ヘリコニア過去ログ1410

キラー・カーン物語

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月31日(金)22時20分37秒
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   プロレス・レジェンド再探訪「キラー・カーン物語」(読売ONLINE)
 伝説のアンドレ足折り戦…キラー・カーン<1>(2014年10月27日)
 「モンゴルの怪人」誕生…キラー・カーン<2>(2014年10月28日)
 ブロディにニードロップ教える…キラー・カーン<3>(2014年10月29日)
 長州らと新日本を電撃離脱…キラー・カーン<4>(2014年10月30日)
 ホーガンに引退とめられたが…キラー・カーン<5>(2014年10月31日)

 私は新日時代しか知りませんが、長州の次に好きなレスラーでしたねえ。テレビで見る姿だけの印象ですが、多分素顔は優しい人なんだろうなあと思っていました。本連載で、他のレスラーとの交友関係を読み、やっぱり好かれる性格だったんだな、と納得。
 ただ長州とは、当連載によれば、あんまり上手く行かなかったみたいですね。ですから新日時代の革命軍の話はゼロ。一番読みたかったところなのですが(^^;
 長州は、これもテレビの印象ですが、ビンビンにとんがった性格で、目的のためには手段を選ばずというところがあったんでしょうね。それもまた魅力でありました。猪木もたぶん同じような性格だったのではないか。そう考えると、キラー・カーンは馬場や木村と似た性格で(これも印象)、全日本のほうが向いていたのかも、と思いました。

 ということで、ようやく『無明』に着手。50頁まで。これはなかなか難物の予感。

 






 

「18時の音楽浴」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月31日(金)01時21分22秒
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   海野十三『18時の音楽浴』(ハヤカワSFシリーズ、65)読了。

 と書いては半分虚偽になるかも。実は青空文庫収録作品で読んだのでした。とはいえ、青空文庫は同書を底本としているので、まったく虚偽というわけでもありません。半分は正しいといって良いのであります(^^;
 ところで私は、基本的に自宅では本を読まないので(但し平日)、むしろ読めないというべきか、その意味でPCで読む青空文庫はいささか使い勝手が悪く、まず利用しないのですが、今回ふと思いついて、青空文庫をポメラにダウンロードしてみました。
 そもそもポメラは、(家ではなかなか書けないため)外で機動的に小説を書きたいな、と思って購入したのですけれど、結局、まったくの宝の持ち腐れになってしまっていて、なんとか使い道がないものかな、とつねづね思っていたところ、数日前、まさに天啓のように上の使用法がひらめき、ものはためしとやってみたのでした。
 いや、結果は大成功、意外に読書にも使えることが判明しました。たぶん分厚い文庫本より軽いです。片手でももてます。が、電子リーダーと違って改ページ機能はないので、頻繁にカチカチとスクロールしなければなりません。したがって左手で持ち、右手を軽く添えてスクロールするという姿勢になりますが、それはすぐに慣れました。ただバックライトがありませんから、暗いところや、寝転がっては読めないのが不便ではあります(もっとも外出中に寝転がって読むような状況はあまり考えられません。電子リーダーのように歩き読みもできませんが、私の場合はほぼ喫茶店での読書なので問題なし)。
 それから、これは良し悪しなんですが、画面が小さい分(20文字x12行)、写真を撮るように全体が一望のもとに認識されるので、読書のスピードはかなり上がりました。その意味では軽い読書向きですね。何度も戻って確認しなければならない本格ミステリやSFには不向きだと思われます。たまたま、今回DLしてみた海野十三は、まあ戻って確認する必要はない作風ですから、ちょうどよかったです(^^;

 ということで本題。
 海野十三は、一冊まるまる読んだというのは今回が初めて。これまでは、おそらく何かのアンソロジーに入ったのを数編読んでいるだけで、タイトルも内容も覚えていません。「ゆるい!」というイメージだけ残っています。基本的に私の趣味と合わなかったんですね。その後、旭堂南湖さんが帆村荘六ものを講談に仕立てたのを聴いて、ようやく海野の「ねらい」が「判った」かな、と思った記憶があります。しかしそれでもまだ私は、海野十三を、戦前の変格探偵小説作家と同類項に分類していたように思います。
 で、今回読んだのは、純然たる「科学小説」! 変格探偵小説とは画然と違うことを知りました。合理精神、科学的思考が生み出した、まさに現代SFに繋がる科学小説なのでした。変格探偵小説は「猟奇」小説と言い換えられると思います。猟奇とはすなわち当の対象を「奇なるもの」、「正常」ではないものという座標において捉えているわけです。海野も、たとえば「生きている腸」は、人間の「腸」を「自生」できるように改変してペットにする話ですし、表題作では今で言う性同一性障害と性転換が扱われています。他でも人体改変は至る所に登場します。が「猟奇」としてではありません。中立的(没価値的)です。それはある意味非常に現代的なセンスで、私はむしろサイバーパンクの人体改変と同じ志向性を感じました。上に海野科学小説は現代SFに繋がると書きましたが、既に同時代の英米にSF(ポストスペオペ)は存在しており(ラインスターやデルレイやヴォークト)、それらと同列の作品といって間違いではないでしょう。
 とりわけ「第五氷期」は「日本沈没」にまさるともおとらぬアイデアで、地殻変動による世界同時噴火で地球が寒冷化するというシナリオは、最初の前提こそありえそうにないですが(それをいうなら「日本沈没」の最初の前提もありえそうにないです)、それから回っていく論理は現在でも通用するものです。
 表題作も、書かれたのが昭和12年というのが本当にびっくりで、他の収録作品もすべて下記のとおり昭和10年から17年と、まさに日華事変直前から太平洋戦争に拡大した直後の時期。いわゆる「統制」が徐々に国民を締め付けていく時代なのです。そんな時代そんな状況下で、このようなディストピアを想像し得たところがすごい*(「すばらしい新世界」のわずか5年後です)。著者は戦争協力者めいたイメージがあったのですが、おそらく本心は違っていたんだろうな、ということを感じました。たとえば「軍用鮫」ですが、中国軍の話となってはいますが、それは方便であり日本軍に置換可能なわけで、当時の世相への(のみならず現日本にも通用する)巧妙な批判になっています。「まずその恐るべき、偉大な効果を語らずして、その軍船の国籍を論ずるなんて、きゃつも科学のわからんやつじゃ」
 あと興味深く読んだのは、多くの作品に「火星人」が登場することで、「宇宙戦争」の例にみられるように、当時の天文学は火星人の存在を肯定はしないにしろ否定していなかったんですよね。そんな時代性が、いま読むとスチームパンク的な情景になっていて、その点も大変よい。ああ、もっと早く読んでおけばよかった。と、後悔しきりなのでありました(^^;
*アリシアやアリシロとか、出てくる地名(区域名?)にすべて「アリ」がついているのは、「蟻」からの連想に違いありません。


「生きている腸」 (昭和13年)
「宇宙女囚第一号」 (昭和13年)
「第五氷河期」 (昭和17年)
「十八時の音楽浴」 (昭和12年)
「放送された遺言」 (昭和2年)
「ある宇宙塵の秘密」 (昭和10年)
「軍用鮫」(昭和12年)
「千年後の世界」 (昭和14年)
「特許多腕人間方式」 (昭和16年)
「地球を狙う者」 (昭和13年)

 なお、せっかくなので、ダウンロードしたテキストを、先日ワードに組んだハヤカワSFシリーズのフォーマットに流し込んでみました。約200頁。これでいつでも、贋ハヤカワSFシリーズとして製本しようと思えば可能となりました。でもあとで気づいたのですが、マーケットプレイスで本体価格300円弱で安く手に入りますし、キンドル版は無料じゃないですか! 製本の意味なし。そこでPDFにしてしネットに上げようとしたのですが、3MBあり、私が使っているフリーのFTP(2MBが限度)では無理でした。残念。

 

Re: 贋HSFS

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月30日(木)13時42分15秒
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  > No.5916[元記事へ]

段野さん
>こんなんがあるから、「関西人は阪神」と思われているのかも。
 逆かも。「関西人は阪神」と、関西人がデフォルトで思っているから、スポーツ紙(の関西版)は阪神記事で誌面を埋めるのではないでしょうか。

>期待、大ですね
 思いつきなので、と言うか無意識の命ずるままに動いているだけで、何をしたいのか自分でもよくわかっていません、あまり期待しないようにお願いします。

 

Re:贋HSFS

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年10月30日(木)13時33分43秒
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  管理人様
>昨日も調子に乗って、こんなの作っていました
いやあ、おもしろいですねえ。これが「仮」とは、いや、本番はもっとおもしろいかもですね。期待、大ですね。
阪神といえば、今日の新聞、見開き1ページプラスまたもや半面にどっと載っていましたね。スポーツ紙などは、全ページが阪神一色(ちゃんと、別記事もあったが)みたいでした。こんなんがあるから、「関西人は阪神」と思われているのかも。関西を離れる時は十分に注意することにしました。(なんでやねん)
 

Re: 贋HSFS

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月29日(水)18時09分23秒
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  > No.5913[元記事へ]

段野さん
>こちらが阪神ファンと思い込んででもいるのでしょうか
 そうそう。関西人はみんな阪神ファンだと決めつけてますよねえ。

 ダイソーに適当なのがあるよ、と、昨日の投稿を見られた方が教えて下さったので(いやまあ高井さんですけど(^^;)行ってきました。残念ながら近所のダイソーにはありませんでした。もっと品揃えの豊富な、大きな店舗に行かないといけなかったようです。懸案事項とします。

 昨日も調子に乗って、こんなの作っていました。但し全部仮のタイトルや団体名ですので念のため(^^;。

  


 

Re:畸人郷読書会に参加する(拾遺)

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年10月29日(水)13時14分48秒
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  管理人様
>阪神ばなし
ここ数日、関西を離れていました。列車に乗っていて、私が大阪人(厳密には違いますが、まあ大阪圏内)と分かると、とたんに阪神ばなしが出て来るのです。こちらが阪神ファンと思い込んででもいるのでしょうか、昨日はどうだったとか、いろいろ。大阪人は、全員阪神ファンだとの刷り込みができているかのようでした。参りました。(付け加えておきましたが、他球団のファンもいますよ、と)あな、おそろしや。
>天地小口の染色
製本業者を知っていたなら、お教えできたかも知れないですが、やはり、専門の業者がこういうことは、お得意だとは思いますが。
 

贋HSFS

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月28日(火)21時34分6秒
返信・引用 編集済
   昨夜、ふと思い立ってワードでこんなことできないかな、といろいろ試行錯誤していたら、気がつけば午前3時でした(汗)
 いったい何をやっていたのか。ハヤカワSFシリーズの判型で同人誌製作可能かどうか、つまりあの縦長変型に、大体同じ行数文字数を入れられるかを試していたのです。*
 結論としては、できそうです(ワードのキチキチ限界ですが)! 下の画像参照。
 夫れSF創作を志したる者で、ハヤカワSFシリーズに自作が収録される夢を見なかった者はおそらくいないんじゃないでしょうか。
 それが、まがい物とは言い条、どうやら実現できそうなのです! なさけなや(ーー;(>おい)(^^;
 問題は表紙で、光沢のあるコート紙を使ってみたいと考えているのですが、画用紙程度の厚みのあるコート紙なんて市販しているんでしょうか。オリジナルのHSFSとは違ってしまいますが、コピー紙程度の厚みのコート紙(それは見つけました)を、表紙カバーとして使う手もあるかな、とも。
 で、一体私は何をやりたいのでしょう?
 ま、今度の眉村先生を囲む会(いまスケジュール調整して頂いている最中です。しばしお待ちを)で、みなさんに何かお願いするかも。そのときはどうかよろしくです(^^;

*おかげで行間調整とか字間調整できることがわかった(て言うか知らなかったほうが問題ですね。このスキルは、チャチャヤング・ショートショート・マガジン次号で存分に駆使したいと思います)。
後記。そういえば天地小口の染色は、あれは何を塗っているのか。あんなもの市販してるのでしょうか。
   クリックで拡大↓
 

Re: 畸人郷読書会に参加する(拾遺)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月27日(月)22時14分0秒
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  > No.5911[元記事へ]

高井さん
>SFやミステリに強い古本屋に行けば
 ああ、私のいう意味の古本屋は、ほぼブックオフと等しいです。いわれているような古書店に行くことは、もうめったにないですね。

>私と逆ですね。スペオペや軽SF、最優先
 わかります。それは「字宙塵」の評論が証明していますね(^^;
 

Re: 畸人郷読書会に参加する(拾遺)

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年10月27日(月)09時42分48秒
返信・引用
  > No.5910[元記事へ]

>  緑の太陽も、高井さんのおすすめでとりあえず第1巻を購読したのでしたね。
 あ。そういえば、そんなこともあったような。
> これまた面白くて、続巻も見かけたら購入というスタンスで探していますが、やはりなかなか見つかりませんねえ。
 そうなんですか。SFやミステリに強い古本屋に行けば、簡単に揃いそうな気もしますが、どうなんでしょうね。プレミアがつくような本ではないと思いますし。

>  というか、学生の頃は購入するのにも読む時間にも限度がありました。どうしても当時の最先端的なのを優先してしまい、スペオペや軽SFは後回しにした結果、
 あはは。私と逆ですね。スペオペや軽SF、最優先(笑)。
 

Re: 畸人郷読書会に参加する(拾遺)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月27日(月)00時19分32秒
返信・引用 編集済
  > No.5909[元記事へ]

高井さん
 ゾンガーシリーズはたまたま手に入れた第2巻を読んで、面白かったので他の巻も探していたのですが、全く(私の条件では)見つけられずでした。なので、野村さんのお話はまさに渡りに舟でした。楽しみです!
 緑の太陽も、高井さんのおすすめでとりあえず第1巻を購読したのでしたね。これまた面白くて、続巻も見かけたら購入というスタンスで探していますが、やはりなかなか見つかりませんねえ。

>この時代にゾンガー読むのって
 というか、学生の頃は購入するのにも読む時間にも限度がありました。どうしても当時の最先端的なのを優先してしまい、スペオペや軽SFは後回しにした結果、結局未入手未読になってしまっているのが多いのですね。それでこの歳になって昔の恨みを晴らしているわけです(^^ゞ
 

Re: 畸人郷読書会に参加する(拾遺)

 投稿者:高井 信  投稿日:2014年10月26日(日)22時38分22秒
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  > No.5908[元記事へ]

>  あ、そうそう、うみねこ堂書林の野村さんと話していたときに、『レムリアン・サーガ』全巻揃いが手に入ったという話になって、わたくし、即座に取り置きをお願いしてしまいました(^^;。
 おお、レムリアン・サーガ! ゾンガーですね。これ、面白かったですよ。リン・カーターはバローズの亜流として最高峰だと思っています。緑の太陽シリーズなんて、もろにバローズ。
 しかし、この時代にゾンガー読むのって、管理人さんくらいかも(笑)。
> いや、古書店主が知り合いにいると便利ですなあ。
 同感同感。私もいろんな古書店主に、あれこれお世話になっています。

 

畸人郷読書会に参加する(拾遺)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月26日(日)22時01分37秒
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  > No.5907[元記事へ]

 承前。阪神ばなしの続きですが、昨夜の大阪は異様でしたね。読書会の最中にも、ときどきスマホで試合経過をチェックする人がいたのですが、二次会へぞろぞろ移動の途中でもチェックしていて、「あ、5点入った」とか何とか呟いたのでした。私たちも、へえ〜、とか一瞬盛り上がったその瞬間、丁度すれ違っていく人がいて、もちろん見ず知らずの人ですが、私たちの会話が耳に入ってきたのでしょう、「えっ、ほんまですか。何点ですか」と声をかけてきたのでした。瞬間的に阪神ばなしとわかったんでしょうね。いや恐ろしい。この時期は、大阪じゅうが阪神で一枚岩に団結してしまっているのではないか。阪神批判はこの掲示板だけにしておくのが安全みたいです(^^;

 あ、そうそう、うみねこ堂書林の野村さんと話していたときに、『レムリアン・サーガ』全巻揃いが手に入ったという話になって、わたくし、即座に取り置きをお願いしてしまいました(^^;。いや、古書店主が知り合いにいると便利ですなあ。

 ということで二次会でも大いに盛り上がり、最寄り駅に帰り着いたのは0時20分。コンビニに寄ったりしていたら帰宅は1時前になってしまいました。ああ楽しかった。来月の課題は柴錬『幽霊紳士』です。お疲れ様でした。
 

畸人郷読書会に参加する(後編)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月26日(日)17時21分50秒
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   承前。ということで『鋼鉄都市』ですが、おおむね好評で、ただしまったくSFなど(そしてサブカルやオタクも)知らない(初対面の)人がいて、ロボット三原則の知識がなく、最初戸惑ったそうです(途中で解説があるのですが)。走路もイメージできなかったらしい。さもありなん。
 60年前の作品なのに、その現代に通じる社会観(私がこれまで述べてきたような)は、他のみなさんも同意見でした。
 それと、(半分以上は再読の方だったのですが)初読時は気づかなかったのだけれども、アシモフのニューヨーカー的な、ソフィスティケイテッドでシニックなセンス、ある意味スノビッシュな点(これは本格の要件かも)が、再読でわかって面白かったとのこと。
 たとえばベイリが三度も「犯人はお前だ」をしてことごとく外れる筋立ては、20年代本格のパターンをなぞったパロディ。独断専行で捜査を進める仕方はハードボイルドのパロディ。家族問題や同僚関係が出てくるのは警察小説のパロディ、いやこれは先駆けか(87分署は56年開始)。
 あと、解説の福島正実も書いていますが、30年代、40年代の宇宙小説における地球(太陽系)の絶対的地位が貶められていること(銀河帝国シリーズも含めて)(^^;。これなんぞニューウェーブの先取りで、当時の山野浩一の批評(NW-SFにはアシモフは載りません)は、戦略的には分かるのですが、いささか早とちりだったな、と今は思います。
 さらにスペオペや40年代のヴォークト、ラインスターあたりの書き方も含めてアクション主体だったSFのパターンを倒立させるノンアクション小説である点も、今から考えると、当時の(新しい)読者には新鮮だったんだろうな、と納得するのです。
 これらの要素は全て、アシモフが「大人」の作家だったことの証明で、それは取りも直さずアメリカの読者の成熟の反映でもあるわけです。*
 一方、日本での受容はどうだったのかといいますと、日本の読者の平均年齢はアメリカ読者のそれより明らかに10年以上低かったはずです。しかも日本では60年代後半から爆発的に若者の参入で膨張します。そのような日本の状況で、アシモフのソフィスティケイテッドな大人の部分は理解されなかったはずです。それは本読書会で、『鋼鉄都市』がこんな小説だったとは、初読では読めてなかったという感想が傍証すると思います。だからどこを評価されたかというと、そのロボット三原則のようなパズル的な部分のみで、逆にその観点から山野浩一の批判もなされている(銀河帝国をパロディだと取らずにマジとして読んでしまっている)。現時点での一般的なアシモフ理解は、とうぜん現在の主要読者が10代〜20代の頃の読後感を引きずっているはずで、それが現在のアシモフに対する「生温かいまなざし」に決着しているわけです。
 本書を読んで、私はアシモフは過小に評価されているなあ、とつくづく思いました。

*それからこれは指摘されて初めて気づいたのですが、ラストのダニールの言葉「行け、二度と罪を犯すな!」は、272頁の聖書の文句で、その時点でロボットであるダニールには理解できなかった言葉です。これを言わせるのも皮肉ですねえ(^^;。127頁の「するときみは創造者をモデルに作られたのか?」も、英米読者ならにやりとするところですよねえ(^^;

 次にミステリとしてみた場合の本書ですが、上述のとおり本格ミステリの形式をきちんと踏襲しており、たしかに「本格ミステリ」の範疇に入る作品であるとのことです。
 ただし結末が(見せ方も含めて)弱い。それは犯人を物的証拠で追い込みきってないからで、ある意味犯人はのらりくらりと逃げ切れる可能性が残っている点です。たしかに物証のガラスの破片が写真に残されていますが、それが本当に犯人のものと同定できるのか。これはダニールによる脳波検査を物的証拠と(小説内の論理はそうなんですが)、読者として認めることができるかという点で、いずれにせよもう少しはっきり具体的に、読者が納得できるよう書き込まなければならなかったのではないか、という意見でした。(後註)248頁に「この点にかけては、わたしは非常に精密な機械です」という記述が。いや作者はおさおさ怠りがありません(^^;
 実は私も結末が不満で、それは犯行の際、ダニールはどこにいたのかという点です。もし同室していたのなら、その瞬間に気づいていたはずではないかと思ったんですよね。ダニールと被害者が同室に住んでいたという記述があったように記憶していたからなんですが、それを述べますと、そんな記述あったっけ、と複数の方に言われたので引っ込めたのでした。しかしやはり気になったので、確認したところ、338頁に「ぼくの想像では、きみはサートン博士と一緒に暮していたんだろう。ダニール」/ロボットはうなずいた。「まったくそのとおりです」とありました!
 そうならば、犯行の瞬間にダニールが気づかなかったのは、明らかに瑕瑾ではないでしょうか。わたいなんぞ読み違いしとりまっか(^^;。いやいやこうこうこういうことだ、とご教示いただけると幸甚であります(>鬼の首を取ったような言いよう)(^^ゞ

 ということでアイザック・アシモフ『鋼鉄都市』福島正実訳(ハヤカワ文庫79、元版59、原書53)読了。本格ミステリでもありますが(但し私が間違ってなければやや難あり)、寧ろいまの時代こそ読まれるべきSF小説の傑作でした!
 

Re: 畸人郷読書会に参加する(前編)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月26日(日)17時05分18秒
返信・引用 編集済
  > No.5905[元記事へ]

トマトさん
>陰毛宇宙と朝露薫
 そこに反応しますか!(爆笑←1人ですけど)おい(^^;

雫石さん
>焼売たろうという中華料理屋
 あ、その店が下で言及した中華料理店のことです。私は行ったことがありません。しかし、と言うことは昔からあった店なんですね。
 そうしますと、もしこのお店が70年代後半に存在していたのなら、私が利用した喫茶店(紅茶専門店だったかも)は、その隣の定食屋の場所にあったことが、論理的に確定します(^^;

 ところで雫石さん。これは昨日の会でも力説し、賛同も得たのですが、打点王と首位打者とセーブ王と最多勝投手と最優秀中継ぎ投手を擁したチームが、なぜ首位から7ゲームも離されて2位だったんでしょうか。答えは言わずもがなですよね。唯一の功績は福留さんを見捨てなかったことだけでは?(あと藤浪を引き当てたこと) 暗君が一転名君は解せません。今年はいいのです。しかし現体制継続はきっと来季に禍根を残すは必定では(^^ゞ

 

Re: 畸人郷読書会に参加する(前編)

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2014年10月26日(日)15時55分19秒
返信・引用
  > No.5903[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

泉の広場ですか。神戸人の私は最近は、あのへんはあまり行く機会がありませんね。
あそこに焼売たろうという中華料理屋があったでしょう。安くておいしく、お勧めの店です。
私は若いころ、コピーライター養成講座に通ってました。この焼売たろうで夕食を食べて、とがの町の電子会館の会場へ行ってました。この電子会館から新御堂を越したあたりに、確か眉村さんが勤めていた、会社のあった宇治電ビルがあったと記憶します。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

陰毛宇宙と朝露薫

 投稿者:トマト  投稿日:2014年10月26日(日)14時07分42秒
返信・引用 編集済
  お久しぶりです。町はハロウィンですね・・・。


エボラとイスラム過激派という外患内憂でオハナシどころじゃない状態が続きましたが、(現在進行形ですが・・・)
陰毛宇宙、朝露薫というの見て、霞ヶ関の合同庁舎にある東京地裁にいたカメオがステキな女子事務員の陰毛を連想しました。(あのカメオの女子事務員、朝露薫っていう名前っぽい)
公判合間の休み時間、東京地裁の朝露薫さんと日比谷公園内のカレー屋で食事したいと思っている人は多いでしょう。SFでなんとかならないものですかね・・・。ついでに午後からの公判はみんな中止になってそのまま朝露薫さんとラブホへと直行なんて・・・。

古いパソコン内を探検していたら駄作ミディが出てきました。
サザンロック風第九、カントリー&ウエスタン風牧場の朝です。拡張子をjpgにしてあります。(アップ出来ませんでした。)

ちなみに元東京地裁事務官である朝露薫嬢がオリオン座立リゲル中学校生徒であった頃を彷彿させる写真も見つかりました。

ミルクシティ・・・いいですね・・・ミルクちゃんを思い出します。

http://porcini.web.fc2.com/nekocat000.html

 

畸人郷読書会に参加する(前編)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月26日(日)13時53分49秒
返信・引用 編集済
   承前。昨日は畸人郷読書会に参加してきました。課題の『鋼鉄都市』は移動の車中で読了。読みきれなかった場合は喫茶店ででもと少し早めに出発していたので、集合時間まで少々余裕ができました。
 そこでふと東ウメチカを散策しようというアイデアが浮かび、というのは読書会の場所が西ウメチカだったからで、とりあえず曽根崎警察前の地下街交差点に立った。
 と、そこで小用を足したくなり、そういうときは旭屋本店ビル北隣の梅田第一ビルの地下街フロアのトイレを利用していたのですが、いまは両ビルともなく、入り口も塞がれています。
 はてどうしたものか、と次に浮かんだのが、なぜか泉の広場のトイレ。ウメチカの東の突き当りであります。なるほど無意識はそっちへ行きたいと望んでいるのか。ならばということで、イーストモールへと向かう。
 あとで調べて仰天。今は、東は泉の広場、北はヘップファイブの入口辺りまで(ノースモール。かつてのプチシャンゼリゼ)までホワイティなんですね。私はサウスモールとウェストモールをホワイティと理解していました。昔からそうだったんでしょうか。これはざっと調べた限りでは分かりませんでした。
 イーストモール(という言い方も馴染みませんが)を通るのも数年ぶり。昔は富国生命ビルに曲がることはよくありましたが富国生命ビルも様変わりして、変に上品ぶった感じになってしまい、それからは行っていません。
 このモールで私の目になじみのあるのは、もはや英国屋くらいではないでしょうか。この英国屋の隣にもかつて喫茶店があって、そこは通路に面した窓が低くなっており(店内も一段低くなっていたかどうかは忘れた)、ミニスカート全盛期の70年頃、それが目的で通う人もいたようです。見えるはずがないのですけどね。たまに集団で行きましたけどね。馬鹿ですねえ(^^;。
 面白いことに、奥へ進むにつれて通行人の服装が粗末にアワワもとい庶民的になっていくのです。わずか200m位の通路なのに。これは実に興味ぶかい(たぶん東通商店街も同じ)。もし泉の広場で突き当たらずもっと進んでいけたら、いつか戦後の風景が現出してくるのではないか(>眉村さんかい)(^^;
 トイレで用を足し、さてこれからどうしようと時計を見ると、まだ少し時間があります。少し腹をふくらませておこうかと、泉の広場の突き当りに向かって左手のごく短い通路の方へ。この通路はまさに十数年ぶり。この通路に学生時代よく利用した喫茶店があったんですが、その場所もいまは定食屋か中華料理店かのどっちかになってしまっています。
 福島上等カレーというカレー店があり、「福島」にひかれて入る。本店が福島区なんでしょうか。それとも福島県? 550円の「カレー」を食しました。おいしかった。
 というころで、腹もくちくなったので、西ウメチカ目指してふたたびオデッセイへと旅立つのでありました。
 マクラのつもりが長くなってしまいました。休憩して本題に入ります。
 

眉村さん情報:日経連載第17回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月25日(土)15時15分16秒
返信・引用
  眉村卓さんの日経新聞連載エッセイ、その第17回「記憶と変貌」が、昨日(10/24)の夕刊に掲載されました。
 クリックで全文

『鋼鉄都市』は315頁まで。残り(30頁)は電車の中で。ということでそろそろ準備して出発します。


 

「鋼鉄都市」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月25日(土)00時38分21秒
返信・引用
  > No.5900[元記事へ]

承前『鋼鉄都市』は270頁。明日の読書会開始までには、何とか読み終わりそう。
 しかしアシモフが好き、なんていうと、大抵のSFファンは生温かい微笑になると思うのですが(若い頃の私もそうでした)、それはまったく間違っていますね。少なくとも本書は、この21世紀のいま読むべき小説といえます(ということはつまり「時代」の制約を越えた、古びない、真の「小説」であるということです)。
 「ぼくは復古主義者になる人間のタイプを知っている。彼らは夢想家なのだ。地球の生活があまりに辛いために、一度も実在したことのない過去の理想世界に夢中になっている、めめしい夢想家にすぎないのだ」(250p)
「”頽廃的”って言葉は彼女のお得意の言葉だったわ」(261p)「シティができる前はなにごともうまくいっていたといって」(260p)
 まさにそんなものはなかった過去を美化するあべっちの美しい国日本ではありませんか。過去のニッポンは、従軍慰安婦を強制連行しなかったし日本軍は規律のとれた軍隊で試し斬りも略奪も強姦もしなかった。私は、重慶で強姦もしたし新兵に肝試しで現地人を銃で撃つことを強制もした(と告白した)人を知っていますが、先年亡くなってしまいました。そういうことを知っている人がどんどん死んでいった頃から修正史観が幅を利かせ始めたように思います。
 話が逸れました。
 かといって主人公ベイリは、R・ダニールや(ネオリベを擬人化した)宇宙人のように、合理でスパッと割り切ることはできません。「お言葉は意味どおりには受けとれません」「あなたは、あんまり突然に、いまの意見に変わったからです」(250p)。無意識に抑圧され、不愉快なことは見たくない。このままでは地球は緩慢に死を迎えることは確実なのに、「なんとなく」このまま続いていけるような根拠のない希望にしがみついている面があります。「どうにかやっていけます」(160p)「そんなことにはなりませんよ。少なくとも、いままではならなかった」(161p)
「ウラニウムを使いはたしてしまったって」とノリス。「太陽熱が利用できる。こいつはなん十億年間ももつんだ」。しかし現実には指向性ビームを作ることが不可能なんです。それでもノリスはいう。「必要になればなんとかなるさ」(244p)
 アシモフは、そんな人間のねーんげん的な部分を一概に否定しません。市民を最下層まで降等することで植民者を生み出すなんてのは、まさにネオリベの理屈ですし、ファストルフ博士が言うように宇宙国家にも別種の問題があると設定されています。
 実によく考えられていると思います。

 

「鋼鉄都市」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月23日(木)00時12分34秒
返信・引用 編集済
   『無明』に戻るつもりだったのですが、今週土曜日開催の畸人郷読書会が『鋼鉄都市』であることを知り、それは参加しなければ私の存在理由がない(^^;というわけで、急遽、読み始めました。80頁まで。
 79年3月31日発行のハヤカワ文庫版初版で、記録によれば同年6月25日(月)に旭屋書店の今はもうない天王寺アポロ店にて購入しています。この頃は丁度読了記録をつけていなかった時期で詳細は分かりませんが、おそらく数日以内に読了したはずですから、35年ぶりの再読です。
 読み始めてびっくり。この鋼鉄都市たるニューヨークシティは、まるでわが21世紀のニッポンさながらではありませんか。高度なロボット文明を携えて地球に戻ってきた宇宙人(宇宙に進出した元地球人)の指導でロボットが労働の現場に進出し、人間は知的な職場から徐々に追い出されていきます。その結果人間は、格下げされたという劣等感に苛まれ、ロボットに(というか元来は宇宙人に)反感を募らせ、事あるごとにロボットを不満の捌け口にしてその憎悪をぶつけています。
 ところが、その一方で地球人は権威を受け入れるように教育されているので、ちょっと強く出られたらしゅんとなって、責任のがれして逃げ出す。
 しかも超過密的な環境のなせるところか、人間同士の、隣人とのトラブルには過敏で、他人と違ったことは出来るだけせず、目立たず「皆と同じ」をモットーに右へならえの生活をしているのです。
 いやーこれって、まさに現代ニッポンじゃありませんか。最近の韓国人中国人への態度なぞ、本書のロボットに対する態度と根は同じに見えます(さしづめ宇宙人はグローバリズム化に対応するかも)。
 本書の初刊は1953年ですから61年前。その頃にアシモフは既に、21世紀ニッポンのかく在ることを予見していたのでしょうか!?
 だとしたらすごいことですが、多分そうではないでしょう。おそらくアシモフは、純粋に人口過密なディストピアを想像力で出現させただけなんです。その61年前に想像された、ある意味実にわかりやすいディストピアに向かって、わがニッポンが自ら近寄り寄り添い重なっていったというだけの話でしょう。面白い面白い。いや面白がっている場合ではありませんが(笑)。

 

『字宙塵』

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月22日(水)19時04分46秒
返信・引用 編集済
   空想科学小説専門誌『字宙塵』10月創刊号と2種の自家製文庫本を拝領しました。ありがとうございました。
 あの、超有名な『字宙塵』ですよ! しかもこの10月に創刊されたばかり、出来たてのほやほやの同人誌です。
 ショートショート5編(うち翻訳1編)、評論2編、コラム1編とバラエティにとんでいますが、掲載作品に共通して言えるのはその内容の若々しいこと。
 それもそのはずで、たとえば森下さんという方は21歳、北原さんは19歳、中村さんは20歳、岡田さんは23歳、そして高井さんと風雅さんという方はなんと17歳。高校生です!
 つまり高校生と大学生が作った同人誌というわけ。
 いまでこそ同人誌といいますと、年寄りが昔とった杵柄で、懐旧の念にかられて作るものですが、その昔、1970年代前後は、まさに中高大生が表現の場所を求めて作ったのでした。
 本字宙塵の誌面には、そんな時代の息吹がなぜか感じられます。
「ミルクシティ」など、思春期の瑞々しさというよりも生々しさ、栗の花めいた生臭さが臭ってくるようで、将来、中上健次みたいな小説を書く人なのかな、と思ってしまいました。「大衆小説を読む」は、高校二年生のくせに(!)既に古い伝奇ロマンの系譜をずいぶん読み込んでおられるようで、その直進的バイタリティの熱気に当てられてしまいます。朝露薫って、筆名からして、もわっと思春期が匂いますね(笑)
 読み終わって、あー自分にもこんな時代があったなあ、と、結局、懐旧にふけってしまいました(^^;



 

Re: ありがとうございます

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月22日(水)18時30分45秒
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  > No.5897[元記事へ]

大江さん
>私は39歳なので、チャチャヤンは聞けませんでした
 おお、39歳でこの文体ですか! もう少し年齢を上に想像していました。日々研鑽されていることがよくわかります。

>『詩小説』はぼちぼち更新していくつもりですので、もしよろしければ、また読んでいただければ幸いです
 楽しみにお待ちしています(^^)

 

ありがとうございます

 投稿者:大江友仁  投稿日:2014年10月22日(水)09時54分12秒
返信・引用
  > No.5895[元記事へ]

お忙しいところお読み下さり、しかも丁寧な感想まで頂いて、誠にありがとうございます。
私の周りには読んでくれる人がまったくいないものですから、このように感想をいただけると、やる気が出ます。そして、少しは作品を気に入って頂けたようで、安心しました。一人で書いていると、どこに向かって走っているのか、よく分からなくなってしまうので…f^_^;)

「抜き身」のご指摘、ありがとうございます。お恥ずかしい間違いです。訂正しておきます。

私は39歳なので、チャチャヤンは聞けませんでした…。
眉村先生がラジオをされていたと知った時は、とてもうらやましく、自分が遅く生まれたことを呪ったくらいです 笑

『詩小説』はぼちぼち更新していくつもりですので、もしよろしければ、また読んでいただければ幸いです。

ありがとうございました。
 

横溝正史イベント情報

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月21日(火)22時39分26秒
返信・引用 編集済
   横溝正史先生生誕地碑建立記念イベントが、正史の生まれた神戸東川崎町にて開催されます。
 今年は10周年だそうです。早いですねえ。びっくりします。
 ということでイベントもビッグですよ。北村薫先生と有栖川有栖先生によるビッグビッグ対談「横溝正史先生の魅力を語る」です! 正史ファンならずともこれは見逃せません(^^)。
 詳細は画像参照。無料です。お近くの方はぜひぜひ。



 

詩小説

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月21日(火)20時36分31秒
返信・引用 編集済
  大江さん
 あらためて最初から通読しました。驚きました。素晴らしいです。
 なんとも謎めいていて、幻想は幻想ながら表現主義的な幻想風景と見えました。そしてやはり「夢」が重要な素材として利用されていますよね。「クチナシ」「エレベーター」「傾いた台車」あたりにそれを感じました。
「その傍では女の子が/聞いたことのない子守唄を歌って/背中におぶった人形をあやしている 」
「白痴のパン屋見習いが/また怒鳴られているのを背中で聞きながら/ひとり/路地の奥の我が家へと/石畳の上を歩いていった」(「クチナシ」)

 ああ、何とあざやかな映像。素敵素敵!
「エレベーター」が開閉を繰り返すばかりなのも印象的なシーン。而してその反復性は夢の中の光景的でもあります。夢の中といえば、『もすごたりすとしたら、あなたはひたみしていかいとしてね』はまさに夢の中ですね。
 前後しますが、短い最初の二篇は、バラードのコンデンストノベルを彷彿とさせられました。次第に長くなって、濃縮小説ぽさは薄れますが、そのかわりに夢小説的な雰囲気が前面に出てきて、こっちも好いです(^^;
「傾いた台車」は、ボルヘスともまた一味違う夢図書館でしょうか。
「歩兵の最期」もイメージがあざやか。「剥き身」は「抜き身」のほうがいいかもm(__)m

 いや素晴らしかったです。内容もですが、彫琢し盡された文体が素晴らしかった。私もこんなふうに書きたい(>ムリ)(汗)。冗談はさておき、にわか編集者としては西秋生と並べてみたい気持ちがムラムラと(笑)。もっと読みたいです。

追記。大阪の方のようですが、ひょっとしてチャチャヤング世代?


 

Re: 祝・傘寿。眉村さん皇后さん

 投稿者:大江友仁  投稿日:2014年10月21日(火)12時18分23秒
返信・引用
  お返事ありがとうございます。
以前別の名前で投稿させていただいたことがあるのですが、かなり前のことなので、どんな名前で投稿したのかも覚えてないもので…f^_^;)
改めまして、よろしくお願い致します。

『詩小説』をお読みくださり、ありがとうございます!
幻想的な雰囲気を気に入って頂け嬉しいです。
 

Re: 祝・傘寿。眉村さん皇后さん

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月21日(火)02時38分59秒
返信・引用 編集済
  > No.5891[元記事へ]

大江友仁さん

 ご投稿ありがとうございます。
 えと、はじめましてでしょうか(^^;。

>個人的には『眉村卓コレクション ジュブナイル編』を是非とも
《異世界編》の次は《ジュブナイル編》だと聞いているのですが、なかなか出ませんねえ。

>詩小説
 とりあえず「月光」を読ませて頂きました。
 おお、いいですねえ。幻想的で、こういう感じ、私大好きです(^^)

 しかしもう寝なければなりません。申し訳ないですが、残りは明日、じっくり読ませていただきますね。ともあれ、今後ともよろしくお願いいたします!

 

「上海無宿」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月21日(火)02時23分8秒
返信・引用 編集済
   敗戦直前の内蒙古、敗戦直後の北支をみたら、上海も訪れたくなりました。ということで積読を崩して取り出したのは、生島治郎『上海無宿』(中公文庫97、元版95)。著者晩年の作品であるせいか、描写もあっさりしていて、一気に読了してしまいました。

 と書いてふと思ったのですが、「積読」っていいますけど、購入した本はいつから積読になるんでしょうか。実は本書、購入して一年くらいしか経ってないのです。30年も放りっぱなしの本もあるので、一年くらいで積読というのはおこがましいような気もします(^^;。しかし十代だったら一年も放っていたら、やはり積読という感じですよね。ということで、決めました。購入して未読のまま、また新たに本を購入したら、その時点で積読と認定することにします(^^;

 閑話休題。
 時は1938年、上海は前年の第二次上海事変以降、日本軍の占領下にあり、それをかさに着た日本人、とりわけ陸戦隊や特務機関の軍人の横暴ぶりは目に余るものがあった。
 主人公の私立探偵・林愁介は上海に流れ着いて既に15年になる日本人ですが、「おれは日本みたいにせまいところは性に合わんのです。その島国根性をそのまま持ち込んできた、上海の日本人社会もね」と、すぐに仲間うちでかたまる邦人社会とは距離をおいています。とうぜん上海事変以来の日本軍の驕慢ぶりは腹に据えかねている。

 その長いものに巻かれない毅然たる態度を買われて、第一話「上海無宿」で、探偵は上海財界の大立者で、「古い上海人」の代表であるユダヤ系アメリカ人のギルモア・ルイス親子とコネができます(ただしバックになってやろうという申し出は断る)。本書はかかる私立探偵・林愁介の活躍を描く短編集で、6篇収録されていますが、殆んどの話はルイス親子の依頼で、横暴な日本軍人に「仕置」する話です。

 第一話は、児島機関(明らかに児玉機関ですね)が資金集めに、青幇の仕業に見せかけて財閥の息子を誘拐し身代金をせしめた暴挙に、落とし前をつけさせる。
 以下、「仇敵」では、藍衣社と児島機関。「女を賭ける」では、旧軍閥で現在は満州の日本軍に協力している男が、張学良の元に戻るための「きっかけ」を演出する。「歯痛と決闘」は傲慢な関東軍参謀の仕置と、親米海軍参謀とアメリカの女スパイの恋の上海脱出行の手引。「暴発」は前半が上海蟹料理小説(涎が(^^;)、後半は中共を頼って日本を脱出してきた甘ったれた革命家の顛末。「阿片吸引者」は文字どおり阿片窟での陰謀話。

 というわけで、戦中の「魔都」が存分に楽しめます。もっと読みたい。でも当シリーズは本書だけみたいです。残念。
 著者は上海で生まれ、12歳で敗戦により引き揚げてきました。したがって戦中の上海を実際に肌で知っているわけです。主人公林は著者の父親世代となるわけですが、郷原宏の解説にあるように、林は作者の「分身」でもあります。当時の上海ってこういう世界だったんですね。最近、日本は中国人民を欧米列強から救ってやるために日中戦争を始めたのだ、と本気で信じている人と話を交わしましたが、本書を読んでみるとよいかもしれません。私はもう読みましたから進呈してもいいですよ。だれか手渡してくれませんかねー段野さんあたり(>おい)(^^;。

 

Re: 祝・傘寿。眉村さん皇后さん

 投稿者:大江友仁  投稿日:2014年10月21日(火)01時50分7秒
返信・引用
  > No.5890[元記事へ]

傘寿、おめでたいですね。
ファンの一人として、眉村先生がマイペースに新作を書いてくださっていることは嬉しい限りです。
出版芸術社さんには新刊はもちろんですが、個人的には『眉村卓コレクション ジュブナイル編』を是非とも作って欲しいです。わがままですかね…f^_^;)

個人的なことで、大変恐縮ですが、ブクログのパブーというところで、無料で電子書籍が作れると知って、早速作ってみました。
もし良かったら、暇つぶしに読んでもらえると幸いです。

http://p.booklog.jp/book/91094

 

祝・傘寿。眉村さん皇后さん

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月20日(月)18時11分49秒
返信・引用
 
 えーと。傘寿は数え年で祝うのでしたっけ。だったら去年だったのですけど。


 あ、朝日も傘寿って使っていますね。オッケーですね(^^)


 

「回想のモンゴル」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月19日(日)22時14分40秒
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  > No.5885[元記事へ]

 承前。著者の調査した「牛の口がせ」によく似たものが、ハンガリーからも報告されていることを石田英一郎から教えられ、その論文をみせてもらったところ、それがハンガリーばかりでなくバシキールやキルギスやヤクートにも見いだされること、写真もそっくりだったことから、著者が見たモンゴルの例は、ステップ地帯に広くひろがった共通の文化要素の、東の果ての例だったことを梅棹は知ります。「わたしは、いまさらながら、アジアの遊牧文化のひろがりのひろさと、ひいてはそのふるさとをおもった」(145p)
 ここでなぜ「ふるさとをおもった」と書いたのでしょうか。その言葉に著者は、それが各地で相互独立的に発生したのではなく、ふるさとがありそこから伝播したという意味を籠めたのではないでしょうか。
 次の段落はこうつづきます。「ハンガリーのことは、わたしはよくしらないけれど(……)わたしは牧畜をめぐるモンゴル語をあつめてみたのだが、そのなかに、ハンガリー語とそっくりなのがいくつもあるのをしって、おどろいた」
 要するに著者は、モンゴルとハンガリーの文化的類似を偶然ではなく、モンゴルから伝播した可能性を言いたかったのだと思います。
 ここで思い出してほしいのは、モンゴル語では「ひと」は「フン」と発音される、という17頁の記述です。これについては先述したように、フン族がフンと自称したのならば、匈奴は(トルコ系説も有力な中)モンゴル系だった一証拠となります。
 一方、ハンガリーはヨーロッパに侵入したフン族の本拠地であり、現在でも主要なハンガリー人はスラブ人ではありません。もっと東方の民族なのです(ハンガリー人の名前表記は、欧米人のような名姓ではなく、アジア人と同じ姓名です)。
 おそらく著者は、ハンガリーには明らかにモンゴルと共通の文化要素があり、それはフン族によってもたらされたものではないか、と考えていたんじゃないでしょうか。でもはっきりとは書きません。暗示しているのです。明示ではなく暗示ですよ。このへんは学者らしい用心深さです。
 現在のハンガリーの主要民族であるマジャール人は、必ずしもモンゴル系ではなく、またフン族よりも後に侵入してきた民族のようですが*、しかしフン族由来の文化をハンガリー平原の人々が連綿と受け継いできた可能性は、否定できないように私には思われます。著者もそう考えていたから、このような記法になったのではないでしょうか。本書の筆法を忖度すれば、どうもそうなんじゃないかな、と思えてしかたがないんですよねえ(^^;
*(チンギスハンのモンゴル帝国もそうですが、遊牧民であるモンゴル人は、農耕民族且つ島国特有のちまちま陰湿な地縁血縁的属地属血思考から逃れられない日本人とは、正反対な属人志向すなわち個人の才能本位であり、民族が違うからといった理由で差別しなかった。そのことから類推して、ヨーロッパに侵寇したフン族も、侵入した時点ですでに多様な民族のごった煮だったと思われます)

 ということで、梅棹忠夫『回想のモンゴル』(中公文庫、91)読了。激しく想像力を刺激される面白本でした(^^;

 


 


眉村さん情報:日経連載第16回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月18日(土)17時27分25秒
返信・引用
   日経新聞の眉村卓さんのエッセイ連載、第16回「自分の尺度」が、昨日(10/17)の夕刊に掲載されました。

 クリックで全文

 

占領地での驕慢や、敗色濃厚になってからの混乱・狼狽ぶりなど

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月18日(土)13時52分35秒
返信・引用
   元ツイート
 リンク元

 

「回想のモンゴル」読み中(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月17日(金)23時29分9秒
返信・引用 編集済
  > No.5884[元記事へ]

 承前『回想のモンゴル』は120頁まで。ここまでの内容は、1944年の秋から翌年2月にかけて行われた内蒙古踏査(「Vモンゴル牧畜の調査」)と、敗戦による日本引き上げの顛末(「W終戦前夜」)です。
 前者は一種のフィールドワーク報告。上下移動するヨーロッパアルプスの遊牧(移牧)からの類推であるヨーロッパ的通説は、そもそも平坦な草原であるモンゴルの現実に即していず実際の観察でも認められないとして、その起源は、単に移動する動物群に人間のほうが合せているだけ、という仮説(共生説)が提出されます。その当否を論ずる知識は私にはありませんが、非常に脱力的で、オールディスみたいで楽しい(^^;
 モンゴル人社会が属人的で、土地への執着(欲望)がないというのは、遊牧という形態からしてある意味当然ですが、やはり農耕社会の地縁血縁に雁字搦めな日本社会の、重商主義ならぬ「《重》土地主義」にどっぷりそまった我々の先入見からすると、大変新鮮に映ります。しかも属人的ではあっても、血縁主義的ではない。「モンゴル人には、もちろんイエ制度はない。家名もなく、姓もない。ひとりひとりの個人は、その個人名以外のよびかたをもっていない」(61p) 子どもたちは自立すればさっさと他所へ行ってしまい、血縁集団で固まって生活することはないらしい。まことにあっさりした社会です。
 ただし現在のモンゴル(少なくとも外モンゴル)は、人口が都市に集中する脱遊牧社会化が進展しており、その点どうなっているんでしょうか。近代化とともに変質しているのでは、と思って、ウィキペディアの「モンゴルの名前」を参照しましたところ、やはり近代化の結果、「家族名」というものが発生したようです。たぶん「土地」への執着も。
 というか、遊牧生活は自然とのバランスなので、遊牧生活をしている間は人口は一定のはずです。おそらく匈奴の時代から梅棹が観察した1945年ごろまで、モンゴル高原の人口は不変だったんじゃないでしょうか。それが何らかの要因で人口が増え過ぎると、モンゴル高原外へ出て行く契機が生まれるんでしょう。あんがいチンギスハンのユーラシア征服も、モンゴル高原の人口過剰が引鉄だったのかも。

 後者は、満州からの引き上げが酸鼻を極めたのに比して、非常に整然とうまく行った例のようですね。「このみごとな撤退作戦をだれが決断し、指導したのかは、わたしは知らない。大使館と駐蒙軍司令部、蒙古自治邦政府の合作によるものであろう」(107P)
 と同時に、(満州がソ連軍相手だったのに対して)内蒙古では八路軍が相手だったことも、上手くいった理由の一つのようです。八路軍とは要するに中共軍です。八路軍の規律が厳格だったことはよく聞きますが、本書の記述でもそれが伺えます。

 

「回想のモンゴル」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月16日(木)23時12分19秒
返信・引用 編集済
  > No.5883[元記事へ]

 承前『回想のモンゴル』は55頁まで。
 著者が入蒙した経路は、関釜連絡船で釜山。特急亜細亜号で京城下車。汽車で入満、南満州鉄道で天津とあるので、奉天(瀋陽)乗り換えではなく、京城から天津直通の汽車が出ていて、それに亜細亜号から乗り換えたのでしょうか。そして天津から北京へは、もう満鉄線ではなく河北交通という会社の経営する路線だったようです。
 ところで、モンゴルであれどこであれ、外国はまず地図で確認するわけですが、地図の特性上、高低があまり認識できていないことが多いのですね。
 北京から張家口(蒙古聯合自治政府の首都)へは、やはり河北交通の京包線(北京と包頭を結ぶ線)で行くのですが、これが途中でスイッチバックするというのです。要するにかなりの傾斜があるわけです。地図で見ると、天津―北京間と北京―張家口間は、距離はそんなに違わないように見えるのですが、実際は立体的で、一段上に上がった、いわば二階の世界だったのですね。これはちょっとしたセンス・オブ・ワンダーでした(^^;
 この感覚は、地図では掴みきれませんねえ。
 ところが首都である張家口も、実は漢人圏で、蒙人はいない、とあります(蒙古聯合自治政府が人工的な政権であることを証明しているといえます)。本当の蒙疆は、さらにもう一段上の(三階の)高原で、トラックで坂道を上がっていき、陰山山脈(実体は丘のつらなり)を北に越えて、ようやくモンゴルの大草原に達したとあります。六甲の裏に有馬がある感じでしょうか(ちょっと違う)(^^;
 この立体感というか、高低感覚で思い出したのが、『死の世界3』で、このSFはモンゴル的遊牧世界と平地の定住世界の世界観の対比を小説化した傑作でしたが、その高低の二重感覚がちゃんと表現されていたことをいまでも覚えています。さすがハリスンです。ひょっとしたら世界中を旅したハリスンですから、モンゴルへも行ったことがあったんでしょうか。

 もうひとつ驚かされたのが、1944年のこの時期、モンゴル(張家口)に、梅棹忠夫だけではなく、今西錦司、石田英一郎、中尾佐助、長田夏樹、江上波夫ら、戦後の民族学人文学をリードした大学者たちが集合していたこと(ちなみに京城には泉靖一、天津にテイヤール・ド・シャルダン)。面白いです。

 

「回想のモンゴル」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月16日(木)00時59分55秒
返信・引用 編集済
   今日から『無明』に着手の予定だったのですが、積読山を整理していたら梅棹忠夫『回想のモンゴル』がチョロっと見えた。いま逸ノ城がマイブームなので、目が敏感に反応したみたいです(^^;。
 パラ見するとなかなか面白そう。ということで、先にこっちを読むことにしました。
 本書でいうモンゴルは内モンゴルのようです。梅棹が入蒙した1944年当時は、蒙古聯合自治政府の時代。本書によると蒙古聯合自治政府というのは政権名で、「蒙古自治邦」というのが国名だったようです。その国名、私は初めて知りました(国名と言ったって、言うまでもありませんが、満州国と同じで日本の傀儡国家です)。

 ところで、モンゴル語で「ひと」は「フン」というらしい(17p)。大体、民族の自称はその民族の言葉で「人間」であるのは普遍的で、「アイヌ」はアイヌ語で「ひと」の意味ですし、ホッテントットと他称されるコイコイ人も、コイン(人間)、あるいはコイ・コイン(人間の中の人間)から来ているのです。
 そういう意味で考えると、フン族というのも、やはりモンゴル系だったんだろうなという気がしてくるのですよね。

(註:ちなみに逸ノ城は外モンゴルですが、蒼国来が内モンゴル出身です)(^^;
追記。今卒然と気づいたのですが、蒼国来って、蒼き狼の国から来た、という意味ですよね。荒汐親方(大豊)が付けたのかな。自分で考えたのかな。
 

「鮫」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月15日(水)01時06分40秒
返信・引用 編集済
   真継伸彦『鮫』(河出文庫80、元版64)読了。

 承前
 初読は文庫版発売直後の34年前、ということもあって、傑作との印象が残っていますが、その印象しか残っておらず、あとは殆んど思い出せません。積読中だった続篇『無明』を読むため、今回改めて初読同然で読みました。いやーよかった! 改めて傑作であると確認。

 多様な視点からの読解が可能ですが、その内の一つとして、とりわけ今回、この物語に重ね併せずにはいられなかったのは、目覚めた革命家と、意識の達しない大衆という構図。この世に衆生の国家を建設しようと、高邁な理想に目覚めた革命家が救済しようとする当の衆生は、しかしまあ一般的にはすべて小悪党なんですね。このギャップ。
 一方高邁な理想主義者の革命家もまた、革命の成就のためには、権謀術数も駆使すれば反革命と取引もする。理想のためには衆生を死なせるのもやむなしとする。本書に従えば「地獄」に落ちる所行をせざるを得ない。
 この辺を『所有せざる人々』は書いていません。綺麗すぎる。かかる二重写しはおそらく著者自身も意識していたと思います。

 本編は戦国時代、加賀に90年間、所謂旧支配者層を排し、衆生の国「百姓の持ちたる国」を実現した加賀一向一揆の、その前日譚というか、加賀守護富樫政親が滅ぶまでを、加賀の漁村に鮫しか獲ってはならぬ非人の子、それも父なし子、秘事法門の子(母と兄の間の子)として生を享け、名前も無くただ鮫とのみ呼ばれ、「この世に生まれた運命を呪いに呪い、寛正の飢饉のおりには人肉を喰ろうて生きのび、応仁の大乱のころには足軽や盗賊の稼ぎをして、十を越す衆生を殺め」(234p)、さらには押し入った寺から蓮如の娘(とも知らずに)見玉尼をかどわかし、手をかけんとしてその神々しさに打たれ、仏門に帰依する身となった男の視点で描いた歴史小説です。

 この回心が、意外にあっけないのが些か不満なのですが、たいていの歴史小説が、支配者の視点で俯瞰されるものであるに対して、本篇は最下層の賤民の視座から仰観されるものである点が異色で(といっても同志であった高橋和巳の『邪宗門』もそうでした。こちらは仰観現代史小説というべきか)、堪能しました。(追記。その伝で言えば『日本アパッチ族』は仰観SF小説で、これまた俯瞰的視点が多いSFの中で特異な作品でしたね)(^^;

 引き続いて第二部『無明』に着手するのですが、著者によれば本篇は5部作の構想とのこと。しかしどうも第三部「華厳」の途中で止まっているみたいですねえ。

 

「鮫」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月13日(月)18時56分0秒
返信・引用 編集済
  > No.5868[元記事へ]

 来年90歳になる老父はXPを10年間使っていて、といっても専らメール用で兄弟(5人兄弟)との連絡にしか使っていず、そんな使い方ですからまだまだぜんぜん機能的に大丈夫で、本人も死ぬまで使う気だったようですが、ついに兄弟がみなXPから別のOSに乗り換えてしまい、買い換える気になったようです。余談ですがこれが最後の車、というのはよく耳にしますが、これが最後のPCというのも今後は出てきそうですね。
 閑話休題。で、8はもう、よう使いこなさないだろうから7機はないのかな、4万円以内の予算で、と、いろいろ見ていましたら、8から7へ無料ダウンサイジングというのも含めて意外にあるのですね。よほど8は不評なんでしょう。
 そんななか、HPが7機を39000円で出していまして(8機なら30000円であった)購入しました。
 基本構成では2GBで、4GBにしても4千円アップで収まりますので一度はそうしかけたところ、DVDドライブがないことに気づきました。いまはUSBメモリーの時代で、DVDドライブは時代遅れなんでしょうね。しかし老父の場合はこっちも必要かな、と思い直しました。これが2ギガ→4ギガと同じ値段だったのです。ということで、2ギガでDVDドライブ有りとしました。
 届いて設定し使ってみたところ、やっぱり2ギガは遅い感じがしました。うーんミスったか。
 ところが旧機から新機へデータを移すために、プレインストールされている転送ツールというのを使ってUSBメモリー経由で移行させようとしたところ、新機がデータの入ったUSBメモリーを認識せず、開けないのです。昨晩はネット情報を見まくって、午前4時頃までいろいろ試したのですが、埒があきません(700円で購入したメモリー(8GB)が安物すぎるのかと思って、自分の機械につけっぱなしのメモリーを外して付けてみましたが、ダメでした)。
 とりあえずあきらめて、寝ました。と、朝目が覚めたとき、DVDで移行したらどうかというアイデアが、頭に浮かんでいたのです。
 で、さっそくやってみたら簡単に移行できた。DVDドライブのほうを選択しておいてよかったー! しかもふと画面の下の方に何やら表示が出ており、クリックしたところUSBメモリーの認証をもとめるもので、パスワードを入力したらこっちもあっけなく解決しました。昨晩はこの認証で悪戦苦闘していたというのに!!
 しかし改めて思いましたが、寝てても無意識は思考しているんですなあ。たかが無意識されど無意識。頼りになります。あ、メモリー増量じゃなくDVDドライブを「私」が選択したのにも、無意識が関与したのかな(^^;
 まあそんなこんなで、昨夜から今日にかけて、折角の休日が予定外の作業に費やされてしまいました。

 ということで承前『鮫』は213頁まで。全然進んでいないのは上記の理由もありますが、ここに至って物語は全然動かず、主人公の宗教的考察がつづき、どっちかというと哲学書を紐解いている感じです。私の脳速度ではなかなか理解が追いつきません。数頁読んでは休憩し、という状態がつづいています。
 といっても休憩しているのは「私」の意識でして、無意識はその間も働いて理解しようとつとめているはずなのです。休憩にも意味があるのであります(^^;。

「そのおれは、かかる肉身とも言葉とも別ものでなければならぬ。もしも肉身と言葉とをはなれて、なおこのおれが在りうるのであれば、その「おれ」こそ、浄土に再生できるであろう。さもなくば、たとえ浄土が実在し、そこにこのおれが再生したところで、その「おれ」が、このおれであると、何として確認できる? しからば、その「おれ」は今もかわらずに在ると言わねばならぬ。しかしその「おれ」は、はたして実在するのであろうか」(190p)

 おお、SFですがな(^^;

 

Re:酉島・伝法・四貫島

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年10月13日(月)12時47分11秒
返信・引用
  雫石さま
失礼しました。
チラシにはお名前があり、実際行かれた方は、「いなかった」と言われましたので、そうだったのか、と思った次第です。
 

Re: 酉島・伝法・四貫島

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2014年10月12日(日)17時47分36秒
返信・引用
  > No.5877[元記事へ]

段野のり子さんへのお返事です。


京フェスには行きました。
水鏡子は来てましたが、ゲストではありませんでした。
ショートショート作家のきまぐれ放談という企画がありました。
江坂遊、井上雅彦、太田忠司、田丸雅智という面子でした。
「チャチャヤング」のこともチラと話題に出ました。
星新一の直弟子江坂遊さんも何度かチャチャヤングショートショートコーナー
には投稿したことがあったそうですが、一度も入選しなかったそうです。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

55年体制で

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月12日(日)14時17分4秒
返信・引用 編集済
   旧左翼がもっとも元気だった時期なんですけどねえ(笑)。
 そういえば「紫電改のタカ」「0戦はやと」「ゼロ戦レッド」とかも昭和30年代。ゼロ戦レッド、て(汗)。あ、植木等も。
 今から考えると非常に不思議。その時代をリアルタイムには知らないからかもしれませんが、ある意味無節操。ひょっとしたら、失言もできない縮み志向の現代より、自由で多様な社会だったのかも。考えてみると、社会党員で軍歌好きってあたりまえにいてそうではありますね(^^;。


    元ツイート




 

Re:酉島・伝法・四貫島

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年10月12日(日)14時14分25秒
返信・引用
  管理人様
京フェス≠ノ行った人に、案内チラシを見せてもらいました。確か、「水鏡子」さんがゲストで来られるとの案内でしたが、来られなかったとのこと、もし来られてたら、ちょっと興味引くものがありました。(どんな話の展開になるのか、まずお目にかかれない方なので)
 

眉村さん情報:日経連載第15回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月12日(日)12時19分52秒
返信・引用
   一昨日の金曜(10/10)、眉村卓さんが週一連載中の日経新聞夕刊《あすへの話題》欄に、その最新エッセイ(第15回)「腹が立ったら……」が掲載されました。
 クリックで全文

 

酉島・伝法・四貫島

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月12日(日)01時12分14秒
返信・引用 編集済
   ツイッターで、京フェスがUstreamで中継されることを知り、視聴しました。酉島伝法さんがメインゲストのコマで、たいへん面白かった。
 もともと美術関係出身だそうで、「皆勤の徒」も、まず絵ができてから書きだしたとのこと。「皆勤の徒」の元ネタでもあるらしい下積み(?)時代の話が、しゃべりが上手なこともあって、無類に面白かった。オキシタケヒコさんとの掛け合いも絶妙で、これは第二の堀さんかんべさんになるのではないか(^^;。非常に好感がもてました。私は受賞した「皆勤の徒」しか読んでないのですが、ちょっと興味がわいてきました。
 あとどれだけ本が読めるか残りの時間を考えると、積読を消化するのも危ない感じなので、新しい作家に手を出すのは原則しないことにしているのですが、酉島作品は読んでみようかな。

 それはそうと酉島伝法で思い出したこと。伝法大橋をわたった南詰めが伝法、右折すれば酉島で、そのまま真っすぐ行けば四貫島です。高校のクラブの友人が当時四貫島に住んでいて、夏休みだったか、練習が終わったあとその男の家に遊びに行くことになったのでした。弁天町駅に向かうのかと思っていたら、中央大通りを渡ってそのまままっすぐ、港高校の横を通って、安治川へ出た。なんとその男は渡し船で通学していたのでした。
 あの渡し船はどこから乗ったんだったか、とふと思いまして、いま調べたら、此花区西九条と港区波除をむすぶ三丁目渡しというのだったようです。しかし、平成元年に廃止されてしまったんですって。そうと知ると、ああもう一度乗ってみたかったなあ、と、急にそんな気がしてきました。いままでずっと忘れていたのに(^^ゞ

追記。また思い出しましたが、その日、友人の家の近所の古本屋で、私は眉村さんの『ながいながい午睡』をゲットしたのでした。今でも覚えていますが70円でした! ただしカバー無し。そのカバーに関して、語りたいことがあるのですが、それはまた別の機会に。

追記。ちょっと気になったので確認しましたところ、『ながいながい午睡』を購入したのは72年10月19日(木)となっていました。購入価格も「四貫島の古本屋にて90円!」とメモあり。ああなんと記憶の不確かなこと(ーー;

 

Re: しょうもないことかも

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月10日(金)22時42分1秒
返信・引用 編集済
  > No.5873[元記事へ]

 デジタル化されたら、きちんともくじが反映されますから、それまでの辛抱。しばしお待ちを(^^;

>やっぱり国会図書館と言うのが値打ちかも
 むむう。早く独立しなければ。住民投票はまだか。
 


Re: しょうもないことかも

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月10日(金)22時25分59秒
返信・引用 編集済
  > No.5871[元記事へ]

 海野さんも段野さんもいいですねえ>国会図書館

>「チャチャヤングショートショート」は国会図書館にはないようです。
 所蔵されていますよ→ここ
 でも、作品名作者名の記載がありませんね。

 大阪市立図書館で検索したら、あったんですが→ここ
 【内容:電話同盟(小川圭太[著])無題(深田亨[著])数学(諸星新二[著])他】
 うむ。和田宜久がないのでした。

 CiNiiはどうか。さすがに全収録作品が載っていました→ここ
 あっ。惜しい。和田さんは諸星新ニの次だったんですね(^^;。

 
 

Re: しょうもないことかも

 投稿者:和田宜久  投稿日:2014年10月10日(金)21時48分0秒
返信・引用 編集済
  > No.5870[元記事へ]

段野さん。僕もやってみました。二件ヒットしましたね。
「妖異百物語」と「月刊官界」
え?
「妖異百物語」は身に覚えがありますが、「月刊官界」?
「月刊官界」はデジタル化されているようですが閲覧は出来ないようです。
が、目次だけは見る事が出来ました。
すると。
行政座談会 中四国編――地域農政時代到来の緊急会議
池本寅夫 ; 三宅茂 ; 福田稔 ; 平本武夫 ; 和田宜久
ああ、そうか〜
あの時の座談会ですね。
って、そんなもの身に覚えありませんがな〜
同姓同名ですね。

「ネオヌル傑作選」は出て来るものの、僕の名前では出てこないですね。
「チャチャヤングショートショート」は国会図書館にはないようです。

ちなみに海野久実では「かわいい」がヒットしましたよ。


「チャチャヤングショートショート」
いやいやありました。
「国立国会図書館サーチ」ではなくて、『国立国会図書館デジタルコレクション」 の検索バーで検索していました。
 

しょうもないことかも

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年10月10日(金)16時10分11秒
返信・引用
  管理人様
ちょっと別件で、検索していました(会社の後輩が別会社の社長になったと聞いて)。
ついでに、「篁はるか」を検索すると、国立国会図書館にある、と出てきました。
まあ、実際、書店に並んだ本ですから、当然あっても不思議ではないのですが、ちょっと感動しました。「わお」です。
この10月中頃、「織り屋おりん」が、書店の店頭に出るはずです。自分宣伝で、申し訳ないのですが、今度は、書店に並んだ自作を、写真に収めたいです(いつ並ぶかは、まだ聞いていませんので)
自分宣伝で、失礼しました。
 

「死刑宣告」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月10日(金)00時30分15秒
返信・引用 編集済
  萩原恭次郎『死刑宣告』(1925、PDF公開早稲田大学図書館読了。

 ああ面白かった。著者は1999年生まれ。やはり明らかに大正モダニズムに属していますね。すなわち都市文学です。煙突や車という言葉が頻出して、その詩世界は、萩原朔太郎のそれと隣り合っている感じ(そしてその向こう彼方には、乱歩が見えています)。たとえばこれ。
 

 一方こっちは、1歳下のタルホを彷彿とさせられます。
 

 ただし朔太郎の端正さは恭次郎にはあまりありません。もっと八方破れ。いわば米朝と枝雀の芸風の違いみたい。
 昨日はバラードのコンデンストノベルを連想すると書きましたが、この八方破れさに視線を合わせれば、ウィリアム・バロウズが浮かんできました。
 
 

 その辺がダダイストなんでしょう。ダダイストといえば、巻末解説の岡田龍夫によれば、MAVOとNNK(日本ニヒリスト協会)は、「紙質、活字、紙面構成、全体の構造等」にまで関与したようで、「活字とインテルの配置、詩と畫の組合せ方、則ち全体から見た場合の功果(構成)に重きをおいた、従って印刷術に依る綜合運動の小さな試み」と、昨日も書きましたが、一種のコラボとして本詩集はあるようです。そういう意味では、本書を復刊するとしたら、いわゆる写植で行なうしかないと思われます。これ、やりたいなあ。恭次郎は1938年に亡くなっているので版権的な問題はないはずなんですよね(>おい)(^^;
「当来の印刷術が余りに平面的で踏襲的で無味枯寒でありながら、得々としてヂャーナリズムの凱歌を挙げていると言うことは、何んと言うのろまな恥知らずな事だ!」
 そうそう。踏襲的! これは印刷の世界に限らない。今も昔も同じなんですね。
「諸君よ、来らんとするものを待たれよ!」
 おお、カッコよろしいなあ(^^;。オーネット・コールマンの「ジャズ来るべきもの」と同じ自負のあらわれですね。

 私は本書を一種のショートショートとして楽しみました。
 そういえばこれなんか、バロウズぽいですが、柊さん的でもあるのじゃないでしょうか(笑)
 

 追記。後半、縦書きを寝かした版組が続き、難儀やなあ、と思っていたら、PDFに回転機能があることに気づきました。[表示]→[表示を回転]→[右(左)90度回転]

 

「鮫」と「死刑宣告」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 9日(木)00時41分4秒
返信・引用 編集済
  > No.5866[元記事へ]

承前『鮫』は200頁。第二篇第四章まで。やっぱり密度ががくんと落ちます。「第一篇」であんなすさまじい体験をしてきた主人公が、第二篇ではただの観者、説明手にすぎなくなってしまう(但しここまでは、ですが)。ただ初読時は、応仁の乱で同族が(斯波や富樫に限らず)西軍東軍に分かれ、あるいは東西入れ替わったりでかなり混乱しまして、リーダビリティが損なわれたのでしたが、いまはネットで確認しながら読めるので、ずいぶん見通しがよくなりました(^^;

 ツイッターで知りDL(→http://monoskop.org/log/?p=10690)した、萩原恭次郎『死刑宣告』を50頁迄読む。うむ、これはなかなかよいです。
 萩原の詩に、MAVOという当時のダダ系のグラフィック集団が全面協力。詩とグラフィックのコラボというべき詩集で、ちょっとバラード濃縮小説を連想しました。
 調べたところ、詩だけならwikisource(http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AE%A3%E5%91%8A)で読めますし、テキスト文書なので読みやすいのですが、それでは魅力半減なんです。PDFで読むべき。ただし縦書きを寝かせた組版(なんせダダですから(^^;)はデスクトップではさすがに読めないので、wikisourceも併用しています。

 

 

眉村さん情報:読売新聞インタビュー記事

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 7日(火)21時19分9秒
返信・引用 編集済
   本日(10/7)の読売新聞夕刊に、眉村さんのインタビュー記事が掲載されました。

 

>運がいい
 とありますが、当時は「時代」ごと運がよかったんですよね。
 下のユーチューブのブルーコメッツも、あのメンバーが揃ったのが64年で、まさに眉村さんと同時期にスタートしているのです。動画の7分00秒あたりからお聴きいただくと、ジャッキーさんが「今のバンドの人たちかわいそう。おれたち一番幸せだった」としみじみ言ってますが、眉村さんの「運がいい」と響きあうものです。
 それは動画の中で関口宏が「若者がだんだん世の中に進出してきて」と言っている通り、団塊の世代がすべての面で右肩上がりをリードしていった結果でした。
 ですから眉村さんもジャッキーさんも、僥倖だったという気持ちは、主観的にはそうなんでしょうけど、しかし当時、上記の意味での「運」は、あの頃デヴューした人達全員に等しくあった条件ですから、やはり彼らは実力によっていまある地位を獲得したわけですね。つまり眉村作品は、再刊されたり映像化されるだけの価値が備わっているから、いまでも映像化され、何度も復刊されるんですね。
 その意味で眉村さんは、もうちょっとくらい威張っていてもいいのではないでしょうか(>おい)(^^ゞ

 
 

眉村さん情報:読売インタビュー

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 6日(月)21時17分59秒
返信・引用 編集済
  > No.5854[元記事へ]

 明日の読売新聞夕刊に、眉村さんのインタビューが掲載されるようです(^^)。お見逃しなく!

 承前『鮫』は135頁まで。<第一篇 鮫>読みおえたところ。ここまでは内容がみっしり充填されていて、無駄な描写、逆に言えばちょっと息抜きできる部分が毫もありません。えーまだ130頁そこそこ?というのが正直な感想。もう300頁ほどの長篇を読んだくらいな感じです。*もちろん300頁の「面白い」長篇を夢中で読んだくらいな、という意味です。
 ただ、そういえば初読時、このあとが(つまり第二篇が、ですが)、前半(第一篇)と比べると緩んでちょっと不満だったような記憶が甦ってきました。今回はどうでしょうか。ということで、引き続き<第二篇 夜明け>に着手。
 買い上げレシートが挟まっていました。55年8月13日宮井平安堂和歌山駅店。なつかしい。当時は和歌山が勤務地だったのです。奥付が55年7月25日初版なので、ほぼ刊行直後に購入したみたいです。

 追記。文藝賞を受賞したのはこの<第一篇>の部分です。「当時の「文藝」編集長坂本一亀氏は私の投稿後、くりかえし読んで修正を要求し、受賞して校正刷ができ上がったあとも、飽くことなく手を入れさせた。百度以上書き直した箇所も多い。文藝賞銓衡委員の一人であった埴谷雄高氏は「受賞作に手を入れて発表するのはアンフェアではないですか」とシブい顔をされた」(あとがき)

 

 

Re:眉村さん情報:ミニ色紙プレゼント

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年10月 6日(月)13時17分14秒
返信・引用
  海野様
>できるか!
できませんよね。ただただ、羨ましい限りです。
ところで。「まりん組・図書係」こんな図書係になりたかったです。(私の学校の図書室は、何だか薄気味悪くて、近寄り難かったです)
斎藤様
>もう、人様に分けられるほどの「運」は残っていない気がします
ご自分で、十分にお使い下さい。それにしても、なるほど、「ミニ色紙」ですね。何か、いつまでも眺めていたい気がします。よかったですね。
まんじ様
おめでとうございます。これで2名の方揃い踏み!いいですね(うらやましい)
 

Re: 「とべ、クマゴロー!」のURLが変わります

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 6日(月)12時21分33秒
返信・引用
  > No.5863[元記事へ]

斎藤さん
 画像ありがとうございました!
 もう一人の方も発見しました(^^)

 元ツイート

 

Re: 「とべ、クマゴロー!」のURLが変わります

 投稿者:斎藤  投稿日:2014年10月 6日(月)10時25分13秒
返信・引用
  > No.5861[元記事へ]

段野 様

いやあ、本当にすごいことが起きてしまいました。
強運だったなあと思います。
宝くじはもちろん、お年玉付年賀はがきも当らないというこの私が、「まさか」でした。
「まさか」って本当にあるんですね。
もう、人様に分け与えられるほどの「運」は残っていない気がします。

管理人さん
写真を貼りました。
本棚に飾ってみました。
このミニ色紙サイズは本棚に実に収まりの良いサイズなのですね。
飾ってみて、このサイズの意味が分かったような気がします。
本当に嬉しいです。

 

Re: 眉村さん情報:ミニ色紙プレゼント

 投稿者:海野久実  投稿日:2014年10月 5日(日)23時43分37秒
返信・引用
  > No.5860[元記事へ]

段野さん。

>ぜひ、私にも分けて下さいませ

しょうがないなあ、それじゃあ色紙を半分に切って・・・
できるか!

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「とべ、クマゴロー!」のURLが変わります

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 5日(日)19時17分42秒
返信・引用
  斎藤さん
 おめでとうございます。よかったですね。
 はずれたという嘆きのツイートもあるなか、まさに奇跡というべきですね。
 それにしてもどっちの色紙があたったんでしょうか。画像希望(^^;

 閑話休題。
 標記の件、拙サイトは当初OCNのHPサービスを利用していたのですが、OCNだけでは容量が足りなくなってしまい、その後はFC2のHPサービスを接ぎ木するかたちで使っていました。
 ところが先日、OCNから来年の2月28日でサービスを終了するという連絡が来ましたので、OCNに残っていたコンテンツもすべてFC2に移行することとし、今日、その作業を完了しました。

 こちらが、新しい拙HPの表紙となります→「とべ、クマゴロー!」
 お気に入り等に登録して下さっている方は、お手数ですが、変更をお願いいたします。
 一応、すべて移行し終えたはずですが、もし移行漏れデータやコンテンツを見つけられましたら、ご一報願います(たぶんまだまだ出てくると思います)。

 なお旧HPも、OCNのサービスが終了するまではアクセス可能ですが、今後、HPの更新は、新HPで行いますので、更新は反映されません。

 よろしくお願いします。
 

Re:眉村さん情報:ミニ色紙プレゼント

 投稿者:段野のり子  投稿日:2014年10月 5日(日)13時15分14秒
返信・引用
  斎藤様
おめでとうございます!
当選者は2名だったのでしょう。すごいことです。
私も応募しようかと思ったのですが、「2名」しか当たらないと聞いて、「こりゃ無理や」と最初から諦めていました。
斎藤様は、強運の持ち主とお見受けしました。ぜひ、私にも分けて下さいませ(なあんて)
とにかく、おめでとうございます!
 

Re: 眉村さん情報:ミニ色紙プレゼント

 投稿者:斎藤  投稿日:2014年10月 5日(日)10時58分52秒
返信・引用
  > No.5851[元記事へ]

奇跡です。
色紙を受領出来ました!!
管理人さんにここでニュースを掲示頂いたおかげで、応募が出来ました。
ありがとうございました。
 

Goin' Home / Ayler

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 5日(日)02時36分40秒
返信・引用 編集済
   

 最近は、こればっかり聴いています。仕事から帰宅して、まずこれを聴くのです(今くらいの深夜にも聴く)。このアルバムが Spiritual Unity と同じ年に制作されたものというのですから、その落差に驚かされます。
 Goin'Homeから始まる本アルバムは、まさに黄昏の夕景の、懐しい音にあふれていて、その日一日の疲れが癒やされます。懐しく心地良い音ですが、単純に懐かしいだけではなく、歪みひずんでもいます。単にゴスペルをなぞっているだけではもちろんありません。そういう意味では、北野勇作の世界とあい通ずるものがあるような気がします。
 この境地から Spiritual Unity に向かったのには、どんな動機があったのでしょうかねえ。本盤はヨーロッパでの最後のスタジオ録音のようで、このあとアメリカに戻って Spiritual Unity に移行するようです。
 後年、アイラーは Love Cry のような、ストレートな作風に回帰するのですが、 Love Cry のライナーノート(清水俊彦)によれば、世評は「アイラーの後退、商業主義への譲歩」というものだったようで、事実私も、軽くてちょっとがっかりしたものでした(ライナーノートは、それは一面的な見方だと言っているのですが、その清水自身「アイラーの考えをすべて披歴しているのは(……)Universal Indian」だけである」と本音が出てしまってます)。
 本盤も、外形的には Love Cry と同様ストレートに吹いているのですが、そのパフォーマンスから受け取るものはまったく違うものです。 本盤にある深い哀愁は、Love Cry にはありません。
 だいたい、フリージャズ以前のアイラーって、70年代頃、日本に紹介されていたんでしょうか。されてなかったんじゃないか。てゆーか、ESPの数作品(Bells とか Spirits Rejoice)くらいしか見たことがありません。実際、私が当時購入したのはすべて輸入盤で、大学生協が年に一回か二回、生協の喫茶室をつぶして輸入盤フェアをするのですが、そのときに必死にさがして購入したものですからね。
 その意味で、いまは恵まれていますよね。youtubeに何でもあり、何でも聴けるんですものねえ。

 
 

眉村さん情報:日経連載第14回

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 4日(土)15時17分25秒
返信・引用 編集済
   眉村卓さんが日経新聞《あすへの話題》に連載中のエッセイ、第14回目の「タイと鯛」が昨日の夕刊(10/3)に掲載されました。

 クリックで全文
 

自分を騙したところで事実まで騙されてくれるとは限らない(公房)

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 4日(土)00時12分44秒
返信・引用 編集済
  (毎日新聞 2014/10/3)

 1970年代は(昨今と比べると)ずいぶん寒かったですよね。根本順吉は寒冷化を予測していて、私は『氷河期が来る』(カッパ・ブックス、76)を読みましたが、その原因(の可能性の一つ)として、実は太陽はごくかすかな変光星なのかも、と書いていて、ほほー、と思ったことを覚えています。
 でもその当時から、公害(CO2増加)による温暖化も言われていて、両説あい拮抗していました。
 その後、CO2増加による温暖化がはっきりしてきたわけですが、ここに至って温暖化の停滞が起こっているみたいです。
 上の記事は、寒冷化を理由にCO2削減の努力をやめてはならない、という、ちょっと「ためにする」きらいが見え隠れしているように感じられます(勿論その主張に否やはありません)。
 しかし記事を虚心坦懐に読みますと、人為的要素を除いた自然そのものの動向は、はっきり60、70年代に戻っているように思います。
 この一見寒冷化に見える(実は違うと記者が言いたい)現象は、海水が熱を溜め込んだからで、やがて放出される、と書かれていますが、このサイクルは循環的で、それこそが(変光星説を持ちださなくても理解可能な)、歴史上の小氷期(循環的な寒冷化)を説明する原理じゃないでしょうかねえ。
 主張に沿うように事実を枉げてしまうマスコミ特有の書法が、ちょっと鼻についたのですが。

 

水蒸気噴火

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 3日(金)09時43分44秒
返信・引用 編集済
   いま卒然と気がついた(別々であったふたつの事実が繋がった)。御嶽山の水蒸気噴火って、平谷美樹が8月に出した新刊『蘭学探偵 岩永淳庵』で使われた原理ですよね。予知か(違)(^^;。
 とりあえず備忘。
 

「宰相A」

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 2日(木)20時23分28秒
返信・引用 編集済
   村田基さんがブログで紹介している田中慎弥「宰相A」(新潮10月号)が面白そう(→ここ)。
 同様の手法の、価値観の転倒によるグロテスクなマジックミラー化によって日本社会の問題点を抉剔してみせた傑作『フェミニズムの帝国』の作者としては、とりわけ興味をそそられる作品でしょうね。
 これは読みたい。
 
 一方、引用元の片山杜秀の書評(ここ)では、おなじくパラレルワールド物の古川日出男「鯨や東京や三千の修羅や」(すばる10月号)も取り上げられていて、比較的に読み比べがなされています。この論考も興味ぶかいです。
 それにしても同じ月の文芸誌にパラレル・ワールド物(というよりも改変歴史物)が二作同時に掲載されたというのは、偶然にしてもなんか共時性めいてますね。
 しかし古川がパラレル・ワールドを描いても、さほど不思議ではありませんが、田中慎弥が書いたとなると、これはなかなか予想外でいやでも衆目を集めちゃいますよね。「新潮」のドヤ顔が目に見えるようです(^^;
 古川作品の枚数はわからないのですが、「宰相A」は300枚、と純文基準ではれっきとした長篇です。おそらく近々単行本化されるのでしょう。楽しみ。

 ということで(どういうことだ)、真継伸彦『鮫』の再読に着手。積読消化で未読の第二部『無明』を読むための再読なんですが、こっちにしたって数十年ぶり。現在70頁ですが、いやーすさまじい。そうだ、こんな話だったんだよな。数十年前のボーゼン感を思い出しました(^^;

 

 

Re: 眉村さん情報:ミニ色紙プレゼント

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 2日(木)12時20分34秒
返信・引用
  > No.5852[元記事へ]

 元ツイート
 

Re: 眉村さん情報:ミニ色紙プレゼント

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 1日(水)22時03分35秒
返信・引用
  > No.5851[元記事へ]

 あらら、残念。
 元ツイート
 

眉村さん情報:ミニ色紙プレゼント

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月 1日(水)19時12分24秒
返信・引用
   いよいよ決定!
元ツイート
 



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