ヘリコニア過去ログ1511


  

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月30日(月)21時16分42秒
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Re: あ、いた。

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月30日(月)00時03分6秒
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  > No.6715[元記事へ]

 それは珍しいものを目撃されましたね。でも捕獲する瞬間を見たかったですねえ。クモの巣に引っかかったんじゃないのでしょう? 私が即座にイメージしたのは、ハエが高速で飛行している。そこへ天井(?)からクモが糸を吐きながら飛び降りてきて、空中でガッチリと捕獲する図です。
 これが事実なら、クモは自分の下降速度を計算して、ハエの飛行の未来延長線上に向かって飛び降りたわけです。大変なテクニックではないでしょうか。
 うちで見られるかなあ(^^;

 

Re: あ、いた。

 投稿者:和田宜久  投稿日:2015年11月29日(日)23時36分42秒
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  > No.6712[元記事へ]

そうだ。
そう言えば昔、ハエ取りグモがその名の通りハエを捕まえるところを見ました。
捕らえる瞬間は見逃したんですが窓際で何やら羽音がするので見ると、ハエ取りグモがクモの糸でぶら下がってハエを捕まえている。
ハエは必死の抵抗で羽ばたくので二匹は一緒にものすごいスピードで回っているのです。
回っているというのはフィギュアスケーターがその場で高速スピンする感じですね。
見たのは、後にも先にもそれっきりでした。
 

「カナダ・エスキモー」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月29日(日)22時40分14秒
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   本多勝一『カナダ・エスキモー』に着手。
 名著中の名著。私は小6か中1のとき大阪市立中央図書館で読みました。いうまでもなく昔の建物の時代で、玄関を入った左手に小中学生室があったと思います(記憶間違いなら訂正ください)。
 もう熱中して一気に読みました。コーフン冷めやらず、ひきつづいて『ニューギニア高地人』『アラビア遊牧民』も読みました。しかし『カナダ・エスキモー』が断然面白かったです。
 で、いつか読み返したいなと思っていて、文庫版を入手していたのですが、先日積読の山を整理していたら出てきました。
 100頁まで読みました。やっぱり面白いです。本篇は半世紀前、1963年に行われた滞在記ですが、ここに記述された生態を、現在のエスキモーはもはや保持していないでしょう(この時点ですでに伝統的なエスキモーの生活は失われかけていたのですから、なおさら)。
 いま読んでもとんでもないカルチャーショックを受けます。
 それにしても、本書に描写されているような、この極地生活に特化した(合理的に適応した)特異な文化は、いつどのように形成されたのか。生肉食も合理的な適応の一環です。
 ふつうに考えれば、ベーリング地峡をわたってきて南に向かうでしょう。それが北極海沿岸へと拡がったんです。なんでわざわざ厳しい環境へ向かったのか。
 2万年前にアラスカに辿り着いた時は、まだ、ふつうのシベリアのトナカイ狩猟民だったでしょう。ネネツ族などサモエード系諸民族もかなりエスキモーに近いですが、夏は地面が見えているところに住んでいます。本書で著者が暮らした部落で分かるように、エスキモーの地は夏場でも地面は雪の下であり[註]、海は凍結したままです。
 ざっくりいえばネネツやチュクチ的文化民が、エスキモー的文化民に環境適応していったわけです。
 それに一体どれくらいの年月がかかったのか。
 おそらく最初は全滅の繰り返しだったのではないでしょうか。
 それがいつしか、アメリカ大陸の北極海沿岸(〜グリーンランド)に拡がってしまったわけです。それを思うと、なんか茫然としてしまいますねえ。

[註]130頁まで読みました。上に夏場も雪原と書きましたが勘違いでした。その記述は5月下旬か6月上旬の状況だったようです。121頁に次のような描写がありました。「6月の末(……)大雪原のあちこちにようやく地面が現れはじめて」
 とはいっても完全に雪融けすることはないでしょう。場所によって「ロケットの夏」のような瞬間があるのかも(^^;。
 

  

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月28日(土)17時38分16秒
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                元ツイート

 

あ、いた。

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月28日(土)17時20分14秒
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   しばらく見かけなかったのですが(^^;。

 

 

「署長刑事 指名手配」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月27日(金)22時19分32秒
返信・引用 編集済
  > No.6710[元記事へ]

 姉小路祐『署長刑事 指名手配』(講談社文庫、13)読了。
 お話は偶然にも、前回の府知事市長ダブル選挙(橋下知事が市長に鞍替え立候補したやつ)をひかえて、警察でも警備体制の策定をそろそろ始めようかという時期。
 靭公園近くの高校、その全日制の女子生徒が、日曜の校舎内で絞殺される事件が発生する。当時その女生徒にストーカー行為をしていたとして学校から注意を受けていた同校定時制の男子生徒の姿が、殺害時刻に校舎内で目撃されており、その後、姿を消していた。やがて「殺したのは自分だ」と告白する電話がかかり、声紋照合の結果、本人の声と確認される。
 定時制で担任だった教師は、当該生徒の性格からして、当人の犯行だとはとても信じられないと疑問を持つ。
 折から役所仕事に民間会社の効率を求める圧力が強まっており、そのなかには定時制高校の廃止も取り沙汰されていた。事件をきっかけとして、事件の解明とは別に、当該校の定時制廃止が急に決定されようとしていた……
 物語としては、三作中ではいちばん引きの力が強く、ほぼひと晩で読んでしまいました。これには個人的事情もあるようで、前二作が大川―大阪城―森ノ宮あたり(環状線内の東側)を舞台にしていたのに対し、本篇は靭公園―心斎橋―道頓堀(環状線内の中央部)が舞台。実は私、後者には多少土地鑑があるのですが、前者はあまり馴染みがありません。その違いが、物語の引きにも影響したように思います。
 というのはストーリーはやはりテレビの2時間ドラマでして、その意味では同じだからです。こうなりますと、著者は2時間ドラマの原作率が高い作家だけに、プロットも(意識的なのか無意識なのか分かりませんが)テレビドラマ化しやすい展開を選択してしまうのではないか、そんな邪推もしたくなってくるのでした。
 あと不満だったのが、三作を通じて次第に分かってきたことですが、主人公の若きキャリア署長古今堂、「お飾り」ゆえに自由になる時間があり余っており、それで(副署長以下家老たちからすれば)勝手気ままに動きまわって、ある意味自己満足しているにすぎないという面が、たしかにあるのですね。
 つまり「組織」自体を、より良い方向に変えていこうとする気は、古今堂にはあまりないみたいなんです。一匹狼でしかないのです。ですからいつまでたっても組織は変わらず、上からは煙たがられ、かといって少数の手駒以外のノンキャリア連中が、古今堂に意気に感じてついていこうという感じではない。組織としては相変わらずなのです。
 ここが不満ではあります。私が思うに、やはりどんどんノンキャリ組が古今堂のもとに馳せ参じ、署内クーデタを起こしてヘゲモニーを握り、各方面の警察署も巻き込み、馬場町の大阪府警本部に押して寄せ、十重二十重に囲んで、宿敵・百々篤司府警本部警務部統括理事官と対決するカタチになれば面白いのですが(>おい)(^^;
 そういう意味では一作目がもっとも警察組織にたいする問題意識(組織論)がありました。それが巻を重ねるごとに薄れていっているのはいかにも残念な気がします。今のままでは、一年の任期が終わって古今堂が警察庁に戻ってしまえば、元の木阿弥になるだろうことは火を見るよりも明らかです。

「選挙が近いけど(……)いくらリップサービスが上手でも、中味のない候補者は受け入れられへん。たとえ一度くらいは当選でけても」(428p)
 という古今堂の考えは、現時点から振り返って甘かったという他ありませんよね(^^;
 いやそれ以前に、三作とも現に自民党の有力市議から圧力をかけられているわけで、どうも古今堂は対面的共感能力は高いですが、構造的把握は苦手みたいです(^^ゞ。

 

「署長刑事 指名手配」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月27日(金)00時04分9秒
返信・引用
   姉小路祐『署長刑事 指名手配』に着手。150頁まで。

 靭公園の特徴は、南北が約150メートル、東西が約800メートルという細長さにある。その名前は、この地にかつてうつぼ塩干物市場と雑喉場(ざこば)魚市場があったことに由来すると言われている。両市場の跡地は、終戦直後に進駐軍が使用する飛行場となった。昭和27年の講和条約にともない、大阪市に返還され、公園として整備された。細長さは、飛行場の名残りであることを知る大阪市民は案外と少ない。(25p)

 知らんかった

 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月26日(木)21時27分44秒
返信・引用
  「暗い顔してんな。これ飲んでみ。めっちゃ元気なるで」
「まむし? なんや茶ァかい」
「茶ァは茶ァでもただの茶ァとはちゃうで。どや?」
「お、なんか元気出てきた。よし!」
「急に走りだしてどこ行くねん。あ、交通標識柱に飛びつきよった。遠心力でぐるっと一回転二回転三回転〜半。着地するやぱっと両手広げて。体操選手かい」
「あー愉快愉快。なんていう茶?」
「ラファ茶」

 おことわり。かんべむさしさん「まわる世間に」(『決戦・日本シリーズ』所収)から一部流用させてさせてもらいました。m(__)m
 キンドル版


 

Re: 「らっぱ亭奇譚集 京フェス2015出張版」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月26日(木)20時13分48秒
返信・引用
  > No.6707[元記事へ]

 らっぱ亭さん
 2篇とも、とても面白いお話でよかったです。お送り下さり、ありがとうございました。

>そろそろ「濃い」ラファティ中短篇の翻訳にも手をつけてみようと
 おお、いいですねえ(^^)。楽しみにしています!

 

Re: 「らっぱ亭奇譚集 京フェス2015出張版」

 投稿者:らっぱ亭  投稿日:2015年11月26日(木)15時32分19秒
返信・引用
  > No.6706[元記事へ]

素晴らしい御紹介有り難うございます!
そろそろ「濃い」ラファティ中短篇の翻訳にも手をつけてみようと思っていますので、またよろしくお願いします。
 

「らっぱ亭奇譚集 京フェス2015出張版」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月25日(水)22時08分28秒
返信・引用 編集済
   らっぱ亭さんから『らっぱ亭奇譚集 京フェス2015出張版』をいただきました。毎度お気にかけて下さり、ありがとうございます。
 今年の京フェスで配布された冊子(8頁)のPDFです。ラファティの未訳掌篇が二篇(「ブライドルグース」と「カンザス州ブラックベリー・パッチの不思議な出来事(「日曜版の記事から」抜粋)」)翻訳されています。
 前者は、訴訟大国アメリカの現実を涙と笑いで剔抉する社会派文学(笑)。いやホンマでっせ。ネットにもこんな記事が(^^;。
 訴訟を趣味とするブライドルグース老人が、誰彼となくいちゃもんを付けて訴訟をおこすので、みんな迷惑している。金曜の午前の法廷はブライドルグースがらみの案件が目白押し。判事もげっそりしています。しかももし敗訴させたら、今度は判決の誤審を訴える裁判を起こされるので、判事はどんどん老人を勝訴させる始末。だからブライドグースは連戦連勝なのです。
 ついにウィロビー一家にも魔の手が。新聞配達の少年に払う1ドル80セントにもこと欠くウィロビー家なのに、敗訴すれば千ドルの賠償金。ウィロビーの妻のマイラは一大決心し、知り合いから3ドル借金すると古本屋に行き、『普及版・アンディの使える家庭全書』全4冊一揃いを1ドル20セントで購入します(残りの1ドル80セントは新聞少年への支払い)。必要なのはその中の『家庭用法律相談ガイド・使える道路地図・よくわかる救急処置ガイド:医者が来るまでにできること(合本版)』だけだったんですが、分売不可だったのです。
 ついに金曜となります。さてマイラの勝算は!?

 後者の舞台であるカンザス州は、ウィキペディアにもあるように、アメリカにおける《田舎》の代名詞だそうで、オズの魔法使いのドロシーも、小説中で、カンザス出身ということで馬鹿にされる場面があるそうです。
 そんな田舎も田舎のカンザスの、そのまた奥地にあるという、ブラックベリー生い茂る国(実はカンザス辺が原産地なんですって)、誰もみな行きたがるが遥かな世界、その名にし負うブラックベリー・パッチこそ、本篇の舞台であります。住民はカウ・インディアンとドイツ系入植者の混血。
 この地は地形的に年中強い風が吹いており、ブラックベリー・パッチの住人の間では、凧揚げが盛ん。いや凧を上げるのではなく、凧に乗るのであるからして凧揚げではなく凧乗りですな。つまり飛騨の白影が背負っていたやつ。いわばハンググライダーの凧版(凧糸が付いているかいないかの違い)。
 凧に乗って上空高く浮かび上がった人々は、そこで凧から離れ空中に飛び出す。
 いやご安心を。彼らは「エア着ぐるみ服」という、空気がいっぱいに詰まった飛行服を着ているのです。そのおかげでふわりふわりと下降していく。風にのってミズーリ州を飛び越え、イリノイ州に至ってようやく着地する。
 帰りは、カンザスに向かうトラックに便乗して帰ってくるのですが、これはまあ、スキーで滑降したら、またちんたらリフトに乗って上がっていくのと同じですな。
 さて、彼らの地には、墓場も埋葬地もありません。実は彼らは死期を悟ると、「エア着ぐるみ服」を身にまとって、天空高く上昇していくのです。「天空の象の墓場へ」。

 いやーどっちの作品も面白かった。私自身は、法螺も気宇壮大な後者が、より楽しめました。
 興味を持たれた方は、らっぱ亭さんにツイッターか、もしくはHPとりあえず、ラファティからお願いすれば、いただけると思いますので、ぜひぜひ(^^)

 

Re: 2段組の件

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月25日(水)03時09分27秒
返信・引用
  > No.6704[元記事へ]

 かんべさん
 面白かったです! 私は全然苦痛ではなかったです。勢いはたしかに感じられますね。
 「追いこされた時代」は全く覚えてなくて、初読同然だったのですが、よかったです。これを読めたのは儲けものでした。

>「2段には組めませんので」
 そうでしたか。折角の趣向が残念ですよね。
 簡単にできそうな気がするんですけどね。PDFからの類推ですが。
 いずれにしろ、電書はまだまだ発展途上で、いろいろ改善の余地があるように思います。今はノウハウを蓄積していく段階でしょうか。

 

2段組の件

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2015年11月25日(水)00時31分15秒
返信・引用
  そうなんですよ。まさに「電書の制約」でございまして。
「2段には組めませんので」と、先方から打診があり、
仕方なく、ああいうかたちになるのを了承したんですわ。
それはともかく、各作品、チェックのために読み返すのが
ほんまに苦痛でした。部分的には、ナットソーバッドとも
思ったけど、全体のまとめ方とか、構成のバランスとか、
いまならもっともっと良くできるのになあ、でした。
しかしその分、勢いみたいなのものが出んかもしれんし、
難しいことでございます。ともあれ、購入御礼申し上げます。


 

「決戦・日本シリーズ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月24日(火)22時11分43秒
返信・引用 編集済
   かんべむさし『決戦・日本シリーズ』(クリーク・アンド・リバー社15(電書)、元版76)読了。

「背で泣いてる」以外は、ほぼ40年ぶりの再読。面白かったです。
 実は少々心配だったのです。
「背で泣いてる」が、時代を超越した、時代性と無関係な傑作であることは、誰もが認めるところですが、表題作を含めて他の作品は、管見では当時(70年代)の世相社会と、ある意味同衾しているような作風で、それゆえに当時はそれを追い風に光り輝いていたけれども、すでにあらえっさっさの70年代は遠い過去となってしまった現在、本書を読んで、さて当時のように面白がれるかどうか、などと考えながら読み始めたのでしたが――
 杞憂でした(^^)
 いやー今読んでも面白いですがな。全然古びていません。
 というか、時代と同衾していた、という私の思い込みが、とんでもない勘違いだったようです。

「まわる世間に」も「追いこされた時代」も「表題作」も、大衆社会が一気に到来したあの時代の、まさに象徴であるマスコミ広告業界が舞台です。
 コピーライターやテレビの制作マンは時代の花形職種で、当時の学生は憧れたものです(たしか将来なりたい職種として、コピーライターが人気第一位だったような)。
「追いこされた時代」の主人公は、「誕まれながらの制作マン」と自他ともに認める遣り手で、彼にはその仕事が楽しくて楽しくて仕方ありません。70年代はまだ勃興期で、業界もできたばかり。手探り状態という面もありますが、それとて逆に言えば何の掣肘もなく自由にできたんじゃないでしょうか(むしろ広告もマスコミも、今日、巨大になりすぎてしまって、当時の彼らのような自由さは、実はもうないのかもしれません)。

 そういうわけで、「誕まれながらの制作マン」氏も、見方によれば驕り高ぶっているようにも見えます。事実、彼らは大衆社会というこれまでなかった新しい社会にあって、大衆を操作する快感にとりつかれているのです。当時バラ色の未来論が盛んで、SF作家はむしろそれに警鐘を鳴らしていたわけですが、一般大衆も半信半疑だったはず。そのなかにあって彼ら業界人だけは、まじで未来がバラ色に見えていたんじゃないでしょうか。70年代はそのような時代で、たしかに、あったと思います。
 そのあらえっさっさ感が、いま読むと浮いてみえるんじゃないかな、と思っていたわけです。
 ところが著者は、そんなさなかにあって、既に大衆社会の問題点を強く意識していたようです。
 著者はそれを、制作マン氏にたった一人抵抗する若いCMライターに代弁させているようです。おそらくそれは、広告業界に身をおいていた著者の偽らざる実感(反省)だったのではないでしょうか。(もちろん制作マン氏にも、著者の一面が反映されているはずです)

 その実感は、21世紀の現代においても通用する、というか、当時はほんの予兆みたいだった大衆社会が、40年後の現在、完成してしまっているのですね。
 その意味では本書、今こそ読まれるべき本かもしれません。当時は大衆自体があらえっさっさしていて、本書の本意は伝わらなかったのではないでしょうか。実際、私は今日読み返すまでこんな作品集だったとはまったく思っていませんでした(ギャグコメディ小説としてしか読んでなかった)。
 いや、読み返す機会を持ててよかったです。

 ところで表題作なんですが、紙版では阪神が勝った世界と阪急が勝った世界が、ご存知のようにページの上部と下部に同時進行していきますよね。これもなかなかよい趣向でした。ところが当電子版ではそう組まれてないのです。まず阪急が勝った「6」が述べられ、次に阪神が勝った「6」が語られる。これじゃあどっちも「6」である意味が半減します。
 いやそれよりも、本篇を初めて読む阪神ファンの読者が、「なに、阪急が勝った? けたくそ悪い、読むのやめじゃ」と放り出してしまうではありませんか。
 電書の制約で無理だったんでしょうか。そんなことないように思うんですが……。

 

「署長刑事 時効廃止」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月23日(月)22時25分10秒
返信・引用
   姉小路祐『署長刑事 時効廃止』(講談社文庫、12)読了。

 若手警察官僚キャリアは、経験を積ませる目的で、1年間だけ各都道府県警察に出される慣習があり、当シリーズの主人公古今堂もまた、大阪府警中央署長に赴任します。
 しかしこれは当該部署で「積極的に働け」という意味ではなく、現場の仕事がどういうものか「見ておけ」ということにほかならず、実際は何もしない方がよい、いやむしろ何もしてはいけない、すべては家老である副署長以下が、若殿様に何の傷もつかぬよう、大過なく一年間過ごせるよう、差配するのです。
 じっさいのところ、副署長以下には「お荷物難儀やな」となるんですが、いろいろ因習に凝り固まって澱もたまっている警察機構で勝手に動き回られても困る面があり、とにかくおとなしくしていてほしい、というのがホンネであり、互いにそうすることで、これまでも回って行っていたのです。
 ところが古今堂の目には、そのような前例主義、事なかれ主義といったいわゆる官僚機構のよくない面が目について仕方がない。それのしわ寄せはいわゆるノンキャリアに、一種理不尽なものとして行くのですね。
 ということで、この青年署長、前例など関係ないとばかりに、自ら率先して介入していきます。
 しかしそれは、副署長以下にとっては迷惑千万なことであり、統括する大阪府警本部にしても、いらんことをする奴と白い目で見られることになる。
 つまり たった一人の反乱なのです。でもそのような古今堂に理解を寄せるノンキャリアもわずかながら存在する。当シリーズは、古今堂が彼らと協力して、主に府警本部上層が、政治的に、握りつぶそうとする事件を掘り返して真相を明らかにしていくという形になります。
 ところで警察を監督する公安委員会は、委員は中立性を保つため、市長知事によって任命されたものや府会議員が成るのですが、実際は警察にとって都合がよい人が選ばれる。
 本篇は、この公安委員会の委員で警察上層部に影響力のあるものが起こした事件について、その真相はもちろん警察は知らないのですが、古今堂が疑問を持ち、すでに結審しているその事案を掘り返そうとしているのに気づいた当の委員が、上層部に働きかけ、潰そうと画策する。府警本部も、よくは思っていない青年署長に対して強圧的に出ます。
 結局、真相が明らかにされるのですが、その手柄は中央署ではなく、事件が跨った隣の警察署の管轄とされる。これ、第一話もそうでした。
 ただ本篇は、事件自体がかなり無理のあるもので、第一話に比べれば今一歩でした。

 

電書「決戦・日本シリーズ」発売

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月23日(月)02時09分46秒
返信・引用 編集済
   『上ヶ原・爆笑大学』にひきつづいて、かんべむさしさんの電子書籍『決戦・日本シリーズ』が発売されました。
 いうまでもありませんが、本書はかんべさんの記念すべきデビュー作品集です。
 さっそく各ネット書店を確認しました。
 アマゾン楽天コーボーグーグルプレイブックスで確認できました。(イーブックとhontoは売っていなかった)
 アマゾンとコーボーは定価の324円。グーグルブックスは特価で292円。
 当然、グーグルブックスで購入しました(^^;
「背で泣いてる」は何回か読み返していますが、あとの作品はほぼ40年ぶり。
 現在、『署長刑事』の第2作を読み中なので、これを読了したら着手したいと思います。楽しみー(^^)

 追記。わ、しまった。アマゾンは20%ポイントが付くみたいです(64pt)。つまり実質260円だったのかー(ーー;


 

眉村さんを囲む会

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月23日(月)00時29分53秒
返信・引用 編集済
   今日は、眉村卓さんを囲む会でした。一年ぶりにお会いした眉村さんは、とてもお元気そうでした。いや「お元気そう」じゃないですね。お元気そのもの(^^)。3時間の会のあいだ、全然疲れを見せず、ずーっとお話を続けておられました。はっきりいって私なんかより数倍お元気です。
 今回はサプライズな方も参加して下さり、先生も大喜びで、いつも以上に楽しそうになさっていて、よかったです。故西秋生さんへの献杯と黙祷で始まった会でしたが、おかげさまでしんみりともならず愉快な会となりました。ご参加下さった皆さま、お疲れ様でした。ありがとうございました。

> No.6699[元記事へ]

 橋元さん
 早速ご教示ありがとうございました。
 検索したらこんな映像が見つかりました。
 
 発見したサイト
 でも私にはよくわからないです(汗)。太陽系の黄道面が銀河面に対して60度傾いているから、こんな現象が起こるのでしょうか?

 

Re: 電子出版を自分で始める諸事情

 投稿者:橋元淳一郎  投稿日:2015年11月22日(日)23時04分30秒
返信・引用
  > No.6698[元記事へ]

管理人さま
おっしゃる通りですね。
私も若い頃、8年間、従業員数名の出版社で身を粉にして働いてきましたので(ほんまかいな)、出版の何たるかは感覚的に分かります。
出版は本来、何十人、何百人の規模で成り立つ業種ではないと思います。それが成り立ったのは、高度成長という特殊事情があったからでしょう。電子出版が普及してしまうと、amazonのような組織が書店の代わりをし、著者と読者が直接結びつくということになり、出版社も取次ぎも不要になってしまいます。やがて、いやひょっとすると近い将来、そういう状況になるのではないでしょうか。

> 太陽系は波打ちながら銀河を回転しているということでしょうか?
波打ちながらは感じが出ていますね(笑)。リサの本では、太陽系は銀河面に対して垂直に振動していて、3000万〜3500万年でダークマターのディスク面を通過するそうです。
太陽系の垂直振動はほぼ実証されているようですね。あとはダークマターが薄いディスク状に拡がっているという仮説と、太陽系がその面を通過すると隕石や彗星の地球軌道への接近が増えるという仮説が、実証されるかどうかということかと、私の拙い英語力ではそう理解しました。
 

Re: 電子出版を自分で始める諸事情

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月22日(日)02時52分6秒
返信・引用 編集済
  > No.6697[元記事へ]

 橋元さん
>日本の出版社の体質は旧態依然としていますが、
 調子のよかった70年代前後に比べて市場が縮小しているというのに、市場に合わせて絞ることができず調子のよかったころのままで、結果、むしろ昨今のほうが逆に水膨れ体質化しているんじゃないのでしょうか。
 営業がよくいう愚痴は、自分一人の給料分はちゃんと稼いでいる。しかしそれだけではだめで、くわえて後方部門の給料分を稼いで来いと言われちゃあ、やってられない、ということなんですよね。
 個人ないし数名でやっている出版社は(固定費がかからないので)そんなにしんどくないんじゃないでしょうか。
 難しいのは50名前後の中規模出版社だと思います。本来なら潰れていてもおかしくないのに、再販制の恩恵でなんとか生きながらえている。
 それが甘えとなって「旧態依然」なんですよね。特に意識が。
 大蟻食さんも指摘されていますように、市場リサーチなんて言葉は、この業界には存在しないのかも。読者が何を望んでいるか、全然わかっていないような気がします。学生、サラリーマン、主婦その他の、本に出費できるお金はそれぞれいくら位なのか、とか、サラリーマンの読書タイムは通勤電車であることとか、まったく分かってないと思いますね。
 わかっていたら、5000円もするような分厚くて重い本など作らないはずです※。そんな本は、結局、書籍購入者の特殊性への甘えなんです(書籍を内容ではなく部屋を飾る工芸品として購入する意識が、読者の意識の一端に必ずあります)。※もちろん学術書は話が別です。
 付加価値を付けて単価を上げるのは、手っ取り早くていちばんラクな方法ですが、絶対に反動がきます。固定読者層のあるSFは、多少値段を上げても売上部数は変わらないので、とりわけ安易に単価設定されていると私は感じています。しかし確実に固定層を細らせているはずですから、いつか一気にカタストロフがきますね。(大体毎年一歳ずつ平均年齢が上がっているらしいSF固定層が、今後もずっと同じボリュームを保っているなどと思っているんでしょうか。そんなことは考えたこともないのじゃないでしょうか)
 本当にやるべきことは新規購買層の開拓なんですけど、そのためにはリサーチは必須でしょう。現状は既存層からむしり取ろうとしているだけに見えます。

 ちょっと熱くなってしまいました(一般的に日昼よりも深夜のほうが感情の振幅が激しくなるらしいです)。そんなことより、ダークマターが恐竜を絶滅させた? 非常に興味深かったです。
 3500万年ごと、というのが謎です。太陽系は波打ちながら銀河を回転しているということでしょうか? いやまあ読めば分かるのでしょうけど(汗)

 

Re: 電子出版を自分で始める諸事情

 投稿者:橋元淳一郎  投稿日:2015年11月22日(日)00時19分16秒
返信・引用
  大蟻食さんらしい筋の通った意見で、大いに考えさせられます。
しかし、紙媒体の本が衰退していくことには、危機感を持っています。
日本の出版社の体質は旧態依然としていますが、そうかといって楽天が出版業に進出することには、違和感を覚えます。出版文化の危機を感じます。
難しい問題ですね。
ぼくなんかは日和見主義の脳天気ですから、二股を掛けて行きます。
既存の出版社が紙媒体で出版してくれるものはそれで出す。出版社(編集者)が引き受けてくれそうにないものは、電子出版kdpで出す。
いずれにしても、出版界は激変の時代を迎えているようですね。好き嫌いではなく、事実として受け止めねばならないと思っています。
 

電子出版を自分で始める諸事情

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月21日(土)18時05分34秒
返信・引用 編集済
   
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大阪怪談募集

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月21日(土)17時38分31秒
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「上ヶ原・爆笑大学」電子書籍化

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月20日(金)21時14分29秒
返信・引用 編集済
   かんべむさしさんの青春記、『上ヶ原・爆笑大学』が電子書店パピレスから復刊されたとのこと。これは嬉しいニュースです。
 本書は『むさしキャンパス記』に加筆訂正して新たに出版されたもの。私は元本の「キャンパス記」でしか読んでなかったので、さっそく見にいってみました。こちら

 パピレスは電子書店の老舗ですよね。大昔、眉村さんのショートショートを購入したことがあります。近年はとんとご無沙汰でした。
 というのは、ここは老舗だけに、PCで読むことに特化していたんですね。そもそもスマートフォンやタブレットなんて、ほんの10年前にはまだ存在してなかったんですから当然といえば当然。
 もちろん今は、スマートフォンに対応した電子書籍も出しています。ただ、取り扱うすべての電書が対応しているのではないようです。

 で、よくよく見ますと、『上ヶ原爆笑大学』は、その、対応してない形式みたいです(パソコンか、ソニー・リーダーのみ対応)。
 いやまあパソコンで読めないことはないのですが、私の読書スタイルからしますと、持ち運びできないというのはかなり不利なんですよねえ。
 かんべさんのHPによれば、11月末頃発売予定だったということですから、おいおい他の電子書店でも取り扱いが開始されることと思います。まあ1週間ほど遅れるだけですから、私はそれを待って、タブレットで読めるのを購入したいと思います。

 

「署長刑事」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月20日(金)01時13分6秒
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  > No.6691[元記事へ]

 姉小路祐『署長刑事』(講談社文庫、11)読了。

 承前。ああ面白かった。一応、謎の解明もあるのですが、それはまあストーリー上の要請といった程度のもので、本書の主たるモチーフは、やはり、警察という上意下達システムで組み上がった組織体の、自走的な脆弱性を腑分けしてみせることにあるのでしょう(もちろんそれは組織一般に認められるものですが、警察機構にはそれが先鋭的に出てくるのです)。
 これは著者の小説において一貫して追求されているテーマで、《刑事長》シリーズでは、ダンさんのような、出世を屁とも思わない、ある意味横紙破りの独行者、文化人類学で言うところの「制外者」(山口昌男)を警察組織の中に設定することで、それが浮かび上がってきます。
 一方本書では、組織内に一年だけ滞在する(預けられる)「若殿様」、つまり「君臨すれども統治せず」であることが明に暗に要請されている士官候補生の若いキャリアが、「前例」を無視して、まさに組織を掻き回すのです。これまた「独行者」であり「制外者」であるわけです。
 ベクトルの方向はまぎゃくですが、どちらも「制度内制外者」すなわち眉村さん謂うところの「インサイダー」(アウトサイダー・インサイド)なんですね。
 キャリアであれノンキャリアであれ、それぞれの意味で組織に埋没した警察官には当たり前でありすぎて透明化していることを、彼らははっきり可視化できるのです。
 このような小説が、警察組織に対して批判的な視点を取るのはある意味当然で、それにこそ、警察小説の意義があるわけです。警察を舞台に小説を書くということは、むしろそうならざるをえない、そうなるのが自然なはずなんです。と書くのは、そうなっていない警察小説もあるからで、思うにそれは著者が何かに目をつぶっているからに他ならない。不自然と言わざるをえない。批判精神なき警察小説は警察小説の形骸でしかない、というのは本論から外れるので措いておきますが。
 ところで本書、470頁の大部ですが、まあ370頁で書けそうです。残った100頁は何か。一種の大阪案内、大阪のトリビアな知識の開陳なのです。関東煮とおでんの違いは、関東煮には明石蛸が入っているが、おでんには入っていない、また、うどんやそばにかぎらず大抵の味付けは薄味は関西で濃い味は関東なのに、おでんは薄味付けで関東煮は濃い味付けと逆である理由とか、これはへぇ〜!でしたが、そんなことにもたっぷり紙幅が取られている。
 づぼらやのふぐうどんを、主人公は470頁の間に二度食べに行くのですが、なるほどこれはたしかにうまそう。私も食べに行きたい。づぼらやだけでなく、上記関東煮のたこ梅、吉野寿司の箱寿司(押し寿司)など、具体的な店名や商品名が出てくるのは、ひょっとしてバーター取引?(>おい)(^^;
 著者の小説は、2時間ドラマによく原作として使われるんだそうですが、さもありなん。
 警察小説の理念型は、私は佐々木譲のそれだと思います。姉小路祐の警察小説は、そういう正統的な感じはあまりしませんが、警察小説以外の何物でもありません。面白いです。

 

SS大賞始まる!

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月19日(木)20時11分50秒
返信・引用
 


 

「署長刑事」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月19日(木)00時42分29秒
返信・引用 編集済
   姉小路祐『署長刑事 大阪中央署人情捜査録』に着手。
 面白い面白い。一気に300頁(470頁中)。
 主人公の名は古今堂航平。この名を見たとき、ははあ胡錦濤のモジリだな、と思ったのでした。本書は書下ろしで2011年刊。胡錦濤は03年から13年まで国家主席ですから、時系列は合っています。
 国家公務員T種試験をパスし警察庁に採用された所謂キャリア組は、入庁7年で警察庁から各都道府県警察に出されて、一年間「現場」を勉強させられるのだそうです。
 主人公古今堂は、そのキャリアで7年目の29歳。上記の慣例により、大阪府警中央署署長として赴任してきたばかり。

 ところで古今堂、身長が158センチとたいそう小柄。口さがない署員たちが早速言いたい放題。
「ちっこいな、オール阪神よりも低いか」「そら阪神のほうが高いで。池乃めだかとどっこいどっこいやな」「それはめっちゃ失礼ですよ。しいていえばロダンの菅さんですよ」「だれや菅て」
 などわあわあと、池乃めだかさんに失礼なことを言うております。
 古今堂は古今堂で「背が低い方が地面に落ちているお金を真っ先に見つけて拾える」とか言い返しています。
「古今堂て ”こ〈いま〉どう” と読むんやろ。いやいや、むしろ ”こ〈まい〉どう” やな」
 うーむ。胡錦濤は関係なかった。「こまいどう」(大阪弁で小さいぞー)というギャグを言いたかったがための命名だったようです(>おい)(^^;

 そしてこの男、なぜか常に扇子を携行している。実はもともと上がり症だったのでそれを矯正しようと、学生時代落語研究会に所属し、老人ホームなどを慰問したりしていた。おかげで上がり症は改善したのですが、それは(高座に必携の)扇子を持っていればという条件付きの改善だった。警察官僚となってもその癖は治らず、いまだに扇子が手放せないのです。

 ここに至って、古今堂のわが脳内映像は、ヨコジュンとニ重写しになってしまいました(^^;

 

イエグモ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月18日(水)01時45分8秒
返信・引用 編集済
   最近、体長1センチ弱の小さなイエグモが私の部屋に棲みついたみたいで、時々見かけます。
 全体が黒色で白の模様があり、触覚(触肢)も白いやつです。
 いまこの文章のために調べたところ、アダンソンハエトリグモという種類みたいです。ハエを捕食する益虫で(厳密には虫ではありませんが)、見つけても殺さないで、と複数のHPで書かれていました。

 イエグモが益虫というのは知っていました。
 誰のなんという作品だったか思い出せないのですが、ある小説で、主人公一家が、ある家に引っ越して来ます。その当日だったか翌日だったか、父親がふらりと外へ出て行きます。やがて帰ってきたかと思うと、手のひらから小さなクモを数匹、まだガランとした家の中に放り出すという場面があって、こいつらは虫を食べてくれる、と父親が説明するんです。
 多分その小説で、益虫であることを知ったのだと思います。
 それでですか、この手のクモは平気で掴めます(糸を出す蜘蛛は嫌い)。

 うちのは全然人を怖れないやつで、温かいからでしょうか、ふと気づくとパソコンのモニターに止まっていたりするのです(下の動画のような実験をやってみましたが、うちのクモはカーソルに殆んど反応しませんでした。視認はしていたみたいですが)。
 ついさっき風呂から上がってきてみたら、傍若無人にも(いや無人だったわけですが)キイボードの上を這っていやがった。
 益虫であるのはわかっているので殺しはしませんが、ちょろちょろされたら気になります。ふとした拍子に踏んづけてしまうかもしれません。
 それでキイボード上の当のクモを捕まえ、窓を開けて外に放り出しました。
 外に放り出すのは、実は今回で二回目です。
 でも、いつのまにか、また家の中に戻っていたんですね(同じ個体であることは間違いありません)。

 そして放り出したあと、この文章を書くために上記のとおりネットで調べたのです。これまでも小さなクモはたまに見かけましたが、こんなに人を警戒しない奴は初めてだったのと、白黒のコントラストがくっきりしたのも、あまり見た記憶がなかったのもあって、ネットで種類を調べる気になったのですね。
 で、殺さないでね、と書かれていたわけです。
 そうか、可哀想なことをしたな、と反省しました。
 今日は全然寒くないので、閉めきっていた窓を開けてやりました。まだ30分ほどしか経っていませんが、戻ってきた気配はありません。
 けれども一度は戻ってきたやつですから、そのうちにまた戻ってくるかもしれません。
 
 あ、いつの間にか戻ってきているではないか。窓ガラスにはりついています。

 

The Only Living Man in ――

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月15日(日)13時30分32秒
返信・引用 編集済
   今朝、目覚めてまずつぶやいたのは、そうか、ほんだわらはあほんだらのアナグラムであったか、ということ。
 いうまでもなく雄鶏屋新聞主筆、雄鶏屋ほんだわら氏の話です。
 先日、雄鶏屋はオンドリャーであることに気づいたわけですが(ここ)、苗字がそうなら、当然名前もそうであってしかるべき、というのは後知恵で、私自身は何も考えていなかった。
 ところが無意識はずっと気にしていたみたいです。で、どうやら昨夜気がついたとみえ、目覚めるとそれが私に届いていた、という次第(昼は私が考え、夜は無意識が考えているのです。大物主神みたい(^^;)。
 なるほど、オンドリャー、アホンダラか!
 私より先に気づいた人がいるかもしれない、と検索しましたが、ヒットしませんでした。私が世界で最も早く真相に到達したみたいです(笑)。
 しかし待てよ、ほんだわらでは、アホンダラの完全なアナグラムではありませんよね。”ホンダアラ”でなければいけません。
 もしかしたら、”ホンダアラ”では、”ガンダーラ”と紛らわしいから、わざとずらしたのかもしれませんなあ。
 雄鶏屋ほんだわら氏のHPはこちら

  hondaara hondaara they say the man is in nabari



 

  

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月15日(日)00時17分25秒
返信・引用
 
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「夜の写本師」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月14日(土)21時53分15秒
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  > No.6681[元記事へ]

 乾石智子『夜の写本師』(東京創元社電書14、元版11)読了。

 承前。いや本書、ファンタジー界の「果しなき流れの果に」ではないですか! すばらしい。傑作でした。
 ただし厳密に読んでいけば、あんまり辻褄が合っていないような。それを強引に無理やり一つの物語として完結させているんですね。と私は思います。おそらく著者は細かいことを気にしない豪快な性格と見た(^^ゞ
 いやそれも畢竟筆力なんです。文体同様に荒々しい物語。(※山尾悠子みたいなファンタジーを想像されているなら全然違います。ウィアード・テールズ系かも)
 細かい整合性にこだわらない荒々しい物語は光瀬龍が典型的にそうですし、「果しなき……」もそう。ですからウェルカムなんですが、(先回あげつらってしまいましたが)文体のそれは、ちょっとねえ(^^;
 著者はいわゆる情念の作家なんでしょう、(むろん設計図はあるのでしょうが)ほとんど御筆先のようにキイボードを叩いているに違いない、と私は確信をもって想像しているんですが、溢れかえってくる物語の洪水を必死になって書き写している、その過程では、適切な表現を突き詰めている余裕はなく、ぱっと頭に浮かんだ(出来合いの)熟語を、とりあえず当てはめているのではないでしょうか。
 先回言いました四文字熟語の多用もそれでしょうし、ときに意味不明の文章が散見されるのも同じ機制だと思います。
 ――とは理解できましたが、だからといってリーダビリティが阻害されるのは変わりません。でも後半、コツが分かりました。
 読み飛ばすのです(>おい)(^^;
 ごたごた書かれているな、と思ったら潔く飛ばし読みすることにしました。
 するとストーリーが再び立ち上がってきました。
 本書に就いて、文章を問題にするネット批評を殆んど見ないのですが、きっとみなさんテキトーに読み飛ばししたんでしょうね。
 というのは冗談――でもなんでもなく本心なのですが、SF作家でいうなら菊地秀行タイプかなと思いました(栗本薫タイプかなと書きかけたのですが殆んど読んでないので自重した)(笑)。いずれにしろ細かいことは気にしないタイプですね。
 そもそも物語の大枠は魔道士VS夜の写本師の、千年の時空を越えた魔法大戦でして(夜の写本師というのが著者のオリジナルで面白い)、夜の写本師の主人公が呪文を記した羊皮紙の束(あるいは写本)を、敵に向かってぱっと撒くと、それが敵に向かって攻撃を仕掛けていく、というような場面は、伊賀の影丸を思い出しました。
 そういえば平谷美樹のゴミソの轍次が用いる「護符」も同じなんですよね。それを陰陽師ではなく写本師とするだけで、一気に西洋魔法物語めいてくるのが面白いですねえ(^^)

 

しかしてその実体は

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月13日(金)22時53分33秒
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   パパ・ジョン・クリーチの「パパ・ブルース」を、相変わらず聴きまくっていまして、録音して車でもずっと掛けています。LPだったら、すり減っていますね(^^;
 パパジョンの凄いところは、古いブルース・シンガー、フィドル奏者と一概にいえないところで(大体ジェファーソン・スターシップと共演して一躍その名を知られたのでした)、サンタナばりに泣かせるかと思えば、意外にコンテンポラリーもさらりと弾いてしまう、懐の深さだと思います。
 この「スカッフリン」なんて、かのモードジャズの名曲を取り込んだ、バリバリのフュージョンなんですよね。(パパジョン1917年生まれ、マイルス1926年生まれ)
 見た目はいかにも南部の素朴な黒人のオジサンという感じですが※、実はすごい音楽理論家だったんじゃないでしょうか。(※意外にも東部ペンシルバニア州生まれ)



 

  

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月13日(金)01時05分56秒
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   .  

早川浩 早川書房社長 「戦後70年 語る・問う」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月12日(木)21時36分59秒
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   これは面白いです。9月29日、日本記者クラブでの会見。会見リポート
 出版人としての半世紀の交友で、特に印象的な作家はと問われ、マクベイン、クラーク、ダール、クライトン。
「三島さん、次の作品はどんな?」「すべて書きつくしました」
 

 

相撲協会に提言

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月11日(水)22時47分55秒
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   大相撲「満員御礼」80日でストップ…九州場所

 ほらね。私の言ったとおりになりました。というか、九州場所で途切れるだろうということは、関係者はみな内心そう予測していたのでは。
 だから、これも以前から度々言っていますが、九州場所はやめて、11月場所はモンゴルで開催すべきなんです。
 福岡市の人口は152万人。対して名古屋は226万人、大阪266万人。福岡で満員にならないのはある意味当然なんです。
 しかしウランバートルの人口も122万人と福岡よりも若干少ないじゃないか、と思われるかもしれません。しかしそういう比較は実体をみていません。大相撲への関心は九州より(日本より)遥かに高いはずです。なんせ横綱3人、大関1人がモンゴル人なのです。翻って大関以上で九州出身者は琴奨菊1人だけ。幕内力士を比べても、モンゴル9力士に対して九州6力士です。
 それに市民のレジャー環境も、それ以上に意識が、日本ほど多様化していない(集中しやすい)のも有利な点ではないでしょうか。
 なんなら、九州とモンゴル、一年ごとに交代々々で開催する手もあります。
 大相撲モンゴル場所、真剣に考えてもいいのではないでしょうか。

 ところで話は変わるのですが、徳勝龍というお相撲さんがいます。実はこの人、小松さんの若い頃にちょっと似ているんではないかと、上がってきた時からずっと思っているんですが、どないでしょう。写真を並べるとそうでもないか。テレビの立体的な映像ではもっと似ているように感じます。(^^;
 


 

母語と文法

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月11日(水)01時40分5秒
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   馬から落馬(凡々ブログ)

 カフカはチェコ語が母語だったようですが、小説はドイツ語で書きました。つまりカフカの文章は、早い話が外国人の書くドイツ語なんですね。ですから変に捻ったり省略したりしてなくて(文法に忠実で)きわめて平易で読みやすいのだ――と聞いたことがあります。
 リンク先の、文法を重んじるラブクラフトの文章が、英語を母語としない人にとって読みやすい、というのを読んで、それを思い出しました。
 たしかに、生きた英語に触れたことがないと、くだけた表現とか俗語とかはよく分からないことがありますよね。
 逆もまた同じで、日本語を(来日してナマで習得したんじゃなく)第二外国語みたいな感じで公的教育をうけた外国人が、日本語の小説を読んでいて、とつぜん「あけおめことよろ!」なんていう会話が出てきたら、オーワカリマセーン!と手のひらを上にむけて肩をすくめるんじゃないでしょうか。
 これはちょっと極端な例ですが、実際、外国語を勉強中は、小説よりも論文や新聞の記事のほうがとっつきやすかったりしますよね(阿吽の呼吸でなされる対談録なんか、更にわかりにくいはずです)。
 でも、(カフカは分かりませんが)ラヴクラフトの翻訳文は、少なくとも私には、読みにくい文章です。それは(リンク先の説に従えば)文法に忠実すぎて、省略やずらしによるリズム感が生れず、日本語ネイティブスピーカーにすれば、ダイナミズムに乏しい鈍重な文体と感じられてしまうからかも、と、ふと思ったのでした。
 

こんな時間に目が覚めたので

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月10日(火)06時11分27秒
返信・引用 編集済
   昨夜は飲み会で飲み過ぎ、帰宅即バタンキュー。するとこんな時間に目が覚めてしまいました。
 することもなくネットを見ていたのですが、そうだこの時間にメモしておこうと思った。
 何のことかといえば、今読み中の小説が、ストーリーはなかなか面白いのですが、どうも乗れなくなってきて、その理由が、どうやら私の言語感覚と著者の言語感覚の齟齬なんですね。
 若い人は、今こんな表現を当然として使っているんでしょうか。
 前作もそういうところがありましたけど、許容範囲でした(量的に)。
 しかし今回は、そういうある程度理解できる(但し私自身は使わない)用法に加えて、「言葉の本来指示する範囲を越えた」使用法が気になりました。
 といいつつも、本当にそうなのか。私の言語感覚のほうが間違っているのではないか。下に示した実例を睨んでいますと、だんだん自分の感覚への信頼があやふやになってきました。
 どうなんでしょう。ご教示いただけると幸い。(※電書から直接コピーしたので、妙に間延びした字面になっています。下線、管理人)

      ――――――      ――――――

○愛想 よく 人当たり の いい 表面 とは裏腹 に、その 本質 は したたか で 狡猾、 清濁 あわせ のむ 男 だっ た。
 ――この文脈での使用は違和感がある。清濁併せ呑むってそういう意味でしたっけ?

○ヴェルネ に 同情 する 男 は、 同時に 計算 高い 面 を 見せる。
 ――同上。

○おかげ で カリュドウ の 自信 と 力 に 曇り は ない
 ――同上。これは完全にずれている。曇りはないのは、意識とか目とかそういうものでは?

○これも ケルシュ の もの だ、 と 確信 が はじけ た
 ――確信がはじけてしまったら、バラバラになって散ってしまうような。

○父親 を 師匠 として 従順 を 誓う よりは、
 ――こんな使い方をします?

○たまたま 不満 が 合致 し て、 統率 さ れ て い ない 集団 に ふくれあがり、
 ――言い表したいことは分かるのですが。

○父 が 大音声 を 発し た
 ――これはこれでいいような気もするのですが。

○月 の 魔力 に 怖 れ を なさ なかっ た 男。
 ――これは変。怖れをなして、という表現はありますが。

○こうして アムサイスト は、 まんまと わたし の歓心 を 得る こと に 成功 し た。
 ――自分のことには使わないような。

鉄壁 の 意固地 さで 最後 まで 彼 を 認めよ う と し なかっ た のは ブリュエ だっ た。
 ――意味は分かりますが。最近の人が使いそうな表現ではありますね。

○兄 に 忠告 しよ う と 身構え て い た わたし は、 やがて アムサイスト が 歯牙 にも かけ て い ない こと を 知っ て、 逆 に ブリュエ を 歓迎 する よう に なっ た。
 ――文脈的にそぐわない。この文章自体、意味が取れない。

○さあ、 訓練 し た こと を 思いだし なさい。意識 を 清明 に もっ て、 支配 し なさい」
 ――意識を澄ませて、くらいでいいのでは?

○物事 は 奥深く に 眠る もの によって 動く とは かぎら ない という こと を、 若い わたし たち は 誰一人 として 看破 し て い なかっ た。
 ――別の表現がありそうな。

○彼 は 金糸 銀糸 に 刺繍 さ れ た びろう どの 黒い 魔道師 の 長 衣 を 着 て、 威風 堂々 と 父 の 館 に 入る と、 ていねい な 挨拶 を し た のち、 エズキウム に 街 を 建設 する 旨 を 告げ た。
 ――堂々と、でいいのでは? この例以外にも、四文字熟語を無造作に使いすぎているところが見受けられます。

全 け き 無垢 の 笑顔 では ない。
 ――下記リンク参照。

○「政 には 手 を 出さ ぬ のが お 師匠 の 信念 で ある こと は 承知 し て おり まする。 し た が、 この まま では、 マードラ の 亡国 にも つながり かね ない 事態 と 相成っ て い ます。 どうか 枉げ て、 参戦 し て いただき たく」
 ――変ですよね。滅亡にもつながりかねない、ならオッケー。私の感覚では。
 ――私なら、我らが陣営に加わっていただきたく、とするでしょう。

      ――――――      ――――――

 小説の表現は、何も辞書の意味どおりである必要はないし、詩表現なんかでは、わざとずらして奇矯奇抜な表現造語を使う場合もあるので、一概に言えないのは承知していますが。
(追記。四文字熟語の例から思うに、逆に適切な言葉を突き詰めて見つけ出そうとせず、既存の有り物で済ませてしまっているきらいもあるような気がします)
 また前作は本作の2、3年後の作品なので、その意味では格段に改善されたと見るべきなのかもしれません。

 検索したら、こちらのブログでも同じ指摘がなされており、違和感のある文体であることは確かだと思います。
 付け加えますが、内容はたしかに面白いです。
 

雄鶏屋新聞創刊

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 8日(日)19時46分0秒
返信・引用 編集済
            ↓クリックしてPDFで読む↓
 
  今頃気づいたのですが、雄鶏屋は「オンドリャー」と発音するのですよね。
 

Re: 「ディアスと月の誓約」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 8日(日)00時23分15秒
返信・引用 編集済
  > No.6676[元記事へ]

 いろいろググっていたのですが、『ディアスと月の誓約』のような世界観は著者の本領ではないのかも。
『夜の写本師』という作品が高評価のようです。もっと幻想的で濃密なんでしょうか。『ディアスと月の誓約』だけで作風を決めつけるのは適切ではない気がしてきました。考えたらまあ当然ですね。
 ということで、急遽『夜の写本師』をキンドルにて緊急発注。即、届きました。
 これから着手します。
 ちなみに今回キンドルで購入したのは、これまで常に若干安かったイーブックのほうが、キンドルより高かったからです。あぶなくイーブックで発注してしまうところでした。電子書籍の値付けは本当に訳が分かりませんなあ(汗)

 

Re:   

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 7日(土)21時01分2秒
返信・引用 編集済
  > No.6677[元記事へ]

 雫石さん
> まったく。ほんま、どうしようもないですな。
 いやまあ、ひでえもんです(笑)

 

Re:   

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2015年11月 7日(土)20時57分38秒
返信・引用
  > No.6673[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

まったく。ほんま、どうしようもないですな。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/82484514fc410bcfd69a8b5ced0ab05b

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

「ディアスと月の誓約」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 7日(土)20時45分42秒
返信・引用 編集済
   乾石智子『ディアスと月の誓約』(ハヤカワ文庫15、元版13)読了

 今年から創元ファンタジー新人賞というのが新設されましたよね。夏前にその第一回の結果が発表されたことは、みなさんには言うまでもないでしょう。
 ところで、このような応募文学賞でまず気になるのは、自分の作品を読んでくれる(最終まで残ればですが)選考委員をつとめているのは誰か、ということではないでしょうか。
  井辻朱美、乾石智子、三村美衣の3氏がその選考委員です。井辻氏と三村氏はファンタジー界では著名人で、選考委員は当然という感じなのですが、乾石氏は(まあファンタジーには疎い私ですが)初めて聞くお名前でした。
 そのとき検索して小説家であることを知り得たのでしたが、新人とはいえないまでも、ずいぶん若手なんだなあ、と驚いたことでした。このごろは若手作家が選考委員でも応募が集まるのか、と。
 また一方で、そんな方が抜擢されたということは、いわば、山田正紀のデビューみたいな感じで登場されたのかも、と想像した記憶があります。
 でもすぐに日々にまぎれて忘れていたのですが、先日、ブックオフで新品同然の本書が棚差しされているのを見つけ、卒然とそのことを思い出した次第。

 ということで読んでみました。
 異世界ファンタジーです。異世界ファンタジーということでは、井辻さんと同じフィールドなのですが、傾向は正反対で、井辻作品がクラーク・アシュトン・スミスぽい詩的世界なのに対して、こちらは少年少女が主人公の一種の成長物語。ジュブナイルに含めてもよさそうな作風でした(登場人物も現代人の意識で思考する。少なくとも異世界という感じはしない)。
 ネットで調べても生年がわからないのですが※、年齢も若い作家さんのようです。文章はしっかりしていて、安定した技倆を感じるのだけれど、ときどき若者独特の表現が(無意識に)ぽろっとあって、ああ若い人なんだなと気づかされるのです(それがよくないと言っているのではないですよ。時代が変われば表現も変わっていかざるを得ません)。あてずっぽですが、1980年代以降に生まれた方だと思います(>ホンマか)(^^;

 さて、読み始めはなんだかジブリっぽいなあ、という感じで、目に浮かぶ映像もアニメ風だった。
 しかし中盤以降、クエスト的な展開になってからは、次第にアニメ絵から実写に変化していき、終盤は巻措く能わずで読了しました。面白かった。
 世界設定的には現実のツングース系狩猟遊牧民の世界の引き写しにしかみえず、ちょっと異世界とは思い難いのですが(但しそれではよくないというわけではない。そういうファンタジーもありとは思います)、ストーリーで乗り切ってしまう。そのへんはバローズ的な資質なのかも。
 要するに基本物語作家で長篇型作家なんでしょうね。井辻さんとは対称的と思いました。というか相補的。その意味では選考委員の人選には偏りがなく正しいものだったのかもしれません(たとえば乾石さんの代わりに山尾悠子さんが加わっていたらかなり偏ったものになってしまいそうです)(^^;。
 ということでみなさん、安心して応募して下さい。私? だいたい50枚以上書けないのに、応募できるわけがないじゃないですか(ーー;

※余談ですが、著者にかぎらず未公表の女性作家が最近多い(井辻、三村両氏は公表している)。なぜ公表しないんでしょう。男性作家で未公表の人なんて、少なくとも私はお目にかかったことがありません。私見ですが年齢を隠すのは社会の男性原理を受け入れていることになると思います。

 追記。その後いろいろググっていたのですが、『ディアスと月の誓約』のような世界観は著者の本領ではないのかも。
『夜の写本師』という作品が高評価のようです。もっと幻想的で濃密なんでしょうか。『ディアスと月の誓約』だけで作風を決めつけるのは適切ではない気がしてきました。考えたらまあ当然ですね。
 ということで、急遽『夜の写本師』をキンドルにて緊急発注。即、届きました。
 これから着手します。
 ちなみに今回キンドルで購入したのは、これまで常に若干安かったイーブックのほうが、キンドルより高かったからです。あぶなくイーブックで発注してしまうところでした。電子書籍の値付けは本当に訳が分かりませんなあ(汗)
 

横溝正史 生誕地碑建立11周年記念イベントのお知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 7日(土)01時10分49秒
返信・引用
   おお、今年の講演は、法月綸太郎先生ですか!
 今年も大盛況になりそうですね(^^)
  

 

我は憎み見たり夕日の沈み行きたるを

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 6日(金)22時07分56秒
返信・引用 編集済
 
 
.
 

  

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 6日(金)22時07分22秒
返信・引用
   
 故人ばかりか家族まで(ーー;

 

モノラル左

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 6日(金)20時20分56秒
返信・引用
  .

 

奈々村久生さん

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 5日(木)11時10分40秒
返信・引用
   .

 

発見

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 4日(水)23時28分26秒
返信・引用 編集済
   よいですねえ(^^)
 
 なんでもあるな、ユーチューブ。

 追記。つづけて2回転聴きました。これ、パパジョン最高傑作じゃないでしょうか(ワタシ好みというだけかも)。
 英語版のウィキペディアに、当アルバムの項目が立っていました。1992年リリースのパパジョン最後のスタジオアルバムで、70年以降リリースされた唯一のアルバムとのこと。
 つまり亡くなる二年前で、75歳の作品!
 うーん。まさに神韻縹渺。バックアップするバンドも素晴らしい。
 しばらくヘビーローテーションで聴くことになりそうです。

 

ファンまわりの清掃

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 4日(水)20時29分51秒
返信・引用 編集済
   夏場はクーラーの音や扇風機の音が常時しており、また窓やベランダの戸を開放していることなどもあって戸外の音が部屋の中に入ってきていたりしていますから、それで気づかなかったのですが、秋になってそれらの音がなくなると、PCの発する騒音が急に意識されてきました。夏前より喧しくなったような。ファンの音も高くなっていますし、ハム音というのですか、ブーンという唸りみたいな音が周期的に高まったり低まったりするのです。ケースに手を乗せると消えるのですが。どこかで共振が起こっているのですね。
 だいぶファンに負担がかかっているようです。夏場はファンもフル回転するので、少しでも負担を減らそうと、100円ショップで買ってきた小学生が持参するような小さなタオル(引っ掛け紐付)を水で濡らし、固く絞ってケースに掛けたりして、温度の上昇を抑えようとしていたんですが……。
 で、ファンを掃除することにしました。一年ぶりかな。
 ケースを開けますと(ネジを3本外すだけ)、想像していたとおり、ファンとその周辺にホコリが(部分的にはびっしりと)こびりついていました。綿棒にアルコールを付けて、ファンの羽根を一枚一枚拭き取ったり、場所によっては爪楊枝でこそげ取ったりしたあと、掃除機で吸引したら、きれいになりました。ファン部分以外も見ましたが、そんなに汚れていなかったので、無理に吸引して傷めてしまっては元も子もないので、さわりませんでした。
 ケースのフタをして、起動しました。劇的に静かになりました。共鳴音もしなくなりました。
 掃除は分解も含めて20分ほど。やって正解でした。これでまだしばらくは使えそうです(^^;


 

「怨霊の地」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 4日(水)03時19分5秒
返信・引用 編集済
   邦光史郎『怨霊の地』(ケイブンシャ文庫、88)読了。

 古代史小説集だと思っていたら、戦国時代小説集でした(一篇だけ江戸時代小説)。
「鬼火草子」は、三木城水攻めで一族郎党領民全滅した別所一族ゆかりの手妻使いが、秀吉の世継ぎ(秀頼の前に生まれた鶴松)にたたる。三成が果心居士を呼び寄せて防ごうとするが、結局鶴松は早世。次に生まれた秀頼にもたたらなければ意味がないのだが、それはなされない。このへん、本当はもっと書きこまなければならないところ(紙幅がなくなって?)端折られているのではないか。つまり秀頼は秀吉の種から生まれたのではないということなんでしょう。手妻遣いとなっていますが、どうもこの世のものではなさそうです。
「小車草子」は、ちゃちゃ(淀殿)の話。ですが、これも端折ってあって、筋が通らない。ここでは秀次の重心木村常陸介が、秀次にとって邪魔となる鶴松を、甲賀者を使嗾して毒殺する。ところが秀頼が生れてその企ては水泡に帰すのですが、前作同様、やはり秀頼は秀吉の胤ではないこと、淀殿と大野治長の関係が暗示されます。

 この二作は、いまいちでした。しかし次の――
「獄門草子」は傑作。舞台は江戸時代。小伝馬町の牢屋敷から刑死ではない病死者として千住送りになった男が、途中でむくりと起き上がった。その男・盗賊の吉蔵は、いま一人の盗賊・不知火と並び称される江戸きっての名盗賊なのですが、ついに捕まってしまった。その吉蔵に、同心小口が、不知火を捕まえてくれば罪を帳消しにしてやる、と持ちかけた。それで死者に偽装して娑婆に出てきたという寸法。二人は以前から技を競い合っており、片方が大店をやっつけると、次の日にはもう片方が、更に大きな店を片付ける、という、すでに盗賊の本分を越えた技と技のぶつかり合いになっていたのです。そういう次第で、吉蔵が捕縛された結果、不知火も消息が消えてしまったのです。ここでふたたび吉蔵が大きなことをやれば、不知火もまた姿を現す。そこを捕らえようというのが、小口の作戦だったのですが……
 これは絶品の面白さでした。

「むらさき草子」は、戦国前期、大内義興は上洛の妨げになっていた安芸鏡山城を、宿敵尼子氏から奪還する。大内麾下の猛将・蔵田備中守房信が守将として入城する。謹厳な猛将らしく城内は女人禁制。忽ち鏡山城の弱点を見抜き、二の丸と本丸を結ぶ地下道の建設に着手する。穴掘りに携わる人夫たちは完成後口封じされることに決まっていたのですが、人夫頭がそのことに気づき、なんとか逃れる手段はないものかと思案しているところに、尼子のくノ一が接触してくる。抜け穴の地図を持ってくれば、逃がしてやろう。くノ一は地図を得て逃げ去るも、人夫頭は逃げきれず捕まる。数カ月後、帰ってこない人夫頭の身を案じて、その娘が、(女人禁制の)城に訪ねて来たのでした……。
 大内対尼子という戦国小説は珍しいのではないでしょうか。このとき、尼子方の尖兵だったのが毛利元就だったんですね。ほとんど講談でした。面白かった。

「白狐草子」は、六角承禎の観音寺城に招かれた狂言師が、「釣狐」の大曲を演じ終わった。その後雑談になり、今でも(狂言の舞台となった)勝楽寺あたりには狐が多いという話になる。承禎が、今その地を拝領している徳久太郎実清に向かって、そのことを確認するに、憚りながら狐ごときにたぶらかされる実清ではありませぬ。何百何千匹化けて出ようと、皆殺しにしてご覧に入れます、と見得を切るのでした。その宴も果て、勝楽寺付近まで帰ってきた実清がふと見ますと、おぼろ月に照らしだされて、若い女が一本の楠の幹に無惨にも縛り付けられているではないですか……
 という具合に、本篇は中国伝奇小説を彷彿とさせます。いや謡曲小説といったほうが妥当か。いずれにせよ怪談の名品といって過言ではありません。六角承禎が(軍記物ではない話に)出てくるのも、珍しくてよかったです。

「八百姫草子」、本篇も伝奇小説、怪談です。これもよかった。堪能しました。舞台は若狭小浜。時代は戦国時代っぽいですが、むしろ無時間的で、歴史時代小説というよりも、夢幻的、幻想的な話です。小浜の領主の息子千之助の母おりんの方は、千之助三歳の折り疫病にかかって若死にしたと、そうきかされていたのだが、千之助の心にこびりついている母の姿は、なぜか波間に浮かんでいて、世にも悲しげな悲鳴とともに、沖へ沖へと流されていくものだった。ついに決心をして、今は隠居している下男の与吉が何か知っているはずだと、与吉の在所の根来村へ、千之助は出掛けるのでしたが……
 八百姫は要するに八百比丘尼。八百比丘尼伝説を下敷きにしていますが、そのままではない、全く別の物語です。

 以上6編、最初の2篇を読んだ時は、先が危ぶまれたのですが、杞憂でした。満足して本を閉じました。

 

「激変! 日本古代史」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 3日(火)02時23分46秒
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   足立倫行『激変! 日本古代史 卑弥呼から平城京まで』(朝日新書、10)読了。

 著者は学者でも在野の研究者でもなく、古代史に興味を持ったライターです。平明に書くのが仕事だからでしょう、文章がこなれている上に要領よくまとめられていて、たいへん読みやすい。(今はなき「東アジアの古代文化」掲載の自説に凝り固まった在野史家の論文の読み難かったこと!)←読みにくい文章の典型(^^;。
 よい意味で自説というものを持っておられないので、いろんな説を過不足なく紹介してくれていて、その意味でも大変有用な本でした。
 といっても通説の羅列ではありません。どっちかというと奇説を好んでいるようで、そっち寄りの紹介になっているのも愉しい。
 本書は2010年発行で比較的新しく、09年に纏向遺跡で発掘され、邪馬台国はここだった、とほぼ決定づけるような印象を世に与えた、整然と方位の揃った建物跡のこともちゃんと記載されていました(この建物跡の発掘は、つとにオロモルフ博士によって予言されていたのでしたよね)。
 新聞記事等で知っていたこととはいえ、纏向遺跡の出土物の「国際性」つまり「土地との繋がりが希薄」、いわば人工的に建設された都市だったろうというのは、改めて強く認識されました。
「纏向遺跡は古代の東京」と章題にありますが、これは見方を変えれば、大和政権というものが、単純に大和の在地勢力が強盛化して大和政権(大和朝廷)となったとは、必ずしも直線的に考えなくてよいということになります。
 同じく、歴博が、炭素14年代測定法の精密化(AMS法)によって、弥生時代の開始は500年遡るという衝撃的な発表(03)をしたことも、もらさずにちゃんと書かれていまして、歴博は、今後古代史の精密な年代を明らかにできるだろうみたいな、えらい鼻息だったようです。これについては、著者はいろいろ識者に取材しているのですが、九州説派は当然として大和説派もひとしく、非常に有用な方法だが全面的に信頼することはできない、というスタンスだったのは面白い。
 奇説と書きましたが、それは通説に対してという意味で、実際はこっちが正論かもしれません。
 紹介されている森博達『日本書紀の謎を解く』は、私も読みましたが、『日本書紀』が(音韻や文章の精緻な分析から)三人(もしくは3グループ)の執筆者によって書かれており、もともとの構想では、雄略から始まるものだった(神代〜安康は後にある事情から付加された)、というのは、非常に示唆的でした。
 特に著者が肩入れして紹介するのが、中部大学教授の大山誠一説です(この方は知りませんでした)。大山説にのっとった蘇我氏―聖徳太子―乙巳の変つまり飛鳥時代の新解釈は、なかなかめざましくてはっとさせられます。
 でも継体と蘇我氏が深く関わっているというのは、どうかな。ちょっと奇抜すぎでは。と系図を眺めていたら、なるほど大和中央の大伴金村以下の旧勢力を南北から挟む形で、継体と蘇我氏が立地しているではないですか。ふーむ。
 この大山氏は、上山春平の継承者を自認しているようで、それも興味をそそられました。手頃なのがあれば読んでみたいです。

 

岡本俊弥「群衆」

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 2日(月)02時50分18秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥さんがTHATTA ONLINEに連載している「岡本家記録とは別の話」に、「群衆」という25枚の掌篇が掲載されました→こちら
 この作品、《チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号》に掲載された「群衆」の改稿版なのですね。
 ということで、チャチャヤン版を引っ張り出してきて、適宜対照しながら読んでみました。
 かなり改変されていて、オリジナルもよかったんですが、さらによくなってますね(別作品と言ってよいでしょう)。小説に厚みが加わって、というよりも、より小説らしくなって、ミステリ的な興味で引っ張っていく作品になっていました。
 よかったです(^^) そういう次第ですから、もう読んだと言わず、ぜひお読みになっていただきたいと思います。おもしろうて、やがてぞっとすること疑いなし(参加型ファンだった方は、ですけど)(^^;
 ページも凝ってます。なんかBGMも流れ出してきそうな感じで、ちょっと身構えてしまいました※。それはなかったですが。
(※というのは、ユーチューブを聞くので、スピーカーのボリュームが大き目に設定してあるんです。突然(予期せず)鳴ると、わっと飛び上がってしまうのです。ですから勝手に音楽が鳴り出すオプトイン広告は本当に迷惑なんですね)

 そうだ。ついでながらチャチャヤング・ショートショート・マガジンに掲載した作品だからといって、別媒体に上げるのを遠慮している方が、もしいらっしゃったら(おられないと思いますが)、そんな配慮は無用ですからね。作品の権利はみなさんにあります(^^)。為念。

 
 

Re: 発表されましたね

 投稿者:管理人  投稿日:2015年11月 1日(日)13時52分37秒
返信・引用
  > No.6664[元記事へ]

 段野さん
 おお、お仲間ですね。それはおめでとうございます。
 しかし、神戸新聞に出身講座が発表されるくらいですから、今度出る本の各著者紹介欄にも出身母体名が載っている可能性が高そうですね(これまでの応募文学賞もそういう慣例があったんでしょうか。私は記憶にありません)。
 かりに私の記憶が確かだとしますと、いよいよ講座間の競争関係が顕になってくるような気がしますね。もちろんそれは講座の運営組織間でということです。講師の方にはそんな意識はないと思います。なんか眉村卓のSF世界みたいですねえ。ビッグタレント養成学校とか(^^;

 

Re:発表されましたね

 投稿者:段野のり子  投稿日:2015年11月 1日(日)13時33分59秒
返信・引用
  「藤本義一文学賞」の最終選考25作のなかに、見知った名前を見つけました! その方は「Giichi Galery賞」を受賞されました。某文化センターの受講者です。おめでとうございます。  



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