ヘリコニア過去ログ1407

 

Re: 追いかけて物語

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月31日(木)21時26分58秒
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  > No.5677[元記事へ]

段野さん
>ごりおしで出してもらったのに
段野さんが行った日に、もし再入荷することが分かっていたのだったら、いついつ入荷しますよ、とか、取り置きしておきますか、と聞いてくれたと思いますので、その時点ではまだ決定してはいなかったんでしょうね。

トマトさん
>ツベルクリン(というあだ名の女の子)
それもまたすごいあだ名ですねえ。↓の痕が目立ったんでしょうか。


>女の子に取り囲まれて凄まれ
そういう経験はないですねえ。やっぱり北関東は「かかあ天下とからっ風」ですもんねえ(>あれは上州限定?)(^^;
 
 

Re: 追いかけて物語

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月31日(木)17時10分36秒
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   にきび面の「めばえ」はちょっとキツイですね・・・。しかし最近時計屋さんってなくなってしまいましたね。

浅丘めぐみの「芽生え」聴いて、小学校のときの校庭草むしりの情景思い出しました。
隣のクラスの女子が草むしりしながら三人、芽生えの歌詞や振り付けの講習会をしてい たんですが、しゃがんだ状態なので、ツベルクリン(というあだ名の女の子)の体育の紺ショートパンツの裾から白いパンティが丸見えでした。三人の女子のうちツベルクリンだけブルマじゃなくてパンティが見えるような旧タイプだったんです。そしてわたしはこのパンチラを見て見ぬふりしていたんですが、それを板金屋の息子のEがそれを発見して
「ツベルクリンのパンティ丸出し〜。」
ってはやし立てたんです。それでわたしも「Eがやっているんだったら」と一緒になって面白がってツベルクリンをはやし立てました。そうしたら後ほど下校時に、「芽生えの歌」の講習会をしていたツベルクリンも含むとなりのクラスの三人の女の子に取り囲まれて凄まれ、Eと一緒になってはやし立てたことを謝罪させられました。

それからずーっと後になって、お盆で田舎に帰ったとき、盆踊りでEやツベルクリンたちと会いました。ツベルクリンはあの時「芽生え」を歌っていた隣のクラスの女の子の一人と一緒にいて、すっかりとキレイになっていました。

それから少ししてツベルクリンは地元の物産館にいて、土地の名物なんかを売っていました。物産館で
「あ、久しぶり。」
「元気?」
あとは同級生が今どうしているかってという話で勤務時間中のツベルクリンと盛り上がりました。出来ちゃった婚してやつ、得意になってスポーツカーを買い、事故を起こして大変なことになっている人、製麺会社に勤めた人・・・。

そんな話をツベルクリンとしていたのも今日みたいな暑い夏の日でした。

 
 

Re:ジュンク堂大阪店に再入荷

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 7月31日(木)13時36分29秒
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  おお、それはおめでたいことです。
>隠し玉
そんなんあったら、ごりおしで出してもらったのに。
でも、その隠し玉も、すぐに売り切れそうです。(POP、欲しかったです)
 
 

ジュンク堂大阪店に再入荷

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月30日(水)22時10分42秒
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元ツイート
ということで段野さん、お持ち帰りになった眉村さんの手書きのPOP、可及的速やかにジュンク堂大阪本店にお返し下さい(>持ち帰ってません!)m(__)m

 
 

Re: 追いかけて物語

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月30日(水)21時04分47秒
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  > No.5673[元記事へ]

トマトさん
>そーしたら西○さんやた○君が吐いちゃいました。
わはは。振り付けつきで歌ったんですか?

歌手の振り付けを模倣するようになったのは、大体その時代からではないでしょうか。
そういえば、修学旅行だったかスキー合宿だったか、時計屋の息子で、今はつるっつるですが当時はまだふさふさしていて(いやまあ16、7で生え際が後退していたら困りますが)、ドライヤーのかけ過ぎで茶色くなった髪の毛を、サンセット77のクーキーみたいに暇さえあれば櫛で整えていたHが、かくし芸大会で麻丘めぐみの芽ばえを振り付きで歌って、キモさで大受けしたのを思い出しました。たぶん日本全国でも一番早かったんじゃないでしょうか。こんな楽しみ方もあるんだな、と感心したことを思い出しました(^^;
(↓をニキビ面で思い入れたっぷりにやるのですから、それはそれは気持ち悪いのでありました)(汗)


 
 

Re: 追いかけて物語

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月30日(水)12時22分38秒
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  > No.5670[元記事へ]

管理人さん、お早うございます。

破裂した水道管から溢れる水のようにオハナシが沸き上がってきます。
というより天から降ってくるぼた餅みたいな感じです。


しかし桜田淳子、いましたねー。統一教会にはいったりいろいろありましたね。
ようこそここへ、クッククーク
わたしの青い鳥♪
遠足のバスの中で歌ったものでした。
そーしたら西○さんやた○君が吐いちゃいました。
 
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン二号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月29日(火)21時22分33秒
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  > No.5671[元記事へ]

段野さん
『歳月パラパラ』著者サイン本、ジュンク堂大阪本店では早々に売り切れとのこと。ご報告ありがとうございます。まあ5冊では焼け石に水でしたね。大阪では初展開だったので控えめな数量になったんでしょうね。次回は大量に配本されるのではないでしょうか。

>手書きのポップ
再入荷しないのなら、もらってくればよかったのに(>おい)(^^;。本は購入しているんだから、ちょっと押せば店員さんも断ることはできなかったと思いますよ(^^;。

 
 

Re:チャチャヤング・ショートショート・マガジン二号

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 7月29日(火)13時55分12秒
返信・引用
 
  管理人様
おっしゃること、了解しました。(レス遅くてすいません)
突然ですが、ジュンク堂大阪本店に行ってきました。サイン本が、大阪にもある、とのことでしたが、当然売り切れ、(レジ担当者がわざわざ棚確認に走ってくれました)手書きのポップを見て、うれしくもなったりしました。ジュンク堂のサイン本は、5冊の入荷だったそうで、あっと言う間に売り切れたのでしょう。残りは面出しで、5冊ありました。1冊購入して、戻ってきました。
 
 

追いかけて物語

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月28日(月)22時49分48秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5668[元記事へ]

トマトさん
>確かにオハナシっでお料理(スィーツつくり)っぽいですねー
そうなんですよね。
いまトマトさんは、頭のなかにすごいスピードで湧いてくる物語を、端折りながら(なぜならタイピングが間に合わないから)必死に文章に定着させているのだと思います(誤字脱字タイプミスなどに気をつけていたら物語があっという間に逃げていってしまうわけです)。一番幸福な時期でうらやましい限りです(^^;
次は、そうやって定着させたオハナシを、どうお客様に見栄えよく並べ替え、味付けして(隠し味も加えて)、美味しく食べていただくか、になっていくんですよねーm(__)m

 
 

Re: しかし暑いですーネー。

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月28日(月)07時10分18秒
返信・引用
 
  > No.5664[元記事へ]

管理人さん、おはようございます&ご教示ありがとうございます。


確かにオハナシっでお料理(スィーツつくり)っぽいですねー。
夏はゴマダレ風味の太麺冷やし中華が美味しいです。

そういえば大阪コリアンタウンのキムチ、美味しかったです。スーパーの自社ブランドキムチとちがうし、東京の新大久保コリアンタウンのキムチともちがいますね。
 
 

「プリティ・モンスターズ」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月28日(月)00時24分34秒
返信・引用 編集済
 
   元ツイート
そうだったのか。しかしこれ、角川文庫版で106ページなんですよね(全394ページ)。最近再読するまでずっとラストシーンだと思っていました。クライマックスが4分の1のところにあるというのは、この小説の構造に由来するわけですが。

田中哲弥の短篇集にとりかかるつもりだったのですが、今日、ケリー・リンク『プリティ・モンスターズ』が届いちゃいました。何年も待った本なので、先にこっちを読むことに。まずは最初の「墓違い」を読む。わ、あばかれた墓からよみがえったゾンビみたいな女の話なのに、なぜかさわやかな読後感(^^;
 
 

眉村さん情報:日経連載第4回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月26日(土)20時37分56秒
返信・引用
 
   昨日の日経夕刊に、眉村さんの連載エッセイ第4回めが掲載されました。


日経に配慮して、全文は読めなくしています。
しかしWEB日経では、会員に登録しないと読めないのです→あすへの話題
こういうところ、星賞閲覧でも思いましたが、日経って五大紙で一番閉鎖的ですよね。
ということで、当掲示板閲覧者に限り、全文読めるようにしました(^^;
上の画像をクリックして下さい。全文画像に移行します!
(まあ要するに、そういう技を会得したことを示したいだけですな。理由は後付なのでした)(^^ゞ
 
 

Re: しかし暑いですーネー。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月26日(土)17時03分18秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5659[元記事へ]

トマトさん
扇風機の風が熱風で、気持ちいいですー(^^; 汗のかき過ぎと冷房に当たり過ぎで体が冷たくなっているんですね。冷房病の一歩手前みたいです(ーー;

さて、改行をふやしていただいたおかげで、ずいぶん読みやすくなりました(^^)。タイプミスは相変わらずですが(>おい)m(__)m。
ところで、過去が変えられて、湊廣策が存在しない世界(時間線)になりました。それにともなって湊の奥さんは、詩織たちの前にはいませんけど、たぶんどこかに存在して別の人生を生きているんでしょうね。
ですから詩織が、懐かしがって会いたがっている、というラストシーンも、辻褄としては理解できます(トマトさんの意図(ドラマ性)もわかります)。
しかし、それが読者に「うんうん、そうだよな」と共感してもらえるかといえば、それはちょっと、という感じなんですよね。いささか唐突感なきにしもあらずです。多分トマトさんの頭のなかでは物語が出来上がっているから、なんの違和感もなくすっぽりと収まっているのだと思います。しかしその物語(というか「書かれたもの」は物語そのものではなくて、その物語をかい摘んだオハナシですね)に初めて接する読者には、唐突なんですよね。
なぜかといいますと、それを生かすための「伏線」がはられていないからだと思われます。
つまり、そう持っていくためには、前段で、詩織と奥さんが仲が良かったシーンを、あらかじめ描写しておく必要があるんですね。
たしかに、                                 ママ
>「湊さんの奥さん、どうしているかな・・・会いたいな・・・湊さんの奥さん、あの無人にはいろいろ洋裁や洋菓子つくりも教わったし・・・。」
という詩織の回想の言葉が書かれていますが、この時点では遅すぎるのです。そして回想では弱いのです。つまり唐突なんです。洋裁や洋菓子作りを教わっている、回想の言葉ではなく具体的なシーンが、もっと前段階で必要だったと思いますねえ。その伏線をはっておきさえしていたら、ラストも決まったと思いますm(__)m

 
 

Re: 「かめくん」の町

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月26日(土)11時53分24秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5662[元記事へ]

堀さん

>全編に漂う思索的な雰囲気
ああそうです。思索的なのですよね。論理的と書きながら首をひねっていたのですが、当然思索的と書くべきでした。近年とみに、ぴたっと当て嵌まる言葉が出てきません(ーー;

>亀の甲をトーラス構造ととらえる宇宙論
ハードSF的だなあと私も感じました。それと同時に、唐宋の伝奇小説の世界っぽいなあ、とも感じました。壺中の宇宙ならぬ甲中の宇宙(^^ゞ

>淀川とは明記されていないが、読めばすぐわかる
実際にあのあたりをナワバリ(?)にしている方なら、すぐピンとくるんでしょうね。私は実地には知らないので、かなり隔靴掻痒感がありました。まだ武庫川辺の景観のほうが、学生時代ウロウロした記憶が残っていて、想像しやすかったですねえ。
そういえばキタエリアから天六方面は、北大阪線廃止前に乗って回ったのと、先日の製本工場探索でちょっとウロウロした、それくらいしか記憶がありません。あのへんを舞台にしたSFで擬似体験したいので、よろしくお願いします(>おい)m(__)m

インタビューも読みました。
>「オバケのQ太郎」とか「ドラえもん」と同じやり方なんですよ
オバQというのは思い浮かばなかったです。私はルソー的な自然人が社会に投げ込まれた驚きみたいな感じで読みました。まあ同じことだと思いますが。

あと、小松左京の選評で、
>SFには落ち(意気込み)を求める
というのは『歳月パラパラ』ではじめて知り、ちょっと意外感があったのですが、選評にも出てくるところを見ると、それなりの信念に基づいたSF観だったんですね。(ただし意気込みとオチは別要素だと思います)
追記。この「オチ」は、ショートショートのオチという意味ではなく、価値の相対化(パリノード=前言転倒)のことかも、と思いました。だったら小松さんらしい小説哲学だと思い直しました。また、「パリノード(精神的体力がいります)への意気込み」ということになって、それは(SF観として)筋が通って納得できます。もっともこの作品がそれを満たしていないかといえば、そんなことはないと思います。

 
 

Re: 「かめくん」の町

 投稿者:堀 晃  投稿日:2014年 7月26日(土)05時23分51秒
返信・引用
 
  > No.5660[元記事へ]

ぼくは「かめくん」は「キタSF」と思っていたのですが(むろん誤読ではないのですが)、その舞台は、管理人さんの分析どおり、甲子園口(住居のアパート)、武庫川、天六、毛馬、万博公園がミックスされていますね。
阪神淡路大震災で、かめを連れて西宮から大阪へ移動した体験が反映しているようで、半分は「阪神間SF」と評価を改めました。

それにしても「冬眠」とともに訪れる寂寥感は痛切です。

↓わが感想はこちら。
http://www.jali.or.jp/hr/mad3/mad185-j.html
↓北野さんの発言はこちら。
http://www.sf-fantasy.com/magazine/interview/010302.shtml
どちらも2001年。思えば遠くへ……
 
 

「かめくん」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月25日(金)23時25分49秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5660[元記事へ]

 ――ということで、北野勇作『かめくん』(徳間デュアル文庫、01)読了。
福留のサヨナラも能見の暴投もなく、物語は静かに静かに閉幕。切なくてよいオハナシでした。とはいえ、単純にそう言ってしまってはちょっと違うかも。ラストは物語を再帰化して円環構造になっているのです。それが感動(ただし沈静的なそれ)を重層化して、より深い感動がありました。(かめくんが作中で何度も感じるデジャブもこれで説明できますね)
ただのよいオハナシというだけではないのは、たとえば女子高生の間で流行している甲羅型バッグが、なぜイシガメ型に集中するのかを考察したところのように、辛口の批評性と論理性が垣間見られ、その辺りも大変興味深く面白かった。
作品自体は著者の無意識から多く援用されているようですが、というより、夢をリアリズムの手法で小説化していると言えるのではないかと思うのですが、随所に挟まれた上記の批評性は、そういう小説世界に、著者の意識性がぽっかりと顕在化した部分でして、著者のよい意味での屈託(再帰性)が遺憾なく発揮されていて、楽しめました(^^;
欲を言えば、阪堺線と上町線と木星線の話をもっと聞きたかったです(>おい)(^^;

 
 

Re: 「かめくん」の町

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月25日(金)20時15分37秒
返信・引用
 
  > No.5658[元記事へ]

『かめくん』は270頁。
わ、260頁でまたしてもどんでん返しが!! まるで先日の阪神巨人戦みたい(汗)

「減速。/鉄橋を渡って。/河川敷が見えた。/そして、商店街のアーケード。/プラットホームが近づいてくる。/自動ドアがふしゅうふしゅうと開く。/プラットホームが夕陽の色に染まっている」

ありゃありゃ、柴島をすぎて淀川を渡っちゃった! (夕陽ですから仕事帰りの場面です。日本橋方面からの戻りではありません)。
どういうことか。千里線であることは確定しているのですから、かめくんのアパートは、柴島駅ではなくて、淀川の対岸、すなわち長柄〜毛馬方面だということが、この記述ではっきりしたわけです。
なんと、当初もっとも可能性が小さいと考えていた地区ではありませんか。
それも橋を渡る手前から減速していますから、駅は川のホン近くであることがわかります。
阪急千里線柴島を出発しますと、すぐに淀川をわたって長柄になります。しかし川をわたってすぐには駅がありません。1キロほど走った天神橋6丁目駅が次の駅となる。ちなみに柴島―天神橋6丁目間は、環状線天満―大阪間より1・5倍ほど距離が長いです(目分量ですが)。私はこの線に乗ったことがないので確信して言うことはできませんが、淀川の手前から減速する必要はなさそうに思います。ここが記述と合わないんですよね。
しかし堺筋線と相互乗り入れしているのは(淀川左岸では)千里線以外にはありえません。全ての手がかりは、かめくんの町は天神橋6丁目駅だったと指し示しているわけです。
たしかに天神橋には、天神橋筋商店街という日本一長い商店街があります。
しかし。
決定的な問題点があるのです。この駅は「地下駅」なのです!!(この駅から地下鉄堺筋線となる)。ですから「プラットホームが夕陽の色に染まっている」という情景はありえないのですね。うーん。
あっ、調べていたら、千里線にはかつて長柄駅という駅があったのか。しかし――1944年に廃止。でもこのかめくんの世界では、長柄駅が存続しているという設定なのかも。たしかに天六ふきんよりは、さびれた住宅地的な風情があります。
でも小川はありませんし商店街もなさそう。となりますと、やはり武庫川の住宅街の景観を、過去に存在した長柄駅付近に移動させた世界というのが、わたし的にいちばんしっくりする解釈ですねえ(^^;

残り30頁。このあと、福留選手のサヨナラHRはあるのでしょうか(>おい)(^^;

 
 

しかし暑いですーネー。

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月25日(金)18時08分25秒
返信・引用
 
  確かに管理人さんの言う通りだと思います。私は大阪弁のノリの中で生きてきたことがないので、大阪弁の台詞を一度脳内で標準語に翻訳するのですが、この暑さで大脳のCPUがオーバーヒートしてエラーが出てしまいました。
都内でも浅草や葛飾あたりの下町言葉、日本橋の江戸っ子言葉なんかがあり、やはりノリが違いますね。でも急速に山の手化(というよりニコタマになどの東急沿線化)していますね。



オハナシなんですが・・・。

神の裁き どろぼう大学教授

1

それは真澄の父、飯田脳太が死んで九日目のことだった。季節は厳寒の冬、主を失った飯田家に一本の電話があった。
「あ、湊です。今からそちらに行きますから…。」
この電話を受けて、真澄と真澄の母詩織の母娘は震え上がった。湊廣策…ロシア文学者飯田脳太の弟子だ。飯田脳太生前は詩織や真澄にも越が低かったが、脳太がなくなるととたんに高飛車に振舞うようになった。そんな湊に詩織真澄母娘はこころのなかで湊は信用で出来ない、湊には自分たちにかかわって欲しくないという気持ちが芽生え始めていたのだ。
「どうしよう。」
と詩織が真澄をみてそういう。
「工藤さんか誰かに来てもらってそしてここにいてもらおうか。」
もしかしたらこの家や脳田が残したものを湊廣策のま好きなようにされてしまい、この家を乗っ取られてしまうのではないか…そういう漠然とした不安が二人の前に姿を現した。そこで近所に住む詩織の親しい友人に来てもらおうと思ったわけだ。

がまもなく呼び鈴が鳴る。真澄が玄関にいく間もなく玄関と居間の間とドアが開き、湊廣策がいきなり居間に入り込んできた。派手なアスコットタイ、キャメル色のベルベットのジャケット、真新しいルイヴィトンのカバンにロレックス…なんともヤらしい格好だが、そんな湊廣策からはギラギラとした野心的なオーラが痛いほど放射されていた。そして湊廣策はこの飯田家がまるで自分の家であるかのような態度でドカッと居間のソファに座り、その場に居た真澄を高飛車に怒鳴りつけた。
「お前一体、いつまでここにいるつもりだ。」
飯田脳太のあとはすべて自分が引き継ぐことになっていると思い込んでいた湊廣策にとって、飯田脳太の遺族としての権利を自覚している真澄のことが目障りでならなかったのだ。一方突然強い口調で怒鳴りつけられた真澄は一瞬うろたえたが、穂手で開催される亡き父の『偲ぶ会』についての段取りを湊廣策に説明し始めた。その間湊廣策は真澄をばかにするような表情で真澄を見下げては
「お前にそんなこと、できるのか?おい。」
とあしらい、ついに苛立ちを隠せないように
「飯田脳太さんは君にとってお父さんか知れないが、これからここの事は僕に任せてくれないか…。」
とやや穏やかな口調で真澄に諭すように言った。そしてその直後苛立ちを堪え切れないかのように
「どこかから君のところにアクセスがあったら、次のように自分の身の程を相手に説明しなさい。『私は飯田脳太のむすめではありますが、この家と飯田脳太に関するする何の権利もありません。この家と飯田脳太に関するすべての権利は雪国大学の湊廣策教授にありますから・・・。』と、わかったね。」
そう怒鳴りつけると、真澄にその場にいたたまれない雰囲気を浴びせつけた。
真澄はたまらなくなって居間を出て、そして玄関から外に飛び出した。何が起こったのか解らない、真澄の頭の中は待つ白だ。オリオン座は頭上でぐるぐると廻っていて何も考えられない。

がやがて自分が信頼していた湊廣策に裏切られ間もなく自分が公園にたった一匹で捨てられた仔猫と同じ境遇に投げ出されたことに気が付いた。すると言い知れない激しい憎悪の炎が沸きあがり、全身の血液が逆流して狼のような野生が目覚めていくのを感じた。
狼と化した真澄はそっと勝手口から台所に入った。そして柳葉包丁を握り締め、ダイニングと居間との間のドアをそっと開けた。


2
「あっ、駅弁大学の湊といいます。いま飯田脳太家からですが、この飯田家と飯田脳太のすべての権利は僕にありますから、この家の娘と自称するものが何か言ってきてもその者には何の権利もありませんから…。」
呆れたことに湊廣策は真澄が今に置き忘れていった真澄のケータイからあちこちにそんなことを電話していた。
そんな現場を目の当たりにした真澄は迷うことなく
「湊廣策、殺してやる。」
と湊廣策を睨みつけ、そして柳葉包丁を突きつけた。いままでこの家や飯田脳太のめ異性すべてが自分のものになると躍起になってわれを忘れていた湊廣策は、ようやく我に返った。そして自分がとんでもない裏切りをしてしまったこと、自分が見下げて罵倒した真澄という小娘はとても自分が手に負えるようなものではないほど激しい気性の持ち主であるという現実に直面した。
「わかった、落ち着いて話をしよう。僕は君たち家族が何者かによっていいように去れて異やしないか心配で様子を見にきたんだ。君を邪魔者扱いしたわけじゃないし、この家を乗っ取ろうとしたわけじゃないんだ。だいいちあれだけ飯田脳太と親しかった僕がそんなことをするはずはないじゃないか。」
と切らし紛れの弁解をしてはなんとか真澄を丸め込もうとした。一方真澄はそんな湊廣策に一気に突っ込んでいった。
柳葉包丁は湊廣策の肋間を突き抜け肺門部の血管を損傷した。

「ごほっ。」
と湊廣策は咳き込みながら鮮血を霧のように喀血した。さらに立ち上がって苦悶のあまりのた打ち回り喀血する。瞬く間に飯田家の居間は床といい壁といい鮮血に染まった。こうして湊廣策は飯田家の居間で息絶えた。実際に殺人事件というのはこういうシュチエイションで起きることかよくあるものだが…。普通だったらパトカーのサイレン、飯田家に張られた黄色い規制線、そして手錠を掛けられて警察署に連れて行かれる真澄・・・というシナリオだが・・・。


3

? そして惨劇の起きた飯田家の居間、天井の夜空が突然ウルトラマリンブルーに輝き始めた。それは真澄がごく子供の見ていた夜空と同じ輝きだった。飯田脳太が帰天してから九日後の飯田家の居間はふたたび
神つながった。妙なる調べとともにいくつもの天使が降臨した。そして不思議な懐かしさを感じさせる光とともに、神の裁きが始まった。
「湊廣策、あなたは飯田脳太に『もし自分の身に何かがあったら残された家と家族たちを頼む。』と脳太の遺志を託された上に現金で礼までうけとっていたのではないのか。脳太は自分が亡き後の残された家族たちを庇護できなくなることを案じて、家族たちが安泰に幸福に自分たちの権利が守られるようにと信頼していたあなたにその想いを託しておいたし、この脳太とあなたと残された家族たちとのむ愛出に買わされた約束は神の許に買わされた契りではなかったのか。」
そういわれた湊廣策だが
「いや、僕は飯田脳太のロシア文学者としての仕事を評価し、飯田家を飯田脳太が居たときと同じように『教養の城、知識の御殿』として文化的なばとして維持していくことが使命であり、そのことを飯田脳太も希望しているし信じています。」
「だったらどうしてお父さんはあたしに『もし淋しく買ったり星容認のことなんかでこまってら遠慮なく湊にのところにいきなさい。』といったのよ。そんまな『教養の城、知識の御殿』とかをやりたければあんたの家でやればいいでしょ。」
と真澄が反論した。すると湊廣策は
「いや、ウチのカミサンはそういうことに理解のないヤツでねぇ…。」
とグチった。
「…お父さんが悪いのよ。お父さんが湊廣策に『残された家と家族たちを頼むなんていうから湊さんが魔がさしたのよ。』
そう詩織が言う。
「結局はお父さんと湊廣策がわたしたちの家庭を自分たちの私物化した野が悪いのよ。いいだけはわたしたち家族の家庭よ。ロシア文学者の『教養の城』でもなければ『知識の御殿』でもないわ。それがおかしいのよ。」
と真澄が言った。
「だったらどうすればいい?」
と天使が言う。
「ああ言うことにならないようにすればよかったのよ。」
「ボクもそこまで恨まれて、そしてそんな想いをしてまで僕らの文化や学問を判って欲しくないよ。」
と湊廣策もいう。

真澄がまだ赤いランドセルを背負ってたあの頃に戻った。そろそろ真澄の父脳太の前に湊廣策が現れてそして飯田家は真澄たちの家から飯田脳太と湊廣策の「教養の城、知識の御殿」になってしまうのだが、飯田脳太の前に湊廣策は現れない。脳太葉相変わらずマイホームパパのままだ。

「これでいいんだよ。これで…。」
そううなだれる湊廣策は真澄にこう打ち明けた。
「ボクは郷里の信州の松本で、理想の学び舎たる駒場を目指してがんばってきたが、二回東大に挑んだが東大には受け入れられなかった。そこで横浜国大に入学した。
その後、飯田脳太と出会い、かつて信州で夢見ていた理想の学び舎たる東大を飯田脳太に見出したんだ。彼は君にとってお父さんだったかもしれないが、ボクにとっては理想の学び舎そのものだったんだ。」
湊廣策派真澄の目をみてそういった。しかし真澄は
「でもあなたはお父さんとの約束魔を破り、裏切ったんでしょ。わたしやお父さん、そして神様まで裏切ったんでしょう…。」
「…魔が差してしまったんだ。あの時は魔がさしてしまったんだ。」
「わたしたちの家を乗っ取って私を追い出して、そしてベンツでも乗り回すつもりだったんだしょう。」
「そう思われても仕方ない。でもそれだけではないんだ。ボクにとって飯田脳太という存在は人生の先輩で自分の目指す理想像だったんだ。」

「真澄ちゃんももういいじゃない。
湊さんはいままで無難に慎重に生きていたのよ。そんな湊さん、あの歳になってはじめて魔が差してわき道に逸れてしまったのね。
自分の前に潜んでいる魔もあれば自分の中に潜んでいる魔もある。人生は魔がどこに潜んでいるか解らないのよ。
・・・ママも湊さんの奥さんという大事な友達を失ったのよ。湊さんの奥さんは何も悪くないのに…。」
と詩織が真澄に話す。
「神様、どうしてパパと湊廣策を出会わせたんですか?パパが湊に合わなければこんなことにならなかったんじゃない。」
「確かにそうだった。」



4
こうして過去は変えられた。湊廣策の鮮血にまみれた飯田家の居間はもとの質素だけどこぎれいな居間へと戻った。そして飯田脳太ほ含めた飯田家の歴史から湊廣策はすべて消え去った。湊廣策が棲んでいた東松原五丁目の家も最初から山本さんという全然別な家族が暮らしていたことになった。

「これでよかったのね。あれは悪夢だったのね。」
湊廣策が澄んでいた五丁目の家を見て、そしてこの家に湊廣策一家ではなく全然別な家族が暮らしているのを見て詩織はそう思った。

湊廣策が飯田家と関わり続けた・・・それは悪夢だったんだ。もうその悪夢から覚めた。だから空があんなに青い。あの頃みたいに青い。まだ真澄が赤いランドセルを背負っていたあの頃のように・・・。

「湊さんの奥さん、どうしているかな・・・会いたいな・・・湊さんの奥さん、あの無人にはいろいろ洋裁や洋菓子つくりも教わったし・・・。」
「ママ、どうしようもないよ。湊廣策のこと、知っているでしょう。
土地の境界線のことで近所の農家の人に訴えられたけどなんとかなんとか口八丁で丸め込んで結局は湊廣策が得したしては農家の人に恨まれていたでしょう。れから湊さんの家にいたあのお婆さん、資産家であのおばあさんがなくなってから遺産相続のことでおばあさんの遺族に訴えられていたけどなんとか丸め込んで湊廣策が得していたでしょ。
湊廣策はいつかああいう目に合う運命だったのよ。そんな湊廣策と一緒になった奥さんも、一緒になる人を間違ったのかもしれないね。」
「・・・でも合いたいな、湊さんの奥さん、どうしているかな。」
「あの奥さんも湊廣策じゃない人と一緒になればよかったのにね。」
「でも誰でも魔は刺すものよ。湊さんの奥さんはママの大事な友達だったのよ。合いたいな。湊さんの奥さん、どうしているのかな。」
そういう詩織の目には涙があふれていた。神様は詩織と湊夫人と逢わせてくれるのだろうか?

 
 

Re: 「かめくん」の町

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月25日(金)01時43分1秒
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  > No.5653[元記事へ]

『かめくん』は200頁。
げげ、152頁で新展開が。
万博会場跡地の勤務先からの帰路、かめくんはモノレールに乗ります。そして、
「モノレールを降り、電車に乗り換える。電車がかめくんの住む駅に着く」(152p)
つまり乗り換えは一回だけなのです。
となりますと、阪神電車(東鳴尾)もJR(甲子園口)もアウトです。大阪モノレールは山田で阪急千里線、南茨木で阪急京都線と繋がっているのみだからです(蛍池で阪急宝塚線は考慮の余地なし)。
となると、俄然、西中島〜柴島辺りが再脚光を浴びてくるわけです。京都線ならば崇禅寺、南方。千里線ならば柴島ですね。
ここでお詫び。昨日は千里線をころっと忘れていました(というのも、私は生まれてこの方、記憶している限りでは千里線には乗ったことがありません。だから私の現実世界(すなわち想像界)には、千里線は存在しないも同然だったわけです。いや言い訳です。すみません)。千里線の柴島は、京都線の崇禅寺とは病院と高校をはさんで200メートルしか離れていません。
さらに193頁。
かめくんはミワコさんと日本橋の電気街へ買い物に行くのですが、シミュレーターで予習してみると、
「通天閣の下までは地下鉄で行くようになっているのだが、ためしにそのひとつ手前の駅で下車してみた。地下から出てみると、そこにはでんでんタウンがあって」
この地下鉄は当然堺筋線です(通天閣の下にある駅は恵美須町駅が移動したものと思われます)。そしてこれが決定打ですが、地下鉄堺筋線は、阪急千里線と相互乗り入れしているではありませんか!(阪急京都線とも相互乗り入れしていますが、それは淡路駅で、なので、崇禅寺や南方は問題外)
つまり、かめくんの住む町は、阪急柴島駅近辺と確定したのでした!(あ、そうか。京都線と相互乗り入れしているんだから、南茨木で乗り換えても、一本で柴島に着きますね)

うーん。
でもやっぱり描写されている景観は、もっとちんまりした感じで、武庫川あたりのそれが浮かんきます。175pで、駅前商店街をずっと進んでいくと国道にぶち当たって商店街が終わる、となっていて、これはまったく甲子園口の景観そのものなんですけどねえ・・
 
 

Re: いろいろ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月24日(木)21時57分14秒
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  > No.5655[元記事へ]

トマトさん
>暑くて「この街の今は」、全然ページが進みません
暑さのせいもあるのでしょうけど、やはり大阪弁がネックになっているのではありませんか? 北関東や東北の人にとって、大阪弁は厄介だと思います。それは大阪人にとって東北弁が厄介なのと同じですね。
とりわけこの著者の大阪弁は、生(き)の、現在形の大阪弁なんです。ここに出てくるような大阪弁は、私が50年間使ってきた大阪弁とは微妙に異なっています。つまり大阪弁も少しずつ変化している、生きている、ってことなんでしょうね。
眉村さんも生粋の大阪人ですから、大阪弁(眉村さんが80年間使ってきた大阪弁)の生粋のスピーカーの筈なんですが、小説に使われる大阪弁は、非関西圏の読者も考慮して(おられるのでしょう)、多少共通語的に改変されています。だから関東圏の人もそんなに苦にすることもなく読めると思います(エンターテインメント系作家の大阪弁は大体そうなっているようです)。
ところが柴崎友香さん(73年生まれ)のは、そんな考慮は全くなされていません。実はこれ、川上未映子さん(76年生まれ)の大阪弁にも言えて、だから私はこの二人の作家が大好きなんですが、そこが逆に、トマトさん的にはとっつきにくいのかもと思いました。
ついでですが、柴崎さんの大阪弁は大阪市内西南部方言ですが、川上さんのは大阪市内北東部〜京阪方言だと思います。同じく生の現代大阪弁ながら、微妙に地域差を感じます(^^;

 
 

いろいろ

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月24日(木)16時09分53秒
返信・引用 編集済
 
  管理人さん、メルシーポーク(ありがとうございました)、謝謝です。

しかし暑いですねー。大暑だから暑くて当然なんだろうけど、暑くて「この街の今は」、全然ページが進みません。暑くてオハナシの世界の扉も(>_<)です。
前は本屋でローダンのあとがきだけ立ち読みしていたんですが、ローダンあとがきサイズが手頃で手軽でいいですね。

ポルチーニ茸というのは1980年代に池袋の西武百貨店本店で開催された『大イタリア展」が本邦初上陸だったのでは?

  当時私は学生で講義をサボったか何かして池袋にやってきては大イタリア展をのぞいたものでた。そのとき乾燥ポルチーニ茸が100グラム4000円だったと思います。ポルチーニはヨーロッパでは日本の松茸みたいに人気があるキノコです。
写真はポルチーニとトマトとチーズのリゾットです。キノコの王様だけあっておいしいです。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B

 
 

「かめくん」の町

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月23日(水)22時01分27秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5650[元記事へ]

『かめくん』は130頁。あまりはかどらなかったのは、かめくんのアパートの所在地を(グーグルマップを操作しながら)いろいろ想像していたためです。
手がかりを整理します。
アパートから駅に至るには、
1)小さな川が流れている住宅街を通る。
2)駅前に商店街がある。
3)商店街の裏が土手。
4)駅のプラットホームからも土手が見えている。
5)土手の下は広い川の河川敷。
6)河川敷には野球グラウンドやテニスコート、自転車道が設置されている
7)中洲に図書館が建っている。
これらが最初の数ページに記されています。130頁までのところ、これに付け加える手がかりはありません。

まず一番確かな手がかりは、5)6)でしょう。
その前に7)を片付けます。即座に浮かぶのが中之島図書館です。これに着目すれば、大川の河川敷に桜之宮野球場があり、すぐ近くに環状線桜ノ宮駅があるのですが、記述では河川敷を上流に行くと中州に中央図書館があるとなっていて、これでは逆ですね。図書館については後述。

ということで5)6)に戻って、「広い川で河川敷にグラウンドやコート、自転車専用道がある」に該当するのは、淀川と武庫川です(猪名川にも、園田辺に河川敷があるようですが、孤立的で自転車道はなさそうです)

淀川ならば西中島〜柴島辺り。もしくは対岸の長柄〜毛馬。
しかし前者では、駅が、阪急南方はビルに囲まれていて土手は見えませんし、崇禅寺は浄水場があって景観が全然違います。後者は、そもそも土手が見える距離に適当な駅がありません。それと決定的には、前者も後者も、1)の小川が見当たりませんね。

となりますと、武庫川に絞られます。
武庫川は阪神、JR、阪急と交差しますが、まず阪急は付近に駅がない。JRは甲子園口、阪神は武庫川駅(但し本線武庫川駅は川の上にあるので除外。武庫川線武庫川駅)と東鳴尾駅を候補と考えました。この3駅は付近を小川が流れています。
この3駅のうち、武庫川駅は付近の景観が住宅地ではありません。他の二駅は、住宅地横切って小川が流れています。
ということで、甲子園口と東鳴尾駅が残りました。どちらも付近は住宅街です。また商店街もあります。ただし甲子園口はまさに駅前商店街ですが、東鳴尾駅は少し離れています。また東鳴尾駅裏は河川敷ですが、グラウンドやコートはありません。甲子園口駅の河川敷は対岸にコートがありますね。となりますと甲子園口かなという気がします。
でも東鳴尾駅の西方向(鳴尾東小学校あたり)にアパートがあったとしますと、駅に向かって住宅地を歩くと小川があり、それを超えると商店街となり、駅に至るのですね。その順番はまさに記述のとおり。

結局確定はできませんでした。しかしそれは当然であって、この著者は夢で見た風景を好んで作品化していると思いますので、川の上流に中之島図書館(を夢的に変形した図書館)があって、ちっとも不思議ではない。アパートのある町も、たぶん甲子園口か東鳴尾の景観を核としつつも、夢的変形がなされた世界なのに違いありません(^^;

 
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン二号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月23日(水)16時47分32秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5651[元記事へ]

段野さん
それは申し訳ないですが、次号に回して下さい。
私が言っている意味は、今預かっている作品について、第三者の目で見直しして下さいということなんですが。
仕方がないから一例を上げましょうか。とりあえずド頭の部分――

 栄一の店は、小料理屋と割烹の間ぐらいの感じである。栄一自身が、敷居の高い店にはしたくなかったこともあり、客が店に入りやすいことを目指していたからだった。

この文脈で「敷居の高い」はおかしいでしょう。誤用ではありませんか? そういうのを発見して訂正しておかないと、笑われちゃいますよ、恥ずかしいですよ、ということなんですが。
註。もちろん話者が今どきの若い者という設定ならありかもです。でもこの話はそうじゃないですよね。
 
 

Re:チャチャヤング・ショートショート・マガジン二号

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 7月23日(水)16時26分44秒
返信・引用 編集済
 
  管理人様
では、追加稿もありなんですか。じつは、追加話が出来てしまいまして、いかなることになろうかと、悩みの種でありました。では、追加話も、お送りしたいと存じますが、よろしいのでしょうか。(一)(ニ)になりますが、よろしいとおっしゃるのならば、甘えて、お送り致します。
 
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン第2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月22日(火)23時11分54秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5649[元記事へ]

段野さん

>とうに管理人様に送りましたよ
いやいや、あれが決定稿じゃないでしょ。編集担当としては全体の構成を考えるために早く提出していただけるのは大変ありがたいのですけど、締め切りまではそれを磨くのはどんどんやって頂いてかまいません。何度差し替えてもらってもオッケーですよ(^^;
私も、今は書き終わったばかりで客観的に原稿を見ることができませんので、しばらく寝かしておいて、第三者の目で見れるようになってから読み返す段取りです。
誤字脱字打ち間違い(直後はこういうのが気づけないものです。それで正しいと思い込んでしまっているのですね)、この文章は要らないなあとか、ひとりよがりになっている文章の補正、ナラティブは狂っていないか等、こういう作業をお盆あたりでやり、それで仕上げるつもりです。
締め切りはまだ1か月以上先ですから、ギリギリまで練り込まれたらいいと思います。学校のテストでもさっさと答案用紙を返して退室していく奴が必ずいますが、たいていうっかりミスで泣いているじゃないですか。結局時間全部使い切った者が勝つのです(^^;

さて昨日『大久保町の決闘』を読んだので、つづけて同じ著者の『猿駅/初恋』にしようかな、と考えていたのですが、堀さんのリストの『かめくん』が発掘されました。したがって『猿駅/初恋』はあとに回して、『かめくん』に着手しました。現在80頁。
北野勇作は『昔、火星のあった場所』も出てきた(『クラゲの海に浮かぶ舟』も記憶では持っている筈なのですが未発掘)。せっかくなので、それらも読んでみようと思います。
ところで、『かめくん』はさっそく万博公園が出てきました(^^;。しかしアパートがある町が、なんとなくあのへんかな、という匂いはするのですが、まだ確信が持てず(^^;。河川敷にテニスコートやグランドがある川(それも南北方向)となると限られてきますよね。

 
 

Re:チャチャヤング・ショートショート・マガジン第2号

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 7月22日(火)13時58分43秒
返信・引用
 
  >みなさん
わたくしなどは、とうに管理人様に送りましたよ。1番目だったとか。「栄光」の一番打者です(でも、一番打者は、大抵、いいとこポテンヒット位ですか)
「お気張りやす」です。
 
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン第2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月21日(月)23時40分55秒
返信・引用
 
  みなさん
ふっふっ。
《チャチャヤング・ショートショート・マガジン第2号》の原稿、私は出来ましたよ!
みなさんも、お気張りやす(^^ゞm(__)m

 
 

Re: 「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月21日(月)21時43分45秒
返信・引用
 
  > No.5644[元記事へ]

斎藤さん、お久しぶりです。
『歳月パラパラ』サイン本売れ行き状況のご報告、ありがとうございます!
やっぱり売れているんですね。

>少女マンガテイストの女性の顔が描かれていました。
これは気になります。ちょっと想像もつかないですねえ(^^;

今回のエッセイ集は、資料性も高くてとても面白かったですよ。お楽しみに〜(^^)
 
 

「大久保町の決闘」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月21日(月)20時59分54秒
返信・引用 編集済
 
  田中哲弥『大久保町の決闘』(ハヤカワ文庫07、元版93)読了。

高校3年生の主人公が、夏休み、自宅では全然はかどらない受験勉強の環境を求めて、祖母の住む明石市大久保町に、ひとりでやってきます。
と書くとガリ勉みたいですが、実は試験日が近づくと部屋の大掃除をはじめてしまうタイプ、といえば、ははーん、とみなさん、どんな主人公でどんなオハナシなのか、ピンときたのではないでしょうか(^^;。
祖母は何度も主人公の家に来たことがあるのですが、彼自身は、今回生まれて初めて祖母の家、すなわち明石市大久保を訪れるのです。
JR神戸線(山陽本線)西明石駅の次が大久保なのですが、新快速は停まりません。西明石で降りて普通電車に乗り換えなければならない。で、本書の主人公もそうしたのですが、ただし一駅手前の明石で乗り換えても、同じ普通電車との連絡なのです。現在はそうなんですが、本書が書かれた93年当時は違っていたのかもしれません。
追記。どっちでもいいやんか、と思うかもしれませんが、乗り換えるなら早めに乗り換えたほうが座れる確率は高くなるじゃないですか。これ、私が阪和線の乗り換えで常に実行していることなんです。やっぱりどうでもいいですか。失礼しました(汗)
閑話休題。
かくして無事、西明石で普通に乗り換えることができた主人公、ふと目を上げて吃驚します。なんと車窓には、西部の大平原が広がっていたのでした!?

電車が次元スリップしたわけではありません。本書では、大久保町一帯が西部劇の世界になっているというナンセンス設定なのです(したがってJR大久保駅も、日本で一般的な電車のドアと同じ高さになった乗客にやさしいホームではなくて、地面に板を打ちつけただけのシロモノで、まさに西部劇に出てくるやつなのです。主人公は、ドアから1メートルほど飛び降りなければならなかったのでした)。
そういう設定なので、住民は日本人ですし、町並も播州のどこにでもある家々なのですが、いたるところに入り口がスイングドアになった酒場があって、そこに拳銃を携行した男たちがたむろしているのです。
そんな世界で主人公は、いろいろあって、町の嫌われ者である村安一家と決闘することになるのでしたが……。

この設定、面白い! 実はこれ、もうひとつ仕掛けがあって、この物語自体が「映画」という設定なんです。目次が↓のようなイラストで、つまり読者は、DVDで映画を見ているという見立てなんですね(^^;


しかも(これは大手前大学で堀さんから聴いたことですが)本書はシリーズ化されていて、第2作は大久保町がナチスに占領されているという設定なんだそうです。これもまた、低予算映画の常で、海外ロケなどできませんから、安上がりな土地にそれなりに大道具を立てて使い回しする、安直なB級映画――というシリーズ設定らしい(汗)。かくのごとく幾重にもひねくれ曲がっているところが、実に素敵。これはきっと著者の性格を反映しているのでしょうなあ(^^;

冗談はさておき、当然ストーリーもドタバタ喜劇でして、先日の『その街の今は』が松竹新喜劇だとしたら、本篇は吉本新喜劇。ゲラゲラ笑っていればいいのですが、これはどうも、私自身はあまり笑えなかった。
なぜかって? だってこのドジな主人公、まるで私自身の鏡みたいなんですもん。日々この主人公のような失敗を繰り返して生きている私としましては、出てくる場面場面に身に覚えがあり、脳天気にガハハと笑ってばかりではいられないのでした。一種の近親憎悪?(汗)。そういう意味では、惜しくも私の傑作になりそこねた傑作なのでありました(>おい)m(__)m

追記。著者はおそらく大久保町在住なんでしょう。ですから本書に出てくる場所はすべて実在していて(デフォルメはなされているでしょうけど)、大久保町に行って著者にお願いすれば、ここが国連病院、という風に案内してもらえるんだと思います。こういうところも、意外に『その街の今は』と対応関係があるんですよね。

 
 

Re: 聖天使伝説(笑)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月21日(月)20時54分54秒
返信・引用 編集済
 
  トマトさん
おお、高価な茸ありがとうございます。ボルチーニ茸、はじめて知りました(^^)

>この場を汚してすみませんでした
いえいえ、全然そんなことはありません。トマトさんのオハナシのオリジナリティは素晴らしく、いつも敬服して読んでいます。小説世界のオリジナリティでは、実際、私は足元にも及ばないです(一方小説を作る技術(知識)に関しては、私に一日の長があると思っていて、ちょっと上から目線になってしまいました。すみません)(^^;。30枚を一気に書き上げる筆体力もかなわないです(私など30枚書こうとしたら半年かかっちゃいます)。
ただ、トマトさんの筆法が読者を意識しない書き方であるために、せっかく書いた作品が読者に読まれていないというのは事実なんですね。大変もったいなく思います。改行を増やすだけでもかなり違うはずです。トマトさんの場合、ワンセンテンスごとに改行したっていいんじゃないでしょうか。
楽しいオハナシを期待しております。

>金融屋の取り立てやっている人が出てくる
出てくるんですが、ぜんぜんそういうイメージとは違うのです。集金に近いイメージで、そういう事態が発生したときは、その道の専門家が行くんだと言ってますね。
でも不自然ちゃ不自然なんですよね。川上弘美が解説で「出てくる人たちはいやな人じゃないけれど、いわゆる「いい人」でもない」と書いているのは、そのへんじゃないですかねえ。
主人公は、主人公の目に映る見たままを語っているのであって(それが著者の筆法)、本当は取り立ての男の子はそういう仕事もしているのかもしれない。でも主人公の「現実」にはそれは存在しない。まさに「現実」こそ「想像界」ということでしょうか。
とまあ、そういう次第で、恐ろしい場面は絶無ですので、安心して楽しんで下さいね(^^;

 
 

「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:斎藤  投稿日:2014年 7月21日(月)20時43分45秒
返信・引用
 
  久方振りに投稿させて頂きます。
眉村さんの「歳月パラパラ」、発売日に近所書店で平積み本を見つけましたが、今回もサイン本が配布されることを期待して買うのをグッとこらえていました。
今週末、サイン本が置かれるという御茶ノ水の東京堂書店と東京の丸の内ブックセンター両店に出かけました。
最初、東京堂書店に行きました。
以前眉村さん特設コーナーを作っていた書店なので、今回も先ずはその時と同じフロアに直行しました。
新刊平台コーナーを確認すると、おお〜、10冊以上と思える「歳月パラパラ」が積み上がっていました。
しかし、前回あった「サイン本」という白帯はついていません。
「通常本かなあ」と思いつつ、一番上の一冊を手に取って中を確認。
サインはありません。
どうやらこの平積み台の本は通常本のようです。
「まだ未配布なのかなあ」と思いながら、念のため、通常の棚ざしの作者別コーナーも確認。
一冊ありましたが、やはり通常本でした。
以前、眉村さん選定本の特設コーナーだったところは、今回はG・ガルシア=マルケスの追悼特設コーナーになっていて、マルケスの著作がずらっと平積みでおかれていました。
「えっ、こんな本もあったの?」と思うような本や、マルケス以外のラテン・アメリカ文学の作家本も置かれていて、充実したラテン・アメリカ文学コーナーになっていました。
これはこれで興奮しながら見入ってしまいました。

眉村さんサイン本を見つけることが出来ず、がっかりしながら一階に戻り、店員さんに確認してみようかと思った時に、サイン本専用棚を発見。
もしやと思い、探したらありました。
眉村さんの手書きポップもちゃんとありました。
サイン本はちょうど目線の高さの棚の中に6冊、面出しで置かれていました。
今回のサインでは、イラスト以外に短い文章もあるかもということでしたので、全冊、サインの内容を確かめました。
4冊目で文章付きサインを発見。
先ず、これを確保です。
残りも確認しましたが、文章付きはこの一冊だけでした。
他に、一冊、とても気になるイラストがありました。
少女マンガテイストの女性の顔が描かれていました。
タックンのようなデフォルメ感のない、描線の多い軽めの劇画調でちょっと驚きました。
このイラストも捨てがたいなあと思いましたが、やはり文章付の方を選びました。
無事、サイン本を購入出来ました。

次に八重洲ブックセンターです。
さて、こちらにはどんなイラストや一文があるかと楽しみに行きました。
書店の入り口正面にサイン本棚がありましたので、そこに直行です。
平台に「歳月パラパラ」が「サイン本」と明記された白帯付きで置いてあります。
でも、もう2冊しか残っていませんでした。売れているんですね。
2冊ともサイン内容を確認しましたが、文章はなく、イラストのみでした。

ということで、眉村さんの「歳月パラパラ」のサイン本、売れていることを実感した次第です。
 
 

Re: 聖天使伝説(笑)

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月21日(月)14時09分29秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5642[元記事へ]

管理人さん、貴重なご意見ありがとうございます&ダラダラした駄作でこの場を汚してすみませんでした(^_^;)
管理人さんにはこのメチャクチャ暑い中、シンドイ思いをさせてすみません(^_^;)
無理して読ませてしまったような感じで大恐縮です。Eメールで食材を送れるんだったらイタリア料理に使う高級食材ポルチーニ茸でもあるいは木から自然落下した完熟梅で作ったコンフィチュール(フランス風ジャム)でもお詫びにお送りするんですが・・・(*^^*)(アルコールの方がいいですか?)(^_^)
女性同性愛題材のレディースラブストーリーは女性誌など向けに限定して独立させ、レディースラブサイトに投稿すべきでしたね。


芥川賞の柴崎友香作品「その街は今は」を先日ゲットしましたので、読み始めています。でも私は大阪のことは疎いのでいまいちこのオハナシに入れないでいます。
金融屋の取り立てやっている人が出てくるそうですが、私的には今までいろいろと「債務不存在の立証」(つまりこの借金はなかったということを証明する。)「債務存在の立証」(返さなくちゃならない借金があなたにはあるんですと証明)などはというのは読書中ぐらいは忘れたい事柄なので...(>_<)

http://touch.allabout.co.jp/gm/gc/219385/

 
 

Re: 聖天使伝説(笑)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月20日(日)23時07分43秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5640[元記事へ]

トマトさん
やはり30枚を超えてくると、この文体ではシンドイですね。もっと改行をふやしてもいいのではないでしょうか。
残念ながら前半が長すぎて少々だるかったです。重複も多かったです。ラストへと至る後半(東京へ出てきてから)は、なかなかよかったです。ラストの場面も印象的でした。以前のように途中で投げてしまわず、結末まで書いておられるのは、好感です。でも今回は、前半部で力尽きた読者が多かったのではないでしょうか。出だしは走り気味くらいのほうがいいかも(後半はじっくりと)。妄言多謝m(__)m

田中哲弥『大久保町の決闘』に着手。例の堀晃さんの阪神間SFのオススメ本の一冊です。たまたま積読していたので(^^;。現在210頁。今日中に読み終わるかな。
 
 

「その街の今は」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月19日(土)22時31分15秒
返信・引用 編集済
 
   柴崎友香『その街の今は』(新潮文庫09、元版06)読了。

承前。あ〜面白かった。全体に、良い意味でゆるいのですが、逆にそれゆえ、あっと驚く(伏線の効いた)思いがけないラストに興奮しました。
素敵なミナミ都市小説であり、人情小説でもあり、私が思うにしっかり織田作の作風を受け継ぎ、それを以って現代の大阪の(インテリ・エリートではない)若者たちを描いた風俗小説として出色でした(織田作との類似性を誰か書いてないかと検索しましたけど、なさそうですね)。
舞台は2005年の大阪ミナミ。タイガースが優勝しそごうが新規開店した年です。戎橋の架替工事はまだ途中で(但し2003年の教訓からタイガースファン飛び込みはほぼブロック)、中座は焼亡したままでまだ食いだおれビルは建っていません。
そんなミナミで、勤めていた会社が倒産したため知り合いの喫茶店(心斎橋と本町と堺筋本町の中間点)でバイトしている主人公(28歳の女の子)の日常が(合コンとか、ヤミ金の取り立てのバイトをしている男の子との付き合いとか)、ゆるいストーリーで語られるのですが、彼女の遭遇する街の描写が非常にリアリティがあってよい(作家には音楽派と絵画派がありますが、著者は断然後者ですね)。しかもなぜかこの主人公、ミナミの街の古い写真を集めるのが趣味なのです。古い写真に写った昔のミナミ(建物は大丸とか一部を残して今は殆んど残っていないが碁盤目状の道路は全く変わっていない)は、現在のミナミの、そのかつて在った過去の姿として(いやまあ当然なんですが)、特別な相をもって主人公に迫ってくるのです(この感覚はSF者にはよく分かる感覚ですよね)。
そういう主人公ですから、地名も滅多矢鱈と詳しい。たとえばある日の主人公は、店のお使いで、東心斎橋→周防町→心斎橋→アメ村→四ツ橋筋→なにわ筋→堀江→立花通り→三津寺筋→大黒橋→御堂筋→道頓堀橋を自転車で回る。(私は読み中、ずっとグーグルマップをひらきっぱなしでした)
ヤミ金(実は街金らしい。法定利息内)のバイトの彼も、(仕事内容から想像されるのとは正反対な)ごく普通の草食系の感じで、穏やかで優しい。解説で川上弘美が書いているように、小説世界に「いやな人たち」は登場しません。その意味では、松竹新喜劇の世界とも通底するような世界観です。つまり描かれる現代の若者たちは、いわば21世紀の善男善女なのですね。
そういう意味で、21世紀初頭の大阪ミナミに、(客観的に見れば志もなくなんの理想ももたず)埋もれ飲み込まれて生活している(織田作の登場人物のような)善男善女の若者たちの姿が、ゆるい時間の中に淡く描写されるばかり。それは結局、真の主人公は、そういう風景を飲み込んで在る大阪ミナミそのものだからで、人間の営為は背景に退いてしまうからだと思われます。しかしこれは言うまでもなく長所でもあり欠点でもあるわけで、本作も芥川賞候補だったようですが、この葛藤のなさが、なかなか芥川賞に届かなかった理由でもあると思います。後年の、たとえば『ビリジアン』などでは、この淡さはかなり改良されて、ストーリーが強化されているのですけどね。でもこういう、ストーリー性よりも世界が主人公というのも、私は好みなんですよね。

 
 

聖天使伝説(笑)

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月19日(土)18時08分35秒
返信・引用
 
  管理人さん、母校の高校の後輩が芥川賞、もらったんたですね(祝!)

今週も終わりですが、いろいろとありました。三連休、私にはなんか憂鬱です。(苦笑)

でオハナシなんですが・・・

?

聖天使伝説


198?年、夏、福島県オナ浜…


オナ浜といえば当時は関東北部東北南部のサーフィンのメッカだ。ここに来るサーファーたちの多くはこの界隈のドQ滑り止め大学として知られる「常磐ハワイアン大学」の学生が多い。あの当時のことだから体育会の学生などは学ランとよばれる黒い詰襟学生服を着ていたし、応援団ともなればあの「花の応援団」のような長い学生服を着ていたという適当にガラの悪い大学だ。この「常磐ハワイアン大学」には関東北部東北南部の国立大(旧帝大を除く)を滑った人、あるいはこの大学第一志望するのは実業高校出身者が多いというまあはっきりいうとあの当時の言葉で「バカ大」の一種でもあった。もちんバカ大にも見かけも真面目さも旧帝大生のような学生も居る。ちなみにその当時の旧帝大、たとえば東京大学の学生というと「カッターシャツにオヤジズボン」というのがメインだが、この『常磐ハワイアン大学』にも当時の東大生のような学生は居た。彼らは岩波教養主義を崇拝し、岩波教養主義ファションであるカッターシャツにオヤジズボンを着用し、岩波文庫や小林秀雄の「考えるヒント」を常に携帯してはページを開いているものだ。
がいうまでもなくこの『常磐ハワイアン大学』はそういう学生はごく少数だ。多くはヤンキーあるいは半分ヤンキーといった感じの学生が多いまた女子学生はチャラけて居ることでも有名だ。ヴィトンやエルメスのブランドで固め、愛車はポルシェという女子学生も居るのがこの常磐ハワイアン大学だ。
つまり国立大とくに旧帝大は受験勉強を勝ち抜いた『優秀な頭脳の出来のよい学生』たちの場であり、そこでは見方によっては受験延長としか思えない『純粋アカデミズム』の花が咲いている。一方常磐ハワイアン大学などの「詰まらない私大」は世俗主義であり企業理念が学生を統治している。
そして福島県オナ浜…関東北部東北南部のサーフィンのメッカであり、沖にはサーフボートに乗ったサーファーボーイたちが波を捕まえ、浜辺では焚き火を囲んだサーファーガールたちが恋人であるサーファーボーイたちの不満を零している。もちろんこの焚き火を囲むサーファーガールたちは誰もがファーボーイのカレシがいるというわけではない。サーファーボーイのカノジョの友達も結構居る。そして自分よりも波を愛し、自分の事は波乗りのアシスタントだとしか思っていないサーファーボーイの陰口悪口の花が咲くのだがここにはたとえば病院やマンション自治会のようなネチネチグチャグチャといった女社会の原理の原型が存在することはいうまでもない。
そんななかに飯田真澄は居た。色白でほっそりとした体つき、あの当時のことだから女の子は今のようにビキニではなくTシャツやアロハのトップスにデニムやゴムウエストのサテンショートパンツだが、色白の真澄はマゼンタピンクのでTシャツ(白いLOVE HEARTのロゴ入り)に紺のサテンショートパンツ姿だ。髪が長くスーッと鼻筋の通った端正な顔立ちからは天使のような雰囲気がただよう。こういう女の子はもちろん男の子からモテるが女の子にモテる。が天使のようなオーラで男の子を遮断してしまう。そしてこの天使のような真澄とよく一緒に居るのが雪菜だ。真澄よりも一つ年上でカレシ付き、顔立ちも真澄のように鼻筋のとぉったきれいな顔立ちをしている。オレンジとグリーンのアロハに明るいブルーのデニムショートパンツ姿。そんな雪菜は真澄を何か妹のようなそして娘のようなそんな感情を抱いて受け入れていた。マスミのあの男の子を寄せ付けない天使の様なオーラに惹かれていたのだ。
そんな雪菜、そろそろサーファーを卒業するときか…とうすうす感じていた。という事はカレシのマー君とわかれることも視野に入れ始めていた。ビーチをあとにするマー君のビートルのなかには雪菜と真澄が乗っていた。黄昏の道をオレンジ色の水銀灯のつらなる中、ビートルはがたがたと空冷エンジン特有の音を立てて走っていく。疾走とはいえない。
「何か食べる?何がいい?」
「なんでもいい。」
「じゃあカレー?」
「うん。」
「でも冷やし中華にしようか。あそこの冷やし中華、盛りがいいから。」
当時はスパゲッティカルボナーラを出すようなイタリア料理店はほとんどなかった。ということでここでは有名な冷やし中華専門店に三人が入る。やがて三人の前に運ばれてきた冷やし中華はゴマ誰風味でしかも麺は太麺、しかも盛りもいい。
「うわっこんないっぱい、どうしよう。」
と小食のマスミは不安げにつぶやく。しかしのど越しのいい冷やし中華はつるつるとのどを通っていく。が気が付くと真澄の胃はパンパンに膨れ上がって今にもはち切れそうだ。
「ああもう胃がパンパン。」
と苦しそうに胃を押さえる真澄を見て、雪菜がお姉さんらしく真澄に
「やめなさい。」
といい、未だ残っている冷やし中華のどんぶりを、
「ますみ、もう胃がパンパンだって、マー君これ食べられる。」
とマー君のほうに差し出す。一方真澄の細くて白い太ももが紺のショートパンツからスラって流れている。それを見て雪菜な同性ながら「どきっ」とした。と同時にマー君が真澄にも同様の魅力を感じやしないかとふと心配になった。狩りにマー君が真澄に魅力を感じたところで真澄は例によって男を寄せ付けない天使のようなオーラでガードを固めるだろう。しかしそれでもマー君の心は私から離れてしまうだろう…そう雪菜は詮索した。そんな雪なの詮索のためか、その場はどこか重い沈黙が漂った。そしてマー君が
「もう出ようか。」
という。席を立ち上がった相変わらず真澄は
「ああ苦しい、すごい苦しい。」
といいながら胃を押さえている。立ち上がると真澄の両手でつかめそうなウエストと丸く膨らんだお尻があらわになる。なんとも可愛いお尻だ。マー君がこのお尻を見て興奮しやしないか、またまた雪菜は心配になった。そしてマー君の気を逸らせるかのように
「真澄、胃が出てよ。大丈夫。」
と雪菜は真澄のポコッと膨らんだ胃の辺りを手で優しくさすった。
「うん。」
と答える真澄が愛らしい。
「細い子ってすこししか食べられないけどでも食べるとすぐにはっきりとぽこっと胃が出てくるのね。細いお腹の中で小さな胃袋がパンパンに膨らむから…。」
そう優しく話しかける雪菜と真澄との間にはもうすでにマー君という男性が入り込むことの出来ない女の子だけのオーラが生まれていた。
そしてこの女のだけの世界は店を出てからさらにより大きく濃密になった。
「マー君、ごめんね。今夜は真澄とお話があるの。ここでごめんね。」
雪菜はマー君にこういうと、マー君の水色のビートルの前でマー君を見送った。なにか少し淋しそうなマー君を見て雪菜の胸が少し締め付けられるような罪悪感のようなものを感じた。がマー君はまなくビートルのエンジンを掛け、そして夜の道を走り去っていった。当時は未だスマホはもちろんケータイもない時代だ。
苦しそうに胃を押さえている真澄とそんな真澄を優しく受け入れる雪菜はプラタナスどおりにある雑居ビルの五階の真澄の部屋に入った。このビル、女の子だけの下宿人で、男の子は入って来れない。そうじゃなくても真澄はよほどの優男いがいうけいれないだろう。
雪菜と真澄が入った真澄の部屋、女の子の部屋らしく小奇麗に片付いていて、そこは何か古着屋や雑貨屋のよう。真澄はホットで湯を沸かすとウーロン茶を入れてタイル張りの座卓の上に出す。床にはエスニック調のラグが引かれている。そしてラジカセのスイッチを入れる。ジ イーグルスが流れる。
雪菜は自分かそろそろサーファーガールを卒業する頃だと感じていた。という事はマー君との関係も考え直さなければならないということだった。目の前に居る真澄が妹か娘のように愛くるしい。
「ねえ、雪菜さん今晩泊まって行く?」
と真澄が言う。
「うん。」
と雪菜が答える。
「今日は何か疲れた。もう寝ない?」
「そうね。」
「じゃあ着替える?」
雪菜は真澄のひまわり柄のコットンワンピースを借りて、それをパジャマがわりにした。真澄は昼間と同じピンクのTシャツとサテンのゴムウエストショートパンツのままで眠るつもりだった。
そして2人は座卓を片付け、布団をした。行長まず布団に横になる。すると真澄のお尻が見える。真澄、胸は小さいけどお知りは飛び切り可愛かった。
「真澄ちゃん、かわいいお尻しているね、ホントに…。」
そういう雪菜の局部にはもうすでにじわーっと愛液がしみ恥じてめいた。同じようなうずきも真澄も感じた。やがて真澄も横になると、雪菜は真澄のお尻をポンと叩く。真澄も股間にうずくのを感じ、じわーっと愛液が染み出すのを感じた。そんな真澄のお尻を雪菜は自分の太ももに手繰り寄せた。2人はそれぞれ服を着たままお互いの体を絡めた。体を絡めながら一方の手でそれぞれの局部を激しく擦った。愛液はさらに染み出す。そしてエクスタシーを迎えた。

「汚れたの、こっちに持ってきて。」
真澄は浴室のバケツに愛液で汚れた服をつけると、愛液臭い室内にお香をたいた。漆黒があたりを支配している。
「あたしたち、これからどうなるんだろうね。」
と雪菜は真澄に言う。もうサーファーという夢追い人はやって行けない時期になった。雪菜は実家の酒屋に戻って酒の配達をするという自分が見えてきた。そして真澄もこの常磐ハワイアン大学にくる以前の国立大を目指して受験勉強としていた頃の自分が見えてきた。もう自分が国立大に入っていたら、純粋アカデミズムのなかにいただろう。そして公務員になって図書館員なんかを目指していたかもしれない…。

この夜を契機に三人の運命は大きく変わった。いうまでもなく雪菜とマー君はまもなく疎遠になり、そして別れた。その後雪菜は大学に通うかたら家の酒屋を手伝い始めた。真澄は常磐ハワイアン大学の学生にしては真面目で国立大の学生に見えるような読書家の男女たちの間に身をおくようになった。彼らは公務員試験を目指している人たちだ。
真澄も含めてこのグループは常磐ハワイアンそばの喫茶店「ベルメール」がたまり場になっていた。国立大それも旧帝大の学生のような男子学生、そしてやはり国立大の学生のような女子学生、彼らの中には時に左翼的な思想を持つ人たちもいたし、文化や芸術に憧れを持つ人たちもいた。真澄はまだ校則どおりのセーラー服を身につけていた高校時代にもどったような気が居た。
あの頃の真澄は自分が何者なのか、天使へと進化しようとしているのか悪魔へと退化しようとしているのか真剣に考えていた。あの頃から真澄はモテていたがあの頃の真澄には男の子に騒がれようとそんなことはどうでもよかった。一時期真澄は本気でカトリックのシスターになろうとしたこともあったほどだ。
「自分が何者なのか、そして自分が霊的進化の道を進むべきなのか。
そんなことを真剣に考え始めた真澄に、Kという女子学生が声を掛けた。そして駅前にあるワイ書店に連れて行った。このワイ書店、一階は普通の『一般書店』だけど二階は左翼思想の本が並んでいて、国立大の左翼学生のたまり場として有名なところだ。Kにつれられた真澄が二階に上がると、そこに左翼本やらオカルト本のならんだ特殊書店とともに質素な喫茶室があった。ボロッちいテーブルと椅子がいくつか並び,以外にも美人のお姉さんが質素なナイロンジャンパーにジーパンという格好で書店店員件ウエイトレスをしている。そして喫茶室には国立大の左翼学生らしいさえない男が一人でコーヒーを飲んでいる…。
それから真澄はこのワイ書店の二階の特殊書店に行くようになった。そしてある日、その書店員兼ウエイトレスにこう声を掛けられる。
「あなたは宗教や精神世界に方にいったほうがいいわよ。」
そういうとこの常磐市にある瞑想道場の住所をかいた紙を渡してくれた。そして真澄はこの瞑想道場「糞臭房」へと足を運ぶ…。

瞑想道場「糞臭房」は常磐市のはずれの古い町の中の古い民家だった。
「こんにちは。」
とでてきた女性はいかにもロハス的なお姉さんだロハス調のTシャツにコットンのダボダボゴムズボンをはいている。だいたいこういうところに来る人というのはノイローゼというか神経症か、でなかったら何か宗教的なものを求めているかどちらかだ。この糞臭房のロハスお姉さんは高橋道子さんというが、彼女は真澄の相談相手になった。彼女も一目真澄を見たときから
「この子は天使なのかも…。」
と何かを感じのだ。もし地上に迷ってしまった天使だったら間違わないように導いてあげなければならない…。
こうして真澄はなんどか瞑想道場「糞臭房」に通い、時には泊まって来ることもあった。一方糞臭房の高橋道子は真澄を正しく導くために占い師に診てもらうことを勧めた。そしてある日、この糞臭房でタロット占い師藤井麗子が運命を見た。藤井麗子は当時27歳、既婚でもう子供がいた。
その日、藤井はヴィトンのポーチから紫色のクロスに包まれたタロットを取り出した。このタロット、大陸書房刊のアレクサンドル木星王のものである。
そして占った結果、真澄は東京に行くべしという判断が出た。東京で霊的進化を導く師があらわれるのだという。そして占い師藤井も真澄は地上に迷い込んだ天使ではないかといったものだ。



東京へ


そして真澄はとある東京の会員制フィットネスクラブの受付嬢となった。職場から電車で20分か30分のところにある民家に間借りという形で住んだ。この民家の大家、奇しくももと晩稲田大学女全共闘戦士で相本久美子似のそしてやはりオカルト求道者的ハートの持ち主の白山響子だ。そして真澄の職場もこの晩稲田大学からちかくの四谷にあった。
東京に出てきた真澄は早速「霊的指導者」と「その指導者とその弟子たちのグループ」を探した。そこが自分の居場所であり根も止めているものだと感じたのである。そして大家の白山がある日、
「あなたに合いそうだから。」
といってもってきたのが「霊的進化集団 チョウチンブルマ」の講座の情報だ。ちなみに白山は『霊的進化集団チョウチンブルマ』には何度か顔を出したもののもう行かないという。


霊的進化集団「チョウチンブルマ」

ある日の夜、真澄は大家でもあり人生の先輩でもある白山響子の部屋に呼ばれた。相本久美子似の白山は真澄にホワイトチョコレートで作った白ココアを出した。時刻は夜八時過ぎだ。もう白山の子供たちは寝静まったころだ。
「真澄ちゃん、こういうのがあるんだけど…。」
こうやってみせたのが霊的進化集団チョウチンブルマの案内レジュメだ。それには中世のフレスコ画らしい天使のへとともに
「人類の精神的進化と霊的覚醒」「神への帰還の道」「本当の自分への回帰」という文言が踊っていた。それは真澄が心の中で求めていたものだった。巻末には都内(首都圏)あちこちで開催されている『チョウチンブルマ霊的学校』の案内が載っている。そのなかに一番近くの吉祥寺の学校の案内も載っていた。
「今週末、吉祥寺でもあるんだね。」
「行ってみたら。」
と相本久美子似の白山は勧める。
「うん。」
真澄はうれしそうに行った。

そしてその週の土曜日、真澄は電車に乗って吉祥寺へとむかった。長い髪、白いサマーカーディガンにローズピンクのボタンダウンに紺のチノクロスショートパンツに白いハイソックスに白いローファー、まるで当時のファション雑誌から出てきたような格好だ。そんな真澄は吉祥寺にある武蔵野市民センター内の「チョウチンブルマ」会場のドアを開けた。
「こんにちわ。」
と迎え入れたくれたのはキレイな図書館員のようなお姉さんだ。そして会場には真澄にとってなんとも安堵するようなほっとするような、そして「帰ってきた。」という感じの空気があふれていた。思わず子供のころに帰ったような気持ちになった真澄は「ここだ。」と感じた。
「わたしたちは神の許から飛来した魂です。そしてふたたび神の許に帰ろうとしています。」
先ほどのきれいな図書館員のようなお姉さんは話を続けた。参加者は少ない。があとから長いスカートをはいた女性が何人か入ってきた。そして先ほどの清楚でキレイな図書館員のようなお姉さんのお話は終わった。するとこの図書館員のようなお姉さんは参加者に
「どこか喫茶店にでも行きましょうか。」
と声を掛けた。そして真澄ももちろん喫茶店へと付いていった。この図書館員のような講師のお姉さん、本田キミ子という。既婚でご主人もあるが子供は居ない。ご主人と2人で「霊的進化集団チョウチンブルマ」をやっている。本田キミ子と彼女の友達のお姉さんたちも真澄を見て思わず息を呑んだ。きれいな足に白いハイソックスが良く似合う。それだけではなく彼女が持っている天使のようなオーラだ。
「あなたは天使なのよ。だから地上で生きていくのが苦しいのよ。」
彼女たちは異口同音にそういう。こうして霊的進化集団チョウチンブルマに彼女がデビューしたが、その後真澄は都内各地で開催されているほかに講座にも顔を出し、そこでもその講座のお姉さんたちに「あなたの天使なのよ」といわれ続けることになる。真澄自身が本当に天使なのか、それともきれいなお姉さんたちが彼女のような天使の出現を待ちわびていたのか…おそらくその双方だと思うのだが…。

さて、オカルト業界でグルとアバターラという言葉がある。グルというのは何度もの転生を重ねて霊的進化を成し遂げた魂、アバターラというのは神の許から直接飛来してきた魂だとされている。当然グルは海千山千なのだがアバターラは純粋だけどウブで世間知らずということになる。そしてまさしく真澄はこのアバターラに相当するものだった。じっさいに真澄はその当時も未だ処女、男性経験がなかったのである。
そんな真澄を中心にして主にお姉さんなどきれいでフェミニンな女性たちによってグループが出来た。彼女たちは魂子機用への帰還を切望するグループで、いつしか「ヴィーナスの会」と呼ばれていた。「ヴィーナスの会は真澄を中心にチョウチンブルマ内で最大派閥となった。しかしこの状況を面白くなく思っていたのが霊的進化集団「チョウチンブルマ」リーダーのサンポール アベ女史だ。サンポール アベ女史は急遽側近を集めた。その側近というのは多くは男性で、しかも白カッターシャツにグレーオヤジズボンという「岩波文化主義的な」男性、もしくはやはり白ブラウスに地味系スカートというやはり岩波文化的女性」だった。そして特にサンポール アベ女史から重点的に任命されたのがトイレマジックリンナカイチ師である。トイレマジックリンナカイチ師は急遽自分が高次元の霊たちから神託を受けたとして霊的進化集団チョウチンブルマを仕切り始めた。が真澄を悪魔と断じて会から追放するということはしなかった。というのも真澄にはすでに多くのフェミニンなお姉さんたちが付いていたからである。そんなわけで真澄も含めてフェミニンなお姉さんたち、つまりむ「ヴィーナスの会」をすべて自分の神託に従わせようと試みたのである。ここでトイレマジックリンナカイチ師とヴィーナスの会の真澄や真澄に近いケコタンなどとのあだに確執が生まれる。基本的に女社会であるヴィーナスの会ではトイレマジックリンナカイチ師やワイドハイターミヤタ師なとの陰口が横行した。がいくら陰口を言ってもこのヴィーナスの会は面と向かってトイレマジックリンマカムラやワイドハイターミヤタ師には何もいえなかったのである。


そしてある転機

このように霊的進化集団「チョウチンブルマ」は知事用に迷い落ちた天使とされた真澄を中心にする「ヴィーナスの会」と、チョウチンブルマ創始者サンポール アベ女史直轄のトイレマジックリンナカイチ師を中心とするトップダウン的な予言集団「ナカイチの会」との二つか存在していた。この利用者はお互い相容れず、また『ヴィーナスの会』は「ナカイチの会」を無視していたものの「ナカイチの会」は「ヴィーナスの会」を支配征服しようと常に試みていた。そしてある日、予言実行グループである「ナカイチの会」に「星野星子」という女利己が入ってきた。実は彼女、容姿がこともあろうにあの真澄にソックリなのである。前顔そっくり横顔そっくりなのである。さすがにますみのようにショートパンツを吐くことはなく、たいていワンピースで時々ジーパンをはいてくる。が真澄にソックリなのである。この2人、真澄と星野星子は強くひきつけあった。すると二人はますます似てきた。背格好も同じ風なので誰が見て双子の姉妹だったのである。こうして気が付けば真澄と星野星子はいつでも一緒にいた。
この時点で星野星子は自分が属していた予言実行グループ「ナカイチの会」から真澄の居るヴィーナスの会に移籍するつもりだった。が予言実行集団「ナカイチの会」には木沢正宗という男が居た。この人物、どうもこの手の精神世界グループの人間ぽくない、世俗的でなんだかヤンキーっぽいのである。なんとなく下品で信用できない雰囲気なので、ヴィーナスの会のお姉さんたちは木沢正宗のことを「下品なカマス男」といっていたが、どうしてこういう人がこの『霊的進化集団チョウチンブルマ』にいるのかと誰もが思った。が『霊的進化集団チョウチンブルマ』の創始者、サンポール アベ女史の特別なひいきなのだという。そういうわけで誰もが木沢正宗がこの霊的進化集団にいることを批判できなかったのである。
一方木沢は自分が予言実行集団「ナカイチの会」でよく思われていないことを知っていた。それで予言実行集団ナカイチの会のなかで出世するために『ヴィーナスの会』を叩き潰して霊的進化集団チョウチンブルマ』から追い出してやるか、でなかったら予言実行集団ナカイチの会に服従させてやろうと考えていた。そんなときに例の美少女星野星子が霊的進化集団『チョウチンブルマ』内予言実行集団『ナカイチの会』に入ってきたのである。
これには他の予言実行集団「ナカイチの会」の男性メンバー、カッターシャツの方かだと同じように目がハートマークになった。が彼の場合かなり強烈にハートマークになったのである。しかし星野星子が霊的進化集団『チョウチンブルマ』内予言実行集団『ナカイチの会』にきてしばらくすると、『ヴィーナスの会』の中心人物真澄と仲良しになったことはいうまでもない。この状況に木沢正宗は悩んだ。どうしたらいいのかわからなかった。木沢は星野星子と結婚したかったし、また霊的進化集団『チョウチンブルマ』内予言実行集団『ナカイチの会』内の立場も確固たる者にしたかった。その双方を実現するためにまず木沢正宗と星野星子が結婚する事は神の意思であるということにした。その上で霊的進化集団チョウチンブルマからマスミを追い出すのも神の意志であるということに、だ。この二つを実現するために木沢は事もあろうに男性経験のない美女二人、真澄と星野星子にそれぞれ別に急接近したのである。そしてこともあろうに二人をくどく落とすことに成功した。
それは真澄が霊的進化集団『チョウチンブルマ』に入って二年目の晩秋のことだ。木沢は真澄を口説き落とし、霊的進化集団『チョウチンブルマ』ではご法度とされるラブホに真澄を連れ込んでおめこをしてしまった。真澄にとってこれが男性とのはじめての体験だった。こうなると真澄は天使から普通の女に「堕ちてしまった」。そして男にうぶな真澄は木沢正宗に忠誠を誓い木沢正宗についていくと決意してしまった。すると木沢は最初は優しく接してくれたがしかし徐々に真澄を冷たくあしらうようになった。その一方で今度は星野星子を落とし恥じた。星野星子はその年の暮れ、木沢によって池袋のラブホに連れ込まれて処女を失った。そして木沢正宗は星野星子を篭絡して2人で真澄を霊的進化集団『チョウチンブルマ』からおいだすことがかみのいしであり、真澄は悪魔に過ぎないということにしようと企んだ。

この木沢星野のたくらみは一部では同調者も現れたが、霊的進化集団チョウチンブルマ内の「ヴィーナスの会」はもちろん予言実行集団「ナカイチの会」ないでも木沢星野に呆れては真澄に同乗する動きが強まった。ここまでくると霊的進化集団チョウチンブルマ創始者であり実質的オヘナーともいうべきサンポール アベ女史は木沢と星野を霊的進化集団チョウチンブルマから追放しなければならなかった。
がサンポール アベにはこの木澤星野の2人を追放できない事情があった。ひとつは当時サンポール アベ女子が住んでいた池袋のマンションは木沢所有の物件だったのである。もう一つは木沢が霊的進化集団チョウチンブルマを始める前の「知られたくないこと」、つまり町の普通のキリスト教会などで散々トラブルを起こしていたと事実を木沢に暴露される恐れがあったので。疲労困憊したサンポール アベ女史は苦肉の作として真澄を霊的進化集団チョウチンブルマから追い出すことを決断した。が真澄はこの霊的進化集団チョウチンブルマに留まろうとしたし、いうまでもなく真澄の同情者が霊的進化集団チョウチンブルマ内に多数居た他。そこでサンポール アベ女史は何人かの津祖菌に指示して真澄にこういう意向を伝えた。
「今回のこの木沢正宗と星野星この結婚は神の意思によるものでありただしい。そこにこの木沢と星野の行為によって発生した一切の罪と責任は神の意志により真澄に移動される。つまり木沢と星野の罪はすべて真澄が被る。そのために真澄は木沢と星野の結婚を受け入れ、祝福してすべてささげてこの木沢夫妻に協力しなければならない。」
というものだった。真澄は自分が霊的進化集団チョウチンブルマという居場所を失うのとを恐れるあまり、そういう屈辱的な指令を受け入れた。
さらにサンポール アベは目障りになった真澄と木沢星野夫妻を地方に島流しにすることを考えた。真澄に関しては郷里の福島県いわき市で「正しい霊的指導」をするために、そして木沢星野夫妻に関しては愛媛県松山市で『正しい霊的始動をするように』と明治、事実上この隠しておきたいスキャンダル当事者三人を島流しにした。こうしてサンポール アベは余計なことを知らない新しいメンバーだけで新しい「霊的進化集団チョウチンブルマ」を編成に取り掛かった。
が問題は起きた。愛媛県松山市にいった木沢夫妻が県下を始め、急性星野星子が帰京してしまったのである。がサンポール アベの策で気優勢星の星子は霊的進化集団チョウチンブルマの集まりには一切参加できないようにした。一方の福島県いわき市という東京から近いところに帰郷した真澄は頻繁に時様供しては霊的進化集団チョウチンブルマの会合に現れた。そしてここでもまた真澄を天使だという人たちが現れ、真澄のグループが復活しそうになった。そしてついにサンポール アベ女史は自分が霊的進化集団チョウチンブルマとは一切関係がないことを装ってロサンゼルスへといっていまったのである。
そしてチョウチンブルマの人たちは気が付いた。あ木沢夫妻、あの2人は「惑星の煉獄」へとはいっていった。そこでは愛という名に偽りにだまされ続け、そして友情という名の嘘に裏切られ続ける…。神の意志として木沢夫妻の結婚を祝福したメンバーはそのような呪いがかかることを改めて知った。

その後霊的進化集団チョウチンブルマはちりちりばらばらになった。がインターネット時代になると、ネット上でかつての「ヴィーナスの会」と「予言実行集団ナカイチの会」が再結成され、両者でケンカが始まった。がネット上でもあの「木沢、星野結婚騒動」の実情を語る事はタブー視された。が何者かがその詳細をネット上で暴露した。その実情は実は多くの霊的進化集団チヨウチンブルマのメンバーが知りたがっていたのは事実だったのである。こうして霊的進化集団チョウチンブルマの創始者サンポール アベの過去や招待も暴露されることになる。これによってサンポール アベは完全に信用をしなった。また四国の松山で霊的進化集団チョウチンブルマの考えも取り込んだ瞑想教室を開いていた木沢夫妻だがその瞑想教室もだめになり、またこの夫婦は離婚した。
ちなみに木沢夫妻は郷里に帰り、木澤正宗については消息不明である。
そしてふたたび「天使」の出現が期待されることになった。この当事者である真澄は東京近郊の場末の町までガラスのわら人形的アパートに住みながら賞味期限切れの食品などを激安で売る『倉庫の店』の店員をしていた。このアパートには刺青があり表情はもうくたびれ果てた表情のおじさんがいるし、そういう人たちばかりが住んでいるというガラスのわら人形アパートだ。真澄は霊的進化集団チョウチンブルマを追い出されたのち、郷里に帰ったが、帰るべき生まれ育った家が「湊廣策」という岩波文化信者が『われこそはカッコいい知的指導者』といっては威張っていた。つまりこの「湊廣策」に真澄の帰るべき家は乗っ取られて追い出されてしまったのだ。真澄の母親、詩織は例の「湊廣策」の奴隷にようにこき使われていたのだ。湊廣策はいろんな本を書いてはしおりにすばらしい本だと思い込ませ、詩織のお金で『自費出版』させたり詩織に宣伝させたりしていたのだ。

そんなある日、福島県いわき市の空にウルトラ警備隊の歌が響き渡った。そしてウルトラ警備隊隊員である桜井浩子隊員が悪人である湊廣策に光線銃をつきつけ、湊廣策の書いた「岩波教養の勝利」などという本をめちゃくちゃにした。もちん湊廣策は怒ったが、すると桜井浩子隊員は光線銃で湊廣策を打った。すると湊廣策は「蔵六の奇病」という奇病になった。そして福島県いわき市からいなくなり「ねむり森」とうところに行った。こうして真澄の生まれ育った故郷、飯田家は真澄が地上に生を受けたあのころの我が家へと戻ったのである。

そして真澄は上野から常磐線特急ひたち仙台行きに乗っていわき市へ帰った。かなりの歳になった。真澄だがローティーンの少女としか想えない容姿だった。そんな真澄を迎え入れる福島県いわき市はその駅が聖なる神殿のように変容し、この天使の期間を受け入れた。マスミの生家は水晶の塔のようなポートとなっていた。このポートには白い半透明の石でつくられたスワンのような乗り物が停泊していた。
「真澄ちゃん、天使だったんだね。もう帰るんだね。」
多くのいわき市民が真澄の星への帰還を見送った。そのなか、白いスワンのような船に真澄と真澄の母詩織が乗こんだ。すると白いスワンは羽を広げて大きく羽ばたき、故郷の星を目指して飛び立ったさ。人々の目には涙が浮かび、それぞれ自分がこの世に生を受けたあの日の記憶と感覚に包まれた。


?

http://touch.allabout.co.jp/gm/gc/219385/

 
 

眉村さん情報:日経連載第3回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月19日(土)16時00分53秒
返信・引用 編集済
 
   昨日(7/18)は、日本経済新聞夕刊に週一連載中の、眉村さんのショートエッセイの掲載日(第3回)だったのですが、うっかり買い忘れて帰宅してしまいました(夜半に気づいた)。
あわてて今日一番に図書館に直行、携帯カメラに撮りこみ事なきを得ました(^^;


ここに書かれている事例も、我田引水で恐縮ですが、人間が、(考え始めたら夜も眠れない)苛烈な現実を直視することでリソースを食いつぶしてしまわないよう、存在論的安心という想像的な幻想界(恒常性の世界)で日々の生活を暮らしている証拠といえましょう。もっとも眉村さんは『歳月パラパラ』で<落下恐怖症>であることを告白しているのに、この喫茶店は平気というのが面白い。でもそれこそ機械ならぬ人間の、ねーんげんたる所以かもしれませんね(^^;
(ちなみにこの紀伊半島旅行のエッセイ、F氏は福島正実でしょう。すなわち『飢餓列島』(南紀政府!(^^;)のロケハンのときのエピソードだと思います)

 
 

「その街の今は」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月19日(土)02時30分13秒
返信・引用 編集済
 
   祝芥川賞で、柴崎友香『その街の今は』に着手。積読消化。
現在80ページまで。150頁の短い長篇なのですでに半分超。
うむ。好いですなあ。
タイトルの「その街」とはもちろん大阪――の、道頓堀川界隈。ここまでのところ、舞台は相生橋から西横堀川(阪神高速1号環状線)の間の道頓堀川界隈です。
主人公は、自分の生活圏であるその辺りの、昔の写真を蒐めるのが趣味。そういう写真に写っている古い町並と、現在の同じ場所がどのように変化しているかを、頭のなかで並べてみるのが好きなのです。
つまり「その街の今」とは、要するに、主人公が今生きて生活している、この二十一世紀のミナミということ。上手いタイトルですねえ。
地名が頻出します(まあ著者の特徴ですが)。こういう地を這う筆法は大好き。まさに大阪ミナミ都市小説です(^^)

 
 

Re: 「大江戸恐龍伝」面白そうなんだけど

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月18日(金)18時35分38秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5636[元記事へ]

雫石さん

淋しくなりましたねえ。私は面識ないのですが(お顔は浮かんでくるので、眉村さんのところで一度くらいお目にかかっているかもしれません)、作家さんに限らずファンたちも、どんどん淋しくなっていきます。
しかしポジティブに考えますならば、アッチは逆に、どんどん賑やかになっていっているわけです。
かつて60年代後半から70年代前半にかけて、コッチのSFの急激な膨張、繁栄を支えたファン層(団塊の世代)が、今、大挙してアッチへと移住を開始しているわけで、近い将来、私たちが向こうに着いた頃には、アッチのSF界は、我が世の春を謳歌しているのに違いありません。しかも黒船ニューウェーブ号の来寇はまだまだ先でしょう(汗)。
吉朝さんの地獄八景で、最近やってきたB朝師の高座が大人気というシーンがあったと思いますが(現実は反対になりましたが)、アッチの本屋にはSFのベストセラーが山積みされているかもしれませんね。
私も早くアッチへ行きたいです(^^ゞ

>「さんちかオデッセイ」
おお、楽しみです。それとは別枠で、海神シリーズも是非お願いしますね(m(__)m


 
 

Re: 「大江戸恐龍伝」面白そうなんだけど

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2014年 7月18日(金)09時20分23秒
返信・引用
 
  > No.5634[元記事へ]

う〜む。ショックで危ないところでした。
実は、5月の末に石飛卓美さんが亡くなったのが、いまだに信じられず、落ち込んでる状態が続いています。あんな元気で、面白い人が、もう、この世にいないなんて、絶対、ありえません。
星群の合宿か、SF大会の合宿、雲魂で、ビール片手に、出雲なまりの大きな声で、徹夜でしゃべっているものと、いまも思っています。
ところで、今度の「チャチャヤング・ショートショート」マガジン用の作品ですが、こないだの堀さんの講演に触発されて、神戸ネタを考えてます。
「さんちかオデッセイ」というのを思いついて、いま、ネタくりをやってます。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 
 

芥川賞に柴崎友香さん

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月18日(金)00時17分29秒
返信・引用
 
   柴崎友香さんが芥川賞受賞との報、めでたい!
我が母校市岡高校はあんまり文学的な雰囲気がなくて(直木三十五の出身校なんだけど)、谷甲州さんの星雲賞受賞以来ではないか。
黒川博行さんも大阪に縁が深く、今回の陣は大阪方の圧勝でした!
これで心置きなくトレーンナイトに入っていけます(意味が通らん)(^^;

 
 

「大江戸恐龍伝」面白そうなんだけど

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月17日(木)23時00分39秒
返信・引用 編集済
 
   雫石さんが紹介しておられる『大江戸恐龍伝』、面白そう、ということでネットで調べたら、PCでも読める電子書籍版がありました。
それがなんと、一冊が108円!→honto
安い!
あわててハードカバー版を確認したら、第一巻1620円!!→amazon
1割以下の安さではありませんか。これはもう、電子版を買うっきゃないでしょう。

ここまで読んだ雫石さんは、屹度、怒りのあまり脳の血管がブチ切れ、心臓発作を起こして救急車で搬送されたはずで、私の完全犯罪は成功したに違いありません(おい)(汗)。

でもよく読みますと、108円は、第1集(その1〜その6)、第2話(その7〜その12)、第3集(その13〜その18)だけで、それ以降は1話ごと(1回ごと)の切り売りで、1話48円での販売なんですね。それでもバカ安だと思っていたら、切り売りが延々と続いているではありませんか。辿って行くと、最終話は「その114」。おいおい。そんなに続くのか。だったら「第1集」と紙版の「第1巻」はイコールではないのかも。
もしイコールだったら、第4集が19〜24、第5集が24〜29、そのくらいで収まるはずです。
ですから、「第1集」はかなり薄いものと考えたほうがよさそうです。

試みに計算してみました。紙版の総ページ数は(319p+543p+319p+415p+432p=)2028p。
電子版は全114回ですから、2028p÷114=17.8p。
17.8px6話=106.8p。ぜんぜんボリュームが違いました。

雫石さんも、ホッと安心されて快癒されたことでしょう。よかったよかった(^^;

では実際には値段はどれほど違うのか。
紙版は(1620円+1944円+1836円+1836円+1836円=)9072円
電子版は(108円x3+48円x96=)4932円
それでも半額近いんですね。

だったらやはり読者は電子版を選択するのでしょうか。
私は疑問です。
夢枕獏の小説なんですよ。
電子版の48円分は、紙版のわずか18ページに過ぎないのです。
夢枕さんの18ページ、いったい何分で読めます?(^^ゞ
まあ5分から10分でしょう。早い人なら1分(笑)
5分ごとに48円払ってダウンロードするなんて、メンドクサクも馬鹿くさいこと、するでしょうか(汗)

昨日の感想文で、「合理性の非合理性」と記しましたが、上の事例こそまさに「合理性の非合理性」(著者の言う「マクドナルド化」)そのものです。ウェーバーは官僚制に対してこの言葉を使ったのですが、インターネットという最新のツールが、その特性ゆえに、なんとも頭のワルイ事態を招来させてしまったわけです。

この電子書籍は、honto以外に、bookliveという電子出版社でも扱っていて、ところがここは、「その108」で中断しているのですね。
おそらく全然売れないから販売する意欲を失ってしまったんでしょう。そりゃ売れませんって(^^ゞ



 
 

「ネオリベラリズムの精神分析」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月17日(木)00時34分32秒
返信・引用 編集済
 
  樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析 なぜ伝統や文化が求められるのか(光文社新書、07)読了。

本書は出た直後に一度読んでいます。で、今回2度つづけて読み、合計三読。著者はラカン派社会学者というだけあって用語が難解かつ新奇で、なかなかまっすぐ脳に入って行かなかったのですが、さすがに三読もすると、読書百遍ではありませんが、すこしはわかってきたような「幻想」が得られます。副題の「伝統や文化」というのもアプリオリな意味とは多少ずれており、安倍政権的「伝統や文化」とは違うものです。むしろ本書は安倍批判の書です(本書のターゲットは第一次安倍内閣ですが、安倍さんは毫も変化していないので、現政権にも有効です)。
現代社会はグローバル化し、どんどん透明性を増してきています。これは昨今の号泣県議の例のように、一面では結構なことです。こういう傾向を「社会の再帰性」の進行と定義します。社会の再帰性とは、ちょっと意表をついた表現ですが、「個人の再帰性」のアナロジーで理解できるでしょう。私たちは昔の人が「自明」として無意識的に従っていた慣習にまで、論理的に意識化していくようになりました。
たとえば日々の時候のあいさつを、昔の人はあたりまえの行為として、疑いもせず行ってきたわけですが(「埋め込み」)、現代人は、それは虚礼だ、無意味だ、としなくなってきつつあります。あるいは踏襲するにしても、頭の片隅ではその行為を欺瞞的だと考えています。これは「個人の再帰性」の進展です。
社会も個人も、再帰化するのは結構なことです。しかし、個人のレベルは多様であり、皆が皆、再帰化を獲得しているわけではないのですね。
実は、このような「埋め込み」された定型行為(「儀式」)は、円滑剤の役割もあったんですね。「時候の挨拶」は、お互い「敵意はないよ」という合図でもあったのです。再帰化が進んだ人には虚礼であり、省略すべき行為ですが、再帰化ができていない人に対して省略してしまうと、「あ、コイツ無視しやがった」と敵意を持たれてしまうわけです。で、実際のところ、再帰化が進んでいない人のほうが圧倒的に多数なのです(専門家と大衆の分離)。
先日、「僕がネットに触れ始めた頃は「メールに時候の挨拶など不要。要件だけ書け。相手がすぐ読むと思うな」が常識だったはずなのにいつのまにかビジネスマナーとやらと手紙の蛮習が持ち込まれて大変面倒になってしまっている。クソが。」というツイートを見つけてリツイートしておいたのですが、これが事実なら、再帰化によって不都合が多数発生して、従来の「儀式」が復活したと考えられますね。これはウェーバーが「合理性の非合理性」と定義したところのものです。
このように、社会も個人も、再帰的になるのは結構なことのように見えて、しかし再帰化によって新しい問題が発生しているというのが著者の認識です。
元来、人間は、「恒常性」という「存在論的安心」に立脚して行動しています。信号が青に変われば、大体の人は左右を確認せずに道路を渡り始めるのは、信号の規則を車も人も守るという「信頼」に基づいています。実際は守らない人や車がいるので事故が発生するので、本当は青信号でも、左右を見、後ろから誰かに突き倒されないか、注意に注意を重ねて、そろり、そろり、と歩き出すべきなのですが、普通はそんな悠長なことはしません。
実は全てにおいて「世界への信頼」という「幻想」(想像的なもの)のなかに住んでいるからこそ、人は生きていけるのです。ラカンは、我々がいう「現実」は「フィクション(想像界)」とみなしたのだそうですが、けだしそのとおりですね。
これはいわゆる「パターン認識」と同じではないでしょうか。いちいち最悪の場合を考えながら生きていこうとしたら(ラカンのいう「現実界」)、たちまち疲れはて、脳のリソースは使いきってしまいます。
人間は「恒常性」というエーテルの中で「存在への安心」を担保して共在しなければ生きてはいけないのですね。
ところが、社会と人間の再帰化は、グローバル化によって不可逆的に進行しており、それは「恒常性」をどんどん破壊していくわけです。
ちょっと疲れてきたので、あとはパパっと書いてしまいます(^^;。
これに対応して、若い人のなかでも、個人的再帰性を獲得できず社会の再帰性から取り残されていく若い人は、「自己責任」の名のもとにポイ捨てされないよう、「解離的人格システム」を作り上げて防衛しているのですが(この説明は私には大変説得力がありました)、これが年寄りから見ると統覚作用が確立していないとみえる。そしてやはり順応態としては歪んでいます。
安倍さんは、家族(血縁)や隣組(地縁)や国家という伝統を強化することで「恒常性」を取り戻そうとするのですが、それでは良い意味での個人の再帰性を潰し、何も考えずアプリオリな自明性に安住する、羊飼いに唯々諾々と従う羊のような人々を再び増やすことでしかない、と著者は考えます。
では著者の考える未来図は?
カバー見返し惹句に「ラカン派社会学の立場から、現代社会、あるいは現代の人がぶつかっている難問を記述し、処方箋の一端を示す」とあります。しかし社会学はそもそも認識の学であり、本書も難問の記述は、上述してきたように非常にあざやかですが、処方箋的なハウツーの面は、私にはあまり鮮明には見えてこなかったのでした。

 
 

眉村さん情報:『歳月パラパラ』サイン本

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月16日(水)18時44分32秒
返信・引用
 
 
出版芸術社さんより
 
 

Re: 阪神間文化のふるさと

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月15日(火)21時22分16秒
返信・引用
 
  > No.5630[元記事へ]

堀さん

>筒井さんの作品に神戸舞台の小説は意外に少なく
やっぱり筒井さんの作風は、地域性や土俗性とは相容れないような気がします。
たとえモデルの土地が確認できる場合でも、アイデアの抽象性に重点があって、土地の印象は薄くなりますね。

>文字が消えていく印象が強くて失念してました
という堀さんの印象がそれを証明しているように思いました。

その点「平行世界」は、垂水という土地の地形が作品世界に不可欠な要素なので、めずらしく地域性が印象に残りましたよね。
あと、筒井さん自身、神戸は30過ぎからで、青春時代すごしたキタやミナミのほうが思い入れがあるのではないでしょうか。わたし的には、初期のスラップスティックな作風からして、筒井さんは大阪圏の作家に含めたいですねえ(すみません。大阪人間の素朴な愛郷心です)(^^ゞ

>梅田貨物線が出来ると、またも区分けが変わるし、このあたり、もう少し検討してみたいです
日記を拝読していますと、なにやらたくらんでおられますよね(^^;。期待しております〜!

 
 

Re: 阪神間文化のふるさと

 投稿者:堀 晃  投稿日:2014年 7月15日(火)13時38分18秒
返信・引用
 
  > No.5629[元記事へ]

あ、ついでながら、ぼくと酉島伝法さんが同じ鉄文化圏というのは妙に納得。
酉島さんはその名の通り此花区を代表する作家。ぼくは北区で、メンタリティは野々村竜太郎に近く、微妙な違いもあるのです。
梅田貨物線が出来ると、またも区分けが変わるし、このあたり、もう少し検討してみたいです。
ぼくが梅田天六に改名して酉島伝法さんと漫才やる計画がなきにしもあらず。
 
 

Re: 阪神間文化のふるさと

 投稿者:堀 晃  投稿日:2014年 7月15日(火)13時15分44秒
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  > No.5628[元記事へ]

筒井さんの作品に神戸舞台の小説は意外に少なく、垂水がモデルの短編「平行世界」を挙げたのすが、あとの茶話会で『残像に口紅を』の舞台が阪急御影だという指摘を受けました。
たしかにその通りで、御影駅周辺、深田池などが描写されています。文字が消えていく印象が強くて失念してました。日常生活も消えていくわけで、風景描写も重要な要素でありました。
まあ「阪神間SFは六甲山麓にある学校で青春期を過ごした作家が書く」という枠組みは大きくは崩れないと思いますが。
ぼくの場合は「刀根山山麓」で、ここは「愛国戦隊大日本」が大量の火薬で地形を変えてしまったところ。えらいちがいですわ。
 
 

Re: 阪神間文化のふるさと

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月15日(火)01時13分5秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5627[元記事へ]

大野さん

>武庫川を渡ったすぐ東は、まだ阪神間の雰囲気があるようにも思えます
あ、そうなんですか。なるほど、そうでしょうね。江戸時代はいざ知らず、橋が一定の距離でかかっている現代の日本の川は、文化圏の境界にはならないですよね。土地勘がないと、つい(人工的な)行政区分を頭に浮かべてしまうのですが、自然の地形を考慮しなければ間違ってしまいますね。
実際、夙川の両岸は全く同じ景観です。そういえば芦屋川の両岸もそうですね。
実はあの日帰りがけ、夙川橋を渡ったとき、なぜか芦屋川と勘違いして、
「この道を下れば谷崎記念館ですよね」
と、雫石さんたちに言ってしまい、失笑されてしまいました(汗)。でもそう勘違いしたのには理由がなくもなくて、堀さんの講演で、渡辺温の踏切事故の話が出たからだと思うのです。
どういうことかというと、数年前、谷崎記念館で(あのあたりが、堀さんが言われていた六麓荘以前の芦屋のブルジョワ地帯ですよね)、ひょっとしたらご存知かもしれませんが神戸のミステリBNF(神高‐神大)野村恒彦さんの講演があって、やはり雫石さんたちと聴講したのでしたが、そのときにも踏切事故の話が出たんですね。ここ
たぶんそれが頭に残っていたためだと思うのです、で、ふと夙川と芦屋川を、一瞬混同してしまったようです。
しかし言い訳するわけではないですが、阪神間の町は、大体川沿いに成立していて、景観が似ているんですよね。余談ですが、筒井さんは垂水に上から下へ平行世界を並べましたが、阪神間は東西に平行世界が並んでいるなあ、とその時思いました(^^;。
閑話休題。ということで、武庫川も(まあだいぶ大きな川ですけど)同じですね、と言いたかったのでした(>長い)(^^;
こういうのは、行政区分ではなく、自然な地形が重要ですね。ご教示ありがとうございました。

>阪神間は、西宮から東は阪急宝塚線ルートを通って、北回りで池田、豊中、それに吹田の西側から大阪へ
あ、それは考えたこともなかったですが、言われてみれば腑に落ちます。
実は、先の投稿で書き落としたんですが、阪神北大阪線から先は、環状線の外側をぐるっと回って、砲兵工廠〜まいど一号の東大阪へとつながる、と書くつもりだったんですが、抜かしてしまいました。そのための「鉄文化」という伏線だったんですけどね〜(^^ゞ

 
 

Re: 阪神間文化のふるさと

 投稿者:大野万紀  投稿日:2014年 7月14日(月)22時47分19秒
返信・引用
 
  > No.5623[元記事へ]

環状線の内側と外側か。面白いですね。
で、阪神間の件、確かに尼崎はちょっと違う気がします。とはいえ、同じ尼崎でも、武庫川を渡ったすぐ東は、まだ阪神間の雰囲気があるようにも思えます。これは伊丹とつながっているからかなあ。いや、あくまで個人的な感想ですが。
個人的感想ついでにいえば、阪神間は、西宮から東は阪急宝塚線ルートを通って、北回りで池田、豊中、それに吹田の西側から大阪へと向かうような気がします。これは震災の時の被害のルートでもあります。やっぱりすぐ北側に山が見えないとね。いや特に根拠はないんですけど。
 
 

Re: ≪涅槃の電話≫

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月14日(月)20時50分29秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5625[元記事へ]

トマトさん
うむ。今回はきっちりまとまりましたね。面白かったです。いいオハナシでした(^^)

段野さん
>「久坂葉子」復刻版が出ております
青空文庫で読めますよ。→http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1052.html
なぜか「ドミノのお告げ」がなくて、そのかわり改作前のオリジナル「落ちてゆく世界」が採録されているのが不思議ですが、さがしたら「ドミノのお告げ」は別のサイトにありました。→「ドミノのお告げ」(PDF)
しかしそのおかげで、ビフォーとアフターが比較できるようになり、創作志望者には勉強になりますね。
比べてみると、ラストが増補されていますね。確かに改稿されてよくなったというか、しっかり短編小説(50枚)になりました(富士正晴の指導?)。しかしビフォーのラストも、私は捨てがたいと思いました。ただこのラストは、長い掌編のラストなんですよね。つまり私の掌編好きという嗜好の偏りがあり、客観的にはアフターが完成品ですね。だと分かってはいるんですが、そしてこう書かなければ賞は取れないんでしょうが(芥川賞候補ですが)、でもやっぱりあざとくなった気が(^^;

でも、素直に面白かったです。まさに阪神間ブルジョアジーの世界ですよね。ただし本篇は戦後が舞台で、斜陽族になっているのですが、それでも私などからすれば別世界です。ご本人は川崎財閥ですから、戦後もこんな体験はなかったと思いますが、主人公には作家自身が投影されているのでしょう、内的なリアリズムは担保されているように思います(しかし堀さんが話されたリアルでの”葛藤”は感じられなかったですね。この小説の父親はリアル父親から抽出した理想型なのかも)。

段野さんも、未読でしたらぜひ(^^;

 
 

Re: ≪涅槃の電話≫

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月14日(月)16時52分16秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5624[元記事へ]

段野さん、管理人さんメルシーです。
暑いですねー。




へんてこUFO研究会、それから…。

?

1980年代前半のある夏の日、東京は高田馬鹿の先にあるバカ田大学(なんでもバカボンのパパの母校だという)構内にある古い民家のような小屋で毎週月曜日夕方七時からへんてこUFOグループの集まりが開催されていた。といってもこういうところに真面目な顔をして参加する人というのはそうはいないのだが、しかしこの手のグループに集まる人々というのは男性の場合…どう転んでもモテそうもない男、一方女性の場合…シャン(美人)が多いがガードが固く男を受け入れない、といったパターンが多いのだ。そしてこの手のグループの人々は男女関係の行け異見が皆無かほとんど皆無に等しいのではないかということなのである。ということは一旦ラブホなんかに行ってしまった後の『運命の後腐れ』というものを未経験ということだ。
ということで山形県鶴岡市出身、東京都杉並区西荻在住の杉並区職員I田さんもかなりのシャンではあるが男性経験皆無のお嬢さんという感じの女性だった。彼女の服装はたいてい白いブラウスに紺やブルーグレーのスカートと着ている。またバカ田大学などでヨガ体操をやるときには多分鶴岡○○高校女子○○部のユニフォームとおもわれる白い襟付きシャツ(カラーに紺のライン入り)に紺のゴムウエストショートサテンパンツ姿だった。それをみただけで彼女が女子大卒の杉並区職員というよりまったく山形県立鶴岡○○高校女子○○部員で通ってしまう…だけのあるいみピュアなある意味世間をしらなすぎるオーラを放っていたのである。一方当時私が付き合わせてもらっていたM村さんはジーンズの似合うお姉さんであり、過去に男性経験ありといったオーラをしていた。
で今度は男性だがまずHさん、かつてバカ田大学利口学部の講師をしていたがコイルを巻いて宇宙人と交信しようとしていたという方であり、見た目にはどうみても女の子にモテそうじゃないし、見た目にも変人だ。かれはかつて宇宙有効協会(コスミック アクティブ アソシエイション)のメンバーだったという。そしてN村さん、白いカッターシャツにグレーのスラックスの彼は見た目はそう変人には見えないがそばに居るだけで息が詰まりそう。ちなみに東京大学工学部卒のエンジニアだという。そしてエム田さんだ。岩手県盛岡市出身のバカ田大学教育学部在学中で、彼もまた白かったーシャツにグレーオヤジズボンという格好から東大生(当時の東大生はそうだった)と思われるがバカ田大学教育学部の学生だ。能面のように無表情なのだが時々わけのわからないことで大声を出すのも彼の特長で明らかにヘンな人だ。もちろん過去のカノジョが居たとは思えない。彼は自分の前世はベートーベンだといっていたのが印象的であり、今生でも音楽を通じて人類を霊的に救済するために生まれてきたのだと中野区荒井薬師の三畳一間で力説していたのは有名な話だ。
そういうわたしも当時は大学生であり、大学での友達同士の会話という女の話ばかりでいい加減ウンザリしていたのも事実だ。だから変人かばかりが居るといってもUFO研究会はどこか新鮮なところがあった。
でいうまでもなくI田姉さんはM村姉さんの妹格だった。わたしとM村姉さん、I田姉さんはよく三人で行動していたのである。M村姉さんは下北沢(小田急線と井の頭線の交点)、わたしが阿佐ヶ谷(中央線)、I田姉さんが西荻(中央線)なのでよく吉祥寺で落ち合った。そして下北沢に行き、エム姉さんの部屋で手打ちパスタをつくったりしたものだった。(UFOに関係ないけど)。ちなみにI田さんの郷里山形県鶴岡市とM村姉さんの郷里新潟県村上市は隣通しなのだという。二人とも男に持てるタイプだが一方でちょっとやそっとで男を寄せ付けるタイプではなかった。

そしてこのへんてこUFOグループはすったもんだがありすぎた。あきらかにエム田さんはI田姉さんにホレているのは明白だった。がI田姉さんはHさんもN村さんもエム田さんも嫌っていた。(というより避けていた。)それはM村姉さんもおなじだ。M村姉さんがいうのはH田さんN村さんエム田さん三人とも女の子が欲しいけど得られないので宇宙人に女の子を求めているのだというのだ。こうしてばかばかしくてセコイトラブルが年中起きていた。一方私はM村姉さんI田さんとともに武蔵小金井の主婦S栗さんのお宅にお呼ばれしては週末「クロカンブッシュ」(小さなシュークリームを積み上げたもの)つくりなんぞをしていたのである。
そしていくら呼んでも来ないUFOを宛てにする日々は過ぎ去り、M村さんとI田さんは成田から旅に出る決心をした。わたしも誘われたが行かなかった。これが事実上M村さんI田さんとわたしとの別れになった。その後何度か逢ったが、お互い別な世界に行き別な道を歩んでいるという感じだった。そして2人とも郷里の新潟県村上市山形県鶴岡市に帰ってしまった。いまおもいだしてみればあの時外国放浪の旅にわたしも同行していれば何かが違っていたのではないか…と思うのだが・・・。

そんな思いを抱いて西荻で下車してみた。あちこちが再開発で高層ビルができる中、西荻だけは再開発されずあの頃のままだ。I田さんは駅から数分のところにある一階が薬局か何かの雑居ビルの五階に住んでいた。ここは大家の家の前を通らないと上にいけない仕組みになっているのであの頃のI田さんのようにうぶできれいな人にはうってつけなところだ。そんなお芋を胸に抱いて黄昏の西荻を歩く。
「あれ、もしかして…。」
と後ろから声を掛けられた。白いジャケットに紺のスカートの細身できれいな女性、もしかしてI田さん?とわたしも気が付いた。
「あたしよ。I田M澄、もうI田じゃなくてS木になったけど…。」
ほっそりとした体つき、端正な顔立ちはあの頃のままだ。
「どうしてのこんなところで。」
「なんとなく懐かしくなって…。」
こうしてわたしたち2人は西荻の老舗喫茶店「ダンテ」へと入った。彼女はもう男を知っている男の女性へと変身していた。
すると向こうから親しげにやってきた長身の女性がいた。
「あれももしかしてM村さん?」
「そうよ。もうM村じゃなくK林なったけどね。」
「やっぱり懐かしくて来たの?」
「うんそうよ。」
「まさかN村さんやエム田さんとHさん、来ないでしょうね。」
「来るはずないでしょ。」
なそんなはなしをしていると、店の色口から一人の女性が入ってきた。
「まさか、まさか、」
「そうまさかよ。S栗さん?武蔵小金井の?」
こうしてあの頃の面々が偶然にも集まった。それぞれ人生を生きてきた刻印がそのオーラに刻まれていた。
『西荻から吉祥寺まで歩いていこうか?』
そういって道を歩き始めた。実は西荻には未だ農地が残っているのだ。農地を歩いていると、いつの間にかかんびょう畑になった。かんぴょうとはスイカよりも大きな丸い球形の実でそれが青々とした蔓になるのだ。だからかんびょう畑というのは青々とした蔓と大きな丸いかんぴょうの実が転がっている。
「珍しいね。かんびょう畑なんて…。」
「そうだね。」
わたしの郷里北関東はかんびょうの産地だ。そしてかんぴょう畑の中を歩いていると向こうに大きな石とその傍らに大きな葉を戦がせる芭蕉が見えた。その近くに一軒家がある。時刻はいつの間にか昼下がりになっている。
「あそこ親戚の家なんだ。あそこに寄って行こう。」
こうしてその家によると、親戚のオバサンがわたしたちに麦茶を出してくれた。向こうに農事試験場の建物とポプラ並木が見える.そしてふと気が付くと、M村姉さん、I姉さん、S栗さんはわたしの姉、従姉妹のお姉さん、親戚のおばさんになっていた。そしてここは西荻の農地ではなく昭和40年代初期の北関東市東山(農事試験場の東側)だった。
「もうそろそろ帰らないと…。」
私たちは農事試験場の北側の道を歩いて農事試験場前の観音寺町の官舎アパートに帰った。官舎アパートにつくともう夕暮れ、官舎アパートのわたしの家に入るとあたりは黄昏だ。窓から外を見る。星がきらめき始めている。窓をあけるとそこに虹色の階段が広がっている。私は階段を上っていく。わたしがこの世に生を受ける以前に居た故郷への道だった。



 
 

Re:≪涅槃の電話≫

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 7月14日(月)13時23分41秒
返信・引用
 
  トマトさま
へんてこUFO研究会は解散したんですね。でも、その後の集まりに純喫茶を使うなんて、こちらの世界でもありました。現実に純喫茶で集まり、その後≪涅槃の電話≫が、各人のもとにかかってくるのです。「……」が延々と続くのでした。
管理人様
講演会に行かれてよかったですね。行きたかったのは行きたかったのですが、授業がありまして、外せませんでした。
「久坂葉子」復刻版が出ております。またもや注目されているのかも知れません。
 
 

阪神間文化のふるさと

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月14日(月)01時36分46秒
返信・引用 編集済
 
   堀さんの講演にインスパイアされて、派生的瑣末的なことを考えてしまいました。
阪神間文化の東、尼崎からは別の文化圏と書きましたが、もっと簡単にいえば、阪神電車の国道線――野田――北大阪線の地域ですね(一部、海岸沿いに伝法大橋を渡ってきた分派があり(阪神伝法線)、それは右折して酉島車庫前を通って大阪港に至ります)。
要するに淀川と環状線の間の地域です。この地域は、いわゆる文化的な雰囲気はあまりなく、長田〜明石と同様、鉄文化圏です。(追記。あっ、現代作家では堀晃さんや酉島伝法さんがいますね)(^^;

で、環状線の内側はまた別の文化圏で、これは阪神間の文化とつながりがあります。
というのは、阪神文化は、もともと船場文化が移動したものが母体となっているからで、このあたりは西さんの『ハイカラ神戸幻視行』にも書かれていました。
私は福島区でしたが環状線の内側でした。それがあってか、環状線の内と外にはかなり敏感だったと思います。「内側がほんまもんの大阪」という意識が強かった。誰から教えられたわけでもありませんが、そういう雰囲気があったんでしょう。
さて環状線内側文化とは何ぞや、といえば、上に書いたように船場文化すなわち町人文化なんですが、厳密には、ウィキペディアによれば土佐堀川と東と西の横堀川、長堀川に囲まれた地帯、要するに淀屋橋・北浜から心斎橋あたり(難波は圏外で、難波新地というくらいで新開地だったんですね)となりますが、今の感覚では狭すぎます。広義に環状線内側としておきます。

ここにも小松さんは関わっていて、小松さんの生まれた京町堀はそのど真ん中です。小松さんの親友であり、VIKINGで久坂葉子と同人だった福田紀一さんは、ウィキペディアでは大阪市生まれとしか分かりませんが、昔名刺を頂いたことがあり、東区久宝寺だったようにうっすらと覚えています。高橋和巳は難波に南隣するあたり。小田実は福島区生まれですが、小学校は五條小学校ですから四天王寺のあたりに住んでいたんでしょう。むろん環状線の内側です。古くは織田作が生魂小学校の正門付近。五條小学校から北へ800メートル。
さて、この文化圏で代表的な現代作家は芦辺拓さんですが、昨日の講演で堀さんが言ってはりましたが、森江春策事務所ごと東京へ移住されてしまいました(^^;。眉村卓さんも含めたいところですが、眉村さんは生地も育った場所も現住所も環状線よりかなり南に外れちゃうんですよねえ。

 
 

Re: 堀晃講演会

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月13日(日)13時49分32秒
返信・引用 編集済
 
  堀さん
とても興味深いお話で、楽しませて頂きました。

>ヘビー級SF者の顔が数人見えて緊張いたしました
いましたね。ケシカランですね。かんべさんは遠慮されたというのに。
私はベビー級なので、ご迷惑はおかけしなかったと思います(^^;

大野さん
ようこそです。こちらでもよろしくお願いします。

>主に阪神間)SF作家列伝という感じでした
聴講していて気がついたのですが、阪神間とは言い条、神戸自体(ただし新開地まで)も阪神間というイメージがありますね。
一方、これはSFとは無関係な、スピンオフ的に気づいたことですが、尼崎には阪神間というイメージは、少なくとも私は、感じられません。尼崎〜淀川北岸〜此花〜福島〜大淀は別の文化があって、それは新開地より西(長田〜明石)のそれに近いんじゃないかな、と、堀さんのお話を聴きながら、その頭の一方でぼんやり考えていました。

>「愛国戦隊大日本」上映会
ああ、私まだ観たことがないんですよね。行けばよかったです。

かんべさん
>そんなにおもしろかったのなら、行ったらよかった。
そうですよ。正直者は馬鹿を見るのですよ(^^;

>詳しい内容は知りたいな。そのうち大手前大学が公開するのかな。
私もそれはぜひ実現してほしいです。

>「歳月パラパラ」
>確かにおもしろいし、興味深い内容ですね
このエッセイ集はとりわけSF史的部分が特徴ですよね。

>それら一連、もっと詳しく語ってもらって
実はそれ、岡本俊弥さんと考えているのです。ただ眉村さんにとっては、過去はただ甘美で懐かしいだけではなくて、むしろ思い出したくない面があるんじゃないか、と感じさせるところがあり(こっちが勝手に感じているのですが)、なかなか積極的にすすめていけないところがあります。事実何かのエッセイで、もしもあの時点であっちの時間線に行っていたら、という話が多いのは、そっちに行かなくてよかった、よくぞここへ至る分岐点を選択してきたものだ、という確認で、今の時間線にいるのは僥倖以外の何者でもない、ということを書かれています。これは一般的な願望充足的なイフものとはまぎゃくですよね。イマココにいることが願望充足地点みたいなのです。つまり過去はフィクション仕立てでないと語れないのかもしれません。しかし今回のエッセイ集を読みますと、少し変わってこられたのかな、という気もします。

 
 

堀晃講演会

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2014年 7月13日(日)12時10分28秒
返信・引用
 
  皆で盛り上がってはる。そんなにおもしろかったのなら、行ったらよかった。
「照れくさいから、来んといてくれ」と言われて、律儀に守ったのよ。
実際、いかに照れくさくて、やりにくいかは、よ〜っく知っとりますのでね。
しかし、詳しい内容は知りたいな。そのうち大手前大学が公開するのかな。
あ、それから管理人さん。「歳月パラパラ」の、ヨータイ、宇治電ビル、
半村さん、福島さん関係の話、確かにおもしろいし、興味深い内容ですね。
それら一連、もっと詳しく語ってもらって、管理人さんが書き起こしとか、
そんな資料化計画がありましたら、私も購入申し込みしますよ。では、では。
 
 

Re: 堀晃講演会

 投稿者:大野万紀  投稿日:2014年 7月13日(日)09時57分6秒
返信・引用
 
  > No.5618[元記事へ]

こちらでは初めまして。
堀さんの講演会、面白かったですね。ぼくも会場がご近所なので自転車で行ってきました。きのうが良く晴れていてよかった。
こじつけというか、6次の隔たり理論ではないですが、「世間は思ったよりも狭い」論で語った関西(主に阪神間)SF作家列伝という感じでした。実際、ぼく自身にも関わるような、えっ、あれがそうだったのか、というような話もありました。
それにしても、久坂葉子と堀さんの関連にも驚いたし、例の「驚愕の事実」というのにもびっくり。
茶話会がなぜか「愛国戦隊大日本」上映会になったのも、会場にいた学生さんが映像系の人で、たまたま堀さんが出ているのを知っていたからということでしょう。
人と人、イベントとイベントのつながりというのは、とても面白いものです。

会場で、柏木学長が堀さんに質問されていた、海外でのSFと地域の結びつきということですが、ぼくがすぐに思いついたのはブラッドベリでした。それからイギリス作家たち。茶話会で話そうと思って、忘れていました。

http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/

 
 

Re: 堀晃講演会

 投稿者:堀 晃  投稿日:2014年 7月13日(日)08時22分0秒
返信・引用
 
  > No.5618[元記事へ]

ご来場ありがとうございました。
ヘビー級SF者の顔が数人見えて緊張いたしました。
あと、2階のサロンで茶話会。
映像学科の学生から映像作品の話題が出て、どういう流れか、プロジェクターを使って「愛国戦隊大日本」鑑賞会になってしまいました。
冷や汗もの。
 
 

堀晃講演会

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月13日(日)01時07分14秒
返信・引用 編集済
 
   本日は、夙川の大手前大学で、堀晃さんの講演を聴講してきました。
これは大手前大学交流文化研究所が定期的に行っている文芸講演会で、前回は、芥川賞作家津村記久子さんが講師だった由。実は、堀さんは大手前大学の柏木学長(交流文化研究所所長でもあります)とは、大阪大学で朋友の間柄だったそうです。会場でもとても仲がよさそうでした。はっ。そういえば津村さんも阪大出身。としますと――
ふむふむ。私の推理が正しいならば、どうやら当講演会は、柏木学長の個人的なコネで講師が招かれているのではないでしょうか。如何(^^;

閑話休題。今回の堀さんの講演は、重力波でも暗黒物質でもなく、阪神間のSF(作家)がテーマ。となると当然ですが、何を措いても小松左京です。つづいてかんべむさし。堀さんが、かんべさんの「幻夢の邂逅」にインスパイアされて(と言うかこの作品以前から堀さんが温めていたアイデアだそうですが)妄想した話が面白かった。小松さんが学徒動員で川崎製鉄所に通っていたとき、同い年の久坂葉子も川崎系列の工場に学徒動員で通っていたのだそうです。ただし久坂の働いた工場は特定できなかったそうです。ということは小松左京と同じ工場だった可能性もあるわけで、そこからIFの世界的な空想(妄想)を、堀さんは考えるのですが、話の展開(どう進めるか)でとまっているとのこと。先行された「幻夢の邂逅」より面白くなければ、書く意味がない、というのが最大のネックのようですね(^^; でもこれ、面白いです。ぜひ完成させてほしいですねえ。あ、それから、これからはハードSFだけではなく、地域とか体験に密着した話も書きたい、とも話されました。おお私ファンタジー? それとも私ハードSF? こちらも楽しみです(^^)

このあと、筒井さん以下、阪神間のSF作家たち(コジツケも含めて>おい!m(__)m)が紹介されたのですが(画像参照)、稲垣足穂の次に、西秋生の名前が挙がったときは飛び上がった(^^;。堀さんが西さんを大いに買っておられることがよく分かる紹介でした。これは西さん本気出して書かなければ。ここ見てるかなあ。見てへんやろなあ(ーー; とまれ、現状西秋生の小説が読めるのは、《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》だけですよ。と宣伝しておきましょう(2号は今秋発行)(^^;。いやそんなことではあかんのですけどね。

ということで、私にとって大変有益な講演で、満足しました。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と(堀さんの独自解釈で)対比して紹介された『孤冬黙示録』を読まねば。あと、『やぶれかぶれ青春記』も。

配布された資料↓

 
 

Re: ≪涅槃の電話≫

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月12日(土)22時06分19秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5613[元記事へ]

トマトさん
ひさ〜しぶりに、あのトマトワールドが復活しましたね!
しかも、なんちゅう中途半端な終わり方(>おい)(^^;。つづきが気になって、それを考えると夜も眠れなくなってしまうではありませんか(汗)

さて、下は小谷野敦さんのブログに貼られていたユーチューブ
パフォーマーのプロフィール

いやこのパフォーマンスも素晴らしいのですが、私はそれよりも動画に付けられたコメントが興味深かったです。
これ↓

いやー、こういうコメントにこそ、現代日本人の無意識が、素直に現れるのですねえ。他の返信者のコメントも、実は裏返しで、無意識を暴かれた反動形成なんですよね(^^ゞ

 
 

「歳月パラパラ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月11日(金)23時55分20秒
返信・引用 編集済
 
  眉村卓『歳月パラパラ』(出版芸術社、14)読了。

眉村さんの最新エッセイ集です。アマゾンも昨日時点で、予約から在庫に変わりましたね。
さっそく読みましたが、これは面白かった。もちろん、眉村さんのエッセイ集はどれも面白いのです。しかし本書は、そのなかでもベスト級ではないでしょうか。
その理由として、最近のエッセイに特徴的な一種自虐的な老齢ネタ(>おい)m(__)mに加えて、今回とりわけ資料価値が充実していることで、近況的エッセイと、回想録風のエッセイが絶妙のバランスで構成されています。特に後者は、これまであまり語られることがなかった事実がかなり記述されていて、日本SF史的にも重要なエッセイといえるでしょう。

先般アップした《えりないと》の講演録について私は、「その半世紀の来し方を、いやデビュー以前の子供時代からのそれを、簡潔明快にまとめておられて、非常に面白い内容です」と記しましたが、講演録が「点」だとしたら、それを「面」に広げたエッセイ集といえる。いや、それはむしろ逆で、当エッセイ集を書き上げた・もしくは執筆中だった眉村さんが(7割は書き下ろしとのこと)、それをサマリーにして発表したものが講演録だったという関係かもしれません。

「社宅入りと『宇宙塵』の勧誘」、「宇治電ビル時代」、「『燃える傾斜』を書いた頃」、「半村良さん」、「福島正実さんのこと」あたりは(章題を見ただけでも、目から食指じゃなかった触手が伸びるでしょ(^^;)、ことに興味ぶかい。たとえばSFMに「募集もしていないのに原稿送り」「思いがけず編集部(編集長・福島正実さん)から返事が」来たと、《えりないと》に記されています。これを読んだとき、私は反射的に福島さんが返事を書き送ってきたのだと早とちりして思い込んでしまったのですが(よく読めばそうは書かれていません)、本書ではもうちょっと詳しく記述されていて、引用しますと「ただ、投稿に対して初めに手紙を出してくれたのがその森氏(管理人註、森優副編集長)だったのか、SFマガジンに先行して刊行されていたペーパーバック・ハヤカワ・ファンタジーを手がけていた都筑道夫氏だったのか、私にはわからない」となっていて、少なくとも福島さんではなさそうなんですよね。これは初めて明かされた新事実ではないでしょうか。

という具合に、何度も書きますが、資料価値も高いものがあり、かつ、眉村さんが「如何にして作家となりしか」録でもあり、これはみなさん、必携必読の本ではないでしょうか(^^;

 
 

眉村さん情報:日経連載第2回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月11日(金)22時45分19秒
返信・引用 編集済
 
   本日の日本経済新聞夕刊に、眉村さんの連載ショートエッセイ第2回が掲載されました。
私も一度に二つ聞いたら、一つは必ず忘れてしまいますね。実は一昨日も取引先から電話がかかってきて、サンプルが届いたとのねぎらいの言葉があり、つづいて、
「それはそうと、あっちはどうなってる?」
え、あっち……て??
二つ聞いたら必ずひとつは忘れているのであります。
歳をとるって、哀しいですねえ(>シミジミ)
(ーー;
 
 

Re: チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月11日(金)21時53分15秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5612[元記事へ]

海野さん
ウィキペディアを読んだのですが、複製権侵害とか、編曲権侵害とか、よくわかりませんね。この二つの権利は、そもそも克久曲が亜星曲を元にしていることが前提となっていなければならないものですよね。
でも、克久側は、両曲が別々の曲で、似ているところは偶然の一致と主張したかったはずで、これだと、最初から克久側は戦い方を間違えていますね。

>「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」「メロディーの音の72パーセントが同じ高さの音」といった「表現上の本質的な特徴の同一性」
これを読んだだけの判断ですが、裁判官は楽曲というものの成り立ちが分かっていません。一般的な、少なくとも商業音楽では、メロディはコードに従属するので、拍子とコード(そしてコード進行)が同じなら、そういう「偶然の一致」はかなりの確率で起こりうるはずです。その1例が、you are my sunshine なので、海野さんがおっしゃるように、実際に、

>最高裁の裁判長に聞かせてやり
当の亜星曲からして前代の楽曲に依拠している(コードに則った音楽の宿命)を認識させるべきだったですね。
どうも弁護士の差のような(そういう二義的なところが判決を左右したような)気がしてきました(^^;
 
 

Re: ≪涅槃の電話≫

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月11日(金)17時26分21秒
返信・引用
 
  管理人さん、段野さんメルシーです

台風一過はめちゃくちゃ暑いですね。
例のヘんてこUFOグループがあったあの頃はこんなに暑いことってなかったです。

しかしイーグルスのドンヘンリー懐かしいですね。ハイトーンヴォーカルと女性的な甘いマスクのランディメイズナーも今はとっつぁんになってしまいました。


へんてこUFO研究会、アゲイン


例のへんてこUFO研究会はあのように空中分解してしまった。メンバーの美女2人、M村姉さんとI田姉さんはそれぞれ下北沢の古着屋女店主や杉並区職員を辞めて成田から東南アジア→ヨーロッパへと放浪の旅に出てしまった。この二人と仲が良かったS栗さんが成田まで見送った。
そして幾歳月が経った。あんなへんてこなUFOグループなんぞの存在もすっかりと忘れてしまったが、なぜか特に用がないのに杉並の西荻にいってみた。この町はあの頃とほとんどかわっていない。昭和のにおいがいたるところにぷんぷんする。この町の駅からすぐの雑居ビルの五階だか六階だかにあのへんてこUFOグループの美人メンバー、I田姉さんが住んでいた。彼女は高校卒業後、郷里の山形県鶴岡市を出てから大学四年、杉並区職員時代三年の計7年をこの西荻の雑居ビル5階だか六階で過ごしていた。実家は庄屋さんで典型的なお嬢さん育ち、鶴岡市は東北の地にあってかつて京都との交易があったために関西訛りだというが、そういえば彼女の言葉もどこか関西訛りだった。

それでだ、黄昏の西荻を歩いていると、突然
「久しぶりね。」
と声を掛けられた。振り向くと彼女、I田姉さんだ。あれから四半世紀以上というより30年経っているのに彼女は何一つかわっていない。あの頃のままだ。
「あ、I田さん。」
「そうよ。久しぶりね。」
黄昏の中でそう笑顔でいう。
「どこかでお茶しようか。」
「うん。駅前のドトールかスタバ?」
「もっと落ち着くところがいいな。」
「だったらダンテ。少し高いけど。」
ダンテ…コーヒーが500円からだけど、この際ケチってもしょうがないと年季の入った純喫茶ダンテに入った。
ダンテ名物バームクーヘンを食べながら思い出話に花が咲く。
「あのエム田クン、強烈だったね。」
というと彼女が口を押さえて笑い出す。
「あのね。あたし井の頭公園でビラ配りしているエム田君に越えかけられてエム田君の通っていたバカ田大学でやっている「シータの会公開講座、バカ田大学講座」に来るようにいわれたことがあったの。水曜日の午後だからいけなかったのでいかなかったら、その晩電話が来たの。どうして来なかったのかって。それで次の週仕方無しに役所を休んでエム田君の講座に行ったの。大きな階段教室にわたしとエム田君しかいなくて・・・そして講座が終わったら、エム田君が『一緒に食事でもしませんか。』というから付いていったの。そうしたら学食に案内されたの。エム田君がカレー食べるからわたしもカレーも食べたんだけど、こうしたらエム田クンが隣に座っていた見ず知らずの学生にいきなり『宇宙文明の重要性』を力説し始めたの。わたしおかしくなっちゃって…。」
そうクスクス笑うI田さんはあのころのままだ。
「そういえばシータの会のみんな、どうしたんだろうね…。」
「そうね、わたしもずっとM村さんにもあっていないし。」
「M村ネエさん、新潟に帰ったんでしょ。」
「うん、新潟で結婚して、私一度N村さんのところに行った事があるの。小さなスーパーで働いていて、元気そうだった。」
こうして思い出話に花が咲くと、あたりの空気は「あの頃」のように濃厚になる。
「そろそろ出ようか。」
とわたしとI田姉さんは純喫茶ダンテを後にする。黄昏の西荻窪はまるでパリの下町のよう。なんだか印象派の絵画の中を散歩している気分だ。I田姉さんもそう感じているのか
「なんだかパリっぽいね。」
という。
「そういえばI田姉さんとM村姉さん、一緒に外国にいったんだったけね。タイのバンコクから最初にいったヨーロッパがパリだったの?」
「ううん、ドイツのハイデルベルク。」
「ハイデルベルク、名前だけ知っている。どういう町?」
「ムーミン谷みたいな町。新しいムーミンじゃなくて、昔のスノークンなんかが出てくるほうのムーミン。」
そんな会話をして西荻の町を歩いていると、いつしかたわしが六歳まで過ごした官舎アパート前の道にきていた。この道、不思議なことに魚屋の前に巨大なベニテングタケが生えていたりする。どれほど巨大かというと、そう三メートルか四メートルはありそうなほど巨大なのだ。そして官舎アパートの庭には巨大なヒトヨタケがびっしり生えていたこともあった。ヒトヨタケはすい時間のうちに黒くどろどろに溶けてなくなってしまう。そして何よりも人々はカラカサタケが生えることを待っていた。カラカサタケはそれは大きなキノコで夏の夜にだけ生える。このキノコが生えたらみんな傘の上に乗っかる、。するとキノコはますます成長して、そして雲を突き抜けて星の世界まで連れて行ってくれるからだ。田ぶれもが自分たちの故郷は星の世界だということを知っているし、だれでも故郷に帰りたいからカラカサタケがはえることを待っているのだ。でもカラカサタケは自分の生まれ育った無ところにしか生えないという。
「I田姉さんの生まれ育ったところは鶴岡というところだったね。」
「でもあたしはここで七年間過ごしたから…。」

http://touch.allabout.co.jp/gm/gc/219385/

 
 

Re: チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 7月10日(木)22時43分29秒
返信・引用
 
  第一審(東京地裁平成12年〈2000年〉2月18日判決)は、フレーズごとに対比してみると一部に相当程度類似するフレーズが存在する、ということは認めたものの、全体として『記念樹』が『どこまでも行こう』と同一性があるとは認められない、として小林側の請求をすべて棄却した。

この判決を不服とした小林側が控訴し、複製権侵害の主張を撤回した上で編曲権侵害に主張の中心を移して争った。
控訴審(東京高裁平成14年〈2002年〉9月6日判決)では一転して、両曲には「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」「メロディーの音の72パーセントが同じ高さの音」といった「表現上の本質的な特徴の同一性」があり、この顕著な類似性が偶然の一致によって生じたものと考えることは不自然・不合理であるとし、服部が『どこまでも行こう』に依拠して『記念樹』を作曲したものであると認定した。
結果として、小林の氏名表示権・同一性保持権侵害と音楽会社の編曲権侵害を肯定し、小林と音楽出版社に対する合わせて約940万円の損害賠償を服部に命じた。
(ウィキより)

>やってみましょう。→http://okmh.web.fc2.com/music/hamoru.mid

これを最高裁の裁判長に聞かせてやりたかったですね。
編曲権侵害なんて事があるのならこれからの作曲家はうかうかしてられませんね。
訴えたもん勝ちみたいにならなければいいのですが。

http://marinegumi.exblog.jp/

 
 

Re: チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月10日(木)19時03分54秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5610[元記事へ]

海野さん
あ、浜辺の歌か! なぜこれが出てこない。
歳をとるのは、哀しいですねえ(>シミジミ)
(ーー;

>この耳になじみのいい曲は「どこまでも行こう」以前にも似た曲があるのではないかと思います。
思いつきました!
これです↓ 超有名曲ですよ。


これに合わせて、「どこまでも行こう」を歌えば、ハモりますよ。
やってみましょう。→http://okmh.web.fc2.com/music/hamoru.mid

もちろん偶然の一致ですが、しかしこんな偶然の一致があるのだから、克久作品もそうである蓋然性に対して、亜星さんは謙虚であるべきでしたね。


 
 

Re: チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 7月10日(木)08時25分27秒
返信・引用
 
  > No.5609[元記事へ]

>こういうメロディなんですけど

あー、はいはい。
「あ〜した〜はまべ〜をさ〜まよ〜え〜ば」
と、歌詞はすんなり出てきますが、タイトルはなんでしたっけ。



「浜辺の歌」でした。
ほぼいっしょですね。
これと比べると「記念樹」はセーフだと思うんですけどね。
訴訟問題にならなければ「記念樹」は小学校の卒業式の定番ソングになったかもしれません。

http://marinegumi.exblog.jp/

 
 

Re: チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月10日(木)01時25分11秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5608[元記事へ]

海野さん
>小林亜星さんがもうちょっと太っ腹だったらなと思います
ほんまですね。こんなのいっぱいあるやないですか。唱歌でも「峠の我が家」と……えーと……あれ、タイトル出てきません……えーと。
うーん。思いつく限り片っ端からユーチューブを聴いているのですが……見つかりません。
こういうメロディなんですけど→http://okmh.web.fc2.com/music/nani.mid
こっちが峠の我が家。

これでも別の曲なんですからね。
そういえばチャチャヤングの、加川良さんと岩井宏さんの担当日に、ごまのはえ(?)コーナーというのがあって、リスナーからそういうのを募集していましたね。

追記。GAOがきゃりーぱみゅぱみゅを訴えなかったのは、そもそもGAO自身に訴える資格がなかった、とか(>おい)(^^;


 
 

Re: チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 7月 9日(水)22時42分39秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5607[元記事へ]

あ、なるほど。
パーソナリティー全員集合の最終回って言うのがあったんですか。
僕は眉村さんと高石ともやさんしか聞いてませんでしたから知りませんでした。
それはちょっと不覚でしたね。

きゃりーぱみゅぱみゅの曲。
あ、なるほどね。
GAO以前にも似たような曲があるはずだと思って、探すともなく探してませんでした(探してないんかい)
たぶん、もっとあると思いますね。

この場合、訴訟騒動にはなっていませんが、実際に訴訟に至った物もあります。
松本零士と槇原敬之の歌詞盗用疑惑。
これは槇原さんが勝ったようですが、今日まで知りませんでした。

あと、服部克久さんの「記念樹」が小林亜星さんのCMソング「どこまでもゆこう」の盗作だとして訴訟に発展し最高裁まで行って「記念樹」が盗作だと確定してしまったこと。
これ、残念なんですよね。
「記念樹」はほんとにいい曲でね。
「どこまでも行こう」を元にしていたとしてもかなりメロディーは違うんですよね。
小林亜星さんがもうちょっと太っ腹だったらなと思います。
たぶんこの耳になじみのいい曲は「どこまでも行こう」以前にも似た曲があるのではないかと思います。



http://marinegumi.exblog.jp/

 
 

Re: チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 9日(水)21時45分0秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5606[元記事へ]

海野さん
>最終回の日と言う事ですか?
あ、そうか。海野さんが行かれたのは眉村さんの最終日だったんですね。
その方は、「パーソナリティが集結された」と書かれていますから、眉村さんの最終日じゃないですね。
この頃は私はもう聴いていなかったので、実際には知らないのですが、最後の最後の日(上田彰さんの日?)は、全パーソナリティが集まったのではなかったでしょうか。たぶんそのときの話かも知れませんね。
その方と海野さんが、いっしょに眉村さんのタクシーに同乗していたのなら、これは奇遇で面白いなあ、と思ったのでした(^^;

それはさておき、先日、きゃりーぱみゅぱみゅの曲がGAOの盗作かどうか、という話になりましたが、自動的なメロディなので、
>たぶん捜せばGAOの前にも似たメロディラインが見つかると思いますね。
と書きました。こちら参看→1234

見つけました。↓

先日カーラジオでFMを聴いていたら流れてきて、わっ、と運転中に飛び上がりました(^^;。
この曲(歌手はイーグルスのヴォーカルですね)、イントロのピアノがGAOの第1主題とそっくりです。コードも殆んど同じなので、第一メロディにあわせて「サヨナラ」歌えば、ハモれますね。この曲が1989年で、「サヨナラ」が1992年。うーん、どうなんでしょ(^^ゞ

段野さん
おお、段野さんもでしたか(笑)。ホーリーネームももらいました?
>なんとも会話が続かないことが多く、
最初は私も、コレクトコールですからすぐにでも切ってやろうと喋らないんですが、だんだんと興がのってきて喋ってしまうんですよねー。気がつけば2時間、3時間。われながらバカですねえ
(ーー;




 
 

Re: チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 7月 9日(水)17時45分33秒
返信・引用
 
  > No.5604[元記事へ]

>チャチャヤング最後の大団円終了後、眉村さんのタクシーに梅田まで同乗させてもらったそうです。

え?最終回の日と言う事ですか?
それはまた別の話でしょうね。
僕と竹本健治と他二名が放送終わりに眉村さんとご一緒したのはえーと、何月何日だったか。
そうそう「みなしご」が読まれた日ですね。
その時は新大阪まで乗せていただきました。
で、最終回の日はどうだったのかの記憶があまりありません(笑)
そう言えば放送終わりの時間帯ではタクシーぐらいしか交通機関がないので、ひょっとして乗せてもらったのか?
乗せてもらったような記憶がだんだん……蘇りません。

4人でタクシーに乗せてもらった日はスタジオでテープに録音してまして、タクシーの中の会話も録音したのでお渡ししたCDに入っていたと思います。
>その話をどこで読んだか聞いたか思い出せなくて
その話はこの日の事だと思います。

梅田までね〜
たぶん乗せてもらったはずですよね。
でないと始発のバスが来るまで足がないですからね。
一緒に乗ったのは誰だったかなあ。

最終回の日は放送の途中に毎日放送にやってきたバイク少年がいました。
放送中に守衛室から電話があって「スタジオ見学をしたいと言う人が来ているがどうしましょう」
と言う事でアシスタントディレクターさんが迎えに行って、一緒に副調整室で放送を聞きました。
「家で聞いてたんだけれど、なんか寂しくなってバイクを飛ばしてきました」
なんてね。
僕にも、お会いできてうれしいなんて言う事を言ってくれた好青年でしたね(笑)
少年か青年か曖昧ですが(笑)
その人はバイクで帰ったはずですから同乗者ではないですね。
毎日放送の関係者さんかもしれません。

http://marinegumi.exblog.jp/

 
 

≪涅槃の電話≫

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 7月 9日(水)14時06分12秒
返信・引用
 
  管理人様
管理人様のところにも、例の電話かかかってきていたのでしたか。それはまあ……でございましたね。
二時間、三時間の通話の中身は「……」という、なんとも会話が続かないことが多く、……でした。
トマトさま
トマトさまのオハナシも、成長(いえすいません)してきた方々が続々と登場し始めましたね。もう、ピンクレディの時代は終わったということで、新たなオハナシが展開してきました。これも楽しみです。(大学の怪しげなクラブとか、何やらおもしろそうです)期待しております。
 
 

チャチャヤング最後の大団円秘話

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 9日(水)10時46分55秒
返信・引用
 
  海野さん
きのう《チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号》の注文がありまして、その方は、チャチャヤング最後の大団円終了後、眉村さんのタクシーに梅田まで同乗させてもらったそうです。
で、思い出したのですが、このタクシーには、海野さんも乗せてもらったんじゃなかったですか? その話をどこで読んだか聞いたか思い出せなくて、手っ取り早いので、ここでおたずねします(^^;
 
 

Re: 上がアホやから

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 8日(火)18時53分32秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5602[元記事へ]

雫石さん
あ、行かれますか。じゃあ待ち合わせて行きましょうか。と思って確認したら、大手前なのに西宮なんですね。てっきり大阪城の近所かと思っていました。それでは現地で!

トマトさん
わはは。ラストがよいですね。私の知り合いにも、スターバード教会(協会だったかも)というひとり秘密結社を立ち上げて、誰もほしいと言ってないのにホーリーネームを授与して下さった方がいらっしゃったのですが(えーと、私のホーリーネームはアーシュグランだっけか)(汗)、その方も午前2時とかに、よく電話をかけてこられたものでした(それもコレクトコールで!>怒)。かかってきたら、二時間、三時間はざらで、私たちの間では《涅槃の電話》として恐れられていました(^^;
ところで、Hさんの下宿にはUFOは訪ねて来なかったんでしょうか?
即席ヌードル会社社長・陳珍珍氏の二階に下宿する不世出もとい不出世のサラリーマン荒熊雪之丞さんを訪れたUFOは、未確認飛行オッパイ(unidentified flying oppai)の略なのですが、雪之丞くんの胸にピタリとくっついてしまい、大変な騒動になったことはSFファンの間では語りぐさになっています(^^ゞ

元記事
 
 

Re: 上がアホやから

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2014年 7月 8日(火)09時18分21秒
返信・引用
 
  > No.5601[元記事へ]

ちょっと古い日本人なら、
「台風ごときになにをびびっとる。男の仕事は命がけぞ。嵐をついてでも仕事せんかえ」
となるでしょうねえ。特にカントクさんなんか、そう思っているのではないでしょうか。
しかし、キューバ人のグリエルにしたら「命有ってのモノダネ」ということでしょうね。
おっしゃる通り、キューバの人を雇うのですから、キューバの文化を勉強する必要が有りますね。
また、グリエルに限らず、日本に出稼ぎに来る外国人も日本人の性格文化を勉強して欲しいものです。
12日の堀さんの講演会は行きます。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 
 

上がアホやから

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 8日(火)01時52分36秒
返信・引用 編集済
 
   グリエル 飛行機移動拒否!沖縄2連戦欠場 高田GМ「説得したけど…」

そりゃ、キューバ人だったら、巨大台風に向って飛行機で飛ぶなんて、狂気の沙汰でしょう(^^;
ここによれば、そもそもキューバでは、ハリケーンへの危機管理の意識づけは徹底されているようです。
「説得したけど」って、高田がグリエルの文化的背景に無知なだけ。そんなことも察せんのかねえ。きっとキューバが地球のどの辺にあるのかも知らんのやろね。
「病院で精神的な検査を受けてもらう」なんて、度し難いエスノセントリズムで、せっかく来たグリエル、帰っちゃうぞ。阪神戦で初めて見たけど、いい選手じゃありませんか。
GMは、高齋正『カリブの天使』を読んでもっと勉強するように(>おい)(^^ゞ

 
 

Re: 成程ナチスの手口でした(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 7日(月)21時34分28秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5598[元記事へ]

ムトウさん
>この慶応の学生が若者の多くの意見ではないと信じたいです
そうですね。毎日の記事もちょっと見せしめ的なところがありますね。慶応の学生さんが一番苦々しく思っているのではないでしょうか。

>SFでも、こういうテーマはたくさんありますね
昔読んだディストピア小説、当時は絵空事として楽しんでいたのですが、さいきん、現実味を帯びて思い出されるんですよね。『1984』とか『すばらしい新世界』とか『われら』とか。でも殆ど忘れてしまっているので、近々まとめて読み返そうと計画しています。

>私は技術系の仕事をしていますが、兵隊のような扱いです
おお(笑)。ムトウさんは(コンピュータ関係の)技術職とお見受けします。技術(手に職)を持っているものは、それでもまだめぐまれていますよね。ただ漫然と大学に行っただけの者が今一番困っているんですよね(もっとも私は、大学って漫然と行くところだと思っていて、大学が就職予備校化している現状自体、ちょっと違うなあ、という感じがしています)。
ただ漫然と大学に行くくらいなら、畳屋に奉公に行ったほうが将来性があるわけです。しかしそれにしたって、皆が皆畳屋を目指せば、そんなに畳屋って必要ではありませんから、最近の法律家と同じで過剰になりアブれる者が出てくるわけですが、いまのニッポンでは、アブレた法律家は、漫然と卒業した大学生と同じスタートラインに並ばされてしまうのですよね(いわゆる自己責任というやつですね)。なんとも非常に平等な社会――なんでしょうか(汗)

それはさておき、労働者派遣法の改正(緩和)で、優秀な派遣社員を正社員にすることなく派遣のまま使い続けられるようになりました。これは、(簡単に辞めさせられない)正社員は、会社にとっては必要なくなるということで、まあ優秀で良質な労働者じゃなくても業務が遂行できるように、規格化や数値管理化が徹底してきた今日、経営者とすれば、正社員はほんの一握りだけでいいわけです。
一方、いわゆる「残業代ゼロ法案」(正確には労働基準法改正案)が「年収一千万」を下限として成立しそうですが、プレジデントは、と言うか、あのプレジデントですら、「制度がいったん創設されれば規制緩和の流れが強まり、対象者の年収下限のハードルがどんどん下がる可能性があることは否定できない」と正直に書いていますね。これは今いる正社員は、仕方がないから定年まで雇ってやるから、もとい、肩たたきするまで雇ってやるから、ありがたく思ってしっかり働け。ただし残業代はもう出せないよ、という意味です。
どちらの法案も、労働者の立ち位置によっては有難い場合もあり、良し悪し相半ばですが、少なくとも経営者にとっては不都合なところは全くありません。ウエルカムカムです(^^;
この二つの法案は、まさにあべっちが、これから運転して行かんとするニッポン車の車輪の両輪であり、その意味で大企業の代弁者たるあべっちには全くブレがありません。そのブレないところは、敵ながらアッパレといいますか、思わず尊敬しそうになって困っています(>おい)(^^;
 
 

Re: ふたつのUFOブームのはざまで

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月 7日(月)17時27分47秒
返信・引用 編集済
 
  管理人さん、ありがとうございました\(^^)/

オハナシがどうしても女の子方面にいってしまいます。
(>_<)



民間UFO研究会「イチジク浣腸クラブ、シータの会」
ベントラ(弁当) ソーリンサララ ヤーレンソーラン

?

時代は1980年代初めのことだ。東京は高田馬場の先にバカ田大学という大学があった。この大学の構内にその当時でもたぶんその当時でも築年数が相当古い小屋のような民家のようなものがあった。その二階でよく例の民間UFO研究会「イチジク浣腸クラブ シータの会」の集まりが開催されていた。
季節は夏、当時日本中誰でも知っているバカ田大学の校歌に「都の西北」と歌われていたが、しかしもうその当時新宿副都心を都だとすると、バカ田大学は都の東北東になるバカ田大学構内は都のど真ん中であり、バカ田の杜なんぞというも野はまったく存在していなかった。そんな状況であるから辺りは極めて明るいためにいくら晴れた夜でも夜空を壮麗に彩る天の川を見るこトなどはまったく不可能であった。が例の民間UFO研究会「イチジク浣腸クラブ、シータの会」のメンバー七名がこのバカ田大学構内にある掘っ立て小屋に集っていた。時刻は夜七時だ。そのメンバーというのは下記の通りだ。

☆★☆★☆★☆★☆

H氏 おそらくメンバー最年長である年齢不詳。
かつて日本中を震撼させたUFOグループ「宇宙有効協会」のメンバーにてもとバカ田大学利口学部の講師である。
容姿は間違ってもイケメンとはいえず、上野動物園のゴリラと北島三郎のハイブレットのよう。だか比較的性格は温和だが時に狂信的になる。千葉県落花生の産地市在住

M村姉さん
下北沢の古着屋「ラプェンツェル」の店長で細身長身で端正な顔立ちでジーンズが良く似合う。 新潟県村上市出身でK外国語専門学校卒。

I田姉さん
細身色白端正な顔立ちのアイドルにしてもおかしくない美女、山形県鶴岡市出身。地元高校を卒業後,K立女子大卒後当時は杉並区職員。実家は庄屋で裕福らしい。当時西荻窪雑居ビルの五階の一部屋に在住

エム田君
岩手県盛岡市出身。バカ田大学教育学部在学中。顔は扁平で面積が広い。大学生なのに白いカッターシャツにグレーのオヤジズボンと若さがない服装が特徴。

Y下さん
埼玉県浦和市在住の主婦であり、オカルトおばさん。容姿は比較的良い。GLA、日本神智学協会などいろんなところを渡り歩いている。

S栗さん。
ヨガのことに詳しいうら若き人妻。東京と東小金井市の一戸建て在住。西荻窪のT京女子大卒。容姿は比較的良い。

そして次のような会話がなされた。
「今日はN村さん、来ないみたいね。」
ほっとしたような感じでM村姉さんがいた。口には出さないが、美貌のI田さんもほっとした様子だ。またN村が「司学長」なんぞといいだして菜は岩振るわれるのはM村姉さんI田姉さんもウンザリだったのである。しかしこにもう一人、N村さんがこないことをチャンスと感じていた人物がいた。エム田さんである。ここはボクの独壇場だとにやりとする。
さてその日はうるさいN村司学長がいないということが確定した。S栗さんのスマホにラインで(どうして1980年代初めなのにスマホやラインがあるの?)N村司学長から本日は重要な用事があっていけないのでよろしくというメッセージが届いていたのである。
そして一同はS栗さんのスマホの画面を見てほっとした。
「ああよかった。」
とM村姉さんが口に出す。下をいてニコニコするI田姉さん。
こうしてこの夏の夜のバカ田大学構内の掘っ立て小屋でS栗さん指導によるヨガ体操がはじまった。その日はヨガ体操ということで面々は半そでシャツにショートパンツという姿になるものも多かった。エム田君はオヤジマ丸首シャツに盛岡○○高校指定らしいじゃージのズボンだ。そしてI田姉さんは鶴岡△☆高校女子※部のユニフォームらしい白地にエリの部分に紺のラインの入った襟付き半そでポロシャツにゴムウエストの紺ショートパンツとなった。もちろん本邦初公開である。キュッとしまったウエスト、ふっくらとしたお尻には誰もが息を呑んだ。そのなかでも特に興奮したのがエム田君だった。しかしエム田さんはこれは霊的進化を妨げる情欲というエゴであると不屈の意志で押さえつけた。そしてM村姉さんも70年代アメリカ西海岸風のゴムウエストショートパンツにやはり70年代アメリカ西海岸風のプリントTシャツ姿だ。また講師のS栗さんは残念なことに半そでTシャツの下はゆったりと長ズボンだった。

そしてヨガの体操が終わる。あらかじめこの掘っ立て小屋内ガスコンロでカレーとご飯が炊いてあった。そして一同はカレーを皿に盛り付けてこの掘っ立て小屋で食事をした。するとカレーもご飯もあまってしまった。するとショートパンツ姿も艶かしいI田姉さんに対して自身の欲望を不屈の意思で押さえたエム田君がこうエラそうに指示する。細身のI田さんはさらに盛られたカレーを全部食べきれずに残していたからだ。
「金様から与えられた食べ物を残す事は許されない。残さず食べなさい。」
これにおとなしそうなI田姉さんも強い口調で校言い返した。
「もう私お腹苦しいのよっ。人に残さないでっていうんだったらあなたが残さず食べればいいじゃないの。向こう(給湯室)に残っているカレーもご飯も。」
そういわればエム田さんはまずI田姉さんの食べ残した皿のカレーを食べた。さらに向こうに行き、炊飯釜からご飯を山盛りに自分の皿に盛り付け鍋からカレールーを大量にかけてがむしゃらに田へはじめた。そして食べて食べて食べてふとスプーンを動かす手が止まった。当たりは一瞬凍りついた。そして恐れていた事態が起きてしまった。エム田さんはそのままダラダラとい食べたカレーとご飯をだらだらと口から流出ざせたのである。エム田さんがはいていた多分盛岡○○高校指定ジャージは一度胃の内容物となったライスカレーまみれになった。この状況にM村姉さん、I田姉さん、Y下さん、S栗さんはすでにブリキのバケツと雑巾を持って臨戦態勢だった。
そして一同は大変いやな思いをして後片付けをした。何しろ急なのでゴム手袋がないのである。そのため一同はその後しばらくカレーを食べる気にはなれかった。
その日の夜、ワンピースに着替えたI田姉さんは夜遅くなったので西荻窪の自分の部屋には戻らず下北沢のM村姉さんの部屋へと泊まった。

その後このグループはM村姉さん、I田姉さんの2人を中心にS栗さんともなうというグループが出来、会の創始者T橋夫妻との合流してS栗さんの友達の武蔵小金井の一戸建ての家で毎週末お料理やお菓子作りの会が開催されることになる。そしてM村姉さんI田姉さんは2人で成田から東南アジア→ヨーロッパ放浪の旅へと出かける。これを知ったエム田君(I田姉さんにホレていた模様)はショックを受けて在籍していたバカ田大学輪をやめて郷里岩手県盛岡市へと帰り、菓子の配達の仕事をするもののふたたび上京、西荻窪のオカルト書店の従業員などになる。そして下北沢のM村姉さんは下北沢を、西荻窪のI田姉さんは西荻窪をそれぞれ引き払い、それぞれの郷里である新潟県村上市や山形県鶴岡市へと帰った。
「あーあ、川の流れのようーにーゆるやかなー♪」
と美空ひばりの最後の曲、「川の流れのように」が聞こえてきたのはその頃ではないか…。そしてUFO界の大先輩であるHさんはまた置き去りにされてしまった…というわけである。そのためにふたたびコイルを巻いて宇宙人と交信を始めたようで、M村姉さんのところに
「オリオン座のミナミカワチ星在住の宇宙人、『ハナノオウエンダンノミスズチャン』からテレパシーで連絡があって、
『今日のカレーにライス、上手くできたチン○ポ。あとでエム田さんにも届けてあげるのキ○○マ。』
という連絡があったために岩手県盛岡市までカレーライスをエム田さんに届けることがわれわれ地球人の使命である。」
なんぞというわけの解らない電話が夜の一時過ぎにくるというのでカンカンに怒っていた事は記憶している。
 
 

Re: 成程ナチスの手口でした(^^;

 投稿者:ムトウ  投稿日:2014年 7月 7日(月)13時46分28秒
返信・引用
 
  > No.5594[元記事へ]

管理人様

ありがとうございます。
こちらも「とべ!クマゴロー」拝見しております。
こちらの影響で、最近、眉村卓さんの小説も結構読むようになりました。
(昔は読んでいたのですが、一時SFをあまり読まなくなっていたので)

この慶応の学生が若者の多くの意見ではないと信じたいです。
それにしても戦争の記憶が、本当に薄れて来ました。
政府が国民を監視出来たり、憲法の解釈を自由にコントロール出来るというのは本当に怖いです。
SFでも、こういうテーマはたくさんありますね。

>ほんのひとにぎりの企画者と管理者が確保できれば、あとはフリーター程度の能力者でことたりるんだそうです。
そうですね。うちの会社などもその傾向を感じます。
私は技術系の仕事をしていますが、兵隊のような扱いです。(笑
殺されるのも嫌ですが、殺すのはもっと嫌です。

眉村さんの講演録、楽しみにしています。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/mutoh/mystery.html

 
 

眉村さんの講演録をアップしました

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 6日(日)21時36分7秒
返信・引用 編集済
 
   去る4月5日、神奈川近代文学館で開催された〈大衆文学研究会神奈川支部〉の研究例会にて、眉村先生が「SFから私ファンタジーへ」という演題で講演されました。
二時間弱の、けっこう長い講演だった由ですが、それをまとめたものが、大衆文学研究会神奈川支部の会誌《えりないと》30号(2014年6月28日発行)に掲載されました。
今回、この《えりないと》掲載の講演録を、眉村先生及び《えりないと》編集部様のご許可を得て、当HPに転載させていただけることになりました。
SF作家としてデビューされた眉村さんが、やがてご自身〈私ファンタジー〉と称されている作風に変化してゆかれる、その半世紀の来し方を、いやデビュー以前の子供時代からのそれを、簡潔明快にまとめておられて、非常に面白い内容です。
なぜ日本SF作家クラブの最初のメンバーに(筒井さん共々)入っていないのか、とか、小松さんの考えるSFへの違和とか、対極的な星さんのSF観とか、簡潔ながら読みどころ満載です。
ぜひお読みいただきたく思います。
なお、上記のようにこの講演録は、与えられた三頁という《えりないと》の誌面に合わせてまとめられたもので、二時間の講演内容を全てカバーしたものではありません。
そこでカットした部分を復活させた完全版講演録を、文字おこしを担当された村上知子さんが鋭意企画中とのことで、もしそれが完成しましたら、そちらも当HPにて掲載させていただく所存です。楽しみにお待ちいただければと思います
(ただ私も《チャチャヤングショートショートマガジン創刊号》で経験しましたが、立て板に水で機関銃のごとく撃ち出される眉村さんの発言を完璧に聞き取るのはなかなか至難で、しばしご猶予を頂きたいと思います)
ということで、眉村卓講演録『「SF」から「私ファンタジー」へ』、こちらからおすすみ下さい。
《講演録「SF」から「私ファンタジー」へ》



 
 

ふたつのUFOブームのはざまで

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 5日(土)21時29分49秒
返信・引用 編集済
 
  トマトさん
面白い、面白い。出だしなどまるで荒巻義雄*かと思いました。ラプンツェルとか(^^;。しかし呼びかけ呪文は「ベントラ、ベントラ」だと覚えていたのですが、「ヤーレン、ソーラン」だったとは!!
舞台は70年代後半〜80年代初頭だと思いますが、すでに日本空飛ぶ円盤研究会やCBAのようなビッグサークルは衰退していたと思います。東京では、こんな、ある意味泡沫的なUFOサークルが、まだたくさん残っていたんでしょうか。それとも上記のような団体とはほぼ無関係な、むしろデニケンブームに直接つながる新しい流れだったんでしょうか。あるいはノストラダムス〜オウムとかでしょうか。
ただ、この主人公、関心が女の子の方ばかりに向いていて(会員は女子のほうが多かったのかな)、肝心の会の本来の活動内容があんまりよく見えてきませんね。泡沫サークルだったらこんなものなんでしょうか(>おい)(^^;
ここはひとつ、M田氏やH氏を主人公にした番外編を読ませていただきたいですなあ(^^)
*CBAが建設したハヨピラについては荒巻義雄の空白シリーズで言及されています。

 
 

眉村さん情報:日経新聞連載エッセイ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 4日(金)19時51分0秒
返信・引用 編集済
 
   今日の日本経済新聞夕刊、販売店で確保しました〜(^^)
眉村さんのショートエッセイは、《あすへの話題》として、第一面の一番下に掲載されていました。
タイトルは「町中の敵意」。
いかにも眉村さんらしい少々パラノイアックな空想(妄想)で(>おい)(^^;、面白かったです。このアイデア、ショートショートにできるんじゃないかと思いました。「ペケ投げ」系の話になったんじゃないかなあ。まあ今回はエッセイにされたわけですが、最近の眉村作品は「私ファンタジー」なので、エッセイと小説の区別はあまり意味がなくなってきているといえるかもしれませんね。
今日から数回(一か月?)、毎週金曜日掲載のようです。→あすへの話題
↓クリックで拡大
 
 

Re: 成程ナチスの手口でした(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 4日(金)18時25分42秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5592[元記事へ]

ムトウさん、お久しぶりです。武藤の大冒険は欠かさず拝見しています。
まさに大変な時代の足音が聞こえてきたように感じられます。

>若者に自衛官募集のDMが届いている
毎日新聞のこの記事で、慶応の学生が「こういう大学に通う僕が戦場に駆り出される可能性はないと思う」なんて、他人ごとみたいに言っていましたが、甘いですねえ。
『ネオリベラリズムの精神分析』という光文社新書を読んでいるのですが、いまは産業構造が変化して、日本の戦後の復興〜繁栄を支えた《均質な優秀な労働者》は必要なくなっており、ほんのひとにぎりの企画者と管理者が確保できれば、あとはフリーター程度の能力者でことたりるんだそうです。
要するに東大生京大生以外の大卒者は求められてなくて、それ以外の大卒は、中卒高卒の教育水準でも出来る(あるいはそれ以下で、言葉の通じない外人労働者でもオッケーな)仕事しかなくなって行く傾向だそうです。
たしかに、我が母校は関西では私学の名門と言われていたものですが、いまや「母校の後輩です」と言って金融商品のセールスで電話を架けてくるものもざらにいますから、その傾向は間違いないように思われます。
くだんの毎日新聞の学生は、慶大生なんていう肩書になんの意味もなくなっていることに全く気づいていないのが、可哀想なほど認識不足で、ひょっとしたら真っ先に赤紙がきて、そのときはじめて自分の認識が甘かったことに気づくでありましょう。
実は私自身、サラリーマンだったら定年間近な年齢なので、その点は大丈夫と高をくくっていたところ、芦辺拓さんがツイッター「徴兵制で若者を鍛えてほしいというけれど、昔の年齢上限の40〜50代の老けこみぶりは今とは比べものにならない。今だったら60代まで召集対象になることは予測しといた方がいいと思う。ぼくはまぁ佐官待遇の報道班員になれるようがんばります」などとつぶやかれていて、あちゃー(^^;、くだんの慶大生と認識の甘さはさほど変わらないのでありました(汗)。しかしまあ私は極度の近眼で乱視で老眼でありますから、徴兵検査を受けましても丙種合格で兵役免除か、せいぜい輜重兵というところかなと安心しております(>まだ言うか)(^^;

>「夜のミステリー」での戦争をテーマに描いた作品がいくつかあります。
ご教示ありがとうございます。70年代頃まではまだ戦争を直接知っている作家や脚本家が健在で、おっしゃるように、
>昭和はまだ戦争を引きずっていた
のでしたが、いまや直接の体験者は少なくなってしまいました。かくなる上は親の世代から体験談を聞いて育った私たちが、あとを継いで平成のこの時代も「引きずって」いかなければならないと思います。

 
 

民間UFO研究会 イチジク浣腸クラブ「シータの会」

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月 4日(金)18時02分14秒
返信・引用
 
  管理人さん、今晩は。雨ですねー。台風来ているみたいですねー。

で、オハナシ(*^^*) 民間UFO研究会のすったもんだ(>_<)


それは私は未だ学生のころのことだった。大学にはいったものの何をしていいのかもわからなかった私は新宿から電車にのってふらっと下北沢という町で降りた。駅前の終戦直後の闇市の名残のようなバラック街を潜り抜けると、そこから先は何か味のある、新鮮な風の吹く通りが広がっていた。そんな趣のある店の並んだなかにあの店はあった。ラプェンツェルという店名のその古着屋は、ショーウィンドゥにアンティークなシンガーの足踏みミシンが飾られており、そのミシンテーブルの上にはリアルな陶製のキノコの置物が置かれていたことは覚えている。そしてふらっと中に入った。
「いらっしゃい。」
と店の奥で私を迎えてくれたのが大きな目と小さな口、鼻筋の通った端正な顔立ちのお姉さんだ。長い髪をジージャンの胸ポケットに流している。何かかっこよく、魅力的でそして昔から私の心の中に棲んでいたといった印象のお姉さんだ。彼女がM姉さんだ。
「ミルクティでいいでしょ。」
気が付くと私は店の奥の椅子に座って彼女の持ってくるマグカップに注がれたミルクティを啜っていた。その間も何度も客が着ては時には素見時には迷った挙句に何かを手にしてレジへとやってきた。
「こんにちわ。」
と今度はお店の客ではないお姉さんがやってきた。長い髪、大きな目と小さな口、鼻筋の通った端正な顔立ちとほっそりとした体つき、M姉さんに似ているといえば似ているが服装のセンスが大きく違っていた。このお姉さん、カラーとカフスが白い水色のワンピースを着ていたのだ。まるでアイドルのようなお姉さんだ。このお姉さんは店の奥に来てはかわいらしいトートバックから何か書類らしいものを出しては店長であるM姉さんに見せていた。
「今度の土曜日、夜の七時から中野の木造公民館であるから。」
「うんわかった。」
なにかM姉さんの友達らしい。とにかく私の知らない世界だったというよりわたしよりもはるか上空の世界だった。そしてM姉さんはその場にいたわたしに
「あなたも来る?」
とたずねる。特に居場所のなかった私にとってまたとない誘いだった。
「うん。」
「じゃあこの子にもプログラム渡して。」
とM姉さんはこのアイドルみたいなきれいなおねえさんにいった。
「こんどの土曜日、中野の木造見公民館で夜の七時からこういうあつまりがあるから。」
このアイドルのようなお姉さんはわたしにそう説明してくれた。このアイドルみたいなお姉さんがI田姉さんだ。古着屋ラプェンツェルの女店長M姉さんは新潟県ホニャラカ市出身でこのI田姉さんは山形県ホニャラカ市出身でこの二つの市は隣接しているのだという。それでこの地方独特のどこか関西訛りの言葉を2人はしゃべっていたのである。

こうして私は民間UFO研究会「シータの会」とへデビューすることになった。当時はまだ国電といった中野駅で降りると終戦直後かもう少し経ったから立てられたような木造の公民館「木造公民館」があった。二階の畳敷きの小会議室には二次有名かそれ以上のひとたちがすでにあつまっていた。サラリーマンやOL風の人、主婦といった感じの人、わたしのような大学生風、いろいろだ。畳敷きの部屋に座布団と座卓が並べられ、そして参加費300円を払うとなにかコピーの束(レジュメ)をもらった。そこなはオリオン座の波長だのそんなことが書かれていた。
そしてやがて前に白いカッターシャツにグレーのオヤジズボンといった男性が現れた。歳破は三十代、彼がN村さんといい、この「シータの会」のリーダー的存在だという。かれはみんなの前でオリオン座ズロース星雲の宇宙人ヤスコミツウラの宇宙哲学というもの話し始めた。性欲とか嫉妬やそういう世俗的な感情を抑えて正しい心に入れ替えることでより高等なオリオン座ズロース星雲の宇宙人ヤスコミツウラのような清く正しい心になれると解いていた。ちなみにM姉さんは退屈そうに、そしてI田姉さんは真面目にノートに取っていた。
そしてNさんの退屈なオハナシが終わったのは夜の9時近くだ。私はM姉さんとともに会場を出ると、M姉さんが
「ねぇお茶しない。」
とさそってくれた。願ってもいないことだ。M姉さんは例のアイドルのようなI田姉さんや容姿はI田姉さんほどではないがややきれいな女性何名か声を掛けて総勢十名近くが中野駅近くの野暮ったい喫茶店に入った。
そこで話される会話の内容はN村さんの説いた宇宙哲学ではなく、N村さんが昔はどうしたのこうしたのという噂話だった。あとはどこかにおいしい店がある、どこかに安い洋服屋があるといった話がほとんど。こうして夜も更け、その日は解散した。ちなみに当時私は中野かすぐの阿佐ヶ谷に下宿していた。
これが民間UFOグループ俗称「いちじく艦長クラブ」正式名称「シータの会」デビューのその日だった。
このシータの会は聞くところによると、三年ぐらい前にT橋さんという大学の先生が始めた「宇宙文明研究会」というサークルが起源らしい。その当初は東京都町田市にあるT橋さんの自宅で研究会が持たれていた。が次第にT橋さんのお宅で集まりをもうことが近所迷惑になるとか、いろんな理由でT橋さんはこの「宇宙文明研究会」から距離を置くようになってしまったらしい。その後Y田さんやN村さんが中心になった「いちじく艦長クラブ、シータの会」と名前を変えて会場を都内の棒大学やら公民館にうつしていろいろ会を行っていたという。わたしが誘われた頃に使っていたテキストというのがT橋さんがどこかから見つけてきたアメリカのUFOコンタクティの書いた宇宙哲学という本だった。
こうしてその歳は過ぎた。この「シータの会」というのは和気あいあいとしていて、学生時代のサークルのように若気の至りといったがさつきがなくてわたしには居心地のいい場所だった。この頃N村さんもエム田さんも未だおとなしかったのではないか…と思う。夏には京王線にのって山の近くで皆集まそってUFОコンタクトを試みたいことがある。山というのは高野山であることはいうまでもないが、皆で輪を作って「ヤーレンソーラン」と呪文をと舞えてUFОをよんだがもちろんUFОはこなかった。しかし例のデニケン「神々の戦車」ガリ版和訳をもっていたH三だけはしきりに
「あっ、また見えた。」
「あ、またきた。」
といっていた。このHさんは私が生まれる以前に存在していたというUFО研究会「宇宙友好協会」のメンバーで、Hさんのはなしによると、
「UFОコンタクトの儀式をすると、空がすり鉢状になった。」
なんぞという突拍子もないことを話していたが皆彼の話をまともに聞いてはいなかった。そんなわけで和気藹々としたUFО同好会といった雰囲気だったのである。そして秋が来てプラタナスが散り始めると、町にジングルベルが流れ始めた。するとM姉さんが
「クリスマスしよう。」
と言い出したので、武蔵境に住むスグリさんのお宅でクリスマスをした。このとき、N村さんもきたが、その場の雰囲気になじめない様子だった。

そして何が変わったのはその翌年の初秋ごろだった。寄与夏休みに郷里に帰っていたわたしがふたたび東京に戻ると、今度は渋谷区Eにある古い区民会館で「シータの会」の集まりがあった。ここでN村さんがエム田さんを脇にはべらせ、公然と疎開の創始者T橋さんの批判を始めたのだ。
「T橋さんはこのシータの会を私物化しようとしている。なのでT橋さんからコンタクトがあっても無視するように。」
という通達がなされた。そうもっともらしく言うN村さんの傍らに侍るエム田さんがきっとにらみを利かせてた事は今でも覚えている。そしてその歳の秋も深まると、もう完全にN村さんは毎朝の瞑想で獅子座宇宙人ホットパンツドクターとコンタクトをとるようになっていた。獅子座宇宙人ホットパンツドクターはN村さんを通していろんな「教え」をしていたがしかしそのすべてはN村さんにとって都合のいいものだった。こうしてN村さんはホットパンツドクターによって司学長、N村さんに忠実はエム田さんは副司学長に任命された。
この頃から例の古着屋女店長M姉さんやその友達I田姉さんたちによるN村エム田陰口が始まった。例によってネチネチうじうじ女性的な会話だ。こういうのになれている私はまったく違和感がなくこういう陰口の中にいた。「シータの会」の集まりのあとの喫茶店でのお茶はまずM姉さん主宰のN村エム田陰口に終始した。あとはお洒落やお料理の話だ。プラタナスの葉が落ち、ダッフルコートの季節ともなればもはやN村エム田に内緒でM姉さんたちが都内で会合を開いては手製のクッキーを持ち寄りN村エム田陰口に花を咲かせるという会合がクリスマスパーティと称して開催されていた。その一方でN村エム田はクリスマスというのは俗悪なものとして否定しては「正しい生き方考え方」を押し付けてくることに終始していた。
こうやって歳が明けたころにはN村エム田バーサスM姉さんアイ田姉さんなどの対立は激化していったのである。もちろんわたしもM姉さんアイ田姉さんに取り込まれていたのだが、この頃から頻繁にN村エム田から電話がかかってくるようになった。
そしてまた春が来た。この頃、この会の創成期に事務の仕事を引き受けていたI田さんのところに創始者T橋さんから連せくがあったという。前述したように当時この会を仕切っていたN村は会の創始者T橋さんとは関わるなと通達していたが、しかしこっそりとアイ田姉さんはT橋さんとこう利用し始めた。そしてその歳の夏、会の誰かがタウンエースを運転して会の創始者であるT橋夫妻、M姉さんアイ田姉さんたちと私も含めてタウンエースによるM姉さんアイ田姉さん郷里を訪れる旅へと出発したのである。もちろんN村エム田には内緒だ。

こうしてタウンエースは都内を出て、どこをどうとおったのかわからないが日本海側の新潟県についた。田んぼが広がり来た関東の田舎とは違い、本当に米どころといったかんじだ。当然夜になると星がきれいだ。その晩は新潟県のなんとかというところに宿泊施設に止まった。食事つきで一泊格安だ。そしてその翌日、また一同はタウンエースで新潟県の日本海側のM姉さんの家に着いた。田舎の古い家なので大きくてタウンエースで押しかけたとたちが全員泊まれた。星を見て久しぶりに会の創成期のあの頃の純粋な気持ちに戻ったという一緒に行った人たちは話していたが、わたしにもそういう感じがした。星が自分たちの故郷みたいなそんな感じだ。田んぼがどこまでもつついていてかえるの鳴き声が響き渡り、とても幻想的な光景だった。その翌日は海を臨みながら今度はアイ田姉さんの家に行った。土蔵のある古い大きな家だった。ここでも畳敷きの大きな部屋で全員が雑魚寝した。夜あたりを歩いても安全という治安の良さだった。こうして田舎に行って星を見ていたりすると、N村がどうしたのエム田がこういったのというネチネチグシャグシャ話は出てこなかった。
この旅行を契機にこの「シータの会」は事実上裂する。会の創設者T橋さんが
「UFO研究とかそういうことはなく週末にウチで集まりを持ちましょう。」
といってくれたのだ。秋になると週末にM姉さんアイ田姉さんたちとともに週末町田へと集まった。が近所の迷惑のことも考えて九時前には会は終わった。そしてクリスマス会もこの町田のT橋さんのお宅でおこなった。このころになるともう多くはN村エム田とは関係なくなっていた。
画歳が明けてまもなく、エム田からの着様薄命田電話がアイ田姉さんなどにかかって来たというのである。どうもエム田はアイ田姉さんにホレているという話は聞いた。だとすると、エム田はアイ田姉さんに対するストーカーと化したわけだ。結局エム田はたしかにアイ田姉さんに惚れていたらしく、アイ田姉さんをプレアデス星からきた魂であり本来は人類を導く焼くわれがあるのだから間違った方向へとミスリードしている会の創始者T橋さんのところにいるべきではないというのが彼の言い草らしい。こうしてエム田によるアイ田姉さんへのしつこいストーカー行為が続いたためにアイ田姉さんは歳が明けて春になると郷里である山形県T岡市へと帰ってしまった。ちなみにアイ田姉さんは東京都杉並区西荻窪にある一階が店舗たという繁華街の雑居ビルの五階に住んでいた。わたしたちは彼女が高校を出てからずっと暮らしていたというその部屋を引き上げる手伝いをした。ここでも例のタウンエースが活躍する。彼女の部屋の家財道具は例のタウンエースに積み込まれ、そして彼女を乗せて一路山形県T岡市へと向ったこのときわたしとM姉さんもタウンエースに同乗していた。彼女は高校を出て大学を出てそれから何年かこの西荻窪の繁華街の雑居ビルの五階にいたわけだ。小さなベランダにはいろんな観葉植物があった。この観葉植物の一部はMねえさんが、また一部は私が引き取った。またとてもきれいにかたづいたキッチンにはいろんな調理道具やら香辛料などが並んでいた。もちろん彼女が西荻窪を引き上げるという事はストーカーであるエム田には内緒であった。タウンエースには彼女とニーニとキッキという彼女の二匹の猫、M姉さんとわたしと運転手のY君とが乗った。

続きというか補足編はまた後ほど・・・

?

 
 

Re: 成程ナチスの手口でした(^^;

 投稿者:ムトウ  投稿日:2014年 7月 4日(金)11時11分23秒
返信・引用
 
  > No.5588[元記事へ]

お久しぶりです。
「夜のミステリー」のムトウです。

全くその通りだと思います。
AKB48を自衛隊の宣伝に使ったり
集団的自衛権の解釈改憲が閣議決定されて、すぐに若者に自衛官募集のDMが届いているという話を聞きます。
「軍歌の響き」が近づいているのではないでしょうか。

「夜のミステリー」での戦争をテーマに描いた作品がいくつかあります。
「岸壁の少女」(斉藤憐)は戦争映画のオーディションに現れら少女に戦争で兵士に赤ん坊を殺された女の霊が宿るというお話です。
また、体験実話の「井戸」は広島の親戚に泊まった時に井戸から原爆で死んだ男の霊が夢に現れるというお話です。
昭和はまだ戦争を引きずっていたのですね。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/mutoh/mystery.html

 
 

P-51ドラゴンファイター

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 3日(木)21時37分46秒
返信・引用 編集済
 
  トマトさん
このUFO研究会のオハナシは大変興味があります。たとえばUFO観察会ではどんな風にUFOを呼んだのか、その方法は? とか、どういういきさつで研究会ははじまったのか、とか言った、具体的な内容をもっとくわしく知りたいので、よろしくアッチから持ち帰って来ていただければ幸甚です(^^;




われらがアベッチだったら、さしづめフィギュアはギャオスにしろというでしょうなあ。そこに麻生さんが、いやラドンでしょう、と横槍。どちらも年齢を反映していてわかりやすい(^^;。
しかしお互い引かないタイプだから、ギャオスだラドンだとふざけて言い合っている内に本気になってきて、はてはふたりともわんわん泣きながらつかみ合いの喧嘩になる。
スガちゃんはといえば、どっちでもいいやんという感じで、冷たくそっぽを向いてすわっている。仲裁に入りもしないのは、それが秘密会議のいつもの風景だからなのです――という絵が、私の頭のなかに浮かんでまいりました(汗)。
しかしあべっちの秘密会議って、なんかたのしそう。私も加わりたい(>おい)(^^ゞ

 
 

「怪人スケレトン博士」情報

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 2日(水)20時25分42秒
返信・引用
 
 

◯産経新聞の記事はこちらで読めます→()()(


 
 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月 2日(水)17時01分38秒
返信・引用 編集済
 
  管理人さん、縄文系と弥生系かあるのをはじめて知りましたというより昔日本史で習ったのを思い出しました汚物を捨てたことであまりにも印象鮮明な静岡の登呂遺跡は弥生時代の遺跡ですから埴輪や弥生式土器のレプリカが売られていましたが、しかしなぜか縄文土器や青森県出身の遮光器土偶のレプリカも売られていました。
静岡には弥生顔もいれば縄す文顔もいますが、北関東には弥生という名前の女の子が少なくとも二名いました。一人はもちろん弥生顔であだ名が「梅干ばあさん」でしたが、もう一人のニックネーム「やよたん」の方は典型的な縄文顔でありザード坂井泉水っぽい女の子でした。


ここからオハナシです\(^^)/(>_<)(^_^;)

しかしI田さんは色白でしっとりとして美しかった。このI田さんは例のUFO研究会にいた「美女」だったが、概してこういうUFO研究会は「女心のわからない男性陣」があまりにも多い一方で以外にも美女が多かったりする。とうてい女の子と付き合ってもらえないし、付き合ってもらえてもすぐに別れられてしまうな人たちだ。例の私に「神々の戦車」ガリ版を見せてくれた某氏も同様に極めて無神経で女の子に嫌われるタイプの人だった。
ちなみにこのUFO研究会「イチジク艦長クラブ」もN村さんをはじめとする男性陣、I田さんが属する女性グループとに別れていた。子供の頃から姉によって「ひと言何か言われたことをいつまでもネチネチグチャグチャ」の女社会での付き合い方を仕込まれた私はN村さんがリーダーとする男社会ではなくI田さんがいる女性社会にいつのまにか組み込まれてしまい、中野駅近くでのUFO話の後の喫茶店でのアイスコーヒー飲みではI田さんと同じテーブルにいたけど、ここでの女性たちの会話にはたとえば
「N村さんが私にこういった。」
「M田さんたら偉そうにこんなこといった…。」
という女性ならではのネチネチとした陰口であった。この手の陰口もよく姉や姉の友達が話していたのを覚えているが、多くの男性はこの手の陰口はとても嫌いなのだ。が女というのはこの手の陰口を行っては「何か言われたらその場は苦笑いしてあとからあの手この手で破滅に追いやるもの」だということをこどものころから身を持って体験してきた私には特段違和感もなかった。
でこの民間UFO研究会「いちじく艦長クラブ」随一の美人I田さんであるが、色白で細身で繊細でそれはフェミニンな一だった。優しいところはやさしいがきつく冷徹なところは冷徹だ。彼女がUFO研究会に参加していた動機は何かしら宗教的な求道心があったように思われる。彼女が山形県鶴岡市出身で彼女の郷里と実に近いところにある新潟県村上市出身なのがこのUFO研究会「いちじく艦長クラブ」で二番目の美人のK倉さんだ。やはり細身で色白、顔立ちは端正だがフェミニンさという点ではI田さんに大きく欠けていてどこか少年ぽいオーラの持ち主だ。そんなわけでK倉さんはこの民間UFO研究会「いちじく艦長クラブ」の新米の男の子の会員の中にいては指導陣であるN村司学長やM田副司学長の悪口を言っていた。つまりこの「いちじく艦長クラブ」というのは指導陣N村司学長のグループと、このN村司学長のたちの陰口や悪口をいうグループとで構成されていたというわけだ。
でとある夏休み、わたしたちはだれかのタウンエースでK倉さんやI田さんの故郷にUFOを見に行くという旅行を企画した。新潟と山形の県境は美人が多く関西訛りの言葉が話されているのでよくフォルクスワーゲン製のUFOに乗った宇宙人がくるのだという。もちろんタウンエースにはK倉さんとI田さんも同乗するのだがこの旅行自体がN村司学長やM田副司学長には内緒というところが女々しく陰険だ。そしてK倉さんの実家とI田さんの実家に行ってきた。どうということはなかったが、たしかに美人は多い町だった。
この旅行を契機に民間UFO研究会「いちじく艦長クラブ」は事実上分裂した。そしてI田さんK倉さんは京王線高幡不動駅にあるオタクで週末に開催されているイタリア料理や洋菓子を作りながらクラシック音楽を鑑賞するという今で言う女子会に流れた。わたしもこのグループに引っ張られていったが、その後イチジク艦長クラブがどうなかったかはしらない。
しかし面白いのはN村司学長やM田副司学長の信奉する宇宙人は獅子座レクサス星団LSハイブリット星からくる織田信長のような男臭い宇宙人ジャガーヨコタ伯爵であるのに対して、I田さんやK倉さんが信奉する宇宙人はプレアデス星人ノエメラルダーだった。このエメラルダーというのは美少女のように見えるが美少年なのだという。美少年なのでオッパイはない。そして金色の長い髪と緑色の瞳のプレアデス星人の姿をデザイン専門学校に通う女の子にしか見えない男の子を描いてはK倉さんやI田さんたちのグループに持ってきていた。
 
 

成程ナチスの手口でした(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 2日(水)04時28分40秒
返信・引用 編集済
 
   集団的自衛権の行使を認めた閣議決定(全文)

おお、これって、「議会で多数派となったナチスは、全権委任法をはじめとする民主主義を否定する一連の法律を次々に議会で可決させ、いつの間にかワイマール憲法を機能しないようにしてしまった」(引用元)
というのと、同じ手口ですね。
はっ。麻生さんが「ナチスの手口を学べ」といったのはこのことだったのか!
やるなあ、あべっち。さすがさすが(^^)
つまり周到にシナリオが作られていたのでしょう。「ナチスの手口に学べ」というのも、おそらくシナリオ策定の秘密会議で、誰かが冗談めかして(なかば本気で)発言して大いにウケたものだったんじゃないでしょうか。それを麻生さんが、ポロリともらしちゃったんですね。あのときはさすがにあべっちも、冷汗かいたかも(^^ゞ

ところで自衛隊員を辞める者が大量に出ないかなあ。それが心配。まあいざとなれば、徴兵制を布けばいいか(^^ゞ
 
 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 7月 2日(水)03時10分46秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5586[元記事へ]

トマトさん
>いわゆるハーフっぽい美少女系の美人って東日本では東北の雪国、新潟山形秋田に多いみたいな印象です
そうですね。やっぱり蝦夷(縄文人直系)の血が濃いからでしょうね。
ハーフっぽい美少女系というのはなるほどの表現で、要するに西欧白人的な顔立ちが、美人と認識されるんですよね。
ウィキペディア美人によりますと、
「関東大震災後から、パーマネントや断髪、口紅を唇全体に塗るなど、欧米の影響を受けて従来の美意識と相容れないような美容が広まった。戦後の日本では、西洋の影響を受けて、白人に近い顔立ちが美人とされた。」
関東大震災後というのは、要するに大正ロマン昭和モダンの時代ですね。つまり今の私たちが持っている美人観は、早く見積もっても、まだ100年にならないのですね。

>福島仙台までは北関東同様期待外れが多い
そうなんですか?(笑) 静岡が縄文系だったら、関東はもっと縄文人の血が濃そうですが、実は関東は渡来人がたくさん行ってるんです。渡来人というか、騎馬民族ですね。広大な関東平野は馬の飼育に適していたのでしょう。3世紀の魏志倭人伝には、日本には馬がいないと書かれていたのに、5世紀になるととつぜん騎馬文化が日本書紀などに現れるのは(考古学的にも)、騎馬民族系の渡来人が大量に日本に渡ってきたことを端的にあらわしていると思います。
神奈川県の秦野は、やはり渡来系の秦氏に由来しますし、大磯には高麗という地名が残っています。秦野と高麗(当時高麗郷)を結ぶあたりが、関東の騎馬系渡来人の世界への入り口だったと思われます。事実、といいますか、豊田有恒『大友の皇子東下り』で、大友は、大海人に追われて海路大磯に上陸するのですが、本書にはこの高麗郷について「高句麗人の入植地」とはっきり明記しています。そしてこの大磯は、当時相模湾で唯一の港だったらしく、「西国から東国への航海ルートの上陸点」だったと書かれています(講談社文庫版、187p)。ちなみに、想像をたくましくすれば、関東に土着した坂東八平氏や源氏も、元を正せば騎馬系渡来人の部族だったんではないでしょうか。
話が飛びました。つまり関東は、目が細く鼻が低く手足が短い(寒冷地適応した)騎馬民族系の人々が多数入り込んでおり、たぶん宮城県の多賀城あたりまで進出して、蝦夷と対立していたはずなので、「福島仙台までは北関東同様」というトマトさんの印象は、その意味で私には、大変納得できるものだったのでした(^^;
 
 

Re: ブックオフに売る

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 7月 1日(火)16時05分55秒
返信・引用 編集済
 
  > No.5584[元記事へ]

管理人さん、静岡に住んでいらっしゃたんですか!! 呉服町においしい堅焼きそばの店がありましたね。(なんとローカルな話)よく親戚のいる静岡にいったものです。静岡に行くついでに東京に立ち寄ったという感じですね。常葉は入学するのもイージーで、生徒数も多い学校なのだそうです。静岡の人は静岡には美人がいないという割には美人が多いですね。一度夏休みに親戚の家を訪れ、親戚の車でドライブに連れて行ってもらったのですがそうしたらトラベルミン服用を忘れた姉が車酔いをしては車内でお土産店のレジ袋内で姉が戻してしまいました。それを私が顔をしかめながら登呂遺跡のゴミ箱に捨てに行ったという思い出があまりにも鮮明です。そのために学校に提出する夏休みの宿題である絵と文章入りの静岡旅行記に
「おねえちゃんが○○おじちゃん(親戚の人)の車の中ではいた。へんなにおいがしてきていやだった。」
「登呂遺跡でおねえちゃんがはいたのをボクが捨てに行った。はいたのがぶよぶよしてきもちわるかった。」
なんぞとかいたのを提出しては先生に怒られました。


> >女子高ってきれいな子かわいい子がモテモテみたいですね。
>  私は1年だけ静岡に住んでいたのですが、女子校内だけではなく、概して静岡は美人が多いという印象を持ちました(理由は後述)。
>  顔相が畿内人とは根本的に違う(と感じられる)のです。たぶん骨相自体が異なっていて、それは人種的な相違に由来するものではないかと想像しています。
>  静岡人は縄文人があまり混血せずかなり純粋なまま現代まで続いているんでしょう。一方畿内人はベース弥生人で、しかもそれに更に百済系渡来人がかぶさっています(瓜実顔で目の細い平安美人は明らかに半島系ないし北方大陸系)。
>  現代は平安時代と違って、二重まぶたのクリっとした大きな目が好まれる傾向があります(その理由は分かりません。欧米人の骨相に縄文人のほうが似ているからかも。つまりアメリカ文化に染まった現代日本人のコンプレックスかも)。結果、弥生系より縄文系の顔を、美人と無意識に判定してしまう自動性が働き、私にも働いたのだと思うのですが、もとよりクリっとした目が細い目より進化論的に優れているわけではなく*、豊田有恒の『モンゴルの残光』のような並行世界では、目が細く釣り上がって、乗馬に適したガニマタ体型が美人の条件となっているはずですね(^^;
>  *むしろ今後ニッポンが熱帯化し陽射しが強烈化すれば、大きな目は不利となり遮光器土偶のような目に進化していくかもしれませんが(^^;
>

いわゆるハーフっぽい美少女系の美人って東日本では東北の雪国、新潟山形秋田に多いみたいな印象です。列車で北上して福島仙台までは北関東同様期待外れが多いといわれていますが、福島仙台を過ぎて山形や新潟、秋田にいくと色白細身長身の雪国美人が多いそうです。そういえばたしかに親の代が新潟山形秋田の人ってキレイですね。



 
 



 
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