ヘリコニア過去ログ1501


中井英夫展隠し球第3弾

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月31日(土)21時23分48秒
返信・引用 編集済
   ミステリー文学資料館にて開催中の「中井英夫展」も、余すところ1か月となりました。
 ここまで「史上初<三大奇書>草稿一挙展示!」、「三島由紀夫「愛の処刑」ノートを初公開!」と隠し球を連発してきた同展ですが、ついに隠し球最終第3弾の内容が公開されました。
     ↓
 →ミステリー文学館

 うーむ。こんなに隠し球を連発する文学展見たことないぞ(^^;
 特別展示第3弾は2月3日より。中井英夫展自体は2月28日まで。どうぞお見逃しなく!


 

みじかばなし

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月31日(土)00時44分32秒
返信・引用
  宰相A 「わが国は人質解放最優先で外交努力を続けている」
イスラム国「嘘つけ。実際は何もしなかったじゃないか。神はお見通しだぞ」
宰相A「アッラー見てたのね~♪」
というのを思いついたのだが、ツイッターでは炎上必至なので、そっちはやめて、人跡まれな辺境の当板に板書しておく(>おい)(^^;

 

「でんでら国」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月30日(金)23時04分2秒
返信・引用 編集済
   平谷美樹『でんでら国』(小学館、15)に着手。100頁まで。
 タイトルを見て即座に思い出したのは、映画「デンデラ」でした。映画では、棄てられるのは老女。棄てられた老女たちがサバイバル力を発揮して、姥捨山の山奥で、秘かにデンデラという共同体を作っている。そしていつか自分たちを棄てた男社会の村に復讐してやろうと力を蓄えていたところ、人喰いの味を覚えたクマに襲われてしまいます。
 それまでは、女であり且つ老人という二重の被差別者による、社会の枠組みの顕在化という、意図が見え、よかったのですが、クマが登場してからは、最初の眼目は吹っ飛んでしまい、執拗に襲ってくるクマとの生死をかけた闘争という、ジョーズ的なアニマルパニックものに変わってしまって、観客はアリャアリャとズッコケてしまう、いったい製作者は何を考えているのかという失敗作でした(はじめのテーマでは客数は望めないとどこかから横槍でも入ったのでしょうか)。

 一方本篇はこんな話。
  時は幕末、陸奥国の八戸藩と南部藩に挟まれた二万石の小さな国、外館藩西根通大平村が舞台。大平村には、60才になると全ての役割を解かれ、御山参りをする習わしがあった。御山参りと言えば聞こえはいいが、それは大平村へ戻れない片道の旅。食い扶持を減らす為の村の掟であったのだ。
 ある日、代官所は、そんな大平村が、飢饉の年でも年貢をきちんと納めることを怪しく思う。姥捨山に老人を捨てているからだという噂もあるが、それでも老人を減らすだけで、重い年貢を納めることができるものかといぶかしむ。そこで代官所がたどり着いた答えは、「大平村は隠田を開墾しているのではないか」という疑惑だった。隠田を持っていることは、死罪にあたる時代、果たして真相やいかに・・・?代官と農民の知恵比べ。幕末老人痛快エンタテインメント!
版元サイトより)

 隠田調査に役人(主人公?)が大平村に派遣されるのですが、よもや当の役人も、隠田が死出の旅路に出たはずの老人たちによって経営されているとは、想像だにしていなかったのでした!!(笑)

 

「セヴンティーン」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月30日(金)17時59分20秒
返信・引用 編集済
  『性的人間』より「セヴンティーン」を読みました。
 新旧版を並べて対照しながら読み始め、10頁ほどは作業を進めたのだけれど、ところが冒頭からのあまりの暴走っぷりが面白すぎてつい引きこまれてしまい、そんな辛気臭い作業はやってられんと放棄しちゃいました(汗)。
 それに、どうやら今回の改稿は(可読性を考慮しての?)改行を増やしているのと、最小限の語句訂正のみであることが、その10頁ほどで予想できたからでもあります。もっとドラスティックな改変がなされたのではないか、と期待したのでしたが、その点では拍子抜けでした(^^;。
 しかし、今読むとスラップスティック・コメディですな。或いは滑稽小説。冒頭の一気の加速など、筒井さんに先行しています(61年初出。筒井さんはデビュー前)。そして多分、このような効果を、著者自身意図して書き上げたものであることは間違いないと思います。このユーモア感覚は意外に筒井さんに近いです。(筒井さんが意識していたかどうか。私は意識していたんじゃないかなと思います。『日本列島七曲り』あたりは、筒井さんのレスポンスだったのではないかと)
 でも、私自身は初読当時、残念ながらそれに気づけなかったようです。ではどの辺を読んでいたかといいますと、父親に戯画化されている「左翼進歩的知識人」と言う存在が、実はいかなる責任も負わない、逃げる、人間のクズつまり虚無的な人間の頽落態であることをはっきりと造形した点とか(それはそれでなかなか見事ではあるのですが)、滑稽小説をクソ真面目に読むという愚を犯していたようで、著者からすればそれは残念な読み方だったんだろうなあ、と今更ながら恥ずかしくなりました。
 今度編まれるドタバタ小説傑作選には、筒井康隆「郵性省」と共にぜひ収録してほしいと思いました(>おい)(^^;

 

「秘密結社の手帖」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月29日(木)20時46分36秒
返信・引用 編集済
   運動不足なので昼過ぎに散歩に出ました。かなり寒そうで、海岸堤は無理。――かと思ったのですが、意外にさほどではなく(といっても私の他には散歩者はゼロでしたが)、30分(1秒2歩として推定3600歩)歩きました。超久しぶりだったせいか、最後は這うような状態でしたが、散歩後は非常に爽快で、体が内側から温まって、帰路の車中は暖房を入れる必要もありませんでした。おかげで夕食もほどよく空腹感があり、粗食を美味しくいただくことができました(^^)

> No.6133[元記事へ]
段野さん
>平谷美樹さまの「貸し物屋お庸 江戸娘、店主となる」を読ませて頂きました
 おお!
>おもしろかったです!
 そうでしょう、そうでしょう(^^) 私は未読ですが、レンタルショップという「今」を象徴するような職種を江戸時代に現出させたのがミソですよね。一種シュールレアリズム的な手法といえるかも。段野さんがクリーニング屋を思い出したように、読者が自分の経験を投影しやすく、それがまた作品への興味を弥増すのですよね。この手は参考になるのではないでしょうか。

> No.6132[元記事へ]
 澁澤龍彦『秘密結社の手帖』(河出文庫84、元版66)
 最後の2章は、日本と中国の秘密結社に当てられているのですが、この部分わたし的にはちょっと物足りなかった。これは著者のホームグラウンドが西洋史で、東洋史は手薄だったのか、私が西洋史よりも東洋史の方に興味が深いからなのか、ともあれ、中国の秘密結社について、もっといろいろ知りたくなりました。
 ということで読了。面白かったです。

 さて、次は何を読もうか。そうだ、段野さんが『貸し物屋お庸』を読まれたのなら、私は平谷さんのさらに新刊『でんでら国』を読むことにしましょう。但し明日から。
 改版『性的人間』が届いたので、今日はとりあえず「セヴンティーン」を、どれくらい改変されたのか、新旧二冊並べて読んでみることにします(^^;。
 


 

貸し物屋お庸

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 1月29日(木)13時27分2秒
返信・引用
  管理人様
平谷美樹さまの「貸し物屋お庸 江戸娘、店主となる」を読ませて頂きました。
おもしろかったです! ちゃんと、謎は解け、(当たり前ですね)かつ、題材がおもしろかったです。ただ、〝白泉社文庫〟ということで、コミックと間違われてしまいまして、あわてて店員さんに事情を説明しました。表紙が、コミックを想起させるような雰囲気でしたので、(内容は、違うものです)間違われたのかな、と思いました。
おもしろく、「貸し褌」などは、現実的に、私にはとらえることができました。と言いますのは、とあるクリーニング屋の店頭で実際に目にしたことがありまして、(褌ではありません)ワイシャツを引き取りにきた老人、今まで着ていたワイシャツを店頭で(皆見ている前で)脱ぎ、出来立てのワイシャツを着ました。今まで着ていたものは、即クリーニングに出しました。このことなどは、「貸し褌」と同じようです。ワイシャツの老人にしてみれば、この方が合理的だと思ったのでしょう。江戸時代では、洗濯も今とは違い、大変だと思います。「貸し物屋」は合理的な商売だと思いました。そこに目をつけられ、おもしろい作品にされた平谷さまのアイディア、素晴らしく思いました。
そして、この本のラストページ、なんと「招き猫文庫時代小説新人賞」の募集案内が載っているではありませんか。大賞は、文庫化されるとのこと、うむむ、手持ちの連作もので、勝負? 無謀かもしれませんね。
 

プリンタが認識されない

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月28日(水)22時27分39秒
返信・引用 編集済
   今日、帰宅してパソコンの電源を入れたところ、プリンターのUSBが認識されてない、と言う表示が出ました。それで晩飯後ついさっきまで、抜き差しとか、電源を入れたり切ったりとか、いろいろやってみていたんですが、復活しません。うーむ。最悪、メーカーにプリンタとPCをつなぐ専用USBコードを注文しなければならないかも。とりあえず今日のところは放置してみます。明日、電源を入れたら復活していることを期待。

 ということで、『秘密結社の手帖』は250頁まで。
「奇蹟の庭という名称の由来は、街頭で物乞いをする片輪の乞食たちが、ひとたび彼らの巣窟にもどると、その片輪がたちまち奇蹟のように治ってしまうからであった」(230p)
 恥ずかしながら、クー・クラックス・クランとフリーメーソンが別存在であることを初めて意識として認識しました(汗)。これまで、なんとなく(無意識に)混同していたかも(>おい)(ーー;
 

「なぞ転」ひかりTVで提供開始

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月28日(水)00時20分1秒
返信・引用
   元サイト

 

「性的人間」最新改版

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月27日(火)22時43分45秒
返信・引用 編集済
   以下のやりとりをしたのが数日前。
          ↓
 
          ↓
 それから今日まで、アマゾンを注視していたのですが、いっこうに新版に変わる気配がありません。68/4/29改版のまま。但し画像は変わっています(→こちら)。
 で、ふと思いついてセブンネットで見てみました。おお、セブンネットは変更済みでした(→こちら)。
 しかも親切に、旧版は別に置かれていて、間違って購入することがないように配慮されていました(こちら)。
 ということで、安心してセブンネットに発注(^^)
 いや、アマゾンも実際は変わっているのかもしれません(ページ数に注目すれば新版と思われる)。が、この表記では危なくて発注する気にはなりません。寡占企業のおごりというべきか。確実に売上を落としているはずですが、トータルで見れば微々たるもので、たぶん気がつくこともないのでしょう。

 『秘密結社の手帖』は130頁あたり。

 

PCキンドル日本語版

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月26日(月)21時39分46秒
返信・引用 編集済
   kindle for PCの日本語版が無料提供されたので、ダウンロードしてみました(→こちら)。
 これまでのkindle for PCが英語の電子書籍にしか対応していなかったのに対して今回のソフトでは日本語の電子書籍が購入でき読めるようになったのです。
 で、さっそくkindle本を購入してみました。といっても、とりあえずは練習を兼ねて、無料の「黒死館殺人事件」と柳田国男「日本の伝説」をダウンロードしました。
 あっという間に、私のPCに2冊の書籍が入っていました。
 私は端末の電子書籍リーダーは持っていないのですが、PC用のhontoとebookのリーダーはダウンロードしてあり、どちらも最初は利用していましたが、今は殆ど使っていません。結局使い勝手が悪かったからですが、今回導入したkindleは、格段に見やすく使いやすいです。何よりも「検索」できるのがありがたい(前二者もひょっとしたら最新バージョンをアップすれば感じが違うのかもしれませんが)。この機能に関しては、紙版も及びません。
 しかしなんといっても、電子書籍は紙版より安いのが最大の魅力です。どの本も最低1割は安く購入できるみたいです。半額以下なんてのもあります。たとえば『きまぐれロボット』なんて136円です。ほとんどブックオフ価格です。とにかく紙の本の価格を横線で消して、その下に何割か安いkindle価格が表示されてありますと、思わず購入してしまいそうになります。
 一瞬で手元に来るのも、参考文献等で急に必要になったときなど、とても便利ですね(PC画面ですし、私の場合この使用法がメインになりそう)。
 そういう次第で、アマゾンのキンドルのページを見ていたら、あれもこれも買ってしまいそうになります。急いで見るのをやめました。キケンなので、もうしばらくは封印しておこうと思います(^^;

 ということで、紙版の積読消化シリーズ、澁澤龍彦『秘密結社の手帖』に着手。90頁まで。

 

雫石さまへ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 1月26日(月)13時26分25秒
返信・引用
  うらめしや。その日も、予定が入っておりまして、参加できません(かんべさまは、きっと大喜び?)残念です。  

「クトゥルー1」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月26日(月)00時59分31秒
返信・引用 編集済
  > No.6126[元記事へ]

 かんべさん
>ごく初歩的、一般的なものになる予定
 ああ、その点は大丈夫です。その方がむしろありがたいかと。て言うか、ナマかんべさんを見られたらそれで満足なのです。「あ、歩いてはる」「わっ、喋ったで」(>おい)m(__)m

 H・P・ラヴクラフト他暗黒神話体系シリーズクトゥルー1』大瀧啓裕編(青心社文庫、88)読了。

 先日書いたように、クトゥルーというよりはラヴクラフトが合わないのかもと考え着手。というのは、本書は冒頭の「クトゥルーの呼び声」のみラヴクラフト作品で、それ以外は別の作家が設定を借りて書いたものだからです。(ただしもう1篇、「破風の窓」はラヴクラフトとダーレスとの共作ですが、結局アイデアを借りたダーレス作品と考えるべきでしょう。なお「クトゥルーの呼び声」は先日(訳者違いで)読んだばかりなのでスキップ)。

 うーむ。どう考えてもラヴクラフトが一番小説が下手としか思えません。とりわけオーガスト・ダーレス作品はわかりやすい。これはおそらく、ダーレスが分類型の思考をする人だからだと思います。ラヴクラフトのグチャッとした密林の中を歩くような作品群から、クトゥルー神話体系を抽出した人ですから、そういう体系的思考に長けていたはずです(当然その安易な二分法には批判もあり、それもよくわかります)。たとえば「古のもの」と「旧神」と「旧支配者」の関係ですが、ラヴクラフトを読んでいても曖昧模糊としていてよくわかりません。ダーレスは本書「ルルイエの印」で「<大いなる古のもの>と<旧神>は、わたしが判断するかぎり同一の存在であって、原初的な善をあらわしており、一方<旧支配者>は原初的な悪をあらわしている」(278p)と明快です。ただし「わたしが判断するかぎり」と記しているように、ダーレス自身もラヴクラフトの曖昧な描写から一義的に理解できたわけではなく、解釈していることがわかります。

 集中、もっとも迫真的だったのは、ヘイゼル・ヒールドという人の「博物館の恐怖」で、理由はその描写が極めて具体的だったからです。
 一体に、クトゥルーとヒロイック・ファンタジーは、舞台が(蒼古世界という意味で)似ています。本篇では300万年前アラスカにあったロマール国の廃墟から、或るもの(その国を統べていた旧支配者の仮死体)をイギリスに運んでしまうのですが、ヒロイックファンタジーならば、ロマールの時代を舞台にした英雄と悪神との闘争という形になるはずです。

 このようにクトゥルーは常に「現代小説」なんですね。これが最大の特徴ではないでしょうか。クトゥルーでは過去が現代に影響を及ぼすという形をとるのです。逆に言えば過去において既に定まっていることが起こるのです。どこに定まっているか、といえば、それは「ネクロノミコン」であり、「ルルイエ異本」でり、「ナコト写本」であり、「エイボンの書」であるわけです。

 小説は、常にそれらの書物が正しかったことを証明するというゆくたてになっています。今起こっている怪異が、過去の書物によって説明されるのですね。あるいは起こっている怪異が、書物の正しさを証明する。これは一種文献史学もしくは訓詁学の手法に近いといえるのではないでしょうか。全ての怪異は、既にその名前まで定まっています。ついでに言えば、これは<科学的思考>とは正反対の態度ですね。

 ひょっとしてラヴクラフトは大変な怖がりだったんじゃないでしょうか。どんな魔術もその名前がわかれば防げる、というのが西洋魔術。ゲド戦記では真の名前を知られると知ったものに服従しなければなりません。人類学でも、名付けられたものと名付けられたものの隙間の命名されざる部分(もしくは重なる両義的な部分)に魔が宿る(と認識される)ことを観察しています。
 面白いのは「名状しがたきもの」と呼ばれる旧支配者が、ハスターという名前なんですね。どういうこっちゃ(^^; このようにラヴクラフトの命名への強迫観念はかなり重症です。世界が怖くて怖くて仕方がなかったんでしょうか。そういえば保守的な人間ほど怖がりなんですよね。未知なるものが怖いのです。日本人ではない別人種(人種なんて曖昧な概念なんですが)が怖いのです(全ての日本人が怖くないなんてありえないのに、そこはとりあえずスルーするわけです)。命名とは恐怖心を押さえ込む手段でもあります。

 クトゥルー小説がどれもこれも同工異曲なのも、同じ心性のあらわれなのかも。同じならば先の予測がつきますから。大体クトゥルーは、最初の数ページで、ああこれはこうなるだろうな、という予測がついてしまいます。
 なるほど、この先どうなるか皆目見当がつかない物語というのは、案外、怖がりには耐えられないものかもしれません。

 

あらかじめ御了承ください

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2015年 1月25日(日)14時38分16秒
返信・引用
  2月末の講演、対象が学生諸君と市民参加者です。
当方、リスナーによって内容の選択構成を案配しますので、
今回は、ごく初歩的、一般的なものになる予定。確か以前、
「神戸のより、京都のやつの方がおもしろかった」云々という、
SFマニア氏の感想があったように覚えてますが、それも多分、
神戸は一般、京都はSFファン向けだったからでしょう。
したがいしまて、あんまり期待されると困りますので、あしからず。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月25日(日)13時59分14秒
返信・引用 編集済
  斎藤さん
 私は、NHK少年ドラマ「なぞ転」は、それなりの懐かしさもあるのですけれど、「未来からの挑戦」は見た記憶がありません。確認したら、1977年1月10日から2月11日の毎週月~木曜日、18:05~18:25放送、とありました。
 その頃は、丁度私は大学2年の3学期(とは言いませんが)で、友人たちと遊ぶのが楽しくて遊び呆けていた時期でした。おそらくただの1回も見たことはなかったと思います。
 と書いていてふと思い出したことがあり、検索してみたら、見つかりました→嬉しいニュースです
 おお、斎藤さんの希望が成就しましたね。あ、まだ成就していないのか。会場で市販されたら成就ですね。サイン会があれば更に良しですね(^^)
 2月8日満願成就となりますよう!

段野さん
>(うらめしい)
 いやいや、京都まで出かけて行って1万円の豆腐懐石料理を食べて帰って来るのと、金額ではそんなに違いませんよ(西宮北口-嵐山、往復940円)。しかももし万が一、DVDが当りでもしたら、モトをとってさらにオツリがくるというもんです。どっちがトクかよく考えてみよう(>煽る煽る)(^^;
 かんべ講演会は、そらもう別口で捉えるべき。比べてどっちを取ろうとかいうレベルではありませんぜ(^^ゞ

雫石さん
 ブログ拝読。お見舞い申し上げます。可能ならばまずは非公式に親しい間柄の上司に話をして、最終的には一番影響の少ない時期を(あるいは影響を少なくする計画を立てて)詰めていければいいのですけどねえ。要は杓子定規な対応がしにくい空気を醸成していくことだと思います。

 

Re: 賞品はサイン入り少年ドラマシリーズのDVD!

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2015年 1月24日(土)16時22分48秒
返信・引用
  > No.6121[元記事へ]

段野さん。
かわりに、かんべさんの講演会に行きませんか?
http://www.otemae.ac.jp/news/2265
2月28日 14時から
西宮さくら夙川
以前、堀さんが講演したところです。
私は、申し込みました。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re:賞品はサイン入り少年ドラマシリーズのDVD!

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 1月24日(土)09時30分53秒
返信・引用
  斉藤様
いいですねー! 気合入りまくりですね。いやー、東京近辺の人がうらやましいこと、この上ありませんです(うらめしい)
ぜひ、賞品をゲットして下さいませ。
 

Re: 賞品はサイン入り少年ドラマシリーズのDVD!

 投稿者:斎藤  投稿日:2015年 1月24日(土)09時20分55秒
返信・引用
  管理人様、段野様
ふふふふ、私は行きます!!
このイベントの先行予約が開始された直後の12月12日に申込を済ませました。
気合入りまくりです。
「なぞの転校生」でSFに目覚め、「未来からの挑戦」で眉村SFのとりこになりました。
「未来からの挑戦」はリアルタイムでしか見れなかったので、全話をもう一度見直したいと痛切に思い続けたドラマでした。
今回の「未来からの挑戦」全話修復版の完成ニュースは何年間も待ち望んだ最高のニュースでした。
今回のイベントでの抽選サイン入りDVDは果たしてこの「未来からの挑戦」全話修復版なのか。
それとも、もう一つの全話発掘&修復済みの「明日への追跡」なのか。
はてまた実は過去発売済みのDVDなのか。
このイベントとは別の『「未来からの挑戦」全話発掘ニュース』のページに、DVD・ブルーレイでの市販を要望するコメントを投稿しましたが、返信内容は曖昧で、イエス、ノーが不明でした。
私以外にも、何人かの方がやはりDVD販売の要望を上げておられましたが、その返信でもイエス、ノーは不明で、はぐらかされていました。
果たして今回の「未来からの挑戦」全話版はどのような形で公開されるのか。
市販なら最高です。
全話放送でも嬉しいです。録画して保存出来ます(私は配信形態が好きではなく、どうしても物理媒体で所有したいという物欲の塊なのです)。
最悪は、HNKアーカイブセンターでの視聴のみという形です。う~、これだと映像が保存出来ません。悲しいです。
あ~、市販だといいなあ、そして、その市販DVDがサイン入りでプレゼント(抽選)されたら最高だなあ、抽選に外れても、先行販売されて、当日出演された方々から手渡しなんてことになったらこれ又最高に嬉しいなあ、と妄想に耽るこの頃です。
いずれにせよ、2月8日が待ち遠しくてたまりません。
 

賞品はサイン入り少年ドラマシリーズのDVD!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月23日(金)21時11分51秒
返信・引用 編集済
  > No.6120[元記事へ]

段野さん
 近くだったら、ぜひ行きたいですよねえ。
 NHKアーカイブス番組発掘プロジェクトのHPを覗いてみました→こちら
 当日出題されるクイズの問題がのっていました。
   ↓
 

 おお、正解者の賞品はサイン入り少年ドラマシリーズのDVDなのかッ!!
 うーむ。
 いまささっと検索してみたら、夜行バス(青春エコドリーム)を利用すれば大阪~東京往復1万400円(5200円X2)。京浜東北線東京~川口往復620円(310円x2)。
 食事や休憩場所含めても、15000円もあれば余裕で行って帰ってこられますね。
 うーむ。(いや行きませんって)(^^;
 

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 1月23日(金)13時28分6秒
返信・引用
  いいなあ、行けるひとは。うらやましいです。うう……。  

「未来からの挑戦」復元上映会&NHK少年ドラマシリーズ同窓会トークショー【入場無料】

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月22日(木)20時13分27秒
返信・引用 編集済
   来月2月8日川口市にて。トークショーが見ものですね(でもこれ、なぞ転のメンバーやね)(^^)。
 今場所大相撲解説で相撲オタクぶりを見せつけ一躍相撲ファンのハートをつかんだ紺野美沙子さん(当時佐藤美沙子さん)はVTR出演なのか。

 元記事

 

モデルは若き眉村さん?

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月22日(木)00時50分23秒
返信・引用
   引用元
 

ジャンヌとジル

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月21日(水)21時02分12秒
返信・引用 編集済
  > No.6116[元記事へ]

 昨日はうっかり書き落としてしまったのですが、ジル・ド・レエは自費で軍隊を組織してジャンヌ・ダルクのもとに馳せ参じ、ジャンヌ・ダルク軍随一の働きで勝利に貢献し「救国の英雄」と謳われたのだそうです。(そもそも残虐趣味があったからこそ猛将だったんでしょうけど)
 これはまったく知らなかったので、非常に驚かされました。
 そしてジルが魔道に沈潜し青ひげ公に擬せられるようになったのは、ジャンヌが火刑に処せられた後、領地のチフォージュ城にひきこもってからなんですね。(最終的に領地から子供は全くいなくなってしまったそうです)
 一体、何がジル・ド・レエを魔界に突き落としたのか。そのあたりを小説にしたものが、ユイスマンスの『彼方』なのです。
『彼方』は創元文庫版を所有しています。うーむ。いよいよ読む時期が来たのでしょうか・・
 

「黒魔術の手帖」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月20日(火)23時16分49秒
返信・引用 編集済
   澁澤龍彦『黒魔術の手帖』(文春文庫04、元版61)読了。
 翻訳や学術書を別にすれば著者の処女作のはずです(旧宝石60年8月~61年10月連載)。
 最初の方で、「近頃、安手なサイエンス・フィクションが大いに流行しているけれど、人間が他の天体に飛び立つという発想も、そこに何か科学的・合理主義的空想の必然性を超えた、より深い人類史的・哲学的空想の裏づけがあった場合、よほど深い文学作品になるのではないかと思われるのだが、いかがなものであろう」(51p)と、いささか対抗心をにじませながら書いています。
 この部分は雑誌(旧宝石)連載では、60年9月号掲載分に相当します。すでに銀背の前身、ハヤカワファンタジーが57年に、SFマガジンが59年に、それぞれ創刊されており(同じく旧宝石で57年にデビューした星新一が「弱点」「雨」などショートショート6編で直木賞候補となったのは60年下半期で、ちょっとずれる)、澁澤の目にもSFは大いに新時代の潮流として注目されていたのでしょう(但し合理主義の文学として。序文で著者は本書について「反時代的論考」と自己規定しています)。
 引用は更に続きます。「ポオのひそみにならって、ミステリ作家が、必ず自分の宇宙論を書くような制度を設けたら面白いと思う」。果たしてその二年後、塔晶夫「虚無への供物」が乱歩賞次席に入選します。
 この二潮流は、60年代末から70年代を通して、ちょうど私が専ら自身のインフラ整備に励んでいた時期に、ともに隆盛していくのですが、私自身の整備の傾向はSF(近代主義・合理主義)の方に偏っていまして、澁澤的方面はかなり手薄だなという自覚があります。
 本書のパラケルススもジル・ド・レエも正直なところ名前は知っているというレベルだったので、大変面白く読めました。いったいに中世は、私から見ますと、広大な海洋というよりも底なしの沼という感じで広がっているように感じられますね。
 それにしても、ケルトについてもっと知識を深めたいし、念願のユイスマンスにもそろそろ着手したい。私のインフラ整備はまだまだ続きます(^^;

 

amazon.co.ukで無料公開中

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月20日(火)11時40分43秒
返信・引用
   
     ↓
 ドイツ第三帝国と大日本帝国に占領されたアメリカを描く海外テレビドラマ『高い城の男』


 

「インスマウスの影」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月19日(月)23時04分33秒
返信・引用 編集済
  > No.6110[元記事へ]

 承前「インスマウスの影」を読みました。昨日、100頁の中篇と記しましたが、120頁ありました。主人公の町徘徊(これは後半の脱出行に効いてはくるのですが)の次はザドック老人の山場のない単調な独白がさらに30頁続きます。
 こたつに入って読んでいるので何度も意識を失います。本を取り落とすパタッという音ではっと意識を取り戻す、その繰り返し。
 ストーリーがようやく動き出すのは、主人公が、閉じ込められたホテルの一室から脱出しようとする、120頁の紙幅の、とうに半分を過ぎた70頁目あたりから。しかしこの脱出行は、さすがに面白い。のですがラストの血の秘密は必要だったんでしょうか。私はそんな因縁譚は不要に感じました(強引に接合した感が強く、無理があります。そうしたいのだったら、町のことを聞いた瞬間から何故かその町が気にかかって仕方なくなり……みたいにしておくべき)。が、それにしても展開がいかにも遅すぎます。ラヴクラフトの五指に入る名作という評価は、ストーリーではなくその設定に大いに預かっているように思われました。(ちなみに私が最も気に入っているのは、「エーリッヒ・ツァンの音楽」です)
 

20年前

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月19日(月)20時38分59秒
返信・引用
  引用元  

Re: 「ロイガーの復活」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月19日(月)18時33分11秒
返信・引用 編集済
  > No.6111[元記事へ]

高井さん
 書誌情報ありがとうございました。「X機能と非合理的知識について」というタイトルが、いかにも荒巻さんが使いそうなタイトルなんですよね。
 私もこんなのを発掘したのですが、「読者をここまで引っぱってくるのに利用した道具がどれもこれも書物だったというのは、やはり問題だ。人間はちっとも動かない」というのはまことに適確なウィルソン評なのですが、これ、ウィルソンを荒巻に変えても十分通用しますよね。両者の創作態度というか創作動機は、かなり近いものがあるように思います。
 それにしてもラヴクラフトを二流と決めつけておきながら、しかしその世界設定には創作心をくすぐられたんでしょうか。「X機能と非合理的知識について」というタイトルに、ウィルソンのどの部分がくすぐられたのか、読み取れそうな気がします。
      ↓クリックで拡大



 

Re: 「ロイガーの復活」読了

 投稿者:高井 信  投稿日:2015年 1月19日(月)10時53分30秒
返信・引用
   また懐かしい小説を!
>  100頁(190枚)の中篇ですが、元版はハヤカワ文庫『ロイガーの復活』で単著です。調べたらハヤカワ版は167頁あり、解説が充実していたのでしょうか。ともあれ単著として読了リストにカウントすることにします。
 目次、スキャンしました。
「ネクロノミコンの歴史」はリン・カーター、「X機能と非合理的知識について」はコリン・ウィルスンです。訳者は団精二。このペンネームも懐かしい。
 

「インスマウスの影」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月19日(月)02時21分7秒
返信・引用 編集済
   読み終えた「ロイガーの復活」が収録されている『ラヴクラフト恐怖の宇宙史』には、「古きものたちの墓」が(そしてひょっとしたら「遊星よりの物体X」も)踏まえたと思われる「狂気の山にて」も収録されているのですが、この作品、160頁(300枚)以上あるラヴクラフト唯一の長篇なんですね。あの文体で300枚も、と思うとちょっと尻込みしてしまいます。
 もちろんそのうち読むつもりですが、その前に、いささか理由*がありまして「インスマウスの影」(『ラヴクラフト全集1』所収)に着手しました。『ラヴクラフト全集』は3巻まで所持しており、本篇は再読。(「狂気の山脈にて」は4巻所収)
 100頁の中篇で半分読みました。いやはや、再読なのにやっぱりしんどい。ここまで、淡々と単調になんの山場もなくインスマウスの町並みが主人公によって見て回られるだけ。で、この枚数ですよ。まだ何も始まっていません。
 *なに、大した理由ではありません。神戸の町をインスマウス化してみようかと思いまして(>おい)(^^;
 

「ロイガーの復活」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月18日(日)21時43分40秒
返信・引用 編集済
  > No.6104[元記事へ]

 コリン・ウィルソン「ロイガーの復活」荒俣宏訳(『ラヴクラフト恐怖の宇宙史』(角川ホラー文庫93)所収)読了。
 100頁(190枚)の中篇ですが、元版はハヤカワ文庫『ロイガーの復活』で単著です。調べたらハヤカワ版は167頁あり、解説が充実していたのでしょうか。ともあれ単著として読了リストにカウントすることにします。
 しかし読了した第一印象は「ほとんど梗概」という感じで、「古きものたちの墓」と比較して、小説としての面白みはかなり割り引かざるを得ません。(多分じっくり小説化したら矛盾してくるんだと思います)
 しかも「古きものたちの墓」では殆どそういう描写はなかったところの(しかしプロパー・クトゥルーではお馴染みの)嫌な匂いとか不吉な気分といった心理的なおどろどろしさを高めていく筆法がかなり採用されていて(人種差別的な描写も)、それは著者の(プロパー読者への)趣向だったのかもしれませんが、わたし的にはいささかげんなりでした。
 一種ムー的なトラベルミステリの面があって、その辺は荒巻義雄のノベルズシリーズにかなり近いです。「古きものたちの墓」より超常現象を無批判に肯定していて、前作のクトゥルーを再帰的に解釈する姿勢は見えず、いささかがっかりでした。前作が1999年刊に対して本作は69年刊。ひょっとしたら前作は30年前の自身の執筆態度への自己批判なのかも。それを確認するには67年の「精神寄生体」も読まなければなりません。

 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月18日(日)04時10分6秒
返信・引用
  ええ!?
 引用元(4時現在)


 

埋め込みコードにするとCM動画がカットされるのがいいですね

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月18日(日)02時12分28秒
返信・引用 編集済
   元ツイート

 今日も10時頃、我慢できなくなって横になったら寝ていました。しかしさすがに昨日の今日で、12時過ぎに目が覚めた。
 でも、本を読み始めると調子が悪くなるのですね。早々にあきらめてyoutubeを聴いていました。あんまり騒々しい曲は聴きたくなかったみたいです。

   ↓こっちを通常で聴くと演奏をブッタ切ってCM動画が割り込んでくるのです。かなりヒドイ。 ↓こっちは良心的。
  
 
 

 

中井英夫展・三島由紀夫自筆ノート展示

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月17日(土)14時29分7秒
返信・引用 編集済
   ミステリー文学資料館でただいま開催中の「反世界から半世紀──中井英夫展」(2月28日まで)につきましては、昨年12月に三大奇書自筆原稿展示の話題をお伝えしましたが、このたび目玉企画第二弾といたしまして、中井英夫の遺品の中から発見された《三島由紀夫自筆ノート》が期間限定で初公開されるそうです(1/20~31限定)。
「同性愛者の会員制同人誌「アドニス」の別冊に60年、榊山保名義で秘かに発表し、「憂国」の原型とも言われる「愛の処刑」の第一稿とされる資料」(下記読売記事より)
 いやこれは大変な稀覯資料ではありませんか!
 興味を持たれた方は、この機会お見逃しなく、ぜひミステリー文学資料館にお運びいただきたいと思います。
 →《三島由紀夫「愛の処刑」ノートを初公開!》ミステリー文学資料館

  ↓クリックで拡大
 

鼻づまり

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月17日(土)13時47分28秒
返信・引用 編集済
   昨日は遂に、夕食後、風邪薬を飲んでしまいました。いつ以来か覚えていませんが、少なくとも阪神淡路大震災以降に服用した記憶はありません。
 うむ。20年(以上)ぶりか。これなら効くかな。と思っていたら、喉の痛みはとれました。
 ところがトンデモナイ鼻づまりに(両側とも)なって、まったく息が通らなくなってしまいました。これは鼻水ダダ漏れよりも、症状が回復したのでしょうか。そうなのかもしれません。が、日常生活には多大の困難が生じました(ダダ漏れならティッシュ栓で対処できる)。
 これはかなわん、と早々に布団に潜り込んで、本を読もうとしたところ、仰向けは非常に苦しいことがわかった(俯きも)。体を横にすると、少し楽になるのですが、本が読めません(横向きに寝て本が読める方っているのでしょうか)。あきらめて本を放りだしたらすぐに寝入ってしまい、今日昼前に起きました。
 たぶん13時間くらい寝たでしょうか。もっとも4時頃一回目が覚めて、それからは半覚半睡の、夢を見ているかと思えば、あ、夢を見ていたなと気づく、その繰り返しで、12時前に完全に覚醒するまで、途方もない時間が経ったような印象を覚えました。
 うーむ。これはひょっとして、クトゥルーなんぞという夢魔の世界を描いたような話を読み続けた報いなのでしょうか(^^;
 とかいいながら、寝る前に何を読もうとしていたかといえば、コリン・ウィルソン「ロイガーの復活」(『ラヴクラフト恐怖の宇宙史』所収)なのでした(^^ゞ
追記。鼻づまりは治ったようですが、全体にはまだ本復していないみたいです。
 

「古きものたちの墓」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月16日(金)20時17分48秒
返信・引用 編集済
  > No.6100[元記事へ]

 承前。表題作読了。これは面白かった。一応クトゥルー神話の1エピソードという体裁ではありますが、感触は正反対。SF的な視座からクトゥルーを解釈してみたものと言えそうです。といっても前提となるファーストワンの地球到来はSF的にはありえない設定なんですが、その前提を認めた上で、SF的思弁を展開しているわけです。
 ですから、非常にスッキリしていてクールで、あの、時に頭が痛くなる所謂クトゥルー的な感触からは遙かに遠く隔たっています。つまり、前巻におけるキャンベルjr作品と同じポジショニングなのです。ただキャンベルjr作品が(意識か無意識かは別にして)反クトゥルー的であったのに対して、本篇はクトゥルーを前提とした上でのその再解釈的な作品と言えそうです。
 そういう意味で、本巻も(前巻と同じく)クトゥルー・アンソロジーではありますが、ガチガチの信者的アンソロジーではなく、クトゥルーの再帰的認識を主眼にしており、共感できる編集方針となっていました。
 ところで著者は、テレパシー的な所謂超能力を存在すると認めていて(これは著者の持論でしょう)、その根拠をユング心理学に求めています。このあたり、コリン・ウィルソンが(作家的実力の割には)SFゲットーで評価されない原因でしょう。
 一方、日本SF第一世代には、超能力(やムー的設定)を許容した(作品のキイ概念に使用した)作品が意外に多いんですね。その点でウィルソンに対して、私は第一世代(広義に荒巻義雄や山田正紀も含めてイメージしています)に大変近い印象を持ちました。つまり本来日本読者に受け入れられやすい作家であったはずなのです。
 銀背とか青背でまとまって紹介されていれば、もっと固定客を掴んだのではないでしょうか。ところがアウトサイダーや怒れる若者たちで喧伝されすぎて、翻訳が多くの出版社にバラバラに分散してしまい、それが結果的に、日本ではその実力にふさわしい評価を獲得し難くしてしまったように思われます。本篇なども、本来単著で上梓されていてしかるべき長篇小説です。それがこういうアンソロジーでしか出せないわけですからねえ。非常に惜しい気がするのでした。

 ということで、コリン・ウィルソン/ラムジー・キャンベル/ブライアン・ラムレイ『古きものたちの墓 クトゥルフ神話への招待増田まもる/尾之上浩司/立花圭一訳(扶桑社文庫、13)読了。二巻ともとてもよいアンソロジーでした。

 

Re: NIPPONCON

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月15日(木)13時45分2秒
返信・引用
  > No.6102[元記事へ]

 森下さんも焼き魚は七輪で炭火でなさるそうですが(→こちら)、いやはや、美味しいものをいただくために、皆さん涙ぐましい努力をなさっていますよねえ(^^)
 

Re: NIPPONCON

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2015年 1月15日(木)13時25分22秒
返信・引用
  > No.6101[元記事へ]

うまい焼き鳥を家で食べられないだろうかと思い、
東急ハンズで、七輪を買って来て、自宅(マンションの4階)の窓を全開にして、
炭火で鶏を焼いたことがあります。
煙がもうもう。探知機はもちろん反応、家人は煙で気分が悪くなり、
もうこんなことは2度と止めてくれと、厳命されました。
でも、炭火で焼いた鶏はおいしかった。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

NIPPONCON

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月15日(木)12時56分28秒
返信・引用 編集済
   元ツイート
 そういえば、ケイジャン料理はそもそもフランス家庭料理がルーツなので、当然なのではないでしょうか。

 
 

表題作

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月14日(水)22時48分8秒
返信・引用 編集済
  > No.6099[元記事へ]

 承前『古きものたちの墓』は、いよいよ最後の一篇。表題作でもあるコリン・ウィルソン「古きものたちの墓」に着手。
 最後の一篇といっても220頁(370枚)あります。430頁ある本書の半分強を占める純然たる長篇なんですが、(ぐだぐだな*クトゥルー小説を読んだあとでは)ものすごく読みやすくて、頁が進む進む。一気に半分弱まで読みました。
 面白い。実在の人物がくみこまれていて、どこまでが事実でどこからが虚構なのか、ノンフィクションフィクションみたいなところがあります(そのへんちょっと山田正紀的)。描写が理路整然としているので、大変読みやすい。ラヴクラフトのぐちゃっとした視界ゼロ文とは好対照。むしろ都合よく話が進み過ぎるくらい。どんどん進んでいきます(^^;
 と、ここまではクトゥルーぽいところほぼなかったのですが(ムー的ではありますがどちらかといえばサイエンス・フィクションの文体でした)、話も半ばに差し掛かって、なんかトンデモナイ超能力を持った兄弟姉妹が登場してきましたよ(^^;
*否定的な形容では必ずしもありません(^^;

 風邪が治りきってなくてダルいです。間欠的に微熱が出るようで、喉も痛い。横になっていると収まります。今日もPCよりこたつにいる時間のほうが長い。あ、読書が進むのはそのせいか。
 

見解の相違?

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月13日(火)22時02分23秒
返信・引用 編集済
  > No.6098[元記事へ]

 承前『古きものたちの墓』は、ブライアン・ラムレイ「けがれ」を読みました。100頁(170枚)の長中篇。静かに始まり、じわじわと盛り上がっていき、悲哀とともに静かに幕が引かれる――
 いやーよかった。これは秀作でした。と言おうと思ったら、そのあとに解決編(説明)があった。がっくり。うーん。要らんでしょ。私がデーモン・ナイトだったら、「4日後にジェフの膨らんだ溺死体が、浜辺から少し離れた南の磯に打ち上げられた。……」で閉めるようにアドバイスしますね(>おい)(^^;
 いやいやいやいや。この説明篇がなければクトゥルーやおませんがな(「これはクトゥルーじゃない!」)。むしろこの部分のために、この部分に奉仕するために、その前の部分がありますんや。
 という声が即座に聞こえてきそうです。が、わたし的には、それが無駄な部分なんですねえ。「なんやようわからんけど、よかった」でいいんじゃないのかなあ。
 あんさん、その言いようは自分に返ってきまっせ。SFかてそうですがな。アイデア(設定)を説明したいがために、SF作家はその前段を書いているのンとちゃいますのか。設定が主でストーリーは従でっしゃろ?
 いやまさにそうなんですよね。でも私は、SFの説明癖は許せるのです(最近は少し許容範囲が狭くなってきましたが)。ダブルスタンダードと笑わば笑え。そうなんですからどうしようもありませんなあ(^^;。

『黒魔術の手帖』は、215頁まで。


 

Re: トレインチャンネルに

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月13日(火)00時18分51秒
返信・引用 編集済
  > No.6096[元記事へ]

段野さん
>当方の「京もの」とは違い
 ああっ、江戸時代お仕事小説とすべきところを、江戸お仕事小説としてしまってましたね。失礼しました。時代小説でいいんじゃないか、とおっしゃるかもしれませんが、戦国時代を舞台にしましても時代小説的な設定はできるわけで、やはり「江戸時代」小説とこだわりたいと思います。
 してみますと「緋色の帯」は、正確には江戸時代京都お仕事小説且つ怪奇小説となりますね(>長い)(^^;

 『古きものたちの墓 クトゥルフ神話への招待』は、ラムジー・キャンベルの2篇(「ムーン・レンズ」、「湖畔の住人」)を読みました。うむ、面白かった。それぞれ30頁、60頁と、そこそこしっかり書き込んだ短篇ですが、きちんと小説として描写されていました。つまり「恐怖の橋」(や「クトゥルフの呼び声」)のような「ほとんど梗概」ではなかったということです。ちゃんと小説になっていたら、クトゥルーの子供だましなところも、あまり気にならず読めるということがわかりました。
 結局、私はクトゥルーが苦手と思っていましたが、実はラヴクラフト的な筆法が性に合わなかったのかもしれませんねえ(考えてみればラヴクラフト以外にクトゥルーものって殆んど読んだことがないのでした)。
 しかしラヴクラフトが一定の支持を得ているのも事実で、「ほとんど梗概」が気にならない読者層も存在しているということになりますね。

 『黒魔術の手帖』は155頁まで。

 

「宇宙気流88号」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月12日(月)14時05分7秒
返信・引用 編集済
   《宇宙気流88号》(SFM同好会)をいただきました【註】。ありがとうございました。
 さっそく拝読。
 おお!冒頭から不穏な雲行き。横田さんが堀さんに対してテロを敢行しているではありませんか。うーむ。テロというか、むしろプロレスで、開始ゴング直前に、ロープにもたれて背中を見せている日本人レスラーに、突如反則攻撃を仕掛け、数秒で反則負けして揚々と引き上げていく外国人レスラーの図でしょうか(>違いますね。すみませんすみません)。事実を知りたい方はどうぞご購読を。仲よきことは美しきかな(^^;
 佐藤正明「ネバーランドはどこにある」が面白いです。古来、邪馬台国と並んでその所在地について侃々諤々の議論(ネバーランドはどこですか論争)を呼んでいたネバーランドですが、遂に当論文によって、その位置というか行程が確定しました! なるほどそうだったのか~。今まで(ピーターパン以外)誰もネバーランドに辿り着けなかった理由が氷解しました!
 伊藤典夫「キューコン・ハチャハチャ・レポート」は1969年のSF大会レポートの再録。あのだらしない荒熊雪之丞が著者の想像の人物ではないことがよくわかりました。そういう人種が当時のSFファンダムにはゴロゴロしていたわけですね(>ホンマか)(汗)
 しかしやはり、林芳隆「宇宙気流年表第3回(1966~67)」が本誌中最大の読み物。読んでいるといつの間にか自分もその渦中にいたような錯覚にとらわれ、そこにいた筈もないのに、とても「懐かしい」気持ちになりました。
 石川喬司さんの「極楽の鬼」出版記念パーティでの星さんの祝辞――
「ええ、おめでとうございます」「今や科学は日進月歩、月のまわりを人工衛星がまわるという時代です。太陽のまわりを地球がまわり、地球のまわりを月がまわり、月のまわりを人工衛星がまわり、太陽がこげたら、みなこげた」
 創作では、中川龍夫「人工地震」が面白かったです。地震エネルギーを小出しにすれば大地震は防げることは、皆知っているのに、それを実地に移すことは(常識が邪魔して)誰も考えません。論理的にまっとうなアイデア(?)をエスカレートさせた点が、皮肉で面白かったです。
 あ、それから囲み記事で眉村さんの囲碁ショートショートご紹介くださっています。ありがたや。何とかしたいのはやまやまなんですけどねえ……。

【註】私にというのではなく、チャチャヤングの会にお贈り下さったものと思いますので、読みたい方はメール下さい。面白いですよ(^^))

 

Re:トレインチャンネルに

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 1月12日(月)13時59分20秒
返信・引用
  管理人様
平谷美樹さまの「貸し物屋お庸 江戸娘、店主となる」は、新聞広告で、めちゃ気になった本です。当方の「京もの」とは違い、江戸なので、どうなっていくのか、興味ありすぎです。(多分、読まさせて頂くことになりそうです)
「緋色の帯」に関しまして、ご感想ありがとうございます。ここのところ、連作ものが多くなってきまして、このほうが、当方にあっているのかな、などと思っているところです。
 

「クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月12日(月)02時05分8秒
返信・引用 編集済
  > No.6092[元記事へ]

 鼻水は止まりました。しかし、長時間こたつに入って横たわる姿勢のままだったせいで、今度は腰が……。年をとるとはこういうことですね。こういう負の連鎖で、衰えていくんでしょうなあ。

 承前。「遊星よりの物体X」読み終わった。いや改めてSF史に残る傑作であることを再認識しました。
 ということで、J・W・キャンベルJr/H・P・ラヴクラフト/ラムジー・キャンベル『クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X増田まもる/尾之上浩司訳(扶桑社文庫、12)読了。
 読み終わってみれば、本書、クトゥルーの本家本元から反クトゥルー作品(結果的にはクトゥルーに科学的根拠を与える、ある意味”と学会”的な試みとしても読めますね。ただそんな意図が著者にあったのかどうかですけど、まあそんなポストモダンな発想をする人物だとは、(SF編集者としての経歴からして)ちょっと思えないですねえ(^^;)まで、極めてバランスよくセレクトされていました。なかなかよいアンソロジーでした。
 ラムジー・キャンベルに少し興味をもったので、続刊『古きものたちの墓 クトゥルフ神話への招待に着手しました。
『黒魔術の手帖』は115頁まで。

 

トレインチャンネルに

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月11日(日)14時53分56秒
返信・引用 編集済
   最近のJRは、ドアの上にあるモニターに、動画のCMを流していることはご存知でしょうか。
 そんなんずっと前からやで。
 そうですね。私も数年前、山手線ではじめて見、びっくりしたものでしたが、近頃では環状線でも目にしますね。
 でも、阪和線はたぶん(と書くのは月に数遍しか乗らないからですが)そんな列車は走っていません。
 そんなアホな。
 ところが、信じられないでしょうが、ホンマなんです。いや驚くことではありません。だいたい阪和線は、他の線路で不要になった列車が回ってくる”最後の奉公場所”らしく、事実、私が学生の頃(70年代後半)まで、中央に柱が立っている列車が大きな顔をして走っていました。
 いやそんな話がしたかったのではありません。
 かかるドアの上にあるモニター(《トレインチャンネル》というらしい)で、平谷美樹さんの新刊『貸し物屋お庸 江戸娘、店主となる』(白泉社招き猫文庫)の広告が流れるそうです。
 期間は明日、1月12日(月)から18日(日)まで。残念ながら東京だけのようで、中央快速/京浜東北・根岸/京葉/埼京/南部/横浜の計6路線とのこと。期間中、首都圏のJR駅構内にある書店「Book Express」特設コーナーでも紹介本をプッシュするフェアをしているそうです。
 関西では見られないのか、とお嘆きの貴兄、ご安心召されい。youtubeに上がっているのです。
   ↓
 

 どうやら、《江戸時代お仕事小説》とでも云うべきジャンルのようですね。主人公は女の子。短篇連作。となりますと、おや、段野さんの最近の傾向(『織り屋おりん』とか)と同ジャンルではありませんか。つまりある意味競合しているのであり、ライヴァルとみなしてよいかもしれません。これは段野さん、まさに渡りに舟といいますか、ぜひ読まれて参考になさってはいかがですか?
 同ジャンルで、金を払って本にするのではなく、本になって尚且つお金が入ってくる小説とはどんな風に書かれているのか、勉強になること請け合いです。こちらに紹介記事も→ダ・ヴィンチNEWS
 敵を知り己を知れば百戦危うからずですよ(>おい)(^^;。

追記。あ、「緋色の帯」は江戸お仕事小説且つ怪奇小説で、怪奇現象の謎解明はありません。おそらく平谷作品では謎解明がなされている(つまり怪奇小説ではなく超自然現象が存在する世界でのミステリー)と思うのですが、そこは別に見習って解釈する必要はありません。唐宋伝奇的な結末はなかなか良かったです。


 

ほとんど梗概

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月10日(土)23時57分28秒
返信・引用 編集済
   鼻水が止まらずつらいです。不思議なことに(なのかどうかわかりませんが)、たらたら垂れてくるのは左の鼻で、右側は問題ありません。で、左にティッシュを詰めて栓をしておけば、ふつうに生活できます(と言っても、その格好じゃ外出どころか自室からも出られないですけど)。
 しかし、ティッシュが鼻水(もう100%水です)を吸収しているんでしょうけど、そうだったら時間が経過するとティッシュがぐじゃぐじゃになりそうなものですが、そうならないんですねえ。栓をしていなかった時は、ひっきりなしに鼻をかみ、瞬く間にクズかごが満杯になってしまうというのに……。
 予想される水分量と鼻栓が吸収する水分量がイコールではないって、まるで太陽ニュートリノみたいだなあ、と思っちゃいました(^^;(あれって解決したんでしたっけ)。

 ということで、一日中こたつに首まで入って、『クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X』を読んでいました。というか、こたつの性質上、半分以上は睡眠になってしまうわけでして、その合間に読んでいました(^^;。
 結局、この時間までで読了できず、表題作の途中まで。表題作は、創元文庫の中村融訳(「影が行く」)で読んでいるのですが、その感想文にも書いたように、とても1938年(黄金時代以前のスペオペの時代です)の作品とは思えません。まるで最近作みたいな現代的なイメージ。これは登場人物が殆んどすべて自然科学者で、いわゆる科学的思考で行動するからなんですね。科学的思考という思考の形式は20世紀前半も21世紀も関係なく同じ。《超歴史的》なんですね。
 この点で、本篇は他の収録作品、いわゆるクトゥルー神話とは決定的に異なっています。たとえキャンベルがクトゥルー神話の設定を借りたのだとしても(これも確定的ではないようですが)、クトゥルーサークル的なものを書こうとしたのではないと感じました。むしろそういう世界観への挑戦的な意識があったのではないでしょうか。
 他の作品は御大ラヴクラフトのクトゥルー設定的に重要な「クトゥルフの呼び声」(60頁)と、ラムジー・キャンベルが5篇(20頁程度の小品が4篇と40頁のが1篇)。
 ラヴクラフト「クトゥルフの呼び声」は、大瀧啓裕訳で既読。初読時もそうでしたが、やっぱり面白くない。問題は「ほとんど梗概」*である点です(後述)。
 ラムジー・キャンベルは、はじめて読みましたが、小品の4篇はなかなかよかった。恐怖小説としてそこそこの出来映えでした。
 ところが、40頁の中篇「恐怖の橋」です。この作品、角書に「ラヴクラフトの文体や構成を意識して書いている」とあります。まさにそのとおりでした。つまり「ほとんど梗概」なのでした。もうちょっと言えば、「スクリーンに映し出されている映画を、文章で説明している」そんな文章であり構成なのです。有り体に言えば、映画サイト(MovieWalkerのような)のストーリー紹介をもっと詳細にしたようなものといえばいえそうです。そうと気づいて振り返れば、「クトゥルフの呼び声」もそういう感じなんですね(まあそういうラヴクラフトの筆法をラムジー・キャンベルは真似したわけです。4篇の小品はそういう感じではありません)。
 ここからは想像ですが、ラヴクラフトは、夢に見た、もしくはイメージに浮かんだ異様な光景を、それは映画のように見えていたのでしょう、それを忠実に文でなぞっていただけなのかも。そんなふうに思いました。
*「ほとんど梗概」ていう言い方は、もちろん否定しているのです。というか読み手は自明にそう読みますよね(^^;

 翌日追記。「遊星よりの物体X」読み終わった。いや改めてSF史に残る傑作であることを再認識しました。以上で、J・W・キャンベルJr/H・P・ラヴクラフト/ラムジー・キャンベル『クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X増田まもる/尾之上浩司訳(扶桑社文庫、12)読了。
 読み終わってみれば、本書、クトゥルーの本家本元から反クトゥルー作品(結果的にはクトゥルーに科学的根拠を与える、ある意味”と学会”的な試みとしても読めますね。ただそんな意図が著者にあったのかどうかですけど、まあそんなポストモダンな発想をする人物だとは、(SF編集者としての経歴からして)ちょっと思えないですねえ(^^;)まで、極めてバランスよくセレクトされていました。なかなかよいアンソロジーでした。

 

浪曲のリズム

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月10日(土)00時34分35秒
返信・引用 編集済
   やっぱり風邪みたいです。ストーブをガンガン焚いて、室温が今30度なんですが、鼻水が止まってきました(少なくとも間欠的になってきた)。30度もあって、ドテラも着込んでいるのに、汗が出ないのですから、これは風邪ですよね。
 ということで、俯くと鼻水が垂れるので、本を読むのは諦めて、少し上向き加減で安静にし、ずーっとユーチューブを聴いておりました。大体、こういうのを聴きたくなるというのも、風邪のせいでしょうか(^^;

 で、あらためて思ったのですが、長崎の夜はむらさきの「待てばやせますひがみます」の部分の”きざみ方”は、浪曲的で、いいんですよねえ。やはり70年代初頭までの歌謡曲演歌には、浪曲の成分が残っていますね。小説の描写でも、こういうきざみ方をしたいのですけど、それにはもっと浪曲を聴いて、そのリズムを血肉にする以外にはないんでしょうねえ。
 

星辰的身体

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 9日(金)17時54分6秒
返信・引用
   朝から鼻水が止まりません。目もしばしば*します。風邪なのか、それとももう花粉が飛んでいるのでしょうか。(*しょぼしょぼの大阪弁)

 澁澤龍彦『黒魔術の手帖』(文春文庫版)を読んでいます。
 パラケルススは人間が、目に見える地上的な「物質的身体」と、目に見えないエーテル状の「星辰的身体」と、人間内部の聖霊の発現というべき「霊的身体」と、三つの身体を持っていることに注目する。(88p)
 ははん。これが元ネタですね(^^ゞ

 これまで私はクトゥルーの面白さがよくわからなかったのですが、今の読書腦ならば読めそうな気がしてきました。ということで『クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X』にも着手しました。

 

年賀状トリック

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 9日(金)00時43分16秒
返信・引用 編集済
   元日の朝、「差出人」を書き忘れた年賀状が届きました。
 誰からのだろう、と、ためつすがめつしても、宛先も裏の本文(?)もすべてワープロ製作。せめて肉筆のひとことコメントでも付されていれば、少しは判断の材料になったのですが。
 そろそろ届くべき賀状は届いたと思いますので、去年いただいて、今年いただかなかった(まだ届いてない可能性もありますが)方を抽出してみたところ、該当者が5名いました(ただし喪中をのぞく)。そのうちの誰かであることは間違いないと思うのです。
 うーん。その5枚の去年の年賀状、ひねくりまわして睨んでみても、わからないものはわかりません。
 でも……おや?
 宛名書きのワープロ文字をよく見ると、それぞれ少しずつ字体が異なっているではありませんか。
 思うにこれは、年賀状ソフトを使っておられて、その市販されているソフトの種類によって字体が違うんでしょう。
 で、はっとヒラメキました!
 その5枚と、くだんの差出人不明賀状の宛名書きと較べてみました。
 まず単にPCのワープロで作ったと思われる2枚が脱落。残り3枚が年賀状ソフトのようでした。
 おお。一目瞭然でした。完全に字体が一致する賀状が、一枚、浮かび上がってきたのです。
 このとおり↓
 
 100%間違いありませんよね。
 これは愉快。やったね、という感じですなあ。ミステリ小説のトリックに使えませんかね(^^ゞ
 でもこれって、差出人は自筆で書くつもりだったのでしょうか。ひょっとして制作時点でのミスだったら、送った年賀状ぜんぶ、差出人不明で先方へ届いている可能性もあります。気が付かなかったのかなあ(^^ゞ

 
 

「暗黒街大通り」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 7日(水)22時11分30秒
返信・引用 編集済
   DVD「暗黒街大通り」井上梅次監督(64)を観ました。
 うーむ。前二作からすればだいぶ落ちます。
 冒頭――
 《街は繁栄をきわめている。その繁栄を守るものは法律である。しかし、ひとたびその街の裏側をのぞけば、そこは悪の温床であり、働かずに生きたいと願う人びとの利権が交錯する。彼らの間にももちろん掟はある。彼らの世界の美徳である恩義、ちぎり、仁義。しかしそれはうわべのこと。この暗黒街大通りを支配するルールは、果てしない人間の欲望であり、権謀術策の渦巻く世界であった――
 ――そしてこのルールは、今も昔も変わらない》

 というナレーションが流れます。
 で、ストーリーを要約すれば、まさにこのナレーションになります。出てくるヤクザに侠客はひとりもいません。そんなものはタテマエとわかっている連中ばかり。
 それを信じているのは、健さん演ずる忍鉄也のみ。
 健さん・梅宮辰夫・待田京介の忍三兄弟の父親・成金の朝二郎は、組に入らず一匹狼でのし上がってきたいっぱしのヤクザでしたが、奸計にかかり殺される。残された三兄弟はヤクザとは無関係なところで成長するも、父親の復讐を果たし、父が成さなかった成金一家を、ヤクザ世界の一角にうち建てるべく、この世界に戻ってきます。
 三兄弟、とりわけ長男の鉄也がそんなタテマエを信じているのは、ヤクザ世界の外で成長したためではないでしょうか。その内実をしらないから、外からしか見てなかったから、「理想化」してしまったのです。
 物語は、その「理想化」が「現実」によって粉砕される過程を描きます。その過程で、健さん自身「仁義とか掟とか、昔の夢なんですかい」と失望感を露わにする。(でもナレーションにあるとおり、昔も今も、変わらずそういう世界だったんですけどね)
 そのようなお話ですから、非常に重たい。ギャング映画の軽やかさが失われてしまいました(いやそもそも、もはやギャング映画ではないですね)。反・任侠という主張はストレートですが、逆にそれだけしかない、痩せた映画になってしまったように感じました。
 今回、鶴田浩二が抜けて、はじめて健さんが主役になりましたが、あるいはこの重さは、高倉健の持ち味なのかもしれませんねえ。
 暗黒街シリーズは本作で打ち止め。この手のギャング映画は、作れなくなってしまったんでしょうか。



 

「暗黒街最大の決斗」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 6日(火)22時42分58秒
返信・引用 編集済
   DVD「暗黒街最大の決斗」井上梅次監督(63)を観ました。
 暗黒街シリーズというのでしょうか、先般観た「暗黒街最後の日」(62)の翌年の作品で、同じく井上梅次が監督。前作と同様、東映の製作でありながら同社の看板任侠路線へのアンチテーゼとなっています。
 老松組7代目組長の尽力で全国のヤクザ組織が、睦会の名のもとに大同団結したニッポンの暗黒街。その安定的現状に、アメリカ帰りの一匹狼・三鬼が、《反・仁義》を唱えて、これまた全国の(任侠道とは無縁な暴力集団である)愚連隊を糾合し、さらに国際トバク組織をバックに殴り込みをかけ、ヤクザの一元支配にクサビを打ち込む。
 ヤクザとの全面対決を前に、三鬼はアメリカ時代の親友健一(鶴田浩二)をアメリカから招聘する。
 健一は、そもそも老松組の跡継ぎだったのですが、ある事件がきっかけでヤクザを憎むようになり、一切合財を捨てて米国に渡った男だった。
 老松組7代目が急死し、跡目を健一の弟、真平(高倉健)がつぎ、八代目となる。
 若くして全国ヤクザの頂点に立たされることになった真平に対して、新興有力ヤクザの郷田(安部徹)が牙を剥く。
 親友三鬼の、ヤクザ殲滅の理念に共感し手伝う決意をした健一だったが、それは弟真平と敵対関係に入ることだった。
 ヤクザ対愚連隊、老松組対郷田組、友情と家族の狭間で悩む健一は……!?

 いやー面白かった。なんといっても仁侠道批判の映画です。作中で何度も三鬼は、古い仁義、義理、人情を批判します(この時代、カネの前には無効と主張する)。ところがそれに共鳴する健一は、しかし捨て去ったはずの古い義理や人情に縛られているのです。ですから、結局健一は100分のドラマの間、殆んど身動きがとれていません。ラストシーン、友情も捨て去ったはずの三鬼が、やはり友情を捨て去っていなかったのは、東映映画の限界だったのでしょうか(>おい)(^^;

「神戸国際ギャング」の田中登も本篇の井上梅次も、もともと無分別な無国籍アクションの日活出身なんですね。彼らには東映の一種修身的な任侠路線は、ひっくり返してやるべきものに見えたのは想像に難くありません。一方東映は東映で、新しい血の導入で東映映画の活性化を図ろうという意図があったのかもしれません。本篇はそういうハイブリッドが、いささか二律背反なしこりも残してしまった(マカロニウェスタンになりきれなかった)作品のような気がしました。

 追記。 ちょっと時代認識を間違っていました。任侠路線は63年「人生劇場 飛車角」かららしい。むしろ路線が定着して、井上梅次の居場所がなくなっていったというべきかも。事実、井上が東映で撮っていたのは65年12月まで。以降は死ぬまで東映ではメガホンを握っていません。

 

Re: 「神戸国際ギャング」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 6日(火)17時06分21秒
返信・引用 編集済
  > No.6085[元記事へ]

雫石さん 海野さん
 とりあえず私は、生まれて初めて聞きました。
 検索したら、たしかに芦屋以西姫路以東の東播州弁みたいですね。
 そしてやはり「どあほ」が訛ったという説が有力ですが、韓国語「ばぼ」説もあって、これは歴史的に有り得そうな気もします。ナイトスクープでは「駄坊」とあります。
 私も「駄坊」が一番しっくりと来るように感じますねえ(音声で聞いて、即この漢字が浮かびました)。その理由は、大阪弁の「クソガキ」「このクソガキゃ」という言葉のTPOと、ちょうど重なるような気がするからなんですが(^^;
 その辺のところもっとご存じの方は、ぜひご教示頂きたいと思います。(→参考
 

Re: 「神戸国際ギャング」

 投稿者:海野久実  投稿日:2015年 1月 6日(火)11時34分54秒
返信・引用
  僕は高校は姫路でした。
相生では「ダボー」はあまり聞かなかったのですが、高校時代の級友は「ダボー」をよく口にしていました。
神戸から姫路あたりまでの播州弁でしょうか?

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 「神戸国際ギャング」

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2015年 1月 6日(火)10時21分30秒
返信・引用
  > No.6083[元記事へ]

「ダボー」確かに神戸ではいいますね。
「ドアホウ」か「駄坊」か不勉強にて知りません。
用例としてはこんな所でしょうか。

江戸弁
「何をいいやがる。バカ。殴るぞ」
京都弁
「何おいいやる。すかんわ。たたくどすえ」
大阪弁
「何ゆうてんねん。ぼけ。どつくぞ」
神戸弁
「何ゆうとん。ダボー。しばくぞ」

間違ってたら指摘してください。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: 「神戸国際ギャング」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 6日(火)09時49分56秒
返信・引用
  > No.6082[元記事へ]

雫石さん
 ああ、高架下の闇市は元町まで続いていたのでしたね(日本一長い闇市だったとか)。
 健さんが劇中で「こっちも三宮でシマ張ってきたんじゃい」みたいなセリフがあって、それに引っ張られちゃいました。
>神戸に来られたら立ち寄られるといいです。
 過日、野村さんのうみねこ堂書林に伺った際、深田さんに案内してもらってちょこっとだけですが見てきました。いい感じですよねえ(^^;
 ところで、健さんも文太も、啖呵を切るとき、間投詞的に「ダボー」(と聞こえた)と言っていて、たぶん「このヤロー」みたいな感じだと思うのですが、これって神戸弁独特の表現なんですか? ドアホウがなまったんでしょうか。あるいは「駄坊」?(^^;

 

Re: 「神戸国際ギャング」

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2015年 1月 6日(火)09時16分25秒
返信・引用
  > No.6081[元記事へ]

もちろん、神戸も人間が住んでる街ですから、おしゃれなだけではありません。
私の高校は、湊川にありました。湊川公園の近くです。あのころはまだ神戸タワーがありました。
あのへんは、当時は決してガラが良い所ではありませんでした。新開地や福原といった所が近く、そのスジのおじさんがようけ歩いてました。
また、元町高架下商店街を歩くと、今でも終戦直後の闇市の(私は知りませんが)の雰囲気を残してます。元町高架下商店街、面白いところですので、神戸に来られたら立ち寄られるといいです。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/8a1482e78e976e7481692db04a73d8c8

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

「神戸国際ギャング」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 5日(月)22時42分29秒
返信・引用 編集済
   DVD「神戸国際ギャング」田中登監督(75)を観ました。
 昭和22年神戸。あたりは焼け野原で、いたるところ爆弾の抉った穴が残り、それがあちこちで小さな池のようになっている神戸三宮。進駐軍が我が物顔にのさばり、山手の富豪屋敷から貴金属を接収してはそれをMPの将校らが掠め、国鉄高架下の闇市は、華僑系の九龍同盟と朝鮮系の三国人連盟が、シノギをかけて角突き合わせている。そんな勢力図の中、日本人の新興ギャング団が急速にのし上がってきます。ボスは高倉健、菅原文太が鬼軍曹の、10名にも満たないギャング団。本篇はセントルイスブルース流れる無法都市神戸(どうも日本警察は存在しないようです(^^;)に、一瞬のあだ花を咲かせた彼らを描いたヤクザ映画。
 70年代の作品ですが、”任侠”の「に」の字もありません。昼日中、往来の中でバンバン撃ち合います。
 いやー面白かった。
 これぞ神戸、これこそわが心の神戸。コーベ・オン・マイ・マインドですよ(笑)。
 今でこそ、お洒落でお上品な街のイメージ*ですが、その厚化粧の下は、私が生まれるわずか8年前でも、こんな無法きわまる世界だったんですねー(>フィクションと現実を混同している)(^^;
 健さんから生活物資(ギャングが略奪してきたもの)をなんの遠慮も躊躇もなく貰っていた磯野洋子演ずる山手のお屋敷の娘(なのか若夫人なのか)が、一晩の隠れ家を乞うてきた健さんらをなんのためらいもなく警察に通報するのですが、唯一、《この世界》の神戸に繋がる人物ですね。
 あー、すっとしました(笑)。
 *少なくとも神戸を論ずるときは、この両面に触れなければいけません。
 

 

護摩の灰トライアングル

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 5日(月)16時57分51秒
返信・引用 編集済
   確信犯はダレジャ!?(^^ゞ
(ヴォリュームはキイボードの△▽で調節できます)
1981

1984 1990

 

Re: 近影!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 5日(月)16時57分29秒
返信・引用 編集済
  > No.6078[元記事へ]

雫石さん
 私と同い年ですから、今年還暦ですよ!
 奇跡の美貌ですね。
 「えっ、私より年下でしょ?」のCMモデルに推薦したいです(^^ゞ
 

Re: 近影!

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2015年 1月 5日(月)09時30分12秒
返信・引用
  > No.6077[元記事へ]

おお、これは貴重ですね。
久しぶりに、ご尊顔を拝し奉り、喚起雀躍でござりまする。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

近影!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 4日(日)15時41分43秒
返信・引用 編集済
   これは貴重かも(^^)
 独自の小宇宙、創造し続けて




 

《風の翼》大宴会

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 4日(日)14時22分20秒
返信・引用 編集済
   昨日は正月吉例《風の翼》大宴会でした。少し早めに集合場所の紀伊國屋書店梅田店に到着した私は、まあ何も買う気はなかったのですが(重くなるので)、時間つぶしのため店内に入ってびっくり。レジが長蛇の列(10m位?)! 出版不況などどこの国の話かという盛況でした。
 そういえば紀伊國屋へ向かう、大阪駅北口と阪急をむすぶ陸橋も混雑していて真っ直ぐには歩けず、通例私は陸橋を渡り切る手前右手の、新梅田食道街へ降りる階段を利用するのですが、なんとこれがつかえて渋滞していたのでした。しかしはっきり実感したのは、先にトイレに行っておこうと、紀伊國屋の左手の北向地蔵通りのトイレに向かったところ満員。で、2階に上がって少しバックした阪急ターミナルビルの、会社関係が入居しているあたり、日祝は営業していないので閑散としている場所なんですが、そこのトイレ(わたし的なトイレの穴場)で再びびっくり。なんと通路にまで列ができていました。
 トイレがどこも満員とは! ははあ、これがいわゆるゴメンクサイコリャマタクサイア~クッサーなアベノクサイ効果もといミクス効果? いやはやウサンクサイミクスですけどいささかの効果はあったということか。とは言い条普段私の仕事関係からはまったく実感がなく、アベノミクスというのが地方や中小零細業者よりも、まずは大企業を優先厚遇して浮揚させることで景気回復を狙う(全体を統計すればかたちの上で上がっている)施策なんだなあ、という思いをあらためてさせられたことでした。
 ということで、毎年同じ会場なんですが、ここも大変な盛況ぶりで、頼んだ料理が通っていなかったり、小皿が足りなかったり、生ビールを頼んだはずが黒生ビールが来たり、店員もてんてこ舞い状態だったとおぼしく、極めつけは来なかった料理がちゃっかり計上されていて、しかももらった勘定書きは合計金額だけで、酔っぱらい集団ですからあわや機嫌よく支払いをしかけたところ、さすがに税理士、個別の明細を要求し、そのミスに気づいて事なきを得る、というハプニングもあったりして、今年も楽しい新年会となりました(^^;
 二次会は、本当に久しぶりに(007映画も観たことですし>違)MI6の秘密基地(^^;。あいかわらず無国籍的雰囲気が横溢していて、中国人(たぶん私の見るところですが)の女の子もなかなか可愛く愛想が良くて(但し愛想の悪い女店員もいた。日本人だ)、楽しかった。
 気分よく、11時30分頃帰宅しました。みなさまお疲れさまでした(^^)
 臨時増刊号にするか号数を重ねていくかは未定ですが、5月連休後締め切りをめどに出すことに決まりました(二次会の数名で決めちゃいました)(^^;。 特集テーマは神戸オン・マイ・マインドです(といっても陳舜臣他『神戸ミステリー傑作選』(河出文庫、86)を踏襲して、西は相生、東は尼崎まで。惑星コーベという離れ業も可)(^^; ということで、後日メールでご案内いたします。
 補足。あ、設備投資しましたので80頁というくくりはなくなりました。200頁までオッケーです。存分にお書きください(^^)
 

Re: 2014年度読了本

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 3日(土)13時59分13秒
返信・引用
  > No.6073[元記事へ]

段野さん
 まだお三人とも手を付けていません。
 今日の電車のお供に取ってありましたですよ。
 ということで、そろそろ準備をして、新年会に出発します。
(少し早めですが、読書のため各停で行くので)(^^;


 
 

Re:2014年度読了本

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 1月 3日(土)13時09分46秒
返信・引用
  管理人様
篁の作品は、いかがでしたか。感想など(別の機会でも)お伺いしたかったものですから。
 

「両シチリア連隊」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 3日(土)05時21分21秒
返信・引用 編集済
  アレクサンダー・レルネット=ホレーニア『両シチリア連隊』垂野創一郎訳(東京創元社14、原著42)読了。

 今年最初の読了書は、ユング的雰囲気に満ちたオーストリアのアンチ・ミステリでした。
 のっけから重要な作中人物ガスパリネッティの饒舌に引き込まれます。たとえば――

 ――わたしの経験によれば、人が現実と呼ぶものは不快であるばかりか、少しの面白みもないものです。人生が面白くなるとすれば、それが現実ばなれしてはじめてそうなるのです。そして完璧な物語とは、要求しうるかぎりの現実性を備えながら、高度の非現実性に達しているものをいうのです。18p

 ――誰かの身元を真に確かめようとすると、人は深淵に落ちます。わたしたちにしても、自分がほんとうは誰なのか知っているでしょうか。21p

 ――過去は、現在ここにあるものを除いては、もはや存在しません。今ここにないものは現実のものではないのです。23p

 ――言葉というのは奇妙な発明物で、きまってその正確さによってではなく、むしろその不正確さによって思いが伝わる。113p


 これらの警句めいた言葉は、今ここに書き写していると、本書の結末を実に的確に暗示していることに気付かされるのですが、私自身は、まず一般論として面白くて引き込まれました。
 ところが、かかる饒舌、長広舌はガスパリネッティだけではなく、出てくる登場人物が皆そうで、と言うか地の文、即ち作者までもが、滔々と演説をぶちまくるのです。
 これぞまさに饒舌小説というべき(作中人物のひとりによれば”無駄口”(^^;)。ところが、上にも述べたように、それが本書の魅力の一つとなってもいるのです。
 とりわけ、「ジルヴァーシュトルベ」の章は圧巻で、病床のジルヴァーシュトルペが語る夢の中の一場面、古びた教会でのフレスコ画の図像学的解釈は、直前に『悪魔の中世』を読んでいたからこそ面白かったのですが(でなければ退屈だったに違いない)、一種のシンクロニシティといえるかも。さらに太陽ノヴァ化による終末ヴィジョン(の夢)は、文字どおり黙示録的で圧倒されました。ふとニーヴン「無常の月」を想起しました。但し同じ事態に対して好対照で、やはりSFは外在的視点だなあ、と納得させられた。
 というのは本篇とは関係ない感想ですが、この例のように、本書にはユング的イメージがつよく現れていて(ガスパリネッティとプフェンドルフの関係がまさにドッペルゲンガーを彷彿とさせるではありませんか)、いかにも大戦間のウィーン/オーストリアという雰囲気が横溢しており、そういうのが大好きなわたし的には大変興味深い舞台で、楽しめました。
 さて、本書の謎ときは、つまるところ上記ガスパリネッティとプフェンドルフのドッペルゲンガー的関係の解明であるわけですが、まず早々にその混乱の原因が皮相なレベルで(とりあえず)解明され、読者の幻想小説的もしくは本格ミステリ的期待を萎ませます(それから二転三転するのですが)。本書をアンチ・ミステリとみなす理由の一つです。これはいわゆるバリノードで、日本におけるアンチ・ミステリの金字塔『虚無への供物』で濫用され特徴づける要素でした。このことは訳者解説でも述べられていて、作中人物が勝手にいかにもそれらしい推理をして、読者を惑わしているのも、よく似ています。
 そして何よりも、作品全体を覆う運命=天啓的雰囲気です――
 
 ――現実とはけして知りえないものだ。切実なものにかぎって知りえないとは不思議じゃないか。180p

 ――運命はまったく無意味に働く。でも僕らは従わねばならない。なぜなら、その無意味さが、僕らに意味を求めることを強いるから。181p

 ――予言とは想起に他ならない。181p


 まさに本書は、『虚無への供物』の弟ではないでしょうか(リアリズムに従えば本書の方が20年早いわけですが)*。
 いやこれは面白かった。年始早々よい本に巡りあえて、今年の読書生活は縁起がよさそうです(^^;

*解説によれば反権力的な作品でもあるようで、そのへんも兄弟ぽいです。


 

2014年度読了書

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 3日(土)01時41分25秒
返信・引用 編集済
   昨年の読了書は63冊でした(下記)。ここ10年では最低。
  2004  81冊
  2005
  2006  90冊
  2007  68冊
  2008  93冊
  2009  93冊
  2010  67冊
  2011  95冊
  2012  75冊
  2013  71冊
  2014  63冊
 読書のスピードは年々落ちており、この趨勢は今年もつづきそう。(一日の読書時間(1時間位?)が増えれば変わってきますが、これも、何時間も読み続ける集中力が続かないので、改善は見込めません)
 いままで100冊を越えたことが(たぶん)ないのですが、この調子では一生無理みたいです。

《2014年読了書》
詩集(1冊)
1001)萩原恭次郎『死刑宣告』(1925、PDF公開早稲田大学図書館)

小説・日本(45冊)
1204)平谷美樹『伊達藩黒脛巾組 独眼竜の忍び(下)』(富士見新時代小説文庫、14)
1203)平谷美樹『伊達藩黒脛巾組 独眼竜の忍び(上)』(富士見新時代小説文庫、14)
1202)今村与志雄訳『唐宋伝奇集(下)』(岩波文庫、88)
1201)今村与志雄訳『唐宋伝奇集(上)』(岩波文庫、88)

1003)海野 十三『18時の音楽浴』(ハヤカワSFシリーズ、65)
1002)生島 治郎『上海無宿』(中公文庫97、元版95)
1001)真継 伸彦『鮫』(河出文庫80、元版64)

0905)北野 勇作『昔、火星のあった場所』(新潮社、92)
0904)未谷おと編『月虹――松村みね子訳詩集――』(盛林堂ミステリアス文庫、14)
0903)平谷 美樹『蘭学探偵 岩永淳庵 海坊主と河童』(実業之日本社文庫、14)
0902)有栖川有栖編『大阪ラビリンス』(新潮文庫、14)
0901)陳 舜臣他『神戸ミステリー傑作選』(河出文庫、86)

0801)眉村  卓『不器用な戦士たち』(双葉文庫14、初刊83)

0704)北野 勇作『かめくん』(徳間デュアル文庫、01)
0703)田中 哲弥『大久保町の決闘』(ハヤカワ文庫07、元版93)
0702)柴崎 友香『その街の今は』(新潮文庫09、元版06)
0701)眉村  卓『歳月パラパラ』(出版芸術社、14)

0607)柴田  翔『贈る言葉』(新潮文庫71、元版66)
0606)柴田  翔『犬は空を飛ぶか』(筑摩書房、76)
0605)柴田  翔『ノンちゃんの冒険』(筑摩書房、75)
0604)石原 藤夫『海洋未来物語Ⅱ 海のタイムトラベル』(SF資料研究会、87)
0603)石原 藤夫『海洋未来物語Ⅰ 海のタイムトラベル』(SF資料研究会、87)
0602)柴田  翔『われら戦友たち』(文藝春秋、73)
0601)石原 藤夫『新電気未来物語』(栄光出版社、71)

0506)柴田  翔『鳥の影』(河出書房、71)
0505)柴田  翔『立ち盡す明日』(新潮社、71)
0504)福田 和代『バベル』(文藝春秋、14)
0503)眉村  卓『疲れた社員たち』(双葉文庫14、初刊82)
0502)平谷 美樹『小倫敦の幽霊 居留地同心・凌之介秘帖』(講談社文庫、14)
0501)平谷 美樹『丑寅の鬼 ゴミソの鐵次調伏覚書』(光文社文庫、14)

0404)安部 公房『壁』(新潮文庫、69)
0403)貫井徳郎・福田和代・誉田哲也『痛み』(双葉社、12)
0402)荒巻 義雄『空白の大涅槃』(ノンノベル、85)
0401)荒巻 義雄『空白のメソポタミア』(ノンノベル、85)

0305)荒巻 義雄『空白の失楽園』(ノンノベル、84)
0304)荒巻 義雄『空白の黙示録』(ノンノベル、82)
0303)荒巻 義雄『空白のピラミッド』(ノンノベル、78)
0302)寺山 修司『スポーツ版裏町人生』(角川文庫83、元版82)
0301)日本児童文学者協会・編『迷宮ヶ丘六丁目 不自然な街』(偕成社、14)

0202)眉村  卓『発想力獲得食』(双葉文庫14、元版95)
0201)寺山 修司『さかさま童話史 ぼくが狼だった頃』(文藝春秋、79)

0104)西村京太郎『原子力船むつ消失事件』(角川文庫84、元版81)
0103)仁木 英之『魔神航路 肩乗りテューポーンと英雄船』(PHP文芸文庫、12)
0102)上田早夕里『深紅の碑文(下)』(Jコレクション、13)
0101)上田早夕里『深紅の碑文(上)』(Jコレクション、13)

小説・海外(8冊)
1001)アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』福島正実訳(ハヤカワ文庫79、元版59、原書53)

0901)ダンセイニ卿『賢女の呪い』稲垣博訳(盛林堂ミステリアス文庫14、初刊1933)

0801)ケリー・リンク『プリティ・モンスターズ』柴田元幸訳(早川書房、14)

0303)アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳(ハヤカワ文庫83、原書50)
0302)I・アジモフ+A・B・コーヴァー『天才は殺される 電脳惑星4』黒丸尚訳(角川文庫90、原書88)
0301)I・アジモフ+W・F・ウー『脱走サイボーグを追え! 電脳惑星3』黒丸尚訳(角川文庫90、原書87)

0201)I・アジモフ+M・マッケイ『疑惑のロボット・シティ 電脳惑星2』黒丸尚訳(角川文庫89、原書87)

0101)R・ミドルトン『屋根の上の魚 リチャード・ミドルトン作品集』南條竹則訳(盛林堂ミステリアス文庫、13)

非小説(9冊)
1201)澁澤龍彦『悪魔の中世』(河出文庫01、元版79、初出61)

1001)梅棹 忠夫『回想のモンゴル』(中公文庫、91)

0701)樫村 愛子『ネオリベラリズムの精神分析 なぜ伝統や文化が求められるのか』(光文社新書、07)

0601)樫村 愛子『ネオリベラリズムの精神分析 なぜ伝統や文化が求められるのか』(光文社新書、07)

0501)岸  博幸『ネット資本主義と日本の敗北 搾取される金と文化』(幻冬舎新書、10)

0401)岸田秀+三浦雅士『一神教vs多神教』(新書館、02)

0202)小此木啓吾『家庭のない家族の時代』(集英社文庫86、元版83)
0201)河合 隼雄『無意識の構造』(中公新書、77)

0101)秋山さと子『ユングとオカルト』(講談社現代新書、87)




 

「007カジノ・ロワイヤル」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 1月 2日(金)04時36分32秒
返信・引用
  「007カジノ・ロワイヤル」(06)を観ました。
 シリーズ映画は基本的にロジャー・ムーアまでしか追いかけていませんのでアレですが、おそらく3代目以降も基本路線は踏襲していたのではないでしょうか。
 6代目ダニエル・クレイグのシリーズは、まったく別ものの新シリーズですね。そういう意図がはっきり感じられる作りでした。テーマ曲はエンドロールのとき以外流れませんでした。一体に007と聞けば、まずあのテーマ曲が頭のなかに響き渡るのではないかと思います。それを敢えて外してしまったのは、新しいボンド映画だぞという宣言にほかなりません。またボンド自身、この事件が00昇格後の初仕事という設定で、過去のボンドは存在しない世界になっています。
 そういう設定、形式に入れ込まれた内容も当然、大きく変更させられています。
 一種寅さん的な「お約束」でつくる(安心を楽しむ)映画のイメージは、完全に断ち切られています。安心して見てはいられません。ファンタジーからリアリズムへという感じでしょうか。
 そういう意味で、私が事前に期待して、浸ろうと思っていたのとは180度異なっていましたけれども、十二分に満足出来ました。面白かった。2時間24分と長尺でしたが、あっという間でした。
 でも、これだったら、別にボンドでなくてもよかったような。
 わたし的には、ショーン・コネリーやロジャー・ムーアの頃の、お伽話が、やっぱり捨てがたいですねえ。

 



過去ログ
inserted by FC2 system