ヘリコニア過去ログ1602

宇宙気流89号

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月29日(月)22時32分21秒
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  《宇宙気流89号》をご恵投いただきました。いつもありがとうございます。
今号は、平井和正さんと牧村光夫さんの追悼号です。
うーん。うちも次は西秋生追悼特集号。これからはいずこも追悼特集が増えていくんでしょうね。
 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月29日(月)21時25分28秒
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  > No.6905[元記事へ]

 柳生さんから西さんの16枚の原稿(遺稿)が届きました!
 珠玉の傑作といいたい!
 舞台は(おそらく)震災後枝分かれした別の時間線の神戸。三宮駅が壊滅したので王子公園駅から分岐する上筒井支線が復活し、関学が発祥の地原田の森に戻ったこともあって駅前あたりが三宮を凌ぐ繁華街になっています。そこへ飄然と暗闇から湧き出すように三人の怪老人が姿を現す……
 いやこれは能ではないでしょうか。まさに夢幻能の世界です。どうぞお楽しみに!

 特集のエッセイが、まだ3本しか届いていません。追善ということでみなさんぜひ書いてください。よろしくお願いします。

 

珍味

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月29日(月)00時10分20秒
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   シレーンの炊いたん。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月28日(日)23時31分32秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月28日(日)20時22分0秒
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   イナダってはじめて聞いたかも。関西では言いませんよね。
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月28日(日)20時16分0秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月27日(土)21時37分2秒
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Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月27日(土)00時55分7秒
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  > No.6903[元記事へ]

         26枚(13頁)の短篇
 岡本俊弥さんから13枚のショートショートが一篇、雫石鉄也さんから待ってましたの海神シリーズが一篇、届きました!(^^)
 岡本作品は、ずばり西秋生オマージュです。西さんのネオヌルに載ったショートショート「魔天楼」に、ハイカラ神戸とタルホ趣味が按配され、21世紀らしい衣装を着せられて甦った、そんな感じの作品です。
 火事で焼亡したトアホテルの跡地に高さ2500メートルの超高層建築天楼が、中国資本によって建てられちゃいます。そしてそこを訪れた主人公が窓から見おろすのは、三角帆の小舟が無数に浮かぶ百年前の神戸港だった……
 いやー西さんが大喜びするのが目に見えるようです。西さんに読ませたいなあ。
 オマージュですが、立派に岡本オリジナル作品と言ってよいと思います。この作品、一足早く岡本さんのHP「岡本家記録とは別の話」でアップされますので、ぜひぜひ(^^)。

 雫石作品は海神シリーズ。もはやチャチャヤング・ショートショート・マガジンに海神シリーズは欠かせませんね(^^;


 

「モナドの領域」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月26日(金)22時43分5秒
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   筒井康隆『モナドの領域』(新潮社、15)読了。

 一気に読んでしまいました。面白い! もちろん面白いから一気に読めたわけですが、それ以前に小説がするすると読める構造になっているんですね。先に読了した『ユートロニカのこちら側』も、面白さでは負けていませんが、この本みたいにするするとはいきません。この「するする」は、もちろん著者の技倆によるですが、第一世代共通にみとめられる特徴でもあります。やはり第一世代はとんでもない連中が集まっていたのだな、と改めて思うと同時に、当時、士農工商◯◯SF作家といわれた(自ら揶揄した)最低辺から出発するにおいて、否応なく身につけなければならなかったものなんだと思われます。
 物語の大枠はきわめて単純です。この宇宙と並行する(多分非常によく似た)いま一つの宇宙が異常接近し、そのごく一部分がとある町で重なります。
 その結果、向こうの世界の人間(ベーカリーのオーナー)が犯したバラバラ殺人の片足と片腕がこっちの世界で発見される。もちろんこっちの世界にもそのベーカリーのオーナーは存在します。向こうの世界で殺されたのはベーカリーでアルバイトしていた女子大生なのですが、この女子大生はこっちの世界には存在しなかった。
(私が思うに、もしこちらの世界にも女子大生が存在していたら、こちらの世界に出現したあっちの世界の手足が、こっちの女子大生の手足と重合し、とんでもない爆発(対消滅みたいな?)が起こり、それが引き金となってあっという間に二つの並行世界が膨大なエネルギーを発散して消滅してしまう、そんな事態になったのではないか。だから著者はわざわざ被害者がこちらの世界には存在しない人物に設定したのだと思われます)
 とはいえ、あちらの物質がこちらに出現したのですから、やはり問題は問題なのです。
「そのうちふたつの場所がこの世界の時空間と重なっていて、自発的に対称性が破られた。河川敷と公園だ(管理人註:手と足が発見された場所)。このふたつの場所から綻びが発生した。知っているだろうが、綻びというものは抛っておくとどんどん拡がってしまい、収集がつかなくなる。この世界で言えば最終的には地球規模の破滅につながるほど拡大するんだ」
 かくなる次第で、「遍在する存在」つまりGODが、修復のためこの世界に出動してきたのでしたが……。

 遍在する存在とはどういう存在か。すべての人間、否、生きとし生けるもの、否宇宙それ自体の経験を自らの経験として知っている存在です(多分)。
 私が行ったこと(隠している悪事)もすべて知っている存在です。『ユートロニカ』のBAPなんか目じゃないレベルです。「遍在する」わけですから未来も「知っている」のです(従って今回の出動も宇宙開闢以来定まっていたことだとGODは言います。
 さて、ふたつの並行世界の接触(=綻び)はベーカリーが起点となりました。ですからGODもまずベーカリーに現れるんですね(そのためにこちらの世界のアルバイトは旅行に行くことに「定まっている」)。
 さて本書の面白いところはもうひとつあり、それはGODによる(つまり著者による)強烈な知識の開陳です。これがすごい。「大法廷」と「神の数学」の章がそれです。前者は『カラマーゾフ』の「大審問官」を踏まえています。上述の設定は、かかる開陳のための舞台づくりだったと言っても過言ではありません。
 いやこれがもう(気持よく)打ちのめされます。「神」に関する哲学的言辞が、これでもかと機関銃のように掃射されてきて、読者は(私は)知的快感に悶絶する他ありません。私はエーコやボルヘスを想起させられました。本書はそういう種類の「小説」だと思いました。
 おそらく著者も(言いたいことは全て吐き出して?)気持ちよかったんでしょうね。「もう書くことはない」とはその意味の表現だと思いました(^^;

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)22時56分44秒
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  > No.6888[元記事へ]

 雫石さんから玉稿到着!
 ショートショートです。その辺りは高級住宅街で、工場などがないことが幸いして空襲を受けなかった。ただ一度、大阪砲兵工廠を爆撃したB29が一機、ふらふら迷い込んできて、誤って一発だけ落としていったことがあった。それがそもそもの発端だった……。うーん。余韻を残すホラーです。
 ゲラをお送りしましたので、チェックよろしくお願いします>雫石さんm(__)m
 あれ、今回は海神シリーズはお休み?

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)21時01分52秒
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Re: こんなんでしたぜ〜

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)20時43分6秒
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  > No.6899[元記事へ]

 雫石さん

>この小学校の少し後輩に浅野ゆう子がいます。
 おお(^^)
 昔勤めていた会社に、河合奈保子のお母さんがパートで働いていました(>お母さんかよ)(^^;
 あっそうだ、私の高校の少し先輩に、谷甲州がいます!


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)20時34分23秒
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Re: こんなんでしたぜ〜

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2016年 2月25日(木)20時02分59秒
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  > No.6898[元記事へ]

私は、かんべさんより少し下の団塊の世代なんですが。同級生はやっぱし多かったですね。
私の小学校は、新設の神戸市立本山第三小学校で、6年生の時、50人クラスで11組あったと記憶します。
神戸市東灘区本山町には小学校は、第1小学校と第2小学校がありましたが、足らなくなって第3小学校が新設されました。私の入学時で確か3年目だったはずです。この小学校の少し後輩に浅野ゆう子がいます。 

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 


Re: こんなんでしたぜ〜

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)17時01分27秒
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  > No.6897[元記事へ]

 かんべさん

 私は団塊世代のあとにつづく世代なんですが、小学校にも中学にも高校にも、渡り廊下を渡っていかなければいけない別館とか新館とか言う校舎がありました。後年知ったのですが、それらは急激に膨張した団塊世代に対応して急遽建てられたものだったそうです。
 50人クラスとはまたすごいですね。並の教師では制御しきれなかったでしょうね。私の頃はひとクラス42名だったです。

>近年、35人とかのクラスで、
>教師の負担が大変やとかいう話を聞くと、「へ。それくらいで?」
 ほんまですね。35人じゃ私の感覚では、生徒は常に監視されているような感じで、授業中に本を読むのも難しそうですね。弁当を食うなんて絶対無理かも(^^;

 写真で、女の子が赤ちゃんをおんぶして小さい妹(?)の手を握っているのが印象的です。私の頃は、こういう光景はもうなかったです。追記。「昭和20年代後半ぐらいでしょうか」とありますが、もう少し前(中頃?)かもと思いました。

 

こんなんでしたぜ〜

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2016年 2月25日(木)10時47分24秒
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  レトロ写真の子供たち。ここまで過密ではなかったけど、懐かしい。
とにかく「団塊」世代はやたらに人数が多く、私は大阪府立の高校で、
50人クラスが13組まであった。ところが大学に入ってから聞いたら、
府立東淀川高校では、50人クラスで20組まであったとのこと。
一学年1000人ですがな。先生はどう指導してましたんかな。
ほったらかしやったのかもしれんけど、近年、35人とかのクラスで、
教師の負担が大変やとかいう話を聞くと、「へ。それくらいで?」
と思ってしまう。ほったらかしといても、かまへんやないかとかね。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月24日(水)23時02分43秒
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「ユートロニカのこちら側」(6)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月24日(水)22時10分5秒
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  > No.6889[元記事へ]

 第六章「最後の息子の父親」を読みました。
 この章が扱う時代は、前章から数十年経っているようです。リゾートの創設者である当時のマイン社CEOの、孫に当たる人物が本章のキーマンです。
 リゾートは順調に発展し、サンフランシスコの他にフロリダ、ハワイにできており、さらにシアトルにも第一期移住が開始されています。社会の支持が広がってきている証拠です。
 ところで6年以上前に、リゾートを独自な視点から分析した本が発売され、ベストセラーになりました。
 内容を要約すると、人間は他者を信用して協力する(たとえば商行為は信用関係です)存在であるとともに、その協力関係を裏切ったり騙したりもする。そんな悪意を常に警戒する存在でもある。その兼ね合いにおいて法や宗教や道徳を発明し社会を進化させてきた。
 ところでリゾート内では、悪意に対する警戒対処はBAPが全面的に肩代わりしてくれる。人間は疑ったり、相手の裏を読んだりする必要がなくなるのです。その行き着く先は何か。
「人間は意識をなくし(騙し合いがなければもう不要だからね)、社会構造は非常にシンプルなものに回帰し(騙し合いがなければ以下略)、世界は集団の利益に資する完全な利他的行為のできる個体のみによって構成されるだろう」「ちなみに著者はこの最終形をユートロニカって呼んでる」
 ここでの「意識」の使い方はかなり特殊だと思います(青字の部分の発言者も疑義を呈しています)。要するに「疑う」必要がなくなればあれやこれや考える必要もなくなる。家のドアをあけるとき、ノブを持った。回した。もったまま引き寄せた。あいた隙間に体を入れた。などとは意識しない。その一連の動作を無意識に行っているわけです。ユートロニカではすべての行為が、上記の意味で「無意識」に行うようになる。この無意識を、「意識がなくなる」と言っているんですね。
 これは私にもわかります。当地の近隣の都市で10年以上前、女児が誘拐され、現在に至ってもまだ未解決の事件があります。その事件後しばらく通学コースにPTAが、それこそ交差点ごとに詰めて児童の安全を見守っていました。それが10年ちかく行われていました。するとどんなことが起こったか。児童は往来の車に注意を払わなくなったのです。わたしはヒヤヒヤ運転しながら、これじゃあ、車に対する防衛反応が身につかず、大人になってから困るんじゃないか、と要らんお節介なことを思った記憶があります。
 ユートロニカとは、そんな児童が大人になった社会です。
 ちょっとそれますが、「ユートロニカ」ってどういう意味なんでしょう。本文中に説明はありません。
 おそらく原型は「ユートロン」でしょう。ユートロンは「ユートピア」と「トロン」をくっつけたものではないか。では「トロン」とは何か。検索したら「TRONプロジェクト」というのが引っかかりました。wikipediaから引用「現代社会では、日常生活のあらゆる部分にコンピュータが入り込み、何らかの形で人間と関わりを持っている。これらのコンピュータをそれぞれの機器別にバラバラに扱うのではなく、ある程度標準的な仕様を設けてうまく連携させようというのがTRONの理念である。 応用製品としては、携帯電話や自動券売機、自動車エンジンの燃料噴射システムなどの組込型コンピューターの基本ソフトの一種として普及した」
 第ニ章で、車の運転は自動運転が推奨され、手動で運転するとその人のランクが下がるというシーンがありました。これなどまさにトロン化の妨げになるからですね。もちろん交通システムだけではありません。全ての社会システムをコンピュータが制御する社会をリゾートは目指しているのです。それをさしててユートロン社会ユートロニカといっているようです(タイトルの「ユートロニカのこちら側」とは、まだ完全にそうなっていない社会ということ)。
 次に「ユート」。ユートロニカのユートがユートピアのユートだとして、ではそんな社会は、はたしてユートピアなのか。
 上記の本では、そんな社会は人間を無意識のまま生きる存在にしてしまう、と結論したわけです。
 ここで思い出されるのは、いうまでもなく『タイムマシン』のエロイ族です。エロイ族は「知能的には退化して幼児のようであり、その生活にはいさかいも争いもないように見える」とwikipediaに書かれています。
 この本はベストセラーになるとともに、毀誉褒貶を巻き起こし、作者は命を狙われるまでになります。
 この作者こそ、リゾートの創設者である当時のマイン社CEOの、孫に当たる人物、ピーターです。
 ピーターへの反感は、当然リゾートのあり方を批判したからです。そういう人たちはできればリゾートに住みたいとの考えの持ち主のはずです。そんなかれらは、たとえ隠しカメラでプライベートを全て記録されても、それは構わない、と考えているということになる。
 それに関して、「自由を自ら放棄する自由は、人間に与えられていますか」「そんな自由はありません」という神学問答がなされます。
 その一方で、「大人っていうのは、昔聞いた音楽をすばらしいと考えるようにできているんだ」「理由なんてない。その曲の質も関係ない。ただそういう風にできているんだ」という感想も。この「音楽」を「自由」と入れ替えたらどうか。
「踏み固められた道端の土壌には、決して信仰の種が根を張らない」とも。さらにそれを「誤読」して「何でもかんでも受け入れるだけの柔な土壌よりも、ガチガチの『道端』の方がずっといいのさ」とか。
 著者はなかなか周到です。
 さて、ピーターは反対派の過激な攻撃から身を隠さなければならず、息子を父親(リゾート建設者の息子だが、父親の思想に反発し牧師になっている。実質的な本章の主人公)に預け、妻とともに逃げ回っている。しかし妻が殺される。
 こうなってはもはや、と、疲れ果てたピーターはリゾートの門をたたき、息子と父親を(確実に安全な)リゾート内に住まわせるのですが……。
 なんという皮肉な結末。なんというアイロニー。
 著者はこの結末を、最初から構想していたのでしょうか。ある設定を準備しそこに人物を配置する。あとは作中人物たちが、それぞれの論理に基づいて勝手に動き出すのを、作者は記述するだけ、とは高橋和巳の言葉ですが、本書もそのようにして書かれたのではないか。そんな気さえしてきます。

 ということで、小川哲『ユートロニカのこちら側』(ハヤカワJコレクション、15)読了。
 大変面白かったです。



 

もっとインスト曲を!

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月24日(水)00時03分26秒
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   先日、今年はじめての(映像としては4ヶ月ぶりの)モランボン楽団のコンサートを紹介しましたが、早くもその1週間後に、また別のコンサートが開かれた模様です。今度のは功勲国家合唱団という、軍楽隊が独立したみたいな楽団とのジョイントコンサート。このジョイントコンサートは毎年行われているみたいなんですが、私に言わせれば水と油を混ぜ合わせるようなもの。お互い盛り下げているとしか思えないんですよね。今回もそう。さらにはモランボン自体が1週間後ということで、選曲もアレンジもほぼ同じだったこともあって、ちょっと退屈しました。
 なのでユーチューブのはめ込みはなし。リンクだけ貼っておきます→こちらでご覧ください。
 退屈だったのは他にも理由があり、これは一昨年からつづいている傾向ですが、歌唱部隊重視で、インストルメンタル演奏が減ってきている。私個人的には歌はどうでもいいのです。丁々発止の演奏を聴きたい。ところが演奏テクニックという面でも、最近はもひとつな気がしているのです。
 まあインストルメンタル演奏が客に受けないのは分かるんですけどね。軍人さんにはやはり日本で言う歌謡曲や演歌のほうがいいのでしょう。早弾き競争なんかとんでもない、ということなのかもしれません。
 ということで、最新コンサート映像の代わりに、私が好きなタイプのを一曲ご紹介。2年前のパフォーマンスです。
 
 ソヌ・ヒャンヒさんも健在です。この直後、例の自己批判大会があって、歌唱曲が増え、就中演歌民謡が増えたのですが、その傾向も、去年後半あたりからちょっと揺り戻しが来ているみたいです。民謡は殆ど演目から消え(当然というかキム・ソルミさんの出番も減っています。今回のコンサートには出ていました)、ポップス風の振りつけも復活してきているように思います。
 嵐が過ぎ去って、ちょっとずつ頭をもたげ始めた感じですかねえ。期待したいです。

 

バロン吉元と劇画

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月23日(火)21時46分7秒
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   バロン吉元「新幹線ブルース」を読みました。ここ(無料)
 なかなかよかった(^^)
 バロン吉元ってアドベンチャーで高千穂遙の「運び屋サム」シリーズの挿絵を担当していましたよね(文庫版も)。アメコミ風の絵柄が当時気に入っていたのでよく記憶しているのですが(それでこの作品も読んで見る気になった)、初めて読んだこの漫画では絵柄が全然違っていて意外でした。アメコミ風の劇画を想像していたので。
 いや想定外だったとはいえ、これはこれで面白かったのですよ。だからこうして書き込んでいるわけです。新しい世界(私にとって)も啓けましたし。
 で、思ったのですが、こういうストーリーって、かつては戦前から昭和30年代頃まで存在した「大衆文学」が担っていたのだと思います。現代小説では絶滅してしまいましたよね。そういう認識でした(漫画のたぐいを読まないので)。
 でも、絶滅したんじゃなくて、その頃勃興してきた劇画にとってかわられたのだなと気づいた(>遅いッ)(^^;。たしかにこういうのって、文字を拾って映像に変換しなければならない小説より、直接絵が目に飛び込んでくる漫画の方が向いているんでしょう(逆に、変換過程があるので劇画では表現しがたいものを表現できる)。
 ただし一部は40年代にジュニア小説というジャンルが形成されて生き残った。
 とまあ今更のまとめですが、要はこの21世紀に、劇画で表現するのが適した物語を小説で表現しようとするのは意味がないなあ、と改めて認識したということなのでした。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月23日(火)20時27分7秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月23日(火)20時24分36秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月23日(火)20時18分51秒
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「ユートロニカのこちら側」読み中(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月23日(火)01時49分54秒
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   第五章「ブリンカー」を読みました。
 ブリンカーって何か分からなかったので調べた。おもに競馬の競走馬につける眼帯状の馬具で、側方の視界を制限して走行に不要な視界情報を遮断し、前方に集中させるための馬具とのこと。
 なるほど。本文中に、「部屋を赤くしたいなら、部屋中を赤いペンキで塗りつぶすよりも、赤いセロファンを顔に巻いたほうが早い」という例えがなされているのですが、その言い換えですね。(ついでながら赤い眼鏡をかけたら世界の赤い部分が不可視になることも付け加えておきたい)
 ちょっと安部公房を髣髴とさせる表現で、前回でも触れましたが、著者は安部公房を読みこなしている人かもしれませんね。
 これ、どういう文脈で出てきたかといいますと、人間の認識構造はそもそも制限的でブリンカー的であるということ。
 本書は、一見、情報伝達工学の進歩と相俟った現実社会の監視社会化を、架空の現未来のアガスティア・リゾートの監視システムに重ねあわせて、監視社会が個人の自由を奪うと批判する、いわば『一九八四年』的なディストピア小説かと予想していたのですが、そんな単純な原理的小説ではなかった。
 本章によれば、自由とは不自由と相関的相互依存的なもので、不自由の意味(定義)を変えれば自由の意味(定義)も変わってしまうとします(このへんの逆説も公房的です)。
 主人公の祖父は元ジャーナリストで、典型的な進歩的知識人だったのですが、近い将来認知症となることが判明します。実際少しずつ症状が進行する。家族は認知症を遅らせる薬の服用を勧めるが、その類の薬の服用で一種の精神のロボトミー化(精神の自由の劣化)を引き起こす事例を知っている祖父は拒否します。ついに徘徊を始める。家族はGPSを組み込んだ義歯を、本人を騙して付けさせようとする。
 自由を守るために選択した行動が実は不自由の第一歩だった。またGPSを付けて監視するのは本人の安全のためです。「監視と安全は定義の上で重なり合っている」のです。
 他方、リゾートに住みたいと願う人々は「安全」を求めており、そのために個人情報を預託しても全然構わないと考えている。そもそも気にならない(多分著者はそれを支持するデータを持っているのでしょう)。
 そんな彼らにとっては、監視下こそ自由を謳歌できる場所なんです。旧来の進歩的知識人とリゾート居住者では、自由の意味(定義)が変わってしまっているのですが、その遷移は無意識的で、「いつのまにか」(byアッシー)変わってしまう。
 マイン社も正しいし、祖父も正しい。しかし両方が正しいというのは矛盾です。そこで色眼鏡(もしくはブリンカー)が登場するのです(そもそも人間の認識構造がブリンカーなんですけど)。結局不自由があって自由がある。その構造は同じながら要素は交換可能ということ。不自由がなければ自由もない。不自由をなくして自由を獲得するという旧来の二分法(ディストピア小説の文法)は現実を反映していない、というのが著者の考えのようです。なかなか悩ましいです。
 さてこの思弁に結論はあるのか、いよいよ最終章となります。

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月22日(月)21時36分41秒
返信・引用 編集済
  > No.6887[元記事へ]

 深田亨さんからも、原稿(34枚)が届きました。
 おお、今回は正調西洋怪談。舞台は戦前の神戸ですけど。つまり深田作品のホームグラウンドですね(^^;
 ぶっちゃけ吸血鬼小説なんですが(大丈夫これくらいバラしてもびくともしません)、吸血鬼に噛まれたはずがないのに吸血鬼となってしまう謎が解明されます。これはちょっと前例がないアイデアではないでしょうか。(もちろん探偵小説ではありませんから小説の主筋ではありません。探偵は出てきません。エクソシストは出てきますが。いやエクソシストではないのか)。
 面白いですよ。皆さん、お楽しみに!

 ついでながら、皆さんの尻を叩く意図があってではありません。こういう情報は知りたいだろうと思うからです。念の為(^^ゞ
 

今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月21日(日)01時16分47秒
返信・引用 編集済
   さて皆さん。《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》の原稿は進んでおられますか。
 今日は服部さんから届きましたよ(^^)。たぶん50枚前後でしょうか。良雄シリーズの新作です。まず銭湯のフルーツ牛乳。そろばん塾の前の道でのビー玉遊び。といった懐かしい風景が拡がります。読んでいてまさに自分が通っていたそろばん塾が無意識に作品世界の舞台になってました。そして大阪駅前のショーイグンジンさん(もちろん見た記憶はありますが、これは私より前の世代ですね)。
 ところが、そんな懐かしの昭和世界が、ある事件をきっかけにだしぬけに不穏な雰囲気に包まれ、ラストの奇怪なシーンに向かってなだれをうつように転がっていくのです……。
 いやー、途中から私の意識は消え、原稿用紙が消え、目だけの存在となり、小説世界に同化して読んじゃいました!(なのでチェックできたか自信ありません)
 ということで、現在、篁さん40枚、私15枚、服部さん50枚が私の手元にあります(あと西さんの作品)。
 締切はとりあえず月末です。皆さん力作を楽しみにお待ちしていますよ!(^^)
 

「ユートロニカのこちら側」読み中(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月20日(土)23時27分30秒
返信・引用 編集済
   第四章「理屈湖の畔で」を読みました。まさしくタイトルどおりのお話。
 主人公ドーフマンは、アガスティア・リゾートの日々収集される個人情収データに基づいた犯罪予測システムBAPを開発した天才で、現在はそれがどういう成果を出しつつあるかを観察するため、リゾートの警察機構ABMに担当警察官として務めています。部下はあのライルです(>どういう役回りなのか即、察しがつきました)。
 リゾートの住人ジェンキンスの精神がおかしくなっているのはとっくにBAPによって分かっており、なんとか改善させなければ、遠からずリゾートでこれまで皆無だった殺人事件も引き起こしかねない、ということで、隔離して治療するか、リゾートから強制退去させるか二つに一つという状況になっていました。
 ところが現状なんの犯歴もない個人を強制的に隔離したり退去させたりすることは(性善説に基づく)法律上できません。しかも本人は自分では正常と思っているから、勧められても病院に入院する意志はない。また退去させることは、リゾートの外で事件が起こるだけと判断した主人公は、彼の妄想を利用して医師の詰めるホテルに自発的に投宿させることに成功する。しかし数日でよくなるものでもなく、次第に疑いだしたジェンキンスがマスコミを利用するにいたり、やむなくリゾートに戻す。
 リゾートの個人情報収集制度の告発に利用できると踏んだマスコミがリゾート内の喫茶店で、ジェンキンスと面会します。必ず不測の事態が起こると確信した主人公は、市警のスティーヴンソン(前章の主人公)と連携し、秘かにぐるりを取り巻いて警戒します。警備は万端だったんですが、案の定というか、なんともマンの悪いことに、ライルの目前で事件が起こってしまい……!?
 主人公ドーフマンは一種のサバンなんです(父親は三段論法ではないかと噂されたことがある)。自己の行動はきめ細かく管理しその通りにできることが快感という人物。一見リゾートの4Cに親和的な人物。彼こそR・ダニール・オリヴォーなのかもしれません。なんですが、実は許されるなら(監視レンズのない)トイレの中にずっとすわっていたいと願う、そしてトイレではずっと下手くそな4コマまんがをノートに書き散らしている――リゾートの個人情報管理システムになじまない人物でもあるのです(その原因として子の自立を認めない過保護な(過監視な)母親の存在も設定されています)。
 ラノベの作中人物は人間ではなく単なるアイコンという特徴がありますが、本書の作中人物はまさに反ラノベ的で、矛盾にみちた不条理な存在として描かれています。ドーフマンもその一人ですが、反体制的な、ある意味わかりやすいスティーブンソンやリードとは趣きが違って、さらに複雑な設定になっていますね。
 その一方で、ライルはなにも感じない、そして反省がない、故に変わらない凡庸な人物です。プライバシーをすべて預けて、主体性も預けて、死ぬまで安全に生きられたらよいと、羊のように生きているわけですが、羊のように生きているからといって、不測の危険に襲われないとは限りませんよね。私は予想しますが、このあときっとそんな物語が用意されているのではないでしょうか。それがライルであるかどうかはわかりませんが。

 追記。この事件の結果、BAPが把握している情報により、まだ罪を犯したことはないがほっておけば犯す蓋然性が高いとされた者に対して、犯罪を未然に防ぐという観点から警察がアクションを起こせるよう法を改正しようと言う声が高まるのですが、それに対してドーフマンは、行為を裁くことと危険性そのものを裁くことは同列ではないとして(それは安部公房流に言えば現在が未来を裁くということになります)、区別して考えるべきだといいます。合理的です。現実社会でも個人情報が漏れやすくなってきた(透明化したともいう)現在、同じ力学が作用し始めています。それを推し進めているのが、実はそれによって不利益を被る人々なんですよね。結局自らすすんで羊になろうとしているわけです。ドーフマンはそれを想像力の劣化スパイラルと考えているようです(ドーフマンの考えは、おそらく著者の持論だと思います)。
そして最後は、羊の代表たるライルの手によって拘束されてしまう。皮肉といえば皮肉ですが、見方を変えれば当然の帰結でもあるんですよね。


 

青峰楽団

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月20日(土)17時44分29秒
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   モランボン楽団のライバル、という噂だけは知っていたチョンボン楽団(ミニスカート牡丹峰楽団vs女神ドレス青峰楽団)の演奏姿を、はじめて視聴しました(2/19コンサートからの切り出し)。
 

 うーん・・・
 これが北朝鮮の音楽センスの実際のレベルなんでしょうね。上にリンクした先に「韓国の70、80年代スタイルを連想させる」とあります。私はモランボンは「日本の70、80年代スタイル」という感じを持っており、それからの連想で「韓国の70、80年代スタイル」というのは納得できます。そしてその伝でいけば青峰は「日本の50、60年代」といえるかも。
 具体的にどこがそう感じるのかを考えていて気がつきました。
 シンセサイザーの有り無しなんです。モランボンはシンセサイザーをかなり使いこなしていて、これは世界的に見てもレベルが高いんじゃないでしょうか。
 シンセサイザーって、色んな音を出せますが、どんな音が出るのかはさわり倒して工夫しなければだめな楽器だと思います(冨田勲の頃ほどではないにしても)。
 しかもその無数の音の中から、この曲にはこの音がいいといった、作り出すセンスがなければなりません。この点で、モランボンのシンセサイザー奏者(もしくは指導する人)は非常にレベルが高い。シンセサイザーを重要視していることは奏者を二人も擁していることからもわかります。
 この楽団、バイオリン部隊が目立ちますが、実は音作りの基礎部分はシンセサイザーによって固められているんですね。
 チョンボン楽団の音がしょぼいのはその差です(アレンジは似ている)。サックス、トランペット、トロンボーン各1名の管楽器部隊ではシンセサイザー2人に対抗できるはずがありません。ジャズのビッグバンド並みの編成(サックス5、トランペット4、トロンボーン3)が必要なんですね。(ポール・モーリア楽団(30人位?)の「エーゲ海の真珠」をモランボンは10人そこらで完璧に再現しています)
 そう考えると、モランボンの先進性は、北朝鮮の現実から断絶的超越的であるといえます。(その先進性についていけないオジサン世代用にチョンボンは作られたのかも。この動画でも手拍子がぴったり合っています。モランボンでは前打ちの手拍子がぜんぜんそぐわなかったですが)
 モランボンを実質的に育てたのは将軍様であると公式的に言われていますが、意外に事実なんじゃないでしょうか。
 先代の喜び組のイメージのダサさとは雲泥の差があります(実際代替わりして喜び組を引き継いだのですが、こんなんじゃダメだと解散させたと何かに書いてありました)
 将軍様はヨーロッパ遊学中(おそらくミドルティーンくらいからヨーロッパで暮らしていたんでしょう)、ロックやポップスを聞きまくり、ギターもピアノもできるようですが、おそらくシンセサイザーもすんごいのを揃えて遊んでいたんでしょう。バンドも組んでいたかも。音楽的才能はあるんじゃないでしょうか。
 そういうワンマンバンドは得てしてリーダーは暴君ですが、いまの北朝鮮をみていますと、さもありなんと思いますね。たとえばチャーとか桑名正博とか上田正樹が日本の総理大臣になったところを想像すれば(>おい)m(__)m

 追記。下のモランボン楽団のコンサートですが、もっと鮮明な動画がありましたので、差し替えました。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月19日(金)20時32分22秒
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   元ツイート


 

「ユートロニカのこちら側」読み中(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月19日(金)00時40分37秒
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  > No.6878[元記事へ]

 第三章「死者の記念日」を読みました。
 本章の主人公スティーヴンソンは警官。前章の主人公リードの上司です。前章のいきさつで、部下のリードが急に休みをとって日本に行ったため、その日休日の予定だったスティーヴンソンは出勤しなければならなくなり、婚約者で同棲中のリサとのクリスマス・デートの約束が果たせなくなりました。
 物語はその旅からリードが戻って二日後、明日は非番でリサとディナーへ行く予定だった主人公に、深夜電話がかかってくるところから始まります。殺人事件で出動要請。
 警官をしていたらよくあることです。ところが、いつもは決してそんなことを言わないリサが強い調子で不満を口にする。ディナーまでには必ず帰ってくるからと、なんとかなだめて出動する主人公。その時点ではクリスマスのことがあった今日だからなあ、と軽く考えている。
 その時代、車の運転は基本自動運転にまかせることになっています(スティックに常駐するサーヴァントがそうサジェストするのでしょう)。当然ながら自動運転車はきっちり法規を守っての安全運転。早く仕事を終わらせてリサのもとに帰りたい主人公はイライラしてきます。ついに自動運転モードを解除し自ら運転する(この世界ではそのような行動はその人のステータスにとって減点対象のようです)。
 マイン社の価値観では、Conpleteness完全性、Coherence一貫性、Continuity継続性、Closedness閉鎖性の4Cが重要視されるのです。これに対しては、Contingency偶然性、Curiosity好奇心、Complication複雑さを人間が人間であるための3Cとする反論のあることが記述されています。もちろん主人公もそっち派。
 もともとそういう性向に親和的だったんでしょうが、それをはっきりと自覚的に自己の行動原理と決定付けるにに至った、昔のある出来事のことが、自動運転を解除し自ら運転した行為がきっかけとなって、無意志的に想起され回想されます。
 さて、事件はアガスティア・リゾートに近接する場所で発生し、被害者も有力な犯人もアガスティア・リゾート在住の人間であることがわかり、アガスティア・リゾートの警察組織であるABMからライルという係官が派遣されてきて、主人公に合流します。
 このライルが、まさにアガスティア・リゾートの価値観を体現した人物に設定されており、サーヴァントの言うことを疑いもせず、人間の機微にはまったく鈍感なんです。当然主人公は反発します。というよりも情けない人物と哀れんでいるかのようです。
 この辺、私はイライジャ・ベイリとR・ダニール・オリヴォーを思い出してしまいました(^^;
 ただしライルはリゾートの価値観を体現する人物、すなわち「より短い時間で回答し、前頭葉から側頭葉により強いトップダウン式の信号が見られた。この信号は、実在するものを視覚から得る際に活性化するもので、側頭葉のイメージが前頭葉に流れ込む生体現象――いわゆる「想像力」のプロセスとは真逆である」(103p)ような人物ですけど、ただそれだけの主体性のない(しかしおそらく試験には強い)凡人ですから、R・ダニールのように推論を重ねて主人公を理解するところまではいかないのですなあ(まあ一緒に行動したのが一日たらずではダニールでも無理かも)。
 閑話休題。というわけで、いろいろあって結局主人公は日がかわってから帰宅します。しかしそこにリサの姿はなかった。慌てて電話をかける主人公。リサの口から、なぜ今日のディナーに拘ったかが明かされます。そしてそれによって読者は、なぜ主筋に直接関係のない過去回想が、挿入されていたのか、了解させられるのでした……。
 うーむ。なかなか手だれ。しかもSFによくある、単なる機械主義者・反機械主義者(テキトーな例えで具体的なものはなにも想定していません。為念)の原理的対立を小説化したものではなく、原理に解消されないもっと錯綜した個人的不条理をとらえており、力作でした。

 

嫌なCM

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月18日(木)22時08分35秒
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   車に乗っている時間が長いのですが、運転中はだいたいカーラジオかけっぱなしで、それもFM・COCOLOという放送局にほぼ固定されています。
 というのも、この放送局のキャッチコピーが「日本初、OVER45のためのMUSIC STATION」(wikipedia)というのでも分かるように、70年代80年代の曲がよく掛かる、いや、主に掛かる。最近のJPOPは殆ど掛かりません。こんな局は他地域にはないらしく、わざわざラジコで聴取しています、というメールが紹介されるのを、何度か聴いたこともあります。
 で、私も重宝していたのですが、最近、この1年位でしょうか、「新宿事務所」のCMが絨毯爆撃的に流され、またその恫喝的な調子が非常に不愉快なこともあって、この頃は、またかよもうええわ、という感じになってきました。実は絨毯爆撃はもう一社あって、スピードラーニングなんですが、これまた押し付けがましくて最近はその二社のCMが流れ始めると、反射的に他局へ変えてしまうようになりました。
 当方がその会社に抱くイメージも悪化し、CMなのに、むしろ逆効果になっているとしか思えません。
 しかもそういう次第で他局も聴くようになって、面白い番組も発見することができ、そのときはそっちを聴くようになっちゃって、FM・COCOLOを聴く時間ははっきりいって減ってしまいました。
 なぜ絨毯爆撃CMなのかと考えるに、やはり広告が集まらないからなんでしょうね。安くしときますからCM量増やしてください。しゃあないなまあ協力しまっさ。てな感じでそうなっているんじゃないのでしょうか。よくない兆候なのかも。
 私のような世代にとっては大変好感が持てるFM局だったのですが、そういうのではやはり難しいのでしょうかねえ。


 

繁殖行動一段落

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月18日(木)21時58分44秒
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   元ツイキャス


 

今年初お目見え

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月17日(水)23時01分48秒
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 モランボン楽団、今年初お目見えの中継録画です。先日の人工衛星打ち上げ成功を祝し、ロケット開発に関わった科学者を将軍様が慰労のため招待したパーティ(2月13日)での演奏とのこと。
 実はこのような生演奏は昨年10月以来4か月ぶり。予定どおりなら12月に中国公演があったはずなんですが、それがとんでしまったのでした。
 それにしてもモランボン楽団て、将軍様の私的な楽団なんですね。いわば17〜18世紀ヨーロッパ王宮のおかかえ管弦楽団みたいな感じを想起すると近いのかも。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月17日(水)20時38分10秒
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   カエルーランド


 

「ユートロニカのこちら側」読み中(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月16日(火)22時25分13秒
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  > No.6876[元記事へ]

 第二章「バック・イン・ザ・デイズ」を読みました。
 本書のユートピア、アガスティア・リゾートの住民は、リゾート内で働く必要がないのですが、それは個人情報をすべてリゾートの管理者であるマイン社に提供することを交換条件として得られた特権なのです。
 余談ですが、このリゾートを存立せしめる経済的根拠が今のところ不明です。個人情報を何万人集めたって、直接的には、それが働かずにいられるほどの価値を生むとは考えられないんです。まあおいおい分かるのかもしれません。
 閑話休題。リゾート内は(トイレやバスや寝室を除いて)完全にプライバシーがない(どころか、目はコンタクト装着が義務付けられており(コンタクトにはカメラ機能がある)、その人が「見た」世界がそのまんま記録される(耳も同様)。(前章で医師が鈍感でなければ住めないといいます)
 さて、このようなリゾートを開設する前段階として、任意の村や町で町村単位の契約で上記の実験が行われました。
 本篇の主人公リードが住んでいた村が、その実験を受け入れた村で、13年間にわたって村民は耳や目から得た情報をマイン社に提供していたのです。それは18歳以上の村民に課せられるものだったので、リード自身はコンタクトを装着させられることはなかったし、実験自体知らされてなかった。
 主人公は父親と折り合いが悪く、高校卒業と同時に(決まっていた就職先も蹴って)、ギター一本持って(つまりミュージシャンになりたくて)家出同然で飛び出し、以後一度も帰らない(ミュージシャンの夢は早々と潰え現在は警官をしている)。やがて両親が(自然災害で)亡くなります。その後、マイン社から連絡があり、両親が上記のような契約のもとに個人情報提供で暮らしていた時期があったことを知ったわけですが、遺言で「情報開示許可権」が贈与されたことを伝えられます。要するに父母が見聞きした(マイン社に保存されていた)情報にアクセスできる権利です。
 マイン社は、かかる情報を加工し、「過去再体験サービス」として運営しようとしていて、リードに実験台になってほしいと頼む。
「過去再体験サービス・ユアーズ」って、要するに一種のタイムマシンなんです。実際に過去に行くわけではありませんが、父母の13年間にわたって蓄積された視覚聴覚情報を加工すれば、ある期間の、すくなくとも家の中くらいは立体的に再現できる。リード自身は加わってなかったとしても、両親によって見られ聞かれた過去のリードの姿は再現され得るのです。そしてその擬似空間を、テレビゲームの中のように操作で移動できるのが、このユアーズという装置でした。
 リードは装置によって、過去の家族が住む家にタイム・トリップするのでしたが……

 結局このサービスは「人間の心は、実際の過去と改変された都合の良い思い出とのギャップに耐えられるほど頑強ではない」ことが明らかとなり、無期限延期となるのですが、ことリード自身に限っては、父との(遅すぎるとはいえ)和解が成就し、彼を固着させていたオブセッションが寛解し、自然な自己を回復するのですね。

 

カエルーランドで産卵はじまる

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月16日(火)21時00分18秒
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   元ツイキャス
                
 
 

 これ、精子がかかっている状態なんでしょうか。これだけの卵に精子をかけるのって、人間考えですが大変ですよね。やっぱり複数のオスが必要? こんな狭い容器の中じゃなくて自然の池なんかでは、拡散してしまってもっと精子量が必要な気がするのですが、擬人化しすぎ?(>おい)(^^; ざくっと検索してみましたけどわからなかった。

 

「ユートロニカのこちら側」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月16日(火)01時10分39秒
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   小川哲『ユートロニカのこちら側』に着手。第1章「リップ・ヴァン・ウィンクル」を読みました。
 うむ。この世界は『晴れた空』の対極にある世界ですね。清潔で安全で計画的で規律的で。それに順応できない主人公ジョンは、学生時代これ以上投げたら肩が壊れるとわかっていて投げ続け、結局肩を壊して野球をやめた元ピッチャー。そもそも闇市のほうが向いている人間といえそう。
 またこの世界は『幻影の構成』の21世紀版とも言える。スティックは超小型化したイミジェックス装置なのかも。ただし主人公の性格はかなり違う。ではデレクの方と似ているのか。いやそうでもありません。デレクもジョンも結局折れてしまうのですから。
 でもそこが『幻影の構成』で代替できない本書の自立性です。『幻影の構成』があくまで60年代的なのに対して、本書はこの時代、同時代のSFなんですね。
 いやこれは面白そう。この話に「リップ・ヴァン・ウィンクル」というタイトルを付けるセンスもナイス。

 

その後のカエルーランド

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月15日(月)21時23分58秒
返信・引用
   昨日一日だけで、11匹帰ってきたらしい。自然界の時計は正確ですね。
 
 元ツイキャス
くわしくは→カエルーランド


 

カエルーランドにヒキガエルが繁殖に帰ってきた

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月15日(月)00時45分36秒
返信・引用 編集済
 







元ツイキャス


カエルーランド
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月14日(日)14時03分5秒
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「晴れた空(上)」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月13日(土)01時33分46秒
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  > No.6871[元記事へ]

 半村良『晴れた空(上)』(集英社、91)読了。

 承前。第二部は第一部からまる3年経過しています。昭和24年春になっています。
 昭和8年生れの子どもたちは、戦災で失われた戸籍を復活してもらい、中学に入り、卒業間近です(昭和7年生れのバアちゃんも一年遅れの形で同時に入学)。
 浮浪児化した戦災孤児が戸籍を復活し、あまつさえ中学も卒業できるというのは、大変な僥倖と言えるはずです。大多数の浮浪児は戸籍を回復する手段も知恵もなく野宿して暮らしていたわけです。彼らはどうなったんだろう、と逆に思いますね。浮浪児狩りされて施設へ送られてしまったんでしょうか。浮浪児でいた間に、自分の身元の記憶なんか忘れてしまったんじゃないでしょうか。その辺に焦点を当てた小説なりノンフィクションが読みたくなりました。
 さて、8人の子供を同時に中学に通わせられるほど、お母さんの商売は儲かったのです。それには「戦前」のひそかな支援が大いに与っていた(個人的にはその辺が小説への完全没入を妨げるのですが、いまのところ「戦前」が彼らを利用しようとする様子はありません)。見方によれば「上手く立ちまわって甘い汁を吸っている」図にも見えます。プロレタリア小説あるいは革命小説的には不満があるのですが、著者にすればそんな意図は、はなからない、そんな読み方をされては心外だということでしょうね。
 事実それは小説の豊かさとはまったく無関係です。一切は不条理だというのが小説の最大のレゾンデートルであって、かかる不条理の一例を、著者は丹念に捉えて読者をグイグイと引っ張っていきます。
 子どもたちは卒業を目前にして、相談します。8人の教育費用だけでもバカにならない。これからもお母さんに甘えてのほほんとしていていいのか。働いて恩返しすべきだ(それは必ずしもお母さんの望むところではない)。それぞれの適性と希望で役割分担が決まる。級長は大学まで行く。それは将来、彼らの会社の社長になるべくしかるべき知識を得るため。(それぞれ得意技があってまとまる集団というのは009とかある意味戦隊物のパターンかも)
 そして飴屋たちは、バアちゃんの提案でふたたび(かつてのように)ヤミ屋をはじめようと決心する。まずはその資金を作るために、お母さんの会社が仕入れて大量に抱えている純綿を勝手に横流しする話になります。どっちみち還元するのだから利益が多ければ問題ないだろうと。
 彼らは知らなかったはずだが、1ドル360円の固定相場になるのが同年7月。それはすでに「戦前」たちの間には伝わっていました(あるいはバアちゃんは知っていて、つまり戦前の指し金なのかはこの段階では不明)。固定相場制移行の結果、極端なインフレ(金より物で持っていたほうが有利)は一転デフレ(物で持っていては損する)に変わる。
 この飴屋たちの無断横流しは吉と出るのか、それとも凶と出るのでしょうか。その顛末は下巻にて(^^;

 ということで、先が楽しみで仕方がないのですが……
 2月もはや半ばとなり、森下さんのベストSF2015の締切(月末)が気になってきました。周囲でなかなか好評の『ユートロニカのこちら側』が未読なので、一旦中断し、先にこっちを読んでしまおうと思います。


 

「晴れた空」第一部読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月12日(金)01時01分15秒
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  > No.6867[元記事へ]

 上巻440頁まで。第一部読了。
 第一部最後のセンテンス――「級長をはじめとする八人の戦災孤児の運命は、そうした巨大な黒い手の影の中へとりこまれてしまったらしい」
 これは半村文学の特徴といえるのですが、悪と善のような相反する観念がきれいに区別されないこと。《戦前》(どうやら財閥らしい)は心底子どもたちを応援しているようなのですが、だからといって彼らを「利用」することにも躊躇がないのですねえ。
 それは見方を変えれば不徹底とも、或る種の読者には感じられるわけで、とりわけ著者の天皇観にそれは出ています(たとえば『産霊山秘録』)。またそれは本書401頁から404頁の、天皇の人間宣言への、前田の愛憎背反する感情の吐露にも現れており、おそらく46年1月1日に作者自身が抱いた正直な気持ちでしょう。同じ日小松さんが、少なくともその当日に感じた感想は、もっとクールなものだったんじゃないでしょうか。

 話は飛びますが、今日のNHKにっぽん紀行「ゆめ集いし“五輪団地”〜東京 国立競技場界わい〜」をちらっと見たら、国立競技場建て替えにともなって、南隣する都営団地霞ヶ丘アパートも取り壊されるという話題で、この団地、建設されたのが1961年。最初から住んでいた人が、お風呂も炊事場もガスもある当時最新鋭のアパートで、戦後からようやく平和な時代になったことを、当時実感した、と語っていました。
 たしかに、本書『晴れた空』に活写されている戦後の体験者、むしろ復興体験者というべきでしょうか、にすれば、そんな平和で文化的な時代が来ようとは、当時思いもしなかったでしょうし、振り返って、過去の理不尽さも知っているからこそ、日本人はよくぞここまで頑張ったと、自分たちを誇らしく思ったとしても当然であったと思います。
 一方私たちの世代は、すでに平和と復興は所与のものであった。ですから戦後体験者ほどには「俺たち日本人」とか「日本人は勤勉」とか「日本はいい国」という自負には乏しく、よくも悪くも、もっと客観的に日本を見られるので、愛国心に対して醒めた感じ方をしてしまうのですね。
 ということをふと思ったわけなんですが、半村さんの一種の「どっちつかず」さは、まさに戦後体験者、復興体験者としての庶民的感覚を、体現しているのかなあ、と思った次第です。

 

西秋生氏の未発表稿発見!

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月11日(木)18時53分40秒
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   昨年亡くなった西秋生さんの未発表作品が発見されました。DVDに保存されていたらしい。数篇あるそうで、そのうち一篇を今春刊行予定の《チャチャヤング・ショートショート・マガジン3号(西秋生追悼特集号)》に掲載させていただけることになりました。
 同号には西さんの大学時代の作品も載ります。こちらは深夜放送MBSチャチャヤングのショートショートコーナーに、当時高校生の西さんが投稿し、眉村卓さんによって朗読されたものを、大学生になってから改稿した掌篇です。といってもタイトルと冒頭のシーンが同じだけで、改稿版は投稿版の設定をひっくり返す仕掛けになっており、まあ別作品と言ってよいでしょう。
 ということで、西さんが創作を始めた頃の作品と、おそらくですが最晩年の作品が並ぶことになりそうです。どうぞご期待ください。

 また同号には、去年作った西秋生作品リスト(pdf)も収録します。それで見なおしていて、ひとつ抜けに気づきました。さっきあわてて追加したところ。当リストにはエッセイや「あとがき」みたいなのは載せていないのですが、そんなのも拾って追加しようと思っています。

 ところで、15号まで発行された《風の翼》は全号手元にあるのですが、そのあと1号だけ紙版ではなくてネット版を発行しませんでしたっけ。
 私自身完全に忘却していたのですが、自分では15号に発表したつもりでいた作品が、15号に載っていないことにさっき気づき愕然とし、古い記憶をたぐっていたところ、ふと、そういえば電子版を作ったことがあったのではないか、という思いが、うすぼんやりとですが次第にはっきり形をとって無意識の底の方から浮き上がってきたのでした。
 それとも偽記憶なんでしょうか。でも、私が確かに風の翼用に書いたことは間違いない作品が、手許の雑誌には載っていないのです。どこへ消えてしまったんでしょう。やはり電子版はあったんじゃないでしょうか。
 もし存在したのなら、それにも西作品が掲載されている可能性があるわけです。
 どなたかご教示いただけませんかねえ。

 さらに余談ですが、当号用の(特集関連ではない)ショートショートを脱稿しました! 11枚。
 とかいって、やっぱり旧作の焼き直しなんだろう。
 ご明察!(>おい)
 今回も中学のとき思いついたアイデアです。
 いや新作を考えてもいいんですけどね、でも今回は編集に専心したいので。自慢じゃないですが2つのことを並行して行うリソースは、私にはありませんキリッ! ってアンタ(-ω-;)


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月10日(水)21時16分18秒
返信・引用
   

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 9日(火)21時18分57秒
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「晴れた空」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 8日(月)22時04分29秒
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  > No.6859[元記事へ]

 330頁まで。

「いいのかな」
 マンジューが言う。
「俺、皇居にケツ向けて最敬礼したのはじめてだ」(314p)


 改めて気づいたこと。それは東京で本書の物語が進行している頃、西の大阪ではアパッチ族が着々と行動を開始していた筈だということです。
 そう考えると二人の作家の違いが明瞭に浮かび上がってきて面白い。まず半村作品が闇市を舞台に据えているのに対して、小松作品は焼跡が舞台です。
 闇市は悪意やこすっからさも含んだ濃密な人間関係が前提ですが、焼跡は人間関係というものからは、まずは切れて在る場所です。前者が熱帯密林だとすれば後者は砂漠といえる。まさに作家の原点の違いを示しています。半村さんは煮ても焼いても食えないところに執着します。毒を食らわば皿までみたいな怖さがある。その点、小松SFには裏おもてがないというか、ある意味ボンボン的です。
 その結果、東京のチビッコギャングたちの活動は、本人たちは懸命に生きようとしているのは、彼らの意識ではまったくそうなんですが、その裏で大人たちがよくも悪くも影響を行使している。その大人とは、《戦前》とつながっているらしい。ゼロから出発しているチビッコギャングを後ろで支えているのが《戦前》というのは、いかにも意地が悪い。すでに《戦前》が子どもたちを特殊工作員化しようと言う話も出てきています。このあと彼らの運命が、どのように捻じ曲げられていくかと思うと、続きを読むのをやめようかとさえ思われます(^^;
 小松作品は上述のように砂漠的です。輪郭がはっきりしている。アパッチたちのやっているのは「革命」なのであって、過去は切り捨てられるのみ(ただ未来に向かっては、スターリニズムみたいなのが顔を覗かせてはいますが)。
 SF第一世代と一括りにしてしまいがちですが、戦後体験が個々の作家に与えた影響は千差万別なんですねえ、あたりまえですが。

 

岡本さんの新作

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 7日(日)23時13分20秒
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   岡本俊弥さんの新作17枚「ソーシャル・ネットワーク」→岡本家とは別の記録

 追記。読みました! 面白い。語り口が面白い。落語みたい。それから火星人、その形態が非常にユニークなんです。類例がありません。ないですよね。ショートショートで使うのはもったいないくらい。ヴァイトンとか盗まれた街とか、あんな感じの侵略サスペンスものに使いたいくらい(^^;。
 で、語り手が実は、というオチ。これも効いてますねえ。
 全体がSNS分析になっていて、なかなか鋭い。なるほど、と目からウロコでした。
 あ、『人間そっくり』を思い出した。火星人だからというのではなく、ウソかマコトか、の塩梅かげんが。
 いや岡本さん、このところ絶好調ですねえ。


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 7日(日)21時03分49秒
返信・引用
   


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 7日(日)20時07分58秒
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   ツイート元

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 7日(日)19時20分27秒
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幻影城終刊号

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 6日(土)22時24分34秒
返信・引用
   「謎の新人作家」栗本薫だった 雑誌「幻影城」にSF小説

 『幻影城 終刊号』ネット売りは即日完売(私はすべりこみセーフでしたが、私が手続き完了して一時間もしないうちに完売となったのでした)。ダメだった方は、発売日の27日に、限定された書店(盛林堂書房/三省堂書店神保町本店/ジュンク堂書店池袋本店/MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店/ジュンク堂吉祥寺店/ブックファースト新宿店/古書いろどり/ギャラリーオキュルス)で購入するしかないのですが、すべて東京。
 関西の人間はどうしたらええねん。
 ご安心を。
 神戸元町うみねこ堂書林で取扱いが決まったそうです(店主から聞いた(^^;)
 2月27日は神戸元町(南京町西安門南下る)うみねこ堂書林にGO!
 といっても入荷数がごく少部数と思われます。念の為。


 

Re: おして知るべし。ひいて悟るべし。

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 6日(土)21時31分39秒
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  > No.6860[元記事へ]

 かんべさん
 そうなんですよねえ。
 私が自覚的に世界を見だしたのは、60年代末ぐらい、つまり安定期に入ってイチかバチか的な行動が殆んど無効化してしまった時代からなので、頭では意識では分かっても、体感的には無意識的にはそんな世界が存在したというのは「想像を越えて」いたのだと思います。
 日活アクション映画も、闇市体験者が観るのと私が観るのとでは、リアリティが違っているのではないでしょうか。
 実は今回読んで、秀吉の刀狩りが腹に嵌って了解できたような気がするんです。秀吉以前から為政者がなにかといえば刀狩りを実施していたことも含めて。
 単なる知識が血肉化した瞬間だったかもしれません。

 

おして知るべし。ひいて悟るべし。

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2016年 2月 6日(土)08時03分12秒
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  あながち荒唐無稽ではなさそうな気がしてきました。←とはまた、続・何を言うてはりまや橋。
終戦後の数年間、いわゆる闇市時代には、そんなの日常茶飯事ですがな。ピストルどころか、
新宿やったか新橋やったか、第三国人(死語やけど!)が警察を襲い、警察側に応援を頼まれた
闇市ヤクザ連中が機関銃を乱射したという事実がある。カタギの人々の話では、小松左京さんの
「やぶれかぶれ青春期」に、神戸一中から無理矢理予科練に行かされた知り合いが、終戦後、
「戦後初の中学生のピストル強盗」をやらかしたと書いてある。小松さん自身も、子供に
撃たれたことがあり、それは六つくらいの男の子と、四つくらいの女の子で、
「この二人は路地裏で、電柱に犬をしばりつけ、小型ピストルでうっていたのである」
まさに「ひでえもんだ!」で、無茶苦茶でござりますがな。ましてや東京で、半ちゃんですからなあ。
 

「晴れた空」に復帰

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 5日(金)23時35分56秒
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  > No.6832[元記事へ]

 半村良『晴れた空』に復帰。240頁。
 ある事情で仕入先が繋がり、「お母さん」の始めた闇市は、当たりに当たる。当然地回りに目をつけられる。旧来の組ではなく、新興の愚連隊結城組だった。子どもたちの抵抗むなしく、お母さんは連中に拉致される。そのとき遅く、知らせを受けた前田が漸く駆けつける。前田は特攻隊から復員する際持ちだした拳銃を4丁身につけて、結城組に殴り込みをかける。
 白昼カタギがバンバン拳銃をぶっ放します。同様のシーンが光瀬龍『闇市の蜃気楼』にもありました。『闇市の蜃気楼』の時は荒唐無稽かなと思いましたが、してみると全くの虚構でもないように思い直しました。たしかにどっと復員兵が帰ってきたわけです。当然前田のように武器を携帯して帰ってきたものも少なくない筈。基地に保管されていた武器も多く持ちだされたに違いない。
 とすれば、管理されない武器が市中に多く滞留していたわけで、どうも日活アクション映画みたいな世界が、戦後数年間は実在していたと考えるのは、あながち荒唐無稽でもなさそうな気がしてきました。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 5日(金)21時30分27秒
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   元ツイート
           松竹座 桂米朝追善芝居「地獄八景亡者戯」

 

「ビッグバンとインフレーション」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 4日(木)23時03分47秒
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   ジョン・グリビン『ビッグバンとインフレーション世界一短い最新宇宙論入門高野史緒訳(KindleSingles、16)読了。

 最新宇宙論は面白い。ビッグバンは今や文系にも常識ですが、ビッグバンを起こす火の玉宇宙がなぜ存在したかは、従来「とにかくあったんだ」ということで説明されなかった。
 そこで、その前にタイムゼロ状態があり、それから火の玉宇宙に至るインフレーション理論が出てきた。
 宇宙の膨張はいつかとまり、縮小に転じるかどうかは、重力によるが、既知の宇宙質量ではたりないことがわかった。でも観測上は宇宙膨張は加速している。そこでダーク・マターとダーク・エネルギー(斥力)が出てきて、宇宙の平坦性(曲率ゼロ)が担保されるというところまでは、私にもううすぼんやりとした知識がありました。
 本書はそのあたりを、まさに副題どおり簡潔に記述されていて、折にふれて参照するにふさわしいコンパクトな概論となっているといってよい。その分説明が簡潔過ぎて、私のような素人にはついていけない部分もあり、その項目は大部の概説書にあたればいいという、そんな形式の書物です。(今回、佐藤勝彦『インフレーション宇宙論』を適宜参照しながら読みました)
 さて、本書の後半はマルチバース論です。マルチバースとはユニバースがいくつも存在するような汎宇宙を想定する多元宇宙論で、著者は「私たちの宇宙は、他無数にある宇宙のうちの一つにすぎないのである」としていて、そんなことをいわれたらいやでもセンス・オブ・ワンダーを感じずにはいられません(^^)。
 われわれの宇宙は、何でこんなに人間に都合よく出来ているのか、という疑問がありますが、宇宙がまさにユニバースならたしかに奇跡に近い。しかし数ある宇宙の一つにすぎないとしたら、こんな宇宙が存在していてもそんなに不思議なことではないのだろうな、と納得しちゃいますね。
 繰り返しになりますが、必要に応じて再確認するにふさわしい小著で、利用しがいがありそうです(^^;


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 4日(木)20時42分45秒
返信・引用
   
 
 
 

眉村さん情報:「露呈の顔」朗読

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 3日(水)19時49分53秒
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   ラジオ文芸館の眉村卓「露呈の顔」朗読、今週の土曜日に迫ってきました。詳しい情報が公開されていましたので添付します。
 
            ↓
         元サイト(おお、来週は田丸雅智「海酒」ほか、再来週は大阪小説の名作、岩阪恵子「おたふく」ですか)(^^)

 原作の「露呈の顔」の感想はこちら

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 2日(火)19時12分51秒
返信・引用
   
     
 
     
 


 

2月になりました

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 1日(月)21時33分8秒
返信・引用 編集済
   2月になりました。
 1月はいぬ、3月はさる、なんて言いますが、では2月は?

  「ねこッ!
 ブ〜
  「きじッ!
 ピポピポン

 え?
 

「ビッグバンとインフレーション」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月 1日(月)21時15分33秒
返信・引用 編集済
   先月末にキンドルから出たジョン・グリビン著/高野史緒訳『ビッグバンとインフレーション 世界一短い最新宇宙論入門 』【kindle】)、訳者が高野史緒さんという意外性もあって、即購入していたのですが、月末で忙しくようやく今日から着手しました。30%。ここまでのところは最新宇宙論史?
 この後どう展開するのかわかりませんが、とりあえず「史」ということで、私の中では本と訳者が繋がりました(^^;
 この本、出版社が出したキンドル本ではなく、個人出版なんです。当然翻訳権を取得して出版したものでしょう。専門的なことはわかりませんが、煩雑な交渉や作業を経ているはずです。そういう経緯が一切書かれていません。謎めいています。価格299円と翻訳書にしては破格のお値段なんですが、著者(グリビンはブルーバックスから何冊も出ていますよね。私も数冊持っています)に印税払えるんでしょうか。などといろいろ気になってきます。いらんお節介ですが(汗)
 どういういきさつでキンドル本となったのか、知りたいですねえ。
 

Re: 「晴れた空」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 1月30日(土)22時18分41秒
返信・引用 編集済
  > No.6850[元記事へ]

 道南さん

>立風書房のショートショート集『見えない壁』にも光瀬さんの体験記が収録されていた記憶があり、『光瀬龍 SF作家の曳航』収録のものとひょっとして同じものかもしれません。

『見えない壁』というショートショート集が出版されていたのですか。それは知りませんでした。
 光瀬龍資料サイト「SF辺境探査船」の書籍リストを見たところ、79年の出版で、収録作品に「ある疑惑」というタイトルがあるのが目にとまりました。
 はくえーさんがご教示下さった『光瀬龍 SF作家の曳航』所収のエッセイも、「ある疑惑」というタイトルでした。
 同書の初出情報には「新刊ニュース1973年1月1日号」としかありませんが、道南さんの睨んだとおりでしょう。その後『見えない壁』に収録されたものと思われます。いや、いろいろ繋がってきて面白いですね。

>少年期の記憶と中年期の記憶は木に彫刻刀で彫り込んだのと黒板にチョークで書いたのとくらい差がある
 という眉村さんのお言葉、初めて知りましたが、まさに言い得て妙ですねえ(^^;

 

Re: 「晴れた空」に着手

 投稿者:道南  投稿日:2016年 1月30日(土)21時15分32秒
返信・引用
  > No.6846[元記事へ]

私も管理人さん同様でした。
『光瀬龍 SF作家の曳航』なら私も持っているのです。
しかも、実家のダンボールではなく、二度の転居を通じて荷ほどきしていなかったとはいえ、今の住まいのダンボール箱の中に。
光瀬さんが御逝去されるまで単行本に収録されていなかった論稿など収録された貴重本でした。
購入当時は拾い読み程度で、その後転居を繰り返したこともあって、通読できていなかったのでした。
うろ覚えなのですが、立風書房のショートショート集『見えない壁』にも光瀬さんの体験記が収録されていた記憶があり、『光瀬龍 SF作家の曳航』収録のものとひょっとして同じものかもしれません。
こうしてみると『消えた神の顔』の件といい、少年期に読んだものの方が記憶に残っていて、眉村さんがどこかにお書きになっていた、少年期の記憶と中年期の記憶は木に彫刻刀で彫り込んだのと黒板にチョークで書いたのとくらい差があるといった趣旨のことを思い出します。
はくえーさん、ありがとうございました。
 

Re: 「虹の裏側」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 1月30日(土)16時01分14秒
返信・引用
  > No.6848[元記事へ]

 段野さん
 その情報、そういえば出版芸術社のツイッターで見たなあ(多分昨日だったと思います)と思って、ツイートを遡ってみましたが見当たりません。
 見たという私の記憶が確かなら、もしかしたらフライング情報だったので、いったん消されたのかもれません。
 念のためアマゾンも確認しましたが、そういう気配はありませんね。
 かすかに残っている記憶によれば、『虹の裏側』を含む夢の文学館シリーズが10冊くらいまとまって新装出版されるとか、されないとか……収録作品が一部入れ替わるとか追加されるとか、されないとか……何かそんな内容だったような、なかったような……
 ということで、はっきりしたことは何もわかりませんが、そんな動きがあるのは事実なんじゃないでしょうか。お役に立てずすみません。
 てゆーか、段野さんも出版芸術社をフォローしてるじゃないですかッ! (^^;

 そんな次第でネットを嗅ぎまわっていたらこんなの見つけました。
 元サイト
 来週の土曜日です。
 原作の「露呈の顔」は作品集『不器用な戦士たち』(講談社文庫、83)に収録されています。
 お聴き逃しなく!

 

宇宙気流89号

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月29日(月)22時32分21秒
返信・引用
  《宇宙気流89号》をご恵投いただきました。いつもありがとうございます。
今号は、平井和正さんと牧村光夫さんの追悼号です。
うーん。うちも次は西秋生追悼特集号。これからはいずこも追悼特集が増えていくんでしょうね。
 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月29日(月)21時25分28秒
返信・引用 編集済
  > No.6905[元記事へ]

 柳生さんから西さんの16枚の原稿(遺稿)が届きました!
 珠玉の傑作といいたい!
 舞台は(おそらく)震災後枝分かれした別の時間線の神戸。三宮駅が壊滅したので王子公園駅から分岐する上筒井支線が復活し、関学が発祥の地原田の森に戻ったこともあって駅前あたりが三宮を凌ぐ繁華街になっています。そこへ飄然と暗闇から湧き出すように三人の怪老人が姿を現す……
 いやこれは能ではないでしょうか。まさに夢幻能の世界です。どうぞお楽しみに!

 特集のエッセイが、まだ3本しか届いていません。追善ということでみなさんぜひ書いてください。よろしくお願いします。

 

珍味

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月29日(月)00時10分20秒
返信・引用
   シレーンの炊いたん。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月28日(日)23時31分32秒
返信・引用
   ツイート元

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月28日(日)20時22分0秒
返信・引用
   イナダってはじめて聞いたかも。関西では言いませんよね。
 ツイート元

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月28日(日)20時16分0秒
返信・引用 編集済
   元ツイート


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月27日(土)21時37分2秒
返信・引用
   元ツイート

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月27日(土)00時55分7秒
返信・引用 編集済
  > No.6903[元記事へ]

         26枚(13頁)の短篇
 岡本俊弥さんから13枚のショートショートが一篇、雫石鉄也さんから待ってましたの海神シリーズが一篇、届きました!(^^)
 岡本作品は、ずばり西秋生オマージュです。西さんのネオヌルに載ったショートショート「魔天楼」に、ハイカラ神戸とタルホ趣味が按配され、21世紀らしい衣装を着せられて甦った、そんな感じの作品です。
 火事で焼亡したトアホテルの跡地に高さ2500メートルの超高層建築天楼が、中国資本によって建てられちゃいます。そしてそこを訪れた主人公が窓から見おろすのは、三角帆の小舟が無数に浮かぶ百年前の神戸港だった……
 いやー西さんが大喜びするのが目に見えるようです。西さんに読ませたいなあ。
 オマージュですが、立派に岡本オリジナル作品と言ってよいと思います。この作品、一足早く岡本さんのHP「岡本家記録とは別の話」でアップされますので、ぜひぜひ(^^)。

 雫石作品は海神シリーズ。もはやチャチャヤング・ショートショート・マガジンに海神シリーズは欠かせませんね(^^;


 

「モナドの領域」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月26日(金)22時43分5秒
返信・引用 編集済
   筒井康隆『モナドの領域』(新潮社、15)読了。

 一気に読んでしまいました。面白い! もちろん面白いから一気に読めたわけですが、それ以前に小説がするすると読める構造になっているんですね。先に読了した『ユートロニカのこちら側』も、面白さでは負けていませんが、この本みたいにするするとはいきません。この「するする」は、もちろん著者の技倆によるですが、第一世代共通にみとめられる特徴でもあります。やはり第一世代はとんでもない連中が集まっていたのだな、と改めて思うと同時に、当時、士農工商◯◯SF作家といわれた(自ら揶揄した)最低辺から出発するにおいて、否応なく身につけなければならなかったものなんだと思われます。
 物語の大枠はきわめて単純です。この宇宙と並行する(多分非常によく似た)いま一つの宇宙が異常接近し、そのごく一部分がとある町で重なります。
 その結果、向こうの世界の人間(ベーカリーのオーナー)が犯したバラバラ殺人の片足と片腕がこっちの世界で発見される。もちろんこっちの世界にもそのベーカリーのオーナーは存在します。向こうの世界で殺されたのはベーカリーでアルバイトしていた女子大生なのですが、この女子大生はこっちの世界には存在しなかった。
(私が思うに、もしこちらの世界にも女子大生が存在していたら、こちらの世界に出現したあっちの世界の手足が、こっちの女子大生の手足と重合し、とんでもない爆発(対消滅みたいな?)が起こり、それが引き金となってあっという間に二つの並行世界が膨大なエネルギーを発散して消滅してしまう、そんな事態になったのではないか。だから著者はわざわざ被害者がこちらの世界には存在しない人物に設定したのだと思われます)
 とはいえ、あちらの物質がこちらに出現したのですから、やはり問題は問題なのです。
「そのうちふたつの場所がこの世界の時空間と重なっていて、自発的に対称性が破られた。河川敷と公園だ(管理人註:手と足が発見された場所)。このふたつの場所から綻びが発生した。知っているだろうが、綻びというものは抛っておくとどんどん拡がってしまい、収集がつかなくなる。この世界で言えば最終的には地球規模の破滅につながるほど拡大するんだ」
 かくなる次第で、「遍在する存在」つまりGODが、修復のためこの世界に出動してきたのでしたが……。

 遍在する存在とはどういう存在か。すべての人間、否、生きとし生けるもの、否宇宙それ自体の経験を自らの経験として知っている存在です(多分)。
 私が行ったこと(隠している悪事)もすべて知っている存在です。『ユートロニカ』のBAPなんか目じゃないレベルです。「遍在する」わけですから未来も「知っている」のです(従って今回の出動も宇宙開闢以来定まっていたことだとGODは言います。
 さて、ふたつの並行世界の接触(=綻び)はベーカリーが起点となりました。ですからGODもまずベーカリーに現れるんですね(そのためにこちらの世界のアルバイトは旅行に行くことに「定まっている」)。
 さて本書の面白いところはもうひとつあり、それはGODによる(つまり著者による)強烈な知識の開陳です。これがすごい。「大法廷」と「神の数学」の章がそれです。前者は『カラマーゾフ』の「大審問官」を踏まえています。上述の設定は、かかる開陳のための舞台づくりだったと言っても過言ではありません。
 いやこれがもう(気持よく)打ちのめされます。「神」に関する哲学的言辞が、これでもかと機関銃のように掃射されてきて、読者は(私は)知的快感に悶絶する他ありません。私はエーコやボルヘスを想起させられました。本書はそういう種類の「小説」だと思いました。
 おそらく著者も(言いたいことは全て吐き出して?)気持ちよかったんでしょうね。「もう書くことはない」とはその意味の表現だと思いました(^^;

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)22時56分44秒
返信・引用
  > No.6888[元記事へ]

 雫石さんから玉稿到着!
 ショートショートです。その辺りは高級住宅街で、工場などがないことが幸いして空襲を受けなかった。ただ一度、大阪砲兵工廠を爆撃したB29が一機、ふらふら迷い込んできて、誤って一発だけ落としていったことがあった。それがそもそもの発端だった……。うーん。余韻を残すホラーです。
 ゲラをお送りしましたので、チェックよろしくお願いします>雫石さんm(__)m
 あれ、今回は海神シリーズはお休み?

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)21時01分52秒
返信・引用
   元ツイート

 

Re: こんなんでしたぜ〜

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)20時43分6秒
返信・引用 編集済
  > No.6899[元記事へ]

 雫石さん

>この小学校の少し後輩に浅野ゆう子がいます。
 おお(^^)
 昔勤めていた会社に、河合奈保子のお母さんがパートで働いていました(>お母さんかよ)(^^;
 あっそうだ、私の高校の少し先輩に、谷甲州がいます!


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 2月25日(木)20時34分23秒
返信・引用
   元ツイート

 

Re: こんなんでしたぜ〜

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2016年 2月25日(木)20時02分59秒
返信・引用
  > No.6898[元記事へ]

私は、かんべさんより少し下の団塊の世代なんですが。同級生はやっぱし多かったですね。
私の小学校は、新設の神戸市立本山第三小学校で、6年生の時、50人クラスで11組あったと記憶します。
神戸市東灘区本山町には小学校は、第1小学校と第2小学校がありましたが、足らなくなって第3小学校が新設されました。私の入学時で確か3年目だったはずです。この小学校の少し後輩に浅野ゆう子がいます。 

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 



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