ヘリコニア過去ログ1506


Re: BSジャパン

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月30日(火)23時41分33秒
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  > No.6391[元記事へ]

 段野さん
 おお、そうでしたか。私も気がつきませんでした。

>(遅い、遅すぎますよね。
 タイムトラベラーでない限り、たしかに。
 昔を今になすよしもがな、であります(^^;

 

BSジャパン

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 6月30日(火)15時16分1秒
返信・引用 編集済
  番組表を見ていて、ふと気づいたのですが、「私の履歴書」が、BSジャパン月曜日夜11時00分から放送されていました。その放送が、前日午後6時30分からの放送分なのかはわからないのですが、再放送があるかも知れないということです。見逃された管理人様、どうでしょうか。(遅い、遅すぎますよね。すいません)
 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便とBSジャパン

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月29日(月)23時13分15秒
返信・引用
  > No.6389[元記事へ]

斎藤さん
 早速ご報告ありがとうございました。放送された内容が、とてもよくわかりました。
 小松さんの映像もあったんですね。それは見たかったです。
 しかし、後篇もあるのですね。次回は大阪万博ですか。楽しみです。
 今度は見逃さないようにしたいです(^^;
 斎藤さんには、またなにか情報がございましたら、書き込んでいただけると嬉しいです。
 よろしくお願いします。


 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便とBSジャパン

 投稿者:斎藤  投稿日:2015年 6月29日(月)19時40分37秒
返信・引用
  > No.6387[元記事へ]

こんにちは。
昨日の小松左京さんの「私の履歴書」の内容を簡単に報告させて頂きます。
今回は前篇で、「日本沈没」がメインテーマでした。
小松さんがなぜSFを書こうとしたか、戦争体験との関係、そして戦後高度経済成長という状況の中でなぜ日本沈没を描いたのか、ということを、小松さんご本人の語り映像を交えて丁寧に伝えていました。
この番組の中で眉村さんは小松さんと同世代SF作家として紹介されました。
ほんのわずかの時間の登場ですが、2度登場し、小松さんの描く未来の視点についてや、作品を描く上での小松さんの博識さについて、一言程度ずつでしたが、お話されました。
小松さんの「超」の付くような博識さ、という眉村さんのコメントの後に、日本沈没のための計算の資料や、使用された電子計算機などが紹介されました。
小説を書くためというよりは、学術論文執筆のためというくらいのすごさだと思いました。
眉村さんは、場面の切り替わりタイミングで登場し、次の場面のキーワードを紹介するというような役回りに見えました。
とてもお元気そうで、ちょっと早口な感じの口調は相変わらずという感じでした。
次回後編は、大阪万博プロジェクト参加から始まるようです。
今回の眉村さんの登場の仕方から推測すると、次回も登場されるのではないかと期待出来そうです。
とても面白い番組でした。
 

眉村さん情報:産経連載第三回

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月29日(月)17時51分12秒
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  > No.6324[元記事へ]

 それから、これも実はうっかり忘れていました(汗)
 斎藤さんの投稿で、こちらも同時に思い出し、あわてて図書館で写真に撮ってきました。ああアブナかった。
 それにしても、小学校4年生で、この試練――辛すぎますねえ。
 

 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便とBSジャパン

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月29日(月)17時43分15秒
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  > No.6386[元記事へ]

 段野さん
 ご教示ありがとうございます。「私の履歴書」を元にしていたのですね。
 だったら、読んだことがありました。
 小松さんの「私の履歴書」は、通常のシリーズからは出版されず、『小松左京自伝―実存を求めて―』という大著の第一部「人生を語る」として嵌め込まれています。
 とは言い条、いま内容を思い出そうとしても、なんにも浮かんできません。忘却しきっているようです(^^;
 視聴していたら、芋づる式に記憶が甦ってきたんじゃないでしょうか。
 いずれにしても、大失敗でありました。

 

Re:眉村さん情報:ラジオ深夜便とBSジャパン

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 6月29日(月)09時52分53秒
返信・引用
  BSジャパン「私の履歴書」〜小松左京・ですね。眉村さんのインタビューが非常に短くて、あっけなく終わりました。しかし、内容は、なかなか興味深くて、小松ファンだけでなく、いろいろな人にもおもしろくうつったのではないでしょうか。元ネタは、日経新聞に連載の「私の履歴書」からきてますから、ご本人が書かれた貴重なものと思われます。(連載当時読んでいなかったので、余計に思います。この連載は、ある程度集まると、単行本になりますから、探せばあるのでしょう)次回も楽しみです。  

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便とBSジャパン

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月29日(月)01時29分27秒
返信・引用 編集済
  > No.6384[元記事へ]

 いや、今日はバタバタしました。
 朝、机仕事をしていてとんでもないミスを発見、昼からその対応に追われていたのでした。
 とはいっても、斎藤さんの書き込みを読んでいたら、どうにでもなったと思います。
 いつもは昼休みに一度チェックするのですが、今日はそんな余裕もなく忘れていて、後の祭りになってしまいました。
 斎藤さんは、たぶん私が忘れているな、と気づかれて、注意を喚起してくださったのだと思います。申し訳ありません。
 しかし捨てる神あれば拾う神ありで(って文脈あってるのかな)、高井さんが眉村さんのインタビュー部分を音声データにして送ってくださいました。高井さん、いつもありがとうございます。
 あらら、ちょっとだけの出演だったんですねー。おそらく眉村さんですから、もっといろいろ喋られたと思いますね。もし眉村さんも見ていらっしゃったら、拍子抜けだったんじゃないでしょうか(>おい)(^^;

 さて、『怪異居留地』は、今日で17冊完成しました。
 

 もうちょっと頑張ります(^^)

 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便とBSジャパン

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月28日(日)21時38分12秒
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  > No.6383[元記事へ]

 斎藤さん、お久しぶりです。

>今日の18:30からBSジャパン(7C)の日経スペシャル 私の履歴書 〜SF小説家・小松左京(前編)という番組ですね。
 わ、しまった。外出していて見逃しちゃいました。
 眉村さんのインタビューも楽しみにしていたのですが、小松さんの特集自体、興味があったので、がっかりです。
 どんな内容だったんでしょうか。もしよろしければレポートしていただけるとありがたいです。

>非投稿者も購入可能でしょうか。
 毎度ご購入くださり、ありがとうございます。
 もちろんOKです。ぜひ、よろしくお願いします。今回は短篇集です(^^)
 なお、現在鋭意製作中ですが、先に会員分を作っています。それが一段落したら一般頒布分にとりかかります。
 ですので、もうしばらくお待ち下さいね。といっても1週間ほど遅れるだけです。
 よろしくお願いします。


 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便とBSジャパン

 投稿者:斎藤  投稿日:2015年 6月28日(日)09時54分22秒
返信・引用
  > No.6338[元記事へ]

こんにちは、時々投稿させて頂いております、斎藤です。
以前こちらでお知らせのあった以下のテレビ番組の件です。
>  あと、これもネット情報でていませんが、BSジャパンの日経って、たぶん日経プラス10だと思うのですが、6月28日、7月5日の2回にわたって小松左京さんの特集が組まれるそうで、眉村さんも小松左京さんについてインタビューされたのが放送されるそうです(おそらく6/28とのこと)。

今日の18:30からBSジャパン(7C)の日経スペシャル 私の履歴書 〜SF小説家・小松左京(前編)という番組ですね。
是非見ます(来週の後編も)。いつも情報をありがとうございます。

あと、現在制作中の「怪異居留地」はこれまでの「チャチャヤングショートショートマガジン」と同様、非投稿者も購入可能でしょうか。
今回も是非購入させて頂きたいと思っています。
よろしくお願いします。

以上です。

 

Re: 「怪異居留地」のことなど

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月27日(土)21時40分13秒
返信・引用
   本日、表紙用の光沢紙が届きました。さっそく31枚分、印刷しました。(あとで気がついたが、すでに5冊完成させているので、26枚でよかったのでした。大失敗。一般注文が来ることを願うのみ。あ、違う。すでに一般注文分10部以上受けていたのでした。ああよかった)
 しかし、光沢紙は一日程度乾燥のため寝かせておいたほうがよいみたいなので、作業は明日からはじめることにします。

 それはそうと、ここにいたって、とつぜん送料のことが気になってきました。
 以前だったらメール便があったので、3冊くらいなら82円でいけたのでしたが、今回からは何を使えばいいのか。
 やはりゆうメールでしょうか。
 ということで調べました。
 150gまで180円みたいです。今度のは従来の冊子より厚みも倍以上あります。ゆうメールは重さで測るようですが、一度1冊の重さを測ってみなければなりませんねえ。そんな秤、家にあったかな。以前は郵便物用の計量器があったんですが、そういえばここ何年も、見かけないですねえ・・

 

Re: 「怪異居留地」のことなど

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月27日(土)00時58分53秒
返信・引用
  > No.6379[元記事へ]

 今日は、光沢紙は届きませんでした。だからといって何もしなかったわけではありません。仕分けした紙束を、ホチキスで止める作業をしました。10冊分できました。
 先日、ホチキスの針が太いため、針の折り曲げられた部分が意外に盛り上がっていて、表紙を付けた際、そこが目立ってしまう話をしましたが、すでに昨日作業分から改善しております。
 なんのことはない。ペンチで潰しちゃうのでした(^^;
 この何でもない工程を加えるだけで、出来上がりの見映えがかなり違うはずです(良くなるというより、気がつかなくなるという感じですね)。
 作業時間は、正味40分位。ホチキスの針がなくなって足したりしたのでもう少しかかりましたが。

 

「吼える密林」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月26日(金)19時06分13秒
返信・引用 編集済
   『蘭学探偵 岩永淳庵』第2巻は、電子書籍で読むつもりだったんですが、なかなか出ませんねえ。
 以前書きましたように、このシリーズ第1巻は電書が出ているので、間違いなく出るんだと思うのですが、それにしても遅い。紙版が出たのが6月4日ですから、すでに20日以上経っています。
 実は、第1巻の電子化が、どのくらい遅れてなされたのか、調べてみたのでした。
 当シリーズ第1巻『海坊主と河童』の紙版が出版されたのは、2014年8月5日だったようです。電子版は8月15日に出ています(アマゾン調べ)。つまりちょうど10日後です。
 10日遅れくらいなら、許容範囲だな、ということで待っていたわけです。
 しかし今回、すでに20日以上たっております。
 となりますと、10日後電子化というのは、どうも私の勝手な思い込みで、この出版社の原則ではなさそうな気がしてきました。
 電子版が出されるのは間違いないと思いますが、いつ出るか分からんものを待っているのも、なかなかちょっと茫漠としているわけです。精神によろしくありません。
 ということで、紙版を購入しちゃいました。わが原理原則からは外れますが、致し方ありません(本当はふと覗いた書店にあったので思わず購入したというのが真相)(^^;。
 という次第で、すぐにでも読み始めたいところですが、購入してしまえばこっちのものです。本は逃げません。これが人間のねーんげんたるところですな(>おい)(^^;
 実は、ネットを巡回していたら、南洋一郎『吼える密林』の感想文がありまして、なんとなく興味を持ちました。青空文庫にはなかったのですが、国会図書館デジタルライブラリーにありました。
 それでふと、ひらめいた。
 以前、柳田国男の『河童駒引』をデジタルライブラリーの電子印刷サービスでコピーしたことがありました。これ、とても便利で満足したのでした。
 今回考えたのは、『吼える密林』をタブレットに落としこんで読めないか、ということでした。
 やってみたら簡単でした。
 ダウンロードする必要もなく、オンラインで読めるのでした。
 こんな具合。

 ただオンラインですから、外出先で読もうとしますと、タブレットが外でもインターネットできるのでなければなりません。
 私はそういうのをやっていませんので、オンラインで読めるのは自宅内のみ。
 では外で読むにはどうしたらいいか。
 デジタルライブラリーの印刷サービスは、PDF化したのを印刷するという形式なんですね。
 ですから、PDFにして、それを読めばいいだけの話なのでした。
 ただし一回にPDF化できる容量に制限があって、『吼える密林』を全部いっぺんにPDF化することはできませんでした。いろいろ試してみましたが、20画像(40頁)程度なら大丈夫でした。
 で、今日、それが入ったタブレットをもって外出し、喫茶店で読んでみました。問題なく読めました。
 PDFをそのまま読んでもいいのですが、2頁1画面でそれが下に連なっている形になります。ちょっと使い勝手が悪いので、私はこれをキンドルに落としこんで読みました。
 ということで、『吼える密林』紙版で260頁ほどなんですが、現在120頁、半分弱あたりです。

 

Re: 「怪異居留地」のことなど

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月26日(金)00時10分30秒
返信・引用
  > No.6376[元記事へ]

 ここ数日、停滞しております。(といっても31冊分すべての仕分けと、そのうち5冊分はホチキスどめまで進めました)
 実は表紙の光沢紙を切らしちゃったのです。いや、10枚も残っていないのは分かっていたんですが、光沢紙使用は、効率的にちょっとムリかなあ、と思った時期があって、使用しないのなら注文しても使い切れないしなあ(使うなら50枚入りを購入しなければ割高になる)、ちょっと様子見、と思っているうちに、ころっと忘れてしまってたのでした。
 アマゾンから本日発送の連絡がありましたので、早ければ明日、到着する予定です。土日で目鼻をつけるつもり。

 あ、アマゾンに注文したのは、近所にあったヤマダ電機が閉店しちゃったからなんです。ファックスのインクリボンとかも安かったのでよく利用していたんですが、不便になりました。
 そうそう、同じ国道沿いで、ヤマダ電機から1キロも離れていないところにあったブックオフも閉店したのでした。ここは私が利用する数店舗のブックオフの中で一番距離が近い店だったんですが、一番利用しなかった。要するに品揃えが悪かったので、こっちはあんまり影響ないんですが、ヤマダ電機はいろいろ困るんですねえ(といっても件のブックオフからさらに500mほど向こうに、ジョーシンがあるので、使い慣れたら問題ないのかも)。

 

「GHQ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月25日(木)20時47分7秒
返信・引用 編集済
   竹前栄治『GHQ』(岩波新書、83)読了。
 あとがきで著者自身、「これまで資料的な価値を重視してものを書いてきた私には」(新書の執筆は)「不向きな仕事ではないかという躊躇もあった」と記しているように、冒頭から暫くは怒涛の事実列挙でした。
 GHQについて、その二重組織性(二重構造)とか、あまり一般的となっていない事実を広く知らしめようという意図からだと思われますが、これはかなわん、というのが読み始めの感想で、これが最後まで続くのか、と、すこしうんざりしながら飛ばし読みしていたら、途中から新書らしくなってきて、ホッとしました(^^;
 本書は梶山季之『小説GHQ』(65年連載完結)から18年後の出版でして、60年代後半からアメリカで「25年原則」に従ってマル秘を含む公文書が公開され、日本でも70年代後半から被占領期の外交文書が公開され出した、その史料を活用することができたので、梶山本では不可解な矛盾と感じられたところが、もっと大きな文脈では整合性のあったりしたことがわかりました(著者は、梶山が望んで果たせなかったGHQスタッフへの聞き取りも、なされたそうです)。
 たとえば、GHQの押し付け憲法論があります。はじめGHQは、草案を政府に一任していたのだそうです。
 その松本(憲法問題調査委員会)案が、毎日新聞にスクープされます。
 で、明らかになった内容は、驚くべきことに、なんと「主権在君」の古色蒼然たるものだったのです!
 これは任せてはおけん、と、GHQ案(現憲法草案)が提出されます。
 そして、この両者のうちどちらを選ぶかは任せるが、自分たちの希望するのはGHQ案である。「最高司令官は、日本政府およびあなた方の党にこの憲法(草案)を提示し、もしよろしければ、これを採用し、最高司令官が全面的に支持しているものとして日本国民に提示してもよい。しかし、あなた方にこれ(採用・国民への提示――著者注)を要求してはならないと私に指示されました」(162p)
 と、形式的には押し付けではないことが明らかになっています。
 事実、このとき、マッカーサーは天皇制の存続を望んでいたのですが、極東委員会や戦勝各国の意見は天皇制廃止、天皇処刑論が大勢だったのだそうです。
 もし主権在君みたいな、反省の欠片も見えない草案が採用されれば、「アンタらホンマに反省しよっとね」と、もっとキツい草案が極東委員会(もうひとつのGHQ)から提出されることは確実だったようです。
 日本に居て、日本の実情(心情)も少しは判っているマッカーサーのGHQは、むしろ両者の間に入って調整する立場だったようですね。
 つまりマッカーサー憲法が採用されなければ、回りまわって日本は共和国になっていたかもしれないということだと思います。この辺、押し付け論者はどう考えているんでしょうかねえ。
 さてGHQは、もし拒否するならば、国民投票で民意を聞くのはいかがか、とやんわりもちかけます。
 やんわりとはいっても――二者択一にしろ、国民投票にしろ、当時の政府にすれば心理的な圧力と感じたには違いないでしょう。しかし形式上は、日本政府の判断でGHQ憲法草案が採用されたのです。
 ところで、著者は、もし国民投票が行われていたらどうだっただろう、と考えます。
「GHQ案を選んだのではあるまいか」(163p)
 いやいやいや。それは甘い。日本人は世界に冠たる羊人間の集まりなんです。主人の言うことに疑いを持ちません。旧態依然たるのが好きなんですね。しかも戦後半年も経っていないのです。その意識が簡単に変わっていようはずがありません。きっと彼らは主権在君憲法を選んだに違いない。私はそう思いますねえ(^^ゞ

 本書の足りないところは、梶山本にあった米軍やGHQの腐敗への言及が殆どないことです。「頑迷な軍人や無能な役人ばかりではなかったことはいうまでもない」(206p)といった表現が複数回出てきます。でも逆に見れば、そういう風評があったということですよね。

 

「ニューアトランティス」再読

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月24日(水)23時10分4秒
返信・引用 編集済
   ふとしたことで、フランシス・ベーコン『ニュー・アトランティス』川西進訳(岩波文庫、03)を、ざっとですが、読み返していました。
 今日、高井信さんのブログに投稿された『ニュー・アトランティス』の記事に、「いきなりターザンが出てきて」「なんだか妙な気持ちになりました」という文言があって、あれ、そんなのあったっけ、と気になって読み返してみたのでした。
 もちろん、高井さんもバローズとは無関係と書かれているんですが、とりあえず確認しよう、と。
 岩波文庫版では「ターサン」でした。(村山勇三『ユートピヤ物語』京北書房(47)と同じですね)
 いや、ただそれだけなんですが(^^;
 ところで、今回再読して気づいたのは、この島ベンサレムが、アトランティスとは無関係、後継国でもなんでもなく、むしろアトランティスに攻撃された歴史があるくらいで、ニュー・アトランティスというのは変だなあ、と思ったことでした。
 そんなことを思うでもなく考えていますと、妙な話が浮かんできました。
 読んでいての印象ですが、彼ら(ベンサレム人)はノアの子孫ではないみたいなんですね。はっきりとは書かれていませんが、どうも別種なような感じがします。
 ところが、アトランティスの民というか支配階級も、ノアの子孫ではなさそうなんです。というのは、アトランティスの洪水で(記録では火山の噴火で沈んだことになっていますが、本書で比定されるアメリカ大陸は、現在も存在しているので、間違って記録されていることが分かるわけです)生き残った少数の未開人(つまり現アメリカ原住民)とアトランティス人が厳然と区別されているからですが。
 そうしますと、ノアの子孫とは別種であるという点で、ベンサレム人とアトランティス人は共通します。
 ところで、私はベンサレム島をオーストラリア大陸に比定したのですが(こちら参照)、超大陸パンゲアが分裂したあと、各分裂大陸は離合集散を繰り返しましたが、オーストラリア大陸と、(鮮新世にパナマ地峡で北米大陸と繋がるまでの)南米大陸と、南極大陸は一度も合体を経験せず、孤立的に存在してきました。そのなかで南極は、極地に移動してしまい、すべての動植物は絶滅しましたが、オーストラリアと南米は、孤立したことで、動植物が、旧大陸とはいささか違う特異な進化を遂げたのでした。
 そのような条件から、豊田有恒さんは『カンガルー作戦』で、南米大陸に有袋人類が発生したとします。それがパナマ地峡の形成で、北米大陸から旧大陸に拡散し、アフリカから勃興してきた新人類を圧倒して地球の支配者となった世界を描いたSFです。
 パナマ地峡が形成された鮮新世というのは約500万年前から約258万年前までの期間です。いわゆる「ルーシー」は400万年から300万年くらい前に生きていた。ルーシーは現生人類の直接的な祖先ではないそうですが、同じ頃に南米で有袋直立歩行人類がいたとすれば、それから進化した有袋新人類が旧大陸を制覇するか、ミトコンドリア・イヴの子孫が南米に達して有袋新人類を絶滅させるかは、本当にわずかな時間差の勝負でしかなかったと思われます。(この辺、『カンガルー作戦』の拙感想文参照)
 私の想像はそこまでドラスティックではありません。アトランティス人は出アメリカせず、せいぜいメキシコに第2の拠点を作ったくらいで、新人類と並存している世界です。アトランティス人とベンサレム人は、別系統の人類ながら、有胎盤類から進化した人類という意味では同じ仲間で、新人類より歴史が長い分、文明も高度化していたと考えることは十分に可能でしょう。
 ベンサレムは《新アトランティス》ではありませんが、《類アトランティス》ではあったのかもしれませんねえ。

 

Re: 「怪異居留地」のことなど

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月23日(火)23時28分31秒
返信・引用 編集済
  > No.6372[元記事へ]

 今日は4冊製本しました。うむ。だんだんうまくいくようになってきました。慣れと、やはり手順ですね。手順が定まれば、光沢紙でもそんなに難しくないです。
 ただ、四冊製作するのに、二時間かかりました。落丁や重複、順番間違いがないか、一冊ずつ確認しながらだったので、より時間がかかったんですね。まあおいおい、速度も上がってくると思います。

 岩波新書『GHQ』に着手しました。

 

Re: 「水滸伝」と「風の王国」の意味論的相似

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月23日(火)00時32分45秒
返信・引用
  > No.6374[元記事へ]

 平谷さん
>「史実」
 そうか、史実か!
 その視点は完全に抜け落ちていました。
 続巻を楽しみにしております(^^)

 

Re: 「水滸伝」と「風の王国」の意味論的相似

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2015年 6月23日(火)00時10分35秒
返信・引用
  > No.6373[元記事へ]

管理人さま
拙著の感想、ありがとうございます。
深読みして楽しんでいただければ(笑)
今後も、「原作」と「史実」をにらみながら、書いていきます。
 

「水滸伝」と「風の王国」の意味論的相似

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月22日(月)21時44分38秒
返信・引用 編集済
   平谷美樹『水滸伝2 百八つの魔星』(ハルキ文庫、15)読了。
 なんか展開が早い早い(^^) これはもはや、水滸伝の並行世界の水滸伝というべきですね。原作や吉川英治版などに馴染みのある読者は、登場人物の性格設定にとまどうかも。
 私は先月吉川英治版を読んだところなので、とりわけそれを感じないわけにはいかなかったです。
 しかし並行世界なんですからそれは当然なのです。ここはやはり、並行世界の水滸伝と割りきって、そのキャラクターとスタンディングポジションの異同をたのしむべきでしょう。
 並行世界であることをもっと明示するような仕掛けを入れていたら、たとえば呉用を現代世界からの次元スリッパーに設定するとか(>おい)、SFになったんですけどねえ。
 しかしそれにしても、著者は半島が好きですなあ。きっと著者には子供時代の”思い入れ”があるんだと思います。というのは、私もそうだったからです。ちなみに半島は突出部ですから、男根のメタファーなんです(ホンマか)(^^;
 なにはともあれ、『風の王国』において遼東半島に対契丹機関である日本府、あわわもとい架空の遼東ツガル府を存立せしめた著者が、当巻ではさらに想像力を発揮して、山東半島に対宋前衛となるべき梁山泊の領土経営が企図されるという、とんでもない話になってきました!(原作でも吉川版でも、梁山泊は(面ではなく)一点の基地でしかなかったので、これは本篇の独創でしょう)
 それに関連して、これは読み取った人が何人いるかですが、遼東ツガル府と梁山泊は、相撲の「三役揃い踏み」を再現しているんですね。
 図をご覧ください。
 
 一目瞭然ではないでしょうか。どちらも半島の先端を扇の要とし、遼東ツガル府は、城を結んだ線が開いた扇をあらわし、梁山泊では、山砦を結んだ線が同じく扇のカタチになっています。しかも遼東の扇が返ったカタチで!
 もうひとつ言うなら、両作品を直接つなぐのが契丹(遼)なんですが、このモンゴル系の契丹を折り目に二つ折りにしますと、共にツングース系の(日の出の)女真と(日没の)渤海が重なるんです(^^)
 いやー、面白くなってきました。


 

Re: 「怪異居留地」のことなど

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月21日(日)23時07分40秒
返信・引用 編集済
  > No.6371[元記事へ]

 今日は、きのうA3に4丁付でコピーしてきたのを、A54枚に切り離していました。
 案外時間がかかった。休憩しながらなので、正味ではありませんが、4時間近く掛かった。
 切り離しながら、これだったら本当の製本のように、4つ折りにしたら1回カットで済んだんじゃないかな、と思わぬでもなかったんですが(背の部分はカットしなくていいので)、それだといちいち折るのが大変そう。あんまり変わらないような気がします。
 さて、次は切り離したのを、1冊ずつページ順にソーティングなんですが、とりあえず10冊分、やっておきました。
 一気にしたほうが効率的なんですが、とにかく1冊完成させたかったので。
 で、そのうちの1冊を完成させました。↓
 

 今回はカバー付きなのです(^^)
 こういう風になっています。↓
 

 

 ホチキスが丸見えの不備も解消。↓
 

 ただ、この光沢紙の表紙、印刷に時間がかかるのは想定内なんですが、本体とくっつけるのに、非常に時間がかかって、しかもなかなかうまくいきません。背がどうしても汚くなります。だからカバーをつけることを考えたわけですが……
 ちょっと考慮中であります。


 

「怪異居留地」のことなど

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月21日(日)00時21分7秒
返信・引用
   平谷美樹『水滸伝2 百八つの魔星』に着手。90頁まで読みました。

 ところで、今日はコピー屋で《チャチャヤング・ショートショート・マガジン別冊 怪異居留地》を、とりあえず31冊分、コピーしてきました。
 一冊148頁ですから、4588頁分!
 ふう疲れた、と言いたいところですが、それほどでもありません。
 というのは他でもなく、最初から膨大な量になるのは分かっていましたから、版下を4丁取りで作ったのです。
 前回は80頁で2丁取りだったので、作業量自体はあんまり変わらないのでした(^^;
 それでも両面コピーで580枚近くになりました。
 今はまだ、紙が熱で波打っているので、このときのために買い揃えた(>おい!)百科事典で重石をしているところ。
 明日からぼちぼち製本作業に入る予定です。もうちょっとで、みなさんのお手もとに届けられますよ。
 お楽しみに〜!

 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月20日(土)21時17分11秒
返信・引用
  > No.6369[元記事へ]

 高井さん
 ありがとうございます。音声データ受け取りました。
 意識のしっかりしているときに、聴かせていただきますね(^^;
 しかし、最近は起きていてもあんまり意識がはっきりしてないんですよねー(>おい)
 とくに短期記憶の漏れがはなはだしいです。聞いたら想い出せるんだったらまだましなんですが、まったく記憶に残っていないことも。仕事で困るくらいです。
 メモする癖があればいいんですけど、元々記憶力はよかったのでその習慣がなく、いまさらなかなか習慣化できません。長期記憶になってしまえば、大丈夫なんですが……。

 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便

 投稿者:高井 信  投稿日:2015年 6月20日(土)12時21分39秒
返信・引用
  > No.6368[元記事へ]

>  朗読はナマで聴きましたよ(^^) しかし二、三度、意識を失ったようです(^^;
 相変わらずですねえ(笑)。私は夜中の2時まで起きている根性がないので、録音予約しました。
 音源データを送りますね。寝ぼけてないときに、お聴きください。
 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月20日(土)11時00分16秒
返信・引用 編集済
  > No.6367[元記事へ]

 海野さん
>ネットの「R1NHKラジオ第一」と言うサイトで聞けるので
 おお、そんな便利なものが! と私もサイトに行ってみたのですが、うんともすんとも反応しません。一時的な不調なのかな。またあとで試してみます。

 朗読はナマで聴きましたよ(^^) しかし二、三度、意識を失ったようです(^^; といってもたぶん、1秒か2秒なんですが、それでも話のつながりがわからなくなりますね。それだけ眉村さんの描写が凝縮されていて無駄がないのでしょうね。
 内容は、これは聊斎志異だな、と思いました。読んだときはさほどとは感じなかったような気がするのですが、聴取していて、とても不気味感がありました。長安かその辺りの風景を思い浮かべながら聞くと、似合いそうに思いました。
 リードオンリーではなく、耳で鑑賞すると、いろいろ新しい発見があって、面白いですね(^^)

 追記。
>夢
 どっちの夢も録音のことが気にかかっていて見たものですよね。無意識からではなくてもっと浅層の夢。

 

Re: 眉村さん情報:ラジオ深夜便

 投稿者:海野久実  投稿日:2015年 6月20日(土)08時23分18秒
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  > No.6364[元記事へ]

録音しました。
ネットの「R1NHKラジオ第一」と言うサイトで聞けるので、録音出来るようにパソコンを設定しました。
無事出来たんですが、2時からだとその時間に起きられないかもしれないと、気になっていたのか、夢を見ました。
なんか、大きな会社のオフィスで僕がパソコンの設定をしていると、キャリアウーマンっぽい人が文句を言うんですよね。
「いつまでパソコンを開いているのか」とか、「ネットをすると電気を食うからしないでください」とか。
「いやいやネットにつなげないとダメなんですよ」、とかのやり取り。
そんな夢を見ながら、目が覚めると1時15分。
目覚ましをかけてもう一度寝るよりも、と思って録音を始めて、また寝ました。
するとまた夢。
余計なところまで録音しているので、MP3編集ソフトでカットしなくちゃいけないなあと思って、そのソフトがパソコンに入っていたのかあれこれ悩んだり、実際に編集している所や何やかや、どうでもいい夢を見続けていました。
目が覚めると2時半。パソコンを閉じて寝ました。
その後見た夢は忘れています。ゆっくり眠れたようです。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「小説GHQ」(6)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月19日(金)22時01分18秒
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  > No.6363[元記事へ]

 梶山季之『小説GHQ』(光文社、76)読了。
 初出は『週刊朝日』(1964-65年)。著者の代表作の一つに数えられているのに、単行本化されるまで10年以上かかっているのは、著者自身が単行本化を許さなかったため、と山口瞳の解説にあります。書き直していたとのこと。
 たしかに、昨日から今日にかけて読んだ部分は、小説になっていません。シーンがぶつ切りで並べられている感じ。
 本書が取材をもとに創作されているのは、読めば明らかですが、ラスト4分の1くらいは、聞き取りメモをそのまま使っていると感じられる部分が散見されます。
 そしてストーリーは完結していません。もちろん一種の全体小説ですから、終りなどないのですが、たとえ全体の一部だとしても、キリの良い所で締めるものです。そういう感じはまったくありません。まさに中断した、という感じなんですね。
 これはおそらく、調べれば調べるほど、GHQという怪物の実像が、著者から遠く離れていったからではないでしょうか。読んできた部分でもはっきり感じますが、全体像があまりにも矛盾しすぎています。
 ニューディール派の最左翼で財閥解体の急先鋒であった筈のクレーマー大佐(経済科学局長。実名)が、突如解任されて本国に戻されます。日銀の金庫からダイヤを持ち出した、という噂が流れてきます。その当否については、著者の筆も快刀乱麻の切れ味はありません。取材が行き届かず、事実を突き止められなかったんでしょう。
 いずれにしても理想論をブツその同じ人物が裏で私腹を肥やしていたというような事例がどんどん出てきて、GHQの全体像は、どんどん闇の中に埋没していったんじゃないでしょうか。
 そして背景世界がそんなあやふやでは、物語のレベルで著者も、どうしても筆が鈍ったんじゃないか。
 で、一旦中断したのではないか。
(追記。いや、あやふやというと、ちょっと違うか。その全体がリアルGHQなのです。しかしそれは小説のリアリティとはそりが合わないんですね。全体小説に徹するならば、リアルで押し通せばいいんですが、大衆小説の読者はそういうのはご都合主義と映る。著者は中断するしかなかったのかも)
 解説の山口によると、著者は、当時のGHQの高官に会うためにアメリカへ行くと言っていたそうです。やはり矛盾していて解釈できない所、謎のままに残っている所を、潰していく必要があったのだと思われます。それは叶わなかったんでしょう。なんといっても連載が終了したのが65年ですから、山口がその話を聞いたのは、当然60年代後半で、海外旅行など簡単にできる時代ではなかった。とりわけ連載を13本も当時持っていたベストセラー作家に、そんな時間的な余裕はなかった。
 それで単行本化ができなかったのでしたが、著者が亡くなって、ようやく日の目を見たということらしい。
 それにしてもエイトマンをはじめ、個性的な作中人物たちが、その後どうなっていったのか、それが永久にわからなくなったのはほんとうに惜しいと思いました。
 GHQの研究はどうなんでしょう。梶山の時代から進んだのでしょうか。それも知りたいので、GHQの新書本みたいなのを探して、読んでみたいです。

 

「戦後70年 中井英夫と尾崎左永子展」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月19日(金)18時34分35秒
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  「戦後70年 中井英夫と尾崎左永子展」が、下記の次第で、来週の土曜から開催されますので、お知らせします。
  会場:豊島区立中央図書館(豊島区東池袋4-5-2ライズアリーナビル5階)地図
  日時:6月27日〜7月23日(午前10時〜午後10時)

 尾崎左永子さんは中井英夫とは長年の友人で、なんと『虚無への供物』のあの女探偵、奈々村久生のモデルとのこと!
 私自身は寡聞にして知らなかったのですが、最近、中井英夫の未発表短歌が発見されていたのでしょうか。『短歌研究』の最新号に、「新発見 中井英夫の歌 尾崎左永子氏に聞く」というインタビュー記事が掲載されています→『短歌研究』7月号

 今回の展覧会では、尾崎左永子さんより中井英夫へ送られた書簡など、二人の交流、それぞれの業績にスポットをあてた展示となっているそうです。
 この掲示板に短歌愛好家はあまりいらっしゃらないと思いますが(川柳愛好家はいますが)、『虚無への供物』愛好家は枚挙にいとまがない筈(^^)。
 興味のある方は是非是非!

  ははよははよたたかひをはりひのもとのさくらさくときはよみがへりこよ 中井英夫
  終戦後の春のさくらはことさらに輝かしかりきいのち生きのびて 尾崎左永子

■中井 英夫(なかい ひでお 1922年9月17日 - 1993年12月10日)短歌編集者、作家、詩人。
 田端生まれ。旧制府立高等学校に進み、戦時中は学徒動員で市谷の陸軍参謀本部に勤務、反戦反軍の戦中日記を記し続ける。戦後、東京大学文学部言語学科に復学、吉行淳之介らと第十四次『新思潮』創刊。1949年に日本短歌社に入社し『短歌研究』『日本短歌』の編集長をつとめる。その後角川書店に移り、1961年まで『短歌』編集長。葛原妙子、塚本邦雄・中城ふみ子・寺山修司・春日井建らを見出し育てた。
 代表作『虚無への供物』は、前半二章までを第8回江戸川乱歩賞に応募。次席に留まったが、後半を完成させて1964年に塔晶夫名義で刊行。作者によって「アンチ?ミステリー、反推理小説」と称され、ミステリーの枠をはみ出し戦後文学としての達成も評価された、熱狂的なファンを持つ戦後屈指の名作である。夢野久作『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』とともに三大奇書に数えられる。1974年『悪夢の骨牌』により泉鏡花文学賞。小説、エッセイ、日記、短歌論、詩集など、多彩な業績が『中井英夫全集』にまとめられている。今年、エッセイ集『ハネギウス一世の生活と意見』が刊行された。

■尾崎左永子(おざき さえこ、本名は尾崎磋瑛子 1927年11月5日 - )歌人・作家
 巣鴨生まれ。東京女子大学国語科卒業。17歳で歌誌『歩道』に入会し、佐藤佐太郎に師事する。1954年、第2回短歌研究新人賞に入選(特選は寺山修司)。1955年、第1回角川短歌賞最終候補。1957年、松田さえこ名義で第一歌集『さるびあ街』を上梓。写実を基本とし、戦後に意志的に生きる女性の都市詠として評価された。第4回日本歌人クラブ推薦優秀歌集(現在の日本歌人クラブ賞)。
 歌人のかたわら放送作家、作詞家としても活動。1965年、夫のハーバード大研究留学に伴い渡米。帰国後、古典研究のため国文学者?松尾聰に師事。『新訳?源氏物語』(神奈川県文化賞)のほか、古典への造詣をふまえたエッセイ『源氏の恋文』(日本エッセイスト?クラブ賞)『尾崎左永子の古今?新古今集』『神と歌の物語 新訳古事記』などがある。ほかに母?酒巻寿への聞き書き『おてんば歳時記』、先人に取材した『竹久夢二抄』『愛のうたー晶子?啄木?茂吉』『かの子歌の子』など。一時期、歌壇を離れたが、佐太郎との約束を守り復帰。『炎環』『春雪ふたたび』など歌集多数。1999年『夕霧峠』により迢空賞。主筆として『星座』『星座α』を主宰。

 

眉村さん情報:ラジオ深夜便

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月18日(木)23時17分28秒
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   ラジオ第1放送ラジオ深夜便の眉村卓・作「豪邸の住人」(短篇集『自殺卵』収録作品)の朗読、いよいよ明日ですよ。厳密には土曜2時台です。お間違いなく!

 
 

「小説GHQ」(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月18日(木)21時49分49秒
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  > No.6362[元記事へ]

 『小説GHQ』は270頁。ここでは主に農地改革と新円切替が描写されます。
 GHQは、これまで書いてきたとおり、理想は高いが、実現させる手段が全然ダメでした。結局、ニューディーラーたちは、大学で勉強してきたことを日本で実験したかったのだと思うのですが、いわゆるボンボンの政治で、白黒だけで、灰色への配慮なんか考えつくこともありません。細かい行政能力が全然身についてなかった。実働部隊を掌握できないどころか、ただお題目を唱え、期限を設定するだけで、その手段はなにも示しません。お前ら勝手に考えろ、だったんでしょう。それをいいことに、現場は甘い汁を吸うことに専心してしまったんですね。
「なあ、お互いに上手に立ちまわろうぜ。素手で荒稼ぎできる、チャンスなんだからなあ」(256p)

 ただ農地解放に関しては、その白黒だけで灰色を認めないやり方でなければ、きっと骨抜きになってしまったでしょう。昔の日本はよかったという人は、(元地主階級でない限り)まずこの農地改革の恩恵をうけて現在があることをしっかり思い出すべきです。
 戦前の体制が続いていたら、国民の大半は小作人なんです。私たちは今、当たり前に高等教育を受け、大学を出ていますが、小作人は地主に吸い上げられて、子供を大学まで行かせる余裕なんかありえません。地主に吸い上げられる分が蓄えに変わって、多くの若者が大学に進学できる世界になったのです。
 これはとても重要です。大半の大学生は、GHQに足を向けて寝られないのです。どっちを向けばGHQなのか、それは知りませんが(>おい)(^^;
 この一点だけでも、GHQはよいことをやったといえるのではないでしょうか。
(*とはいっても華族たちをはじめとする地主階級の抵抗は激しく、最初は不在地主の保有面積は一町五反にすべき(農民一人の耕作できる限度が一町五反と見積もられた)としていたのが、最終的に五町歩にまで大きく後退させられたそうですが)。

 新円切替は、第一次大戦後のドイツの歴史を知っていれば、まあ予測はついたでしょうね。じっさい、エイトマンの頭脳担当である一高生の田丸小弥太(星新一と同い年)は先を読んでいた。姫野に極力現金で持たないよう忠告します。かといって預金しても(新円への交換は制限されるので)塩漬けになる。それで姫野は山林と製材所とを買います。でも、それもある意味塩漬けではある。
 そこへ、占領軍が、家族住宅二万戸の建設要求を出すという情報を掴んだのです。二万戸の新築住宅に加えて、建物の中身の椅子、テーブルからコート掛けまで(「アメリカ人はどの部屋にもこの金具を取り付ける。二万戸の家に、80万個もとりつけるんだそうだよ」(267p))、一体どれだけの新規の木材需要が発生するか、姫野はソロバンを弾くのでした(^^;

 

「小説GHQ」(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月17日(水)22時10分24秒
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  > No.6361[元記事へ]

 『小説GHQ』は220頁。一般の米兵にとって、というか将校にとっても、GHQの高邁な理想はどこ吹く風なんですね。かれらはまず「接収」から始めたようです。

「接収した建物は、一般兵舎だの、部隊司令部だの、軍政部などのオフィスに利用されたが、やがてまもなく、病院や、慰安施設、休養施設が要求され、ついで上級将校用としての一般住宅が要求された」「焼け野原の東京で、60坪以上の建て坪をもち、水洗便所がある、洋風の住宅を、700軒ほど調達しろ――と命令した。GHQ・G4の幹部たちの頭の構造を、どう考えても疑わざるをえない」
「その接収命令たるや、ジープで乗りつけてきて、土足のまま上がりこみ、西洋半紙の八ツ切くらいの紙片に、接収担当官がサインをすれば、ただちに取り上げられる……という、お粗末なものであった」(218p)


 こうなってくると、おそらく将校たちのやりたい放題だったんじゃないでしょうか。カミカゼ自爆テロのような強力な抵抗にあうかと戦々恐々でやって来た日本は、実は本国では味わえないような天国だったんですね。
 と写してきて――
 まてよ。
 五族協和の王道楽土を謳った満州国も、こんな感じだったんじゃないでしょうか。日本の将校たちも、中国人の裕福な層や土地の名士の邸宅を「接収」して、日本では味わえない貴族気分を満喫していたのではないか。
 と考えれば、自業自得ともいえますが、それは形式論理にすぎないのでありまして、満州に何の関係もない本土の人間が、関東軍の尻拭いをさせられるいわれはありません。

 さて、旧日本軍の物資をくすねてそれを元手にブローカーで大儲けした本書の主人公の一人である姫野八郎――名刺に「エイトマン・プリンセスフィールド」と刷って威張っているような、無学な、しかしバイタリティは人一倍持ち合わせた男は、終戦後わずか3ヶ月ほどで300万円を超える現金を溜め込んでいます(だから無学ですが無能ではありません)。その金を何十倍にしたい。インフレ下で儲けるにはどうするか、それは不動産だ、ということで、熱海のホテルを即金で買う。
 ところがそのホテルが、購入した数日後に「接収」されてしまう。
 売ったのは京北急行社長、三島赤道。これ、東急の五島慶太ですね。強盗三島というあだ名が出てきます(五島は強盗慶太と呼ばれた)。
 実は「接収」は内定していたのです。三島はそれを知っていて、姫野にホテルを売却したのです。米兵も米兵なら、日本人も日本人ですね(汗)
 姫野は一朝にして儲けた300万円をパーにしてしまったのか。いやいや、転んでもただでは起きない姫野です。そのホテルを休養施設に改築する工事を請負ってしまう。そして担当者をたらしこんで豪華に改築してしまう。実は米軍が去ったら、元の所有者に返されるのですね。姫野は米軍の金(といっても大元は日本政府の金です)で豪華に改造したホテルを手に入れてしまうことになるんですね(^^;

「統計によると、昭和21年だけで、米軍によって濫費された終戦処理費は51.451.811.000円にも及んでいる。ざっと515億円が、占領軍という名の為政者によって、昭和21年に使われたのであった」「新しく発売されたピースが、一箱7円で、「高い高い」といわれた当時の515億円だ」「使う方は気持ちがよかろうが、その使われた金を、税金で納めなければならない日本国民のほうは、たまらないのである」(218p-219p)

 

「小説GHQ」(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月16日(火)21時23分56秒
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  > No.6360[元記事へ]

 『小説GHQ』は180頁。私たちは三井も三菱も、戦争に協力することで巨富を得た財閥として、いっしょくたに考えてしまいますが、本書に拠りますと違うらしい。本書の三井の社長に言わせると、三菱は先の戦争で大儲けしたが、三井は軍部に睨まれていて、いいことはなかったとのこと。
 たしかにウィキペディアの三菱財閥の項には、「満州事変から第二次世界大戦にかけて軍需の膨張拡大を背景に三菱の事業は飛躍的に拡大した」となっています。だからといって三井が軍に協力しなかったはずはないでしょう。
 GHQが財閥を一括して敵視し、解体を目的としているに対し(担当者が「我々が求めているのは「改革」ではない、「解体」なのだ」と言い切ってますね)、先の社長は、個別的に考慮してくれ、みたいなことをGHQに訴えるのですが、ところが、本書では三井惣領家の豪奢な生活が描写されています。それを社員たちが守ろうとする態度を、米人記者は大変不可解だとします。事実、一般的な民衆の生活水準は、米人の目からするととんでもなく低い。そういう会社家族主義的な精神風土も含めて、GHQは解体したいわけですね。
 アメリカにも富豪はいるではないか、という反論に、それを認めた上で、「日本がアメリカのようにならないように、我々はしたいのだ」といいます。
 144pにGHQのなすべきこととして、次のように述べられています。
「封建的な小作人制度を廃止し、神道と国家の強い繋がりを断ち、労働運動を援助しなければならなかった。またこれまでの歪んだ教育制度を改正し、婦人には参政権を与え」「軍人や、右翼や、在郷軍人のボスを葬り、左翼の人々を獄中から解放し財閥や戦争によって利益を得た人々を追放すべきであった……」
 まさに正論じゃないですか。
 先の米人記者は「我々は潰しにやってきた」というのです。「徹底的に潰すから、あとは君たち日本人がそこから立ち上がってくれ。再建は我々の任務ではない」
 そういう理想を掲げる彼らは、アメリカの大学出のエリートでニューディール思想の、洗礼を受けた者たちです。
 ところが占領軍としてやってきた米軍兵士は、ごく一般的なアメリカ人なんですね。
 理想は高く掲げながら、それを実行する部隊は、カネと女でころりと転がってしまう(^^;
 本書は基本ピカレスク小説で、旧軍隊の物資を着服した男が、それを元手に(占領軍も利用して)のし上がっていく話でもあるのですが、なんとアメリカ兵のレベルの低劣なことか(小説ですから単純化されているにしても)。
 理想と現実をつよく感じさせられます。

 

「小説GHQ」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月15日(月)23時15分5秒
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  > No.6357[元記事へ]

 『小説GHQ』は110頁。この辺は、ちょうど財閥解体の噂が流れ始めたところ。
 私は、財閥解体は当然なされなければならないことと考えていますが、作者の筆致はそうでもないのがやや不可解。
 もっとも小説ですから、今一人の主人公である綾小路が、伯爵の家柄で、父親は華族ながら三井系の会社の社長をしている、という設定なので、そういう筆致なのかな、とも思われます。ま、これはだんだんと見えてくるでしょう。
 ところで、GHQ内には中国派と日本派というふたつの派閥があったらしい。
 中国派というのは、ルーズベルトのニューディール政策、すなわち修正資本主義を支持してきた人々で、中道左派です。この頃、本国アメリカでは、政治体制がルーズベルトのニューディール政策から完全に後退し、ウォール街が実権を握っていた。
 GHQには、本国の状況に不満を持つニューディーラーの青年将校がかなり加わっていて、彼らは、かつて日本の青年将校が満州に理想国家を夢見たように(実態は全く違いましたが)、占領下の日本に、自分たちの修正資本主義的な、左がかった国家を建設しようと夢見ていたんですね。具体的には天皇退位、財閥解体です。
 一方、日本派とは、いうならばメンシェビキで、天皇制は温存して財閥解体には反対する立場。
 ところでウォール街は、三井・三菱を解体したくてたまらないんですね。これまでやられっぱなしだった三井三菱がなくなれば、その空白地帯に勢力を扶植できるからです。
 そういう意味で、修正資本主義的な政策をめざすニューディーラー派にウォール街が肩入れするという、呉越同舟的な構図があったようです。
 面白い!
 まあ歴史の事実は、最終的に日本派が勝利したわけですが、どうして日本派の勝利となったのかも、読んでいくうちにわかってくると思います。
 

Re: ストーンズのスーパーデラックス盤

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月15日(月)19時22分21秒
返信・引用 編集済
  > No.6353[元記事へ]

 昨夜、LP盤を整理していて、あっ、と叫んでしまいました。またやってしもた!
 何をやってしもたのか?
 土曜日書き込んだストーンズのスーパーデラックス盤の記事で、「このオリジナルアルバムは、ミック・テイラーが正式に参加した最初のアルバムで、前作の「レット・イット・ブリード」から変化し始めていたストーンズのスタイルが確立した名盤ですね」と書きました。
 大ポカでした。
 テイラーは「レット・イット・ブリード」から、ストーンズに参加しており、正しくは「このオリジナルアルバムは、前々作の「ベガーズ・バンケット」から変化し始めていたストーンズのスタイルが、「レット・イット・ブリード」でのミック・テイラーの参加で方向性がかたまり、当アルバムで確立した」と書かなければならなかったのでしたが、何を勘違いしてしまったんでしょうか。というか、昨夜気がつくまで、偽記憶をまったく疑ってなかったのでした。
 昨夜、「レット・イット・ブリード」のジャケットを開いたところ、このジャケットにはメンバーの写真入りの歌詞カードが中とじになっているのですが、開けた瞬間、テイラーの写真が目に飛び込んできて、あっと叫んだというわけです。
 ああ、どんどん記憶が……。昔はよかったなあ……(ーー;



 

Re: 「死者の書」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月15日(月)01時19分44秒
返信・引用 編集済
  > No.6355[元記事へ]

 「死者の書」の人形劇版がユーチューブにあったので、視聴しました。

 

 基本郎女視線で、滋賀津彦は対象物でした。まあ、そういう描き方もあるでしょうね。ちょっと綺麗すぎますが(^^;
 でも原作では、滋賀津彦の実体は白骨なんですよね(本映画でも一箇所、白骨の指が見えている場面がありましたが)。
 白骨になっても成仏できずに石室で迷っている滋賀津彦の妄執が、郎女を引き寄せた、という面が、意図的に後退させられています(ある種の物語の定形に合わせられている)。
 郎女が南無阿弥陀仏を唱えると、滋賀津彦はそれ以上近づけない、という背理が、原作にはあって、映画もその点は判っているのに、一種神々しい恋情に単純化してしまっています(もちろん原作を読んでから映画を見ればわかるわけですが、それは反則でしょう)。
 要するに原作にはドラキュラもののパターンが内包されていて、そこがやはり、読んでいても一番面白いところなんですけどねえ。
 その意味で、昨日も引用したウィキペディアの「非業の死を遂げた大津皇子の亡霊とまみえ、尊い俤びとと重なるその姿を蓮糸で曼荼羅に織り上げた姫は、さまよう魂を鎮め、自らも浄土へといざなわれた」は、やはり違うんじゃないか。
 原文に「姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった」とあります。色身とは物理的な肉体の謂ですから、姫に魂鎮めの意図はなかった。それ以前に郎女自身は気づいていないが、郎女の滋賀津彦に見ているのは仏ではなく、色欲なんですね(厳密には仏を求める心と色欲がないまぜになっている)。
 けっきょく、滋賀津彦は永遠に成仏しないままで、南家郎女が戸口から出て行ったあとどうなったのか、解釈できないのですが(著者もリドルなんじゃないでしょうか)、たとえ郎女が死んだとしても、滋賀津彦は永遠に耳面刀自の面影を他の女性に認めて同じことをするように思われます。あ、やっぱりドラキュラですな(^^;

 

「小説GHQ」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月14日(日)22時10分33秒
返信・引用
   『小説GHQ』は50頁。
 本書の記述によれば、占領軍は、日本軍の太平洋や沖縄での死ぬまでやめない戦いぶりを知っていたので、これはとんでもない抵抗にあうのではないか、と、戦々恐々でやってきたみたいですね。
 ところが……(汗)
 主人公の日系二世の米軍中尉が着任早々連れて行かれたのは、料亭風の建物で、そこには米兵がズラリと列をなして並んでいるのでした。
 小町園というその建物は、なんと終戦直後の閣議で日本政府が設置を決定した米軍の駐留兵士のための売春慰安施設だったんですね。
「違います。新聞広告で、応募してきた素人の女性ばかりです……病気の心配はありません」
 と差し出された8月29日付の第2面に掲載された広告――
「職員事務員募集・募集人員50名。外に語学ニ通ズル者若干名。1時ヨリ同4時マデ来談ノコト。京橋区銀座7ノ1 特殊慰安施設協会」
 ――トム・塚田中尉は、新たな怒りに誘われた。
〈これが女事務員の仕事だろうか? そうして日本では、淫売婦を求めるのに、堂々と新聞広告を使うのであろうか?〉

 この広告は、三大紙に繰り返し掲載されたそうです。
〈世界のどこの敗戦国が、戦勝国の兵士を迎え入れるために、こうした慰安施設を、政府の指示で用意したであろうか? 愚劣な話じゃないか……〉

 私が思うに、中国戦線ではふつうに日本兵士のための慰安施設は設置されていたので、日本政府にとってそういう発想はごく自然だったんじゃないでしょうかねえ。

 

平谷水滸伝第2巻

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月14日(日)11時46分1秒
返信・引用
   発売日である昨日の午前中に発注したのに、まだ発送準備中のまま。売れすぎて発送作業が間に合っていないのでしょうか(^^)
 この分では火曜あたり到着ですね。せっかく昨日頑張って二冊読了し、スケジュールをあけていたのですが。
 仕方がないので、梶山季之『小説GHQ』に着手。
 

「死者の書」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月13日(土)22時57分10秒
返信・引用 編集済
  > No.6345[元記事へ]

 折口信夫『死者の書』(青空文庫03、初刊43)読了。

 面白かったです。いや凄かった。先日も書きましたが、きわめて映像的で、読中、まるで映画を観ているかのような感覚が持続しました。いやこれ、まじで映画化すればいいんじゃないでしょうか。
 と書いてから、ひょっとして既に映画化されているのかも、と、検索したら、やっぱりされてました。2005年川本喜八郎作品。しかし――人形劇なんですね。
 うーん。私は実写で映像が浮かんでましたけどねえ。
 本書、誤解を招くかもしれませんが、ある意味怪奇小説――というよりゴシック小説の世界なんですね。大津皇子(滋賀津彦)が反逆罪で処刑され、たたりを怖れて二上山中の岩屋に咒封されてから半世紀以上経ったある日、既に白骨化している大津皇子の瞳がカッと見開かれる。そこから物語が始まるのです。いやーまさに怪奇映画じゃないですか。
 しかも魂の戻った滋賀津彦が最初に思い出したのは、処刑の直前に一目見、一目惚れした、耳面刀自のおもかげ。まあ滋賀津彦にすれば、処刑されて途切れた意識が、次の瞬間(たとえそれが客観的には半世紀後だったとしても)目覚めたにすぎないのだから、ある意味当然かも。
 お話変わって、美人で賢くて神と交感する能力もある藤原南家郎女は、都の南西の彼方、ふたこぶの山の間に貴公子の幻影を見るようになっていた(春分と秋分の日、京から見て二上山の間に夕日が沈み、その残光の中に幻影を見たのです)。ある嵐の夜、郎女は知らず邸を抜け出し、気づけば二上山の麓の万法蔵院(当麻寺)に来ていた。
 邸では、それ神隠しだと大騒ぎで、すぐに寺からの使者で郎女の肉体の居所はわかったが、魂はまだふらついている可能性があると、念のため魂呼ばいの行を行ったのです。
 実はこの行が、滋賀津彦も目覚めさせてしまったのです(冒頭のシーン)。
 もっともそれは単に偶然ではなく、滋賀津彦は岩屋に埋葬されてからも、ときどき思念を漏らしていたのです。それに霊的能力の高い郎女が感応して、二上山に引き寄せられていったというわけ。ループしているんですね。しかも耳面刀自と南家郎女は血の繋がりがあって、耳面刀自は曽祖父の姉妹なんです。ですから瓜二つなんですね。滋賀津彦は郎女をずっと耳面刀自と思い込んでいます。
 で、郎女は寺に一部屋か別棟を与えられて従者とともに住んでいる。ときどき、郎女の寝所に不思議な気配が忍び込んできます(郎女もときに瞬間移動します)。このへんもハマー映画的。ある意味ドラキュラ映画の変種かも(^^;
 夏が過ぎ、冬が近づくにつれ、郎女は幻で見た滋賀津彦が裸なのが気になりだす(50年も経てば衣服は風化しています。と言うか肉体も風化しているわけですが)。蓮の繊維から紡んだ糸で体を覆う衣を織る。完成した衣に、郎女は絵の具ですばらしい曼荼羅を描く。それに見入る従者たちは、郎女がそっと出て行くのにも気づかないのでした……
 ウィキペディアのあまりにも短いあらすじでは、最後のシーンを「姫は、さまよう魂を鎮め、自らも浄土へといざなわれた」と記しますが、そうなんでしょうか。ただ映画では郎女の体がふわっと浮いて、だんだん薄くなりながら戸口から出て行く――ふうになるでしょうね(^^;
 いや、やっぱりこれは映像で、しかも実写で見たいですねえ。きっと映画館を出るとき、冷房だけでなく体が冷えきっていると思います(^^;
『高野聖』や『田園の憂鬱』に匹敵する日本幻想小説の傑作でした。

 

「まほうのレンズ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月13日(土)14時04分8秒
返信・引用 編集済
   リチャード・ヒューズ『まほうのレンズ』矢川澄子訳(岩波少年文庫、95)読了。

 本書は、訳者矢川澄子によって編まれた独自アンソロジー*で、翻訳作品集成ameqlistによりますと、79年に”岩波ようねんぶんこ”から出されたものの新装復刊のようです。(*童話集『クモの宮殿』『ウラマナイデクダサイ』からのセレクトに、ガートルードもの2篇を加えて編纂。同じく79年にハヤカワFT文庫から出た『クモの宮殿』は同題童話集そのものの翻訳)

 先日ネットを巡回していて、FT文庫版の感想文を見つけました。著者はウェールズの作家で、ちょっとダンセイニぽい。同じケルト民族でセンスや思考回路が似ているのかも、みたいな記述があって興味を惹かれました(ただしダンセイニはアイルランドの貴族ですがケルト人ではなくて征服者のノルマン人ですね。ヒューズがケルト人なのかどうか、訳者はあとがきに「この人はウェールズの出で」と書いていますが、ざっとググった限りでは、生地はロンドン郊外のサリー州で、のちに34歳になってウェールズのお城を購入して住んだようですので、「ウェールズ人」とは言えないかも)。
 読んでみたら、一種の、と言うか純然たるホラ話集で、登場する子どもたちが意外に残酷だったり、なるほどダンセイニっぽいところもあります。ダンセイニはダンセイニでも、ジョーキンズもののダンセイニですね。
 で、ジョーキンズものと思った瞬間、その思考が延長し、いやいや、むしろラファティだな、と気づいたのでした。
 上に挙げた残酷さや、ちっとも人間を理想化しない筆致など、まさにラファティです。(厳密にはラファティの、数あるうちの一面を共有しているというべきか)
 児童文学って、倫理的であることが暗に求められているのではないでしょうか。ウィキペディアにも、「子どもや若年者の成長への感化を念頭に置いた、教育的な意図、配慮がその根底にあるものが多く、子どもの興味や発育に応じた平易な言葉で書かれる」となっています。
 本書は、そんな配慮などお構いなしです。
 たとえば冒頭の「庭師と白ゾウたち」では、庭師が、毎晩庭のスイートピーを食べに来るウサギを捕まえようと追いかけて、逃げるウサギが飛び込んだ穴に自分も飛び込みます(この辺アリスのパロディかも)。転げ落ちたトンネルには何十頭もの白ゾウが。ゾウたちはウサギなどよりずっと体も大きくて数も多いのに、たった一匹(一羽?)のウサギに反抗して逃げ出すことも思いつきません。庭師は白ゾウを指揮してウサギを倒し、トンネルから無事脱出するのですが、「今度はオレのゾウにならないか」。何だ、助けてやったんじゃないのか。ところがゾウたちも「それがいい。もちろんそうするよ」。庭師は仕事を全部ゾウたちにまかせ、自分はお金持ちになる。めでたしめでたし!(^^ゞ
 こんなゾウにはロクソドンタ・ニッポニカーナと命名したいですねえ(>おい)(^^;

 いやーなかなか面白かったです(^^)

http://

 

ストーンズのスーパーデラックス盤

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月13日(土)01時42分45秒
返信・引用 編集済
   運転中、FMを聴いていたら、ローリング・ストーンズの1971年のアルバム「スティッキー・フィンガーズ」が、スーパーデラックス盤で復活したとのこと。
 本体はCD3枚組で、CD1にはオリジナルLPが復刻(当然リマスタリング盤)。CD2にはオリジナルに採用されなかったヴァージョン5曲とロンドン、ラウンドハウス劇場でのライブ音源5曲(それぞれ未発表)が。それからCD3には、71年リーズ大学でのライブ(未発表)が収められ、さらにDVD等もろもろオマケが入って、19980円ナリで、6月8日にすでに発売されているようです(CD1とCD2のみの2枚組、3000円というのもあるみたい)。

 このオリジナルアルバムは、前々作の「ベガーズ・バンケット」から変化し始めていたストーンズのスタイルが、「レット・イット・ブリード」でのミック・テイラーの参加で方向性がかたまり、当アルバムで確立した名盤ですね。
 ということよりも、あのジャケットで印象に残っている人も多いんじゃないでしょうか。あのチャックをあけてみなかった人はたぶん皆無でしょう(笑)
 そういえばこのアルバム、チャックの金具の部分が出っ張っているので、棚に並べると、隣のアルバムが変形するんじゃないか、と心配で、扱いに困りましたよね。私は常に一番端に、チャックの面を外向きに、収納していました(笑)

 最近のストーンズにはほとんど興味はありませんが、「スティッキー・フィンガーズ」の未発表別トラックは聴いてみたいなあ、ということで、帰宅してユーチューブを探したら、さっそくアップされていました。(それにしても、このような作業をしてくれる方たちは、一体どういう情熱に突き動かされているんでしょうかねえ。いやありがたいことなんですが)(^^;
 しかも、速度を80%に落としてアップしているのでした。(だから試聴するときは、速度を1.25倍して聴かなければなりません)
 これは検閲対策ですね。速度を変えると引っかからないことは知っていました。
 というのは、以前EWIで「スエーデンの城」を練習したことがあったのですが、速すぎてついていけなかった。それでやむなく速度を落として練習し、ユーチューブにアップしたのです。
 通常市販されている曲を勝手にアップすると警告(ただしカタチだけ)が来るのですが、そのときは警告がなかったのですね。で、「ははあ、速度を変えたら気づかれないのか」という知識を得たのでした。やっぱり知っている人は知っているんですねえ。

 というわけで、CD2とCD3を、いま聴き終りました(要らん注意を引き、削除されるキケンはおかしたくないので、埋め込みはやめておきます)(^^;
 いや、よかった。この時期のストーンズは最高ですね。
 とくにCD3のライブがよかった。おもに「レット・イット・ブリード」から演奏しているんですが、大学でのライブ(学園祭?)ということだからか、アルバムより力が抜けていて、軽快なロックン・ロールになっていて、楽しめました。

 


 

豆本拝受

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月12日(金)20時46分0秒
返信・引用
   帰宅したら、高井信さんの最新豆本、ジェイ・ウィリアムズ『こわがり屋』朝露薫訳(NEO BEM SF SERIES)が届いていました。(高井さんのブログ参照下さい)
 いつもありがとうございます>高井さん。
 またあとで読ませていただきますが、まずは豆本の造りを興味津々で拝見(^^;


 表紙は、光沢紙の薄手というのだと思います。薄いのでやわらかいです。
 比べて、画像の右「怪異居留地」の表紙は、光沢紙の厚手です。かたいです。私のプリンタは手前から入れた紙が、中で、たぶん(というのは内部を見たことがないからですが)ローラー状にぐにゅっと曲げられて入り口の上の出口から排出されるのですが、硬紙なので曲げられたとき反発するのでしょう、バキンという音が時々して、壊れるんじゃないかとヒヤヒヤします。これを何十枚もプリントするとなると……(汗)
 で、表紙が薄いということもあってだと思うのですが、黄色の見返しが付いています。さらにもう一枚、白の見返しが付いて、それからようやく扉なんですね。
 なるほど!
 何がなるほど! なのか(^^;
 実は今日、「怪異居留地」を持って外出し、暇を見つけてはチェックしていたのですが、まあいろいろと修整しなければならないところが出てきました、という話はまたの機会にしまして、ひとつだけ、100枚とじ用の太いホチキス針を使用しているので、表紙側はさほど目立たないのですが、裏表紙側――針がガチャンと曲げられている部分――が、ちょっと汚らしいのですね。こんな具合。(左は奥付)
  
 ところが、この一つ手前の頁は、こんなにはひどくないのです。
 つまり、奥付(奇数頁)とその裏(偶数頁)の一枚の紙と裏表紙の間に、もう一枚、白紙(見返し)を挟み込めば、どうやら解決しそうなんですね。
 そんなことを考えながら帰宅したら、高井さんから届いており、なるほど! となったのでした(^^ゞ
 ということで、表と裏に各一枚、見返しを入れることにします。忘れないようここに明記する次第であります。

 

試作しました

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月12日(金)01時55分16秒
返信・引用 編集済
   一冊、製作してみました。実物を見ると、パソコン画面では気づかなかった不備が見えてきます。
 各作品のタイトルと著者名は小さくて貧弱です。もっとデカくします。
 巻頭の散文詩(?)は、上に付きすぎている感じでしたので、ふたマスあけて、3マス目からにしますね。
 あと、ページ番号は全角にしていたんですが、3桁の数字(遂に!)になるとなんか大きいですね。半角に変更するかも。
 まあ、ためつすがめつ眺めて、見落としているミスはないか、納得できたら生産に入ります(^^;
 あ、その前に表紙をどうするか、ですねえ。オレンジ色も、製作したのに被せてみましたが、意外によかったです。
  (←著者名少し上に上げます)
 

 

Re: 表紙

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月11日(木)12時54分54秒
返信・引用
  > No.6349[元記事へ]

 同じく色画用紙でも、薄い色の画用紙のほうが画像はくっきり見えるような気がします。
 
 

Re: 表紙

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月11日(木)10時11分5秒
返信・引用 編集済
  > No.6348[元記事へ]

 こちらの方(従来の表紙の紙)が作業が早くできて、費用も安い。
 下の紙は写真用の光沢紙です。

 

表紙

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月11日(木)02時33分31秒
返信・引用
   どうですか?
 写真を生かそうとすると、この紙質になるんですけどねえ。

 

平谷水滸伝第2巻

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月10日(水)17時57分9秒
返信・引用 編集済
  > No.6346[元記事へ]

 平谷さん
 出版社によってそれぞれなんですね。
>実業之日本社の場合、あまり間はあけなかったかと
 なにはともあれ、出るとわかればひと安心。別にあせることはありません。気長に待つことにします。ありがとうございました。

 ところで、なぜあせる必要がないのか。
 実は平谷さんのもうひとつの新作、『水滸伝 2 百八つの魔星』が、この週末か週明けには出版されるからなのです(^^)(→アマゾン

 当面の渇は、こちらでいやすことができるのでした(^^;
 ただし、『水滸伝』の方は、電書の販売はないようです。第1巻も電書は出されていませんから。
 まあ、こちらは紙の本で読むことにします(笑)

 

Re: 「死者の書」に着手するも……

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2015年 6月10日(水)07時49分49秒
返信・引用
  > No.6345[元記事へ]

管理人さま

> それはそうと、実は平谷美樹さんの新刊が数日前に発売になりました。
>蘭学探偵岩永淳庵シリーズの第2巻『蘭学探偵 岩永淳庵/幽霊と若侍』です。
> このシリーズ、第1巻は電書が出ているんですね。
>で、私は第2巻の方も電書が発売されるのだろう、と待っているのですが、
>なかなか出る気配がありません。発売されるんでしょうかねえ。心配になってきたのですが……。

同時に出る場合もあったと思いますが、少し間を開けて出る方が多かったような。
出版社によって、それぞれだったと思います。
実業之日本社の場合、あまり間はあけなかったかと。
契約書、ちゃんと読んではいるのですが、読んだ後は忘れてしまうので、
何日以内だったか、何ヶ月以内だったかはっきりしません(笑)
 

「死者の書」に着手するも……

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月10日(水)01時18分36秒
返信・引用 編集済
   先日来、折口信夫『死者の書』に着手していて、ちょうど半分読みました。めちゃくちゃ面白い。こんな面白い話だったのか、と驚いています。描写が映像的でよく見えるのです。目の前にくっきりと小説世界が浮かび上がってきます。
 実はもっと小難しいのかと思っていたのでした。
 ところが意外に親切なんですね。状況を丁寧に説明してくれる文章です。「かんながら」的世界観という変な先入観があったのですが、決してそんなことはありません。
 それはひとえに、ただ頭のなかで想像しただけのファンタジーではなく、具体的な事実(史実)がきちんと踏まえられているからだと思います。
 いわゆる眉村さんの、知っている土地しか描かない、と同じで、著者が小説世界の時代(飛鳥時代〜奈良時代)を本当に、具体的に、よく「見知って」いて、それが揺るぎない土台となって、小説世界を下から支えている、そんな感じがひしひしとします。その土台の上に、一種幻想的幽玄なシーンがのっかっている。

 ナラティブはいわゆる「客観描写」で、「神の視点」なんですが、しかしここがやや特殊で、いわば「小説世界の時代」の「その当時の」神の視点なのです。
 ですから、当時の人々にとって当たり前の言葉は、現代読者に馴染みがなくても、とうぜん説明なく使われます。その点は現代の読者のために配慮はなされないのですね。
 そこが現代の読者には難解かも。(馴染みのない言葉で懇切に説明されても、直ちには理解できないということ)
 たとえば突然「大師さまが」みたいな言葉が出てきて、なぜ空海? と思ったら、恵美押勝の当時の通名(官位)だったりするのです。こういうのは、できれば注がほしいところなんですが、青空キンドルだから、そこまで求めるわけには行きません。
 でも、電子書籍だけに、即座に辞書やネットで確認できるので、私は頻繁にこの機能を使いながら読んでいます。これが紙版だったら、そんなにスムーズには読めなかったかもしれません。

 そういう意味で、電書はやはり便利です。文字も大きいですし、バックライトでくっきりしていますし、使い出したら紙の本は読めませんね。
 そういえばタブレット使用前には、そんな意見をよく聞いたり目にしたりしていたけれどもオーバーに言っているんだろうと思っていたのです。
 でも使って分かりました。それは誇張でなく事実でした。
 もはや私は、紙の本と電書の両方あるのなら、ためらわず電書を選択しますね。

 ということで、今日も今日とて『死者の書』の続きを読もうとしたら、うっかり充電が切れてしまいました。(まあこれが電書の欠点でしょうか)
 しかたなく、今日は急遽、予備に鞄に入れていたリチャード・ヒューズ『まほうのレンズ』に着手しました。矢川澄子訳。ウェールズのダンセイニらしい。

 それはそうと、実は平谷美樹さんの新刊が数日前に発売になりました。蘭学探偵岩永淳庵シリーズの第2巻『蘭学探偵 岩永淳庵/幽霊と若侍』です。
 このシリーズ、第1巻は電書が出ているんですね。で、私は第2巻の方も電書が発売されるのだろう、と待っているのですが、なかなか出る気配がありません。発売されるんでしょうかねえ。心配になってきたのですが……。

 

眉村さん情報:新作短篇集

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 9日(火)20時49分45秒
返信・引用 編集済
   眉村さんの新刊が、8月に出ます!
 全篇書き下ろしの作品集で、双葉文庫から。
 タイトルは『短話ガチャンポン』(^^;
 じつは当初は、「短話ガチャポン」というのを考えておられたのですが、「ガチャポン」は商標登録されていて使えないことがわかって、こちらに変更とのこと。ガチャンポンともいうんだそうです。
 内容は、10枚くらいから断章のようなものまで、掌篇から随想みたいなのまで、本当にガチャポンのように入っているそうです。
 実は数か月前に、そういうのを今度出す、と聞いていて、上のような内容だというので、ちょうど「或阿呆の一生」を読んでいたこともあり、そんな感じですか? と尋ねましたら、あんな深刻なものでは全然ないが、形式は似てるかも、とのことでした。
 眉村さんの新作はエッセイ集『歳月パラパラ』以来1年ぶり。創作の新作は『自殺卵』以来2年ぶり。
 これは楽しみです(^^)
 

ルビ使用行調節に苦しむ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 9日(火)00時19分37秒
返信・引用 編集済
  > No.6339[元記事へ]

 いやー昨日は徹夜しちゃいました。神戸特集で、既に掲載全作品を(単純に)鋳型に流し込むところまでは済み、このところの作業は、責了が出た作品について、順次、見映えを考えていろいろ小細工しているところです。(今回は全作品奇数ページから始まるようにしたので各作品カプセル化しており、個別作業ができるのでラクです)
 今回は、前回までは出来たら避けてくださいと言っていたルビをOKにしたのですが、これ、(私のワードの問題かもしれませんが)意外に行間を食ってしまって、ルビの行が間延びし、その影響で左端が飛び出したり引っ込んだりして、ちょっと美しくないことが判明したのでした。
 それをどうすれば目立たなくできるか、いろいろ試行錯誤していたら夜が明けてしまいました(もちろんその試行錯誤が楽しくて、です)。
 自分ではそこそこスキルも上がっていると思っていたのですが、認識が甘かった(汗)
 とはいえ、午前0時すぎくらいには、かなり修整されてきて、まあこれならいいか、と、その時は思って、関係する著者に念校を送ったのですが、見直していると不満になってき、もっと良くできないか、とあがいていたら、朝になっていた次第。もうね、1行ずつさわりましたよ(^^;
 でも、どうやら左端もほぼビシッとそろって、私自身、これならオーケイといえるレベルになりました。
 ところが、切ったり貼ったりしたせいか(もちろんそれは誌面上では見えないのですが)、個別に作業した各作品を、雑誌としてひとつの文書の中に並べようとしたら、なぜか誌面が崩れてしまうのです。前後の作品の文書形式が影響するのかも。ワードが使いにくいと感じるところですね。
 で、仕方なく、一本の文書に収めるのはやめて(つなげてオッケーな作品は繋ぎましたが)、けっきょく文書4つくらいに分けることになりました(もちろん頁番号は繋がるようにしました)。プリントアウトするときに少し面倒くさいだけです。
 だんだんと、形がととのってきました。
 あとは表紙をどうするか、紙のサンプルは送ってもらっているのですが、まだ見てもいません(^^;

 

Re: 楢喜八原画展

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 8日(月)20時55分53秒
返信・引用
  > No.6341[元記事へ]

 かんべさん

>ず〜っと前に送りましたよ。
 犯人はダジャレンしゃん。失礼しました。
 私は具体的なことは分からないのですが、色校正って素人目にも大変そうですね。
 先日当板で、ダリの絵をネットから見つくろってアップしたのですが、同じ絵なのに色合いの違うのがいくつも出てきて、往生しました。
 自分の目に自信がなかったので、画集を出してきて確認したのでした。
 だったら画集から取り込んだらいいではないか。
 それはそうなんですが、スキャナーを通しますと、また色合いが微妙に違って画面に出てきてしまうのです。
 それを調節するのもメンドー。結局画集と付き合わせて一番近い色合いのをアップしました。
 画集の色校正の担当者は、非常に重圧を感じながら作業しているんでしょうね。
 だからといって、開会日に間に合わないのはダメですけどね。
 いや色校正に手間取ったのか、なかなか原稿を提出しない人がいたのか、それは私にはわからないのですが(^^;

 下もネットからですが、こういう群衆といいますか、人にかぎらずモノもなんですが、犇めき合って右往左往しているような絵柄が強烈にインパクトがありました。だからかんべさんの小説にはよく合ったのかもしれません(>どういう意味や)(^^ゞ。
 

 次は今日、ツイッターで見つけたもの。見た瞬間、わ、楢喜八! と思っちゃいました(汗)
 元ツイート

>御盛況をお祈りいたします
 私も同じくです(^^)


 

楢喜八原画展

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2015年 6月 8日(月)10時47分2秒
返信・引用
  なるほど。6月6日からだけど、図録が間に合いませんでしたか。
私も祝辞を依頼されましたが、ず〜っと前に送りましたよ。
ということは、色校正関係が大変だったのかな。
ともあれ、楢さんには本当に、長年お世話になっております。
御盛況をお祈りいたします。
 

楢喜八原画展

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 7日(日)13時30分21秒
返信・引用 編集済
   奇想天外(第2期)の創刊号から、2年くらいつづいたんでしたか、表紙イラストを担当して、私たちの世代に深い印象を与えた楢喜八さん(かんべさんの挿絵も、佐々木侃司さんと並んで楢さんが多かったですね)の原画展が、小樽文学館で昨日より始まったようです。→企画展「学校の怪談とSF・ミステリのある風景 楢喜八原画展」
 
 奇天創刊号の表紙には度肝を抜かれましたね。当時大学SF研で、一体どんだけ時間をかけたんやろ、と、話題になったことを思い出しました(といっても3、4名ですけど)(^^;
 これは続かんやろ、と言いあってましたが、第2号も負けず劣らずの労作でした。それがどれくらいつづいたのでしたっけか。
 今度の展覧会には、奇想天外の原画も展示されているんでしょうね。
 楢喜八ファンは、ぜひ小樽へ!

 おいどんは九州たい。北海道のごた、そがん遠かところへは行けんとね、とおっしゃる向きも、どうぞご休心下さい。
 当展覧会の画集『楢喜八の仕事』が、展覧会開始には間に合いませんでしたが、来週6月13日に発売されるそうです。

 ご予約は小樽文学館にて承っているとのこと。リンク先の小樽文学館サイトに、メールボックスがありますので、それを利用されるとよいでしょう。

 好評だったら本州、九州でも開催されるかも〜(^^)

 

神戸特集号あれこれ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 6日(土)17時39分24秒
返信・引用
   昨日、チェック訂正用ゲラを送らせて頂きましたところ、さっそくお二人から戻ってきました。
 なんて書きますと、急がせているように見えますね。
 まったくそんなつもりはありません。
 全然急ぎませんので、ゆっくりチェックしてください。加筆訂正も、余裕がありますので、いくら増えても大丈夫です。
 現状、変更なしとして、148頁となりました。そこそこの体裁になりそうです。
 お楽しみに〜!
 画像は、目次と奥付の一案です。目次の頁は現稿換算です。

 
 
 

眉村さん情報:ラジオ深夜便とBSジャパン

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 5日(金)22時17分38秒
返信・引用 編集済
   これは以前にもご案内しましたが、6月19日(金)NHKラジオ深夜便のAM2時台に――ということは、要するに20日(土曜)午前2時台だと思います――、眉村さんの短篇「豪邸の住人」(『自殺卵』所収)が朗読されます。ラジオ深夜便のHPにはまだ反映されていません。確認できましたら改めて告知いたしますね。

 あと、これもネット情報でていませんが、BSジャパンの日経って、たぶん日経プラス10だと思うのですが、6月28日、7月5日の2回にわたって小松左京さんの特集が組まれるそうで、眉村さんも小松左京さんについてインタビューされたのが放送されるそうです(おそらく6/28とのこと)。こちらも情報を集めてまたお知らせします。
 テレビは見ないのでよくわからないのですが、BSジャパンは無料のようです。視聴可能な方はぜひ御覧ください!

 

「エロティシズム」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 4日(木)23時06分11秒
返信・引用 編集済
  > No.6334[元記事へ]

 澁澤龍彦『エロティシズム』(中公文庫84、元版67)読了。
 当感想文の第一回で、私は「いずれにしても、澁澤の女性も小松の女性も、どちらも男の視点であるのは同じですよね」と書きました。

「近代文学における黒いエロス」で、著者はブルトンの女性観について、「ブルトンにとって、女は謎であり、スフィンクスのような存在であり、啓示をもたらすものである」「つまり、女は一個の詩である」(227p)
 と説明するのですが、かかるブルトンの女性を神秘化する讃美(小松に通ずるものでしょう。荒巻にはもっと通ずるかも(^^;)に対して、ボーヴォワールは、「ブルトンは主体としての女については少しも語らない」(同上)と不満を表明した、と著者は書いています。

 そして、このボーヴォワールの苦言を、著者は「当然の不満であろう」とします。
「このようにして捉えられた女の魅力が、もっぱら男性本位の視点から眺められた、客体としての女の魅力であることには変わりはないだろう」と、客観的には理解を示すのですが(ここが小松や荒巻とは異なる冷めた部分)、
 とは言い条、
「わたし自身は、ブルトンやオルテガとともに、「女性はその存在を他の存在に捧げるときに、その運命が充実していると考えるものである」という、歴史とともに古い事実を認めるものだ」(228p)
 と、ボーヴォワールが聞いたら怒りだしそうな持論を述べていて、つまるところ、小松と同類(ひねくれてはいるけれども)ということなのですね。

 結局本書の説く「エロティシズム」とは、「男視点」のエロティシズムということになりそうです。
(著者自身は文庫版あとがきで、「これも現在の私の意見とは認めがたい。無責任なようだが、君子は豹変する。なにぶん17年前の著作なので、これらの点は大目に見ていただきたいと思う」と釈明していますが、きっと初刊で女性から批判が多かったんでしょう。実際は著者は全然変わっていないと思います>おい)(^^;

 ところで著者は、「ブルトンは「ファンム・アンファン」(幼児のような女)を選」んだと書いています。高橋たか子の小説『誘惑者』に、澁澤がモデルの松澤龍介という作家の家を、主人公が訪れるシーンがあり、やはり矢川澄子がモデルの夫人が、主人公に「松澤はね、女が嫌いなの、少女が好きなの」と言うシーンがあるのです(第5章)。
 これは間違いなく、高橋たか子が実際に遭遇したシーンだったのだと思われます。思想がボーヴォワールにかなり近いたか子は、澁澤についてどんな感情を抱いていたのか(矢川には親愛の情があったと思いますが)、とても興味があるんですね。澁澤は根本でたか子が嫌った小松と同類なんですよね(もっとも、たか子が小松を嫌ったのは(逆に小松がたか子を嫌ったのも)、高橋和巳の取り合い(三角関係的嫉妬!)で嫌ったのだったのかもしれませんけど)(汗)。

 

Re: 藤本義一文学賞

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 4日(木)18時58分52秒
返信・引用 編集済
  > No.6335[元記事へ]

 段野さん
 お知らせ、ありがとうございます。
 第一回目ということですから、応募数は多くなるでしょうね。
 たとえば創元SF短編賞も第1回が612編でしたが、第2回は594編に減りました。第3回は618編と盛り返しましたが、第4回、第5回、第6回は576編、461編、510編と長期低落傾向が認められます(wikipediaによる)。
 しかし気にすることはありません。応募数の増加分はどこで担われているかといいますと、それは裾野で、なんですね(統計の原則)。最終選考に残るレベルの作品数はおそらく一定です。応募数が多いからといって優れた作品が多いというわけではないと思いますので、ご安心を! 応募数など関係ないのです。要は「他の追随を許さない」「絶対的な」作品で応募すればよい。「それしかないわ」ですよね(>おい)(^^;
 私?
 呵ッ、呵ッ、呵ッ、呵ッ。(汗)

 

Re:眉村さん情報:藤本義一文学賞の審査委員に

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 6月 4日(木)16時05分51秒
返信・引用
  管理人様
本日、6月4日の産経新聞神戸版に、藤本義一賞に、もうすでに30作品が到着しているとのことです。締切は7月31日なのに、結構応募があったということです。
これは、皆様、お気にすべきなのではないかと、思いまして、記させて頂きました。
ご存知のように、テーマは、現代文学、帽子、SF、ですね。
 

「エロティシズム」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 3日(水)23時49分12秒
返信・引用 編集済
  > No.6333[元記事へ]

 190頁まで読んだ。
「エロティック・シンボリズム」では、性的な欲望のように、その直接的な実現(表現)には(無意識の)抵抗を伴いがちなものは、「象徴の思考方法」によって間接的に実現(表現)され充足される場合が多いとして、いろいろ例が挙げられています。
 この「象徴の思考方法」って、要するにメタファーや言い換えなんですね。
 心理学者マリー・ボナパルトによれば、「猫は女性器の古典的な象徴である」と、名著の評判高い「エドガー・ポオ論」において述べていて、こんな俗謡が引用されているそうです(167p)。

  お父さんがあたしに亭主をくれた
  でもなんてちっぽけな、貧弱な男なの!
  あたしの猫が鼠と間違えたほどよ……


 わはは。下品ですが可笑しい。澁澤も言うように、「象徴のおかげで、何とか救われているのである。露骨に歌われたら、たまったものではなかろう」(168p)

 象徴表現といえば、「詩」がそうですよね。上記の俗謡も詩も、品の有り無しは別にしてメタファー(比喩、言い換え)の効果を狙っている点では同じなんです。いわばアナログ思考の極致といってよいでしょう。ショートショートのオチにも、この類が少なくありません。高井信さんの「シミリ現象」は、この比喩を逆手に取って……(^^ゞ
 先日の「あなろぐ・らゔ」に引きつけて言えば、デジタル化社会では、こういうアナログの面白さはだんだん理解されにくくなっていくんじゃないでしょうか。
 あ、だから近年、ショートショートが雑誌の誌面から消えてしまったのかも(ーー;

 高田渡の名(迷?)曲を思い出しました。これもまた、象徴表現の面白さなんですよね。(今調べたら、作詞は高田じゃなかった。衣巻省二という人らしい。詩人?)

  アイスクリーム、アイスクリーム
  アイスクリーム、私の恋人よ
  あんまり長くほっておくと
  お行儀が悪くなる


 アイスクリームが白いのも象徴的ですね(>おい)(^^;

 

「エロティシズム」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 2日(火)22時31分20秒
返信・引用 編集済
   澁澤龍彦『エロティシズム』に着手。140頁まで。
 「女性不完全論」がすばらしい。澁澤先生、言いたい放題(笑)
 しかしこの女性観は、昨日読んだ「あなろぐ・らゔ」と好対照です。ほぼ同い年にしてどちらもとんでもない博覧強記。それでいて女性観は対極的なんですね。面白い。
 「あなろぐ・らゔ」の少女は、小松さんの、あるべき女性像の理想型なんでしょう。だから高橋たか子みたいな女性は気に入らないんですね。
 いずれにしても、澁澤の女性も小松の女性も、どちらも男の視点であるのは同じですよね。高橋たか子は当然本書を読んでいるはずですが、どう思ったんでしょうか。知りたいですねえ。

 

「ゴルディアスの結び目」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 1日(月)22時47分54秒
返信・引用 編集済
  「あなろぐ・らゔ」を読みました。
 タイトルは、「比喩(メタファー)を愛す」という意味だと思います。
「アナログ」という表現はタイトルに使用されているのみ。本文には一度も出てこず、「比喩」(メタファーとルビ)が一貫して使用されています。
 そんな本篇のタイトルに「めたふぁー・らゔ」ではなく「あなろぐ・らゔ」が使われているのは重要です。

「比喩」をgoo辞書で引けば「ある物事を、類似または関係する他の物事を借りて表現すること。たとえ」となっています。つまり言い換えです。
 アナログの語源は「アナロジー」。「アナロジー」はgoo辞書では「類推、類比」と簡単ですが、ウィキペディアでは「アナロジー」を検索しますと「類推」に跳び、「メタファーなどの修辞技法」という説明がみえます。
 ですから比喩もメタファーもアナロジー(アナログ)も大体同じ意味なのですが、著者は「アナログ」(しかも「アナロジー」ではなく)を選択している。これが重要だと私は思うのです。

 アナログという表記は、英語からの借用語(カタカナ語)としては以前からあったはずです。しかし近年流通する意味での「アナログ」は、コンピュータ用語から般化したもので、「デジタル」と対で使用されるものと言ってよさそうです。かかる用法での「アナログ」は、コンピュータが現実味を帯びてきた70年代後半あたりから(ひょっとしたら80年代に入ってからかも)、使われだしたのではなかったでしょうか。

 私が(マンガやSFのメンター的な巨大コンピュータではなく)今日のそれに近い、リアルなコンピュータというものを、はじめて実感したのは石原藤夫さんの『コンピュータが死んだ日』でした。
 おそらくリアルなコンピュータとコンピュータ社会を日本で最初に描写した長篇SFだったと思います。1972年のことでした。このSF小説で、はじめて具体的現実的なコンピュータ情報社会というものをイメージ出来た読者は少なくないはずです。

 この頃からでしょう、1と0の2進法のデジタルコンピュータという概念が、一般にもひろまったのは。
 本篇はその4年後、野性時代1976年6月号初出。ですから小松さんが「あなろぐ・らゔ」というタイトルを選択したのは、意図的なのです。
 おそらく小松さんは、今後発展していくであろうデジタルなコンピュータ社会に対応して、或いは影響されて、人間もまたデジタル人間化していくだろうと予測したに違いありません(21世紀に居る私には、実際そうなってきているように感じられます)。

 本篇は、今(1976年当時)はまだそんな気配は少ないけど、今後確実にデジタル化が進展していくだろう社会と人間に対して、危機感を抱いた著者が、先回りして比喩(アナロジー)の可能性、その豊穣さ(そしてそれが内包する「ソーネ大体ネ」的なユルさ)を蔑ろにしてはならないとの警鐘を発した作品だったのではないでしょうか(或いは「これからはデジタルの時代、アナログは時代遅れ」みたいな社会的気分が、既に醸成されていたのかもしれません)。私にはそう思われてなりません。(「ゴルディアスの結び目」の「暗黒物質」もそうでしたが、著者の未来を見通すセンスの鋭さには恐れ入ってしまいます)。

 これは私のごく狭い個人的な経験なのですが、「お客様は神様です」を言葉通りに理解して、「なんという奴隷根性」と憤慨しているヒトがいました。
 実はこの言葉は、実際の使用文脈では反語なんですよね。「どうせお客様は神様ですよ、ヘンだ」みたいに使用されるのが通例です(つまりお客様を神様だとは思っていないのです)。
 これは比喩とはいえないかもしれませんが、人間の言語能力の奥深さですよね。

 でも最近(なのかどうか一概には言えませんが)言葉をマ正直に(あるいは「厳密」に)しか読まない人を見かけるようになった気がします(ツイッターを閲覧しているととりわけそれを感じるのは、私の見る範囲が偏っているからかもしれませんが)。
 こういうのも、人間のデジタル化といえるのではないでしょうか。そういう態度は人間が本来持っている可能性を矮小化させると小松さんは考えていたに違いありません。

 本篇は人間の人間たる契機でもある「比喩」の能力への信頼を表現したものだと私は思いました(というのはちょっと小松さんをワタシ側へ引き付けすぎでしょうか)。
 ただ、著者が提出する具体的な比喩のイメージには、首肯できないところがあります。たとえば少女の造形がそうです。また「美」というものに対して「秩序」を関連付けているのは違うと思います。「汚い美」や「混沌の美」というものも存在しうるように私は思っています。
 いずれにせよ、一種の哲学的ディアローグ小説で面白かったです。

 ということで、小松左京『ゴルディアスの結び目』(徳間文庫90、元版76)読了。
 振り返りますと、収録の4篇全て、人間のアナログ的な本質への共感がベースになっていますね*。本書の特徴は、4篇ともそれが前衛的な手法で描かれている点で、そこも大変気に入りました。再読してよかったです。(*後記。表題作は違うかも)

 

6月になりました

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月 1日(月)00時18分6秒
返信・引用
   5月が終っちゃいました。あゝ光陰矢のごとし。
 あと10頁増やしたいなあ、と、当板でつぶやいたら、深田亨さんがもう1本、12ページの作品を送って下さいました!

 須磨の「南洋植物園*」オープンを目前に出来した奇怪な事件とは? *(実際、昭和のある時期、須磨区一の谷に「神戸南洋植物パーク」というのがあったそうです)

 おおこれはよい。私の用語での「怪奇小説」ではありませんか。ホラーではありません。「怪」と「奇」の間にレ点を打って「奇ナルヲ怪シム」と読み下すところの怪奇小説です!(*怪しむ=自明としない。ホントかなと疑う)
 だから何?といわれても困りますが(^^; 昔、こういうタイプの話を書きたかったんですよねえ。
 深田さん、ありがとうございました。これで雑誌の体裁が整います。

 さて、とりあえず締め切りが過ぎ、もうちょっと待ってねの連絡もありません。
 ということで、編集作業に入ろうと思いますが、まだいくらでも押し込み可能ですので、連絡お待ちしてますね(^^)

 画像は《扉》の1案です。
 

 



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