ヘリコニア過去ログ1408

《チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号》締切日(一応)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月31日(日)22時51分58秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
>家庭内がウクライナクリミア半島に状態に
 おお、それはお気の毒に。北関東の山の神は恐ろしそうですね(>おい)m(__)m

>山本有三
 なんと! 意外に血筋かも(^^ゞ
「路傍の石」、小学校で読みましたよ。内容は忘れちゃいましたが、面白かった記憶が(笑)

 今日はチャチャヤング・ショートショート・マガジン2号の締切日(一応)ということで、ばたばたと、五月雨式に、或絶或連という感じで、皆様の玉稿が到着し、なんか一日、中途半端に忙しかった諸事手につかなかったです。
 1週間ほど待ってくれ、という方もいますが、大丈夫ですよ。じっくり書き上げて下さいね。

 柊さん、返信しましたが届きましたでしょうか。ちょっと添付データが重くなったので心配しております。

 あと段野さん、進捗状況どんなものでしょうか。現稿とボリュームが大きく変わるのならご一報下さい。
 

Re: ラジニーシ教

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月31日(日)19時55分47秒
返信・引用
   あー今しがた、家庭内がウクライナクリミア半島に状態になっていました。(>_<)
プーチンはヒステリー起こすだけ起こしてとじこもってしまいました。(^_^;)
皿が飛んでこないだげよかったです。
(*_*)

カミングアウトしてしまうと、実はウチのひいおばあちゃんの従兄弟が北関東の文豪といわれているらしい山本有三とかいうオッサンなんです。なんでも「路傍の石」とかいうつまらなそうな「課題図書」を書いたという・・・。そんなわけで山本有三というオッサンの書いてオハナシは一つも読まないことにしていますが・・・(笑)

 お話を書くって、トークショーみたいなかんじかもしれませんね。私が影響された北関東のケーキ屋「仏蘭西菓子モーサルト」のオヤジが書いていたミニコミ誌は北関東市の人たちに話しかけるような感じで書いていたんだとおもいます。でわたしが虚実織り交ぜた劇安旅行記もみんなも一緒に激安旅行をしてもらうような感覚で書いたんです。実際にモーツァルト号っていう列車がパリとウイーン間にあって、ミュンヘンとかあちこちで下車していろいろオハナシの種がありましたね。


 例の古書店「夢書房」のオヤジが古本屋の中で一日中閉じこもっては自分の「作品」がボツになるたびに家族や客に八つ当たりしていてましたね。
「特別な才能があるオレの名作を聞かせてやるぞ。」
というスタンスじゃつまらないオハナシばかりですね・・・。



http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

Re: ラジニーシ教

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月31日(日)01時10分43秒
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  > No.5766[元記事へ]

トマトさん
>なんだか見た目は怖そうな
 見た目だけじゃなくて、実際、かなり狷介な人みたいですよ。

 さて、旅行記ありがとうございます。こんなこと、私が言うのはおこがましいですが、トマトさん、文章がうまくなりましたね。急激な上達だと思います。
 しかしヨーロッパに来て、日本の話で盛り上がるって、面白いですね。それって何なんでしょうね。宿に日本人がいなくなり、退屈になったので出発した、というのも可笑しい。
 考えてみますと、大抵の日本人旅行者は、多かれ少なかれ、そんな行動パターンを取ってしまうのかもしれませんね。たとえ一人旅だったとしても。
 外人のなかに臆せず入り込んで、それが楽しいという人はごく少数なんでしょうねえ。
 

 

Re: ラジニーシ教

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月30日(土)20時51分45秒
返信・引用
  管理人さん、どうもどうもてす。
今週になって急に肌寒いほどになって風邪を引いてしまったみたいです。

丸山健二って丸谷才一とは別人なんですね。名前が似ているのでごっちゃにしてしまいました。しかしなんだか見た目は怖そうなおじさんですね・・・。

 西洋に対する漠然とした憧れで、群馬の館林みたいにクソ暑いパンコクから、トイレの流れないツポレフ機で仏蘭西の巴里へ飛んだんです。でシャルルドゴール空港に着きました。

「あれ、ここ本当にフランス?千葉県じゃないのっ。」
と思ってしまいました。埼玉県や神奈川県じゃなく、なんとなく千葉の田園地帯といった感じしたんです。しかも日本語が聞こえて来る・・・
「あれ、ここでいいのかしら。」
「あの青いバスに乗るとパリの東駅のほうに付くみたいよ。」
「へー。いくらなのかしら。どこで切符買うのかしら。」
と日本語を話す東洋系のおばさんの一団がいるところだってここはフランスじゃなくて千葉のニッケコルトンプラザと錯覚するのに充分でした。
でそのおばさんの後を付いていってそして青いバスに乗りました。バスが千葉の田園地帯みたいな大地を走って少しすると、大きな白いゲートが見えてきました。そのゲートには
「ようこそパリへ。」
と日本語で書いてありました。「ようこそ千葉県へ」の間違いじゃないの?という感じがしたものです。そして結婚式場玉姫殿が見えて慈恵医大病院が見えて、千葉県柏市の親戚の家について・・・とは行かずにテレビや雑誌でよく見るパリの町並みがリアルに目の前に迫ってきました。
 夕日に赤く染まるパリの町並みです。息をのむほど映画チックでした。本当に仏蘭西、巴里というオーラです。やはりここは千葉県じゃなくて本当に仏蘭西の巴里だったんですね。
 そしてバスはパリ東駅前に止まりました。そこで安宿を見つめてパリでの一泊を過ごしました。
 宿に荷物を置いて早速宵のパリの街を歩いてみました。北関東の繁華街に喫茶店などが並ぶ一角があるのですが、そこをもっとお洒落で銀色にした雰囲気。さすがパリ・・・といった雰囲気でした。銀色のパリの街でお尻のような形のメレンゲを買ったものでした。パリは本当にお洒落ですね・・・。

でパリにしばらく居ました。居心地が良かったんです。あまりにも・・・。東駅近くの安宿には日本人も宿泊していて、日本語で話が出来たしそれでしばらく居ました。ちなみにパリはどんな格好をしていても受け入れられる・・・という雰囲気です。バンコクで激安で買ってきたとても日本では着られないような服を着てパリの町を歩いていました。なにか本当にいい気分ですね。インド風のショールなんて巻いてパリの町歩いていました。

 がこのままずっとパリにいるわけにもいかないし、フランス語も全然わからないのでふとモーツァルト号に乗ってウィーンまで行ってみようと思いました。モーツァルト号はウイーンまで行くんですね。つまり国際急行列車なんです。東京駅から出る西鹿児島行きの寝台列車よりももっとすごい。

 そういえば私が幼稚園に入園したかしないかの頃に、近くのバスどおりに出来た本格仏蘭西菓子店洋菓子処もモーツァルトという店名でした。モーツァルトという名前の音楽家も居たということを知ったのはそれからだいぶ後になって小学校の四年か五年になってからで、それまでモーツァルトといえばバス通りにあるケーキ屋やそこで売られているケーキの名前だとばかり思っていました。というか今までも私の中ではモーツァルトというと、あの関東地方北部のあの田舎町のバスどおりにあるケーキ屋以外の何者でもありません。モーツァルトの調べは二長調だとかアダージョしじゃなくてあの口当たりのいいクーベルチュールチョコレートに包まれたやさしいカカオ風味のカステラとその中に挟まれたカラメル風味の生クリームです。
そんなわけで音楽家のモーツァルトが生まれたザルツブルクという町にも行って見ました。もちろんザルツブルクは大観光地なのですが、やはりモーツァルトというとお菓子と連想する人が多いらしく、ザルツブルクにはモーツァルトチョコレートというなんだかあんまりおいしくないチョコレートがたくさん売られていました。
 が奇しくもこのザルツブルクであの北関東市東松原町バス通りにあるモーツァルトに戻ってきたような・・・そう錯覚した宿があったんですね。観光スポットである音楽家のモーツァルトの生まれた家のある町から歩いて四十分近く、そこに下宿屋風の宿を見付けました。宿泊費も安かったことも魅力ですが、質素な下宿屋風も何故か北関東の洋菓子処モーツァルトの店主が下宿していたところかな・・・と感じさせるような質素ぶり。鈴木邦男のアジト「みやま荘」などのガラスのわら人形風とはちがった味わいがあります。
 さらに素晴らしいことはこの宿のお風呂がいわゆる洋式バスじゃなくて日本風のお風呂なんです。「追い炊き」もできて脱衣所もある・・・。ほんとうにほっとしますね、外国でこういう日本式お風呂に出会うと・・・。
そうしたらここでまたもや日本人の男の子も泊まっていて、この安宿の廊下で例によって日本語でお話したものです。ザルツブルク訪れる人は多かれ少なかれ音楽家のモーツァルトファンなので、「ピアノコンツェルト第何番はいいよね。とくに第二楽章が・・・。」というお話をされると私はまったくお手上げなんですが、彼は特に音楽家のモーツァルトファンではなかったので、お話もスムーズに流れました。

 そんなわけで私は彼に洋菓子処モーツァルトでケーキを買うと必ず付いてくるニューズレターの話をしました。それは模造紙にガリ版で印刷された質素なもので、「香水のメッカ、南仏グレースでは・・・。」というオハナシもあれば町の様子や教会、お菓子などのイラストも載っていました。洋菓子処モーツァルトの店主の下宿していた屋根裏部屋の様子が載っていたニューズレターもありました。当時はスマホなんていうものがなっかたら、このニューズレターが「夢の世界」へとの扉だったわけですね。このニューズレター、時にはお菓子の作り方も載っていることもありました。そして母やオバ、従姉妹などはそのニューズレターを見て何かお菓子を作っていたこともありました。
 そんな話をその安宿で知り合った日本人の男の子としていたんですね、街中のウイナーバルトというチキン料理店で・・・。こうして私は久しぶりに幼い日々に帰ったような気持ちになったものでした。

 彼はまもなくウイーン方面かミュンヘン方面かに行ってしまいましたが、私はしばらくこの町にいました。でも日本語で話が出来る日本人の宿泊客が来ないので退屈さのあまりウイーンを目指してモーツァルト号に乗り、ヒトラーが生まれたリンツで下車しました。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

「賢女の呪い」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月30日(土)18時41分0秒
返信・引用 編集済
  > No.5758[元記事へ]

『賢女の呪い』は第十五章まで。
 承前。前回まで、主人公はケルト的な世界観宗教観に対して、憧れると同時に、自身のキリスト教的信仰心を脅かされる危機を感じて遠ざけようとします。
 具体的にはソッチへ行ってしまったら天国に行けず、魂は行き場を失って浮遊し、最後の審判に立ち会えない、ということだと思います。
 このへん、落語の地獄八景が、閻魔さんの最後の審判(?)を茶化してしまうのとはえらい違いです(>おい)(^^;
 しかしながら、主人公のアイデンティティは、それでもアイルランド人ということにあるんですね。
 マーリンに先導された鳥撃ちのあと、今度は主人公は、狐狩りに参加する。その地域を荒らしていた狐を狩る、害獣駆除であると同時にスポーツでもある、伝統的な行事なんですね。

 しかしその前に、鳥撃ちの数日後(?)、主人公はふたたび湿原を訪れています。「ケルト体験」が主人公を強烈にノックアウトしていたんですね。憧憬如何ともし難く(父親の安否を占ってほしいというのはむしろ口実でしょう)、湿原を訪れずにはいられなかった。そして主人公は、マーリンの母親(賢女=魔女)が幻視するアイルランドの伝説の都の、その繁栄する未来の姿を垣間見る。

 つまり鳥撃ちのときの硬直的な、問答無用な拒絶感がすこし和らいできているわけです。
 それでもまだ、主人公の信仰はキリスト教の側にある。「私はマーリンの語る世界に惹かれていた。多分それがマーフィーの世界(こっち側の世界:管理人解釈)を越えるものであったからであろう」
 にもかかわらず、それでもなお「私はマーリンの心を脅かす(脅かすという視点はキリ教の視座による:管理人註)、あの奇妙な危険なことに心を砕いていた。私は漠然とではあるが、何らかの手段で彼を助けられると考えていたのだ」(107p)

 しかしそれは、数刻後に断念されます。「マーリンにとっては、静寂で穏やかな日々、そして悔悛を経て天国へと向かうような道は無縁であるということであった。彼は斯様なものには背を向け、若さがもたらす栄光にのみ想いを向けており、天国への救済などは一切知らぬ若者の夢がその国の歴史であるような国をいつも切望していたのである。その時私は彼を救うための最後の言葉をかけようとした。しかしその言葉が私の口から発せられることはなかった(……)マーリンの魂が救われないことを覚ったのだ」(117p、下線:管理人)

 長々と引用したのは他でもありません。下線を施した部分、ひょっとしたらマーリンは社会主義者なのかも、とふと思ったので、メモ代わりに。このあとそういう展開になるのかも。
 というのは、イースター蜂起に関わったジェームズ・コノリーを想起するからです(彼自身はアイルランド人ですがエジンバラ生まれなのでマーリンとは別人であるのは明らかですが、ダンセイニより8歳年上ということで、マーリンに年齢が近い。コノリーと行動を共にした人物なのかも。だから69歳になった主人公が書いたこの手記で、「マーリンの魂が救われないことを覚ったのだ」と書いたのかも。この時点でイースター蜂起は30年前の出来事です。いずれにせよ、つづきを読めばわかることです)(^^;

 閑話休題。狐狩りの数章で、主人公は、狐狩りが、いかに特別格別な民族の行事であるかを述べている。そして自分がアイルランド人であることのアイデンティティを大いに語ります。「この異国の牧師は斯様なことより、みずからの魂の行く末に想いを向けろと言う。しかし彼はアイルランドの人間ではなく、騾馬にしか乗らない牧師なのである」(121p)

 そして、狐狩りの翌日、主人公はひとつ年上の女性ローラ・ランレーと意気投合する。主人公はティル・ナ・ノーグについて語り、ローラは別の、アイルランドの古い物語について語る。「彼女は歴史に記されていない古の時代の物語を語り、私はマーリンからの口伝を話した」(149p)
 そして、
「二人はお互いの話を、心より信じあった」(同上)
 と、鳥撃ちの時からすれば、劇的な変化です(^^;

 あまりに直情を書きすぎたと思ったのか、69歳の、この手記をしたためている主人公は、「今日、私はこの想いを書き記し、それをスプロネンスキー神父に見せた(……)私はこのような想いが魂の救済を妨げるのかを尋ねたいと思ったのだ。神父はそれには危険はないといった。だが私が自分の魂について書く時、真の危機があるというのであった」(151p)

 うーむ。真の危機とは何でしょうか。続きが楽しみ(^^;
 

眉村さん情報:日経連載第9回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月30日(土)11時01分30秒
返信・引用
   昨日の日本経済新聞夕刊に、眉村卓さんの連載エッセイ第9回「雑学の体系化」が掲載されました。
 クリックで全文

 これって要するに、ヴォークトのいわゆる情報総合学ネクシャリズムですよね(^^;

 

Re: ラジニーシ教

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月30日(土)10時21分3秒
返信・引用
  > No.5762[元記事へ]

トマトさん
>ヨーロッパ激安一人旅
 昨日の投稿の文章で、すでに一箇の小説になっているじゃないですか。
 これを具体的に膨らませば出来上がりです。
 いやいやわかってますって。みなまでいうな(^^;。それができれば苦労はないですよね。
 私がその完成体を想像するに、エンタメじゃなく静謐な作品が浮かんできます。
 会話を極力減らして何の感興も交えず、ただ描写すれば、初期の丸山健二っぽいものになりそう。
 そんなのなかなかできないから、丸山健二は偉大なんですけど(^^;


 

Re: ラジニーシ教

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月29日(金)19時48分3秒
返信・引用
  > No.5760[元記事へ]

ラジニーシ教って私は名前ぐらいしか知りませんが、サニヤスという信者は赤い服着ていましたね。

 ヨーロッパ激安一人旅は菓子職人になるというような明確な目的がなくただ漠然とした憧れでいったんですが、話し相手が居なくて淋しかったり退屈なんです。それで宿に日本人か居るとお互い声をかけて話をするんですが、すると
「ここは銀座の数寄屋橋みたいだ。」とか「新宿南口にハンズが出来て・・・。」なんていう日本ネタの話、フランスやオーストリアの町で杉並話や所沢話などで盛り上がってしまうんです。バンコクでもそうでした。「四谷にこういうおいしいラーメン屋があって・・・。」とか。
 ヨーロッパの石造りの町並みや教会の鐘の音に魅せられたのはヨーロッパに来て二、三日だけで後はオーストリアやフランスの石造りの町でも東京都杉並区阿佐谷北や埼玉県所沢市秋津とまったく変わらなく見えてしまいます。(笑)見慣れた阿佐ヶ谷や所沢の町に教会の鐘が響き渡って皆ドイツ語やフランス語で話しているだけという感じ。私はミューゼアムにいっても面白くなかったので、もっぱらマルシェだとかマルクトだとか呼ばれる市場に行っていました。
結局狭い官舎アパートの三階部分の一室で、近くに出来た洋菓子処モー○ァ○トのミニコミニューズレターに書いてある
「香水のメッカ、南フランスのグラースを僕が訪れたときは・・・オレンジの花を収穫してそれでガレットを作って・・・。」
という文章やお菓子や教会のイラストを見ていたときが一番楽しくて夢があった・・・という感じでした。そうです。

街の博物誌、イラストは新井苑子です。懐かしいです。




http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

飛び加藤

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月29日(金)00時50分7秒
返信・引用 編集済
   米倉斉加年が亡くなったのですね。私がはじめてその役者を知ったのは、NHK大河ドラマ「天と地と」の飛び加藤。もう殆ど覚えていませんが、暗い系の役で、ドラマの中では好きな役どころでした(「国盗り物語」の葛籠重蔵(露口茂)や「勝海舟」の岡田以蔵(萩原健一)と同様のポジションだったと思います)。
 ところで訃報に接し、卒然と思いだしたことがあります。大学時代のこと。実は私、浜木綿子を「はまぎわたこ」とずっと覚えていたのです。ああ恥ずかしい。それが、誰かの下宿に4、5人集まって騒いでいたとき、その間違いが明らかになったということがあった。で、告白合戦になり、一人の男が「いやいや俺のはもっとすごいよ」と。「実は俺、つい最近まで、米倉斉加年を「よねくらさいかねん」と思っていた」(汗)
 これには「そんな名前、あるかい(ない)」と大笑いしたのでした。何十年ぶりかで思い出しました。合掌。
*そういえば『産霊山秘録』にも、飛び加藤、登場してましたよね。月に跳ばされたんだったか(>勘違いかも)(^^;
 

ラジニーシ教

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月28日(木)21時41分20秒
返信・引用
  トマトさん
>「町の博物誌」の・・・。あのイラストも好きでした
 イラスト、誰でしたっけ。あ、いまふっと、新井苑子が頭に浮かびましたけど。

>ラジニーシ教
 不勉強で、ラジニーシ教って知りませんでした。
 検索してここを発見。「オウムというのはラジニーシの弟分みたいな感じだ」と書かれていますね。しかしこの文章を書いた方は、非常に真摯で理性的ですね。そういう人だから、没入してアッチに行ってしまわなかったんでしょうね。

>ヨーロッパ激安旅
 そのオハナシもぜひ。もちろん虚実取り混ぜて面白く語っていただければ。矢野徹の「さまよえる騎士団の伝説」みたいなオハナシはありませんか?(^^ゞ

 

Re: 「賢女の呪い」に着手

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月28日(木)19時14分44秒
返信・引用 編集済
  河野典生とはあの「町の博物誌」の・・・。あのイラストも好きでした。いかにも70年代文化っぽい。(例の古本屋で立ち読みしていた。)


 バンコクには欧米人+日本人のバックパッカー、たくさん居ましたね。登山用の涼しくなって大きなリュック背負ってインドやネパールなんかをめざしたり帰ってきたりする人たちで、ラジニーシ教の本なんか読んでいました。一方私はヨーロッパを目指していたんです。私はリュックじゃなくて大きなボストンバックを持って行ったんです。

 また官舎アパートに居たごく子供の頃、近くに本格仏蘭西菓子店が出来たんですが、その後日の仏蘭西菓子店店主の兄弟たちが同じ通りに本欧風パン屋、本格欧風食事処惣菜屋をオープンさせたんです。
 今では東京や神戸にコルドンブルーなんていうフランス菓子フランス料理の専門学校があるけど、当時はそういうのが無かったからかなり苦労してフランスなどの菓子店で修行してきたらしいです。そのフランス修行時代のお話がこのお店のミニコミ誌みたいなのに載っていたらしいです。当時だからパソコンでプリントアウトどころかコピーも無かったので色つき画用紙にガリ版刷りなんだけど、屋根裏部屋に下宿したりとかパリのマルシェとかイラスト入りで書いてあったんです。それで当時近くに居た従姉妹たちがそこの店や店主の生き方に憧れて、将来はヨーロッパ一人旅に出たいなんていっていたんですが、実際に大きくなってヨーロッパ激安旅に出たんです。それでわたしも従姉妹たちのあとを追いようにヨーロッパ激安旅に出たんです。バンコクに行ったのバンコクではバンコクパリ間の往復エアチケットが5万円以下で買えたからです。

 UFO研究会も最初はのんびりしたもので、お茶飲みながらUFOの話が出来ればいいという感じで、口コミで学生だとか学校の先生やっている人だとかいろんな人が来たんですが、しかしあるときに
「自分たちは宇宙人も含めた高次元の存在たちと交信している」
「地球はある星とぶつかる。それを避けるためには高次元の存在たちの言うことに従わなければならない。」
なんていうことを高飛車に本気で言い出す危なそうな雰囲気の男女三人組がやってきたんです。この三人、雰囲気もなにかイヤでした。

 で研究会の人たちの多くはこの人たちと関わりたくないということで空中分解しては場所を改めて今度は事実上料理や洋菓子の同好会になって再結成(?)したんです。
 で後から聞いた話ではあの危なそうな人たち三人はあちこちでトラブルを起こしていたようですが、のちに脅迫や監禁騒ぎをおこしたりしては逮捕者を出した・・・とのことでした。靴下がとっても臭いエム田クンは変わっている人だけどやくざまがいの脅迫なんかはしないのでまだいいですね。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

Re: 「賢女の呪い」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月27日(水)21時57分5秒
返信・引用 編集済
  > No.5755[元記事へ]

『賢女の呪い』は第八章まで。
 ここまで、(外的には)主人公の領地の湿原での狩猟が描かれています。狩りの案内役(兼アドバイザー)が、湿原の一軒家に母親と暮らしている、湿原管理人のマーリンという人物。でも面白いのは内的な、ふたつの「世界」のせめぎあいなんです。
 マーリンという名前からしてそれらしいわけですが、キリスト教ではなく、たぶんドルイドを信仰しているようです。マーリンは言います。「「実は私の母は賢女なのです」(……)彼が意味しているのは、彼女が賢い女性であるということではない。それは自分の母が本当の魔女であるという警告にほかならないのであった」(46p)
 主人公がはじめて小屋から出てきたマーリンの母親を見たとき、こう思います。「そして彼女が小屋から現れた時に、しばし空想されたのは、そのバケツを持つ者は敵方であり、小屋の住人は、自然の側と手を組む何者かであるということだった」(33p)(下線、管理人)

 私は先入観で、カトリックのアイルランド人対国教徒のダンセイニという構図を想定していたのですが、どうも違うのかも。
 マーリン親子と居ることで、主人公は危惧を覚えます。「マーリンと母親は(……)我々とは違った信念と知識を持っていた。(……)それが私に迫り来る時はいつも(……)私の常識が消え去った。私はそのことに常に危惧を抱いていた。そうなれば魂の救済の機会が失われることになるからだ」(49p)(下線、管理人)
 なぜなら、彼らは(キリスト教の)「天国」ではなく、「ティル・ナ・ノーグ」を選んだ者たちだからです。「神の許しあれ、私は天国よりティル・ナ・ノーグを選んだのです」(55p)
 主人公は、その選択をしたマーリンを(キリスト教価値観から)哀れに思います。「理屈としては、マーリンはそちらを選択し、それに満足しているはずだ。しかし理屈など、私たちにとって、何の役にも立たない。人間が、細心の注意を払って天国に替えて何かを選択し、不満足な結果に終わることが多くある」(56p)
 そして強く否定しています。
「私は、このアイルランドの同じ場所に存在する二つの違った世界の間を、しばらくのあいだ彷徨っているかのように感じていた。そして私は、自分の考えが間違っていたことを知った。ティル・ナ・ノーグは、それまで私が教えられてきたものとはまったく異なる場所であること、また湿原を彷徨う魂の唯一の目的は、我々を欺き導くことであるのを私は知ったのだ」(67p)(下線、管理人)
 しかしその一方で、主人公は、そのような異教的なものが「私を強く掴んで話さないでいた(……)私の魂を危険に曝すことはなかったにせよ」(67p)
 とも言っています。アンビバレンツ、というより問答無用、という感じでしょうか。私は、異教(異郷)に引きこまれていきそうになる自分自身を、主人公がおそれているようにも感じられるのですが、ひょっとしたらそれは好意的すぎる解釈なのかもしれません。

 うーむ。本書はキリスト教(カトリック)信者である主人公が、ケルトの宗教にふらふらっとなる話なんでしょうか? それとも反動形成で弾圧にまわる? 続きが楽しみ(^^)
 

Re: 「賢女の呪い」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月27日(水)21時28分12秒
返信・引用
  > No.5756[元記事へ]

トマトさん
>四半世紀以上前にタイとかパリやウイーンとかに激安で半年ぐらい行ってきました
 おやまあ、いわゆるバックパッカーだったんですね。SF作家では、河野典生がバックパッカーを好んで主人公にして、ネパールやインドを舞台にした小説を書いています(本人がバックパッカーだったかどうかは知りません)。
 それ以前はヒッピーと呼ばれていて、60年代後半の西海岸のフラワームーブメントの担い手で、彼らも(アメリカ物質文明の対極として)インドを理想化していたのですよね。映画の「キャンディ」がモロそれでしたね(他愛ない映画でしたけど)。
 トマトさんの場合も、なにか理想を求めてのバックパッキングだったんでしょうか(UFO研究会と同じ理由)?

 

Re: 「賢女の呪い」に着手

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月27日(水)19時42分11秒
返信・引用
  > No.5755[元記事へ]

 四半世紀以上前にタイとかパリやウイーンとかに激安で半年ぐらい行ってきました。
激安ということでバンコクからパリへと行くツポレフというソ連製の飛行機はトイレが流れず臭いナニが山済みになっていたし、客室乗務員は大変無愛想でかつての国鉄時代の窓口職員のようでした。
バンコクの激安ホテルなんかは壁に大トカゲが張り付いていたりして鈴木邦男の秘密アジト「みやま荘」よりももっと質素なものでしたね。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

「賢女の呪い」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月27日(水)00時33分19秒
返信・引用 編集済
  > No.5754[元記事へ]

トマトさん
 いろんな国に旅行されているんですねえ。うらやましい(^^)。私はハワイに一度行ったきりです(ーー;
>ナイロンジャンパー&土嚢とはまったく正反対のオーラ
 皇族自身はどう感じているんでしょうね。案外めんどくせーと思っていたり(^^;

 ダンセイニ卿『賢女の呪い』に着手。長篇なんですが、自伝的小説だということなので購入しました。例の200部限定の盛林堂ミステリアス文庫です。
 卿が領主だった頃はジャガイモ飢饉の後遺症(イングランドによるアイルランド搾取)が最大だった時期。以前から私、ダンセイニ卿が領民のアイルランド人に対してどのようなスタンスで望んでいたのかに関心があったので、この本ですこしはわかるんじゃないでしょうか。
 ということで、まずは2章まで読む。のっけから面白い! しかしこの主人公(一族)はどうもカトリックぽいんですよねえ。先祖は清教徒革命で追放された(のちの)ジェームズ2世に付き従ってフランスへ渡っており、あるいは教皇から下賜された聖十字架(の破片)を家宝としていたりとか。ならば(モデルである)ダンセイニ卿もカトリック? 私は国教徒だろうと思っていたのでしたが、まだ、主人公の父親を襲撃した者たちがどっちサイドか不明なので、未確定としておこう。しかし「我々アイルランド人が」と言ってるなあ。
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月26日(火)20時10分41秒
返信・引用
  > No.5752[元記事へ]

管理人さん、マイペンライ(心配ご無用)です。(^_^)v(^_^)v(^_^)v


私は赤坂の迎賓館のそばいたことがあったんですが、皇居から迎賓館に向かう車列、すごいですね。
あの靖国通りという大きな道を通行止めにして皇居のほうからやってきたのは白バイ複数に続いて皇宮警察の青いキャディラックオープンカーに超イケメン六人乗ったのが二、三台か通り、次に黒の塗りのベンツなどの外車セダン、そして御用車、その後ろが黒塗り外車セダン、そして青いキャディwith超イケメン六人×2or3 その後白バイ複数・・・。そしてその場の雰囲気というのが筆舌しがたい超非現実的世界そのものでした。(*_*)(*_*)(*_*)
タイのバンコクでプミポン国王のロールスロイスファンタム6+随行車&警備車両多数とも遭遇したことがありましたが、日本の車列のほうがその規模といいそしてその場の雰囲気といい、まったくすごかったです。本当に非現実的、夢のような・・・というオーラでした。イギリスの王子様はナイロンジャンパー姿で洪水の土嚢運びをしたそうですが、迎賓館に入る車列はナイロンジャンパー&土嚢とはまったく正反対のオーラ、日本国の誇り&アイデンティティ、神聖にして侵すべからずのオーラでしたね。東洋の中の西洋というか、非キリスト教文化圏の西洋というか・・・。
 それがやはり儒教の国でもある日本というものかも・・・。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

『プリティ・モンスターズ』読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月26日(火)02時08分42秒
返信・引用 編集済
  承前『プリティ・モンスターズ』より表題作を読みました。
 物語は三層構造。まずClementineの物語があり、次にClementineの物語を読むLeeの物語があり、最後にClementineの物語を読むLeeの物語を読む CとLの姉妹の物語がある。そして……
 第三層が提示されるまで、私は、もし本篇が日本の文芸誌に初出であったならじゅうぶん芥川賞取れそうな話だな、と思いながら読んでいました。余談ですが、リンクの単著は本書以前には二冊しかありませんから、十分に資格があります(今回の柴崎友香なんて10冊以上著書があって受賞してますから。あ、ディスってるのではありませんよ。私は柴崎さんの小説の大ファンなのですから)。
 閑話休題。それくらい日本の最近の純文学ぽい。第一層も第二層も思春期の女の子の無邪気な邪気というべき残酷性(モンスター性)が、とりわけ第二層の女の子集団の秘密結社めいた過剰な団結とそれから惹起される過剰な忠誠の強制(但し無意識の)にどんどんがんじがらめに絡み取られてゆくさまが、既存慣性に流されることなく、リアルすぎるくらいリアルに描写されていて感心させられます。
 それが第一層のラスト、つづいて第二層のラストで、単なる純文学から「超越」します。
 満月の夜、〈平和の王国〉のヤギ小屋を襲った狼は2頭です。「狼よ。あたしとヤギ舎のあいだにいる。こっちにももう一匹いる」(461p)というドードーの言葉から推察できます。そして発砲。
 一方、第三層のCとLは、特にLは、第二層のラストを、「ここの箇所、好きじゃない」という。「ドードーが何を撃ったのか、わかんないところだよ」
 CはCで、「あたしがほんとに嫌いなのは」「あのろくでもないヤギたちよ」。なぜなら「Cは前に一度、ヤギに蹴られたことがある」らしい。いったいどこで?

 そしてオーラス――「部屋のなかに二人の女の子がいました。二人は本を読んでいました。いまは狼が二匹います。(……)もう一度見ると、部屋には誰もいません」
 二人は(それとも二匹は?)どこへ行ってしまったんでしょうか?

 翻って第一層のラストの、一つ前の章。ルーマニアへ狼の調査に赴いたキャベルから、結婚したという突然の電話。相手はその土地の娘で、娘には9歳と11歳の妹たちがおり、小さなお城で暮らしている。
 そしてラストの章。音信不通となったキャベルを捜しにルーマニアにやって来たClementineは、お城の崖の下で、二人の少女が裸で、口を血で染めて横たわっているのに出くわす。近くに鹿の死体。そしてさらに横たわるキャベルとその妻。Clemenntineがキャベルに近づくと、キャベルの目がかっとひらき……

 うむ、最後になってついに3つの層の境界が破れ、錯綜し、或る意味パースペクティブが啓けてきました。傑作! リンクのスペキュレーション全開で、堪能しました。

 ということで、ケリー・リンク『プリティ・モンスターズ』柴田元幸訳(早川書房、14)読了。面白かった。おそらく本年ベスト短篇集は本書で決まりでしょう(^^)

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月26日(火)00時23分44秒
返信・引用 編集済
  > No.5751[元記事へ]

トマトさん
 昨日は反応しづらい話題を振ってしまいましたね。すみませんでした。
 しかしあのアイデアは、きのう今日のものではなく、雅子さんがバッシングされたり娘さんが生まれた頃から温めているもので、かなりじゃりン子チエの影響があります。
 話者は娘のアイちゃん。母親は外交官で世界中を駆け巡っており、たまにしか帰ってこない(帰ってくるときはブランド物のおみやげをたくさん買ってくる)。父親のテンちゃんは主夫。テンちゃんは先代から帝位をひき継いだのを機に、皇居を引き払い、家族三人で長屋に移り住みます。博学で人当たりのよいテンちゃんは、忽ち長屋の若隠居の位置に収まり、長屋の住民のいろんな相談相手になっている、という設定で、毎回いろんな相談が寄せられ、テンちゃんが解決する、という連作短編です。
 ここまではできているんですが、肝心の「いろんな相談」の内容が、全然思いつかず、頓挫しております(>おい)(^^;
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月25日(月)20時56分59秒
返信・引用
  かつて新宿で鈴木邦男率いる一水会の白い街宣車が颯爽と走っていたのをみましたが、オーラが違っていましたね。
あの光景、今でも脳裏に焼き付いています。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月25日(月)00時16分59秒
返信・引用 編集済
  > No.5749[元記事へ]

和田さん
 すみません。お風呂に入っていました。

 やっぱり何度読んでも名作ですね>「流れ星」、じゃなくて「願い事」(>おい)(^^;
>セリフから地の文から改行なしで、ベターっと
 ほんとだ。トマトさんの書き始めの頃と同じではありませんか(^^;
 だいたい、創作を始める以前のリードオンリーのときは、小説の基本的な約束事、改行とか、見映え、とかは、全く意識していませんからねえ。ですからショートショートを書き始めた当初は、いわゆる「ぬりかべ」状態になって、それでおかしいとは気づかないんですよね。
 書き出して暫くしてはじめて、プロの作家はどのような「見せ方」をしているのかな、と気になり、ああこういう場合はこうするのか、と、読みながら、そういうところへも目配りできるようになり、決まり事みたいなものを覚えていくんですよね。
 しかし、こうしてたまに読み返しますと、和田作品のリリシズム、センチメンタリズムは、最初期から一貫して変わっていないなあ、と気づかされます。つまり「何を表現したいのか」ということが。これはけっこう大切なことだと私は思います。
 不肖私も最初期から、「何を表現したいか」は変わっていないはず。「表現したいこと」があるから、突如ショートショートなんぞを書き始めてしまうわけです。
 それがない人の小説はやっぱりつまらないと感じてしまいます。
 思えば、チャチャヤンの面々は、皆そういうのを各自持っていて、持っていることが読んでいて分かるんですよねえ(^^;

 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:和田宜久  投稿日:2014年 8月24日(日)22時52分59秒
返信・引用 編集済
  > No.5744[元記事へ]

うわ。「流れ星」
ごく初期のころの作品なので、もう直したい所だらけ。
文章も、なんかぎくしゃくしてるしな〜
チャチャヤングショートショートに収録されると聞いた時にも、修正させてほしいと思ったんですよね。
「SFマガジン」にもそのまま載っちゃうし。
ラジオ番組に投稿と言う事で、なるべく短く、読まれやすいようにと言う事ばかり気にしていたんですね、初期のころは。
セリフから地の文から改行なしで、ベターっと書いてしまいました。
今、これを書き直すとすると原稿用紙5枚ぐらいになるかな。


おお?
57秒違いのニアミス。
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月24日(日)22時52分2秒
返信・引用 編集済
  > No.5747[元記事へ]

トマトさん
>鈴木邦男
 おお、私も大好きです(^^)。右翼っていうと、お屋敷内にドーベルマンを飼っていて和服というイメージですが、この人はアパート住まいなんですね。つまり企業から金をもらったりしてないということですね。
 鈴木氏は新右翼を標榜していますが、じつは鈴木氏こそ戦前の正統右翼の後継者なんですよね。
 戦前右翼は「反体制」であり、「反資本主義」であり、天皇と民衆の間に立ちふさがって私腹を肥やし私欲を貪る資本家・富裕層をこそターゲットとしてきました。
 実質共産主義やアナーキズムや白樺派的人間主義そのもので、ただ天皇を全ての前提とする点が違うだけだった、というのが鈴木氏の持論です。だから三島由紀夫に可愛がられたんでしょうね。*左翼は革命、右翼は維新といいますが、どちらも世直しで同じ、と鈴木氏は言ってたと思います。
 一方、現在の右翼は、財界・政界に寄生し(但し一旦緩急あれば犬となるというタテマエ)それゆえ親米であるのが決定的に戦前右翼と違うところです。
 親米の右翼なんて、形容矛盾も甚だしい訳ですが、戦後70年間、右翼たちはそれを矛盾などとは毫も思わずふんぞり返ってきたわけです。つまりエセ右翼が右翼の顔をして、親米政権に擦り寄って私腹を肥やすことに専念してきた。その結果「真」右翼である鈴木氏は、新右翼の位置づけで傍流化し、「ガラスのわら人形風アパート」に住み、パンスケやおでん屋夫婦と暮らしている、というわけですね。
 私は思いますが、天皇陛下一家も国からの生活費(?)はいっさい返上して、安アパートに住むべきです。天皇ですから、文筆依頼とか講演とか、いくらでも稼ぐ手段は、向こうからやってくるはずです(国事行事は当然請け負い、対価をいただく)。そのかわりいままで取り上げられていた参政権等、国民の基本的人権はすべて取り返すのです。
 たぶん雅子さんなら大喜びで外交関係の仕事を始められるんじゃないか。雅子さんの働きだけで上流並みの所得を得るのではないか。皇太子さんは別に働かなくてもいい。そのかわり主夫をすればいいんです。
 私は、日本はそんな国になってほしいですね。だったら小松さんも、ニッポン国解散! などとは言わなかったんじゃないでしょうか(^^;

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月24日(日)20時42分53秒
返信・引用
  管理人さん、ビキニのお話の御教示ありがとうございました。
ぼっこちゃんの文庫、二、三日前からウチの中を探している最中です。
しかし流れ星がミサイルだったとは・・・怖い・・・です・・・。


「あの夏の出来事」も完読ありがとうございました&ちょっと照れ臭いです(*^^*)(^_^;)(*_*)
実はあの話にはモデルとなる事実があり、オウム創成期の1980年代に首都圏にあったオカルトUFO新興宗教内のゴタゴタなのですが、事実は小説よりも奇なりという感じで、現実にはもっともっと複雑で怪奇でした。でした。いつかまた書き直そうと思っていますが・・・。

新興宗教といえば新興宗教関係コメンテータって江川紹子とか、滝本太郎とか浅見定雄とかいろいろいましたが、なぜかみんな「清貧の勧め」のあの市川ヘッセ中野孝次を思い出してならないのです。そんな中で鈴木邦男っていう人、強烈ですね。なにが強烈っていうかというと、この人の著書には必ず住所が書いているけど、そこが中野区内の「ガラスのわら人形風アパート」になっている!!なんでもそのガラスのわら人形風アパートに放火されたそうですが、ここの住民にパンスケやおでん屋夫婦も居たりして・・・。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月24日(日)16時30分58秒
返信・引用 編集済
  > No.5735[元記事へ]

トマトさん
「あの夏の出来事」読みました。数えたら150枚でした! 大長編ですね。不肖ワタクシ、まだ150枚書いたことがありません(汗)。未踏の枚数です。それだけで尊敬しちゃいます(^^;

 内容は、実質二部構成で、主人公は女の子(10代後半〜20代前半くらい?)。父母がある事情で結婚し、四国で新興宗教の布教活動に従事していて、主人公が生まれる。父は資産(家賃収入)があって働かずとも生活でき、布教活動みたいな金にならないことをしていても食うには困らないのです。そんな父は、母と子を食わせてやっているということを盾にとって、家庭内に暴力で君臨している。
 主人公がそこそこ大きくなったとき、遂に耐えかねて、夜逃げ同然で、母子は新潟の母の実家へ逃げる。
 これが前半。
 後半は、実家で、父がいつ連れ戻しにやってくるかと怯えながら暮らしている。そこに案の定、実家へ父から電話がかかってくる(携帯などは切ってしまっている)。大変な剣幕。
 困った母親は、かつての宗教活動仲間で親友だったが、いまは団体とは切れて、山形に住んでいる女性に、連絡を取り、相談する。実はこの女性との関わりのなかで父母は結婚し、女性は脱退した事情が明らかになる。
 女性は聡明で(というのは、母親がそんなに賢くなくて知識もなく受動的依存的で、そんな性格につけ込まれて結婚してしまい、これまでぐずぐずと何の手立ても講じてこなかった)、弁護士を紹介し、法的にも綺麗に離婚する手伝いをしてくれて、母子は晴れて父の暴力的な精神的肉体的監禁状態から解放される。一方父は……
 というオハナシ。
 後半ストーリー展開が遅くなり、ダレるところがあるんですが、ひとつのテーマで終始書ききっています。
 これはすごいと思います。小説の根本的なところはクリアしているからです。あとは構成であるとか、表現であるとか、そういった小説の「技術」的な面で、まだやはり初心者の通弊が「大いに」あって、リーダビリティを阻害している憾みはあるんですが、これらは書き慣れれば、だれでも自ずからうまくなっていく部分です。根本的な部分が備わっていないのに「技術」ばかりかかずらって作品を完成させられない作家志望者がどれだけいることか(>私です。哀号!)

 いやーおみそれしましたm(__)m
 

「シンデレラ・ゲーム」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月24日(日)00時37分57秒
返信・引用 編集済
  承前『プリティ・モンスターズ』から「シンデレラ・ゲーム」を読みました。前作品のヒロイックファンタジー世界観とは180度違う、日本の自然主義文学みたいな話でした。
 類型的な人物は皆無。まあリンクだから当然ですが。
 殊に主人公の義妹の女の子の造形は、内に入っての了解を拒絶する、まさしく類型じゃなく唯一無比ですね。
 物語は、娘のいる男と、息子のいる女が再婚した家庭の話。夫は財産家で豪邸に住んでいる。そこに嫁入り(?)することを女は内心ラッキーと考えていて、それが(主人公の)息子にはミエミエ。

 それで思い出したのが、昔勤めていた会社の先輩に彼女ができて、その彼女が母子家庭で、母親はスナックを経営していた。一度先輩に連れられて飲みに行ったことがあるのですが、ちゃちなスタンドバーで、母親が一人でやっている。彼女も勤めが終わったらやって来て手伝っている。暇な時は隅で漫画を読んでいる(先輩を特別扱いしない)。
 で、そのうち一人の初老の男が入ってきたのですが、すると母親はあたりかまわずその男にべたべたくっついて、ははあ、この人がパトロンか、とすぐに気づいたのでした。彼女は無関心に漫画を読んでいましたが、まあ気の毒でした。母親とすれば娘よりパトロンが大事なわけで、本篇の母親もこういう感じなんですね。

 そういうわけで、それが原因なのか、そもそもそういう素質なのか、息子は乱暴者で三度退学を繰り返している。母親は息子のせいで、せっかくの玉の輿から追い出されるのではないかと、内心ヒヤヒヤしていて、主人公を見る目が冷たい。
 ――と、それ聴くだけで満腹感にうっとなりますが、そんな話(>おい)(^^;
 主人公の気持ちは了解できるのですが、義妹のそれは読解力不足で、けっきょく謎のままでした。

 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月23日(土)23時26分49秒
返信・引用 編集済
  > No.5743[元記事へ]

トマトさん
 うーん。難しいおたずねですね。
 ショートショートにも、結果として起承転結はあると思いますが、そこから始めて作っていくことはあまりないと思います。
 一番大事なのは「オチ」でしょう。まず「オチ」を思いついて、それをどう料理しようか、となるわけです。
 たいてい「オチ」は「結」となるので、ショートショートはオチから逆算して前へ前へ作っていくという過程になります。
 で、「オチ」は「価値の相対化」であるのが理想的なんですね。
 具体的には「パリノード」つまり「前言のひっくり返し」の形にすればよい。
 高井さんの第1回 なにはともあれ星新一(前編)で紹介されている星作品が、まさにこれです。ラストでひっくり返されて意外な結末となっています。
 髪の毛は髪の毛なんですけど、ラストでああそうだったのか、と膝を叩きます。同じものと思わしておいて、実は、とタネ明かしされます。これを一般化していえば、「付き」と「超越」の按配(さじ加減)です。
 トマトさんのシノプシスでは、「千葉県柏市役所の住民票はなくなっていた」がオチに相当します。しかし価値の相対化という観点から見るとやや弱いですね。「超越」が弱い。
 で、私の一案ですが、自分の体型に気づいたお姉さんが、水着が着れるように強く念じる。ふと目を開けると、水着になっていて、みんなが素晴らしいプロポーションと賞賛してくれる。願いがかなったと喜ぶお姉さん。しかし――
 見渡すと、そこにいるのはみな、小錦か渡辺直美みたいな男女。世界中の人がデブになっている。その中に入るとお姉さんの体型でも、じゅうぶんモデル並みだった、というオチです。「お姉さんは、喜んでいいのかどうなのか、よくわからなかった」と書いたらクドすぎでしょうか(^^;
 これは髪の毛と違って、お姉さんの体型は変わらないですが、そのかわりお姉さん以外のすべての人類を、デブに変化させてしまう。背景条件が変わることでお姉さんは願いを成就するわけです。
 うーん。価値の相対化は一応出来ていると思いますが、あんまり面白くないですね(>おい)。まあ書き方次第で面白くなるかもしれませんが、私にその技術はありません(^^;。

 ということで、素晴らしい実例を読んでもらいます。和田さんの名作です。和田さんといえばミスター・チャチャヤングショートショートですが、その名を高からしめたのがこの作品です。『チャチャ・ヤング=ショート・ショート 1971 1』より転載します。(和田さん、無断掲載お許しを)
 

 ラストの三行で「超越」し、それがバッチリ決まって、翻ってそれ以前の文章の意味を、全部ひっくり返しちゃっていますよね。まさにお手本のようなショートショートです。
 しかし何はともあれ、星新一のショートショート集を1冊読んでみたらどうでしょうか(おすすめは『ボッコちゃん』新潮文庫)。そして高井さんの講座を毎月読めば、おのずとさじ加減みたいなものがわかってくると思いますよ(^^;

 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月23日(土)18時11分8秒
返信・引用
  ショートショートっというと小学校六年のときに同級生が星新一にハマッていて、手紙出したら返事来たって言っていました。ショートショートにも起承転結があるんでしょうか?

起 ステージ101が放送されていた頃、東隣のお姉さんがオレンジ色のビキニで身体を焼いていた。

承 時は流れそのお姉さんが間違ってもビキニを着れそうも無い千葉都民のおばさんになった。

転 そこでせめて想像の中でもオレンジ色のビキニの似合うお姉さんで居たいと祈った。

結 すると想像の世界の住民になり、人びとの心の中にはビキニのお姉さんとして存在し続けたものの千葉県柏市役所の住民票はなくなっていた。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

眉村さん情報:日経連載第8回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月23日(土)17時24分6秒
返信・引用
   昨日(8/22)の日本経済新聞夕刊に、眉村卓さんの連載エッセイの第8回目が掲載されました。
 クリックで全文
 うーん。私も気をつけよう(>おい)(^^;
 

「アバルの治安官」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月22日(金)23時16分4秒
返信・引用 編集済
   先日、グーグル日本語入力からIMEに切り変えたと書きましたが、またグーグル日本語入力に戻してしまいました。
 グーグル日本語入力が使い勝手が悪くなったので変えてみたんですが、そのグーグルよりもIMEは、更に使い勝手がダメダメでした(ーー;
 まあ「やっぱりな」というところでしょうか(汗)。
 グーグルの問題点は、たとえば「対局」という単語を出したくて「たいきょく」と打ち込みエンターします。すると「対極」と変換されていました。そこで「極」を左クリックで反転させて再変換します。するとなぜか今度は「ごく」と、訓読みで変換されちゃうのです。最初に「きょく」と打ち込んでいるにも関わらずです。「ごく」をいくら再変換しても「局」にはなりません。けっきょく「ごく」を消して新たに「きょく」と打ち込み変換するしかないんですね。
 もう一例、「電気」の場合。「でんき」→「電器」。「器」→「うつわ」。とこうなります。
 これは急いで打ち込んでいるときけっこうイライラします。
 エンターする前に確認すればいいではないか。
 それはそのとおりなんですが、急いで打ち込んでいるからこそ、確認せずにエンターしてしまうわけです。
 この辺、改良してほしいですねえ。

承前『プリティ・モンスターズ』より「アバルの治安官」を読みました。ああ、これは好いですねえ。正調ファンタジーであります。なぜ正調というのか。それは本篇が運命の物語だからですね。クラーク・アシュトン・スミスの最上の作品にまさるともおとらぬ逸品*。おもわず再読してしまいました(^^)。
*スミスを想起したのは、各都市にはその都市特有の神が居るという、あの(ヒロイックファンタジー的な)世界観が踏襲されているからでもあります。
 で、今ふと思いついたのですが、本篇には死んだ者の霊が街じゅうにあふれていて、「視える」主人公は、戸口からほうき(?)で掃き出すほど。日本ならさしづめ浮遊霊でしょう。平谷美樹さんの小説も、ゴミソシリーズのように、浮遊霊が溢れかえっていますが、同じ対象物を扱っても、リンクと平谷さんとでは、対称的な世界になってしまうんですよね。これはむしろ「西洋作家と日本作家とでは」と言うべきですね。この違いは興味深いです。
 と、なぜこんなところで平谷美樹を持ち出したかといいますと、実はさっきメールをチェックしたら、hontoから、平谷美樹『萩供養 ゴミソの鐵次調伏覚書』がhontoで電子書籍化されたよ(honto)という案内メールが届いていて、それで類似に気づいたのです。他意はございません(>おい)(^^;

 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 8月22日(金)07時02分51秒
返信・引用
  > 「?」「!」は、僕は文豪ビクトル・ユーゴーが「ああ無情」という本の売れ行きを出版社に問い合わせたのが「?」で、その返事が「!」だったと言うエピソードとして覚えていました。
 どの本のことだったか忘れましたが、最も短い手紙として紹介されているのを見たような……。列車の窓越しのやりとり(窓で遮断されているため音声会話はできない。列車は動き出した。時間もない。紙に「?」と書いて見せる。「!」と応じる)という話も見たような……。
 こういう話も盛りこんでいくかも。>ショートショート講座
 そのためにはちゃんと出典を調べないと。
 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月22日(金)01時01分56秒
返信・引用
  > No.5738[元記事へ]

トマトさん
>いつの間にか千葉都民のおばさんにメタフォルモーゼしていました。
 大学の友人にちょっとした脚線美がいるんですが、先年(といっても5年以上前ですが)会ったとき、うしろから若い男に声をかけられた、前にまわって逃げられた、とフンガイしていました。後ろ姿はまだイケてるちゅうコッチャ、となぐさめたら、なぐさめになってないと逆ギレされちゃいました。私? 私はメタボルフォーゼ完了しております(^^;

海野さん 高井さん
>「もしイブが妊娠しなかったなら」があります。何しろ「本文なし」ですから。
>本文がないと言う事は短いとはいえないかもしれませんね(笑) 何しろ「本文なし」ですから。
 禅問答かよ、としばし黙考。
 なるほど! ゼロ(NULL)は「短い」という範疇には入らないということですね!


 降参(ーー;
 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 8月21日(木)23時09分19秒
返信・引用
  > No.5737[元記事へ]

高井さん。よろしくお願いします。

「?」「!」は、僕は文豪ビクトル・ユーゴーが「ああ無情」という本の売れ行きを出版社に問い合わせたのが「?」で、その返事が「!」だったと言うエピソードとして覚えていました。

>最も短い小説となりますと、拙著『ショートショートの世界』にも書きましたが、エドワード・ウェレン「もしイブが妊娠しなかったなら」があります。何しろ「本文なし」ですから。

本文がないと言う事は短いとはいえないかもしれませんね(笑)
何しろ「本文なし」ですから。

こんなのはどうでしょう。

タイトル「ダイイングメッセージ」
本文
 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年 8月21日(木)22時10分22秒
返信・引用
   海野さん、ありがとうございます。これからもよろしく。

> 欲を言うなら、本文の下にでも大きめのイラストが入るとベストなんですけどね。
 私も、もうちょっと大きいといいと思います。

> 究極のショートショートは「?」ですかね。
> どこかで見た様な。
 以下をご参照ください。
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2009-08-26
 

Re: 「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年 8月21日(木)21時42分33秒
返信・引用
  > No.5733[元記事へ]

はじまりましたね〜

ところで、編集さんがイラストと紹介文に僕の名前を入れてくださいました。
ありがたいことです。
これでぐんとやる気が出て来ましたよ。ヾ(ーー )おい!
欲を言うなら、本文の下にでも大きめのイラストが入るとベストなんですけどね。

トマトさん。
究極のショートショートは「?」ですかね。
どこかで見た様な。



 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月21日(木)20時07分23秒
返信・引用
  ・・・今日も暑かった・・・です・・・ね・・・。

管理人さん、お読みいただきましてどもどもすみません。あのオハナシはとある離婚調停を素材としたお料理です。
離婚調停は変化球あり、盗塁あり、さよならホームランあり、甲子園状態ですね。さらに甲子園と違うのはさわやかさが無くどろどろしていて法廷外における場外乱闘+神経戦及び魔術戦もしくは心霊戦もあるということです。

ステージ101に出るのでないのといっていた東隣のお姉さん、あの当時はオレンジ色のビキニになって屋根の上で体焼いていたんですが、いつの間にか千葉都民のおばさんにメタフォルモーゼしていました。

しかし.「あ」の一文字で始まり終わるショートショート、究極のショートショートですねー。私が小学生の頃書いた詩をおもいだしました。(笑)

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

「サーファー」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月21日(木)01時53分5秒
返信・引用 編集済
  承前『プリティ・モンスターズ』より「サーファー」を読みました。
 本篇も、前作品と同じくリニアなストーリーですが、設定はなかなか混みいっていて、これは面白かったです。
 アメリカは没落し、コスタリカがソフトウェア大国として世界に君臨している。今やアメリカ人でさえ、なんとかコスタリカに住みたいという願望を持っていて、あわよくばコスタリカ人の異性とお近づきになれないかなどと考えていたりするようです(逆にコスタリカ人の方が、親は、そんな不純な動機で娘がアメリカ人に誘惑されないかと警戒している(^^;)。ちょっと『334』のアメリカが目の前にちらつきました。

 それとは別に、コスタリカは、とある宗教グループの聖地でもあります。ある男がサーフィン中に、エイリアンにアブダクションされるも、衆人環視の中、地上に戻ってきます。衆人環視の中ですから実際起こったことなのです。
 その男は、アブダクション中にエイリアンが、「時が熟したらまた訪れる」と言ったと説いて、いまや世界中に信者を持っている。コスタリカの海岸にはその男のコミュニティがあるのです。世界中の信者が、エイリアン再臨の際、そこに居合わせて自分も救われたいと願って、コスタリカを目指して引きもきらない。

 そんな中、新型インフルが世界中にパンデミックしている。14歳の主人公の母親と兄も、三年前に流行したインフルで死んでいます。
 主人公の父親は医者で、インフルと戦っていたのだが、その一方でエイリアンにも興味を持っている。教祖とも面識があるようです。
 おりしも、コミュニティから父親に対して、医者として来ないかとのオファーがあり、この機会逃してはならじと、無理やり息子を連れてコスタリカ行きの飛行機に乗り込む(もう一つの理由として、アメリカがインフルで崩壊することを予測していたからでもある)。その直後、アメリカのすべての空港が閉鎖されてしまいます。
 飛行機は、コスタリカに到着した最後の飛行機となり、乗客はインフルに感染していないことが確認されるまで体育館のような建物に隔離されます。日本でも災害時に、公民館に避難して集団生活することがありますが、あんな感じです。それは一種(大江健三郎的な意味で)宙ぶらりんの状態で、主人公にとってそれは「モラトリアム」として作用する。
 本篇は、その「モラトリアム」の五日間の物語です。

 主人公はサッカーの名手で、自他共に将来はプロかと思っています。そのプライドが、主人公の(稚い)行動原理を形成しているのですが、二人の少女(といっても二十歳前後?)との交流を通じて、また暇つぶしではじめたサッカー遊びを通して、井の中の蛙であったことを自覚させられ、プライドからくる傲慢さ、他者への鈍感さに次第に気づいていく。そうして頑なに拒絶していた父を受け入れ、嫌っていた死んだ兄を受け入れていきます。「モラトリアム」と言った所以です。
 その意味で成長小説といってよい(ただし非常に歪。しかしそこが本篇の魅力でもあり面白いところです)。

 で、意外なラストが! これは何を意味しているんでしょうか。著者の意図は何か。なんか成長小説の予定調和が嫌だったんでしょうか(^^;

 なお作中で、少なからぬSF作家・作品名が上げられ*、著者がファン上がりの作家であることを伺わせます。しかしその一方で、母親が主人公に対して「あんたは字づらどおりにものごとをかんがえすぎる」(311p)とたしなめるところがあるのですが(主人公は父の影響でかなりSFを読み込んでいます)、これなんぞはリンク自身の、自作に対するSFファン読者の正直すぎる読みへの不満が表現されているように思ったのですが、考え過ぎでしょうか(^^;
*ディック。ステープルドン。ブラッドべリ。『ウは宇宙船のウ』。コニー・ウィリス。『スノウ・クラッシュ』。ティプトリー。ラス。オクテイヴィア・バトラー。ベスター。ゼラズニイ。ケイジ・ベイカー。ライバー。『伝道の書に捧げる薔薇』。ネイオミ・ノヴィク。キム・スタンリー・ロビンスン。

 

「小学生のためのショートショート講座」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月21日(木)00時35分30秒
返信・引用 編集済
   偕成社のサイトで、高井信さんの「小学生のためのショートショート講座」が始まりました。おめでとうございます(^^)。月一連載とのこと。しかもイラストは、なんと海野久実さん。→こちら
 さっそく第1回を読みましたが、大人の小説家志望者にとっても勉強になりそうですよ。
 海野さんのイラストも第一回分が掲載されています。イラストも面白い! これはこれでショートショートのエッセンスですねえ(^^)
 私も虚心坦懐に受講したいと思います。
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月20日(水)21時49分3秒
返信・引用
  > No.5731[元記事へ]

トマトさん
>ステージ101
 おお懐かしい。ステージ101といえば太田裕美さんを想起される方がほとんどでしょうけど、私は西玲子さんが一番だったですねえ。太田裕美さんの先代のリーダー(?)だったと思います。番組が終わるとすっぱり芸能界から引退したんですよね。

>あの夏の出来事
 九回まで読みました。読むのが遅いので長編は時間がかかっちゃいます。今しばらくお待ちを(^^;

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月20日(水)20時49分37秒
返信・引用
  朝ドラのおはようさん、ヴィヴァルディの四季ポップス版がOPとウィキにありますね。そーいえばそういうの、あったような...。

  テレビ出演というとイトコがNHKのステージ101に出るの出ないの大騒ぎになったことが...あったなー。
だいぶ前のはなしですねー。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

「モンスター」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月19日(火)22時50分19秒
返信・引用 編集済
  承前『プリティ・モンスターズ』より「モンスター」を読む。
 叙述がまっとうにリニアで、「専門家の帽子」を読んだ後では些か物足りない。少年期の集団力学の残酷さがテーマかと思いますが、別にリンクでなくても……という感じ。ごく普通のホラーですね。その範疇では十分面白かった。ただ私自身がそういうのをリンクに求めてないというだけの話です。しかし本作品集、思春期のこういうなんやかやが、全体テーマになっているみたいですね。
 モンスターが、ユーモラスで(こういうのユーモラスというのかな)、ちょっとユニーク、と思ったんですが、考えてみれば日本作家が、この手の造形を、異形コレクションで試みていそうな気がしてきました。そんなにユニークでもないかも。
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月19日(火)21時15分22秒
返信・引用 編集済
  > No.5728[元記事へ]

トマトさん
 知り合いがテレビに映っていたら、やっぱりギョッとしますよね(笑)
>「ららら」が流れた1985年
 1995年ですね。オカモト一家が明るみになったのも95年でしたね。すみません重箱の隅で(汗)

 ところで私もテレビに出演したことがあります(ここに何度も書いていて、また自慢かといわれそうですが(^^;)。「どてらい男激動編」、NHK朝ドラ「おはようさん」。これらは単なる通行人ですが、朝日放送の、番組名は忘れましたが日下部吉彦さんがメインキャスターだったワイドショー番組では、大学のSF研全員*で出演しました。このごろは大学生が少女マンガを読んでいる、是か非か、みたいなテーマだったと思います。 *有志だったかも

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月19日(火)07時58分7秒
返信・引用 編集済
   おはようございます。今日も暑そうですねー。


 もう三十年ぐらい前、炎天下の新宿アルタ裏にハウンドドックの「フォルテシモ」が響き渡っていたあの頃、新宿から近いバカ田大学の隣の大学でヘンテコUFO研究会の集まりがあったんですよ。
あるとき○○クンという学生さんがきたんです。十日間ぐらい履きっ放しの靴下を履いて・・・。もちろんその完熟発酵の靴下から「サリン」のような毒ガスを室内に撒き散らしたんですね。
もうクサイのなんのって・・・鼻をつまんでもなんか吐き気がしてきそう。その場にはおじょうさん学校東京女子大の女の子たちも来ていたというのに・・・。会が終わった後の浦和のお洒落な奥さんが持ってきてバームクーヘンも食べる気になりませんでした。
 多分その靴下のせいでヘンテコUFO研究会はますますヘンテコになって空中分解したんですが、その何年か後、会で知り合った女の子から電話があったんです。
「あの靴下の臭い○○さん、出家しちゃったよ。」
「高野山まで行ったの?お坊さんになるの?」
「ううん、クツシタ心理教。」
「ええ、オカモト税理士一家失踪事件の!!」

そして炎天下の新宿アルタ裏に大黒マキの「ららら」が流れた1985年、あの靴下の臭い○○クンとテレビのブラウン管の中で再会しました。○○くん、リポーターに囲まれてマイク突き付けられていました。そして教祖や側近を「純粋で素晴らしい方々です。」とリポーターに説明していたんですが、おかげでスタジオに居るアリタさんやエガワさんから散々攻撃されていました。
○○クン、逮捕起訴されたかどうかしらないけど、やはり衝撃ありましたね。テレビにご出演されていると・・・。

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

「専門家の帽子」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月19日(火)00時45分46秒
返信・引用 編集済
  承前『プリティ・モンスターズ』より「専門家の帽子」を読んだ。この作品は「スペシャリストの帽子」のタイトルで第一作品集に収録されたものの新訳です(初訳は金子ゆき子訳)。
 めちゃくちゃ面白い! 緻密きわまる構成力に感心を通り越して脱帽。オールタイムベスト級の傑作といって過言ではありません。せっかくなので金子訳も読み返してみました。金子訳の方が簡潔で読みやすいです。削って整えてあるように思います。つまり「解釈」して訳している。
 一方柴田元幸訳の本篇は、原文(の語感)をできるだけそのまま日本語に置き換えようとしている。ただし原文の、日本人には分かりにくいと思われる描写は、説明を加えて訳しているようです。金子訳は分かりやすいけど文章がそっけないのに対して、柴田訳は英語読者が原文を読んで感じたのと同じ感興があるんじゃないかと思います。
 対称的な翻訳態度ですね。どっちも大変よい訳で、両方読むのが正解です。(リンクに限らず、翻訳は多ければ多いほどありがたいです。その点カフカはめぐまれていて、何人もの訳者が訳しているので、読むほうはとても幸せですね)

 何はともあれケリー・リンクです。ストーリーが順々に語られるわけがありません。分断され、シャッフルされて並べ替えられており、初読ではかなりとっつきにくいと思います。再読して初めて全体像が一望できて、おお、と感動するのです。以下メモ風に。あとでちゃんとまとめます。

 まず冒頭から196p4行目までのシーンは、203pからのシーンから切り取られたものです。
 ベビーシッターがやってきたので、双子(10歳)を預けて父親は森へ出かける。
 そこでまずトランプで遊ぶ。ベビーシッターをトイレットペーパーでぐるぐる巻きにする。
 9時半にベビーシッターは双子を寝かそうとする。嫌がった双子は「死んだ人」遊びを始める。

 ここに冒頭の「「死んだ人は」とサマンサが言う」が繋がるわけです。
  「死んだ人」遊びとは何か。双子はこれを母親が死んで1週間後から続けているのです。(母親が死んで282日。死んだ人遊びを始めて274日)
 これは明らかに母親の死を延々と疑似体験しているのです(母親は35で死ぬ。双子は35秒間息を止めて「死んだ人」になる。)
 で、死んだ人になったら、「何も怖がらなくてもいい」。つまりこの擬似体験は、母親の死で初めて知った「死という恐ろしいもの」を合理化する儀式なんですね。

 ところで、なぜベビーシッターは雇われたのか。
 それは父親が、夜中、森の中で逢瀬を楽しむためです。相手はとうぜん「女」。森の中で出会ったんですね。(父親は「午後は長い散歩をする」習慣があった。197p)
 ところで、「森の中は安全じゃない」(197p)と管理人のコースラクは警告していました。「森にはマムシがいて、この家には幽霊が憑いている」(198p)
 双子も、八煙突館に来て二日目に、森に散歩に行き、「二人は何かを見た。サマンサはそれを女の人だと思ったがクレアは蛇だと言った」(同上)
 父親自身も(たぶん女に出会う前)二階の書斎の窓に、オレンジ色の目をした何かがこっちを見ているのに気づき、驚いてウイスキーのグラスを取り落とします。
 この「何か」に、父親は森を日々散歩するうちに取り付かれてしまったんでしょう。「何か」とは蛇のような、女のような何かです。
 ラッシュの詩が引用されています。「森のなかで女の人に会った、……目はみだらで 炎のように燃えていた。」(200p)

 ベビーシッターは、管理人が手配した人ではありません。手配しましょうと約束した管理人は、誰かに道具部屋に閉じ込められてしまっていた(211p)。ベビーシッターが管理人を閉じ込め、雇われたベビーシッターの振りをして現れたのです。
 彼女は誰か。1907年にラッシュとともに行方不明になったラッシュの14歳の娘です。「ベビーシッターはふわふわした半袖の、青い綿のワンピースを着ている。古風にかわいらしい人だ」(202p)「はじめは大人だと双子は思ったが、いまでは自分たちとほとんど同い年に見える」(195p)
 管理人は、森とともに屋根裏部屋も行くことを禁じていました。彼女はまさに屋根裏部屋に住む(管理人言うところ)「幽霊」だったのだと思います。

 彼女は、父親のラッシュを「専門家がやってきて連れ去った」(209p)とき、子供部屋の煙突(屋根裏に直結)に隠れて見つからずに済んだ、と言ってますが、一方で、「帽子がお父さんを探しているあいだに」とも言っています。
 つまり、専門家とは、帽子そのものであるようです。
 ラッシュについて、「お父さんはへっぽこ詩人だったけど、魔術はもっとへっぽこだった」(208p)と言っていて、そのラッシュが「その帽子を作ったあと」(直後?)専門家に連れ去られたということは、結局、魔術の未熟さゆえ、自分が作った(もしくは、ムラテュップ出身の魔術師船員の持ち物箱に入っていたものに、さらに妻の歯を付け足したのかも)帽子に食われてしまったんだと私は思います。

 なぜ妻の歯を加えたのか。ラッシュの妻が不倫しているのを知ったラッシュは、ムラテュップ出身の魔術師船員から習った魔術で殺してしまう(八煙突館の口述史198p。管理人の証言199p)。そういう経緯で、おそらく「死者に鞭打つ」目的だったのではないでしょうか。
 しかしその結果なのかどうなのか、ラッシュは帽子に食い殺されてしまう。

 そのとき14歳の娘は、隠れていて助かったと自分では言っていますが、果たしてその言葉は信じられるのか。
 もしそれが本当なら、なぜ父親と一緒に行方不明になってしまったのか。
 それ以上に、なぜ、帽子は屋根裏部屋の、子供部屋と繋がっている煙突に掛けられていたのか。

 このへん、想像に想像を重ねているわけですが、けっきょく、ラッシュが未熟な魔術で作った(妻の歯を縫いこんだ)帽子は、14歳の娘がコントロールしたのではないでしょうか。彼女は14歳で、自分の母親を魔術で殺した父親の所業の意味が分かっていたに違いない。あるいは無意識の憎悪かも。とにかく帽子を使役して父を亡き者にすることに成功するも、同時に自分自身も屋根裏部屋に住む幽霊になってしまったのではないか。そんな風に読みました。

 で、同じことが数十年後繰り返されるのです。
 おそらく双子の母親が死んだのには、父親の何らかの悪意が介在したのではないでしょうか。「八煙突館に来てからというもの、父親はおおむねクレアとサマンサを無視している。母親のことは決して口にしない」(200p)
 ただ14歳のラッシュの娘とは違って、10歳の双子には、それがはっきり認識できなかった。ただ異常な母親の死には衝撃を受け、怖れ、それを馴化するため儀式を始めるばかりなのです。でも「まだ一年も経っていないのに、母親がどんな姿をしていたか忘れかけていることにサマンサは思いあたる」(206p)と言う記述も、穿って読めばよほど異常な死に様だったのかも。ラッシュの妻の死に様同様に。
 かくして数十年前が再現し、父親は蛇に噛まれ、しかしそのかわり、双子は14歳の娘とともに、屋根裏部屋で永遠に(一種の幽霊として。死者ではなく「死んだ人」として)生きていくのでしょう。「サマンサは小さな胸の疼きとともに悟る。自分がいまや十歳と十一歳のあいだに、無期限に、クレアとベビーシッターとともにはまりこんでいることを」(210p)

 ただ、父親を噛んだまむし(女)と、屋根裏の幽霊(ベビーシッター)の関係がいまいちはっきりしません。どこか読み落としているんでしょうね。

 かくのごとく巧緻、精緻な短篇で、すべてが連関しパチンと嵌って結晶化しています。これぞ超硬質・超結晶構造ファンタジーと呼びたい傑作でした(^^)。

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月19日(火)00時44分6秒
返信・引用
  > No.5725[元記事へ]

トマトさん
 噂話で聞いているときは「へえ、あいつがねえ、そうなんだ」で終わっちゃいますが、マスコミやネットで目にするとやはり直接的な衝撃がありますね。

>カリスマ経営者引退後の「親族」VS「番頭」の典型
 結局そうなんでしょうね。本人は任されている職務を忠実に果たしているだけのつもりなのに(もし痛いところがないのなら、ですが)、家族は財産を削り取られている気持ちになってしまうのでしょうか。カリスマ経営者自身は、案外自分の財産という風には思っていず、自分の理想を実現するための手段くらいにしか認識してないような気がしますねえ。

>親族VS番頭には私自身二回巻き込まれました。
 おお(^^;
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月18日(月)17時35分41秒
返信・引用
  > No.5724[元記事へ]

管理人さん、そんな事があったんですか・・・しかし歳月の重みを感じますね・・・。

 リンク先、見ました。かなり複雑な状態のようですが、どこにでもあるカリスマ経営者引退後の「親族」VS「番頭」の典型・・・。
親族VS番頭には私自身二回巻き込まれました。
ああいうタイプのカリスマ経営者は現役時代「幸福で平和な家庭」などはアウトオブ眼中だったんでしょう。
法的には総論的親族権、各論的親族権、公共の福祉と私権との関係など頭の痛くなる言葉がいろいろ噴出しちゃうんですが、企業は社会の公器なりが企業は一部の人たちの私物なりに?なのかも?

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月18日(月)01時15分41秒
返信・引用 編集済
  > No.5719[元記事へ]

 わ、気がつけば日付が変わっていた。少し寝入ってしまったようです。野球が終わったのは覚えていますが、しかし7、8回から断片的な記憶しかないなあ*。盆疲れでしょうか。
 ということで短い盆休みも終わり、例年同様、読書は一行も進まず。
*阪神が優勢でつまらなかったのも一因。阪神が勝つと雫石さんの類似書ばなしが読めないのです(おい)(^^;。

トマトさん
>下宿に帰って一人になると、寂しさが身に凍みたものでした。
 下宿といえば、この記事、偶然に見つけました。
 この男(めんどくさい通りすがりの書き込みが来たら嫌なので「この男」「あの病院」で通します)、私の友人と同じ下宿で、私がその友人のところに泊まるときは毎晩のように、一緒に飲んでいた男ですよ(^^; いい男でしたけどねえ(確かにギャンブル好きというか、マージャンは大好きな男でしたね)。
 くだんの友人から、理事長の身代わりで捕まったと聞いていたのですが、それは考えたら5年以上前の話。今回の事件とは別件だったんでしょう。今回は大々的に名前が出たみたいですね。私は今頃気がつきましたが。
 以前にも書いたように、メーカーへの拮抗力を唱えたダイエーに代表されるスーパーと、病院の反逆児といわれたこの病院は、非常に反権力的なイメージがあって好ましかったです。(私の記憶では事務職で大卒を取ったのは、われわれの年が初めてだったはずで)そんなところに就職しようとするくらいですから、ある種の理想は持っていたんだと思います。上の記事で、「氏は変わってしまって昔の理事長ではなく、別人」と言っているようですが、中内功氏も同じことが言えます。
 しかし私なんぞと比べれば嵐のような人生ですな。そりゃまあ出発点は同じでも35年もたてば人生いろいろということかな、と、つくづく。

 ということで(どういうことだ)、和田さんからも原稿到着!
 読みましたが、いいですよ〜(^^)。リリシズムとセンチメンタリズムの作家、和田宜久の本領発揮の力作です!
 今執筆中の皆さんもおきばりやす。(といってせかしているわけではありませんよ。じっくりと仕上げて下さいね)(^^)

 

Re: 「ひまわり」

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月17日(日)16時44分39秒
返信・引用
  「卒業」伝説の映画でした。(当時はいまよりも映画というものの存在感が大きかった。)


私が「卒業」を見たのは東京の飯田橋の名画座で、従兄弟とそのカノジョの三人で見に行きました。

従兄弟は今で言うバックパッカーで、フランスだかオーストリアかどこかの町の安宿でカノジョと出会い、話し込んでそして知り合ったようです。(この話時代ももう映画ですね。)
「卒業」を見た後、電車に乗って都心からかなり離れた従兄弟たちのアパートに行き、そしてそこで二人からヨーロッパ放浪の旅のの思い出話を聞いたものでした。(これも映画ですね。)
そして杉並阿佐ヶ谷の下宿に帰って一人になると、寂しさが身に凍みたものでした。
(それで大家さんの所に押し掛けてお茶飲み話をしたこともありましたね。)

http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

Re: 「ひまわり」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月17日(日)01時04分45秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
>静かな裏通りにひっそりと建っている
 おお、さすがに東京は文化の香りがしますね。
 私がよく利用したのは毎日文化ホール、大毎地下、天王寺ステーションシネマ、戎橋劇場というところで、殺風景なビルの中でした。大阪らしいといえばらしいですね(^^;

>妖精のような感じの女の子
 そんな風な子も皆無でしたねえ(^^ゞ

 私がはじめて名画座に行ったのは、高一のときで、「卒業」でした。バドミントン部だったんですが、主将が映画好きで、男子部員全員で観にいったのを覚えています。
 それまではダスティン・ホフマンも、「卒業」が何年か前にヒットした映画だということも、なにも知らない高校生でした。あれは大毎地下だったかなあ。毎日文化ホールだったかなあ。
 

Re: 「ひまわり」

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月16日(土)16時50分29秒
返信・引用
   映画業界では映画館のことを「小屋」というのだけど、かつては名画座はあちこちにありましたね。
ただ静かな裏通りにひっそりと建っているというかんじで、それだけにどこかアットホームな雰囲気がありました。座席も百から二百ぐらい。
 見ず知らずの人と同じ映画をみて、そして終わって館内に明かりがついて、そして目と目があうと
「よかったね。」
と自然に言葉が出ることもあったりして、何か母体の子宮を思わすような有機的でアコーステックな世界でした。


 そういえば、こんなことがありましたね。
 中野の名画座で映画が終わって下宿のある阿佐ヶ谷に帰る途中、いっしょにおなじ映画(何だったかな・・・)を見た女の子が地下鉄のホームにならんで立っていました。赤いダッフルコートに緑のつる草模様の刺繍が入っていて・・・なんか妖精のような感じの女の子でした。話友達にでもなれれば・・・と何か話しかけようと思ったけど、その機会を得られないまま電車は(私の降車駅である)南阿佐ヶ谷に付いてしまいました。彼女も南阿佐ヶ谷で降りたのですが、私は駅の北側、一方駅の南側の夜の町並みに消えていきました。





http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

眉村さん情報:日経連載第7回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月16日(土)14時23分0秒
返信・引用 編集済
   昨日(8月15日付)の日本経済新聞夕刊に、眉村卓さんの連載エッセイの第7回目、「見た目と別の目」が掲載されました。
 ←クリックで全文

 これって故人を夢に見る場合がそうですよね。夢じゃなくても、ふっと思い出したりするときもそう。
 小松さんを夢に見たことはありませんが、ふと思い出すときは常に、あの精悍な(脂ぎったともいう>おい(^^;)40代のご尊顔です。
 そういえば、お迎えが来てアッチヘ行った場合も、自分で選べるんじゃなかったでしたっけ(>アバターかい)。あれって地獄八景でしたか。違いましたっけ。
 ――以上、お盆らしい話題でした(^^ゞ


 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月16日(土)11時13分35秒
返信・引用 編集済
   標記の件、昨晩というか未明、はじめてプリントアウト(A4)してみました。やはり画面上とは印象が変わりますね。この時点で数箇所訂正。
 そしてさっき、実際の誌面と同じA5で再度プリントアウト。A4とA5でもずいぶん見た目違うものですね。そりゃ50パーセント縮小されるんだから当然か。いちおう最後まで(訂正衝動も起動することなく)通して読めたので、私もこれにて校了とします。
 いやー、面白いものに出来上がったかどうかは、自作を客観的に読むことができないのでなんともいえませんが、銀河の交通渋滞仮説を取り込んだフィクションは、世界的に嚆矢といえるんではないかな(>自慢かい)。まあ世界のことはわかりません。少なくとも日本では間違いなく初でしょう。理解が間違っていたら目も当てられんなあ。それもまた愛嬌愛嬌(>おい)(^^;
 ということで、未提出の皆さんの力作を期待しておりますです!
 

Re: 「ひまわり」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月16日(土)00時19分42秒
返信・引用 編集済
  > No.5717[元記事へ]

トマトさん
>中野の名画座で見ました。
 名画座という文化がなくなっちゃいましたよね。
 そのかわりツタヤがあるじゃないか、ということかもしれませんが、60年代から70年代のヨーロッパの名作映画は、ツタヤじゃ間に合わないんですよね。
 たとえば、ひまわりを借りたとき、そういえばCCってほとんど見たことないなあ、と思って、「ブーベの恋人」を探したんですが、ありませんでした。じゃあBBはどうだ、と、「ラムの大通り」を店頭の機械で検索したんですが、やはりアウト。
 けっきょくアメリカ(ハリウッド)一辺倒なんですよね。
 名画座、復活しませんかねえ。
 

Re: 「ひまわり」

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月15日(金)09時58分41秒
返信・引用
  > No.5716[元記事へ]

ひまわり、懐かしいですねー。

個人的には1980年代の夏一人で中野の名画座で見ました。
ソフィアローレンのはまり役でしたね。
映画が終わったとたん、丸首シャツのおっちゃんがモップ持って床を掃除しているのが目に入りました。
なんが幻滅......っていう感じてした。ひまわり畑がインプレッション強烈です。

あの時代の映画は自分の生き方を考え直させたり時代になにかを問うようなところがあって、独特の世界でした。

http://porcini.web.fc2.com/2014_07_31.html

 

「ひまわり」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月15日(金)01時27分3秒
返信・引用 編集済
   DVD「ひまわり」(70)を観ました。
 あらすじ紹介は無用でしょう。第2次大戦中のイタリアの新婚夫婦(ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ)。夫がソ連戦線に出征し、行方不明のまま終戦。生存を信ずる妻が8年後(という根拠はスターリンが死に、フルシチョフの雪解け政策で比較的簡単にソ連に行けるようになった)ソ連へ探しに出かけ……
 無邪気だった(無邪気すぎた)ふたりが、ラストではおたがいしわや白髪で老けてしまって暗い表情になっているビフォーアフターがなんともいえません。誰も悪くないのにこうなる。悪いのは戦争ということです。この女主人公、ソフィア・ローレンはまさにはまり役。さすが巨匠ビットリオ・デ・シーカでした。
 後記。このような映画ですが、名作ですからきっとアベちんも観ていると思います。でも多分アベちんの感想は「だから戦争は負けたらあかんねや」でしょうね。そっちへ行くか(^^;
 

都塚古墳は稲目の墓か?

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月14日(木)19時39分56秒
返信・引用 編集済
   都塚古墳は“ピラミッド型”か
 これは大発見ですね!
>白石太一郎館長は「この時期、豪族の長は『前方後円墳』に葬られるのが通常で、わざわざ四角い形の『方墳』に
>埋葬するとは考えにくい。蘇我氏の長である稲目は、奈良県明日香村にある別の前方後円墳に埋葬されたと考えている」
 そうでしょうか?
 それで私ははっと気づきました。これは推古の薄葬令と関連して捉えるべきではないでしょうか。
 先に言っておけば、推古は稲目の孫で、蘇我氏の里で育ち、蘇我氏が擁立した女帝です。
 もし稲目が高句麗人(高句麗→百済→日本かも)の渡来一世だったとしたら(稲目以前の系図にはほとんど実在性がありません)、祖父にかわいがられて育ったに違いない推古は、稲目から故国の話をたくさん聞かされたことでしょう。稲目に流れる騎馬民族の気風を(息子の馬子とともに)もっとも受け継いだ人物だったかもしれません。
 故国高句麗のピラミッド型積石塚(方壇階梯式積石塚)は、5世紀前半によく作られたようですが、有名なのは将軍塚。長寿王の墓とされています。長寿王は491年没。
 稲目がいつ日本に渡ってきたのか分かりませんが、6世紀初頭(506年?)に高句麗で生まれたとしたら、まさに将軍塚を(もしくはその築造を)見て育ったのかも(同族の可能性もある)。とすれば、自身の墓もとうぜんピラミッド型積石塚にしたかったのではないでしょうか。
 少なくとも、何が悲しゅうて(箸墓以来の)前方後円墳なんぞに埋葬されにゃならんの、と生前考えていたって不思議ではありません。必ずピラミッド型積石塚に埋葬するようにと遺言していた可能性は高い。しかも当時の蘇我の権勢は、原住民勢力に何の遠慮もする必要はなく、それを可能にしたと思われます。
 稲目の死は570年。推古の即位は593年。その間23年。築造にどれくらいかかるものなのか知りませんが、10年や20年くらいかかったんじゃないでしょうか。想像をたくましくすれば、稲目の墓が完成した直後に、推古は即位したのかも。
 もしそうなら、推古は大和朝廷のイコンである前方後円墳を強く意識したことと思われます。
 だから薄葬令を出した。推古の薄葬令とは、要するに、今後、前方後円墳は作ったら駄目よ、ということです。そう言い換えていいんじゃないでしょうか(これはたぶんまだ誰も言っていない、わが独自のアイデアです)(^^;。
 つまり稲目の気風を受け継いだ推古天皇は、自分は原住民とは違うという、多少原住民を下に見る気持ちを無意識に刷り込まれていたのかも。ひょっとしたら高句麗王家の血を引く初代天皇という自負があったのではないかと空想します。(註。崇峻は馬子と合わなかったんでしょうね。その点姪の推古は可愛がられた。女は得するのです(^^;)
 それが薄葬令という形で、大和朝廷伝統の前方後円墳を否定する。征服者が被征服民を統治するため、その土着文化を破壊してしまおうとするのは理にかなっていますよね(近くは日本が朝鮮に対して行った創氏改名)。
 そういう次第で、以後しばらく方墳が造営されるのですが、なぜピラミッドではないのかというと、蘇我氏がどんどん日本人化して(高句麗アイデンティティを失って)行ったからでしょうね*。前方後円墳までは戻らないけど、ピラミッドもナンなので、方墳にしちゃえ、と、そういうことではないでしょうか。したがってピラミッド型古墳は、都塚古墳が唯一で、たぶん他にはないのではないでしょうか(渡来して地方に移住した高句麗人はわかりません。たとえば信州や甲斐、関東にひょっとしたら積石塚古墳があるかも知れません)。

>この時期、豪族の長は『前方後円墳』に葬られるのが通常で
 だから反抗したんじゃないですか。ねえ。
 白石さんは外側から(6世紀後半はまだ前方後円墳という)事実(統計的観察)ばかり見て、内面に分け入って(その中に唯一突出する例外の存在可能性を)想像することができないのでしょうね(>おい)m(__)m
*あ、馬子の墓も石舞台古墳ですから積石塚古墳ですね(二段積の方墳とのことですが、もっと多段だったんじゃないのかな)。馬子まではまだ高句麗アイデンティティがあったんでしょうか。
          ↓元データ
 

「私はなぜ自分で出版したのか?」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月14日(木)02時48分15秒
返信・引用
  トマトさん
>台風が来て涼しくなりました
 当地では台風が去るとともに元に戻りました(^^;。いまもクーラー全開です。気温はさほど高くないのですが、湿度がすごくて、クーラーかけなかったら、ただ座っているだけで汗まみれです。
 オハナシは後で読ませていただきますね(^^;

 リンダ・ナガタ「私はなぜ自分で出版したのか?」(1/2) (2/2)
 ネタ元はこちら

 うーん。いずこも同じということでしょうか。でもシステムがだいぶ違いますね。向こうのシステムが覗けて興味深いです。
 beta readersというのは、日本にはない習慣ですよね。ボランティアなのかな。
 紙版もアマゾンで取り扱っています。まったくの自主制作で、日本ではここまでできないんじゃないかなあ。やる気さえあれば可能なんでしょうか。書店への配本はできませんが、いまや書店売りは(特にSFみたいなジャンル作品では)必要不可欠ではなくなりつつありますよね。いや面白い(未来に展望が開ける)取り組みだと思います(本人は苦肉の策なんでしょうけど)。

 

涼しくなりましたねー♪

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月13日(水)12時35分38秒
返信・引用 編集済
  こんにちわ。

台風が来て涼しくなりました。雨もたくさん降りました。なんとなく秋っぽいです。


お盆ですねー。
かつては霊界からかえってくる霊魂の乗り物として胡瓜や茄子で作った馬などが用意されたものですが・・・。
今日ではどうもイタリアンレッドの「フェラーリ458イタリア」だとか真っ白い「アウティR8」が霊魂の乗り物として用意されている(郷里にそういう高級車をご披露するために帰郷する)ようです。同級生が最高級ポルシェを購入して披露してくれましたが、不便この上なく、チャリンコと電車移動がほとんどということでした。しかしいくら高級車でもお盆名物の渋滞には巻き込まれますね・・・。しかも鉄道は混んでいるし・・・

 かつてお盆のときにどこかのオッサンが一人で怒鳴っていた例もあったし、ヤンキーっぽいパパとママと初老の夫婦のホスピタリティな交流もあったりしましたね。昔旧国鉄時代は上越や東北信州のほうにいく列車はほとんどが上野から出たから、上野駅には独特の雰囲気がありました。西のほうに行くのはみんな東京駅で、東京駅の在来線には西鹿児島行きの寝台列車も止まっていたことありましたね・・・。




マジックフォービギニーズしかファンタジーでもし図書館が舞台って言うのはなんか面白ーいですね・・・。
米北東部の図書館が舞台みたいですね。

いまのドラエモンのコミックや小林勝代の料理本がたくさん置いてある『ただの貸し本屋」的な図書館というより、私が高校時代に受験勉強をしていた古風な図書館を舞台にしたお話なんか・・・あったら面白いです。かつての図書館には今年も総計はもちろん陸橋蒼岳不合格、今度落ちたら南河内大という三浪目の受験生だとか万年石国家試験不合格受験生などが生息していて、かなりディープな世界でした。

 かつての図書館というと、北関東のスーパー国語科教育大明神、山本有三を神とあがめる文学青年文学少女の集いの場で、女の子がジーパン穿くなんて言語道断的な雰囲気。トルストイの「イワンのばか」とかロマンロランの「魅せられた魂」なんかで「正統文学談義」を交わす・・・なんていう雰囲気があって、そこに加えて旧帝大を絶対とする学歴差別も加味される・・・なんていう『優等生のための図書館」・・・。





そしてオハナシですが・・・。

私の名前は四沢美香、四国は高松に住むなんとなく「人生つまんねーなー」と日々を送っているお姉さんだ。
なんだかネクラな性格でカレシは勿論あんま友達も居ない。
専門学校を出てき近所のコンビ二でもパイトしようかな・・・なんておもっているがイマイチやる気がない。自他共に認める美人なのだがなぜかモテない・・・性格がネクラだからだろう・・・。

というもウチは大変ヘンなウチだからだ。
なにしろ父は仕事をしていない。一日中家に居てテレビを見たり雑誌を見ている。出かけるとしたらパチンコぐらいだ。そんなヨレヨレTシャツに縞模様の短パン姿の痩せギス(しかも出臍)のオッサンが、テレビのリモコン独占してソファに寝そべっているんだ。しかもこのオッサン、私や母がなにかいうとすぐに
「ここはオレのマンションだ。ヤならでていけ。」
「おまえ、オレに養ってもらっているんだろう。ヤなら出て行け。」
と始まる。そして母の髪の毛をつかむ。顔はお腹を殴る、マンション中に響き渡るような声で怒鳴りまくると来た。
父はお金をいっぱい持っていて、東京にマンションやアパートもあるらしいがどのくらい持っているのかは母も知らない。とにかく父はケチなので、ケチのケチ太郎、しかもすぐにどなるし暴力を振るう。

そんなわけで私と母はいつしかそんなオッサンである父に腫れ物に触るように、父の顔色を伺うように生きてきた。
しかし最近良く思うのだ。なんて母はこんな男と結婚したんだろう・・・。

そしてついに母はこの男のマンションを出る決意をたのだった・・・。


そして母は私を連れて父の許をこっそりと脱出して郷里新潟を目指す・・・そしてそこで私はわたしたち家族の運命を支配しうるある人物と出会う・・・。


続きはこっちです(^_^;)(^_^;)(^_^;)↓



http://porcini.web.fc2.com/2014_08_12.html

 

「暗殺の森」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月12日(火)22時57分11秒
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   DVD「暗殺の森」(70、日本公開72)を見ました。
 第2次大戦前後のイタリア。子供の頃、学校の送り迎えをする運転手が同性愛者かつ小児性愛者で、いたずらされかかり拳銃で撃ち殺したのがトラウマとなって、心に闇(アパシー)を抱え込み、世界を白黒で見ているような大人になった主人公は、ファシズムに心のよりどころ(預けどころ)を求め、ムソリーニ政権の工作員となります。最初の指令は、今はパリで反ファシスト運動の指導者をしている、主人公の大学時代の担当教授を殺害すること。
 たまたま結婚したばかりだった主人公は、新婚旅行先をパリに定め、新妻(ステファニア・サンドレッリ)を伴って、せっかくパリまで来たので、という感じで教授に近づく。教授のアパートで教授の妻(ドミニク・サンダ)を一目見て心を奪われる。ドミニクは彼が初めて買った娼婦とそっくりだったのだ(単にそっくりだったのか本人だったのか、その辺あいまい)。というのも、ステファニアとの結婚は、心に闇を持っていて「ふつう」ということが分からない主人公が世間的に人並みを装う一種の偽装婚だったわけです(ステファニアは本気)。ドミニクは主人公がファシストの工作員と知っているのだが、しだいに主人公に引かれていく。
 チャンスが訪れ、教授は一人で別荘へ行くことになる。主人公と相棒の工作員が、車で出発する教授を追跡すると、車にはドミニクも乗っていることがわかる。主人公は愕然とする。これで、犯行の目撃者となるドミニクも、始末しなければならなくなったわけだ。 森の中で教授の車に追いつくも、突然前方から、別の暗殺者集団が現れ、教授を刺殺する。ドミニクは後方に逃げ、追跡車の車内に主人公を認めると、ドアを開けてくれと懇願する。主人公は動かない。ドミニクはあきらめて森の中へ逃げ込もうとするも、暗殺者集団によって撃ち殺される。その間も主人公は微動だにしない。同乗していた相棒が、さも軽蔑したように不潔なものでも見るように、主人公を見る。
 数年後、ムソリーニが倒された日、主人公は街娼のたむろする一角で、30年間、自分が殺した思っていた運転手が生きているのを見つけ……。

 名作です。なんといってもドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリの二美女がよろしいな(>おい)(^^;。そういえば高校生の頃、買った《スクリーン》に付録で付いていたドミニク・サンダの等身大ほどのポスターを、ピンナップするのは恥ずかしくて、机の引き出しにずいぶん長い間仕舞い込んでました(^^;。ステファニア・サンドレッリは筒井さんがお気に入りでしたよね。「タランチュラ」の映画評でおっしゃっていたと思います。
 ヴィスコンティほど重厚ではありませんが、まさにヨーロッパ映画という感じで、堪能しました。
 

「不器用な戦士たち」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月12日(火)02時32分8秒
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  眉村卓『不器用な戦士たち』(双葉文庫14、初刊83)読了。

 《小説現代》に79年から83年にかけて発表された短篇10篇を収録した作品集で、83年に単行本、87年に文庫本が、それぞれ講談社から上梓され、今回、双葉文庫から27年ぶりに復刊されました。
 「私ファンタジー」以前の眉村卓です。「私ファンタジー」以前の、著者の主たるジャンルであった社会派、サラリーマンものです。
 先般同じく双葉文庫から復刊された『疲れた社員たち』もサラリーマンものでした。上梓されたのも82年とほぼ同時期。ところがここで書いたように、『疲れた社員たち』では五十歳代を主人公にした作品の印象が強かったのに対して、本書ではそういう年齢観的な印象はまったく受けませんでした。本書においては、特に年齢を明記した作品は「実直な上司」のみで、他にはなかったと思います(中間管理職が比較的多いのはたしかですが)。発表誌を考慮した違いなのかな。

「出色の新人」の主人公(=視点人物)は一流とはいえない会社の企画課長。主人公の課へ新人が配属される。新人は、通常なら超一流企業に就職していてもおかしくない学歴で、事実優秀であった。なぜこんな人材がうちのような会社に? そのなぞは次第に解けるのでしたが……。マイナスもプラスに転用してしまう会社組織の非人間的な非情の論理が、主人公の無意識に押し込まれていた会社への憎悪を顕在化させます。

「明鏡会」は厚生課長が主人公。その年入社した新人の母親たちが「明鏡会」というPTA(?)を立ち上げ、会社の窓口となった主人公に過保護な要求を突きつけ始める……。最近もツイッターで見かけましたが、大学の入卒式に母親同伴でやってくる大学生がごく当たり前の風景になっているそうです。そういう傾向がすでに80年代初頭において萌芽していたんでしょうね。当時は珍奇な三面記事的な話題だったと思うのですが、そこに隠された社会の必然的な構造を著者は目ざとく見出し、針小棒大に社会人一年生にエクストラポレート(顕在化)してみせた作品といえます。つまり一種の風刺作品で、ラストで主人公は、「世間の風潮がこうである以上、これからはどこもそうなっていくのではあるまいか?」と述懐させているのですが、まさに30年後のこの社会は、打たれ弱い過保護なオトナコドモたちの存在を、ある一定の割合で見かける社会になっているのではないでしょうか。以上は個人の感想。本篇が描いたのはそっちではなく、母親たちの行動の方です。為念(汗)

「GGホテル」は、一転して入社したての新人の話。入社して初めて週末に休暇をとり旅行に出かけようと上司に願い出、あっさりと認められたのはよかったのだが、行き先を聞かれて答えた目的地に、系列会社のホテルがあり、それは渡りに舟と届け物を託される。最初はええ、と思ったが、そのかわり出張扱いで行き帰りの旅費と、当該ホテルもちで宿泊できるといわれ、よろこんで了承したのが運のつきだった……。子会社の親会社へのルサンチマンが、ここぞとばかりに主人公にぶつけられます(^^;。これもまたファルスでしょう。

「その他大勢」の主人公は庶務課主任。何事にも最悪を想定して準備し行動する主人公は、ある種営業職的な行動規範を持つ者たちには、主人公の行動が持って回った皮肉揶揄、やりすぎと映り、いつのまにか出世レースで後塵を拝しています。上司に注意も受け、じゃあ勝手にしてくれとケツをまくって、「与えられた役目以外には何ひとつはみ出そうとせず」にいることにした主人公に、ある超能力が発現する……。本篇は前作品の「ルサンチマン」の側に立った話として読めます。

「鶏口太郎」の主人公は、名前とは大きく異なり(庶務課長と女子社員の間に挟まって)牛後を拝する、おとなしい性格の一般社員で、社内でも軽んじられている。そんな彼が馴染みのスナックで出会った奇妙な男のふと漏らした一言が……。それぞれ事情があって右顧左眄し汲々としていた男(たち)が、あるきっかけで居直り、自分に正直になったことで局面が転換する。これは著者がよく使うモチーフですね。

「妙な仕草」 30も過ぎるとそろそろ差がついてくるわけです。大学の同期会の二次会のスナック、四流の上クラスの会社にしか入れなかった主人公の隣に、一流大企業に入り順調に出世している同期生が座ったのがいけなかった。悪酔いした主人公がねちねちと(ルサンチマンみえみえに)絡みはじめ、辟易した同期生に「こっちで話そう」とうながされ、壁際のテーブル席に移動したのだが……。「GGホテル」がルサンチマンの単なる意趣返しだったのに対して、こちらはルサンチマンが企業の論理と野合するというモチーフで、主人公は会社の論理(「出色の新人」では憎悪した)に自ら没入していきます。

「おだての階段」 「妙な仕草」は、ある意味秘教的存在物である催眠術の共有化(科学化)の話でしたが、本篇は「おだて」つまりは幇間の技術のテクノロジー化の話といえます。ただし「妙な仕草」とは違って「会社のために」ではありません。あくまで個人の、自分のためだけに利用するために、有志が集まってそのテクノロジーを磨き、共有化するのです。その技術を(まだまだ階段は上があるとはいえ)会得した主人公は、会社で、自分のためにその技を行使します。こういう展開はちょっと珍しいのではないでしょうか。

「露呈の顔」の主人公は、総務部管理課長。対人折衝のなかった資材課から今の地位に移って、主人公はどんどん人間嫌いになっていく。職掌柄、次第に相手の底意が見えてくるようになってしまったのです。ここで面白いのは、少し前、セカイ系という言葉が流行ったとき、近景、中景、遠景の中景が欠落しているという議論があったと思います。本篇で著者は、「要するに運命共同体のメンバーなら、それでいいのであり、自分とはまったく関係のない人々なら、それもまたいいのである。強い嫌悪感を抱くのは、自分と同じ立場ではないのに、何らかの形でかかわりを持たざるを得ない人々に対してなのであった。その代表例が、会社の人間なのかもわからない」と書いています。これはまさに中景の関係性ですよね(いうまでもなく本書が発表された1980年代にはセカイ系のセの字も現れてはいません)。つまりそもそも人間には、中景の関係を苦手とする構造があるのでしょう。これもまた「明鏡会」と同じで、<流行>の中に<不易>を読み取っているわけです(ただしこの場合はセカイ系に先行する形で)。著者の踏み込んだ社会を見る目が楽しめる一篇です。
 閑話休題、以上は起承転結の起の部分で、お話は、主人公が民間の管理職特訓スクール(これもまた当時流行した社員委託訓練機関ですね)の合宿研修に会社命令で参加させられる。軍隊式の性根を叩きなおすというヤツです。その非人間的スパルタ特訓は、意外にも(主人公にとって非・中景的であるという事実によって)そんなに苦ではなかったのでしたが……。

「実直な上司」とは、主人公のこと。実直だけが取り柄の、昇進競争からはずれた45歳の主人公に、ある日突然第二企画課の課長の辞令が下りる。第二企画課とは、ふつうの会社員としては使い物にならないが、それぞれ特殊な才能に特化した変人を集めてきた一種の飼い殺し課なのですが、その一方で、ひょっとしたら会社にとって起死回生のアイデアを生み出してくれるかも、という期待もこめられて設立された課なのです。でも、課員が変人の集まりすぎて、前任者がノイローゼになり休職する。それで実直一筋の主人公が抜擢されたのですが、意外にも実直な上司と変人の課員という組み合わせの歯車が合い、すぐにでも解散かと思われていた課も、7年つづいていた。その間課長はずっと主人公のまま。しかし会社が期待した起死回生のアイデアは生まれなかったのです。一方課員たちは、どんどん社外に飛び出して成功した者も少なくない。
*そういえば私の以前の会社にもいましたね。東大卒。遊撃的な立場でときどきやってきては突拍子もないアイデアを吹いて帰っていくのですが、そういう立場の人であることはみな知っていました。まあピエロ的な存在価値しかなかったような。本人はどう自分のことを考えていたんでしょうかねえ。こういうのは難しいですよね(^^;
 さてそんな主人公ですが、「定年後は……そんな元の部下たちが何とかしてくれるに違いない」「そう信じて疑わなかった」との述懐で本篇はしめられます。これ、著者の真意はどうなんでしょうか。私は反語的に解釈したのですが。

「特別検討室員」 特別検討室とは要するに窓際族部屋。主人公も遂にそこへ異動させられる。なじみのスナックでぼやいた彼に、店主がアルバイトを持ちかけます……。これもまたファルスですね。

 以上10篇、私ファンタジー以前のかつての著者の、いかにも著者らしい作風の作品集で、楽しみました。デビュー当時から著者は実体験を小説に利用する作家でしたが、それでも当時の作風と、現在の私ファンタジーとでは、やはりといいますか、まったく違う性質のものであることに今回読んで気づかされました。
 本作品集の諸短篇に、著者の体験はもちろん反映されてはいるのでしょうけど、それは直接的ではありません。本書の主人公たちは、会社に憎悪を燃やす者もいれば、会社の歯車に喜んでなってしまう者もいます。1984年的な世界づくりの陰謀に、傍観者的な態度から加担していく者もいます。非常に多様です。少なくとも著者は、主人公の造形に直接の自己を投影させてはいません。すべての主人公を著者が肯定して描いているわけではないと思います。小説自体の要請で、主人公の社会に対する構えが決定されています。そこには一般性への目配りがある。
 一方、私ファンタジーは、まさに著者自身が主人公です。一般性への配慮はもはや要件とはならない。主人公は、ほかの誰でもない、なんぴとにも替え難いところの著者自身です。(註:私の解釈です。実際は不可知です)
 ところで、実は本書が上版された1983年の、二年前に、すでに私ファンタジー的な志向を持った『傾いた地平線』が発表されているのですね。さらに3年後には『夕焼けの回転木馬』が上梓されます。というわけで、この時期、上記の二作風は並存しているのですね(第三の作風である司政官シリーズも継続しています)。1980年代は、著者の作風がもっとも多様化した時代で、ここから私ファンタジーに収斂していくのには、やはりひとつの契機があったと思われます。


 

「脳波」と違って人間は相変わらずですね(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月10日(日)16時09分49秒
返信・引用 編集済
   グーグル日本語入力の変換が最近とんでもなくてイライラしっぱなしだったので、IMEに戻しました。辞書の移し変えに2時間かかりましたが、おかげでストレス激減です。グーグルは保守作業をおろそかにしているんじゃないかなあ。

 服部さんからも《チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号》用作品が届きました! これはいいですよ〜(^^)
 風の翼っぽい、というのがあるとしたら、それはやはり服部作品ですね。風の翼が40年後に遭遇する現実・・

 知性化の始まり?
 あなたが夜ふと目覚めると、隣室のダイニングキッチンとの間を閉じたふすま戸の隙間から、細く光線が漏れている。何かごそごそという音も聞こえる。起き上がって、ふすま戸を少し開けて覗いてみたあなたが見たものは……
 なんと猫のトラがあなたのめがねを掛けて、椅子の上で後足で立ち上がり、テーブルに両手をついて、広げた新聞を読んでいた!?
 なんてシーンだったら、あなたはどうします(^^ゞ

追記。深田さんからも到着(^^) 鎮魂の神戸小説です!
 

「マジック・フォー・ビギナーズ」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 9日(土)02時29分30秒
返信・引用 編集済
  承前1 承前2『プリティ・モンスターズ』より、「マジック・フォー・ビギナーズ」を読む。面白い!
 本篇は前短篇集の表題作なんですが、今回再び収録されています。何故かと考えるに、小説の構造が、あとでも述べますが、「私」が「あなた」に語るという形式で、実はここまで読んだ冒頭からの3篇とも同じ構造なのです。それでたぶん『プリティ・モンスターズ』の収録作品は、皆この構造なのでしょう。そういうナラティブの構造の共通性で、本作品集は編まれたのかもしれません。その意味では「形式による連作長篇」なのかも。むろん予測ですので、通読したら、あらあら外れだったとなるかもしれませんけど(^^;

 さて本篇、『図書館』というテレビ番組があって、図書館が舞台なんですが、この図書館がすごいのです。少なくとも地階から140階くらいまであり(おそらく無限)、館内には公園もあれば、魔法の地下海もある。「ふつうなら外へ行かなければ楽しめないものがすべて中に揃っている」(112p)
 要するに図書館がひとつの<世界>なのです。いわばボルヘスの図書館のリアル版ですね。こんな設定を思いついたら、もう勝ったも同然ですねえ。いや本当に魅力的です。
 ところでこの『図書館』という番組、実は海賊番組で、いつ、どのチャンネルで放送されるのかわからない。いつ始まるか常にザッピングして探していなければならないのですが、ネットに愛好家のコミュニティがあって、放送しているのを発見した者はただちに書き込んで警報を発するので、見逃すことはないみたいです。
 女主人公の名はフォックス。耳が尖って尻尾がある。仲間とともに、毎回、敵である<禁じられた書物>と戦っています。一番新しい回で、奸計にかかって死んでしまい、(これまで図書館では誰も外に出たことがないのだが)仲間になったジョージ・ワシントン像に抱えられて、一階の貸出カウンターを通り過ぎ、出入口の扉を開けて出て行ってしまう。

 一方、現実世界(一応)では、ジェレミーという15歳の男の子を主人公に、『図書館』大好きの仲間が集まってその放送を見ています。そしてフォックスの死にショックを受ける。フォックスは本当に死んでしまったんだろうか。
 ジェレミーの父親はホラー作家なんですが、ふと出来心で、息子を主人公にし脳腫瘍で死なせてしまうという話を書いてしまう。それを母親のアリスが読んで怒り、夫婦仲が危機を迎えています。
 そんな折も折、会ったこともない母親アリスの大叔母が死に、ジェレミーは、遺産としてラスベガスのはずれの荒野の州道沿いに立つ電話ボックスと、ラスベガスにあるウェディング・チャペル<ヘルズ・ベルズ>を相続することになる。アリスは冷静になって考えるちょうどよいきっかけと、息子を連れて車でラスヴェガスへ出発するのでしたが……
 ――と、表層そんな話です。
 表層と書いたのは他でもありません。本篇開始早々、5行目にこう書かれています。

「『図書館』のある回で、ジェレミー・マーズという十五歳の少年が、ヴァーモント州プランタジネットの自宅の屋根に座っている」

 そう、このジェレミーの物語も、『図書館』の中の話なのかもしれないのです。
 それを支持する描写として、

1)「テレビ番組のなかの人たちはどういうテレビ番組を見るんだろう」(99p)(下線は傍点)。

2)「ジェレミーは何も言わない。父親がその場面を、ジェレミーという名の男の子が死ぬ場面を書いて、泣いている姿を――ちょっとだけ泣いている姿を――ジェレミーは想像する。そのジェレミーという子、ジェレミーという死ぬ登場人物を彼は想像する。可哀想な、途方に暮れた子。これでジェレミーとフォックスの共通点ができた。二人とも架空の人物。二人とも死んでいる」(123p)

 同じ頁で、母親にあんたが本の中に入っているのよ」と言わせているのは、「テレビの中」のメタファーなのかも。

 ここでちょっとそれますが、2)のナレーション、誰が語っているんでしょうか? 一見視点人物はジェレミーのように見えます。ですが「可哀想な、途方に暮れた子」というところが、(話者がジェレミーだったとしたら)ちょっとおかしくありませんか?
 実はこれ、「私」「あなた」に(たぶん『図書館』を見ながら)話しているのです(おそらく「私」は母親で、「あなた」は子供)。
※ちなみに、ここまでの三話すべて、ナラティブは、私(あたし)があなた(あんた)に語るものです。
 ほかにも、153pの「時おり」から「テレビ番組だ」までの段落が、まるまるそうです。読めば自明です。
 もう一例、146p「カールはジェレミーのベッド(註:2階)で寝入ってしまった。タリスは一階にいて、図書館員たちがユーフォリアを飲みすぎて(云々)」
 でも判ります。2階のカールと1階のタリスを同時に見ることは、同じ系内のジェレミーには不可能です。

 閑話休題。母アリスが、父親が小説中でジェレミーを殺してしまったことを(読者からすればちょっと神経質すぎるのでは、と思うほど)怒るのですが、そんなに(離婚を考えるほどに)怒ることでしょうか。
 それはフォックスとジェレミーに共通項ができてしまったからではないでしょうか(cf.上記引用文、123p)。
 このへんは、「私」と「あなた」が見ているテレビドラマのなかの1シーンと考えれば、納得できそうです。
 そういう次第で、アリスは無理やり、嫌がるジェレミーを連れて出発したんでしょう(フォックスがジョージ・ワシントンに連れられて図書館から出て行ったのに対応?)。

 こうして、フォックスとジェレミーは繋がってしまい(あるいはそういう運命が明らかになり)、その結果、フォックスがタリスの夢の中に現れて、自分に電話してくるようジェレミーに伝えてほしい、と、電話番号をタリスに教えます。
「「で、何番だったの、電話番号?」ジェレミーは言う。/「忘れた」タリスは言う。「目が覚めたら、忘れた」」(106p)

 そこでフォックスは、直接ジェレミーの夢の中に(タリスとエリザベスがフォックスのコスプレをした姿として)現れる。
「「あんたにやってほしいことがあるの」/「なあに?」とジェレミーは言う。/「夢のなかで言っても忘れちゃうわ」とフォックス‐エリザベスは言う。目が覚めたらあたしに電話してちょうだいね。あたしが出るまで何度でも電話して」」(128p)
 いうまでもなく相続した州道沿いの電話ボックスです(あらかじめ伏線がはられている)。

 ここで思いつくことは、別のレベルから見れば、両親の不和がフォックスの死の原因かもしれないということです。つまり『図書館』の世界はジェレミーの内宇宙としての意味があるのかもしれません。
 それは本篇を矮小化するものではないか、という意見もあるかと思いますが、この重層的な小説世界は、多様な意味を内包しており、そういう解釈も許容するのではないでしょうか。
 そうだとしたら、(両親の不和に起因する)「フォックスの死」は、「いい子」という枠から離れられず、両親の不和を受け入れられず、「冒険」に拒否反応を示していたジェレミー、すなわち既存ジェレミーの死とも考えられます。
 電話の声(死んだ筈のフォックス)に促されて図書館で本を盗み、電話ボックスへ運び入れたのは、おそらく人生初めての主体的行為だったのであり、ここでジェレミーは新ジェレミーとして再生するのです。
 そういうジェレミーを、だからヘルズ・ベルズの怪物たち(人外。すなわちアプリオリに押し付けられた制度の外なる者)は快く受け入れたのです。このヘルズ・ベルズのシーンは、(死を主題としていることもあって)比較的重い本篇中では、ずいぶん軽やかで明るく、それはジェレミーの心象を反映しているせいではないでしょうか。
 そうして、このヘルズベルズの一室で、ジェレミーは、仲間からの電話で、『図書館』の新しい回(フォックスが死んで図書館から出て行った回の続き)が始まるよ、と、教えられます。テレビを付けるジェレミー。いったいどんな展開が待っているのでしょうか。フォックスは本当に死んだのか? それとも死んでなくふたたび登場するのか? その結末は、本篇には描かれてはいませんが、私の解釈通りならば、フォックスは再び図書館に還ってくるはずです(寛解)。*追記。いや、もう帰ってはこないか。図書館は「卒業」したのだから。図書館の世界では死に、外なる世界へ再生するのですね。
 こうして、フォックスの世界とジェレミーの世界は一つに融合し、

「『図書館』のある回で、ジェレミー・マーズという十五歳の少年が、ヴァーモント州プランタジネットの自宅の屋根に座っている」

 という記述が確認されます。この物語はフォックスの世界を入れ子構造に含んだジェレミーの世界の物語(テレビ番組)となる。
 そしてその番組を見ているのが、「わたし」と「あなた」の親子(?)なのですね。

 ここでまた妄想を逞しくしますと、本篇を「私」と「あなた」が見ているテレビ番組だとしますと、(シーンが変わる)一行開けの部分(但し概ね)に、CM(ユーフォリアの?)が入るんだと思います。たとえば139頁、

「「僕が頼んだら、しばらくのあいだ何も盗まないでいてくれる?(……)「わかった」と父親はやっと言う。「お前たちが帰ってくるまで、万引きはやらない」」

 アメリカ製コメディ番組だったら、いかにもここで観客の笑い声が入ってCMに移行しそうじゃないですか。もちろんここでそのCMを見るのは、「わたし」と「あなた」です。
 本篇はどうもこのような構造を作者によって与えられているように思いました。そういう意味では凝りに凝った少年の成長物語ですね。リンク会心の傑作ではないでしょうか。
《ショーン・タンのカットも素敵。文章は本文から》



 ――ということで、次の作品にすすみたいのですが、この調子だと一か月くらい掛かりそうなので(そのくらい掛けてじっくり読みたい)、ここで一旦中断し、先に『不器用な戦士たち』を読むことにしました。
 というのも、アマゾンでは昨日から「在庫あり」になっていて、リアル書店でもすでに売り場に並んでいるはず。そろそろ頂いたお礼状を出さなければなりません。読まずにしたためるわけにはいきませんので、こちらを優先したいと思います。




 
 

眉村さん情報:日経連載エッセイ第6回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 8日(金)18時16分28秒
返信・引用
  今日(8/9)の日本経済新聞夕刊に、眉村卓さんの連載エッセイ第6回「昔見た映画」が掲載されました。
 ←クリックで全文
 

DVD「銀河ヒッチハイク・ガイド」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 8日(金)00時41分48秒
返信・引用 編集済
   今日は「銀河ヒッチハイク・ガイド」を観ました。
「エンダーのゲーム」よりも、こっちのほうが趣味ですね。オープニングの地球がぶっ壊されるまでの不条理ナンセンス感が大変よろしい(^^;。宇宙へ飛び出してからは、ちょっと単調になりますが、この辺、宇宙家族ロビンソンを思い出しました。
 宇宙家族ロビンソンは、最初の数回こそシリアス路線でしたが、すぐに(ザックレー・スミスのキャラ変更とともに)ナンセンスギャグものに路線変更しちゃいます。この変更後路線と「銀河ヒッチハイク・ガイド」のキッチュさのセンスが、私には似ているように感じられました。ただし「宇宙家族……」には「銀河……」の風刺性はなく、本当に子供だましで、今見たらがっかりするはずですから(事実ボックスで鑑賞して、黄金の記憶が無残に錆鉄と化してしまった人を知っています(^^;)、「銀河……」が面白いのは、やはり再帰的な作品になっているからでしょう。
 小説版も読みたくなりました。本は所持しているので、いつでも読めるよう、積読山の前の方に引っ張りだしておこうと思います(^^;
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 7日(木)11時51分28秒
返信・引用
    元ツイート
 

DVD「エンダーのゲーム」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 7日(木)02時04分1秒
返信・引用 編集済
   ツタヤからカードの更新に来いというメールが届き、それじゃ、と久しぶりに行ってきました。サービスで1本タダになったのですが、サービスだけ利用するってのも、なんかヤラシイので、「エンダーのゲーム」と「銀河ヒッチハイクガイド」を借りて帰り、いま「エンダーのゲーム」を見終わったところ。
 何度も書いてますが、私は79年に就職しSFを追っかけるどころではなくなってしまい、サイバーパンクは全く読んでいません。当然サイバーパンクの対抗勢力と見なされたOSカードやKSロビンスンも未読。
 そんなわけで、前知識ゼロで観ました。なので原作と比べてどうこう、といった評価は不可能なんですが、なかなか面白かったです。
 しかしまあ、小説に関しては気難しい私ですが、映画は大体何を見ても面白く感じちゃうんですけどね(^^;
 ちょっと面白いと思ったのは、前半の訓練学校のパート。なんとなく眉村SFを想起させられました。好むと好まざるとにかかわらず競争関係に入ってしまう展開が、初期の眉村さんには多いですよね。『幻影の構成』とか。「産業士官候補生」はもろにそうでした。
 そう考えると、こういう競争原理主義は、(戦前の階級社会が崩壊した)戦後の民主主義平等主義教育と表裏一体で(平等性が競争を担保する)、眉村さんは新制中学一期生、まさに戦後6・3・3制の申し子なんですね。*
 これが第3世代になると、新人類とかシラケ世代とか言われた世代ですから、競争原理に対しては警戒的な作風になりますよね。
 カードは1950年生まれとのことで、日本でいえば第3世代なんですが、まあ日本の基準にアメリカ人を合わせても合うはずがないですねえ。あ、現実世界とゲーム世界が重なってしまうところは、むしろ最近のアニメやラノベっぽい。このへん原作はどうなっているんでしょうか。
*(補足。眉村作品がそれを肯定していると言ってしまうと一面的で、当否両面にオブセッションがあるということです)
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 6日(水)18時45分28秒
返信・引用
   例の《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》の原稿ですが、ふと、ストーリーの矛盾に気がついて、糊塗していたら28枚になってしまいました。雑誌のページ設定(36字x33行)で11頁びっしり最後の行まで。これから手を入れる場合は、前の方で調整しつつ進めなければなりません。
 しかし、これだけ何十回も見直ししているのに、まだ誤変換が見つかります。今回は「巡視艇」が「巡視挺」に誤変換されているのを発見しました。この「巡視艇」、全部で10回使っているんですよ。それなのに全然気づかなかった。多分一番最初に誤変換に気づかずエンターしてしまい、ワードがそれを記憶してしまったんでしょうね。今回、訂正で「艇」という一語のみ変換して、あっと誤字が「目に見えるようになった」のですが、こういうことがあるんですよねえ。危ない危ない。
 それはそれとして、あんまり見直ししすぎて、文字列と意味が乖離してきちゃいました(汗)。漢字をじ〜っと見つめていると、そのカタチが分解してしまって、わけがわからなくなることってありますよね。あれが文章単位で発生してしまいました(私にはよく起こることなんですけどね)。
 こうなってしまってはどうしようもありません。完全にお盆まで封印することにします。
 みなさんは順調でしょうか? 力作を期待しております!!
 

Re: 「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 5日(火)21時28分51秒
返信・引用 編集済
  > No.5698[元記事へ]

段野さん
>追加の4冊はあっという間に売り切れているのでしょうね。
 先週の水曜日の段階で、「今週末か来週には並ぶかと……」とツイートされていますね。
 土日に入っていたら絶望的ですが、今週入荷だったらまだ間に合うかもしれません。電話で確認してみたらどうですか。うまくいけば取り置きしてもらえるかも。

>版元は追加発送をやりたがりませんので
 いやいや、あっという間に売り切れることが確実なんですから、版元が躊躇うはずないではありませんか(^^;

トマトさん
>絶句です
 ハルコさんは呆れているんじゃないでしょうかね。なんて弱い人だったんだと。彼女は強いですからねえ。多少のバッシングにはビクともしません。爪の垢を送ってあげたらよかったかもしれませんね(>おい)m(__)m

>真空管ラジオ
 って、想像力をかきたてられますよね。私は、初期のブラウン管テレビにも似た感興をおぼえます。スイッチをひねると、画面の真ん中にポッと光点がともり、それがだんだんに広がって映像が現れるの、たまりませんなあ。
 

Re: 「飯田珈琲店」

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月 5日(火)17時10分10秒
返信・引用
  管理人さん、ありがとうございました。
こっちは連日猛暑激暑で先週末からダウンしていました。食欲もなく参っていましたがなんとか暑さにも慣れてきた・・・みたいです。

 しかし理研の笹井芳樹さんの自殺、絶句です。(実はこのニュースで急性夏バテから回復したようなものですが・・・)
有能な研究者ではなく杉並区役所職員や地元製麺会社社員だったらこんな悲劇にはならなかったのでは・・・なんて思います。山中教授に激しいライバル意識(というより嫉妬)を燃やしていたのでしょうけど、こういう秀才が私の中学や高校に居て、かつて一緒に図鑑なんかを見た仲なんだけど、もう私とは別世界、雲の上の人になっています。

 飯田珈琲店は、実は近所のコンビニに行く途中の不燃物捨て場においてあった真空管ラジオがヒントでした。拾って宝物にしようとしたんですが、怒られた挙げ句に捨てさせられそうなのでやめました(苦笑)

  飯田真澄さんというのは私が学生時代、下宿していた阿佐ヶ谷の某下宿館(大家がW稲田元全共闘戦士で過激派仲間が埼玉の田舎で作っている有機野菜を売っていたりしていた)に居たとき、その有機野菜を買いに来たIさんがモデルなんですね。(それだけではなくIさんはへんてこUFОグループのメンバー、グループ随一の美女であった。)このIさんは阿佐ヶ谷から二つ先の西荻窪に住んでですが、山形県の鶴岡というところの出身の人でした。鶴岡というのは美人の産地で、米や染料を京都と交易があり、といわゆる東北弁ではなくて関西訛り(京言葉)を話すんです。このIさん、校長先生のお嬢さんでした。鶴岡には「いずめこ人形」という名産の民芸品があるんですね・・・。
 そんなわけで雪国信州のロシア文学者飯田脳太、北関東の博物館学芸員戸舞賛歌のモデルはときにIさんの御父尊でもあり、時に神奈川県の某○○○文学者であり、時に杉並区の某文学者であるのです。(でなかったら市川ヘッセこと千葉県市川市出身の中野孝次だったりして)

 しかしコンビニから帰る途中の路地に飯田産婦人科醫院というのもあり、産婦人科だから男子禁制だが、ミルクホールや下宿屋(宿屋)、銭湯もやっているとか......まだオハナシが出てきそうです。



http://porcini.web.fc2.com/2014_07_31.html

 

Re:「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 8月 5日(火)12時59分3秒
返信・引用
  管理人様
ジュンク堂大阪本店のサイン本、追加の4冊はあっという間に売り切れているのでしょうね。
私が書きこんだことで、急遽追加発送になったとは思われません。たまたま、だと思いますが。(と思いたい、結構大それたことです。なかなか、最近は、残本を少なくしたいので、版元は追加発送をやりたがりませんので)
 

「飯田珈琲店」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 4日(月)22時01分39秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
「飯田珈琲店」読みました。
 これまで別々に書いてこられた(あえて言えば書き散らしてきた)モチーフを、ひとつにまとめ上げた集大成ですね。ストーリー展開(どう並べるか)もきちんと考えられていて、しっかりした小説になっていました。いやびっくりしました。トマトさん小説お上手じゃないですか(^^)
 読み終わって、トマトさんの表現したいこと(やむにやまれぬ創作欲求)がだいぶわかってきたような気がします。
 それは一種の宗教性(オカルト性)ですよね。人間をコントロールするなにか(悪魔?)という構造(人間は主体的な存在ではない)がまずアプリオリにあって、その支配からの脱出(救済)がモチーフとなります。お、ロシア文学じゃないですか(>おい)(^^;
 視野を大きく広げれば、その源泉はやはり「黄金の夜明け教団」や「薔薇十字団」ひいては「グノーシス」で、トマトさんの場合はそれがノストラダムスやデニケンを通じて繋がっている。おそらくトマトさんの空飛ぶ円盤研究会体験が大きいのではないですか。というか、そういう団体に関心を持ったという事実自体が、そもそもトマトさん自身の中にそういう志向性があったということだろうな、と想像します(もちろん具体的なきっかけとかは私には全く分かりません。私自身はそういう志向性はゼロなので)。
 そういうなんやかんやから、このような物語が生まれてくるんでしょうねえ。
 ついでにいえば、これはトマトさんの全作品に共通する特徴ですが、語り手である「私」の徹底的な受動性ですね。これも非常に興味ぶかい。いやいや、ヘタな精神分析になってしまいそうなのでこのへんで。楽しませて頂きました。m(__)m
 追記。最終章を読み終わって想起されたのは荒巻義雄でした。世界観が似ているんだと思います。トマトさんはあまりお好きではないみたいですけど(^^;

段野さん
>多分、版元さんの意向で、うまくことが運んだのでしょう
 すべては段野さんの書き込みから動き出したんですね(^^;


 

Re:「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 8月 4日(月)12時14分38秒
返信・引用
  管理人様
>今度の囲む会に本を持参してお願いすれば
いや、そんな奥の手があるとは。早速に覚えておきます。
>お手柄
多分、版元さんの意向で、うまくことが運んだのでしょう。
 

Re: 「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 3日(日)18時18分8秒
返信・引用 編集済
  > No.5691[元記事へ]

段野さん
>ジュンク堂さん、今度は隠し玉もあわせて、店頭に出してくださいね
 いやいや、ジュンク堂さんが隠していたのではないですよ。版元に少し残っていたのです。
 それで、版元さんが段野さんの書き込みを(たぶん)見て、倉庫に残っていたのを、ジュンク堂に回してくれることになったのです。
 お手柄ではありませんか!

>特定店配本なので、難しいかも
 大丈夫です。通常のルートじゃなく、版元さんが直接運んで来られるか、もしくはメール便で対応されるんだと思いますよ。たった4冊ですから。

>どんな文章なのか、是非とも見たいですね
 今度の囲む会に本を持参してお願いすれば、書いてもらえるじゃないですか。私はそうして頂くつもりです(^^)
 

Re:「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年 8月 3日(日)18時03分33秒
返信・引用
  ジュンク堂大阪本店では、サイン本売り切れの情報を致しました。追加があるとのこと、うらめしいです。
>文章付きのほうが圧倒的に人気がありますねえ。
そりゃそうでしょう。私も、拝めることなら、拝みたいものです。どんな文章なのか、是非とも見たいですね。自筆POPも欲しかったです。(無理だって)
ジュンク堂さん、今度は隠し玉もあわせて、店頭に出してくださいね(でも、版元の意向もあるでしょうから。この、出版芸術社さんは、特定店配本なので、難しいかも)
 

Re: 「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 3日(日)13時58分26秒
返信・引用 編集済
  > No.5689[元記事へ]

ムトウさん
 眉村さんのサイン本情報、ありがとうございました。
 八重洲ブックセンターは売り切れなのですね。東京堂書店は前回も強力にバックアップして下さり、実績もあるので、再入荷したのかもしれませんね。
 しかし、といいますか、やっぱりといいますか、文章付きのほうが圧倒的に人気がありますねえ。
 売れる事実がわかったからには、出版芸術社さんは、次回はサイン本すべてに文章を入れてもらう気満々かも。カンベンしてくれ、と眉村さんは言うでしょうね(^^;

 『なぞの転校生』をお読みになられたとのこと。
 たしかに次元ジプシー(次元放浪民)の放射能に怯える姿は、私も少し神経質だな、と、当時思ったことを思い出しました。
 しかし私自身、雨にかかったらハゲるぞ、と云われた記憶があり、私(昭和30年代生まれ)より年配の世代では、こういう感じ方は、当たり前ではないにしろ、じゅうぶん受け入れられる設定だったのだと思います。
 しかしフクシマ以降の現在読む人は、また別の意味でリアリティを感じて読むのではないでしょうかねえ。
 


 

Re: 「歳月パラパラ」のサイン本を見てきました。

 投稿者:ムトウ  投稿日:2014年 8月 3日(日)11時33分24秒
返信・引用
  > No.5647[元記事へ]

こんにちは

ムトウです。
私も昨日、ついでがあって東京堂書店を覗いて見ました。
さらに入荷したのでしょうか?
「歳月パラパラ」サイン本が10冊位置いてあったので、中身を確認しました。
文章付きのものは2冊あって、
そのうちの1冊を買いました。
八重洲ブックセンターも覗いて見ましたが。こちら見つけることが出来ませんでした。
こちらの情報、いろいろ参考にさせてもらっています。
ありがとうございました。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/mutoh/

 

チャチャヤングショートショートマガジン2号

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 3日(日)00時54分55秒
返信・引用 編集済
   例のチャチャヤング・ショートショート・マガジン2号用のショートショート、お盆まで寝かせると言っていたヤツ、副次的なアイデアを思いついたのでそれを追加していじっていたら、14枚が25枚になってしまいました。
 元作品は例によって例のごとくな起承結小説だったんですが、話が膨らんで起承転結小説に(といってもやっぱり登場人物は一人だけなんですが)。
 うーん。どうなのかなあ。長くなった分、突き刺さる直線性がなくなって、小松さんのいうオチ即ちパリノード結末に着地しちゃいました。つまり少しは小説らしくなったということですが(註。当社比)、とりあえずまた寝かせて、お盆に開けてみて、がっくりして元に戻すかも(汗)(実は創刊準備号の「冬への扉」も、一度パリノード結末にしかけて、また元に戻したのでした)
 みなさんは順調に進めておられますか? あと一か月を切りましたよ(^^;
 

眉村さん情報:双葉社サイトに眉村コーナー

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 3日(日)00時15分40秒
返信・引用 編集済
   双葉社のサイトに、眉村卓コーナーができています!→こちら
 これは見やすくて、買いやすいですねえ。ありがたや。
 ところで、このページによると、『不器用な戦士たち』は8月7日発売予定とのことです。もうしばらくお待ちを!

 

Re: 眉村さん情報:日経新聞連載

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 2日(土)21時03分13秒
返信・引用 編集済
  > No.5685[元記事へ]

トマトさん
>土日しかやっていないスーパーなんて
 それがまず胡散臭いですよね。しかしまあ付近は大阪でも人口が少ないところで、ロードサイド立地のスーパーはどこも土日集客型。つまり平日はガラガラなんです。おそらく平日だけ取り上げれば、売上利益で固定費を賄うことが難しいのは確かです。
 その意味で、土日のみ営業というコンセプトは論理的には理解できるのですが、実際的にそんなことが可能なのか、ですよね。
 日経の記事(記憶している限り)では、土日のみ営業で人件費や固定費を合理化する、というのですが、そうなると従業員はパートとなります。土日だけ勤務を希望するパートを必要なだけ確保できるでしょうか(ふつうパート希望の女性は夫や子供がいるので平日勤務を希望する)。一方社員も平日に仕入れや後方業務、土日は販売に専念……というわけですが、
 私の考えでは、客は、平日でも(買い足し的な)買い物するわけで、たまに平日行ったら閉まっていた、もしくは前を通ったら閉まっていた、では、たとえ土日に開いていて安いものがあるとしても、店まで出掛けるモチベーションは低下するんじゃないかと思いますね。
 それ以前に、やっぱりそういう形態の店は、いうならば「余裕(余地)」を削ってしまっているわけで、人手不足で何に関しても行き届かず(とりわけ並ばせる)、顧客満足を得られなかったんだと思います。
 いわば潰れるべくして潰れているのであって、日経は合理性しか見えておらず、運営の面でそれがどういう結果をもたらすか、考えてなかった(思いもつかなかった)。要するに机上で物事を考える(経験による類推が働かない)タイプが作っている新聞なのかも、と、思いましたね。

>「ラジオ番組 飯田珈琲店」
 おお、長編ではありませんか! あとでゆっくりと読ませていただきますね(^^)
 
 

Re: 眉村さん情報:日経新聞連載

 投稿者:トマト  投稿日:2014年 8月 2日(土)17時16分16秒
返信・引用
  管理人さん、しかし日経の記事一つが270円とはたかいですね!!
 ところで土日しかやっていないスーパーなんて、そんなものがあったんですか!!
個人の手作りの洋菓子店で土日しかやっていない店とか、それから普段は役所勤めの人が店主している外国産昆虫店は日曜日の午後だけそれも月に二日だけしかやっていないそうですが…。

 今日は付き合いで有名なそば屋に入りましたが、高いだけで特においしいと思いませんでした。江戸っ子はそばが好きですが、私はオムライスのほうがよかったですね。(笑)

古い本棚を大々的に掃除すると、なんかすごいものが出てきることがありますね。
うっかりすると本棚の向こうに壁に今まで存在をすっかり忘れていたドアがあったりして、そしてドアの向こうにお姉さんがいたりして…。

今まで手付かずの本棚を掃除したときのことだ。その本棚、ずっと前からそこにあった。じいさんの代から…そんな本棚にある古い本、私が読むはずもないが、しかしただずっと前からそこにあった。
 そんな本棚を大々的に掃除した。そしたら本棚の向こうから分厚くニスを塗った木製の箱が出来た。電気コードもついている。
「何だろう。」
と思ってみていると、真空管ラヂオだった。

その晩、真空管ラヂオのほこりを払てそして電源を入れてみた。ザーザーというおととともに選曲ダイアルをまわすと、NHKやTBSラジオなんがつかまる。さらにまわしてみると、突然澄んだ声で
「こんばんわ、ようこそ飯田珈琲店へ」
と聞こえてきた、妙にリアルだ。
「今宵皆さんのお相手をさせていただく飯田真澄です。よろしくお願いします。」
その声に私は引きつかれた。コレは普通のラジオじゃないと…。
 つづきはこっちです↓
(^_^;)(^_^;)(^_^;)(>_<)(*^^*)(^_^;)(-""-;)

http://porcini.web.fc2.com/2014_07_31.html

 

眉村さん情報:日経新聞連載

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 2日(土)13時21分14秒
返信・引用 編集済
   昨日の日本経済新聞夕刊に、眉村卓さんの連載エッセイ第5回目が掲載されました。タイトルは「現実と荒唐無稽」。
 
 いちおう日経に敬意を表してこういう写真にしました。
 ところが、今検索して気がついたのですが、日経、「あすへの話題」を単品で販売しているではありませんか→ここ
 登録しなければ読めないことは分かっていましたが、登録さえすれば無料で読めるものだと思っていました。なんと一本270円も取るのか!
 眉村さんや他の寄稿者の記事が、270円の価値がないと言っているのではないですよ。ただ夕刊なら一面から最終面まで、一切合切で60円なんですよね。それが一本270円。これを「ぼる」と云わずに何と言う。
 ということで、柄にもなく正義の感情がふつふつと沸き上がってきましたので、こういうことをしてみました。上の画像をクリックしてみてください。全文が読める画像に移行します(いやまあ、こういうこともできるようになったぞ、と示したいだけなんですけどね。理由はあとづけ)(^^;

 しかし私、かれこれ二十年くらい、日経を信用しなくなって久しいのも事実でして、当地の近所に土日だけ営業するという形態のスーパーができ、それを日経が記事で取り上げ、効率性やらなにやら専門的見地から大絶賛したので、私も見学に行ってみたのでしたが、昔の万代みたいな形態とどこが違うのかと、首をひねったのでした。案の定一年持つか持たずかで潰れ、それから数年間廃墟のような残骸を晒していました。ところが日経、そんな事実はちっとも報道しないんですよね。経済の権威紙である日経がその形態を良しとしたスーパーが潰れたら、それは日経にとっても汚点になるはずで、それに対する点検記事があってあたりまえじゃないですか。それを全く何もなかったかの顔をして(つぶれたという事実の報道も多分せず)、同じような新業態提灯記事を次から次へと書き続けているのが日経なのです。今から思うと土日だけ営業する当のスーパーの記事も、お金を頂いての提灯持ち記事だったのだろうなあ、と気づくのですが、大半の日経読者は、そんな記事をありがたく読み、経営の参考にし、中には土日営業スーパーを立ち上げてあえなく敗退していった人もいるかもしれないんですよねえ(日経に云わせれば潰すのも伸ばすのも自己責任なんでしょうな)(ーー;。
 

眉村さん情報:双葉文庫から『不器用な戦士たち』が!

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 8月 1日(金)21時44分32秒
返信・引用
   眉村卓さんの新刊『不器用な戦士たち』(双葉文庫)を、著者代送で版元様より落掌。ありがとうございました。
『不器用な戦士たち』は作品集。《小説現代》に79年から83年にかけて発表された短編を収録。83年講談社より単行本、87年講談社文庫化されました。今回は27年ぶりの再文庫化です。
 いま読んでいる『プリティ・モンスターズ』を読み終わったら、早速着手することにします(^^)

 




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