ヘリコニア過去ログ1603


「幻影城終刊号」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月30日(水)22時13分23秒
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  > No.6976[元記事へ]

 いよいよ最後、「特集=泡坂妻夫」を読みました。
「MS106号機事件」「空色の人」「お化け団地」は草稿。というよりも、のちに幻影城に掲載される「DL2号機事件」(幻影城新人賞佳作)「右腕山上空」「曲った部屋」の原型です(当然作品の完成度は粗い、というか商業作品のレベルに達してない)。私は未読なので、これらのトリックは初見。その切れ味にアッと驚かされました。
「MS106号機事件」はさすがに新人賞佳作になっただけのことはあるトリックというかアイデアで、人間の無意識的な行動パターンの偏りを拡大したもの。これは天城一の密室分類で「意識下密室」に相当するといえそう。
「空色の人」。「木の葉は森に隠せ」はチェスタトンですが、その伝で言うと「<図>は同色の<地>に隠せ」ですなあ。
 あとは単行本未収録掌篇が二本。

 ということで、『幻影城終刊号』(幻影城終刊号編集室、16)読了とします。
 

「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月30日(水)20時20分47秒
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  > No.6975[元記事へ]

 「特集=二上洋一」は、未完の長篇「大洋の風」。少年小説で、80枚ほど書いたところで著者が亡くなったようです。主人公・大洋の名前は著者のお孫さんの名前とのことで、お孫さんのために書いていたらしい。だけれども、おそらく自伝小説ですね。
 昭和25年、主人公大洋は小学6年生(著者は昭和12年生まれ)。仲良し三人組で遊びまわっている。その地域(霞ヶ浦沿岸)は草野球が盛んで大洋も町内チームで1番セカンド。よくエラーするのは布製グローブのせい(のちに革グローブをもらうことになるのだがやはりエラーが多く、グローブのせいではなかったことに気づく)。
 布製グローブというのはさすがに私の時代にはもう存在しませんでしたが(そういうのがあったことは聞いて知っていた)、遊びの雰囲気は私の頃とそんなに変わりません。そういうこともあって、一気に小説世界に没入し、あっという間に読了。面白かった。
 また主人公は(要するに著者ですが)読書が大好き。しかし布グローブで判るように家が貧乏なため、そんなに本を買うことができない(田舎なので本屋に新しい本も届かない)。友人や近所の人や先生などから借りまくって読みふけっています。だからもう行き当たりばったりといいますか(^^;

 「そうか、あとはどんなものを読んでる?」「面白かったのは吉川英治の『宮本武蔵』、白井喬二の『新撰組』、土師清二の『砂絵呪縛』」、菊池寛の『第二の接吻』、舟橋聖一の『雪夫人絵図』……それに黒岩涙香の『岩窟王』と『三銃士』もよかったなあ」「おまえ、なんて本読んでいるんだ」

 雪夫人絵図は後で何度も蒸し返されてからかわれるのでした(^^;
 学級文庫を始めることになり(この時代学級文庫は家でそんなに本を買ってもらえない小学生にとって大変重宝するものだったと思います)、担任の教師と一緒に「大都会」土浦まで本を買いに行きます。主に世界の名作を買うのですが、そのなかに『海底5万マイル』も!! 「海底2万マイル」じゃないですよ。ここで私は拍手喝采(笑)。主人公の時代と私の時代がつながりました。
 解説に、佐々木邦のユーモア小説を想わせる、とあるのですが、佐々木邦を読んだことがないので判断できません。私は向日的な少年マンガの文字版という感じかな、と思いました。
 いやー。これ完結したのを読みたかったですねえ。

 

「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月29日(火)22時00分37秒
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  > No.6974[元記事へ]

 「特集=連城三紀彦」を読みました。男女の機微を描いたショートショート5篇。頑張って4つ読んだがそこでギブアップ。
 すべて《季刊SUNSUN》という「宗教法人解脱会」が刊行する信者向けの雑誌に掲載されたもの。解脱会はウィキペディアに項目がありました。1929年創設の新宗教らしい。
 その解脱会と著者はどんな関係があるのか。
 こちらに著者の母親が熱心な信者だったという記述があります。ご本人も信者だったのかどうかは不明。 著者のウィキペディアによれば、ご本人は東本願寺で得度している、すなわち浄土真宗の僧侶の資格を持っていたようですが。

 

「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月29日(火)01時17分2秒
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  > No.6973[元記事へ]

 村岡圭三「飛鳥悲傷――高市皇子物語――(序章)」を読みました。445枚の長篇の序章とのこと。壬申の乱で父大海人皇子の右腕として活躍した高市皇子を主役に据えた古代史小説です。
 本篇は近江京に人質状態でいた高市皇子に、東国を固めた大海人皇子から密書が届き、大海人に合流するため大津皇子とともに近江京を脱出するところまで。
 面白い。古代史小説には史実を奇抜に解釈するものと史実通り描くものとの二種があります。豊田さんは前者ですが、この著者はどうやら後者のようです。天智兄・天武弟の順番も史実通りですし。
 いや、しかし分かりません。著者は泡坂妻夫を退けて第一回幻影城新人賞に入選した人です(入賞作品は読んだことないですが)、どんなどんでん返しがあるものやら、わかりませんよ(^^; 可能なら長篇全篇読んでみたいですねえ。
 

Re: 「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月28日(月)22時26分41秒
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  > No.6971[元記事へ]

 友成純一「死の舞踏」を読みました。舞台はバリ島東岸、朝市で賑わうトランベンの町。高貴なものが身にまとう黒装束の女デウィがお忍びで朝市の雑踏を歩いている。彼女はジャワの僧侶階級の出身で魔女。若くして生え抜きの霊能者にして術師と目されている。仲間の術師の活力のなさをバカにしており、その反動で市場に群がる庶民のヴァイタリティを愛し、たまにお忍びでやってくるのである。しかし庶民とはこすっからいと相場が決っているわけで、高貴なものに面従腹背し愛想笑いを浮かべてデウィに相場より高く売りつけていた。カモにされていたことに気づいたデウィは、怒り狂い、愛していたはずの庶民に《死の舞踏》を舞い始め……
 面白い。結局デウィはそこらへんの傲慢なお姫様とさして違いがないのでした(^^;
 本篇は、インドネシア東部の、伝統空間と電脳空間が入り混じった<現実世界>の向こうに透視された幻想空間を舞台にした連作シリーズの一環のようで、『幻影城の時代完全版』に載った「夢を見た怪物」も同シリーズとのことで、こっちも読み返してみました。こっちは本篇の最後にちらりと姿を見せる女海賊パルヴィタの物語。パルヴィタの出自が明らかにされていました。どうやらこのシリーズは魔女デウィと(別の人類の最後のひとり?)女海賊パルヴィタともう一人の人物の三人を巡る物語のようです。
 私は、伝統と電脳というところから、『サイバラバード・デイズ』をちょっと連想しました。(※いや電脳空間はまだ出てきてないのですが、あとがきを読むと、たぶんそうなっていくのだろうなと想像されるんですね)
 著者はこのシリーズを書きつづける気まんまんみたいです。楽しみ!

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月28日(月)18時13分39秒
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「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月27日(日)21時59分2秒
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  > No.6962[元記事へ]

 竹本健治「妖かしと碁を打つ話」を読みました。
 ふと夜空を見上げた主人公(語り手)は、見たこともないような巨大な暈のかかった月を見出して驚く。
 それはこの世のものならぬ異空間へ入り込んだサインだったのかもしれません。
 突然主人公は親しげに声をかけられる。声をかけた男に、主人公は見覚えがなかったのですが、相手はいかにも旧知の仲であるかのように話しかけてくる。その様子に、名前を聞くのもためらわれます。
 で、久し振りに一局打とうという話に。主人公も碁にはいささか覚えがあるのです。
 男を連れて下宿に戻り、碁盤を囲むのですが、忽ちやられてしまう。もう一局、となる。
 打ちながら男が語り始めます。それは平安初期の碁聖として、大和物語や源氏物語や西宮記、東宝記といった書物に現れる寛蓮なる人物の話だった……

 いや面白い。私自身は囲碁は並べ方を知っているくらい、定石などは全然知らない門外漢なんですが、まるで中国の怪談・志怪小説を読んでいるような奇怪なる雰囲気に、陶然と浸って読み終わりました。
 やはり巨大な月というのが、怪奇小説の世界へ入り込む鍵なんですねえ(私も巨大な満月を見たことで異世界へ入ってしまう話を書いたことがあります。私のはツマラナイお話ですが)。
 それから本篇の大きな特徴として、語り手である主人公は、「私」とか「僕」といった<主語>を一度も使わずに語り通していること。これも大変な技倆ですねえ。

 

Re:ええやないですかファンでも

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 3月27日(日)14時13分8秒
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  >そうやってことさら否定するのがアヤシイ
ですが、ファンじゃないですってば。本は、やたらと読みましたが。
>さらっとしか書かれておらず
内容が内容だけに、「さらっと」させて貰いました。
失礼しました。
 

ええやないですかファンでも(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月27日(日)13時48分1秒
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  > No.6968[元記事へ]

段野さん
>(私は、別に、ファンではありませんので)
 そうやってことさら否定するのがアヤシイ(>おい)m(__)m

 ところで下の感想で読み落としていたところがあって、さらっとしか書かれておらず、読み流してしまっていたんですが、よく読むと、ご主人がかなり激烈な(ときには八つ当たりな)DVに晒されていたことが浮かび上がってきますね。この家は奥さんが一家の大黒柱ですから耐えなければならなかったというのも、DVを生む条件なんでしょう。自室を持っておさまったとありますが、むしろ本人が家の中心であるダイニングルームを離れられなかったということかも。
先般、学生が発表した「母には個室を与えずリビングで寝てもらい…」という間取り図がネットで炎上しましたが、あれは母親の人権という意識いぜんに、その学生がおそらくマザコンなのです。そんな彼の心象風景中の家が、間取りに反映されたのですね。
 これを逆に言えば、家族を支配したい母親(または妻)はダイニングに居座りたいのではないか。
 この家において妻の自室が実質的になかった(自室を忌避した理由は後付かも)のは、そういう妻の意識の表れで、それが無理やり持たされたことで、精神状況が改善されたのではないでしょうかねえ。
 すみません。私も物語理解しがちな方でして(^^;

 

Re:「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 3月27日(日)09時28分29秒
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  管理人様
わざわざの検索、ありがとうございました。
別に、探していた訳では、ありません。内容が内容だけに、単行本に収録されてなかったのかと、当時は思っておりました。その後、作者のほうで、ふっきれたのか、文庫本に収録したようですね。
(私は、別に、ファンではありませんので)
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月26日(土)23時13分20秒
返信・引用 編集済
   元記事
  
 

Re: 「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月26日(土)21時11分34秒
返信・引用
  > No.6965[元記事へ]

 段野さん
 単行本未収録というのは、まず作家本人が何らかの理由で差し止める場合が多いみたいですね。
 出来が気に入らなかったというのが殆んどだと思います。いわゆる封印作品というやつです。
 単行本未収録ではありませんが、山田正紀『化石の城』の場合は、サラブックスからノベルズで出たんですが、文庫化はされなかった。これも一種の封印作品ですね。私はジャズ住職に借りて読みましたが、全然ダメな作品とは思いませんでしたけど、なにか作者として気に入らないところがあったんでしょうか。たぶん古書価が高騰しているはず、と思って検索したら、ヤフオクで7800円!!!ここ。ジャズ住職の嬉しそうな顔が目に見えるようです(^^;
 ところで、「ウルムチ行き」ですが、調べたら角川文庫にありました。『息子に夢中』に収録されています。品切れのようですが、マーケットプレイスで1円(!)で出品されています。
 もし探求書だったのなら、こちらで入手できます(^^)

 

Re:「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 3月26日(土)20時42分49秒
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  >「特集=栗本薫」を読みました
「中島梓」名義で、多分単行本未収録だと思われる作品があります。「ウルムチ行き」という、月刊文藝春秋に載った作品です。当時、単行本に掲載されているのか、探しまくったのですが、ありませんでした。本人は、単行本に収録したくなかったのでしょう。内容は、ここでは、よろしくないと思われますので、あえて記しません。(内モンゴルへの取材旅行のための、飛行機内での、回想です)「幻影城」の雰囲気には合わないことかも知れませんが、ちょっと、記させて頂きました。
 

       

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月26日(土)20時41分11秒
返信・引用
   元ツイート

 

ファイアウォール不具合解消

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月26日(土)19時34分32秒
返信・引用
   ファイアウォールの誤動作、直りました。ケーブルテレビのZAQでインターネット接続しているPCにマカフィーを入れるとたまに起こる不具合のようです。ネットに類似事例がありました。
 マカフィーのセキュリティセンター画面からファイアーウォール→マイネットワーク接続に行きますと、ネットワークの種類が「公共」という不審なネットワークルール(というのか?)がありましたので、削除しましたら、件のPDFも「とべ、クマゴロー!」も閲覧できるようになりました。
 なんなんでしょうね。相性みたいなものでしょうか。なにはともあれほっと安心。
 

「幻影城終刊号」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月26日(土)19時18分19秒
返信・引用 編集済
  > No.6961[元記事へ]

「特集=栗本薫」を読みました。
 「伊集院大介の追跡」は小説現代89年3月号初出で単行本未収録。未収録はまあそうでしょう。ファンだけ読めばよい。
 「ぼくの探偵小説・新十則」はノックスは古いとして現代読者向けに考えたものとのこと(78年2月号より再録)。
 「23世紀のラッシュアワー」は京堂司名義作品。京堂が中島梓であることは本誌編集過程で分かったらしい。軽いショートショートの連作ですが、奇妙な味わいがあります(78年8月号より再録)。
 今岡清の回想記「居場所を求めて――ある青い鳥の物語」は圧巻。ある意味凄まじい。
《中島梓を苦しめてしまった作家としての能力は、たんに記憶力だけにとどまりません。たぶん、中島梓を中島梓たらしめたいちばんの力…想像力、あるいは創作能力が》《葛藤を激烈なものにしてしまったように私には思えます》
 そういう事情は全然知らなかった。まさに「地球生まれの銀河人」というか、この平凡なSFに共感できるのは、それだけ強い思い込み、内的理由があったということ。生きている現実も物語として了解しちゃうんでしょうね。
 あとは島崎博「栗本薫さんの多才ぶり」、泡坂妻夫「栗本薫変化」(波83年6月号より再録)
 

「幻影城終刊号」着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月25日(金)23時19分10秒
返信・引用
   『幻影城終刊号』にようやく着手しました。 まずは「特集=田中文雄」を読みました。
 「夕闇横丁」は1978年5月号より復刻。タイムスリップ? と思ったら実は……という話なのですが、これですべてならば説明の付かないところがあります。私が思うに、続編を予定して書かれたものではないでしょうか。
 その続編で「写真をよこした中年男」の正体が明らかになったとき、タイムスリップ?と思ったら実は、と思ったけどやっぱりタイムスリップ? というブラウンみたいな話になるはずだったのではないでしょうか。
 「自分の過去を大切にした人」は未亡人の満里子さんへのインタビュー。これがとても良かった。これだけで本誌を買った価値があったかも。そういう意味で蛇足ですが、田中文雄が草薙圭一郎だったとは知らなかった(今ウィキペディアを見たら載っていましたけど)。そして架空戦記小説をイヤイヤ書いていたということも。ミステリ界のことは知りませんが、SF読者的にはあんまり情報の届いてこない作家でしたね。

 

Re: 「戦後70年 中井英夫 西荻窪の青春展」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月25日(金)21時22分38秒
返信・引用
  > No.6959[元記事へ]

 斎藤さん、ご報告感謝です。
>普通にリンク先に飛べて、「ご案内」のPDFが開きましたよ
 安心しました。
 昨夜いろいろ調べていたのですが、ファイアウォール(マカフィー)がイタズラしているようです。どうもFC2を撥ねてしまうらしく、FC2を利用している「とべ、クマゴロー!」も撥ねられてしまうことに気がつきました。
 ファイアウォールを無効にしたら無問題ですが、とはいえずっと無効にしておくわけにはいかないものですからねえ。
 ただ、斎藤さんのおかげで、私のPC内だけの問題でり、あせらずに対処していけることがわかったのは不幸中の幸いでした。
 ありがとうございました。


 

Re: 「戦後70年 中井英夫 西荻窪の青春展」

 投稿者:斎藤  投稿日:2016年 3月25日(金)20時53分58秒
返信・引用
  > No.6957[元記事へ]

斎藤です。
普通にリンク先に飛べて、「ご案内」のPDFが開きましたよ。
私のPCは Windows10で、ブラウザは Google Chrome です。

以上ご報告まで。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月25日(金)19時02分28秒
返信・引用 編集済
   元ツイート
 

「戦後70年 中井英夫 西荻窪の青春展」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月24日(木)22時23分7秒
返信・引用
   「戦後70年 中井英夫 西荻窪の青春展」が4/18(月)〜4/27(水)東京古書会館にて開催されます(入場無料)。 イベントとして4/24(日)14時〜尾崎左永子氏講演会「戦後短歌と中井英夫」もあります。こちらは会費1,000円。申込は古書会館受付(03-3293-0161)
 詳細のPDFはこちら→http://okmh.web.fc2.com/pdf/nakaihideoogikubonoseishunten.pdf
 なのですが、リンク繋がっていますでしょうか?
 私が貼ったリンクなのに、私のPCからはなぜか拒否されてしまうのです(ただしタブレットでは問題なく見れるのですけど)。もし不具合でしたらご一報いただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

 

「宇宙気流89号」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月23日(水)20時59分15秒
返信・引用 編集済
  > No.6953[元記事へ]

 平井和正、牧村光夫両氏の、在りし日の写真。これは貴重な写真ですね。眉村さんも写っています。比較的新しく、2007年「SF作家クラブ40年史」発刊記念(森下一仁氏提供)となっていて、眉村さん、平井さん、石川さんが並んで座って、平井さんが手にした(おそらく)40年史の本に三人が顔を寄せて語り合っておられます。なんか若い頃にかえっておられるみたいで微笑ましいです。

 A300YAMADA「不純な同期」は80枚のハードSF。北緯10度のフィリピン東方海上のステーションから、主人公を乗せた186人乗り宇宙ロープウェイが出発する(赤道からの出発ではない理由が示される)。
 宇宙ロープウェイというのが、私の知識になく、軽いセンス・オブ・ワンダー。考えてみたら軌道エレベーターが可能なら当然宇宙ロープウェイもありですね。
 しかもエレベーターは建造物ですから可動性は乏しい(火星の軌道エレベーターの涙ぐましい努力参照)のに対し、ロープウェイはロープなので、その点でも有利ですね。いやまあその有利性が伏線になっているわけですが。
 主人公は低軌道ステーションで下車する(ロープウェイ自体は当然ながら静止衛星軌道の高軌道ステーションまで達している。もちろんケーブル自体は、静止衛星軌道からさらに36万キロかなたまで伸びているんですよね。記述はありませんが。原理は軌道エレベータと同じですから)。
 目的地は低軌道ステーションの近くを周回する宇宙スタジアム・オービトローム。連絡ボートで移動する。主人公はここで行われる予定の未来の競技・宇宙フットボールの観戦に訪れたのです。
 さて、試合は開始されるのですが、予測されていた隕石を避けるため、ケーブルに固定された海上ステーションが移動を開始していました(これが軌道エレベータではできない利点)。同時にそのあおりでオービトロームも移動している。ところがその移動が必要でなかったことが判明し、海上ステーションは原位置に戻る(赤道からの出発ではないのと同様コスト的理由から)のですが、オービトロームには復帰する理由がないのでそのまま軌道を周回している。それが第二次の災厄を招くことになるとはお釈迦様でも気がつかなかったのでした!?
 いやー面白かった、このような夾雑物のないシンプルな宇宙小説は、近年SF雑誌に載らなくなりましたよね。むしろ同人誌ならではなのかも。とても得がたい作風ではないでしょうか。楽しみました!

 ということで、『宇宙気流89号』読了。今号もたっぷりと堪能させていただきました(^^)

 

Re: 「第四間氷期」読書会

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月23日(水)20時54分48秒
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  > No.6954[元記事へ]

 w1allenさん
 こちらこそお世話になりました。酒席のついでによく知った者同士で行なう読書会は別にして、このような初対面の人達と安部公房というたったひとつのつながりのみで行なう本格的な読書会に参加するのははじめてで、大丈夫かなと不安があったのですが、アレンさん、岡田さんならびに出席者の方々が皆さん寛大で、それに甘えてSFの話ばかりしてしまいました。もっとしたかったです(>おい)(^^;
 私は市井の公房読者に過ぎず、専門的な知識がないため誤読していた部分を指摘していただき、とても有意義でした。ありがとうございました。
 次回も参加させていただくつもりですので、今回に懲りずお仲間に入れていただければ幸甚です。よろしくお願いします。m(__)m


 

Re: 「第四間氷期」読書会

 投稿者:w1allen  投稿日:2016年 3月23日(水)20時29分30秒
返信・引用
  > No.6949[元記事へ]

管理人さん

アレンです。
KAP読書会の感想を書いていただいて、ありがとうございます。

『第四間氷期』のSFとしての評価、テーマ性などがいろいろな角度から議論ができたので、良かったなと個人的には思っています。『日本アパッチ族』、『日本沈没』や『ユートロニカのこちら側』などと絡めてお話されてましたね。
後半はSF談義というか、いいSFとは何か?、コアなSFとは?の流れで、いろんなSF作家、作品を挙げてもらいました。全てはわからなかったのですが、管理人さんのSF愛が伝わってきました。
また、帰り際話したように、この掲示板というかコミュニティは、常連さんがいつもおられて、とても良い雰囲気ですね。私も、安部公房のファンコミュニティを作るなら、こういうサイトがいいなと常々思っています。
7月にまたお会いできればうれしいです。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

「宇宙気流89号」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月23日(水)01時01分59秒
返信・引用
  > No.6948[元記事へ]

 牧村光夫「残されたもの」は創作。別冊2号(64)からの復刻。
 その恒星系の外から7番目の惑星には文明はなかったが、二人の乗った偵察艇は都市の廃墟を見つけた。着陸すると微かに放射能指示器が反応した。核攻撃を受けたことは明らかだった。この惑星は核戦争で滅んだのだ。二人は退化した人類の襲撃を受ける。……
 外から7番目という説明で、最初この惑星は地球なんだろうと思ったのですが、二人の名前がジャックとエリック。てことは「外から7番目」は地球を差すものではなかったのかもしれません。

 牧村光夫「鞍馬天狗覚書」Cは、71号から83号まで連載され中断したうちの第4回(75号、70/6)の復刻。
 大佛次郎の『鞍馬天狗』を第1話から順番に紹介しつつ、「鞍馬天狗」の世界設定を概観する試みのようです。本稿では第2話から第8話までを取り扱う。尾崎秀樹が鞍馬天狗の本名だとした「倉田典膳」は、<鞍馬天狗>のモジリであり、とっさに名乗った仮名にすぎないとしています。この説はネットでも引っかかりませんので牧村さん独自の新説といえるものでしょう。なかなかのものです。

 森田裕訳/ジョン・サミュエル「ファンダムが存在しないことの照明」は、究極のハードSF(?)で、何が何やらさっぱり理解不能なんですが、つまるところ「宇宙気流は存在不可能」であることが導き出されるようです(>おい)(^^;。Le Zonbie誌42年5−6月号からの訳出。

 中川龍夫「ロン・ハバードに関する一考察」は、名前だけは有名ですがその内容については(とりわけ日本人には)まったく知られていない「ダイアネティックス=サイエントロジー」を解説するもの。ハバートはとっくに30年前に亡くなっており、現在のサイエントロジーはデヴィッド・ミスキャベッジが継承し発展させたものらしい。かなり悪辣なもののようですが、それとハバードの時代のサイエントロジーがどう違っているのかは本稿ではわかりません。
 私が直感的に思うに、ハバードのダイアネティックスは、半分本気、残り半分は、小説の世界設定の構想だったのではないでしょうか。たぶんM27の〈星の鳥協会〉と同じ動機で、M27に経営管理の才能があれば、ひょっとしたら今頃はオウム真理教の麻原彰晃みたいになっていたかも。でも如何せん、そういう才能はゼロ、いやいやマイナスの御仁ですからなあ(>おい)m(__)m
 

Re: なぞ転対談

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月22日(火)13時48分59秒
返信・引用
  > No.6951[元記事へ]

 段野さん
 これを見ると、過去、子ども番組編は3回連載だったみたいですね。ということは時代劇編もそのくらい連載されるのかもしれません。わたし的に「木枯し紋次郎」「必殺シリーズ」は欠かせません。あと「水戸黄門」「銭形平次」「花山大吉」……うわ、ひょっとしたら数カ月後になるかも(^^;
 
 

Re:なぞ転対談

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 3月22日(火)13時26分36秒
返信・引用
  「サンデー毎日」を立ち読みしてきました。次誰とかの予告はありませんでした。よって、新聞広告をまめにチェックするぐらいしか、方法はなさそうです。(今回は「大岡越前」でしたので、次回は現代ものなのかな、と思いました)  

なぞ転対談

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月22日(火)10時11分51秒
返信・引用 編集済
  今週号ではなかったですね。
来週でしょうか。でも大体二回連載みたいなので、再来週号かも。
 

「第四間氷期」読書会

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月21日(月)23時22分4秒
返信・引用 編集済
  > No.6946[元記事へ]

 今日は安部公房読書会に参加のため、京都花園まで出かけてきました。
 遠い〜(ーー;
 最寄り駅で切符を買おうとしたら、その金額のボタンがない! より遠いところはこのボタンを、みたいなことが書いてあって、それを押したら、該当する1660円の表示のあるボタンが画面に現れました。
 乗車時間は時刻表で2時間。実際は、JR京都線新快速が8分遅れで出発したことがバタフライ効果で最終花園着が20分遅れとなり、結局往路2時間20分。
 花園という場所は、山陰線の次の駅が太秦で、京都でも西北のはずれなんですね。高橋たか子の生家もたしかこの辺り。大阪と比べて風がはっきり冷たいです。高橋たか子の作風は、この風によって育てられたのだなあと納得しました(>おい)。
 今回俎上に上げられたのは『第四間氷期』。仲間内のではなく、初対面の方も交じる本格的な読書会ははじめてでしたが、大変面白かった。私のはごく一般的読者の読みですが、安部公房で卒論を書かれた方もいらっしゃったりして、いろいろ得がたい示唆も受けることができました。4時間があっという間でした。スタッフならびに参加者の皆様には感謝感謝です。ユーストリーム放送していますので、よかったら→こちら
 私はべらべら喋っており木っ恥かしいので未視聴です(^^ゞ
 2次会でも、2時間、安部公房について喋りまくりました。いやー楽しかった。
 帰りの電車も、大阪駅まで一緒だった方がいらっしゃったので、更に喋る喋る(汗)。おかげであっという間に大阪に着きました。そこから家まではいつものコースなので、行きは遠かったですが、帰途は大阪での宴会に参加して帰るくらいの体感時間でした。
 次回は7月、R62号の発明ということで、時間が合えば是非参加したいです。

 
 

「宇宙気流89号」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月20日(日)19時56分41秒
返信・引用 編集済
  『宇宙気流89号』に着手。「追悼・平井和正」、「追悼・牧村光夫」、「(復刻)紙畸人列伝/牧村光夫」(亀和田武)まで読みました。
 平井和正さんは、『狼の紋章』で熱狂的なファンになり、というかこの時代、SF読者で平井ファンにならなかった人はいませんよね。私の周辺では非SF読者まで平井ファンが増殖しました。
 発表媒体がハヤカワ文庫からノン・ノベルに移るのですが、そこまでは全冊揃えました。ですから(ネットで確認したら)神明シリーズは全部、犬神明シリーズは『狼のレクイエム』までで、そこで憑き物が落ちて『黄金の少女』以降はまったく読んでいません。
 内容に飽きたというよりも、出版社がころころ変わるのに嫌気がさした面が強かったです。
 しかし15歳から25歳位までの10年間、まさに思春期どまんなかです。その人類公害論には多大な影響を受けました。
 本追悼特集のに寄せられた追悼文によりますと、平井さんはある時期からSFファンダムとは没交渉になってしまうようです。その理由が、きっとあるはずと思うのですが、どなたもそれには触れていません。知りたいのですが、まあ追悼文にそこまであからさまなことを書く人はいませんよね。
 牧村光夫さんは、宇宙気流の編集に携わってこられたBNF(SRの会の重鎮でもあらせられたようです)。私もお名前だけは存じ上げていました。でも初期の宇宙気流は見たことも触ったこともない私が、何で知っているんだろう。つらつら考えるに、ひょっとして奇想天外新人賞候補でお名前を見かけたのではないか、という気がしてきて、検索してみたのですが、ヒットしませんでした。うーん?
 亀和田武「紙畸人列伝(牧村光夫)」はバックナンバー「本の雑誌17号」(80)からの復刻転載。特異なコレクターだったらしい牧村さんの「変な人」ぶりがありありと伝わってきます。
《「捕物帖」の元祖は、大正6年に岡本綺堂が書いた『半七捕物帳』なんだけど、最初にジャンルをおこした作品が頂点を極めたという意味では「捕物帖」と「ヒロイック・ファンタジイ」は似てるなと前から思ってるんだ。ハワードの『コナン』を越える作品もないでしょ》
《昔ほどコレクションに執着しなくなってきたな。読まないコレクターっているけど、アレは変だよね。ぼくは読むことに重点を置いてるほうだから》


 
 

     

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月20日(日)00時50分31秒
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   70年代のノーキョーさんもこんな感じだったのかと思うと(ーー;
 旅の恥はかき捨てが日本の伝統文化ですからねえ……。
 元ツイート
      

 

「第四間氷期」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月19日(土)23時43分0秒
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  > No.6939[元記事へ]

 安部公房「第四間氷期」(『安部公房全作品4』、73)読了。
 私が8年前に書いた感想文→チャチャヤン気分
 初出は<世界>58年7月〜59年3月。つまり『日本アパッチ族』(64)の5年前です。
 と、わざわざ記すのは、特に後半、アパッチ族がチラチラ浮かんできて仕方なかったからです。アパッチでは木田福一が完全にはアパッチ化を果たせなかったのですが、それは旧人類の心情を残していたからです。
 一方、本篇の主人公(語り手)勝見は、予言機械の製作者なんですが、その予言機械が示す、現在とは断絶した<未来>を受け入れることができず、殺されてしまう。
 この温度差は、小松さん自身が結局木田福一だったのに対し、安部公房はいささかのためらいもなく、主人公の「第二次予言値」と同化できる人だった、その差のように思われます。
 安部のほうが、変化を条件反射的に嫌がる(微視的連続感をアプリオリに受け入れて疑わない)一般市民に対して冷たいです。
 それから今回気づいたことに、『日本沈没』との類似です。本篇が連載されていた58年〜59年という時代は、プレートテクトニクス理論はまだ世に出ていないか出ていてもマイナーだった時代です。
 ですから、(温暖化だけでは説明できない)急激な海面上昇の原因を、本篇の近未来、もとい現未来に起きる(なぜなら主人公以外の関係者はそれを目撃するからです)太平洋と大陸の境界線あたりの海底火山帯の一斉噴火としているわけですが、要は海洋プレートと大陸プレートの摩擦ですよね。
 ついでながら『華竜の宮』ではスーパープルームとしています。『華竜の宮』シリーズは(だいぶ記憶が薄れていて枉げてしまっているかもですが)海面上昇による世界沈没に対処して人類を救済するリアリズムSFで、水棲人は数ある対策の一つの試みの位置づけだったように記憶しているんですが、本書はもっと乱暴というか、リアリズムは端から退けられて、人間の微視的連続感への安住、すなわち「今も全然よくないけど、変化の結果もっと悪くなるかもしれない。だったら今のままでいい」という負け犬根性の告発のみに特化した話といえます。
 その意味で言えば、頼木たちが「華竜の宮」の主人公たちに相当するのですが、本書の頼木たちは結局陸棲人として水棲人に保護されて細々と生きるしかない。クラークのオーバーロードと同じポジションということになるでしょう。
 と、いろいろ思いついたことを列記したのは他でもなく、振替休日の読書会に備えて、そこで発展させるタネを拾っているからなのです。
 ともあれ、日本SFは『第四間氷期』『日本アパッチ族』という思弁小説の傑作をもって開始されたと言って間違いありません。しかしその方向には、あまり向かってはいかなかったんですねえ。今振り返って見れば……。

 

Re: ハチ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月19日(土)17時25分3秒
返信・引用 編集済
   堀さん
 74年というと、丁度ジャズ喫茶へ入り浸りはじめた年です。
 その年浪人しまして、国鉄天王寺駅北口方向にあった予備校に通うことになりました。
 スイングジャーナルの後ろの方の頁に全国のジャズ喫茶のリストが載っていたと思います。それで北口にMUGENというジャズ喫茶があることを知り、予備校からの帰途、たむろするようになりました。大体1時間ほど(LP片面3枚分)居ましたですかねえ。そのうち昼休みや講義と講義の間があいている時間にも行くようになりました。
 上記のリストで、梅田のハチやナンバのバード、ファイブスポットの名前も知っていました。ハチの誌面スペースはかなり大きかったような記憶が。
 ナンバのバードやファイブスポットは数回行きました。ハチも行こうとしたことがあるのですが、結局辿りつけず(ちょっと辺鄙な場所ですよね。梅田は地下街と桜橋と旭屋の点と線しか知らなかったので)、縁がありませんでした。しかし10年ほど前、山下洋輔さんの8月8日の定期ライブに伺い、ようやく念願を果たしました。
 そのとき、堀さんにはじめてお会いしたのでした(^^;。

 

Re: ハチ    

 投稿者:堀 晃  投稿日:2016年 3月19日(土)08時40分59秒
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  > No.6943[元記事へ]

スイングジャーナル74年。
この記事の取材には立ち会ってます(写真には写ってません/常連かき集めて満員!)。
「毎年ママさんの誕生日の8月8日には山下洋輔さんが駆けつける」は今も続いてます。
「この記事では当時は毎日曜日、山下洋輔トリオのライブが行われているとあります」は月例ライブの間違いで、これは70年代後半まで続きました。
アルテックは2004年1月に冠水事故(店はB1)で壊れ、その後中古機を探して導入。音は微妙に違うとかいいますが、ぼくにはわかりませんね。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月18日(金)21時48分34秒
返信・引用
   元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月17日(木)23時08分14秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月17日(木)21時13分34秒
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            元ツイート


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月16日(水)22時26分46秒
返信・引用 編集済
   
 やっぱり(日本文化の外で育った)ガイジンさんでも、この音程が狂っていることはわかるんだな、と。(もちろん次郎さんに含むところはありません。kintamayamaさんもnice guyだと書いています。念のため)
 9分21秒あたり〜
 


 

「第四間氷期」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月16日(水)05時43分28秒
返信・引用
   昨日、書き込んだ理由でとんでもない早起きをしてしまったのが後を引いたようで、夕食後睡魔が襲ってきて、横になったら、仮眠のつもりが結局明け方まで眠り込んでしまい、またこんな時間に書き込んでいます(^^;
 で、来週の読書会に備えて『第四間氷期』を読み返していました。第一部読了。ほぼ半分弱。
 先回読んだ時、前半はそんなに面白くもないしあんまり重要ではないな、と思った記憶が残っていたのですが、全然そんなことはなかった。面白い。
 要するに”予言機械”が具体的にイメージ出来てなかったんでしょうね。実はこれ、『ユートロニカのこちら側』の”BAP”と同じ原理なんですね。情報を食わせることで未来を予言(ユートロニカの場合は予測)させるわけです。
 この機械にかかって、自分の未来を予言させることを、主人公は(開発者のくせに)嫌悪しますが(というか恐れる)、助手は全然気にならないといいます。これなんかまさにユートロニカで出てきた2タイプではありませんか。
 そういえばユートロニカを読んでいて、著者は安部公房を読み込んでるな、と思ったんでした。こことかここ

 

Re: 「恋するタイムマシン」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月15日(火)05時50分25秒
返信・引用 編集済
  > No.6937[元記事へ]

 昨夜は飲み会で、帰宅はそんなに遅くならなかったんですが、その前夜が睡眠不足だったせいでか、かなりキテしまいバタンキュー。変な時間に目が覚めてしまいました。
 で、先日の感想文で書き残した感があったことを、補記として記しておきます。

※補記。「ちょっと私には首肯しかねる部分」を説明しておきます。私は、第一のテーマの面白さに比して、第二のテーマの部分に少し抵抗を感じさせられたのでした。それは「僕」の沙羅華に対する態度が(本心から彼女をおもってのものであるにしても)いささか既存のありふれた観念を疑うことなく受け入れ、振りかざしているように見えたからにほかなりません。
 眉村さんが指摘された「未熟」とは、沙羅華のそれに対して向けられたものですが、むしろ私は「僕」のほうにそれを感じてしまいました。
 私に言わせれば、沙羅華はラファティ世界によく現れる人物なんですね。ですから沙羅華に対する「僕」の衷心よりの忠告やら何やらは、たとえば『蛇の卵』の歩くコンピュータ女子イニアールに対して、人間てひとりでは生きられない存在なんだよ、と教え諭しているかのような、また教え諭しているものに対しては、なにを的はずれな説教を、というなんとも居心地のわるい感覚になってしまったのでした。
 ラノベというものを読んだことがないので見当違いかもしれないのですが、ラノベの原則としてこのような公式的な常識を書き込まないといけないのでしょうか(それはある意味了解できます)。「これはまあ、作者が意図的に書いたのであろうが」という眉村さんの言葉からそう推測した次第なんですが、たしかに眉村さんの評言「この(1)と(2)の奇妙なアンバランス」は、私も感じないではいられませんでしたねえ。

 
 

「恋するタイムマシン」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月14日(月)04時00分48秒
返信・引用 編集済
   機本伸司『恋するタイムマシン 穂瑞沙羅華の課外活動(ハルキ文庫、16)読了。

 本書には(解説で眉村さんが指摘しているように)ふたつのテーマがあります。一つはタイムマシン(はなかなか難しいとわかりタイムプロセッサーにダウンサイジングされるのだけれど)を実現しようとするハードSF的物語(必然的に時間とは何かが考究される)。
「そもそも時間は、生きているからこそ感じられると思わないか」両備さんは、自分の胸のあたりを指さした。「時間の本質はまだ分からないにせよ、それを測る何らかの”物差し”は、こっちの中にあるのかもしれない」(107p)
「わしなんかには、そもそも時間なんて、客観的ではあり得ないような気がしてるんだ。何故なら外に流れる時間を、自分の”体内時計”と照合して認識しているわけだろ? たとえは良くないかもしれないが、死人に時間はないじゃないか」(233p)

 どうやら著者は、時間の流れは外的には存在せず、主観の側にあると言っているようです。
 これは橋元時間論に触れたことがあるものにはよくわかります。ミンコフスキー時空図に表現されるように、時間は流れているのではなく、高次元から見ればそこに(定まって)在るもので、それをエントロピー増大の方向に向かって時間の流れとして感じさせる(発生させる)のは、生の意志だとされます。

 話は飛びますが、筒井康隆『モナドの領域』の宇宙論を思い出しました。
 筒井的GOD宇宙では、始源から終焉まで、時間は確定している(運命)。但しこの宇宙は並行世界の存在する宇宙です。そしてその無数にあるのだろう並行世界も確定世界である。主体I(人間とは限らない)は、任意の宇宙で運命は定まっているのですが、無数の並行宇宙には無数のIがいるわけです(いない宇宙もある)。だとすればある任意の宇宙でのIの未来は確定しているのだとしても、無数の並行世界は無数のIが、少しずつ違う可能性を体現して(ただしその世界では確定した生を)生きている。結果としてIは、全ての可能性を運命として生きている事になるのです(イーガンかよ)。
 つまり未来は改変できないが、すべての可能性の未来は体験されているのですねえ(^^;

 次にもうひとつのテーマ。主人公である天才少女は、天才らしくサバン的傾向があって、「人の気持ちがうまく理解できない」ところがある(それがために他者との関係を結べず研究の世界に逃避している面があるように読み取れる)。
 本篇の視点人物である「僕」は少女のマネージャー兼お守役的人物なのだが、なんとかしてその孤立的な性格を(世界に対して開かれるように)「直し」てあげたいと考えている。本篇の一連の事件を通じて、少女は「僕」の導きもあって「改善」されていく(のですが、このゆくたては、ちょっと私には首肯しかねる部分があります※)
 それはさておき、その説明として上に、「死人に時間はない」と引用しましたが、それを言い換えれば「時間なんて、他に誰かがいてくれるから流れるようなものかもしれない」(234p)となる。なるほど、そうかもしれません。そしてこのアナロジーを少女の孤立性に対置している。
 これは正しいといえば正しいのですが、少女がサバンだったなら、むしろ苦しませるだけではないか、とも思いました。
 解説で眉村さんは「未発達性」と書いていますが、私は、著者はサバンとして設定しているんじゃないかなと思いました(ただしサバンとみなせば異常にコミュニケーション能力のあるサバンではある)。だとしたらラストシーンがまたよくわからなくなるのですが……(^^;
 はじめて読みましたが、予想以上に面白かったです。このシリーズ、第一話から読んでみたくなりました。

※補記。「ちょっと私には首肯しかねる部分」を説明しておきます。私は、第一のテーマの面白さに比して、第二のテーマの部分に少し抵抗を感じさせられたのでした。それは「僕」の沙羅華に対する態度が(本心から彼女をおもってのものであるにしても)いささか既存のありふれた観念を疑いもなく振りかざしているように見えたからにほかなりません。
 眉村さんが指摘された「未熟」とは、沙羅華のそれに対して向けられたものですが、むしろ私は「僕」のほうにそれを感じてしまいました。
 私に言わせれば、沙羅華はラファティ世界によく現れる人物なんですね。ですから沙羅華に対する「僕」の衷心よりの忠告やら何やらは、たとえば『蛇の卵』の歩くコンピュータ女子イニアールに対して、人間てひとりでは生きられない存在なんだよ、と教え諭しているかのような、また教え諭しているものに対しては、なにを的はずれな説教を、というなんとも居心地のわるい感覚になってしまったのでした。
 ラノベというものを読んだことがないので見当違いかもしれないのですが、ラノベの原則としてこのような公式的な常識を書き込まないといけないのでしょうか(それはある意味了解できます)。「これはまあ、作者が意図的に書いたのであろうが」という眉村さんの言葉から総推測した次第なんですが、たしかに眉村さんの評言「この(1)と(2)の奇妙なアンバランス」というのは。私も感じないではいられませんでしたねえ。


 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月13日(日)14時50分50秒
返信・引用 編集済
  > No.6934[元記事へ]

 青色で、四六判でサンプル作ってみました。ちょっと雑ですが。B5版とフォントや行間や文字間は同じ。ですからB5版は、下写真よりも余白の部分が広くなる感じです。
 

「晴れた空」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月12日(土)20時51分22秒
返信・引用 編集済
  > No.6931[元記事へ]

 ラストスパートで残り250頁ほど一気に読んだ。ルスバンの父親がシベリアから復員してきてからの200頁はウルウルしっぱなし。しかし200頁って短い長篇のボリュームですがな。
 またこの下巻は、ゼロから出発した若者の起業が、復興を追い風にどのように成功していったか(そしていかに軟着陸させたか)という経済小説の一面があります。
 それも「昭和のレベル」の成功物語というところが、興味深くも懐かしい。
 家族規模の会社が大きくなっていくのって、大企業が大きくなっていくのとは違って、大抵泥縄式なんですね。吉野商会も、金は外に逃さないという基本原理はあるにしても、料亭から自動車ディーラーから宝飾品販売から不動産会社まで、定款はどうなっているのかという感じ。実際現実社会でもそういう感じです。
 飴屋がゴルフ会員権を買いまくるぞと息巻くシーンがあり、もし実行していたらバブル崩壊時、大変な目に合うことになるはずで(実際身近にその例を知っている)、そんなところも含めて、昭和の成功した中小企業の経営者の物語としても読めるのですね。まあサラリーマンの読者にはあんまりピンとこないかもしれません。
 そして<戦前>とは何者かが明らかに。かれは旧財閥ではなかった。
 戦前の財閥はコンツェルンで、トップに持ち株会社があった。GHQはそれが諸悪の根源と財閥を解体した。
 <戦前>は旧財閥解体後の経済界の空隙に、GHQを後ろ盾として新しい財界の元締めの地位を狙うものだったのです。お母さんの経営する超高級料亭は、そのための接待(情報収集)の場としての機能が課せられていた。
 しかし朝鮮戦争に伴うGHQの方針変更と朝鮮特需による復興の進展の結果、財閥は株の相互持ち合いで実質的な存続をはかった。日本の企業の特質のひとつとして株式持合い制というのを社会の時間に習いましたよね。
 つまり旧財閥が実質的に復活した。(※近年はホールディングスという名称で持株会社そのものが復活してますよね。ただしもはや旧財閥のタテ割りではないですが)
 その新しい潮流は、当然<戦前>の目論見を潰す方向への流れであったわけです。次第に<戦前>は窮していく。
 上手いこと回っているうちは、お母さんとその浮浪児の子らを支援するのは「好意」であったわけですが、貧すれば鈍すで、もともと好意からのボランティアだった筈なのに、左前になってくると利息ぐらい払えとなってくる。更に嵩じてもともとは俺の金だから全部返せと(その言い分は正しくないにしても否定はできない)。
 こういうのも実際の社会でよく見る光景です。
 下巻の後半は、それを察知した前田を中心にした(既にそれぞれ吉野商会傘下とはいえ経営者や重役になっている)子供たちが、それぞれの子会社に蓄えた資産をいかに<戦前>に悟られぬよう、吉野商会の紐付を外して<戦前>の手出しできぬものに移していくかという話でもあります。
 もとよりそれは、自分たちの保身のためではなく、最終的にお母さんに戻すためです。
 その動きに気づいた<戦前>の動きが、焦りのためあからさまになり、危険なものとなる。
 特攻の生き残りで、かつてカミカゼとあだ名されていた前田は、今こそ仲間のもとへ行く日が来たと悟る……(と書きかけたら不覚にもボトッと涙が)(>嘘。メガネなのでボトッとは落ちません)(^^;

 いやー面白かった。わたし的には著者の最高傑作かも(『妖星伝』も面白かったですが、後半はダラダラとなかなか話が進まなかった記憶が)。

 以上、半村良『晴れた空(上下)』(集英社91)読了。
 ※雑誌連載は「小説すばる」1987年創刊冬季号〜1991年2月号。バブル崩壊は1991年1月ですから、既に小説は書き上げられていたと思われます。
 ※更に追記。タイトルの「晴れた空」はいうまでもなく終戦日の空ですが、「憧れのハワイ航路」の「晴れた空」も掛けていることに遅まきながら気づきました。最後に子供たちはハワイに旅行し、この歌を口ずさむのですが(いやそれ以前に何度も口ずさんでいるのに、この含意に気づけませんでした)、終戦直後、アメリカは自由と夢の象徴だったのでした。戦災孤児から闇市で生きる手段を覚え、復興景気に乗って成功を遂げた彼らこそまさに、晴れた空を体現した者たちだったといえるでしょう。(もちろん物語が1964年12月、東京オリンピック直後で終わっているからそういえるのですが。オリンピックを象徴的契機に日本は高度成長から安定成長に移行し、戦後とともに始まった個人が家柄や学歴がなくとも才覚だけで上昇していけた稀に見る自由な時代も終わってしまうのです)

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月11日(金)22時18分57秒
返信・引用
  > No.6932[元記事へ]

 今度は黄色。
 
 追悼号に黄色はふさわしくないですかね。やっぱり青色が適当か。
 中身は反古紙ですが、厚みは合わせてあります。今回、188ページとなりました。『怪異居留地』150ページをぬいて最厚です。
 反古紙で試してわかりましたが、これくらいの厚みになると、裁断がかなり大変です。ホッチキスもヘタすると針がぐにゃりと曲がってしまいます。

『怪異居留地は』は銀背にこだわりすぎて、ちょっと余裕のない見た目になってしまいました。
 それを反省して今回は四六判で行こうと思っているのですが、このサンプルでは、A5から3辺を5_切り落としたサイズです。
 これくらいがゆったりしていていいかなとも思われます。四六判にするかどうか、もう少し思案します。
 プリントアウトは終わったので、次は版下作成です。
 版下完成→コピー屋でコピー→製本と進めていくのですが、今月後半はいろいろ忙しいので、一気にはできそうもありません。
 発行日付を4月1日としましたが、無理かも。

 

眉村さん情報 

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月11日(金)17時47分21秒
返信・引用 編集済
  眉村卓さんお手製のしおり。  

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月10日(木)18時22分54秒
返信・引用 編集済
  > No.6930[元記事へ]

 版下製作に入っています。特集部分終了。下は追悼特集の扉。
 

 

「晴れた空(下)」読み中(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 9日(水)19時08分9秒
返信・引用
  > No.6929[元記事へ]

 290頁まで。
「日本は被占領国だからな。丸山くんがいま着ているリサのスーツだって、メイド・イン・オキュペイド・ジャパンという文字が入っている」
 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 9日(水)02時27分46秒
返信・引用
  > No.6922[元記事へ]

 一例です。表紙の色画用紙の色は思案中。
 
 

「晴れた空(下)」読み中(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)22時26分54秒
返信・引用 編集済
  > No.6919[元記事へ]

 190頁まで。ついに〈戦前〉の意図が明らかに。うーん。それは保守派としては必然的な戦略ではあるけれど、「お母さん」でなければならないものではない。いくらでも代替者(適格者)は存在します。
 それを(他の誰でもなく)「お母さん」にやらせようと決めたことには、あるいは<戦前>の好意があったといえるのでしょうね。お母さんも腹をくくる。※

「あの子たち、可哀そうな話を聞くのが嫌いなんです。今のような話が出ると、きまって逃げ出してしまいますの。<鐘の鳴る丘>などという放送劇がはじまると、ラジオのスイッチを切ってしまうんです。だから映画も、西部劇とかターザンとか、湿っぽくないものしかよろこばないようです」

※ふと思ったが、ここには著者の自己弁護が反映されているかも。


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)21時50分22秒
返信・引用
 
    元ツイート

 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)21時46分43秒
返信・引用 編集済
  > No.6926[元記事へ]

 斎藤さん
 お役に立てて何よりです。楽しんできてください(^^)
 私はニコニコ動画で視聴しようと思っているのですが、情報がまったくヒットしません。随分前の予告編が見つかりましたけど。
 もっと迫ってきたら、いろいろ上がってくるのかもしれません。
 サンデー毎日同様、こまめにチェックしようと思います。

 私が購読していた「中1時代」に、たまたま眉村さんの「還らざる城」が連載されていました。眉村さんの名前を知ったのはこの時が最初だったと思います。この連載は雑誌を分解して自分で製本(バインダーで止めただけ)したはずですが、どこかに行ってしまって、残っていません。30代くらいまでは見かけた記憶があるのですが(ーー;
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:斎藤  投稿日:2016年 3月 8日(火)20時53分2秒
返信・引用
  > No.6925[元記事へ]

管理人さん、とても貴重な情報ありがとうございます。
「日下三蔵の昭和SF&ミステリ秘宝館」には早速チケットの購入を申込みました。
講演後の懇親会にも参加を申し込んでしまいました。(何も話せない気がしますが)
眉村さんを生で拝見する初めての機会になります。
ワクワクです。
サンデー毎日も楽しみです。
私も毎週チェックします。

少年ドラマシリーズ関連では、最近「中三時代(旺文社)1978年2月号」を入手しました。
この号には、少年ドラマ「その町を消せ(原作は光瀬龍さん)」の特集が組まれているのと、眉村さんの受験生向けの応援エッセイが1ページ半に渡って写真付きで掲載されています。そして「白い不等式」が連載されています。
そしてそして、この号は、私自身がリアルに中学3年生だった時の雑誌だったのです。
当時、「中三時代」も「中三コース」もクラスの誰かが買ったものを回し読みで読んでいて、自分で購入したことはなく、今になって当時の学年雑誌を購入出来てとても嬉しく思っています。
今年も嬉しい巡り合わせにたくさん出会えそうで本当にワクワクです。
 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)18時01分25秒
返信・引用 編集済
   機本伸司さんの長篇『恋するタイムマシン 穂瑞沙羅華の課外活動』が、ハルキ文庫より今月18日発売されます。解説を眉村卓さんが担当されました。→amazon
 機本伸司さんは小松左京賞受賞作家として有名ですが、私はまだ読んだことがありません。調べたら1956年宝塚市に生まれ甲南大卒とのこと。
 もっと若い作家かと思っていたのですが、なんと関西出身で私とほぼ同世代の方だったんですね。一気に親近感を抱いてしまいました。
 眉村さんとどういうご関係なのかも知りたいところ。楽しみです(^^)

 

「魔天楼2.0」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)23時13分1秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥さんの「魔天楼2.0」(チャチャヤング・ショートショート・マガジン掲載予定)がひと足早くネットにアップされました→岡本家記録とは別の話
 トアロード北詰、焼亡したトアホテル跡地に中国資本が建設した高さ2500m(六甲山は931m)の超高層建築・魔天楼。その富豪階の窓から望見するのは、ジャンク船が無数に浮かぶ百年前の神戸港だった……
 モダン神戸ハイカラ神戸に淫した夭逝の作家に捧げるオマージュをご堪能ください!

 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)22時15分42秒
返信・引用 編集済
   久々に眉村さん情報をお届けします。三題あります。

 その1)眉村さんが4/7ライブワイヤーに登場されます!
 とビックリマークを付けましたが、私自身ライブワイヤーって何かよくわかっていません。下のリンク先から察するに、文化的な企画を定期的にやるカフェみたいなところのようです。
 そんな企画のひとつ、《日下三蔵の昭和SF&ミステリ秘宝館》http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=98632870
は、日下さんが昭和のSF作家にインタビューするもので、4月のゲストが眉村さんとなったもののようです。
 日下さんがインタビュアーですから、いろいろ適確に質問してくれそうで非常に期待しているのですが、いかんせん東京。地方者は不利です。
 ご安心ください。インターネットで中継放送されるらしい。それなら地方在住の私でもリアルタイムで聴けます。これはありがたい。
 けれども上のリンク先にはそういうことは書かれてないのですね。ニコニコでしょうか。どうすればいいのか、調べてみようと思います。

 その2)《サンデー毎日》で戦後のドラマをテーマにした連載が始まるそうで、「NHK少年ドラマシリーズ」も取り上げられるんだそうです。で、少年ドラマシリーズに数多くの原作を提供している眉村さんに白羽の矢があたり、なぞ転で岩田広一役だった高野浩幸さんと対談することになったそうです。こちらも楽しみです(^^)
 ところがいつ掲載されるのかが不明なのです。しばらくは毎週、サンデー毎日をチェックしなければ。

 その3)恒例《泉大津オリアム随筆(エッセイ)賞》が決定したとのこと。こちら
 審査委員は難波利三氏、眉村卓氏、有栖川有栖氏、「上方芸能」発行人の木津川計の4名。
 受賞作品は「上方芸能」に掲載され、表彰式が3/13(日)テクスピア大阪にて行われます。その授賞式の後、審査委員をパネリストに迎えた文学フォーラム「オリアムエッセイ教室」があります。その日もし暇だったら覗いてこようかなと考えています。無料です。

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)03時01分6秒
返信・引用 編集済
  > No.6921[元記事へ]

扉(案)です。
 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)02時48分51秒
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  > No.6920[元記事へ]

暫定です。
頭が働かなくなってきたので、今日はここまで。

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 6日(日)18時23分27秒
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  > No.6916[元記事へ]

 和田さんからショートショート集「ショートショートセブン」(10枚)が届きました。10枚のなかに7篇という、私流に云えばみじかばなし。いいですねえ。こういう作品は大好き。昔ショートショートショートという名前を考えたことがあります(そういえば誰か言っていたかもしれません。私のオリジナルではない)。



 

「晴れた空(下)」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 5日(土)23時22分17秒
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  > No.6917[元記事へ]

 130頁まで。高インフレを収束させようとドッジが来日。いわゆるドッジ・ラインが施行され、急転デフレに向かう。
 前田らはギリギリで大量の綿布を売り抜くが、購入した暴力団の梶田組は大損する。前田らが隠れ蓑に使った(別の組の)男が梶田組から狙われる。
 ここに至って、前田は、《戦前》がただ善意のみで彼らを助けているのか、はじめて疑惑を持ちます。

「戦争に負けた日本は、あの子供たちみたいなもんじゃありませんかね。まっ黒に汚れて、食うものもなくてね。ところが意外なことに、援助の手がさしのべられたんです」
「アメリカのことか」
「(……)アメリカが与えてくれている自由と豊かさへの希望(……)その中にもしかしたら毒があるんじゃないでしょうか。僕はどうも、この次はアメリカと組んでどこかと戦争をするようになるんじゃないかという気がしはじめました。日本人はその時、アメリカに断れますかね」


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 4日(金)23時56分46秒
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   元ツイート

 

「晴れた空(下)」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 4日(金)21時07分35秒
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   森下さんのベストSF2015も終わったので通常運転に復帰。半村良『晴れた空(下)』に着手。60頁まで。

「でも責任は充分ある。今度戦争をするっていう日本人が出て来やがったら、俺がその責任を取ってやるぞ」
「どうするんだい」
 前田は右手の人差指を、そばに立っているおやじの腹のあたりへ押し付け、その指を曲げて引金を引く形を見せた。


 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 4日(金)20時09分57秒
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  > No.6914[元記事へ]

 柳生真加さんから4枚ほどの短い作品が届きました。タイトルは「似非吾猫」。名前はまだない猫が、教師で作家である主人の日常の生態を観察します。するのですが、その変わり映えのしない日常が或る日を境に……。
 同時に追悼特集のために書いて下さったごく短い随想も。

 ということで、戴ける方からはほぼ戴けたように思いますので(あ、あせらなくていいですよ>和田さん(^^;)、割付けに入っていきたいと思います。
 どうやら今回も、ほぼ200頁(400枚)になりそうです。
 前半が追悼特集で後半が創作というのは決めています。
 創作のうち、柳生作品は当然として、オマージュとして書かれた岡本作品も、前半に含める段取りです。どう配置するかは、これから考えます。
 あ、もちろんまだ入稿オッケーですよ。お待ちしております!

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 3日(木)01時22分43秒
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Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 2日(水)17時57分19秒
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  > No.6911[元記事へ]

 昨日、和田宜久さんから22枚の短篇が届きました。
 舞台は神戸……じゃなく意外にも京都。出だしの雰囲気は南こうせつ「夢一夜」です(>おい)(^^;
 いやホンマに脳内BGMで流れはじめました。
 ところが、主人公が全然性格が違うんですよね。まさに現代っ子の娘さん。
 その彼女が、あることをきっかけに精神タイムスリップで祖母の時代に跳ばされ、祖母の裡に閉じ込められる(意識は維持している)。
 このへんはハミルトンがよく使う手ですね(スターキングとか)。
 ところがこの娘が、昔風の女性の祖母をしっかりしなさいと叱っちゃったりする(^^;
 そういう風にキャラが立っていてストーリーがめちゃくちゃ面白い(すでに夢一夜はいつのまにかどこかへ消えてしまっています)。
 著者は、これまで短篇小説であっても文体は小説と散文詩のあいだくらいの感じで、抒情性が強かったとおもうのですが、本篇は、文体が(小説らしくという意味でですが)きびきび引き締まっていかにも小説らしいものになったように感じました。
 もともと抽斗の多い著者ですが、また新しい抽斗が加わった感じです。
(今ふと思いましたが、ひょっとしたらその感覚は、主人公のしっかりした性格に引っ張られてそう感じたのかも)
 そして、最後はきっちり(時間パラドックス)SFになっているではないですか!
 なんかもうマイリマシタという感じです(^^;
 本篇も、ぜひお楽しみに〜!

 あと、「誌名に偽りあり」ではあかんでしょ、とショートショートも送ってくださるとのこと。ありがとうございます。
 たしかに、最近はどこがショートショートマガジンやねんという感じですからねえ(もちろんそれでいいのですが)(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 1日(火)22時19分9秒
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「宇宙気流89号」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月20日(日)19時56分41秒
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  『宇宙気流89号』に着手。「追悼・平井和正」、「追悼・牧村光夫」、「(復刻)紙畸人列伝/牧村光夫」(亀和田武)まで読みました。
 平井和正さんは、『狼の紋章』で熱狂的なファンになり、というかこの時代、SF読者で平井ファンにならなかった人はいませんよね。私の周辺では非SF読者まで平井ファンが増殖しました。
 発表媒体がハヤカワ文庫からノン・ノベルに移るのですが、そこまでは全冊揃えました。ですから(ネットで確認したら)神明シリーズは全部、犬神明シリーズは『狼のレクイエム』までで、そこで憑き物が落ちて『黄金の少女』以降はまったく読んでいません。
 内容に飽きたというよりも、出版社がころころ変わるのに嫌気がさした面が強かったです。
 しかし15歳から25歳位までの10年間、まさに思春期どまんなかです。その人類公害論には多大な影響を受けました。
 本追悼特集のに寄せられた追悼文によりますと、平井さんはある時期からSFファンダムとは没交渉になってしまうようです。その理由が、きっとあるはずと思うのですが、どなたもそれには触れていません。知りたいのですが、まあ追悼文にそこまであからさまなことを書く人はいませんよね。
 牧村光夫さんは、宇宙気流の編集に携わってこられたBNF(SRの会の重鎮でもあらせられたようです)。私もお名前だけは存じ上げていました。でも初期の宇宙気流は見たことも触ったこともない私が、何で知っているんだろう。つらつら考えるに、ひょっとして奇想天外新人賞候補でお名前を見かけたのではないか、という気がしてきて、検索してみたのですが、ヒットしませんでした。うーん?
 亀和田武「紙畸人列伝(牧村光夫)」はバックナンバー「本の雑誌17号」(80)からの復刻転載。特異なコレクターだったらしい牧村さんの「変な人」ぶりがありありと伝わってきます。
《「捕物帖」の元祖は、大正6年に岡本綺堂が書いた『半七捕物帳』なんだけど、最初にジャンルをおこした作品が頂点を極めたという意味では「捕物帖」と「ヒロイック・ファンタジイ」は似てるなと前から思ってるんだ。ハワードの『コナン』を越える作品もないでしょ》
《昔ほどコレクションに執着しなくなってきたな。読まないコレクターっているけど、アレは変だよね。ぼくは読むことに重点を置いてるほうだから》


 
 

     

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月20日(日)00時50分31秒
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   70年代のノーキョーさんもこんな感じだったのかと思うと(ーー;
 旅の恥はかき捨てが日本の伝統文化ですからねえ……。
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「第四間氷期」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月19日(土)23時43分0秒
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  > No.6939[元記事へ]

 安部公房「第四間氷期」(『安部公房全作品4』、73)読了。
 私が8年前に書いた感想文→チャチャヤン気分
 初出は<世界>58年7月〜59年3月。つまり『日本アパッチ族』(64)の5年前です。
 と、わざわざ記すのは、特に後半、アパッチ族がチラチラ浮かんできて仕方なかったからです。アパッチでは木田福一が完全にはアパッチ化を果たせなかったのですが、それは旧人類の心情を残していたからです。
 一方、本篇の主人公(語り手)勝見は、予言機械の製作者なんですが、その予言機械が示す、現在とは断絶した<未来>を受け入れることができず、殺されてしまう。
 この温度差は、小松さん自身が結局木田福一だったのに対し、安部公房はいささかのためらいもなく、主人公の「第二次予言値」と同化できる人だった、その差のように思われます。
 安部のほうが、変化を条件反射的に嫌がる(微視的連続感をアプリオリに受け入れて疑わない)一般市民に対して冷たいです。
 それから今回気づいたことに、『日本沈没』との類似です。本篇が連載されていた58年〜59年という時代は、プレートテクトニクス理論はまだ世に出ていないか出ていてもマイナーだった時代です。
 ですから、(温暖化だけでは説明できない)急激な海面上昇の原因を、本篇の近未来、もとい現未来に起きる(なぜなら主人公以外の関係者はそれを目撃するからです)太平洋と大陸の境界線あたりの海底火山帯の一斉噴火としているわけですが、要は海洋プレートと大陸プレートの摩擦ですよね。
 ついでながら『華竜の宮』ではスーパープルームとしています。『華竜の宮』シリーズは(だいぶ記憶が薄れていて枉げてしまっているかもですが)海面上昇による世界沈没に対処して人類を救済するリアリズムSFで、水棲人は数ある対策の一つの試みの位置づけだったように記憶しているんですが、本書はもっと乱暴というか、リアリズムは端から退けられて、人間の微視的連続感への安住、すなわち「今も全然よくないけど、変化の結果もっと悪くなるかもしれない。だったら今のままでいい」という負け犬根性の告発のみに特化した話といえます。
 その意味で言えば、頼木たちが「華竜の宮」の主人公たちに相当するのですが、本書の頼木たちは結局陸棲人として水棲人に保護されて細々と生きるしかない。クラークのオーバーロードと同じポジションということになるでしょう。
 と、いろいろ思いついたことを列記したのは他でもなく、振替休日の読書会に備えて、そこで発展させるタネを拾っているからなのです。
 ともあれ、日本SFは『第四間氷期』『日本アパッチ族』という思弁小説の傑作をもって開始されたと言って間違いありません。しかしその方向には、あまり向かってはいかなかったんですねえ。今振り返って見れば……。

 

Re: ハチ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月19日(土)17時25分3秒
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   堀さん
 74年というと、丁度ジャズ喫茶へ入り浸りはじめた年です。
 その年浪人しまして、国鉄天王寺駅北口方向にあった予備校に通うことになりました。
 スイングジャーナルの後ろの方の頁に全国のジャズ喫茶のリストが載っていたと思います。それで北口にMUGENというジャズ喫茶があることを知り、予備校からの帰途、たむろするようになりました。大体1時間ほど(LP片面3枚分)居ましたですかねえ。そのうち昼休みや講義と講義の間があいている時間にも行くようになりました。
 上記のリストで、梅田のハチやナンバのバード、ファイブスポットの名前も知っていました。ハチの誌面スペースはかなり大きかったような記憶が。
 ナンバのバードやファイブスポットは数回行きました。ハチも行こうとしたことがあるのですが、結局辿りつけず(ちょっと辺鄙な場所ですよね。梅田は地下街と桜橋と旭屋の点と線しか知らなかったので)、縁がありませんでした。しかし10年ほど前、山下洋輔さんの8月8日の定期ライブに伺い、ようやく念願を果たしました。
 そのとき、堀さんにはじめてお会いしたのでした(^^;。

 

Re: ハチ    

 投稿者:堀 晃  投稿日:2016年 3月19日(土)08時40分59秒
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  > No.6943[元記事へ]

スイングジャーナル74年。
この記事の取材には立ち会ってます(写真には写ってません/常連かき集めて満員!)。
「毎年ママさんの誕生日の8月8日には山下洋輔さんが駆けつける」は今も続いてます。
「この記事では当時は毎日曜日、山下洋輔トリオのライブが行われているとあります」は月例ライブの間違いで、これは70年代後半まで続きました。
アルテックは2004年1月に冠水事故(店はB1)で壊れ、その後中古機を探して導入。音は微妙に違うとかいいますが、ぼくにはわかりませんね。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月18日(金)21時48分34秒
返信・引用
   元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月17日(木)23時08分14秒
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   元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月17日(木)21時13分34秒
返信・引用
   
            元ツイート


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月16日(水)22時26分46秒
返信・引用 編集済
   
 やっぱり(日本文化の外で育った)ガイジンさんでも、この音程が狂っていることはわかるんだな、と。(もちろん次郎さんに含むところはありません。kintamayamaさんもnice guyだと書いています。念のため)
 9分21秒あたり〜
 


 

「第四間氷期」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月16日(水)05時43分28秒
返信・引用
   昨日、書き込んだ理由でとんでもない早起きをしてしまったのが後を引いたようで、夕食後睡魔が襲ってきて、横になったら、仮眠のつもりが結局明け方まで眠り込んでしまい、またこんな時間に書き込んでいます(^^;
 で、来週の読書会に備えて『第四間氷期』を読み返していました。第一部読了。ほぼ半分弱。
 先回読んだ時、前半はそんなに面白くもないしあんまり重要ではないな、と思った記憶が残っていたのですが、全然そんなことはなかった。面白い。
 要するに”予言機械”が具体的にイメージ出来てなかったんでしょうね。実はこれ、『ユートロニカのこちら側』の”BAP”と同じ原理なんですね。情報を食わせることで未来を予言(ユートロニカの場合は予測)させるわけです。
 この機械にかかって、自分の未来を予言させることを、主人公は(開発者のくせに)嫌悪しますが(というか恐れる)、助手は全然気にならないといいます。これなんかまさにユートロニカで出てきた2タイプではありませんか。
 そういえばユートロニカを読んでいて、著者は安部公房を読み込んでるな、と思ったんでした。こことかここ

 

Re: 「恋するタイムマシン」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月15日(火)05時50分25秒
返信・引用 編集済
  > No.6937[元記事へ]

 昨夜は飲み会で、帰宅はそんなに遅くならなかったんですが、その前夜が睡眠不足だったせいでか、かなりキテしまいバタンキュー。変な時間に目が覚めてしまいました。
 で、先日の感想文で書き残した感があったことを、補記として記しておきます。

※補記。「ちょっと私には首肯しかねる部分」を説明しておきます。私は、第一のテーマの面白さに比して、第二のテーマの部分に少し抵抗を感じさせられたのでした。それは「僕」の沙羅華に対する態度が(本心から彼女をおもってのものであるにしても)いささか既存のありふれた観念を疑うことなく受け入れ、振りかざしているように見えたからにほかなりません。
 眉村さんが指摘された「未熟」とは、沙羅華のそれに対して向けられたものですが、むしろ私は「僕」のほうにそれを感じてしまいました。
 私に言わせれば、沙羅華はラファティ世界によく現れる人物なんですね。ですから沙羅華に対する「僕」の衷心よりの忠告やら何やらは、たとえば『蛇の卵』の歩くコンピュータ女子イニアールに対して、人間てひとりでは生きられない存在なんだよ、と教え諭しているかのような、また教え諭しているものに対しては、なにを的はずれな説教を、というなんとも居心地のわるい感覚になってしまったのでした。
 ラノベというものを読んだことがないので見当違いかもしれないのですが、ラノベの原則としてこのような公式的な常識を書き込まないといけないのでしょうか(それはある意味了解できます)。「これはまあ、作者が意図的に書いたのであろうが」という眉村さんの言葉からそう推測した次第なんですが、たしかに眉村さんの評言「この(1)と(2)の奇妙なアンバランス」は、私も感じないではいられませんでしたねえ。

 
 

「恋するタイムマシン」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月14日(月)04時00分48秒
返信・引用 編集済
   機本伸司『恋するタイムマシン 穂瑞沙羅華の課外活動(ハルキ文庫、16)読了。

 本書には(解説で眉村さんが指摘しているように)ふたつのテーマがあります。一つはタイムマシン(はなかなか難しいとわかりタイムプロセッサーにダウンサイジングされるのだけれど)を実現しようとするハードSF的物語(必然的に時間とは何かが考究される)。
「そもそも時間は、生きているからこそ感じられると思わないか」両備さんは、自分の胸のあたりを指さした。「時間の本質はまだ分からないにせよ、それを測る何らかの”物差し”は、こっちの中にあるのかもしれない」(107p)
「わしなんかには、そもそも時間なんて、客観的ではあり得ないような気がしてるんだ。何故なら外に流れる時間を、自分の”体内時計”と照合して認識しているわけだろ? たとえは良くないかもしれないが、死人に時間はないじゃないか」(233p)

 どうやら著者は、時間の流れは外的には存在せず、主観の側にあると言っているようです。
 これは橋元時間論に触れたことがあるものにはよくわかります。ミンコフスキー時空図に表現されるように、時間は流れているのではなく、高次元から見ればそこに(定まって)在るもので、それをエントロピー増大の方向に向かって時間の流れとして感じさせる(発生させる)のは、生の意志だとされます。

 話は飛びますが、筒井康隆『モナドの領域』の宇宙論を思い出しました。
 筒井的GOD宇宙では、始源から終焉まで、時間は確定している(運命)。但しこの宇宙は並行世界の存在する宇宙です。そしてその無数にあるのだろう並行世界も確定世界である。主体I(人間とは限らない)は、任意の宇宙で運命は定まっているのですが、無数の並行宇宙には無数のIがいるわけです(いない宇宙もある)。だとすればある任意の宇宙でのIの未来は確定しているのだとしても、無数の並行世界は無数のIが、少しずつ違う可能性を体現して(ただしその世界では確定した生を)生きている。結果としてIは、全ての可能性を運命として生きている事になるのです(イーガンかよ)。
 つまり未来は改変できないが、すべての可能性の未来は体験されているのですねえ(^^;

 次にもうひとつのテーマ。主人公である天才少女は、天才らしくサバン的傾向があって、「人の気持ちがうまく理解できない」ところがある(それがために他者との関係を結べず研究の世界に逃避している面があるように読み取れる)。
 本篇の視点人物である「僕」は少女のマネージャー兼お守役的人物なのだが、なんとかしてその孤立的な性格を(世界に対して開かれるように)「直し」てあげたいと考えている。本篇の一連の事件を通じて、少女は「僕」の導きもあって「改善」されていく(のですが、このゆくたては、ちょっと私には首肯しかねる部分があります※)
 それはさておき、その説明として上に、「死人に時間はない」と引用しましたが、それを言い換えれば「時間なんて、他に誰かがいてくれるから流れるようなものかもしれない」(234p)となる。なるほど、そうかもしれません。そしてこのアナロジーを少女の孤立性に対置している。
 これは正しいといえば正しいのですが、少女がサバンだったなら、むしろ苦しませるだけではないか、とも思いました。
 解説で眉村さんは「未発達性」と書いていますが、私は、著者はサバンとして設定しているんじゃないかなと思いました(ただしサバンとみなせば異常にコミュニケーション能力のあるサバンではある)。だとしたらラストシーンがまたよくわからなくなるのですが……(^^;
 はじめて読みましたが、予想以上に面白かったです。このシリーズ、第一話から読んでみたくなりました。

※補記。「ちょっと私には首肯しかねる部分」を説明しておきます。私は、第一のテーマの面白さに比して、第二のテーマの部分に少し抵抗を感じさせられたのでした。それは「僕」の沙羅華に対する態度が(本心から彼女をおもってのものであるにしても)いささか既存のありふれた観念を疑いもなく振りかざしているように見えたからにほかなりません。
 眉村さんが指摘された「未熟」とは、沙羅華のそれに対して向けられたものですが、むしろ私は「僕」のほうにそれを感じてしまいました。
 私に言わせれば、沙羅華はラファティ世界によく現れる人物なんですね。ですから沙羅華に対する「僕」の衷心よりの忠告やら何やらは、たとえば『蛇の卵』の歩くコンピュータ女子イニアールに対して、人間てひとりでは生きられない存在なんだよ、と教え諭しているかのような、また教え諭しているものに対しては、なにを的はずれな説教を、というなんとも居心地のわるい感覚になってしまったのでした。
 ラノベというものを読んだことがないので見当違いかもしれないのですが、ラノベの原則としてこのような公式的な常識を書き込まないといけないのでしょうか(それはある意味了解できます)。「これはまあ、作者が意図的に書いたのであろうが」という眉村さんの言葉から総推測した次第なんですが、たしかに眉村さんの評言「この(1)と(2)の奇妙なアンバランス」というのは。私も感じないではいられませんでしたねえ。


 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月13日(日)14時50分50秒
返信・引用 編集済
  > No.6934[元記事へ]

 青色で、四六判でサンプル作ってみました。ちょっと雑ですが。B5版とフォントや行間や文字間は同じ。ですからB5版は、下写真よりも余白の部分が広くなる感じです。
 

「晴れた空」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月12日(土)20時51分22秒
返信・引用 編集済
  > No.6931[元記事へ]

 ラストスパートで残り250頁ほど一気に読んだ。ルスバンの父親がシベリアから復員してきてからの200頁はウルウルしっぱなし。しかし200頁って短い長篇のボリュームですがな。
 またこの下巻は、ゼロから出発した若者の起業が、復興を追い風にどのように成功していったか(そしていかに軟着陸させたか)という経済小説の一面があります。
 それも「昭和のレベル」の成功物語というところが、興味深くも懐かしい。
 家族規模の会社が大きくなっていくのって、大企業が大きくなっていくのとは違って、大抵泥縄式なんですね。吉野商会も、金は外に逃さないという基本原理はあるにしても、料亭から自動車ディーラーから宝飾品販売から不動産会社まで、定款はどうなっているのかという感じ。実際現実社会でもそういう感じです。
 飴屋がゴルフ会員権を買いまくるぞと息巻くシーンがあり、もし実行していたらバブル崩壊時、大変な目に合うことになるはずで(実際身近にその例を知っている)、そんなところも含めて、昭和の成功した中小企業の経営者の物語としても読めるのですね。まあサラリーマンの読者にはあんまりピンとこないかもしれません。
 そして<戦前>とは何者かが明らかに。かれは旧財閥ではなかった。
 戦前の財閥はコンツェルンで、トップに持ち株会社があった。GHQはそれが諸悪の根源と財閥を解体した。
 <戦前>は旧財閥解体後の経済界の空隙に、GHQを後ろ盾として新しい財界の元締めの地位を狙うものだったのです。お母さんの経営する超高級料亭は、そのための接待(情報収集)の場としての機能が課せられていた。
 しかし朝鮮戦争に伴うGHQの方針変更と朝鮮特需による復興の進展の結果、財閥は株の相互持ち合いで実質的な存続をはかった。日本の企業の特質のひとつとして株式持合い制というのを社会の時間に習いましたよね。
 つまり旧財閥が実質的に復活した。(※近年はホールディングスという名称で持株会社そのものが復活してますよね。ただしもはや旧財閥のタテ割りではないですが)
 その新しい潮流は、当然<戦前>の目論見を潰す方向への流れであったわけです。次第に<戦前>は窮していく。
 上手いこと回っているうちは、お母さんとその浮浪児の子らを支援するのは「好意」であったわけですが、貧すれば鈍すで、もともと好意からのボランティアだった筈なのに、左前になってくると利息ぐらい払えとなってくる。更に嵩じてもともとは俺の金だから全部返せと(その言い分は正しくないにしても否定はできない)。
 こういうのも実際の社会でよく見る光景です。
 下巻の後半は、それを察知した前田を中心にした(既にそれぞれ吉野商会傘下とはいえ経営者や重役になっている)子供たちが、それぞれの子会社に蓄えた資産をいかに<戦前>に悟られぬよう、吉野商会の紐付を外して<戦前>の手出しできぬものに移していくかという話でもあります。
 もとよりそれは、自分たちの保身のためではなく、最終的にお母さんに戻すためです。
 その動きに気づいた<戦前>の動きが、焦りのためあからさまになり、危険なものとなる。
 特攻の生き残りで、かつてカミカゼとあだ名されていた前田は、今こそ仲間のもとへ行く日が来たと悟る……(と書きかけたら不覚にもボトッと涙が)(>嘘。メガネなのでボトッとは落ちません)(^^;

 いやー面白かった。わたし的には著者の最高傑作かも(『妖星伝』も面白かったですが、後半はダラダラとなかなか話が進まなかった記憶が)。

 以上、半村良『晴れた空(上下)』(集英社91)読了。
 ※雑誌連載は「小説すばる」1987年創刊冬季号〜1991年2月号。バブル崩壊は1991年1月ですから、既に小説は書き上げられていたと思われます。
 ※更に追記。タイトルの「晴れた空」はいうまでもなく終戦日の空ですが、「憧れのハワイ航路」の「晴れた空」も掛けていることに遅まきながら気づきました。最後に子供たちはハワイに旅行し、この歌を口ずさむのですが(いやそれ以前に何度も口ずさんでいるのに、この含意に気づけませんでした)、終戦直後、アメリカは自由と夢の象徴だったのでした。戦災孤児から闇市で生きる手段を覚え、復興景気に乗って成功を遂げた彼らこそまさに、晴れた空を体現した者たちだったといえるでしょう。(もちろん物語が1964年12月、東京オリンピック直後で終わっているからそういえるのですが。オリンピックを象徴的契機に日本は高度成長から安定成長に移行し、戦後とともに始まった個人が家柄や学歴がなくとも才覚だけで上昇していけた稀に見る自由な時代も終わってしまうのです)

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月11日(金)22時18分57秒
返信・引用
  > No.6932[元記事へ]

 今度は黄色。
 
 追悼号に黄色はふさわしくないですかね。やっぱり青色が適当か。
 中身は反古紙ですが、厚みは合わせてあります。今回、188ページとなりました。『怪異居留地』150ページをぬいて最厚です。
 反古紙で試してわかりましたが、これくらいの厚みになると、裁断がかなり大変です。ホッチキスもヘタすると針がぐにゃりと曲がってしまいます。

『怪異居留地は』は銀背にこだわりすぎて、ちょっと余裕のない見た目になってしまいました。
 それを反省して今回は四六判で行こうと思っているのですが、このサンプルでは、A5から3辺を5_切り落としたサイズです。
 これくらいがゆったりしていていいかなとも思われます。四六判にするかどうか、もう少し思案します。
 プリントアウトは終わったので、次は版下作成です。
 版下完成→コピー屋でコピー→製本と進めていくのですが、今月後半はいろいろ忙しいので、一気にはできそうもありません。
 発行日付を4月1日としましたが、無理かも。

 

眉村さん情報 

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月11日(金)17時47分21秒
返信・引用 編集済
  眉村卓さんお手製のしおり。  

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月10日(木)18時22分54秒
返信・引用 編集済
  > No.6930[元記事へ]

 版下製作に入っています。特集部分終了。下は追悼特集の扉。
 

 

「晴れた空(下)」読み中(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 9日(水)19時08分9秒
返信・引用
  > No.6929[元記事へ]

 290頁まで。
「日本は被占領国だからな。丸山くんがいま着ているリサのスーツだって、メイド・イン・オキュペイド・ジャパンという文字が入っている」
 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 9日(水)02時27分46秒
返信・引用
  > No.6922[元記事へ]

 一例です。表紙の色画用紙の色は思案中。
 
 

「晴れた空(下)」読み中(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)22時26分54秒
返信・引用 編集済
  > No.6919[元記事へ]

 190頁まで。ついに〈戦前〉の意図が明らかに。うーん。それは保守派としては必然的な戦略ではあるけれど、「お母さん」でなければならないものではない。いくらでも代替者(適格者)は存在します。
 それを(他の誰でもなく)「お母さん」にやらせようと決めたことには、あるいは<戦前>の好意があったといえるのでしょうね。お母さんも腹をくくる。※

「あの子たち、可哀そうな話を聞くのが嫌いなんです。今のような話が出ると、きまって逃げ出してしまいますの。<鐘の鳴る丘>などという放送劇がはじまると、ラジオのスイッチを切ってしまうんです。だから映画も、西部劇とかターザンとか、湿っぽくないものしかよろこばないようです」

※ふと思ったが、ここには著者の自己弁護が反映されているかも。


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)21時50分22秒
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    元ツイート

 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)21時46分43秒
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  > No.6926[元記事へ]

 斎藤さん
 お役に立てて何よりです。楽しんできてください(^^)
 私はニコニコ動画で視聴しようと思っているのですが、情報がまったくヒットしません。随分前の予告編が見つかりましたけど。
 もっと迫ってきたら、いろいろ上がってくるのかもしれません。
 サンデー毎日同様、こまめにチェックしようと思います。

 私が購読していた「中1時代」に、たまたま眉村さんの「還らざる城」が連載されていました。眉村さんの名前を知ったのはこの時が最初だったと思います。この連載は雑誌を分解して自分で製本(バインダーで止めただけ)したはずですが、どこかに行ってしまって、残っていません。30代くらいまでは見かけた記憶があるのですが(ーー;
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:斎藤  投稿日:2016年 3月 8日(火)20時53分2秒
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  > No.6925[元記事へ]

管理人さん、とても貴重な情報ありがとうございます。
「日下三蔵の昭和SF&ミステリ秘宝館」には早速チケットの購入を申込みました。
講演後の懇親会にも参加を申し込んでしまいました。(何も話せない気がしますが)
眉村さんを生で拝見する初めての機会になります。
ワクワクです。
サンデー毎日も楽しみです。
私も毎週チェックします。

少年ドラマシリーズ関連では、最近「中三時代(旺文社)1978年2月号」を入手しました。
この号には、少年ドラマ「その町を消せ(原作は光瀬龍さん)」の特集が組まれているのと、眉村さんの受験生向けの応援エッセイが1ページ半に渡って写真付きで掲載されています。そして「白い不等式」が連載されています。
そしてそして、この号は、私自身がリアルに中学3年生だった時の雑誌だったのです。
当時、「中三時代」も「中三コース」もクラスの誰かが買ったものを回し読みで読んでいて、自分で購入したことはなく、今になって当時の学年雑誌を購入出来てとても嬉しく思っています。
今年も嬉しい巡り合わせにたくさん出会えそうで本当にワクワクです。
 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)18時01分25秒
返信・引用 編集済
   機本伸司さんの長篇『恋するタイムマシン 穂瑞沙羅華の課外活動』が、ハルキ文庫より今月18日発売されます。解説を眉村卓さんが担当されました。→amazon
 機本伸司さんは小松左京賞受賞作家として有名ですが、私はまだ読んだことがありません。調べたら1956年宝塚市に生まれ甲南大卒とのこと。
 もっと若い作家かと思っていたのですが、なんと関西出身で私とほぼ同世代の方だったんですね。一気に親近感を抱いてしまいました。
 眉村さんとどういうご関係なのかも知りたいところ。楽しみです(^^)

 

「魔天楼2.0」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)23時13分1秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥さんの「魔天楼2.0」(チャチャヤング・ショートショート・マガジン掲載予定)がひと足早くネットにアップされました→岡本家記録とは別の話
 トアロード北詰、焼亡したトアホテル跡地に中国資本が建設した高さ2500m(六甲山は931m)の超高層建築・魔天楼。その富豪階の窓から望見するのは、ジャンク船が無数に浮かぶ百年前の神戸港だった……
 モダン神戸ハイカラ神戸に淫した夭逝の作家に捧げるオマージュをご堪能ください!

 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)22時15分42秒
返信・引用 編集済
   久々に眉村さん情報をお届けします。三題あります。

 その1)眉村さんが4/7ライブワイヤーに登場されます!
 とビックリマークを付けましたが、私自身ライブワイヤーって何かよくわかっていません。下のリンク先から察するに、文化的な企画を定期的にやるカフェみたいなところのようです。
 そんな企画のひとつ、《日下三蔵の昭和SF&ミステリ秘宝館》http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=98632870
は、日下さんが昭和のSF作家にインタビューするもので、4月のゲストが眉村さんとなったもののようです。
 日下さんがインタビュアーですから、いろいろ適確に質問してくれそうで非常に期待しているのですが、いかんせん東京。地方者は不利です。
 ご安心ください。インターネットで中継放送されるらしい。それなら地方在住の私でもリアルタイムで聴けます。これはありがたい。
 けれども上のリンク先にはそういうことは書かれてないのですね。ニコニコでしょうか。どうすればいいのか、調べてみようと思います。

 その2)《サンデー毎日》で戦後のドラマをテーマにした連載が始まるそうで、「NHK少年ドラマシリーズ」も取り上げられるんだそうです。で、少年ドラマシリーズに数多くの原作を提供している眉村さんに白羽の矢があたり、なぞ転で岩田広一役だった高野浩幸さんと対談することになったそうです。こちらも楽しみです(^^)
 ところがいつ掲載されるのかが不明なのです。しばらくは毎週、サンデー毎日をチェックしなければ。

 その3)恒例《泉大津オリアム随筆(エッセイ)賞》が決定したとのこと。こちら
 審査委員は難波利三氏、眉村卓氏、有栖川有栖氏、「上方芸能」発行人の木津川計の4名。
 受賞作品は「上方芸能」に掲載され、表彰式が3/13(日)テクスピア大阪にて行われます。その授賞式の後、審査委員をパネリストに迎えた文学フォーラム「オリアムエッセイ教室」があります。その日もし暇だったら覗いてこようかなと考えています。無料です。

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)03時01分6秒
返信・引用 編集済
  > No.6921[元記事へ]

扉(案)です。
 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)02時48分51秒
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  > No.6920[元記事へ]

暫定です。
頭が働かなくなってきたので、今日はここまで。

 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 6日(日)18時23分27秒
返信・引用 編集済
  > No.6916[元記事へ]

 和田さんからショートショート集「ショートショートセブン」(10枚)が届きました。10枚のなかに7篇という、私流に云えばみじかばなし。いいですねえ。こういう作品は大好き。昔ショートショートショートという名前を考えたことがあります(そういえば誰か言っていたかもしれません。私のオリジナルではない)。



 

「晴れた空(下)」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 5日(土)23時22分17秒
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  > No.6917[元記事へ]

 130頁まで。高インフレを収束させようとドッジが来日。いわゆるドッジ・ラインが施行され、急転デフレに向かう。
 前田らはギリギリで大量の綿布を売り抜くが、購入した暴力団の梶田組は大損する。前田らが隠れ蓑に使った(別の組の)男が梶田組から狙われる。
 ここに至って、前田は、《戦前》がただ善意のみで彼らを助けているのか、はじめて疑惑を持ちます。

「戦争に負けた日本は、あの子供たちみたいなもんじゃありませんかね。まっ黒に汚れて、食うものもなくてね。ところが意外なことに、援助の手がさしのべられたんです」
「アメリカのことか」
「(……)アメリカが与えてくれている自由と豊かさへの希望(……)その中にもしかしたら毒があるんじゃないでしょうか。僕はどうも、この次はアメリカと組んでどこかと戦争をするようになるんじゃないかという気がしはじめました。日本人はその時、アメリカに断れますかね」


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 4日(金)23時56分46秒
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   元ツイート

 

「晴れた空(下)」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 4日(金)21時07分35秒
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   森下さんのベストSF2015も終わったので通常運転に復帰。半村良『晴れた空(下)』に着手。60頁まで。

「でも責任は充分ある。今度戦争をするっていう日本人が出て来やがったら、俺がその責任を取ってやるぞ」
「どうするんだい」
 前田は右手の人差指を、そばに立っているおやじの腹のあたりへ押し付け、その指を曲げて引金を引く形を見せた。


 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 4日(金)20時09分57秒
返信・引用 編集済
  > No.6914[元記事へ]

 柳生真加さんから4枚ほどの短い作品が届きました。タイトルは「似非吾猫」。名前はまだない猫が、教師で作家である主人の日常の生態を観察します。するのですが、その変わり映えのしない日常が或る日を境に……。
 同時に追悼特集のために書いて下さったごく短い随想も。

 ということで、戴ける方からはほぼ戴けたように思いますので(あ、あせらなくていいですよ>和田さん(^^;)、割付けに入っていきたいと思います。
 どうやら今回も、ほぼ200頁(400枚)になりそうです。
 前半が追悼特集で後半が創作というのは決めています。
 創作のうち、柳生作品は当然として、オマージュとして書かれた岡本作品も、前半に含める段取りです。どう配置するかは、これから考えます。
 あ、もちろんまだ入稿オッケーですよ。お待ちしております!

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 3日(木)01時22分43秒
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   ツイート元


 

Re: 今年は2月29日うるう年

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 2日(水)17時57分19秒
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  > No.6911[元記事へ]

 昨日、和田宜久さんから22枚の短篇が届きました。
 舞台は神戸……じゃなく意外にも京都。出だしの雰囲気は南こうせつ「夢一夜」です(>おい)(^^;
 いやホンマに脳内BGMで流れはじめました。
 ところが、主人公が全然性格が違うんですよね。まさに現代っ子の娘さん。
 その彼女が、あることをきっかけに精神タイムスリップで祖母の時代に跳ばされ、祖母の裡に閉じ込められる(意識は維持している)。
 このへんはハミルトンがよく使う手ですね(スターキングとか)。
 ところがこの娘が、昔風の女性の祖母をしっかりしなさいと叱っちゃったりする(^^;
 そういう風にキャラが立っていてストーリーがめちゃくちゃ面白い(すでに夢一夜はいつのまにかどこかへ消えてしまっています)。
 著者は、これまで短篇小説であっても文体は小説と散文詩のあいだくらいの感じで、抒情性が強かったとおもうのですが、本篇は、文体が(小説らしくという意味でですが)きびきび引き締まっていかにも小説らしいものになったように感じました。
 もともと抽斗の多い著者ですが、また新しい抽斗が加わった感じです。
(今ふと思いましたが、ひょっとしたらその感覚は、主人公のしっかりした性格に引っ張られてそう感じたのかも)
 そして、最後はきっちり(時間パラドックス)SFになっているではないですか!
 なんかもうマイリマシタという感じです(^^;
 本篇も、ぜひお楽しみに〜!

 あと、「誌名に偽りあり」ではあかんでしょ、とショートショートも送ってくださるとのこと。ありがとうございます。
 たしかに、最近はどこがショートショートマガジンやねんという感じですからねえ(もちろんそれでいいのですが)(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 1日(火)22時19分9秒
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