ヘリコニア過去ログ1404

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月30日(水)21時38分8秒
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  > No.5397[元記事へ]

トマトさん
 運命的な女環境ですね(汗)。途中その呪縛から逃れようとするのですが、結婚して新たに作り上げた家庭なのに、気がついてみればやっぱり(^^;
 ユング的にいえば無意識がそうなることを求めているのでしょうか(笑)

海野さん
>テーマが「主人公が人間以外のもの」と言う事ですからね。
 わ、それ、いつのまにか完全に意識から飛んでました(汗)。

>主人公が属する部隊が男しか入れないという規則があると言う事にすると言うのを考えました。
 なるほど。しかしそれは文字数の半分以上説明になってしまいそうですね。最近の私の趣味で、説明は可能な限りやりたくないんですよね。

 うーむ。なんだか詰将棋みたいですな。

>やはりここは主人公の正体を明らかにしておいて、
 それが正解ですね。ていうか主人公が人間でないという縛りのSSを、「私は人間だ」で始めるという二重縛りは、私にはちょいと高等すぎましたね。というかそれ言い出しっぺは海野さんじゃないですか! いやまあ海野さんならそれくらい朝飯前ですよね。
 仕方がありません。別の話を考えましょう(>おい)(^^;
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月30日(水)19時22分33秒
返信・引用
  いやいや~
テーマが「主人公が人間以外のもの」と言う事ですからね。
読む人は「ボクは人間だ」と来ると人間以外の何かが自分を人間だと思い込んでいるんだなと思ってしまいますよね。
動物か、ロボットだとか。
その正体がオチと言う事ではよわいですよね。
これでは女の子じゃないかとミスリードさせると言うのもちょっと無理かな。
女の子も人間ですからねえ。
やはりここは主人公の正体を明らかにしておいて、そのことから起きる意外な結末がよいのではないかと。

このシュチエーションをそのまま使うとすれば、主人公が属する部隊が男しか入れないという規則があると言う事にすると言うのを考えました。

「ボクは人間だ」で始まって「ワン!」で終わると言うしばりと言う事で。

ボクは人間だ。
あいつが偵察に出て行く時にボクに向かって言った言葉に頭に来ていた。
「しょうがねーな。お前が女だったなんて。どうして配属されるまで隠し通せたんだ?一人でここを守れるのかよ。女だし、一人前の人間じゃないしな」
悔しかった。
ボクはちゃんとした一人前の人間だ。
そして一人前の戦士だ。
そこらへんの男よりもちゃんと任務を遂行出来る自信がある。

これでミスリード出来ないかな~?



http://marinegumi.exblog.jp/

 

オハナシ

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月30日(水)19時13分47秒
返信・引用 編集済
  オハナシ小説

家庭内安全保障


   ウチには男の子は居ない。だから♂は私一人だ。♀はカミサン、上の娘、下の娘の三人だ。
だから勝ち目は無い。そんなわけで私は彼女たちの「弟扱い」だ。この家で居場所を確保するにはそうするしかないのだ。
「パパ、かわいい。」
とよく娘たちから言われる。
「うるさい。」
と防波堤を張ると、必ず家庭内安全保障が脅かされる。彼女たちのオーラはすべて受け入れなければならない。

  私には姉が居た。姉は生まれつき循環器に障害があり何度か入院していた。もちろん姉が入院するときは母も一緒に病院に行く。
 そんな姉はそのうち病院に入院しなくても澄むになったが、幼子の患者というのは担当医にとって特別な存在らしい。担当医師のT先生、ナースのWさん、病友のMさんなど「姉の病気同窓会」のようなものが何時しかできていた。そして我が家に集まって姉の成長を祝福していた。
がやがて姉の胸が膨らみ始める。するとこの同窓会の唯一の男性T医師が同窓会から身を引いた。彼は今度は私の父の許を訪ねてきて、そして
「とにかくこの仕事は一生看護婦と付き合っていかなくちゃならないから…彼女たちの機嫌を損ねると病院に居られないから…。」
というオハナシを何度も何度もしていた。
「彼女たちの機嫌を損ねると…。」
それは我が家における私の立場そのものだ。今とはなればT先生の気持ちがよくわかる。もっとも幼い頃から私は姉や姉の友達の世界に組み込まれていた。ママゴトなども参加させられたし気がつけば私はクラスのなかでも女の子の中に居た。彼女たちは私のことを待ったく同性のように扱っていたから、私は男の子の世界にはしばらく疎遠だったこともある。そんな私は男の世界に連れ込んだのがミッチャンたちだ。ミッチャンはキックボクシングにハマっていた。そして私に
「男だったらアネキのボディにパンチ入れて来いよ。」
と煽ったのだ。そしてある日、わたしは姉のおなかにパンチを入れてしまった。姉は倒れては居間さっき食べたチキンライスを吐いた。そして私は家の中の居場所を完全に失った。結局姉はわたしをミッチャンたちと付き合うことを禁じ、そして再び姉たちの世界に組み込まれてしまった。Nothing to do with ミッチャンとなった。
  そんな中私が付き合うことが出来た男の子はY君だった。彼はその頃から医者になるのが夢だった。
そして高校時代、Y君は私の親友になった。同級生たちは何時でもカノジョを作ることばかりに夢中だ。私とYクンだけはまじめに学生服で図書館に行って勉強していたものだ。そこには女子のKも来ていて、この三人が仲がよかった。今思い出せば楽しい青春時代だ。同級生がカノジョを連れて
「お前、まだカノジョできないのか?だらしねーな。」
という。
「ああ。」
と私はろくに相手にしない。だらしなくて結構。
「アンタの友達? アタマよさそうジャン。」
「あいつら勉強ばっかしてよ。」
とかつての同級生のカノジョが言うのが聞こえる。連中は別世界だ。

 私はとあるヨーロッパの国で出会った二つ年下の女の子と所帯を持った。かなりドラマチックな恋の物語だった。あの時はその女の子はKさんに雰囲気が似ているなぁ…と思ったものだ。 しかし今の私は彼女の言いなりだ。カミサンと娘たちのオハナシしている最中も私はその中に混ざっている。そんなわけで女性ファションなんぞがやたら詳しくなってしまったし、カノジョたちが好きなスイーツなども詳しくなってしまった。 
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月30日(水)17時41分12秒
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  > No.5394[元記事へ]

 休み明けの月曜で、月末で、ゴールデンウィークの中日の平日で、というわけで、道路は混むわ、銀行は待たされる人で殺気立ってるわ、午前中は仕事に雑用に追いまくられていました。お昼にようやく一息入れて……卒然と気づく。
「あ、ラジオ。・・・」
 がーん。
 あー残念。聴取された方、いらっしゃいますか。

トマトさん
 砦という設定も、ショートショートでは使いやすいですね。敵と味方、ウチとソトの接点ですから、色んな意味を付加しやすいんですよね。企業の暗喩にも家庭の暗喩にもできますね。幻想小説でもよく使われますね。

海野さん
>このオチだけでは弱いですよね。
 おっしゃるとおりですね。海野さんも色々補強案を考えてくださってますが、実は私も考えていました。

 一番簡単なのは、「僕は人間だ」を省くことですね。これがあるためいろいろ不都合が起こっています。
 でも私は、省かずによくする方法はないかと考えました。
 で、これはアップして読み直したとき気づいたのですが、この「僕」、ちょっと女の子にも感じられませんか。
 ボク、と自称する女の子いますよね(実は娘がそうで、電話しているところを立ち聞き小耳に挟んだのですが、ボク、って言ってました)。
 読者に、まず女の子と思わせたらどうか。その場合「僕」じゃなくて「ボク」がいいような感じがします。
 読者が、あ、これは女であることを隠しているな、と思うとしましょう。すると冒頭におかれた、ちょっと異様な「ボクは人間だ」に、そういえばと意識が戻ります。
 読者は考える。なるほど、男と書けば嘘になるから、「人間だ」なんていう、シチュエーション的にずれた言葉を使っているんだな。そんなのお見通しだよ、と、読者は作家に対して優越感を持つのです。
 男と女がいれば、読者は無意識に男女関係を想像しますから、男が戻ったとき、僕が走って飛びついたというのも納得します。男が僕の頭を撫で回したというのもしかり。
 で、「ワン」がくる。

 やってみましょう。
 ――――――      ――――――      ――――――

 ボクは人間だ。

 最前進基地であるこの砦に、ボクととともに配属された男は、いまは斥候として偵察に出ているので、この砦にはボクだけしかいない。
 彼が戻ってくるまで、この砦を奪われないように守りぬくのがボクの役目だ。
「大丈夫かい。頼んだよ」
 彼は心配そうに振り返りながら出発していったけど、もちろん大丈夫さ。彼が戻ってくるまで、砦はボクが死守する。彼のためにも。
 そうしてボクは、朝から晩まで、入り口に座って、敵が現れないか、おさおさ怠りなく監視を続けている。
 まだ敵に遭遇してはいないが、たった一人でも撃退する自信はある。来るなら来てみやがれ、だ。
 しかし彼はいつ戻ってくるのだろう。もう何日にもなるのだ。心配だ。
 ある日、ようやく男が戻ってきた。
 ボクは走って男に飛びついた。
 よろよろと疲れきった様子で、男はボクを受けとめると、頭を撫で回しながら言った。
「ああよかった。ちゃんと守ってくれたんだね」
「ワン」

 ――――――      ――――――      ――――――

 いかがでしょう(^^;

 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月30日(水)12時08分42秒
返信・引用
  > No.5392[元記事へ]

> 「ワン」

犬やんか~(笑)
このオチだけでは弱いですよね。(わかってらっしゃるのを承知の上で書いています)

この犬が、本当に自分を人間だと思い込んでいる。
他にも犬の仲間がいて、それも人間だと認識している。
ある日、事故が起こりますな。
人間と犬がたくさん乗った乗り物ががけ下に落ちて爆発寸前。
この主人公の犬が救助に向かいます。
助けに入って、救出する優先順位は「女、子供が先」
爆発前に助けられたのは犬ばっかりだった。
なんてのは?

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: みじかばなし集

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月30日(水)08時05分12秒
返信・引用 編集済
  > No.5392[元記事へ]

とりでというと、何となく企業のM&A見たいな気がしました。横井秀樹がやっていた...。
企業にも家庭にも国家にも外患内憂はつきものですね。

 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月30日(水)02時20分53秒
返信・引用 編集済
  僕は人間だ。
最前進基地であるこの砦に配属されたもう一人の男が、斥候として偵察に出発したので、今、この砦には僕一人しかいない。
彼が戻ってくるまで、この砦を奪われないように守りぬくのが僕の役目だ。
そのために僕は、朝から晩まで、入り口に座って、敵が現れないか、おさおさ怠りなく監視を続けている。
まだ敵に遭遇してはいないが、たった一人でも撃退する自信はある。来るなら来てみやがれ、だ。
しかし男はいつ戻ってくるのだろう。もう何日にもなるのだ。心配だ。
ある日、ようやく男が戻ってきた。
僕は走って男に抱きついた。
よろよろと疲れきった様子で、男は僕を受けとめると、頭を撫でながら言った。
「おお、大丈夫だったか。ちゃんと守っていてくれたんだね」
「ワン」

 

Re: 吾輩はコネである

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月30日(水)01時04分1秒
返信・引用 編集済
  > No.5389[元記事へ]

海野さん
 バカ息子が不祥事でテレビ局をクビになるんですが、と同時にコネも意識がぼんやりしてきて、ああ死ぬのだなと、念仏を唱えながら消えてしまうのです。5枚ではムリです。
 しかしいずれにしろ、「吾輩はコネである」という話が、何十本と応募があるのは目に見えていて、ああまたか、と印象でマイナスですよね。で、ボツにしました(^^;

>「僕は人間だ」
 そいつは自分は人間だと思い込んでいる何かですね(笑)

 

サイエンスZERO

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月30日(水)01時02分49秒
返信・引用 編集済
   見たかったなあ。
 太陽系が渦状腕を通り抜けていく、ってどういうこと? と、2時間ほどあれこれ検索していたんですが、やっぱりよく分かりませんでした。
 渦状腕は(形成している物質(星)は入れ替わっていくけれども)、外から観察すれば、凍りついたように固定しているということなのかな?
 再放送があるようなんですが(5月3日お昼ごろ)、あいにく外出する予定なんですよね(ーー;。
 ネットではさすがに、まだサイエンスZEROの感想記事は見当たらないのですが、2012年にコズミックフロントで同テーマの番組が放送されたようで、何件かヒットしました。でも、簡単な感想ブログが少し見つかった程度。それでもないよりましではあったんですが。では紙の本では、と、アマゾンを見ましたが、直球ズバリな本はなさそう。探し方が下手なのかもしれませんけど。
 だいたい中心からの距離にかかわらず公転速度が同じって、わけが分かりません。とにかく、もはやハードSFはモドキでさえ書き得ないことは、はっきりしましたね。いや普通のSFも、ですけど(^^;

 これってトンデモですよね? 5分くらいで視聴をやめましたけど。しかし現代宇宙論自体がトンデモにしか見えないからなー(>おい)(^^;
 ↓ 注)見るなら、右下の「全画面」ボタンを押して見て下さい。
 
 

Re: 吾輩はコネである

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月30日(水)00時34分42秒
返信・引用
  あ、そうか。
何でそんなに検索でヒットするのかと思いながら風呂へ。
風呂の中で気がつきました。
あれですね。
虎の穴作品。
僕のはさっき風呂の中で「コネ」?ああ、「ネコ」のシャレかよ、と気がついた後にあれこれ考えていると思いつきましたよ。

書き出しはこうです。
「僕は人間だ」

http://marinegumi.exblog.jp/

 

吾輩はコネである

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月29日(火)18時02分37秒
返信・引用 編集済
  「吾輩はコネである」というのを思いついて書き始めたのですが、ふと気づいたことがあって検索してみたら――
 55900件もヒットしてしまいました!
 うーむ。
 オハナシは、「吾輩はコネである」で始まります。テレビ局の看板番組のメインキャスターとその局の会長とが、高級料亭で密談している場面です。
 キャスターが、自分の息子が今年大学卒業なのだが馬鹿でどこにも受からない。ついてはひとつそちらで預かってもらえないかねと相談を持ちかける。
 会長「よし分かった皆まで言うな。丁度よかった今度社屋を移転する。引っ越し要員必要なれば、あんたの息子さん引き受けた」
 と言ったその瞬間、吾輩は世に生まれたのであった。云々。

 というオハナシなんですけどねえ。なんか類似のアイデアで先行作品があまた存在するような気がしてきました。それに大体、この調子では5枚に収まりませんなあ(ーー;

 

眉村さん情報:「歳月パラパラ」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月28日(月)22時20分52秒
返信・引用 編集済
  > No.5385[元記事へ]

トマトさん
>家庭内日中日韓関係みたいです。
 おお(汗)

>北朝鮮がいないのが幸いですが
 不幸中の幸いでしたね(^^;


 版元サイト

 リンク先の版元サイトで <目次> が見られますよ。
 雑誌連載分が溜まったのかと思っていたら、<ほぼ書き下ろし>のエッセイ集とのこと。楽しみです~(^^)

 

野村さん情報:ラジオ出演

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月28日(月)12時51分40秒
返信・引用 編集済
   標記の件、某筋から情報を頂きました。
 野村恒彦氏が、ラジオ関西(558kHz)の朝の番組にゲスト出演されます。
 4月30日(水)「三上公也の情報アサイチ」という番組です。
 生放送8:10~8:20の予定ですが、たいがい時刻は前後し、時間も少し延長されるケースが多いらしいので、
 8:00~8:30のどこかと思っていた方がよいかも知れません、とのことです。

 題は『探偵小説の街・神戸』。
 神戸探偵小説愛好會主宰として、番組のパーソナリティの人達とお話されます。
 なお、インターネットのラジコでも聴取可能です。→http://radiko.jp/#

 皆さまのお時間の御都合がよろしければ、是非お聴きください(^^)。
      ↓クリックで拡大
 

Re: 眉村さん情報:初期作品発見

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月28日(月)06時29分58秒
返信・引用
  > No.5384[元記事へ]

怖くてとても防波堤は越えられないですね。
家庭内日中日韓関係みたいです。北朝鮮がいないのが幸いですが。
脳内不倫がバレたのか?

 

Re: 眉村さん情報:初期作品発見

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月27日(日)18時56分36秒
返信・引用 編集済
  > No.5383[元記事へ]

トマトさん
 おお、私ファンタジーですね! それ読みたいです~(^^;
 その手のオハナシは、どうしても無意識が防潮堤になってストップをかけちゃうんですよね。なかなか筆が動き出しません。
 そこを乗り越えたら、津波が防潮堤を乗り越えたときのように一気に溢れ出してくるんだろうな、と想像しているんですけどね(不謹慎な喩えでスミマセン)。
 西村賢太はお読みですか。もしまだならぜひオススメします。この人は防潮堤が完全に決壊してそこらじゅう水浸しなオハナシですヨ(>おい)(^^ゞ
 

Re: 眉村さん情報:初期作品発見

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月27日(日)14時39分29秒
返信・引用
  > No.5382[元記事へ]

まだ所帯持っていなかった青春時代ですね。

まさかカミサンと娘があれほど恐ろしい存在だったとは...。
カミサンに言い過ぎました、SFで過去にもどってあの発言、取り消したい。
という所帯じみたオハナシになってしまいます。(苦笑)
 

眉村さん情報:初期作品発見

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月26日(土)22時52分57秒
返信・引用 編集済
   尾川健さんが、筒井さんの調べ物をしていて眉村さんの初期作品見つけたよと、小説のコピーを送ってきて下さいました。
「ゆがんだ面影」というタイトルのジュニア小説で、《中学3年コース 夏休み臨時増刊号》(1967年8月5日発行)に掲載されたものとのことです。
 ネットで検索してみましたが、何も引っかかりません。文字どおり埋もれていた作品だと思います。改題されて作品集に収録されている可能性もありますが、後述するように、SFではなく、その可能性はかなり低いのではないでしょうか。
 さっそくコピーを手にとってみました。[読切・受験生活小説]とあります。挿絵はおなじみ谷俊彦画伯。11頁あります。あらら、不思議なことに頁番号が、283pから272pへと数字を減らしていってるではありませんか!?
 いやいや、でもこれで正しいのです。
 尾川さんの解説によりますと、「掲載誌が夏休み集中増刊のような問題集中心のもので」(つまり横書きの左から右へという誌面ですね)「小説は裏表紙から逆向き(縦書き)」になっているのだそうです。なるほどそういうことでしたか。
 昔SFMで、キャプテンフューチャーの短篇が英語原文(当然横書き)で掲載された事がありましたね。あの号では裏表紙側から逆向きに(左から右へ)印刷されていました。丁度あれの逆版ですね(^^;
 読んでみました。なんと、SFっぽさの欠片もない、「ど」ジュニア小説でした(そんな言葉はありませんが)。
 でも、内容は「産業士官候補生」を彷彿とさせる、(良くも悪くも)競争関係に入らされると頑張ってしまわずにはいられない、いつもの眉村さんの主人公なのでした(^^;。
 何も確認せずに印象ですが、まったくSFではないということで、単行本には入らなかった作品ではないかな、と思います(といっても、私はコバルト文庫作品は殆ど読んでいないので、何ともいえません)。
 なにはともあれ、今となっては貴重な眉村さんの初期作品です。楽しませて頂きました! 尾川さんにはいつもお世話になりっぱなしで感謝の言葉もありません。本当にありがとうございましたm(__)m
    ↓クリックで拡大    
 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月26日(土)22時51分53秒
返信・引用 編集済
  > No.5380[元記事へ]

トマトさん
 ああ、作ろうとすると、出てこないんですよねえ。というかオハナシの小部屋の扉が開いてくれないのですよね。
 またタイミングよく開いた時に、面白いお話を持って帰って来て下さいね(^^;

 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月26日(土)22時38分38秒
返信・引用
  テストステロンの話を書こうと思ったのですが・・・なんかダメですね。苦笑  オハナシの小部屋に入っていけない…です。

SFってやはり「若い」というファクターの作品なのかもしれませんね…。もしかしたら若気の至り…の一種なのかもしれませんね。人の親になってなんと子供というものは親の気持ちをわかってくれないものだとぼやき、管理職になってなんと部下というものは言うものは管理職の気持ちをわかってくれないものだとぼやき続け、子供や部下に嫌われても受け入れ続け、それなりの愛情を注ぎ続け、そうするしかないしそれでも報われないとぼやき…。

  そういやSFにはまっていた頃は大人たちを煩わせていた頃だったなぁ…と感じます。未来の記憶とかガラスのわら人形とか…。 うちの父が死んだとき、やることやって老醜を晒さずに特に長期入院することも無く楽になれたか…と羨ましく感じたものでしたね。
 人間は神様にはなれないけど、人間は神様の許から来て神様の許に帰っていくんだなぁ…とは思いますね。物を書くというのはどこか反発心、反抗心、生意気な心がないと作品が出来ないのではないか?と思います。今の私には若い頃のそんな身の程知らずの気持ち、ないですねー。
 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月26日(土)20時20分23秒
返信・引用
  > No.5378[元記事へ]

トマトさん
>いいお店になるといいですね。
 近所の子どもたちの、新しい夢書房になったらいいですねえ。この夢書房の店主は温厚な方ですから、文学界に落選したからといって、立ち読みの子どもたちに当たりちらすことはないです(笑)
 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月26日(土)18時25分9秒
返信・引用
  > No.5377[元記事へ]

祝ご開店。

いいお店になるといいですね。
 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月26日(土)11時41分40秒
返信・引用 編集済
  > No.5362[元記事へ]

 もう開店したことでしょうね。ということで、昨日手伝いに行かれた方が写真を送ってくれましたので、お見せしましょう(^^)
 私は5月3日にお邪魔できるかも。
 
 
 
 

Re: お邪魔します。(^_^;)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月25日(金)21時24分26秒
返信・引用 編集済
  > No.5375[元記事へ]

トマトさん
>オバマさんとともに不便と迷惑のてんこ盛りも去りましたね
 東京の地理には全く不案内ですが、行った寿司屋は繁華街どまんなかのお店だったようですね。
「同僚と飲み屋をハシゴしようとした男性会社員(45)は「お目当ての店に行くのも大変。大統領が日本文化に触れるのはうれしいけど、もっと静かな場所でもいいのでは」と迷惑顔だった」と朝日新聞が報じています。まさに安倍さんのマスコミ受け狙いですよね。一方オバマさんは、そんなミエミエの演出が不快だったんでしょう、コースの半分で箸をおいたとの記事が。ところが安倍さんは完食したそうで、片方は箸をおいているのに食べ続けるって……(汗)。よそよそしい冷たい空気が流れる会食だったことが目に見えるようですねえ(^^ゞ

 拝読しました。
「テストステロンによって強制的に♂化している」オハナシなのかな、と期待していたら、そうではなかったです。ちょっと残念(^^;(>おい)m(__)m
 

お邪魔します。(^_^;)

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月25日(金)15時50分55秒
返信・引用
  オバマさんとともに不便と迷惑のてんこ盛りも去りましたね。

  オバマさんといえば、南米に歴訪する際にオバマさんに先駆けて先発した警護隊先発隊が現地で女遊びをしてはトラブルを起こし何名かが現地警察に逮捕されるという不祥事がありました。大統領警護隊としては絶対にあってはならない不祥事ですが、それでも起きてしまったという事は笑い話というより人を統制すること、完全なガバナンスがいかに大変かということ、つまりに人間がロボットではないので完璧なガバナンスは存在しないということかもしれません。というより男というスタンスを持てば女に依存し女を欲せずには居られないようです。その根底には人類を含めた生物はみな本来♀であり、人間の場合はテストステロンによって強制的に♂化しているという生化学的な事実が存在するのかもしれません。?



http://porcini.web.fc2.com/bistoro002.html

 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月24日(木)21時20分18秒
返信・引用 編集済
  > No.5372[元記事へ]

段野さん
>開発した業者が、テキトーに当てはめているかも知れません
 なんと。それは最悪のシナリオですね。究極のアンチミステリといいますか。一見錯綜しているのが、最後に一本に繋がるのがミステリではありませんか。
 錯綜しているものが錯綜したまま終わってしまっては、ミステリ読者は黙っていません。読んでいた本を壁に投げつけること必至。いやまあ新本格ファンなら許すのかもね。そんな憎まれ口を叩いていますが、かくいう私も、(ここだけの話ですが)実は中西智明はキライではないです(六とんは恐ろしくて未読)(^^;。
 しかし、すべての事象は合理的に説明がつくというミステリの暗黙の了解事項といいますか根本原理は、まさに一神教的かもですね。その意味でも、開発した業者がテキトーに当てはめている、なんてのは、多神教ニッポンならでは風景ですねえ・・

  産経新聞
 いやいや。多神教国家ニッポンではこんなのあたりまえ。全く無問題です(>キッパリ)(^^;

 

番地

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月24日(木)15時15分47秒
返信・引用 編集済
  管理人様には、「また、あほなことして」とか言われそうですが、また「調査」をしてしまいました。
何と、「11の9」が8軒も存在していました。同じ元駐車場の住宅地に、です。「11の4」も5軒ありました。
どういう順列なのか、まさに「テキトー」なのかも、と思ってしまいました。(郵便屋さん、ほんと、ご苦労さんです)「11の4」などは、玄関の向きが道をはさんで、対面でした。
失礼しました。
 

Re:野村氏が古書店を開業します

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月24日(木)14時18分7秒
返信・引用 編集済
  海野さま
相変わらずレス遅い私ですいません。
>そういえば仕事で行った時に、細い路地の奥の5~6軒の家の番地がみんな同じだったりしました
まさに、我が家が、そうです。「11の5から11の8」が30軒のなかにひしめいています。初めて来た人には、まるで迷宮に映ります。但し、登記上は、別物ですので、複雑怪奇です。
管理人様
>錯綜する番号の謎
開発した業者が、テキトーに当てはめているかも知れません。大体、我が家は、元駐車場だったのですから。(駐車場の番地があったはず。でも、住宅を作った際に、改めて決めたのかも知れません)
失礼しました。
 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月24日(木)00時40分51秒
返信・引用 編集済
  > No.5370[元記事へ]

深田さん
>「うみねこ堂書林」に寄ってみました。
 あ、偵察に行かれたのですね。やはり「ひさご」でしたか。

>いまは9割ぐらい棚は埋まっているようでした。
 準備も順調みたいですね。安心しました。

>埋まるかなあとドキドキされたようです
 なに、埋まらないとなれば、ご自宅の膨大な蔵書から適当に引っ張ってきたらいいのですよ(>おい)(^^;

>いい立地なのでたくさんお客さまがくるといいですね。
 私もそう願っています(^^)。たぶんミステリ専門店なんでしょうけど、SFもそれなりに揃えているんでしょうね。早く見てみたいです! 今月は締めが5%と8%が混在する場合があり間違いが起こりそうで、いつも以上に慎重に時間をかけようと思っているのですが、どんな掘り出し物があるか、と考えてしまうので、やはり開店日は行きたいのですけどねえ。

 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:深田亨  投稿日:2014年 4月24日(木)00時06分18秒
返信・引用
  > No.5364[元記事へ]

昼間、仕事で元町を通ったとき、ふと思いついて「うみねこ堂書林」に寄ってみました。
海野さんの予想通り、場所はジャズ喫茶の階段の隣、「ひさご」のあとでした。
もちろん開店前でしたが、野村さんがいてはりました。
すこし立ち話をしたのですが、思ったより棚の収容力が大きくて、埋まるかなあとドキドキされたようです。
いまは9割ぐらい棚は埋まっているようでした。
いい立地なのでたくさんお客さまがくるといいですね。
 

「一神教vs多神教」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月23日(水)22時33分21秒
返信・引用 編集済
  岸田秀+三浦雅士『一神教vs多神教』(新書館、02)読了。
 先日、w1allenさんにツッコまれて答えられなかったので、読んでみました(>おい)(^^;
 まず、ギリシャ科学については言及なし。これについては、その後考えたんですが、科学の契機Momentが、(いまオボちゃんを悩ませている)再現性と反証性にあるのならば、その意味での科学ではないんじゃないでしょうか。むしろ数学に近いのかも(同様にイスラム科学も)。
 とりあえずここで岸田が念頭している科学は、18世紀以降ヨーロッパで発達した自然科学のようです。それを一言でいえば、ひとつの一貫した原理で世界(自然)を理解する、というものです。対してそれ以前は、宇宙(世界・自然)は(唯一)神の意志である、ということで理解されていたのですね。
 それが次第に「神は死んだ」となっていくのですが、それに寄与したパラケルススやケプラーやニュートンの業績は、しかし、そのような宇宙の背後にある神の意志を、はっきりとした法則として理解したいという欲求からの仕事だった。つまり、科学は熱心な信仰のあらわれだった。
 ところがそれが結局、神の息の音を止めてしまう。
 しかし神がいなくなったとなると、依るべきものがなくなり、ヨーロッパ人の心にぽっかりと穴があいてしまった。その空虚を埋めるものが必要になる。それを埋めるために、新たな依るべきものとして、自然科学が求められた。
 というのが、岸田理論の骨子となります。(なぜ後継的地位を獲得できたのか、それは後述するように、構造が同一だったからです)
 実は自然科学は、上述のように、ひとつの一貫した原理で世界(自然)を理解するわけですが、その普遍性は唯一神と同一構造でもあるんですね。普遍性の追求が、さらに自然科学を推進していったわけです。

 ところで、科学は神の座を奪取したかというと、必ずしもそうではなく、未だに唯一神を信仰する人々がいるわけです。ここでw1allenさんが提出された進化論を認めないアメリカの州という反論について、私は、その時適当に、原理主義は多神教的なカトリックだからでは、と答えましたが、これは全く間違いでした。*
 原理主義はプロテスタントでした。それも極端なそれで、唯一聖書のみを拠り所とする一派らしいです。つまりキリスト教内でも、もっとも一神教的性格を保持しているグループのようです。
 では科学性と矛盾するのか。そうではないようです。
 一神教的性格が、一方で原理主義を生み、もう一方で自然科学を推進せしめたというのが正しいのですね。ただ片方は後退的(過去)であり、もう片方は前進的(未来)であるという、ベクトルの方向が違っていただけ。
 そのように理解しますと、よく分かるように、私には思われました。
 たとえばオボちゃんを苦しめる再現性ですが、これなど非理系的な一般的な日本人の立場からすれば、何を堅苦しいことを。「存在している」(括弧に入れておきます)ことを発見したんだから、途中経過はべつにええやん。となりますが、科学者はそれでは認められない。この現象を外的に観察すれば「聖書に記されていることとは反するから認められない」というのと同型にみえます。「科学は根拠を理性においたわけですね。世界は人間が理性によって解明できる法則によって動いている。法則というのは唯一普遍の法則であるという信仰が科学です。しかし、その唯一普遍の法則というのは、やはり神であるということになるでしょう」(119p)

 とはいっても、真剣に読んでいますと、岸田理論、やはり危うい理論ではありますよね(社会科学のグランドセオリーは大抵そうですけど)。三浦氏が、じゃあこういう場合は? とか意地悪な質問をしてくる(場合によっては自分に都合の良い解釈を押し付けてくる)のですが、その都度、冷静に是々非々に、それなりの解答をされてはいるものの、先生それって今思いついたんでは? というのもなきにしもあらず(^^;。あとがきで岸田は「人間は誰でも、自分が知っていると自分で思っている以上のことを知っているものである。それはフロイトが無意識と呼んだものであるが、この「知っている以上のこと」は、本人は自分では知らないつもりなので、自ら表現することはないから、普通、いつまでも無意識に埋もれたままになる。しかし、そのような「知っている以上のこと」を人から引き出すのがうまい人がいる」と、三浦を持ち上げているのですが、それはよく分かるなあ、と思う反面、実は内心冷や汗出まくりだったんだろうなあ、とも思ってしまったのでした。うーむ。w1allenさんのせいで、素直な心で読めなくなってしまいました(>おい)m(__)m

 *ところでちょっと思ったんですが、進化論は「科学」なんでしょうか? 進化論は実験で再現できるというものではなく、また反証も同じ意味で不可能じゃないのでしょうか。一神教的な意味での科学からは少し外れているような(^^ゞ


 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月22日(火)21時33分31秒
返信・引用 編集済
  > No.5367[元記事へ]

海野さん
 ご教示ありがとうございます。玄関の位置がどの番地にかかっているかが決め手なんですね。
 ちょっと調べてみました。
 このブロックには、通りに面して右から、1)ローレルコート神戸元町というマンション、まんなかに、2)佐野達ビル(6階建て)、左に今度「うみねこ堂書林」が入る 、3)2階建てのビル(名称不明)――の三棟が並んでいます。
 佐野達ビルの一階は、右がRIKIというパン屋さん、左がラジャというインド料理店で、左の端に階段があって2階がダンススタジオ長谷川です。
 左端の2階建てビルは、一階が、右にミニルームという喫茶店、左にひさごで、2階がM&Mというジャズ喫茶です(但し玄関は1階)。
 1)のマンションは、「丁目-番地-号」が「2-7-1」です。
 2)は3店舗とも「2-7-4」でした。というか佐野達ビルが「2-7-4」なのでしょうね。
 で、3)なのですが、1階の2店舗は共に「2-7-5」なんですが、2階のジャズ喫茶は「2-7-3」なのです。
(ちなみに、地図に見えるパンニャンビルは「2-7-7」)
 
 まったく規則性がありませんね。でも……おや? じっと見ていたら、なんか、規則性が浮かび上がってきましたよ。
 私が思うに、かつて、2)佐野達ビルの位置に建物があって、それが「2-7-2」だった。その建物が取り壊されて、更地に新たに建てられたのが佐野達ビルで、「2-7-4」が付与された。
 3)も、元々「2-7-3」が与えられた建物があって、M&Mも入居していた。その建物が取り壊されて、2階建ての現ビルが建てられ、「2-7-5」となったが、M&Mは(建物は変わったがその住所に連続しているので)以前の「2-7-3」を引き続いでいる、ということではないでしょうか。そのように想像したのですが。
(ついでにいえばパンニャンビル「2-7-7」の位置に、「2-7-6」の建物があったわけです。この「2-7-6」は、現「2-7-5」と同時に(かどうかは分かりませんが)「2-7-3」の跡地に建てられたのだが、再び取り壊され「2-7-7」が建てられた、と考えればよさそうです。つまり一番最初は、ブロックを三分割して「2-7-1」「2-7-2」「2-7-3」のビルが建っていたんでしょうね)
 うむ。これで錯綜する番号の謎は明快に解けたと思うのですが、如何(^^;
 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月22日(火)18時21分16秒
返信・引用
  我が家を建てるときに役所の人が番地を決めに来ました。
それと言うのも番地はその土地で決まっているのではないようなんですよね。
玄関のある場所が、役所の決めた区切りのどこになっているかで決めているようです。
と言うことは同じ土地に家を建てても玄関をどこにするかで番地が違うこともあると言うことです。

検索すると解りやすい説明を見つけました。
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20130117-00027466-r25&c=01
この図で言うと、2番の奥にたくさん小さな家があったとすると玄関は別々でもみんな同じ番地になってしまうんですよね。
そういえば仕事で行った時に、細い路地の奥の5~6軒の家の番地がみんな同じだったりしました。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月22日(火)00時42分5秒
返信・引用
  > No.5365[元記事へ]

 立地もよさそうですね。一瞬、ジャズ喫茶が出て、そのあとに入るんじゃないだろうな、と不安になり、調べたところ、ジャズ喫茶は番地(号?)が違ってました*。よかった(^^;。やっぱりひさごでしょうね。
*同じビルの中でも、号は変わるんですね。初めて知ったかも。というか、考えてみればそれが当然なのかな。

 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月22日(火)00時12分26秒
返信・引用
  > No.5364[元記事へ]

おお~
昼間見た映像が。
僕もストリートビューで見て、たぶん「ひさご」のあとだろうなと思っていました。
駅からも近いですね。
道路を挟んで、隣に「かまどや」そしてその先に中華街?

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月21日(月)21時02分12秒
返信・引用 編集済
  > No.5363[元記事へ]

雫石さん
>私、勤務先は神戸なので、会社帰りにでも立ち寄ります。
 ぜひぜひ(^^)
 わが国でも有数の目利きが開いたお店ですから、一体どんな品揃えになっているのか、興味津々です。楽しみです。
 グーグルのストリートビューで探してみました。たぶんここと思います(セブンイレブンから見た位置)。[註]
 
 この「ひさご」という料理屋か、隣の喫茶店(?)の、どちらかを改装したと思われます。
 二階はジャズ喫茶ですね。
 
 うみねこ堂で本を書い、二階へ上がってジャズを聴きながらその本を読む、ってのも、なかなかオツですね。今後、神戸市民のライフスタイルに定着しそうですねえ(^^ゞ

 [註]まあ雫石さんにすれば我が家の庭みたいな場所ですから、必要なかったですね(^^;。

 

Re: 野村氏が古書店を開業します

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2014年 4月21日(月)09時47分37秒
返信・引用
  > No.5362[元記事へ]

私、勤務先は神戸なので、会社帰りにでも立ち寄ります。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

野村氏が古書店を開業します

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月21日(月)03時35分2秒
返信・引用
   関西ミステリ界に隠れなきBNFにして《畸人郷》主宰の野村恒彦氏(亜駆良人氏)が、このたび、めでたく役人を辞められ、古書店を開店されたとのこと、お知らせを頂きましたので、皆さんにご報告させて頂きます。
 頂きましたメールよりコピペします――

各位
 先QWOMでお知らせしましたとおり、3月で退職して、古書店を開業することにしました。
 開店は4月26日(土)11:00です。場所は添付しています「お知らせ」とおりですが、JRや阪神電車の元町駅が最寄り駅で、近くには南京町もあります。
 探偵小説の文庫を揃えましたが、目が肥えている皆さんにはもの足りないかも知れません。いずれにしてもよろしくお願いいたします。
 近くに来られることがありましたら、ぜひお立ち寄り下さい。

 野村恒彦


 E-mail uminekodo@portnet.ne.jp

 まずは野村さんの新しい門出を、心よりお祝いいたします。
 神戸にはなかなか出掛ける機会がないのですが、近いうちに寄せていただくつもりです。
 神戸近在の皆さまは、ぜひぜひ!
 ひょっとして野村さんが蒐集された膨大なコレクションから、珍本や稀覯本が放出されている「かも」ですよ(^^)

 
 

Re: 若き日の(といっても中年ですが)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月21日(月)03時34分12秒
返信・引用
  トマトさん
 たしかに翻訳家さんの顔はあまり知らないですね。伊藤典夫は想起できるのですが、(プロパーとしては最も著名な)浅倉久志が(写真を見たことがあるはずなのに)全然浮かんでこず、いま愕然となりました。いわんや深町眞理子においてをや(汗)
 

Re: 若き日の(といっても中年ですが)

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月20日(日)21時08分35秒
返信・引用
  > No.5359[元記事へ]

作家先生の尊顔はよくSFMにのっていましたが、朝倉久志とか伊藤典夫とか翻訳家の顔は載っていませんでした。だから余計深町真理子という女流翻訳家は永遠に若く美しいのではと空想はしてしまいます。外的事実はそうでなかったとしても内的事実は永遠に若くで美しいですね。
SFというお話そのものが内的事実ですからね。

http://porcini.web.fc2.com/bistoro002.html

 

Re: 若き日の(といっても中年ですが)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月20日(日)15時43分31秒
返信・引用 編集済
  > No.5358[元記事へ]

トマトさん
>SFの世界だから作家の先生も永遠に若いのでは?何て錯覚してしまいますね。
 ああ、それはありますね。私は小松左京さんの晩年の顔も知っていますが、想起するときは常に、日本沈没当時の精気にあふれたこのお顔が浮かびますね。晩年の顔が浮かんくることはまずありません。
 何かで読みましたが、アッチへ行った人は、コッチに出てくるときの自分の姿を、自分で選べるらしいですよ。アバターですな(笑)。
 としますと、女の人は若い姿を選びがちな気がしますから、アッチの世界では、男と女で平均年齢(見かけの)にかなり違いがあることが予想されますね。意外にアッチに言ってみたら若い子やあでなお姐さんばかりでウハウハかも(>おい)(^^;
 

Re: 若き日の(といっても中年ですが)

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月20日(日)11時56分41秒
返信・引用 編集済
  > No.5357[元記事へ]

こんな映像が残っていたんですね。
懐かしいですね。


>  1988年5月1日のNHKビデオギャラリーで、少年ドラマシリーズ「なぞの転校生」(但し最終回のみ)を放送した際にゲスト出演された冒頭部分のようです。

わたしの頭にこびりついている眉村さんの尊顔は1969年代のSFMに載っていたものなんです。
SFの世界だから作家の先生も永遠に若いのでは?何て錯覚してしまいますね。

http://porcini.web.fc2.com/bistoro002.html

 

若き日の(といっても中年ですが)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月20日(日)00時56分53秒
返信・引用 編集済
   過日、眉村さんの近影を掲載したとき、驚かれた方がいらっしゃいました。そら眉村さんも人間ですから、年相応に変わっていかれますがな(^^;。今でもたまにここを見て下さっているでしょうか。今日は、若き日の眉村さんの動画をご覧にいれましょう。
 下の画像をクリックしますと、動画のサイトが開きます。
 1988年5月1日のNHKビデオギャラリーで、少年ドラマシリーズ「なぞの転校生」(但し最終回のみ)を放送した際にゲスト出演された冒頭部分のようです。
 これ、偶然見つけました(ひょっとしてよく知られているものなのかもしれませんが)。眉村さん、このとき53歳ですね。ふつうの53歳よりずっと若くみえますよねえ(^^)

 それでは、お楽しみ下さい。

 
 

Re: もぐら通信19号より(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月19日(土)21時56分12秒
返信・引用
  > No.5355[元記事へ]

 こちらこそありがとうございました。貴重なお話をお聞かせ頂き、とても有意義でした。
 またお気軽にお立ち寄り下さい。楽しみにお待ちしています。

 

Re: もぐら通信19号より(4)

 投稿者:hirokd267  投稿日:2014年 4月19日(土)21時18分34秒
返信・引用
  ここまで、ありがとうございました。

お邪魔してしまいました。

では。


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

Re: もぐら通信19号より(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月19日(土)01時30分32秒
返信・引用 編集済
  > No.5353[元記事へ]

hirokd267さん
>安部公房はその微視的連続感にくさびを打ち込んでくれます。
 我々が日常に埋没して、そのように在るのが自明として疑いもせずに受け入れてしまっていることが、角度を変えて見れば、それはとても異様なことなのかもしれないということを感じさせてくれますよね。
 名前が本人を従属させてしまうなんて、現実にはあり得ない荒唐無稽な話と、私たちはまずそう反応するのですが、よく考えてみれば、日常ふつうに見られることなんですよね。一枚の名刺が、それをもらった人の態度を一瞬にして転換させてしまうのは、よく見る光景です(^^;
 それで思い出しましたが、数年前、グループサウンズのヴィレッジシンガースのヴォーカルなりすまし事件がありました。
 「2002年7月、当時島谷ひとみが歌いリバイバルヒットになっていた「亜麻色の髪の乙女」などで知られるグループサウンズ 「ヴィレッジシンガーズ」のボーカルになりすまし金をだまし取った当時53歳の男が、詐欺の疑いで長野県警佐久署に逮捕されるという事件が発生した。男はヴィレッジシンガーズのボーカル、清水道夫の名をかたり、2002年7月下旬に開催された御代田町の「信州御代田龍神まつり」の前夜祭として行われた「町民カラオケ大会」で審査委員長を務め、主催者の同町駅前商店会から謝礼15万円をだまし取った疑い。大会には約820人が集まり、地元ケーブルテレビも生中継。男は「亜麻色の髪の乙女」を熱唱した。顔は清水本人には似ても似つかずのコワモテであった」(wikipedia)

 どういう経緯かは分かりませんが、私が想像するに、最初はおそらく贋の「名刺」を渡したんじゃないでしょうか。その瞬間、町民たちの目には、コワモテ顔の男が、やさ男のイケメンの清水さんに見えてしまい、誰も贋物とは気づかなかったのでした(^^ゞ

>表現がシュール(これが日本語であることを、あらためて山本さんは教えてくれました。)であることとは別のことですね。
 恥ずかしながら、これは今回、私がはじめて「意識化」できたことです。それまではシュールレアリズムとシュールを「混同」していました。
 公房は「夢」を発想の核にする作家だと思うのですが、そのような「シュール」を展開し小説化する過程は、冷静で理性的であり、理系的でもあり、少なくともシュールレアリズムとは対極的なものなんですよねえ。「冷たい心、冷たい心、……」と、「ぼく」が繰り返し念ずるのには、そんな意味合いがあったのかな、と、ちょっと思いました。
>「卒論審査のために安部公房をまとめて読み直してその犯罪的なまでの周到さに戦慄。」
 とは、言い得て妙、と頷かされました。

>原典を参照する、という行為は著者とは別に自分自身の感覚・論理を確認する、ということだと思います。
 はい、私がそれを出来ているかは別にして、おっしゃるとおりだと思います。何であれ「読む」という行為は、単に入射した光を同じ角度で反射する鏡のようなものであってはダメなんですよね。
 とはいえ、稲垣さんは「ここで私は「評論を評論する」ようなことをするつもりはない」と書いておられますから、そもそも批評するつもりはなかったのでしょう。つまりなかなか面白い所論なので紹介します。皆さんそれぞれ読んで考えてみてはどうですか、というスタンスだったようですね。
 

Re: もぐら通信19号より(4)

 投稿者:hirokd267  投稿日:2014年 4月18日(金)10時04分20秒
返信・引用
  ご返信をありがとうございます。この楽しい交歓をもう少し続けさせて下さい。


>安部公房読者らしく、(微視的連続感に埋没した)人々は――、と表現すべきでした。あとで気づいて臍を噛みました(^^;
→文を書いていると常にそうしたことがありますね。それで次にはより完璧に、と推敲するわけですが、納得できる言葉が浮かんでくるまで時間がかかりますね。
安部公房はその微視的連続感にくさびを打ち込んでくれます。

>  「バベルの塔の狸」を再読し、山本論文も読み返してみました。
>またオートマチズムは論理的な小説作りをする公房とはそもそも相容れないですよね。
→そこが安部公房をシュールレアリズム作家と誤解してはいけない根拠ですね。表現がシュール(これが日本語であることを、あらためて山本さんは教えてくれました。)であることとは別のことですね。

「バベルの塔の狸」は、山本さんの論を念頭に置いて読み進めると、とても面白いのは確かです。最初のメヅサの頭の話から影を食われる展開もシュールレアリズムに則りつつ論理的に作られており、とらぬ狸が空想を無意識に自動筆記したものが体現したものであること、空想していた時間彫刻器で助かる展開まで、周到に構成されています。「卒論審査のために安部公房をまとめて読み直してその犯罪的なまでの周到さに戦慄。」という郷原佳以さんの別の所での評を思い出しました。

ところで管理人さんは評を書く時、必ず原典を参照されようとなさいますね。今回も再読されたようで、頭が下がります。
原典を参照する、という行為は著者とは別に自分自身の感覚・論理を確認する、ということだと思います。そこには批評精神が当然あるはずですね。私は稲垣さんにもそのような批評精神を持って三浦論文に当たっていただきたかった、と思っています。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

Re: 「壁」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月18日(金)00時15分19秒
返信・引用 編集済
  > No.5351[元記事へ]

w1allenさん
 わ、ご教示ありがとうございます。ウィキペディアにそんな記述があったとは。
『星新一 一〇〇一話をつくった人』も読んだはずなんですが(汗)
 最近は、新しいことからどんどん忘れていきます(昔のことは覚えているんですが)
(ーー;
 
 

Re: 「壁」読了

 投稿者:w1allen  投稿日:2014年 4月17日(木)23時55分47秒
返信・引用
  > No.5350[元記事へ]

管理人様

ウィキペディアの「安部公房」に以下の記述があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%83%A8%E5%85%AC%E6%88%BF#.E4.BA.A4.E5.8F.8B
ーーー引用開始ーーー
最相葉月は『星新一 一〇〇一話をつくった人』で、星と安部が酒場での同席を避けるなど過敏に意識しあっていたエピソードを書いている。
ーーー引用終了ーーー

最相さんの本は未読ですが、そういう逸話があるそうです。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

「壁」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月17日(木)22時54分10秒
返信・引用 編集済
   《もぐら通信》関係で、「S・カルマ氏の犯罪」ここここなど)と「バベルの塔の狸」ここここ)を読み返すという至福の時間を得ました。となれば、残る「赤い繭」もヨマネバの娘(汗)ということで再読しました。
 今の言葉でいえば、ショートショート集です。「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」「事業」の4篇収録。
 この4篇は1950年(S25年)の発表です(ちなみにS・カルマ氏、とらぬ狸は51年)。この時期――というのは昭和20年代後半です――公房は『壁』(S26)前後より、同様の作風の(つまりシュールレアリスティックもしくは寓意的な)ショートショートを多く発表します。
 その後、公房は長篇小説作家になっていくのですが、公房の長篇小説は、たしかにふしぎな小説ではあるのですが、体がほつれて繭になったり、液体人間になったり、壁に描いた食べ物が実体化したりするような、「この現実」のフィジカルな法則を逸脱するような話にはなりません。砂の女は砂でできた女ではないですし、箱男もただ段ボール箱をかぶっているだけです。幻想小説ではなく、普通小説です。幻想小説といえるのは、短篇(ショートショート)のみです。そしてそれは、主に昭和20年代後半に、主に書かれている。
 ちなみに私の所持する作品集でいえば、『安部公房全作品2』が丁度その頃の作品を収録しています。参考まで。
 
 それ以前の公房(S20年代前半)は、詩人だったわけです(処女長篇はあります。ですから非常に大雑把な整理です)。要するに、公房は、詩人から長篇作家へと変貌していったのですが、その中間に、ショートショートを書いていた時期があったということができます。
 なぜ幻想的な短篇(それは或る意味《詩》の一種と言えます)を書き続けなかったんでしょう。
 なんの根拠もありませんが、ほぼ同世代(2歳年下)で同じ東大(農学部、卒業は同じS23年)出身の星新一の登場が影響した可能性は考えられないでしょうか。星新一のデビューは昭和32年です。ちなみに『第四間氷期』が昭和33年で、SFに関心のあった公房が、星の登場を知らなかったはずがありません。初期の星ショートショートは、ごく大雑把に言って公房の幻想ショートショートにかなり近い印象があります。というか、ある意味完全に競合しています。
 小松左京が出てきたとき、それまでSFに意欲を示していた北杜夫が、これはかなわん、と本格参入を諦めたことは、そのエッセイにありますが、公房も、あるいは星の登場に、競合を避けて(幻想というよりちょっと変わった)長篇に路線を変更したのでは? と、そんな根拠もない妄想にふけっているのであります(^^;
 ところで、「洪水」は、『日本アパッチ族』ではないでしょうか。前者では、労働者が水人間化し、資本家に復讐し、地球全体を覆い尽くしてしまう。一方後者は、労働者が食鉄人間化し、ブルジョアやプチブルに復讐し、世界を覆い尽くしてしまいます。いやアパッチは昭和39年なので、アパッチが、小松版「洪水」となるのですが。小松左京も、安部公房の『壁』を読んで、すごい作家が出てきた、と衝撃をうけ傾倒したことをエッセイで語っています。

 ということで、安部公房『壁』(新潮文庫、69)読了。

 

Re: 内緒話

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月17日(木)13時19分14秒
返信・引用
  > No.5348[元記事へ]

 昨日の会見でも肩書は変わっていませんでしたけど。
 その情報が正しいとしても、まだ内示の段階なのでは?
 

Re:内緒話

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月17日(木)13時15分34秒
返信・引用 編集済
  管理人様
大丈夫です。ここに存在しない、ということです。
 

Re: もぐら通信19号より(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月17日(木)02時36分43秒
返信・引用 編集済
  > No.5346[元記事へ]

hirokd267さん
 返信ありがとうございました。さほど的外れではなかったようで、ほっとしています。
>(自然的態度で暮らす)人々はそのことに気づくことは少ない
 は、安部公房読者らしく、(微視的連続感に埋没した)人々は――、と表現すべきでした。あとで気づいて臍を噛みました(^^;

 それはさておき、
>確かに山本さんの指摘により目を啓かせられ、それは私にとってとてもありがたいことだったのですが、
>実際「バベルの塔の狸」を読み直してみると、その論を忘れるほど、面白い展開なのでした
 「バベルの塔の狸」を再読し、山本論文も読み返してみました。
 意外にも、ブルトン狸の演説は、わずか20行にも満たないのでした。そこに(いやそれだけでなく全体にですが)公房のシュール・リアリズム批判を読み取っているのは感心させられました。もちろん公房の筆致が批判的であることは明らかに読みとれるのですが、そこまで読むかーの感もなきにしもあらずです(^^;。もちろん空論というのはそのとおりです。またオートマチズムは論理的な小説作りをする公房とはそもそも相容れないですよね。
 本篇を構想するにあたって、(公房が抱いていた)シュール・リアリズムへの違和感が材料にされたのは確かだと思います。しかしそれは畢竟、数ある材料のひとつでしかないようにも思われます(元記事に書いたように第一モチベーションだった可能性はあり得ます)。
 本篇の魅力は、そのような材料を駆使して、読者の惰性的な予測を裏切って進行していく(hirokd267さんがおっしゃるように)展開の面白さにあるわけで、読者は作者が運転する(もしくは設計した)ジェットコースターに、身をゆだねてワーキャー歓声を上げて楽しむこと、それが作者の狙いであり本望であったはずで、私もそのように楽しみました(^^)。

 

Re: もぐら通信19号より(4)

 投稿者:hirokd267  投稿日:2014年 4月16日(水)01時40分8秒
返信・引用
  丁寧なご返事をありがとうございます。私の言葉足らずの文から、正しく主意を受け取っていただき、展開して下さいました。ありがとうございます。久しくこのようなやりとりをすることが出来ませんでしたが、今感激しています。

> なるほど、三浦氏は資本論を、まあいうならば矮小化して(文意に含まれていることに気づかずに)読んでいるようですね。
→三浦氏は、読めば明白なように、マルクスを否定する立場です。それが解釈に影響して矮小化することになるのだと思います。

>  「S・カルマ氏」の名刺のふるまいは、たしかに「流通場面」だけ捉えれば、対応しているようにみえます。
>  が、そのことをもって「安部公房は『資本論』を読み込み、さらに自らの作品を通して、これを批判している」というのは、これは片手落ちということになります。実際のところ、公房に「批判」の意図はなかったと感じます。また意識的に貨幣のふるまいを利用したかどうかも、私はいささか疑問です。
→まったく同感です。ですから私は鳥羽耕史氏の論文もその部分で違和感があり、先を読むことが出来ませんでした。

>  というのは、名前(従属要素)がひとり歩きし、本質(現存在)を従属化するというのは、別にマルクスを持ち出すまでもない、実際に観測される事実だからです。
→そうですよね。それを切り出して息もつかせないエンターテイメントに仕立て上げたのが安部公房であった、と思います。

これは18号の山本奈緒さんの「バベルの塔の狸」のところでも感じたことですが、確かに山本さんの指摘により目を啓かせられ、それは私にとってとてもありがたいことだったのですが、実際「バベルの塔の狸」を読み直してみると、その論を忘れるほど、面白い展開なのでした。安部公房の場合は、理念から作品がスタートし、その面に私は惹かれてきたのですが、最近は安部のエンターテイメントの部分を楽しめるようになりました。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

Re: 内緒話

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月15日(火)20時23分36秒
返信・引用
  > No.5344[元記事へ]

トマトさん
>実験ノートにムーミンの落書き
 いやいや、有名な科学者って、ことさら奇行が強調されるじゃないですか。
 アインシュタインだったら、ベロ出し写真とか。
 そういう奇行があることで、私たちは「科学者」という異質なミュータントに対して、あの人達も、自分たちと同じ人間だったんだ、とほっと安心するわけです。
 もしハルコさんがノーベル賞を取ったら、ムーミンの落書きのエピソードが、論文の内容より大きくマスコミに取り上げられるに決まってますね。サイン会ではきっとムーミンの絵も書かされるんでしょうなあ(汗)

 

Re: 内緒話

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月15日(火)19時15分5秒
返信・引用
  ユニットリーダーって大学教授よりも上だそうですね。給料も・・・。

ハルコさんには弁護士が付いているから、仮にですが、理研の石井調査委員の「悪意」という言葉に著しく損害を蒙ったとして民事訴訟起こした場合、そして仮にですが、「一千万円を支払え」という判決が出たとしたら、弁護士は成功報酬としてン%もらえるんですね。
そうしたら理研側もハルコさんを提訴するでしょうし、訴訟合戦。
とても研究どころではないでしょうね。 しかし実験ノートにムーミンの落書きが書いてあったのだそうですからもともと研究どころじゃなかったのかも。

http://porcini.web.fc2.com/bistoro002.html

 

Re: もぐら通信19号より(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月15日(火)19時08分33秒
返信・引用

  > No.5340[元記事へ]

hirokd267さん
 お答え下さり、ありがとうございました。薄暗かった部屋にぱっと明かりが灯ったようです(^^;。
 なるほど、三浦氏は資本論を、まあいうならば矮小化して(文意に含まれていることに気づかずに)読んでいるようですね。
 岩井氏の所論は、なかなか面白いんですが、これも「いきなり流通場面」だけ持ち出してくるからそうなのだと気づきました。流通面だけ取り上げるから、こういう逆説的な(所謂ポストモダン的な)表現になるので、あっと驚かされるんでしょうね。
 「S・カルマ氏」の名刺のふるまいは、たしかに「流通場面」だけ捉えれば、対応しているようにみえます。
 ですから、三浦氏が、
「そこでは名前が名刺というひとつのモノになって動きまわる」・・・「「代わり」が「本物」となり、「本物」が「代わり」となる」。「物語の異様さは、・・・「本物」が「代わり」よりも重要であり、優位に立っているはずだという「常識」が完全に覆されることから生じている。」(『人生という作品』p150)
 というのは、そのとおりだと思います。
 が、そのことをもって「安部公房は『資本論』を読み込み、さらに自らの作品を通して、これを批判している」というのは、これは片手落ちということになります。実際のところ、公房に「批判」の意図はなかったと感じます。また意識的に貨幣のふるまいを利用したかどうかも、私はいささか疑問です。
 というのは、名前(従属要素)がひとり歩きし、本質(現存在)を従属化するというのは、別にマルクスを持ち出すまでもない、実際に観測される事実だからです。
 ただ、普通(自然的態度で暮らす)人々はそのことに気づくことは少ない。
 むしろ公房は、もぐら通信19号より(3) でも述べましたが、「社会にアプリオリな既成観念の転倒」願望こそが、公房の創作動機の基底に、第一義的に存在しており、名前が本質を追い出してしまう本篇のゆくたても、そういう頽落したこの現実(を構成する無自覚)に向って放った「悪意」(他にもたくさん放っているわけですが)だったのではないでしょうかねえ。
 

Re: 内緒話

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月15日(火)14時05分23秒
返信・引用
  > No.5341[元記事へ]

> 詳しくは言いにくそうでしたが。
 そんなことを全世界に発信してしまって、大丈夫なの? 言った人に迷惑はかからないんでしょうね。

 

Re: もぐら通信19号より(4)

 投稿者:hirokd267  投稿日:2014年 4月15日(火)02時00分3秒
返信・引用
  こんにちは。管理人さんへのお返事です。
稲垣さんの参照された三浦雅士氏の原文は、安部公房全集30巻付録の贋月報「安部公房の座標」であるとして書きます。『人生という作品』に収められているのは確認していませんが同じものではないでしょうか。

>資本論の貨幣価値は「労働力」の裏付けの範囲内でそうなのだが
→文意は、この範囲において、間違ってはいないと思います。

>つまりマルクスはそのような貨幣の自走性に気づいてなかったんでしょうか
→もちろん気づいていたと言えます。それはマルクスでは「物神性」と言われ、その「物神性」は商品、貨幣、資本について考察されています。

三浦氏のマルクス理解は、誤解が多いと感じています。金本位制を志向した、とかそのようなことはありません。また故意かどうか、価格と価値(交換価値)を混同しているのでは?と思われるところもあります。マルクスにおいては価格と価値の乖離はあり得るとされていますが、本筋(商品の価値形態、労働、資本)の分析に必要ではないので詳しく書いていないだけです。

岩井氏の「貨幣論」も、商品の生産場面を考慮することなく、いきなり流通場面にもってきたのでは、貨幣価値を説明できず、ただ「奇跡によって貨幣が貨幣になった」と言われてもね。

どうも失礼しました。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

もぐら通信19号より(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月13日(日)22時42分49秒
返信・引用 編集済
  岩田英哉「安部公房と谷崎潤一郎」を読みました。
 これはエセー(随想)ですね。『安部公房とわたし』の一節にある、公房が「谷崎って僕の文体に似ている」と感心したという記述から想を得、想に随い想の赴くままに筆を遊ばせたものとの印象を持ちました。
 以前から感じていたのですが、筆者の思索を手探る仕方には、そこはかとなくレヴィ=ストロースのそれを彷彿とさせるものが(その博覧強記の共通性だけではなく)あるんですね。本稿の、公房と潤一郎との類似点の列挙においても、ちょっと余人には発想しえない飛躍――じゃないな、結びつけ、があって、しかしそうと認めてトレースしてみれば、なるほどそういう線もあるな、と納得させられる。その辺が、レヴィ=ストロースの魔術的な論理の切り出し方に似ているように感じるのですが、そのようにして潤一郎の(女性の母性を拒絶する、ある意味芸術至上主義的な)「女性への崇敬のこころ」と、公房のそれとが結び付けられてみると、公房における「山口果林」の位置づけが、新たな視野に再配置されて見えてくるのでありました。

 ひきつづいて編集部「岡田裕志の編集部員辞任について」は、私も余命を逆算し始める年齢になってきましたので、たぶんその意味するところは違うはずですが、他人事とは思えません。自分のための時間をどのように確保していくかを、私も考えなければならないなあ、と思う今日このごろなのであります。お疲れさまでした。

 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月13日(日)19時08分53秒
返信・引用
   ああっ!(恥)(恥)(恥)
 穴があったら入りたい。山のアナアナ
;;;
 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月13日(日)19時03分21秒
返信・引用
  > ハルコが分かりませーん(汗)アニメの主人公?
やだな~
矢作さんのツイートにもあるでしょ。
小保方さんの名前でしょ。
晴子。
 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月13日(日)18時35分51秒
返信・引用 編集済
  > No.5334[元記事へ]

海野さん
>ハルコ、がんばって!
 ハルコが分かりませーん(汗)アニメの主人公?

トマトさん
「下北沢のカレーパン」拝読。今回は珍しく(?)しっとりしてました。あまい思い出バナシ? オヤジが出てきませんでしたが、出てきたらぶち壊しでしたね(>おい)(^^;

 前の仕事の上司がなかなか優秀な人で、言われたとおりにすると、必ず売上が上がったのですが、ところが、なぜそうしたらよいのか、を、説明できない人でもありました。外から見ていると、理屈よりも先に方法がパッと浮かんでくる、「見える」、そんな感じでした。一種の天才ですね(レインマンのダスティン・ホフマンのような、というとちょっと違うか)。
 オボちゃんも、ひょっとしたらそういう人なんじゃないでしょうかねえ。だから途中はどうであれ、スタップは「本物」なのかも。
 で、ふと思ったんですが、ひょっとして北朝鮮あたりからヘッドハンティングしに来るかも、と思いついてしまいました(^^;
 いや実際、もうすでに高給での打診が来ているんじゃないでしょうか(もう拉致みたいな手は使わないでしょう)。
 私は行ったらいいと思います。
 あっちで完成させてノーベル賞を取って、ねちねち姑みたいな日本を見返してほしい。保身にばかり汲々として、部下を守ってやることもできないスモールアスホールな理研の上司をギャフンといわせてほしい、と、マジで思いますね。でももしそうなったら、マスコミは手のひら返しで、優秀な頭脳を海外流出させた、と、ギャンギャンわめくんでしょうなあ
(ーー;
 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月13日(日)17時31分10秒 /SPAN>
返信・引用
  管理人さん、拙作、読んで頂いてメルシーポークです。 (^_^)v

小保方さん、桜のようにパアッ~と咲いてそして散ってしまいましたね。理系の人たちからは何であんな人をユニットリーダーに?!とかなり憤っていますが、(実験ノートにムーミンの落書き?)私的には理研のコーポレイトガバナンスっていったいどうなってんの?ていう感じです。

下北沢のあのカレーパン、揚げたては特においしいんですが、例のパルナスピロシキの下北沢版的存在?かも。

 1969年一月号(実際に店頭で発売されたのは多分1968年11月25日だと思う。)、福島編集ならではの味がありますね。今は無き高梨氏率いる「近代宇宙旅行協会」の「世界みすてりとぴっく」も面白いです。久野四郎の「ガラスのわら人形」や「世界みすとりとぴっく 庭に落ちていた謎の金属円筒」・・・あの時ならではの味わいですね・・・。




カレーパンでなんとなくオハナシが出来てしまいました。
小保方さん同様、事実に捏造と改ざんをコピペしたものですが・・・。


下北沢・・・というと、かつて付き合っていたマーちゃんのいたところだ。だから下北沢へと通じる小田急線のホームに入ったとたん、なにか「懐かしい。」だとか「故郷に帰る。」なんていうそんなな気持ちになった。東京に出てきた私を受け入れてくれたマーちゃんとに出会いは新宿だったことは前にも話した。デニムのショートパンツで颯爽と風を切って新宿の町を闊歩するマーちゃんはそれはかっこよかった反面孤独だったのだろう。そこに東京に出てきて間もない私が迷い込んでしまった。気が付けば私はマーちゃんの部屋に居た。
続き↓ です(^_^;)

http://porcini.web.fc2.com/bistoro002.html

http://porcini.web.fc2.com/bistoro002.html

 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月13日(日)13時59分55秒
返信・引用
  > No.5333[元記事へ]

なるほどね。
ちなみに「こぼかたさん」「おぼかたさん」で検索すると結果は逆転しますね。

矢作俊彦さんのツイートはなるほどと思いました。
ハルコ、がんばって!

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月13日(日)13時12分38秒
返信・引用 編集済
  > No.5332[元記事へ]

海野さん
 検索ソフトの上位にのると、たしかにピンポイントでの一見さんの来訪が増えますね。
 そういえば私の場合、このところ ”非Aの世界” や ”愚か者死すべし” で来る人が目につくような気がします。
 ためしにグーグルで検索しますと、”非Aの世界” が 621,000,000 件ヒットで、7位。”愚か者死すべし” では、317,000 件で8位でした。やはりという感じです。

 そこで ”こぼかた” でもためしてみました。
 ”こぼかた” では、4,800,000件ヒットしました。(ちなみに海野さんの当該ページは、”こぼかた” の栄えある7位入賞(^^;)
 いっぽう、”おぼかた” では、858,000件。
 あれ、”こぼかた”の方が、”おぼかた” より6倍ヒットするんですね。
 これは意外でした。というよりも、ちょっと異常ですね。
 ネット利用者の殆どは(音声情報が付いている)「テレビを見ない」ということなんでしょうか。いやでも実際、私もそのひとりなんだよな。自分に当てはめてみれば、この結果は妥当なのかも。
 と、一瞬納得しかけました。しかしとりあえず、”こぼかた” をずーっと下までたどってみました。
 疑問氷解。
 ”こぼかた” では、楽天のブックリーダー機である ”KoBo” も拾っていたのでした。なるほど納得。
 ちなみにbingでは ”こぼかた” 3,560件に対し、”おぼかた” 92,000件。こちらは ”KoBo” を含まない、比較的正しい比率かも。
  引用元
 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月13日(日)08時42分36秒
返信・引用
  > No.5329[元記事へ]

僕のブログではここのところ「こぼかたさん頑張る」が閲覧数1位なんですが、検索キーワードが「こぼかた」「こぼかたさん」「こぼかた会見」が上位を占めています(笑)
まあ、「おぼかたさん」を「こぼかたさん」にしたのは言うまでもなく小保方さんをネタにして小説を書くために匿名性を持たせるために「こぼかた」としたわけですが、「こぼかた」だと思っている人が多いと言うことでしょうか。
ネットでしかニュースを見ない人は「小保方」を「こぼかた」と読むんだと思い込んでいる?
しまったな~
小説のタイトルを「おぼかたさん頑張る」にしとけば閲覧数がどか~んと上がったかもしれませんね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 新『Miraiの記憶』

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月13日(日)00時51分30秒
返信・引用 編集済
  > No.5314[元記事へ]

トマトさん
「新『Miraiの記憶』」拝読。読むたびに内容が変わってしまうSFMを読みに、70年代の北関東市夢書房に向かう、という出だしで引きこまれました。イラストもあり、力作でした。とてもよかったです(^^)。

 アンゼリカ(下北沢)の『カレーパン』、おいしそうですね。

 

もぐら通信19号より(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月12日(土)22時35分23秒
返信・引用 編集済
  稲垣健「安部公房---乏しき時代(Die dürftige Zeit)の作家 ---三浦雅士の安部公房論を読んで----」を読みました。
 新潮文庫『壁』がようやく発掘されたので、「S・カルマ氏の犯罪」を再読してから本稿にとりかかったのでしたが、うーむ。結局、本稿は(私の知識不足のせいで)よくわかりませんでした。
 本稿は、要するに三浦雅士の安部公房論の要約で、「S・カルマ氏の犯罪」が、マルクス資本論の「価値形態論」をなぞりつつ、それを批判している、とします。

 貨幣と名前が、類似したふるまいをすることは私にもわかります。「S・カルマ氏の犯罪」では、本人の属性にすぎない「名前」が(たぶん肩書なども同じ)、本人を押しのけて「ホンモノ」としてふるまうのですが*、貨幣もまた、本来交換価値量に過ぎなかったはずなのに、いつのまにか「ホンモノ」らしくふるまっている。その一致は(名前にしろ貨幣にしろ)この現実を見れば一目瞭然です。 *『他人の顔』も同様のテーマといえますよね。

 ところが資本論の貨幣価値は「労働力」の裏付けの範囲内でそうなのだが、実際の貨幣はそれを超えて機能している、というのが、(三浦が参照する)岩井克人の貨幣論なんだろうと理解したのですが、その「自走性」(暴走性?)を、「名刺」の(本人を蔑ろにして勝手に振る舞う)行動があらわしている、ということなんでしょうか。(つまりマルクスはそのような貨幣の自走性に気づいてなかったんでしょうか)
 以上文脈からの類推ですが、緑字化した部分、すなわち資本論の貨幣のふるまいの限定性に就いては私には知識がありません。これで合っているんでしょうか(と誰へともなく聞いてみる)(^^;。全然見当違いだったりして(汗)

 資本論はいかにもしんどいので、とりあえず三浦の原本『人生という作品』にあたってみようと、近所の図書館に出かけたんですが、所蔵していませんでした。かわりに岸田秀と三浦の対談集『一神教VS多神教』というのがありました。もちろん、おおシンクロニシティ!ということで借り出してきました(^^;

 実は昨日読了記録した『痛み』もその時図書館で借りた本。通路を歩いていてふと棚を見たら、この本の背表紙のタイトルが一直線に目に飛び込んできました。警察小説集ということで記憶にあった(でも忘れていた)本なので、そうだそうだ、と借りましたが、何気なくふっと見た棚にこの本があったというのも、なんか不思議な偶然でしたねえ(^^;


 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月11日(金)20時53分21秒
返信・引用 編集済
  > No.5328[元記事へ]

海野さん
 おお! 温厚な海野さんが激しい言葉を吐くのをはじめて目にしました。

>小保方ファンの反感をかうぞ~
 ほんまほんま。これはもう不買運動必至です(怒)

トマトさん
>いい人見つけてごく普通の幸福な家庭を築いた方がいいのでは
 たぶんそれは最もありえない選択肢ですね。この人は、やっぱり基本的に野心家だと思います。論文の書き方からも分かるように、目的のためには手段を選ばず何でもしてきた人ではないでしょうか。まさに、
>何がなんでもベイロンに乗りたかったのでは?
 という感じがします。こういう女子っているんですよね(>偏見(^^;)

 画像>とても凝った誌面構成で驚きました。昔は丁寧だったんですねえ。近頃のSFMではありえないと思います(とか言いつつ、SFMを久しく見ていないのであった)(汗)。

 貫井徳郎・福田和代・誉田哲也『痛み』(双葉社、12)読了。
 ミステリ作家三人による、「痛み」をテーマにした警察小説競作集でした。
 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月11日(金)08時00分34秒
返信・引用 編集済
  > No.5325[元記事へ]

オボカタさん。

人生、山あり谷あり、人間万事、塞翁が馬、ですからね。
しかし彼女、普通の人生に戻るには後戻りできないところまで来てしまいました・・・ね。
「天の意志」に逆らって「我」を通せば苦しみぬくばかり。

あの人、研究者にしがみつくよりもいい人見つけてごく普通の幸福な家庭を築いた方がいいのでは?完全に晒し者状態ですが、彼女の運命をここまでしたのが案外「母親の過剰な期待と大きなプレッシャー」なんていうこともあるのでは?オウム信者の場合はよく彼らのお話聞いてみると、そうでしたね。
アクアやプリウスみたいに普通じゃ存在を受け入れてもらえないで軽蔑される。ポルシェみたいにスペシャルでないと存在を受け入れてもらえない。スタップ細胞でノーベル賞はポルシェどころかブガッティベイロン。何がなんでもベイロンに乗りたかったのでは?


ところで、久々に(中学生以来)「名作」と再会。1969年一月号(116巻)の61ページ。
久野四郎の通俗的過ぎる感覚、ノリがいいです。

http://porcini.web.fc2.com/mirai001.html

 

もぐら通信19号より(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月11日(金)01時47分13秒
返信・引用 編集済
   w1allen「『R62号の発明』小論」を読みました。読むにあたっては、「R62号の発明」(新潮文庫版)を再読しました。

 まず、ロボトミーへの言及があるのですが、これは鋭い着眼ですね。実際、ロボトミーとロボットの文字列の類似から、公房は本小説のアイデアを得たのかもしれません。
 それはさておき、今日流布するイメージからすれば、R62号は所謂ロボットではありません。ロボットは金属の筐体でできているものです。先走れば、アンドロイドでもありません。
 しかしながら、歴史的に見れば、そもそもロボットは、金属製ではなかったんですね。『SF百科図鑑』(サンリオ)所収のアシモフのエッセイによれば、ロボットの初出は、チャペック「RUR」なのだそうです。
「”ロボット”という名称はチェコのカレル・チャペックが戯曲「RUR ロッサム万能ロボット会社」R.U.R.(1921)で用いたもので、”強制労働”を意味する”ロボタ”と”労働者”を意味する”ロボトニク”をくみあわせたものである。ただ「RUR」のロボットは人間と区別することができない。このような人造機械は今日では”人間に似ている”という意味のギリシャ語からつくられた”アンドロイド”という語で呼ばれている」(「ロボットとアンドロイド」180p)
(ですからR62号は今日の定義でいえばロボットでもアンドロイドでもない。たぶんサイボーグでもない。しいていえばロボトミーから発展した未来技術です)

 しかしチャペックの影響を受けた安部公房的には、R62号みたいなのこそロボットと呼ぶにふさわしかったのかもしれません。RURのロボットは、「知力は高いがプログラム以外の事は考えない。感情・味覚・痛覚はなく、よって死に対する恐怖もない」ウィキペディア)ので、その点でもR62号は、ほぼRURのロボットを踏襲しているようです。
 だとすれば、「R62号が復讐心を持っていたとは思えません」という著者の解釈は全く論理的です。
 以上はウィキペディアの記述という小説外部からの導出で、邪道です。

 一方論者は専ら小説の精読により、「R62号の言葉には、ただ「人間」としか出てこない」(21p)という事実に着目する(これは盲点でした)。
 すなわち「R62号の言葉には、ただ「人間」としか出てこない」→「ロボットの純粋論理にとっては、労働者と資本家の区別こそナンセンス」となり、ゆえに「R62号が復讐心を持っていたとは思えません」となるわけです。非常に説得力がありました。……(1)

 とは言い条、チャペックのロボットが、その命名基準からして労働者のメタファーだったのは明らかです。それを踏襲しているからには、そのメタファーも当然、公房によって受け入れられていたはずです。
 ですから初読時点では、私も「復讐」であるという風に、安易に(自動的に)了解していたわけですが(但し、解説の「人間を酷使する機械を発明して人間に復讐」ではなく、また解雇されたという個人的動機からでもなく、労働者として資本家への「復讐」であったと解釈していたようです)、ただ、ラストで労働者が押し寄せてくる場面があり、なぜそんな場面を(わざわざ)公房は描いたのか、という点に思いを致すならば、復讐という観点はなお有効ではないのかなという気もしてくるのです。その意味で論者の「こき使う相手が、偶然かもしれませんが、労働者ではなく、資本家の側の高水社長であったというのは、なんという皮肉でしょう」というのは重要な指摘であると思います。そういう価値転倒の皮肉な笑い「も」、公房が描きたかったことのひとつだったのではないでしょうか。これは作家自身の復讐心なので、R62号に復讐心がなくても成立するはずです。……(2)

 さらに、チャペックのロボットが「人よりはるかに安価かつ効率的にあらゆる労働が行える画期的商品」(ウィキペディア)(これは現代にも通用している「自明」です)だったのに対し、「R62号」では「むしろコストでは一番安い人間をどう利用するか」(40p)という具合に、つまり機械よりもさらに下位に人間(労働者)を置く設定となっていて、ここでも価値転倒(復讐)させているわけです。……(3)

 で、思ったのですが、(2)(3)より振り返るならば、(1)もまた、労働者と資本家という(当時自明だった)区別の「無化」という意味で「価値転倒」と考えられるのではないでしょうか。
 とすれば、(1)、(2)、(3)より、当時の社会にアプリオリに自明であった既成観念の転倒こそが、本小説の眼目だったとは言えないでしょうか。それはある意味(作家安部公房自身の)「復讐」的心情の一表現だったのではないか。そしてそれを表現するに最適な手法として、「別次元との対比によって、現実の実態が明確に見えてくる」(長与日記)SFの手法が採用されたのではないでしょうか。
 ――などと色々愚考させてもらえる、たいへん示唆に富んだ論考でした。

追記。『壁』見つかりました~!(^^ゞ


 

Re: オボちゃん関連(^^;

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月11日(金)00時08分37秒
返信・引用
  「日刊スポーツ」悪意の伝わってくる写真ですな。
これぞ「悪意」
スポーツの話題はないのんか。
「週刊文春」アホか。
どうでもえーがな。
小保方ファンの反感をかうぞ~(  ̄0 ̄)/"☆

http://marinegumi.exblog.jp/

 

オボちゃん関連(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月10日(木)22時27分28秒
返信・引用 編集済
   嗚呼、日刊スポーツ!
      ↓

 
 日刊スポーツ一面の小保方さん写真がヒドイ 反応まとめ

段野さん
>「悪意」が独り歩きし始めた感じがします
 いや、意図的なコントロールされた「悪意」でしょう。たとえば↑

海野さん
>マスコミ側がおごり高ぶっているからではないかと思う今日この頃です
 おっしゃるとおりですね。でもマスコミがそう出てくるのは織り込み済みの会見設定だったんではないでしょうか。
 それは成功して、マスコミと科学者以外は、みんな小保方さんに同情したと思います。35万円自腹を切っただけの成果があったのでは。

雫石さん
>小保方さん、かわいそ、という思いを抱くヒトを増やしたでしょう
 大成功でした!

>中途半端記者会見でしたね
 マスコミは、スタップ細胞があろうがなかろうが、どっちでもいいんですよ。なかったと言っては騒ぎ、あったと言っては騒ぎたいだけなんでしょう。株をやっている人は、相場が右肩上がり一直線であるよりも、頻繁に上がったり下がったりしてくれたほうが儲かるそうです。それと同じかも。

段野さん
>ついに、全国紙でもその写真が張り付きました
 極めつけは日刊スポーツ!!

海野さん
>ショートショート「こぼかたさん頑張る」を書きました。
http://marinegumi.exblog.jp/19664234/
 拝読しました。あ、なるほどオチは……(以下略)! チャン、チャン!(^^;

トマトさん
>とにかく屁理屈ならべて言い訳に次ぐ言い訳で何が何でも「クライアントを守り抜く」のが仕事です
 そうなんですよね。だから「悪意」というのは願ったり叶ったりだったと思うのですね(弁護士にとってもスタップ細胞があろうとなかろうとどうでもいいわけです)。
 法律用語に「悪意」があるとは知らなかったんですが、視聴者は理研の定義なんか関係ありませんからね。日常語の「悪意」でしか理解しません。「たしかに故意だったかもしらんが、それを悪意というのは言いすぎやろ」、というコンセンサスは視聴者のレベルにおいては形成されたと思いますね(汗)。

 

Re: すたっぷサイボーはあります♪の小保方さん

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月10日(木)21時43分58秒
返信・引用 編集済
  >スタップ細胞はありますハート
と言う言い方がなんか女の子ぽかったですね。
あの言葉にはキラキラハートがくっついていました。

トマトさん読んでいただいてありがとうございます。

緊張した記者会見でしたが、質問者を指名する弁護士さんの態度が緊張を和らげていたと思います。
時々笑い声を交えてね。
癒し系弁護士さん。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

すたっぷサイボーはあります♪の小保方さん

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月10日(木)19時00分55秒
返信・引用
  海野久実さんのお話、読みました、ストップ細胞!

小保方さん自身を弱酸性の溶液につけてスタップ小保方をつくったりして。


しかし小保方さん・・・ずいぶんやつれましたね・・・。まるで別人みたい。 しかし小保方会見、イカにも「弁護士同席の・・・。」という感じでしたね。 弁護士のスタンスは基本的にお客様であるクライアント(小保方さん)の私権公権を守り抜くのが最優先で、客観的に見ていわゆる「社会正義」というのはクライアントを守るために都合のいいときのみに利用するものですからね。とにかく屁理屈ならべて言い訳に次ぐ言い訳で何が何でも「クライアントを守り抜く」のが仕事です。

  で管理人さんも指摘されていた「悪意」って言う言葉は、法律、民法の世界では「こういうことを知らなかった・・・」という意味で使うんだけど、もし仮に法律用語として使ったとしたら理研はオボカタさんを解雇したり裁判起こして損害賠償請求したりしたいと考えているかもしれません。でも論文の共同執筆者のオジサンたちは守りたいという意図があるのかも。(共同執筆者のオジサンたちのオボカタさんとの理研に対する共同不法行為不成立を立証したい)なんていう意図があるのかも?と勘ぐってしまいますね。そういう背後には「理研側が、山中教授に対する嫉妬や焦燥感があった?」のかもと勘ぐってしまいます? 

http://porcini.web.fc2.com/mirai001.html

 

Re: こんばんは、です

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月10日(木)18時16分35秒
返信・引用
  > No.5321[元記事へ]

ショートショート「こぼかたさん頑張る」を書きました。
http://marinegumi.exblog.jp/19664234/

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:こんばんは、です

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月10日(木)17時05分51秒
返信・引用
  >ハンカチを出して涙をふく
ああ、ついに、全国紙でもその写真が張り付きました。某週刊紙S紙でも、「トカゲの尻尾」とでましたね。
テレビショーでは、記者会見に臨むにあたり、(小保方さんの)「母が用意した3着の衣装から選んだ紺色の服」を着て、「アクセサリーは、(1月と違って)イヤリングなし」の姿で登場した、ですって。
関係ないやろ、と言いたいですね。
 

Re: こんばんは、です

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2014年 4月10日(木)09時19分29秒
返信・引用
  > No.5319[元記事へ]

ビジュアル的、感情的には、今回の記者会見、小保方女史の勝ちでしょう。
少々、やつれた表情であらわれ、記者の多さにびっくりして、深々とアタマを下げごめんなさい。
ハンカチを出して涙をふく。べっぴんの涙ほどおっさんの心をゆさぶるモノはありません。
小保方さん、かわいそ、という思いを抱くヒトを増やしたでしょう。
でも、中途半端記者会見でしたね。
「STAP細胞を作った人がいる」
 では、その人を連れて来い。
「正しい写真がある」
 なぜ、その写真をパワーポイントで写さない。
「実験ノートはもっとある」
 なぜ、会見の場にそれを持って来ない。
「私はSTAP細胞を200回作った」
 では公開の場で作った見ろ。
 かようなことを、なぜ記者は突っ込まなかったのか。今後、実証がなされるだろうが、その実証の場には、小保方女史をメンバーに入れるべきですね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: こんばんは、です

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 4月 9日(水)23時55分56秒
返信・引用 編集済
  会見その物はなかなか良かったと思いますね。
>「割烹着」とか、「ピンク色した研究室」
と言う質問は、ひょっとして理研側が話題作りに小保方さんにやらせているのではと言う憶測があったからそう言う質問が出たんでしょうね。
それは否定されてましたね。
まあ、まあ、それにしても記者会見がどうのこうのと言ってても始まらないですよね。
STAP細胞が出来ると言うことがちゃんと実験で証明されれば問題ないわけで。

でもしかし、記者会見についてはどうのこうのと言う事があります(笑)
小保方さんの記者会見ではなく、記者会見一般でですね。

あのカメラのフラッシュ、どうにかならないんでしょうか?
あれは記者会見を受ける側にとってはプレッシャーですよ。
祝福の記者会見ならいざ知らず、不祥事の場合の記者会見では質問に答える側はたまらないでしょうね。
「お前が悪いやつか?」「正直に答えろや」「俺らマスコミはえらいんやぞ」パシャ、パシャ、パシャ。
そんな感じがします。
あれはきっとそういう心理的な圧迫感を与える為なんじゃないかと思います。
フラッシュが一斉にたかれるとテレビの画面がしましまで汚くなってしまうでしょ?
顔の表情さえ分からなくなる。
それに「フラッシュの点滅にお気を付け下さい」なんて言うテロップも出さなきゃいけないし。
どうして改めないんでしょうかね。
いやいや、改められると思いますよ。

記者会見場にいくつかライトを設置して会見する人をちゃんとライトアップしていればフラッシュをたく必要はないはずですからね。
それにシャッター音。
最近はすべてデジカメでしょ?
デジカメならシャッター音は合成された電子音ですからね。
設定で出さない事も出来るはずです。
記者会見はフラッシュ禁止、シャッター音禁止と言うことにすれば記者会見に臨む人も平常心に近い感じで答えられると思うんですけどね。
それに記者会見を受けている人が表情を変えるたびに、一時落ち着いていたフラッシュがまた一斉にはじける。
あれは本当のマスコミの醜さを感じますね。
謝罪会見だとすると、たまたま鼻がかゆくて手を持って行っただけの場面で一斉にフラッシユ。
その写真がさも泣いている様な感じで雑誌に載ったりね。

マスコミが各社申し合せてフラッシュとシャッター音自粛すればいいと思いますけどね。
それをしないのはマスコミ側がおごり高ぶっているからではないかと思う今日この頃です。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:こんにちは、です

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月 9日(水)18時52分52秒
返信・引用
  管理人様
>今まで見えてなかった部分が明らかになり、良い会見だったように感じましたけどね
そうですね。沈黙がありましたですから、良かったと思います。が、今回の会見は「捏造」か、「ほんまもんか」という、科学的なところのレベルだったのでは? なのに、ゴシップみたいな質問者もいましたし、一度質問したことをまたもや質問する「マスコミ」もいました。また、「割烹着」とか、「ピンク色した研究室」(これは知らなかった)とか、質問がありましたよね。関係ないのでは?
「悪意」が独り歩きし始めた感じがします。
 

Re: こんにちは♪です。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 9日(水)17時42分37秒
返信・引用 編集済
  > No.5314[元記事へ]

トマトさん
>ただオナハシの部屋に行ってしまうと、仕事中もオハナシが頭のなかを占領していて困ることもあるんですが...。
 ああ、それよくわかります(^^;。昔は私もそうでした。今ではもう……
(ーー;
 焼きたてホヤホヤのオハナシは、あとでじっくり読ませていただきますね。料理と違ってすぐには冷めないのが、オハナシのいいところですね。

段野さん
 私も1時間ほど見ていました(^^)
 私自身は、今まで見えてなかった部分がいろいろ明らかになり、よい会見だったように感じましたけどね。
 ところで今回、特に強く感じたのは、皆さんもそうだったのではないかと思うのですが、理研の日本語の未熟さです。「悪意」の使い方が完全にずれています。「故意」というべきだった。もし「悪意」の部分が「故意」と表現されていたら、小保方さんの反論は半分がた根拠を失ったと思います。理研に入るような方たちは、自然科学の勉強ばかりして中高で国語の時間怠けていたんじゃないでしょうか(>おい)(^^;
 というのは冗談ですが、おそらく理研が当該の規定を作る段階で、データを改ざんしたりするのは、なにかよからぬ意図がある場合しか想像できなかったんだろうな、と私は思いました(今回のようなストーリーがあり得ることは全く想定外だった)。そこで「悪」という「価値観」が分厚く付着した単語を使用してしまったのだと思います。そういう「世俗的言語」が使用されていることがわかった瞬間、たぶん弁護士さんは「よっしゃー!」と、「その言葉よく使ってくれはりました」と、「これでいける」と、快哉を叫んだのではないでしょうか。ああ、そのような光景が、ワタクシには、見えます(by田中佐和)m(__)m

 

夕刊

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月 9日(水)17時24分34秒
返信・引用
  来ましたね。読売新聞の配達が一番遅く、配達員が、「小保方さんのせいで」とか言い訳しながら、配達していました。
週刊誌的な書き方が観られました。会見の途中で、涙ぐむところは、夕刊紙に間に合わなかったので、センセーショナルに書かれてはいませんでしたが、朝刊ではどうなることやら。
当分、週刊誌ネタになってしまうのでしょう、本来とは違う次元で。
今晩のニュースショーで、「見世物」扱いされるとしたら、困ったことですね。(多分、涙ぐむところばかり強調する編集かも)
 

小保方さんの会見

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月 9日(水)15時01分33秒
返信・引用 編集済
  やはり、と言うべきか、違う方向に誘導されてしまいましたね。会見の終了時まで、中継は続かず、ちょん切られてしまいました。これでは、中継している意味のない会見に思えましたが。(質問の中身も、ひどいものがありました)
(早くて夕刊)明日の新聞朝刊は、大騒ぎでしょうね。
 

こんにちは♪です。

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月 9日(水)12時47分49秒
返信・引用
  そうですね。今日はこれからオボカタさんの会見ですね。

なんか事態は研究とは別の方向に進んでいるという感じですね。
独法内の「惑星の練獄ぶり」が露呈していくかも?
でいろんなオジサンたちの保身や利益誘導だとかそういう思惑が絡んで肝心のスタップ細胞はどこかに行ってしまう。ということだけはあってほしくないですね。


一昨日あたりから心の中にある、オハナシが沸き上がる部屋にちょくちょく行くようになりました。ただオナハシの部屋に行ってしまうと、仕事中もオハナシが頭のなかを占領していて困ることもあるんですが...。



焼き立てホヤホヤのオハナシ

新『Miraiの記憶』 それは例の北関東市東松原一丁目にある、あのなんとも年季の入った「エス藤内科医院」の隣の隣のまた隣にあるこちらはもっと年季の入った『夢書房』なんていう古本屋の話だ。 なんでもこの古本屋のオヤジ、毎回毎回「すばる」だか「文学界」だかという雑誌に自分の『自信作』を投稿して居るらしい。そして毎回毎回ボツになっているらしい。でもそんな事をあのオヤジの前では口が避けても言ってもはならない。まさしく『なんとかに刃物』状態になるから・・・。

  がここにはなんとも魅力的なオハナシがたくさんあるのだ。例の「新、ガラスのわら人形」もそうだけと、今度は「新 未来の記憶」というオハナシだ。『未来の記憶』というと角川のものが有名だけど、実はより強烈なパワーがあるお話がつまっているのは角川版よりも早く出た、SFマガジンに載っていたものが一番、恐ろしくパワーがある。何しろ時間と空間を変容させてしまうからだ。ということは角川版「未来の記憶」とSFマガジンに載っていた「未来の記憶」とはまったく別なモノだったのではないか…と思うのだ。 そんなことでアマゾンなんかをあたると角川版「未来の記憶」はボツボツと出てくるのたが、しかしいくらググってもしかしSFマガジンの何号に載っていたかがわからない状態なのだ。ググッてもダメということになればそういうことで再びイナカの北関東市に行くしかない。それも1970年代の、北関東市に、だ。
続きはリンク先です。

http://porcini.web.fc2.com/mirai001.html


エデンの園に生えているカレーパンの成る木

http://s.webry.info/sp/slow-lifestyle.at.webry.info/201211/article_4.html

http://porcini.web.fc2.com/mirai001.html

 

Re: もぐら通信19号より(2)

 投稿者:w1allen  投稿日:2014年 4月 8日(火)21時45分17秒
返信・引用
  > No.5312[元記事へ]

管理人様、弊誌の紹介、誠にありがとうございます。
やはり、長与日記が目玉連載だと思っています。これを掲載できるのは、編集者冥利に尽きます。
(と言っても、私は大したことはしてないのですが^^;))

SFという「鏡」を通して、現実を見るという姿勢が、安部公房の世代にはあったのかもしれませんね。
管理人様が示唆しておられた、「現実との対応関係が希薄なSF」というのは、想像できるのですが、具体的な作品として読んだことはありません。

全然関係ないですが、小保方氏の会見が明日あるそうですね。
STAP細胞は本当に存在するのかについては、肩すかしを食らいそうな予感はあります。(笑)

では、失礼します。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

もぐら通信19号より(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 8日(火)21時26分19秒
返信・引用 編集済
   稲垣健「安部公房---乏しき時代(Die dürftige Zeit)の作家---三浦雅士の安部公房論を読んで---」、一応読んだのですが、これはちょっと凄い解釈が紹介されていて驚倒。とりあえず「S・カルマ氏の犯罪」を読み返してから、もう一度読もうと思います。ところが――前号の「バベルの塔の狸」論のときにも書きましたが、肝心の『壁』が見当たらないのです。今から本気で家探ししてみます(汗)。

 岩田英哉「安部公房の書棚を尋ねる」は、先月、青山のギャラリーSpacekidsにて開催された薈田純一写真展「書棚」に、公房の(先日取り壊されてしまった)調布市の家の書棚の一部を撮影したものが展示されていたのだそうで、その見学レポート。
 まず、戦前の青木書店の『資本論』全6巻が、「まず目に入」る位置に挿されていたとのこと。上述の三浦雅士の公房論の内容からして非常に興味深く思いました。というのも、同じ書棚に『死霊』6、7、8巻があり、これらは80年代の刊行で比較的新しく、また大江と三島の著書もあったということは、公房が生前よく使った書棚なんでしょう。『資本論』も、折にふれて手にとっていたのかも。

 蔵書自慢のコーナー《私の本棚より》は、今回はw1allen「『安部公房を語る』(あさひかわ社)」。この本は、17号で岡田裕志さんも取り上げておられました。ある意味公房ファンの聖典といえる本なんでしょうね。

 

泡沫読者

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月 8日(火)11時04分9秒
返信・引用
  管理人様
記事を張り付けて頂き、ありがとうございます。
「泡沫読者」がいるからこそ、ある程度の購買数が出ますので、「泡沫本」は、致し方ない現状だと思います。但し、命は短い。その現状を含んでの、出版だとは思いますが。
管理人様のおっしゃるとおり、佐村河内氏とは、別物と考えるのが妥当だと思います。
 

お相撲さん人生の短命化を憂う

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 7日(月)21時15分34秒
返信・引用 編集済
  段野さん
 朝日のこの記事ですね
 無料登録していないと続きの部分が読めないので、念のため画像を貼っておきます。

       ――――――      ――――――      ――――――
 
       ――――――      ――――――      ――――――

 段野さんのおっしゃるとおり、泡沫本といえばそうなんでしょうね。しかし筆者の神山氏が「著者となる人への周到なインタビューを繰り返し、練りに練った構成で原稿が出来上がっていく過程はあながち嫌いではない」と書いていますが、分かるような気がするんですよね。実は私も、こう言う作業自体は嫌いじゃないかも(>おい)(^^;。
 アメリカでは有名人の自伝のたぐいは大半ゴーストライティングだそうで、読者もその辺のいきさつは「呑み込んで」読んでいるのだと思います。そういうものだとして「容認」されているんでしょうね(実は『小松左京自伝』もそうらしいです→証言)。
 このような、ある意味仕掛ける者と仕掛けられる者の「なれあい」は、プロレスの試合と同型といっていいかも(笑)。本当は相撲もそうなんですが、相撲の場合は、近年なぜか「国技」というのが前面に押し出されてきまして、そういうことが許されなくなってしまいました。私は思いますが、最近、力士生命に関わるような大怪我が多いのは、ガチになった悪影響ではないのでしょうか(プロレスラーは還暦になっても現役ですが、お相撲さんは、今後、いまより力士生命は短くなっていくような気がします)。
 話がそれました。
 佐村河内さんのゴーストライティングと、山口百恵さんのゴーストライティングは、分けて考えたほうがいいかもしれません。佐村河内さんの場合は、よもやゴーストライターがいたとは、だれも思えないシチュエーションでしたが、山口さんの場合は、まあ大半の人は、ホンマに本人が書いたんか? と疑っていたのでは。
 まさに段野さんがおっしゃるとおり、
>素人が、まともに、人に読ませるものを一発で出せるなんて、信じられなかった
 ですよね。
 佐村河内さんは、悪質で、断罪されて当然ですが、山口さんや他のタレント本などは、読者もある意味加担しているのであって、自伝同様に、そういうものだとして(実質的に)容認されていると考えてよいのかもしれません。
 結局のところ、「泡沫本」を商売として成り立たせているのは、そんなのを好む読者がいるからですね。むしろそのような読者こそ、「泡沫読者」と言うべきかもしれませんなあ(^^;。
 

管理人様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 4月 7日(月)16時34分12秒
返信・引用 編集済
  今更、ここでこのようなことを述べるのは、空気読めてないかも知れませんが、ちょっとおもしろいことが、朝日新聞に載っていたので、記させて頂きます。何を今更なのか、かと思われるかも知れませんが。
「ノンフィクション作家・神山典士」ゴーストライターを語る。
「(彼・神山典士は)今まで50冊以上のゴーストライティングを手掛けてきた。対象者は、〝経営者〟〝スポーツ選手〟〝芸能人〟など無数にある。今や一つのビジネスモデルなのだ。あらゆる組織の中にも〝佐村河内〟なるものは存在し、「売れたら勝ち」と囁いている。」
大昔、山口百恵が「蒼い時」を出版した際、〝プロディユーサー〟残間里江子なるものが関わっていたことに驚いたことがあります。素人が、まともに、人に読ませるものを一発で出せるなんて、信じられなかったところに、陰の人物・残間里江子の存在を知り、そうだったのか、と思ったものでした。その後、文章も書いたことがあるのかどうか分からない芸能本を見る度に、〝ああそうなのか、ゴーストライター、またはプロディユーサーがいるのか〟と、出来すぎな文章を考えました。今まで、その類の本があまたと出現し、一気に泡沫本となってきたのを間近で見てきましたので、なるほどね、と思ったのでした。(私はこのような本は、泡沫本と呼びます。例えば検索しても、〝入手不能〟と出ますので)
どうも、失礼しました。
 

もぐら通信19号より

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 7日(月)01時48分31秒
返信・引用 編集済
  『月刊もぐら通信19号』がアップされました。ダウンロードはこちらから。
 まずは長与孝子「安部公房氏との打ち合わせ記録(3)」を読みました。
 今回も興味深いです。とりわけ公房が長与氏に語ったSF観が興味深い。公房は長与氏にこう語ったようです。

「SFとは、単なる変わった空想の面白さや、異次元の世界創造の興味を描くだけに終わるものではなく、そうした別次元との対比によって、現実の実態が明確に見えてくる所に面目さがある、例えば、不等辺三角形の面積はそのままでは計出不可能だが、補助線を新たに設定することによって、面積の計測が可能となる。SFとは例えばそのようなものだ」(3p)

 これは福島正実のSF観と全く同じですね。結局SFは、最終的には現実を描くものだということ。したがって現実との対応関係を拒絶する幻想小説とは一線を画している。と書いていて、しかし公房は山尾悠子を買っていたんだよなあ、と、ふと思いだしました(参照リンク元>)。これはどういうこと?(笑)。まさかいわゆるひとつのオボカタ効果? わ、すみませんすみません(^^;
 別の日には、表現主義について長与氏は思索していて、

「表現主義と言うものは、或意味でごまかしではないかと思っていたが、安部公房氏の作品を読んでみると、事実をデフオルメし、超現実化する事によって、より現実の本質をあぱき出すことが出来るとしたら、氏の作品も又、表現主義と言えるのではないかと思った」(4p)

 これって、まるで初期の筒井康隆の方法論に対して言われたもののようでもあります。当然ながら筒井が安部から直接影響を受けたとは考えられません。筒井の場合はシュールレアリスムからの援用ですよね。
 少なくとも第一世代、なかんずく安部、小松、筒井、眉村、(星も?)あたりにおいては、SFはなにほどか現実と対応していなければならない、というのがデフォルトとしてあったと言ってよかろうと思います。かかる自明性(よくも悪くも)は、世代が下るにつれ薄まっていき、現実との対応関係を持たない「SF」が増えていった(これもよくも悪くも)という理解なのですが(但し伊藤計劃は未読)。

 

Re: 深田亨情報

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 6日(日)20時47分23秒
返信・引用 編集済
  > No.5305[元記事へ]

深田さん
 リンク先読みました。が、うーん、どうなんでしょうねえ。
 海文堂は、旧態依然たる同規模他書店とは一線を画す、書店員さんが知恵を絞った品揃えと企画力で巨大書店に対抗していましたが、それでもけっきょく閉店してしまいました。市は金さえ出せばよいと考えているわけではないと思いますが、あれほど努力していた海文堂ですら閉店せざるを得なかったという事実を客観的に受け止め、厳密に市場調査し、よほどしっかりとコンセプトを立ててデザインしなければ、大阪の第3セクターの二の舞いになりかねないのではないでしょうか。なんか役人特有の思いつきでのばらまきめいた印象を受けました。

トマトさん
 ターミナルデパート屋上の遊園地はとっくに廃れましたし、また、昭和の風物であった(沿線のこどもたちが連れて行ってもらっていた)私鉄が作った遊園地(大阪ならば近鉄あやめ池遊園地や阪神パークや阪急宝塚ファミリーランドなど)も、平成生まれの新しい巨大テーマパークのあおりで、近年閉園しており(南海みさき公園や京阪ひらかたパークは健闘しているようですが、昔の面影はありません)、ここでも上記の書店と同様の力学構造が見られます。昭和の世界がどんどん消えていきますねえ。

 

井上ひさし等

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月 6日(日)17時44分27秒
返信・引用
  井上ひさしっていうと新宿紀伊国屋書店にねんじゅう流れていた館内放送
「ピンポンパンポン
皆様にお知らせです。本日紀伊国屋ホールで上演予定の○○は井上ひさし氏の脚本未完成のため、上演は延期となりました。
ピンポンパンポン」
を思い出します。
あの真ん丸メガネ、そのまま「ひょっこりひょうたん島」のキャラクターっぽいです。
もう一度、見てみたいですね。ひょっこりひょうたん島。
しかし千葉県市川市国分に住んでいたとは・・・。あのへんたまにに散歩していたんですが。


昔のデパートは、東京のターミナルデパートも地方都市のデパートも屋上は小さな遊園地になっていましたね。夏になると必ず「アロハオエ」が流れて、そして時にはフラダンスのダンサーやハワイアンのバンドが来て「即席ハワイ」になっていました。大人はダンサーやハワイアン演奏にハマっていましたが、私はなぜかフラダンサーやバンドマンの悲哀のようなものを感じたものです。屋上のすぐ下の食堂ってお子様ランチのほか、チョコレートパフェとかクリームソーダとかいろいろありました。一度ここでヨソの子にインネンをつけられたこともありました。
 今で言えばアミューズメント性の高いアウトレットモールなどに相当する世界だったのかも。やや金のかかる享楽的非日常な世界に居て、そしてタクシーで家に帰ってきたときにはやはり「我が家」という何かほっとした気持ちもしたものです。映画館にいって映画を見てきた後(ディズニーアニメやジャングル大帝、ムーミンなどだったりした)の「まだ映画の中にいる気分」とはやはり違っていました。
 

Re: 深田亨情報

 投稿者:深田亨  投稿日:2014年 4月 6日(日)08時32分8秒
返信・引用
  管理人さま
ご紹介ありがとうございます。
荒蝦夷さんの本は、東北災害のあと、『激励の言葉より本を売る!』 http://kikanchiiki.net/contents/?p=862 と、いち早く神戸の海文堂書店がフェアを開催し、その後も扱っていたのですが、残念なことに海文堂そのものが去年閉店してしまいました。
最近、神戸新聞に「海文堂書店”復活”を神戸市が検討」という記事が載りましたが、読んでみるとどうやら海文堂そのものではなく、元町商店街に本屋さんができるように基金を検討するという内容のようでした。
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201404/0006837871.shtml
そういえば久元神戸市長は市長選挙の街頭演説で、よく海文堂のことを言っていたのを思い出しました。
 

「空白シリーズ」完読

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 6日(日)00時45分49秒
返信・引用 編集済
   荒巻義雄『空白の大涅槃』(ノンノベル、85)読了し、<空白シリーズ>全8巻完読しましたー! ふう。
 最終巻の本書は、意外によかったです(小説的にはさらにぐだぐだ化しているのですが)。このアンビバレンツな感じ、どう言ったらよいのか。ちょっと表現がむずかしい。
 ということで、参考に、ネットでどういう評価なのか、検索してみました。案の定、感想的なものは全くヒットしません。唯一見つけられたのがここなのですが、よく読み込んでおられて参考になりました。「ここに流れる時間は、“現代”とも“現実”とも異なる、いわば 『神聖代』や『時の葦船』 に共通した幻の時間なのである」というのは、なるほど、と思いました。
 その意味では上記した「小説的にはさらにぐだぐだ化」という感想は、エンタメ的観点にとらわれ過ぎなのかも。著者は、普通は守るべき「近代小説的な約束事」をあえて破ったのかもしれません。しかしそれも単に結果論なのかも。という次第で、隔靴掻痒感がありなかなか結論的に言うことがためらわれます。いっそ、第1巻から読み返そうか、とも思いましたが、リンク先で述べられているように、途中から作者の意図が変わってしまっているわけで、それもあんまり意味なさそう*。ま、それは宿題(いつか読み返す)として、とりあえず今回は、これを持って読み終わりとしたいと思います。
*読み返すのがためらわれる理由として、なんでもかんでも「伝播」で解釈してしまうのがちょっと、ということもあるんですよね。伝播論は超古代史家はみなその立場なのですが、人間はぜんぶホモサピエンスなのですから同じ心的構造を有していて当然なのです。たとえば天に神様がいるという観念は、どの民族にもあり、それはメソポタミアかどこかから、全世界に伝播していったわけではなく、人間の心的構造が共通しているからにほかなりません。たとえばピラミッドが(もし)日本で発見されたとしても、それはエジプトから伝わったものと考えるほうが恣意的なんですね。シリーズの前半は、むしろそういう超古代知識のひけらかしが主眼だったわけですが、そこから著者の関心が、次第に、ちょっと独特な、反近代小説的な世界構築に移行していった、という感じでしょうか。

追記。あ、リンク先の書評、だれかと思えば岡本俊弥さん(のSFアドベンチャーでの書評)ですね。「よく読み込んでおられ」て当然なのでした(^^)
 

Re: スポーツテーマなど

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 5日(土)20時21分47秒
返信・引用 編集済
  > No.5302[元記事へ]

トマトさん
 拝読しました。絵もお上手なんですね。トマイさんの顔、私が想像していたとおりでした(^^)

>私は何が何でもカレースパゲティが食べたかったんです
 ああ分かりますねえ。私はトマトさんよりいくつか歳上だと思うのですが、スパゲッチーたらいう洋食は、家ではまず出なかったですね(出てもせいぜいケチャップをからませただけのが、刻んだキャベツの横にちょこっと添えられていたくらい)。スパゲティはターミナルのデパートの屋上の遊園地(昔はかなり大掛かりな施設でした)につれていってもらったとき、その一階下の大食堂で食べることができるもので、あこがれの食べ物でした(でも大抵は紙の旗つきのお子様ランチでしたが)(^^;。

「ひょうたん島は死後の世界だった」
 なるほど、そうだったのか! そうと知って回想しますと、より作品が味わい深く感じられてきますね。
 ところで、この新聞切り抜きの画像自体は、検索したらいろいろなところで見つけられますね。しかし、切り抜き記事の出典情報の記載がどこにも皆無です。読売新聞10月12日付らしいことはわかったのですが、何年の10月12日なのかが分かりません。読売内検索でも引っかかりませんでした。記事の文脈から、井上ひさしが亡くなる(2010年4月9日)以前であることは推測できるのですが。出典情報の記載ってとても大事なことなんですけどね。最近はそういう当たりまえのことを、あまり気にしない風潮なのでしょうか。
       ↓クリックで拡大(元ツイート
 

スポーツテーマなど

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月 4日(金)18時38分7秒
返信・引用 編集済
  そういえば、スポーツテーマって、今は本当にNHK位になってしまいました。しかしあれは昭和の響きですね・・・。

まだ電柱が丸太で、笠の下で白熱電球が道を照らしている昭和の町の、お茶の間のテレビから聞こえてきた響きですね・・・。
 官舎アパートの近くのエム牛乳店もK八百屋も銭湯A湯ももうなくなったけど、K鮮魚店だけは今でも残っているらしい・・・ということです。

  そういえば最近なにか各地に存在していたあの濃厚な「巨人っ」オーラ、かなり薄れていますね。というよりJリーグなどに取って代わって野球熱が薄れているのかも?
  子供の頃、都内にいるおじさんの家に何日か泊まりそのおじさんが後楽園での巨人戦に連れて行ってくれたことあったんです。そのとき、なにか濃厚な「巨人っ」ていうそれは濃厚なオーラであたり全体覆われていましたのを思い出しました。
でも一番印象に残っているのが実は後楽園のレストランで食べたカレースパゲッティなんです。おじさんは
「なんだ、お前、エビフライとかもっといいもの頼めよ。」
というけど、私は何が何でもカレースパゲティが食べたかったんです。
ゆでて時間のたったこしのないスパゲティの上にぼてーっと糊っぽいカレーがかかっていて、いかにも昭和の味わいでした。


  オハナシなんですが・・・。

挿し絵付き(笑)↓

http://porcini.web.fc2.com/tomai004.html

  隣のトマイさん?戸舞さんちのご主人、あの戸舞賛歌はなんというか、今で言えば空気が読めないKYの見本のような人だった。
  だからウチの親たちはだいぶ戸舞さんちとの付き合いに難儀したんじゃないのかなぁ…と思うのだ。よく父が西隣を見ながら
「…また隣のオヤジ、こっちを見ていやがる。」
という。すると母が
「…ヤダねーっ。」
と応じる。でも、だ。でも近所づきあいで角を立てるほうがもっとイヤだ。だから黙ってあの戸舞賛歌さんとは距離を置くしかなかった。
 確かに戸舞賛歌はよく人の家のほうをじろじろと観察するように見ていたことってあった。あの視線ってイヤだった。しかしイヤだから露骨にバーンとカーテンを閉めたりすると角が立つというのでそのままにして我慢していた。すると戸舞賛歌はアレコレ批評している。そのさま、自分は一歩高いところから君たち世間を観察しては誤っているところを指摘して何が正しいか教えてやってもいいぞっ、といった雰囲気なのだ。一方それをウチラから見れば、何も解らないくせに偉そうに他人のことをあれこれキメツケて…という感じでなんとも不快なのだ。そしてそんな環境下であの戸舞賛歌の名句
「…世間ではピンクレディとかいうアメリカの歌手に引きずられているようだが、戦後日本は進駐軍の持ち込んだアメリカの低俗文化に引き摺られていく形で堕落していったというその様相が…。」
が生まれたのだけど…。

 そうあいえば母は私や姉に「隣のあの人、何するかわからないから気をつけてね。」と言ったことを思い出した。
「何するかわからないって?」
と子供の私がたずねると
「人を刺すかもしれない人だから…。」
と言ったのだ。かなり前から母は戸舞賛歌には警戒していた。が子供の私には解らない。ただ二階の部屋から戸舞賛歌の部屋を覗くとキッときつく睨みつけられたことがある。だからこの人には近寄らないように、つまり「触らぬ神に祟り無し)だなぁ…と本能的に感じては子供の私も戸舞賛歌に距離を置き始めたのかもしれないが、母の
「あの人、人を刺すかもしれない。」
という不安が実現しかけた事件が後になっと起きたのである。

 あれは無理を言ってラジカセを買ってもらったときのことだ。もちろん姉と私と二人で一台だが、そのラジカセが父の懇意にしている電気店からやってきたあの日のことだ。それは梅雨末期のどんよりと曇った蒸し暑い週末の昼下がりのことだ。
 我が家の二階には私と姉、そしてピンクレディのカセットテープを持ってきてくれた姉の友達Aちゃんが居た。段ボールを剥いてラジカセの姿を現すと、取扱説明書も読まずにアダプターをコンセントに差込み、そしてピンクレディが入っているというテープをラジカセに挿入した。ちなみにこの時点で隣のトマイさんちからは例によってクラシック音楽があふれ出していて、私や姉の部屋にも侵入していた。がそれがあまりにも日常的なことなので誰もそのことを気に留めなかった。隣からクラシック音楽が溢れてくるということはあの怖い戸舞賛歌がご在宅という事なのだが…しかしそんななことは私たちは誰も気に留めなかったのである。
  そしてラジカセのボリュームをかなり大きくして、そして再生ボタンを押した。
「♪♪ 男は狼なのっよ。気をつけなさーいー♪」
とピンクレディがラジカセからかなりの音量であふれ出した。
いきなりドンという何かこぶしで机を叩くような鈍い音がしたと思ったら
「うるさい!! 辞めてくれ!!」
という女性の悲鳴のような戸舞賛歌の絶叫があたりの空間に響き渡った。
並大抵の迫力ではなかった。わたしたちは全身に電気が流れるような衝撃を感じ、そして絶句してしまった。まもなく母が二階に上がってきて、
「だから言ったでしょ。あの人、もう静かにしなさい。」
とひそひそ声でいった上で、姉の友達Aちゃんには
「今日はもう帰りなさい。」
といった。

 となりに戸舞さんち一家がきたのは私たち一家がこの東松原の家に引っ越して四年目?だったのではないかと思う。それまで西隣は農地のままで、私と姉との遊び場だった。姉に友達ができると姉は敷物をもってこの西隣の農地でママゴトを始めた。するとこの農地の持ち主のお婆さんが目を細めて姉に農地になっているキュウリなんかをくれたものだ。姉や姉の友達はおもちゃの包丁で器用にスライスしていった。実はこの頃私もこの姉主催のママゴトに参加させられていたのである。
 がある日突然このママゴト会場である農地に重機が入り、そこにあったお茶の木などをなぎ倒していった。私たちはこの土地を当然自分たちの領土だとおもっていたら即刻重機を動かしていた作業員に厳重抗議をしたうえで石を投げつけた。するとこの作業員は本気で私たちを怒鳴りつけた上に母のところにも詰め寄った。おかげで私たちはその後父と母にもうんと怒られた。
 その後コンクリートミキサー車がきたり、作業員がおちんちん丸出しで立小便をしているのを姉が目撃しては
「やーだ、ちんこ出しているっ。」
なんて顔をしかめたこともあった。さらに母が台所で夕飯の準備をしていると、いきなり角材が流し台の上のガラスを突き抜けて台所内に侵入し、母が血相を変えて
「どういうことなの?なんとかしないよーっ。」
とヒステリックに作業員を怒鳴りつけたこともあった。また茶の間にいると、作業員が隣の敷地からウチの庭に侵入しては水道の蛇口をひねって水を飲んだこともあった。それを見ていた父が
「おい、人の敷地に入ってくるな。」
と怒鳴ったこともあった。つまり我が家と隣の敷地との間には塀もフェンスも何もなかったのである。

 がやがて隣の家が完成するにつれて、うちの敷地と隣との間にも金網のフェンスが出来た。ブロック塀ではなく金網のしかも高さがせいぜい一メートルぐらいのものだ。
 そして夏のある日、隣に家族が引っ越してきた。まだ下では引越し作業員が家具を運んでいる。一方二階では細身で長身のおじさんがクラシック音楽をかなりの音量で流し、そのクラシック音楽の中で段ボールから大きくて重そうな本を何冊も取り出しては壁に作りつけられた本棚に並べていた。あの光景がまるで昨日のようだ。

 戸舞さんの奥さんはちょっと広末涼子たみいな感じの人で、例の我が家との間に出来た金網のフェンスに何かを植え始めた。
「何を植えてるの?」
と聴くと、奥さんは
「ジャスミンだよ。」
と笑顔で応えてくれた。
また戸舞さんちの台所からぷーんとパンが焼ける好いにおいがしてきたことがある。姉は戸舞さんから焼きたてのパンをもらってきたりして、時々戸舞家で開催されているパン焼き教室に姉も受講していたこともあった。そういえば奥さんの実家から送られてきたという静岡名物の「黒はんぺん」をもらったこともある。あれは子供からすると不味い食べ物だった。
  またウチの姉主催の例のママゴトも開催場所を我が家の庭に移して継続中だったが、このママゴトに戸舞さんちの香織ちゃんも参加していたこともある。こうして我が家と戸舞さんちの奥さんや香織ちゃんとの交流は自然な形で生まれたのである。 が戸舞賛歌がこれに不快感を感じて我が家との交流を禁じたのもおそらく事実だろう。

そしてあの夏の日、香織ちゃんが転校してきた真澄ちゃんからヤンソン(明星だか平凡付録の歌本)を借りてみていたことに戸舞賛歌が見つけ
「お前もこんなもの見ていたのかっ。」
と怒鳴りつけ、
「こういうものをこうしてくれるっ。」
と破き捨てるというあの事件が起きた。
「お父さんなんて大嫌いっ。」
というすさまじい香織ちゃんの叫び声、そして
「やめて。やめて。」
と泣きながら戸舞賛歌を静止する隣の奥さん詩織さんの声が我が家にも響き渡り、その晩は母と姉の合作であるオムライスだったにもかかわらず、私たち一家まで食事は喉を通らなかった。

  隣の戸舞賛歌の家で何かが大きく変わり、そしてその余波がわたしたちのところまで押しかけてきた。
一方学校では校長先生が朝礼で
「戸舞さんのお父さんから戸舞さんのお父さんが書かれた本を贈呈していただきました。」
と広報するなど、隣の戸舞賛歌という異質な存在は、学校の先生たちにとっては立派な人物という評価だったのだ。
まもなく例の戸舞家と我が家と隔てる金網のフェンスにジャスミンのつるが移そうと茂り、一年に何度もあの白く芳しい花をつけ始めた。そしてその白い花の向こうからは例によってクラシック音楽があふれ出していた。私や香織ちゃんはもう中学生になっていた。香織ちゃんはネクラ少女で通っていたが、二年生の初夏の中体連の応援を契機にみんなの奈かな友達デビューした。それから香織ちゃんはあの息が詰まりそうな戸舞賛歌が居る戸舞家にはほとんど居ないで(奇しくも私が六歳まで過ごした官舎アパート近くの)S先輩のところに入り浸りだった。私が官舎近くの本屋に立ち読みに出かけると、レモンイエローのTシャツにスカイブルーのデニムショートパンツ姿という到底戸舞賛歌が許しそうもない格好の香織ちゃんが、S先輩といっしょにフライングディスクをしているのを官舎アパート近くでよく見かけた。がしかし香織ちゃん、家に帰ってくるときは学校指定のイモい白い半そでシャツに紺ブルマ姿なのだ。
 そんなある日、制服姿の香織ちゃんがジャスミンの生垣をまたいて我が家の敷地の中に入り、そして立っていた。
「どうしたの?」
とたずねると、
「今日はお父さんが居ないはずだったのだけど、お父さんが帰ってきちゃった。」
という。とっさに私は香織ちゃんを戸舞賛歌から匿わなければ…と思い、家の中に入れてあげようとしたが、しかし香織ちゃんは裸足だったのである。そこに姉が来て、姉が香織ちゃんを茶の間に通して、そして二階から自分のTシャツやら短パンやらを持ってきては
「お風呂場でこれに着替えてきたら?」
と言ったことがあった。そしてこっそりと香織ちゃんは自分の自転車を持ち出し、そしてS先輩たちのほうへと向かった…のだと思う。 たしかに香織ちゃんとの交流は戸舞賛歌にバレないようにしなければならなかった。
がこの年の秋にはもう戸舞賛歌によってウチラと香織ちゃんとの交流は遮断されてしまう事になるのだが…。前にも話したとおりにある初秋の夜、戸舞賛歌の
「おい、登山靴履いて待っていろ。何度も言わせるな。」
という怒鳴り声が聞こえた。そっと隣を見ると、もうあたりは暗いというのに戸舞さんが香織ちゃんに
「だまって付いて来い。」
と怒鳴ってどこかあっちのほう…愛宕山という里山のほう…に歩いていってしまった。それから一時間半ぐらいして戸舞賛歌と香織ちゃんが帰ってきた音がしたので、そっと聞き耳を立てていると、戸舞賛歌が
「ここにはこんなにいい本があるじゃないか…。これでも読んでみろ。」
という戸舞賛歌のやさしそうな声が聞こえてきた。それから香織ちゃんはまたもとの自閉症に戻ってしまい、私たちが声を掛けてもただ黙っているだけになってしまったのだ。 が一方中学でも戸舞賛歌は自分の書いた本を学校にプレゼントするので、先生たちは戸舞賛歌をエライ人だと思っていた。そのことが何か余計変な風にこじれて詩織さん…隣さんの奥さんや香織ちゃんを苦しめることになっていたのかも?しれない。
一度隣の奥さん詩織さんが香織ちゃんに
「ねぇママと一緒に静岡のおばあちゃんのところに行く?もうお父さんと一緒に居るの、イヤじゃない?」
と話していたことを聴いたことがある。??
 

深田亨情報

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 4日(金)12時46分41秒
返信・引用 編集済
   深田亨さんのブログによりますと、
「第3回みちのく怪談コンテストで佳作に選んでいただいた作品が「仙台学15号」(発行:荒蝦夷)に掲載された。作品そのものはみちのく怪談コンテストのブログでこれまでにも読むことができたが、仙台学には選考会の様子が掲載されている」とのこと。
 なにはともあれ、電脳サイトで読めるとはいえ、商業雑誌の誌面に作品が掲げられるのとでは、意味合いが全然違いますよね。それだけで大変めでたいことです。おめでとうございます(^^)。
                     元サイト
 

 

眉村さん情報:近刊情報

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 3日(木)23時24分20秒
返信・引用 編集済
   眉村さん6月刊行エッセイ集の告知が、出版芸術社よりなされました!
                ↓
 元ツイート

 出版芸術社のサイトでも↓
 出版芸術社


 先年出されたエッセイ集『しょーもない、コキ』の続巻といってもよいかも。
『しょーもない、コキ』は俳句誌《渦》と短歌誌《あめつち》に連載されたエッセイが収録されているのですが、その後も両誌での連載は継続しているそうで、それが又1冊分溜まったので、今回、刊行の運びとなったものと思われます。

 それにしても『歳月パラパラ』とは、上手いタイトルですねえ。学生時代の眉村さんが、教科書やノートの端っこにパラパラ漫画を描いて遊んだという話を読んだことがあるのですが、今ちょっと該当作品を思い出せません。複数篇存在すると思います(小説にもあったと思います)。ご教示いただけると幸甚です。

 それから、5月刊行予定ときいていました双葉文庫『疲れた社員たち』ですが、今確認したところ、双葉社の「新刊発売カレンダー」に掲載されていましたので、こちらも確定となりました(^^)→2014年05月 の刊行予定表

 

Re: ひょっこりひょうたん島

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 3日(木)20時47分18秒
返信・引用 編集済
  > No.5298[元記事へ]

トマトさん
>youtube
 探して見つからないものはありませんよね。いい時代になりました。

 昨日は帰宅が早かったので、久しぶりに野球でも見ようかと、6チャンネル(ABC)をつけたところ、なんといいますか、野球中継なのかABCのアナウンサーの顔見世番組なのか、よくわからんとんでもないシロモノが放送されていまして、がっかりして消してしまったのでした。後刻、阪神が大勝していたことを知りましたが、私同様さっさと消してしまい、勝利の美酒に酔うことができず、あとで悔しがった視聴者も多かったのではないでしょうか。
 これなどまさに、トマトさんが言われた「余計な味付け」の典型例でしたね。
 野球ファンは、ただ単純に試合の生中継を観たいのであって、ABCのアナウンサーが大挙して阪神勝利祈願に神社へ行ったことなど、どうでもいいのです。そんなの勝手にやってなはれ、なのであって、それをわざわざ、中継(可能)時間を削ってまで観せる必要はない。それがたとえ攻守入れ替えの時間だったとしても、それだったらグランドでのその攻守交代の様子を写してくれたほうが、プロ野球ファンとしては、そっちのほうがはるかに嬉しいのではないでしょうか。
 そういえば、昔の野球中継は、オープニングテーマとともに、すぐにグラウンドが映しだされて始まりましたが、最近は「詰まらなく凝った」オープニング映像が何分も映されます。たとえばこんな風に。
 

 ところが視聴者は、こんなつまらない映像(ショートドラマ)はいらんのです。すぐにグラウンドを映してほしいのです。
 かつては、それぞれの放送局で決まったオープニング曲がありました。
 以下順番に、NHK、朝日、読売(ニッポン放送)
 
 
 

 これらのオープニングテーマがすこしずつ音量が落とされ、代わりにグラウンドでの打撃の音や捕球の音、ざわざわとした観客席の音が拾われ、そしてアナウンサーがおもむろに、
「全国一千万のプロ野球ファンの皆さま、こんばんは」
 という具合に、実況が始まったものでした。
 これで、ええやないですか。なぜにつまらない「余計な味付け」にこだわるかなあ。こんな擬似物語にまみれたテレビ放送を見て育った子供が、おとなになって(以下略)(汗)
(ボクシングはもっとヒドイですけどね。亀田の試合なんか、延々と1時間くらい。こんな似非物語が流れますから、それよりかはマシっちゃマシなんですが)。

 追記。あ、そうそう。トマトさん、遠慮されているのかもしれませんが、掲示板にyoutubeを貼り付けてくださって、全然オッケーですからね。面白い動画がありましたら、どんどんアップしてご紹介下さいね(^^)。

 

ひょっこりひょうたん島

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月 3日(木)19時36分55秒
返信・引用
  YouTubeにこんな画像があったんですね。いい時代になりました。
YouTubeにはB面のZenzenブルースもありました。しかそしYouTubeがあるなんで、いい世の中になりました。
しかしあの時代、ひょっこりひょうたん島はそれこそ国民皆視聴番組でした。



 

Re: 阪神のチアガール?

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 2日(水)21時10分30秒
返信・引用 編集済
  > No.5296[元記事へ]

トマトさん
 拝読しました。今回はトマトワールドの原風景篇というか、見取り図的なオハナシでしたね。
 中山千夏というと、私の場合、まず「ひょっこりひょうたん島」の博士ですね。それがとつぜん、歌番組にきれいなおねえさんで登場してびっくりしました。

>阪神にチアガールが付いていたこともあったんですか。
 私も全く知らなかったんですが、36年前に1年だけ存在していたみたいです。こちらによれば、
「1978年にチアガールを結成したものの、この年阪神は球団初の最下位に。そのため「縁起が悪い」と1年限りで解散している」
 わはは。今年が36年前の二の舞いにならなければいいのですが。
 1978年の阪神て、どんなチームだったんだろうと気になってきました。→1978年阪神スタメン
 おお、ラインバックやブリーデンが頑張っていたのか。掛布や田淵もいて、成績はともかく、これはこれでひとつの黄金時代でしたね。

 さて、荒巻義雄『空白のメソポタミア』(ノンノベル、85)読了。
 いよいよ最終巻『空白の大涅槃』に着手。こうなったら意地です(^^;
 

 

阪神のチアガール?

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月 2日(水)20時04分17秒
返信・引用 編集済
  パタリロ、懐かしいっと思ったら、なんと今でも連載続いているんですね!!まるでサーガやローダンみたい。
しかしタ阪神にチアガールが付いていたこともあったんですか。
私は普段は野球に関心はないけど、阪神がリーグで勝ち進むと突然阪神ファンになります。これは父の上司の影響かも?やっぱり六甲おろしがいいです。?



「あなたの心に」の頃の中山千夏と、SFの変遷(小保方さんみたいに一部事実、一部捏造および改ざん)

中山千夏というと、あの政治的思想から私はなんかイヤなんだけど、しかしあの頃、「あなたの心に」のヒットを飛ばしたころのふのシングル盤の写真のイメージは鮮鋭だった。長い髪と膝にワッペンを詩集したジーンズにプリントTシャツ、まさにらあの時代のお姉さんだったのである。

http://kanoyama.tistory.com/789


 そして私の身近にもそんなお姉さんがいた。近所にいた従姉妹の三人のお姉さんたちだ。彼女たちの家は私が六歳まで過ごした観音寺町にある官舎アパートから十数メートルのところにある一軒家だ。日当たりのいい部屋に足踏みミシンが置いてあり、お姉さんたちがジーンズに刺繍をしていた?ことは覚えている。
私もまるで自分の家のようによくこのお姉さんの家にいったし、お姉さんたちもまるで自分の家のように私の家(官舎アパートの三階)にきていた。
 この三人のお姉さん、私が小学校に入学する前後、それぞれ中学生だったりした。そんなわけでわたしが始めて見ていた雑誌というのがセブンティーンだったり花とゆめなどの少女コミック誌だったりしたのである。
 やがて私たち一家はこの官舎を出て徒歩で十分強のところにある一軒家に引っ越した。当時は農地のなかに家が点在する東松原という町だったが私たちがこの家に引っ越してからも三人のお姉さんはよくこの家にも来たものだ。ときにてんぷらなどを持って、あるいは時になんとなく遊びにこの家に来てくれた。そしてわたしも自転車で彼女たちの家に行ったものだ。自転車だと本当にすぐだ。私がお姉さんの家に居てよく遅くなり、夕飯までご馳走になるなんてねんじゅうだった。
 中山千夏の「あなたの心に」のシングル盤のジャケットを見たのもその頃だった・・・と思う。三人のお姉さんはギターを持っていて、そしてギターを弾きながら「あなたの心に」を歌ってくれた?ような記憶がある。この中山千夏のジーパンにワッペンが付いていたので、足踏みミシンでワッペンを縫いつけようとしたところ、うまくいかなかったことも覚えている。
 この時代…というと、まだ大阪万博の直前だったと思う。大阪万博はそれは大きなエポックだったが、さて、SFマガジンでも大きな変化が起きた。というのもあの久野四郎の名作「ガラスのわら人形」の載っていた1969 年一月号の翌月号で福島編集長が「覆面座談会」を掲載し、そしてSFマガジン編集長を降りなければならなかったのだ。といっても福島編集長の影響力はその後も存在しつづけたのではないかと思う。
 が例のペリーローダンシリーズというものが商業的に大きな存在となったころからSFマガジンそのものの雰囲気も変わっていったのではないか・・・。ペリーローダンは私にはまったく会わない読み物だったが、しかし同級生のIくんにとっては「これぞSFの中のSF」であり「出現することが期待されて出現するべきくして出現したもの」なのだそうだ。おさらくI君に言わせれば、久野四郎の「ガラスのわら人形」や石川喬司の「夢書房シリーズ」などはSFではないのだろう。にしてもその頃、つまりアグネスチャンが「草原の輝き」や「妖精の歌」なんかを歌っていた頃、私はSFというものをまったくといっていいほど知らなかった。
 がその頃我が家の隣でも大きな変化が起きた。西隣の農地に突然家が建ったのである。そして東大卒の博物館員が引っ越してきた。戸舞賛歌だ。となりの戸舞さんが引っ越してきたから我が家は常にクラシック音楽に被曝することになる。そういえば確かにその頃から例の従姉妹の三人のお姉さんは我が家に来なくなったし、わたしも三人のお姉さんの家には行かなかった。というのもお姉さんたちが県外の大学に進学したりなんだりしたからである。私がSFというものに出会ったのはそれから少しして中学に入ってからだ。通学路に「夢書房」という古本屋がある。「いかにも古本屋」という古ぼけた店だ。ここのなんだか貧相で神経質そうなオヤジは「作家」であり、店番をしながら原稿用紙の上にペンを走らせていた。が全国区の文学賞は受賞したという話は聞いたことはない。毎回投稿していればそのうち必ずくれるという地方紙の文学賞はもらったという話は聞いたが、しかしこのオヤジ、とっつきにくかった。がこの店でSFマガジンに出会い、まず「ガラスのわら人形」そのつぎに「世界みすてりとぴっくす」そしてその濃縮品ともいえる「未来の記憶」に出会ったのである。未来の記憶って聖書のエゼギエル書に宇宙人が飛来した記述だとしているものであり、1960年代のSFマガジンにその一部が載っていたのである。これを夢書房で立ち読みしたとき、かび臭い古本屋の店内がある種郷愁すら感じる歴史ロマン宇宙ロマンかに彩られたのである。 ちなみに当時の私はぜんぜん知らなかったけど、ちょうどその頃、繁華街の新本屋では角川文庫の「未来の記憶」が売られていたという。(あとでハヤカワ版未来の記憶もあることも判明した。)

  で三人のお姉さん、うち二人は千葉都民(二人とも同じ常磐線沿線)、あとの一人は埼玉県民(西武池袋線沿線)となっている。たまにはお姉さんたち三人と新宿のルフランあたりで会いたいと思うのだが・・・。
で三人のお姉さんの親御さんも千葉都民となっていたが、お父様の方は何年か前から北関東のお寺の墓地内の住民となってしまった。いろいろかわいがってもらったのにこれといって恩返しも出来なかった。冥福を祈るばかりだ。
 

Re: ダーウィンが来るはず、ないでしょ。(笑)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 4月 1日(火)21時49分1秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
>余計な味付けしないで素材の持ち味をそのままに
 おっしゃるとおりですね。小保方さんが、こうした方が見やすくなるだろうと考えて(考えたんでしょう)画像に手を加えたのと同じで、「余計なこと」をしているんですね。阪神タイガースが何十年ぶりかでチアガールを復活させたのですが、これなんかも、だれも望んでいないサービスです。チアガールがいて1勝3敗よりも、チアガール無しで3勝1敗のほうが、なんぼかファンは喜びます(>おい)(^^;

>ほかに「はなとゆめ」なんかが日常的に茶の間に普通にありました
 お目当ては「パタリロ」だったんでしょうか。私の周囲にも、読んでいる男がいましたねえ(笑)
 私は雑誌連載では読んでなくて、本になってから借りて読みました。
 ギャグ漫画では、同時期に「マカロニほうれん荘」がありました。こちらは大変気に入りまして、連載時点から少年チャンピオンで読んでました。

 日本の6割、無人地域に 2050年、国交省試算
 この風景いいですなあ。田中光二ワールドではないですか(^^;。この目でぜひ見てみたいところですが、35年後か。たぶん生きて見ることは無理そうなので、このテーマで田中光二に書いてほしいです。

 いっぽう、こんな記事も。
 日本の人口「移民で1億人維持可能」 政府、本格議論へ
 うーむ。いわば多民族国家ニッポンの図。こっちもなかなか魅力的な未来です。これはやはり川又千秋で読みたいですよねえ!

 田中光二も川又千秋も、近年このようなタイプの作品を発表しませんね。
 

ダーウィンが来るはず、ないでしょ。(笑)

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 4月 1日(火)19時41分38秒
返信・引用
  「ダーウィンが来た」ってたくさんの予算と労力をかけて映像とってきたんだから、余計な味付けしないで素材の持ち味をそのままに受信料払っているみんなに見せてほしいって思うんですが…。
あの番組、高価な「ほんしめじ」を煮るのに砂糖とみりんを入れ過ぎてさらに大量の濃い口しょうゆと、カツオだしと山椒を投入してはぜんぜんおかしな味になっちゃったような、そんな番組かも?科学番組だったら土曜日の昼にやっているサイエンスゼロのほうがまだすっきり後味がいいんですが…。 そういえばウチは明星、平凡のほかに「はなとゆめ」なんかが日常的に茶の間に普通にありました。テレビアニメも「魔法使いサリー」「リボンの騎士」などがほとんどでしたねー。


  しかしスーパーの138円シメジは温泉場の朝市などで売っている松茸に準ずる価格の本シメジは別な種類なんです。スーパーのシメジはブナシメジやハタケシメジという種類で、本シメジはホンシメジという全然別な種類で、味もホンシメジのほうがぐっと美味しいですね。
本シメジネタで親父の話があるんですが、本シメジは毎年同じ時期に同じ場所に必ず生えるけど、場所を絶対に他人には教えないんです。  
 



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