ヘリコニア過去ログ1503


Re: ひょうご大古本市

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月31日(火)23時25分52秒
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  > No.6241[元記事へ]

雫石さん
>私は4月10日の夕方、会社帰りに
 掘り出し物が見つかるといいですね。
 カレンダーを確認したら、なんと来週なんですよね。日々の流れが本当に早くてついて行けません。私の行動力と思考速度が遅くなっているのかもしれませんが。

 このところいろいろ電子書店を試しています。イーブックスというストアが一番安いみたいです。品揃えは圧倒的にキンドル(アマゾン)なんですが、キンドルで540円位の電書ですと、イーブックスなら同一本が500円ですね。何でもかんでもキンドルというのではなく、イーブックスで扱いがあるかどうか確認した方がいいですね。*
 グーグルプレイブックスというのも試したのですが、ここは値段はキンドルと同じで、しかも品揃えは三店のなかで一番悪いです(スタート時点で躓いた(出版社にそっぽを向かれた)からかもしれません)。しかもPCでのアプリの使い勝手が他店アプリと比べると非常に悪いです(というか使えません。タブレットでは問題なし)。とはいえなんたってグーグルですからね、一気に巻き返してくるんじゃないでしょうか。
 ――などと、その気になって(なんかわくわくしながら)ダウンロードしては比較していたんですが、はっと目が覚めた。
 たしかに紙の本より平均20%前後安く、イーブックスならそこからさらに10%弱安いのですけど、一番安いのはやっぱり古本なんです(但し旧作の場合)。
 すぐ欲しい、というときは別ですが(注文したら一瞬で届く)、旧作を買うのなら、まずは古本屋をあたるべきです。そして古本屋で見つけられなければ、(そんなに急がないものでしたら)これはもう、うみねこ堂さんにお願いして見つけてもらう。これにまさる手はありませんねえ(笑)

*ところで、私はタブレットなのでいろんなリーダーアプリが利用可能なのですが、キンドルの機械でも他社アプリが利用できるのでしょうか。もしできないのなら、キンドルの評価はいささか割り引かざるを得ませんね。キンドルって阪急商法同様囲い込みをめざしたものなので、できないような気がするんですが、どうなんでしょうか。

 

Re: ひょうご大古本市

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2015年 3月31日(火)09時42分38秒
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  > No.6240[元記事へ]

ひょうご大古本市。
私は4月10日の夕方、会社帰りに立ち寄るつもりです。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

ひょうご大古本市

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月30日(月)20時53分1秒
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   やっぱり消されましたね。いちおう自主規制なんでしょうね建前は。でも実質的には戦前のような言論統制が、すでに行われ始めているのではないかしらん*。おそろしや。
 それにしてもいつの間にこんな所まで来てしまったんでしょう。ビックリです。はっ、これもまた深く静かに潜行する「手口」なのか。スガチャン働いてますねー。ニッポンのヒムラーかも(^^;

 それはさておき、先日の畸人郷読書会の報告をしていませんでした。逢坂剛『裏切りの日日』。評点は7点と7.5点が相なかば。ひとりだけ6.5点を付けた人がいました。その人のいわく、「ミステリとしてどうか」。
 結局、他の方の感想もその一語に盡きたようです。トリックは非凡なんですね。ところがそれをミステリとして小説化するなかでの使い方に、(ミステリ読みとしては)不満が残るものであったようです。
(以下、私が独断でまとめますと)(^^;、まず本篇が構想されたそもそものきっかけは、作者が当該トリックを思いついたことだったんでしょう。で、このトリックで一本書けないかと考えて、それにいろいろくっつけて小説化していったと想像されます。
 が、その過程で物語が膨らみすぎて(物語が走りだして?)、トリックの必然性があやしくなってしまったのです。つまりトリックが主役の座から、ストーリーを支える脇役の位置に移動してしまっているんですね。その結果、なぜこのトリックを使わなければいけないのか、という必然性の問題が発生してしまったのではないか。
 たとえば或る方は、犯人は共犯者がいたのですが(犯行実現性を高めるため? しかしその結果口封じの問題が新たに発生してしまう。しかし作者はこの二次的な問題(綻び)に就いては自覚していないようです)、そこを単独犯でどこまで論理的に頑張れるか、それを追求していたら多少のアラには目をつぶれるものだが、こういう行き方(ミステリ的に安易?)をすると、細かい弥縫作戦が逆に気になって(ミステリ読者的には裏目に出てしまって)評価を下げてしまうと仰言ってましたね。
 つまりこれはミステリではない、という感じなんでしょう。(但し弥縫策の結果、ダレることなく面白さが持続することは全員みとめており、そういう面白小説を作るという意味では新人作家離れした技倆とのこと)
 その感覚は非常によくわかります。どれだけ科学的に正確なストーリーでもSFらしくない場合がありますものね。一方、ヴァン・ヴォークトはどれだけ非科学的でつじつまが合わなくても、まさにこれぞSFだ、という感動があります(^^;。
 本篇は著者の第一長篇(百舌鳥シリーズの前日譚とのこと)なんですが、その後は冒険小説に活動の場を移して人気作家になっていきます。やはり基本的に資質がミステリ作家じゃないんでしょうねえ。

 そうそう、画像は当日野村さんから頂いた案内状。(クリックで拡大画像に移動します)
 毎年開催されている古本市だそうです。今年はうみねこ堂書林も出店されるそうですよ。お近くの方はぜひぜひ(^^)
 http://hyogo-kosho.net/hpgen/HPB/entries/53.html

 


 

あ、消えてますね

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月29日(日)12時09分13秒
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  > No.6238[元記事へ]

 あらら、消されちゃってますね。報ステのバトルです。昨日、0時過ぎに帰宅して、ニュースをチェックしていて、古舘古賀バトルのあったことを知ったわけです。youtubeにアップされているんじゃないか、と思って見に行ったら、果たして存在していました(それが↓に埋め込んだ、消された動画)。
 それを見ていていささか不審に思ったことがあって、それは古賀氏の放送ジャックに対する古舘さんの対応が、突然の椿事であったにしては、非常に平静で落ち着いていたことなんです。ふつうもっと慌てて目がウロウロしたり、画面からは見えないプロデューサーとの間で合図のやりとりがあってもおかしくないのではないか、と思ったのです。それがまずなかった。
 むしろそっちを見ないようにしているようでした。古賀さんの方に体を向けて視線を古賀さんに向けてはずしませんでした。そして適当に反論、抗議しているのですが、古賀さんの喋りを遮ってしまうものではなく、それはむしろ合いの手みたいにも見え、古賀さんは言いたかったことはほぼすべて発言できたように感じられたんですね。
 そこで私――これは二人が行った「一世一代の大芝居」だったんじゃないかな、と思いついたのです。恐らく二人の間では、事前に了解があった。古舘さんが適宜抗議を入れることで、誰にも邪魔なさしめることなく、古賀さんの発言を滞りなく進める。「バトル」はそのようなお芝居だったんじゃないでしょうか。

 あ、また別の映像を見つけましたのでアップしますね。いつまで消されずに残っているか分かりませんけど(^^)
 

 

ホントに口論?

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月29日(日)02時28分28秒
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 これ、二人の間で事前に密議があったんじゃないですかね。芝居といいますか。youtubeで見ていてそんな空気を感じました。ハプニングにしては古舘さんが落ち着きすぎている。
 

壊し屋・木星

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月28日(土)13時33分9秒
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 木星は「壊し屋」だった、太陽系形成過程に新説(ナショナル・ジオグラフィック)

 へえー。としますと、人類にとってのハビタブルゾーンに、ちょうどよい大きさの岩石惑星が存在する太陽系は、きわめて特殊な例ということになるのかな。
 そうしますと、ホット・ジュピターで進化する「老ヴォールの惑星」(小川一水)の知的生命体みたいな形態こそ、宇宙に一般的な高等生物(生物?)ということになり、哺乳類から進化したホモ・サピエンスは、銀河連邦においては、世にも稀なる趣向の奇蹟の産物として、絶対に絶滅させてはならない《絶滅阻止種》に指定されひそかに見守られているのではないでしょうか。
 だから太陽系辺縁域には銀河連邦のパトロール艇が巡回し、だれも太陽系内には侵入できない(地球に異星人はやって来られない)。いっぽう地球内部で自壊(最終戦争とか)の気配があれば、即座にその芽が摘まれる。(あ、人類はすぐ自滅の方向へ舵取りしがちなので《絶滅危惧種》でもありますな)(^^;
 いやいや、ひょっとしたら太陽系ごと宇宙動物園に移動させられて、宇宙人の目を楽しませているのかも。あべっちなんか自滅ピエロみたいと、お茶の間の人気者なのかもしれませんねえ(^^;

 ということで、今日は畸人郷例会。寄るところがあるので、そろそろ出発します。

 

Re: 平谷「水滸伝」開幕!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月26日(木)23時19分9秒
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  > No.6235[元記事へ]

 朝起きた瞬間――ではなかったんですが、車を運転中ふいに、「梁山泊ビル!」という言葉が頭のなかに鳴りわたりました。
 いつものごとく無意識からのメッセージです。
 あー、またやってしまいました。「水滸伝ビル」じゃなくて「梁山泊ビル」でしたね。じつは昨日「水滸伝ビル」と書き込んだ瞬間、ちょっと違和感があったのです。それで「水滸伝マンションだったかも」と付け加えたのでした。そのとき筆を止めて*もうちょっと記憶をまさぐってみたらよかったんですが、つづきの文章が溢れてきていたので、それを書き写すのに大わらわで、つい手を抜いてしまったんですね。(*比喩ですよ。実際に筆で書いているわけではありません)(^^;
 外出中、ああ多分ツッコまれているんだろうな、と気が気でなく、ドキドキしながら帰宅したのですが、セーフでホッとしました。
 いや実際は、みなさん気がつかれていたんでしょう。私らの年代で『俗物図鑑』を読まなかった人がいるとは考えられませんからねえ。でもそこはそれ、大人の対応というやつで「好意的放置」して下さったんだと思います*。有り難いことです。それに比べて私が逆の立場だったら、ここを先途とばかりにドヤ顔でツッコミを入れていること間違いありません。改めて自分の器量の小ささに思いを致し反省させられたことでありました。(*翻訳:呆れてものが言えなかった)(汗)。
 というわけで、先の書き込みを訂正しました。

 読書は、豊田有恒『古代史を彩った人々』を選択しました。

 

平谷「水滸伝」開幕!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月25日(水)22時18分32秒
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   尾籠な話で恐縮であるが、このところお通じがきわめて快調でして、もともと毎日きっちり二回出るのですが(食い過ぎですか、食い過ぎですね)(^^;、ここ数日は完璧に出盡してしまう感じで、これ以上もなくスッキリして、トイレから出てくるのです。
 いやそれはもう、腹の中が全く空虚な感じなのです。ゼロどころかマイナスくらいの感じ。もしトイレから出てすぐ目の前の壁に風景画が掛かっていようものならば、虚圧で吸い込んでしまうのではないかと思うほどです。幸い、ウチには砂漠の風景画などかかっていないので安心ですが(>おい)(^^;
【註】上記に心当たりがない方は「S・カルマ氏の犯罪」をお読み下さい(笑)

 冗談はさておき、平谷美樹さんの新シリーズが開幕するそうです。
 なんと、今年は『水滸伝』ですって!! →これから出る本
 実は「水滸伝」は、小学生のとき子供向けアブリッジ版で読んだきりなんです。しかしアブリッジ版とはいえ、当時小学5、6年生だった私は、無我夢中になって読み、非常に面白かった記憶があります。「三国志演義」も初読は同様にアブリッジ版でしたけど、こちらは大人になってから陳舜臣の『秘本三国志』で再読(?)しています。それで「水滸伝」も、いつか本格的なのを読みたいな、と、それこそ何十年も前から、考えていたり忘れたりまた思い出したりするばかりで果たしてなかったところへ、平谷版『水滸伝』がスタートするというのですから、これはもう、まさに私にとって渡りに舟の好企画。期待せずにはいられません。ようやく半世紀ぶりに再読がかなうわけです。全何巻シリーズなんでしょうかねえ。いや今から楽しみ(^^)

 あ、そういえば思い出しましたが、私、「水滸伝」を読んでました。筒井さんの『俗物図鑑』(^^;。
 それは日本水滸伝やろ。
 そうでした。帯が《世話無情日本水滸伝》となってましたね。水滸伝ビル(水滸伝マンションだっけか)梁山泊ビルが出てきましたけどね。俗物図鑑も面白かったですね。
 それでまたまた思い出してしまいましたが、中村敦夫主演の「水滸伝」の連続テレビドラマがありましたよね。木枯し紋次郎が水滸伝に出るというので、非常に期待して初回から見ていたんですけど、OPだったかで河原での戦闘シーンがあって、それが日本のどこにでもある、ごくささやかな川の河原なのです。黄河まで出向いてロケしろとは言いませんが、そのなんともちんまりした日本的な風景がしょぼくて、気宇壮大な水滸伝の物語までが日本的に矮小化され穢されてしまったような感じがして、数回で見るのをやめてしまったのでした(^^;

 と、いろいろ水滸伝には思い入れがあるのですが、平谷版水滸伝その第一回『水滸伝(一)九紋龍の兄妹』はハルキ文庫より4月15日発売とのこと。あと3週間の辛抱です(^^)

 

「裏切りの日日」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月24日(火)22時43分22秒
返信・引用 編集済
  > No.6233[元記事へ]

段野さん
>「時系列に沿った作品を書くこと」
 解説ありがとうございました。確かに混乱を招きやすいですよね。でも上手に使えば、印象がより深まる手でもあります。まあそれはプロレベルの話で、初心者はまず基本に忠実にということなんでしょうね(^^)

逢坂剛『裏切りの日日』(集英社文庫86、元版81)読了。
 本書は今週末の畸人郷での読書会の課題図書。そろそろ読み始めないと間に合わないかな、と手に取ったのですが、いやー面白くて一気通読。杞憂でありました。てゆーか読み終えるのが早くなりすぎて、当日まで覚えていられるか心配です(^^ゞ
 一読驚倒! このトリックもといトリックのシチュエーション、先日当板で私が面白いと紹介した、テレビ版「ゴルゴ13」第2話「ROOM・909」と同じではありませんか(こちら)。またもやシンクロニシティ!?(^^;
 もちろん、本書がミステリらしく謎ときの興味が主眼であり謎ときの結果としてのシチュエーションであるのに対して、ゴルゴの方はシチュエーションそのものがもたらす心理劇の面白さで、方向は違うのですが、似ているのは間違いありません。
 本書は逢坂剛の1981年に刊行された処女長篇。ゴルゴは2008年放送ですから、まあアニメのほうが設定を借用した可能性はあります。しかし読者が連れて行かれる先は全く異なっています。その意味では決して盗作ではありませんね。このシチュエーションをどうさばくかということで、さばき方が異なれば全然違う作品だといえるのではないでしょうか。アニメのようなアレンジもアリでしょう。
 逢坂剛ははじめて読みました。名前はもちろん知っていましたが、こんな作風だったのか。冒険小説作家だという先入観があったので、本格風味の警察小説だったとは、意表を突かれました。解説で戸川安宣がハドリー・チェイスの名を挙げていますが、まさにそんな感じ。チェイスは大好きなので、もっと読んでみたくなりました。しかし(本書は250頁程度で丁度よい長さでしたが)、私の記憶ではとんでもなく分厚い作品ばかりだったような。あまり長いのは……(^^ゞ

 

re:文学フォーラム「エッセイと私」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 3月24日(火)14時22分14秒
返信・引用
  管理人様
>クラーク、アシモフなどのエッセイがよい
おっしゃるとおりです。私の言葉足らずでした。
>「時系列に沿った作品を書くこと」
これは、女性に多くみられる傾向だとかで、どのエピソードが先なのか後なのか、分かりにくいことがおうおうにしてあるとのこと、読み手にすると、混乱を招くからだそうです。ですので、時系列にして書くのがよいとのことです。つまり、エッセイは、小説の手法を用いると、とんでもなく読みづらいものとのこと、注意しなさい、ということでした。
 

最新のネアンデルタール人

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月24日(火)00時15分38秒
返信・引用 編集済
   ウィキペディアの「ネアンデルタール人」の記述は素晴らしいの一語ですね。ここに書かれた情報量だけで、たぶん新書が1冊書けるのではないでしょうか。コンパクトに過不足なくまとまっています。かといって凝縮し過ぎで読みにくいということもありません。むしろ整然と記述されているのでとても読みやすい。最新の研究もおこたりなく取り込まれています。
 10年ほど前に、ネアンデルタール人関係の本を集中して読んだことがあり、そのときウィキペディアもチェックしたのですが、私の記憶が確かなら、記述が一新されているように思われます。ウィキペディアは、なかには杜撰なのも少なくありませんが、このように立派な概説が手軽に読めるのは、本当にありがたいですね。
 10年前は、ホモサピエンスは他人類と交雑しなかったというのが、疑問の余地のない定説だったのです。それが今や大きくひっくり返ったのですねえ。我々の、つまり出アフリカしなかったアフリカ人を除いた全ての現生人類のゲノムには、ネアンデルタール人由来のDNAが1〜4%混じっているんだそうです。
 つまり現生人類はネアンデルタール人とふつうに混血していたんですね(混血可能なほど種として近い間柄だったこともわかったということですね。ホモ・ネアンデルタレンシスじゃなくてホモサピエンス・ネアンデルタレンシスだったわけです)。
 今回、記述を読んで一番びっくりしたのは、私たちの古い知識(常識)では、サピエンスよりも古代性が顕著と信じられていたネアンデルタール人の顔相が大きく訂正されていたこと。どうやら事実は、「コーカソイドと同じか、さらに立体的(顔の彫が深い)」、要するに白人(コーカソイド)の特徴をより誇張したような顔だったようです。
 よく見かける従来の想像図(パッと思い浮かんでくるあの絵柄)は、骨から復元する際に、サピエンスよりも古い種だから類人猿に近いはずだ、という思い込みが無意識に働き、復元者の目を曇らせ、あのような想像図を描かせていたということでしょうか。
「顔の曲率を調べる方法の一つとして「鼻頬角(びきょうかく)」があり、これは左右眼窩の外側縁と鼻根部を結ぶ直線がなす角度で、コーカソイドで136度から141度であり、モンゴロイドでは140度から150度であるが、ネアンデルタール人類では136.6度であった」というのも非常に興味ぶかい。
 この記述から私が想像したのは、サピエンスはどっちかといえば、オリジナルは黄色人種に近い形質だったのではないかということです。コーカソイドの分布地域は、基本ネアンデルタール人の生息した地域と重なっているじゃないですか。つまりそれだけネアンデルタール人と混血する頻度は高かったということができそうな気がします。濃く交雑した結果、オリジナルサピエンスに比べて、よりネアンデルタールの形質が強く現れたのが、コーカソイドなのではないでしょうか。
 コーカソイドの特徴といえば白い肌と金髪とブルーの目だと思いますが、これも混血が濃かった結果のようです。
 「白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人から受け継いだ可能性が高い」
 どうやら英雄コナンは、ネアンデルタール人の形質が強く現れた個体だったのかもしれませんね。そういえばヒトラーが理想化したゲルマン人種がこんな感じですよね。つまりネアンデルタール人。面白いです(笑)

 

Re: 文学フォーラム「エッセイと私」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月23日(月)18時12分4秒
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  > No.6229[元記事へ]

段野さん
 今朝、眠りから覚めてまず頭に浮かんだのは、「あ、間違えた」でした。
 何を間違えたのか。眉村さんが――
>クラーク、アシモフなどの、エッセイがよい
 と言われたその意図です。
 クラーク、アシモフと並べて言っておられるのですから、眉村さんは、当然、科学エッセイを念頭に置かれていたのです。私がアシモフのその類の本を読んでいないので、とっさには気づかず、まず自伝が浮かんできてしまったのでした。
 しかし、アシモフの科学エッセイについては、オロモルフ先生こと石原藤夫さんも――

▼アシモフ本001
526『空想天文学入門(ハヤカワ・ライブラリ)』早川書房(昭和38年1〜2月?)
 当時すでに出ていたクラークの宇宙解説とは別次元の本ですが、啓蒙書としては非常に優れています。
 アシモフって百科事典的な天才でしたね。


 と掲示板に書き込んでおられます(→こちら)。それもクラークと並べてですから、眉村さんも石原さんも、同じ意味で評価されていたわけです。
 上記石原さんの記事は、去年の8月の書き込みでして、「アシモフ本001」と付されているように、それからほぼ毎日のようにアシモフ本の書影を紹介し続けておられて、今日の書き込みでは、番号は「129」! 一体何冊翻訳されたのかと、いや何冊本を出したのかと、気が遠くなりそうです(しかも小説よりも科学エッセイの方がはるかに多いのです)。
 という次第で、眉村さんの意図に沿うならば、自伝よりも科学エッセイを手に取られたほうがよいかもわかりません。オロモルフ先生の紹介を参考にして、何か一冊読んでみたら如何でしょうか。
 それにしても、無意識は尊敬しちゃいますねえ。私が眠っている間も、私の書き込みの当否を検討していたんでしょう。書紀の箸墓伝説に「是の墓は日は人作り夜は神作る」とありますが、さしづめ人間の思考も、昼は意識が考え、夜は無意識が考えるのかもしれませんね。
 などと考えながらブックオフに寄ったら、未読未所持の『ロボットの時代』が100均棚にありました。おおシンクロニシティ! と、購入したのは云うまでもありません(^^;

※なお本投稿は、時系列に沿って書いてみました(>おい)(^^ゞ

 

「歴史読本」(特集・古代王権と古墳の謎)より

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月22日(日)23時00分33秒
返信・引用 編集済
  > No.6222[元記事へ]

『歴史読本2015年1月号』(特集古代王権と古墳の謎)より、高橋浩二「手繰ヶ城山古墳と越の政権」を読みました。
 手繰ヶ城山古墳は、九頭竜川が福井平野へ流れ出る地点の丘陵上に立地している、全長129メートルの、福井平野における最初の大型前方後円墳とのことで、築造年代は4世紀中葉から後半頃。福井平野を支配した首長の墓と考えられます。
 この九頭龍川の、日本海へ流れ込む河口が、継体天皇の発祥の地である三国湊なんですね。継体の生年は(ウィキペディアによれば)450年ですから、埋葬者は、継体のお祖父さんだった可能性もなきにしもあらずではないでしょうか。
 ところでこの大型古墳、それ以前の福井平野の考古学状況からみると連続的ではなく、唐突に現れたものらしい。それを論者は次のように解釈します――
「地域集団が内部発展によって勢力を順調に成長させていき、その延長線上に大形 前方後円墳に葬られる首長が現れるというような図式ではなく、手繰ヶ城山古墳の被葬者の段階になって急激に勢力を伸ばしたことが読み取れる。勢力拡張の要因としては、外部勢力からのバックアップなどが考え られるだろう。これまで見てきたように墳丘の築造規格などからみて、倭政権の強力な後ろ盾をいち早く得ることで飛躍を遂げたことが推測される」

 それも考えられますが(ここからは私の想像です)、4世紀中葉といえば、倭の五王の時代ではないですか。倭王武(雄略天皇)の上表文に、「祖彌躬ら甲冑を環き、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。王道融泰にして、土を廓き畿を遐にす」とあるように、この時期、大和朝廷(河内王朝)は大体九州から奥羽南部まで統一したようです。
 だとしますと、あるいは手繰ヶ城山古墳の被葬者は、列島統一の一環で大和朝廷から派遣された征服軍の将軍だったのではないか。この人物が継体の祖父だったとしますと、継体は三代目で、三代かけて実力を蓄えたのかもしれません。そしてそういうことなら、継体を「応神天皇5世の孫」とする記紀の記録もあながち不自然でなくなるような感じもしますね(単なる家系を良く見せようとする創作ではなかったということです)。

 

Re: 文学フォーラム「エッセイと私」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月22日(日)21時21分48秒
返信・引用 編集済
  > No.6228[元記事へ]

段野さん
>「泉大津市オリアム随筆賞」の表彰と、文学フォーラムに行って来ました
>3月21日のできごとでした
 ああ、昨日だったんですね(笑)。

>「時系列に沿った作品を書くこと」
 これはどういう意味なんでしょうか。結論から書かない、という意味ですか? あまりひねって書かない、という意味?

>クラーク、アシモフなどの、エッセイがよい、
>ああ、やはり、sf作家やなあ
 いや、眉村さんがSF作家だったから、とかそういうことは無関係に、アシモフはエッセイストとして一流ですよ。クラークは『未来のプロフィル』くらいしか読んだことがなく、それも高校時代のこととて、あまり覚えていないのですが、アシモフは、掛け値なしにうまいです。ことにも自伝エッセイ(要するに自慢話)(^^;がめちゃくちゃ面白いです。小説だけ読んでいると、いかにも生真面目な感じなので、その落差に違和感を覚えるくらいです。奇想天外だったか、アシモフの艶笑話が翻訳されて、SFファンのアシモフ観がガタ落ち、スケベオヤジ認定されてしまったことがありましたけれども、あれも、よくも悪くもクソ真面目な従来の作風との落差のせいです。しかしそれでがっかりする日本のSFファンもSFファンで、基本的にまじめで融通の効かない優等生なボンボンが多かったということですね。
 アシモフの自伝がハヤカワ文庫から出ていますので、ぜひ参考になさって下さい(^^;

 

文学フォーラム「エッセイと私」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 3月22日(日)15時34分28秒
返信・引用 編集済
  泉大津市が主催する「泉大津市オリアム随筆賞」の表彰と、文学フォーラムに行って来ました。フォーラムのパネリストは、眉村さん、難波利三氏、木津川計氏、有栖川有栖氏の4名でした。まず、表彰式がありまして、その後、「エッセイと私」に関するフォーラムとなりました。眉村さんは、「心を打つ作品を書くこと」と、「時系列に沿った作品を書くこと」とおっしゃいました。おもしろかったのは、「自分が読みたくないものを書いても、おもしろくない」とのことでした。これは、有栖川氏も同じようなことをおっしゃいました。
そして、極め付きは、クラーク、アシモフなどの、エッセイがよい、とのことで、このご発言に会場は一瞬どよめきました。(ああ、やはり、sf作家やなあ、ということです。私の後ろに座っていたおばさん3人は、エッセイ講座に通っている人たちでした。どこの教室かは、分かりませんでしたが)
あと、色紙のプレゼントがありましたが、当然のごとく、外れました(4名のパネリストのサインがあるものでした)
何年かぶりに、南海電車に乗りました。「電車乗り」のごとく、興味深く車内を見ておりました。
3月21日のできごとでした。
 

「渡来の古代史」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月22日(日)03時58分2秒
返信・引用 編集済
  > No.6226[元記事へ]

 承前。ということでひきつづき残り30数頁読み、上田正昭『渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か(角川選書、13)読了しました。
 いやー面白かった。今回は、アメノヒボコ伝承や壁画古墳も渡来系の産物であるといったことが散漫に書かれているだけで、特記することはないのですが、この列島が、まとまって日本という国家に成っていく過程に、朝鮮半島からの渡来人たちがどれだけ色濃く関わっていたか。というよりも、国家そのものが、アメリカ合衆国のような、渡来人の渡来人による渡来人のための国家であったことがよく分かりました(そんな表現はありませんが)。原住民である縄文人の後裔はいましたが、少なくとも西日本では(アメリカ大陸のインディアンほどではないにしろ)圧倒的に少数で、すぐに混血してしまった。この点はラテンアメリカ的といえるかも。われわれ現代人が想像する渡来人と日本人という対立の構図は、もともとなかったのだと思います。たいへん楽しい読書でした(^^)

 先稿でいい忘れたのですが、越前みたいな田舎出身の継体が、なぜ倭国の大王になれたのか、一見不思議に思うかもしれません。意外ではないのです。
 もともと継体の本拠である越前三国は、半島との日本海ルートの交易(新羅・高句麗)の終点だったのです。一方、百済・加羅との交易は瀬戸内ルートでした。
 ところで6世紀初頭の半島の趨勢はどうだったかというと、百済落ち目(だから倭を頼るようになる)、新羅はぐんぐん国勢を上昇させていた時期です。
 ですから百済に繋がる瀬戸内ルートよりも日本海ルートのほうが、情報も物も、次第に新しいものが先に届くようになっていたと考えられます。質・量ともに瀬戸内ルート(終点・難波)に優越していったわけです。そういった構造変化が、ひいては継体の財力や軍事力において、大和河内を凌駕するほどに強大化させたんじゃないかな、と考えています。

 

「渡来の古代史」読み中(6)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月22日(日)01時58分14秒
返信・引用 編集済
  > No.6224[元記事へ]

 『渡来の古代史』は225頁まで。
 このあたりは「仏教」について。いうまでもなく仏教は、「仏は午後に百済から」のとおりで、552年仏像と経典が百済聖明王によって欽明天皇にもたらされます(538年説、548年説等もあり。ただし公伝という意味で、北九州や日本海側ではもっと早く伝わっていたようです)。つまり仏教も、百済からの渡来文化なのです。
 仏教公伝が538年だとすると、欽明の前代の宣化天皇の代ですが、宣化も欽明も継体天皇の子供です。つまり越前王朝ということになり、先回述べたように、仏教も又、継体が登用した最新の今来の渡来人の文化だったのだろうと思います。
 そして仏教文化が花開くのが飛鳥時代。聖徳太子の時代です。
 飛鳥時代は崇峻天皇からですが、崇峻は欽明の子供(継体の孫)。次の推古天皇も同じく欽明の子供(継体の孫)で、摂政だった聖徳太子は推古の甥っ子になる。
 樟葉にとどまってなかなか大和入りしなかった継体ですが、ようやく20年後に大和入りする。河内王権を支えた旧支配層が衰退したのを見極めたのでしょう(もっとも老獪政治家大伴金村の活躍で、完全には排除しきれなかったのですが、結局は崇仏廃仏論争で大伴も物部も没落してしまう)。継体の子供らの拠ったのが飛鳥の地でした。そしてその南隣する旧葛城氏領には、河内王朝とは全く無関係な(渡来系と言われる)蘇我氏が入ります(蘇我氏と葛城氏の関係はまだ私にはよくわかりません)。
 この飛鳥時代は6世紀末から100年続くのですが、とにかく仏教という(百済伝来の)新文化をもって旧体制(これもそもそもは百済系なんですが)と差別化したのがこの時代です。
 しかしその間、蘇我氏が継体王家を圧倒していく。この新たな旧体制に対して中大兄皇子(天智天皇)が645年クーデター(大化改新)で新政権を樹立しますが、百済滅亡の混乱をまとめきれず、天武のクーデター(壬申の乱)が起こる。天武に至って先述したように日本という国家体制(律令国家)が、はじめて成立するわけです。

 

「文芸的な、余りに文芸的な」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月21日(土)22時09分1秒
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  芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」(27)読了。
 33「新感覚派」を読むと、新感覚派というネーミングの矛盾に気づかされます。それは冒頭の一文が端的に言い表わしています。
「「新感覚派」の是非を論ずることは今は既に時代遅れかも知れない」
 たしかにそうで、新しい感覚は、常に、例外なく、未来から絶えることなくやって来るんですね。今日の新感覚は、明日になれば忽ち時代遅れになってしまう。
 では運動としての新感覚派は無意味だったのか。そんなことはありません。芥川も「「新感覚派」は勿論起らなければならぬ」と書いています。
 ただ芥川は、個別この(横光らの)新感覚は、「馬は褐色の思想のやうに走つて行つた」という横光の表現が示すように、その飛躍は「理智的な聯想の上に成り立つてゐる」点で不十分だと考えているようです。それでは新感覚と言い条、「理智派」とラベリングされた自分(芥川自身)と、立っている位置はそんなに違わないのではないか。
 そうじゃなくて「妙義山に一塊の根生姜を感じるのをより新しいとしなければならぬ」
 ですが、当時の批評家たちの新感覚派への風当たりに対しては、「彼等の作品に対する批評家たちの批評も亦恐らくは苛酷に失してゐるであらう」と批判しています。
 「少くとも詩歌は如何なる時代にも「新感覚派」の為に進歩してゐる」との立場の芥川には、そういう批判が、詩の生成を押し潰す方向に働く力であることを感じ取ったからではないでしょうか。
 これは私の想像ですが、当時の批判は、おそらく言葉の使い方が新奇なだけだ、というものだったのでしょう。このような反応は当時にかぎらず、新語が必ずさらされる事態なんですね。今ある日本語を絶対視する立場があるわけです(白状すれば、私にもその傾向があります)。典型的なのが「ら抜き言葉」への拒否感でしょう。まあ新語の90%はクズなんですが、残りの10%は、日本語を活生化する可能性がある。そういうのを根こそぎ否定するものを、芥川は新感覚派批判に感じ取ったのではないでしょうか。
 ところでそのような頭の硬い批判は、学者がその急先鋒かと思ってしまいますが、実は研究者のほうが、言葉の自走性に対しては許容性があるんですね。自分たちの刷り込まれた言語が、単に20世紀後半日本語という限定言語にすぎないことを理解しているからです。言葉は変化していくのだということがわかっているのです。
 その伝で言えば、ら抜き言葉を否定する人が、現代人が係り結びを用いないことに対して批判しているのを、見たことがありません(^^;。紫式部が現代にタイムスリップしたら、誤用の氾濫に気が狂ってしまうんじゃないでしょうか(>おい)(笑)
 芥川の違和感は正しいと思いました。

 

「渡来の古代史」読み中(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月20日(金)22時15分7秒
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  > No.6216[元記事へ]

 『渡来の古代史』は190頁まで。この辺りで特記しておきたいのは、《文字の使用》に就いてです。(今回もインスパイアされた妄想が混っていますのでご注意)
 57年の倭奴国朝貢で、金印が下賜されます。これが、江戸時代志賀島から偶然出土した「漢委奴国王」の金印です。出土してはじめて、金印にその5文字が彫られていたことが分かったわけです。
 ところで著者は、当時の漢が朝貢国を序列化して、文字を解する国には「○○王(之)印」もしくは「○○王璽」と印文の最後に「印」「璽」という文字を付けたが、文字を解さない国には付けなかった、という説があることを紹介し、「漢倭奴国王」には印も璽も付いていないので、また後漢書の記事に「上表」の文字がないことも鑑みて、倭奴国は文字を解さない国だった可能性が高いとします。
 なるほど。たしかにそれから2世紀後の、239年の邪馬台国の朝貢に対しては、翌年、魏使を遣わして「詔書・印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拝仮し併せて詔を齎す」とあり(魏志倭人伝)、それに対して「倭王、使に因りて上表して詔恩に答えて謝す」となっています。
 このとき魏使は詔書(文書)をもって来倭の理由を述べており、邪馬台国もそれに対して「上表」して(書面にして)答謝しているわけです。
 してみますと、この時下賜された印綬は、たとえば「親魏倭王印」のように「印」が付されていたはずです。しかしこれをもって倭人が文字の文化を十全に持っていたかといえば、それは疑問です。大夫難升米(私見では原義の倭人である水人族)は読めたかどうかは別にして、文字の何たるかは理解していたでしょうけれども。
 このあと、倭の五王の朝貢記事には、例外なく「上表」の記述があります。倭の五王は河内政権です。つまり渡来人(古渡)中心の政権です。渡来人が中枢に入り込んだ結果、倭は空白の4世紀を抜け出し、再び中華冊封体制に戻ったわけです。中華冊封体制とは、言い換えれば文字の世界です。しかし、それでも倭国政権の文字文化の理解は中途半端だった。なぜなら文書で国家を運営していないからです。
 私見では、日本海越前から興って河内王朝(や播磨王朝)に取って変わった継体天皇が、大和・河内を両睨みできる樟葉の地にでんと腰を据え、大和の旧勢力を掃討し、替わって山背や近江の新来の渡来人を官僚として政権中枢に登用します。ここにおいてようやく文字の重要性が次第に理解されていったのだと思いますが、やはり確実なのは、近江令(667)、飛鳥浄御原令(689)、大宝律令(701)の制定の事実です。律や令は「文字」で書かれたもので、「上表」という行為が前提です。
 文字を理解して(つまり帳面を付けられるようになって)はじめて「国家」は運営できるんですね。倭の五王の時代はその意味でまだ国家体制としては未完成だったと思われます。天智天武の時代になってはじめて国家体制(日本国)が整った。なぜそれが可能となったか。天智天武朝に、百済滅亡の結果、大量の百済人が(新羅高句麗伽耶人も)渡来し(今来)、既に土着化してしまい時代遅れとなった古渡に代わって政権に登用されていった結果であろうと思われます。
 結局、日本という国家は(もとい日本だけに限らず国家という存在物は)「文字」が創り出したということができそうですね。

 

「文芸的な、余りに文芸的な」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月20日(金)00時32分28秒
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  「文芸的な、余りに文芸的な」は、私のタブレットの頁数で、134頁中100頁まで。あいかわらず谷崎にからんでいます(^^;
 それはさておき、30「野生の呼び声」で芥川は、昔はゴオガンの「タイチの女」が合わず、辟易し不快にも感じた。ルノアル(の女)のほうがずっと自分には美しく感じ、良かったのだが、だんだんタイチの女が自分のなかで大きくなってきたといいます。それが標題の「野生の呼び声」の意味ですね。
 かといってルノアルが嫌いになったわけではない、と芥川は書いています。ルノアルはルノアルで美しいと。
 これはよく分かりますね。私も最初ストーンズがわからず、ビートルズの方に惹かれました。しかしだんだんストーンズが私の中で大きくなっていったものです。ビートルズは純粋西洋音楽にとどまりますが、ストーンズはそれからはみ出しています。
 クラシックの聴き始めは、大抵古典派から入ると思います。しかしそのうち(最初は変だとしか思わなかった)国民楽派や印象派の「響き」がだんだんよくなってくる。
 かかる矛盾(と芥川は表現しますが、正しくは二律背反ですね)を、芥川は文芸にも感じる。ルノアルは古典的作家みたいだといいます。
「しかも僕はルノアルに恋々の情を持つてゐるやうに文芸上の作品にも優美なものを愛してゐる」
 しかし――
「かう云ふ「西洋の呼び声」には目をつぶりたいと思つてゐる」
 芥川が書いた「野生の呼び声」って、具体的に何だったんでしょうか。「文芸的な、余りに文芸的な」は雑誌「改造」に1927年(昭和2年)の4月号から連載していたのですが、芥川の自殺(7月)で中絶したものらしいです(wikipedia)。
 としますと、芥川の「野生の呼び声」は、ついに実現せずじまいだったのかもしれませんねえ。





 

「歴史読本」(特集・古代王権と古墳の謎)に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月19日(木)22時25分15秒
返信・引用 編集済
  『歴史読本2015年1月号』(特集・古代王権と古墳の謎)に着手。
 冒頭から順番に、松木武彦「古墳研究の最前線」、一瀬和夫「古墳の基礎知識」、辻秀人「雷神山古墳と東北の政権」を読みました。
「古墳研究の最前線」では、鏡の型式学研究、年輪年代法、炭素14年代測定の三手法いずれの結果も、大型前方後円墳の開始が三世紀前半に下ることを確認。つまり箸墓ですね。これは石原さんの所論(予言)を裏付ける結果ですね。
 しかし論者は
「このような結論の方向は、邪馬台国の所在論とも関係しよう。すなわち、邪馬台国が大和にあったとすれば、考古学から捉えられるこの大和勢力がそれに当たる可能性が浮上する。対して邪馬台国九州説に立てば、考古学的に把握可能な大和中心の政治勢力と、考古学上はさほど確固たる把握をなしがたいけれども中国文献には記された九州中心の政治勢力とが、三世紀前半の日本列島に並立していたことになる」

 とまだまだ降参していませんねえ。もちろん私も(^^;
 古墳の第一段階(大型弥生墳丘墓)が漢帝国の安定期と、同様に第2段階(大型前方後円墳)が漢の崩壊(中国の分裂)と、軌を一にしていること、そしてこの傾向が他の東アジア諸地域の古墳状況においても対応しているらしいということに着目しているのはなかなか目覚ましいです。面白い。
 これを敷衍すれば、後漢帝国の盛期(光武帝、紀元前後)には柵封体制が曲りなりにも整って、倭国のような辺境にも影響力が行き渡っていた事が前提になりますね。でも考えてみれば当然か。57年の倭奴国朝貢で金印を下賜されているんですから。
 倭国大乱も、黄巾の乱(184)あたりから中華帝国が崩壊分裂した影響と考えるべき。この倭国(中国が認識していたところの)は当然、半島と北九州の沿岸の倭であり、一種ギリシャのポリスのような海洋商業民だった者たち(水人族)です。それが倭国内陸の原住民を商業で支配していたのが、これも崩れ、邪馬台国のような独立国が日本列島各地に生まれる。これらの諸国が(柵封主の中華帝国のくびきを外れ、独立独歩を示す)第二段階古墳を作った者たちですね。このメカニズムは中国辺境全てで起こった筈です。
 論者によれば、かかる第二段階が古墳時代の区分で前期と中期に相当することが確実になってきたとのことで、畿内でいえばいわゆる三輪王権→河内王権の交代です。
「近年明らかになりつつあるのは、この変化と時を同じくして、それまでの古墳築造を支えてきた纒向遺跡(奈良県桜井市)や津寺遺跡(岡山市)などの伝統的大集落が、おそらくは人口の全体的な減少を背景として軒並み衰退したという事実である。このことから、前期から中期への古墳の展開は、単に「政権交替」のような政治的事象の変化にとどまらず、社会や経済の瓦解と再編のような根本的な変動に根ざした動きであった可能性が高い」
 やはり河内王権は三輪勢力(大和説に立てば邪馬台国の後継集団)とは系統が別なんじゃないでしょうか。大体、記紀が記すような一つの王統が何百年も継続するなんて、常識的にもありえないように思います。とりわけ古代の王権なんて(いや中世、近世でも)、よくいえばオーナー社長が率いる中小企業、悪くいえばヤクザの抗争みたいなものでしょう。王が老い衰えれば第二位の実力者が簒奪するのです。簡単に子供に禅譲できるわけがありません。

「雷神山古墳と東北の政権」はちょっとがっかり。ウィキペディアの記述とほとんど変わるところなし。そんなんでいいのでしょうか。しかし四世紀後半(応神天皇の頃?)に、早くも東北地方に160メートルを超える前方後円墳が造られていたとは、びっくりしました。これらを作ったのは在地の蝦夷の首長? それとも和人の征服者? その点も知りたいと感じましたが、一切記述なし。

 

歴史語はその語の誕生の経緯を含んで存在する

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月19日(木)12時06分26秒
返信・引用 編集済
  元ツイート

 昭和天皇ですら、八紘一宇という言葉に不快感を示されたというのに。
      ↓
 《 昭和天皇は79年10月、国体開会式出席のため宮崎県を訪問。当初、県立平和台公園にある「平和の塔」で歓迎を受ける予定だったが、広場に変更された。40年に建立された塔には「八紘一宇」と刻まれていた。
 当時の侍従長による「入江相政(すけまさ)日記」の同年9月の記述には「八紘一宇の塔の前にお立ちになつて市民の奉迎にお答へになることにつき、割り切れぬお気持がおありのことが分り……」とあり、昭和天皇の意向が場所を変えた理由だったことを記している。》



 三原じゅん子って、族議員でいうとネトウ族ですかね。要するに歴史に無知族。それと同根ですが史料の扱いが恣意的でぞんざい(アレこの語、漢字がないのか)。だからかんたんに捏造史観にハマる。史料を比較検討するという知恵がないので、いつまでたっても捏造したことに気づかない。


 

ポケットボトルと電子雑誌

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月19日(木)01時26分43秒
返信・引用 編集済
   以前にも書いたかと思うのですが、ときどき口の中がネバネバして不快な感じがすることがあるのです。実際はネバネバしているわけではないのですが、なんかスッキリしないのですね。そんなときウイスキーを口に含むと、一瞬で不快感が消失します。これってアブナイ兆候ですよね。なので、できるだけ我慢するのですが(最近はボトルの買い置きもしていません)、今夜は辛抱たまらず、雨のなかコンビニまで車を飛ばしてジム・ビームのポケットボトルを買って来てしまいました(ーー;
 で、少し気分がよくなって、キンドルストアを覗いていたら、”おすすめキンドル本”欄に、『歴史読本 2015年01月号 _特集 古代王権と古墳の謎』が、なんと476円で!! たぶん先日来、古代史関係の紙の本をあれこれチェックしていたからだと思います。
 びっくりしました。この雑誌、紙版で定価1190円なんですよ。半額以下じゃないですか。気がついたらクリックしていて、あっという間に届いていました。早ッ(汗)。
 ウイスキーで少し気分が高揚していたのもありますが、ジム・ビームのポケットボトルが400円チョイでしたから、あんまり変わりません。これは私でなくてもクリックしちゃいますよね(>そうなのか?)。
 とにかくこれくらい割安になりますと、電子版も価値があります。
(けれども出版社によって電子書籍への取り組み方はずいぶん違っていて、岩波新書は(新刊の場合)値引きがありません。物理的な媒体の費用が上乗せされている紙版と、何も必要としない電子版が同じ価格だなんて……、結局電子版は別に売れなくてよい、という岩波の方針なんでしょうね)

 

星新一賞ジュニア部門(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月18日(水)21時23分53秒
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   承前。星新一賞ジュニア部門優秀賞2本め、黒沼花「アルモノ」 著者は小学5年生。使えるのに捨ててしまう風潮を風刺する作品です。床に落としたまま拾われない消しゴムへのこだわりが可笑しい。たぶんこれが著者の頭のなかにあって本篇のアイデアの元となったのではないですかねえ(^^; 同じことを繰り返してしまう人間のサガを笑うオチも決まっています。ただこのアイデア、自分の頭で思いついたものなのか。物を粗末にしてはいけませんというお題目を無批判に入力→出力しているだけじゃないのか。そんなこと、小学生に求めても仕方がないですね(>おい)(^^;

 優秀賞3本め、田上大喜「子供が欲しいプレゼントが映る鏡」 著者は中学2年生。サンタクロースは悩む。この21世紀の現代、自分の選んだプレゼントを子どもたちは本当に喜んでくれているのだろうか? すべて流行遅れでちっとも嬉しくないのでは? で、サンタは博士を訪ね、子供が何を欲しがっているかが映る鏡を作ってもらう。それを見てサンタは驚いた。子どもたちが欲しがっているのは最新のゲームや携帯電話なのだ。さて、サンタは……。本篇も「かくあるべし」という外の思考を無批判に受け入れているような。まあ大抵の小中学生は、外部のお仕着せ思考を無自覚に受け入れ自分の思考と勘違いしているわけですが。アイデアが浮かび書いているうちに果たしてこのゆくたてでいいのか、と問い直し考えこむのもショートショート執筆の効能ではないかと思ったり。

 優秀賞4本め、竹安宏曜「矛盾解消」 著者も中学2年生。本篇は上の2篇のような徳目とは無関係。理屈だけで作られており好感(^^) タイムマシンは過去にしか行けないというのは論理的だし、過去で蝶の羽ばたき効果を完璧に封じる本篇のアイデアも理屈が通っています。「1時間に5000時間」は「1時間に5000年」の書きミスかな? 1時間に5000時間だったら、たった208日ですから(>揚げ足)(^^; 1時間5000年x40日で480万年。これなら人間と猿の分岐点(チンパンジーと人類の分岐点)として妥当です。でも1時間1億年x5日で地球誕生は計算が合わないなあ。2日で充分では? あ、ビッグバンまでならそんなもんですね。ちょっと混同しちゃったのかな(笑)

 優秀賞のラスト、実瀬純「未来の貘」 著者も中学2年生。ディストピアものになるのかな。エシュロンみたいな秘密情報収集機関があり、「獏」という機械で、全ての人間の睡眠から「夢」を吸い取っている。夢のなかには一定の睡眠者が気づかない「予知夢」が存在しているのです。それを分析解析し、国家の政策決定に役立てているのです。おかげで人類は夢を見なくなる(吸い取られるので)。ラストは一種のリドル。本篇も本来長さを必要とするアイデアですね。ですから本篇は駆け足で唐突なところがあります。惜しい。もう2、3年してから書きなおしてほしいと希望します。

 以上で全部。いやーレベル高かったです。
 電子書籍ですが、いちおう書籍として販売(0円ですが)されているものなので、読了リストに記入することにします(森下さんベストSF対象ということ)。
 ということで、日本経済新聞社編『第二回 日経「星新一賞」受賞作品集』(日本経済新聞社、15)読了。
 

星新一賞ジュニア部門(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月18日(水)01時32分18秒
返信・引用 編集済
   星新一賞ジュニア部門グランプリ、利根悠司「回路」、準グランプリ、遠藤哲「ノアの方舟」、優秀賞その1、稲葉志門「白くなっちゃった」を読みました。

「回路」はいかにも中学生らしく、すなおに星新一を踏襲(入力→出力)したショートショート。もちろん意図してやっているのじゃなく無意識でしょうけど。ある意味星新一賞に最もふさわしい作品かも。書き方がわかっていますよね。うまい!と言いたいレベル(中学生なのに)(^^; こういう人はもともとセンスが備わっているので、どんどん書けると思います。期待したいです(^^)

「ノアの方舟」は中学1年生なのか。驚いちゃいますね。小松左京ばりの壮大なアイデア。ただ書き方(見せ方)がまだ未熟。中一ではしかたがないか。それにそもそも、これは短篇ないし中篇向きのアイデアですね。ショートショートでは無理がある(巨大隕石が都合よすぎる等)。もうちょっと大きくなって、ドラマが書けるようになってから、短篇に再チャレンジしてほしいですねえ。

「白くなっちゃった」は小学生! 小学校低学年の学習雑誌に載っているようなお話です。そのようなお話を著者は読んできたんでしょうね。でも、たぶんまだ星新一もショートショートも体験していないとみた(>おい)(^^; ストーリーは破綻なく書けています。小学生でこれだけ書けるのは非凡ですね。今後、星新一をきっかけにショートショートの大海にずっぽりハマってほしいと期待します(^^)

 

「文芸的な、余りに文芸的な」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月17日(火)21時31分39秒
返信・引用 編集済
   芥川の「文芸的な、余りに文芸的な」に着手。青空文庫版。読みだしてから気づいたのですが、140枚とけっこうボリュームがあります(電子書籍はなかなか目分量で厚さを実感できませんね。そこがちょっと慣れません)。ちょうど半分読みました。
 「蜃気楼」で実作してみせた《「話」らしい話のない小説》という芥川の持論を、評論の形式で論じたものかと思って手に取ったのでしたが、最初の数回こそそのテーマでしたが、回を追ってどんどんテーマが拡散していきます。むしろしりとり式に思いつくまま、文芸に関する思考を繰り広げていく体のエッセイという感じです。そのせいでかあまり踏み込んだ考察ではない場合もあり、文章が途中で「……」で終わっていたりすることがあります。これは思うに、後でその部分深く考察しようとしてそのままになってしまったんじゃないかな。そういう意味もあって、非常に読みやすい。スラスラ読めてしまいます。
 ふと思いつきましたが、これは、今でいう一種のブログですね(^^;。もしもかれの時代にブログという手段があれば、きっと芥川は本篇の内容を毎日書き込んでいたんじゃないでしょうか。

 ところで《「話」らしい話のない小説》に戻りますが、著者は、そのような小説だけを可とする立場ではないことを再三強調します。世にたくさんの「話」のある小説は存在し(この派の代表として谷崎潤一郎を挙げる)、自分もそういう「話」(単に「物語」という意味ではないとします)を書いていないわけではないし、これからも書くだろう、といいます。
 一方、「話」のない小説は単に身辺雑記を描くものではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である、しかも散文詩と呼ばれるものよりも遙かに小説に近いもの、と規定し、それは(通俗的興味がないという意味で)「純粋な」小説である、と言い換えます。
「純粋な小説」とはなにか。著者はそれを絵画に喩えて、例えばデッサンよりも色彩に生命を託した絵画がそれだとする。具体的にはセザンヌの名を挙げます。
 なるほど。そのアナロジーはよく分かります。では小説に例を求めるならそれは何か。著者はルナアルの名を挙げ(作品では「フィリップ」*邦題「葡萄畑の葡萄作り」)、日本作家では志賀直哉、とりわけ「焚火」以下の諸短篇にとどめを刺すとします。
 そしてこれらの「話のない小説」は一体に通俗的興味には乏しいものであることは認めるが、だからといって<興味>を喚起しないものではない。そのとき喚起されるのは通俗的興味よりも高い《興味》であり、それは当該作品が「詩人の目と心を透して来た」ところから発せられるものであることによって喚起されるとします。
 非常に共感します。
 次の回以降、個別的に(前者の)谷崎、(後者の)志賀直哉に就いて、著者の考察が述べられます。

 

「渡来の古代史」読み中(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月17日(火)03時17分36秒
返信・引用 編集済
  > No.6212[元記事へ]

 『渡来の古代史』は130頁。ここまで高麗氏、船氏、百済王氏。
 高麗(狛)氏は、やはり(当然というか)秦氏や漢氏と比べて影が薄いですね。秦氏と同様、中央とはあまり関わりを持とうとしなかった上に、渡来時期も秦氏や漢氏が5世紀初であるに対して6世紀前半と100年遅れというわけで、畿内に大きな根拠地は作れなかったみたいです。山背国綴喜郡・相楽郡あたりと、河内国若江郡に巨麻郷があったくらい(現在、中環に巨摩橋という地名がありますが、その辺りですね)。
 で、むしろ東国に勢力を扶植していった。のちに駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の高麗人が武蔵国に集められ高麗郡を建郡とあります。逆に言えばそれらの地に高麗人が植民していたということです。大磯にも高麗の地名があり高久神社があります。豊田有恒さんも『大友の皇子東下り』で、この高麗郷について「高句麗人の入植地」とはっきり明記していました。うろ覚えですがヤマトタケル・シリーズでもここが舞台になっていたと思います。

 船氏は、いえば古渡の漢氏に対して、今来の百済系ということになりますね。

 百済王(くだらのこにきし)氏も今来ですが、もっと新しく、しかもれっきとした百済王族です。船氏も貴須王(近肖古王。4世紀後半)の血筋となっていますが、疑えば疑える。
 一方百済王氏は間違いなく義慈王(7世紀前半)の子、善光が始祖で、同じく義慈王の子である豊璋とともに日本に渡って来た。余談ですが豊璋は百済滅亡後、王となるべく帰国して百済を復興させるのですが、どうやら無能だったらしく白村江で完全に百済を滅ぼしてしまう――というのはさておき、とどのつまりは百済王氏が血統書付きの名族だったということです。難波が本拠地で、百済王氏のために百済郡が建郡されます。JR百済駅あたりがそうなんでしょう。
 陸奥国とも何故か関係が深く、初めて金を産し、聖武天皇に献上したのが百済王敬福です。それもあって次第に大和政権(百済人植民者主体の政権)で重きを成していく。
 桓武朝時代が絶頂期で、百済王氏の本拠地は難波の他に交野郡(現在の枚方市あたり)にもあって、桓武天皇が平安京の前に長岡京に遷都しますが、交野枚方はその南西に殆んど地続きといってよい。
 桓武天皇自体、母親の高野新笠は百済武寧王の子孫ですから日韓ハーフなんです(今上天皇が2002年の日韓共催サッカーW杯の際、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると『続日本記』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じます」と仰言られたのですね。13p)。それかあらぬか、百済王氏に出自を有する桓武朝の後宮に入侍した女人は、少なくとも9名にのぼる、とあります(122p)。
 とにかく長岡京は、東北に深草太秦の秦氏、南西に枚方交野の百済王氏、南東に綴喜郡相楽郡の高麗氏と地続きの立地だった。というのが実に面白い。けっきょく京都って、朝鮮渡来人たちが開発した土地だったわけですね。なぜ桓武天皇が、長岡京〜平安京と、京都に遷都したがったのか、この線からもいろいろと考えが浮かんできますよね(^^;

 

星新一賞優秀賞作品(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月16日(月)21時38分9秒
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   星新一賞優秀賞、最後の、遠無計太「神の双曲線」を読みました。
 ??? 私の非理系脳では理解できません。
 まず双曲線のxの値が(後述の理由でL=360000として)600、500、400、300、200、100、と規則的に下がっていくとき、yの値は600、720、900、1200、1800、3600、となります。
 これを続けると、x=50でy=7200、x=10でy=36000、x=1でy=360000、という具合に、yの値は指数関数的に増えていきます。
 著者は、これを死の直前の人間に当てはめます。つまり心臓停止→大脳皮質細胞壊死が600秒として、x=600、y=600を通る、L=360000の双曲線(第一象限)を、かかる死にゆく人間に比定するのです。(ですからLの値は、個々人によって多少変化するのでしょう)
 しかしてこの人間は、(x=600、y=600)までは、xの値を生きているのだとします。つまりxの値が我々の実時間だと言うのです(ただしxの値は減少していくので、余命ということになります)。が、この時点を超えると(つまり心臓が停止するやいなや)、yの時間に移行するとします。(y時間をいま勝手に幽時間と命名します)
 具体的には、我々の実時間で死の直前の1秒間を、この人間は幽時間で100時間(360000秒)生きるわけです。さらに0.1秒前には1000時間(42日)、0.01秒前には10000時間(416日)、0.001秒前には100000時間(4166日=11年)という風になり、そのままいきますと、0.0001秒で114年です。ほぼ人間の寿命を超えてしまいます。
 死の直前の一瞬に、人間はその全人生を追体験するといいますが、なるほど、これならもう一回人生をやり直して(というか追体験して)あまりあるわけです。
 面白い!
 しかし、まてよ。70歳で亡くなった人がいるとして、この人がおぎゃあと生まれた瞬間の、xの値は2207520000秒です。そのときのyの値は6132秒。1.7時間です。この1.7時間て、何?
 まあそれはいいとしましょう。
 ところが主人公は、追体験をした(パノラマ視現象を見た)わけでもなさそうで、そのかわりどこか異次元(?)の美しい風景(極楽浄土の風景?)を見ながら飛んでいき、最終的には神の居るところへ辿り着かんとしているようです。まあそれもいいでしょう。パノラマ視をし尽くした後にも、時間は無限に残されているのですから。
 しかしそれが問題なんですね。
 つまり、人生が双曲線だとしたら、人は永遠に死なないことになるのではないでしょうか(^^;
 でも「大森祐介博士は死んだ」となっていますよね。
 はっ。人間は不死なのか!? 極微な時間の中にある殆んど無限の時間を生きている死の手前で死んでいない人間を、実時間に生きる我々は認識できず、生きながら焼き殺していたのか(>おい)(^^;
 最後のモールス信号は何でしょうか? 主人公には光がゆっくりと進んでいくのが見えているのか?

 いやー面白かった(^^)

 

星新一賞優秀賞作品(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月15日(日)21時31分11秒
返信・引用 編集済
   星新一賞優秀賞2本目の、馬場万番「世界が2019年を勝ち取るためのアイデアを募集します」を読みました。
 うむ。これはスケールを極大化した「しゃっくり」(筒井康隆)ですな。ただし「しゃっくり」とは違って、引き戻されたら記憶もその間の分は消えてしまうという設定なので、実感的にはそのループを認識できない。
 冬月教授がタイムマシンを設定した起点と、2018年12月31日を終点とする時間内で、冬月教授と人気アイドル歌手が結婚できなければ、全宇宙が起点へ戻ってしまう(記憶も)。もし成就したら終点でタイムマシンはミッション終了で作動を停止する。しかしその可能性は万に一つもなく、世界は無限にループする。
 うーんややこしい。このループを止めるにはどうしたらいいかということですが、機械を壊したらいいのではないのかなあ。タイムマシンソフトは電脳空間に遍在していますが、結果を判断する機械(ASUKA)は1個しかないのだから。
 あ、この場合はASUKAが察知して、緊急的に48時間の時間遡行が発動するのか。だからパイプ椅子を振り下ろさず諦めてしまう世界が持続していくのか。
 なるほどなあ。ストーリーのアナが見つからんなあ(>おい)(^^;
 ただし「タイムリミットまでは4年以上ある」となっていますが、もう何十回となくその4年以上を繰り返しているんですよね(機械のカウンターによれば)。主人公はその事実をうっかり忘れているんでしょうか(あるいは釈迦の掌の中ということか)。つまりこの設定は一見分岐多元宇宙にみえますが、事実上単線宇宙ものなんですね。いや多元宇宙と考えてもいいんですが、どの分岐宇宙も結局は「始点」に戻ってくるわけですから。
 ということで、フレドリック・ブラウンとか広瀬正系のパラドックスを扱った軽妙なお話。面白かった〜(^^)

 

「玄鶴山房」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月15日(日)15時20分2秒
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   芥川の「玄鶴山房」を読みました。本篇、キンドルでは発売されてなくて、青空文庫で読みました。青空文庫にも専用のリーダーがあるのですね、それをダウンロードしたんですが、キンドルアプリ並みにストレスなく読めました。
 あ、そうだ言い忘れていましたが、日経のリーダーもなぜか翌日、タブレットのほうにDLされていたのでした。
 しかしタブレット読書に慣れてきますと、むしろ紙の本よりも読みやすいですねえ。何と言っても文字が大きいのが年寄りには親切です。あとバックライトで、仰向きに寝転んで読めるのもありがたい。若い頃は逆光でも全然気にならなかったものですが、年を取ると集光力も衰えていますからねえ。哀号。
 や、話がそれました。「玄鶴山房」です。本篇も没年である1927年に雑誌掲載された晩期の短篇。
 いやー、暗いです(^^;  著者の皮肉な人間観察の眼は、新心理主義と謳われた初期から相変わらずなのですが、初期はそれが、云うならば向日的だった。だからその視線はユーモアを伴って再帰的な余裕があったのですが、本篇ではその皮肉な人間観察の鋭さは同じながら、ユーモアと余裕を失って、初期と同じことをやっているのに底意地の悪さといいますか、あまりにグサグサ差し込んでくるので、読んでいてしんどくなってくるのでした。初期と晩期との、著者の置かれた精神的環境の相違が、あきらかにそこに読み取れます。もっとも同時期の「蜃気楼」はもっと穏やかですから、晩期の著者はめまぐるしく心理状態が上下しており、それがもろに作品に現れていたのかもしれませんねえ。

 ところで、ここまでの文章はタブレットのワードで書いたもので、タブレットから直接投稿しようと思ったんですが、初回でどんなミスをしているともわかりませんので、ワード文書をタブレットからPCに添付メールし、それを開いて訂正と書き足しをしたものです。
 まだ操作に慣れてないので今回はすこし時間がかかりましたが、単語登録がもっと充実してきたら、PCと変わらない書き心地で使えそうです。
 でも今のところ唯一の欠点として、私の腕にはちょっと重いんですよねえ。いやまあ運動不足で腕力が落ちきった私が持ってみて少し重いという程度で、現役バリバリの方なら何でもないんでしょう。え、これが重いの?と笑われてしまうかも。
 なお私がタブレットをゲットしたのは、これでです。ご参考までに。

 

「渡来の古代史」読み中(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月15日(日)01時41分11秒
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  > No.6208[元記事へ]

 『渡来の古代史』は100頁。このあたり漢氏について。
 へえー、東漢氏と西漢氏は別系統だったのか。東漢氏は安羅系で、西漢氏は百済系としていますね。そしていずれも馬の文化を持っていて(とりわけ河内には牧が多く存在したみたいです。秦氏系も含めて)軍事に長けていたようです。
 つまり応神の頃(5世紀初め)、それまで(考古学的にも)日本列島に馬の文化はなかったところに、秦氏や(東西)漢氏が馬文化をたずさえて移住(渡来)してきたんでしょうか。
 秦氏とは違って、漢氏はただちに大和朝廷(河内王朝)の中枢に(特に軍事力で)組み込まれていったわけですが、東漢氏は西漢氏よりも比較的反体制的であったようです。それは天武天皇に「七つの不可(あしきこと)」を挙げて責められ恩赦されたことで分かります。この事実にも、百済系の西漢氏と安羅(伽耶)系の東漢氏の、大和政権への忠誠度の微妙な温度差が現れているように思われます。

 

星新一賞優秀賞作品

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月14日(土)22時26分38秒
返信・引用 編集済
   星新一賞優秀賞、本間かおり「ママ」を読みました。
 ああ、これは好い! 私の大好きな茫漠たる大宇宙SFではありませんか。
 探査機の最終目的地は、22光年離れたさそり座グリーゼ667C星。その目的地に向って探査機は地球近傍より出発します。探査機はリニア核融合ロケットで、燃料は小惑星帯から拾ってきた大氷塊です。その大氷塊の水一滴に含まれる水素の質量をすべて光エネルギーに変えて反応生成物のヘリウムと酸素の質量を光速の99%で後方へ投げ飛ばす。その反動で探査機は10分の1G の推力を得るのです。それでも目的地まで1万年かかります。最終的には光速の10%。探査機は木星、土星、天王星、海王星でスイングバイを繰り返し、速力を得ると、オールト雲で氷塊を補給。いよいよ深宇宙へと飛び出します。という具合に、ハードSFガジェットがとても楽しい。ワクワクさせられます。
 さて、光速の10%、1万年の旅ですから、この程度の速度ではウラシマ効果の効用は期待できません(船内時間で300年)。ではコールドスリープかと思いきやさにあらず、実は生身の人間は搭乗していません。搭乗者はいるのですが、それはある少女の全人格をコピペされたAIのスーパーコンピューター(あと、ハルがいます)。で、コピーを提供した少女は地球に残り、たぶんもうとっくに大人になり死んでしまっているんですね。準グランプリ作品と同じく、本篇もイーガンの影響を強く感じます。
 船内時間で100年たったとき、探査機は突然強烈な重力波異常に翻弄される。原因はベテルギウスの超新星化だった。ところでベテルギウスは探査機から見て太陽系の後方なんです。ノヴァ化の影響は、探査機よりも10年も前に、もっと強い力で太陽系を襲っているはず。地球は無事なのか。はたして地球からの通信はぱったりと途絶える。しかし宇宙機は順調に残り200年飛び続け、艇の目前にグリーゼ667C星が姿を現す。主人公の少女のAIは最終ミッションの準備に入り……
 うーん、しびれますねえ。とはいえこの設定・ストーリー自体は意外にありふれていて、私も一本書きましたし、海野さんは10本以上書かれているんじゃないでしょうか。ありふれて、と言うと語弊がありますね。方程式ものと同じでサブジャンル化している、と言い直します。このサブジャンルで印象づけるためには、そのような王道ストーリーを、いかに独自な観点から引き立たせることができているか、にかかっています。本篇の場合、それがハードSFガジェットという衣装なんですね。そしてたしかに本篇は、その華麗な衣装でこの王道ストーリーを存分に引き立たせるのに成功しています。
 いやー堪能しました(^^)。

 追記。本篇の作品世界は「2001年宇宙の旅」の世界の未来という設定みたいなんですが、これが私の知識不足でよくわかりませんでした。グランドツアーを可能にする惑星直列が2001年にも現象していたのでしたっけ。
 

星新一賞準グランプリ作品

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月14日(土)16時19分14秒
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   星新一賞準グランプリ作品、岩田レスキオ「墓石」を読みました。
 いやーこっちも面白いです。というか、うまい。選評で谷甲州が星新一を思い出したと書いていますが、アイデアはまさにそうですね。
 近未来(といってもほぼ現代です)、人工知能(AI)に人間の記憶をコピーすることができるようになり、それを利用した、墓石(型AI)に故人の記憶を埋め込むビジネスが生まれる。主人公は癌で亡くなるのですが、手遅れとわかった段階で、このサービスを利用します。で、死んで葬式が終り墓に納骨された瞬間に、墓石として目覚めるのです。ただしコピーした時までの記憶しかない。一番つらかった末期の記憶も死ぬ直前の記憶も持っていません。このへんはイーガンを思い出しますね。
 で、残された家族は、墓参りに来てはAIとひとときの会話を楽しむのです(どうも墓域内では移動でき、遺族と抱き合うこともできるようです。だったら腕もあるのか。それは書かれていませんねえ(^^;)。
 それが嵩じて、家族は自宅を売り、その金で墓を立派にしてそこで暮らすようになったりします。
 このへんのエスカレーションが、いかにもショートショート的でとても面白いです。
 ところが、次第にショートショートにしてはリアルすぎる話になっていく。残された娘が結婚し、その夫のDVに苦しめられたり、とか。これはこれでドラマ的で面白いのですが、その分長くなるわけで、それをショートショートの文体で書かれると、ちょっとしんどくなってくるんですね。
 ショートショートの文体とは、要するに「梗概」文ということです。説明文(もしくはナレーション)です。ショートショートは長さの制約でそうならざるを得ません。それは短く収めるためであり、またそのためにショートショート特有の技法を発展させてきたわけです。
 だからそれが、ある基準値(客観的なものではなく主観的な)をこえて長くなると、読者はイライラしてきます。少なくとも私はそうです。
 この作品は、実によく出来たショートショートのアイデアと、これまた面白い短編小説のストーリーを二つながらに持っていて、それが逆に悩ましいのです。(私の感覚では)かかる両要素が微妙に反発しあっているように感じられてしまうんですね。
 選評で滝順一という人が「悲しくもおかしな風景をもう少し生き生きと描写していただければなおよかった」と評していますが、私もそう感じました。ただそっちに行けば、ショートショートではなくて短編小説になってしまいます。
 しかし私は、このアイデアはショートショートしても捨てがたいです。星新一は「具体的」な人間ドラマは極力ショートショートでは書かなかったと思います。本篇もそういう書き方をしてほしかったような。でもどっちかを選ぶ必要はありません。同じアイデアでSSと短篇小説(描写)を書けばいいわけですね(^^;


 

「或阿呆の一生」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月14日(土)15時02分34秒
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   キンドル本で芥川「或阿呆の一生」を読みました。
 おお、これってコンデンストノベルじゃないですか! いやこれは凄い。傑作というよりも、凄いというのが中っていると思います。50枚前後あり、ただしそれは51本の短話、断章等で構成されています。大体一話1枚程度。基本的にそれらにつながりはありません。見た夢らしい話もあれば、伯母の話もある。精神病院の見学(?)の話もある。ところがそんなバラバラな断章なのに、ある一定の、ちょっと怪奇小説ぽい共通する雰囲気があって、読み終わってみれば、一本の緊密な短篇を読んだという感覚が残っているのです。そういう意味でも、やはり本篇はコンデンストノベルなんですね。面白かった。
 著者のまえがき(久米正雄への書き置き)で、読めばモデルが誰かすぐわかると書かれています。久米にかぎらず、著者の周辺にいた人なら丸わかりなんでしょう。その意味で私小説なんですが、芥川を研究したわけではない私には、誰なのか全然わかりません。つまりごくふつうに「小説」として読んだわけです。それでも(個別的な知識がなくても)この小説世界に引きこまれ堪能させられました。そこが小説家芥川の凄いところなんでしょうね。

 以上、晩期の代表的な三作品を読みました。初期の作風とは全く別人ですし、小説の書き方も自由になっています(あるいは実験的に)。この三作の数か月前に書かれた「蜃気楼」は私の大好きな作品で、晩期作品の中では唯一何度か再読しているものですが、「蜃気楼」ではまだ従来の小説の約束ごとが守られています。だからいかにも「小説」然としています(ただし「蜃気楼」では、すでに初期の特徴であった物語の面白さは意図的に排除されています。だから好きなんですが、その意味では移行期の作物といえるかも)。
 この(蜃気楼の)地点からしますと、「河童」「歯車」「或阿呆の一生」は、時間的にはわずか数か月ですが、小説としてははるかに隔たっています。今風に言えば三者三様に実験小説的です。芥川が精神を追い詰められた契機は、すでにいろいろ明らかにされているんでしょう。それが結果としてこの特異な傑作三作品を書かしめたのでしょうか。そうかもしれません。それとも健康で寿命を全うしたのだとしても、いずれこの境地に達していたのでしょうか。考えてもしかたがないことですがいろいろ想像してしまいます。

 

「渡来の古代史」読み中(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月14日(土)02時08分50秒
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  > No.6204[元記事へ]

 承前。『渡来の古代史』は70頁まで。
 前回までは概論でしたが、ここからは各論。今回は新羅系*の「秦氏」です。(*ウィキペディアは始皇帝の秦の遺民説を採っていますが、リアリティがないと思います。私も本書と同じで新羅系説を支持します)
 秦氏は全国に分布していますね。そこが同じ「古渡」ながら中央に密着した百済・伽耶系の「漢氏」とは対極的なところで、それはやはり大和朝廷が百済(の移民)系であることと関係しているんだろう、と私は思います。
 でも秦氏の本拠地は京都ではないか。たしかにそうですが、秦氏が、書紀にあるように応神天皇の時、つまり河内王朝の時代に渡来したのだとしたら、京都はまだ中央じゃなかったのです。文字通り、中央から遠く離れた「山背」の地だったわけです。同時期に渡来した漢氏が、するりと大和(東漢氏)や河内(西漢氏<西文氏>)に入り込んだのとは対照的です。と同時に、秦氏の方でも、中央に入って百済系の指図を受けるのは嫌だったんじゃないでしょうか。
 でも秦河勝は聖徳太子の懐刀だったんですよね。で、秦氏が建てた太秦の広隆寺は百済様式らしい。なんか矛盾しているような。本書からは離れますが、秦河勝が聖徳太子の側近だったのは、かれが(秦氏が)仏教に帰依していたからというのが私の考え。当初、中央を避けた秦氏でしたが、世界宗教である崇仏派になった段階で、百済とか新羅とかいった瑣末な対立は、河勝にとってあまり意味がなくなっていたのかも。
 そして秦氏の居住地は馬の産地でもあった。聖徳太子の子の山背大兄皇子が入鹿に攻められ生駒に逃げたとき、三輪文屋君が、とりあえず深草屯倉に行って馬を確保し、馬に乗って東国に落ち延びよと進言したと本書にあります。深草は秦氏の本拠地です。そういえば聖徳太子は廐戸(うまやど)皇子でした。
 つまり秦氏は騎馬民族でもあったのでしょう。上記のように全国に分布できたのも、またそれでありながら秦氏として一つにまとまっていられたのも、騎馬の行動範囲の広さを見落とすべきではないと思います。
 今回、本書の内容と私の妄想が混在しております。くれぐれもご注意願います(>おい)(^^;

 

星新一賞グランプリ作品

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月13日(金)21時16分36秒
返信・引用 編集済
   第2回星新一賞がすでに決定していたんですね。知らなかったのですが(ツイッターにもあまり上がってきませんねえ)、あるサイトで、無料購読可能になったという記事をみかけ、さっそくダウンロードしてみました→https://eb.store.nikkei.com/asp/ShowSeriesDetail.do?seriesId=D1-00239800B
 第1回のときは、ダウンロードに至るまでの登録が煩瑣を極めるという不満の声をよく耳にしたので、最初から試してみもしなかったのですが、不評をうけて改良されたのでしょうか、簡単にダウンロード出来ました(あ、日経デジタルを読むためにすでに登録できていたからかも)。ただ、できればタブレットに落としこみたかったんですが、まだ操作に未熟なせいか(私のタブレットが未対応機種だったのかも)、うまくいかず、PCでの購読となりました。でも読むためにDLした日経のリーダーアプリが、フォントサイズを変更できるものだったので、問題なく読むことができました。
 ということで、まずはグランプリ作品の相川啓太「次の満月の夜には」を読みました。
 数えたら30枚弱でした。長さからいえばショートショートとはいえません。しかし書き方はショートショートかも。つまり失礼な言い方をすれば梗概なんですね。
 ただこの梗概、大変スケールの大きな物語の梗概でして、これはこれで面白かった。

 地球温暖化で企業は温室効果ガスの処理にかかる費用が馬鹿にならなくなってきていた。主人公の科学者は排出権取引に目をつけた企業とタイアップして、炭酸カルシウムをつくる能力を飛躍的にアップさせたサンゴ(共生体)を遺伝子操作で完成させます。
 この遺伝子改変サンゴは、邪魔な二酸化炭素と海中に無尽蔵にあるカルシウムを化学反応させることで、地球上に増え続ける温室効果ガスを炭酸カルシウムとして固体化し、除去してくれるのです。
 ところがこの遺伝子改変サンゴが自然界に流出してしまう。海洋という、炭酸カルシウムの原料が無尽蔵にある環境で、サンゴは異常繁殖し、海中から二酸化炭素がどんどん失われ、それを補償するために空気中の二酸化炭素が海中に溶け込んでいき――やがて地上の植物の光合成に支障をきたすようになる。
 つまり植物が死に絶え、ひいては動物も絶滅してしまう危機が地球を襲うのですが……!?

 いやワクワクします。これぞSFの醍醐味。小松左京が書きそうな話で面白かったです。そういう意味でも、やはりこれは本格的なSF物語として読みたいなあ(^^;

 

眉村さん情報:ラジオ深夜便

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月12日(木)21時25分5秒
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   これはちょっと楽しみなお知らせ。だいぶ先の話なんですが、6月20日土曜(午前2時〜)のNHKラジオ「ラジオ深夜便」で、眉村さんの「豪邸の住人」(短篇集『自殺卵』所収)が朗読されるそうです。
 しかし、まだ3か月以上も先の話で、私、覚えていられるかどうか非常に心配です。もしその日が迫ってきても、ここで再告知する気配がなかったら、たぶん忘れているに違いありません。「管理人、どうも忘れているようだな」と気づかれましたときは、ぜひ当板でお声をおかけくださいますよう、予めお願いいたします(^^;
 それはさておき「豪邸の住人」、『自殺卵』の著者あとがきには「小説NON」98年7月号に発表されたと書かれています。
 実はその後、日本文藝家協会編『現代の小説 1999』(徳間書店)に収録されているのです。それについては、眉村さんはあとがきでは触れておられません。なので備忘のためここに明記しておくのでありますが、しかしこれは眉村さんがうっかり書き忘れたのではないように思われます。
 というのは、追記風に「(私の本にはこれが初収録)」と記されているからで、この謎めいた一文の裏を読めば、すなわち「眉村卓名義ではない本には収録された」ということになるわけですね。レトリックですなあ(^^ゞ

 あ、それからこれは不確定要素があり、オフレコということでお願いしたいのですが、新作が刊行されそうですよ(^^)
 書き下ろし作品集で、いま、大体半分くらいだそうです。順調に行けば夏までには。
 いろいろお聞きしたところでは、これ、短篇集でもなく、ショートショート集でもないんですねえ。詳しいことはまだお知らせできませんが、かなりユニークな作品集といえるんじゃないでしょうか。
 ちょうど「或阿呆の一生」を読んだところだったので、そう言ったら、あんな深刻な自虐的なものではないが、形式はそう言われたら似ているかも、とのことです。おお、シンクロニシティ!(笑)

 

「歯車」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月11日(水)23時26分49秒
返信・引用 編集済
   キンドル本で芥川「歯車」を読みました。
 初期のショートショートっぽい理知的な作風のは、折にふれて読み返したりしているのですが、晩期の作品は全く読んでいません。小中生には難しすぎたんでしょうね。そういうわけで本篇も「河童」と同じく、50年ぶりくらいの再読。
 いやーこんな話だったのか。圧倒的な迫力で、引きこまれて一気に読んでしまいました。これはもう怪奇幻想小説ですよね。私小説ではあるんですが、印象はドイツ中欧の世紀末怪奇小説っぽいです。私小説とかいう読み方ではなく、あくまで怪奇幻想小説として楽しめます。
 とはいっても私小説的にも興味深くて、ここにはすでに「河童」にみられたユーモアは影を潜めてしまっています。「河童」と「歯車」の執筆時期は、数ヶ月しか違わないはずなのに。この間に急速に神経衰弱が悪化したんでしょうね(「歯車」は死後発表)。
 ところで、主人公が見る「歯車」ですが、「閃輝暗点」という一種のストレス性視覚障害だったといわれています。私はこれをクトゥルー神話の輝く神クトゥグアで解釈して、芥川を主人公に据えた話(クトゥルー神話譚)を書けないかな、という目論見で再読したのでしたが、読んで、ああこれはかなわん、と諦めました。何も付け足さずともクトゥルー神話なぞはるかに凌駕しているのでした(^^;

 ということで、次はやはり遺稿の「或阿呆の一生」を読んでみようと思います。
 

 

「渡来の古代史」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月11日(水)21時42分11秒
返信・引用 編集済
  > No.6203[元記事へ]

 『渡来の古代史』は45頁まで。
 読んだ部分では「日本」という国号がいつ定められたのかが検討されています。昨日の投稿で、私は先走って日本国の成立を天武持統の時代と書きました。まあ概ね間違っていないと思うのですが、筆者は厳密に確定しようとします。
 まず、大宝元年(701)に出来上がった「大宝令」に、「明神御宇日本天皇詔旨」の文が見えるのがその下限だろうとします(傍証として、「続日本記」慶雲元年(704)の条には、大宝元年に遣唐執節使に任じられ翌年(702)入唐した栗田朝臣真人が「日本国使」を名乗ったことが明記されており、またその同じ遣唐船に乗っていた遣唐留学僧の僧弁正の「日辺日本を瞻、雲裏雲端を望む」という詩が「懐風藻」に収められている。等)。
 そして上限は、よくいわれる聖徳太子の「日出処の天子」は、国号を意図したものではないとしてこれを排し(管見ではこれが後に参照されて「日本」という国号の有力なヒントになったんじゃないか、とは思います)、書紀の「天智天皇即位前紀」に、高句麗僧道顕の著した『日本世記』から「蓋し高麗破れて日本に属むか」というのが引用されていることに着目します。『日本世記』自体は現存せず、各種の資料に引用されていることで知られるのみですが、著者は「天智天皇8年(669)以後、天武朝には確実に存在した記録と思われる」としています。
 ところが、書紀「天武天皇3年」(674)の条に、対馬で銀が産出されたことに触れて「凡そ銀の倭国にあることは、初めて此の時に出たり」との記述がある。著者は、ここに「倭国」となっているのは「674年のころの原資料にはまだ「日本国」は使われず、倭国と称されていたことを示唆する」とし、
 結局「日本国」の登場は、「674年以降の天武朝であった」と結論します。
 いやー、ミステリのように面白い!(^^)

 ところで、西安において百済将軍袮軍(でいぐん)という人の墓誌が出土していて、その銘文に「日本余礁」の文字が記されているそうです。「余礁」とは残党の意で、この袮軍、663年の白村江で唐軍に投降し、そのまま唐の官僚になった。で、天智称制4年(665)に唐の使者のひとりとして来日(帰日?)したことが書紀に見えるそうなのです。つまり通訳だったんでしょう。没年は儀鳳3年(678)で、墓誌でもそうなっている。唐に投降した時はまだ倭の軍人だったわけですが、唐で暮らすうちに日本国が出来(674?)、それで墓誌は「日本余礁」と記されたわけです。
 しかしそのことよりも、私が打たれたのは、唐使の通訳として日本(当時は倭)に帰ってきた袮軍の気持ちです。3年ぶりに帰ってきた時は、もはや唐人としてなのです。そして、西安に墓があるのですから、唐使とともに再び中国に戻ったわけです。どんな気持ちだったんでしょうか。だれか袮軍を主人公にした小説を書いてはくれないか。
(でいぐんが「でこ」または「でく」の横なまりだとしたら、もともとの日本名はデコッパチみたいな名だったのではないでしょうか。それともデクノボウ? 袮が「でい」ではなくて「ね」だったら、あるい「ネコ」だったかも。当時の名前としてはこっちのほうがあり得そうな気がします)(^^;

 

「渡来の古代史」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月10日(火)22時40分14秒
返信・引用 編集済
   上田正昭『渡来の古代史』に着手。35頁まで。
 ここまででも、めちゃくちゃ面白い。
 「帰化人」という語は教科書にも使われていたと思いますが、実は<帰化>を好んで使用したのは『日本書紀』のみで、それ以前の『古事記』や『風土記』、以後の『古語拾遺』、『新撰姓氏録』などでは<渡来>となっているのだそうです。つまりオリジナルは<渡来>で、書紀はわざわざそれを<帰化>と言い換えているのです。
 <帰化>と<渡来>は同じ意味じゃないのか。違うのか。ぜんぜん違うのです。<帰化>とは「王化」(無知無学な未開人が聖王を慕ってやって来る)の意味があり、「国家」を前提とします(一方、<渡来>は「わたりきつ」ということでそこに価値観は含まれていません)。帰化とは国家へ帰属するという意味です。その定義は古代法(大宝令とか)に定められており、要するにそれと連動するかたちで、書紀は書かれたんですね。
 いうまでもなく古代法は国家によって定められるものであり、その国家(日本国家ですね)は天武持統の時代に成立したものです(これは日本史の常識です)。
 ところが書紀では、神武天皇や応神天皇や雄略天皇の時代の渡来に対しても<帰化>を用いている。ちなみに天皇というのも書紀がそう言っているだけで、天皇という称号の使用も天武からです(厳密には天智7年「船王後墓誌銘」にみえる「治天下天皇」が初出)。これは、だから今の言葉で言えば修正史観といえるわけですね。
 渡来の史実は、書紀が参照した(今はもう残っていない)原史書に記されていたのでしょう(古事記なら稗田阿礼のような書物人間の脳に。>華氏451度かい)(^^;。そしてそこには、何の価値観も含まれていない<渡来>という表現が使われていた筈です。だから書紀以外はすべて「渡来」となっているのです。書紀のみわざわざ「帰化」に言い換えているのです。
 こういう法制度と国史編纂の連動は、天武持統の皇親政治の産物で、日本という「国家」を立ち上げようとしたとき、殆んど必然的に「日本版中華思想」が採用された。わからなくもありませんね。
 ここで面白いのは、『書紀』において<帰化>してくる(無知無学な未開人が聖王を慕ってやって来る)のは、すべて半島からなんだそうです。中国からの渡来者は帰化とみなされないのです。
「すなわち高句麗・百済・新羅らを「外蕃」とみなしていたのである。『日本書紀』にみえる「投化」の記事がことごとく朝鮮諸国の人々にかんするものであることも、「古代法」の外蕃意識を反映したものであったといえよう」

 こうしてみると、日本国家を成立させた原動力こそ、朝鮮半島(つまるところ統一新羅)への反動であったことがわかります。
「王化思想の所産である「帰化」・「投化」を意識的に用い、「蕃国」観をはっきり投影した『日本書紀』にしるす日朝関係史を主軸に、朝鮮関係の史書や金石文を解釈するその立場は、その根底において問い直す必要のあることは多言するまでもない」

 ここで皆さんは、ははん、と思われたんじゃないでしょうか。そうです。あべっちニッポンが、まさに天武持統皇親政治に、その「手口」を学んでいるんですね。そういえば最近、テレビや新聞等のマスコミでは、(とりわけスポーツにおいて)ニッポン人はすばらしい(それに比べてあの横綱は・・)、とか、ニッポンの技術は世界一(たとえばつい先日のクローズアップ現代は「逆襲なるか 日本アニメ」)、とかいった番組が多いと感じていたのですが、これなども、一種の日本書紀では? 最近あべっちはさかんに大手マスコミのえらいさんを招いて食事会をしていることを、中国新聞が報じていましたが、あんたのところのこの記事は、などとネチネチやられているんでしょうね、想像ですが(汗)。しかしこうなってくると、中国新聞とか神戸新聞といった、食事会に呼ばれない地方紙に頑張ってもらうしかありませんなあ(>おい)(^^;

 さて、ここからは当該書とは無関係な私の妄想です。日本国家を成立させた第一動因が半島統一であったとしても、それを支えた心理的要因を私は指摘したい。
 大体において移民とは(新大陸でもオーストラリアでも北海道でも)そうですが、つまり、食えなくなって移住してくるのです(例えばジャガイモ飢饉で大量のアイルランド人がアメリカへ移住した)。
 朝鮮半島からの移民(渡来者)もその例にもれないはず。ただし当時列島に統一国家はありませんから、まさに自由にやってきて根付いたのです(古渡才伎)。その意味で金錫亨の「三韓三国の日本列島内の分国」論は当たりません。日本国もなかった代わりに分国もなかったのです。ただ百済との関係で畿内は百済人移民が多く(桓武天皇は百済人とのハーフです)、その結果、後発の新羅人や高句麗人移民は、それを避けて東山道から東国に移住したものと思われます。多分かれらは、7世紀には日本の人口の過半数を占めていたでしょう(埴原和郎によれば古墳時代の在来系と渡来系の混血率は1対9ないし2対8。ソ連の人類学者コジンツェフによれば3対7)。要するに天武政権は実質的に移民者(もしくはメスチゾ)の政権だったと考えて間違いないのです。
 そんな彼ら、そもそも本国人からすれば棄民です。蔑まれたはずです。ところが形勢逆転して、日本列島の国力のほうが豊かになってきた。そうなると今までの恨み骨髄に達していたのが、倍返しで本国に向ったとしてもさほど不思議ではないように思うのですね。
 我々は皇親政治を小中華思想すなわちナショナリズムで捉えますが、実際は半島がイギリスで列島がアメリカという構図でとらえたほうが近いのではないでしょうか。
 皇親政治の異常なほどに強烈な反朝鮮志向は、そのように捉えると案外分かりやすい気がします。そういう意味では、あべっちが「手口」を真似るのは勝手ですが、勘違いも甚だしいことなのかも(^^;

 

「河童」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 9日(月)00時43分19秒
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   タブレット端末でのキンドル初読みは、芥川の「河童」
 いやー中学以来、ひょっとしたら小学生だったかも。というのは、読んだのが父親が揃えていた(ただし全巻揃ってはいなかった)筑摩の現代文学体系(後に出た現代日本文学大系全97巻とは別シリーズ)だったからです。余談ながらこの全集、父親が読んだ形跡はなく、私が初読者でした(笑)。
 ですから、最も早く見積もったとしたら50年ぶりの再読(^^;。妊婦――じゃなかった妊河童の臍に向って伝声管よろしく口を寄せて、生まれてくる気ありやなしやを問うシーンだけ覚えていました(>そこかい!)(^^ゞ
 という次第で、初読同然に読んだわけですが、1927年に書かれた本篇が、まさに純然たる無何有郷モノ――すなわち「ユートピア」「太陽の都」に始まり18世紀の「ガリバー」、19世紀の「ユートピアだより」「エレホン」「タイムマシン」、20世紀に入っても1908年の「対極」等へとつづく、ユートピア文学の正統な後継作品であることに、改めて気づき、感慨を新たにしました。ひょっとしたら最後のユートピア小説かも。というのは、この系譜はその後、ディストピア小説に移行していくからです(ユートピア小説とディストピア小説のどこが違うのか。ユートピア小説は下記のように形而上的空想物語ですが、ディストピア小説ははっきりと具体的なモデルがある形而下小説となっているところです)。
 上記ユートピア小説の共通の特徴は何でしょう。それは言うまでもなく、「さかさま化」といいますか「現実のひっくり返し」による相対化志向に他なりません。
 本篇は明確にこの路線を踏襲しています。

「河童の風俗や習慣ものみこめるようになってきました。その中でも一番不思議だったのは河童は我々人間のまじめに思うことをおかしがる、同時に我々人間のおかしがることを真面目に思う――こういうとんちんかんな習慣です。たとえば我々人間は正義とか人道とかいうことを真面目に思う、しかし河童はそんなことを聞くと、腹を抱えて笑い出すのです」

 本篇は河童の世界に落ち込んだ主人公の人間による「さかさま国」の見聞録です。当然そのような小説をものした芥川の創作動機には、作家が住む人間国の不合理不条理の指摘の意図、言い換えれば人間国にたったひとり追放された非人間(超人)の孤独感、疎外感の発露があったことは言うを俟ちません。それで面白いのは河童国の超人倶楽部(超河童倶楽部ではないのは、河童の自称の主人公による翻訳だからでしょう。河童も、自称は河童語で「人」であることは民族学的に当然言えることと思われます)が人間の有閑階級のサロンにしか見えないこと。芥川にとっての魂の故郷ってのは、まあその辺だったわけです(^^;。
 ああそうだ。たまたま先日、柳田の「河童駒引」を読んでいたからですが、芥川の河童描写は柳田の記述をきっちり取り込んでいますね。感心しました。だから「獺国」と戦争していたり、神経衰弱の河童が「猿」を幻視したりするのですね。身長も1メートルそこそこですし。
 本篇は、ユートピア小説であること。河童について縦な空想ではなく、民俗学という近代科学の知見を殆んど枉げずに使用して作られていること。この2点において、紛れもなくSF小説のジャンルに入る小説です。ところが『世界SF全集』日本のSF古典篇には収録されなかったんですね。まあ長さの関係だと思いますけど。


 

「ころがるダイス」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 8日(日)14時55分38秒
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  E・S・ガードナー『ころがるダイス』田中融二訳(ハヤカワミステリ文庫77、原書39)読了。

 本書で使われた、胃の残留物で死亡推定時間を測る方法をごまかすトリックは、本書のオリジナルでしょうか。それとも先例があったものなんでしょうか。なかなかよく出来ているなと思いました。
 ストーリーも込み入っていて、それはひとり二役どころではないところからそうなるのですが、そういう設定にできる人間関係の「狭さ」は、やや無理があるような。とりわけ被告の親友であるネッド・バークラーの位置が最後までよくわからなかった。なぜ紛らわしく片足が不自由なのか。ひょっとして最初は伏線の意味があったのが、その後構想が変わって使い道がなくなってしまったんじゃないのかな。それとも、私がなにか重大な読み落しをしてしまっているんでしょうか(汗)
 しかしそれにしても、当シリーズで描かれる30年代アメリカ、荒っぽいです。まだ開拓時代の気風が残っているかのよう。
 メイスンも信号無視、スピード違反は常ですし、それで捕まっても(ごく少ない)反則金を支払えば済んでしまう世界なんですね。交通警官に紙巻煙草の数本でもどうぞと差し上げればそれで見逃してもらえる(ただし煙草は高価で、メイスンも事務所を訪れた者には必ず卓上の煙草ケースから客にすすめ、客もありがたくそれをいただきます。わがニッポンも煙草の値段がさらに上がりますと、そのうち上流階級の嗜好品となり、こんな風景が見られるようになっていくんじゃないでしょうか)。
 つまり世界が大変若い。若い分、われわれ日本人の感覚からすると相当に荒っぽい。殆んど無法地帯の隣あたり世界という感じすらします(もちろんニッポンという国にも若い時代があったのは言うまでもありません。しかしそのニッポンもいまやご老体です)。現代ニッポンの草食青年がタイムスリップしたら、きっと泣きだしてしまうかも(>おい)(^^;。
 ペットだってそうですよ。最近のニッポンの家猫は死ぬまで飼い主の家から出ることはなく、その結果(病院は別として)同類の存在を知る機会もないそうですが、アッチは違います。飼い主は猫用の出入口を確保してやっており(『門番の飼猫』参照)、ネズミどころかカナリヤくらいならバリバリ食ってしまいます(『偽証するおうむ』)。動物も人間に似ていたって兇暴です(>おい)(^^;

 とにかくこのような、開拓時代の尻尾がまだ完全には切れていない30年代アメリカ――という時代が、私には大変興味深い。こういう(開拓時代と近代資本主義世界が重なっている)時代世界だからこそ、30年代アメリカにハードボイルドは生まれるべくして生まれたのでしょう。
 とはいえ30年代、開拓時代の気風(「オレが掟だ」)が次第に薄れてきているのも事実。その「オレが掟だ」に取って代わるのが「法規」です。ただ「法」はともすれば機械的な運用に陥りがち。
 自身弁護士であったガードナーには「法」のそのような暗面もよく見えていたに違いありません。かくして、開拓時代のスピリットをそのままに持ったスーパー弁護士ペリイ・メイスンが登場するわけです。

「法廷侮辱とみとめてもらえば、いっそかえって都合がいいよ。出るところへ出て黒白つけるさ。事件を解決するのにちょっと型破りの方法をとると、すぐ弁護士の資格剥奪とくる――それが最近の流行だ。くそくらえ! もう、いいかげんみんな目がさめてもいい頃だよ」

「メイスンさん、正直なところ、わたしはあなたを好きになりそうですよ。わたしはあなたの生き生きした生活ぶりがうらやましい。わたしは、旧来の陋習を破ってまっすぐ目的にむかって突進なさった、あなたのやり方が気に入りました。冒険とスリルにみちたあなたの経歴にも好意をもたずにいられません。が、(……)あなただって、いつか、本当の犯罪人を弁護するはめに陥ることがあるかもしれませんよ」
(……)「法廷で証明されないかぎり――」とかれは言った。「人は罪ありとされることはありません」
 ノックス判事は嘆息した。「救いがたいな、あなたというひとは」
 メイスンはかるく一揖した。「光栄です、判事さん」「――おほめにあずかりまして」


 本シリーズも30年代発表作品は本篇をもって終わり、次回『餌のついた釣針』からは40年代となります。丁度区切りがいいので、ペリーメイスン特集は本篇でいったん打ち切ることにします。またそのうちに。

 

「偽証するおうむ」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 7日(土)02時50分19秒
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  E・S・ガードナー『偽証するおうむ』宇野利泰訳(ハヤカワポケットミステリ58、原書39)読了。

 シリーズ第14話。いやこれは異色作というべきか。メイスンはつねづね弁護士報酬は適正にもらう、と言っています。どういう意味か。悪平等な定価はないということです。つまり、たとえ同じ仕事量だったとしても、貧乏人か金持ちかによって請求する費用は単純に同じにしない。貧しくて訴訟費用も払えない人でも、必要とあらば費用は1円でも5円でもよい。逆に金持ちからはそれ相応にいただく(ふんだくる)というのがメイスン流。これぞまさに言葉の正当な意味で「公平」ですよね。
 そんなメイスンですから、本書結末のメイスンの述懐は、読後ふりかえれば、ありうることと納得するのですが、私は予想できませんでした。
 ひょっとしてガードナーはアメリカ共産党のシンパだったんでしょうか。ネット検索程度ではそれはわかりませんでしたが、ウィキペディアによれば、
「第二次世界大戦後、「最後の法廷」(The Court of Last Resort) というプロジェクトを組織し、法律と調査の専門家である仲間たちと共に、自ら先頭に立って冤罪で有罪判決を受けた人々の再審請求に尽力した」
 とありますから、少なくとも、社会改良主義的な志向はあったのは間違いない。
 本書の、とある作中人物の言葉に、メイスンは感銘を受けます。

「この世の中は物質だけじゃないんだ。ドルが人生究極の目的だとは、とんでもない考え違いだぞ」
「彼だって貨幣の効能を認めるのには、決して吝かではなかったのです。人類の努力の結果の徴表として、貨幣の重要性は十分認識していたのです。他人の努力の成果と、自己の努力の成果とを交換するために、貨幣は欠くべからざる媒介であります。ところが、自己の労働による生産物を提供しないで、この徴表を数多く獲得しようとするところに、経済社会の堕落が生じるのです。(……)そこで父の意見は、ひとは徴表という観念を放棄すべきだというのです。」
「だれもが一攫千金の夢を追っている。労せずして徴表を手に入れようと望んでいる。そして、その徴表たる貨幣が、労働の真実の表現たることを止めるとともに、だれもが貨幣を手離すことを惜しみはじめる。(……)そのときすでに、貨幣は物の交換の媒介以上の存在にのし上がってしまっている。あるいは、だれもがそれを信じてしまっている」


 ここの「徴表」とは、以前私が「貨幣の自走性」といい、hirokd267さんがもっと適切に「貨幣の物神性」(こちら参照)とおっしゃったもののことですね。結局のところ「富」ということです。
 第一次大戦でヨーロッパを押しのけ世界の一等国となったアメリカは1920年代にその資本主義を急伸長させますが、その必然的な反動として、いわゆる大恐慌が、1930年代にアメリカから世界に広がります(アメリカがこれを脱するのは1940年代前半、即ち太平洋戦争による軍需景気のおかげなんです。この点にかぎっては日本はアメリカに対してイバッテもいいかも>おい)。アメリカ共産党も、1930年代後半が最盛期だったみたいです。
 そして初期のメイスンものは、まさにそんな1930年代に書かれているのです。ラストでメイスンはこう述べます。
「あの男の云うことは真理だ。気づかぬほうがどうかしているのだ。証拠はちゃんと、あそこにあるじゃないか。おれの眼に入らなかっただけなんだ」
 ガードナーとアメリカ共産党、あながち繋がらないものでもなさそうに思ったのですが。


 

「万引女の靴」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 5日(木)21時18分15秒
返信・引用 編集済
  E・S・ガードナー『万引女の靴』加藤衛訳(ハヤカワポケットミステリ56、原書38)読了。

 第13話。面白かった〜(^^) 決め手となった”交換拳銃”のトリック解明の何たるあざやかさ! まるで本格ミステリみたい、と一瞬思いましたが、しかし要するにメイスンを蛇蝎の如く嫌うホルコム部長の杜撰な捜査による見かけの構図に過ぎなかったわけですから、なんともはや。しかしそれが押し通されていたら冤罪となるわけです。案の定ホルコムは、途中で気づいたのだが強引に押し通します。警察機構の怖ろしさに読者は慄然とした筈。
 もっともホルコムのその強引さのおかげで、本来ならば(法律上は)刑に服さなければならない(正当防衛が認められなければ。そして客観的には認められ難い状況だった)者が、起訴されずに済むわけで、《法》というものの鵺的性格にこそ、慄然とすべきなのかもしれません。
 先回、「メイスンは法律を金科玉条としない」と書きましたが、もう少し正確に、「法を(利用はするけれども)絶対的な”規範”としない」と言い直します。
 平谷美樹『でんでら国』では、主人公の別段廻役(つまりお巡りさん)が脱法的正義と悪法も法なりの間で苦悩するわけですが、メイスンははっきりしています。警察機構に代表される「悪法も法」的態度こそ、メイスンの敵であり、牙をむいて立ち向かっていくべき相手なのです。
「いいかね、デラ、警察の困った点の一つは、彼らに想像力が欠けているという事だ」(160p)
 一般的に日本人は法によって定められたこと(お上と言い換えてもよい)を絶対視しそれに従順です。そういう社会的文化的性格だからこそ、鬼畜米英を題目のように唱え一億総玉砕を信じていたはずの国民が、8月15日があけるや、手のひらを返したように、占領米軍に向かってバンザイし、ギブミーチョコと叫びながら米軍ジープを追いかけて走る「ことができた」のですね。そんな国民は日本人だけです。米軍はベトナムでもイラクでもアフガンでも占領政策で失敗し続けていますが、唯一成功したのが日本なんです。
 ああ、話がそれました。何が言いたかったかといいますと、法は人が作るものであって、そうであるからには完璧なものではありえない。幾度も修正を重ねて良くしていくことはできるが、畢竟それは石原藤夫「助かった三人」の数学者の墜落と同じで、「完璧」に到達することは不可能なのです。
 そういうものを「規範」として受け入れ絶対視してしまってはいけないというのが、メイスンの立場です。では何をもって規範とすべきか。それは共感する想像力であろうと思います。それをメイスンは、法の上位に置くのです(メイスンがそう明言しているのではありません。私が当シリーズから読み取ったものです)。
 なにはともあれ、メイスンの警察権力(お上)に対する対抗心はそんじょそこらのものではありません。何が何でも一泡吹かしてやらずには措くものかというヴァイタリティが満ち溢れている。読者である庶民は、そこに快哉を叫ぶわけです。

 

「掏替えられた顔」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 4日(水)22時30分50秒
返信・引用 編集済
  E・S・ガードナー『掏替えられた顔』砧一郎訳(ハヤカワポケットミステリ55、原書38)読了。

 シリーズ第12話ですが、文庫化はされていません(ちなみに13話、14話も)。ちょっと意外。シリーズ他作品と比べても全然遜色ありませんし、むしろ面白さでは上位にくるのではないか。どういう基準で文庫化されているんでしょうねえ。基準などないのか。まあハヤカワですからね*(笑)。
 前作で逃げるように(笑)東洋の旅へ赴いたメイスンとデラ。前作によれば、ホノルル――東京――横浜――神戸――上海――香港――シンガポール――バリ島という旅程なのですが、本書の舞台はその帰途。ハワイからサンフランシスコへの船上で二人は事件に出遭います。うーん。往路復路とも、ハワイに立ち寄ったということでしょうか(^^;
 ともあれ、舞台が客船上ということで、従来よりも新味があって(つまりクローズド・サークルもの)面白かった。本書も昨晩ひと晩で読了。やはり字で書いた連続テレビドラマでして、いくらでも読めてしまいます。これがテレビドラマだったら、物理的に次まで1週間待たなければならないわけですが、本だとそういう歯止めがありません。チェーン・スモーキングのように読んでしまいます。今夜も読みます。いかんなあ。
 メイスンは弁護士ですが、法律というものを金科玉条とはしないのですね。はっきりいってハッタリと詭弁です。それこそ法令の裏をかく論理(弁舌)のアクロバットがたのしい。しかも本人(というのはメイスンのことですが)は、自分は冒険家だ、イチかバチかの賭博者だ、と広言してはばかりません。要するにジョン・カーターと同類なんです。これもよい。
 ただしジョン・カーターと違うのは、1930年代(日本でいえば満州事変〜日華事変の時代)なのに、意外に自立する女性に好意的な点で、本書でも、上流階級(本書を読めばわかるように、やはり当時のアメリカは貧富の差の固定した階級社会なんですね)のサークルに向かって、引け目を感じず昂然としている娘、ベル・ニューベリの、その気っ風をメイスンは大いに好ましく思い、親身になって弁護します。それはベルがデラに大変よく似ているということでもあります。
「素晴らしくいい娘だね。あの娘に勝てるような女は、ぼく、たった一人しか知らないよ」
 というメイスンの言葉は、実はでデラへのプロポーズなのですが、メイスンは前作でもプロポーズしています。
「あなたの妻として、私、秘書の役目を続けてもよろしいの?」
「そりゃあ困るよ(……)君が働く必要はないさ」
「そのことですわ(……)私達は現在いいコンビなんですわ。それをあなたが私を妻として家庭に奉ってしまう(……)いいえ、大ペリイ・メイスン様、あなたは結婚生活に向く方じゃありません。スピードの中で暮し、怪奇に包まれた方ですわ。私があなたとともにしたいのはその人生ですわ」
(『カナリヤの爪』241p)
 今回も又、
「ちょっと待って。センチメンタルになるのはよしましょうよ。あなただって私と同じに家をもったりすれば、後悔するに決まっているわ(……)あなたには、べつに、奥さんなど、要らないのよ。あなたの要るのは、一しょに危ない橋をわたってくれる秘書なのよ」(本書288p)
 これは結局ガードナー自身の女性観であるわけです。まことに21世紀の現代においても、このような自立した職業婦人は(少なくとも日本には)なかなか少ないのではないでしょうか、あわわもとい、このような女性観を持つ男性は、現在でもそうはいないのではないでしょうか。

*本書の訳者の砧一郎は、巻末のデータでは昭和11年生れとなっています。本書は昭和30年の発行。つまり訳者19歳の訳本となる。へえ、学生時代に翻訳を売ったのか! しかしそれにしては(眉村さんの2歳下だというのに)訳文がいやに古風だなと不審に思って(否定ではなくむしろ歓迎)検索したら、訳者は1912年(大正元年)生れだった。それでナットク。ところが私の持っているのは1989年の第6版。おいおい30年以上もほったらかしかい、訂正しろよ(^^;

 

Re: 「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 4日(水)13時03分10秒
返信・引用 編集済
  > No.6196[元記事へ]

高井さん
>面白いことに、この編年体の記述から、いろいろなものが見えてくるんです
>個人的にも、たとえば自分が小学校に入学したころ、ショートショート界ではこんなことが起きていたのか、とか、そんなことも確認できます。
 ああ、その感覚は分かりますね。思いがけないものがつながったりして、一種のセンス・オブ・ワンダーですねえ。

>星新一デビュー60年、すなわちショートショートが還暦を迎える2017年までには……。
 60年ですか。そのうち45年くらいは私も並走してきたので、読んだらきっと、いろいろ思い出したりつながったりして感慨深いんだろうなと予想します。

 

Re: 「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:高井 信  投稿日:2015年 3月 3日(火)21時39分58秒
返信・引用
  > No.6195[元記事へ]

>  というのは冗談(妄想?)ですが、
 妄想ですねえ(笑)。
 ショートショートの書誌ではなくて、基本的には読み物です。各年の出版物や出来事を中心に、そこから派生する出版物や事柄をあれこれ書き記しています。すべてのショートショート集を網羅しているわけではなく、その時々に応じて、という感じですね。トータルで何冊に言及したのか、数える気にもなりませんけれど、表紙のスキャン画像だけで1000枚を超えていますから、それ以上であることは確かです。ちなみに、打ち出し冊子には500〜600冊の書影を掲載しました。
 面白いことに、この編年体の記述から、いろいろなものが見えてくるんです。個人的にも、たとえば自分が小学校に入学したころ、ショートショート界ではこんなことが起きていたのか、とか、そんなことも確認できます。これが存外に楽しい。
>  なにはともあれ、とにかくどんな判型であれ、きちんと刊行され、読者の手に渡るようになるのが一番大事であることは言うまでもありませんよね。
 ええ、そう思います。
>  じっくりと腰を据えて、よい物に仕上げていただけることを願っております(^^)
 ありがとうございます。
 星新一デビュー60年、すなわちショートショートが還暦を迎える2017年までには……。
 

Re: 「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 3日(火)18時02分3秒
返信・引用
  > No.6194[元記事へ]

高井さん
>現段階ではとことんやってやろうと思っています
 そうですね。このようなデータブックは、とにかく「細大漏らさない」ことが絶対条件ですよね。
 その意味では、可能ならば《新書》じゃなくて単行本。それも「書影がいっぱい」(しかもオールカラー)とのことですから、図鑑的な読み方にも応えられるようなサイズがほしい。とすれば多少お値段が高くなっても、今日の石原さんの掲示板に載っていた『SF百科図鑑』くらいの大判サイズになりますかねえ(→こちら参照)。できれば4968円以内に抑えていただければ(>おい)(^^;
 というのは冗談(妄想?)ですが、なにはともあれ、とにかくどんな判型であれ、きちんと刊行され、読者の手に渡るようになるのが一番大事であることは言うまでもありませんよね。
 じっくりと腰を据えて、よい物に仕上げていただけることを願っております(^^)

 

Re: 「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:高井 信  投稿日:2015年 3月 3日(火)07時41分43秒
返信・引用
  > No.6193[元記事へ]

 ご紹介いただき、ありがとうございます。
> 後継である《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》にも少しだけ触れて下さっているそうですよ。
 はい、触れています。
 非商業出版物もできる限り採り上げたいと思っていて、なかには1977年、江坂遊が某ペンネームで出した私家版ショートショート集も! 最終的にどうなるかわかりませんけれど、現段階ではとことんやってやろうと思っています。
 楽しくて、楽しくて。
 

「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 2日(月)22時01分3秒
返信・引用 編集済
   2月末で締め切られた「ベストSF2014」の最終結果が発表されていますね→こちら
 今回はずいぶん出足が遅くて、ひょっとして投票者一桁かと心配しましたが、締めてみれば例年と同じでした。よかった。(最後の最後で組織票みたいなのが入ったのはちょっと興が削がれましたけど。あれ、前にも同じことを書いたような記憶が)(^^;

 その森下さんのブログに、高井信さんの非常にたのしみな試みが紹介されています→書影がいっぱい
 高井信著「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」です。森下さんから引用します。
 「でもね、私的な原稿とはいえ、この「本」は凄いですよ。星新一さんがデビューしてから亡くなるまでの間に出たショートショート本を網羅する書誌。いったい何冊あるのか、すべて高井さんが蒐集したものでカラーの書影がついています」

 正確には(立派すぎますが)打ち出し原稿というものだそうです。まだ未完成ということです。しかしこれ、完成の暁には労作『ショートショートの世界』の続編ということになりますね。
 いやーこれは是非出版してほしいですー。読みたい、読みたい。
 はっきりいって、ショートショートに関する書誌学を試みているのは、私の知る限りでは、日本では(ということは世界でも)高井さん以外にはいません。非常に貴重なお仕事になると思います。
 仄聞するところによりますと、アマチュア出版やファンジン、同人誌にも目配りがなされているそうです*。われらが《MBSチャチャ・ヤング=ショート・ショート》についても当然記述があり、ここだけの話ですがその付けたしで、後継である《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》にも少しだけ触れて下さっているそうですよ。嬉しいなあ有り難いなあ(^^)。(註:但し現稿ではということで、完成稿では消えているかもしれません。そのときはアシカラズ)>おい(^^;
 詳しくは高井さんのブログをご覧ください。
 現在は識者にチェックしてもらっている段階で、完成はまだ先だそうですが、興味を持たれた出版社の方は、ぜひ高井さんにご連絡を。この掲示板を見ている出版社があるとは思われませんけど(^^;。出版社にコネがある方も、よろしくお願いします。

*たしかにショートショートを論ずるに、プロ作品だけに限定するのは、このジャンルの性格上片手落ちですよね。さすが高井さん、天網恢恢疎にして漏らさずです(あれ、この使い方間違ってます?)(汗)。
 

「カナリヤの爪」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 1日(日)23時23分23秒
返信・引用 編集済
  > No.6188[元記事へ]

承前
E・S・ガードナー『カナリヤの爪』阿部主計訳(ハヤカワミステリ文庫77、原書37)読了。
 シリーズ第11巻。面白かったです。しかし面白さの質が、これまでの作品とはいささか違っていました。
 まず訳文が従来のシリーズのそれとはちょっと違います。当シリーズ、複数の翻訳者が訳しているのですが、まあどれも似たり寄ったりの、ごくふつうの翻訳ミステリ文体。本書はそれに比べて独特の雰囲気があるのです。
 訳者の阿部主計という名は、はじめて目にしました。巻末の訳者略歴に主訳書の記載がありません。どうも訳書は本書だけのようです。明治42年生れとあります。訳者あとがきによりますと、乱歩の知遇を得ていたようで、昭和28年頃《宝石》編集長からガードナーを何か翻訳しないかといわれ、この「カナリヤの爪」を是非、となったみたいですね。つまり原書読みのアマチュアが、たまたま一本訳した、そんな感じだったのではないでしょうか。
 だからでしょうか、上に述べたように訳文の調子がちょっと独特なんです。乱歩っぽいというか講談ぽいというか、端的に言って古めかしい。
メイスン「どんなやつだ、大男?」
ドレイク「いんや、中型だね(……)大変な酔っ払いだ。しらふの時は何でもない人間だろうが、今は酔いっぷりを見せているとこだ。四はい呑めばいい男、五はい目には暴れん坊、というご存じの型ですよ。それから先は一ぱいごとにいよいよ戦闘的になる。わがはいの判断では現在十五はいぐらいの元気ですな」(49p)
 なんたって「ちんちんかもかもについても聞き出してくれ」(26p)ですからねえ(笑)
 ちんちんかもかもなんて言葉、本当に久しぶりに見ました。で見た瞬間、それまで何も思わずに当たり前に知っていたその言葉について、ふと思い当たった。
 ちんちんかもかも、って、もしかして元々の形は、ちんちんカモンカモンだったのでは!?(>おい)(^^;
 で、調べてみました。語源由来辞典では関係なさそうですね。でもホントかなあ。そこでちんちんカモンカモンで検索したところ約 11,300 件ヒットしましたから、人間の思考の質からして、あながちハズレでもなさそうな(笑)
 閑話休題。最初はとまどったのですが、読み慣れてくると、意外にメイスンものの雰囲気と水が合っているのです。
 ところがふと気が付くと、途中からごくふつうの訳文になっています。ははあ、これは編集部が手を入れたな、と勘ぐっていたら、また元の調子に戻った。その交替が何回か、行ったり来たりするのです。
 ひょっとしたら最初の文体は訳者自身作ったもので、訳が進み興が乗りスピードが出てくると、文体を作っていることを忘れてふつうの文体に戻ってしまい、またそれを思い出して最初の文体に戻る、というその繰り返しだったのかも、という気もしてきました。どうだったんでしょう。
 ストーリーはいつもの様に快調で一気に読了。包帯をむしり取るところなんぞ、まるで大乱歩。愉快愉快! しかしこの解決篇は無理筋でしょう(いや乱歩だから当然か)(笑)。ラストは、デラとメイスンが東洋行きの客船に間に合うよう、あとはよろしくと、大慌てで法廷を飛び出すのですが、これなんぞ、著者もこの結末には自信ないぞ、と、それでメイスンを船に乗せてしまったんじゃないかなあ。そんな気がしてなりません(^^;

 

Re: ベストSF2014

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 1日(日)19時24分40秒
返信・引用 編集済
  > No.6190[元記事へ]

 安くなるばかりか付加サービスも厚いのですね。これは昨日わかったことですが、マカフィーが無料で付いていました(ということで早速、現在入っている年間5000円前後のを削除しました)。
 しかし、それよりもなによりも今回変更するにあたって最大の動因となったのが、タブレットが無料でもらえるという釣り餌。パクっと食いついてしまいました(笑)。ただしこの商法が当たりに当り、現在品薄とのことでまだ入手していません。来週届くそうです。これが最大の楽しみ(^^ゞ

 

Re:ベストSF2014

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 3月 1日(日)14時31分43秒
返信・引用
  管理人様
>ケーブルテレビに一切合切まとめてしまうことで、何がしか安くなるようです。
そのとおりです。うちも、電話もテレビも、プロバイダーも、ケーブルテレビの会社で、セット料金になっており、安くついてます。(おまけに、携帯も、提携している電話会社にすると、もっと安くなる、といいます。携帯は、都合があって、昔のままですが)
まあ、確かに、工事が二手に分かれて、時間をとられたのは、管理人様と同じでした。
 

ベストSF2014

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 2月28日(土)22時07分19秒
返信・引用 編集済
   電話会社と、それに付随してインターネットのプロバイダーを別のところ(ケーブルテレビ会社)に移行することになり、工事やら何やらで今日は午後の半日潰れてしまいました。
 まず工事の人が来て二時間、次にインターネットの接続の人が来て二時間。タイミングよく入れ替わりで来てくれたら助かるのですがそううまい具合には行かず、あいだの待ち時間が一時間で、結局5時間がかりとなった。
 ただしメールだけはアドレスが変わると都合がわるいので(仕事でも使っているため)、従来どおりです(月250円で元のプロバイダーと契約 )。
 ケーブルテレビに一切合切まとめてしまうことで、何がしか安くなるようです。
 以前から勧められていたのでしたが、私はプロバイダーの無料HPサービスで「とべクマゴロー」を作っていたので、全く相手にしていなかったのでした。しかしそのプロバイダーのHPサービスが、本日をもってサービスを終了することになり、作業が面倒くさかったですが既に他社のHPサービスに移行を完了し、もはやそのプロバイダーに固執する必要がなくなったというわけです。
 おそらくHPサービスの停止は採算が合わなくなったということなんでしょうが、その結果電話を含めて他社へ乗り換えられてしまったわけです。この事例は当然ながら私だけということはないでしょう。
 サービスとはなにか、ということを考えさせられますねえ。

 とうことで(どういうことだ)、この時期恒例の、森下さん主催「ベストSF2014」に投票しました。→こちら
 今日の24時締め切りですよ。お忘れなきよう(^^)

 

re:文学フォーラム「エッセイと私」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 3月24日(火)14時22分14秒
返信・引用
  管理人様
>クラーク、アシモフなどのエッセイがよい
おっしゃるとおりです。私の言葉足らずでした。
>「時系列に沿った作品を書くこと」
これは、女性に多くみられる傾向だとかで、どのエピソードが先なのか後なのか、分かりにくいことがおうおうにしてあるとのこと、読み手にすると、混乱を招くからだそうです。ですので、時系列にして書くのがよいとのことです。つまり、エッセイは、小説の手法を用いると、とんでもなく読みづらいものとのこと、注意しなさい、ということでした。
 

最新のネアンデルタール人

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月24日(火)00時15分38秒
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   ウィキペディアの「ネアンデルタール人」の記述は素晴らしいの一語ですね。ここに書かれた情報量だけで、たぶん新書が1冊書けるのではないでしょうか。コンパクトに過不足なくまとまっています。かといって凝縮し過ぎで読みにくいということもありません。むしろ整然と記述されているのでとても読みやすい。最新の研究もおこたりなく取り込まれています。
 10年ほど前に、ネアンデルタール人関係の本を集中して読んだことがあり、そのときウィキペディアもチェックしたのですが、私の記憶が確かなら、記述が一新されているように思われます。ウィキペディアは、なかには杜撰なのも少なくありませんが、このように立派な概説が手軽に読めるのは、本当にありがたいですね。
 10年前は、ホモサピエンスは他人類と交雑しなかったというのが、疑問の余地のない定説だったのです。それが今や大きくひっくり返ったのですねえ。我々の、つまり出アフリカしなかったアフリカ人を除いた全ての現生人類のゲノムには、ネアンデルタール人由来のDNAが1〜4%混じっているんだそうです。
 つまり現生人類はネアンデルタール人とふつうに混血していたんですね(混血可能なほど種として近い間柄だったこともわかったということですね。ホモ・ネアンデルタレンシスじゃなくてホモサピエンス・ネアンデルタレンシスだったわけです)。
 今回、記述を読んで一番びっくりしたのは、私たちの古い知識(常識)では、サピエンスよりも古代性が顕著と信じられていたネアンデルタール人の顔相が大きく訂正されていたこと。どうやら事実は、「コーカソイドと同じか、さらに立体的(顔の彫が深い)」、要するに白人(コーカソイド)の特徴をより誇張したような顔だったようです。
 よく見かける従来の想像図(パッと思い浮かんでくるあの絵柄)は、骨から復元する際に、サピエンスよりも古い種だから類人猿に近いはずだ、という思い込みが無意識に働き、復元者の目を曇らせ、あのような想像図を描かせていたということでしょうか。
「顔の曲率を調べる方法の一つとして「鼻頬角(びきょうかく)」があり、これは左右眼窩の外側縁と鼻根部を結ぶ直線がなす角度で、コーカソイドで136度から141度であり、モンゴロイドでは140度から150度であるが、ネアンデルタール人類では136.6度であった」というのも非常に興味ぶかい。
 この記述から私が想像したのは、サピエンスはどっちかといえば、オリジナルは黄色人種に近い形質だったのではないかということです。コーカソイドの分布地域は、基本ネアンデルタール人の生息した地域と重なっているじゃないですか。つまりそれだけネアンデルタール人と混血する頻度は高かったということができそうな気がします。濃く交雑した結果、オリジナルサピエンスに比べて、よりネアンデルタールの形質が強く現れたのが、コーカソイドなのではないでしょうか。
 コーカソイドの特徴といえば白い肌と金髪とブルーの目だと思いますが、これも混血が濃かった結果のようです。
 「白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人から受け継いだ可能性が高い」
 どうやら英雄コナンは、ネアンデルタール人の形質が強く現れた個体だったのかもしれませんね。そういえばヒトラーが理想化したゲルマン人種がこんな感じですよね。つまりネアンデルタール人。面白いです(笑)

 

Re: 文学フォーラム「エッセイと私」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月23日(月)18時12分4秒
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  > No.6229[元記事へ]

段野さん
 今朝、眠りから覚めてまず頭に浮かんだのは、「あ、間違えた」でした。
 何を間違えたのか。眉村さんが――
>クラーク、アシモフなどの、エッセイがよい
 と言われたその意図です。
 クラーク、アシモフと並べて言っておられるのですから、眉村さんは、当然、科学エッセイを念頭に置かれていたのです。私がアシモフのその類の本を読んでいないので、とっさには気づかず、まず自伝が浮かんできてしまったのでした。
 しかし、アシモフの科学エッセイについては、オロモルフ先生こと石原藤夫さんも――

▼アシモフ本001
526『空想天文学入門(ハヤカワ・ライブラリ)』早川書房(昭和38年1〜2月?)
 当時すでに出ていたクラークの宇宙解説とは別次元の本ですが、啓蒙書としては非常に優れています。
 アシモフって百科事典的な天才でしたね。


 と掲示板に書き込んでおられます(→こちら)。それもクラークと並べてですから、眉村さんも石原さんも、同じ意味で評価されていたわけです。
 上記石原さんの記事は、去年の8月の書き込みでして、「アシモフ本001」と付されているように、それからほぼ毎日のようにアシモフ本の書影を紹介し続けておられて、今日の書き込みでは、番号は「129」! 一体何冊翻訳されたのかと、いや何冊本を出したのかと、気が遠くなりそうです(しかも小説よりも科学エッセイの方がはるかに多いのです)。
 という次第で、眉村さんの意図に沿うならば、自伝よりも科学エッセイを手に取られたほうがよいかもわかりません。オロモルフ先生の紹介を参考にして、何か一冊読んでみたら如何でしょうか。
 それにしても、無意識は尊敬しちゃいますねえ。私が眠っている間も、私の書き込みの当否を検討していたんでしょう。書紀の箸墓伝説に「是の墓は日は人作り夜は神作る」とありますが、さしづめ人間の思考も、昼は意識が考え、夜は無意識が考えるのかもしれませんね。
 などと考えながらブックオフに寄ったら、未読未所持の『ロボットの時代』が100均棚にありました。おおシンクロニシティ! と、購入したのは云うまでもありません(^^;

※なお本投稿は、時系列に沿って書いてみました(>おい)(^^ゞ

 

「歴史読本」(特集・古代王権と古墳の謎)より

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月22日(日)23時00分33秒
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  > No.6222[元記事へ]

『歴史読本2015年1月号』(特集古代王権と古墳の謎)より、高橋浩二「手繰ヶ城山古墳と越の政権」を読みました。
 手繰ヶ城山古墳は、九頭竜川が福井平野へ流れ出る地点の丘陵上に立地している、全長129メートルの、福井平野における最初の大型前方後円墳とのことで、築造年代は4世紀中葉から後半頃。福井平野を支配した首長の墓と考えられます。
 この九頭龍川の、日本海へ流れ込む河口が、継体天皇の発祥の地である三国湊なんですね。継体の生年は(ウィキペディアによれば)450年ですから、埋葬者は、継体のお祖父さんだった可能性もなきにしもあらずではないでしょうか。
 ところでこの大型古墳、それ以前の福井平野の考古学状況からみると連続的ではなく、唐突に現れたものらしい。それを論者は次のように解釈します――
「地域集団が内部発展によって勢力を順調に成長させていき、その延長線上に大形 前方後円墳に葬られる首長が現れるというような図式ではなく、手繰ヶ城山古墳の被葬者の段階になって急激に勢力を伸ばしたことが読み取れる。勢力拡張の要因としては、外部勢力からのバックアップなどが考え られるだろう。これまで見てきたように墳丘の築造規格などからみて、倭政権の強力な後ろ盾をいち早く得ることで飛躍を遂げたことが推測される」

 それも考えられますが(ここからは私の想像です)、4世紀中葉といえば、倭の五王の時代ではないですか。倭王武(雄略天皇)の上表文に、「祖彌躬ら甲冑を環き、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。王道融泰にして、土を廓き畿を遐にす」とあるように、この時期、大和朝廷(河内王朝)は大体九州から奥羽南部まで統一したようです。
 だとしますと、あるいは手繰ヶ城山古墳の被葬者は、列島統一の一環で大和朝廷から派遣された征服軍の将軍だったのではないか。この人物が継体の祖父だったとしますと、継体は三代目で、三代かけて実力を蓄えたのかもしれません。そしてそういうことなら、継体を「応神天皇5世の孫」とする記紀の記録もあながち不自然でなくなるような感じもしますね(単なる家系を良く見せようとする創作ではなかったということです)。

 

Re: 文学フォーラム「エッセイと私」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月22日(日)21時21分48秒
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  > No.6228[元記事へ]

段野さん
>「泉大津市オリアム随筆賞」の表彰と、文学フォーラムに行って来ました
>3月21日のできごとでした
 ああ、昨日だったんですね(笑)。

>「時系列に沿った作品を書くこと」
 これはどういう意味なんでしょうか。結論から書かない、という意味ですか? あまりひねって書かない、という意味?

>クラーク、アシモフなどの、エッセイがよい、
>ああ、やはり、sf作家やなあ
 いや、眉村さんがSF作家だったから、とかそういうことは無関係に、アシモフはエッセイストとして一流ですよ。クラークは『未来のプロフィル』くらいしか読んだことがなく、それも高校時代のこととて、あまり覚えていないのですが、アシモフは、掛け値なしにうまいです。ことにも自伝エッセイ(要するに自慢話)(^^;がめちゃくちゃ面白いです。小説だけ読んでいると、いかにも生真面目な感じなので、その落差に違和感を覚えるくらいです。奇想天外だったか、アシモフの艶笑話が翻訳されて、SFファンのアシモフ観がガタ落ち、スケベオヤジ認定されてしまったことがありましたけれども、あれも、よくも悪くもクソ真面目な従来の作風との落差のせいです。しかしそれでがっかりする日本のSFファンもSFファンで、基本的にまじめで融通の効かない優等生なボンボンが多かったということですね。
 アシモフの自伝がハヤカワ文庫から出ていますので、ぜひ参考になさって下さい(^^;

 

文学フォーラム「エッセイと私」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 3月22日(日)15時34分28秒
返信・引用 編集済
  泉大津市が主催する「泉大津市オリアム随筆賞」の表彰と、文学フォーラムに行って来ました。フォーラムのパネリストは、眉村さん、難波利三氏、木津川計氏、有栖川有栖氏の4名でした。まず、表彰式がありまして、その後、「エッセイと私」に関するフォーラムとなりました。眉村さんは、「心を打つ作品を書くこと」と、「時系列に沿った作品を書くこと」とおっしゃいました。おもしろかったのは、「自分が読みたくないものを書いても、おもしろくない」とのことでした。これは、有栖川氏も同じようなことをおっしゃいました。
そして、極め付きは、クラーク、アシモフなどの、エッセイがよい、とのことで、このご発言に会場は一瞬どよめきました。(ああ、やはり、sf作家やなあ、ということです。私の後ろに座っていたおばさん3人は、エッセイ講座に通っている人たちでした。どこの教室かは、分かりませんでしたが)
あと、色紙のプレゼントがありましたが、当然のごとく、外れました(4名のパネリストのサインがあるものでした)
何年かぶりに、南海電車に乗りました。「電車乗り」のごとく、興味深く車内を見ておりました。
3月21日のできごとでした。
 

「渡来の古代史」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月22日(日)03時58分2秒
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  > No.6226[元記事へ]

 承前。ということでひきつづき残り30数頁読み、上田正昭『渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か(角川選書、13)読了しました。
 いやー面白かった。今回は、アメノヒボコ伝承や壁画古墳も渡来系の産物であるといったことが散漫に書かれているだけで、特記することはないのですが、この列島が、まとまって日本という国家に成っていく過程に、朝鮮半島からの渡来人たちがどれだけ色濃く関わっていたか。というよりも、国家そのものが、アメリカ合衆国のような、渡来人の渡来人による渡来人のための国家であったことがよく分かりました(そんな表現はありませんが)。原住民である縄文人の後裔はいましたが、少なくとも西日本では(アメリカ大陸のインディアンほどではないにしろ)圧倒的に少数で、すぐに混血してしまった。この点はラテンアメリカ的といえるかも。われわれ現代人が想像する渡来人と日本人という対立の構図は、もともとなかったのだと思います。たいへん楽しい読書でした(^^)

 先稿でいい忘れたのですが、越前みたいな田舎出身の継体が、なぜ倭国の大王になれたのか、一見不思議に思うかもしれません。意外ではないのです。
 もともと継体の本拠である越前三国は、半島との日本海ルートの交易(新羅・高句麗)の終点だったのです。一方、百済・加羅との交易は瀬戸内ルートでした。
 ところで6世紀初頭の半島の趨勢はどうだったかというと、百済落ち目(だから倭を頼るようになる)、新羅はぐんぐん国勢を上昇させていた時期です。
 ですから百済に繋がる瀬戸内ルートよりも日本海ルートのほうが、情報も物も、次第に新しいものが先に届くようになっていたと考えられます。質・量ともに瀬戸内ルート(終点・難波)に優越していったわけです。そういった構造変化が、ひいては継体の財力や軍事力において、大和河内を凌駕するほどに強大化させたんじゃないかな、と考えています。

 

「渡来の古代史」読み中(6)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月22日(日)01時58分14秒
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  > No.6224[元記事へ]

 『渡来の古代史』は225頁まで。
 このあたりは「仏教」について。いうまでもなく仏教は、「仏は午後に百済から」のとおりで、552年仏像と経典が百済聖明王によって欽明天皇にもたらされます(538年説、548年説等もあり。ただし公伝という意味で、北九州や日本海側ではもっと早く伝わっていたようです)。つまり仏教も、百済からの渡来文化なのです。
 仏教公伝が538年だとすると、欽明の前代の宣化天皇の代ですが、宣化も欽明も継体天皇の子供です。つまり越前王朝ということになり、先回述べたように、仏教も又、継体が登用した最新の今来の渡来人の文化だったのだろうと思います。
 そして仏教文化が花開くのが飛鳥時代。聖徳太子の時代です。
 飛鳥時代は崇峻天皇からですが、崇峻は欽明の子供(継体の孫)。次の推古天皇も同じく欽明の子供(継体の孫)で、摂政だった聖徳太子は推古の甥っ子になる。
 樟葉にとどまってなかなか大和入りしなかった継体ですが、ようやく20年後に大和入りする。河内王権を支えた旧支配層が衰退したのを見極めたのでしょう(もっとも老獪政治家大伴金村の活躍で、完全には排除しきれなかったのですが、結局は崇仏廃仏論争で大伴も物部も没落してしまう)。継体の子供らの拠ったのが飛鳥の地でした。そしてその南隣する旧葛城氏領には、河内王朝とは全く無関係な(渡来系と言われる)蘇我氏が入ります(蘇我氏と葛城氏の関係はまだ私にはよくわかりません)。
 この飛鳥時代は6世紀末から100年続くのですが、とにかく仏教という(百済伝来の)新文化をもって旧体制(これもそもそもは百済系なんですが)と差別化したのがこの時代です。
 しかしその間、蘇我氏が継体王家を圧倒していく。この新たな旧体制に対して中大兄皇子(天智天皇)が645年クーデター(大化改新)で新政権を樹立しますが、百済滅亡の混乱をまとめきれず、天武のクーデター(壬申の乱)が起こる。天武に至って先述したように日本という国家体制(律令国家)が、はじめて成立するわけです。

 

「文芸的な、余りに文芸的な」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月21日(土)22時09分1秒
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  芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」(27)読了。
 33「新感覚派」を読むと、新感覚派というネーミングの矛盾に気づかされます。それは冒頭の一文が端的に言い表わしています。
「「新感覚派」の是非を論ずることは今は既に時代遅れかも知れない」
 たしかにそうで、新しい感覚は、常に、例外なく、未来から絶えることなくやって来るんですね。今日の新感覚は、明日になれば忽ち時代遅れになってしまう。
 では運動としての新感覚派は無意味だったのか。そんなことはありません。芥川も「「新感覚派」は勿論起らなければならぬ」と書いています。
 ただ芥川は、個別この(横光らの)新感覚は、「馬は褐色の思想のやうに走つて行つた」という横光の表現が示すように、その飛躍は「理智的な聯想の上に成り立つてゐる」点で不十分だと考えているようです。それでは新感覚と言い条、「理智派」とラベリングされた自分(芥川自身)と、立っている位置はそんなに違わないのではないか。
 そうじゃなくて「妙義山に一塊の根生姜を感じるのをより新しいとしなければならぬ」
 ですが、当時の批評家たちの新感覚派への風当たりに対しては、「彼等の作品に対する批評家たちの批評も亦恐らくは苛酷に失してゐるであらう」と批判しています。
 「少くとも詩歌は如何なる時代にも「新感覚派」の為に進歩してゐる」との立場の芥川には、そういう批判が、詩の生成を押し潰す方向に働く力であることを感じ取ったからではないでしょうか。
 これは私の想像ですが、当時の批判は、おそらく言葉の使い方が新奇なだけだ、というものだったのでしょう。このような反応は当時にかぎらず、新語が必ずさらされる事態なんですね。今ある日本語を絶対視する立場があるわけです(白状すれば、私にもその傾向があります)。典型的なのが「ら抜き言葉」への拒否感でしょう。まあ新語の90%はクズなんですが、残りの10%は、日本語を活生化する可能性がある。そういうのを根こそぎ否定するものを、芥川は新感覚派批判に感じ取ったのではないでしょうか。
 ところでそのような頭の硬い批判は、学者がその急先鋒かと思ってしまいますが、実は研究者のほうが、言葉の自走性に対しては許容性があるんですね。自分たちの刷り込まれた言語が、単に20世紀後半日本語という限定言語にすぎないことを理解しているからです。言葉は変化していくのだということがわかっているのです。
 その伝で言えば、ら抜き言葉を否定する人が、現代人が係り結びを用いないことに対して批判しているのを、見たことがありません(^^;。紫式部が現代にタイムスリップしたら、誤用の氾濫に気が狂ってしまうんじゃないでしょうか(>おい)(笑)
 芥川の違和感は正しいと思いました。

 

「渡来の古代史」読み中(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月20日(金)22時15分7秒
返信・引用 編集済
  > No.6216[元記事へ]

 『渡来の古代史』は190頁まで。この辺りで特記しておきたいのは、《文字の使用》に就いてです。(今回もインスパイアされた妄想が混っていますのでご注意)
 57年の倭奴国朝貢で、金印が下賜されます。これが、江戸時代志賀島から偶然出土した「漢委奴国王」の金印です。出土してはじめて、金印にその5文字が彫られていたことが分かったわけです。
 ところで著者は、当時の漢が朝貢国を序列化して、文字を解する国には「○○王(之)印」もしくは「○○王璽」と印文の最後に「印」「璽」という文字を付けたが、文字を解さない国には付けなかった、という説があることを紹介し、「漢倭奴国王」には印も璽も付いていないので、また後漢書の記事に「上表」の文字がないことも鑑みて、倭奴国は文字を解さない国だった可能性が高いとします。
 なるほど。たしかにそれから2世紀後の、239年の邪馬台国の朝貢に対しては、翌年、魏使を遣わして「詔書・印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拝仮し併せて詔を齎す」とあり(魏志倭人伝)、それに対して「倭王、使に因りて上表して詔恩に答えて謝す」となっています。
 このとき魏使は詔書(文書)をもって来倭の理由を述べており、邪馬台国もそれに対して「上表」して(書面にして)答謝しているわけです。
 してみますと、この時下賜された印綬は、たとえば「親魏倭王印」のように「印」が付されていたはずです。しかしこれをもって倭人が文字の文化を十全に持っていたかといえば、それは疑問です。大夫難升米(私見では原義の倭人である水人族)は読めたかどうかは別にして、文字の何たるかは理解していたでしょうけれども。
 このあと、倭の五王の朝貢記事には、例外なく「上表」の記述があります。倭の五王は河内政権です。つまり渡来人(古渡)中心の政権です。渡来人が中枢に入り込んだ結果、倭は空白の4世紀を抜け出し、再び中華冊封体制に戻ったわけです。中華冊封体制とは、言い換えれば文字の世界です。しかし、それでも倭国政権の文字文化の理解は中途半端だった。なぜなら文書で国家を運営していないからです。
 私見では、日本海越前から興って河内王朝(や播磨王朝)に取って変わった継体天皇が、大和・河内を両睨みできる樟葉の地にでんと腰を据え、大和の旧勢力を掃討し、替わって山背や近江の新来の渡来人を官僚として政権中枢に登用します。ここにおいてようやく文字の重要性が次第に理解されていったのだと思いますが、やはり確実なのは、近江令(667)、飛鳥浄御原令(689)、大宝律令(701)の制定の事実です。律や令は「文字」で書かれたもので、「上表」という行為が前提です。
 文字を理解して(つまり帳面を付けられるようになって)はじめて「国家」は運営できるんですね。倭の五王の時代はその意味でまだ国家体制としては未完成だったと思われます。天智天武の時代になってはじめて国家体制(日本国)が整った。なぜそれが可能となったか。天智天武朝に、百済滅亡の結果、大量の百済人が(新羅高句麗伽耶人も)渡来し(今来)、既に土着化してしまい時代遅れとなった古渡に代わって政権に登用されていった結果であろうと思われます。
 結局、日本という国家は(もとい日本だけに限らず国家という存在物は)「文字」が創り出したということができそうですね。

 

「文芸的な、余りに文芸的な」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月20日(金)00時32分28秒
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  「文芸的な、余りに文芸的な」は、私のタブレットの頁数で、134頁中100頁まで。あいかわらず谷崎にからんでいます(^^;
 それはさておき、30「野生の呼び声」で芥川は、昔はゴオガンの「タイチの女」が合わず、辟易し不快にも感じた。ルノアル(の女)のほうがずっと自分には美しく感じ、良かったのだが、だんだんタイチの女が自分のなかで大きくなってきたといいます。それが標題の「野生の呼び声」の意味ですね。
 かといってルノアルが嫌いになったわけではない、と芥川は書いています。ルノアルはルノアルで美しいと。
 これはよく分かりますね。私も最初ストーンズがわからず、ビートルズの方に惹かれました。しかしだんだんストーンズが私の中で大きくなっていったものです。ビートルズは純粋西洋音楽にとどまりますが、ストーンズはそれからはみ出しています。
 クラシックの聴き始めは、大抵古典派から入ると思います。しかしそのうち(最初は変だとしか思わなかった)国民楽派や印象派の「響き」がだんだんよくなってくる。
 かかる矛盾(と芥川は表現しますが、正しくは二律背反ですね)を、芥川は文芸にも感じる。ルノアルは古典的作家みたいだといいます。
「しかも僕はルノアルに恋々の情を持つてゐるやうに文芸上の作品にも優美なものを愛してゐる」
 しかし――
「かう云ふ「西洋の呼び声」には目をつぶりたいと思つてゐる」
 芥川が書いた「野生の呼び声」って、具体的に何だったんでしょうか。「文芸的な、余りに文芸的な」は雑誌「改造」に1927年(昭和2年)の4月号から連載していたのですが、芥川の自殺(7月)で中絶したものらしいです(wikipedia)。
 としますと、芥川の「野生の呼び声」は、ついに実現せずじまいだったのかもしれませんねえ。





 

「歴史読本」(特集・古代王権と古墳の謎)に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月19日(木)22時25分15秒
返信・引用 編集済
  『歴史読本2015年1月号』(特集・古代王権と古墳の謎)に着手。
 冒頭から順番に、松木武彦「古墳研究の最前線」、一瀬和夫「古墳の基礎知識」、辻秀人「雷神山古墳と東北の政権」を読みました。
「古墳研究の最前線」では、鏡の型式学研究、年輪年代法、炭素14年代測定の三手法いずれの結果も、大型前方後円墳の開始が三世紀前半に下ることを確認。つまり箸墓ですね。これは石原さんの所論(予言)を裏付ける結果ですね。
 しかし論者は
「このような結論の方向は、邪馬台国の所在論とも関係しよう。すなわち、邪馬台国が大和にあったとすれば、考古学から捉えられるこの大和勢力がそれに当たる可能性が浮上する。対して邪馬台国九州説に立てば、考古学的に把握可能な大和中心の政治勢力と、考古学上はさほど確固たる把握をなしがたいけれども中国文献には記された九州中心の政治勢力とが、三世紀前半の日本列島に並立していたことになる」

 とまだまだ降参していませんねえ。もちろん私も(^^;
 古墳の第一段階(大型弥生墳丘墓)が漢帝国の安定期と、同様に第2段階(大型前方後円墳)が漢の崩壊(中国の分裂)と、軌を一にしていること、そしてこの傾向が他の東アジア諸地域の古墳状況においても対応しているらしいということに着目しているのはなかなか目覚ましいです。面白い。
 これを敷衍すれば、後漢帝国の盛期(光武帝、紀元前後)には柵封体制が曲りなりにも整って、倭国のような辺境にも影響力が行き渡っていた事が前提になりますね。でも考えてみれば当然か。57年の倭奴国朝貢で金印を下賜されているんですから。
 倭国大乱も、黄巾の乱(184)あたりから中華帝国が崩壊分裂した影響と考えるべき。この倭国(中国が認識していたところの)は当然、半島と北九州の沿岸の倭であり、一種ギリシャのポリスのような海洋商業民だった者たち(水人族)です。それが倭国内陸の原住民を商業で支配していたのが、これも崩れ、邪馬台国のような独立国が日本列島各地に生まれる。これらの諸国が(柵封主の中華帝国のくびきを外れ、独立独歩を示す)第二段階古墳を作った者たちですね。このメカニズムは中国辺境全てで起こった筈です。
 論者によれば、かかる第二段階が古墳時代の区分で前期と中期に相当することが確実になってきたとのことで、畿内でいえばいわゆる三輪王権→河内王権の交代です。
「近年明らかになりつつあるのは、この変化と時を同じくして、それまでの古墳築造を支えてきた纒向遺跡(奈良県桜井市)や津寺遺跡(岡山市)などの伝統的大集落が、おそらくは人口の全体的な減少を背景として軒並み衰退したという事実である。このことから、前期から中期への古墳の展開は、単に「政権交替」のような政治的事象の変化にとどまらず、社会や経済の瓦解と再編のような根本的な変動に根ざした動きであった可能性が高い」
 やはり河内王権は三輪勢力(大和説に立てば邪馬台国の後継集団)とは系統が別なんじゃないでしょうか。大体、記紀が記すような一つの王統が何百年も継続するなんて、常識的にもありえないように思います。とりわけ古代の王権なんて(いや中世、近世でも)、よくいえばオーナー社長が率いる中小企業、悪くいえばヤクザの抗争みたいなものでしょう。王が老い衰えれば第二位の実力者が簒奪するのです。簡単に子供に禅譲できるわけがありません。

「雷神山古墳と東北の政権」はちょっとがっかり。ウィキペディアの記述とほとんど変わるところなし。そんなんでいいのでしょうか。しかし四世紀後半(応神天皇の頃?)に、早くも東北地方に160メートルを超える前方後円墳が造られていたとは、びっくりしました。これらを作ったのは在地の蝦夷の首長? それとも和人の征服者? その点も知りたいと感じましたが、一切記述なし。

 

歴史語はその語の誕生の経緯を含んで存在する

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月19日(木)12時06分26秒
返信・引用 編集済
  元ツイート

 昭和天皇ですら、八紘一宇という言葉に不快感を示されたというのに。
      ↓
 《 昭和天皇は79年10月、国体開会式出席のため宮崎県を訪問。当初、県立平和台公園にある「平和の塔」で歓迎を受ける予定だったが、広場に変更された。40年に建立された塔には「八紘一宇」と刻まれていた。
 当時の侍従長による「入江相政(すけまさ)日記」の同年9月の記述には「八紘一宇の塔の前にお立ちになつて市民の奉迎にお答へになることにつき、割り切れぬお気持がおありのことが分り……」とあり、昭和天皇の意向が場所を変えた理由だったことを記している。》



 三原じゅん子って、族議員でいうとネトウ族ですかね。要するに歴史に無知族。それと同根ですが史料の扱いが恣意的でぞんざい(アレこの語、漢字がないのか)。だからかんたんに捏造史観にハマる。史料を比較検討するという知恵がないので、いつまでたっても捏造したことに気づかない。


 

ポケットボトルと電子雑誌

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月19日(木)01時26分43秒
返信・引用 編集済
   以前にも書いたかと思うのですが、ときどき口の中がネバネバして不快な感じがすることがあるのです。実際はネバネバしているわけではないのですが、なんかスッキリしないのですね。そんなときウイスキーを口に含むと、一瞬で不快感が消失します。これってアブナイ兆候ですよね。なので、できるだけ我慢するのですが(最近はボトルの買い置きもしていません)、今夜は辛抱たまらず、雨のなかコンビニまで車を飛ばしてジム・ビームのポケットボトルを買って来てしまいました(ーー;
 で、少し気分がよくなって、キンドルストアを覗いていたら、”おすすめキンドル本”欄に、『歴史読本 2015年01月号 _特集 古代王権と古墳の謎』が、なんと476円で!! たぶん先日来、古代史関係の紙の本をあれこれチェックしていたからだと思います。
 びっくりしました。この雑誌、紙版で定価1190円なんですよ。半額以下じゃないですか。気がついたらクリックしていて、あっという間に届いていました。早ッ(汗)。
 ウイスキーで少し気分が高揚していたのもありますが、ジム・ビームのポケットボトルが400円チョイでしたから、あんまり変わりません。これは私でなくてもクリックしちゃいますよね(>そうなのか?)。
 とにかくこれくらい割安になりますと、電子版も価値があります。
(けれども出版社によって電子書籍への取り組み方はずいぶん違っていて、岩波新書は(新刊の場合)値引きがありません。物理的な媒体の費用が上乗せされている紙版と、何も必要としない電子版が同じ価格だなんて……、結局電子版は別に売れなくてよい、という岩波の方針なんでしょうね)

 

星新一賞ジュニア部門(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月18日(水)21時23分53秒
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   承前。星新一賞ジュニア部門優秀賞2本め、黒沼花「アルモノ」 著者は小学5年生。使えるのに捨ててしまう風潮を風刺する作品です。床に落としたまま拾われない消しゴムへのこだわりが可笑しい。たぶんこれが著者の頭のなかにあって本篇のアイデアの元となったのではないですかねえ(^^; 同じことを繰り返してしまう人間のサガを笑うオチも決まっています。ただこのアイデア、自分の頭で思いついたものなのか。物を粗末にしてはいけませんというお題目を無批判に入力→出力しているだけじゃないのか。そんなこと、小学生に求めても仕方がないですね(>おい)(^^;

 優秀賞3本め、田上大喜「子供が欲しいプレゼントが映る鏡」 著者は中学2年生。サンタクロースは悩む。この21世紀の現代、自分の選んだプレゼントを子どもたちは本当に喜んでくれているのだろうか? すべて流行遅れでちっとも嬉しくないのでは? で、サンタは博士を訪ね、子供が何を欲しがっているかが映る鏡を作ってもらう。それを見てサンタは驚いた。子どもたちが欲しがっているのは最新のゲームや携帯電話なのだ。さて、サンタは……。本篇も「かくあるべし」という外の思考を無批判に受け入れているような。まあ大抵の小中学生は、外部のお仕着せ思考を無自覚に受け入れ自分の思考と勘違いしているわけですが。アイデアが浮かび書いているうちに果たしてこのゆくたてでいいのか、と問い直し考えこむのもショートショート執筆の効能ではないかと思ったり。

 優秀賞4本め、竹安宏曜「矛盾解消」 著者も中学2年生。本篇は上の2篇のような徳目とは無関係。理屈だけで作られており好感(^^) タイムマシンは過去にしか行けないというのは論理的だし、過去で蝶の羽ばたき効果を完璧に封じる本篇のアイデアも理屈が通っています。「1時間に5000時間」は「1時間に5000年」の書きミスかな? 1時間に5000時間だったら、たった208日ですから(>揚げ足)(^^; 1時間5000年x40日で480万年。これなら人間と猿の分岐点(チンパンジーと人類の分岐点)として妥当です。でも1時間1億年x5日で地球誕生は計算が合わないなあ。2日で充分では? あ、ビッグバンまでならそんなもんですね。ちょっと混同しちゃったのかな(笑)

 優秀賞のラスト、実瀬純「未来の貘」 著者も中学2年生。ディストピアものになるのかな。エシュロンみたいな秘密情報収集機関があり、「獏」という機械で、全ての人間の睡眠から「夢」を吸い取っている。夢のなかには一定の睡眠者が気づかない「予知夢」が存在しているのです。それを分析解析し、国家の政策決定に役立てているのです。おかげで人類は夢を見なくなる(吸い取られるので)。ラストは一種のリドル。本篇も本来長さを必要とするアイデアですね。ですから本篇は駆け足で唐突なところがあります。惜しい。もう2、3年してから書きなおしてほしいと希望します。

 以上で全部。いやーレベル高かったです。
 電子書籍ですが、いちおう書籍として販売(0円ですが)されているものなので、読了リストに記入することにします(森下さんベストSF対象ということ)。
 ということで、日本経済新聞社編『第二回 日経「星新一賞」受賞作品集』(日本経済新聞社、15)読了。
 

星新一賞ジュニア部門(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月18日(水)01時32分18秒
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   星新一賞ジュニア部門グランプリ、利根悠司「回路」、準グランプリ、遠藤哲「ノアの方舟」、優秀賞その1、稲葉志門「白くなっちゃった」を読みました。

「回路」はいかにも中学生らしく、すなおに星新一を踏襲(入力→出力)したショートショート。もちろん意図してやっているのじゃなく無意識でしょうけど。ある意味星新一賞に最もふさわしい作品かも。書き方がわかっていますよね。うまい!と言いたいレベル(中学生なのに)(^^; こういう人はもともとセンスが備わっているので、どんどん書けると思います。期待したいです(^^)

「ノアの方舟」は中学1年生なのか。驚いちゃいますね。小松左京ばりの壮大なアイデア。ただ書き方(見せ方)がまだ未熟。中一ではしかたがないか。それにそもそも、これは短篇ないし中篇向きのアイデアですね。ショートショートでは無理がある(巨大隕石が都合よすぎる等)。もうちょっと大きくなって、ドラマが書けるようになってから、短篇に再チャレンジしてほしいですねえ。

「白くなっちゃった」は小学生! 小学校低学年の学習雑誌に載っているようなお話です。そのようなお話を著者は読んできたんでしょうね。でも、たぶんまだ星新一もショートショートも体験していないとみた(>おい)(^^; ストーリーは破綻なく書けています。小学生でこれだけ書けるのは非凡ですね。今後、星新一をきっかけにショートショートの大海にずっぽりハマってほしいと期待します(^^)

 

「文芸的な、余りに文芸的な」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月17日(火)21時31分39秒
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   芥川の「文芸的な、余りに文芸的な」に着手。青空文庫版。読みだしてから気づいたのですが、140枚とけっこうボリュームがあります(電子書籍はなかなか目分量で厚さを実感できませんね。そこがちょっと慣れません)。ちょうど半分読みました。
 「蜃気楼」で実作してみせた《「話」らしい話のない小説》という芥川の持論を、評論の形式で論じたものかと思って手に取ったのでしたが、最初の数回こそそのテーマでしたが、回を追ってどんどんテーマが拡散していきます。むしろしりとり式に思いつくまま、文芸に関する思考を繰り広げていく体のエッセイという感じです。そのせいでかあまり踏み込んだ考察ではない場合もあり、文章が途中で「……」で終わっていたりすることがあります。これは思うに、後でその部分深く考察しようとしてそのままになってしまったんじゃないかな。そういう意味もあって、非常に読みやすい。スラスラ読めてしまいます。
 ふと思いつきましたが、これは、今でいう一種のブログですね(^^;。もしもかれの時代にブログという手段があれば、きっと芥川は本篇の内容を毎日書き込んでいたんじゃないでしょうか。

 ところで《「話」らしい話のない小説》に戻りますが、著者は、そのような小説だけを可とする立場ではないことを再三強調します。世にたくさんの「話」のある小説は存在し(この派の代表として谷崎潤一郎を挙げる)、自分もそういう「話」(単に「物語」という意味ではないとします)を書いていないわけではないし、これからも書くだろう、といいます。
 一方、「話」のない小説は単に身辺雑記を描くものではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である、しかも散文詩と呼ばれるものよりも遙かに小説に近いもの、と規定し、それは(通俗的興味がないという意味で)「純粋な」小説である、と言い換えます。
「純粋な小説」とはなにか。著者はそれを絵画に喩えて、例えばデッサンよりも色彩に生命を託した絵画がそれだとする。具体的にはセザンヌの名を挙げます。
 なるほど。そのアナロジーはよく分かります。では小説に例を求めるならそれは何か。著者はルナアルの名を挙げ(作品では「フィリップ」*邦題「葡萄畑の葡萄作り」)、日本作家では志賀直哉、とりわけ「焚火」以下の諸短篇にとどめを刺すとします。
 そしてこれらの「話のない小説」は一体に通俗的興味には乏しいものであることは認めるが、だからといって<興味>を喚起しないものではない。そのとき喚起されるのは通俗的興味よりも高い《興味》であり、それは当該作品が「詩人の目と心を透して来た」ところから発せられるものであることによって喚起されるとします。
 非常に共感します。
 次の回以降、個別的に(前者の)谷崎、(後者の)志賀直哉に就いて、著者の考察が述べられます。

 

「渡来の古代史」読み中(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月17日(火)03時17分36秒
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  > No.6212[元記事へ]

 『渡来の古代史』は130頁。ここまで高麗氏、船氏、百済王氏。
 高麗(狛)氏は、やはり(当然というか)秦氏や漢氏と比べて影が薄いですね。秦氏と同様、中央とはあまり関わりを持とうとしなかった上に、渡来時期も秦氏や漢氏が5世紀初であるに対して6世紀前半と100年遅れというわけで、畿内に大きな根拠地は作れなかったみたいです。山背国綴喜郡・相楽郡あたりと、河内国若江郡に巨麻郷があったくらい(現在、中環に巨摩橋という地名がありますが、その辺りですね)。
 で、むしろ東国に勢力を扶植していった。のちに駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の高麗人が武蔵国に集められ高麗郡を建郡とあります。逆に言えばそれらの地に高麗人が植民していたということです。大磯にも高麗の地名があり高久神社があります。豊田有恒さんも『大友の皇子東下り』で、この高麗郷について「高句麗人の入植地」とはっきり明記していました。うろ覚えですがヤマトタケル・シリーズでもここが舞台になっていたと思います。

 船氏は、いえば古渡の漢氏に対して、今来の百済系ということになりますね。

 百済王(くだらのこにきし)氏も今来ですが、もっと新しく、しかもれっきとした百済王族です。船氏も貴須王(近肖古王。4世紀後半)の血筋となっていますが、疑えば疑える。
 一方百済王氏は間違いなく義慈王(7世紀前半)の子、善光が始祖で、同じく義慈王の子である豊璋とともに日本に渡って来た。余談ですが豊璋は百済滅亡後、王となるべく帰国して百済を復興させるのですが、どうやら無能だったらしく白村江で完全に百済を滅ぼしてしまう――というのはさておき、とどのつまりは百済王氏が血統書付きの名族だったということです。難波が本拠地で、百済王氏のために百済郡が建郡されます。JR百済駅あたりがそうなんでしょう。
 陸奥国とも何故か関係が深く、初めて金を産し、聖武天皇に献上したのが百済王敬福です。それもあって次第に大和政権(百済人植民者主体の政権)で重きを成していく。
 桓武朝時代が絶頂期で、百済王氏の本拠地は難波の他に交野郡(現在の枚方市あたり)にもあって、桓武天皇が平安京の前に長岡京に遷都しますが、交野枚方はその南西に殆んど地続きといってよい。
 桓武天皇自体、母親の高野新笠は百済武寧王の子孫ですから日韓ハーフなんです(今上天皇が2002年の日韓共催サッカーW杯の際、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると『続日本記』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じます」と仰言られたのですね。13p)。それかあらぬか、百済王氏に出自を有する桓武朝の後宮に入侍した女人は、少なくとも9名にのぼる、とあります(122p)。
 とにかく長岡京は、東北に深草太秦の秦氏、南西に枚方交野の百済王氏、南東に綴喜郡相楽郡の高麗氏と地続きの立地だった。というのが実に面白い。けっきょく京都って、朝鮮渡来人たちが開発した土地だったわけですね。なぜ桓武天皇が、長岡京〜平安京と、京都に遷都したがったのか、この線からもいろいろと考えが浮かんできますよね(^^;

 

星新一賞優秀賞作品(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月16日(月)21時38分9秒
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   星新一賞優秀賞、最後の、遠無計太「神の双曲線」を読みました。
 ??? 私の非理系脳では理解できません。
 まず双曲線のxの値が(後述の理由でL=360000として)600、500、400、300、200、100、と規則的に下がっていくとき、yの値は600、720、900、1200、1800、3600、となります。
 これを続けると、x=50でy=7200、x=10でy=36000、x=1でy=360000、という具合に、yの値は指数関数的に増えていきます。
 著者は、これを死の直前の人間に当てはめます。つまり心臓停止→大脳皮質細胞壊死が600秒として、x=600、y=600を通る、L=360000の双曲線(第一象限)を、かかる死にゆく人間に比定するのです。(ですからLの値は、個々人によって多少変化するのでしょう)
 しかしてこの人間は、(x=600、y=600)までは、xの値を生きているのだとします。つまりxの値が我々の実時間だと言うのです(ただしxの値は減少していくので、余命ということになります)。が、この時点を超えると(つまり心臓が停止するやいなや)、yの時間に移行するとします。(y時間をいま勝手に幽時間と命名します)
 具体的には、我々の実時間で死の直前の1秒間を、この人間は幽時間で100時間(360000秒)生きるわけです。さらに0.1秒前には1000時間(42日)、0.01秒前には10000時間(416日)、0.001秒前には100000時間(4166日=11年)という風になり、そのままいきますと、0.0001秒で114年です。ほぼ人間の寿命を超えてしまいます。
 死の直前の一瞬に、人間はその全人生を追体験するといいますが、なるほど、これならもう一回人生をやり直して(というか追体験して)あまりあるわけです。
 面白い!
 しかし、まてよ。70歳で亡くなった人がいるとして、この人がおぎゃあと生まれた瞬間の、xの値は2207520000秒です。そのときのyの値は6132秒。1.7時間です。この1.7時間て、何?
 まあそれはいいとしましょう。
 ところが主人公は、追体験をした(パノラマ視現象を見た)わけでもなさそうで、そのかわりどこか異次元(?)の美しい風景(極楽浄土の風景?)を見ながら飛んでいき、最終的には神の居るところへ辿り着かんとしているようです。まあそれもいいでしょう。パノラマ視をし尽くした後にも、時間は無限に残されているのですから。
 しかしそれが問題なんですね。
 つまり、人生が双曲線だとしたら、人は永遠に死なないことになるのではないでしょうか(^^;
 でも「大森祐介博士は死んだ」となっていますよね。
 はっ。人間は不死なのか!? 極微な時間の中にある殆んど無限の時間を生きている死の手前で死んでいない人間を、実時間に生きる我々は認識できず、生きながら焼き殺していたのか(>おい)(^^;
 最後のモールス信号は何でしょうか? 主人公には光がゆっくりと進んでいくのが見えているのか?

 いやー面白かった(^^)

 

星新一賞優秀賞作品(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月15日(日)21時31分11秒
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   星新一賞優秀賞2本目の、馬場万番「世界が2019年を勝ち取るためのアイデアを募集します」を読みました。
 うむ。これはスケールを極大化した「しゃっくり」(筒井康隆)ですな。ただし「しゃっくり」とは違って、引き戻されたら記憶もその間の分は消えてしまうという設定なので、実感的にはそのループを認識できない。
 冬月教授がタイムマシンを設定した起点と、2018年12月31日を終点とする時間内で、冬月教授と人気アイドル歌手が結婚できなければ、全宇宙が起点へ戻ってしまう(記憶も)。もし成就したら終点でタイムマシンはミッション終了で作動を停止する。しかしその可能性は万に一つもなく、世界は無限にループする。
 うーんややこしい。このループを止めるにはどうしたらいいかということですが、機械を壊したらいいのではないのかなあ。タイムマシンソフトは電脳空間に遍在していますが、結果を判断する機械(ASUKA)は1個しかないのだから。
 あ、この場合はASUKAが察知して、緊急的に48時間の時間遡行が発動するのか。だからパイプ椅子を振り下ろさず諦めてしまう世界が持続していくのか。
 なるほどなあ。ストーリーのアナが見つからんなあ(>おい)(^^;
 ただし「タイムリミットまでは4年以上ある」となっていますが、もう何十回となくその4年以上を繰り返しているんですよね(機械のカウンターによれば)。主人公はその事実をうっかり忘れているんでしょうか(あるいは釈迦の掌の中ということか)。つまりこの設定は一見分岐多元宇宙にみえますが、事実上単線宇宙ものなんですね。いや多元宇宙と考えてもいいんですが、どの分岐宇宙も結局は「始点」に戻ってくるわけですから。
 ということで、フレドリック・ブラウンとか広瀬正系のパラドックスを扱った軽妙なお話。面白かった〜(^^)

 

「玄鶴山房」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月15日(日)15時20分2秒
返信・引用
   芥川の「玄鶴山房」を読みました。本篇、キンドルでは発売されてなくて、青空文庫で読みました。青空文庫にも専用のリーダーがあるのですね、それをダウンロードしたんですが、キンドルアプリ並みにストレスなく読めました。
 あ、そうだ言い忘れていましたが、日経のリーダーもなぜか翌日、タブレットのほうにDLされていたのでした。
 しかしタブレット読書に慣れてきますと、むしろ紙の本よりも読みやすいですねえ。何と言っても文字が大きいのが年寄りには親切です。あとバックライトで、仰向きに寝転んで読めるのもありがたい。若い頃は逆光でも全然気にならなかったものですが、年を取ると集光力も衰えていますからねえ。哀号。
 や、話がそれました。「玄鶴山房」です。本篇も没年である1927年に雑誌掲載された晩期の短篇。
 いやー、暗いです(^^;  著者の皮肉な人間観察の眼は、新心理主義と謳われた初期から相変わらずなのですが、初期はそれが、云うならば向日的だった。だからその視線はユーモアを伴って再帰的な余裕があったのですが、本篇ではその皮肉な人間観察の鋭さは同じながら、ユーモアと余裕を失って、初期と同じことをやっているのに底意地の悪さといいますか、あまりにグサグサ差し込んでくるので、読んでいてしんどくなってくるのでした。初期と晩期との、著者の置かれた精神的環境の相違が、あきらかにそこに読み取れます。もっとも同時期の「蜃気楼」はもっと穏やかですから、晩期の著者はめまぐるしく心理状態が上下しており、それがもろに作品に現れていたのかもしれませんねえ。

 ところで、ここまでの文章はタブレットのワードで書いたもので、タブレットから直接投稿しようと思ったんですが、初回でどんなミスをしているともわかりませんので、ワード文書をタブレットからPCに添付メールし、それを開いて訂正と書き足しをしたものです。
 まだ操作に慣れてないので今回はすこし時間がかかりましたが、単語登録がもっと充実してきたら、PCと変わらない書き心地で使えそうです。
 でも今のところ唯一の欠点として、私の腕にはちょっと重いんですよねえ。いやまあ運動不足で腕力が落ちきった私が持ってみて少し重いという程度で、現役バリバリの方なら何でもないんでしょう。え、これが重いの?と笑われてしまうかも。
 なお私がタブレットをゲットしたのは、これでです。ご参考までに。

 

「渡来の古代史」読み中(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月15日(日)01時41分11秒
返信・引用
  > No.6208[元記事へ]

 『渡来の古代史』は100頁。このあたり漢氏について。
 へえー、東漢氏と西漢氏は別系統だったのか。東漢氏は安羅系で、西漢氏は百済系としていますね。そしていずれも馬の文化を持っていて(とりわけ河内には牧が多く存在したみたいです。秦氏系も含めて)軍事に長けていたようです。
 つまり応神の頃(5世紀初め)、それまで(考古学的にも)日本列島に馬の文化はなかったところに、秦氏や(東西)漢氏が馬文化をたずさえて移住(渡来)してきたんでしょうか。
 秦氏とは違って、漢氏はただちに大和朝廷(河内王朝)の中枢に(特に軍事力で)組み込まれていったわけですが、東漢氏は西漢氏よりも比較的反体制的であったようです。それは天武天皇に「七つの不可(あしきこと)」を挙げて責められ恩赦されたことで分かります。この事実にも、百済系の西漢氏と安羅(伽耶)系の東漢氏の、大和政権への忠誠度の微妙な温度差が現れているように思われます。

 

星新一賞優秀賞作品

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月14日(土)22時26分38秒
返信・引用 編集済
   星新一賞優秀賞、本間かおり「ママ」を読みました。
 ああ、これは好い! 私の大好きな茫漠たる大宇宙SFではありませんか。
 探査機の最終目的地は、22光年離れたさそり座グリーゼ667C星。その目的地に向って探査機は地球近傍より出発します。探査機はリニア核融合ロケットで、燃料は小惑星帯から拾ってきた大氷塊です。その大氷塊の水一滴に含まれる水素の質量をすべて光エネルギーに変えて反応生成物のヘリウムと酸素の質量を光速の99%で後方へ投げ飛ばす。その反動で探査機は10分の1G の推力を得るのです。それでも目的地まで1万年かかります。最終的には光速の10%。探査機は木星、土星、天王星、海王星でスイングバイを繰り返し、速力を得ると、オールト雲で氷塊を補給。いよいよ深宇宙へと飛び出します。という具合に、ハードSFガジェットがとても楽しい。ワクワクさせられます。
 さて、光速の10%、1万年の旅ですから、この程度の速度ではウラシマ効果の効用は期待できません(船内時間で300年)。ではコールドスリープかと思いきやさにあらず、実は生身の人間は搭乗していません。搭乗者はいるのですが、それはある少女の全人格をコピペされたAIのスーパーコンピューター(あと、ハルがいます)。で、コピーを提供した少女は地球に残り、たぶんもうとっくに大人になり死んでしまっているんですね。準グランプリ作品と同じく、本篇もイーガンの影響を強く感じます。
 船内時間で100年たったとき、探査機は突然強烈な重力波異常に翻弄される。原因はベテルギウスの超新星化だった。ところでベテルギウスは探査機から見て太陽系の後方なんです。ノヴァ化の影響は、探査機よりも10年も前に、もっと強い力で太陽系を襲っているはず。地球は無事なのか。はたして地球からの通信はぱったりと途絶える。しかし宇宙機は順調に残り200年飛び続け、艇の目前にグリーゼ667C星が姿を現す。主人公の少女のAIは最終ミッションの準備に入り……
 うーん、しびれますねえ。とはいえこの設定・ストーリー自体は意外にありふれていて、私も一本書きましたし、海野さんは10本以上書かれているんじゃないでしょうか。ありふれて、と言うと語弊がありますね。方程式ものと同じでサブジャンル化している、と言い直します。このサブジャンルで印象づけるためには、そのような王道ストーリーを、いかに独自な観点から引き立たせることができているか、にかかっています。本篇の場合、それがハードSFガジェットという衣装なんですね。そしてたしかに本篇は、その華麗な衣装でこの王道ストーリーを存分に引き立たせるのに成功しています。
 いやー堪能しました(^^)。

 追記。本篇の作品世界は「2001年宇宙の旅」の世界の未来という設定みたいなんですが、これが私の知識不足でよくわかりませんでした。グランドツアーを可能にする惑星直列が2001年にも現象していたのでしたっけ。
 

星新一賞準グランプリ作品

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月14日(土)16時19分14秒
返信・引用 編集済
   星新一賞準グランプリ作品、岩田レスキオ「墓石」を読みました。
 いやーこっちも面白いです。というか、うまい。選評で谷甲州が星新一を思い出したと書いていますが、アイデアはまさにそうですね。
 近未来(といってもほぼ現代です)、人工知能(AI)に人間の記憶をコピーすることができるようになり、それを利用した、墓石(型AI)に故人の記憶を埋め込むビジネスが生まれる。主人公は癌で亡くなるのですが、手遅れとわかった段階で、このサービスを利用します。で、死んで葬式が終り墓に納骨された瞬間に、墓石として目覚めるのです。ただしコピーした時までの記憶しかない。一番つらかった末期の記憶も死ぬ直前の記憶も持っていません。このへんはイーガンを思い出しますね。
 で、残された家族は、墓参りに来てはAIとひとときの会話を楽しむのです(どうも墓域内では移動でき、遺族と抱き合うこともできるようです。だったら腕もあるのか。それは書かれていませんねえ(^^;)。
 それが嵩じて、家族は自宅を売り、その金で墓を立派にしてそこで暮らすようになったりします。
 このへんのエスカレーションが、いかにもショートショート的でとても面白いです。
 ところが、次第にショートショートにしてはリアルすぎる話になっていく。残された娘が結婚し、その夫のDVに苦しめられたり、とか。これはこれでドラマ的で面白いのですが、その分長くなるわけで、それをショートショートの文体で書かれると、ちょっとしんどくなってくるんですね。
 ショートショートの文体とは、要するに「梗概」文ということです。説明文(もしくはナレーション)です。ショートショートは長さの制約でそうならざるを得ません。それは短く収めるためであり、またそのためにショートショート特有の技法を発展させてきたわけです。
 だからそれが、ある基準値(客観的なものではなく主観的な)をこえて長くなると、読者はイライラしてきます。少なくとも私はそうです。
 この作品は、実によく出来たショートショートのアイデアと、これまた面白い短編小説のストーリーを二つながらに持っていて、それが逆に悩ましいのです。(私の感覚では)かかる両要素が微妙に反発しあっているように感じられてしまうんですね。
 選評で滝順一という人が「悲しくもおかしな風景をもう少し生き生きと描写していただければなおよかった」と評していますが、私もそう感じました。ただそっちに行けば、ショートショートではなくて短編小説になってしまいます。
 しかし私は、このアイデアはショートショートしても捨てがたいです。星新一は「具体的」な人間ドラマは極力ショートショートでは書かなかったと思います。本篇もそういう書き方をしてほしかったような。でもどっちかを選ぶ必要はありません。同じアイデアでSSと短篇小説(描写)を書けばいいわけですね(^^;


 

「或阿呆の一生」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月14日(土)15時02分34秒
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   キンドル本で芥川「或阿呆の一生」を読みました。
 おお、これってコンデンストノベルじゃないですか! いやこれは凄い。傑作というよりも、凄いというのが中っていると思います。50枚前後あり、ただしそれは51本の短話、断章等で構成されています。大体一話1枚程度。基本的にそれらにつながりはありません。見た夢らしい話もあれば、伯母の話もある。精神病院の見学(?)の話もある。ところがそんなバラバラな断章なのに、ある一定の、ちょっと怪奇小説ぽい共通する雰囲気があって、読み終わってみれば、一本の緊密な短篇を読んだという感覚が残っているのです。そういう意味でも、やはり本篇はコンデンストノベルなんですね。面白かった。
 著者のまえがき(久米正雄への書き置き)で、読めばモデルが誰かすぐわかると書かれています。久米にかぎらず、著者の周辺にいた人なら丸わかりなんでしょう。その意味で私小説なんですが、芥川を研究したわけではない私には、誰なのか全然わかりません。つまりごくふつうに「小説」として読んだわけです。それでも(個別的な知識がなくても)この小説世界に引きこまれ堪能させられました。そこが小説家芥川の凄いところなんでしょうね。

 以上、晩期の代表的な三作品を読みました。初期の作風とは全く別人ですし、小説の書き方も自由になっています(あるいは実験的に)。この三作の数か月前に書かれた「蜃気楼」は私の大好きな作品で、晩期作品の中では唯一何度か再読しているものですが、「蜃気楼」ではまだ従来の小説の約束ごとが守られています。だからいかにも「小説」然としています(ただし「蜃気楼」では、すでに初期の特徴であった物語の面白さは意図的に排除されています。だから好きなんですが、その意味では移行期の作物といえるかも)。
 この(蜃気楼の)地点からしますと、「河童」「歯車」「或阿呆の一生」は、時間的にはわずか数か月ですが、小説としてははるかに隔たっています。今風に言えば三者三様に実験小説的です。芥川が精神を追い詰められた契機は、すでにいろいろ明らかにされているんでしょう。それが結果としてこの特異な傑作三作品を書かしめたのでしょうか。そうかもしれません。それとも健康で寿命を全うしたのだとしても、いずれこの境地に達していたのでしょうか。考えてもしかたがないことですがいろいろ想像してしまいます。

 

「渡来の古代史」読み中(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月14日(土)02時08分50秒
返信・引用
  > No.6204[元記事へ]

 承前。『渡来の古代史』は70頁まで。
 前回までは概論でしたが、ここからは各論。今回は新羅系*の「秦氏」です。(*ウィキペディアは始皇帝の秦の遺民説を採っていますが、リアリティがないと思います。私も本書と同じで新羅系説を支持します)
 秦氏は全国に分布していますね。そこが同じ「古渡」ながら中央に密着した百済・伽耶系の「漢氏」とは対極的なところで、それはやはり大和朝廷が百済(の移民)系であることと関係しているんだろう、と私は思います。
 でも秦氏の本拠地は京都ではないか。たしかにそうですが、秦氏が、書紀にあるように応神天皇の時、つまり河内王朝の時代に渡来したのだとしたら、京都はまだ中央じゃなかったのです。文字通り、中央から遠く離れた「山背」の地だったわけです。同時期に渡来した漢氏が、するりと大和(東漢氏)や河内(西漢氏<西文氏>)に入り込んだのとは対照的です。と同時に、秦氏の方でも、中央に入って百済系の指図を受けるのは嫌だったんじゃないでしょうか。
 でも秦河勝は聖徳太子の懐刀だったんですよね。で、秦氏が建てた太秦の広隆寺は百済様式らしい。なんか矛盾しているような。本書からは離れますが、秦河勝が聖徳太子の側近だったのは、かれが(秦氏が)仏教に帰依していたからというのが私の考え。当初、中央を避けた秦氏でしたが、世界宗教である崇仏派になった段階で、百済とか新羅とかいった瑣末な対立は、河勝にとってあまり意味がなくなっていたのかも。
 そして秦氏の居住地は馬の産地でもあった。聖徳太子の子の山背大兄皇子が入鹿に攻められ生駒に逃げたとき、三輪文屋君が、とりあえず深草屯倉に行って馬を確保し、馬に乗って東国に落ち延びよと進言したと本書にあります。深草は秦氏の本拠地です。そういえば聖徳太子は廐戸(うまやど)皇子でした。
 つまり秦氏は騎馬民族でもあったのでしょう。上記のように全国に分布できたのも、またそれでありながら秦氏として一つにまとまっていられたのも、騎馬の行動範囲の広さを見落とすべきではないと思います。
 今回、本書の内容と私の妄想が混在しております。くれぐれもご注意願います(>おい)(^^;

 

星新一賞グランプリ作品

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月13日(金)21時16分36秒
返信・引用 編集済
   第2回星新一賞がすでに決定していたんですね。知らなかったのですが(ツイッターにもあまり上がってきませんねえ)、あるサイトで、無料購読可能になったという記事をみかけ、さっそくダウンロードしてみました→https://eb.store.nikkei.com/asp/ShowSeriesDetail.do?seriesId=D1-00239800B
 第1回のときは、ダウンロードに至るまでの登録が煩瑣を極めるという不満の声をよく耳にしたので、最初から試してみもしなかったのですが、不評をうけて改良されたのでしょうか、簡単にダウンロード出来ました(あ、日経デジタルを読むためにすでに登録できていたからかも)。ただ、できればタブレットに落としこみたかったんですが、まだ操作に未熟なせいか(私のタブレットが未対応機種だったのかも)、うまくいかず、PCでの購読となりました。でも読むためにDLした日経のリーダーアプリが、フォントサイズを変更できるものだったので、問題なく読むことができました。
 ということで、まずはグランプリ作品の相川啓太「次の満月の夜には」を読みました。
 数えたら30枚弱でした。長さからいえばショートショートとはいえません。しかし書き方はショートショートかも。つまり失礼な言い方をすれば梗概なんですね。
 ただこの梗概、大変スケールの大きな物語の梗概でして、これはこれで面白かった。

 地球温暖化で企業は温室効果ガスの処理にかかる費用が馬鹿にならなくなってきていた。主人公の科学者は排出権取引に目をつけた企業とタイアップして、炭酸カルシウムをつくる能力を飛躍的にアップさせたサンゴ(共生体)を遺伝子操作で完成させます。
 この遺伝子改変サンゴは、邪魔な二酸化炭素と海中に無尽蔵にあるカルシウムを化学反応させることで、地球上に増え続ける温室効果ガスを炭酸カルシウムとして固体化し、除去してくれるのです。
 ところがこの遺伝子改変サンゴが自然界に流出してしまう。海洋という、炭酸カルシウムの原料が無尽蔵にある環境で、サンゴは異常繁殖し、海中から二酸化炭素がどんどん失われ、それを補償するために空気中の二酸化炭素が海中に溶け込んでいき――やがて地上の植物の光合成に支障をきたすようになる。
 つまり植物が死に絶え、ひいては動物も絶滅してしまう危機が地球を襲うのですが……!?

 いやワクワクします。これぞSFの醍醐味。小松左京が書きそうな話で面白かったです。そういう意味でも、やはりこれは本格的なSF物語として読みたいなあ(^^;

 

眉村さん情報:ラジオ深夜便

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月12日(木)21時25分5秒
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   これはちょっと楽しみなお知らせ。だいぶ先の話なんですが、6月20日土曜(午前2時〜)のNHKラジオ「ラジオ深夜便」で、眉村さんの「豪邸の住人」(短篇集『自殺卵』所収)が朗読されるそうです。
 しかし、まだ3か月以上も先の話で、私、覚えていられるかどうか非常に心配です。もしその日が迫ってきても、ここで再告知する気配がなかったら、たぶん忘れているに違いありません。「管理人、どうも忘れているようだな」と気づかれましたときは、ぜひ当板でお声をおかけくださいますよう、予めお願いいたします(^^;
 それはさておき「豪邸の住人」、『自殺卵』の著者あとがきには「小説NON」98年7月号に発表されたと書かれています。
 実はその後、日本文藝家協会編『現代の小説 1999』(徳間書店)に収録されているのです。それについては、眉村さんはあとがきでは触れておられません。なので備忘のためここに明記しておくのでありますが、しかしこれは眉村さんがうっかり書き忘れたのではないように思われます。
 というのは、追記風に「(私の本にはこれが初収録)」と記されているからで、この謎めいた一文の裏を読めば、すなわち「眉村卓名義ではない本には収録された」ということになるわけですね。レトリックですなあ(^^ゞ

 あ、それからこれは不確定要素があり、オフレコということでお願いしたいのですが、新作が刊行されそうですよ(^^)
 書き下ろし作品集で、いま、大体半分くらいだそうです。順調に行けば夏までには。
 いろいろお聞きしたところでは、これ、短篇集でもなく、ショートショート集でもないんですねえ。詳しいことはまだお知らせできませんが、かなりユニークな作品集といえるんじゃないでしょうか。
 ちょうど「或阿呆の一生」を読んだところだったので、そう言ったら、あんな深刻な自虐的なものではないが、形式はそう言われたら似ているかも、とのことです。おお、シンクロニシティ!(笑)

 

「歯車」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月11日(水)23時26分49秒
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   キンドル本で芥川「歯車」を読みました。
 初期のショートショートっぽい理知的な作風のは、折にふれて読み返したりしているのですが、晩期の作品は全く読んでいません。小中生には難しすぎたんでしょうね。そういうわけで本篇も「河童」と同じく、50年ぶりくらいの再読。
 いやーこんな話だったのか。圧倒的な迫力で、引きこまれて一気に読んでしまいました。これはもう怪奇幻想小説ですよね。私小説ではあるんですが、印象はドイツ中欧の世紀末怪奇小説っぽいです。私小説とかいう読み方ではなく、あくまで怪奇幻想小説として楽しめます。
 とはいっても私小説的にも興味深くて、ここにはすでに「河童」にみられたユーモアは影を潜めてしまっています。「河童」と「歯車」の執筆時期は、数ヶ月しか違わないはずなのに。この間に急速に神経衰弱が悪化したんでしょうね(「歯車」は死後発表)。
 ところで、主人公が見る「歯車」ですが、「閃輝暗点」という一種のストレス性視覚障害だったといわれています。私はこれをクトゥルー神話の輝く神クトゥグアで解釈して、芥川を主人公に据えた話(クトゥルー神話譚)を書けないかな、という目論見で再読したのでしたが、読んで、ああこれはかなわん、と諦めました。何も付け足さずともクトゥルー神話なぞはるかに凌駕しているのでした(^^;

 ということで、次はやはり遺稿の「或阿呆の一生」を読んでみようと思います。
 

 

「渡来の古代史」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月11日(水)21時42分11秒
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  > No.6203[元記事へ]

 『渡来の古代史』は45頁まで。
 読んだ部分では「日本」という国号がいつ定められたのかが検討されています。昨日の投稿で、私は先走って日本国の成立を天武持統の時代と書きました。まあ概ね間違っていないと思うのですが、筆者は厳密に確定しようとします。
 まず、大宝元年(701)に出来上がった「大宝令」に、「明神御宇日本天皇詔旨」の文が見えるのがその下限だろうとします(傍証として、「続日本記」慶雲元年(704)の条には、大宝元年に遣唐執節使に任じられ翌年(702)入唐した栗田朝臣真人が「日本国使」を名乗ったことが明記されており、またその同じ遣唐船に乗っていた遣唐留学僧の僧弁正の「日辺日本を瞻、雲裏雲端を望む」という詩が「懐風藻」に収められている。等)。
 そして上限は、よくいわれる聖徳太子の「日出処の天子」は、国号を意図したものではないとしてこれを排し(管見ではこれが後に参照されて「日本」という国号の有力なヒントになったんじゃないか、とは思います)、書紀の「天智天皇即位前紀」に、高句麗僧道顕の著した『日本世記』から「蓋し高麗破れて日本に属むか」というのが引用されていることに着目します。『日本世記』自体は現存せず、各種の資料に引用されていることで知られるのみですが、著者は「天智天皇8年(669)以後、天武朝には確実に存在した記録と思われる」としています。
 ところが、書紀「天武天皇3年」(674)の条に、対馬で銀が産出されたことに触れて「凡そ銀の倭国にあることは、初めて此の時に出たり」との記述がある。著者は、ここに「倭国」となっているのは「674年のころの原資料にはまだ「日本国」は使われず、倭国と称されていたことを示唆する」とし、
 結局「日本国」の登場は、「674年以降の天武朝であった」と結論します。
 いやー、ミステリのように面白い!(^^)

 ところで、西安において百済将軍袮軍(でいぐん)という人の墓誌が出土していて、その銘文に「日本余礁」の文字が記されているそうです。「余礁」とは残党の意で、この袮軍、663年の白村江で唐軍に投降し、そのまま唐の官僚になった。で、天智称制4年(665)に唐の使者のひとりとして来日(帰日?)したことが書紀に見えるそうなのです。つまり通訳だったんでしょう。没年は儀鳳3年(678)で、墓誌でもそうなっている。唐に投降した時はまだ倭の軍人だったわけですが、唐で暮らすうちに日本国が出来(674?)、それで墓誌は「日本余礁」と記されたわけです。
 しかしそのことよりも、私が打たれたのは、唐使の通訳として日本(当時は倭)に帰ってきた袮軍の気持ちです。3年ぶりに帰ってきた時は、もはや唐人としてなのです。そして、西安に墓があるのですから、唐使とともに再び中国に戻ったわけです。どんな気持ちだったんでしょうか。だれか袮軍を主人公にした小説を書いてはくれないか。
(でいぐんが「でこ」または「でく」の横なまりだとしたら、もともとの日本名はデコッパチみたいな名だったのではないでしょうか。それともデクノボウ? 袮が「でい」ではなくて「ね」だったら、あるい「ネコ」だったかも。当時の名前としてはこっちのほうがあり得そうな気がします)(^^;

 

「渡来の古代史」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月10日(火)22時40分14秒
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   上田正昭『渡来の古代史』に着手。35頁まで。
 ここまででも、めちゃくちゃ面白い。
 「帰化人」という語は教科書にも使われていたと思いますが、実は<帰化>を好んで使用したのは『日本書紀』のみで、それ以前の『古事記』や『風土記』、以後の『古語拾遺』、『新撰姓氏録』などでは<渡来>となっているのだそうです。つまりオリジナルは<渡来>で、書紀はわざわざそれを<帰化>と言い換えているのです。
 <帰化>と<渡来>は同じ意味じゃないのか。違うのか。ぜんぜん違うのです。<帰化>とは「王化」(無知無学な未開人が聖王を慕ってやって来る)の意味があり、「国家」を前提とします(一方、<渡来>は「わたりきつ」ということでそこに価値観は含まれていません)。帰化とは国家へ帰属するという意味です。その定義は古代法(大宝令とか)に定められており、要するにそれと連動するかたちで、書紀は書かれたんですね。
 いうまでもなく古代法は国家によって定められるものであり、その国家(日本国家ですね)は天武持統の時代に成立したものです(これは日本史の常識です)。
 ところが書紀では、神武天皇や応神天皇や雄略天皇の時代の渡来に対しても<帰化>を用いている。ちなみに天皇というのも書紀がそう言っているだけで、天皇という称号の使用も天武からです(厳密には天智7年「船王後墓誌銘」にみえる「治天下天皇」が初出)。これは、だから今の言葉で言えば修正史観といえるわけですね。
 渡来の史実は、書紀が参照した(今はもう残っていない)原史書に記されていたのでしょう(古事記なら稗田阿礼のような書物人間の脳に。>華氏451度かい)(^^;。そしてそこには、何の価値観も含まれていない<渡来>という表現が使われていた筈です。だから書紀以外はすべて「渡来」となっているのです。書紀のみわざわざ「帰化」に言い換えているのです。
 こういう法制度と国史編纂の連動は、天武持統の皇親政治の産物で、日本という「国家」を立ち上げようとしたとき、殆んど必然的に「日本版中華思想」が採用された。わからなくもありませんね。
 ここで面白いのは、『書紀』において<帰化>してくる(無知無学な未開人が聖王を慕ってやって来る)のは、すべて半島からなんだそうです。中国からの渡来者は帰化とみなされないのです。
「すなわち高句麗・百済・新羅らを「外蕃」とみなしていたのである。『日本書紀』にみえる「投化」の記事がことごとく朝鮮諸国の人々にかんするものであることも、「古代法」の外蕃意識を反映したものであったといえよう」

 こうしてみると、日本国家を成立させた原動力こそ、朝鮮半島(つまるところ統一新羅)への反動であったことがわかります。
「王化思想の所産である「帰化」・「投化」を意識的に用い、「蕃国」観をはっきり投影した『日本書紀』にしるす日朝関係史を主軸に、朝鮮関係の史書や金石文を解釈するその立場は、その根底において問い直す必要のあることは多言するまでもない」

 ここで皆さんは、ははん、と思われたんじゃないでしょうか。そうです。あべっちニッポンが、まさに天武持統皇親政治に、その「手口」を学んでいるんですね。そういえば最近、テレビや新聞等のマスコミでは、(とりわけスポーツにおいて)ニッポン人はすばらしい(それに比べてあの横綱は・・)、とか、ニッポンの技術は世界一(たとえばつい先日のクローズアップ現代は「逆襲なるか 日本アニメ」)、とかいった番組が多いと感じていたのですが、これなども、一種の日本書紀では? 最近あべっちはさかんに大手マスコミのえらいさんを招いて食事会をしていることを、中国新聞が報じていましたが、あんたのところのこの記事は、などとネチネチやられているんでしょうね、想像ですが(汗)。しかしこうなってくると、中国新聞とか神戸新聞といった、食事会に呼ばれない地方紙に頑張ってもらうしかありませんなあ(>おい)(^^;

 さて、ここからは当該書とは無関係な私の妄想です。日本国家を成立させた第一動因が半島統一であったとしても、それを支えた心理的要因を私は指摘したい。
 大体において移民とは(新大陸でもオーストラリアでも北海道でも)そうですが、つまり、食えなくなって移住してくるのです(例えばジャガイモ飢饉で大量のアイルランド人がアメリカへ移住した)。
 朝鮮半島からの移民(渡来者)もその例にもれないはず。ただし当時列島に統一国家はありませんから、まさに自由にやってきて根付いたのです(古渡才伎)。その意味で金錫亨の「三韓三国の日本列島内の分国」論は当たりません。日本国もなかった代わりに分国もなかったのです。ただ百済との関係で畿内は百済人移民が多く(桓武天皇は百済人とのハーフです)、その結果、後発の新羅人や高句麗人移民は、それを避けて東山道から東国に移住したものと思われます。多分かれらは、7世紀には日本の人口の過半数を占めていたでしょう(埴原和郎によれば古墳時代の在来系と渡来系の混血率は1対9ないし2対8。ソ連の人類学者コジンツェフによれば3対7)。要するに天武政権は実質的に移民者(もしくはメスチゾ)の政権だったと考えて間違いないのです。
 そんな彼ら、そもそも本国人からすれば棄民です。蔑まれたはずです。ところが形勢逆転して、日本列島の国力のほうが豊かになってきた。そうなると今までの恨み骨髄に達していたのが、倍返しで本国に向ったとしてもさほど不思議ではないように思うのですね。
 我々は皇親政治を小中華思想すなわちナショナリズムで捉えますが、実際は半島がイギリスで列島がアメリカという構図でとらえたほうが近いのではないでしょうか。
 皇親政治の異常なほどに強烈な反朝鮮志向は、そのように捉えると案外分かりやすい気がします。そういう意味では、あべっちが「手口」を真似るのは勝手ですが、勘違いも甚だしいことなのかも(^^;

 

「河童」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 9日(月)00時43分19秒
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   タブレット端末でのキンドル初読みは、芥川の「河童」
 いやー中学以来、ひょっとしたら小学生だったかも。というのは、読んだのが父親が揃えていた(ただし全巻揃ってはいなかった)筑摩の現代文学体系(後に出た現代日本文学大系全97巻とは別シリーズ)だったからです。余談ながらこの全集、父親が読んだ形跡はなく、私が初読者でした(笑)。
 ですから、最も早く見積もったとしたら50年ぶりの再読(^^;。妊婦――じゃなかった妊河童の臍に向って伝声管よろしく口を寄せて、生まれてくる気ありやなしやを問うシーンだけ覚えていました(>そこかい!)(^^ゞ
 という次第で、初読同然に読んだわけですが、1927年に書かれた本篇が、まさに純然たる無何有郷モノ――すなわち「ユートピア」「太陽の都」に始まり18世紀の「ガリバー」、19世紀の「ユートピアだより」「エレホン」「タイムマシン」、20世紀に入っても1908年の「対極」等へとつづく、ユートピア文学の正統な後継作品であることに、改めて気づき、感慨を新たにしました。ひょっとしたら最後のユートピア小説かも。というのは、この系譜はその後、ディストピア小説に移行していくからです(ユートピア小説とディストピア小説のどこが違うのか。ユートピア小説は下記のように形而上的空想物語ですが、ディストピア小説ははっきりと具体的なモデルがある形而下小説となっているところです)。
 上記ユートピア小説の共通の特徴は何でしょう。それは言うまでもなく、「さかさま化」といいますか「現実のひっくり返し」による相対化志向に他なりません。
 本篇は明確にこの路線を踏襲しています。

「河童の風俗や習慣ものみこめるようになってきました。その中でも一番不思議だったのは河童は我々人間のまじめに思うことをおかしがる、同時に我々人間のおかしがることを真面目に思う――こういうとんちんかんな習慣です。たとえば我々人間は正義とか人道とかいうことを真面目に思う、しかし河童はそんなことを聞くと、腹を抱えて笑い出すのです」

 本篇は河童の世界に落ち込んだ主人公の人間による「さかさま国」の見聞録です。当然そのような小説をものした芥川の創作動機には、作家が住む人間国の不合理不条理の指摘の意図、言い換えれば人間国にたったひとり追放された非人間(超人)の孤独感、疎外感の発露があったことは言うを俟ちません。それで面白いのは河童国の超人倶楽部(超河童倶楽部ではないのは、河童の自称の主人公による翻訳だからでしょう。河童も、自称は河童語で「人」であることは民族学的に当然言えることと思われます)が人間の有閑階級のサロンにしか見えないこと。芥川にとっての魂の故郷ってのは、まあその辺だったわけです(^^;。
 ああそうだ。たまたま先日、柳田の「河童駒引」を読んでいたからですが、芥川の河童描写は柳田の記述をきっちり取り込んでいますね。感心しました。だから「獺国」と戦争していたり、神経衰弱の河童が「猿」を幻視したりするのですね。身長も1メートルそこそこですし。
 本篇は、ユートピア小説であること。河童について縦な空想ではなく、民俗学という近代科学の知見を殆んど枉げずに使用して作られていること。この2点において、紛れもなくSF小説のジャンルに入る小説です。ところが『世界SF全集』日本のSF古典篇には収録されなかったんですね。まあ長さの関係だと思いますけど。


 

「ころがるダイス」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 8日(日)14時55分38秒
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  E・S・ガードナー『ころがるダイス』田中融二訳(ハヤカワミステリ文庫77、原書39)読了。

 本書で使われた、胃の残留物で死亡推定時間を測る方法をごまかすトリックは、本書のオリジナルでしょうか。それとも先例があったものなんでしょうか。なかなかよく出来ているなと思いました。
 ストーリーも込み入っていて、それはひとり二役どころではないところからそうなるのですが、そういう設定にできる人間関係の「狭さ」は、やや無理があるような。とりわけ被告の親友であるネッド・バークラーの位置が最後までよくわからなかった。なぜ紛らわしく片足が不自由なのか。ひょっとして最初は伏線の意味があったのが、その後構想が変わって使い道がなくなってしまったんじゃないのかな。それとも、私がなにか重大な読み落しをしてしまっているんでしょうか(汗)
 しかしそれにしても、当シリーズで描かれる30年代アメリカ、荒っぽいです。まだ開拓時代の気風が残っているかのよう。
 メイスンも信号無視、スピード違反は常ですし、それで捕まっても(ごく少ない)反則金を支払えば済んでしまう世界なんですね。交通警官に紙巻煙草の数本でもどうぞと差し上げればそれで見逃してもらえる(ただし煙草は高価で、メイスンも事務所を訪れた者には必ず卓上の煙草ケースから客にすすめ、客もありがたくそれをいただきます。わがニッポンも煙草の値段がさらに上がりますと、そのうち上流階級の嗜好品となり、こんな風景が見られるようになっていくんじゃないでしょうか)。
 つまり世界が大変若い。若い分、われわれ日本人の感覚からすると相当に荒っぽい。殆んど無法地帯の隣あたり世界という感じすらします(もちろんニッポンという国にも若い時代があったのは言うまでもありません。しかしそのニッポンもいまやご老体です)。現代ニッポンの草食青年がタイムスリップしたら、きっと泣きだしてしまうかも(>おい)(^^;。
 ペットだってそうですよ。最近のニッポンの家猫は死ぬまで飼い主の家から出ることはなく、その結果(病院は別として)同類の存在を知る機会もないそうですが、アッチは違います。飼い主は猫用の出入口を確保してやっており(『門番の飼猫』参照)、ネズミどころかカナリヤくらいならバリバリ食ってしまいます(『偽証するおうむ』)。動物も人間に似ていたって兇暴です(>おい)(^^;

 とにかくこのような、開拓時代の尻尾がまだ完全には切れていない30年代アメリカ――という時代が、私には大変興味深い。こういう(開拓時代と近代資本主義世界が重なっている)時代世界だからこそ、30年代アメリカにハードボイルドは生まれるべくして生まれたのでしょう。
 とはいえ30年代、開拓時代の気風(「オレが掟だ」)が次第に薄れてきているのも事実。その「オレが掟だ」に取って代わるのが「法規」です。ただ「法」はともすれば機械的な運用に陥りがち。
 自身弁護士であったガードナーには「法」のそのような暗面もよく見えていたに違いありません。かくして、開拓時代のスピリットをそのままに持ったスーパー弁護士ペリイ・メイスンが登場するわけです。

「法廷侮辱とみとめてもらえば、いっそかえって都合がいいよ。出るところへ出て黒白つけるさ。事件を解決するのにちょっと型破りの方法をとると、すぐ弁護士の資格剥奪とくる――それが最近の流行だ。くそくらえ! もう、いいかげんみんな目がさめてもいい頃だよ」

「メイスンさん、正直なところ、わたしはあなたを好きになりそうですよ。わたしはあなたの生き生きした生活ぶりがうらやましい。わたしは、旧来の陋習を破ってまっすぐ目的にむかって突進なさった、あなたのやり方が気に入りました。冒険とスリルにみちたあなたの経歴にも好意をもたずにいられません。が、(……)あなただって、いつか、本当の犯罪人を弁護するはめに陥ることがあるかもしれませんよ」
(……)「法廷で証明されないかぎり――」とかれは言った。「人は罪ありとされることはありません」
 ノックス判事は嘆息した。「救いがたいな、あなたというひとは」
 メイスンはかるく一揖した。「光栄です、判事さん」「――おほめにあずかりまして」


 本シリーズも30年代発表作品は本篇をもって終わり、次回『餌のついた釣針』からは40年代となります。丁度区切りがいいので、ペリーメイスン特集は本篇でいったん打ち切ることにします。またそのうちに。

 

「偽証するおうむ」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 7日(土)02時50分19秒
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  E・S・ガードナー『偽証するおうむ』宇野利泰訳(ハヤカワポケットミステリ58、原書39)読了。

 シリーズ第14話。いやこれは異色作というべきか。メイスンはつねづね弁護士報酬は適正にもらう、と言っています。どういう意味か。悪平等な定価はないということです。つまり、たとえ同じ仕事量だったとしても、貧乏人か金持ちかによって請求する費用は単純に同じにしない。貧しくて訴訟費用も払えない人でも、必要とあらば費用は1円でも5円でもよい。逆に金持ちからはそれ相応にいただく(ふんだくる)というのがメイスン流。これぞまさに言葉の正当な意味で「公平」ですよね。
 そんなメイスンですから、本書結末のメイスンの述懐は、読後ふりかえれば、ありうることと納得するのですが、私は予想できませんでした。
 ひょっとしてガードナーはアメリカ共産党のシンパだったんでしょうか。ネット検索程度ではそれはわかりませんでしたが、ウィキペディアによれば、
「第二次世界大戦後、「最後の法廷」(The Court of Last Resort) というプロジェクトを組織し、法律と調査の専門家である仲間たちと共に、自ら先頭に立って冤罪で有罪判決を受けた人々の再審請求に尽力した」
 とありますから、少なくとも、社会改良主義的な志向はあったのは間違いない。
 本書の、とある作中人物の言葉に、メイスンは感銘を受けます。

「この世の中は物質だけじゃないんだ。ドルが人生究極の目的だとは、とんでもない考え違いだぞ」
「彼だって貨幣の効能を認めるのには、決して吝かではなかったのです。人類の努力の結果の徴表として、貨幣の重要性は十分認識していたのです。他人の努力の成果と、自己の努力の成果とを交換するために、貨幣は欠くべからざる媒介であります。ところが、自己の労働による生産物を提供しないで、この徴表を数多く獲得しようとするところに、経済社会の堕落が生じるのです。(……)そこで父の意見は、ひとは徴表という観念を放棄すべきだというのです。」
「だれもが一攫千金の夢を追っている。労せずして徴表を手に入れようと望んでいる。そして、その徴表たる貨幣が、労働の真実の表現たることを止めるとともに、だれもが貨幣を手離すことを惜しみはじめる。(……)そのときすでに、貨幣は物の交換の媒介以上の存在にのし上がってしまっている。あるいは、だれもがそれを信じてしまっている」


 ここの「徴表」とは、以前私が「貨幣の自走性」といい、hirokd267さんがもっと適切に「貨幣の物神性」(こちら参照)とおっしゃったもののことですね。結局のところ「富」ということです。
 第一次大戦でヨーロッパを押しのけ世界の一等国となったアメリカは1920年代にその資本主義を急伸長させますが、その必然的な反動として、いわゆる大恐慌が、1930年代にアメリカから世界に広がります(アメリカがこれを脱するのは1940年代前半、即ち太平洋戦争による軍需景気のおかげなんです。この点にかぎっては日本はアメリカに対してイバッテもいいかも>おい)。アメリカ共産党も、1930年代後半が最盛期だったみたいです。
 そして初期のメイスンものは、まさにそんな1930年代に書かれているのです。ラストでメイスンはこう述べます。
「あの男の云うことは真理だ。気づかぬほうがどうかしているのだ。証拠はちゃんと、あそこにあるじゃないか。おれの眼に入らなかっただけなんだ」
 ガードナーとアメリカ共産党、あながち繋がらないものでもなさそうに思ったのですが。


 

「万引女の靴」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 5日(木)21時18分15秒
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  E・S・ガードナー『万引女の靴』加藤衛訳(ハヤカワポケットミステリ56、原書38)読了。

 第13話。面白かった〜(^^) 決め手となった”交換拳銃”のトリック解明の何たるあざやかさ! まるで本格ミステリみたい、と一瞬思いましたが、しかし要するにメイスンを蛇蝎の如く嫌うホルコム部長の杜撰な捜査による見かけの構図に過ぎなかったわけですから、なんともはや。しかしそれが押し通されていたら冤罪となるわけです。案の定ホルコムは、途中で気づいたのだが強引に押し通します。警察機構の怖ろしさに読者は慄然とした筈。
 もっともホルコムのその強引さのおかげで、本来ならば(法律上は)刑に服さなければならない(正当防衛が認められなければ。そして客観的には認められ難い状況だった)者が、起訴されずに済むわけで、《法》というものの鵺的性格にこそ、慄然とすべきなのかもしれません。
 先回、「メイスンは法律を金科玉条としない」と書きましたが、もう少し正確に、「法を(利用はするけれども)絶対的な”規範”としない」と言い直します。
 平谷美樹『でんでら国』では、主人公の別段廻役(つまりお巡りさん)が脱法的正義と悪法も法なりの間で苦悩するわけですが、メイスンははっきりしています。警察機構に代表される「悪法も法」的態度こそ、メイスンの敵であり、牙をむいて立ち向かっていくべき相手なのです。
「いいかね、デラ、警察の困った点の一つは、彼らに想像力が欠けているという事だ」(160p)
 一般的に日本人は法によって定められたこと(お上と言い換えてもよい)を絶対視しそれに従順です。そういう社会的文化的性格だからこそ、鬼畜米英を題目のように唱え一億総玉砕を信じていたはずの国民が、8月15日があけるや、手のひらを返したように、占領米軍に向かってバンザイし、ギブミーチョコと叫びながら米軍ジープを追いかけて走る「ことができた」のですね。そんな国民は日本人だけです。米軍はベトナムでもイラクでもアフガンでも占領政策で失敗し続けていますが、唯一成功したのが日本なんです。
 ああ、話がそれました。何が言いたかったかといいますと、法は人が作るものであって、そうであるからには完璧なものではありえない。幾度も修正を重ねて良くしていくことはできるが、畢竟それは石原藤夫「助かった三人」の数学者の墜落と同じで、「完璧」に到達することは不可能なのです。
 そういうものを「規範」として受け入れ絶対視してしまってはいけないというのが、メイスンの立場です。では何をもって規範とすべきか。それは共感する想像力であろうと思います。それをメイスンは、法の上位に置くのです(メイスンがそう明言しているのではありません。私が当シリーズから読み取ったものです)。
 なにはともあれ、メイスンの警察権力(お上)に対する対抗心はそんじょそこらのものではありません。何が何でも一泡吹かしてやらずには措くものかというヴァイタリティが満ち溢れている。読者である庶民は、そこに快哉を叫ぶわけです。

 

「掏替えられた顔」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 4日(水)22時30分50秒
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  E・S・ガードナー『掏替えられた顔』砧一郎訳(ハヤカワポケットミステリ55、原書38)読了。

 シリーズ第12話ですが、文庫化はされていません(ちなみに13話、14話も)。ちょっと意外。シリーズ他作品と比べても全然遜色ありませんし、むしろ面白さでは上位にくるのではないか。どういう基準で文庫化されているんでしょうねえ。基準などないのか。まあハヤカワですからね*(笑)。
 前作で逃げるように(笑)東洋の旅へ赴いたメイスンとデラ。前作によれば、ホノルル――東京――横浜――神戸――上海――香港――シンガポール――バリ島という旅程なのですが、本書の舞台はその帰途。ハワイからサンフランシスコへの船上で二人は事件に出遭います。うーん。往路復路とも、ハワイに立ち寄ったということでしょうか(^^;
 ともあれ、舞台が客船上ということで、従来よりも新味があって(つまりクローズド・サークルもの)面白かった。本書も昨晩ひと晩で読了。やはり字で書いた連続テレビドラマでして、いくらでも読めてしまいます。これがテレビドラマだったら、物理的に次まで1週間待たなければならないわけですが、本だとそういう歯止めがありません。チェーン・スモーキングのように読んでしまいます。今夜も読みます。いかんなあ。
 メイスンは弁護士ですが、法律というものを金科玉条とはしないのですね。はっきりいってハッタリと詭弁です。それこそ法令の裏をかく論理(弁舌)のアクロバットがたのしい。しかも本人(というのはメイスンのことですが)は、自分は冒険家だ、イチかバチかの賭博者だ、と広言してはばかりません。要するにジョン・カーターと同類なんです。これもよい。
 ただしジョン・カーターと違うのは、1930年代(日本でいえば満州事変〜日華事変の時代)なのに、意外に自立する女性に好意的な点で、本書でも、上流階級(本書を読めばわかるように、やはり当時のアメリカは貧富の差の固定した階級社会なんですね)のサークルに向かって、引け目を感じず昂然としている娘、ベル・ニューベリの、その気っ風をメイスンは大いに好ましく思い、親身になって弁護します。それはベルがデラに大変よく似ているということでもあります。
「素晴らしくいい娘だね。あの娘に勝てるような女は、ぼく、たった一人しか知らないよ」
 というメイスンの言葉は、実はでデラへのプロポーズなのですが、メイスンは前作でもプロポーズしています。
「あなたの妻として、私、秘書の役目を続けてもよろしいの?」
「そりゃあ困るよ(……)君が働く必要はないさ」
「そのことですわ(……)私達は現在いいコンビなんですわ。それをあなたが私を妻として家庭に奉ってしまう(……)いいえ、大ペリイ・メイスン様、あなたは結婚生活に向く方じゃありません。スピードの中で暮し、怪奇に包まれた方ですわ。私があなたとともにしたいのはその人生ですわ」
(『カナリヤの爪』241p)
 今回も又、
「ちょっと待って。センチメンタルになるのはよしましょうよ。あなただって私と同じに家をもったりすれば、後悔するに決まっているわ(……)あなたには、べつに、奥さんなど、要らないのよ。あなたの要るのは、一しょに危ない橋をわたってくれる秘書なのよ」(本書288p)
 これは結局ガードナー自身の女性観であるわけです。まことに21世紀の現代においても、このような自立した職業婦人は(少なくとも日本には)なかなか少ないのではないでしょうか、あわわもとい、このような女性観を持つ男性は、現在でもそうはいないのではないでしょうか。

*本書の訳者の砧一郎は、巻末のデータでは昭和11年生れとなっています。本書は昭和30年の発行。つまり訳者19歳の訳本となる。へえ、学生時代に翻訳を売ったのか! しかしそれにしては(眉村さんの2歳下だというのに)訳文がいやに古風だなと不審に思って(否定ではなくむしろ歓迎)検索したら、訳者は1912年(大正元年)生れだった。それでナットク。ところが私の持っているのは1989年の第6版。おいおい30年以上もほったらかしかい、訂正しろよ(^^;

 

Re: 「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 4日(水)13時03分10秒
返信・引用 編集済
  > No.6196[元記事へ]

高井さん
>面白いことに、この編年体の記述から、いろいろなものが見えてくるんです
>個人的にも、たとえば自分が小学校に入学したころ、ショートショート界ではこんなことが起きていたのか、とか、そんなことも確認できます。
 ああ、その感覚は分かりますね。思いがけないものがつながったりして、一種のセンス・オブ・ワンダーですねえ。

>星新一デビュー60年、すなわちショートショートが還暦を迎える2017年までには……。
 60年ですか。そのうち45年くらいは私も並走してきたので、読んだらきっと、いろいろ思い出したりつながったりして感慨深いんだろうなと予想します。

 

Re: 「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:高井 信  投稿日:2015年 3月 3日(火)21時39分58秒
返信・引用
  > No.6195[元記事へ]

>  というのは冗談(妄想?)ですが、
 妄想ですねえ(笑)。
 ショートショートの書誌ではなくて、基本的には読み物です。各年の出版物や出来事を中心に、そこから派生する出版物や事柄をあれこれ書き記しています。すべてのショートショート集を網羅しているわけではなく、その時々に応じて、という感じですね。トータルで何冊に言及したのか、数える気にもなりませんけれど、表紙のスキャン画像だけで1000枚を超えていますから、それ以上であることは確かです。ちなみに、打ち出し冊子には500〜600冊の書影を掲載しました。
 面白いことに、この編年体の記述から、いろいろなものが見えてくるんです。個人的にも、たとえば自分が小学校に入学したころ、ショートショート界ではこんなことが起きていたのか、とか、そんなことも確認できます。これが存外に楽しい。
>  なにはともあれ、とにかくどんな判型であれ、きちんと刊行され、読者の手に渡るようになるのが一番大事であることは言うまでもありませんよね。
 ええ、そう思います。
>  じっくりと腰を据えて、よい物に仕上げていただけることを願っております(^^)
 ありがとうございます。
 星新一デビュー60年、すなわちショートショートが還暦を迎える2017年までには……。
 

Re: 「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 3日(火)18時02分3秒
返信・引用
  > No.6194[元記事へ]

高井さん
>現段階ではとことんやってやろうと思っています
 そうですね。このようなデータブックは、とにかく「細大漏らさない」ことが絶対条件ですよね。
 その意味では、可能ならば《新書》じゃなくて単行本。それも「書影がいっぱい」(しかもオールカラー)とのことですから、図鑑的な読み方にも応えられるようなサイズがほしい。とすれば多少お値段が高くなっても、今日の石原さんの掲示板に載っていた『SF百科図鑑』くらいの大判サイズになりますかねえ(→こちら参照)。できれば4968円以内に抑えていただければ(>おい)(^^;
 というのは冗談(妄想?)ですが、なにはともあれ、とにかくどんな判型であれ、きちんと刊行され、読者の手に渡るようになるのが一番大事であることは言うまでもありませんよね。
 じっくりと腰を据えて、よい物に仕上げていただけることを願っております(^^)

 

Re: 「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:高井 信  投稿日:2015年 3月 3日(火)07時41分43秒
返信・引用
  > No.6193[元記事へ]

 ご紹介いただき、ありがとうございます。
> 後継である《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》にも少しだけ触れて下さっているそうですよ。
 はい、触れています。
 非商業出版物もできる限り採り上げたいと思っていて、なかには1977年、江坂遊が某ペンネームで出した私家版ショートショート集も! 最終的にどうなるかわかりませんけれど、現段階ではとことんやってやろうと思っています。
 楽しくて、楽しくて。
 

「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 2日(月)22時01分3秒
返信・引用 編集済
   2月末で締め切られた「ベストSF2014」の最終結果が発表されていますね→こちら
 今回はずいぶん出足が遅くて、ひょっとして投票者一桁かと心配しましたが、締めてみれば例年と同じでした。よかった。(最後の最後で組織票みたいなのが入ったのはちょっと興が削がれましたけど。あれ、前にも同じことを書いたような記憶が)(^^;

 その森下さんのブログに、高井信さんの非常にたのしみな試みが紹介されています→書影がいっぱい
 高井信著「日本ショートショート出版史〔1957〜1997〕〜星新一とその時代〜」です。森下さんから引用します。
 「でもね、私的な原稿とはいえ、この「本」は凄いですよ。星新一さんがデビューしてから亡くなるまでの間に出たショートショート本を網羅する書誌。いったい何冊あるのか、すべて高井さんが蒐集したものでカラーの書影がついています」

 正確には(立派すぎますが)打ち出し原稿というものだそうです。まだ未完成ということです。しかしこれ、完成の暁には労作『ショートショートの世界』の続編ということになりますね。
 いやーこれは是非出版してほしいですー。読みたい、読みたい。
 はっきりいって、ショートショートに関する書誌学を試みているのは、私の知る限りでは、日本では(ということは世界でも)高井さん以外にはいません。非常に貴重なお仕事になると思います。
 仄聞するところによりますと、アマチュア出版やファンジン、同人誌にも目配りがなされているそうです*。われらが《MBSチャチャ・ヤング=ショート・ショート》についても当然記述があり、ここだけの話ですがその付けたしで、後継である《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》にも少しだけ触れて下さっているそうですよ。嬉しいなあ有り難いなあ(^^)。(註:但し現稿ではということで、完成稿では消えているかもしれません。そのときはアシカラズ)>おい(^^;
 詳しくは高井さんのブログをご覧ください。
 現在は識者にチェックしてもらっている段階で、完成はまだ先だそうですが、興味を持たれた出版社の方は、ぜひ高井さんにご連絡を。この掲示板を見ている出版社があるとは思われませんけど(^^;。出版社にコネがある方も、よろしくお願いします。

*たしかにショートショートを論ずるに、プロ作品だけに限定するのは、このジャンルの性格上片手落ちですよね。さすが高井さん、天網恢恢疎にして漏らさずです(あれ、この使い方間違ってます?)(汗)。
 

「カナリヤの爪」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 1日(日)23時23分23秒
返信・引用 編集済
  > No.6188[元記事へ]

承前
E・S・ガードナー『カナリヤの爪』阿部主計訳(ハヤカワミステリ文庫77、原書37)読了。
 シリーズ第11巻。面白かったです。しかし面白さの質が、これまでの作品とはいささか違っていました。
 まず訳文が従来のシリーズのそれとはちょっと違います。当シリーズ、複数の翻訳者が訳しているのですが、まあどれも似たり寄ったりの、ごくふつうの翻訳ミステリ文体。本書はそれに比べて独特の雰囲気があるのです。
 訳者の阿部主計という名は、はじめて目にしました。巻末の訳者略歴に主訳書の記載がありません。どうも訳書は本書だけのようです。明治42年生れとあります。訳者あとがきによりますと、乱歩の知遇を得ていたようで、昭和28年頃《宝石》編集長からガードナーを何か翻訳しないかといわれ、この「カナリヤの爪」を是非、となったみたいですね。つまり原書読みのアマチュアが、たまたま一本訳した、そんな感じだったのではないでしょうか。
 だからでしょうか、上に述べたように訳文の調子がちょっと独特なんです。乱歩っぽいというか講談ぽいというか、端的に言って古めかしい。
メイスン「どんなやつだ、大男?」
ドレイク「いんや、中型だね(……)大変な酔っ払いだ。しらふの時は何でもない人間だろうが、今は酔いっぷりを見せているとこだ。四はい呑めばいい男、五はい目には暴れん坊、というご存じの型ですよ。それから先は一ぱいごとにいよいよ戦闘的になる。わがはいの判断では現在十五はいぐらいの元気ですな」(49p)
 なんたって「ちんちんかもかもについても聞き出してくれ」(26p)ですからねえ(笑)
 ちんちんかもかもなんて言葉、本当に久しぶりに見ました。で見た瞬間、それまで何も思わずに当たり前に知っていたその言葉について、ふと思い当たった。
 ちんちんかもかも、って、もしかして元々の形は、ちんちんカモンカモンだったのでは!?(>おい)(^^;
 で、調べてみました。語源由来辞典では関係なさそうですね。でもホントかなあ。そこでちんちんカモンカモンで検索したところ約 11,300 件ヒットしましたから、人間の思考の質からして、あながちハズレでもなさそうな(笑)
 閑話休題。最初はとまどったのですが、読み慣れてくると、意外にメイスンものの雰囲気と水が合っているのです。
 ところがふと気が付くと、途中からごくふつうの訳文になっています。ははあ、これは編集部が手を入れたな、と勘ぐっていたら、また元の調子に戻った。その交替が何回か、行ったり来たりするのです。
 ひょっとしたら最初の文体は訳者自身作ったもので、訳が進み興が乗りスピードが出てくると、文体を作っていることを忘れてふつうの文体に戻ってしまい、またそれを思い出して最初の文体に戻る、というその繰り返しだったのかも、という気もしてきました。どうだったんでしょう。
 ストーリーはいつもの様に快調で一気に読了。包帯をむしり取るところなんぞ、まるで大乱歩。愉快愉快! しかしこの解決篇は無理筋でしょう(いや乱歩だから当然か)(笑)。ラストは、デラとメイスンが東洋行きの客船に間に合うよう、あとはよろしくと、大慌てで法廷を飛び出すのですが、これなんぞ、著者もこの結末には自信ないぞ、と、それでメイスンを船に乗せてしまったんじゃないかなあ。そんな気がしてなりません(^^;

 

Re: ベストSF2014

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 1日(日)19時24分40秒
返信・引用 編集済
  > No.6190[元記事へ]

 安くなるばかりか付加サービスも厚いのですね。これは昨日わかったことですが、マカフィーが無料で付いていました(ということで早速、現在入っている年間5000円前後のを削除しました)。
 しかし、それよりもなによりも今回変更するにあたって最大の動因となったのが、タブレットが無料でもらえるという釣り餌。パクっと食いついてしまいました(笑)。ただしこの商法が当たりに当り、現在品薄とのことでまだ入手していません。来週届くそうです。これが最大の楽しみ(^^ゞ

 

Re:ベストSF2014

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 3月 1日(日)14時31分43秒
返信・引用
  管理人様
>ケーブルテレビに一切合切まとめてしまうことで、何がしか安くなるようです。
そのとおりです。うちも、電話もテレビも、プロバイダーも、ケーブルテレビの会社で、セット料金になっており、安くついてます。(おまけに、携帯も、提携している電話会社にすると、もっと安くなる、といいます。携帯は、都合があって、昔のままですが)
まあ、確かに、工事が二手に分かれて、時間をとられたのは、管理人様と同じでした。
 



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