おお、アラン・パーソンズ・プロジェクトが好きな人に、人生はじめて出遭ったような気がします。うれしいです(^^;
いいですよねえ。プログレにしてはウェットですが、そこがまた心地よいのですね。SFでいえばマイクル・コニイのポジションでしょうか。
ただ、その部分がしだいにウェイトを占めてきて(尖った部分がさらに消えていって)、ロックなのかポップスなのか区別できなくなってしまうので、アルバムは大体持っていますが、今でもたまに聴くのは、I RobotとEye in the Sky だけです(1枚目のポーは持っていません)。
そういえば、斎藤さんの音楽サイトが更新されなくなって久しいですが、新しいサイトを立ち上げられているんですか?
SÁNDOR SZATHMÁRI「完全なる臣民」も、エスペラント語からの翻訳。著者はハンガリー人で、64年時点でエスペラント語の著書が2冊あるようです。大君主皇帝が名匠に命じたのは、理想的な臣民・臣下としてあらゆる嗜みを備えた機械人間の製作だった。名匠が献上したのは……。一種の論理寓話で、「完全なる臣民」は生身の(魂ある意識存在である)人間を措いて他ないというビターズ・エンドが効いています。
Re: Re:I Robot
投稿者:管理人 投稿日:2015年 8月31日(月)23時43分18秒斎藤さん
読書家のなかにも、気に入った作家の本は、重版改版するたびに、あるいは文庫化されたら、さらにはカバー違い、帯違い等、追いかけていく人がいます。私には理解できない情熱です。作家によっては重版の際に誤植を訂正したり、改稿したりする人が居ないわけではありませんが、基本、本の内容(活字の文字列)は、どの版を読んでも同じものだからです。
でも斎藤さんの投稿を読んで、CD(音楽の録音)を書籍と同じように考えてはいけないことに思い至りました。
>音質の向上や、音像の明瞭化、楽器配置の明瞭化
録音技術は実際、日進月歩で進化していますよね(聴き分けられる高級な再生装置を持っていることが前提ですが)。同じ音源(内容)であっても、録音再生含めて器(メディア)の進化で聴こえる音は違ってきます。したがって気に入ったアーチストのCDやDVDを発売されるたびに購入するのは、たしかに理にかなっています。
>「その最新の状態で聴かねば!!」
ということですからね。
書籍ではそのような技術の進歩はもうありません。その点が本とCDを同一視できないところですね。(いやまあカバー違い帯違いなどは、本の「器」の部分に価値を見出しているわけで、一概に無意味とはは言えないのですが、少なくとも私にとって、本は単なる容器に過ぎず、工芸品ではないのですなあ)
この違いには、気がつきませんでした。新たな視界が開けた感じです(^^;
>継続の気構えが出来たら、更新を再開したい!!
日記とか腕立て伏せとかと同じで、継続している間はいいのですが、一回途切れるとなかなか復帰できませんよね。
ところがひょんなことで簡単に復活できたりもする場合もあったりしますから、その時が来るのを気長に待つしかないかもですねえ(^^;