ヘリコニア過去ログ1509


「ヒトデの星」再読(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月30日(水)22時01分55秒
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  > No.6587[元記事へ]

 承前。前項で、「それを「統括」する作用が弱まれば、ナノマシンの結束が失われ(ほどけ)、簡単にもとの一個一個のナノマシンつまり極微小の積み木すなわち泥に戻ってしまう」と書きましたが、遺伝子改変されたヒトデの形態(形相)を担っているその中身(質料)が泥(ナノマシン)であるヒトデナシも、とうぜん例外ではありません。世界はヒトデナシの労働によって泥に崩れ去るのをなんとか防がれていますが(「こうやって皆で毎日のように形を与え続けてやらないと、いや、たとえ与え続けていても、いつ、何をきっかけにして突然、もとの泥に戻ってしまうかわからないのだ」40p)、ヒトデナシ自身は、基本的に自分でその傾きに抗しているのです。それはあたかも、ほっておけば必ずそうであるところの、エントロピー増大に対して、生命が逆向きの力でそれに抗しているのを彷彿とさせます。
 というか、著者はそれを念頭においてこの世界を創造しているはずです。
 生命の逆エントロピーの力を、橋元淳一郎さんは「生への意志」としました。というか生への意志の有無が生命の根源的な契機なんですね。
 27頁、雨に打たれてどんどん形態をとろけさせ始めた「私」、「だから私は蕩けながら、それでもまだこうして歩いている。いや、歩いていることで、ようやく形を保っているのかもしれない。動かすことで、雨の中で曖昧になった境界が一瞬でもその輪郭をあらわす。それを頼りにして、もう一歩を踏み出す」(27p)
 この描写、まさにエントロピーに抗する生の意志の表現はないでしょうか。世界も「私」も「質料」は同じなんです。ですからほっておけば簡単に融合してしまう。それを世界と切り離して存在させているのは(形相を維持させているのは)、まさに生への意志なのです。

 さて、そのような「私」は、次に「他者」について考えます。他者すなわち自分以外のヒトデナシも、「この私のように、彼らもまた、自分のことを「私」と感じているのか」(41p)
 その思考は、彼自身が、いつから自分が「私」であると思うようになった(「以前の自分と違っていることに気がついた」(42p))かへと思考を引き戻します。
 この描写は、彼が最初から「私」であったのではなく、ある時点から「私」となったことを示唆しています。
 これは社会学では「自覚の後至性」といわれるもので、実際、発達心理学でもそれは観察されていますし、まずなんといっても我々自身、自分の過去を振り返ってみればわかること(体験的事実)です。自覚の後至性については、先日紹介したこの論文が簡明です。
 本書では、「自覚」はテレビによってもたらされます。社会学的には、まず自他未分化な「われわれ」が先にあり、「私」の自覚はその後です。
「これが、私になる以前の私であれば、それに従うとか従わないとか、そもそもそんなことをいちいち考えたりせず、ただ与えられたシナリオに従って行動し、その役を全うしようとしただろう」(43p)という描写は、まさに前段階としての「われわれ」であった「私」を表現しているように思います。ついでながら、ラストで形成される宇宙エレベータとも見紛う「ツリー」は、全き「われわれ」的至福の極致を現しているんでしょう。

 またこれは、「シナリオ」を疑わない(アプリオリとして信じる)態度でもあります。「シナリオ」とは、「経験」ではありません。「経験」以前に「社会」によって書き込まれるものです。「常識」とか「道徳」がその代表といえます。皆さんも私以前では、常識や道徳を疑わなかったと思います。ちなみにこのような態度を、フッサールは「自然的態度」と規定しました。
「われわれ」は、先の論文にあるように社会の「制」(organization)に根拠があり、それが「同」(communication)すなわち「全体の中に自分(役割)がある喜び」も結果するんですね。

「しかし、今は、そうではない」(43p)
 ただシナリオのとおりに行動することに、疑問を感じます。自然的態度からの「超越」ですね。

 あ、その前に、「他者」の問題に触れなければなりません。これについても「私」の思考は、きわめて明快です。しかしそれは次回とさせていただき、今日のところはこれまでとします。

 

Re: Re:マイディア…

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月30日(水)16時49分34秒
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  > No.6588[元記事へ]

 段野さん
 おお、最近はそんな風になっていますか。ツタヤにはゲートというかセンサーが入口にありますが、当地のホームセンターはまだそこまでにはなっていません。それにCDやDVDには感応するタグが付けられているわけですが、ティッシュやボールペンや歯ブラシ一個一個全てにそういうタグをつけるのは、現状ではまだ難しいのではないでしょうか。
 でも監視カメラは、多分あちこちに仕掛けられているんでしょうね。そして店の後方スペースの秘密の一室には、四方の壁面にびっしりとモニター画面が埋め込まれていて、店長(?)がそこに陣取ってモニターを監視しているのです。まさに『1984』ですね。未来の監視社会の縮図ではありませんか。『俗物図鑑』では音声盗聴だけでしたが、現代は映像でも監視されているわけです。
 客はいうまでもなく、社員の行動も、このモニターによって常時監視されています。モニター室の主に生殺与奪の権利を握られている。
 ところがこの部屋にも、実は監視カメラが設置されているのです。モニター室の男自身も、本社のモニター室から監視されているのですね。その本社のモニター室もまた………………

 

Re:Re:マイディア…

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 9月30日(水)15時44分56秒
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  管理人さま
件の店でも、ホームセンターでも、出口には「ゲート」がありまして、レジを通していない商品(買っていない)を持ち出そうとすると、センサーに引っかかって警告音が鳴るらしいです。つまり、「万引き」防止策を打ち出しているようです。よって、従業員減らしが可能になると思われます。その分、お客へのサービスが減るのも仕方ないようですが。また、件の店に働いている人が言うには、「監視カメラ」があちこちにあるとのこと。カメラで、現場を押さえるような仕組みらしいです。(そのカメラは、従業員を監視しているのだとか。何のためか分かりませんが)
 

「ヒトデの星」再読(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月30日(水)02時24分38秒
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   北野勇作『ヒトデの星』再読に着手。65頁まで。
 やっぱり再読しなければいけませんね。終盤で重要な転機となる(二分化の)プロットの伏線が、こんな最初のうちからすでに張られていたんですね。驚きました。
 一見いきあたりばったりに緩く進行しているかにみえなくもなく、そのようなところから本書は、短篇を連関させて長篇化したような印象もあるのですが、実は最初から最後まで綿密に構想され上で、はじめて書き進められたものなんでしょう。その意味でまさに長篇小説らしい長篇小説といってよいかも。

 今回読んだ部分は、本書の世界設定のイントロダクション部分といえそうです。
 先日も述べたように、本書は人類滅亡後の物語です。もう人類はどこにもいないのですが(ああ、テレビの中にはいます)、人間の労働を肩代わりするためにヒトデの遺伝子を改変して(それと後述のナノマシンで)作り出された「ヒトデナシ」と称される、擬似人間たちが残されています。(これ、明らかにチャペックのロボットですよね。ヒトデなのも、別作品ですがサンショウウオから来ているのかな)
 かれらは、それが人類滅亡の原因でもあるのですが、最終戦争にも匹敵する人類の過誤で、放っておけば何もかも「かたちを失って」泥濘化してしまう地上を、それに抗して「形ある」状態に保つために、働いているのです。

 昔話ふうに語られる「★」は、滅びる前の人類の話。
 ここで、この小説世界の根本概念である「泥」とは何であるかが、とりあえず示唆されます。「積み木」に比定されているのですが、初読では、私自身が遊んだような、たかだか十数個の積み木遊びしかイメージできず(もちろん読み進めるに従って理解していきましたが)、違和感があったのですが、要するに極微小の、無限に近い個数の積み木をイメージしなければならなかったんですね。つまりナノマシンです。このナノマシンこそが、「泥」の正体ということになる。ナノマシンで出来た物体は、それを「統括」する作用が弱まれば、ナノマシンの結束が失われ(ほどけ)、簡単にもとの一個一個のナノマシンつまり極微小の積み木すなわち泥に戻ってしまうのです。
 でもこれ、そういう一義的な説明の裏側に、一般的な「構造」(形相)そのものの本質が籠められていると私は思いました。そういう(小説の本筋とはあまり関係がないけれども)ものごとへの本質的な理解が、このあともしばしば開示されていて、それも本書の面白さであり、厚みにもなっているんですよね。
 あ、時間がなくなりました。今日のところはこれまで。

 

Re: マイディア・・・

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月29日(火)22時39分3秒
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  > No.6585[元記事へ]

 承前。近所のヤマダ電機で、オーディオ用のケーブルを買ってきました。
 ヤマダ電機、半年ほど前に通りかかったら閉店していて、ああ撤退かと思っていたところ、その後、改装して、ヤマダ電機アウトレットという名前で営業を再開しているのは知っていたのですが、新しい店に入るのは、今日が初めてなのでした。
 本業の売り場が3分の2くらいになっていて、新たに日用雑貨や菓子類の売り場ができていました。いわば電器売り場が広いホームセンターという感じか(そのかわり工具とかはない)。客数増は見込めないので、あれこれ買わせて買い上げ点数を増やす作戦ですね。
 そして、まあ今日は平日ですが、電器売場を縮小した分、対面販売の店員は劇的にいなくなっていて、そこそこ広い売り場に、私の見た限り接客専門の店員は一人だけでした。人件費の圧縮か。
 でも、これは痛し痒しで、ケーブル関係の売り場がどこか聞こうと、その店員に近づいていったのですが、タッチの差で中年のおじさんにつかまってしまった。おじさんいろいろ質問していて、ちょっとやそっとでは終わりそうにありません。諦めて自己解決しました。土日もこんな状態ではないでは思いますが、客としては、相談する店員がいないと大きな買い物はためらわれますよね。絶対売上は落としますね。日用雑貨はそれでいいんですけどね。
 すぐ近くの、別のホームセンターも、店員は殆どおらず(サービスコーナーにもおらず)、逆に店員を呼び出す呼び出しボタンが設置されています。もう店員は居ませんよというスタンスで運営がなされているんですね。
 私などは、これでは万引きしたい放題やがな、と心配するんですが、実際万引きは多いと思います。それでもそのロスは、人件費一人分よりも少ないんでしょうね。もちろん警備員は巡回しているはずですが。
 でも、こんなのって末期的な感じがします。だいたい客の倫理意識が低下しますし(特に中高生)、そういうのを仕方がないとして働くのも、モチベーションが下がりこそすれ上がることはありませんよね。

 ということで(どういうことだ)、再挑戦しました(^^)
 

 

マイディア・・・

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月28日(月)22時42分57秒
返信・引用
   ウィンドウズ10に、ボイスレコーダーというソフトが入っていて、そこそこの音が取れることが分かったので、当ソフトを使って録音してみました。
 うーん。ステレオの左側にしか録音されていません。音も小さい(よろしければボリュームを上げて聞いて下さい。聴き終わったら元に戻すのをお忘れなく。次に音を出したときビックリしますから)(^^;。
 どうやらこの原因は、ボイスレコーダーにあるのではなくて、ラジカセとPCをつなぐのに使ったコードが、音楽用のではなかったからだと思います。明日にでも電気屋に行って買ってこよう。
 次はもうちょっとマシなのを作ろうと思います(あ、音質の話ですよ。腕前の話ではありませんので、念のため。腕前はこれ以上改善しそうにありません)(ーー;
 

 

老いたる馬は

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月28日(月)02時21分56秒
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   週末に、とある官公庁に提出した書類に関して、不備があったので今から言うように書き直してください、と言う電話があり、新しい用紙を目の前において、電話で言われるとおりに書き込んでいたのですが、向こうの言う項目が全然見つからないのです。向こうの人も、なん行目の左から何個目とか、丁寧に言ってくれるのですが。目を皿のようにしても、ない。だんだん電話口の人が苛立ってくるのが分かる。
 ところが、その言われた場所に、ちゃんと該当する項目があったのです。
 ただし小さく、薄い文字で書かれていたのでした。
 見えてなかったんですなあ。
 メガネを外して裸眼で見ていたら、もっと早く発見できていたのかもしれません。
 要するに老化なんです。
 がっかりしました(がっくりか)。
 そういえば私も、若い頃、60過ぎの嘱託社員の人に(何か指示していたんだと思いますが)紙を見せながら「ここに書いてあるでしょ?」と苛立った口調で言っていたなあ、と想い出しました。なんと傲慢だったことか。今頃気づいても遅いのですが。
 そして今まさに私自身が、二十年前の嘱託さんの立ち位置に立っていたのです。哀号。

 老いたる馬は道を忘れずと言いますが、老いたるはなお及ばざるが如しとも言いますよね(違)。小松さんの気持ちがわかるようになってきました(>おい)

 

久々にEWI

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月27日(日)01時11分13秒
返信・引用
   元ツイート

 久々にEWIの練習。涼しくなってようやく再開しようかなという気になりました(夏場に汗塗れになってまで吹こうというゴンズクもパトスももはやありません)。今はまたマイ・ディア・ライフに再挑戦中なんですが、これまで何度練習しても指運びがうまくいかなかった難所が、するっと動いて吹けるようになっていました。どういう脳と指の連関なのか、こういうのたまにあるんですよね。

 

「ヒトデの星」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月25日(金)22時57分47秒
返信・引用
   北野勇作『ヒトデの星』(河出書房、13)読了しました。
 人間は人口が減少していき、既に滅亡しています。それ以前に、人間は人口の減少を埋め合わすために、労働力として、ヒトデを遺伝子操作して人間に似せて作られた擬似人間ヒトデナシを生み出していました。かれらは人類がいなくなった後も、脳にアプリオリに書き込まれた指示書に従って、労働に従事しています。しかしヒトデナシは、なぜ自分がそんなことをしているのか、考えることはありません。
 そのなかで、一人のヒトデナシが、たまたま泥の中からテレビを拾う。彼は拾ったテレビを見続けているうちに、次第に、他のヒトデナシとは違って、自我に目覚めていくのでした……

 うーん。これはすごい。すごくて深い。深すぎて泥の海で溺れかけました。ということでもう一回最初から読むことに。
 しかしその前に、少しでも四ツに組みあえるよう、こっちを読んで頭のなかを整理しておこうと思います。→http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/43/43_ch01.pdf(PDF)

 今日は「太陽系の誕生」を視聴。
 
 

眉村さん情報:産経新聞連載「少國民の時代」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月25日(金)17時37分21秒
返信・引用 編集済
   眉村卓さんの産経新聞連載エッセイは、第六回「堺大空襲」が掲載されました。今回で最終回でしょうか?


 

堀晃さんの湾岸区

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月24日(木)00時11分24秒
返信・引用
   おお、今日は堀晃さんも「まぼろしの湾岸区」を歩かれていたようです→マッドサイエンティストの手帳
 私は湾岸区の西側、新開地部分を車窓から「鳥瞰」してきたのでしたが、堀さんは湾岸区の東側、昔からの地域を、足で歩いて(足で歩けば婆さんに当たるといいますか>おい)「虫観」的に見てこられたんですね。まさに正反対。私の手抜きが際立って恥ずかしい(^^;
 それにしても、まぼろしの湾岸区って、SFもののイマジネーションを、ふしぎと刺激しますねえ(^^ゞ

 

幻の湾岸区縦断記

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月23日(水)21時18分22秒
返信・引用 編集済
   幻の湾岸区縦断ツアーを企画しました。
 湾岸区ってどの辺?
 ここです。
 

 湾岸区といってもいささか広い。今回はニュートラムを利用し、その西半分を概観してきました。

 

 赤線がニュートラム。青線が中央線延伸部分です。この2線を利用しますとほぼ西半分が概観できます。そしてこの地域は、もともとは海。従来の大阪に新たに加わった土地なんですね(一番下の資料参照)。

 さて、当初は前菜に、JRを南田辺で降り→相生通り(A通り)→聖天坂(S坂)→地下鉄岸里という3キロ弱の「昔のコース」(眉村卓『短話ガチャンポン』所収)もたどるつもりだったのですが、出発が遅れ、スキップ。
 JR天王寺→地下鉄大国町で、四つ橋線に乗り換えました。
 「昔のコース」に、「この四つ橋線は、大国町に近づくと、御堂筋線と並行し、ちょっとの間、並んで走るお互いの車両が見えるのだ」と、岸里駅から四つ橋線に乗った主人公が、並走する御堂筋線の車窓に、亡き弟の姿を探すという印象的なシーンがあります。今日私は、その、亡弟が乗っているかもしれない側の電車で、主人公が乗った側の電車と並走し、次に四つ橋線逆方向、住之江公園行きに乗って、今度は天王寺方面へ向かう御堂筋線と、しばし並走したのでした。

 終点住之江公園でニュートラムに乗り換え。
 ここで不思議な光景に遭遇。地下鉄駅からニュートラム駅へ移動する途中に長い長いエスカレータがあるのですが、これがなんと右側を空ける東京流なのでした。今日は混んでいて、長いエスカレータを下から見上げますと、ずらりと人が左側に並んでいました*。やはり従来の大阪とは違うようです。*今日はたまたまそうだっただけなのかもしれませんが、その光景は私に、旧来の大阪に新たに出来た異空間大阪へ、これから入っていくのだな、という期待感を、いやが上にも高揚させてくれたのでした。

 いうまでもなく住之江は競艇の町。次の平林駅当たりはまだ旧来の土地でして(※といっても、平林も20世紀初頭に埋め立てられた土地です。南港は当然それ以降。一番下の記事参照)、上の地図でわかるように、プール状の池(?)が3つ並んでいます。
 実はここは材木の町でして、そもそも近畿中央部の山林で伐採され水運で運ばれてきた材木は、最終木津川に集められる。大正区平尾あたりには材木問屋が軒を並べていたのですが、地盤沈下(小松左京『わたしの大阪』参照)で対岸の平林に移転したという経緯がある。ということで、このプールは貯木池だと思います。でも今日は3つとも空っぽ。一本の材木もありませんでした。うーむ。
 平林を過ぎ、いわゆる南港地区に入りますと、一転、工場地帯です。右に折れフェリーターミナル駅には大規模な流通倉庫が並んでいます。
 このあたり、陸と海が交互に現れる、いわば水の新開地のイメージで、土地は広く平面で、人の姿は殆どなく、ある意味荒涼としていて、まさに開拓地を連想させられます。
 海を渡った咲洲のポートタウンは、今度は高層のアパート群が林立する地域。ポートタウン東とポートタウン西の二駅で、一気に乗客はいなくなり、ガランとします。郊外電車がターミナル駅を出発し、どんどん田舎へ行く感じです。
 ところが、その先のトレードセンター前駅は、ATCがあって、ちょっと官公庁街みたいになる。面白い。(このように、きれいに区分けされているのは、人工の町だからでしょうね)
 そして地下へ潜って、終着のコスモスクエア駅。地下なので、周囲の景観は分かりません。
 そこで、大阪港駅から延伸してきた中央線に乗り換える。ニュートラムから中央線ホームに移動するエスカレーターは、大阪方式の左空けでした。旧大阪へ戻ってきた感あり(^^;
 この延伸は15年前には既に完成していたようですが、私は知りませんでした。最近、わが母校市岡高校初の芥川賞作家柴崎友香さんの小説ではじめて知った。
 コスモスクエア駅から大阪港駅までは海底トンネルをひた走る。大阪港からは地下鉄ながら高架線の中央線で、これは私も馴染みのある路線です。
 弁天町駅で降り、JR環状線に乗り換え。
 環状線弁天町駅のプラットホームに立つのは何年ぶり、いや何十年ぶりか。高校以来ということはありませんが(^^; 地下鉄駅からの通路も、プラットホームの様子も(少し変わっていますが)ほぼ30年前の姿を保っており、懐かしかったです。
 ということで、幻の湾岸区西部を、ざっと縦断してきたのでした(汗)。

 〈参考〉
 

 

「ヒトデの星」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月22日(火)21時16分57秒
返信・引用
   今日も今日とて大相撲の後、こちらを視聴しました。
 
 冥王星の赤茶色は有機物だったのか!
 検索したら、ソリン(wikipedia)というらしい。「太陽系内で地球より外側の氷でできた天体の表面には豊富に存在する」
 なーんだ(^^;

 北野勇作『ヒトデの星』に着手。100頁まで。ちょっと前衛的な雰囲気。記憶にこだわるのはいつもどおりですが、今回は「私とはなにか」がテーマ? なんか哲学書を読んでいるみたいで、たのしい(^^)

 連休で運動不足。ずっと机の前に座っているので、いーっとなってきました。明日は運動がてら、幻の湾岸区あたりを散歩してこようかな。

 

グランドタック理論

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月21日(月)23時08分0秒
返信・引用 編集済
   今日の大相撲を観ようかと、ユーチューブを探したのですが、いつもアップしてくれる人が、きょうはまだのようで、仕方なくウロウロしていたら、たまたまコズミックフロントNEXTの、下の番組が引っかかりました。
 
 何となく観ていたら面白くなって、最後まで観てしまった。
 この放送の丁度真ん中あたりで紹介される「グランドタック理論」が殊にも面白かったです。
 これって、木星と土星が3:2で同期しなければ、更に落ち込んでホットジュピターになったということでしょうか。つまり宇宙的にはホットジュピターになるのが一般的で(これは観測事実に合う)、個別太陽系では土星のおかげで辛うじてそれを免れた?
 面白いなあ。もっと詳しく知りたい。適当な本はないかな、ということでホットジュピターのウィキペディアを見たのですが、挙げられている参考文献は、井田茂『異形の惑星-系外惑星形成理論から-』(2003年)のみ(汗)。
 それは既読だし、というかこの本以降に、適当な概説書は出てないのでしょうか。ちょっと信じられませんが。

 追記。いま見たらアップされてました(^^)→https://www.youtube.com/watch?v=zOCMjhlIMog

 

「エクソダス症候群」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月21日(月)14時19分12秒
返信・引用 編集済
  > No.6568[元記事へ]

 宮内悠介『エクソダス症候群』(東京創元社、15)読了。

 いや面白かった! 本年度マイベストワン確定かも(^^;
 エクソダス症候群とは、何の理由もなく(あるいは理由をねつ造して)「ここより他の場所」に行ってしまいたい衝動を抑えきれなくなる、いやそのような抑制の感情が起きない架空の精神病(精神障害)です。
 架空と書きましたが、そのような心の傾きはすべての人間にアプリオリにあるものです。それが抑制の効かないほど強い(抑制などという判断が生起しない)のがエクソダス症候群なのだと思われます。
 その意味で、青い鳥症候群もこの一種ですね。実用日本語表現辞典によれば「罹患した人は、理想と現実とのギャップに不満を感じるあまり、理想を求めて次々に新しいものを手に入れようとする傾向がある」と説明されます。かかる精神的傾向に対して「理想の世界なんてどこにあるのか」と揶揄するツイートをときどき見かけたりします(*)。たしかに「理性的」に判断すれば、そのとおりでしょう。
 でもこのような説明は、患者にすれば「後付け」のエクスキューズなのかもしれない、とは考えられないでしょうか。むしろ、医者や世論が勝手に解釈したものではないか。
「おまえ、そうなんだろ?」と念押しされた患者が、「そうなのかもしれないな」と影響されて、「はい」と答えただけなんじゃないかな。実際、患者には目的意識があって漂泊に赴くわけではないように思うのです。ただ「何となく」此処から出ていきたいだけなので、理由を尋ねられても答えられない。そこで「こうなんじゃないの?」、と助け舟を出されると、(そんなことはその瞬間まで考えたこともなかったのに)「あ、なるほど、そうだったのか」と納得してしまう場合がなきにしもあらずなのではないでしょうか。
(*)こういうツイートをする人は、私の閲覧する狭い範囲での主観的な印象では、教養があって常識的で理性的な人が案外多い。あるいは自然科学思考を身につけた人に多い。「在るもの」について研究する訓練を受けた結果、その表面の下に潜む無意識を感知できないというか思考の外に置いてしまうのかもしれません。

 さて、本書によれば「故郷に帰りたい」衝動も、エクソダス症候群のあらわれとされています。
 これもその通りですね。「故郷忘じがたく候」も後付けの自己解釈で、青い鳥症候群とはベクトルが一見まぎゃくに見えますが、結局「ここより他の場所」を求める衝動という意味では同じなんですね。
 私が思いつく典型的な例は、葛飾柴又のあのTさんです。
 実際Tさんは、すぐふらふらとどこかへ行ってしまいます(Tさんは青い鳥症候群ではありません。でも精神科に連れていかれて、こうだろ、とサジェストされたらそうかもしれないと自己納得してしまうでしょう)。
 いわゆる放浪癖の人はいますよね。その人が社会生活とそれを共存させていれば何も問題ない(全国を巡るテキヤ稼業は共存させた例といえる)。でもそれが家族に迷惑をかけてしまう人もいます。Tさんはどっちかといえば前者ですが、後者に限りなく近い前者です。
 後者の人は、こいつ病気かもしれない、と思われる可能性があります。
 Tさんも一般的見地からいえば困ったちゃんです。周囲の人もみな迷惑している。
 でもその迷惑している人は、だからといってTさんを拒絶していませんね。いわんや精神がおかしいなどとは思わない。
 それはリアル生活社会で分かり合っているからです(実害をこうむっていないこともある)。
 しかしリアルな接触がない外部の人間(たとえばニュースで知ってツイートする人)からすれば、そんなの野放しにするな、となるのです。かかるツイッターラーの基本的考えの枠組みが、実は今の日本社会の構造でもあります。それからいえば、Tさんはエクソダス症候群(の傾向がある)と分類されてもおかしくない。
 でも周りの人々の対面的な「生活世界」では、何ら他の人と変わらない正常者です。もしTさんの家族の基本的考えの枠組みが、社会全体のそれになれば、Tさんに似た人たちの行動パターンは、ツイッタラーの非難の対象にはなりません。
 ここで気づかされるのは、社会のありようによって、精神病は変わるということです。精神病は社会によって作られる。反精神医学は、まさにそれを言っています。精神病はない。それは社会が作る。
 加賀乙彦の『フランドルの冬』『荒れ地を旅する人々』は、まさにかかる反精神医学的状況を小説化したものです。
 本篇はそこまでドラスティックではなく、精神病院は精神病を「治療」して社会復帰させるべきだという考えも否定しません。そのためには薬の大量投与や、ロボトミーは論外にしてもそれに類する「精神外科」行為をも、ある程度許容する立場です。というか、本書はその葛藤の話といえます(結論はない)。
 つまりTさんも治療されれば、晴れて定職ももち毎晩帰宅して家族サービスもする社会人になれるのですね。それは人格が変わったのではないか。でも、例え人格が変わってしまったとしても、Tさん自身も、周りの人間も、幸福な安心な生活を送れるようになるわけです(という見方もできる)。
 また、Tさんなどよりもっと激甚な反社会性を有する人もいるわけで、そういう人は社会の安寧上病院に収容させなければなりません(という見方もできる)。そういう社会的役割が精神病院にはある(と考える人もいる)。ところが精神病院の床数には限界があり、どんどん退院させなければならない。そのための薬の大量投与(それが二次被害を生んでいる面もあるにせよ)や精神外科的処方は、ある意味必要悪(という立場もある)。精神病院の医師はそう考えているのかもしれません。
 ただ、それが精神病院を家族が患者を姥捨て山にする温床にもなっているわけですが。
 ――等々、いろいろ考えさせられました。

 本書はまた、火星の描写が素晴らしい。主要交通手段は馬(馬車)で、まるで19世紀のウィーンの街並みのようです。開拓時代のアメリカ西部のようにも見えますが、ドーム状の泡世界ですから、西部の広大さはありません。やはりちまちました中欧的世界観です。これも本書のテーマにふさわしい雰囲気を醸成しています。
 川又千秋が奇想天外に描いていた火星世界や、荒巻義雄の表現主義的なヨーロッパものにも通ずる世界観の復活を思わせる面白小説で、堪能しました(^^)


 

「やさぐれ青春記」が気になっています

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月21日(月)02時00分55秒
返信・引用 編集済
   発表が近づいたんでしょうか、最近、またギィっちゃん関連の検索語で来訪される方が増えています。口幅ったいことを言わせてもらえば、無意味な行為だと思いますね。一体何を知りたいというのでしょうか。気にしたって仕方がない。結果が発表されてから喜んだり悔しがったりすればいいだけの話。
 そういえばリツイートされたのを見たのですが(だれのツイートだったか覚えてない。小池一夫だったか)、応募原稿を郵送したなら、それはそこでリセットして次の作品を書き始めなさい、というのがありました。そのとおりだと思います。気にしてネットをウロウロする暇があったら次の原稿にとりかかるべきですね。

 ということで、小池さんのツイートを遡ってみました。発見できませんでした。他の人だったのかなあ。
 しかし、初めてまとめ読みしましたが、なかなか面白いツイートしてはりますなあ。少しご紹介。
 
       →http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20150906/hihan
 ツイート元



 

Re: Re:ウインドウズ10

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月20日(日)21時11分1秒
返信・引用
  > No.6573[元記事へ]

 段野さん
>朝日新聞に(素人向けに)解説が載っていました
 これですね。
 (てくの生活入門)最新のウィンドウズ10を知る:上
 (てくの生活入門)最新のウィンドウズ10を知る:中
 (てくの生活入門)最新のウィンドウズ10を知る:下

 『エクソダス症候群』は200頁まで読みました。のこり70頁。1、2時間もあれば読んでしまいますが、もったいないので、今日はここまでにしておきます(^^;

 

Re:Re:ウインドウズ10

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 9月20日(日)15時31分40秒
返信・引用
  管理人さま
ありがとうございます。ど素人の私です。都合よく、朝日新聞に(素人向けに)解説が載っていました。それと合わせて学習していきたいです。
 

Re: Re:ウインドウズ10

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月20日(日)13時56分24秒
返信・引用
  > No.6571[元記事へ]

 段野さん
>本体でおいておくのが、手早いみたいです
 そのためには、自動バックアップの設定しておくことをおすすめします。
 検索したら、分かりやすい手順記事がありました→Windows 10:バックアップと復元(Windows 7)とは?
 私は7のときに設定したのですが、10でもそのまま設定が継承されています。ここを読みますと、7で初めて搭載された機能みたいですね。
 「バックアップと復元(Windows 7)」となっていて、7でしかできないみたいな表現ですが、10で設定できます。リンクはその手順が示されています。
 あと、本体が壊れたときにデータを救出ためのものですから、保存先を本体にすることはできません。いやできるのですが、したら意味がありません。
 記事にある(D:)ヴォリュームは、私は外付けHDを指定しましたが、外部メモリーならなんでも大丈夫です(USBメモリーでも)。ただし自動なので、これ用のUSBメモリーは常時差し込んでおく必要があります。
 それから古いバックアップが上書きされるのではなく、並列で保存されます。容量が大きいので(今保存されているのを見たら2.5GB。3GBを超える時もあります)すぐにUSBの容量を超えてしまいますから、ときどき古いのを削除した方がいいでしょう(USBメモリーの容量は一般的に8GB)。

 

Re:Re:ウインドウズ10

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 9月20日(日)10時33分48秒
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  管理人さま
USBメモリーは、パソコン屋に聞きますと、かなりもろいものだそうです。ちょっとした衝撃でアウトになるとか、年月での劣化があるとかです。で、私はCDRを使ってみました。完全保存版のようになりました。やはり、管理人さまのように、本体でおいておくのが、手早いみたいです。
 

Re: Re:ウインドウズ10

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月19日(土)22時34分33秒
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  > No.6569[元記事へ]

 段野さん
 昨日書いた今日でなんですが、USBメモリーも怖いんですよね。
 以前、チャチャヤン関係や創作関係を保存していたUSBメモリーが壊れちゃって、大変な目に遭ったことは、お話したことがあったと思います。
 これはまあ、私の操作に問題があって、PCから引っこ抜く際、いつも「大容量メモリーの取り出し」の手順を省略していたのでしたが、それで問題なかったのです。ところがある日、同じ操作をしたら、中身が全部消えてしまっていたのでした(厳密には消えたのではなく、空き容量から何GBか食われたままなので、そこに残っているのは確かなのですが、PCが認識できなくなってしまった(取り出せなくなってしまった)ということのようです)。
 ですからきちんと手順は踏んでおけば大丈夫だったのかもしれません。USBメモリーが700円位の非メーカー品だったのも関係あるかもしれません。
 そういう次第で、最近はまたCDRを使っているのですが、CDRはCDRで、書き換え上書きができないんですよね。これは非常に不便です(CDRWならできるのか。でも遅いんですよね)。
 その意味では、昔のフロッピーディスクは本当に使い勝手がよかったと思います(これも頻繁に使用していたら、摩擦でディスクが薄くなって穴があきましたけどね)。
 あ、そうだ。私は、今のPCでは定期的に自動でバックアップしてくれる機能をオンにしているので(バックアップのデータは外付けHD に書き込まれる)、案外PC本体に記録しておくのが一番安全かもしれませんねえ(^^;

 

Re:Re:ウインドウズ10

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 9月19日(土)10時09分31秒
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  管理人さま
いろいろとお教え下さり、ありがとうございます。まだまだ素人の私ですが、一つ一つ知識をつけていきたいと思っています。(コピーの件、助かりました)
 

「エクソダス症候群」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月18日(金)22時19分26秒
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   宮内悠介『エクソダス症候群』に着手しました。50頁まで。
 やあ、これは面白い(^^) 舞台の火星世界が、一種ウィーン幻想派めいた(あるいは初期川又千秋っぽい?)ダークな色調で描写されていて、まさに私の好みどまんなか(^^;。たいへん魅力的です。
 そういうこと以前に、とにかく文章がよいです。著者は79年生れのようですが、文体が私たち昭和後半世代の使う日本語と同じ。ストレスなく読めます。
 というのは他でもありません、70年代後半以降に生まれた作家(90年代以降に思春期を迎えた世代。データベース消費世代)の用いる日本語は(ラノベ文体もその一環でしょう)、ちょっと私には半分異国語みたいに感じられるんですよね。構文というか統語(シンタックス)が根本的に違っているようにすら感じられます。苦手です。というか、はっきり言って読めません(了解が及ばない)。思考のプロトコルが変わってしまったような。ある意味レム問題ですね。
 これが(先日も書きましたように)、私が最近の若手作家を積極的には読もうと思わない理由の一つなんですが、この著者の文体は紛れもなく正調昭和語文体です。してみると日本語が、昭和語から平成語に変化しつつあるとはいえ、まだ昭和語スピーカーも一定数存在し併存しているということでしょうか。いやそれは正確ではない。むしろ、私たちが単一言語世代だとすれば、今の子達は日本語内バイリンガル世代なのかも。

 

Re: ウインドウズ10

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月18日(金)21時12分18秒
返信・引用 編集済
  > No.6566[元記事へ]

 段野さん
>ともかくいろいろなボタンを開けたりと、さんざんなことをやりました
 それ、大事ですよね。慣れないうちは、とりあえず(画面上のボタンにしろ、キイボードのキイにしろ)いろいろ押してみると、ああこんな機能があるのか、と気がつくことが少なくありません。
 ところで、印刷(ハードコピー)されたとのことですが、そういうとき私は「メモ帳」にコピペして、PC内に保存しておくことが多いです。
極力プリンタは使わないようにしていますね。いちいち印刷していると紙やトナーがもったいないですし(紙は保存に場所を取りますし)、物理的な動作なので当然プリンタの使用価値が目減りします(100枚前後一気に印刷していると、壊れるんじゃないかとハラハラするんですよね(^^;)。PC内保管が心配ならUSBメモリー等に保存すればいいわけです。
 やり方としては、コピーしたい文字列を反転させて右クリックすると、「コピー」のボタンが出ていると思います。コピーを押します。次に「メモ帳」を開き(あるいはあらかじめ開いておき)、メモ帳上にポイントして右クリックすると、今度は「貼り付け」ボタンが出ていると思います。それを押したらメモ帳に当該文字列がコピペされているはずです(名前をつけて保存します)。
 さらにwindows10には、OneDriveという無料のクラウドストレージ(クラウドに保存する場所を与えられている)が使用できるので、重要なものはそこに保存しておく手もあります。さらに安全です(私はまだ使ってませんが)。
 せっかく10にアップグレードしたのですから、こういうのも利用していきたいですよね(とはいっても、やはり紙データが一番安全で安心なんですけどね)(^^;。


 

ウインドウズ10

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 9月18日(金)13時36分40秒
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  郵便物の再配達をネットで受け付けるというので、チャレンジしました。無事に受け付けてくれましたが、「受付番号」をコピーしろ、というのです。今までなら、マウスの右クリックで「印刷」ができたのですが、探しても出てきません。あれこれと、インジケーターを開けてみたり、クリックしてみたりと、悪戦苦闘です。ともかくいろいろなボタンを開けたりと、さんざんなことをやりました。最後に残ったボタン「…」をクリックすると、「印刷」のメニューが出てきました。ようやくにもハードコピーができました。ちょっとしたことが、今までの「7」とは違うことで、戸惑いがあります(要するに、私が素人なだけです)やれやれでした。私のパソコンはNECです。  

「コロンビア・ゼロ」と「ソクラテスの孤独」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月17日(木)22時42分35秒
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  > No.6562[元記事へ]

 『コロンビア・ゼロ』より「コロンビア・ゼロ」『火星鉄道一九』より「ソクラテスの孤独」を読みました。

 「コロンビア・ゼロ」。昨日アップした「土砂降り戦隊」で、外惑星軍に待ち伏せ攻撃された護衛艦隊の旗艦であったフリゲート艦タウルスは、その40年後、すでに現役を引退しており、地球低軌道ステーション”コロンビア・ゼロ”で戦勝記念艦として係留展示されていました。そのタウルスがとつぜん破壊された。突如現れた外惑星連合の新型巡洋艦による機雷攻撃であった。この事件こそ、第二次外惑星動乱の幕開けでした!
 主人公は、ちょうどコロンビア・ゼロに入港する直前であやうく巻き添えを免れた護衛艦ペルセウスの士官惟谷中尉。物語は全て彼の視点で描写されます。めまぐるしく動く状況の変化が、またまた間接的な、中尉の想像で解説されます。そしてペルセウスはほとんどアクションを起こさず、敵の新型戦艦は去っていきます(その理由も考察される。が確実なことは何もない)。

 いっぽう、「ソクラテスの孤独」はまさに現在進行形の物語です。
 木星圏監視の目的で、木星―太陽線と両トロヤ群を結ぶ線の交点に設置された観測基地の、唯一人の常駐員であるガルシア少尉が主人公。
 基地のAI”ソクラテス”が、基地から最も遠いところにある観測受信機の能力が落ちているとガルシアに報告する。本来、ガルシアが直接赴いて修理すべきだが、あまりに遠くて、その間基地を無人にするのも問題。ということで、遠隔操作で修理を試みる。ところがその点検では当の受信機は正常に働いているのだった。ガルシアはいろいろ工夫して調べているうちに、(ソクラテスの助言もあって)原因は機械ではなく、外部にあるのではないかと気がつきます。
 このゆくたては、一見「土砂降り戦隊」や「コロンビア・ゼロ」と同じく「間接的」と見えなくもありませんが、違います。「遠隔操作」ではありますが「傍観的」ではないからです。
 さて、そうやってガルシアが各種2次データから帰納したのは、敵軍の補給タンカーが、受信機の近傍で息を潜めて待機している可能性でした。
 なぜそんなところにタンカーがいるのか。ガルシアが照会しますと、なんと「土砂降り戦隊」で待ち伏せし、旗艦タウルス率いるところの護送船団に甚大な被害を与えた後逃走し、復讐心に燃えるレニー・ルークによって追跡されている、”正規フリゲート艦”の予想逃走コースが、ドンピシャ観測受信機にかかっていたのです。
 敵フリゲート艦の燃料補給を阻止するため、タンカーを爆破しなければならない。
 ソクラテスの忠告を振りきって、ガルシアは作業船に乗り込みます。
「かまわん。すぐに作業船の用意をさせろ。あれに体当りして、ぶち壊してやる。お前は、あれに逃げられないような 最適軌道を計算しろ。俺を誘導するんだ」
「しかし、貴官が乗り込む必要は──」
「阿呆。センサだけで、命中するわけがないだろう。はずされたらどうするんだ。いいか、絶対に誘導ミスはするな。もしもよけられたら、二度めはないぞ。俺が死んだら、お前がこの基地の指揮をとれ。いいな!」

 これこれ、これですよ。これこそ現在進行形の面白小説(^^) 上記の会話は、私には、まるで前作の反省のように聞こえてなりません(>おい)(^^;

 さて、『火星鉄道一九』には「あとがき」がありました。これがまたなかなか面白い。
 著者は、「たとえば、いま読んでいる小説の、ヒーローの足どりを地図の上に重ね合わせないと先に読みすすめない」と書いています。これ、私も同じなんですよね。
 著者が難儀した地図という概念を持たないネパールのおばさんとの会話も傑作。
「なんのことはない、おばさんは自分がそこにいるつもりになって『こっち』とか『あっち』だとかいっているのだ。臨場感はあるのだが、そこにいったことのない人間には、理解不能だ」
 この感覚こそ、小説の臨場感ではないでしょうか(「ソクラテスの孤独」がまさにそうですよね)。私はそう難く信じているのであります(^^;

 ということで、
 谷甲州『航空宇宙軍史 火星鉄道一九』(中央公論電子書籍版10、元版88)と、『新・航空宇宙軍史 コロンビア・ゼロ』(早川書房、15) 読了。

 追記。どうでもいいことですが、「ソクラテスの孤独」には「ロンリー・ソクラテス」とルビが振られています。「ロンリー・ソクラテス」ときいて、ただちに思い出すのが「ロンリー・チャップリン」ですよね。調べたところ、「ロンリー・チャップリン」は1987年7月発売。「ロンリー・ソクラテス」はSFマガジン1988年4月号初出。私の想像するに、おそらく著者はカラオケでロンリーチャップリンを歌って帰宅してから、この物語を仕上げたに違いありませんね(>間接的証明)(^^;

 

ゼ→テ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月17日(木)20時42分40秒
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   ツイート元  

なぜにJPOWER?

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月17日(木)13時07分1秒
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   韓国のオカリナ・フュージョンバンド。
 

 

「土砂降り戦隊」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月16日(水)21時52分20秒
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  > No.6560[元記事へ]

 『火星鉄道一九』より「土砂降り戦隊」を読みました。

 世紀の奇策で木星軌道トロヤ群と土星を陥して内堀と外堀を埋めた地球軍は、いよいよ外惑星連合の本丸木星圏の包囲体制を確固たるものにしたが、問題があった。それは伸びきった兵站で、外惑星軍はその「線」をゲリラ的に攻めて、木星包囲軍の補給体制を苦しめた。その結果、輸送船団を護衛艦隊が先導する護送船団方式が採用された。
 その最大の船団が小惑星帯を抜け、木星を前後から挟む、今や木星攻めの拠点となっているトロヤ群に向かっていた。この船団の補給物資が木星包囲軍に届けば、地球軍は一気に木星圏総攻撃にかかる手筈だった。
 ところが補給船のうちの一隻が、故障で推力を失い、遅れがちになる。その船には船団でとりわけ重要な兵器が積み込まれていたので、護衛艦隊から一隻がその護衛に回され、40時間遅れで先行する船団の後を追っていた。
 本篇の主人公は、この護衛艦レニー・ルークの乗組員たち。
 船団は、木星軌道手前の小惑星帯ヒルダ群にさしかかる。ここはちょうどマラッカ海峡とかホルムズ海峡みたいな場所なんでしょう、案の定、ヒルダ群に同期して小惑星の影に潜伏していた外惑星軍が襲いかかってきたのでした……

 本篇は、その戦闘を直接的に活写するものではありません。あからさまに言えば、「ガニメデ守備隊」同様、戦闘の現場から何ほどか離れたレニー・ルークの管制室(本篇も最初から最後まで、実体的には管制室の中だけの話です)で、観測機器が捉える戦闘の「間接的」なサインを、あーでもないこーでもない、あーだこーだと推理するばかりなのですね。
 いや、それが面白くないわけではありません。間接的なデータから現実の戦闘の様子をあぶり出していくゆくたては、一種、目の前の霧がさーっと晴れるような興奮があります。
 でも、結局それって、囲碁や将棋を別の部屋で解説している番組と同じなんですね。そこが、私個人的には物足りないのですねえ。傍観的といいますか。ですから最後にクルーたちが敵艦に対し食らいついていこうと一心同体になるんですが、それが今ひとつ唐突で、リアル感を感じられない。
 やっぱりこういう小説では、敵の視点からの描写もあったほうが、いわゆるゲーム的な臨場感が高まってワクワクしてくるように思います。まあ個人的な嗜好の問題で、このような事件を専ら俯瞰的に解説する筆法を好む読者もいるのでしょう。
 後記。この不満は、設定解説とは別の次元です。設定解説と評論家的な物語進行解説とは全然別物であって、本篇も設定(最初の3段落に要約したもの)自体は非常に面白いです。この設定で、いきいきとした作中人物の具体的な活躍を、私は読みたいと思ったのでした(^^;

 

助っ人

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月15日(火)21時57分26秒
返信・引用
   トラに強力な助っ人が入ったんやてな。大魔神やて? そら強いな。

 

 ちゃうちゃう。大誤審や。

 

 ……。それも強力やな。


 

「ギルガメッシュ要塞」と「タイタン守備隊」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月15日(火)21時01分6秒
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  > No.6558[元記事へ]

 『コロンビア・ゼロ』より「ギルガメッシュ要塞」「ガニメデ守備隊」を読みました。この二作でひとつの物語です。
 「ギルガメッシュ要塞」の主人公はめずらしく女性で、システム解錠のプロ。犯罪者が情報交換を行うサイトで知り合った男から一仕事しないかと誘われる。その仕事とは、なんと土星タイタン軍の木星ガニメデ派遣部隊駐留基地からの軍需物資の窃盗。
 その基地は完成したばかりで、軍需物資は運び込まれているが、肝腎の軍隊はまだ到着しておらず、警備も手薄な状態ということだった。
 主人公の仕事は警備システムを解錠するところまで。その後の仕事は件の男とエスコートのもう一人の二人で行なう。あっけないほど簡単にゲートは開き、二人の男はするりと基地に忍び込んでいったのだったが……

 と要約したとおり、本篇は「動き」描写オンリーのオモシロ小説です。ところが……

 後篇の「ガニメデ守備隊」は、一転、視点が変わって、主人公は基地の管理者。というか基地には、人間は、管理者である当の保澤准尉ひとりしかいないのです。というよりも、ガニメデ全体で、タイタン軍の人間(地上要員)は保澤たったひとりだけ(ただし木星軌道には駐留軍が展開している)。このようになっているのは、第二次動乱にそなえて軍隊は全て出払ってしまっているからです。
 そんなわけで、保澤自身も基地内にいるわけではない。ガニメデの裏側(反対半球)にあるコントロールルームに詰めていて(最初から最後までその場から動きません)、いわばバーチャルに管制しているのです(しかも反対面だから、他の衛星上に構築された中継点を介してのそれで必ずタイムラグが生じ即応的ではない)。
 ストーリーは保澤准尉の視点で描写されます。つまり読者の視点も現場から遠く離れた間接的なものとならざるをえない。すべては保澤がバーチャルに認識したものを、読者も見ているわけです。具体的なものが即時的(現在進行形)に描かれることはありません。読者は、保澤によって「説明された」「解釈された」ものを読むばかりなのですね。
 こういう筆法は、リアルタイム描写が持つ、具体的な、いきいきとした躍動感を表現することはできません。いわばリズム・セクションなしの演奏みたいなものです(こういうのはよほど優れていなければなかなかのっていけません。たとえばボクシングで足を止めての打ち合いがそうですが、タイトル戦くらいのレベルでなければかったるい。晩期コルトレーンの演奏も、ある意味こういう感じですが、やはりコルトレーンだから迫力があるんです。アマチュアがソロで吹いても平板なお経みたいになってしまいます。そこにリズム楽器が絡んで初めてそこそこ聴けるようになります)。なかなか難しい筆法だと思います。

 ところで本篇は、現場に指揮官がいない軍隊の脆弱性の話でもあるのですね。今ふと気づいたのですが、それを表現するために、この筆法が選択されたのでしょうか。そうなら少なくとも理屈としては納得できる面もあるのですが……

 

蕎麦と代萩

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月14日(月)21時10分32秒
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   ツイート元

「日本では切り花用の観賞植物として導入された帰化植物。代萩とも呼ばれ、萩の代用として用いられる。その存在が目立つようになったのは第二次世界大戦後で、アメリカ軍の輸入物資に付いていた種子によるもの等が拡大起因とされており、昭和40年代以降には全国、北海道では比較的少ないが関東以西から九州にて特に大繁殖するようになった」ウィキペディア

 そのドミネーションの経緯が、「気づいたら変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」の手口とよく似ているところから、近年好感度を大幅にアップした。《党花》に制定してはどうかという動きも、一部にあるという。

 

「タイタン航空隊」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月13日(日)23時39分42秒
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  > No.6557[元記事へ]

 承前。『火星鉄道一九』から「タイタン航空隊」を読みました。

 や、これは面白い! 「小惑星急行」の次の段階で、一気に土星軌道の制宙権を握った地球軍は、タイタン制圧に向けて急遽編成した「空軍」・タイタン航空隊を、ひそかにタイタン大気圏に投下します。
 面白い理由は一目瞭然。本篇では、最初から最後まで、主人公はずっと「行動(行為)」している。したがって書き方も、最初から最後まで「描写」なんですね。だから臨場感があって、主客的「読書」体験が、いつのまにか主客未分化な「本との一体化」体験に、簡単に移行できてしまう。
 「説明」ではいつまでたってもこの境地は訪れません。
 とはいっても例外もあります。豊田有恒さんの古代史小説は、客観的にはガチガチの説明小説なんですが、私の個人的興味と分野が一致しているために全然気にならず没入できてしまうのですね。
 それで、著者の興味の範囲と、私の興味の範囲の相違がはっきりと認識できました。
 著者の描写はタイタン用航空機と一体化しており、メカニックの微に入り細部をうがった説明的描写に専心します(メタンの大気中を飛行するに必要な燃料が酸素というのは面白かったですが)。わたし的には、もっとタイタンという衛星自体の説明的描写を読ませてほしいと感じてしまいます(そういう描写はほぼない)。
 興味の分野の一致というのは、読書の重要な契機であることは間違いありません。
 このシリーズ、私にとって面白い作品とそうでない作品が存外明瞭にあるのですが、けっきょく上記の理由が大きいような気がします。
 本篇はメカニックの説明もありますが、それ以上に主人公の行為が臨場的に描写されており(メカニックもそれを補強する方向に働いており)、より面白く感じることができたようです。
 ちなみに本編の主人公「淵田」は、『コロンビア・ゼロ』の「ザナドゥ高地」で主人公の「ナムジル」に回想されていた「淵田」ですね。つまりナムジルこそ、本篇で淵田が交戦したタイタン機のパイロットなのでした。

 

「小惑星急行」と「ジュピター・サーカス」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月13日(日)21時07分48秒
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  > No.6556[元記事へ]

 『火星鉄道一九』より「小惑星急行」を、『コロンビア・ゼロ』より「ジュピター・サーカス」を、それぞれ読みました。

 「小惑星急行」は、第一次動乱の帰趨を決定づける契機となった(木星を飛び越えて)土星直攻作戦の奇策(戦略的には奇策ではない)のお膳立てで、小惑星帯に外惑星軍をおびきよせるための「デコイ」(囮)として派兵された艦隊の話。
 隊員たちはデコイであることを知りません。しかし艦隊の船が旧式の寄せ集めであることから、薄々気が付いてはいます。それでも彼らの後ろには、精鋭艦隊が続々と集結している筈ということは信じていた。
 まさかとんでもない奇策のための「完全なる捨て石」とは思いもしていなかったのですが……。

 本篇は上記のとおり、地球軍が採用した奇策をトレースする軍事小説で、それ以上でも以下でもありません。奇策が実際は戦略的に最適解だったという話の一部分を受け持つものです。ひとつ前の「水星遊撃隊」のように、双方向的なゲーム性があれば、あるいは機雷の破片に頭を吹っ飛ばされることになる、この作戦の策定にかかわったはずのアチット艦長の内面にもっと肉薄してくれていたら(当然帰還は叶わないことはわかっていたのになぜ乗船した? それが書かれなければ仏教徒に設定されていることにもあまり意味がない※)、私ももっと楽しめたと思うのですが。
[※まあこの書き方でいいという意見もあると思いますが、わたし的にはそれにしても手がかりが少なすぎるという感じです]

 「ジュピター・サーカス」は、地球軍が駐留管理している木星の、大気圏最上層部に(方向転換のため?)進入してきた「登録不明」の無人船に対して、一人乗り監視艇がスクランブル発進します。
 この部分、木星大気内を上昇する監視艇から見える木星が素晴らしい。「木平線」が天頂方向に円形に覆い、閉じた円内に宇宙に連続する空が見えるんですねえ(上昇するにつれ、円は広がり円弧になっていく)。実際にそう見えるのかどうかは知りませんけど(^^;
 主人公に与えられた任務は、侵入船の予想軌道に先回りし、後ろから近づく船に対して(形式的な警告後)機雷を落として爆破するというもの。
 機雷を発射した瞬間に、緊急メッセージが届き、船を爆破せず接収せよとの命令が届く。その理由は……!?

 その不明船はタイタンのものだった。どうやらタイタンは(地球に先んじて)ひとつ前の「サラゴッサ・マーケット」で信奉者が安らかに瞑っていてほしいと願ったサラマンダー(シュミット大佐の意識がAIに統合されている)のデータ・サルベージに成功したようです。不明船はそのデータを組み込んだ最新鋭艦(の実験航海)だったのです。
 当然地球もそのデータがほしい。ということでの命令変更だったのですが、すでに機雷は投下された。不明船はいかに反応するか。さてさて……という話。
 これは面白かったです(^^)

 

「サラゴッサ・マーケット」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月13日(日)01時28分22秒
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  > No.6555[元記事へ]

 承前。『コロンビア・ゼロ』から、「サラゴッサ・マーケット」を読みました。

 土星の衛星イアペトスは、ある種のアンダーグラウンドなビジネスの拠点で、その中核をなすのがサラゴッサ市場です(ブレードランナーの都市みたいな感じか)。主人公の店も市場内にあります。なかには非合法な取引に手を染める店もあるようですが、主人公の店はそうではない。
 ある日、ヘルツァーという名前の(偽名でしょうけど)、全く特徴のない顔の男が店に訪れる。 全く特徴がないことほど不自然で胡散臭いことはない。何らかの手段で特徴を隠しているのに間違いありません。やばいことに巻き込まれてはかなわんと、主人公は慎重に応対するのでしたが……

 主人公はサルベージ屋。もともとは第一次動乱での戦闘で撃破され、沈没(比喩ですが)したり漂流したりしている損傷の軽微な船を見つけては引き上げて、敗戦直後のことで一から新造艦を作る余裕のない外惑星に売却したりして利益を上げていた。
 しかしそんな船はすぐにサルベージし尽くし、現在では、ハードとしてはもはや使えない船であっても、コンピュータに残されたデータは利用価値がある場合があり、そういうデータ・サルベージが主たる業務となっています。
 ヘルツァーの依頼もそれだった。ある行方不明の漂流船を見つけ出し、データ・サルベージしてほしい。
 船名を知って主人公は驚愕します。
 40年前の第一次動乱で勇名をはせた巡洋艦サラマンダーのサルベージ依頼だったのです!?(しかも主人公もその船の乗員だった)

 実は著者の旧作に「巡洋艦サラマンダー」という中篇があるようで、どうもそれを読んでいないと、本篇だけ読んでもピンと来ないような気がします。
 その旧作に書かれているのだと思うのですが、サラマンダーは40年前の敗戦時に、地球軍の接収をいさぎよしとしない船長(シュルツ大佐)一人だけ乗せて、深宇宙に消えてしまったのです。ちょっとネモ船長とノーチラス号の最期を彷彿とさせますね。
 ヘルツァーはガニメデの諜報員で、シュルツ大佐(故国ガニメデでは英雄なんでしょう)の熱烈な信奉者だった。
 サラマンダーの行方とデータは、地球も、外惑星の盟主タイタンも追っていた。ガニメデ人でありシュルツの信奉者でもあるヘルツァーは、どちらの側にもサラマンダーを渡さないようにするのが望みなのでした(静かに瞑らせておいてやりたい)。
 彼もまた、シュルツ大佐とサラマンダーを、ネモ船長とノーチラス号と同じ構図で理解していたのでした。つまりサラマンダーはシュルツ大佐の<墓>なのだと。
 ところがところが――というお話。

 かくのごとくにストーリーは面白いのですが、実際に作中人物が「動く」場面がごく少なく、ほとんどが主人公の「想像」なのですね。それは同時にほとんどが(描写ではなく)説明文だということでもあります。「小説」としては弱いと感じました。
 あと、終戦直後に同様の試みがあり、サラマンダーのコンピュータと同期した男が死んでいるのですが(シュルツの心象風景にふれたため)、だったヘルツァーも同様の結果になるはずではないでしょうか。内的な連続性が切断されているように感じました。

 

「水星遊撃隊」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月12日(土)00時05分26秒
返信・引用 編集済
  > No.6554[元記事へ]

 承前。『火星鉄道一九』から「水星遊撃隊」を読みました。
 パールハーバー的開戦奇襲に失敗した外惑星軍は、地球軍に追い散らされ、大半、小惑星帯に紛れ込む退路を選択したが、いかなる理由でか、水星方面に突っ込んでくる敵巡洋艦があった。地球軌道より内側は比較的地球軍が手薄なのにつけこんで、太陽スイングバイで逃れようとしているものと思われた。
 水星のプラントを警備する哨戒隊に迎撃命令が下る。
 しかしその実体は、満足に戦闘行為に参加できる哨戒艇は五隻しかなく、そのうち四隻は敵艦が放った機動爆雷の処理に向かったため、迎撃可能な艇は、水星軌道より内側に位置していた主人公二人の乗る哨戒艇一隻しかなかった。
 しかし主人公たちの艇は敵艦に対して太陽を背負うという有利さがあった。要するに紫電改のタカの新戦法の原理ですね。ところが敵もさるもの、哨戒艇の太陽掩蔽を観測して位置を特定すると、少し横に動いて、哨戒艇と地球を結ぶ線上に移動したのです。つまり敵は地球を背負った。いうまでもなく地球は巨大な電波源なのです。
 これで哨戒艇の有利さは打ち消され、逆にすでに哨戒艇の位置を特定した敵艦のほうが有利になった。
 なんとかしなければなりません。
 なんとかしました。
 哨戒艇は、敵艦と地球を結ぶ線上に、水星が入るように移動したのです。
 これによって地球を背負う有利さが消されました。五分五分になった。かたちの上では。
 実は哨戒艇のレーザー砲はチャチなもので、撃ち合いになれば絶対に負けるのですね。五分五分では負けちゃうのです。両者はどんどん接近し、射程距離に入ったのですが……

 いやー、まるでポーカーゲームのようなブラフの張り合い。面白かった(^^)

 ところで、この状況は、地球と水星と太陽が一直線に並ばなければ成立しません。本篇には「2099年6月20日〜7月20日の内惑星位置」と題された図が掲載されていて(※)、まさにその時期、地球と水星と太陽が直列していることが示されます。これは実際その期間の惑星位置関係なんでしょう。第一次外惑星動乱が勃発したのは、2099年6月となっています。念のため(^^)

(※)ただ図が小さすぎてほとんど読み取ることが不可能。これは改善すべきですね。電子本なのだから即座に改善可能のはずです。
 

「イシカリ平原」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月11日(金)00時39分38秒
返信・引用 編集済
  > No.6553[元記事へ]

 承前。『コロンビア・ゼロ』から「イシカリ平原」を読みました。
 本書、『火星鉄道一九』と線対称というか面対称というか、ひょっとして意図的にそういう構成になっているんでしょうか。さっき投稿した「ドン亀野郎ども」で、主人公について「ある理由」と書きましたが、本編の主人公も、似たような「ある理由」が設定されているのですね。
 ただし「ドン亀野郎ども」では、それがストーリー展開に必然的で効いてましたが、本篇のそれはストーリーに対してほとんど意味がない。あるとしたら短期滞在者の女性科学者の工作活動を容易ならしめるようにするための設定ということになる。それだけのため?
 そうなのかもしれません。後半で主人公は元軍人で艦船勤務だったことが明らかになる。集団生活の極限のような環境です。前半の性格設定からすれば、それはありえないです。その不連続が引っかかった。

 

「ドン亀野郎ども」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月10日(木)23時18分58秒
返信・引用 編集済
  > No.6549[元記事へ]

 承前。『火星鉄道一九』から「ドン亀野郎ども」を読みました。
 木星の衛星カリストは(地球時間で)17日ごとに太陽と木星を結ぶ直線上を通過する。この地点はカリストに対する木星の重力の影響が最も弱くなる(太陽の重力によって相殺される)地点で、ここでカリストの軌道速度を利用して物体を射出すれば、もっとも経済的に(燃料を消費せずに)脱出速度を得ることができるのです。
 これを利用してカリストは、主要な産出品で、内惑星に輸出する重水素を10トンほどのタンカー(10トントラックのコンテナくらい?)に詰めて射出する。一回に付きタンカー1000個から2000個射出される(地球時間で17日ごと、一年に22回射出できる)。
 それは水星付近を近日点とする(木星軌道が遠日点)周期1700日の長円軌道に乗って、次第にばらけながら落下していくことになります。
 むろん重水素なんて地球に無尽蔵にあるのですが、それを(地球の重力に逆らって)宇宙に運び上げる費用を計算したら、このようにして外惑星から(太陽の重力に引っ張ってもらって)運んでくるほうが安上がりなんですね。

 カリストから射出されたタンカー群を近日点付近で待ち受けているのが「ドン亀野郎」たち。かれらは気密室などないフォークリフトみたいな簡易な宇宙船に、宇宙服姿でまたがり操って、ばらけきったそれを捕まえては、牽引し、一か所に集積するのが仕事。(集められたタンカー群は、そこから各消費地に向かって、太陽スイングバイで再射出される)
 周期1700日ですから、近日点到着はその半分の850日。約二年かかって到着します。17日ごとに射出されるので、軌道上には常に50個のタンカー群が列をなしているわけです。まるで一本の鉄道線路上を、列車が、間をあけて走っているように。
 それで、この軌道上に列をなすタンカー群を指して「カリスト急行」と呼ばれるようになったんですね。

 以上が本篇の設定。
 主人公は「ドン亀野郎」のひとり。まあ輝かしい職場とはいえません。精鋭たちは戦争に備えて外惑星に向かっているというのに(ですからカリストからの射出は既に止まっています)。
 でもかれにはそこにいる理由があったのですね。
 さて主人公が回収に向かったタンカーが、なにか衝撃を受けたらしく回転していました。その回転を止めようとして、(上述の理由のせいで)逆に跳ね飛ばされてしまいます。宇宙の只中に、たったひとりでクルクル回転しながら飛ばされていく。そのときかすかに同僚の声が通信機から聴こえてきたのでした。
 設定の説明の後は、宇宙に迷子になった宇宙パイロットというよくあるパターン。ではあるのですが、なかなか臨場感があってハラハラさせられました(^^; この主人公も、また登場してきそうな気配ですね。

 でも思ったのですが、軌道上を自由落下するタンカー群は管理されているわけではないので、いくらでも途中で盗めそうですね(>おい)(^^;

 

Re: 『みだれ撃ち涜書ノート』

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月10日(木)18時41分2秒
返信・引用 編集済
  > No.6551[元記事へ]

 堀さん
 ご教示ありがとうございました。
 5丁目は現存しないとのこと。ただ地図を見ると、1丁目から4丁目まで、東から西に順序正しく並んでいますので、5丁目はたしかに川沿いの一帯だったのだろうと確信しました。
 ご実家が藍問屋というのは初めて知りましたが、そうだとしますと、産地の四国辺から藍が船便で届けられたはずで、私の妄想の中の筒井商店は、木津川に面した荷受場のある建物として、ありありと浮かんできました(^^;

 一方、富岡多恵子も、「伝法」を検索ワードに入れるといろいろ引っかかってきました。
 伝法 「水脈(みお)つ串(くし)」恋ふるしるし
 尼崎街道
 「伝法な口調」の伝法って、この町から来たのでしょうか。上の記事だとそう読めます。でも辞書には「浅草伝法院」となっています。

 それはさておき、ウィキペディア「筒井康隆」の項目が2つ存在していることを発見。A と B
 Aは「北堀江」になっている、昨日参照したページなんですが、さっきたまたま辿り着いたBは「母方の実家である大阪府大阪市住吉区粉浜に出生」となっていて事実と異なります。
 よく見たら、Aは「最終更新 2015年9月8日 (火)」ですが、Bは「2008年6月20日(金)の編集」となっています。古い記述が何らかの理由でネットに残っていて、幽霊のように浮遊しているのでしょうか。問題ですねえ。


 

Re: 『みだれ撃ち涜書ノート』

 投稿者:堀 晃  投稿日:2015年 9月10日(木)03時47分56秒
返信・引用
  > No.6550[元記事へ]

いちばん執念深い調査、八橋一郎『評伝 筒井康隆』によりますと、生まれは、

大阪市西区北堀江通五丁目二十番地

今は五丁目はなく、北堀江四丁目。ご推察どおり、

>筒井さんの生家が北堀江でも西端あたりにあったのだったら

まさにその西端あたりです。
ここにご父君の生家・藍問屋「筒井商店」がありました。
八橋氏は「土地の古老にたずねても筒井商店の名は記憶にないということであった」と書かれており、これが1985年の出版ですから、「古老」ももういてはりませんでしょう。
 

『みだれ撃ち涜書ノート』

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月10日(木)01時31分26秒
返信・引用 編集済
   をぱらぱらめくっていて、こんな文章を見つけました。

「富岡多恵子はぼくと一歳違いでもあり、生まれた場所も淀川の伝法大橋をはさんで北と南、わりあい身近に感じられる作家である」(集英社文庫版38p)

 あれ? 筒井さんてあのへんの生まれだったっけ。
 ウィキペディアで確認しました。「父方の実家である大阪府大阪市北堀江に出生」となっていますね。
 北堀江と伝法大橋ってかなり離れている感じがするんですけど。
 でも地図を見て納得。
 北堀江って、中央図書館の西側から木津川左岸まで含むのですね。木津川の対岸は九条。安治川を渡った西九条は、すでに此花区ではありませんか。
 もし筒井さんの生家が北堀江でも西端あたりにあったのだったら、伝法大橋まで直線で3キロ程度ですから、地の人はそういう感覚なのかも。

 てことは、富岡多恵子は伝法大橋の北側(淀川右岸)の生まれということになります。ウィキペディアでは大阪市出身としか分かりません。
 確認の方法を思いつきました。
 これもウィキペディアですが、富岡多恵子は桜塚高校出身となっている。第一学区なんです(第一学区は東西の淀川区を含む)。
 問題はその時代に学区制が敷かれていたかどうかです。敷かれてなかったら、この方法で検証できません。
 富岡は筒井さんと一歳違いの昭和10年生れですから、高校入学は昭和26年。
 調べたらドンピシャ!
 大阪府立高校に学区制が導入されたのが、ちょうど前年の昭和25年なのでした。(てことは筒井さんは学区制の一期生?)

 と思ったら、この時の学区制は13学区もある小学区制で、市内第1学区(北区、西淀川区、東淀川区、大淀区)と市外第一学区(豊中市、池田市、豊能郡)は別学区。桜塚高校は豊中市だから、大阪市内からは行けないのかー。
 まあ生誕地と高校入学時の住所がちがっていたのかも。ネット検索では分かりませんでした。(あ、「なお調整区域等も多数設定されていた」となってますから、その可能性もあります)
 いずれにせよ、久々のスマッシュ推理かと思ったのに。竜頭蛇尾のお粗末でした(汗)。

 追記。灯台もと暗しでした。日本大百科全書(ニッポニカ)によれば、「富岡多恵子:大阪市此花(このはな)区伝法(でんぽう)町生まれ」とあるではないですか。ここの下の方。
 でもそうしたら、今度は筒井さんが伝法大橋の北の生れとなって、ますます訳がわからなくなってきました(^^ゞ


 

「ザナドゥ高地」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 9日(水)22時34分40秒
返信・引用 編集済
  > No.6548[元記事へ]

承前。本日修理の人が来窖。くだんのタブレットを手にとり、電源ボタンを長押しする。5秒くらい押してましたでしょうか、「ああ、電源入りませんね」。
 そう言ったとたん、起動した印が画面にあらわれました。
 ええー!? なんじゃそれ!?
 修理の人が来窖する直前に(もうすぐ着くという電話があったのです)、私も念押しで、長押しを試して起動しないことを確認していたのに……
 ともかく無駄足を踏ませたことを謝って帰ってもらいましたが、うーむ(ーー;
 まあ、使えることがわかってよかったのですが、なんか釈然としませんなあ。
 そういえば以前ケータイが同じような症状を起こしたことがありました。そのときは電話でやり取りしたのでしたが、一晩使わないで放置し、明日もう一度試して下さい、と言われ、そのようにしたら、復活してました。
 あのときと同じだったのかも。あれは何が原因って言われたのだったか。放電?
 いずれにしろ、これでまた『火星鉄道一九』が外でも読めるようになったわけですが、『コロンビア・ゼロ』に着手しちゃったんだよな。

 ということで、冒頭の「ザナドゥ高地」を読みました。
 で何となくわかってきたのですが、どうやら『火星鉄道一九』は、外惑星連合が独立を求めて地球(内惑星?)に宣戦布告した《第一次外惑星動乱》の一部始終を語る短篇集であるようで、『コロンビア・ゼロ』は、《第一次外惑星動乱》の40年後、再び勃発した《第二次動乱》をテーマにした物語群のようです。(ただし本篇ではまだ戦争は始まっていない)
「ザナドゥ高地」の主人公は、第一次のときタイタン宇宙軍の航空新兵だった(想像ですが、どうもこの主人公の第一次動乱の際の物語があるようです)。戦力も基礎体力もはるかに劣る外惑星連合は、宣戦布告するやパールハーバー的奇襲攻撃に打って出る。短期決戦に賭けたわけです。しかしそれは無惨な失敗に終わる(昨日読んだ「火星鉄道一九」はその話)、完膚なきまでにやっつけられ無条件降伏。主人公の所属したタイタン軍も解体され、タイタンは駐留軍により軍備を禁じられる。(なんかどこぞの敗戦国みたいですね)(^^;
 外交努力の結果、8年後にようやく再軍備を認められる。
 それで主人公は再度志願します。
 しかし軍隊とは言い条、いろいろ制約を課せられた軍隊で、航宙艦船はほとんど保有できなかった。したがって主人公はそれから30年間軍人で過ごすも、結局ほとんど飛ぶこと叶わず、退役する。
 退役後は、ある特殊な能力を買われて、タイタン政府の査察官に就任する。どんな仕事かというと、各基地を回り、タイタン軍が地球との(不平等)条約を密かに破って、胡乱なことをしていないかどうか査察するというのは表向き。実際は地球軍(航空宇宙軍?)の本格的な定期査察に対して、尻尾を掴まれることがないよう査察指導する仕事なのです。
 主人公は査察で、かつて第一次動乱の際、自分が配属されていたザナドゥ基地を訪れる。40年ぶりに見る基地の様子に、主人公はそこはかとない不穏なものを感じとり、慎重に調査を開始するのだったが……

 うーむ。2冊平行だと印象が混ざりそうです。でも逆に第一次と第二次を両眼に眺めるステレオグラム効果で面白さ倍増かも。どうしましょうかねえ(^^;

 

「火星鉄道一九」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 8日(火)22時59分10秒
返信・引用 編集済
  > No.6547[元記事へ]

 承前。そうか、PCで読めるではないか。と気づきました。さっそくPCにもダウンロードし、冒頭の表題作「火星鉄道一九」を続きから読了しました。
 なるほどハードSFですなあ。ただし理学ではなく工学の。
 自転軸が25度に傾斜している火星の、北緯19度にあるオリンポス山は、冬至と秋分の日の中間点あたりで、真夜中に、ほぼ黄道面と重なる、というアイデアはまさにひざポン!
 ところで、オリンピア鉄道が一種のカタパルトであるのは分かるのですが、どうやって進入してくる船を捕まえて減速させるのか分かりません(記述されていない)。
 まさか投げ縄式に引っ掛けて減速するわけではないでしょう。ウィキペディアには空母のカタパルトは電磁式と記述されているのですが、そういう感じなんでしょうか。電気に弱い私はさっぱりイメージできません。
 SFファンには常識だから記述が省かれているんでしょうねえ(ーー;

 ということで、こちらの短篇集も平行して読んでいくことにします。PCですから、喫茶店とかでは読めません。外では新作の方を読もうかなと。

 

「コロンビア・ゼロ」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 8日(火)19時18分22秒
返信・引用 編集済
   昨日は、前に勤めていた会社で上司クラスだった方々の飲み会に呼ばれまして出席してきました。言うまでもなく私の上司クラスですから、既に引退しているか、一日4時間週休3日の嘱託契約で、糞ラクな(色んな意味がありますね)仕事についておられる方ばかり(今は55歳で役職定年とのこと)。最初は緊張しましたけれど、だんだんと(私のことですから)調子に乗って、大先輩に対してぐっさん(例えばです)とか、タメ口(そのサークル内での通称?)でしゃべっていました(>おい)。いやそう呼べというから(^^;
 実際、私が勤めている頃コワモテで近寄るのも躊躇するような感じだった方が温和になっておられ、やはり引退するとそうなるんだろうな、と、意外のなかにもなかば納得するところもありました。
 たのしかったです。
 流れで、いかにも高っかそうな韓国バーに連れて行かれ(そういう場所が好きな方がいるのです)、事実目ン玉が飛び出るほど高かったのですが、ここでも調子に乗って前日読んだ豊田さんの小説の受け売りで、「天皇家はキム姓で、実際は釜山あたりの出みたいよ」などと、受け売りにさらにあることないことを付け加えてしゃべっていたら、最初は何を言ってるのかと訝しげだった女の子が(言葉がよくわからなかったのかも)、だんだん理解してきて盛り上がってしまいました(日本人の半分の血は百済の血とか(笑)。さすがに若くても百済を知っているんですね。日本人の若者で百済を知っている子が一体何%いるでしょうか)。
 韓国語では「私」というのは「チ」と発音するとずっと思い込んでいて(チ・ヌンとか)、「チヌンちがうチョヌン」と訂正されてへえ、と思ったのでした。チは田舎言葉だと言われてしまいました(汗)。ずうずう弁みたいなものか。
 現代韓国語はかなり変化していて、上記の「キミ(キム・ウィ)」も「キメ」と発音するのがふつうらしい。いろいろ勉強してきましたが、これくらいではとてもとても元を取り返した気がしませんなあ(ーー;

 ところで、昨日は車中で読むに適当な文庫本をなかなかセレクトできず(ハードカバーは問題外)、それで思いだしたのが、そういえば航空宇宙軍史を通して読んだことがなかったなあ、ということでした(雑誌に載ったのをちょろっと読んだ程度)。
 『コロンビア・ゼロ』を読むにあたって、やはり前知識が必要かと思いつき、往復の電車で読むため出発直前に『火星鉄道一九』をキンドルでダウンロードし、読みかけていたのですが、今日ふとみたらタブレットが死んでいた。原因不明。昨夜帰途酔っ払ってなにか要らんことをしたのかも。修理に出さなければなりません。
 ということで仕方がありません、何の予備知識もなしに『コロンビア・ゼロ』に着手することにします。

 

「崇峻天皇暗殺事件」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 6日(日)22時58分35秒
返信・引用 編集済
  > No.6545[元記事へ]

 《この作品で主張されている結論は豊田説として、立派に学問の世界でも通用する》(井沢元彦「解説」より)

 豊田有恒『崇峻天皇暗殺事件』(講談社文庫90、元版87)読了。

 いやー面白かった。昨日の投稿で、東漢直駒の変死の状況のみ架空と書きました。
 これはちょっと間違っていました。最後まで読んで、なるほど! と膝を打った。
 もちろんこのような(密室での変死という)史実はありません。著者の創作なんですが、だからといって史実を曲げてしまったわけではなかった。史実と史実のあわいの空白部分を想像でおぎなったというべきでしょう。
 史実では、駒は暗殺より後日、馬子の娘で「嬪」の、河上の娘(いらつめ)を偸みかくして妻としたことが、馬子に露見して殺されたとなっています(書紀)。
 非常に不可解な記述です。大王暗殺を咎められて殺されたのではないのですね。これを含むいくつかの傍証から、駒は馬子の命令で崇峻天皇を殺害したというのが、通説になっています。書紀もそう思わせるように書かれているのですね(書紀は天武・持統朝に企図され完成したものですから反蘇我的史観なのですね)。
 いずれにしろ、昨日の段階では、そういう史実があるのに本書では密室で死んでいるとされていたので、私は史実離れの架空と書いたのですが、密室殺人の謎が解かれた段階で、著者が史実をしっかり踏まえて、それを守った上で、そこにとんでもない解釈を与えていたことに気づいたのでした。
 河上の娘(いらつめ)は誰の「嬪」だったのか。
「嬪」とはデジタル大辞泉によれば「古代、天皇の寝所に侍する女官。皇后・妃・夫人の下位。四位・五位の者で、後世の女御(にょうご)・更衣(こうい)にあたる」となっています。そこで通説では何の疑いもなく崇峻天皇の妃の一人とされているわけですが、ところが記紀には、崇峻の妃のなかに河上娘の名前はないのです(馬子の娘ですから書き落とすはずがない)。
 一方、漢字の原義(中国語の用法)では、「嬪」は王妃とは限らず、元々は妻の意味があり、主として貴人の妻に使うのだそうです。飛鳥時代には、まだ日本独特の用法にはなっておらず、中国の用法どおり(広義)の意味で使われていた、と著者はします。
 そうしておいて、ここで著者は、あっと驚くとんでもない隠し玉を提出する。
 なんと鎌倉時代の「聖與鈔」という史書(?)に、「太子の三妃の事」として「河上の嬪馬子ノ宿禰ガ娘」という記述があったのです。
 馬子の娘で太子の妃といえば……!?
 そしてこの発掘された事実から、なぜ厩戸王子(聖徳太子)は皇太子の地位にありながら、天皇とならなかったのか、という古代史最大の謎(の一つ)が、あっというまに解き明されちゃうのです!。
 いや面白い。これぞハード歴史小説の醍醐味ではないでしょうか(^^)
 ハード歴史小説というのは、ハードSFに対置する私の造語ですが、解説の井沢元彦は「歴史検証ミステリー」という名称を提案しています。
 たしかに、ミステリとして時間線上の矛盾は全くありません。きちんと史実と史実の間に挟まって繋いでいます。そのように精妙に組み立てられている。
 しかし私が思うに、ミステリ――それも本格ミステリの観点から見た場合、本篇はストーリーがいささか粗い(一本調子)と言わざるをえない(厩戸がふと思い立って出掛けた場所で、うまい具合に事件が起きる)。そのへんの塩梅が、ガチガチの本格ミステリファンから「これはミステリじゃない」と言われそうな気がします(>おい)(^^;。
 ハードSFファンは、ストーリーの巧拙にあまり重きをおかず楽しみますから、これはやはりハード歴史小説と呼ぶのがふさわしいと思うのであります(^^ゞ

 

「崇峻天皇暗殺事件」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 6日(日)00時53分31秒
返信・引用 編集済
   豊田有恒『崇峻天皇暗殺事件』(講談社文庫90、元版87)に着手。200頁まで読みました。 『聖徳太子の叛乱』(97、91)と同じく聖徳太子が主人公。
 ただし後者が平行世界の飛鳥時代が舞台だったのに対し、本篇は謎解きミステリです。
 崇峻天皇を暗殺し逃走した東漢直駒が、蘇我馬子邸の嶋宮内に新築されたばかりの持仏堂で、死んでいるのが発見される。持仏堂は中から鍵がかかっており、密室であった。しかも自害したのではなく、死体の様子は毒殺されたように見えた。誰が、なぜ、どのようにして殺し密室を作ったのか。つづいて次期大王候補ナンバーワンだった彦人大兄王子が殺され、駒の動機を知っていたらしい父親・磐井の翁も駒と同じ症状で死ぬ。
 馬子の犯行を疑い、嶋の宮に馬子を訊ねて詰問する厩戸に、馬子が語ったのは、蘇我も百済から渡来した一族だが、大王(オオキミ)家も、時代は遡るが加羅からやってきた一族なのだ、それが証拠に「キミ」とは……と語り始める――
「その(加羅国の)金氏の一派が、日本列島へ渡来した。王(きみ)氏族になったのである」「韓国語の助詞、〜の(ウィ)、〜が(イ)を付けてみれば判る。金の(キム・ウィ)、金が(キム・イ)――になるが、韓国語はフランス語のように、子音と母音がリエゾンするから、キミという発音になる」

 面白い!
 駒の死に場所は架空ですが、彦人大兄の没年は、史実に残っていないけれども、子供の田村王子の生年は593年に確定しています。一方本篇の舞台である崇峻天皇暗殺は592年。本篇のストーリーでは、崇峻暗殺よりほどなく(592年に)彦人大兄は殺されています。ですから殺された時点で妃の糠手姫皇女の腹の中に、田村王子が宿っていたとすれば、全然史実を曲げたことにはなりません。他もほぼ史実どおりのようです(とうぜん史実の指す意味は変えられています)。
 というわけで、『聖徳太子の叛乱』が異次元ヒロイック・ファンタジーだとしたら、本篇はハード歴史SFといえそうです(^^;
 そういえば、(『聖徳太子の叛乱』にも登場した)厩戸の後妻になる膳の三穂って、三穂というバタ臭い(死語か?)(^^;名前からして架空かと思っていたら、ほんとうに実在したんですね(「聖徳太子伝私記」)。
 で、ふと思いついたのですが、逆に三穂という現代女性が飛鳥時代にタイムスリップして、紆余曲折のあと厩戸王子と結ばれる話が書けるんじゃないかな、と(^^;

 

Re: う〜む。そうか。

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 5日(土)11時27分52秒
返信・引用 編集済
  > No.6543[元記事へ]

かんべさん
 かんべさんのメールソフトがマイクロソフト(アウトルックとかウィンドウズ・ライヴ・メール)のだったら、自動的に(手動でなら指定するかも)、いま使っているメールソフトが使えるようになっていて(データもアドレスも引き継がれていて)、なにもする必要はありません。
 10に搭載されたメールソフトは、複数のメールソフトを使っている人が、複数のそれをひと目で見れるようまとめてくれるソフトのようです(橋元さんがちょっとめんどくさかったと仰言ったのは、今使っておられるメールソフトを10のメールソフトの中に統合しようとなさったからだと思います)。
 私はウィンドウズ・ライヴ・メール一本なので無視しました。消してしまおうと思ったくらい(実はそうしようとしたのですが、消せませんでした。マイクロソフト社自前のソフトは勝手に削除できないのもあるみたいです)(汗)。
 かんべさんはおそらく(というか大抵の人は)メールソフトは一つだと思うので、メールに関しては心配は無用です。

 それよりも堀さんが仰言った、
>毎日毎日、パソコンが、「Windows10 Home 失敗」
>を繰り返していると思うと、気色悪いですよねえ。

 の方で、何週間か前の橋元さんのこの書き込み、

>富士通のFMVは、何度も失敗の末、訳の分からぬままアップグレードされました

 という例からして、そのままにしていたら、気づいたらいつのまか勝手にアップグレードされていた、となる可能性が、決してないとはいえないということですね。
 検索したら「予約の取り消し」の仕方を解説しているサイトがありました。http://solomon-review.net/windows10-upgrade-inhibit/
 ご参考までに。
 なおここには、「予約してしまった場合は7/29を過ぎると3GBのWindows 10がダウンロードされますが、アップグレードの準備ができたと表示されても無視すればよいだけです」と書かれていますが、実際段野さんは勝手にアップグレードされたわけですし、私もかんべさんもアップグレードの失敗がえんえん記録されているので、この部分は確認せずに書いているように思います。

 

う〜む。そうか。

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2015年 9月 5日(土)00時02分34秒
返信・引用
  8を使い続けて、駄目になったら新機種を買う。
なるほど。これはシンプルでよろしいな。
しかしその間、他の10ユーザーとのトラブルは?
メールのやりとりができなくなるとか、
送った、または送ってもらった文書が開けないとか。
いや。それはともかく、ありがとうございました。
もう少し、様子を見つつ、判断するでございます。
 

Re: 教えてください

 投稿者:堀 晃  投稿日:2015年 9月 4日(金)22時39分52秒
返信・引用
  > No.6540[元記事へ]

勉強になるというか、参考になるというか……
小生、XPユーザーでありまして、2008年にe-machinesのデスクトップ(sp2なので7にアップグレードできません)を導入、時々動作が怪しくなりますが、なんとか2018年までは使いたいところです。
(サブのノートPCは7ですが、XPより使いにくいですね。周辺機器で使えないのもあるし)
ということで、ともかくクラッシュするまではXPというわが判断、正解ですねえ。
もうXPウィルス作るやつ、いまへんで。

かんべさん、8を継続しかないと思いますが、毎日毎日、パソコンが、
「Windows10 Home 失敗」
を繰り返していると思うと、気色悪いですよねえ。
お察しいたします。

と、何の役にも立たぬ野次馬のコメントで失礼いたします。
 

「時間と自己」に着手(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 4日(金)22時30分28秒
返信・引用
  > No.6493[元記事へ]

 承前。『時間と自己』20頁まで読みました。非常に遅いです(汗)
 こういうのは自分なりに(それが正しいか否かは別にして)その記述はこういうことだろうという得心なしに読み進めていっても、これでいいのだろうかという不安が膨れ上がってきて、得てして中絶してしまうのですよね。
 そういえば英語の本もそういう面がありますね。大昔「Concrete Island」が意外にスラスラと読め、よし次は「High Rise」だと取り掛かったのですが、1ページ目から引っかかった。なんか「犬を夕食に食べた」みたいに書かれているのです。犬? ホットドッグのことか? 犬はありえんやろ。だいたいその前の部分も、バルコニーに上から何かが落ちてくるとかなんとか、設定がまだ把握されずうすぼんやりした光景しか見えないところに、そんな記述が来たので、止まってしまったことがあります。そこは?のまま読み進めたのですが、自分の読みに不安が残り、結局断絶してしまいました。(あとで翻訳されて、それを見たら犬で正しかった)(^^;

 さて、この部分、前回の「もの」に対して「こと」の説明です。
 古来日本語は「言」と「事」は区別されなかった(未分化だった)。奈良平安以降次第に分化されてきた。
 「言」は「事」を十全に言い表すものではなく、その一部とか表層であることが理解されてきて、「言」は「事の端」=「言葉」となった。
 「この花が赤い」という「事」は、「この花が赤い」という「言」では表現し尽くせない。
 「そのことばは、この花が赤いということ、赤い花が私の眼の前にあるということ、私がそれを眺めて美しいと感じていること等々の、現在私のもとに現前している こと の世界のごく一端を言い表しているにすぎない」(註)
 とはいえ言葉を使わなかったら、この花が赤いということを表現したり伝達したりすることは不可能なのも事実です。「もの」ならばその実物を目の前に示すことで確認できますが、「こと」は目に見えるように提示することはできません。「ことはことばによって語り、それを聞くことによって理解する以外ない」
 このことから、ものは(見る対象であるから)空間的で、すなわち「私」から一定の距離が必須である(心のなかのものも同じ)。つまり客観的な存在。
 一方、事は常に主観が前提で、主観の側、もしくは主観と客観の間にある(前回記述したように)。
 ものが空間的であることは、ものとものが空間的に相互排除的であることでもわかる。内部的なものにもそれは言えて、私たち(の意識)は一つのイメージを思い浮かべるとき、同時に別のイメージを思い浮かべることはできない。
 これは体験的に納得できますよね。
「ことの場合は、これとは事情が大変異なっている。私が存在するということ、机の前に座っているということ、音楽を聞いているということ、時間について考えているということ、それを文章にして原稿用紙に書き込んでいるということ、これらすべてのことは全部同時に進行している。それに志向的な意識を向けてものとして対象化しないかぎり、それらのことはすべて、なんら相互に排除しあうことなく、私がいま現在ここにあるということの中に融合して同時に存在している」
 その同じ瞬間に、世界ではいろんな出来事が起こっている。しかしそれらは、私がそれに気づかないかぎり、私にとって こと とはならない。「ことがこととして成立するためには、私が主観としてそこに立ち会っていることが必要である」
 そういうのは言うまでもなく不安定な状態で、意識を向けるやいなやものとなり相互排除的な空間的存在と化す。
「私がことに立ち会っているといっても、それは私がそれに意識の焦点を合わせているという意味ではない。それは対象化されることなく、私の「いま」を構成しているという意味である」
 ことは、もののように空間的ではない代わりに、私のいまを構成しているという意味で、私の時間を占めている
 もちろんものも時間を経過します。古い机とか音楽は時間的存在といえる。
 しかしそれはカレンダー的な意味での(客観的)時間量にすぎない。
 ことの時間性はそういうのとは意味が違います。
「もの的な時間でないような時間、あるいはこと的な時間とはどのようなことを意味するのか。それは本書全体の基本的な問いであるから、ここではまだその答えを出すことはできない。
ここですでに言えることは、さまざまなことが私のいまを構成しているという意味で「ことが私の時間を占める」という場合、ここで時間という言葉で言われている事柄が、もの的・対象的な時間とは本質的に違った何かを意味しているということだけである。
われわれは、同じ一つの「時間」という概念を用いて、二つの異なった意味を言い表しているようである」


(註)14p5行目、《「言」は「コト(言)のすべてではなく、ほんの端にすぎないもの」》の(言)は「事」の誤記でしょう。そう確信するまで1週間かかった(汗)

 

Re: 教えてください

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 4日(金)20時57分33秒
返信・引用 編集済
  > No.6539[元記事へ]

 かんべさん

 ネット情報ですが、8のサポート期間は2023年までのようです。実際はさらに数年(XPがそうだったように)猶予期間があると思います。さらにサポート期間が終了しても使い続けることは可能です。
 そういうことを勘案しますと、かんべさんが今の機種を購入されたのは2、3年前だったと思いますが、PCってふつうに使っていれば、なかなか10年保たないんじゃないでしょうか。ですから8のままで、PCの寿命が来るまで使用できると思います。
 で、今お使いのPCが壊れた時にはすでに10の世界になっていると思いますから、新たなPCは10という形になるんだと思います。
 という次第で、
>XPみたいにフォロー打ち切りになり、そのときには、
>有償で10にせんといかんとか、
 そういう心配はしなくていいと思います(^^)
 私も、別に10にアップグレードする必要はなかったと今は思っています(逆に今のところアップしたことで不便なこともありませんが)。

 あと、サポートが必要なウイルス対策ですが、あんなものを作るのは愉快犯ですから、そのとき主流のブラウザ(今なら7と8)に対してウイルスを放つので(だからMacにウイルスは殆どない)、サポートが切れたら、同時にウイルス攻撃もなくなっているんじゃないでしょうか。いまXP用の新規のウイルスを作っている者はいないと思います。その意味では今ほどXPが安全な時代はないような(^^;。7や8に対してもそうなっていくんじゃないでしょうか。

 ところで私もかんべさんとおっつかっつの素人なので、素人であることはかんべさんに劣るともまさりませんので念のため。上記はそのつもりで読んでくださいますよう(^^ゞ
 

教えてください

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2015年 9月 4日(金)20時21分16秒
返信・引用
  いろいろ、ややこしそうなので、質問ですが。
もし私がアップグレードせず、いまのまま(8→8.1)で
使いつづけたら、先々、どういうデメッリトが生じるんでしょうか。
XPみたいにフォロー打ち切りになり、そのときには、
有償で10にせんといかんとか、そんなことでしょうか。
私としては、メール、ネット接続、ワープロ機能、
これだけ使えれば、それでいいのですが。

 

10の使い勝手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 4日(金)20時13分32秒
返信・引用
   たいへん困ることが判明。それは、起動するたびに、グーグル日本語入力(もしくは他のワープロソフト)がマイクロソフトIMEに戻ってしまうこと。しかもときどきは使用中にも戻ってしまうことがあるみたいです。
 やはり他社製品使用者にわざと使いにくくしているような気がします。
 これはかなわん、と7に戻しかけたところ、ウィンドウズキイとスペースキイを押せば元の設定に戻ることがわかりました。
 こうなると、間違いなくいやがらせですよね(^^;
 でもまあ、ダウングレード期限は1か月あるので、もう少し様子を見ることにします。
 というのは、たしかに全体に鈍重ではあるのですが、7ではギリギリに近かった作業をしても、意外にメモリーは安定していて、(私の機種は2ギガですが)てっぺんまで使いきってしまうことはほとんどありません。CPUも同様に安定していまして(振れ幅が小さく)、能力(?)は7より高いんだなと実感させられるのですよね。作業時間も多少短くなるような気がしています。

 それはそうと、3Dビルダーというソフトが装備されていることに気づきました。たぶん、3Dプリンタの設計図みたいなものを作るソフトで、(プリンタ自体を持ってなくても)これをそういうショップにメール(?)で送れば作ってくれるみたいです。
 私自身はモノ(のカタチ・器)に全く興味がないので無用の長物ですが、模型が好きな人はひょっとしたらハマるかもです(^^;

(追記。あっ、エッジではIMEしか効かない。グーグル日本語入力は(おそらく他のワープロソフトも)使えないみたいです)
 

石原慎太郎「鱶女」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 3日(木)18時10分53秒
返信・引用 編集済
   小松左京『読む楽しみ語る楽しみ』集中の「石原慎太郎 海への孤独な旅」で小松さんが激賞していた「鱶女」が気になって、図書館で読んできました。
 ああこれはいいですねえ! ジャンルとすれば<海の怪談>。慎太郎版オンディーヌといってよいかも。

 断りもなく主人公敏夫のヨットの甲板に寝転がっていた、海の申し子のような浅黒く引き締まった肢体を持つ美少女。実は半世紀にわたって執念(しゅうね)く、彼女のつれあい(?)を惨殺した家系に復讐する鱶の化身だったが、なぜか敏夫には好意を示す。しかしそれが徒になり……

 小松さんは「石原慎太郎は、ひょっとしたら、一番理解されにくい、そして実に素朴な作家なのかもしれない」といいます。
 主人公敏夫が気に入られたのは、他の男たちと違って、少女を潔癖に退けたからだと思います(正確には自分自身の〈退廃〉を退けた)。
 このような或る種ナイーブな(少年ぽい)潔癖性を、評論家たちは評価しない。いや評価する基準を持ち合わせていないのです。「(石原のいう)行為、そしてその行為の中に身をおくものの、ほこらしい憂愁や孤独について、理解できるような「経験」をもった批評家がいるとも思えないからである」
 そしてそれを理解できるのは、当然「彼と同じような「行為」を知っている仲間だが、彼はまた「語る」ことによって、そういった仲間ともはなれることになる」という、二重の理解されなさの指摘が秀逸。
 石原文学の孤立性が示されるのですが、私は案外、丸山健二と近いんじゃないかな、と思いました。石原を読むのは本篇がはじめての私の感覚ですから当てにはなりませんけど(^^;

 

Re: Re:I Robot

 投稿者:斎藤  投稿日:2015年 9月 2日(水)19時26分37秒
返信・引用
  段野さん
激励のお言葉、ありがとうございます。
はい、物欲邁進で部屋中をお宝(と言っても、世間一般の価値観ではゴミ扱い)で埋め尽くしたいと思います。
 

Re: 私が最も恐れるのは

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 2日(水)19時25分26秒
返信・引用 編集済
   かんべさん
>もうしばらく、皆様の様子をおうかがいしたのち、
> 吉日を選んで、トライしてみようかなあと……
 そうですね。その判断でいいと思います。
 いろいろ触っていますが、7と比べて特段有利な機能があるわけではなさそうです(まだ使いきれてないにしても)。
 そういえば、グーグル日本語入力が消えていました。気が付いてインストールしましたけど、いろいろ消えている可能性がありますね。(下の「利用不可」の一件もありましたし、ライバル他社に対してあからさまにイケズしているソフトですね)

 ところで、メインのブラウザはクロームにしたわけですが、エッジも入っていることに気づきました(7の時も、IEは入っていましたから、IEに代わってエッジが搭載されたということのようです)。
 ということで、興味半分で使ってみました。
 おお、画面上のコンテンツにメモ書きできる機能がついています。メモした画面は「ノート」に添付できるんですねえ。
 これは便利。
 これまでも、スクリーンショットで取り、そこにメモ書きすることはやってましたから、同じなんですが、それがぐんと簡単にできるようになったわけです。
 こんな感じ。(文字も書き込めるのですが、まだいまいち要領がわからず、ここでは断念しました)
 

 まあいろいろ遊べて楽しいのですが、だからといって是が非でもアップグレードしなければならないというものでもありませんねえ(^^;

 

私が最も恐れるのは

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2015年 9月 2日(水)17時02分54秒
返信・引用
  アップグレードの失敗、または不具合によって、
メール、ワープロ機能が、長期間使用不能になることです。
修正するにしろ、再トライするにしろ、私の知識と腕では、
かえって事態を悪化させるのではないかと。
もうしばらく、皆様の様子をおうかがいしたのち、
吉日を選んで、トライしてみようかなあと……
 

Re:Re:えーっ。ほんまや!!

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 9月 2日(水)16時47分30秒
返信・引用
  >ウエルカムな機種とそうでない機種
かもしれませんね。「予約が完了しました」というお知らせが来たとたんに、アップグレートをやり始めました。(パソが自分でやったとは思われませんが)あとは管理人さまのおっしゃる通りです。
 

Re: Re:えーっ。ほんまや!!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 2日(水)12時18分46秒
返信・引用
  > No.6530[元記事へ]

 段野さん
>知らなくても、アップグレートすることができました
 10のアップグレードに対して、ウェルカムな機種とそうでない機種があるみたいですね。私のは後者で、段野さんのは前者だったのだと思います。
 ですから予約が受け付けられた翌日ぐらいに、パソのスイッチを入れたら勝手にアップロードが始まったのではありませんか?

>メールも「エッジ」を使っていませんし(ウィンドウズ・ライブ・メールです)
 自動の場合は既存の設定が踏襲されるのでしょう。ついでながら「エッジ」はブラウザで「ウィンドウズ・ライブ・メール」はメールソフトなので、別物です。確認したら段野さんは「クローム」を使ってはりますね。もともとクロームだったので、それが反映されたんですね(メールソフトも同じく)。
 一方私は、PCが自動アップデートを拒否し続けていたのを、無理やり手動でアップロードしたということです。
 ですからブラウザもメールソフトも指定する必要があったわけです。
 あ、もし段野さんがインターネットエクスプローラだったなら、自動だとエッジになっていたかも(エッジはIEの後継ブラウザなので)。
 IEユーザーが10で従来どおりのIEブラウザを使いたかったら、手動で指定する方法をとる必要があるのかも分かりませんね(想像ですが)。

 ところで、いろいろ触っていたらこんな画面が。
 
 ええ? FFFTPやクロームが利用不可??
 あかん、すぐ7に戻そう、と思わず立ち上がったのですが、ふと、
 あれ、今クロームで閲覧しとったがな・・
 利用不可となっているソフトのいくつかを動かしてみましたが、普通に使えました。
 ようわからん。
 とりあえず戻しは思いとどまった(汗)。

 でも――
 
 これは何も使ってない、デスクトップ画面での、タスクマネージャの表示です。
 やっぱりメモリー食ってますね。
 7だったら、この状態で1を超えませんでした。調子のいい時は0.7〜0.8だったと思います。これは気になりますねえ。

 

Re:Re:えーっ。ほんまや!!

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 9月 2日(水)10時05分0秒
返信・引用
  >「メディア作成ツール」
なんて知らなくても、アップグレートすることができました。また、「更新履歴」などというところにもよりつきませんでした。素人の私に、なんですいすいできたのでしょうか。不思議です。メールも「エッジ」を使っていませんし(ウィンドウズ・ライブ・メールです)アドレス帳も無事でした。便利になったといえば、天気予報が自動的に出てきたとか、「よく使うアプリ」が並んで表示されることでしょうか。かかった時間は1時間でした。
 

Re: えーっ。ほんまや!!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 1日(火)23時10分57秒
返信・引用
  > No.6528[元記事へ]

 かんべさん
 ここの説明に従って、「メディア作成ツール」というのを使ったら、拍子抜けするほど簡単にできましたよ(時間はかかりました。途中でにらめっこするのに飽きて読書していました)(^^;。
 しかもありがたいことに、このツールの説明文は全部日本語なので(ちゃんと日本語日本語した日本語です)、これでいいんやろかとかアタフタせず、安心して進めることができました。
 私でもスイスイできたくらいですから、まったく心配いらないと思います(^^)。

 

えーっ。ほんまや!!

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2015年 9月 1日(火)22時50分18秒
返信・引用
  アップグレードの件、「何じゃそら」と思って更新履歴を見たら、
私のパソコンも、勝手に延々と失敗を繰り返してました。
何にもしてへんのに。しかし、どこかのガイドに、手動でやるのは、
かなり知識のある人でないと、お勧めできませんて書いてあったしな。
どうすればいいんでしょうね。困った、困った、こまどり姉妹(島木譲二)
 

10にアップグレードしました!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月 1日(火)20時32分11秒
返信・引用 編集済
   昨夜も遅くになって、ふとウィンドウズ10へアップグレードしてみようかと思い立ちました。相変わらず無計画、衝動的なのであります。
 で、開始のボタンを押した。
 何も始まらない。
 画面に動きはないけれど、実際は何か始まっているのかもしれないと思い、じーっと待っていたのですが、エコ設定で画面が真っ暗になってしまいました。
 これは何も始まってないなと確信し、調べたところ、こんな風になっていました。
 
 なんのことはない、予約が完了してから、毎日アップグレードに失敗しつづけていたことがわかりました。
 てことは予約したら、勝手にアップグレードが始まる手はずだったということになりはしないか。橋元さんが自動的にアップグレードされたと報告されていたのは、このことだったのかもしれません(それもまた問題のような気もしますが)。
 で、私のPCは、橋元さんの奥さんのPCと同じ問題が生じていたのでしょう。

 これは難儀かも、ということで、昨夜はあきらめました。

 今日、帰宅してから再トライしました。
 ここに書かれている通りの手順で、「メディア作成ツール」を使って進めていきました。1時間強かかりましたが、まずはすんなりアップグレードに成功。
 使い勝手はまだわかりません。でも、反応が悪くなったということはなさそうです。
 「エッジ」というのがややこしいとのことでしたが、それまで使用していたブラウザを選択することができるようになっており、私は従来どおりのグーグルクロームしましたので、問題なし(>たぶん)。メールも従来のが利用できるようになっていたので、こちらもオッケーでした。
 タスクバーの位置や並びが変わってしまって戸惑いますが、これは慣れでしょう。
 あとは容量を食う作業をしてみて、どんな感じかということになりますね。順次試していきたいと思います(^^)

 

Re:Re:I Robot

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年 9月 1日(火)13時11分30秒
返信・引用 編集済
  斎藤さま
ダイアー・ストレイツもお好みなのですか。私もよく聞きました。(ビリー・ジョエルは、いうことなしでしょう)                                                  >こういうポップス路線が大好物です
「大好物」というところが、斎藤さまらしいところです。さぞかし食べつくされたのでしょうね。今も年間のCD購入枚数が半端ない「数千枚」とのこと、さぞやお宝が一杯なのでしょう。今後の物欲向上をお祈りしています。 
 



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