
 ふーん。わざわざ「飾り窓」を例にあげるなんて、ひょっとして新会長、当掲示板の読者なのかもしれませんぞ。このあと「飾り枠」についての発言があるかどうかでそれは判明するであらう、要注目ですよ>段野さん 海野さん(>おい)(^^;
(参考)籾井勝人「新会長」で進む『安倍さまのNHK』

『深紅の碑文』は下巻も350頁。あと50頁。
 既に物語は仕舞い込みに入っています。ちょっと備忘メモ。
 342p「人口知性体であるマキには、人間のような感情はない。人間の心を支援するプログラムが、パートナーに対する最も相応しい言葉として、論理的に選択された言葉を出してくるのだ。<悲しい>という表現もそのひとつだ」
 これって「ケンイチ」(但し瀬名秀明の)に向かって投げた返球?
 あと、第二ファウンデーション。宇宙播種計画。ヴォークトの超人類。等の黄金期SF。
 
 

Re: 風の翼

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月25日(土)18時30分53秒
返信・引用
  > No.5111[元記事へ]

管理人さんと段野さんがマイクの前で漫才をやっている絵が浮かんでしまいました。
なかなかさまになるのではないでしょうか。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:風の翼

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月24日(金)13時50分37秒
返信・引用
  海野様
完全におもしろがられてしまいました。
今度からは、「ここです!」とか言うべきですね。
(別に漫才やってる訳ではなくて……やはり、漫才か。管理人様には申し訳ないことですが)
失礼しました。
 

Re: 風の翼

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月24日(金)07時56分34秒
返信・引用 編集済
  > No.5109[元記事へ]

あ、「詩集」じゃなくて、「特集」ね。( ̄ー ̄;)
イラストが、詩集っぽかったので。

ありがとうございます。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 風の翼

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月24日(金)00時01分35秒
返信・引用 編集済
  > No.5108[元記事へ]

海野さん
>竹本健治詩集?
 いえ、一種のファンジンですね。2000年4月の発行で、竹本氏が『入神』で漫画家デビューを果たしたのを記念して出されたもののようです。出版者は甲影会(HP
 なぜ私が所持しているのか、記憶がないのですが、執筆陣の中に知り合いの名前があるので、その人から買ったかもらったかしたんでしょうね。竹本さんへのインタビューも載っています。
 私が持っていても宝の持ち腐れなので、今度会うときお譲りします。
  裏表紙↓
 

Re: 風の翼

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月23日(木)21時33分48秒
返信・引用
  > No.5105[元記事へ]

段野さんと管理人さん。完全にボケとツッコミですね。
おもしろい。

竹本健治詩集?知りませんでした。
別冊シャレード?
なんか、雑誌の付録とか?

「永遠の0」
>メッセージを主眼に書かれているもの
だと思います。
お勧めはしません。
井筒さんの「特攻隊を美談にしている」とか我が尊敬する宮崎さんの「嘘八百」等はどうでもいいのです。
お話として僕好みな結末が用意されていたのでなかなかいいなと思ったのです。
もっと短かければ名作になったかも。

僕もベストセラーはずっと読まなかったのですが、村上春樹で読んでしまいました。
「ねじまき鳥クロニクル」ですね。
それ以後は読んでなかったのですが、今回は百田さんのキャラの明るさに魅かれてつい手を出してしまいました。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

管理人さん、ありがとうございました。

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月23日(木)19時26分44秒
返信・引用 編集済
  いろいろ忙しくていま、アクセスしました。
お気遣い、こちらこそどうもありがとうございました。



http://boletusedulis.blog.fc2.com/

 

風の翼

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月23日(木)18時14分19秒
返信・引用 編集済
  > No.5104[元記事へ]

段野さん
 いい加減にしないと怒るよー。「飾り」はアムステルダムだって言ってるじゃん(>いやそうじゃなくて)(^^ゞ
 しかし「飾り」がM27作であることは了解しました。目次に「オーナメント・リシア」となっていますから、リシア=M27ということですな。

 昨日は北西航路の表紙画像をお見せしましたので、今日は「風の翼」の表紙をお見せしましょう(^^)
 すべて西秋生編集*ですが、うち、8号から13号の表紙は、戸田勝久さんの作品ですよ! なので大変な希少価値であります。将来、お金に困ったら売るつもり(>おい)(汗)
(*15号編集は柳生真加でした。お詫びして訂正します)







 あ、同じ箱からこんなのも出てきました(^^)
 

 

管理人様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月23日(木)13時26分9秒
返信・引用
  >飾り窓
飾り窓の部分も、M氏です。やむ氏はこのような飾り窓を使わないで、表紙を描いています。大体、やむ氏に飾り窓のイラストのイメージを受けたことがないので、飾り窓の部分はM氏のはずです。
>指示語はきちんと
おっしゃるとおり、当方のあいまいさ加減が混乱を引き起こしました。申し訳ございません。
>BEAUTY
グイン・サーガに似ているとは思われませんか? 私は、一瞬、似てる、と思ったのでした。
 

Re: 「永遠の0」読み終わりました。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月22日(水)23時36分46秒
返信・引用 編集済
  > No.5101[元記事へ]

海野さん
>なかなかいいではないですか。
 そうなんですか? そう言われては、読んで確かめたくなるではありませんか。
 しかし私は、少なくとも30年以上、ベストセラーは読まないことを信条にしてき、それをきちんと守ってきたものなので、今更それを破るわけにはいきませんなあ(>おい)(^^;
 前回海野さんが書き込まれていましたが、基本、メッセージを主眼に書かれているものなんだったら、いくら面白くても受け入れられないかも。それはメッセージのために作中人物の行動が拘束されてしまうから。へへん。読んでもないのに大きく出ました(^^ゞ
 一方、今読んでいる『深紅の碑文』は、いわゆる「全体小説」なんですね。「全体小説」の全体小説たる所以は、作中人物すべてが、それぞれ自己の論理の赴くままに行動する、作者は(自分のイデオロギーで)それを拘束しないということなんです。
 この小説には、様々な立場や信条を異にする人々や、場合によっては互いに互いを人間とは認めない集団が登場します。安易な小説では、敵と味方が截然と分かれて描かれますが、本書ではAにとっての敵であるBもまた、その信条や立場に基づいて一生懸命生きている。つまりBにとってAは敵となるという当然の事態をそのまま描いている。その結果、どっちの正義も相対化されてしまう。盗人にも三分の理というのは盗人に入られた側の理屈で、盗人には「応分の理」があるのですね。盗人は盗人で一生懸命生きているのです。
 この一生懸命生きるとは、なにも凄いことではなく、人間ならば当たり前の行為なんです。そういう一生懸命生きるという事が、軋轢や齟齬を生んでしまうというのは不条理なんですが、それを真正面から描いている。且つそれを細大漏らさず描く。(つまりA-B間の相対化ならそんなに珍しくないんですね。全体小説はそれをすべての作中人物(や集団)に適用する。つまり「全体」をそのままに掬い上げようとするわけで、)だから長くなって当然なんです。
 その点、『永遠の〇』はどうなんでしょう。「線分け」がまず(アプリオリに)あるような先入観をどうしても持ってしまうんですよねえ(いうまでもなくどこに線を引くのかは作者の恣意です)。たとえばこのニュース。「不自然」と語っていますね。あ、これは映画だ。

 ということで、『深紅の碑文』は下巻250頁。
 

飾り窓ならアムステルダム

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月22日(水)21時36分1秒
返信・引用 編集済
  段野さん
 うーん。やっぱり早とちりしてますね。

>>飾り窓の絵
>管理人様が張り付けられた「絵」のほうですが、M氏です。
 「絵」じゃなくて、「絵」をはめ込んだ「飾り枠」(飾り窓ではないですよ)の作者が知りたかったのです。飾り枠とはこういうのです。
 北西航路では1号から4号まで、同じ飾り枠が使われています。下図参照(なお1号のみ「中の絵」はピーター・ブリューゲルです)。
 4つとも同じ飾り枠ですから、「飾り枠」と「中の絵」が、同じ紙の上に描かれたものではないのは明らかです(そういえばこの飾り枠の原版というのか、真ん中をくりぬいた厚紙を見た記憶が甦ってきました)。
 この「飾り枠」についてずっとお訊きしているのですが、ずっと「中の絵」の作者が誰かを答えていらっしゃるんですよね(もちろんM氏が飾り枠の作者であるのかもしれません。それを確定して頂きたかったのですが)。



>ツィッターの「動画」について
 ああ分かりました。これですね→BEAUTY
 しかし、細かいことを言うようですが、この動画はツイッターで「知った」もので、ツイッターそのものではありません。また「貼りつけた」ものではなく、「リンク」したものです。
 前々回(→ここです)、
>>管理人様が張り付けて頂いたツィッターの画像を拝見しました。
 と書き込まれていたので、「貼りつけたツイッター」を探していたのです。しかし最近「貼りつけたツイッター」は、「なぞ転」のこの方のしかないのでした。指示語は厳密に使ってくれないとうまく行き当たらない場合がありますね(しつこくてすみません)。

>アニメ・グイン・サーガのタイトルバックの風景に似ている、
 BEAUTYの最初の絵はAsher Brown Durandの作品。こんな絵を描いています。
 その次の絵は、Thomas Hillの作品で、やはりこんな絵を描いています。
 どちらもちょっとターナーっぽいですが、19世紀のアメリカの画家で、ハドソン・リバー派に属していたようです。この派の特徴は、ウィキペディアによれば「一般的にアメリカの風景という自然の中に神の偉大な顕れを観ていた」とのことで、そういう神秘性がM27の作風と重なるかもしれませんね。
 アニメグインサーガのタイトルバックの画像が見つからなかったのですが、こんな感じでしょうか。→豹頭王の試練
 だとしたら、なるほど似ていますね。
 

「永遠の0」読み終わりました。

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月22日(水)21時04分8秒
返信・引用
  なるほどね。3分の2以降ぐらいからがぜん小説らしく面白くなって来ました。
ラストの一章で語られる意外な事実。
なかなかいいではないですか。
作者の書く非現実的な(と言うかファンタジックな)短編小説に通じる物を感じましたね。
この話をどう脚色すれば、よくわからない結末になってしまうのか?確かめる為に映画を見てみたくなりました。
ところで解説を書いているのが今は亡き児玉清さんです。
アタック25の司会をされていた方ですね。
この解説が、なんで?と思うほど延々とストーリーのダイジェストを書いているんです。
ちゃんと解説の部分もあるんですが、今読み終わったばかりのストーリーを延々と語られてもなーと言う気がしました。
ひょっとして意外な結末のネタばれまで書いてないかと心配しましたけれどさすがにそれはなかったですけど。
12ページと言う長い解説のうち半分近くがストーリーのダイジェストですからね。
与えられたページ数を持て余したのかもしれないなと思いました。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

管理人様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月22日(水)13時36分22秒
返信・引用
  >飾り窓の絵
管理人様が張り付けられた「絵」のほうですが、M氏です。
ツィッターの「動画」について、あくまで、一瞬、アニメ・グイン・サーガのタイトルバックの風景に似ている、と申し上げました(但し、一瞬です。アニメのタイトルバックは「作画・某」でした)
>嫌なものをみつけてしまった
以前にも管理人様は、「気をつけるべし」とおしゃっておられました。まさに、現物が登場してしまった、という訳ですね。
失礼しました。
 

「ねらわれた学園」表紙画の意外な事実

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月21日(火)21時27分11秒
返信・引用 編集済
   高井信さんのブログを見に行ったら、ちょうど角川文庫版『ねらわれた学園』の表紙が話題になっていました→コメント欄
 この表紙↓なんですが、なんと眉村さんの母校・住吉高校の校門らしい!
 
 へえ、と思って検索しました。あ、ホントだ!
 
 ところで上の角川文庫版の書影、私はこのヴァージョンのは所持してなくて、ネットから引いてきたもの。したがって確認できてはいませんが、この絵柄、誰が見たって木村光佑ですよね。
 はっ。なるほどそういうことか!
 どういうことかって? 木村光佑さんも住吉高校じゃないですか。と、腑に落ちた次第。タイトルに「意外な」と書きましたが、よく考えたら蓋然性は存外高かったわけですね。
 ついでに私が持っている角川文庫『ねらわれた学園』はこの2冊。
 

 実は、検索していて嫌なものを見つけてしまったのでした(ここ←あら移動しちゃってますねここ)。うーん。『ゆるやかな家族』の方は為書きまで付いています。多分亡くなって、家族が気づかずに手放しちゃったんでしょう。以って他山の石としたいところ。みなさんも気をつけて下さいね。そろそろ「お召し」*が来てもおかしくない年齢なんですから(>おい)m(__)m
*追記。あ、別に謝らなくてもよかったか。「お迎え」って書いてませんからね。「お召し」ですからね。←小松左京「お召し」参照(^^;

『深紅の碑文』は下巻185頁。范文雀。
 

新「なぞ転」のオリジナリティ?

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月21日(火)18時33分54秒
返信・引用 編集済
  > No.5096[元記事へ]

段野さん
>管理人様が張り付けて頂いたツィッターの画像を拝見しました。
 えと、どの画像を指して仰言っているのかわからないのですが、いずれにしろ私が知りたかったのは、ここで段野さんにお尋ねしたように、この表紙(ツイッターではありません)の「飾り枠」は、M氏かY氏か、どっちなのかな、ということだったのですが、なにか混乱されているのでは?

>昔の少年ドラマシリーズと持っていき方が似ている
 たしかに第2話はそうでしたね。でも第1話はそうじゃなかったと私は思います。
 当ドラマでは、原作では中学生だった登場人物を高校生に変更しているのですが、昨日の第2話は、別に中学生であったとしても通用する話でした(つまり少年ドラマシリーズ的でした)。
 しかし先週の第1話は、原作通りの中学生という設定ではちょっと無理があるシナリオだったように、私は思いました。ある意味(その良し悪しは別にして)脚本家が、高校生に変更した必然性を納得したのでしたが、第2話は、その点後退していて、結果的にわたしが個人的に抱く「なぞ転」イメージに近づいており、大変面白く観られたという感じでした。
 

管理人様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月21日(火)15時18分34秒
返信・引用
  管理人様
トマトさま
しつこいような書き込みで、誠にもって申し訳ございません。
ちょっと気になりましたもので。
管理人様の「誤字・脱字」につき、お話させて頂きます。眉村教室に、強烈な「誤字・脱字」を引っ提げて、講評に臨む方がおられます。ご本人は、カナ入力で、書き飛ばしていて、自身の作品を見直すことなく、持って来られます。眉村さんは「(書いたものを)見直すことも必要」とおっしゃり、受講生に、「誤字・脱字」を十分に指摘するように、それとなく示唆されます。要するに、「誤字・脱字」の連発では、売り物にならん、ということです。今はパソコンで、手書きを用いる作家が減り、なかなか「誤字・脱字」に気が向かない傾向を、眉村さんは憂いておられました。(手書きの文字も下手くそになっている、ともおっしゃいました。眉村さんは、手書き派です)
充分に気を付けねば、でした。
 

管理人様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月21日(火)14時50分47秒
返信・引用 編集済
  管理人様が張り付けて頂いたツィッターの画像を拝見しました。
画像の風景(あくまで人物を除いた、風景です)が、アニメ・グイン・サーガ(栗本薫)のタイトルバック(アニメ内容ではありません)に、一瞬似ていました。あくまで一瞬ですが。
アニメのタイトルバックは、背景自体はアニメ本体を描いた人物とは別だったと記憶しております(と書けば、ちゃうで、とか言われそう。でもタイトルバックにはちゃんと「作画・某とありましたが。そうです、アニメのグイン・サーガは見ました)
なので、M何某とは違うのではないかと思います。年末にあるところで、M氏の画像を見ましたが、銀河系でした。ツイッタ―にあるような画像には、もう興味がなさそうな雰囲気でしたが。
ともあれ、M氏は健在です。
>永遠の0
映画「図書館戦争」を見て、主演の岡田准一が気になったから、観に行っただけで、観てから原作本を読む気はなくなりました(図書館戦争は文庫で読みました)まるでミーハーかと言われそうですが、そうかも知れませんです。(大河ドラマ「軍師・官兵衛」を見ました。大河ドラマなんか、ずーっと見ていませんでしたのに)
>「なぞの転校生」
コマーシャルが多いことが、邪魔をするのですが、コマーシャルをスキップすると、あらら、昔の少年ドラマシリーズと持っていき方が似ているではありませんか。岩井俊二は、相当意識しているみたいですね。実際、彼は昔の少年ドラマシリーズでの「なぞ転」に影響された、と語っています。今後どうなるのか、興味津々です。
失礼しました。
 

「なぞ転」第2回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月21日(火)01時16分56秒
返信・引用 編集済
  「なぞの転校生(第2回)」を視聴しました。面白かった。実は先週の第1回目を観たときは、この先大丈夫かいな、という感じが正直したのでしたが、今日はよかったです。
 とりわけ、広一たちが住んでいるマンションが映ったとき、寝転がってみていたのが、思わずガバと起き上がって見入ってしまいました。なんと阪南団地じゃないですか(画像参照)。厳密には、見てのとおりちょっと違うのですが、一瞬、CGで再現したのかと思いました(^^;。こんな建物、よく見つけたものですねえ。それともやっぱりCGなのかな。マンションの前の道路の感じも、実際の感じとよく似ていました。
 認知症老人を使嗾する山沢典夫というのも、ただ単に平和的な次元ジプシーとは一線を画す新機軸ではないでしょうか。
 次回以降が楽しみです(^^)。
 

レスなど

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月20日(月)19時23分12秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
 私はスマホを持っていないので聞いた話ですが、スマホの文字入力は非常に使い勝手が悪いんだそうですね。
 しかし、小説は読者に読んでもらってナンボのものですから、そこでひっかかって読むのをやめられちゃってはいかにも勿体ない(実際そういう話を聞きました)。
 トマトワールドを気に入っている者として、せっかくのこの面白い世界が、単純なタイプミス等で読者を減らしてしまうような、というか入り口でシャットアウトしてしまうような、そんな事態は極力避けたい、多くの人にこの独特な世界観を味わってほしい、というのが私の思いなのです。
 そういう次第で、下の書き込みをさせて頂きました。失礼しましたm(__)m。
 ただそれを逆にいえば、作家の側も、読者にストレスなく読ませる努力を惜しんではいけないということでもあります。
 この意味をトマトさんに当てはめるならば、書き込み完了後、投稿した内容を(暇な時で結構ですから)読み返して頂き、誤字や打ちミスを発見したら訂正する作業を厭わないでほしいということになります。
 私も誤字や文脈的に適当でない言葉をあまり練り込まず使ってしまうタイプなんですが、数日たって読み返すと、それに気づくこともあるんですね。だからもう、本当に頻繁に訂正しています。
 時間を置くと、「他者の目」で見ることができるようになるようです。傍目八目といいますか。「読ませる」文章の訓練にもなりますよ。(^^;

 ということで「キュベレー女神」読みました。おお、いよいよユング的夢世界が押し出されてきましたね。そして、こういう不条理な結末は大好きです。次作も期待しております(^^)

>ブログの他にこちらにwebsiteを作りました。よかったら見てください。http://porcini.web.fc2.com/
 拝見しました。なるほど、一種ツリー状に拡がっていく、こういう形式を試したかったんですね。

段野さん
 ありがとうございます。
 村田さんも「安倍首相はいったいなにに感動したのでしょうか」と書いていますが、要するにこの二人、幼稚さが似たもの同士なんでしょうね。
 そういえば今日のニュースで報道されていましたが、片山さつきに言った言葉、男女の機微がまるで解ってませんよね。けっきょくお子ちゃまなんですね。
 

管理人様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月20日(月)13時26分44秒
返信・引用 編集済
  >例の発言にて
百田尚樹氏の発言を引用します。安倍首相が昨年12月26日に靖国神社を参拝したことについてです。
「ずっと(靖国神社の)参拝する思いを安倍首相は持っていた。英霊に手を合わせ、感謝の念を捧げるのは国民の代表として当然だ」と(首相の参拝を)歓迎した。「中国や韓国はこれを外交カードにしている。批判は内政干渉にあたる」と語った。
以上です。こういう考えをお持ちのようです。
 

キュベレー女神

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月19日(日)15時35分11秒
返信・引用 編集済
  キュベレー女神

管理人さん、どうもありがとうございました。

スマホ投稿だったりword作成だったりするのですが、どうも仕事ではないと、失礼ながら片手間的になってしまだたようで、申し訳ないです。HTML形式で、HPにアップロードしようもおもいます。

寒いですね。またアップロードさせていただきます。お邪魔します。



  痴漢冤罪ほど魔女の恐ろしさを具現している事象はないではないかと思う。被害を訴える女性のオーラは司法界で生きている人たちの判断力をいとも簡単に支配してしまう。つまりか弱き自分を侵略した犯罪者を亡き者にして欲しい・・・というという女性の想念というのは、一人一人はか弱い存在に過ぎないので群れという社会を作っているという人間および社会の最も本質的なリーズンだからだ。よく経験の浅い弁護士などが頼りがちの法律の条文や判例というものはこのリーズンの上に浮かんでいる浮遊物に過ぎず、絶対真理でも神の意志でもない。 不幸にも濡れ衣を着せられてしまった人は被害を訴える女性と示談でことを済ますしかない。しかしそれでも結果的には被害を訴える女性に支配征服されてしまうことも少なくない。つまり運命に引き込まれてしまうわけだ。

?

 被害を訴える女性にとって最終的に安心できるのは加害男性を完全に自分の支配下に置き、おちんちんを切り取ってこと、つまりキャストレイションしては男でなくしてしまうことだ。つまりキュベレー女神である。

?

 さて、北関東の町に、大学のキャンバスがあり、そのキャンパスに隣接した家に例によって髪の長いお姉さんが居た。彼女は器量よしで有名だったので、小学生だって彼女の存在を知っていた。が和田アキ子や渡辺えり子のように強そうではない。どちらかというとか弱く、小学生でもキックボクシングの練習を少しすれば勝てそうではしないかという印象があった。
あるとき、彼女がペチャパイであることに気がついた奴がいた。ほっとおけばいいものの学校でそのことを言いふらした。
「あの女はAカップに違いない。」
そして下校時、彼女の家の前を集団で通り、
「やーいやーい、Aカップ、やーいやーい、ペチャパイ。」
とはやし立てた。彼女はカーテンをバサーッとしめてしまった。が反撃はなかった。それで私たちはいい気になって毎日帰りに
「やーいやーいAカップ、やーいやーいペチャパイ」
とはやし立てた。クラスの女子が
「やめなさいよ。」
とたしなめたが、私たちは何か態度が大きくなって
「うるせーんだよ。」
と突っぱねた。それから何度かはやし立てたがまったく反応がない。すると私たちは面白くなくなって彼女をはやし立てることなんか忘れてしまった。もう彼女の家の前を通っても、スーパーで彼女に出会っても反応がなければ詰まらない。だからどうでもよくなって忘れてしまった。

が秋の運動会が終わった頃、夕食後に突然父と母に呼び出された。
「お前、あそこのTさんのうちのお嬢さんのこと、冷やかしたそうだな。訴えるといってきた。いったいどう責任取るつもりだ。この家、もって行かれるかも知れないんだぞ。お前はまったく・・・。」
「まったくあんたはろくなことしないね。あんなことしていいか悪いかわからないの?」
テーブルの上には一枚の紙が乗っていた。それが内容証明であるということはその当時の私には知る由もなかった。

 翌日学校に行くと一緒に冷やかした友達の家にもその内容証明というものが届いて、しかも私たちがはやし立てた声を録音していたという。さらに学校にもその手紙は届いていた。先生の監督義務違反でとやらで先生の給与も差し押さえられるかもしれないのだという。
「どうしよう・・・。」
私たちは休み時間に集まって相談した.結局誰が最初にいいだしたのかといいいだしたのかという犯人探しになってしまった。最初に言い出したのはYだ。いつでもそういう悪さは最初にYが言い出す。
「お前、謝りに行けよ。あの家に・・・。」
「何でだよ。お前が悪いんじゃないかっ。」
YがSに責任を押し付けた。それがきっかけですべてYが悪いことになった。

?

まもなく私たちは職員室に呼び出された。どういうことになるかはわかっていた。今まで見たこともないような白い大きな外車がとまり、黒いスーツ姿の男の人二人と園向うにあのペチヤパイのお姉さんが居た。が彼女はぺちゃではなかった。少なくともCカップだ。しかしそんなことはどうでもいい。
「よくあんたたち、私のことを寄ってタカって冷やかしてくれましたね。それって弱いものいじめでしょう。」
と彼女は丁寧な口調で言った。私たちは下を向いたのの頷くしかなかった。
「あなたたちの中でワイ君が火付け役だったけど、このワイ君、エス君に責任をおしけましたね。あなたたち全員に過去を償ってもらいます。ますワイ君、私の家に来てください。」
そういうと、私たちは帰された。

  ワイは白い大きな外車に乗せられて走り去っていった。

?

 そしてその翌日からワイ君が学校に来なくなった。先生も出席のときに名前を呼ばない。そして数日が過ぎた。私たちはまた職員室に呼び出された。外には白い大きな外車がとまっていた。
「今度はあなた、エスくんいらっしゃい。」
先生も皆彼女の言いなりだ。そして先生は出席簿からエス君の名前を消し去った。そして翌日、エス君も来なくなった。こうして彼女を冷やかした四人が学校に来なくなった。もう私だけだった。そしてついに私も職員室に呼び出された。
「あなたで最後ね。うちに来てください。」
「さぁ。」
黒いスーツの男二人が私の両脇を固めた。そして白い大きな外車に乗せられた。
「思い残すことは・・・。」

?

黒いスーツの男は私にそういった。
「最後なんだから、産まれ育った家の前を通ってあげて。」
と彼女がいう。私を乗せた白い外車は私の家の前にとまった。
「よく見ておくのよ。これでお別れだからね。」
このとき私はどういう意味かがわかった。そして必死になって謝り許しを請うた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
「私は過去を償ってといったでしょ。でも償ってないじゃない。」
家からは父や母や姉が出ていた。わたしが車の中から手をふっても知らん顔だ。
「おい見てみろ、うちの前にロールスロイスがとまっているぞ。」
「うわ、ロールスロイス、すごいね。」
「どんなことだろう。こんな車にのっているのは。」
「なんか女の人と男の人二人、そして子供が乗っているよ。」
「どういう人だろうね。」
という会話は聞こえてきた。しかし私という子供が最初から居なかったような態度だ。
「それでは車を出しますか。」
と男が言った。

  白いロールスロイスは走り続け、いつしか海の中を走っていた。そしてそこに大きな女神が現れた。不思議な懐かしさを感じた。
「お疲れ様、ずいぶん短い生涯だったね。」
とロールスロイスを運転してきた男の人が私にいった。大きな大きな女神様は表情を変えずに私をずっと見据えた。そして私は女神様の一部となって溶け込んでいった。まるで今までの人生という映画が終わってスクリーンが白くなるように・・・。 ?

http://porcini.web.fc2.com/

 

Re: 古いカセットテープ

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月19日(日)15時28分47秒
返信・引用 編集済
  懐かしいですね。70年代、それもユーミンサザン以前の世界ですね。
なんかフォークル等を思い出しました。

ブログの他にこちらにwebsiteを作りました。よかったら見てください。

http://porcini.web.fc2.com/

 

レスなど

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月19日(日)15時25分29秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
「女心の心理学」、今回も面白かったです!
 そういえばトマトさんの文章、最初は硬かったのですが、書き慣れてきたのか、流れが出てきて読みやすくなり、おかげでよりトマトワールドへ入りこむ際のストレスがなくなってきました。よいことです(^^)
 ただ、トマトさんはスマホでしたっけ入力にスマホ特有のタイプミスがあり、大体は推理で補えるのですが、たまに推理不能な入力ミスもあります。今回は「洗脳構成」「その後なかにあると」「ときおのかたかたと」がそうで、しばし熟考した結果、「洗脳攻勢」「その後なにかあると」「ときおりかたかたと」と当てはめてみたのですが、合っているでしょうか(^^;
 次回も「夢の私小説」を楽しみにしています!!

海野さん
 件のカセットテープ、デジタル化の直後、ぷちっと切れてしまいました! デジタル化を思いついたのは、無意識の予知だったのでしょうか(^^;
 いずれにしても、カセットデッキが寿命寸前で、かといってもう新しいカセットデッキを買う気はないので、蔵テープ(蔵書から思いついた造語)は処分してしまうしかないのですけどね。

>まだ読んでいる途中ですが
 ああ、済みません。興をそいでしまいましたね。文章が好きではないというのは、村田さんも書いてますね。
>なんか一人の人物にすべて聞いている感じ
 小説は「手段」か「目的」かという議論がありますが、この作家は「手段」派なんでしょうね(短編は違うのかな)。

段野さん
 映画は観るに値しない、原作もどうやら読むに値しないみたいですね。これを拡大解釈するに、ベストセラーは相手にする必要がない、ということですね(>おい)(^^;

>例の発言にて
 以前にも書き込んでおられましたね。検索してみましたがよく分かりませんでした。具体的にはどんな発言をこの作家はなさったのですか?

 ツイッターで知った映像→http://www.rinostefanotagliafierro.com/beauty_video.html
 なんかすごいです。
 M27が好きそうかも。特に後半(>おい)(汗)。

 

Re:古いカセットテープ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月19日(日)13時04分21秒
返信・引用
  管理人様
村田基さんの「永遠の0」の評、とても的を得ているように思いました。実際に映画を観た者としては、疑問点をばさばさと突いておられます。映画を観て疑問があり、ラストまではっきりしなかったのです。(村田さんの評を張り付けて下さりありがとうございます)
海野様は原作本での、(多分)あやふやさに気付かれたのではないでしょうか。(実は原作に手を出そうという気が失せたのです。例の発言にて)そのあやふやさが、映画に反映されたのかも知れません。
偉そうなことを述べました。失礼しました。
 

Re: 古いカセットテープ

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月19日(日)12時09分39秒
返信・引用 編集済
  > No.5086[元記事へ]

古いカセットテープ、うちにもありますよ。
冗談半分で、「竹本健治とたくあん石」と言うグループを作って、なんとインストルメンタルナンバーのアルバムを作ったりしてね。
まあ、オルガンとギターと打楽器(そこら辺にあるもの)で、音楽性無視の即興演奏ですね。

「永遠の0」は、まだ読んでいる途中ですが、文章はあまり好きではありません。
文章そのものからはあまり文学的なものは感じられないと言うか、ドギュメンタりータッチと言うのでしょうか。
主人公の孫が、生き残っている主人公の戦友(と言うか知り合い)を何人も探して、訪ねて行って話を聞いて行くうちに、主人公の姿が浮き彫りになって行くという構成ですが、その戦友たちの人物像がみんなおんなじような感じなんですね。
なんか一人の人物にすべて聞いている感じ。
そしてどの人も待っていたかのように順序立てて詳しい話を語ってくれるんですね。
例えば、中には断片的にしか覚えてない人とか、その場では話をするのは拒否していた人が、後日長い手紙にして体験談を送ってくれるとか、そういう変化が欲しいと思いました。

文庫本の歴代売り上げナンバーワンと言うのはなぜかな?と思ってしまいました。
でも短編集はなかなか面白いですよ。
長編はもう読まないかな。
テレビに出ている作者のキャラクターはめちゃ好きです。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

いろいろ

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月19日(日)11時44分13秒
返信・引用
  管理人さん、ありがとうございました。
適切な時期に適切なツボにお灸を据えらるというのは、試行錯誤の末に経験を積むしか無いのではと感じます。



女心の心理学

 心理学というと、まずたいていの人は「フロイト」「ユング」という名前が頭に浮かぶのではないか?

  わたしが高校生時代、近くの公立図書館を居場所にして受験勉強に励んでいたが、その当時私は理系に行くか文系に進むかその人生航路の岐路に立っていたことは覚えている。一方良く図書館で一緒になるYは国立医学部にいくと自分の意思(進路)が決まっていた。Yにとって国立医学部はたとえ地方大学であっても東大京大の非医学部と同等の価値があり、また医学部そのものが理想郷シャンバラとしてその憧憬の対象だった。そんなYは後に内科医師となり、受け持ったエホバの証人信者の患者にの洗脳構成に苦しめられ、
「病棟をエホバのサティアンにされてしまう。」
とわたしに泣きついてくることになるとはその当時夢にも思わなかった。

 話を元に戻そう。受験勉強に励んでいた・・・というより理系に行ってエンジニアになろうか、文科系に行って法律家か官僚になろうかその岐路に立っていたわたしが、ふと居場所としていた公立図書館の書架にあった以前から気になっている一冊の本を手に取った。「昔話の真相」ユング派分析家の河合隼雄の著書だ。そしてその冒頭にグリム童話「トルーデさん」を解説した「グレートマザー」という章がある。そこを読んで私は何か深い感銘を受けた。当時に医学部にいってエリート医師になることを夢見ているYは医療の現場というものを甘く見ているな・・・と感じた。わたしもYも図書館を居場所とし、街中でぶらついている不良たちを蛇蝎のごとく嫌っていた存在、いわば世俗に対して耐性のない温室育ちの優等生でしかなかった。ヤンキーぽくなりカノジョ同伴のかつての同級生に街中で出会い
「おぅ、元気か。」
なんぞと声をかけられると、何か怖くなってしまったものだ。


ところでジークムント フロイトもカール グスタフ ユングも二人とも男性である。しかも精神科医あるいは学者として学界という男権社会で生きてきた人間であることだけは確かだ。男権社会というと司法法曹界もそうだが・・・。「男権社会でしかいきてきたことがない人間が女の恐ろしさのどこがわかるか!」女の恐ろしさ・・・それは伝説となっている痴漢冤罪だ。

 さて、男の子は十歳前後に大人を馬鹿にしてからかってみたい、大人を征服したい・・・という願望が頭をもたげ始める。テレビアニメの名探偵コナンやドラゴンボールなどはそんな十歳前後の少年の内的光景をよく描写しているのではないか・・・。
 しかし一方女の子はそうではない。女の子は幼児期からか弱く可愛く美しいものを守って幸福で平和な世界を作りたい・・・という願望を持ち続ける。熊のぬいぐるみなどを子供のように可愛がり、世話をしてそういう幸福で平和な世界を作り維持し続ける。

 さて、わたしの通っていた小学校の裏に八百屋があった。店頭にバナナなどが並んである。あるとき、生意気な意志が目覚めた少年が数名、度胸試しのようにこの店先のバナナをいたずらすることを思いついた。店先のバナナをつかみ、道にたたきつけては踏みつけたのである。この八百屋のおばちゃんは小柄なのでキックボクシングの技でKОできると考えていた。
  結果は烈火のごとく怒り狂ったおばちゃんの気迫の前に彼には一目散に逃げるしかなかった。がさらにおばちゃんは血相を変えて小学校に怒鳴り込んだ。結局彼らはみっちりとくそ熱いお灸を据えられまくったことはいうまでもない。その後なかにあるとすべて彼らに濡れ衣が着せられることになった。
こうして大人の世界の恐ろしさをいやというほど思い知ったである。



  この少年の生意気な意志とそれを制動する大人のお灸の加減が難しい。どういうタイミングでどの程度のお灸を据えるか、そのツボは小学校教諭でも四十五十のベテラン教諭にでもならないとなかなかわからない。若い男の先生はついつい感情が先走っては少年の意志を完全に萎縮させてしまうような叱り方をしてしまう。さらに若い女性教諭の場合、ヤンチャな少年に明確に敵意と脅威をもって臨み、少年をキャストレーション(去勢)してしまうことすらもある。

 わたしも十歳前後に生意気な意志がわたしの中で頭をもたげ始めた。当時テレビで放送されていたキックボクシングなどを見て、庭にあるわら人形にパンチやキックの練習をしたものだ。そしてわたしの中の生意気な意志は大人を征服してみたい・・・という願望に変わった。といっても朝青龍や和田アキ子のような大人にケンカを挑む勇気がなかった。一番身近で戦いを挑みやすい大人(大人という歳ではなかったが)は姉だった。姉は色白で華奢で髪が長く、周囲からは器量よしとして有名だったがわたしにとっては母親のように何かと口うるさくうっとうしい存在だった。いつでも本を読んだり勉強したりピアノを弾いたりしている。姉が大事にしているぬいぐるみを足で蹴っ飛ばしたりするとひどく怒る。そんな姉を征服してみたいと思うようになった。 普段は母の友人の洋裁の先生に作ってもらっている水色のワンピースなどを着ている姉だが、夏場は体育の紺色のパンツでいることも多かった。このパンツがキックボクシングの選手のはくパンツと似ているので、わたしは姉が弱っちいキックボクシング選手のようにみえた。その刹那、チャンスが来たと思った。身を屈めて姉の前に忍び寄り、姉の胃の辺りを目かげて下から突き上げるようにボディアッパーを打ち込んだ。「うえっ。」と姉は声をあげてカーペットの上にダウンだ。
「やったぁっ、ボディボディ。」
と勝利の美酒に酔いしれる私。世界がぱぁっと明るくなった。がその次の瞬間、私は凍りついた。カーペットの上に倒れこんだ姉が四つんばいになってそして吐いているのである。カーペットの上に吐瀉物が存在しているを見て
「なんていうことをしてしまったのだろう・・・。」
わたしは怖くなった。姉は今しがた夕食に食べたオムライスを吐いたのである。そして私を恐れとも脅威とも憎悪ともつかない表情でちらっと見ると、そしてすぐに父と母がいる食堂のほうに行った。わたしはその後どうなるかわかった。これから先自分にどういう嵐が襲い掛かるか・・・。
  いうまでもなく父と母にひどく怒られた。私はただ目をつぶって耐えるしかなかった。父は私の頭にブリキのバケツを投げつけ
「お前が片付けろ。」
と怒鳴りつけた。わたしは姉が吐いたものをただ黙々と片付けるしかなかった、一方姉は
「大丈夫? お医者さんに見てもらう?」
と父と母の同情を集めていた。私は途方もない惨めさに打ちひしがれた。

しかしそれだけではなかった、姉はわたしにまったく口を利かなくなった。そしてそれ以降、自分の友達を家に連れてくるようになった。皆姉同様細くてやさしくて、か弱くてそして何を考えているのかわからないようなお姉さんたちだ。姉の友達が来ると母も父も喜んではケーキなんかを買ってくるようになった。もちろん私はケーキをもらえることもなかった。

 こうしてわたしは姉のあの無言のプレッシャーに苦しみ続けた。もちろんテレビでキックボクシングの中継を見せてもらえなくなり、姉が友達と裏番組の「魔法使いサリー」を見ていた。そうでなくとももう私はキックボクシングを見る気がなくなった。

以後結局わたしは姉に謝る機会も与えられないまま、どうせ謝っても許してもらえないことはわかっていたが、姉のあの無言のオーラに流される以外になかった。今度姉を怒らせたら公園に捨てられた子猫のようにこの家から追い出されてしまうのではないか・・・とも感じだ。さらに姉の復讐は続いた。ある朝、父がわたしを
「バカややろうっ。お前はどこまで大人をナメてんのかっ。」
と枕元にやってきては私の顔に新聞を投げつけた。新聞にマジックで大きく乱暴な書体で「カオリのバカ」と落書きされていたのである。カオリとは姉の名である。私はそれまで寝ていたので身に覚えはなかったが、しかし私の言い分など到底聞いてもらえる状況ではなかった、ただ何も言わずに叱られるままだった。そして母がわたしの勉強机の上から新聞に落書きしてのと同じマジックを見付けた。
「あんた以外に居ないでしょ。」
一方姉はあのキックボクシングのようなパンツ姿で庭で花に水をあげている。
「やだ、ナメクジがいる。ホントに・・・。気持ちわるい、つぶしちゃえっ。私のおなかを殴った誰かみたいに・・・。」
そういいながら石でナメクジをつぶす姉に私は改めて怖さを思い知った。姉が落書きしてわたしをはめめたことは明白だ。わたしよりも早く起きた姉がマジックで新聞に落書きし、そしてわたしの机の上にマジックをおいたのだろう。しかし私にはまったく勝算はなかった。私は姉に許しを請う以外にないことを思い知った。この家にいるためには姉に許しを請うしかなかった。私の生意気な気持ちはなめくじのように姉に石で徹底的につぶされつつあるのだ。

 そんな私は次第に本を読んだりするのがすきで勉強をよくする前出したYのような友達とばかり付き合うようになった。

 姉の部屋には姉の友達が来て、そしてピアノでモーツァルトのソナタを弾いている。その傍らで私は本を読み、学校の宿題をし、ときには新しい友達Yの家にいったりする。まちがっても姉の部屋をのぞくなんていうことは恐ろしくて出来ない。ときおのかたかたとミシンの音が聞こえてくる。母の友達の洋裁の先生にミシンを習っているようだ。


?




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古いカセットテープ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月19日(日)01時29分20秒
返信・引用 編集済
   村田基さんの「永遠の0」映画評

 古いカセットテープを処分のため整理していたら、大学時代の録音が出てきました。懐かしい。グラス片手につらつら聴いていますと、たぶんほろ酔い加減の勘違いでしょうが、そんなに捨てたもんじゃないな、いやむしろ、なかなかよいではないか、と、いう気がしてき、ユーチューブにアップしちゃいました。
 2曲とも、ギターを弾き歌っているI君のオリジナルですが、1曲目の歌詞は私がアイデアを出したのだったかも。そして1曲目の訥々と旋律を弾いているギターは私です。くそ下手ですねえ(ーー;。しかし、ぶっつけのアドリブだったのです、と、いちおう弁解(汗)

 

 『深紅の碑文』は、下巻145頁。

 

Re: 「なぞ転」情報:ネスレアミューズ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月17日(金)18時45分34秒
返信・引用 編集済
  > No.5077[元記事へ]

 おお、ネスレアミューズで、第一話が観られるようになっていますね!

 つづいて、

 眉村さん情報:近刊案内

 双葉文庫の新刊発売カレンダー【2月刊行予定表】で、眉村卓『発想力獲得食』が、2月12日発売と告知されました→こちら


 

Re: 北関東の魔女

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月17日(金)18時42分39秒
返信・引用
  > No.5083[元記事へ]

トマトさん
「北関東の町の魔女の伝説」読みました(^^)
 なるほど、「放任と抑圧」話は、本篇のためのマクラだったのか!
 今回は、女子を魔女化させないためにもしかるべき時期に確実に「お灸」はスエなければならないという、教訓が効いたタメになるお話でしたね〜(>おい)(汗)
 冗談はさておき、すっと引き込まれて読まされてしまいました。この調子で次回も(^^;

 

北関東の魔女

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月17日(金)12時45分47秒
返信・引用
  久しぶりにアップロードさせていただきました。


北関東の町の魔女の伝説


北関東のあの街の一角に古くて大きな家があった。 とんがり屋根の洋館で、針葉樹がうっそうと茂っていて中の様子をよくうかがうことは出来ない。しかし針葉樹の林の合間から家のほうを除くと、時折きれいな女の人が庭に出てくるのことが会った。彼女については
「魔女だから、余計なちょっかいを出さないように。」
と大人たちに言われていた。がそうすると怖いもの見たさで見てみたくてしょうがない。うちのクラスのヤンチャなSが
「あそこの家を覗きに行こう。」
という。わたしは大人たちに
「ばか、あの家には寄り付くなっ。そこには魔女が居るんだ。あの家をのぞこうなんていうんだったら、お前、この家から追い出すからな。」
といわれていたことを思い出し
「やっぱり行かない。」
という。するとSは
「おまえ、勇気が無いなぁ・・・。」
とバカにするようにいった。少し悔しかったが、あの家には何かとてつもない恐ろしいものかあるような気がしてならなかった。

  そしてSはやはりヤンチャなTといっしょにあの家を覗きに行ってしまった。針葉樹に覆われた庭に進入し、部屋の中を覗いた。ロココ調の部屋の中のありの美しい女の人が座っていた。
「おっ、居たぞ居た。」
なんとその女性には豊かなバストとヴァバナとペニスとそして翼があったというのだ。
「あんた、そこでなにやっているの。」
その女の人はものすごい目で二人を見た。
「おっかねーっ。」
「こえーっ。」
SとTはその場から走って家の敷地から逃げた。がまもなくこの家のガレージから黒い大きな車が出てきた。ベントレーコンチネンタルだ。この車はSを追いかけてきた。Sは命からがら自分の家に逃げ帰った。しかしベントレーコンチネンタルSのいえまでついてきた。この車にはあの翼のある女の人と、黒いスーツ姿の男の人二人が乗っていた。そして男の人はSの家の写真をとった。Sもこれから先、自分の運命になにかとても深刻なことが出来ることにはじめて気がついた。

「おまえ、あの家の中に入って覗いたんだったなぁっ。」その晩、エスは父親にこっぴどく怒られた。
「いってないよ。」
「ばかやろう、嘘つくんじゃない。さっき黒い大きな車、来たっていうぞ。あの車はベントレーっていってじゃあの家にしかないんだ。おまえ、あの家魔女の家だってわかっているだろう。」
「・・・だって俺…。」
「バカやろう。お前この家から出て行け。お前が出て行かなければこの家はあの魔女のものになる、いいから出て行け。」
こうしてSは家をおいだされてしまった。

 野良猫のようになってしまったSに行く当てなどなかった。思いつくところといったらあの魔女の家しかない。星空の下、Sはあのうっそうと針葉樹が茂る洋館にやってきては中に入り、そして玄関のドアをノックした。
 するとベントレーに乗っていた黒いスーツ姿の二人の男が出て来た。
「このくそガキ、殺されに来たのかっ。」
と男たちはいう、がすぐに奥から魔女が現れ二人の男に言った。
「およし。」
そして魔女はSにこういった。
「あんた、家を追い出されたのね。でなければわたしがあんたの家に呪いをかけてそしてあんたを連れ去ってこようと思っていたのよ。ふふふ、ここに来てくれてありがとう。美味しそうね。」
と不気味にいった。そして彼女はSの服を脱がせ、Sのおちんちんやおちんちんの根元をじっくりといじりはじめた。今まで体験したことの無い感覚Sの全身を貫いた。゛「そろそろやりますか。」
と魔女に侍っていた二人の男のうち一人が言った。
「そうね。」
魔女がそういうと、二人の男たちはSを押さえつけ腹を引き裂き始めた。
「ぎゃぁ。」
凄まじい悲鳴があたりを貫いた。
「今晩はフレンチでモツ煮込みがいただけそうね。」
「お嬢様、心臓を刺身でどうぞ。」
「にんにくおろしてくださらない?アイヨリで頂くわっ。あなたもどう?」
「それじゃいただきます。」

「ああ、苦しいわ。男の子の内臓なんて久しぶりね。あまり美味しかったから、すこし食べ過ぎたわ。」
魔女はおなかをさすって星のきらめくベランダに立った。

  そして学校に行くと、どういうわけはSという男子児童はこの学校に入学すらしていなかった。それだけではない。役所にもSの戸籍すらも無かった。しかしあの洋館はこの町にまだある。時折黒くて大きな車、ベントレーが走っているのを見かける。Sと一緒に魔女の正体を見たはずのTに話を聞いても、
「Sなんてそんな奴しらない。もう何も話しかけないでくれ。それにあの家にも言ったことはないっ」
というばかりだ。そんなTもすっかりやせこけて、しばらく入院して学校を休んでいた。そして友達のおばあちゃんがあの魔女の話をしてくれた。
「私が子供の頃からあの魔女はいたよ。きれいな女の人でね。いつでも男の人二人わ従わせて従わせていたね。あの家にはお呼ばれした人じゃなくちゃ入っても覗いてもいけないんだ。」
「お呼ばれした人、居るの?」
「うん、わたしの友達いたわよ。男の人にレイプされたり痴漢されたりした人が及ばれするめの。そして男の人に復讐して欲しいと頼むと、魔女は聞いてくれて、そしてその男の人の心臓を持ってきてくれるの。」
「そうだったんだ・・・おばあゃんが若いころあの魔女は若い女の人だったんだね。」
「だって魔女だもの。」
しかしあの魔女は美しい。あんな美しい人は見たことは無い。男性のみならず女性もあの美しさには息を呑んだ。

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放任と抑圧

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月17日(金)12時28分25秒
返信・引用 編集済
  皆さん、脱線してしまったすみません。
管理人さん、ありがとうございました。


  放任と抑圧、そのバランスをいわゆる「頭』で調整することは難しいものの根底にあるのが愛情であれば、おのずとバランスが取れてくるものでしょう。
  平田被告のオウム裁判が始まりましたがオウム被告人というのは人生初期に自発的意志を持つことを許されない環境ですごしたために、自分の運命を紡ぐ「家」から「出家」して、麻原という絶対者の下で国家権力や法秩序を含めた大人の世界を征服したい」というが願望が具現した結果なのではないかと感じてします。


大人を征服したいという願望に対して『男の子は腕白でヤンチャなのが商売なんだ。」と判断してお灸をすえなければならない時期に容認さらてしまった場合、悪がきの暴走してとんでもない危険に遭遇することもあります。 好例は女性の聖域に立ち入り、「心理的レイプ」、つまり女心を傷つけてしまった場合です。そうすると女性は愛情ではなく脅威と憎悪を持って悪がきに臨んでくるので、悪がきが怖気づいても「もう亡き者にしよう」と容赦なくあうの手この手で復讐してきます。
私の小学校の担任など、経験の浅い女性な教諭は往々にしたこういう事態に至ッテシマッテイマシタネ。そしてその延長線上にあるのはいわゆる痴漢冤罪で、痴漢されたと思い込んだ女性は脅威と憎悪をもって被害を訴え加害者と思い込んで絞まった男性を手段を選ばずに亡き者にしようとします。すると周囲の乗客や駅員、警察官、しいては検察官まで被害女性の発散する司法を越えた強烈なオーラに判断力を支配されてしまいます。

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Re: 「なぞ転」情報:北へ!

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月16日(木)21時07分5秒
返信・引用 編集済
   
 

 『深紅の碑文』は、下巻75頁まで。
 

Re: こんばんは。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月16日(木)18時48分45秒
返信・引用 編集済
  > No.5079[元記事へ]

トマトさん
>人生初期に大人を征服しようとする意志
>お灸
 ああ、どちらも、子供が大人になっていくためには避けて通ってはいけない通過点なんですよね。
 河合隼雄はユング派なのであんまりよく知らないのですけど、大学のゼミはアメリカ精神分析派(いわゆる新フロイト派)寄りの人格発達論で、子供時代の環境を重視する立場なのですが、その問題は勉強しました。放任と抑圧、どちらに傾きすぎるのもいけないようです。「お灸」とはその匙加減ですね。
 小学校時代、悪ガキだった友人は、いま、皆から頼られる、私も尊敬できる地元の名士になっています。一方、同じく悪ガキだった別の男は、いまは消息も分かりません。「お灸」の在り方は、なかなか微妙で難しいところがあります。
 その点、トマトさんはビシッと対応したようで、その悪ガキにとってもよかったんじゃないでしょうか(^^;。
 同様に、娘さんも毅然たる態度を示したことで、そういう態度を自分が取れるんだ、ということを確認できたと思います。それは今後の人生に大きな自信になっていくと思います。
 

 

こんばんは。

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月15日(水)21時13分44秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんばんは。なんか今日はとくに寒いですね。はやく春になってほしいですね。

こんな話、ありました。

隣の家の銀行員夫妻が介護のために郷里にいかれたのちに小学生の男児がいる家族が引っ越してきて、ついに法的手段に!
その男児とその、友達のちんちゃぶり、中学生のうちの娘をよってたかってちょっかいを出しひとの家に不法侵入して娘の下着をイタズラする始末、涼しい顔の隣の奥さんについに
法務文書をつきだしたところ、そのときはそれなりにこたえていたようだが、まもなく悪がきの悪行が再開、再度民事で資産差し押さえも検討という書面を送付してようやく男児にクンロクをいれ始めた。同時にうちの娘も一念発起して加害男児に対峙して
「テメェ、ブ物殺すからね。」
と啖呵を切って事態はだいぶ沈静化。
悪がきの対策ですが、河合隼雄の本に人生初期に大人を征服しようとする意志が頭をもたげるが大人たちにお灸を据えられシュンとしてしまうなどと書いてありました。一方お灸を据えられないとそのままやりたい放題なのかも?しれません。
大人たちを自分達が征服したい、そんな願望、わかるような気がします。でとお灸を据えられるだけではすまない相手も居ますからね。


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Re: 「なぞ転」情報

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月15日(水)20時42分13秒
返信・引用
  > No.5077[元記事へ]

 

 めでたい。しかし信越放送の場合、1/31(金)スタートだったら、つねにネスレアミューズが先行することになりますね。視聴率大丈夫なのでしょうか? ネスレアミューズが中止になりそうな予感
(ーー;
 

「なぞ転」情報

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月14日(火)21時17分47秒
返信・引用 編集済
   昨晩、見られなかった人に朗報!(^^)

 
   ↑
 これって、第一回目だけのサービスなのでしょうか。最終回まで続けてほしいですね。「1週間限定」とはそういう意味にも読めるわけですが・・・
 いちおうリンクしておきますね→ネスレアミューズ

『深紅の碑文(上)』読了。ひきつづき、下巻へ。
 

仏製フォルクローレ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月13日(月)21時08分11秒
返信・引用 編集済
  > No.5072[元記事へ]

 ところで、フォルクローレといってまず思い浮かぶのは、S&G「コンドルは飛んでいく」ではないでしょうか。あるいは、大阪駅南口とウメチカ18番出口の間の公共空間で、ときどき演奏を披露している、ケーナをフィーチャーしたインストバンドを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません(>ないない)(^^;。
 たしかに私自身も、フォルクローレという音楽ジャンルをはじめて意識したのは、「コンドルは飛んでいく」だったように思います。もちろんそれ以前に、「花祭」だとか、坂本スミ子「夜が明けて」というのもありましたが……、と書いて、ちょっと不安になったので確認してみました。
 何と、S&Gのカバー(後述)が1970年。「夜が明けて」は1971年でした(汗)。うーむ、この勘違いは、おそらく特殊個人的事情でありまして、私が「コンドル……」所収のアルバム『明日に架ける橋』を聴いたのが、71年以降だったからでしょうね。「夜が明けて」のメロディが先にインプットされてしまっていたということだろうと思います。で、ふと気づきました。後者は二匹目のどじょう狙いだったのかも。
 
 閑話休題。「S&Gのカバー」と書いたのは他でもありません。この曲、これが縁で、のちにウルバンバと改名して傑作「ダンカンの歌」のバックをつとめたり、サイモンのツアーに帯同したりしたロス・インカスの、そのインスト音源に、S&Gの歌と演奏をリミックスしたものだったんですね。まあこれはご存じの方も多いかも。
 ところでこのウルバンバ、実はフランスのバンドなんです。メンバーは南アメリカからの留学生(だった人たち)が中心ですが、フランス人も参加していたようです。というよりも、このウルバンバのような、私たちがフォルクローレといえばまず想起するところの、ケーナをフィーチャーしたインストルメンタル・バンドはほとんどフランスを活動拠点としていたのですね。
 私が持っているロス・カルチャキスも、元盤はフランスで発売されたもので、ユーチューブを探したら、フルアルバム*がアップされていました。さっそく視聴。
 
 おお、なんと素朴で物悲しいメロディでしょう。インカの悲劇が目の前に甦ってくるではありませんか。しかし騙されてはいけません。上記のように、これってフランス製なんです。たしかにメロディは、南米各地の民謡から採録したもののようです。楽器も勿論、ケーナにしろ、チャランゴにしろ、シークにしろ、各種の太鼓にしろ、アンデスの楽器です。
 でも、違うのです。
 現地ではこのようにインストルメンタルで演奏されることは、基本的にありえません。どの国の民謡でもそうですが、ボーカルがまずあって、それに伴奏をつけるために楽器が演奏されるのですね。
 ですから、こういったインスト・フォルクローレは、1960年代後半にフランスで、そのスタイルが確立された、文字どおりのフランス音楽というべきなんですね。
 アンデスの民謡の直系の継承者は、やはりユパンキだと思います。
 だからといって、私はこのスタイルを「偽物」として否定しているのではありません。あの独特の哀愁と郷愁を聴者の心に(実体はないのに)再現させる音楽の力は、やはり「本物」の音楽以外の何物でもありません。

*上掲フルアルバムですが、通聴してみたところ、微妙に私の持っているアルバムと違っているようです。下記は上掲アルバムの収録曲名ですが、確認しますと、この15曲中、(x印をつけた)5曲が、私のアルバムにはないものでした。邦盤の方がクレジットが新しいので(73年)、おそらく邦盤は、日本独自編集なのかも。
 ――――――      ――――――
"La Flute Indienne" (1967)

Los Calchakis
(avec Guillermo de la Roca)
Los Guacharacos**

《Equateur》
  01-Pescadores
  02-Amores Hallaras

《Colombie》
 X03-El Rio Blanqueno **

《Perou》
  04-Motivos Andinos
  05-La Tinya
  06-El Condor Pasa
  07-Destino

《Argentine》
 X08-Huayra Muyhoj
  09-El Pajarillo
  10-Quiquenita
  11-Carnaval Salteno
 X12-El Antechispa

《Mexique》
 X13-Danza Azteca **

《Bolivie》
  14-Yaravi
 X15-Llamerada
 

 

Re:なぞの転校生

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月13日(月)14時58分32秒
返信・引用
  管理人様
いえいえ、厳しくて当たり前です。管理人様に不満などあるはずありません。
次の定例会で、深田さんに見て貰うように、すでに作品を用意してあります。そこで、深田さんがいろいろと語られるかと思いますので、期待しています。
>クラスメートは格下
とんでもないです。自分には到底書けない作品を提出されます。仮に、同じようなものを出したとしたら、「真似」と言われてやっつけられるのが関の山です。皆、てんでばらばらな個性あふれる作品です。
いずれにしましても、眉村さんも管理人様も厳しくて当然のことをおっしゃっておられます。間違っているとは思っておりません。
ともあれ、次回の教室でどのようになるか、今は待つのみ、お借りしたご本にはそれなりの意味のあるものだと思います。わざわざとお選びになられたのですから。
管理人様、わざわざのお言葉、ありがとうございました。精進致します。
 

Re: なぞの転校生

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月13日(月)14時36分58秒
返信・引用 編集済
  > No.5073[元記事へ]

段野さん
>私のことがどうでもよかったのならば
 根本的な勘違いがあるのではないですか。講師にとって受講生の人間性などどうでもいいのです。評価されるのは提出した作品のみ。当然好悪なんて無関係です。
 ということはですね、先生は段野さんの提出する作品が不満なのです。ここ、取り違えては駄目ですよ。
 その帰結として、叱責が続くのは、提出される段野さんの作品に改善のあとがみえないから、先生のアドバイスや指導が全く反映されていないからに他なりません。これは推測でもなんでもなく、論理的帰結です。
 ぶっちゃけ私個人も、段野作品は不満ですね。はっきりいって私の作品と同レベルです(>おい)(^^;
 てことは、他のメンバーのより格段に落ちるということです。
 もちろん、同人誌で楽しんでいる分にはそれで構わないのです。今後も送って来られた作品はすべて掲載します。同人誌とはそういうものですから。
 しかしながら、段野さんは作家をめざして受講しているわけですから、そこに甘んじている作品では、当然講師である先生の眼鏡にかなうはずがないのです。
 ではどうしたらいいのか。
 もっと他人(先生も含めて)の話を聞き、他人の作品を虚心坦懐に読むべきです。私はそれが段野さんには欠けていると思います。(二冊も貸してくれたなんて、私からすればとても羨ましい話です。でもそれは、段野さんに対する好悪で貸してくれたのではなく、授業料を払っている生徒への、当然の、公平なアドバイスとしてであることもお忘れなく。それから、ただ漫然と読むのではなく、先生は何故この本を貸してくれたのか、それはどういう理由からなのか、ということを常に自問しながら読んでくださいね)
 プロ作家の傑作は当然ですが、同じレベルの受講生の作品もしっかり読み込むべきです。そういう作品には、良くなるためのヒントがいっぱい落ちているんですよね。しかし、それに気づくためには虚心坦懐にならなければ駄目です。段野さんの主観では、クラスメートはすべて自分より格下という感じなのかもしれませんが、それだけ叱責が続くということは、実は段野さんのレベルが、他の人より格下なのかも、と、まずそう認識すべきです。
 少々きついことを書きましたが、自分のレベルを知ることは大切です。私のこの書き込みを不満に思われるかもしれませんが、深田さんなり雫石さんなりに、正味のところを聞いてみたらよいと思います。正直に答えてくれると思います。というか、はっきり答えてあげてくださいね>会員諸氏。
 段野さんのレベルがぐんと改善されるのを、みんな望んでいますよ(^^)

 追記。先生の指導法と相性が合わない可能性も考えたほうがいいかも。創作教室なんて、要するに作家になるための手段なんですから、講師が先生でなければならない理由はありません。思い切って別の教室に移って講師を変えてみては? たとえばここは、複数の講師による集団指導体制ですから、案外段野さん向きかも。
 

なぞの転校生

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月13日(月)13時44分6秒
返信・引用
  いよいよ本日関西地区で放送が始まります! 留守録予約oK! 楽しみです。
ところで、眉村さんは、先週木金と札幌に出張され、少々お疲れと見えて、きりきりと授業をされました。またもや叱られ、しかし、授業が終わると、「この本をお読みなさい」と2冊もお貸し頂きました。わざわざと、ご本を用意されて来られた、と言うことになります。
私のことがどうでもよかったのならば、大事なご本をお貸しになることはない、と勝手に思い込んでしまいました。まあ、それくらい、毎回お叱りを受けるのです。一度は「スケープゴートにします」などと言われる始末。まあ、いいんですが。
ともあれ、なぞの転校生、期待大です。
 

ユパンキのピッチを直す

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月12日(日)20時49分8秒
返信・引用 編集済
   以前、昔のLPのピッチについて、ユパンキの例を上げて書きました。→ここ
 今日、私が持っているユパンキの最初期のレコード録音が、フルアルバムでユーチューブに挙げられているのに気づきました。

 

 やはりピッチは私の所有しているのと同じで、実際よりも高い(と推測される)ままでした。

 そこでふと、このユーチューブ動画、ピッチを正しく戻せないかな、と考えた。ネットを探すと、はたして回転数(周波数ですね)をさわれるフリーソフトがありました。
 で、やってみました! ユーチューブ動画を一旦MP3にしてパソコンに取り込み、件のソフトで周波数を下げ(上のリンクの、ピッチを正しく直したと思われるユーチューブ動画と同じにして)、画像をつけてMP4にして再びアップしたのがこれ↓

 

 どうでしょう。よくなりましたよね。ね、ね。訂正したのを聴いてから元のを聴くと、キンキンしているのがよく分かると思います。
 ああ、今日はなかなかよい仕事をしたなあ(^^)
 

Re: 勝手に質問コーナー

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月12日(日)00時06分31秒
返信・引用
  > No.5070[元記事へ]

ありがとうございます。
ふむふむ、そう言う事なら「光速のナンパ―セントである」とか、「60年が経過した」とか、はっきり書かないと言う手もありますね。
「速度モニターには光速の99.999……%と数えきれないほどの9が並んでいた」と書きましょうか(笑)

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 勝手に質問コーナー

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月11日(土)21時43分45秒
返信・引用 編集済
  > No.5068[元記事へ]

海野さん
 私でもいいのならお答えします(>おい)(^^;
 私の「冬への扉」では、ウィキペディアの「時間の遅れ」を参考にしました。
 で、同様に海野さんの出された数値を、公式に代入してみました。

 Δt'=船内時間、Δt=地球時間、c=1とする。
 船内時間1時間が地球時間60年(525600時間=24*365*60)ですから、船内:地球=1:525600です。ほしいのはv/cの値です。
 これを公式に放り込みますと、電卓では小数点以下の桁が多すぎて計算不能でした。パソコンの電卓では0.99999999999となりましたが、やはりさらに下の桁がありそうです。たぶん0.999999999998(99.9999999998%)くらい? 要するにほぼ光速に近い数値です。「5分」はさらに尻尾に9が続くでしょうねえ。
 ただし私のことですから、とんでもない間違いしている可能性は大いにありえます(えへん。威張ってどうする)。やはり識者の方に見ていただきたいところ。

 

小皿叩いて、じゃなくて

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月11日(土)17時32分12秒
返信・引用 編集済
   

 パルチード・アルトを検索すると、大概ここのように、単にリズムとして認識されているようです。たしかにパルチード・アルトはすべてのサンバの「基本中の基本」のリズムですが、それ以前に、すべてのサンバの歴史的源流でもあるのです。
 サンバと言いますと、大方の日本人はリオのカーニバルのあの商業サンバを思いかべるでしょう。しかしサンバは、そんな狂騒的なものばかりではなく、甘く洗練されたロマンチックな歌謡サンバとか、裏町の率直な人間性を歌った民衆歌曲のサンバとかいったものもあるようで、おそらくパリのシャンソンの在り方を想起するとわかりやすい。
 それらの多様なサンバの原点となったのが、上のユーチューブで聴かれるパルチード・アルトなのです。
 パルチード・アルトとは、北部のバイーア州で開始された音楽でして、ジャズと同じような起源を持つ黒人音楽です(白人音楽を取り込んだジャズよりさらに黒人色が強い)。バイーアは、アメリカにおけるプリマス植民地に相当する、ブラジル発祥の地でありまして、当然黒人奴隷が多かったのですね。リョサ『世界終末戦争』の舞台でもあります。
 その彼らが、新首都建設に際して、建設景気に湧く新首都リオに流れこんできた。そのとき彼らが一緒に持ってきた音楽がリオの裏町で一つのスタイルを形成します。それがパルチード・アルトなのです。
 聴きましたら分かるとおり、即興のうまいソロ歌手にリードされて、繰り返し部分をみんなのコーラスと、ありあわせの打楽器によって作られます。まさに「小皿叩いて」、いや、「お皿をナイフでこすって」ですね(^^;。踊りの足音や手拍子も重要な要素で、「地面のサンバ」とも称されているようです。このリーダーの傑出した歌手がカンデイアですが、聴いていますと、他のリード歌手たちと即興で歌で掛け合い会話しているようです。この辺は古代日本の歌垣(かがい(?歌)は掛け合いに由来)とも共通しており、おそらくクロマニヨン人あたりに起源を発するものでしょう(ネアンデルタール人にもあったのかどうか)。
 ウィキペディアによれば、歌垣には呪的言霊性が強かったようですが、殊にサンバにその面が強かったことは、007映画でも大いに利用されていました(たとえば「死ぬのは奴らだ」)。カンデイアによれば、このようなサンバはアフリカの宗教音楽の流れを引いているという。「ジョンゴは神秘的なダンスでサンバの前身だ。これはバントゥ族、もっと詳しくいえばアンゴラの種族によって、アンゴラからブラジルへ持って来られた。真のジョンゴは歌われるもので、アタバーキ(太鼓)のリズムにのって、人びとを催眠術にかけるように恍惚に誘う、秘儀の音楽だった。ジョンゴは精霊への呼びかけだ。カシャンブーという形式はジョンゴの一種だが、これは遊びのための音楽だった。カシャンブーというのは一番小さくて、持ち運びのしやすい太鼓の名前でもある。ジョンゴ、あるいはカシャンブーは、パルチード・アルトの原形だ」(「パルチード・エン・シンコ」ライナーノートより)
 ところで、カンデイア「samba de roda(邦題:サンバの王様)」のライナーノートによれば、ライナーノートの筆者・大島守が、リオに、黒人系サンバのレコードを大量に買いに行ったとき、レコード店の店員や客が一斉に「こんな下品なものは、やめた方がいい」と言って、「これのほうがいい」とロベルト・カルロスのレコードをすすめられたそうで、「ブラジル人の「黒人サンバ嫌い」の最たる原因は、その宗教に対する異常ともいえる恐怖心に起因している」んだそうです。
 このあたり、なかなか面白いので、まんま引用しちゃいます。

「中にはウンバンダ教のような穏健な一派もあるが、マクンバ、カンドンブレなどの一派は現在でも会員の要請を受け、それが妥当だと認定されると、幹部の人たちが対象者を呪い殺す儀式を行い、その成功率は意外に高い(原文傍点)。なかには生涯病気になるヤリ方などいろいろな方式があるが、ここでは述べない」(>おい)(^^;
 さらに記述はつづく。
「ウンバンダはカトリック教との折衷だからアフロ訛りのポルトガル語を主体としているが、カンドンブレはアンゴラ・コングエンセス派、ジェジェ・ナゴー派などによってそれぞれのアフロ言語がよく使われている。(……)現在のサンバのオリジナルと考えられているサンバ・ジ・ローダも含まれ、こういう言語で歌われてきた。(……)一般のブラジル人の「黒人サンバ嫌い」の根は、人種差別ということだけではなく、相当難しい問題も隠されている」
 以上は、補足しますと、リオ到来以前のバイーアのサンバ(のオリジン)の話です。
「サンバ・ジ・ローダはリオに移った。するとどうだろう。まず言葉が変わった。ポルトガル語なのである。打楽器も変わった。ヨーロッパ生まれのものなのである。それに西欧和音楽器が加わった。そしてサンバ・ジ・ローダと同じ流れを汲むパルチード・アルトのソロを歌う部分は、カリオカ独特の、粋な感覚でパロディをふんだんに取り入れ、あるときは説話的に、そしてアイロニーにとんだ歌詞をつけてしまったのである。オリジナルのサンバ・ジ・ローダとカリオカのそれとでは、正調の日本民謡とYMO付きの矢野顕子以上の差があることをぜひ知っていただきたいのである」(「samba de roda」ライナーノートより)

 それでもなお、オリジナルの暗い側面の記憶が、変わったはずの裏町サンバに先入観を与えていたんですね。でもその一方で、カーニバルの商業サンバに行き着いてしまっているのも、一筋縄ではいかない、現実の面白さかも(丁度いま読んでいる『深紅の碑文』がそういう話なんですよね)。
 ところで、リオの裏町サンバ(地面のサンバ)は、基本、それぞれの地区の黒人宗教の教会支部で、信者たちのレジャーとして楽しまれていました(多くはマンイという女司祭が管轄していたそうで、映画「黒いオルフェ」の後半の幻想的な場面に出てくる教会が、こういう感じでしたね)。
 上のユーチューブも、おそらく教会の裏庭かどこかでの、(とりわけ後半は)一種のパーティの場面ではないでしょうか。日が沈んでも、人びとの陶酔は高まる一方で、終わる気配がありませんね(^^)


 

勝手に質問コーナー

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月11日(土)17時03分9秒
返信・引用
  いま、ある小説を書いているのですが、相対性理論らしいものの考証が必要で、いろいろネットで検索しても、もひとつ解りません。
管理人さんでも(でもだと〜)いいのですが、お知り合いの方にでも、それはこうだと言ってくださる方はいませんでしょうか?

宇宙船内の時間で1時間経過する間に、地球で60年経過するには宇宙船は光速の何パーセントで航行しているのかと言うことです。
この「1時間」が「5分」の場合も知りたいのです。

宇宙船は加速中ではなくて、加速後、一定の速さで飛んでいるとしてです。

今月末締め切りの応募小説を書いております。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「ブラジレリーニョ」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月10日(金)20時59分47秒
返信・引用 編集済
   

 このバンド、オス・ノーヴォス・バイアーノスのボーカルのベイビー・コンスェロ(のちにベイビー・ド・ブラジル)は次のように語っています。
 「オス・ノーヴォス・バイアーノスはMPB(管理人註:ブラジルポピュラー音楽)の学校なのよ。私は、あらゆる種類の音楽とその歌手から影響を受けています。でも、ブラジル性は、オス・ノーヴォス・バイアーノスで学んだのです。サンバについていえば、私の唱法にいちばん影響したのはエルザ・ソアーレスです。私は彼女と同じように、声帯を痛めずに、しわがれ声で歌うことができます」(オス・ノーヴォス・バイアーノス「ロカルナヴァル」(76)ライナーノートより)
 下のユーチューブは、そのエルザ・ソアーレスとのデュエット、というよりも競演。
 

 上記ライナーはさらに続きます。「ショーロを速く歌う技術は、アデミルヂ・フォンセーカから学んだといえるでしょう。ほかに私の歌では即興性が重要です」(同上)
 ショーロとは(サンバと並ぶ重要な)ブラジル音楽の1ジャンルでありまして、この「ブラジレリーニョ」と言う曲が、かくいうショーロであります。たしかに途中で「速く歌って」いますよね。そしてそこで観客から歓声と拍手が起こるのは、待ってました! という感じなんでしょうね。
 

テレビ東京では

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 9日(木)19時45分33秒
返信・引用 編集済
   

 テレビ大阪は来週月曜(1/13)夜11時58分スタートですよ!
  テレビ大阪 公式サイト

 

「なぞ転」テレビ大阪は13日(月)夜11時58分〜

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 8日(水)23時36分5秒
返信・引用 編集済
  > No.5064[元記事へ]

トマトさん
 読ませていただきました! それにしても魂の故郷・大母閣アパートは、なかなか受け入れてくれないようですね。ひょっとして石川喬司の夢書房のような「就眠儀式」が必要なのではないですか(^^;

 さて、このところ「なぞの転校生 ラジオ大阪」とか「なぞの転校生 関西」の検索語で来られる方が爆増しており、訪問者カウンターの数値を引き上げています。ふだんは大体70名から90名の間に収まる超過疎地なのですが、この日曜から今日まで、162、133,139、(あと1時間残してすでに)102と、4日連続で100超えしているんですよね。そして検索で来られた方の大多数が、w1allenさんのこの書き込みにピンポイントで来られているのです。
 つまり、公式ページやツイッターでは、テレビ東京の放送時間しか告知していないので、関西圏の方がテレビ大阪の放送時間の確認に、いまや大童になっているという状況が読みとれると思われます。
 さすが「なぞ転」と言う感じですね、筒井さんが「時かけ」について「孝行娘ですよ、よく稼いでくれますわ」みたいなことを偽文士日録でおっしゃっていましたが、「なぞ転」も負けておりませんぞ(^^ゞ

 ということで(どういうことだ)、『深紅の碑文(上)』は300頁まで。上巻は残り60頁。
 

おばんです。(北関東東北南部の方言)

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 1月 8日(水)18時00分15秒
返信・引用
  みなさん、今晩は。
管理人さん、段野さん、ありがとうございました。
弊サイトに新作をようやくアップロードしました。

明日から今季最強の寒波が来襲するようですね。

私事ですが、今さがたまた一つ事案が転がり込んできました。




http://boletusedulis.blog.fc2.com/

 

Re:いやいや。とんでもない!

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月 8日(水)14時56分36秒
返信・引用
  >「いつも悪口言ってます」
のあとに、最近は謎めいた「うふふ」という笑いが入るのです。? 謎です。わかりませんねー。
(最近、実物に遭遇しました)
 

Re: いやいや。とんでもない!

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 7日(火)19時44分52秒
返信・引用
  > No.5060[元記事へ]

かんべさん
 いやいや。とんでもない、とおっしゃる端から、
>と、笑ったりとかね。
 またそんな上げて落とす言い方を(汗)。いったいどんなヒドイ棚卸しをされたかと不安で眠れなくなるではありませんか(^^;。

>「いつも悪口言ってます」
 ああ。平然とそのようなことをぬかしてけつかりおっしゃったりしはる夜郎自大は、間違いなく、今話題にしている山鳥さんだと断言できますね。あの方以外に考えられません。小説は、私はなかなか大したものだと思っていますけれども、実際に会いますとねえ。誰かが言ってましたが、山鳥は遠きにありて思うものだそうです。やはり野に置け山の鳥とも。けだし名言であります。
 その会合に、私は出席していなかったと思います。かんべさんが参加されたことがあったこともはじめて知りました。

 

Re:「屋根の上の魚」読了

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月 7日(火)14時18分42秒
返信・引用 編集済
  堀様
レス遅くなりまして申し訳ございません。
掲示板にすでにお答えを見いだされておられることとお察し申し上げますが、管理人様が掲示板に張り付けて頂いた「北西航路3」の表紙がM27でありました。やむ氏とは、イラストの雰囲気が違うこと、やむ氏も「北西航路」の表紙を手掛けていましたので、あえてM27ですね、と書き込みをさせて頂きました。
管理人様も、短編から思い出されたこと、すごいですね。確かに、そのような短編を読んだ、と記憶しております(というか、こういう作品がM27には多かったです)
かんべさま
>湯飲み茶わん(紺地に白の水玉)
そうです。お茶くみ役は私でした。眉村さんの奥様が、ポットと急須、お茶葉が入った入れ物を二階に運んで頂き、あとはやりなはれ、ということで、その場に座っている参加者に配りました。お茶が切れると、追加で皆さんに運びます。最後は使用済みの茶碗をひとまとめにしました。かんべさまがおられた、ということは、管理人様もおられたかも知れませんね。何せ、常に15人ほどは参加していましたし、多い時は20人ぐらいはおりましたでしょうか。茶碗が足りなくなったことを覚えております。(女子は少なかったです)
一度、菅浩江さんが参加されました。「星群ノベルズ」で大注目を集めたあとでの参加、皆が注目しました。会が終わり、地下鉄の駅まで話をしたことを覚えております。現在の彼女の勢いなど、想像もせず、「偉そうに」語った私がいました(汗)。
 

いやいや。とんでもない!

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2014年 1月 7日(火)11時34分24秒
返信・引用
  キョーレツな悪意なんて、これっぱかりもございません。
なにしろ、管理人さんの書評や評論については、定員二人、
内容マル秘の検討会でも、堀氏とともに感服いたしております。
「しかし、あれだけの分析力を持ちながら〜」と、笑ったりとかね。
あ、それから。山鳥とか27とか出てきてますのは、ウ27氏のことですか。
違ってたら以下は無関係な話になりますけど、昔々、
私がまだネオヌルのときやったか、デビュー直後やったか、
確か「星群」の会合か何かで、しかも眉村さん宅の2階和室で、
一度だけ出会ったことがありますな。何でそんな場に私がおったのか、
自分でもわからんのですけど、堀さんか誰かが紹介してくれて、
「かんべです」と言うたら、山鳥氏は「いつも悪口言ってます」と、
ぬかしてけつかりおっしゃってはりましたわ。
座卓の上には、湯飲み茶碗(紺地に白の水玉)がたくさん伏せてあった。
二つつなげた座卓の両側にずらっと人々が座ってましたけど、
ひょっとして管理人さんも、そのなかにいてはりましたのか?
 

Re: 「屋根の上の魚」読了

 投稿者:堀 晃  投稿日:2014年 1月 7日(火)04時36分32秒
返信・引用
  > No.5058[元記事へ]

あ、なるほど、よくわかりました。
一短編に関連してちゃんと思い出されるなんて、白鳥…じゃなかった山鳥さんも、たいしたものじゃないですか。
 

Re: 「屋根の上の魚」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 7日(火)01時06分50秒
返信・引用 編集済
  > No.5057[元記事へ]

 わ、しまった。段野さんへのお尋ねだったのか。
 うっかりリンク先を確認もせず、私の書き込みに対するお尋ねなのかな、との思い込みでレスを書いてしまいました(汗)
 でもせっかく書いたものなので、消すのも惜しいのでアップしちゃいます(^^ゞ

      ――――――      ――――――      ――――――

 いや、あんまり深い意味はないのです。
 これ、というのは「園生の鳥」なんですが、まずこの短篇(掌篇)を要約します。
 主人公は(おそらく)5、6才の子供。複雑な家族構成で(おそらく貧民街の)地下室に住んでいます。収入源はジョン伯父さんの年金だよりで、寄生虫のように雑居している。
 最初、主人公は牧野信一の主人公のように、糖衣された世界(地下室)を見ている。その世界はジョン伯父さんの一種の内的世界で、いつか七色の鳥がやってきて救済されるというもの。
 それが高じて主人公は病気になることで、つまり病気の妄想状態の中で七色の鳥が住む世界(永遠)を極限的に体験します(余談ながらこの部分の超絶的な描写テクニックは本篇の一番の読みどころ)。ですが、行き着くところまで行き着いたことで、ばちんとはじけてしまい、主人公の前に糖衣が剥がれてしまった世界、剥き出しの卑しい現実の世界が立ち現れる(目覚める)。そしてそこで(いかにも愚かな)カタストロフが起こり、七色の鳥は永遠に飛び去ってしまう――(要約していて、石川淳にも似ているな、と思いました)

 一方、M27の世界ですが、私はもう20年以上、氏の作品を読んでおらず、読んだ印象もかなりぼやけてしまっています。そんな私が了解しているところのM27の世界ということで、本人が見たら「キミなにをゆーてるんや、ナントモカントモ」とのたまうかもしれません(>おい)(^^;。
 M27の世界は、基本「みにくいアヒルの子」なんですね。パッとしない、あるいは虐げられていた少年(常に少年)が、ある日、自分が白鳥(M27の場合は「星の鳥」)であることを知り、自分の同胞である宇宙種族のもとへと飛び立っていく、といったふうなモチーフになることが多いのですね。
 モチーフ的には上の作品とかなり共通していると思います。ただこれを上に合わせていえば、現実→永遠(超越)となるわけで、「園生の鳥」の永遠→現実とは丁度まぎゃくに対応しているんじゃないかな、と思ったのです。
 そういう次第で、
>本篇はM27かも。←ここまで書いてうっかりミスに気づいた(汗)
>ただし逆M27。
 と書き込んだのでした(汗)

 

Re: 「屋根の上の魚」読了

 投稿者:堀 晃  投稿日:2014年 1月 6日(月)22時45分34秒
返信・引用
  > No.5050[元記事へ]

マイナーな話題に紛れ込んで申し訳ありません。

> これはM27ですね。

これとは「どれ」なんでしょうか。
できれば詳しく知りたいのであります。
私め、M27と「立ちゃん」となると好奇心ムクムクで。
もう少し一般的に語っていただけるとうれしいです。
 

Re: 単三電池

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 6日(月)21時42分15秒
返信・引用 編集済
  > No.5055[元記事へ]

海野さん
 あー、やっぱりそこですよね、感覚の違い。→「時計が反対回りするだけで時間が後戻りするんか〜い!」
 私は、全然気にならないです。
>なんと何時間も前に沈んだはずの太陽が西の空から昇って来るところだった。
 という「絵」だけでオッケーなんですよねえ。おおー!!って感じです(^^;。他の皆さんはどうなんでしょう?

>懐中電灯にこの電池を入れてスイッチONすると暗闇が現れる
 これに似たのが都筑道夫にあって、この現実と重なって住んでいる幽霊たちの世界(観)では、生者が電気をつけると暗闇になり(感じ)、消すと明るくなる(感じる)というややこしいアイデアがありました。都筑道夫も論理的オチが得意でしたね。
 
 

Re: 単三電池

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月 6日(月)20時47分18秒
返信・引用
  > No.5054[元記事へ]

ありがとうございます〜
>ラストの1行は不要
ふむふむ。
このままラスト一行を削ると、「時計が反対回りするだけで時間が後戻りするんか〜い!」
と言う感じがするかな。
ちょっとオチがちゃちになるかも。
もう少しこの「反エネルギー電池」のすごさ、不思議さをもっと書きこんでれば削ってもいいかもしれません。
電池を外しても時計が反対回りに動くのをやめないとか、壊そうとしても壊れなくなっているとか、
懐中電灯にこの電池を入れてスイッチONすると暗闇が現れるなんて。

遅れてた時計が電池を替えたから進み出すと言うのはあまりないのではないでしょうかね。
進む傾向にあった時計が電池を入れ替えると更に進むと言うのは当たり前でしょうけど
これは電気屋さんより時計屋さんに聞いた方がよさそうですね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 単三電池

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 6日(月)17時49分21秒
返信・引用 編集済
  > No.5053[元記事へ]

海野さん
 面白い(^^)。よいショートショートに仕立てて下さってありがとうございました!
 しかし、ラストの1行は不要かも。と私は思ったんですが、どうでしょうか(^^;。
 追記。というか、これは良し悪しじゃなくてショートショート観の相違ですかねえ(汗)。皆さんはどう思われますか?

>「そんな馬鹿な。いくらなんでも逆向きに進むか〜い!」
 ああ、たしかにそう読めてしまいますね。天命を知るこの年になって未だ日本語が未熟ですなあ
(ーー;

 ところで電気屋さんにお尋ねしますが、こういうの(遅れた分を取り戻すために進む)ってよくある現象なのですかね?
 

単三電池

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月 6日(月)11時28分35秒
返信・引用 編集済
  > No.5052[元記事へ]

殆ど使ってない部屋の壁にかかっている時計は、記念品でもらったものだ。
単三電池1個で動く、ごくシンプルなもので、何か月か前から次第に遅れ始めた。
電池が切れかかってきたからだと思うのだが、全然使ってない部屋なのでそのまま遅れるに任せて放ってあった。
正確に言うと、時々思い出した時に針を合わせてから電池を一旦外して差し込み直すとまたしばらく正常に動いたりしていたのだ。
しかし、その効果も次第に薄れてきて、いまや一日と持たず遅れ始めるようになった。
つまり限界に近づいていたのだ。
電池を買ってこなければと思いながら、使わない部屋なので不便を感じることもなく、ずっと忘れていた。

ある日、会社帰りに電車から降りて駅の雑踏を歩いているときに一人の男と肩がぶつかった。
プンと変な体臭がした。
男は上下黒づくめの服装で、黒いニット帽を目深にかぶりさらにサングラスと言ういでたちで、ぶつかったとたんに訳の分からない言葉を発した。
聞いたことのない言葉だった。
「失礼しました」
という私を無視して男は足早に立ち去った。
ふと足元を見ると何かが落ちている。
単三電池のようだった。
そういえば男とぶつかった時に何かが落ちる音を聞いた気がしたのだ。
振り返ってみたが、男は雑踏に紛れてしまっていた。

帰宅して、夕食後にその拾った電池を眺めた。
文字らしいものが書いてあったが全く読めない。
アラビア文字に似ている気がしたがそれとも明らかに違っている。
まあ、たかが電池一本のことなので、大して気にすることもなくあの部屋の時計に入れることにした。
時計を外して付け替え、針を合わせて壁に戻しこれでオッケー、やれやれと思って眺めるとまた時間が狂っている。
遅れているのだがその遅れ方がさらにひどいのだ。
時計の機械部分を見るとちゃんと歯車は忙しく動いているのだが。
しばらく眺めていてその遅れる原因が分かった。
この時計には秒針がないので気が付かなかったのだが、長針が確かに反対に動いているのだ。
そう、反時計回りに。
電池を反対向きに入れたのかと思い、入れ替えてみたが同じことだった。
まさか、故障するにしても逆回転を始めるなどということがあるのだろうか?
「まあ、いいか。そろそろ寿命なんだな」
そう思い、新しい時計を買って、今使っている古いのをあの部屋に置いてなどと考えながら布団に入った。
ふとカーテンを引いた窓の方が気になった。
何となく明るいような気がしたのだ。
カーテンを開けてみた。
なんと何時間も前に沈んだはずの太陽が西の空から昇って来るところだった。

あの拾った電池には異国の言葉で「反エネルギー電池」と書かれていたということは私が知るはずもなかった。



おわり



>今度は逆に進んでいるのです。

と言うところを読んで、「そんな馬鹿な。いくらなんでも逆向きに進むか〜い!」と思ったので思いついた作品です。
まあ、これまで遅れていたのが、「逆に、進んでいる」と言う事なのはその後でわかりましたけどね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

けなげな壁掛け時計

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 5日(日)21時05分40秒
返信・引用 編集済
   殆ど使ってない部屋の壁にかかっている時計は、記念品でもらった、単3電池1個で動く、ごくシンプルなものなのですが、何か月か前から次第に遅れ始めました。
 電池が切れかかってきたからだと思うのですが、それでも、全然使ってない部屋ですからそのまま遅れるに任せて放ってあった。正確には、時々思い出して針を合わせてから電池を一旦外してまた差し込むと、またしばらく正常に動いたりしていたのでした。
 しかし、その効果も次第に薄れてきて、いまや一日と持たず遅れ始めるところまで、つまり限界に近づいていたのですが、先日コンビニで、そうだそうだ、と思いだし、乾電池を購入しました。
 帰宅して電池を付け替え、針を合わせて壁に戻し、これでオッケー、やれやれ、と思っていたところ、数日たってふと見ると、また狂っているではありませんか。
 あれ、と思ってよく見てまたびっくり。今度は逆に進んでいるのです。
 ひょっとして針を合わせ間違えたのかも、と、今度はしっかり時間を確認してあわせたのだけれども、翌日見ると、1時間弱進んでいました。それからはそのまま放置していて、時計の針はどんどん進んでいく一方です。
 これはどういう訳の訳柄か。
 ひょっとしてこの時計、自分が思うように針が進まず、イライラしていたのではないか。そして自らの不甲斐なさを情けなく感じていたのではないでしょうか。
 で、電池が新しくなり元気モリモリですから、今までの遅れを取り返そうとシャカリキになって突っ走っているのかも。いやきっとそうに違いありません。
 そう思うとなんだかこの時計、愛おしくなってくるではないですか。よしおまえ、そういうことなら「時」など気にせず、行けるところまで突っ走れ、行け行けー、と、最近私は、毎日その進み具合を見ながら、声には出しませんがそんな風に応援しているのであります。実話ですよ(^^;
 

Re: 「屋根の上の魚」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 5日(日)14時13分3秒
返信・引用
  段野さん
 飾り枠はどちらですか? いまはそっちの話題なので。
 
 

Re:「屋根の上の魚」読了

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月 5日(日)14時10分0秒
返信・引用
  >「北西航路」
これはM27ですね。以前に申し上げましたが、彼は銀河系に特化しました。やむ氏は、微妙に異なる表紙でイラストを飾っております。次作はどうなるのか、いまのところ、不明です。
 

Re: 「屋根の上の魚」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 5日(日)12時55分2秒
返信・引用 編集済
  > No.5048[元記事へ]

海野さん
 海野さんのも竹本さんのも、どちらもさすがですねえ。海野さんの少年は、見た瞬間「スラン」を想起したんですが、確認したら全然違ってました。
 窓の中の少年という構図は、やはり囚われの表現でしょうね(竹本さんのコップの中の少女も囚われですね)。しかし海野さんのは重構造で、通信で外界と繋がっているようですし、バックは星雲でしょうか。星雲的な宇宙ごと囚われているのでしょうか。いろいろ想像して楽しめます(^^)。

>「北西航路」の表紙の方が近い
>飾り枠
「北西航路」を引っ張り出してきました。なるほど飾り枠で私は類似性を感じたようですね。
 

Re: 「屋根の上の魚」読了

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月 5日(日)10時03分18秒
返信・引用
  「屋根の上の魚」の表紙を見て、思い出した自分の絵は漫画同人誌の表紙です。「螺旋階段創刊号」
こうやって比べてみるとかなり雰囲気は違いますよね。
「北西航路」の表紙の方が近い。
でも、飾り枠を除けば、同じ窓の中の少年の絵なので即思い出してしまいました。
3枚目の画像は、「螺旋階段4号」の表紙で、竹本健治の作です。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 謎の転校生@テレビ大阪

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 4日(土)22時52分38秒
返信・引用
  > No.5045[元記事へ]

w1allenさん
 あけましておめでとうございます。
           ダウンロード
 「もぐら通信16号」、落掌しました。読むのは少し先になりますが、楽しみにしております!
>なぞの転校生
 いよいよ迫ってきましたね。私はテレビの録画装置をもっていないので、一発勝負です(^^; 見逃さないように、ケータイのアラームに設定しておこうかと思っています。
 ともあれ、今年もよろしくお願いします。
 

「屋根の上の魚」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 4日(土)22時42分28秒
返信・引用 編集済
  > No.5039[元記事へ]

 残り3篇、「ある超人の伝記」「高貴の血脈」「雨降りの日」を読みました。
「ある超人の記録」は、「ある本の物語」「大芸術家」「詩人の寓話」と同系統の、近代社会に生を享けた(生まれてしまった)芸術家の運命について述べたもの。これら三作同様、一般的な小説というよりは、広義の小説というべきで、本作は「伝記」の形式を採用しています。著者自身が投影されているのも同じ。「但しデイルは、人間をその欠陥の故に憎んだのである。人類への愛が個々人への憎しみに転じた」。いいですねえ。SFへの愛が個々のSF作家への憎しみに転じた、みたいなものでしょうか(>おい)(^^;

「高貴の血脈」は、牧野信一を髣髴とさせます。マキノが悲哀を糖衣でくるんだのに対し、本篇は容赦なく暴き立てるのですが、ラストの一瞬間の幻影はマキノと同質。

「雨降りの日」 本篇も芸術家の運命が主題(具体的には著者自身)。「この世には二種類の人間しかいない。物事を為す人間と、夢見る人間である」「そして我々は、まだ幼くて何をすべきかもわからぬうちに、人生でいずれの役を演ずるか決めさせられるのだ」。その運命的な一瞬がスポットライトに照らし出されるように活写されています。

 以上、読み終わって印象深く思ったのは、述べてきたようにチャチャヤン出身の作家たちとの親近性です。そのミドルトンがまた牧野信一(1896−1936)をも彷彿させるということもあわせて、チャチャヤン作家の本質がいかに反時代的なマイナーポエットのそれであるかということですね(>おい)(^^;。

 ということで、R・ミドルトン『屋根の上の魚 リチャード・ミドルトン作品集南條竹則訳(盛林堂ミステリアス文庫、13)読了。『深紅の碑文』に戻ります。

 

謎の転校生@テレビ大阪

 投稿者:w1allen  投稿日:2014年 1月 4日(土)19時25分42秒
返信・引用
  遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

そろそろ、「謎の転校生」を録画予約できるかなと思いましたが、
この掲示板にある通り、テレビ大阪では13日(月)からなんですね。
この掲示板のユーザーは、私を含め関西の人が多い感じがしますので、
テレビ東京よりも遅れるのは、やきもきしますね。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

Re: 理屈では到底かないませんが

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 4日(土)14時26分6秒
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  > No.5043[元記事へ]

段野さん
>掲示板の存続に関わる
 いや、そんなことは全くありえません。むしろ迷惑がかかるとしたら眉村さんの方でしょう。
 でも今更削除するのも逆にかっこわるいですね。眉村さんには不運と諦めて頂く他ありませんなあ(>おい)

>チャチャヤンの締切日を教えて頂きまして
 締め切りについては、改めて公式に全体メールでお知らせいたしますので、よろしくです。いまから構想を練っておいてくださいね!
 あ、序ながら、風の翼とチャチャヤング・ショートショートの会は別組織ですからね。昨日の会で話し合って締め切りを決めたわけではありませんので念のため。尋ねられたので去年と同じ日程かな、という話を雑談としてしたということです。チャチャヤング・ショートショートの会としては、公式にはまだ何も決定していませんので、その辺は区別して理解してくださいね。
 
 

Re:理屈では到底かないませんが

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月 4日(土)13時35分23秒
返信・引用
  管理人様
「関西悠々会」についての案内の書き込みをしたのは、私です。発起人に眉村さんのお名前がありましたので、紹介させて頂きました。が、その後の聞き込みによりますと、眉村さんは、お名前がて貸す、といことで、会にはお出ましにならない、とのことです。(この会は作家開高健に関わっての会だそうです)
一言書き込みをしたがために、掲示板の存続に関わる出来事を引き起こしまして、申し訳ございませんでした。(でも、関心のある方が多い、ということでしょうか)
雫石さんにお会いできたのは、偶然重なりすぎです。(私は別件の用事がありました)
チャチャヤンの締切日を教えて頂きまして、頑張らねと、新年の思いが改めてやってきました。
(「関西悠々会」ですが、私のその部分だけでも、削除するというのは、いかがなものでしょうか。告知、と言う意味では、役目を終えていると思われますので)
 

理屈では到底かないませんが

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 4日(土)12時29分11秒
返信・引用 編集済
   かんべむさしさんが、新年早々わけのわからんことを書いてはります→フリーメモ
 まるで当掲示板の管理人が「屁理(屈)こ(ねるマ)ニア」みたいに聞こえるではありませんか。40年以上にわたって屁理屈小説を書き続けている方に言われたくないですなあ。
 でも(しばし長考)
 うーむ、これってわが敬愛する屁理屈の大家に認められたのだ、と、逆に考えればいいのかな。だとしたらそれは大変光栄なことです。しかし、中崎くに子さんに「あんたそれはあかんよ」と、たしなめられるほど攻撃的な理屈言いの皮肉屋の方にそんなふうに言われてもねえ、言葉の裏には何か私が気付けていないキョーレツな悪意があるのではないかと勘ぐってしまうのですよねえ。なんたって篋底を浚っても揚げ足取りの材料を見つけてこられるお方さんですからなあ(汗)。
 しかしまあ、私自身、他人様から屁理屈言いと言われて嬉しくないわけがないので(^^;、そのお言葉ありがたく頂戴し、かんべさんにはおとるともまさりませんが、屁理屈こねマニア目指して精進する所存であります。
 まずはともあれ、四柱推命で運気上昇中のかんべむさし氏の2014年に栄光あれ!!

海野さん
 あらら、もう読まれましたか。早い!(私が遅いだけ)
 ブラッドベリとの類似は気づかなかったのですが、たしかにブラッドベリは、一般的に上から見下ろすタイプが多いSF作家のなかでは、下から見上げる視点を持っている作家で、その点は共通していますね(ブラッドベリの場合はスペイン系や黒人をみる視線→火星人)。クラークはまさに前者です。この視点については、私は最近気づいたのですが、SF界ではあまり言われてないように思います(といっても私の狭い読書範囲では、ということで、そういうのをご存知でしたらご教示賜りたいです)。
 あと、これはご存知の上での下の書き込みであることは承知のうえで屋上屋を重ねますと、ミドルトン(1882−1911)はブラッドベリ(1920−2012)よりも前の作家で、サキ(1870−1916)やオー・ヘンリー(1862−1910)と同時代の作家なので、ブラッドベリのミドルトン受容がどうだったのか、に興味を感じますね。
 しかし私も今日中には読了しなければ。

段野さん
 そうなんです。昨日は風の翼大宴会でした。久しぶりに風の翼のメンバーが集合し、楽しい会でしたよ(^^) 段野さんも新年会帰りだったんでしょうか。
>管理人様に幸いありますように
 ありがとうございます。しかしこのところ、「関西悠々会」で検索して来られる方の数が半端でなく(多分どこかで言及されたのでしょう)、どうしたもんかと頭を悩ませております
(ーー;
 

突然ですいません

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月 3日(金)21時05分16秒
返信・引用
  管理人様
全く突然ですいません。
某新年会の帰り道と思われる、雫石さんに遭遇しました。三日の日に新年会ということは、管理人様のちょこっとした書き込みにて存じ上げておりましたが、まさか、会がはねたあとの出席者、雫石さんが大阪駅から同じ車両に乗り込んで来られたのには、これは、偶然にしては出来すぎ、まさかまさか、でありました。一駅語りになりましたが、お話できて、この一年、またもや皆さまとともに過ごせる、という思いで、これは幸先宜しいかもしれない、などと、勝手な思い込みをしてしまいました。(何せ、年末はへこたれていましてので)
同じ車両に乗り合わせるなんて、すごい出来すぎ! 参りました。
管理人様に幸いありますように、祈念致します。
今年もよろしくお願い致します。
 

Re: 「屋根の上の魚」読み中(続)

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月 3日(金)14時06分13秒
返信・引用
  「屋根の上の魚」読み終わりました。
いくつかの作品が、ブラッドベリが書いていても良いような作品だなと思いました。
もちろん実際にブラッドベリが同じアイデアで書いてもずいぶん違ったものにはなると思いますけど。
読んでいる間はそんな感じはないのですが、読み終って一呼吸後にそう思うのです。
「屋根の上の魚」「ブライトン街道で」「奇術師」「大芸術家」……
あ、上げて行くと殆どの作品がそんな気が。
いちいちこの作品はブラッドベリのあの作品を連想するな、と言うものが思い浮かびます。
僕は、なぜかACクラークとブラッドベリを比べて、クラークがイギリス人でブラッドベリがアメリカ人と言うのが不思議な気がしてたんですよね。反対の様な気が。
幻想的な作品がイギリス、科学的な作品がアメリカなんて単純な思いからですけれど。
もちろんブラッドベリの書く情景は思い切りアメリカなんですけどね。
いや、なに、そいういわけで、ミドルトンはイギリスのブラッドベリかな、とちょこっと思っただけです。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「屋根の上の魚」読み中(続)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 2日(木)23時16分24秒
返信・引用
  > No.5023[元記事へ]


「園生の鳥」「詩人の寓話」「だれか言ふべき」を読みました。
「園生の鳥」、いいですねえ。しかしもう形容詞が追いつかなくなりました(汗)。これも過不足ない傑作。先例に倣うなら、本篇はM27かも。ただし逆M27。M27では現実から始まり、現実の皮が破れて真相(永遠)が開示するのですが、本篇では最後に現実が姿を現す。ベクトルは逆ですが、永遠なるものとの比較において卑しき現実が描かれる構造は同じ。

「詩人の寓話」 共感。まさに寓話で、小説ではありません。私は喜び、創作者は苦笑し顔を背ける(^^;

「だれか言ふべき」 うまい。でもよくよく思い返せば、兄も妹もおかしい。宗教に歪められているのでしょうか。そういうことを表現しているのかな?

 

「てのひら怪談 癸巳」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 2日(木)18時28分8秒
返信・引用 編集済
  > No.5037[元記事へ]

段野さん
 最近、不達はないですねえ。あ、マカフィーに契約の「重畳的」手続きの仕方について問い合わせたメールが返ってきて、送り直さねば、と思っていたら、返事がきてびっくりしたことがありました。不達通知が戻っても実際は届いている場合が多いみたいです。

 さて、『てのひら怪談 癸巳』より、深田亨「みによんの幽霊」「お迎え」を読みました。
 どちらも既読なんですが、再読し(とりわけ前者ですが)「ブライトン街道で」に深田亨ぽさを感じたのは勘違いではなかったんだなあ、と再確認。
 ところで、この表紙売上に貢献しているんでしょうか。(今回のような)特別な事情がなかったら、私なら興味をもったとしても、たぶん買わないと思いますね(汗)。ありがちの観念に乗っかっているだけのような気がして。でも表紙になっているのだから、そういうのでよいと思う人が多いということなのでしょうねえ。

 仕事関係で送った年賀状が二社も「尋ね当たらず」で返送されてきて、実体経済の厳しさを知る年の始め。
 

Re:あがた森魚

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月 2日(木)12時49分57秒
返信・引用
  管理人様
>私はM27みたい(それともやむ氏?区別がつかん)
M27は銀河系に特化していますよ。銀河星人みたいなところが、今までの調子でしたが、年末にとあるところで実物に出会い、自身のページを開示してみせてくれました。銀河系です。
(ところで、実に私的で申し訳ございませんが、メール発送されましたのでしょうか? エラーが出まして、「ダウンロードできていません」などと表示されましたので)すいません。
 

Re: あがた森魚

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 2日(木)10時40分19秒
返信・引用 編集済
  > No.5035[元記事へ]

海野さん
 あ、そのコンセプトアルバム志向というのも、プログレとの共通項かもしれませんね。まあ根源的には「世界」を創り出すことが第一義的にあり、そのために音楽が利用されているということなんでしょうね(ELPは音楽を作り出し演奏することが第一義)。

>このラストは途中ですぐに思いついてしまい
 おやそうでしたか。私はこのラストは珍しいと思ったんですが……。ああそうか。このラスト、要するに解決(説明)を放棄しているんですよね。つまりオチがない(その結果主人公の内面描写に向かう)。オチ主義者のわたし的には意表を突かれたのかも。
 検索したら、谷弘兒って、ガロ系の人みたいですね。私はM27みたい(それともやむ氏?区別がつかん)と思いました(汗)
 よかったら次号のチャチャヤング・ショートショートの表紙お願いします(^^)

 
 

Re: あがた森魚

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月 1日(水)23時57分55秒
返信・引用
  > No.5034[元記事へ]

なるほどね〜するどい。
前二者と後二者はそれぞれ同じアルバムからのセレクトです。
「第七東映アワー」と「噫無情」と言う、どちらも映画をテーマにしたコンセプトアルバムと言うやつですね。
全体を通して聞き終わると映画を観たような余韻があります。
ピンクフロイドやジェスロタルとの共通性など考えた事もないのですが、なるほどね。
あがた森魚は「噫無情」の次に「日本少年」という2枚組のアルバムを出して、これがまたよかったのですが、その後レコード会社を移籍。曲の寄せ集めみたいなアルバムを出した時はもうあがた森魚も終わりかなと思ったのですが、その後、また2枚組、3枚組と言う大作を発表してくれました。それぞれ同じテーマに貫かれた傑作なんですよね、これが。

ミドルトン「屋根の上の魚」「奇術師」を読みました。
「奇術師」はなんとブラッドベリが書きそうなストーリーですね。
このラストは途中ですぐに思いついてしまい、違うラストだったら自分で書こうかと思いながら読みました。
表紙のイラストを見ておお?と思いました。
自分が描いたような気がする、デジャブ。
文庫本サイズなのがいいですね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

あがた森魚

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 1日(水)20時19分20秒
返信・引用 編集済
  海野さん
 あがた森魚のおすすめ曲、さっそく拝聴。なるほど「世界」がありますねえ。ただ、前二者と後二者で雰囲気が変わっていて、しいていうなら私は前者がよかったです。後者のほうは「赤色エレジー」のしっぽが残っていますね。で、「世界」ということに関しては、「赤色エレジー」にも強烈な世界があったわけで、その点ではずっとぶれていないように思いました。
 この系列では今をときめく(いやもはや大御所というべきか)椎名林檎がそうですよね。私は、椎名林檎は音楽で小劇場をやっているように感じています。あがた森魚も、どうもそんな感じみたいですね。そう気がつけば、つまりその文脈で聞き直せば、「あざとい」と感じていた要素は必然性を帯びてしっくり文脈に馴染んでしまいます(逆に椎名林檎も文脈にのせ間違えばあざといと感じられることは容易に想像がつきます)。
 ピンク・フロイド的なプログレも、そういえば演劇的な音楽空間ですよね(あとムーディ・ブルースやジェスロ・タル、キャメル、枚挙にいとまがありません。ELPは違う)。おすすめのうちの前二者を最初に聴いたとき、なんかプログレっぽいなあ、とつぶやいたのでしたが、そういう共通性を無意識に感じていたみたいです。いや、ひとつ認識を進化させることができました。ありがとうございました。

 

 
 

Re: みなさん、明けましておめでとうございます

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 1日(水)20時18分28秒
返信・引用
  > No.5031[元記事へ]

段野さん
 今年もよろしくお願いします。
 おお、なんだか面白そうですね(>おい)m(__)m
 なにはともあれ、ご健筆をお祈りいたします。
 

Re: 少し早いですが、みなさん、明けましておめでとうございます。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 1日(水)20時13分27秒
返信・引用
  > No.5030[元記事へ]

雫石さん
 おめでとうございます!
 今年も海神亭シリーズ楽しみにしております。
 チャチャヤング・ショートショート・マガジンの方も、頼りにしていますので、よろしくお願いしますね(^^)。
 

みなさん、明けましておめでとうございます

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 1月 1日(水)17時07分11秒
返信・引用 編集済
  管理人様
昨年度の読了リストに拙作を加えて頂きまして、ありがとうございます。
本年度も、どうかよろしくお願い致します。(ちょっとばたばたしておりまして、お礼を申しあげるのが遅くなり、すいませんでした)
(年末最後の教室は、それはそれは過酷な事態に相成りました。それで、少しめげていたのかもしれません。一人の受講生以外全員ブーイングの嵐にあいました。しかし、……辞めないぞ)
トマトさま
今年も、新作お待ちしてまーす。
 

Re: 少し早いですが、みなさん、明けましておめでとうございます。

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2014年 1月 1日(水)10時24分46秒
返信・引用
  > No.5029[元記事へ]

あけましておめでとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: 少し早いですが、みなさん、明けましておめでとうございます。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 1日(水)02時29分24秒
返信・引用
  > No.5025[元記事へ]

トマトさん
 あけましておめでとうございます。
 今年も北関東トマトワールドサーガ、楽しみにしております!
 

Re: 読了リスト訂正と年越し

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 1月 1日(水)02時03分30秒
返信・引用
  > No.5027[元記事へ]

海野さん
 あけましておめでとうございます。こちらこそよろしくです。

>フェリシモの「かわいい」はリストに入らないのでしょうか?(^▽^;)
 すみません。海野作品と他に数篇読んだだけで、完読していないので「読了リスト」には入れられないのです(^^;

 ところで、あがた森魚ってそんなにいいですか? 赤色エレジーは好きなんですが、しかし同時にあざとさも感じてしまうんですよね。
 

Re: 読了リスト訂正と年越し

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 1月 1日(水)01時53分29秒
返信・引用
  > No.5026[元記事へ]

今年もよろしくお願いします。

フェリシモの「かわいい」はリストに入らないのでしょうか?(^▽^;)

http://marinegumi.exblog.jp/

 




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