ヘリコニア過去ログ1504


神戸特集号四方山話

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月30日(木)17時59分15秒
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   ようやく拙作もだいたい形が整ってきまして、あと、語句や描写の変更はあるでしょうが、それは微修正の範囲内。土台からひっくり返ることはないと思います。ひと安心。
 ということで、心も安らかとなりましたので、本日改めて西作品と深田作品を再読しました。
 うーむ。昨日は、やはりまだもの狂おしいものが残っていたようで、きちんと読めていなかった。まことに申し訳ない限り(汗)。再読して両作品のレベルに改めて感嘆でありました。
 ぜひお楽しみにしていただきたいですが、昨日の説明にひとつ追加しておきますと、西作品はトアロードの北端のトアホテル、山手雑居地が舞台。一方深田作品は、トアロードの南端で、オリエンタルホテルは出てきませんが、旧居留地が舞台。ここは対照的なんですね。でも物語が三宮神社から始まる構成とか、かたや主人公がトミイ(富三郎)と呼ばれていたり、こなたはサム(沙霧)がいたりとか、素材は似ているんですね。まあモダン神戸が似させてしまうんでしょうね(^^;
 それに対して雫石作品はまったく方向性が違ってまして、もう読まれた方も多いと思いますから書きますが、長田の若松公園の鉄人28号とお台場のガンダムが斗うという巨大ロボットもの(違)。前二作が南北ならば、雫石作品は東西というわけで、非常にバラエティにとんだ誌面になりそうです(^^ゞ
 

着々と届いています

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月29日(水)17時24分34秒
返信・引用 編集済
   昨日は、あまりに何度も読み返したり睨んだりしすぎたためか、漢字がひとかたまりで認識できず各要素に分解してしまったり、文や熟語の意味も無化してきて、いうところのゲシュタルト崩壊ですね、一昨日時点では洒落た言い回しやがな、と自己満足していた文章が読むに耐えなく感じられてきたり、これはあかん、と諦めて寝てしまいました(^^;
 今日は感覚も戻っていて見直しを継続していたのですが、ほぼ全面書き換えみたいになってしまいました。
 うーむ。大丈夫か(ーー;

 そんな最中にも、原稿は到着するのでありまして、今日は西秋生さんと深田亨さんの玉稿を拝受。
 早速にも読みたいところですが、こんな状態ですから絶対影響を受けてしまうので、とりあえず自作を一段落させてから、さきほどキンドルに落としこんで、読了しました。
 いや両作品とも力作!
 しかも、なんか示し合わせたように似た設定、似たモチーフ、似たプロットで驚いた。
 ところが読中の肌触りや雰囲気、世界の見通しや明度や彩度は、これはまったく西作品であり、深田作品なのですねえ。さすがさすが。感服いたしました!
 みなさん、読んでみたくなったでしょう(笑)。ぜひお楽しみに~!
 ところで、現時点で、雫石さん47枚、西さん31枚、深田さん35枚、私20枚強、あと段野さんも短篇完成済みとのことで、あと何人参加してくれるかな、これはもはやショートショートじゃなくて短篇集の様相。看板に偽りアリかも(^^;

 

「風立つ高原の文芸誌 ぜぴゅろす」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月27日(月)23時16分8秒
返信・引用 編集済
   清里の森在住の櫻井節さんより、「風立つ高原の文芸誌 ぜぴゅろす」(2015・春)第11号を戴きました。ありがとうございました。
 櫻井節さんは、若き眉村さんが健筆を振るわれた詩誌「捩子」を主宰されていた方です。まだ読めていませんが、目次には色川大吉の名前が見えます。
 本誌も「宇宙気流」といっしょに、黄金週間大宴会に持参しますのでお楽しみに~。
 

「魔耶山の道教寺院」は、少し手を入れて19枚。
 いやストーリーはまったく加上していません。ひと晩寝かせると、独り合点な描写(というよりも圧縮)が客観的に見えてくるんですね。その部分を訂正していくと(開いていくと)、だんだん分量が増えていきます。同時に無駄な描写の掃除も進めているんですが、差し引き増加していくようです(^^;

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン参加作品

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月26日(日)23時55分10秒
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  > No.6277[元記事へ]

 ちょっと手直しして、17枚。タイトルも「魔耶山の道観」か「魔耶山の道教寺院」に変更します。いやこれからも転々と変わっていくと思います(^^;

 『新・水滸伝全6巻合本版』は50パーセント。『完訳水滸伝』を対照すれば、第4巻170頁あたり。この辺は、むしろ原典のほうがストーリーの運びが早いようです(^^;
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン参加作品

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月26日(日)14時32分48秒
返信・引用 編集済
                     ○
 一応脱稿しました。ほっ。タイトルは「魔耶山縁起」。16枚。
 もちろんこれから締切日まで寝かしたりころころ転がしたりしながら、研磨していくわけですが、とりあえずアナをあけずにすみそうで、ひと安心です(^^)
 追記。しかしこんなふうに着地するとは。唖然呆然の結末。まあファン創作ですから(>おい)(^^;
 

甲子園勢が異常に強すぎるんですが。5位のくせに(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月24日(金)23時39分51秒
返信・引用 編集済
 
 大野万紀さんも絶賛!
 元ツイート

「キヨモリの鍵」は今夏刊行予定の《チャチャヤング・ショートショート・マガジン神戸特集号》への収録が決定しております(^^)

 

眉村さん情報:藤本義一文学賞の審査委員に

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月24日(金)21時08分35秒
返信・引用 編集済
   深田亨さんより、今朝の神戸新聞から切り抜き記事の画像いただきました。ありがとうございました。神戸新聞サイトにもアップされていますね→藤本義一さんの精神受け継ぐ文学賞 作品募集

□ジャンルは現代小説かSF小説で、課題となるキーワード「帽子」を使用した未発表作品が対象。
□分量は400字詰め原稿用紙に15~30枚で、原稿用紙を使わない場合、30字×40行のA4版に縦書き10枚以内。
□締め切り:7月31日(消印有効)までに郵送
□審査委員に眉村卓さんも!

     15枚から30枚
 うーむ。10枚から15枚って、皆さんがいちばん得意な枚数ではありませんか(笑)
 訂正。わ、何を勘違いしたんでしょうか(>無意識の願望?)(汗)

 
 

OlyOlyOlyOH! YelyYelyYelyYEAH!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月24日(金)20時41分5秒
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  > No.6273[元記事へ]

段野さん
>この後の作品について、京の町を舞台にしたものもあります
>また、スピンオフみたいなものもあります。
 いっぱい書いてはるんですね。というかそれだけ書けるのが素晴らしいです(^^)
 私なんか、年に一個アイデアが生まれたらいい方で、そのアイデアが使い物になるかどうかは、また別の話ですからねえ(^^;
 神戸特集、裏返してパンパンとはたいても、全くなんにも出てきません(>おい)(ーー;
 

「織り屋おりん」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 4月24日(金)17時03分19秒
返信・引用 編集済
  雫石さま、管理人さま
ご紹介頂きましてありがとうございます。
昨年の作品でありますが
お褒めのお言葉、ありがとうございます。
この後の作品について、京の町を舞台にしたものもあります(完成済です)
また、スピンオフみたいなものもあります。ぜひとも、読んで頂ければ、ありがたく存じます。
 

「新・水滸伝」合本版(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月24日(金)00時43分21秒
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  > No.6270[元記事へ]

『新・水滸伝全6巻合本版』は35パーセント。
 5%しか進まなかったのですが、『完訳水滸伝』だと、はや第3巻の50頁前後なんですね。どうやらこの辺は端折るパートのようです。
 というのもうべなるかな、このあたり景陽岡の人食い虎を素手で殴り殺した武松が、その手柄で陽穀県の役人に取り立てられ、偶然その町に流れ着いていた兄と再会し、兄夫婦の家に居候するも、嫂が武松の男っぷりにメロメロになりちょっかいを仕掛けてくる、そんな筋立ての章でして、三文小説に興味のない(大多数の)水滸伝ファンには詰まらない部分かもしれませんから(^^;

 あ、小説といえば私は本稿で、『新・水滸伝』に就いて原典の小説化みたいな書き方をずっとしているわけですが、いうまでもなく原典自体が「小説」であるわけです。
 ただ、「近代小説」ではない。
 そもそも中国において「小説」というものが現れたのは、六朝の「志怪小説」からではないかと思います。それまでは「実録」とか「実話」(という体裁)だったんですね。その当時の読者には「虚構」をたのしむという楽しみ方はなかったのです(つい半世紀前までは、日本でも、それが虚構(嘘)であることをもって、小説を一段下に見る風潮がありました)。
 しかるにようやく志怪あたりから、「虚構」であることをわかった上でお話を楽しむことが始まり、唐宋の「伝奇小説」へと発展していきます。そして明代に入りますと、「三大小説」といわれる「西遊記」「三国志演義」そして「水滸伝」という大長篇活劇小説が完成します。
 ところがかかる「小説」は、「近代小説」(西洋からの輸入文化)とは全く別物なんですね。簡単にいえば「近代小説」は個人の心理描写が必要不可欠ですが、「三大小説」は講談の速記録みたいなもので、キャラクターはありますが、彼らは個人といえる心理を持っていません。各人名前は異なっていますが、中身はみな同じ。悪人はあくまで悪人なんです*。
 吉川英治版「水滸伝」は、その意味で「小説化」を図っています。とはいえ、やはり中途半端な小説化ではあります。その点、平谷版「水滸伝」は(これはまあ当然なんですが)言うまでもなく「近代小説」なんですね。
*同じく悪人の高俅にしても、平谷版の高俅は、どうも複雑な(複合的な)心理を持たされているような予感がしているんですね。後半でアット驚くようなどんでん返しがあるのではないか。当たるも八卦当たらぬも八卦、とりあえず明記しておきましょう(>おい)(^^;

 

「織り屋おりん」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月23日(木)14時35分44秒
返信・引用 編集済
   おお、雫石さんによる篁はるか『織り屋おりん』(諷詠社、14)の書評→とつぜん読書室

 グリエルは“掛け持ち”の不幸な第1号
 これは可哀想。バックレて当然かも。
 私も、ほんの一時期でしたのでなんとか耐えましたが、朝、始発から二本目の電車で出勤し、帰りは22時で、週休2日のうち一日はサービス出勤、それは開店と閉店の作業のためなので、昼間は映画館で映画を見て潰したり、という時期があって、そのうち頭もだんだんと働かなくなってくるのです。こんな生活が一生続くのか(いや客観的に考えれば一時的であることは知識では判っているのですが)と、一種のアパシー状態になったことがありました。グリエルもそんな気持ちにハマり込んでしまったんじゃないでしょうか。

 

「新・水滸伝」合本版(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月22日(水)22時27分7秒
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  > No.6269[元記事へ]

 『新・水滸伝全6巻合本版』は30パーセント。具体的には及時雨宋江が妾の婆惜に(梁山泊に逃れた)七斗星との関係を知られこれを殺す、その手前です。
 『完訳水滸伝』(全10巻)でいえば、だいたい第二巻の終盤あたりですね。正確には350頁中300頁。すなわち0.85巻)。
 ところで、先日は単純に比較してしまいましたが、『水滸伝』の原典には、「120回本」と「100回本」と「70回本(71回本)」の三種があるそうで、「100回本」がオリジナルに近いらしいのですが、人気があったため、後に20回分書き加えられたのが120回本です。
 一方、ほんとうに面白いのは、梁山泊に108名が集うところまでなんだそうで、その面白い部分だけにしてそれ以降をカットしてしまったのが70回(71回)本です。
 『完訳水滸伝』(全10巻)は、この「120回本」を翻訳したものなんですね。
 『新・水滸伝』は吉川英治が亡くなったため未完で終わっているんですが、丁度108名が揃ったところまでは書かれていたのです。即ち実質的に70回本の小説化になっているのです。
 ですから今日まで私が読みすすめた分、全6巻合本で30パーセント分に対するに、完訳10巻本で1.85巻分(18.5パーセント)をもって、小説版の端折りの度合いを云々するのは、ちょっと不適当と言わざるをえない。
 より厳密には、70x30%と、120x18.5%とを比較すべきで、そうしますと21対22.2となり、実は進捗率はそんなに変わらないのでした。
 これはどういうことかといいますと、吉川英治版は「端折り」つつ「膨らませて」いるということです。まさに原典にメリハリを付けたのが、吉川英治版『新・水滸伝』なんですねえ。

 

「新・水滸伝」合本版(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月21日(火)22時07分7秒
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  > No.6268[元記事へ]

 『新・水滸伝 全6巻合本版』は20パーセント。
 豹子頭に続いて登場は、青面獣揚志。楊志もまた高俅の勘気に触れ、一兵卒に落され北京へとばされるのですが、北京守備隊の司令官梁中書に認められ憲兵の長に引き立てられる。さらに梁中書は、朝廷の太政大臣である義父の蔡京へ付け届けの、値十万貫に及ぶ金銀珠宝を都へ輸送する責任者に、楊志を任命する。
 一方、この情報を掴んだ赤髪鬼劉唐、托塔天王晁蓋、呉用先生、阮三兄弟に公孫勝の七斗星は、もともとは人民より絞りとった膏血にほかならぬところの、その荷を奪おうと画策します。
 ――というところまで。
 金銀財宝を運ぶことを任された男、対するはそれを奪おうとする者たち。いやーまるで冒険小説のシチュエーションですね。映画にもあったような(^^)。楽しみ~!

 追記。地図を見ていて気づきました。この北京(大名府)というのは、現在の北京とは無関係で、梁山泊より100キロほど西の、現在の河北省邯鄲市のあたりのようです。滄州が北の辺境のように描写されていたのに、さらに北京? と疑問だったのが氷解しました。

 

「新・水滸伝」合本版(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月20日(月)21時13分12秒
返信・引用 編集済
  > No.6265[元記事へ]

 承前。『新・水滸伝 全6巻合本版』は14パーセント。といっても一体どれほど進んだのか、皆目見当がつかず心細い限りではあります。
 ともあれお話は、主役が魯智深(魯達)から豹子頭林冲へと移り、高俅の奸計に嵌って、凍てつく北の果て(といっても現代の地図ではまだ北京の手前、天津辺だと思われるのですが)滄州の流刑地送りとなった林冲が、なおもしつこく(高の命で)林冲を亡き者にせんと追ってきた陸謙を、逆に斬り殺し、柴進大人のすすめで山東の梁山泊へ逃れるところまで(天津から山東はすぐ近くですね)。

 豹子頭林冲は、私もなんとなく覚えていました。というか思い出しました。子供心にもかっこいいキャラだったんでしょうね。余談ながらこの林冲、平谷版では少華山追討軍の将軍に任命され、史家村に出張って来ていました。これ又高俅の陰謀でして、罠に落ちた林冲は高の養子を殺し、出奔することになります。ぜんぜん違う話なのであります(^^;

 それはさておきウィキペディアを信用するならば、吉川英治版は、大筋では原典を忠実になぞっているはずなのですが、本当にそうなのか。心配になったので、図書館で吉川幸次郎訳の岩波文庫版『完訳水滸伝』を借りてきました。
 ざっと目を通しただけですが、はたして吉川英治版は原典翻訳版と同じ流れで、つまり列伝をしりとりのようにして繋いでいく形式で話が進行していました*。
 ただし吉川英治版も原典そのままではなく、端折っているといいますか、摘まんでいるといいますか、メリハリが付けられていて、なくても通ずるところはどんどん跳ばしているようです。
 偶然なのですが、私が読んだ(6巻合本版で)14パーセントが、ちょうど吉川幸次郎訳『完訳水滸伝』(全10巻)の第1巻に相当していました(つまり10分の1)。14パーセントは大体7分の1ですから、メリハリの程度がこれで分かるんじゃないでしょうか。

*それはそうと、吉川幸次郎の翻訳、講談調なんです。たとえば各回(巻)の終りは「はてさて林冲の命、いかが相成りましょう、まずは次回の講釈にて」みたいな引きになっていて、翻訳版もなかなか面白そうなんですよねえ(^^;

 

Re: 「水滸伝(一)九紋龍の兄妹」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月20日(月)17時40分9秒
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  > No.6266[元記事へ]

 平谷さん
 お疲れ様です。「水滸伝」、愉しませてもらっていますよ(^^)

>「水滸伝」ファンには怒られてしまう作品になっているかもしれませんが
 史実(必ずしも事実ではないとしても)を全く等閑視した改変歴史小説だったら問題ですが(いやそれにしたって改変に納得できる論理的な理由のあるSFだったり、また『義経になった男』のように二重三重に史実に抵触しない仕掛けがあったりすれば問題なしですが)、水滸伝は歴史小説じゃないですからねえ。
 むしろ水滸伝ファンこそ、ヴァリアントを楽しめるんじゃないでしょうか。
 その意味でも平谷水滸伝を読む前に、予備知識として原典訳にあたるか、せめて吉川版を読んでおくと、より平谷版を愉しめるように思います。
 続巻を期待しています!

 

Re: 「水滸伝(一)九紋龍の兄妹」読了

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2015年 4月20日(月)00時54分4秒
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  > No.6264[元記事へ]

管理人さま
感想、ありがとうございました。
業務連絡、ありがとうございます。直したつもりの部分でありました(汗)

「水滸伝」ファンには怒られてしまう作品になっているかもしれませんが、わたしは楽しみながら書いています(笑)
現在、三巻目を執筆中です。


 

「新・水滸伝」合本版

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月19日(日)19時37分56秒
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   昨日の続きですが、平谷版『水滸伝』がどれくらい原典離れしているのかを知りたくなって、キンドルを検索していたところ、吉川英治『新・水滸伝』を一巻に合本したものがヒットしました。それも二種類。ゴマブックス株式会社全三巻セット版と、MUK production全6巻合本版です。
 これがなんとなんと、前者は95円、後者が99円と、信じられないような価格なのです。びっくりしたのですが、考えたら吉川英治は既に著作権が切れていて、青空文庫に多数収録されているんですね(ただし『新・水滸伝』は作業中で未収録)。
 で、この二種の合本版の元版なんですが、前者は全三巻となっていますから、おそらく六興出版吉川英治代表作品普及版(71刊、絶版)ではないかと推測されます。一方、後者ですが、全6巻ということから、初刊本である講談社版(60~63刊、絶版)を元版としていると思われます。
*ついでにいえば、紙版で現在流布している講談社吉川英治歴史時代文庫版(全四冊)は、一冊799円(キンドル版648円)で、おせっかいながら計算しますと4冊で3196円!(>おい)(汗) なんかバカバカしくなっちゃいますね。
 かくのごとく、この95円本と99円本、最初はあまり考えずに安い方を買うつもりだったのですが、元版が違うことがわかったので、内容確認のため、無料サンプルをダウンロードしてみました。
 するとかなり重大な相違があることが判明したのでした。うーむ。

 内容は(当然)同じなんですが、前者は会話文に ”『』”が使われています(後者はふつうに ”「」”)。
 それから確認した範囲では一箇所だけなんですが、前者にOCRの読み取りミスらしいのが残っていました。
 あと、漢詩の部分があるのですが、前者では漢詩の書き下し文なのに”ひらがな”になっているんですね。こんな風に――
(前者)
   とどこお りゅういん     しゅき
風は滞る柳陰太平の酒旗

 対して後者はカタカナ。いかにも書下し文らしくなります。
(後者)
       トドコオ リュウイン     シュキ
  風ハ滞ル柳陰太平ノ酒旗

 しかも前者はひとマス目から詩を引用しているのに対し、後者は2マスあけています(見え方がそれらしくなっているわけです)。
 以上より(わずか数十頁の確認からの結論ですが)、前者は後者に比して、編集作業がぞんざいな感じがしました。
 ということで、4円も高くなるんですが、読書時のストレスを考え、涙をのんで99円の方を選択することに決定、購入したのでありました(^^;

 以上は前振りで、以下本文(>長い)(汗)。
 ということで、6巻合本のうち6パーセント読みました(電子本は頁数が分からないのが不便ではあります)。どうやら吉川英治版は、もちろん小説ですから各シーンやプロットは小説的に膨らませているんでしょうが、(ウィキペディアに突き合わせてみれば)ストーリー構成に関しては、外枠、原典を踏襲しているようです。
 そこから翻って平谷版をかえりみますと、これはもう、まったく原典離れしていると言って過言ではありません。
 吉川版では、高俅の嫌がらせで(というかまず高俅が如何に皇帝にとり入ったかの次第が吉川版にはある)王進は老母を伴って逃げ出し、ひょんなことで史家村で食客となり史進に武芸を伝授したのち、村を後にする。その後史進は少華山の山賊と親しくなるのだが、讒言で露見し官軍に攻められ、村民を少華山の三人に恃んで自らは王進を頼って延安府へと向かう。そして魯達と出遭う――
 というのが、私が読んだ6パーセントの内容なんですが、もう全然平谷版は違っています(^^;。しかも大雑把なストーリー上では、平谷版第一巻260頁に相当するのが、大体この6パーセントに収まっているのです。つまり設定だけ借りた全く別の、オリジナルな物語なんですね。これは驚きました。
 先日、ポピュラー音楽における「カバー曲」の例えを示しましたが、平谷版はもはやポピュラー音楽における「カバー曲」の類比にすら収まらないのですね。いうならばスタンダード曲を演奏するジャズのパフォーマンスという方が正しいかもしれません。
 第1巻で、これだけ原典から離れてしまったんですから、全体を通せばどれだけ離れてしまうのか*。ほんとうに楽しみになってきます。そして比較することに、何の意味もないことが分かりました(^^; というわけで、吉川英治版は吉川英治版として、別の物語として楽しむことにしましょう。
(*もちろんストーリーの骨格、ジャズで言えばコード進行は残っているわけです)

 

「水滸伝(一)九紋龍の兄妹」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月18日(土)22時48分21秒
返信・引用 編集済
  > No.6263[元記事へ]

 平谷美樹『水滸伝(一)九紋龍の兄妹』(ハルキ文庫、15)読了。

 承前。昨日は時間が取れなくて、今日ようやく続きに着手したんですが、始読忽ち没入、残り200頁を一気に読み終えてしまいました!
   面白いッ!
 原典ではプロローグに相当する、伏魔殿から百八星が飛び散るシーンがラストに嵌め込まれている構成もお見事。それは呉用によって語られるのですが、呉用によれば、百八星は固定化したものではなく、一人の英雄が死ねば、星は別の英雄に宿るんだそうで、これすなわち原典離れを行うためのあらかじめ張られた伏線・エクスキューズとみましたが、如何?(笑) というか、すでに九紋龍は二分割されていて、呉用も「半人前が二人いるから百九人だ」とのっけから人数変更が宣言されているわけです。
 耶律猝[火玄]は、ささっと検索した限りでは原典登場人物の中には見当たらず、著者の創作と思われますが、後の遼(契丹)との戦の中でどういう役割を果たすことになるのでしょうか、気になります。しかもこの耶律猝[火玄]を介して、『風の王国』の世界設定と繋がる可能性もあるのです(^^;
 いやー楽しみ楽しみ。続刊はいつ出るのか。やっぱり2か月後でしょうか。
 


 

「水滸伝(一)九紋龍の兄妹」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月16日(木)19時14分19秒
返信・引用 編集済
   『水滸伝(一)九紋龍の兄妹』は60頁。
 「水滸伝」のような、誰でも知っている*物語の再話は、原典からいかに離れるか、そしていかに踏襲するか、その匙加減が非常に難しいんじゃないでしょうか。原典そのままだったら、それこそ原典を読めばいいわけです。一方、これ水滸伝じゃなーい、と思われてもいけません。(*といっても私自身は半世紀前にアブリッジを読んだきりなので、ウィキペディアを参照したのですが)

 丁度ポピュラー音楽における「カバー」が同じ問題を含んでいて、とりわけ歌謡曲歌手に多いのが、それってカラオケやん、というやつ。これほどつまらないものはありません。カバーは原曲を、原曲の視点とは別の、それも全く思いがけない方向から捉え直してしかるべきで、聴者にまず、えっ! と驚かせ、しかるのち、ほほうなかなか・・と唸らせるのが、理想的なカバーであると思います。

 その点本篇は、なかなかうまく原典を料理しているようで、のっけから九紋龍が凛々しい双子の兄妹に、四紋龍と五紋龍に分割されてしまっているではありませんか。でもそうなると「百八星」はどうなっちゃうんだろう、と要らん心配をしてしまうわけですが、それもまた後ろに興味を繋ぎますよね(^^;

 ストーリーも、原典では、王進が九紋龍を鍛えあげて村を去った後に、盗賊の襲来があるところを、王進の在村中に襲来があるように変えられている。これは原典の2つのプロットをひとつに圧縮しているわけで、ストーリーの進行を促進する意図だと思われますが(まあ与えられた紙幅は決まっているのでしょう)、本書を軽快化させることに成功しています。
 原典や原典を踏襲する再話で既読の読者も、これなら興味津々で読み進められますね。いやーつづきが楽しみ、楽しみ!

 業務連絡。17頁4行目と19頁最後の行。
 

Never been to shinkaichi

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月15日(水)22時44分38秒
返信・引用 編集済
   昨日読んだ『大阪夢現地図』の続きですが、というか、その11話「夢の映画館」を読んでいるとき、ふと思いついたのですが――
 映画館って、映写室――と言うと違いますね、スクリーンがあってそれに向って椅子が並んでいる当の部屋(なんていうのでしょうか。視聴覚室?)に入ってしまったら、どこの映画館もあまり違いがないような気がします。大体薄暗くて周囲はぼんやりとしか見えませんし。そう思いませんか。
 とりあえずそう思って下さい。
 そうしますと、夢中になってみていた映画が終わり、ふと我に返ったとき、あれ、ここはどこの映画館だったっけ、と一瞬見当識障害が起こったようになり途方に暮れたりすることが、ありそうじゃないですか。あるいは今いる映画館ではなく、なんとなく別の映画館で見ていたような、そんな偽記憶が咄嗟に作られて、余韻に浸りながら半ば無意識に扉を開けて通路に出た途端、もしくは映画館から出た途端、わ、ここはどこ? となったりすることが、あってもおかしくないように思うんですよね。いや私自身はまだそんな経験はないのですが、なんとなくありそうじゃないかと(汗)。
 で、ここからが妄想。そんな経験を何度かしたことがある主人公が、映画館から出て驚いた。なんとそこは、主人公が学生時代、よく通った、今はもう無い、新開地の新公園劇場だった。いやロマン座でもどこでもいいのですが(^^;
 そこで懐かしくなって、いまはもうない新開地を見物しようかと思ったのだが、まてよ、元の世界に帰れなくなったらどうしよう。そうだ、いま映画館の中に戻って、もう一度映画を見てから出たら、元の世界に戻っているかもしれない、そうだきっとそうだ、とふたたび、映画館に入っていく……
 という話を思いついたのでした。しばらくアイデアを弄んでいたんですが、けっきょく却下。理由は、当時の新開地を私が知らないから(^^;
 細部や雰囲気を知らなかったら書けるはずがありません。自分が知らない土地を小説の舞台に使ってはいけない、とは、眉村さんの鉄則の第一条ですからねえ。

 ということで、平谷美樹『水滸伝(一)九紋龍の兄妹』に着手。まだ30頁ですが、のっけから面白い!
 
 

「大阪夢現地図」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月14日(火)20時54分15秒
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  > No.6260[元記事へ]

 北野勇作『大阪夢現地図』(パブー、発売日不明、初出98)読了。

 承前。主人公の生活から、どんどん夢とうつつの境い目がなくなっていきます。第4話「夢の洋菓子店」では、主人公の嫁さんが、夢の中の行きつけのケーキ屋でうっとりケーキを食べている最中に(それも一番美味しいのを後回しにしていたのに)、そんなこと知らない主人公が起こしてしまいます。
 奥さんもうカンカン。主人公は夢の中で、ケーキにかぎらずものを食べたという記憶がない、といいますと、奥さん「そんなら今度連れてったるわ」「どうやって?」「店の前から電話入れるからおいで」
 と、電話がかかってきて、そんな所あったかなと首を傾げながら、言われたところに行くと、ケーキ屋があり奥さんが立っている。
 ――という具合にシームレスで繫がり、もはや夢と現の区別は意味がなくなってしまいます。

 ふだん現実で見慣れている場所であっても、何ほどか歪んで存在していて、しかし完全な夢ほど曖昧としたものではなくて、一応くっきりしている。その辺はダリの描線がくっきりしているように、シュールレアリズム絵画に近い印象があります。描き方はリアリズムなのですね。そういう描写が、実に面白い効果を発揮しています(まあ北野作品は大抵そうなのですが)。

「夢の夜店」では、かめとアメリカザリガニを飼っている水槽にボウフラが湧いたので、その対策に金魚を飼おうということになり、近所の公園の夏祭りの金魚すくいに夫婦で出かける。ところが他の夜店は全て揃っているのに、金魚すくいだけ見当たらない。いかにも夢の中っぽいシチュエーションです。梅田に着くぐらい歩いて(そんなに夜店が広がっているはずがないのに)ようやっと見つけた店で、金魚すくい名人の嫁はんがガッサガサすくってお椀を一杯にするのですが、一杯になった途端、紙の網がばりっと破け、すると椀の中は空っぽなのです。この辺も夢のシチュエーション。何度挑戦しても同じで、有り金使い果たしてとぼとぼと家路に。と、ノックの音がして……

 面白い。でも、ザリガニと金魚を一緒に飼って、金魚は食われてしまわないのでしょうか。私は小学生のとき、ザリガニを二匹飼っていたことがあります。ところがある朝見たら、共食いして一匹だけになってしまっていました(>おい)(^^;
 あ、ダラダラとスジをばらしていたら全部しゃべってしまいそう(SF者のサガです)なので、このへんでやめますが、なにはともあれ、本書は北野勇作版「夢の中での日常」というべき好短篇集で、楽しめました。

 追記。この電子書籍、『大阪人』1998年1月号~12月号に連載という書誌情報はあるのに、発売日の記載がありません。電子書籍も書籍なんですから必須事項でしょう。バブーにはその点改善してほしいと思いました。
 

「大阪夢現地図」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月13日(月)23時25分33秒
返信・引用 編集済
   北野勇作『大阪夢現地図』に着手。
 本書は電子書籍(パブー)。普通にダウンロードしたんですが、横書きで、縦書変換できないんですね。ふと見ると、キンドルにもダウンロードできるようです。キンドルなら縦書にできるかも、とトライしたんですが、なにぶんはじめての試みゆえ、(パブーでの購入も含めて)けっこう時間がかかりました。しかし、キンドルでも縦書には変換できませんでした。悪戦苦闘の甲斐なし。いやそうでもないか。自前の文書をキンドルに落としこむ方法は分かりましたから。
 とにかく、電子書籍をいろいろ試したくてしかたがないわけです(子供ですな)。しかしそうであったとしても、本書をセレクトしたのには、それなりの理由がなかったわけではありません。
 初夏に刊行予定のチャチャヤング・ショートショート・マガジン(神戸特集号)、それがだんだんと頭に重くのしかかっているのです(締め切りまでひと月半)。まだ何も思いつきません。雫石さんは早くも40枚の短篇を完成させ、原稿を送って下さっているというのに。段野さんも完成し、GW大宴会で手渡しして下さるというのに。……
 というわけで、本書の舞台は大阪ですが、神戸特集の参考になるんじゃないかな、と、まあ不純な動機であります。

 主人公の”おれ”は小説家らしい。で、この主人公、特殊な能力がありまして、《夢》の中にいつの間にか入り込んでしまえる。そうして《夢》の中から、アイデアなり物語なりを持ち帰ってきて、それを小説にするのです。ところが、あまりに頻繁に往還するものだから、次第にコッチの世界とアッチの世界が侵犯しあうようになってき、主人公、ふと気づけば、コッチにいたはずなのにいつの間にかアッチにいたり、今自分がどっちにいるのか、にわかには分からないような感じになってきた。そんな主人公が歩きまわる「夢現」定かならぬ大阪をスケッチしたのが本書、という設定のようです。
 現在3話まで読みましたが、面白い! ことに第3話は、ロフトの近所からぐねぐねした路地を抜け、阪急の高架に沿ってさらに行くと、トンネルが現れる。そのトンネルを、自転車のライトを付けて進むと突然出口で視界がひらける。そこは打ち捨てられた廃線路が伸びる広大な広場で、空から落ちてきた空中庭園が、残骸をさらけ出しているのです……

 いやー、これはよいです。本書は全11話。続きがたのしみ~(^^)

 追記。そういえば、私は西と東を、ついうっかり逆にしてしまいます。本掲示板でも、一体何十回、(こっそり)訂正したことでしょうか。原因ははっきりしています。子供のころ、テレビで大相撲中継を見過ぎたせいですね(^^;
 

「聖徳太子の叛乱」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月13日(月)00時57分7秒
返信・引用
  > No.6257[元記事へ]

 豊田有恒『聖徳太子の叛乱』(徳間文庫97、元版91)読了。
 西暦587年、用明大王(天皇)が崩御し、一時的に大王位が空位となったその機に乗じて、物部守屋が穴穂部皇子を立てようと画策する。いち早く察した蘇我馬子は、先んじて佐伯連、土師連、的臣に命じて穴穂部皇子を誅殺し、その結果廃仏派は壊滅します。
 この史実に対して、本書が描いているのは、穴穂部暗殺が失敗し、逆に廃仏派が崇仏派に勝利した、今一つの時間線世界(並行世界)なのです。
 ただし(彼我の2つの並行世界の関係を描く)改変歴史物ではなく、単純に穴穂部皇子が大王となった世界における、廐戸皇子(聖徳太子)の活躍(?)の物語でして、SFとはいささか言いがたい(個人的にはヴィンス・エヴェレットものだったら、もっと嬉しかったのですが(^^;)。
 それよりも、都市ごとに異なる神を祀っていたりとか、穴穂部大王の后・刀自子(こちらの時間線では太子の后)の毒婦っぷりがいかにも生頼範義ふうだったりとか、むしろヒロイック・ファンタジーの感触に近いですね。

 暗殺失敗で、馬子は縛り首にされ、蘇我氏や(殆んどが仏教信者だった)大王家のメンバーは、殺されるか、そうでなければ散り散りに行方不明になっています。14歳だった聖徳太子も逃れて、吉野の水銀鉱山で働いたり難波で荷揚げ人足をしたり、4年間、各地を転々としていたのですが、18歳になった太子はふと故郷が懐かしくなり、ひそかに斑鳩に舞い戻ってきます。
 そこで太子は仏教徒の膳手の一族(こちらの時間線では聖徳太子の外戚氏族)や神道系ながらアマテラスとは別系統の三輪の神(大物主神)を斎奉る三輪氏と再会し、匿われ、ついに山背の秦河勝と連絡がつながります。太子はむしろ政治とは無関係に生きたいと考えていた。けれども、次第に反穴穂部の象徴的存在に祭り上げられていき……

 先に読んだ邦光作品が、史料の記述にとらわれすぎて、統一的な史観の維持に苦労していたのとは反対で、本書はいささか史料離れしすぎているかも(^^;
 それでも随所に豊田史観は窺えます。たとえば難波の港に着く船から右手に見える壮大なモニュメント(つまり仁徳陵)の説明では、伝説では今の王統の先祖らしいと言われているが実際のところは不明、みたいな書き方がされていて、河内王朝と継体王朝は実際には繋がっていないことが暗示されます。
 甲賀忍術が百済渡来というアイデアが秀逸。甲賀氏は応神朝に渡来した阿知使主に付き従ってきた渡来人なんですね(書紀)。しかし甲賀の里に定住してから忍術を編み出した可能性もあるわけです。
 そこのところ、豊田さんは書紀の「百済の僧観勒渡来、暦・天文・地理・遁甲方術などの書を献上する」を傍証とするのですが、実はこれ、推古十年(602)の記事なんですね(汗)。愉快、愉快(^^;。まあ、百済に遁甲という術があったのは確かなんですから、602年以前にも(例えば秦氏が私的に)輸入していても不思議ではないわけです(^^;


 

SS界の正岡子規

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月10日(金)23時05分12秒
返信・引用 編集済
   ツイート元


 

「聖徳太子の叛乱」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月10日(金)22時13分26秒
返信・引用 編集済
   豊田有恒『聖徳太子の叛乱』に着手。
 わ、本書、改変歴史物ではありませんか。
 史実では穴穂部皇子と廃仏派の物部守屋は、崇仏派の聖徳太子と蘇我馬子に攻め滅ぼされるのですが、本書では逆転していて、穴穂部が大王になっており、太子は追手を逃れて潜伏している。馬子がどうなったのかは、(まだほんの20頁なので)よく分かりません。
 たのしみ、たのしみ(^^)
 

 

ある事務所での会話

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 9日(木)23時23分29秒
返信・引用 編集済
    新疑惑 男性秘書への“手当”

 巻き舌秘書氏が「ワシの車に手かけるな」みたいなことをおっしゃってけつかってはりましたけど、その動画を見たとき、私は「なんで自分の車」みたいな言い方をするのか、事務所の車じゃないのか、と不審だったのです。記事を読んで謎が氷解しました。
 正しくは「ひとの車に当てるな」と言ったのですが、文脈的に、ここでの「ひと」は「他人(ひと)」の意味です。
 秘書氏が巻き舌で恫喝している当の記者を主体として、記者が手をかけているその行為が、記者からすれば他人のである車に、持主の了解も得ず、失礼千万にも無断で手をかける行為であること、そのことに対して怒って発せられた言葉だったわけです。
 つまり「他人(ひと)」とは「自分」のことを婉曲的に表現しているんですね。何と奥床しい。

 記事によれば、あの車は賃貸契約だったようです。とある会社に、月々9万4500円賃貸料支払って使用しているとのこと。で、この会社、1人しかいない取締役がなんと秘書氏。本店は秘書氏の自宅なんです。
 ですから秘書氏の(会社の)車を、議員(の事務所)が賃貸契約しているということになる。ですから「ワシの車」と言ったのは間違いではない。というか非常に正当な主張だったのですね。いやー疑って悪かった。
 私が想像するに、事務所で新たに自動車を購入(するか賃貸するか)しなければならなかったんでしょう。そんな話になったとき、秘書氏が、
「高い買いもんせんでも、私の車提供しますがな」
「いやいやそれはいかにも申し訳ない」
「それやったら月々僅かずつでももらっておきまひょか。この車でも普通に賃貸したら12、3万はしまっせ、そこを10万円、いや9万円も切って8万7500円(税別)で結構でおま」
「そうしてもらえたら助かります」
「なにをおっしゃる、わしもこの車のローン支払ってる最中ですさけ、その一部にでも充当できれば私も助かりますのや。こういうの、三方一両損て言いますんやろ」
「それも言うなら一挙両得とかウインウイン云うんとちゃいますか」
「あは、そう言うんでっか。わたい勉強はからっきしでしてん。からっきしのからっけつ~でおけつペンペン」
「何を一人で踊ってはりますんや。おもろい人やな」
「がははは」
 みたいな会話があったとみたが、如何(^^ゞ

 ということで、豊田有恒『聖徳太子の叛乱』に着手の予定。
 

「飛鳥残影」(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 8日(水)23時25分26秒
返信・引用 編集済
  > No.6254[元記事へ]

 邦光史郎『飛鳥残影』(徳間文庫88、元版74)読了。
 承前。聖徳太子薨御の結果、蘇我体制は持ち直し、山背大兄皇子も攻め滅ぼされる。但し山背大兄はさほどの器ではなかったみたいですね。蝦夷が、元来蘇我系の山背大兄ではなく、非蘇我系の田村皇子を押し立てたのには、田村皇子の后である法提郎女が馬子の娘で、既に古人大兄皇子を生んでいて、自動的に蘇我系天皇に回帰するという目論見だったんですね。ですから蘇我系とはいえ、反百済というよりも百済一辺倒政策に批判的だった太子の血統は、百済を運命共同体とする蘇我本宗家としてはこれを受け入れるより、ワンクッションおいてもそれは避けたかったということでしょう。
 その田村皇子(舒明天皇)も、【著者の解釈では】天皇が、蘇我の氏寺である飛鳥寺の七重の塔を超える九重の塔を要する百済大寺を建立したことで(蘇我の上に立つ気概を見せたことで)蝦夷の勘気に触れ、建立なるや火を放たれて焼亡し、がっくりした天皇はそれから二年後に崩御します。
(この百済大寺は実際は未完成だったのではないかという説が有力でしたが、1998年、吉備池廃寺で1辺が100m超の巨大回廊跡が発見され、ここが書紀に記された百済大寺跡であることが確定したみたいです。本書刊行が74年ですから、それから24年後です)
 丁度太子が隋に派遣していた南淵請安や高向玄理が帰朝した頃で、舒明天皇自体は聖徳太子の遺志を継ぐ気持ちがあったのかもしれませんね(私の感想です)。
 ともあれ、舒明の早すぎる死で、古人大兄につなぐリリーフとして舒明の皇后だった宝皇女が皇極天皇として即位する(舒明と皇極の子供に中大兄がいます)。
 ところがこのリリーフ女帝の時に、大化の改新が起きてしまう。結局古人大兄が天皇位に就くことはなく*、と言うか蘇我氏が滅んでしまうのです。(*一応辞退。ここも皇極は最初中大兄に譲位しようとするのですが辞退→軽皇子を推薦→軽皇子辞退→古人大兄推薦→辞退、これを三度繰り返し、軽皇子が孝徳天皇として即位する。中大兄の傀儡でしかないことが判っているし、ほいほい受諾すれば、それはそれで中大兄の心証を悪くするすることが判っている。中大兄って、源頼朝のような性格だったんだと思います。あ、私の感想です)
 ところで、このあたりからラストにかけて、著者は本篇を小説化物語化する気がなくなっています。ほとんど物語風の歴史解説書の趣。小説化するためには統一解というか、一本筋の通った史観がないと読者が納得出来ないんですよね。おそらくこのあたりから著者は史観を貫徹させることが難しくなったんじゃないでしょうか。
 それくらい、このあたりの書紀の記述は不可解なんですね。日本書紀の編纂は、天武天皇(一応天智天皇(中大兄)の弟)が始め、次の持統天皇(天武の皇后)のとき完成したものですが、このあたりは自分たち兄弟のことですから、かなり手を加えて隠したり創作したりしている結果だと思います。系図は後から繋いだもので、天武と天智も兄弟じゃなかったというのが真相ではないか。中臣鎌子なんて、まるでスガチャンみたいです。現代のネオリベみたいにドライで、どうもみても神祇系の中臣家の出とは思えませんねえ(私の感想です)。
 しかし大変興味ぶかい時代で、本篇はその辺をきちんと伝えていると思います。面白かったです。

 

「飛鳥残影」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 7日(火)23時56分46秒
返信・引用
  > No.6251[元記事へ]

 『飛鳥残影』は、240頁。聖徳太子の死まで。
 本書は、これと決まった主人公がなく、昨日読んだところは主に蘇我馬子中心に話が進んでいましたが、今日読んだところは聖徳太子に寄り添った叙述でした。太子亡きあと、だれの視点で進んでいくのでしょうか。今日の部分の最後辺りで中臣鎌子が登場したのですが、鎌子VS入鹿で進んでいきそうな気がします(蝦夷は凡庸だったみたいですね。豊田さんもそう描いていましたね)。
 それはさておき、対物部(対廃仏派)の構図においては、馬子と太子は同盟関係だった。というか、太子はまだ若くて馬子に対抗できるほどの人物ではなかった。それが齢を重ねるに従って、馬子に対して独自性を主張し始めます。
 それは端的に言えば、馬子の親百済路線に対して親新羅路線ということになります。
 この時代、百済は落ち目で、新羅の伸長が著しかった。ところが蘇我氏はもと百済人ですから、百済の敵国である新羅と仲良くするという発想はありません。百済は新羅に対抗できず、しばしば日本に援助を求めてきていて、馬子は軍隊も派遣したりして、今にも倒れそうな百済を日本が支えているような状態だった。
 そんな百済に先がないことはだれの目にも明らかでしたが、馬子的には死なばもろとも的な政策しかとらなかった(とれなかった)。
 太子は(蘇我系皇族ではありますが)、もっと自由な目で半島情勢を見ていた。合理的に考えれば、百済から新羅に乗替えるべきなのです。以前、聖徳太子と秦河勝が親密なのが不審で、河勝が崇仏だったからかもと妄想したことがありました(ここ)。本書の考え方は、親新羅に舵取りをしようとする太子の政策が、必然的に太子と河勝とを結びつけたとします。なるほど、たしかにそう考えるとスッキリ見通しがひらけますね(^^;
 しかし、太子は道半ばにして、馬子よりも先に亡くなってしまいます。といっても、馬子も後を追うように亡くなるのですが、一旦傾きかけた蘇我氏の権勢が揺り戻され、入鹿の時代が始まります。

 

リニューアル版「孤島の鬼」に脱落

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 7日(火)21時54分27秒
返信・引用 編集済
 
 
   http://www.e-net.or.jp/user/stako/20150404.pdf ←クリック

 
   http://nabariningaikyo.blog.shinobi.jp/Entry/2942/←クリック
 元ツイート

 リニューアル版購入者はPDFをダウンロードし製本して挟み込んでおくとよいでしょう。
 しかし春陽堂、毫もブレるところなし。見上げた根性ですね(>おい)(^^;

 
 

「光速エスパー」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 7日(火)19時53分28秒
返信・引用 編集済
   光速エスパー 第1話無料配信動画
 http://www.amazon.co.jp/gp/mpd/permalink/mB2GL8KXZN3MX

 子供のころ見ていましたけど、こういう設定だったのか。はじめて知りました。子供は設定なんか全然気にしませんからね。ただ「絵」を楽しんでいたんでしょうね(^^;。
 ストーリーは面白かった。
 のですが、科学考証にかなり難あり。脚本にSF作家は参加していないのでしょう。この種の番組で、SF作家が関わらなかったのは珍しいのではないでしょうか。

 

「飛鳥残影」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 7日(火)00時43分23秒
返信・引用 編集済
   邦光史郎『飛鳥残影』に着手。
 先に読んだ『古代史を彩った人々』で、「穴穂部皇子」の項のみ感想を記しませんでした。それは豊田さんの史観をもってしても、穴穂部皇子の行動が了解できなかったからです。
 本篇は、その穴穂部皇子が、亡くなった敏達天皇の殯宮に乱入し、そこで喪に服していた皇后・炊屋姫(のちの推古天皇)に狼藉を働こうとするシーンから物語が開始されます。穴穂部は、自分が敏達天皇のあとを継いで天皇になれかったのを、馬子と炊屋姫の陰謀と邪推(?)し、その腹いせにことに及んだのでした。あとさき考えるより先に体が反応してしまう乱暴者タイプであることが分かります。
 ところがその後も、廃仏派の物部守屋を後ろ盾に頼みながら、用明天皇の病気に際しては病気回復の祈祷をさせるために仏教の僧侶を連れてきて守屋を怒らせたりする。そもそも自分が天皇になりたくてしかたがないのなら、別に用明帝の回復を願わなくてもいいはずです。行動に一貫性がないのですね。
 その点においては、本篇もやはり豊田さんと同じく統一解を提出しえていないと思います。この辺が小説的に一本筋が通らず、読者(私ですが)を納得させられないところなんですね。

 で、気がつきました。実は、史実は正しいのかもしれません。直情型で、その都度その都度の感情で動いてしまう人間て、いるじゃないですか。アタマが悪いとまでは言いません。たとえ憎き用明天皇であっても、病に苦しむ姿を見ると、同情心が湧いて何とかしてやりたいと思う。そんな粗暴だけれど天真爛漫な性格だったのではないでしょうか。
 しかしそれでは、ときには権謀術数も張りめぐらさなければならない、上に立つべき帝王の資質とは程遠いですよね。用明天皇崩御後は、今度は弟が崇峻天皇となり、またもや穴穂部は帝位を逃します。天皇になれなかったのは、結局はそういう資質を馬子たちが見抜いていたからかもしれません。

 

差別的表現?

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 6日(月)21時06分57秒
返信・引用 編集済
   自民・谷垣氏:野党、批判と驚きの声
「バカでもチョンでもの」の「チョン」って、朝鮮人の蔑称なんでしょうか。私は違うと思うんですけど。チョンという言葉が朝鮮人に対する蔑称として使われだしたのは最近(ネットが一般化して以降?)のはずです。昔は使われなかったです(別の蔑称がありました)。
 一方「バカでもチョンでも」とか、「バカチョンカメラ」みたいな言い方は、私の子供時代から存在していました。このチョンの意味は不明ですが、私が今思いついたのは「、、」つまり「ちょんちょん」の「ちょん」ではないかというもの。このちょんは、「ちょぼちょぼ」とか「ちょっと」「ちょいと」などと同源ではないかと思い、大野晋の岩波古語辞典を牽いてみました。
「ちょんぼり:希少なさま。ちょっぴり」というのがありました。それから「ちょぼ:すこし。ちょっと」というのも載っています。あ、「ちょび:わずかなさま。ちょっと」も。
 つまり「取るに足らぬ」「達してない」というのが原義であると思われます。「バカでもチョンでも」のチョンは、こっちの意味ですね。朝鮮人とは無関係です。
 そうだとしますと、谷垣氏は全く謝罪する必要はなかった。ところが謝罪したのには、谷垣さんが「バカでもチョンでも」という常套句は知っていたけれども、その「チョン」が「取るに足らぬ」「達していない」の原義であることを知らず、最近広まった朝鮮人の蔑称と勘違いした結果です。なんのことはない、谷垣さんの教養がチョイとばかし不足していたということです。
 私の偏見かもしれませんが、どうも政治家って教養がチョビっとどころではなく、足りていませんよね。その代わり、何であれチョロまかすことにかけては天賦の才能を発揮します。(ちょろまかし:ごまかす。まぎらかす。人目をくらまして盗む。だまし取る。掠め取る。)
 どうも、そんな人がなる職業みたいです。三原議員や上西議員や竹内市議らの行状をニュース等で見るにつけても、「こいつらは国会議員市会議員じゃなくてチョロQ*議員じゃないのか」と憎まれ口を叩きたくもなろうというものです。(*死語?)
 とはいってもねえ、前の自民党総裁であった谷垣さんにしてこのレベルなんですから。またそれを追求する野党議員も程度(低度?)は同じ。もはや国会議員の一部にチョロQ議員がいるとなどという状況ではなく、国会自体がチョロ会化してしまっているのかも。10年後の日本がどうなっているか、いよいよ楽しみになってきました(^^;

 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 6日(月)17時23分14秒
返信・引用 編集済
   おいおい。
 元記事

 てゆーかこれ、まんま筒井康隆的擬似イベント世界ですな。(笑)

 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 6日(月)13時51分55秒
返信・引用
   →これはヒドい
 二番目のなんか特定できるのではないでしょうか。


 

「古代史を彩った人々」(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 5日(日)20時28分10秒
返信・引用 編集済
  > No.6246[元記事へ]

 承前。「空海」と「高岳親王」を読みました。
「空海」も、ある意味ライバルであった最澄と絡めて記述されていて、大変面白いです。
 ある意味と書いたのは、空海と最澄が、小乗仏教である南都六宗に対しては同じく大乗の同志であったけれども、大乗仏教の日本への移植者としてはライバルだった。ただし或る時期までは友好関係を保っていた、というなかなかややこしい関係だったみたいだからです。
 この両者の性格が対照的で面白い。
 最澄は近江の渡来人の出なんですね。とりあえず古代の淀川から山城、近江にかけては、完全に渡来人の土地だったんですね。で、最澄はいわゆる頭のキレる秀才で、私が思うに「それは論理に合いませんね」とか言い出しそうな人物だったようです。したがってその教義はきわめて明快で誰にでもわかりやすく、また教団の組織化や人材の育成においてもシステマティックだった。そのウラオモテですが、教義に思わせぶりなところがない分、庶民にすれば「有り難み」に欠けた。
 一方空海は、最澄の秀才に対して天才。もし現代ならば巨大広告代理店でブイブイいわせているような、アイデアマンでプロモーターでトップセールスマンだったんですね。人受けがよく会った人はみな彼を好きになってしまう。敵であるはずの南都仏教の俊英とすら仲良くなってしまいます。これは科学者タイプの最澄からすればとんでもない話だったでしょうね。(麻原彰晃がこんな感じだったんじゃないでしょうか)
 そんなわけで、天才プロモーターで自分を売り込むことに長けていた。そもそも空海が中国から持ってきた大乗は「密教」だったんですが、これなんかもあるいは空海の性格にピッタリだったから選択されたんじゃないでしょうか(最澄の大乗は顕教で、これも最澄の性格に親和的だった)。空海という稀代の人物と密教。この二つが合わさった「真言宗」は、何や訳がわからんけど有り難そう、という民衆の心理を掴んで、一時は最澄の「天台宗」を凌駕するのですが、両始祖が亡くなったあと、立場は逆転します。それは最澄がシステマティックな教団を作り上げていて、弟子も育っていた(不足していた密教成分も彼らが摂り込んだ)のに対し、一種山師的な空海は、そういうメンドクサイことをあまりしなかった。それでなくても難解な教義ですから、弟子たち自体、きちんと理解できてなかったのだそうです。つまり真言宗は空海一代の宗派だったのに対し、天台宗は最澄によって組織としての宗派に作り上げられていたわけです。いや面白いですねえ。

「高岳親王」は、あの澁澤龍彦『高丘親王航海記』の高丘親王です。本篇を読んで分かりましたが、澁澤作品のあの広州から出航した先の冒険譚は、なんの典拠もない虚構も虚構、100%澁澤の想像力の産物だったんですね(^^;
《「いま、在唐の学僧中瓘からの申状を得た。親王は、先に震旦を過ぎて流砂を渡ろうとして、羅越国に到ったという風聞があるが、旅の途上で亡くなった。亡くなった日は記録されてないが、このことを通報してきた者がいたため、明らかになった」
 資料は、これっきりなのだ》(220p)
(汗)

 高岳親王は空海の弟子の一人。上記の次第で空海亡き後の教義の空洞化を憂えて、中国へ勉強に赴いたのですが、すでに中国には真言密教の経典は殆んど何も残ってなかった。すべて空海が持ち帰っていたのです。つまり空海は、その天才を師に認められ、後継者に指名されて殆んどの経典を譲り受けていたというわけです。(私が思うに、空海の天才にケチをつける気はありませんが、そこにはやはり人を逸らさない、麻原なみの人懐っこさが大きくものを言ったのではないでしょうか)(^^;
 そこで親王は、中国よりさらなる発祥の地インドに向って旅立つのです。
 澁澤作品では、親王の渡航の動機は、漠然としたインドへの憧憬だったように思い出すのですが、本篇を読むと豊田さんは、そこにもっと複雑でコンプレクシファイドされた情念を想像されています。
 実は本篇は、高岳親王が広州から出発したあとは描かれていません。丁度澁澤作品が始まるところで終わっているわけです。それはもちろん史料がないからです(ちょっとだけ空想されていますが)。
 著者の執筆動機はそこにはなく、それよりもなぜ、そのような(無謀にも60半ばを過ぎてから)冒険に赴こうとしたのか、その心理の変相を描くのが主眼となっているのです。芥川的な心理小説の観点から言えば、本編のほうが面白いと言えます。もっとも澁澤にはそんな心理などどうでもよかったんでしょう。

 ということで、豊田有恒『古代史を彩った人々』(講談社文庫、93)読了。


 

「古代史を彩った人々」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 4日(土)23時36分54秒
返信・引用
  > No.6245[元記事へ]

 『古代史を彩った人々』は「坂上田村麻呂」を読みました。
 金髪碧眼(ちょっと嘘。正確には金髭茶眼)の武人、坂上田村麻呂の一代記。もう小説並みに面白いです。
 著者は、田村麻呂を日本の金ユ信と言ってますね。どちらも優れた武人戦略家にして、政治への野心をもたず、時の王や天皇を佐け(金ユ信は金春秋即ち武烈王、田村麻呂は桓武天皇)、軍人なのに天寿を全うし、後世その評価が高まりこそすれ、決して悪化することがなかった点などですね。
 本篇は、田村麻呂の一代記ですが、それに大いに関わってくる桓武天皇の一代記でもあり、且つ終生のライバルであった大酋長アテルイとの敵味方を超えた「英雄、英雄を知る」ところの友情の物語でもあります。いや、このへんは既に「眼光背に徹した」想像の世界というべきです。揶揄しているのではありませんよ。小説家の評伝はこれでいいのです。大体史料が皆無なんですから(^^;
 それにしても、桓武天皇の周囲は、本当に渡来人で固められていますね。あらためて認識させられました。母親の高野新笠は間違いない百済人ですし、天皇を支えた二人の軍人、百済王俊哲も坂上田村麻呂も渡来人の家系です。というか、おそらく曽じいさんさんの天智天皇からして、渡来系の色濃い政権だったわけで、天智は近江に遷都しますし、桓武は長岡そして京都に遷都するのも、この家系の渡来人との関係の濃さを傍証すると思います(あ、このへんは豊田さんじゃなくて私の妄想です。為念)。一方、天武天皇は吉野、名張から尾張にかけて勢力があったところなど、ひょっとして山人系(土着系)の基盤があったのかも。その意味でも、この二人が単純な兄弟関係だったとは、ちょっと考えられないんですよね。
 それにしても田村麻呂が「金髭茶眼」だったというのはいろいろ想像が膨らみます。坂上氏は古渡才伎である東漢氏から分かれたとなっていますが、これも単純には受け入れがたいですねえ。

 

「古代史を彩った人々」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 3日(金)22時33分56秒
返信・引用 編集済
   このところ何かと仕事が慌ただしいところへ、電書店の比較調査みたいな、別に今やらずともよいことにかかずらったりして、なかなか紙の本を腰を据えて読む気分にならなかったのですが、ようやく『古代史を彩った人々』に復帰。
 本篇は古代史上の重要人物の軽い評伝という体裁で、神武天皇、穴穂部皇子、蘇我入鹿、金ユ信(ユ=庾)、坂上田村麻呂、空海、高岳親王を取り上げています。現在金ユ信まで。
 こういうの書かせたら、豊田さんの右に出るものはいませんね。まさに独壇場。面白いです。
 書紀に従えば、神武天皇の生年は紀元前721年となるわけですが、「日本では縄文時代の晩期にあたる」。こういうのがSF的視点というやつで、「事実」ではないことを直感的に理解できますよね。実際、狩猟採集時代の縄文晩期に、一体だれが当時のことを文書にしていたと云うのか、と思い至れば、当然ですよね
(*但し最近は弥生時代を縄文晩期に遡らせる新説もあるわけですが)(^^;。
 そういう次第で、豊田さんは「神武天皇は存在しなかった」という立場です。(*後代の崇神天皇等のなした事跡から一部を切り取って、神武という架空の天皇を創作した)
 これは歴史学的には正統派ですね。私もそのとおりだと思っています。(*一方解説の安本美典さんは、神武も欠史八代いわゆる葛城王朝の各大王は実在した。但し書紀の在位年は修正するという立場です)

 蘇我氏を、日本に渡来してきた百済の有力な家系としているのもまさに同意見です。のちに百済滅亡後、日本にいた豊璋が、遺臣の求めで百済に帰って国王に推戴された話は、『渡来の古代史』を読んだ際に紹介しましたが、豊璋がなぜ日本にいたのかはよくわからないそうです。豊田さんは、蘇我氏は日本の天皇家を倒したあと、この豊璋を立てて百済分国を作るつもりだったのかもしれない、と書いています。面白い!(*ただし豊璋は王の器ではなかったと書いていますね。私も上掲書の感想文で同じことを書いています。でも、ふと気がついたのですが、ひょっとしたら豊田さんの別の本で読んだ知識を、元ネタを忘れて自分の考えと思い込んでいるだけなのかも。それくらい豊田史学には多大の影響を蒙っております)。

 金ユ信、金春秋あたりの新羅史は、実はあまり勉強できていないんですね。三韓の記紀に相当する「三国史記」は、百済本紀と高句麗本紀は繰り返し熟読したものですが、新羅史は最初の部分(赫居正や昔脱解あたり)は読みましたが、そのあとはちゃんと読んでいず、今回はじめて、金ユ信、金春秋の関係をきちんと理解しました。(どうも日本人は百済びいきで新羅を嫌うのでいけませんね。血のなせるところなんでしょうか)(^^ゞ

 

眉村さん情報:中之島図書館メルマガ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 2日(木)23時58分6秒
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日本のプーチン

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 2日(木)18時14分24秒
返信・引用
   菅官房長官はミニ・プーチンか(村田基の逆転日記)

 私はヒムラーかと思ってましたが、プーチンでしたか(^^;
 上のブログによりますと、スガッチは秋田生まれなんですね。秋田が美人の産地であるのは有名ですが、それについては白系ロシアの血が混じっているためという俗説があります(ウィキペディアは完全否定してます)が、もしそれが事実だとするならば、当然男性にもロシアの血が流れていて当然のはずです。
 村田さんが、
 >押しが強く、頑固一徹
 と、評するところのスガッチの性格は、そう言われてみれば、たしかにロシア人ぽいといえるかも(^^;
 ロシア人が頑固で妥協しない(それとウラオモテな粘り強さ)というのはよく聞きますよね。あの長大なカラマーゾフや戦争と平和は、まさにロシアの産物です。
 確認のため検索したところ、こんなページがヒットしましたから、あながち見当外れでもなさそうです→ロシア人は頑固者が多い?ロシア人は頑固者が多い?その2
 あ、こんな曲まであるのか(汗)→ロシア人はラバのように頑固だ
 アベちゃんはお子チャマですから、オモチャを与えたらすぐ懐柔できそうですが(実際会ったことのある人は皆、いい人だと言うそうです)、スガちゃんはそうはいきませんよ。政権で一番恐ろしいのは長官じゃないでしょうか。あの絶対零度の目が恐ろしい。むしろ総理が使えないとなったら、ぽいっと放り出してしまうような気がします。ヒムラーはヒトラーを見限り、逆に粛清されてしまいましたが、長官はそんなドジは踏まないと思いますねえ(^^;
 



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