ヘリコニア過去ログ1406


眉村さん情報:日経新聞連載

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月30日(月)21時52分39秒
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   まず、6月30日発売予定だった眉村さんの新刊『歳月パラパラ』ですが、すこし遅れているようです。装幀関係で遅れている模様です。いましばらく(1〜2週間?)お待ちくださいませ。

 ということで本題。日本経済新聞夕刊に、7月4日(金)から週一連載で、眉村さんのエッセイが掲載されるそうです。あ、今週ではありませんか。
 掲載されるのは「あすへの話題」というコーナーで、「各界の著名人たちが、思い思いのテーマで熱く語る」コーナーとのこと(下画像参照)。これは楽しみ。みなさん、ご期待ください(^^)
 私も忘れないようにしなければ。というのは他でもありません。いま確認したところ、電子版は「有料会員」でなければ閲覧できないみたいなのです。
 私は日経を購読していないので、販売店で購入しなければなりません(コンビニは夕刊を取り扱っておりませんのでご注意)。
 ところがどうも当市には日経の販売店がないらしい(何たる田舎。隣市にはある)。そのかわりASAで取り扱っていることがわかったのですが、ASAでも日経を余分に置いているものでしょうか。ちょっと心配。予め確認しておいたほうが無難かも。
 

 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月29日(日)21時33分16秒
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  > No.5583[元記事へ]

トマトさん
>女子高ってきれいな子かわいい子がモテモテみたいですね。
 私は1年だけ静岡に住んでいたのですが、女子校内だけではなく、概して静岡は美人が多いという印象を持ちました(理由は後述)。
 顔相が畿内人とは根本的に違う(と感じられる)のです。たぶん骨相自体が異なっていて、それは人種的な相違に由来するものではないかと想像しています。
 静岡人は縄文人があまり混血せずかなり純粋なまま現代まで続いているんでしょう。一方畿内人はベース弥生人で、しかもそれに更に百済系渡来人がかぶさっています(瓜実顔で目の細い平安美人は明らかに半島系ないし北方大陸系)。
 現代は平安時代と違って、二重まぶたのクリっとした大きな目が好まれる傾向があります(その理由は分かりません。欧米人の骨相に縄文人のほうが似ているからかも。つまりアメリカ文化に染まった現代日本人のコンプレックスかも)。結果、弥生系より縄文系の顔を、美人と無意識に判定してしまう自動性が働き、私にも働いたのだと思うのですが、もとよりクリっとした目が細い目より進化論的に優れているわけではなく*、豊田有恒の『モンゴルの残光』のような並行世界では、目が細く釣り上がって、乗馬に適したガニマタ体型が美人の条件となっているはずですね(^^;
*むしろ今後ニッポンが熱帯化し陽射しが強烈化すれば、大きな目は不利となり遮光器土偶のような目に進化していくかもしれませんが(^^;

>大学の研究室でコイルを巻いた宇宙人と交信しようとした
 おおそのコイル、テスラコイルだったのでは?
 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月29日(日)10時17分6秒
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  美保純は静岡の精華ですね!!
常葉の近くの親戚は精華出身で、常葉の生徒に会うのが嫌だったらしいです。ちなみに精華も常葉も女子高ですが、し女子高ってきれいな子かわいい子がモテモテみたいですね。


私がデニケンの「未来の記憶」を始めてみたのが中学の頃で、例の気難しいオヤジがいる古本屋で、背表紙がいい加減日焼けしたSFMバックナンバーで見付けたのが最初です。当時は頭から信じ込んで自宅茶の間でその正当性を主張したものです(笑)
でこの「未来の記憶」は早川書房が法的に版権取得した松谷健二訳(ローダン翻訳で有名ですね。)によるオフィシャルなもので、その後早川書房から「未来の記憶」として新書版が出たけどかなりブレイクしないで終わったようです。しかしその後ピンクレデイがブレイクした頃、角川書店から同じ松谷健二訳が文庫本になりベストセラーになったようです。
 コレとは別に多分アダムスキー翻訳で有名な久保田八郎訳によるCPAガリ版のものが「神々の戦車」としてCPA会員に限定的に配られたのかもしれません。(だとすると英訳されたものを和訳したのでは?)でなかったら松村雄亮氏がやっていたCBAインターナショナル系の団体かも?(久保田八郎は松村雄亮から袂を分けたみたいですね。)
 でかつて某大学で講師をしていたという人が、以前松村氏とともにCBAにいて、その人は大学の研究室でコイルを巻いた宇宙人と交信しようとしたとかで大学を追い出されたらしいのですが、この不思議な人にデニケンの「神々の戦車」(未来の記憶と同じもの)非版権取得非松谷健二訳のガリ版のものを高円寺が中野かどこかの古くて汚い喫茶店で見せてもらった記憶があります。それは日焼けして古くてぼろぼろになったものでした。彼の話ではデニケンの著作は本来は一部の特別な知識をもった人たちのみに公開されるべきもので、角川文庫として代替的にベストセラーになって公にされるべきはものではないとかなんとか言っていました。彼はその方面では有名人でしたね。このCBAは、新宿の中華料理屋で結成された「空飛ぶ円盤研究会」とは別系統なものみたいですね。ほかにも千葉県内や埼玉の浦和界隈に「地域の公民館を会場とした」小規模のUFО研究会がかなり古くから存在していたみたいです。私が大学生だった1980年代にもこのグループは細々と存在していて、私も誘われて顔を出したことがあります。

 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月28日(土)22時47分3秒
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  > No.5581[元記事へ]

トマトさん
>あの二人は静岡の常葉学園出身なんですが…(親戚が常葉のそばに住んでいて、生徒たちがギャーギャーうるさくてかなわなかったそうです。)
 美保純の姉が高校で同級生だったそうで、この二人はもう最初から目立っていたんですってね*。プロデビューが殆んど既定事実とみなされていたみたいです。――と、いつだったかサンテレビナイターの前番組である《5時に夢中》で、美保純が喋っていました(当時、全然かなわないと思ったそうです。美保純も昔はそこそこ美人でしたけどね)。
*(えーと、この高校って共学ですか? 当然共学ですよね。念のため検索したら、なんと女子校だった。同性がキャーキャー騒いでいたのか@@)。

>民間UFО研究団体がそれ以前にドイツより「未来の記憶」原書を取り寄せドイツ語を訳して「神々の戦車」というガリ版刷りの本を発行していたそうです。
 それは興味深いです。民間UFО研究団体って、星新一や三島由紀夫が入っていた日本空飛ぶ円盤研究会でしょうか。と思って、高井さんブログ経由で、日本空飛ぶ円盤研究会のサイトと機関誌《宇宙機》の全書影を閲覧してみましたが、手がかりになるようなことは見つけられませんでした。(日本空飛ぶ円盤研究会以外にも数団体あったみたいですが、そっちは確認していません)
 なんば甲南チケット前
 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月28日(土)20時51分39秒
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  梅雨だからしょうがないんですが、最近の雨はうわさで聞いたB29の爆撃を髣髴させる(古い!)ものですね。

私は管理人さんと六歳から七歳ぐらい年齢差があるようですね。(国立)大学入試は一期校二期校(古い!!)時代が終わって共通一次(これも古い!!)とかいうものの二回か三回目小学校の遠足で皆で浅丘めぐみの「アルプスの少女」だとかアグネスチャンの「草原の輝き」をバスの中で歌っていました。ピンクレディは中学から高校の頃で、それは大きなエポックでした。ピンクレディは男子にも女子にも人気があって、凄かったですね。あの二人は静岡の常葉学園出身なんですが…(親戚が常葉のそばに住んでいて、生徒たちがギャーギャーうるさくてかなわなかったそうです。)
デニケンもピンクレディがブレイクしていたあの頃一般人の間でブレイクしました。当時はマイタケがスーパーで売られていなくて、父が職場(役所の出張所)でもらってきた頃です。このデニケン日本初上陸は邦題「未来の記憶」松谷健二訳1969年早川書房刊であると一般には知られていますが、なんと民間UFО研究団体がそれ以前にドイツより「未来の記憶」原書を取り寄せドイツ語を訳して「神々の戦車」というガリ版刷りの本を発行していたそうです。今でもこの「神々の戦車」が残っているかどうかわからないですが、残っていたら「次元の本」みたいに百万円という価格が付くかもしれませんね。

 
 

Re: 鏡明のサーフィンSF

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月27日(金)18時04分56秒
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  > No.5577[元記事へ]

高井さん
>「カリフォルニア・ゲーム」ですね。
>分量的には長編ではなくて、中編あるいは長めの短編ですね。
>新書のページ数にして、80ページ弱
 あ、そんな程度の長さでしたか。3回か4回分載だったな、というのは覚えていて、それでてっきり長編だと思い込んでしまっていたのかもしれません。
 アンソロジーに収録されていたというのは初めて知りました。
『てめえらそこをどきやがれ!』というアンソロジーは知っていましたけど、タイトルが不快で(ベストセラー作家の驕りが感じられて、あとそんなのをタイトルに採用してしまう版元の阿りも嫌で)、チェックすることもしなかったんだった、ということを思い出しました。「あんさんわるおますけどそことおしておくんなましへえおおきに」だったら、少なくとも書店で手にはしたと思うんですけどねえ(>おい)(^^;

 アマゾンで見たらとんでもない値付けですね。しかし府立図書館にあるようです。ただし当地からは遠く、車で往復3時間かかり、気合を入れないと、ちょっと行く気にならないのですが、少なくとも読むことはできることがわかったので、ほっとひと安心です。ご教示ありがとうございました。

段野さん
>もう家族特典(!)は使えません
 いやいやぜんぜん大丈夫です。警察の身内主義はそんな半端じゃありません。なんたって警視庁捜査一家ですからね(>違)(^^;

 

小説現代

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月27日(金)13時58分59秒
返信・引用
  たまたま、新聞広告で、「小説現代」7月号の見出しを見つけました。それによると、椎名誠のロングインタビュー「SFは帰っていきたい場所でした。」とあります。内容を読んでいないので、全く分からないのでした。  

≪なにわ≫

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月27日(金)13時52分11秒
返信・引用 編集済
  管理人様
「なにわ」にないとすると、もう家族特典(!)は使えません。悪しからず、ご了承のほど、よろしくお願い致します。
失礼しました。
 

Re: 鏡明のサーフィンSF

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 6月27日(金)07時12分8秒
返信・引用
  > No.5576[元記事へ]

>  以前にも書き込みましたけど、鏡明が奇想天外だったかSFアドベンチャーだったかに連載した長篇で、宇宙の辺境の星でサーフィンをする話があり、鏡にはめずらしくちゃんと完結しているのですが(^^;、なぜか単行本化されなかった(はず)。
「カリフォルニア・ゲーム」ですね。懐かしい〜。
 調べてみました。「奇想天外」1981年5月号、7月号、9月号に分載されています。分量的には長編ではなくて、中編あるいは長めの短編ですね。で、アンソロジー『てめえらそこをどきやがれ! 「奇想天外」傑作選』(大陸書房/1988年刊)に収録されています。新書のページ数にして、80ページ弱です。
 

鏡明のサーフィンSF

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月27日(金)00時40分20秒
返信・引用
   

 以前にも書き込みましたけど、鏡明が奇想天外だったかSFアドベンチャーだったかに連載した長篇で、宇宙の辺境の星でサーフィンをする話があり、鏡にはめずらしくちゃんと完結しているのですが(^^;、なぜか単行本化されなかった(はず)。ストーリーはもはや完全忘却なのですが、なかなか面白かったという好印象の記憶は残っていて、もう一度読んでみたいんですよねえ。
 上の動画を視聴していて、又そのことを思い出しました。(^^;)
 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月26日(木)21時14分48秒
返信・引用 編集済
  > No.5574[元記事へ]

トマトさん
 おお、お宝ですね(^^)。それにしてもピンクレディがかなりお気に入りだったみたいですね。作品にもケイちゃん(似)がよく登場しますよね。
>1967年というと私がまだ幼稚園児
 私は小6でした。年齢差が(少なくとも)6年あります。この年頃では1歳違うだけで、見ていたテレビなどは殆んど別世界ですよね。
 ピンクレディが一世を風靡した70年代後半は、私はすでに大学生なので、もちろん嫌いではなかったですがずいぶん醒めた感じで見ていました。
 私の世代は麻丘めぐみ、浅田美代子、(天地真理)がアイドルの時代ですね(天地真理をなぜ括弧で括ったのかというと、私自身はさほど好きではなかったからです(^^;)

>当時はこの内容を家中ほぼ全員が本気で信じていました
 それもすごいですね(^^;
 私はデニケンにははまらなかったです。チャールズ・フォートの二番煎じみたいで。といってフォートを読んだことはなく、フォートの説をSF作家が援用しているので知っているだけなのですが、そういう次第で、デニケンが書いているような内容は、デニケンの著作が翻訳されだした時には、すでにSF読者は知っていて、さほど新味さはなかったんじゃないでしょうか。
 →元記事
 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月26日(木)18時01分7秒
返信・引用 編集済
  > No.5567[元記事へ]

1967年というと私がまだ幼稚園児、一家は官舎アパートに住んでいた頃で、当時は白黒テレビでした。
官舎アパートのなかでもカラーテレビのお宅があり、そこで鉄腕アトムやリボンの騎士だとか見るど感動でした。だっで色がついているんだもの。(久野四郎風の言い方)




幻の名著、二冊出てきました。

幻の名著というよりあの頃の「バイブル」だったのがこの本、「アイドルの歌テレビの歌全曲集」。お値段はバイブルらしく380円。ピンクレディなどのアイドルの歌からかぐや姫などフォーク、ロック、洋楽からテレビ番組の主題歌やCMの(文明堂のカステラ一番の歌だとか小林旭の赤いトラクターとか)からプロ野球球団の歌まで載っている、というまさしく「真実の音楽の教科書&バイブル」だった。がプロ野球球団の歌が載っているのになぜか「六甲おろし」が載っていないのだ。また基本的に演歌も載っていない。美空ひばりや北島三郎の歌は皆無だからクールファイブや八代亜紀などあるはずもない。
表紙はピンクレディ。そして本文には写真イラスト多数あり、日々このリリカルなイラストを眺めて青春時代をすごしていた…というわけです。が永らく本棚においてあった目に背表紙は完全にUVでやられていて、背表紙のピンクレディの顔も色褪せています。
もう一つはいわゆる「トンデモ本」の一種、「太古の宇宙人」。不朽のトンデモ本の名著「未来の記憶」と同じ作者によるもので、これは1500円という中学生にとっては高価格の本であったが、本屋で内容を覚えるほど立ち読みしてしまったもの。表紙カバーの装丁はあの時代らしく横尾忠則によるものでしょう。当時はこの内容を家中ほぼ全員が本気で信じていました。この本は20年ぐらい前に神田神保町パチンコ屋「人生劇場」近くの古書店で5000円オーバーという値段が付いていたのを覚えています。

 

プロ野球界のスペースカウボーイ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月25日(水)23時15分47秒
返信・引用 編集済
   福原(37)、安藤(36)、加藤(35)の救援三羽烏に建山(37)が加わり、三塁に西岡(1か月後に30歳)、右翼に福留(37)が復帰(新井弟、今成は登録抹消)、捕手も鶴岡(37)の一軍登録が決まって藤井(38)との盤石のオッサン体制(梅野は?)、阪神はまさにプロ野球界の「スペースカウボーイ」となって、老人軍団で捲土重来を期するようです。(ついでに言えばエース能見は35歳。なんとあの(過去の人)井川と同学年なんですってね。最近知ってびっくり)
 いや素晴らしい。これはもう、高齢化ニッポンのオジサンたちに勇気と希望を与えずにはおきません。
 私もそのひとりとして、GMと和田さんの大英断を熱烈支持したいと思います。何が何でも優勝してもらいましょう。来年以降? そんなのは知らん(>監督の気持ちを代弁しました)
(ーー;

 

Re: ≪なにわ≫

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月24日(火)21時42分2秒
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  > No.5571[元記事へ]

段野さん
>なかった、とのことです
 そうでしたか。調査ご苦労さまでした。
 しかし、そのおかげで「10年後の昼食風景」は《なにわ》には掲載されなかった、ということが分かりました。こういう外堀を埋めていく作業はとても大事なことで、一歩前進ですね(^^)。

>長野県警だけのお話なのでしょうか
 それは一概には決めつけられませんね。
 もし「10年後の昼食風景」が《旭の友》から直接注文されたものならそうなりますが、現状では「共通記事」の可能性はまだ消えたわけではありません。他の警察本部の機関誌を確認しなければわからないです。

 昨日、大伴昌司の毎中新聞での連載について触れましたが、それで或る毎中連載小説を思い出しました。その小説は琵琶湖の堅田の海賊(海賊ではないな。水賊? 湖賊?)である堅田衆の話で、ご存知のように琵琶湖は琵琶湖大橋のところですぼまっていて、その湖西側が堅田なんですが、堅田衆はこの海峡(水峡? 湖峡?)部分を押さえて、水運税みたいなのを課していたようです(瀬戸内海の塩飽水軍みたいな感じ?)。という設定はよく記憶しているのですが、ストーリーはサッパリと忘れ去っています。それどころか作者名も全く甦ってきません。有名な作家名だったのは覚えています。なんとなく新田次郎かな、城山三郎だったかな、という、かすかな気配が残っていまして、いろいろ検索してみたのですが、全然引っかからないのでした。毎小毎中新聞の連載小説リストなんか、ネットに当然ありそうに思うのですが、ないんですねえ。
 こういうところは、SFはめぐまれています。検索してみて分からないということはまずありません。SFファンはリストを作ったりするのが好きなんでしょうね。それは体験的に判ります(>おい)(^^;。というか、ジャンル小説は枠が決まっているのでリストを作りやすいのかもしれません(たぶんミステリもそう)。
 閑話休題。という次第で、堅田衆小説の作者名、タイトルは不明のまま、という気持ち悪い状態になってしまいました。ご存じの方はいらっしゃいませんかねえ。ご教示頂けますと嬉しいです。

 

≪なにわ≫

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月24日(火)14時09分4秒
返信・引用
  管理人様
「なにわ」のバックナンバーを探して貰っていましたが、昭和47年から57年まで、範囲を広げて見てもらいましたが、なかった、とのことです。作者のお名前をちゃんと告げ、先方も復唱されてのうえです。長野県警だけのお話なのでしょうか。
ともあれ、ご報告です。
 

上田豊太さん:毎日新聞連載開始

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月23日(月)22時52分37秒
返信・引用 編集済
  > No.5569[元記事へ]

 堀さん
>ハードSFとは……なんて話せませんよ
 あ、そうなんですか。じゃあ、どうしようかな・・

 さて標記の件、上田豊太さんよりメールを頂きました。眉村さんを囲む会には、名張より遠路にも関わらず毎回出席して下さっている上田さんですが、このたび、毎日新聞(名張版)にて連載を始められたとのことです! パチパチパチパチ、おめでとうございます(^^)
 切り抜きの画像を送って頂きました。
    ↓クリックで拡大
 

 このように「少年探偵シリーズ」をダイジェストしたものに、ご自身で挿絵を付けられているんですね。絵が雰囲気ピッタリです(^^)。
 ところで思ったのですが、これって、昔、大伴昌司が毎日中学生新聞に連載していたSF名作ダイジェストの「乱歩版」ですよね。大昔、私は、むさぼるように大伴の連載を読み、大人物のSFへのあこがれを大いにふくらませたものでした。→大伴昌司編『世界SF名作集』(毎日新聞少年少女シリーズ)
 上田さんのこの連載で、私と同じように、いつか大人になったら乱歩を読みたい、と、あこがれに胸をふくらませる子どもたちが出てくるのではないでしょうか。よい仕事をしていただきたいです(そして子どもたちが初めてドキドキで購入したオリジナル乱歩が、「陰獣」や「人間椅子」ではないことを祈ります)(>おい!)(^^;

 毎日新聞デジタルに上田さんの記事がありました→抄録「少年探偵団」〜乱歩生誕120年:乱歩世界への橋渡しに 文・挿絵、上田豊太さんに聞く /三重
 しかしこの記事、登録していないと読めないみたいなので、コピペしておきましょう。
     ↓クリックで拡大
 

 追記。メールによりますと、上田さんはWebライターもされているそうです→ホンシェルジュ

 

Re: 堀晃さん情報:文芸講演会

 投稿者:堀 晃  投稿日:2014年 6月23日(月)08時02分20秒
返信・引用
  > No.5568[元記事へ]

わ、えらいものを発見されてる。
これは地域にオープンの市民講座みたいなもので、柏木学長がぼくの学友ということで引き受けたもの。
ハードSFとは……なんて話せませんよ。
(ここに来られるような方に)わざわざおいでいただくようなものではありませんので。
 

堀晃さん情報:文芸講演会

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月23日(月)00時34分18秒
返信・引用
   ハッケーン!!(^^) これは楽しみ。でも演題が見当たりませんね。まだ決まっていない?
      ↓  リンク先に詳細あります(申し込みフォームも)→こちら
元ツイート

 


 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月22日(日)21時29分13秒
返信・引用 編集済
  > No.5566[元記事へ]

トマトさん
>動画の運命、神業ですね
 ヒットしたのは1967年、私が小学6年のときで、大変な衝撃でした(ちなみに東京ロマンチカ「小樽のひとよ」も67年)。
 日本がまだ御三家(プラス加山雄三)の時代ですからね(末期ですが)。御三家の一人である橋幸夫の「恋のメキシカン・ロック」が同じく1967年ですが、この曲が日本ではラテン・ロックとみなされていたんでしょうか(失笑)。まあ、それが当時の歌謡曲のレベルだったわけです(汗)
 そんなレベルのテレビの歌謡曲番組に、突如あらわれて演奏したわけですから、小学生にとっては「なんじゃこりゃー!!」。まさにネ申でしたね。海外でもこんなパフォーマンスをするアーチストはいなかったんではないでしょうか(ニューロックやプログレは69年以降)。

>紅白の主役は相良直美や美空ひばりだったあのころ
 そういえば佐良直美の紅白初出場が1967年でした。ブルコメも67年初出場ですから、この年を境に流れが変わる一種の「転換期」の年だったのかも。

   ★ラテン・ロック対決*
       ↓
 
 

 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月22日(日)14時13分23秒
返信・引用 編集済
  動画の運命、神業ですね。レキントギターの鶴岡雅義さんにも運命をやってほしいです。



おお!!金壱百萬円也!!

次元の本、グループレダ

私も詳しいこともよくわからないんですが、たしか1980年代ごく初期に小田急線沿線の上北沢かどこかの個人宅が本部だったマイナー精神世界グループだったんじゃないかと思います。本郷の東大構内などで小さな集まりを開いていたようです。ヤフオクではノーシスという他のマイナー精神世界グループの機関紙とともに8万で出品されていて、高いなぁ…と思っていましたが、アマゾンでは金壱百萬円也とは!!絶句!!

 普段だったら絶対に食べられない最高級さくらんぼ山形産佐藤錦一級品本来だったら新宿伊勢丹にて桐箱入り三万円也の一部。バックはこの高級さくらんぼに相応しい名作「ガラスのわら人形」掲載のSFマガジン。


で、オハナシです。

 本八幡恵比寿激安センター物語

 誰もが不思議に思う本八幡、ここは千葉県なのに東京都営新宿線が走っている。この本八幡を含めた千葉県市川市はドイツ文学のメッカと呼ばれている。理由は日本を代表するドイツ文学者の一人である中野孝次が千葉県市川市須和田で生まれたことによる。市川市須和田だが高級住宅地市川市国府台に隣接するガラスのわら人形的住宅地だ。つまり中野孝次は目前に広がるマイバッハやランボルギーニが行きかう市川市国府台を見て育ち、自分の住んでいる町はマイバッハやランボルギーニはおろかダイハツタントですら手が出ないという環境に育った。そんな中野孝次はいつしか故郷を離れたい(離郷心)、ドイツ語でHekskd(←でたらめドイツ語)という気持ちが生じた。反対に故郷に帰りたいという気持ちをドイツ語でheimrichという。
 そんなドイツ文学のメッカである千葉県市川市にあってさらに『教養の城、知識の御殿、も理想の図書館』と呼ばれているのがJR本八幡駅西口に聳える摩天楼「恵比寿卸売り激安センター」だ。ここでは多分マイバッハやランボルギーニで伊勢丹に乗り付けるような人たちの口にしか入らないであろう静岡産桐箱入り高級アールスメロンが九百八十円で、山形産桐箱入り高級さくらんぼが千六百八十円で売られていたりする。つまりガラスのわら人形的アパートの住民でもこれらの高級食材を食べることが出来るというものだ。
 そしてこの恵比寿激安センターに勤務しているのがピンクレディのケィ似のH田さんというお姉さん、実際はお姉さんと呼べる歳ではないものの、そのオーラはお姉さんなのである。彼女はよくショートパンツを好んではいてくる。この店の制服であるエプロンのしたにはショートパンツに包まれたプリンプリンのお尻が存在し、多くの人びとは彼女のお尻を見ることが店を訪れる大きな楽しみとなっている。

 さて、この本八幡の激安センター、営業時間は午前十時から午後八時奈窓となっているが客層は主婦が圧倒的に多いので、夕方六時以降は各フロアがらがらである。するとこに異空間が広がる。時の流れが水あめのようにゆっくりとねっとりと粘度を帯び、店員である近くの低偏差値女子高の停学中のギャル生徒とアバズレおばさんとの会話などがそのねっとりとした時間と空間に花咲くことになる。そしてそこに例のピンクレディケィ似のH田さんやYさんも今日入荷した新宿伊勢丹店頭に並んでいたらしい静岡産アールスメロンや山形産砂糖錦さくらんぼの話がちらほら咲くようになる。つまりへ移転後にこれらの高級フルーツを皆で味わおうという美しいお話なのである。この会話、なんともドイツ文学的でここが市川市本八幡、一歩外に出れば風俗店のネオンが煌くいかがわしい町であるとこを忘れさせてくれるのだ。
 さて、恵比寿激安センターは全部で六階建てとなっている。一階は賞味期限切れ食品、二階は賞味期限切れカップめんや缶詰、三階は六十八円均一ショップ、四階は家電や家庭雑貨、五階が衣類など、そして六階はたまり人が来ないけど古美術工芸品と事務所があるのだ。さて、店の営業時間が終わったH田さんとYさんはショートパンツ姿になってこの六階までいった。するとそこには「未来の記憶」に出てきそうな遺跡から発掘されたОパーツが並んでいた。突然天井の電灯が大きく輝くと、そこが紫色の空になった。つまりこの恵比寿激安センタービルの天井が紫色の異星の空となったのだ。あたりには巨人が何体か立っている。どういう巨人かというとあの日本史の教科書にのっている遮光器土偶のような巨人だ。ショートパンツ姿のH田さんとYさんは不思議な懐かしさを感じた。そしてまだ赤いランドセルを背負っているあのころにかえったような錯覚に陥った。そして気が付くとそこは葱坊主が靡く市川市と松戸市との間の農村風景だった。そしてH田さんYさんはまだ赤いランドセルを背負っているあの頃に戻ったのである。こうしてふたりは再び人生をやり直すチャンスが与えられた。今度はと千葉県職員と結婚して平凡ながらも幸福な家庭を築くというチャンスだ。時代はまだ昭和、紅白の主役は相良直美や美空ひばりだったあのころだ。





 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月21日(土)22時08分59秒
返信・引用
  > No.5564[元記事へ]

トマトさん
>売るとなると買い叩かれますね。
 学生時代の私が、もし今の時代にタイムスリップしてブックオフに売りに来たら、あまりの安さにフンガイして全部持ち帰っちゃうでしょうね。当時は、単行本だと定価の2掛けくらいで買い取ってもらえましたから。
 もっとも、そのかわり買値も安くなって、大抵100円で手に入りますから、差し引きしたら今の時代のほうが私はよいですねえ(^^;

>そういえばBOOK・OFFの店員が書いた
 ええっ!? あの作者の方ってブックオフなのですか。それははじめて知りました。

 ところで画像の『次元の本』って何なんですか? アマゾンを見たら100万円の値付けですね→Amazon

 
 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月21日(土)21時03分55秒
返信・引用 編集済
  > No.5563[元記事へ]

単行本一冊50円で売れたというのはBOOK・OFFにしては高く買い取りましたね。
ロレックスが2000円とか、売るとなると買い叩かれますね。

そういえばBOOK・OFFの店員が書いた
「今日の早川さん」
というコミック、ありましたね。
 

ブックオフに売る

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月20日(金)21時55分5秒
返信・引用 編集済
   ようやく、ブックオフに売りに行ってきました(参照)。
 売れた内訳は、
 文庫 20円x23冊=460円
 文庫 10円x12冊=120円
 新書 10円x10冊=100円
 新書   5円x 5冊= 25円
 単行本     1冊  50円
 単行本10円x 5冊=  50円 

 計56冊 805円でした。平均単価14.3円。
(ーー;
 新書のワリが悪いです。持って行った本では、新書に比較的最近の本が多かったので、解せんなあ。新書のほうが相場が安いということでしょうか。

 あ、解せんといえば、買ってくれなかった本が10数冊あって、それはいつもそのくらいは売れないのがあって想定内なのですが(処分してくださいと置いてきましたが)、そのなかに『虚構機関』が含まれていたのは意外でした。まだ6年にもならないたった1回しか読んでいない美本だったんですよ。どういう基準なんでしょうかねえ。

 ところで、新書本はチェックや書き込みをせっせと消しゴムで消したことを先に書き込みましたが(あ、消したあとがバレて安く見積もられたのかな)、その作業中、やっぱり文字列を自然と読んでしまうわけです。で、『ネオリベラリズムの精神分析』を作業していたら、これがなかなか面白い。7年前に読了したばかりなのに、全く覚えていないのは何ともはやですが(^^; 丁度第一次安倍内閣の頃で、本書の裏テーマが安部批判なんですね。それがいま読むと、その批判が非常に的確で、現安倍内閣にも通用するものなんです。というわけで、売るのをやめて読みなおすことにしました。現在70頁まで。

 そうそう、売って得た805円は、その後入った喫茶店で使い切っちゃいましたー(哀号)
 
 

「されどわれらが日々」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月19日(木)23時43分6秒
返信・引用 編集済
  柴田翔『されどわれらが日々――』(文藝春秋、64)読了。

 旭屋のレシートが挟まっていて、購入したのが71年5月3日であることが判る。たぶん数日内に読み終わったと思われます。それからすれば43年ぶりの再読(でもそれから一度読み返したことがあったかも)。*ちなみに71年5月1日発行で69刷。ベストセラーですな。
 うーん。読み返さないほうがよかったかも。当時は大感動したストーリーが、いま読み返すと全くロマネスクさを感じられないのでした。ただ単なる「若気の至り」を大仰に描いているだけと見えなくもなく、高橋和巳が洗面器の水で溺れていると揶揄されましたが、それは本書にも言えそう。
 初読時は、小説内のような世界は、まだ未踏の、未知の世界だったわけです。しかしそういう世界は、つとに通り過ぎてしまいました。で、遥かに通り過ぎてしまった地点から振り返ったのが、今回の再読といえます。上記はその地点での感想ということになるわけですね。
 その意味では、非常に内容がよくわかった(初読時は表面しか読んでなかった)。あからさまに言ってしまえば、要するに主人公の男(私)は結局最後まで、現実に一定の距離をおいたままちっとも変化せず(当時の言葉でいえば投企せず)認識するだけ。そんな(冷たい)男に愛想尽かして女は青い鳥を追いかけて去って行ってしまう話ですね。ロマネスクどころか、いま読めばアンチ・ロマネスクでした。うむ。そう読めば、面白いといえますね(^^;。
 この男に対する、作者の立ち位置が曖昧なのです。自虐なのかストレートなのか。この男女は後の作品にも必ず姿を見せますが、もうちょっと相対化されています。その意味でもたしかに処女作で、のちの作品への可能性がすべてここに詰まっているのだけれども、それがまだ十全に考え盡されていないように感じられました。
*ひょっとしたら、初読時は男のそういう態度を肯定的に読んでいたかも(ーー;
 著者は70年代で筆を折っており、私は全著作を所持していると思っていましたが、ウィキペディアによると、90年代に突如2冊小説を出しているようです。それは持っていません。それも読みたい気がしますが、まあとりあえず今回は、一旦、これにて柴田翔棚卸し完了とします。
『われら戦友たち』がベストで、次に『鳥の影』がよかった。(ウィキペディアは『燕のいる風景』をエッセイに含めていますが間違い。創作です)

追記。当作品では、山村工作隊体験が深刻な後遺症を登場人物たちに負わせます。小松左京が述べているのとはえらい違いです。小松がわざと軽く書いているのか。まあ小松は大人だったんでしょうね。
補足。あ、山村工作隊体験ではなくて、山村工作隊(武装蜂起路線)を否定した六全協体験が深刻な心的外傷をもたらしたのでした。工作隊(もしくは中核自衛隊)自体の日々は「単調」と書かれていますから、小松の記述も素直に読んでよいのかも。
 

keyesとkeys

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月19日(木)20時53分59秒
返信・引用
  > No.5560[元記事へ]

トマトさん
>異次元空間が口を開けて待っている
 あのジョン・カーターは、再び異次元空間が開くのを、20年間も待ち続けたのでしたよね。それに比べたらトマトさんはよくアッチへ行けている方かも(^^;

 森下さんのブログで、ダニエル・キイスは、正確にはダニエル・キイズ(Daniel Keyes)と発音するのだと知り、ただちに思ったのが、アリシア・キーズと同姓なのか、ということでした。
 しかし調べてみると、アリシア・キーズは Alicia Keys でした。keys は key の複数形ですが、 もしkeyes もkey の複数形だとしたら、高齋正と高斎正の関係みたいになるんですが、ネットでざっと見た限りでは分かりませんでした。なんとなく keyes は keys の古形もしくは格式張った表現のような気がするんですけどねえ。
 しかし、ことわが国においては、ヴォートはヴォークト、アジモフはアシモフ、レンスターはラインスター、ゲーテはギョエテと、非発音主義(表記主義)で一貫しているので、別に訂正される必要はありませんね(>おい)(^^;
(あ、でもデル・リイはいつの間にかデル・レイなんだよね)

 

Re: 嫌われる上司

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月19日(木)09時25分46秒
返信・引用 編集済
  管理人さん、おはようございます(*^^*)
今からいろんな人に合って交渉しなくちゃならないんですが、そういうときって意外にも就眠儀式が成功したりします。ショーパン年増美女、勤務先http://www.absya.com/motohatiman.htmに異次元空間が口を開けて待っているとか(>_<)

http://www.absya.com/abssyoukai.htm
こんばんは。
今日は忙しくて就眠儀式は無理でした。(>_<)
 

嫌われる上司

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月18日(水)22時31分0秒
返信・引用 編集済
  > No.5558[元記事へ]

トマトさん
 おお、ラストきれいに終わりましたね。あ、でも終わっちゃったらあきませんがな。三美人がかの地で遭遇したエピソードがもっといろいろあるんじゃないですか? 連載してほしかったです(^^;
 しかし熱帯でショーパン禁止とはこれいかに。まさに悪法ですねえ。現在の日本で反クールビズ法みたいな法案が国会を通過したがごとしではありませんか。
 これには国民は怒ったと思います。当然ショパ禁法反対の大合唱が澎湃として湧き起こり、革命が起こり……で、国王はあわてて飛行機で脱出しようとしたのですが、故障で田んぼに不時着。目撃した土民たち(クソ暑いのに長袖・長ズボン・ネクタイ着用)が集まってきて、水田に足を取られて立ち往生していた国王は、土民たちに寄ってたかって竹槍で突き殺されてしまった、とか、そんな事件は起きなかったんでしょうか?(>おい)(^^;

 どうも和田の采配には疑問を感じてしまうのですよね。今日だって好投の岩田を簡単に替えてしまいました。解説の金本が首を傾げてましたよね。見切りが早いというかガマンできないというか。
 案の定、火に油を注ぐ結果となったわけですが、結果は結果です。それよりもあの文脈シチュエーションにおいて投手交替は如何だったのかということ。思い返せば、やはり好投していたメッセや能見も同じパターンでした。少なくともメッセや能見はエースなんですから、ドンと構えて、この試合お前にまかせた一蓮托生じゃ、という信頼感を示さなければならなかったと思います。たぶん星野ならそうする。逆にあざとすぎて嫌な面もあるのですが、とにかくそれで負けたら投手も納得しますが、今日みたいな結果になると、投手は信用されてないのかと不満にもなりモチベーションが下がってしまうはずです。自信も付かない。
 同様に今日は大和が9番でしたが、ころころと入れ替えすぎ。今成など三塁手1年生なのに右翼に戻されたり、新井弟も右翼を守ったりと日替わりメニュー。慣れないポジションの疲労は半端ではないはず。あれでは選手は大成しませんよね。それどころか来季は使い物にならなくなっているかもしれません。
 そういえば去年は突然鳥谷が4番に抜擢されて「彼こそ4番にふさわしい」とかいって衆目の失笑をかったのでした。
 とりあえず監督にどっしり腰の座ったところがない。こちゃこちゃといじくるのですが、一貫した方針がないからあとにつながっていかず又元に戻ったりする。今成や大和みたいにそれに振り回される選手が出てくる。
 これは一体どういうことなのか。
 おそらく監督がグラウンドを見ず、上を見て試合を取り仕切っているんだろうと思います。
「オレはこんなに考えて采配しているんだ」と上に向けてのアピールだけなんですね。たぶんGMなどからいろいろ思いつきのアイデアなどを吹き込まれるんでしょう。鳥谷の件なんかたぶんそうだったんではないか。星野や岡田だったら黙殺するところを、それを律儀に、というか小心翼々と現場に反映させるので、一貫性がなくなってしまう。
 そんなのは選手は敏感に感じているはずです。今日も大和が盗塁死したとき、和田が抗議に行くのですが(それも猛然とダッシュしていくのではなくトロトロ小走りに)、これもポーズなんですね。だから当の大和はさっさとベンチに戻ってしまう。ベンチの選手も「おっさん、もうええから早よ試合しようぜ」という感じでうんざりと眺めている。
 要するに部下に最も嫌われる上司の典型が、いまの和田ではないでしょうか。

 

市川ヘッセ

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月18日(水)14時26分32秒
返信・引用
  管理人さん、こんにちは。

人に合わなくちゃならなくて「就眠儀式なんて無理だろう」とおもっていても、ふと簡単に入っていけるここ二、三日です。

それであの「市川ヘッセ」続きでしたね(^_^)v

千葉県市川市、あの『イカにも御堅いドイツ文学者』といった感じの中野幸次の出身地のためにドイツ文学のメッカといわれているところだ。
その市川市のJR総武線本八幡駅西口、つまり新宿寄りに「ドイツ文学の聖地、教養の城知識の御殿」と呼ばれている激安センター「ABS卸売りセンター本八幡店」がある。ここにピンクレデイのケイ似のH田さんが勤務している。ABS卸売りセンターの征服であるストライプスのエプロンの下はショートパンツ姿だ。頬齢線が魅力的な年季の入ったH田さん、はいているショートパンツがジーンズであればハイウエストのものだったらあるいはチノクロスのものやナイロンのものだったりする。そんなわけで彼女が1980年代にユーミンやサザンとともに青春を過ごしたことがわかる。一緒にこのABSに勤務しているYさんもH田さんと同じぐらいの年の所帯もちではない頬齢線ショーパン美女だ。彼女もチノクロスなどのショーパン姿、そして子のふたりが住んである安アパート「H本荘」の大家もこのふたりと同じぐらいの年頃の所帯無し美女、ハイウエストのジーンズショートパンツを好んではいている。

  でABSに勤めている二人が仕事が終わってH本荘に帰ってくると、H本荘大家のH本さんとともに近くの銭湯「弁天湯」へと行くのが慣わしだった。つまりショートパンツに包まれた三つのお尻とキレイな足を鑑賞できるというのだからまったくお堅いドイツ文学的だ。
 さて、この本八幡北口にいかにも中野孝次的あるいはお堅いドイツ文学的な古書店「ワイ書店」がある。ここはNHKFMでやっている「FMクラシックアワー」が店内に流れている。いかにもお堅いドイツ文学が好きそうな青年が店を任されている。この青年が例のショートパンツ姿が魅力的な三人美女のお尻に股間へ指揮権発動したかどうかは定かではないが、とにかくとある初夏の宵、三人のショーパン美女が銭湯「弁天湯」から出てきた。大家のH本さんはハイウエストジーンズのショーパン、ABS店員のYさんはチノクロスのベージュのショーパン、そしてABS店員ピンクレデイのケィ似のH田さんはナイロン製ゴムウエストショーパンだ。そして三人はガラスのわら人形風年季の入った安普請アパート、H本荘へと向かっていたのだがいつのまにか杉並区阿佐ヶ谷へと迷い込んでしまったというオハナシは前回した。そして阿佐ヶ谷にありながらあまりにも有名な阿佐谷北口「田坂眼科医院」の看板の大きな目が瞬きするのを目撃してしまった。それに驚愕して大声を出してもうダッシュで走ると、今度は馬橋神社の赤鳥居の前に来てしまったという話だ。拝殿の中に入ると、そこはまだ熱帯だった頃の日本で、バナナが実をつけてたいる。その当時の日本は「お○んた王朝」オチンチン国王の統治下だった。オチンチン国王は少女のような姿をしているがおちんちんもあり、さらにCカップのオッパイも備えている。つまり両性具有者であり、アダムスキーのお話に出てくる金星人のようなものだ。オチンチン国王は白い石で出来た神殿にはいるとね空は紫色に輝き始め、北斗七星はひしゃくになり、かつて七十年代の「ブルボンチョコリエール」のCMのように北斗七星がひしゃくになって、そこからテンパリングされたメルトクーベルチュールチョコレートがおちんちん国王の持つ金の陽気に流れ込んだ。おちんちん国王はそれでトリュフチョコレートを作り、民にそのトリュフチョコレートを与えていた。

  その光景を本八幡駅東口銭湯「弁天湯」帰りのショーパン美女三名も目撃した。何しろ彼女たちは銭湯帰りなので洗面器やタオル、石鹸なども持っていた。あまりに息の呑む光景なので、おちんちん国王が民に配るトリュフチョコレートを拾って食べてしまった。ABSで売られている賞味期限切れのものとは違って洋酒の香りがすばらしかった。しかしこの国ではショートパンツは禁止されたのである。それはこの国…まだ熱帯だったころの日本の国会で「ショートパンツ禁止法案」が可決成立してしまったからだ。そのためにこのショーパン美女三人は逮捕されてしまったのだ。 逮捕され警察署で三人は取調べを受けた。そこで本八幡の弁天湯から上がってH本荘に帰ろうとしたら道に迷ってしまったと供述したが信じてもらえず、留置されることになった。どういうわけかとても清潔でホテル並みの留置所で、食事は調理師免許のある留置者がつくるのでおいしいチンジャオロースがたくさん出た。小食のHさんは食べきれないほどだった。しかしそれが恐ろしい事態を招く。裁判で有罪手判決になったら小食のH田さんは胃が破裂するほどの大量のチンジャオロースを食べなければならないという。 そして翌日、送検、そこで弁護士と接見があった。この日の当番弁護士はショートパンツ法案に反対している仲間泉水という女弁護士だ。名前の通り仲間由紀恵と坂井泉水に似ている。彼女は理想の弁護士でもあるので魔法が使えた。そして三人に釈放命令を出した。よって三人は釈放されたが、しかし今度は民の好奇の視線を浴びることになった。何しろこの国はショートパンツ禁止法案がアクティブなのだから…。途方にくれていると、向こうに東京都杉並区の標識が描かれた電柱が見えた。するとそこは阿佐谷南であり、杉並区役所のすぐそばだった。そしてねじめ正一のやっている民芸屋のある商店街を通り、「国電」阿佐ヶ谷駅向こうの阿佐ヶ谷北にいく。たそがれ時だったので田坂眼科の看板の目が瞬きする。そして馬橋神社の赤鳥居を潜る。旧日本軍の軍服に身を包んでおじさんが拝殿の中には案内してまくれる。するとそこはJR本八幡東口と保護分のところにあるH本荘の大家、H本さんの部屋の茶の間だった。 年増三人のショートパンツ美女、これから先も人生生きていかなくちゃならない。書体がない代わりに自由を得られた三人はこれから先の人生、どう生きていこうか…荘と方にくれると、本八幡には珍しく、天の川が夜空を壮麗に横切っていた。
そしてABC卸売りセンターの賞味期限切れ激安緑茶をいれた。

 ?
 

「贈る言葉」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月17日(火)21時55分54秒
返信・引用 編集済
  柴田翔『贈る言葉』(新潮文庫71、元版66)読了。
 掲載誌等の初出情報がないのですが、『されどわれらが日々――』(64)からそんなに離れていない時期に書かれたのであろう中篇「十年の後」「贈る言葉」の二篇を収録した著者の二冊目の本。
 いま読むと、まず思うのは意識の今昔ですね。正確には無意識の今昔ですね。70年代に学生だった40年前の私たちの意識(無意識)と比べてもかなり違いがあります。非常に「不自由」です。作中人物が何かといえば「自由」「自由」とつぶやくのですが、つまりそれだけ自由ではなかったんですね。
 著者はいろんな不自由をそれぞれの作品で書いているわけですが、本書は(今の時点で読めば明瞭この上ないですが)恋愛における不自由がテーマになっているといえる。
 眉村さんもそうでしたが、昭和10年生まれの著者と同世代に設定されている作中人物は、いわゆる6・3制の戦後民主教育の申し子なんですよね。意識だけは自由と平等を当たり前として受け入れている世代です。ところが社会も同様に民主化したかといえばそうではない。眉村さんの作品にも意識と現実の相克が重要なテーマとして現れてきます。
 特に女は社会的圧力に加えて自身の内面に刷り込まれた「かくあるべし」という無意識との戦いが半端ではありません。むろん一般ピープルの意識(無意識)は今もあんまり変わってなくそんな自由などいらんわかもしれません。意識「は」高い60年代の超エリート(東大の学生)だからこそ、感じ取ることができた風当たりともいえます(一般ピープルは風とは認識していない)。その意味で本書のエリート学生は「炭鉱のカナリヤ」なのかもしれません。

追記。あ、そうそう本書の二篇の主人公は、どちらも「いまここにいるのは本当の自分ではない」という観念に囚われており、いまなら「青い鳥症候群」と分類されてしまうかもしれません。「青い鳥症候群」は、最近の若者の傾向を指す言葉ですが、実は(少なくとも)60年代に於いてすでに小説の題材にされるほど(或る意味)一般的な傾向だったのかも知れませんなあ。

 色んな意味で面白かったです。ということで、ここしばらく続けてきた柴田翔棚卸し特集も、いよいよ残すところデビュー作『されどわれらが日々――』一冊のみとなりました(^^;


 

Re: 小松左京のデビュー漫画

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月17日(火)21時08分54秒
返信・引用 編集済
  高井さん
>もしかしたら名前を伏せているのかな
 ツイートの文面の調子から、むしろ私は、対応の遅さにもどかしさを感じておられるのかな、と感じました。自ら公表できないもどかしさも含めて。(あくまで印象です)

段野さん
 そんな個人情報めいたのを書き込んで大丈夫ですか。迷惑はかかりませんか。という以前に、この掲示板はニッポン国から離れた自由で平等な場所であってほしいと思っているので、個別組織内部でしか通用しないような符牒はあんまり使ってほしくないのですけどねえ。

トマトさん
 前回の三美人が、オタンチン・パレオロガスじゃなかったオチンチン・アスパラガス閣下治めるところの熱帯おまんた国で、それからどんな冒険をしたのかが読みたいです〜(>要望)(^^ゞ


 

Re: 市川ヘッセ

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月17日(火)16時04分41秒
返信・引用
  > No.5549[元記事へ]

管理人さん、ありがとうございました。

  久しぶりに就眠儀式に成功しました。(笑)しかし蒸し暑いです。今日はいろんな人に合わなくちゃならないので「執筆」出来ないと思ったら、就眠儀式にはいってしまいました。


?本八幡駅東側、風俗店もやくざ屋さんのベンツもないとても安全な町で、市川市の誇る大理石内装巨大図書館もあるのもこの地帯の安アパートに、そこに年季の入った人生を送っているショーパン美女が三人いる。

お姉さんという年ではないが、おばさんというのは魅力的過ぎる。女性のショーパンというと、
1デニム生地のもの 2レザーあるいはフェイクレザーのもの、3コットンなどのチノクロスのもの、そして4ナイロン製のゴムウエストのものなどがある。
で、本八幡東側の安アパート「H荘」の3人のショーパン美女、多くは1のショーパンだが、。ピンクレディのケィ似のお姉さんH田さんは4のショーパンで銭湯「弁天湯」にやってくる。彼女は細身だがお尻の形がよいのでショーパンがよく似合う。つるんつるんした生地に余計お知りのプリンプリン度がたかまるのだ。そしてそれらのナイロン製品(ブラジャーも含めて)をすべて脱衣籠にいれ、白い肌をあらわにする。乳も垂れてなくてピンと張っている。どういうわけか番台の女性は白衣を着て聴診器をもっている。なんだか美輪乃湯(番台が美輪明宏という銭湯)のようだ。がこの弁天湯の番台はオ○マ(差別用語のため一部伏字)ではなく女医さんだ。女医さんはすっぽんぽんのH田さんを診察しようとした。もちろんH田さんは医者に来たのではなく銭湯に来たのだから、診察などされては困る。そこでH田さんは再び服(といってもタンクトップにショーパン)になる。番台の女医さんも何が何でも診察しようとH田さんを追いかける。するとH田さんは湯船へと飛び込んで及び始めた。するとどういうことか、湯船が海になってしまった。ちなみに市川市南部は「湾岸市川」といい海になっているが、そういう海ではない。富士山が見える神奈川県藤枝市のような海だ。ここをH田さんは泳ぎつつけた。すると富士山が見え、いつのまにか中央線車内を泳いでいた。中央線車内がプールになっていたのである。 やがて中央線快速は阿佐ヶ谷に停まった。
そこでH田さんはそこで下車した。阿佐ヶ谷駅前を北に出てしばらく歩く。すると例の「田坂眼科」の看板が見えてきた。時刻は黄昏だ。H田さんはこの看板が怖いので見ないようにしていたが、しかしチラッと見ると、やはりこの田坂眼科の看板が例によって瞬きした。
「うわ、見てしまった。」
と大きな声を出すと、
「あんたバカじゃないの。」
とおばちゃんはいう。
「だって本当に瞬きしたんだもの。」
とH田さん。
「ばかいったんじゃないよ。あんた子供じゃないの?」
「だって本当に瞬きしたんだから。」
と押し問答しているうちに、このおばあちゃん、ズボンを下ろしてズロース姿になってしまった。何をするんだろうと思ったらその場でしゃがみこんでジョージョーとおしっこをし始めてしまったのだ。H田さんが唖然としていると、H田さんの足元に黄色い水が流れ出してきたのでびっくりして走り出した。田坂眼科の看板が瞬きしようとも足元にあのおばちゃんのおしっこがかかったほうが大問題だ。H田さんはサンダル履きだったのでもろにおしっこがかかってしまったのである。 ????
 

Re:小松左京のデビュー漫画

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月17日(火)14時11分4秒
返信・引用
  いつもレス遅くてすいません。この記事、朝日新聞6月16日夕刊14面に載っていました。
尾川さんのお名前はなかったのですが、すぐに尾川さんだと分かりました。
尾川次長、いや部長になられたのかな、いつものことながら、素晴らしいニュースを頂けました。ありがとうございます。
 

Re: 小松左京のデビュー漫画

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 6月17日(火)12時26分30秒
返信・引用
  > No.5551[元記事へ]

> その中で、「発見したのは東京都内の会社員尾川健さん」と書かれていましたね。
 あ、尾川健くんの名前、出てますか。
 発見の朗報はだいぶ前、ご本人から聞いていたのですが、このようにニュースになっても名前が見当たらず、もしかしたら名前を伏せているのかなと思っていました。新聞に載っているなら、堂々と書けますね。
 尾川くん、お手柄!
 

Re: 小松左京のデビュー漫画

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月17日(火)00時15分55秒
返信・引用 編集済
  深田さん
 あ、やはりそうでしたか。ご教示ありがとうございました。
 尾川さん、ここのところヒットつづきですね。
 それにしても、知り合いがどんどん神戸新聞デビューしていきますね(^^;

 

Re: 小松左京のデビュー漫画

 投稿者:深田亨  投稿日:2014年 6月16日(月)23時30分30秒
返信・引用
  6月14日の神戸新聞朝刊の1面と5面に共同通信の配信で、けっこう大きく載っていました。
http://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201406/0007052444.shtml
その中で、「発見したのは東京都内の会社員尾川健さん」と書かれていましたね。
?
 

小松左京のデビュー漫画

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月16日(月)22時46分12秒
返信・引用 編集済
   堀さんが「某方面から、詳しい資料が届く」と書き込まれていらっしゃった資料が、たぶんこれではないでしょうか、小松左京ライブラリーで公開されていますね。→検証「怪人スケレトン博士」著者としての小松左京
 私は尾川さんのツイートで知りました。ツイートによりますと、国会図書館で(関西館でも)デジタルデータを読むことができるみたいですよ。
 ということで国会図書館で検索したところ、ヒットしました。
 国会図書館サーチ
 書誌情報
 デジタルコレクション
    ↑
 ここに「この資料は、国立国会図書館の館内でのみご覧いただけます。複写箇所が特定できる場合は、遠隔複写サービスもご利用いただけます(歴史的音源、電子書籍・電子雑誌を除く)。」とありますから、ひょっとしたら全ページ複写して送ってもらえるのかも、と、勝手に判断したんですが、どうなんでしょう。あ、マイクロ資料だから無理ですかね。可能なら製本したかったのですが(>おい)(^^;

 それはそうと、小松左京ライブラリーのお知らせで、「ファンの方に発見していただくことができました」とあるところのファンの方って、やっぱり尾川さんなのかな。


 

Re: 市川ヘッセ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月16日(月)22時23分20秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
 ほんっっっとに久しぶりに就眠儀式に成功して、夢書房の世界にはいれたみたいですね、ご同慶の至りです(^^;
 さはさあれ、このあと銭湯帰りの三人のショーパン美女にどんな災難がふりかかり、どんな冒険が待っているのでしょうか。オハナシはまだ始まったばかり、楽しみです〜!

>段ボールの本
 今日は忙しくて行く暇がありませんでした(汗)
 


 

Re: 市川ヘッセ

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月16日(月)17時26分47秒
返信・引用 編集済
  > No.5547[元記事へ]

管理人さん、ご愛読メルシーポークです。

わたしも世間で文豪といわれている人のオハナシはデミアンの「二つの世界」しか読んだ事はありません。
もっともわたしにとって久野四郎は大文豪なのですが・・・(笑)
段ボールの本、にBOOK・OFFで高く売れるといいですねー。

千葉県市川市…というより実質上は東京都市川区である「千葉都民」の町だ。
江戸川という川をわたれば本当の東京都区内である江戸川区で、
この町であの「イカにもドイツ文学者」といった雰囲気の中野幸次という人が生まれ育ったことなんか、私は知らなかった。
市川市の国府台だかどこかを散歩していたら初老のおじさんとおばさんに呼び止められ、
「中野幸次がこのあたりのどこで生まれ育ったか知りませんか?」
とたずねられたのだ。もちろん中野幸次なんて知らないから、
「中野幸次って誰ですか?」
と聞き返したら、恐らくその当時は日本で一番偉いドイツ文学者だという答えが返ってきた。さらに「路傍のストーン」の山本U蔵やヘッセ翻訳の高橋健二は中野幸次の兄貴分だという答えも帰ってきた。そこで私も「路傍のストーン」を書いた山本U蔵の石碑が北関東にあったなんていうオハナシをしてしまったから、このご夫婦の「文学談義」に付き合わされてしまった。ヘッセの「飛ぶ教室」だとかなんだとか…まあこの初老のご夫婦にはヘッセが青春だったらしい。「飛ぶ教室」ってドラえもんの道具でノビ太くんたちの教室がそれを飛んで海かどこかに行くオハナシなの?とあほなことをきかないでよかったです。

JR総武線市川駅は各駅も快速も止まるが、その隣の本八幡駅は各駅しかとまらない。なのになぜか市川市役所はこの本八幡にある。またなぜか千葉県なのに「都営地下鉄」である新宿線の駅「都営地下鉄本八幡駅」もある。 しかしもとやわたといえば駅前(というより駅裏)にあるエビス(ABS)卸売りセンターだ。ここは本来だったら費用を出して廃棄処分にするし消費期限切れ食品などを激安で売っているという凄まじい店だ。しかも桐箱入り静岡産マスクメロン980円、桐箱入り山形産さくらんぼ1680円などで売っている。どうも新宿あたりのデパートの店頭に並んでいたものらしい。ちなみにマスクメロンは一万五千円、さくらんぼは三万円だという。神宮前デメルの高級洋菓子だって激安だ。もちろん高級食品だけではな賞味期限切れ庶民食材だって激安でうっているので何時でも大入り満員だ。また本八幡にはかつては銭湯も多く、庶民的な雰囲気が実に充実していて、しかもドイツ文学的な雰囲気だったのである。ちなみに風俗店もいくらかあり、やくざ屋さんの外車が昼間からあちこちに止まっている。
 でエビス卸売りセンターだ。ここにはHさんとYさんというおねえさんがいる。お姉さんというには年季が張っているが、世帯を持っていないだけあって少女のオーラを放っている。この人生の年季が入りなおかつ所帯持ちではない少女オーラがあいまってなんともいえない魅力をかもし出している。エビス卸売りセンターでは制服的なエプロンを着用することにっ名手いるが、その下は私服だ。このお姉さんのジーパンやショーパン(ショートパンツ)姿のお尻はなんともいえない味わいのあるものだ。ちなみにこの2人のお姉さん。駅の東側の風俗店もなくやくざ屋さんの外車もないセイフティなエリアにある安アパート「H荘」にすんでいる。いわゆる「ガラスのわら人形的アパート」なのだがじつはここの大家も彼女たちと同じぐらい歳でありなおかつ世帯を持っていないという人生の年季の入ったお姉さんだ。という事はやはり人生の年季とともに少女のようなオーラを放っている。込みの三人がじつに仲が良く、エビス卸売りセンターの営業時間が終わったあと、大体夜の八時以降、三人がショーパン姿で洗面器を持って近くの銭湯弁天湯へと向う様子を鑑賞することができるのだ。たぶんあの悪ガキである糞山吐瀉彦はこのおねえさんたちのショートパンツ姿があの「チン○コ擦り」の材料としているのだろう。三つのお尻が黄昏を追えて宵の闇の中にぷるんぷるんと言わせて消えていくさまはまさしくドイツ文学のメッカ、千葉県市川市にふさわしい光景だ。

さて、この三人、弁天湯を後にして寝床であるH荘へと向っていた。がいつのまにか町並みが普段と違う。黒い板塀やら車も通れない細い道が現れる。この市川市にはそういう町並みはないはずだ。すると向こうから大きな目が描かれた目医者のかんばんがみえてきた。ふしぎなことにさっき黄昏を迎えて今は宵のはずなのにまた黄昏になっている。しかもその目医者…白地に黒いペンキで描かれた「田坂眼科」の看板だが、市川市には田坂眼科などという目医者はないのである。そして田坂眼科と書かれた字の上の巨大な目がなんと瞬きしたのである。三人は驚愕のあまり絶句した。そして恐る恐るもう一度目医者の看板をみた。今度はいくら見ても田坂眼科という文字の上の大きな目は瞬きしないで静止している。そして気が付いた。田坂眼科という文字の隣に「東京都杉並區阿佐ヶ谷北一丁目一番一号」と書かれているのだ。ふとあたりの電柱の住居表示をみてみると千葉県市川市八幡ではなく東京都杉並區阿佐ヶ谷になっているではないか…そしてふたたび田坂眼科の看板に目をやると、あの大きな目は猫の目のように輝いたとおもったら瞬きしたのである。しかもこの眼科の看板の隣には巨大な招き猫がいて、しかもその手は動いてするのである。さらに歩き進めていくと、住居表示かが杉並區阿佐ヶ谷から杉並區馬橋へと変わった。そして黄昏の中にくっきりと赤鳥居が浮かび上がった。馬橋神社だ。降りあがり洗面器を手にしたショートパンツのよく似合う三人のお姉さんたちはこの神社の境内にはいると、中から旧日本軍の軍服を来たおじさんが現れた。
「まあまあよくいらっしゃったもんだ。」
とおじさんは三人を神社の拝殿の中に案内ある。するとそこはまだ熱帯だった頃、バナナの実がたわわに実っていたころの日本が続いていた。
「昔日本は熱帯だったんだね。」
「そういえば学校の歴史でならったことがある。」
「そうだったね。」
昔日本は熱帯だった。そしておまんた王朝という王国があった。おまんた王朝の元首はオチンチンとともにお○こもついていて、しかも胸はCカップと来ている。こういう両性具有者が神の意志を伺って統治していたということを思い出した。そして両性具有者の厳守は白い石でできた神殿の階段を上る。空には北斗七製があらわれている。この北斗七星がひしゃくになってひしゃくからテンパリングされたクーベルチュールチョコレートが注がれた。すると元首はそれでトリュフチョコレートをつくり、民にあたえた。


ところでこの田坂眼科の看板が黄昏時に瞬きするというお話は、ねじめ正一のオハナシにもてできます。ねじめ正一は阿佐ヶ谷の隣の高円寺の人ですね。
 

市川ヘッセ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月15日(日)21時01分15秒
返信・引用 編集済
  > No.5546[元記事へ]

トマトさん
 拝読しました。私は、いわゆる文豪と言われる作家の小説をほとんど、というよりも全く読んでいません。ので、この千葉県市川市国府台京成電鉄国府台駅下車版『デミアン』(>おい)(汗)、とても面白いです〜。
 ぜひ続きを連載でお願いします(^^;

 ↓の理由でゴソゴソとかき回していたら、これはもう要らないな、つまり読まないなと思う本が、ダンボール箱2つ分ほど出てきました。明日にでもブックオフで売ってこようと思います。
 ということで、1円でも高く売れるよう、表紙のクリーニングと新書の鉛筆の書き込みを消しゴムで消す作業に、目下没頭中。
(ハヤカワ文庫SF未読分がダンボール6箱あるのだが、これ、死ぬまでに読むのでしょうかねえ)
  
 

   管理人さん、ありがとうございました。


あの朝日新聞に縮小する出版界という記事が何日か前に載っていましたね。
文芸書などでとてもシノギにならないのでは?というのが現実なのかもしれません。かつては活字文化華やかで、ユーミンの歌にも『文庫本を開いて」なんていうフレーズが出来ましたが、かつては電車の中でも若い人たちも文庫本を開いて読んでいるのが普通の光景でしたが、今は文庫本ではなくスマホですね。若くないわたしもそうですが・・・。



文庫本及び活字文化復活祈願文学(オハナシ)

 純正ドイツ文学「学童舎弟」


北関東のスーパースター、「路傍のストーン」で有名な山本Uゾウという文豪は本郷の独文科出身で、本郷独文科の舎弟に高橋健二、中野幸次がいる。あの時代は本が売れた。その本が売れた時代、活字文化華やかりしころというと、高橋健二訳によるへルマンヘッセのデミアンが「普遍的に」読まれていたそうです。
 ヘルマンヘッセの長編小説「デミアン」は、かつては有名だったが今は知っている人などほとんどいなくなった。今の感覚では「いかにもお堅いドイツ文学」といった感じのデミアンだが、冒頭に「二つの世界」とかいう章がある。どういう世界かというと、一つは模範的なよい子の世界で聖書を読み正しく教育的な雰囲気に包まれた主人公「脳村尿夫」が属している世界だ。(脳村尿夫なんてドイツ文学なのに名前が日本人っぽい)この主人公脳村尿夫は良家に育った模範的なよい子なのである。そんな脳村少年は十歳を少し過ぎた頃、もう一つの世界の存在を知った。それは市場の女や盛り場の女給、飲んだ暮れの人夫たちのいる世界、いわば世俗の世界だ。もちろんこの世俗の世界に属している少年たちもいる。
スケベで女のケツの話や「チン○コ擦り」などの話をしている悪ガキどもだ。主人公脳村がこういう悪ガキの世界に身をおくと、この悪ガキの世界では泥棒や万引き、大人を困らせるイタズラなどがスキルとして尊敬されることを知った。そういうスキルが何もなかった脳村少年は悪ガキどものなかでハッタリをかました。「ボクはJR総武線本八幡駅前にあるエビス卸売りセンターで激安で売られていた賞味期限切れの荒挽きソーセージを一箱かっぱらってきたんだ。」もちろんこれは嘘だ。ドイツ文学なのにどうしてJR総武線が出てくるのかというのが嘘なのではなく主人公脳村は万引きなどする度胸のない気弱なよい子なのだがしかし見栄を張ってソーセージ一箱を万引きしたというのが本章で重要な嘘なのである。
しかしそれを聞いた悪ガキのリーダー格の糞山吐瀉彦はふふーんとおもった。この脳村が見栄張って嘘を知っていると見抜いたのである。
「そうか、お前だったのか、脳村。」
「何が?」
「オレはなあ、あの本八幡駅前にあるエビス卸売りセンターで賞味期限切れのソーセージとか売っているピンクレディのケィ似のねーちゃんに言われたんだ。ソーセージ箱ごともっていくガキの泥棒がいるってその泥棒誰だか教えてくれたら五十円やるっていわれたんだよ。」
と糞山は脳村に脅しを掛けたのである。これに脳村はびびった。そして
「…糞山くん、五十円上げるからだまっていてくれよ。」
といってしまったのである。がその後糞山の脳村への要求はエスカレートしていった。脳村少年は食欲がなくなり、たべても戻してしまった。そして糞山はわざと脳村少年の家の前で口笛を吹いて脅しを掛け続けた。脳村少年はあらためてあの糞山などがいる世俗の世界に足を踏み込んだことを後悔した。糞山は仕立て屋の息子で、糞山のところは一家で評判の悪かったのだ。
 がそんな脳村少年に救世主が現れる。長身で大人びた少年豚川腎介だ。豚川少年は脳村少年が糞山に追い込みを掛けられてカツアゲされているのを見抜いた。そして脳村少年に話しかけた。脳村少年はすべてを打ち明けなかったが、糞山がどういうことをして脳村に脅しを掛けているのかがわかった。そして豚川少年は糞山にこうった。
「おんどれ、こちとらの舎弟にカツアゲしおってどう落とし前つけるつもりだ。おい、本八幡駅前のピンクレディのケィ似のH田さんていうねーちゃんにきいてみたけど、荒挽きソーセージ一箱盗まれたなんていうことはなかったって言っていたなあ。おい、うそ語ってこちとらの舎弟脳村に追い込みかけて、どう落とし前つけるつもりじゃ、おんどれ。」
「…いや、その、それは何かの間違いで...。」
と糞山
「こんがきゃナメさらすんじゃねーぞ、本腰あげて追い込みかけてしのぎにするぞっ、それともそんなに慣れ親しい間からか、だったらこちとらの振る出した約束手形に裏書保証してもらおうか。」
こうして糞山は脳村少年に詫びを入れて巻き上げた金品を返却したという話だ。

  もちろんこのデミアンはドイツ文学なのに何故か日本の千葉県市川市八幡界隈が舞台になっている。それはドイツ文学者中野幸次が千葉県市川市国府台出身で京成電鉄国府台駅下車であるからだろう。
 

「贈る言葉」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月15日(日)18時05分5秒
返信・引用 編集済
   ずいぶんと捜索しましたが、まだ『贈る言葉』を捜しあぐねています。間違って売り払ってしまったか、転居の際に捨てた中に紛れ込ませてしまったのかも。
 けれども、尚とんでもないところに隠れている可能性がなくはなく、というのは最近(と言ってもここ10年以内ですが)実物を見たという記憶が(映像ごと)ありありと残ってるからで、確かにそのとき見たと思い映像記憶として浮かんでくる表紙は茶色っぽかったのですが、ためしにアマゾンで確認したこの↓書影どおりでした。ですからやはり、実際に見た筈なのです。そんなわけで、今また新たに購入する気にはなれないんですよね。で、さっき思い立って図書館に出かけ、文庫版でしたが借りてきました(>注釈が長い)(^^;
 今夜あたりからさっそく読み始めようと思います。出てこない本は71年購入と記録しているので、43年ぶりの再読となります。
 

 

「燕のいる風景」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月15日(日)15時28分46秒
返信・引用 編集済
  柴田翔『燕のいる風景――連作短篇あるいはごくゆるやかな長篇――(筑摩書房79)

 思い出された過去は生きられた過去であり、それを小説化すると虚構化された過去になる。それは過去が過去自身を生きたといったほうがよく、むしろ生きなかった過去というべき。という話。
「T過去への試走 あるいは「師の恩」」で描かれるのは、戦争中東京の小学校に入学した「私」が見る光景。まず先生が出征で減っていき、ついで集団疎開や縁故疎開で学童が減っていく。最後に「私」も山梨の母の実家に疎開することになるが、残りも第二次疎開することが決まり、小学校もなくなってしまう。
 という「男の心に棲みついた一つの光景のまわりに、男が生きた過去、生きなかった過去の砕け散った破片が集まってきた(……)ひとつの虚構された私小説」を書いた作家が、執筆の十年後、疎開先を訪れ、自分のドッペルゲンガーと上に書いたような会話をする。(元作品《群像》69/3)

「U過去への試走 あるいは挫折した旅」は、「T」を受けており、時代は昭和48年頃(主人公30代なかば)。小説家の主人公が、雑誌の企画で、上野発長岡行きの普通列車に乗り、かつて第二次疎開で数か月過ごした地を訪れる。先にロケハンした若い編集者は、当時がそのまま残っていますよ、というのだが、着いたそこは、やはり28年のときが経過した(昭和40年代の繁栄の恩恵は届いている)、当時とは全く違うたたずまいなのだった。戦後生まれの(おそらく都会育ちの)編集者にはそんなたたずまいさえ戦後直後の世界に見えたのだろう。(Tの私は山梨に縁故疎開するがUの私は第二次集団疎開する)(《野性時代》74/創刊号)

「V日々の祝祭」は「低い町並の間が、次第に立派なビルで埋められていく」昭和50年頃の大都会(東京)の郊外。描かれるのは迷路のような「なお30年前の闇市の記憶をただよわせて拡がる」市場のにぎわい。(《野性時代》74/2号)

「W街の情景 その1」は一種のリドル・ストーリー。「その一瞬がどう破れるかは、女の自由な決断にかかっている」(《文芸展望》76/10)

「X街の情景 その2」もリドルながら、3つの結末(選択肢a、b、c)が並置される。(《文芸展望》76/10)

「Yたそがれの町」の舞台は商店街ですが、すでに「アーケード」が設置されている。(《文芸展望》76/7)

「Z平穏な日」もアーケードのある商店街が舞台ながら、主人公の息子の嫁は、「スーパー」に買い物に出かける。(《文芸展望》77/ 1)

「[燕のいる風景」の舞台はデパート。明るい(反過去)消費せざるを得なくさせる祝祭空間で、主人公に過去の亡霊がまとわりつく。(《文芸展望》77/10)

 というわけで、実験小説です。終戦より30年を経た繁栄の(繁栄と言ってもまだまだ衣食住の食が優先する)70年代の日常風景を描き、その裏に戦時戦後の影がまといつく。描かれている背景は《内向の世代》がよく使う舞台装置で、闇市の雰囲気を残した市場からアーケードのある商店街へ、そこへ出現する新興勢力のスーパーや(大衆化した)デパートという具合に、時代が非常によく描かれていて、興味深かった。
 ただ小説としてどうかといえば、いささか痩せていて、成功作とは言い難いかもしれません。リドル形式も、過去すら定かならぬのにいわんや現在をや、ということでしょうけれどねえ。

 

「燕のいる風景」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月14日(土)21時20分17秒
返信・引用 編集済
   柴田翔『燕のいる風景』(筑摩書房、79)に着手。80頁。積読消化。
 おお、これは前作『犬は空を飛ぶか』で開陳された小説論の実践版かも。その意味でいえばメタフィクションです。


 私は政治には全く興味を持てない人間ですが、さすがにアベッチになってからは、少なくともニュースくらいはチェックしておこうか、と言う気になりましたね。このまま行けば、未来の歴史書にはヒトラー、スターリンと並んでアベッチの名前が記述されているかもしれませんぞ(汗)。
 ということで、いましっかりウォッチしておいて、将来日本版「鉄の夢」を書きたいと思います(>おい)(^^;
”SF作家アベッチ・シンゾリーニは、ペーパーバックが天井まで積み上げられた反焚書地下組織の秘密基地の一室で、地下組織の精神的支柱である〈本の老人〉から、子供の頃の親友で、今を時めく焚書隊長官ローンブアッソーが、老人の従弟であることを聞かされる……”

 

「犬は空を飛ぶか」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月13日(金)01時26分8秒
返信・引用 編集済
  柴田翔『犬は空を飛ぶか』(筑摩書房、76)読了。

 著者がこんなに理論家だったとは知りませんでした。本書は《人間として》、その後継誌《文芸展望》、構造改革派系の《現代の理論》(註:第二次)に掲載された諸評論に、書評を加えたものですが、一見バラバラなそれらは、しかし論旨が一貫しており、ほとんど長篇評論といってよい。
 まず日本の戦後小説の通史的解説があり、著者は第一次戦後派(+第二次戦後派)を高く評価し(但しその限界も指摘)、第三の新人を日常的リアリズムへの後退とする。しかしかかる状況の変化(戦後派→第三の新人)は、日本社会の変化、具体的には51年の朝鮮戦争特需による日本資本主義の立ち直りから54年の神武景気による「戦後は終わった」と相関する事態だったとする。ただし第三の新人の中では、唯一(?)小島信夫は評価している。
 著者の属するのは、石原慎太郎『太陽の季節』(55年)以降の新世代で(当該作品自体は未熟と著者は考えていますが、物的繁栄の中での空虚という主題は新しい世代の口火を切るものだったとします)、大江健三郎、高橋和巳、開高健、真継伸彦、小田実らがその括りで示されます。
 彼らのあとに来るのが内向の世代(安定成長期に対応)で、この一派に対しては著者は懐疑的です(古井由吉は認めていますが限定的)。
 かかる通史的解説の合間に、70年代の同時代小説である高橋たか子『空の果てまで』(73)、古井由吉『杳子』(70)、加賀乙彦『帰らざる夏』(73)(いずれも内向の世代)が批判的に批評されたあと、井上光晴『心優しき反逆者たち』(73)(第二次戦後派)、大江健三郎『洪水はわが魂に及び』(73)、小田実『ガ島』(73)が、限界も示した上で評価される。また第一次戦後派の70年代復活として、野間宏『青年の環』(70完)、武田泰淳『富士』(71)、杉浦明平『渡辺崋山』(71)、大岡昇平『レイテ戦記』(71)、堀田善衞『19階日本横丁』(72)(堀田は第二次)が触れられます。
 日常に埋没してしまった(むしろ好んで埋没していった)第三の新人の中で唯一著者が買う小島信夫については、『抱擁家族』(65)が「日常風景に固執しながらその中に戦後社会の荒廃を描き出した」として「ほとんど例外的であった」とします。
 一方、倉橋由美子『夢の浮橋』(71)は「現実世界と虚の世界の間を結ぶ拮抗関係という糸」が切れてしまっていると批判する。「作者はいわば、犬が普通は地上を歩くということを知らずに、「犬が空を飛ぶ」と書いているのである」。(だからといって幻想小説を否定しているのではないことは、著者がカフカの訳者であることから明らかです)
 終章は作品論で、高橋和巳『邪宗門』(65)論は30頁の力作。
 つづいて小田実『大地と星輝く天の子』(63)では、その「鳥瞰」に対置される「虫カン」という小田独特の方法論の意義が考察されます。この「虫カン」、私が思うに安部公房が批判する「微視的連続感」の側にあるものではないでしょうか。そういえば本書には安部への言及は皆無ですね。これは重要かも。
 開高健の短篇集『岸辺の祭り』収録の「一日の終りに」(58)こそが(芥川受賞作ではなく)、真の処女作にふさわしいと称揚されます。あと、真継伸彦『破局の予兆のまえで』、石牟礼道子『苦海浄土』。
 そしてそのような通史論、共時的な作品論を統一するかたちで、著者の小説論が展開されます。それは自然がそのまま在るのを鑑賞するのと、そこに、例えば「崇高」を見出すのとでは全く違う。この崇高を見出すのは、私の理解では、視者の視力です。著者は「小説が拮抗すべき世界とは、自然として把握された人事の世界である」(下線管理人)とし、「作家は、その想像力における自由によって」、つまり視力によって「人事の世界の表層に固く張り詰めた意味の厚い氷を破り」「それと拮抗する人間の空間をつくる」「それが小説を書くという作業の、本来の内容」とします。この「自然として把握された人事の世界」をそのまま対象としてしまっては「それは悪しき意味での風俗小説にすぎない」と言っています。要するに「自然的態度」を視力で突き破ってこそ小説ということでしょう。非常に共感できる小説観です。
 

眉村さん情報:映画「幕末高校生」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月11日(水)22時42分58秒
返信・引用 編集済
   段野さんより、来月7月26日公開の映画『幕末高校生』のリーフレットを送っていただきましたので、アップします!
 段野さん、ありがとうございました。
     ↓クリックで拡大
 
 
 しかしクレジットを見ると、《 原案・協力:眉村卓「名残の雪」》となっていて、もはや「原作」ですらないのですね。というか、原作はテレビドラマ版(細川ふみえ主演)ということか。
 リーフレットの裏面のストーリー紹介を見ましても、たしかに眉村色は皆無な、ドタバタ調のドラマ仕立てのようです。
 ゆめゆめ原作小説「名残の雪」の、あのシリアスで静謐な味わいを期待して、ご覧にはなられませんよう(^^;。
 もっとも私自身は、前の細川ふみえ版はウケたので、今回も楽しみにしているんですよねー。

 検索したら公式HPも立ち上がってました。こちらで予告編のムービーが視聴できます!→HP


 

Re: 「宇宙気流」をいただきました

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 6月11日(水)07時56分37秒
返信・引用
  > No.5537[元記事へ]

 林さん。
> 今回の元記事を発見して、どんなものか読んでみたいのと、高井信さん向きの内容だと思ったので、復刻する文章に含めました。
 うわ。そ、そうだったのですか!
 また何かありましたら、よろしくお願いいたします。
 

Re: 「宇宙気流」をいただきました

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月11日(水)00時31分39秒
返信・引用 編集済
  > No.5537[元記事へ]

林芳隆さま
 今回は大変お世話になりました。
 これは何とかしたいです。ベストなのはいうまでもなく商業誌に掲載されるか、作品集に収録されることなんですが、高井さんも言っておられましたが、どのような形にせよ、読みたい読者が簡単に手にとって読めるようにすること、それを一番に考えなければいけないですよね。
 

「犬は空を飛ぶか」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月11日(水)00時30分26秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
 今回はまさに(筒井康隆じゃないですが)発作的作品群でした(^^;
 しかし、ブルマに固着しますね。幼少期に何かトラウマになる事件があったとか? それも読みたいなあ(>おい)m(__)m。

段野さん
 あ、それはうな重をケチるための口実ですね。うーむ。明らかにこっちの意図を見透かされてますな(汗)。
 というのは冗談ですが、そういうことなら、コピーも担当の人にお願いして取ってもらったほうがいいですね。
>一冊しかないせいで、貴重なものでからだそうです
 自分でコピーしようとして、無理に広げて痛めてしまっては大変ですから。

 柴田翔『犬は空を飛ぶか』(筑摩書房、76)に着手。80頁まで。
 エッセイ集、というより、文学評論集というべきでしょうか。ここしばらく、著者の小説を読み続けてきたので、思考の筋道がかなりよく理解できます。
 で、昨日アップした『ノンちゃんの冒険』感想文、結の部分で唐突にスクエアに戻ってしまい、残念だったと書きましたが、本書を読んでいて、著者の意図が分かりました。著者の小説は、一貫して他律から自律へというベクトルに貫かれている。ところが『ノンちゃんの冒険』では、結局ノンちゃんは年金さんの援助を得て、子供を産み育てることになるのです。
 これを私は、それまでの作品では常に荒野を目指していた小説のベクトルが、急に方向転換してスクエアな世間知的倫理観へ回帰してしまったと捉えてしまったのでした。それは完全な読み違えだったようです。
 年金さんが最初ノンちゃんに手術を勧めたのは、東京でたった一人生きていて定収もなく、赤ちゃんを育てられるはずがない。生まれた子供もノンちゃん自身も不幸になると考えたからですが、この判断は、換言すれば「主人公にとって与えられた外的条件に過ぎず」「主人公はそうした外的条件によって作られた自分をそのまま受け入れて、更にはそれに固執して、自己の生の根拠とする」(20p)ことに、実は他ならない。
 ノンちゃんが思い余って年金さんを訪ね、どうするの? と問われたとき、絶対産まないわと答え、年金さんもそのほうがいいと即答しました。そのときノンちゃんは、自分の決心を、年金さんが断乎として止めてくれることを無意識に期待していたことに気づく。
 つまりここで、「自律」は生むこと、「他律」(外的条件)こそ堕すことであったのです。すなわち本篇の結末は世間一般の常識に立ち返ったのではなく、荒野へと向かうベクトルを貫いたものだったのでした。
 それを私は勘違いしていたわけですが、それを補正してもやはり、この結末はまだ納得がいかない。それはノンちゃんの選択が荒野へ踏み入る選択だったとしても、年金さんの援助があるからには完全な荒野とはいえないからかもしれません。


 

Re: 「宇宙気流」をいただきました

 投稿者:林 芳隆  投稿日:2014年 6月10日(火)23時48分56秒
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

「宇宙気流」のご紹介、ありがとうございます。

今回の元記事を発見して、どんなものか読んでみたいのと、高井信さん向きの内容だと思ったので、復刻する文章に含めました。
まさかこんなに早く結果が出て、全貌が読めるとは思いませんでした。関係者の皆様、ありがとうございました。

林 芳隆
 

Re:吉報

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月10日(火)09時34分51秒
返信・引用
  管理人様
>自身で出向いて調査すればいいのに
そう申し上げたのですが、先方が、(バックナンバーを触らせたくない?)探しますよ≠ニ言われましたので。勿論、見つかったのならば、速やかにとりに向かいます。(何でも、一冊しかないせいで、貴重なものでからだそうです)
 

「宇宙気流」をいただきました

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月10日(火)03時47分8秒
返信・引用 編集済
   今回の眉村さんの囲碁ショートショート発掘のきっかけは、5月に発刊された《宇宙気流》87号の記事からなのでした。
 それはなんとも奇縁という他ない、一連の連携プレイだったわけですが、このたび、そういう経緯から《宇宙気流》編集者である林芳隆さまより、当の《宇宙気流》87号を頂戴いたしました(去年刊行の86号も)!
 林さま、ご配慮ありがとうございました。
 さっそく、当該記事「宇宙気流年表 第2回 1964−1965」(林芳隆)を読みました。
 この年表は、羅列的な単なる年表ではなくて、《宇宙気流》のバックナンバーから、当時がしのばれる記事を編者が選んで抜き出してきたものですね。したがって読んでいますと、私のような部外者でさえも、当時の会の雰囲気や熱気がびんびんと伝わってきまして、とても面白い読み物になっています。最初はパラパラっとめくる感じだったのですが、いつの間にかじっくり腰を据えて読み始めていました(^^;
 さて当年表によりますと、眉村さんの記事は《宇宙気流》29号(1965年4月11日発行?)の「インサイド」というコーナーに載ったもののようです。引用します。
「眉村さんがここ二年間位、「囲碁新潮」にSFショートショート(それも全て碁に関係のあるオチがついている)を掲載していることを、根木斐沙子さんが発見した。(どうです、どなたもご存じなかったでしょう)」
 以上は29号からの抜き書きで、その横に「☆「囲碁新潮」は関西棋院発行の機関誌だった。(林)」という編者のコメントがついています。

 この(宇宙気流の誌面で)わずか7行の記事が、あれよあれよという間に、眉村さんの埋もれた作品を発掘してしまったのですから、面白いといいますか、うたた感慨を禁じえません(^^;
 何はともあれ、林さま、ありがとうございました。
    ↓クリックで拡大
 

「ノンちゃんの冒険」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月10日(火)02時08分30秒
返信・引用 編集済
   柴田翔『ノンちゃんの冒険』(筑摩書房、75)読了。

 承前。読み終わってもやっぱり、39年前、最後まで通読したのであったかどうか、記憶は甦ってきませんでした(汗)。
 ただ、昨日書いた「当時は感心しなかった」という、うっすらとした記憶はそんなにハズレてなく、同様の読後感になりました。
 それは主に、起承転結の結の部分で、起承転はそこそこ面白かったんですよ。
 主人公の「年金さん」は、別にこうなりたいという希望があったわけでもなく、ただ漫然と大学それもエリート大学を出て大会社に就職したはいいが、やはり出世をめざす気がないので、20代後半で、はや閑職である社内報づくりに回される。それに対して何の不満もなかったのですが、奥さんが愛想尽かして出て行ってしまう。それで改めて、自分がそういう競争社会に居ること自体をきっぱりと拒絶することにし、相続した実家を売ってマンションを二室購入、そのうちの一室を人に貸して家賃収入で悠々自適の生活に入る。「年金さん」というあだ名はそういう意味。で、現在40手前で、すでに老後と規定し、あとは死ぬのみと遁世を決め込んでいます。いかにも「すべてが若かった」70年代ぽい自己規定だな、とある意味感動しました(著者自身が連載時37歳)。
 昨日も書いたように、70年代は公害まっさかりで、昨日のハマチの件についで、今度はマグロからアメリカ厚生省基準の2倍をこす水銀が検出され、鮨屋に行く回数も減ってがっかりしている年金さん(^^;。しかし自分が生きているあいだは、カタストロフは起こらないとタカをくくっている。つまり遁世とはエゴチズムであるわけです。

 大学同期の友人マクさんは、競争社会の先頭を走っており、若年重役の呼び声が高い。ところが彼がゴーサインを出した研究が、永久に分解しない新物質を世に生み出してしまう。できたら最後、永遠に存在し続けてしまう。つまりフロンよりさらに強烈なやつです。
 しかもその新物質、体内に取り込まれると、人間の攻撃性が増すという副作用?が判明します。現在の在庫分だけで、世界中の殺人が5倍に、戦争勃発の危険率が3倍になるというのです。
 海に流したって、埋立地に埋めたって、分解しないから、いつか食べ物に混じって人間の体内に取り込まれてしまうのです。現在はドラム缶に詰めて積み上げていますが、ドラム缶がダメになったら……。コンクリに封じて海に沈めたって、コンクリはいつか崩れる。
 しかし新物質の方は未来永劫変化しない。アメリカに泣きついてロケットで宇宙に捨ててきても、もしそれが高等生物が住む星にあたったら、それまで地球になど無関心だったそいつらが、急に攻撃的になって地球に攻めてくるかもしれないのです(笑)
「それがうちの工場にあるんだよ。積み上がっているんだよ。ベ平連にでもかぎつけられたらどうしよう」(>おい)(^^;
 これって、放射性廃棄物のメタファーかもしれませんが、公害そのもののシンボルでもあります。
 この問題に対して、マクさんはどうしたらよいのか。もちろんどうもできないのです。近頃マクさんが、なにかといえば年金さんを呑みに誘うのは、喋っても大丈夫な相手に喋って、当座の心の不安を解消するためですが、同時に自分も年金さんのように、すべての責任を投げ出して遁世したいという無意識のあらわれでもあります。BHCは農家が買い叩いて自家用の畑には使わず出荷する分に使用しているとか、PCBのノーカーボン紙だって、在庫していた会社は結局使い切っているはずだとか、ぼやいて……。つまりはエゴチズムです。
 もう一人の学友で、大学の先生である仙人さんは、現時点の限られた知識では永遠不滅の物質も、未来では解決されるかもしれないではないか。だから投げ出して遁走するのではなく、自分たちにできるのは可能な限りデータを残しておくこと。それが果たすべきせめてもの責任なのだ、と言います。

 もう一人の主人公であるノンちゃんと同棲していた哲学くんは、ある日、ノンちゃんがアルバイトで稼いだ数枚の万札を勝手に持ちだして出て行ったきり帰ってこない(このエピソードは高橋和巳を想起させますね(^^;)。そしてノンちゃんは哲学くんとの子を宿していることに気づく。
 東京でたった一人生きていて定収もなく、赤ちゃんを育てられるはずがない。生まれた子供もノンちゃん自身も不幸になると、年金さんは、手術の費用をノンちゃんに渡して送り出します。
 これは年金さんのエゴチズムの論理からして当然の行為でありましょう。

 ここまでが、先に言った起承転です。ここまではよかった。しかし、この「結」は?
 この結は、上記仙人さんの考えに導かれたものですが、私には唐突でした。何度も出てくる「勲もなく受ける報酬」が了解できないからかも(出家と遁世の弁証法も)。
 いずれにせよ、これまでの著者の作品には、すべて結論めいたものはなかった。ただ、世界の中のある部分だけ切り出してきて提示するだけでした。それが今回は、ごく当たり前な教訓めいた話になっているのですね。いささかがっかりなラストでありました。

 なお本篇は、《人間として》9・10・11号(72年)に発表、単行本化に際して大幅に加筆したものとのこと。
 

Re: 公明新聞

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 9日(月)17時51分39秒
返信・引用
  > No.5530[元記事へ]

通りすがりさん

>公明新聞に連載されたショートショートのリスト
 そうですそうです。この高井さんのブログを私も見ていたので、眉村さんも参加していたはず、とピンときたのでした。
 ところがこのリストを一体どこで見たのか、肝心のそれをすっかり忘却しちゃってたんです(汗)。高井さんのブログだったんですね。ご教示ありがとうございました。

段野さん

>父親の特権を生かすことになりました。(やはり、所属署を聞かれました)
 よかったですねえ。良くも悪くも身内意識の強い組織ですからね、それが隠蔽体質にもなるわけで、コインの表裏なんですが、せっかくの特権、利用しない手はありませんよね。
 探してくれるというのもありがたいですが、自身で出向いて調査すればいいのに。昼前に出かけて行って書庫でゴソゴソしていたら、給食弁当くらい手配してくれますよきっと(>そこかい)(^^;

 

吉報

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月 9日(月)15時06分42秒
返信・引用 編集済
  眉村さんの埋もれた「なにわ」の作品、探して下さることになりました!!
時間はかかりますが、情報の前後の年度を探して下さるのだそうです!
「家族」特権か? 父親の特権を生かすことになりました。(やはり、所属署を聞かれました)
(何でも、ややこしい依頼もあるのだとか。それにも応えているとのことです)
とりあえずの、ご報告でございます。
 

ホチキス

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月 9日(月)14時27分6秒
返信・引用 編集済
  100枚位綴じるホチキスの針は「1号針」になります。会社で、最大級のホチキスでした。(でっかいですよ〜。両手でえいっ、とレバーを押して、針が打ちこまれるのです)
あと、「針綴じ」は、しんどいですよ。100枚ほど、木綿針でやっつけたのですが、素人の悲しさ、綴じがずれるのです。この時ほど、ホチキスのありがたみを身にしみたことはありません。(やはり、最終的には、ホチキスのお世話になりました)
 

公明新聞

 投稿者:通りすがり  投稿日:2014年 6月 9日(月)13時55分40秒
返信・引用
  http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2011-11-22-1

 ↑

 公明新聞に連載されたショートショートのリストは、上記ページのコメントにあります。

 念のために。
 

70年代の海洋事情

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 9日(月)00時50分41秒
返信・引用 編集済
  > No.5528[元記事へ]

高井さん
>糸で綴じるのは面倒臭いらしいですよ〜。
 ええッ、そうなんですか! 軽く考えていました。
 で、さっきまでネットで縢り方を説明したHPをいろいろ見ていたのですが、どうもよくわからんなあ、と感じていたところでした。やっぱりホチキスが安全且つラクということですね(^^;。

 柴田翔『ノンちゃんの冒険』(筑摩書房、75)に着手。ほぼ40年ぶりの再読(なのかな?)
 作中人物が、寿司屋で職人からハマチを勧められ――
「新聞で、悲惨なカネミ油症の原因となったPCBがハマチを初め各地の魚から高濃度で検出され、常食すれば、数年間で、発病最低量が人体に蓄積する計算になるとの記事を読んだ」ことを思い出し、躊躇する場面があるのですが、かくのごとく70年代は、今と比べて日本近海の環境汚染が非常に深刻だったんですよね。田子の浦のヘドロも69年から79年まで10年もかけて処理作業が続けられたのでした(ここ)。若い人はこういうことは知らないでしょう。
 とにかく70年代前半は生活水準が格段に上がりましたが、その一方で、公害の時代でもあったのでした。
 ですから『海洋未来物語』で、著者が海の汚れをさかんに心配し、海ごと宇宙へ脱出させようなんてことを空想したのには、それなりの根拠があったのですね。――当時を知らない(ニッポンは昔からクリーンで生活水準も高かったと思い込んでいる)若い人たちのために、一言注釈させて頂きました(^^;

 閑話休題。ということで100頁まで。半分超。途中、永遠に分解しない新物質が出てきて、このいきさつがメインになるのだったらヴォネガット的なオハナシなんですが、実は全然覚えていません。ひょっとして、途中で読むのをやめたのかも。実際、当時は感心しなかったという記憶が残っているのです。しかし、いま読むとこれが実に面白いんですよね。若い時読んだものは理解できてない(判ったつもりになっている)場合があるので、やはり再読は大切だと、改めて思っている次第(笑)。さて後半、どう展開していくのか、たのしみー。

 

Re: 「海洋未来物語 1 」読了

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 6月 8日(日)22時57分38秒
返信・引用
  > ホチキスではなく、糸でとじてみようかなと。それだったら上下分冊しなくてもよくなりますし。
 100枚くらい綴じられるホチキスを買うのが良策かと。これなら200ページまでいけます。
 私は未経験ですが、糸で綴じるのは面倒臭いらしいですよ〜。想像するだけで、私には無理。
 

Re: 「海洋未来物語 1 」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 8日(日)19時58分14秒
返信・引用 編集済
  > No.5526[元記事へ]

高井さん
 「『オレだけの発酵人間』はこう誕生した!」読みました。
 むむう。病膏肓に入るとはこういうことでしょうね(汗)。
 私などまだまだビョーキの域にも達していませんね。

>画像コピーに関しても、石原さんのご承諾を得ておりますし
 そうでしたか。そういうことなら、古書山たかしさんの入魂の複製作品とは比べものにならない貧弱な代物ですが、今日最後の1冊を完成したので、私も画像を公開しましょう(^^;。

 しかし「海洋未来物語」の表紙がオレンジ色では、我ながら合わないですねえ。やっぱり青系統ですよね(原本は水色)。
 今度、青系の画用紙を仕入れた時に作り直そうと思います。実は画像をご覧のとおり、1と2では、表紙のサイズが狂ってしまっているのです(今日並べて気がついた)。それもあるので、作り直そうとは思っていたのでした。
 ただし、古書山たかしさんのようにハードカバーにまでして凝る気はありませんけどね(それにしてもブックオフで購入したハードカバー本を転用するというのは目の付け所がシャープですね。私もやってみたくなりました)、ホチキスではなく、糸でとじてみようかなと。それだったら上下分冊しなくてもよくなりますし。
 しかしまあ、飽きやすく冷めやすい私のこと、取らぬ狸の皮算用ではありますが(^^;
       ↓クリックで拡大   
 
    (管理人) 追記。昨日の書き込み(ここ)で、眉村さんも公明新聞連載に参加していたのではないかな、しかしネタ元を思い出せない、と書きました。高井さんのブログでした。こちらのコメント欄をご覧ください。
灯台もと暗しといいますか、本当に何もかも忘れていきます。噫(ーー;
『海洋未来物語U』のショートショート6篇の掲載日もこちらで分かります(^^)
 

Re: 「海洋未来物語 1 」読了

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 6月 8日(日)13時39分10秒
返信・引用
  > No.5522[元記事へ]

>  なかなかうまく作成できたので画像をお見せしたいところですが、ひょっとしてこれって海賊出版(1冊きりなんですけど)?
 こんな記事が出版社のサイトに堂々と掲載されているくらいですから、問題ないのではないでしょうか。
     ↓
http://toyokeizai.net/articles/-/33516
 画像コピーに関しても、石原さんのご承諾を得ておりますし。
 

Re: 暑い!

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月 8日(日)13時04分14秒
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

豪雨で電車動かず、カラオケでは間違っても八代亜紀の「雨の慕情」は歌えない、

晴天祈願文学


管理人さん、オハナシの続きです。


無神経一代!!無神経女バーサス『華麗なる一族』女執事風悪女

 まず無神経子(むしん けいこ)の話だ。彼女は髪は短め、服装はいつでもユニクロのTシャツにユニクロのズボン。電車に乗車しても痴漢対象外という女性だ。ちなみに意外と胸はあってDカップである。がいつでもすっぴんなので一見すると男の人と間違ってしまう。この無神経子一家は高級住宅地の紅蔵町の中の一般家屋へと引っ越してきた。無神経子の隣は執念部下子(しゅうねん ぶかこ)といい、女優やモデルのように美しいが蛇のように執念深い女だ。こちらは細身で長身、髪は長いが胸は無くAカップなのだがCカップに偽装している。この執念家はこの紅蔵町に相応しく、高い塀とその上に茂る常緑樹によってプライバシーを確保された家だ。執念深子は白いベンツCLS550を愛用している。
さて執念深子には執念蛇美と執念蠍恵という娘がいる。それぞれ中学生と小学生で、執念深子ににて細身で長身、胸は無く顔立ちは端正、ただし執念深い。経年劣化する以前の鈴木京香というより新鮮な頃のオウム真理教女帝マハーケイマのようである。一方無神経子にも無神経輔という息子と無神経美という娘がいる。こちらも小学生だ。そして無神経子に似て無神経なのである。 まず無神経子の無神経ぶりは彼女がこの紅蔵町に引っ越してきたその当時にすでに炸裂した。二人の子供無神経輔と無神経美に公道で遊ぶように指示したために無神経輔はとなりの執念家の塀にボールを蹴り宛てて遊んでいたのだ。それを見ても無神経子は涼しい顔だった。一方の執念母娘は大変に不愉快に思った。
「なんだあいつら、態度がでかい…。」
執念母娘はアウガルデンのカップで紅茶(ダージリン セカンドフラッシュ)を飲みながら眉をひそめた。さて、無神経子が執念家へと挨拶に来たのが引っ越してきたから数日後、もちろん無神経女らしく手ぶらだ。これにも執念母娘はムカっときた。

その数日後、今度は執念蛇子が中学校のセーラー服を着てチャリンコで帰宅するときに無神経子と顔を合わせたので「こんにちわ。」
と挨拶した。すると無神経子は
「わたしはこういう髪が長くてフェミニンでぐちゃぐちゃした人とは合わない。」
とばかりシカトしたのである。一方無神経子はPTAで髪が長くなくフェミニンでもなく電車内において痴漢の対象外となるようなママさんたちに積極的に声を掛け、子供たちに自分の家に遊びにくるようにと言った。こうしてまもなく無神家はガキどものたまり場になった。ガキどもは無神家に二階から隣の執念家を覗き、おもちゃのピストルを発射し、執念蛇子と執念蠍恵に
「やーいやーい、出でこい。」
とはやしたてた。そして母親の執念深子がでくると、今度は二階のベランダから馴れ馴れしく
「こんにちわ。」
と挨拶した。これに執念深子はあきれて無神経子へと抗議する。すると無神経子は
「小学生はからかうのが商売なんだ。」
「男の子は腕白じゃなくちゃダメなんだ。」
と涼しい顔で執念深子の抗議を涼しい顔で突っぱねる。こうして執念家と無神家は冷戦状態に突入した。 やがて無神家からガキどもが執念家へと不法侵入した。そしてせんたくもののブラジャーや豊胸偽装パットを発見して
「お、ホントはAカップ、偽装していたんだ。ペチャパイ母娘。」
「ユタンポに梅干くっつけたみたいじゃないか。」(SFマガジン1969年一月号64ページ)
と一番いわれたくないことをはやし立てられた。これに執念母娘はどうにかなりそうな精神的苦痛をうけた。しかしそれに対しても無神経子は
「小学生はいたずらするのが商売なんだ。ペチャパイっていわれたっていいじゃない、本当のことなんだから。いいじゃない。ユタンポに梅干つけたみたいなんて、腕白らしくて。」
と涼しい顔。こういう無神経女は本当に手に負えない。執念母娘は無神経子と無神経輔およびその一味をサリンでポアしたいという衝動にかられた。サリンでポアというより「ガラスのわら人形」のやり方で呪殺したいと思ったりした。そこで「あーぎゃーろんぎーあーぎーろんぎー」とガラスのわら人形荘で唱えられていたあの御祈祷をしながら無神経子のおめこの毛の入った蝋の塊をめちゃくちゃにしてみたり、無神経輔の機関銃をこわしてみたりしたが、一向に効果が無かった。それどころか無神経子の無神経ぶりはさらに炸裂した。この無神経子の家の向かいにはやや大きな家があり、そこにはルーフだけのカーポートにアウディとレクサスが飾ってある。れいによって無神経子は遊びに来る子供たちに家の前の公道で遊ぶように指示した。そしてこのアウディとレクサスの家に不法侵入したときは家の人に
「こんにちわ」
と挨拶しなさいと指示した。そのためにガキどもはこの家の敷地に不法侵入してアウディやレクサスをいじった。家の人がむっとして出てくるとガキどもは
「こんにちは。」
と挨拶した。こうして無神経子は執念家以外からも次第に評判が悪くなった。しかし執念母娘は本気で無神経子をポアしなければ自分たちの生活が脅かせると感じた。とにかく無神経子はガキどもと一緒に騒いでいるという感じで、ガキどもが執念母娘の胸がペチャだという話を面白がって聞いていた。 そんなある日、れいによって無神経輔が執念家に不法侵入した。セコムは隣の家から進入してもならないことを無神経輔はしっていたのである。そしてガレージに停まっているベンツとフェラーリ(458イタリア)にイタズラした。そのとたん、ガレージのドアがロックされ無神経輔はガレージから出られなくなった。
 蛇のように執念深い執念母娘はいろいろと残酷な仕返しを考えた。それは無神経輔のおちんちんに唐辛子をすり込むというものだった。まず執念母娘は自分のショートパンツ姿やビキニ姿などを無神経輔にみせて勃起させ、そして勃起したものをこすってイカせた。その後にそこに豆板醤を刷り込んだ。この強烈な感覚に無神経輔の自我は崩壊した。




 背中に絵が描いてある人

 子供の頃、姉がよく入院していることがあり、そんな時は母も病院に寝泊りしていた。だから私は父と二人だった。そんなとき、父はよく私を銭湯に連れて行った。あるとき、銭湯に背中に絵が描いてあるおじさんがいた。このおじさんが湯船に入るとなぜか皆湯船から上がってこのおじさんに近寄らないようにしていた。子供の私は事情もわからずこのおじさんに
「どうして背中に絵が描いてあるの?」
とたずねてしまった。すると父がすっ飛んできては洗面器を持って私の手を引いて迅速にかつ強引に脱衣所に拉致しては
「いいか、ああいう連中に絶対に関わるな、余計なこと聞くな、解ったな。」
とただ事ではない雰囲気で私を叱り付けた。私は父のただならぬ雰囲気に推されてとにかく黙っているしかなかった。そして私と父は実に迅速にこの銭湯を後にしてその日から銭湯に行くことはなかったのである。 後から思えばあの背中に絵が書いてあるおじさんはあの当時の北関東市を仕切っていた○○会の親分○○さんの舎弟△さんだったらしい。あの頃北関東市はH氏という人物が地元紙やテレビ局、公共交通から観光産業まで支配していた。北関東市では役所でもH氏を批判すると役所にいられないといわれていた時代だ。○○会はいわばこの☆氏の傘下で、北関東市内で☆氏に刃向かう連中を警察と連携して追い込みを掛けるのが主なしのぎだったらしい。が☆氏が他界すると中央から極道が乗り込んできてはH氏に保護されていた○○会はまったく太刀打ちできずに当時の北関東署所長の□さんの協力もあってみんなカタギへと戻った。
さてまだH氏支配下の北関東市のことであるが、北関東界隈は温泉が多く観光地にもなっている。温泉客は旅館に泊まるが一般市民は街中いたるところにある共同浴場にやってくる。すると背中や肩などに絵が描いてあるおじさんがいたりする。このおじさんは当時はもう現役ではなくまったくのカタギで温泉客たちに農家が作った「くるみ餅」「ちたけ含ませ煮」などを販売している仕事をしていたがもやはり背中に絵が描いてあるとこちらは引いてしまう。が何度も顔を合わせていくうちにそんな警戒心もやわらいでいった。
「あのくるみ餅、おいしいですね。でも高くて…。」と私が共同浴場でそのおじさんに話すと、おじさん、意外にも優しく温和な口調で、
「だったら自分で作ればいいよ。簡単だよ。少し手間がかかるけど。」
とレシピを教えてくれた。

 材料 団子粉500g、きび砂糖(または黒砂糖)300g、醤油、味噌、山くるみホール、山くるみペースト(すり鉢ですったもの)
作り方、団子粉、きび砂糖、醤油、味噌を入れて攪拌し、蒸し器で蒸す。蒸しあがったら荒熱を取って捏ね鉢でさらに捏ねる。そこに山くるみホールを混ぜる。それを食べやすい大きさにまとめて山くるみペーストをまぶす。

 さらに「ちたけの含ませ煮」の作り方も教えてくれた。「チタケ」とは正式名称をベニタケ科チチタケという天然キノコである。
「チタケ、いま山に生えているね。」
「うん。でも自分で似ても店で食べるチタケみたいにならなくて…。」
「チタケの含ませ煮はね、こうするんだよ。、まずチタケを細かく切って、そして中華なべにごま油をいれてギンギンに加熱するの。煙が出て発火寸前までね。そこに強火のまま刻んだチタケを入れてさっと杓文字でかき混ぜるの、そこに醤油と日本酒と砂糖を入れて含ませ煮にするの。そうするとニシンの香りのチタケの含ませ煮が出来るよ。それを便に入れて冷蔵庫にいれておくと、保存が利くから冷奴の上に載せても最高だよ。」
と背中に絵が描いてあるおじさんが親切に教えてくれたものだ。

ちなみにチタケというのは北関東の方言で正式にはベニタケ科チチタケという種類だ。北関東のスーパースターにして文豪、ヤマモト膵臓の短編にもチタケの一種「ハツタケ」というものがある。同じく北関東の生んだスーパースターといえば宇宙飛行士向井千秋さんの母親(向井千秋さん本人ではない)もあげられる。宇宙短歌として有名なのは
「宇宙でも地球でも着れる無頓着」
というものだが、この短歌は実は向井千秋さんの作ではなくやくみつるさんの作だ。宇宙から帰ってきて時の小泉総理を表敬訪問した宇宙飛行士向井千秋さんの服装をやくみつるさんが歌ったものだ。もちろん下の句もある。「だんなさんはぴんから兄弟」というものだ。向井千秋さんのだんなさんはぴんから兄弟の宮史郎であることもよく知られている。



 ブルマおばさん

M子ちゃんは大学の先生の娘さん、つまり大学教授令嬢というわけだった。それだけあって勉強は出来た。が高校時代、私が受験勉強の居場所としている近くの公立高校によく彼女が出没したが彼女、短いショートカットに下はなんと紺ブルマなのだ。いつでも紺ブルマというわけじゃなかったが、紺ブルマで図書館に来ることも珍しくなかった。そんな彼女は無口というか自閉症っぽかった。
そしていつでも一人で受験参考書を開いていた。 後に彼女は国立の医学部に入った。内科か何かのJOYさんになるのかなと思ったら、精神科医になった。精神科医というのは変わり者が多い(というより例外なく変わり者)であるといわれるが、なるほど変わり者が精神科医になるらしい。
 しかしブルマというと、姉のこんなため息を思い出す。
「あーあ、連休明けからブルマで体育だ、ヤだなぁ…。ブルマなんてあんなヘンなパンツ、一体誰が発明したんだろー。」
そしてそれから十年後、従姉妹にも同じ事を聞かされた。
「あーあ、連休明けからブルマで体育だ。ヤだなぁ…。ブルマなんてあんなヘンなパンツ、一体誰が発明したんだろー。」
ちなみに従姉妹のいた東京都渋谷区東急沿線はブルマ=紺パンだったが、また別な従姉妹がいた神奈川県下では紺パン=非ブルマの紺ショートパンツをさす言葉だった。
「うちの学校は紺パン可だからブルマはいたことないよ。」
という感じに使用される。さらに東京都多摩地区の一部では紺ショートパンツを女の子が穿けばすべて「ブルマ」になってしまった。そんなわけでブルマの語源はblue、つまり青で、ネイビーブルーだとかミッドナイトブルーから来ているものだとばかりおもっていた。

さて、ブルマというものは学校体育の場ではオウム真理教大事件を境に廃れていった。オウム事件の頃は近くの塗装店が有機溶剤をこぼしてあたりに有機溶剤の異臭をぷんぷんさせていたが、これをサリンであると主ね鋳込んだ近隣の住民はパニクり、近くの学校の生徒たちも避難するという騒ぎになったが、そのときブルマ姿の生徒がたくさん道を歩いていたのを覚えている。その後まもなくこの学校は女子も男子と同じ紺パンになった。そんなわけで町の店ではもう学校体育の場で使用されることのなくなったブルマが叩き売りされていた。近くの主婦がこのブルマを買って窓ガラス噴きや洗車に使用していたことは覚えている。




北関東ゲロ暑い気候事情
 ゲロ暑い中かんぴょう畑の草取りをした宇宙英雄は熱中症で自治医科大病院に救急搬送。


北関東…関東地方北部というより関東平野を外れて日光山地や榛名山などから山形県の蔵王山までの山沿いの町だが、冬は山から吹くおろす「空っ風」というものがぴゅーびゅー吹き付けて実に寒く感じが悪い。一方夏の暑さは日本トップクラスの偏差値だ。それは榛名山とか男体山とかそういう山からフェーン現象が起きるからであり、栃木群馬山梨福島山形といった北関東南東北はゲロ暑いことで有名だ。この日光山地から蔵王山までの北関東南東北というのは『冬寒く夏暑い』というひどいところでも有名だ。何年か前に日本のゲロ暑い(北関東では三十七度を超えると『ゲロ暑い』という)日本タイトルを山形市から埼玉の熊谷市が奪取したことがあった。奪取したとしても山形市の40.8度が熊谷市の40.9度の僅差で奪取されたわけだが、それをみても北関東南東北というのがいかに『ゲロ暑いところ』であるかがわかるとおもう。
さらに冬の寒さだって半端じゃない、北関東のとある餃子の町の冬は札幌よりも寒い日が多いし、さらに餃子の町から日光山地に入ったところ(最近幼女誘拐殺人で有名になった町)なんぞは冬季は連日マイナス10℃を軽く下回る。さて、私が子供の頃、その関東北部、関東平野から外れた山沿いの町でゲロ暑くなったことがあった。当時はエアコンなんていうものは会社社長の家にしかない。だから私たち子供は近くの川に涼みに行った。市民プールですらも「お風呂状態」になっていたし、プールサイドのコンクリートに至っては素足で歩けばやけどするほどだ。そんなわけで川で沐浴しては川に近い友達の家に行くと、友達のご母堂が下着姿で台所に床に転がっていたのを覚えている。 しかしいかに外界がゲロ暑くとも川の中は涼しい。河にどっぷり使って友達と将来のことを話すのも楽しい。将来は科学者になろうと語り合ったものだが、そのとき一緒に川に使っていたI君は理科少年として有名だったが後にペリーローダンにはまり、久野四郎のガラワラなどをSFではないだとかどうしてああいうオハナシがSFマガジンに乗っているのか解らないといっていた。
I君にとってはSFの真髄というか求めていたこれぞSFというのがペリーローダンだったらしいのだが、私はペリーローダン文庫はあとがき以外全然面白いと感じたことはなかった、というかI君からローダン文庫を借りてあとがきだけ読んであとはI君に返していた。だからI君のローダン本文談義にはまったく付いていけない。そういやローダンあとかきに芝生の草取りのお話があった。それはまさしく北関東の「かんぴょう畑」の草取りを髣髴させるものでありまったくスペースオペラ的ではない。  
 

Re: 暑い!

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 8日(日)00時54分22秒
返信・引用 編集済
  > No.5512[元記事へ]

トマトさん
 遅くなりましたが拝読しました。
 これって結末編がもちろんあるんですよね。このあと無神経女は、(ヴォネガットが「そういうものだ」と言うところの)過酷な運命にさらされるんですよね。たのしみー(>おい)(^^;
 
 

「海洋未来物語 2 」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 7日(土)22時26分43秒
返信・引用 編集済
  石原藤夫『海洋未来物語U 海のタイムトラベル(SF資料研究会、87)読了。

 承前。今回もまず冊子化しかけたところ、マヌケなことに途中で紙を切らしてしまいました(噫)。
 しかし、とりあえず上巻(第8話から第11話まで収録)は完成出来ました。
 下巻(最終話の第12話と「〈付録〉SFショート集」6篇を収録)は、明日にでも紙を購入してきて完成させるつもりですが、とりあえずPC画面で読了。
 「〈付録〉SFショート集」については、巻末作品略解に「付録として付けたSFショートショート6篇は、1971年1月から6月にかけて福島正実さん、光瀬龍さんなどと交代で『公明新聞」に掲載されたもの」*とのことです。国会図書館ではデジタル化されておらず、掲載日は確認できませんでした。
(*「公明新聞」で、私の記憶にピンと響くものがあり、ひょっとしたら眉村さんも加わっていたかも。いまちょっとネタ元を思い出せないのですが。)

 ということで第2巻読みました。
 著者の科学的想像力は、さらに奔放に拡がり、第8話は後のサイバーパンクに先駆ける人体改造もの。
 第9話「自転する地底世界」では地底に、というか地球の中心部にペルシダー型の地底世界が発見されます(つまり重力の方向が逆転した地底世界。もう一つの類型は重力の方向は地上と同じのそれ。例えばヴェルヌ「地底探検」は後者)。しかもバロウズは説明しなかった重力逆転の謎を解明しています(笑)。これはすでにニュートンが計算していたらしいですが、地下の同心状の球殻の内部では重力がキャンセルされてしまうそうです。でもシマハタとアールが入り込んだ地底世界では逆向きの重力が存在している。つまりそれは遠心力だったのです! なるほど、と膝を打ちました。その意味でこのオハナシはペルシダー型地底世界に力学的根拠をあたえた画期的な作品かも!

 第11話は、第3話と同じアイデアで、地球の海水を宇宙空間に移動させて水球を作るというもの。第3話は、海が人間の活動で汚染される当時の現状から発想されたものでしょう。それは第5話の主題でもあります(この第5話、読んでいたらレムの「砂漠の惑星」が浮かんできました。あれよりももっと人間的な機械ですがシジフォス的なところが似ていると思いました)。
 そういう憂慮が作品の動機とはいえ、著者の裡には、「宇宙を海に、海を宇宙に」(105p)とあるように、そもそも地球の水を宇宙に移動させたいという、殆どアプリオリと言っていい欲求があるような気がします。そういえば「生きている海」(HSFS版『生きている海』所収)もそんな話ではなかったでしたっけ。
 最終話で、月の各海が実際に水をたたえた海となり、地球から見る月が青く輝いているという図は、まさに本シリーズの掉尾を飾るにふさわしい美しい映像でした。

 ショートショート集では、「タイム・シェアリング時代」がサイバーパンク的なアイデアで、「砂の男」は安部公房のパロディ(だと私はぜったいにそう思います!)で、「ロボット」は過不足なくよく出来たショートショートで、面白かった。「時間の流れ」は、以前森下さんのブログで議論伯仲した時間の河の流れの外か内かで認識の向きが変わってしまうというものですが、なんと30年も40年も前に既出だったんですなあ(^^;

 

「海洋未来物語 1 」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 7日(土)01時45分29秒
返信・引用 編集済
  石原藤夫『海洋未来物語T 海のタイムトラベル(SF資料研究会、87)読了。

 オロモルフ先生こと石原藤夫博士が《科学朝日》1970年9月号から1971年8月号まで連載した連作長篇です。例によって、国会図書館デジタルで確認した雑誌情報をリスト化して下に示しておきます。(なおイラストは神無月京。科学朝日とは別です)
 本は、『海洋未来物語T』『海洋未来物語U』の二分冊で、SF資料研究会発行。
 つまり、簡単には入手しがたい稀覯本なのです。ちょっとやそっとでは読むこと能わずなんですけど、今回、高井信さんのご好意で、画像データをCDでいただくことが出来ました! 高井さん、ありがとうございましたm(__)m。

 さっそく読みかけたのですが、さすがに画像データをPCで読むのはストレスがありました。で、とりあえず第1巻の方をプリントアウトすることにしたのですが、どうせプリントアウトするのならば、製本しちゃえ、というわけで、しちゃいました。もはやビョーキですな(^^;。
 しかし総ページ数が160頁あり、私の持っているホチキスでは1冊にまとめるのは無理。次善の策で、第1巻を、上巻と下巻に分冊して作りました。
 なかなかうまく作成できたので画像をお見せしたいところですが、ひょっとしてこれって海賊出版(1冊きりなんですけど)? というわけで、画像のアップは自重させて頂きます。また、自分が読むためだけの製本なので、当然ですが後にも先にもこれ1部だけ。欲しいと言われても無理ですからね。あしからず(^^ゞ

 ――と、そんなこんなで、第1巻読了(リストの第7話まで収録)。
 やっぱり面白いですねえ。って言うまでもないですね(^^)
 ストーリーは、海洋開発計画局の未来調査課に所属する若手調査マンである、シマハタとアールのコンビが、海のジープと謳われる高性能エアクッション艇《アンピトリーテー号》を駆って、二人の前に次々に現れる難事件怪事件を快刀乱麻(?)に解決していくもので、そのへんは先日読んだ『新電気未来物語』や惑星シリーズと(活動する舞台は違いますが)同構造です。
 著者が、(連載時点の)10年後の1980年には海洋開発は「こうなっているであろう」と設定した近未来が背景になっていて、それがまず興味深い。最初の第1話と第2話は、その設定篇の趣きが強く、比較的おとなしいのですが(あるいは媒体でどこまで許されるのか様子見の段階だったのかも)、第3話でにわかに著者らしいイマジネーションにとんだハードSFとなります。それ以降は回を重ねるほどに著者のSF的想像力は自由奔放になっていきます。つまりSF的ハメ外しが大きくなっていくわけで、第1巻最終話である「海中のヒッピー族」で頂点に達します。
 この作品では、「人間」の快適(利益)という観点からすれば逆行する、深海の洞窟で暮らす「海底人」が描かれ、一種本格SFの趣があります。(久しぶりに人工エラを装着する水棲人間の話を読んだ。70年代初頭はすぐにも実用化しようかという感じだったんですけどね。でもここにも書かれているとおりで、よく考えれば海中に住む生活は、地上人と同質の生活を求める限り、現実化しにくそうですね。だいたい火が使えません)

 というわけで、、第2巻がさらに楽しみになってきました。さっそく明日にでも、プリントアウトして製本したいのですが、表紙に使う画用紙が同じ色しかないんだよなあ。と、ニワカ職人めいた事も考えてしまうのですが、まあ私が自分で読むだけなので、我慢しましょうかね(汗)。

 

 

Re: Re:一つ、二つ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 6日(金)17時03分36秒
返信・引用 編集済
  > No.5520[元記事へ]

段野さん
>バックナンバーは、ありそうです
 ああそれはよかったです(^^)

>デジタル化していないこのこと、それこそ、倉庫に眠っているのでは?
 そうです。閉架書庫にはあるということです。しかしデジタル化していないから、インターネットでは見れないのです。
 国会図書館(東京)に行けば、調査可能です。

>わっ、今度は取材ですか
 家族特権を活用しない手はないですぜ(^^ゞ
 
 

Re:Re:一つ、二つ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月 6日(金)16時45分24秒
返信・引用
  >「取材」
わっ、今度は取材ですか。ううむ、バックナンバーは、ありそうです。(勘)一般会社でも、バックナンバーは、残していますから、期待大です。ただ、国会図書館にも、デジタル化していないこのこと、それこそ、倉庫に眠っているのでは? 残っていれば、めっけもんですね。

ところで、皆さまには、「MD」が存在していた頃をご存じでしょうか。この度、そのMDに録音しました。何故一瞬にして市場から消えたのか。理由が分かりました。「重たい」のです。携行するには、重たすぎるのです。折角のデジタル録音ができるのに、かさばる、重い、利便性がないことが、分かりました(図書館から借りて、CDをMD化すべく、やったはいいが、MD機材が重たすぎる。これは、廃れる筈である、と思ったのでありました)
失礼しました。
 

「われら戦友たち」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 5日(木)23時10分9秒
返信・引用 編集済
  柴田翔『われら戦友たち』(文藝春秋、73)読了。
 本書は1966年から67年にかけて雑誌連載されたものを、72年から73年にかけて全面改稿したもの。初出では『されどわれらが日々』に次ぐ第2長篇ですが、単行本化は『贈る言葉』『立ち盡す明日』『鳥の影』の刊行後になります。下述する「全体小説」化に難渋したのでしょうか。
 面白かった。これはもう大衆小説ですな。要するに物語なのです。『されどわれらが……』に既にそういう面はあったけれども、本書はそっちへ全面的に行ってしまってます(『鳥の影』とは丁度反対ベクトル)。
 いや貶しているのではない。大衆小説として大変面白く、映画か、テレビドラマにしても充分受けそうです。
 それは本篇が(タイトルがあらわしているように)群像劇として構成されていることが大きい。あとがきで著者は、『されど……』が単一視点に収斂せざるを得なかったことへの反省があったとのことで*、つまり全体小説を希求したということでしょう。(*「世界はひとつの視点に収斂されずして、多様性に開いたまま放置さるべきである」(あとがき)
 言うまでもなく高橋和巳にしろ小田実にしろ、全体小説は結局大衆小説なのです。
 もっとも本篇はわずか340頁ほどで、全体小説というにはいささか拡がりがせまく条件を満たしていない(後述の理由もあって)。しかし本篇を部分とする長大な全体小説を、読者は想像すればよい。私はありありと想像できました。
 条件を満たさないもう一つの理由は「一部分、推理小説仕立てのところがあったので」(あとがき)、冷笑者飯森と学生運動に好意的な新興資本家浅川の二人は視点を与えられていない点で、これはやはり原理的に瑕疵でしょう。
 大衆小説という、もうひとつの理由として文体が挙げられます。前作『されど……』「いささか窮屈な文体を捨てて、幾分は出鱈目な文章を書いてみたい」(あとがき)という言葉通り、私は読んでいて「講談調」と感じました。いやそれは言い過ぎで、乱歩調というべきでしょうか。つまり著者が語っている部分があるのです。ex)「その日は、彼、鶴木康吉にとって、様々な事件に充ちた長い日になることになっている」(9p)
 催眠術が重要な小道具になっていたり、187頁で、公子を追いかけて見失った康吉が、ふと見上げた鉄の非常階段の半ばに公子を発見するところとか、まさに乱歩の通俗長編のノリ(^^;。

 本篇は、明記はされず改変されていますが(6月15日(水)樺美智子死に対して本篇三木公子は6月20日(金)のデモで死亡。但しモデル関係はなさそう)、1960年6月の反安保闘争を背景に、全学連の活動資金紛失事件(実際にあった事実かどうかは知りません)をめぐって、それに好むと好まざるとにかかわらず関係した若者たちの行為(内面と行動)を多少の軽重はありますが、無理やり一個の物語に収斂させず、開放系として並列させることで(つまり何も終わってはいない。切り取られて提示されているだけ)、逆に小説の奥に、描かれざる拡がりを感じさせてくれる。安住(スクエア)ではなく荒野をめざす青春群像を描く(のは著者の常ですが)、切実で且つ、なかなか面白い小説でした。


 

中高年層に読者を増やしつづけるSFの現況

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 5日(木)19時53分32秒
返信・引用 編集済
   またつまらない番組を見てしまいました(すぐに消したけど)。

 若年層が覚醒剤で検挙される数が減る中、中高年の割合が年々増加。去年は全体の検挙者の半数以上を中高年が占めるようになりました。(クローズアップ現代)

 だったらこういうことも言えるのでしょうか。
 SF読者に占める若年層が数を減らす中、中高年の割合が年々増加。去年は全体の半数以上を中高年が占めるようになりました。

 おいおい。
 

Re: 一つ、二つ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 4日(水)22時01分35秒
返信・引用 編集済
  > No.5516[元記事へ]

段野さん
>共同通信社配信
 あれって契約(?)している新聞社が取捨選択して掲載しているんでしょうかね。どうなんでしょう。
 そうだ。家族のメリットを活かして、どんな風に雑誌が出来上がるのか、「取材」に行かれたらどうですか。
 だいたい警察って身内意識の強い組織ですから、家族だといえばいろいろ親切に教えてくれるのではないでしょうか。
「なにわ」のバックナンバーも貸し出してくれるかも。いや貸し出してもらわなくても、コピーさえ取らせてもらえれば十分ですよね。ちょっとコピー機使わせてくれませんか、といえば、どうぞどうぞ、でしょう(笑)
 で、最後に「えっと、おいくら」と財布を出すふりをしておけば、そんな水臭いこと言いはりなさんな、と言ってくれること請け合いです。出前の丼くらい取ってくれるかもよ(>おい)(^^ゞ
 小説のネタにもなりそうですね。
 

 

Re:一つ、二つ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月 4日(水)13時35分5秒
返信・引用
  管理人様
>バックナンバー
わっ、あるかしら? 長年、入り込んだことのない、倉庫を見てみます。
これって、例えば、共同通信社配信#村さんの記事に、やりかたが似ていませんか。あちこちの地方紙に、同じ著者の小説が連載されるのと。
 

Re: 一つ、二つ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 3日(火)21時24分43秒
返信・引用 編集済
  > No.5513[元記事へ]

通りすがりさん
 ご来信ありがとうございます。

>特にこのような外部執筆者の場合は、共同で(あるいは、どこかが窓口となって)
>両方の雑誌に載る前提で、原稿依頼していたのではないでしょうか。
 ご教示感謝です。なるほど、そのような場合があり得る雑誌なんですね。
 たしかに、どちらも月刊誌のようですが、各道府県警単位で、毎月それぞれ独自原稿で誌面を埋めてしまうというのは、客観的に考えて困難そうですよね。全頁の何割かは共同原稿のコーナーがあって当然な気がします。としますと――

>≪なにわ≫の52年前後の号をあたれば
 当然そうなりますよね。
 で、国会図書館にあたってみましたところ、ここまでは行き着いたのですが、やはり目次の出し方がわかりません。《旭の友》は目次がわかるので(1977年11月号)、《なにわ》はデジタル化されてないのかもしれません。*

>大場惑が≪連珠世界≫にショートショートを連載
 わ、それもまたきわめて特殊ですねえ・・

 なにはともあれ、また面白い事実が浮かび上がってきました(^^)。通りすがりさんには、興味深いご示唆を賜り、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

*ということで段野さん、今度ご実家に帰られたら、お手数ですがバックナンバーを調べていただけますか(残っているかも含めて)。たぶん1977年11月号の前後半年くらいの範囲で間違いないと思います。よろしくお願いします。

 

Re: 暑い!

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 3日(火)21時23分4秒
返信・引用 編集済
  > No.5512[元記事へ]

トマトさん
>前回の納涼話は多少「ン」なところが
 いやいや、そんなことはありません。
 あのオハナシ、まず間違いなくワナビーの心にフンヌと殺意の熱い炎をめらめらと燃え上がらせたと思いますよ。
 それのどこが納涼バナシなのかって?
 失礼、NO涼バナシでした(^^ゞ
 
 

 

一つ、二つ

 投稿者:通りすがり  投稿日:2014年 6月 3日(火)17時42分49秒
返信・引用
  私も、詳しい訳ではないのですが、昔調べた際の記憶ですと……。

≪旭の友≫と≪なにわ≫は、全く別な雑誌ではなく、特にこのような外部執筆者の場合は、共同で(あるいは、どこかが窓口となって)両方の雑誌に載る前提で、原稿依頼していたのではないでしょうか。
この眉村作品については確認してませんが、土屋隆夫のコント(「追われる男」)は、同じ作品が両方の雑誌に載っていましたので。
あるいは、≪なにわ≫の52年前後の号をあたれば、同じ作品が載ってませんでしょうか……。

≪囲碁新潮≫等の雑誌は、盲点ですね……。その昔、大場惑が≪連珠世界≫にショートショートを連載していたことがありましたが、知らなければ絶対に辿り着けないデータだと思います。
 

暑い!

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月 3日(火)17時21分34秒
返信・引用
  管理人さん、段野さん、ありがとうございました(^_^)v

前回の納涼話は多少「ン」なところがあったかもしれないので、削除しましょうと思いましたが、現状維持にしました。


少しは日差しも暑さもやわらいだようですが、しかしそれでも暑いですねー。 渋谷から東横線で横浜に行くと、確かに浜は涼しいけど、また渋谷に戻ると渋谷は横浜よりも暑いです。
「嗚呼、北海道に行きたいなぁ…北大のポプラ並木やラベンダーの香る北海道に…」 と思っていたら、札幌が都内よりも暑い日もありましたね。
そんなわけであまりの暑さに都内を逃げ出し本日北海道音更町駒場に避暑に行った人などいないでしょうか(笑)日の北海道更町駒場は都内よりも10℃近くも暑く、今日の北海道音更町駒場は37,8度だそうです。


納涼文学  納涼無神経一代


 最近トラブルで多い事案というのは「子供をガバナンスする気のない親」に関するものだ。中には子供たちと一緒に親(保護者)が騒いだりして周囲に迷惑をかけている場合もある。そして周囲の家の敷地に侵入しては車や植木を傷つけたりしてもただ「こんにちは」といえばなんでも済むと思っている連中があるということだ。
「あの女を一目見たときから、絶対やるなと思いました。」
と証言するのはクライアントのCさんだ。
さて、あの女の服装というがいつでもユニクロで買ってきたようなフリースとユニクロズボン、髪も短くいつでもすっぴんなので最初は男の人かと思ったという。つまり電車に乗っていても痴漢の対象外ということだ。

この女は子供たちを集めて子供たちと一緒にワーワー騒いだりいるし、子どもたちがおもちゃのピストルでよその家にプラスチック弾を打ち込んでも涼しい顔だという。さらに隣の家のお姉さんに
「おー出てこい。ペチャパイねえちゃん」
といっても涼しい顔。小学生はいたずらしてからかうのが商売なんだ…というのがこの女のスタンスらしい。
がこの隣のペチャパイ姉ちゃんのいる家というのがヤバかった。結構な豪邸で道からは高い塀とうっそうと茂る常緑樹に覆われて中の様子をうかがうことは出来ない。が隣の例の無神経女の家からは丸見えなのだ。この無神経女の家、それまでは銀行員がいたからそれは常識的で隣の家をのぞくことなんかなかったし、それに隣の家がどういうがどういう家なのか知っていたから気をつかっていたのだ。

さて、いつもユニクロすっぴんにショートカットの無神経女が近所のスーパーに買い物に行く途中、後ろから真っ白いベンツCLSがすーっと停まってそしてドアが開いた。出てきたのはペチャパイ姉ちゃんだ。目つきは鋭く、何か危険なオーラを放っている。彼女は無神経女にこういった。
「お姉さん、あんたとこの舎弟、あたしにずいぶんのこと言ってくれたじゃないっの。」
それでも無神経女は無神経なままで
「小学生は腕白じゃなくちゃあ。」
と涼しい顔。子供がペチャパイとからかって一体どこが悪いの、そんなことでいちいち目くじら立てるほうがおかしいんだという様子だ。
「おんどりゃナメさらすんじゃねーぞ。てめぇのダンナ、今の職場にいられないようにしたろかもおい。」
CLSから降りた細身長身のペチャパイ姉ちゃんは突然どすの利いた声でこの無神経女にこう啖呵を切った。このどすの利いた迫力にさすがの無神経女も彼女がそして隣の豪邸が何者であるかがわかり始めた。
「どうもすみませんねー。」
とその場はこうお茶を濁して無神経女はママチャリで帰宅する。すると隣の豪邸のガレージのシャッターが開いて白いCLSが中に入るところだった。
 ペチャパイ…Aはカップの彼女にとってそれは一番言われたくない一言だった。新宿の伊勢丹のワコールでブラを買うときもいつでも見栄を張ってはCカップを買っているぐらいだ。Aカップのブラと豊胸パットはこっそりとネットでかうようネットでかうように勤めているのだ、ネットで買うというとアマゾンだ。アマゾンというとローソン受け取りだ。そしてこのペチャパイネタでは実は子供たちとこの無神経女も盛り上がっていたのだ。子供たちにあのお姉さんがローソンに行ったら、きっとアマゾンで買った豊胸グッズを受け取りに行くんだなんぞと教え込んでいたのである。
「おんどりゃ、本腰揚げて追い込みかけたろか。」
顔はきれいだがペチャパイのお姉さんはそれは怒った。そして無神経女がママチャリで出かけると、ズズズーとガレージがあき、あまりに目立つ白のベンツCLSが無神経女のママチャリの後をぴたっと付いていった。コレには無神経女も心臓が凍りつくほどの思いをした。
「となりのあの細くて髪の長い胸がペッチャンなおねえさんは何者だろう?」
改めて無神経女は恐ろしくなった。
 こうしてこの無神経女の家では隣のお姉さんをペチャパイというのが禁句となった。しかし子供たちはイタズラしてからかうのが商売なんだーというスタンスは変わらない。子供たちがよその家の敷地に入って、そこにとまっているアウディやレクサスに手をついたって子供だからいいじゃないのというスタンスだし、子どもにはその家の人に「こんにちわ」といわせればなんでも済むと思っている無神経女ぶりだ。だからこの無神経女は当然隣のペチャパイお姉さんが異常なんだというスタンスでありつづけた。なにしろこの無神経女の大脳皮質にはそういうオペレーションシステムがインストールされているのでどうしようもないのだ。がしかしそうこうしているうちにもこの無神経女の運命にペチャパイお姉さんのオーラが実行支配し始めた。無神経女はペチャパイお姉さんの舎弟となり、ペチャパイお姉さんを姐御として命を捧げなければならないという運命に変容されつつあったのだ。つまり本腰あげて追い込みをかけられたというわけだ。こうして無神経女の腕白息子も学童舎弟としてこのお姉さんに運命を支配されることになったのである。こうして「ペチャパイねえちゃん」とからかったことに落とし前を付けなければならなくなったわけだ。  
 

トマトさま

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月 3日(火)10時25分6秒
返信・引用
  「納涼オハナシ」でないところが、「納涼オハナシ」なのではないのでしょうか?  

Re: ガラワラ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 2日(月)23時11分0秒
返信・引用 編集済
  > No.5509[元記事へ]

トマトさん
 読みました。
>納涼オハナシをつくってしまいました。
 えーと、どこが「納涼」なのかな。
 うん?
>投稿してはボツになる?
>いつかは花咲くことを信じるしかない?

 うわー。ぞぞぞぞ〜〜〜(てかトマトさん、刺されるよー)(^^ゞ


段野さん
>柔道部関係で
なるほど。それはありえますね。
 

Re: ガラワラ

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 6月 2日(月)17時19分43秒
返信・引用
  > No.5499[元記事へ]

暑い中お疲れ様です。

しかしとにかく暑いですね…。

納涼オハナシをつくってしまいました。

  エコモマイ、いつかは花咲くことを信じるしかない売れない作家、エコモマイとその家族たち…。
「ワシには特別な才能があるんだ。それが解らんのか。わからんやつはクズだ。」
そう言い張るのはエコモマイその人だ。だから正常な感覚を持ち合わせている人たちはこんなエコモマイを相手にしない。相手にせずに済めばそれでいい。、しかし身内はそうはいかない。夜遅くおきていて「すばらしい作品」とかを書き上げているエコモマイのために全面的に協力しなければならないのだ。しかもエコモマイの書いているまったくつまらないオハナシを大変すばらしい文学作品としてあがめたてなければならない。エコモマイこそ山中教授のようにノーベル賞をもらうべきだとそう賛美しなければならないのだ。

  このエコドマイ、とにかく夜遅くまで起きている。そして朝は遅く起きてくる。しかも威張っている。何しろ自分には特別な才能があると思い込んでいるからだ。そしてパジャマのままでダイニングに現れる。家族たちはすでにエコモマイのために食事を要している。ベーコンエッグだったり中華風おかゆだったりする。何かとエコモマイはわがままだ。ベーコンエッグが欲しいといったがベーコンも卵もない。するとエコモマイは露骨に不快感をあらわにし、そして「ベーコンと卵はいつでも切らさないように。」
という。がその翌日からエコモマイはベーコンエッグな飽きてしまった。

 とにかくこのようにわがままでずうずうしくジコチューなエコモマイだ。しかもテレビのチャンネルやデータ放送すべての権利はエコモマイにあることになっている。他の家族たちはエコモマイを捧げるためにコンビニや家庭教師や添削員のバイトをして家計を支えている。エコモマイは仕事…執筆のための資料として書籍代を家族に請求する。家族はエコモマイがキレて暴れるのが怖いのでエコモマイの言いなりになっている。
 そしてまたエコモマイは自信作を投稿してはボツになる。すると不機嫌になり、家族に当り散らす。 エコドマイは服装にも不頓着だ。一日中パジャマでいることも珍しくないし、パジャマのままで外出することだってある。自分には特別な才能があり、売れない小説執筆をどうどうと「仕事」と言い張っている。
「ワシの仕事はカネにはならんのだ。」
と公然と言っているのである。そしてついに家族の我慢も限界に達した。家族たちは諸悪の根源はエコモマイにあるとして、エコモマイをスケープゴートとしたのだ。こうして家族たちはエコモマイをシカトし、突き放し始めた。エコモマイは奈落に突き落とされるような想いだった。そして家族との接触を断ち切り、自分の部屋に閉じこもるようになった。トレイも家族と顔を合わせないようにしていった。腹が減って食堂に来ても家族たちはエコモマイに知らん顔。もう赤の他人なんだという感じだ。そしてエコモマイはオハナシがかけなくなった。そしてエコモマイは電車に乗って奥多摩まで向い、そして山の中に入った。
 一方家族たちはエコモマイがいなくなったのでせいせいした。もうつまらないオハナシを『すばらしい作品』だとは思い込まされなくて済むのだ。

 そして幾歳月が流れた。家族たちはもうエコモマイのことなんか忘れていた。がある日、突然エコドマイが帰ってきたのだ。家族たちは全身が凍りつくような想いがいた。またあの悪夢の日々が再現されるのか…。そしてこう決意した。エコモマイを徹底的にシカトしよう・・・。こうしてエコモマイは家族にシカトされた。するとエコモマイはキレた。「なんでワシを無視するんだっ。おいっ。」
それでも家族はエコモマイをシカトし続けた。
「クソ、どいつもこいつもワシの才能を解らん。ワシの才能がわからんやつはこの世から消えてしまえ。」
エコモマイはそういうと、台所にあるサラミソーセージをつまみ食いし始めた。すると家族たちは泥棒がサラミソーセージを盗み食いしたとひそひそ話を始めた。
「おい、言いたいことがあればはっきりワシに言えばどうだ。」
しかし誰もエコモマイを無視し続けた。 ??
 

Re:長野県警察本部教養課発行≪旭の友≫

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月 2日(月)10時05分25秒
返信・引用 編集済
  管理人様
>長野県警というのが謎ですよね
柔道部関係で、お知り合いがおられたのでは? (警察には、柔道か、剣道が必須なのです。といっても、50年前なら、「お知り合い」のことは、難しいでしょうね。)
 

Re: 長野県警察本部教養課発行≪旭の友≫

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 1日(日)22時42分37秒
返信・引用
  > No.5505[元記事へ]

段野さん
>大阪府警なら、「なにわ」という、月刊誌があります
 大阪府警なら、まだわからんでもないですが、長野県警というのが謎ですよね。
 50年前のことで、先生もたぶん覚えておられないでしょう。
 

Re: 眉村さん情報:囲碁新潮掲載作品リスト

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 1日(日)22時30分24秒
返信・引用
  高井さん
>とっても恥ずかしいらしくて、「読まないでください」と(笑)
>まあ、若いころの作品って、みな恥ずかしいものなんですけれど。
 ああ、そうなんでしょうねえ。去年の眉村卓詩集も、もう本当にしぶしぶ、という感じでした。それを考えると、囲碁ショートショート集も、なかなか説得は大変かも、と今から頭が痛い、あわわもとい、ふつふつと闘志が湧いてきました(^^;

>届きました。ありがとうございます。
>きっちりとしたショートショートになっていることはわかります。
 そうなんですよね。ケイブンシャ文庫あたりの(80年代以降の)ショートショートは、ある意味ショートショートの定石をわざと「崩して」作られていたりしているように思うのですが、「囲碁ショートショート」はもっとも初期に当たるものだからでしょうか、「きっちり」と書かれているなあ、という印象ですね。それでもいかにも眉村さんらしい特徴ははっきりと出ており、習作ではありません。やはり眉村さんは完成してデビューした作家だったんだな、とあらためて思いました。

 さて、私も眉村さんの《囲碁新潮》連載ショートショート29篇、読み終わりました。ひろ・ぼん名義の作品も読みましたけれども、これはあきらかに別人の作品でした。眉村さんの連載を読んでいるうちにショートショートに目覚めた人が書いたもののような気がします。これではオチになっていないですね。
 それぞれに面白いですが(ヤブレカブレなのもあります(^^;)、正月特集で(?)通常の倍の紙幅(6枚)を使えた「ある元旦」が、サイボーグの心情に踏み込んで、しかも二段オチと、ストーリーに厚みがあって、マイベスト作品でした。
 あと第一話の「この一手」は、囲碁というゲームの規則性に即したオチで膝を打ちましたし、最終話の「決死隊」は、現在のネット囲碁のありかたを予見してます。「結果が問題」では、ロボットに碁を打たせるのですが「優劣は、ロボット自身の性能で決まるわけではなく、いかにうまく、何を教えたかということにかかっている」という記述があり、これをプログラミングと言いかえれば、一気に現在性を獲得します。「老守衛」は「名残の雪」の伊藤さんが二重写しに感じられました。「五十年」もなかなか感傷的で、ちょっと雫石鉄也ぽかった。いやこれは逆ですね。雫石鉄也が「五十年」っぽいのですな(>おい)(^^;

 という次第で、囲碁ものという希少性がありますし、これはなんとしても読みたい人が読めるようにしなければなりませんね。頑張らねば。

 

長野県警察本部教養課発行≪旭の友≫

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 6月 1日(日)14時05分6秒
返信・引用
  管理人様
いつものごとく、遅い反応ですいません。
これが大阪府警なら、「なにわ」という、月刊誌があります。版型は、SFマガジンと同じようで、厚さは半分ぐらいです。勿論、業務のことは載っていますが、警察官、職員の書いたものも載ります。作品は様々なジャンルのものが多かったようです。おまけに、「文化祭」まで開催され、自慢(?)の作品が、本部に展示されます。自分に展示できるものがなければ、家族の作品を展示します(そのおかげで、私の作品が、親に代わって、展示されました)
そのような、業務的な雑誌(といえるのか)に、何らかの形で、(つて)眉村さんの作品があったことに、興味深く思いました。
 

Re: 眉村さん情報:囲碁新潮掲載作品リスト

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 6月 1日(日)12時01分5秒
返信・引用
  > No.5501[元記事へ]

> 実は今日、高井さんにもメール便で発送したところです。
 届きました。ありがとうございます。
 さっそく、いくつか読んでみました。管理人さん同様、私も囲碁は知りませんから、なんとなく「こういうことなんだろうな」と想像することしかできないのですが、それでも、きっちりとしたショートショートになっていることはわかります。
 麻雀を知らない人が田順彌さんの傑作「麻雀西遊記」を読むのと同じようなものかも。マージャンを知っていれば何倍も面白いのに、それがわからない。
 そう考えると悔しいです。
 

Re: 「新電気未来物語」

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 6月 1日(日)08時00分51秒
返信・引用
  > No.5502[元記事へ]

 私も数年前に読みました。面白いですよねえ。もっとも石原さん、とっても恥ずかしいらしくて、「読まないでください」と(笑)。まあ、若いころの作品って、みな恥ずかしいものなんですけれど。
> それに星新一の名を冠するのが妥当かどうかは別にして、
 私も違和感を覚えています。
> でも石原藤夫賞だったらもっと意図がはっきりしたんじゃないでしょうかねえ。子供部門は瀬川昌男賞とすればいうことなし(^^ゞ
 素晴らしい! 大賛成です。
 

「新電気未来物語」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月 1日(日)03時11分44秒
返信・引用 編集済
  石原藤夫『新電気未来物語』(栄光出版社、71)読了。

 以前から読みたかったオロモルフ先生こと石原藤夫博士の『新電気未来物語』(栄光出版社、71)が入手できました。嬉しくてさっそく読んでしまいました。なに、四六版ハードカバーですが140頁の薄い本なので、読み出したらスグです。
 言うまでもありませんが面白かった。連作短篇集で、初出はオーム社の雑誌《新電気》(電験三種受験者が読む雑誌のようです)。短篇といっても15枚程度なのでショートショートというべきかも。国会図書館で検索したところ、1970年1月号から12月号まで連載されたことがわかりました(下に検索したデータをリスト化)。
 主人公アキツ・ハルヒコは19歳(この年齢設定は後述の著者の執筆目的に沿っているのだと思います)。宇宙システム研究所の技術研究員で、一年間のきびしい訓練を受けたあと、晴れて電気電子関係のシステム研究室に配属されたばかりの新人。本書はそのアキツの活躍を描いた連作集です。要するに「電気主任技術者」の未来型で、これも雑誌購読者層にあわせてあるのだと思います。ヒノシオに当てはめればシオダの方で、当然ヒノもいまして、航空救助隊員のナカヤマがそれにあたる。15枚ですから掛け合い漫才的な要素はありませんが。
 作品の時代は、書かれた当時から20年後の未来である1990年代となっており、核融合は実用化され、月にも人類は進出しています。このへんは現実のほうが小説に追いついていませんが、アキツが扱う電気通信関係は、ほぼ現在に連続しています。携帯電話は移動無線電話として出てきます(ただしテレビ電話が主流となっている)。地震災害直後の回線パンクが既に描かれており、なぜそれが起こるかも丁寧に説明されていてよく分かりました。
 そうそう、「海底マンションSOS」のオチ(と言うか解決策)は、こうなるんじゃないかな、と私が予想したとおりでした。いやまあ自慢するわけではありませんがね(^^;
 こういう科学解説ショートショートというのは、私たちの子供時代少なくなかったですよね。その意味でとても懐かしく、思わずワクワクしてしまいました。ワクワク感につながりますが、このような科学解説ショートショートにはたしかに啓蒙効果がありました。事実著者はあとがきで、本連作執筆の目的として、電気技術者志望の若い人に夢を持ってもらう科学解説を目指したとあります。これを雑誌連載で読んだ、当時の電験受験者は、ああこんな仕事につきたいな、とワクワクし、勉強がんばろう、と改めて奮い立ったであろうことは想像に難くありません(私の場合はそもそも頭が非理系なので、そっちに行くことはありませんでしたが、ワクワク奮い立つ感じには覚えがあります)。
 そういえば星新一賞って、本書のような、科学者によって書かれた科学解説ストーリーを求めているんでしょうね。それに星新一の名を冠するのが妥当かどうかは別にして、そのような科学啓蒙ストーリーは、たしかに現在でも必要ですよね。でも石原藤夫賞だったらもっと意図がはっきりしたんじゃないでしょうかねえ。子供部門は瀬川昌男賞とすればいうことなし(^^ゞ

 
  
 



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