ヘリコニア過去ログ1606


「遠い秋」「霧」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月30日(木)23時06分50秒
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  > No.7147[元記事へ]

 西秋生「遠い秋」(風の翼 6号、82)と「霧」(同 5号、81)を読む。どちらも掌篇です。
 前者は「過去から届いた手紙」もの。異形によくありそうなテーマで、こういうのはどのように処理されているかが肝なんですね。本篇では、それがSF的事実なのか茶番劇なのか、リドルになっているところがなかなか味わい深い。
 後者は掌篇ながら、堂々たる異世界ファンタジー、ハイファンタジーの結構があり読み応え十分。好い。それにしても、これってM27へのレスポンス ?(^^;

 

Re: 第二次執筆革命

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月30日(木)22時09分22秒
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  > No.7132[元記事へ]

 目の調子の悪いのはそんなに気にならなくなったのですが(新しくできた飛蚊症はどうしようもないですが)、肩の方が問題で、きのうも書き込み中我慢できないほど痛くなり、途中でやめてしまいました。
 音声入力じゃなかったのか。いやーなかなか思い通りにならないので、昨日はキーボード入力していたのでした。
 しかし、やはり音声入力は必要だなとつくづく思ったので、今日は真剣に調べていました。
 別にグーグルドキュメントを使わなくても、ふつうのメモ帳でも Windows10を設定すれば、音声入力できることがわかりました(メモ帳に限りません)。
 で、やってみた。
 なんだ。こっちの方がはるかに聞き取ってくれるではありませんか。
 考えてみれば、グーグルドキュメントはインターネット上のどこかのクラウドで音声が文字に変換されるのに対し、こっちはパソコン内なのですから当然といえば当然なのですね。
 しかも、句点、読点、改行なども音声でできるのでした。いや便利 (^^)
 顔文字も出ました (^^;
 というわけで、この文章は音声入力でメモ帳に書き込んだものであります。

 

「迷い神の墓」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月29日(水)22時48分29秒
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  > No.7146[元記事へ]

 西秋生「迷い神の墓」(風の翼7号、83)は、「迷いの神の墓」と改題されて(改稿も?)SFアドベンチャー84年2月号に掲載されました。アドベンチャー、デビュー作。
 後に著者の作品世界に多く現れる民俗的なテーマのハシリの作品といえるのではないでしょうか。

 

「雨…」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月29日(水)22時37分28秒
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  > No.7145[元記事へ]

 西秋生「雨…」(風の翼8号、83)を読みました。50枚。力作です。
 主人公がそのマンションに入居したのは家賃が格安だったから。しかし格安には理由があった。そこは自殺や殺人事件が頻発する、近所では有名な呪われたマンションだったのです。とりわけ湿度の高い雨の日に。
 と、出だしはいかにもホラー。しかし最後にSFになります。
 不快指数が高いと犯罪は増える? そういえば今日は大雨で、いまは上がっていますが湿度が高く非常に不快。や、これは気圧が低くなると気分がすぐれなくなる、アレと同じですね。
 ホラーがSFに変じるのは、ちょうど「星の飛ぶ村」とはまぎゃく。どうやらこの時期くらいまでは、SF的な発想で書かれることもあったということでしょうか。

 

「春の迷路」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月29日(水)02時24分16秒
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  > No.7144[元記事へ]

 西秋生「春の迷路」(風の翼9号、85)を読む。75枚の中篇で、なんとなんとベタな青春小説でした。ただしユング風味(^^;
 関学とおぼしい大学の広研に所属する主人公が半年ぶりに地下の部室に顔を出すと、見馴れない女子学生がいた。しかしなんか見覚えが。で気づく。数日前、白い靄に分厚く覆われた深夜の下宿街を蹌踉と散歩していたとき、道端にぽつねんと暗い表情で膝を抱えていた女ではないか。しかしいま見る彼女は雰囲気が全く違って明るく活発な印象だった。きけば最近入会してきて、SP班に所属しているらしい。打ち上げコンパの二次会のスナックがお開きになり、しかし主人公が一人残って飲んでいると、その女が戻ってきて隣りに座る……

 これはいいね。こんな話は大好物です。しかし著者は、結局こっちの方向にはいかなかったですねえ。珍重すべき佳品でした。

 追記。単なる雰囲気ではなくて、ユング理論で押さえているから好ましく読めたんでしょうね。

 

「神樂坂界隈」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月29日(水)00時31分8秒
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  > No.7143[元記事へ]

 西秋生「神樂坂界隈」(風の翼10号、87)は、「神樂坂隧道」に改題されて(改稿も?)第5回日本ホラー小説大賞短編部門最終候補。妹尾俊之名義。西秋生の代表的短篇と言ってよいですね。

 

「遥かな潮騒」「こわい」「しみ」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月28日(火)23時59分31秒
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  > No.7142[元記事へ]

 西秋生「遥かな潮騒」(風の翼13号、91)、「こわい」(風の翼12号、90)、「しみ」(風の翼11号、88)を読む。
 3篇ともホラー掌篇。この時期、著者はSFアドベンチャーに定期的に作品が掲載されていて、風の翼には掌篇で参加するのが精一杯だったのかな、と思いました。
 出来もいまいちな感じがするのですが、それはあるいは、私自身がこういう雰囲気重視のホラーが好みではないから、そう思うだけなのかも。好きな人には堪えられないものなのかもしれません。

 

「星の飛ぶ村」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月28日(火)22時57分9秒
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  > No.7141[元記事へ]

 西秋生「星の飛ぶ村」(風の翼14号、93)を読みました。
 作家の主人公が自主缶詰で宿泊している村。そこに或夜空飛ぶ円盤が着陸する。吃驚する主人公。しかし村人らはまったく気にしない。どうやらときどき訪れるらしい。村人たちの日常には何の変化もない。子供らは円盤のそばで遊んでいる。ところがひとりの子供が神隠しにあい……
 SFが反転してホラーになります。いやまあ『盗まれた街』も『呪われた村』もホラーといえばホラーですが。本篇はさらに説明がありません。そのへんは光瀬的か。いや面白い。



 

「年始の客」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月28日(火)22時06分12秒
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  > No.7140[元記事へ]

 西秋生「年始の客」(風の翼15号、98)を読みました。都筑道夫風のオチのある怪談。これはよかった。1998年作の比較的最近作だけに、手馴れていますね。オチは途中で割れましたが、これは思い出したというべきかも(^^;

 

「〈人草〉の日々」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月28日(火)21時21分36秒
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   西秋生「〈人草〉の日々」(北西航路4号、78)を読みました。リアルタイムで読んだときの記憶に残っている印象は(印象しか覚えてないのですが)、なかなかよかった、秀作、というものでした。今回期待して読み返してみたのですが――意外にもだいぶ展開が散漫でした。これはまだ習作というべきでしょう。

 大阪SFシリーズは『プリンセス・トヨトミ』に着手の予定。

 

「やみなべの陰謀」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月27日(月)23時30分49秒
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   田中哲弥『やみなべの陰謀』(ハヤカワ文庫06、元版99)読了。

 カバーのあらすじ紹介に、「大阪府知事によるお笑いファシズム体制下、レジスタンス組織が決死の知事暗殺計画を遂行しようとしていた」とあって、おお、これは大阪SFではないのか、『あ・じゃ・ぱん』みたいな話かと読み始めたのですが、その予想は違っていました。ヴォネガットだった(^^;。

 ヴォネガットみたいな痙攣的な時間漂流SFで、 且つ時間テーマ特有の緻密な趣向が施されてあって、いやややこしいややこしい(笑)。タイムパラドックスは周到に避けられているのだと思いますが、一読ではよくわかりませんでした。

 とはいえ著者の本領(?)である吉本を彷彿させるベタな笑いは健在で、何回(十何回?)吹き出してしまったことでしょうか(^^;
  実際、著者の筆法は演劇的なんですね。私の脳内映像も、ときどき舞台での芝居風に見えていましたね。

 そういうベタな部分があるかと思えば、著者にはいまひとつ、実験小説的な、もしくは文体実験的な志向がある。これらの二要素は本来相反するものだと思うのです。ところが著者はかかる二要素を力業で交差させてしまう。それがハマったときはとんでもない破壊力があります(たまに外して空回りしている場面もあります)(^^;
 いや独特の作風で面白かった。

 余談ですが、この大阪独裁国、他所者から見た大阪人の悪いイメージをさらに強調していていいですねえ(>いいのか)(^^;。
 もちろん大阪人にも愛大阪精神は当然あります。
 たとえば神戸人の愛神戸精神の強さは全国都市中でも上位だと思うのですが、それはお洒落、上品、ハイカラといった方向に偏ります。要するにオスマシなんですね。神戸といえばヤクザでもあるのですが、そういうのは見て見ぬふりをする。
 一方大阪人はまぎゃくで、いかに大阪は汚くてケバケバしくて下品でセカセカしていて(全国一歩く速度が早い)オバハンは図々しくてひったくり発生件数日本一であるかを、本当に嬉しそうに滔々と並べたてます。そんな大阪人の趣味嗜好が私は大好きなんです。このように露悪趣味に傾くのは、むしろ大阪の文化が成熟しているが故だからではないかと私は密かに思っているのです。そういう意味では神戸は、まだ田舎なんですねえ(>おい)m(__)m

 

Re:ファン1号?

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 6月26日(日)17時41分13秒
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  三週間前ほどですか、「織り屋おりん」を読んだ人から、「話を聞きたい」とのことで、版元から連絡がありました。その人は、80歳で、ストーカーとか、関係なさそうだったので、「いいですよ」とお答えしました。
今日、やっと、連絡が来ました。やはり、「西陣」を舞台にした話に惹かれ、興味があったようです。その人は、西陣で長い間働いていて、西陣のことを書いたものが見当たらなくて、(多分)たまたま私の本に興味をもたれたようです。いろいろとお話をして、「実は続編を書きました」と申し上げますと、「出版されたら、教えて下さい」と言われました。
京、西陣の話は、確かになくて(いや、私が知らないだけかも分からない)狙って書いたものです。
その方は、西陣織とは直接関係ないお仕事を、長年やっておられて、親しみを感じられたのでしょう。で、ちょっと昔話などお話聞かせて頂いて、お話は終わりました。
こういうことは、初めてだったので、ちょっと驚きでした。
 

「彼女がエスパーだったころ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月26日(日)04時25分21秒
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   宮内悠介『彼女だエスパーだったころ』(講談社、16)読了。

 本書は、疑似科学を受容してしまう人間の性向について、6つのシチュエーションを設定して考察した連作短篇集です。著者の目配りは多岐にわたっていて非常に考えさせられるのですが、そのすべてについて反応するのは私の能力を超えています。そのなかで特に私がつよく感応させられたことについて記します。
 疑似科学、ニセ科学というものは(オカルト、超常現象も)、科学的思考の訓練を受けた者にとっては噴飯物であるのでしょう、たとえばと学会などはそれらをトンデモ説として科学的な立場から冷やかしたりからかったりしていますよね。(ツイッターをやりはじめて実感したのですが、科学者や理系の大学関係者のツイートにも、同様の冷笑的傾向があるようです。まあ論理的に当然ですね)。
 そしてその志向する態度は、実は私自身のなかにもあります。
 しかし同時に、彼らの言説に対して、ときとしてもやもやとした違和感、反感を感じてしまう面も私の中にあるのですね。その反感の理由をこれまで突き詰めて考えたことはなかったのですが、本書を読むことで整理され、すこしわかったような気がします。
 彼らは、なぜそのような疑似科学が、一定の支持を得ているのかを(これは社会的事実です)、相手の内面に入り込んで(筒井康隆流にいうなら「感情移入」)想像力を働かせてみようという機制が皆無なんですね。これはある意味、外側から客観的に観察する科学的方法論からして当然の態度なのかもしれません。「それは科学の範疇ではない」。
 けれどもそれでは、なぜ水に対してありがとうという人が一定数いるのか、了解できないと思うのです。結果、そういうのを信ずるのはバカである、という風になる。いやホンマですよ。
 余談ですが、ツイッターを見ていると、天気が悪くなり気圧が下がったので気分が悪くなったというツイートよく見かけます。ある科学者は、台風でも950ヘクトパスカルで一気圧より7%低いだけ。そんな僅かな差を感じ取れるというのか、と笑っていました(なるほど!と私は膝を打ちました)。でも最近、気圧と体感に関係有ることが科学的に証明され、それ以後は言われなくなりましたが(その点はさすが科学者)。
 お話し戻して、そういう疑似科学を信じる人にはその人なりの必然的な理由があるかもしれないのですね。本書でも「本人が幸せならば」「いやいや間違っているものは間違っている」という堂々巡りが繰り返されています。
 それは畢竟「依存」なのかもしれません。本書の各話も「依存」テーマといえなくもない。その依存の対象が非合理なものであるのが本書の各話です。
 私の考えですが、人間はそもそも不合理な生き物なのではないでしょうか。疑似科学、ニセ科学、民間療法、オカルト、丸山ワクチン、血液型、精神世界を信じる人達は、それぞれ止むに止まれぬ理由からはまっていくのです。そしてそれが精神的安定に繋がる場合もあるわけです(たとえば「薄ければ薄いほど」)。※もちろんそれを金儲けに利用される場合は別問題です。マイナスイオンを謳い文句にする電器会社も同類です。
 人間が不合理な生き物だとしたら、科学者も人間ですから、やはり不合理な生き物なんです。「百匹目の火神」の高村教授、「ムイシュキンの脳髄」の小宮山医師、「水神計画」の黒木所長たちは、それぞれ学識も良識もある科学的思考の持ち主ですが、ある瞬間、非合理な衝動にとらわれてしまいます。
 本書はそのような人間の非合理性に多義的な照明を当てた大変興味深い構成の小説集で、その構成はエンターテインメントのそれではなく、あきらかに純文学です。人間の非合理な衝動の考究は、専ら丸山健二によって担われていましたが、本書はSF的なアプローチからそれを行っているのが類例がなく独特で、とても面白かったです。


 

今日も今日とて

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月25日(土)23時38分42秒
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   あ、また負けたのか。
 うーん。今秋予定していた《超変格ミステリ特集号》は、ちょっと刊行ムリみたいですね(>おい)(^^;

 

Re: 第二次執筆革命

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月24日(金)21時01分48秒
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  > No.7134[元記事へ]

 相変わらず音声入力の話題です。ひとつ、極めて有利な点を発見しました。それは引用の場合です 。
 私は、他の人と比べれば引用が大変多いタイプだと思います。
 本を手元に置いてそれを見ながら打鍵するわけですが、 これが意外に面倒くさいのですね。本は引用すべきページを開いて固定しておかなければなりません。ところが両手は、キーボードを叩くのでふさがっています。
 ページは、ほっておけば勝手に閉じてしまいます。私は文鎮のようなもので押さえておくか、もしくはクリップなどを使って固定します。 これが意外に面倒です。頻繁に押さえが外れてしまってページが閉じてしまいます。さらに本がキーボードの手前にでんと鎮座していますので、キイも非常に打ちにくい。変な姿勢になるので、打ち間違いも増えてしまいます。
  ところが、口述することで両手が空きました。普通に両手で本を持って、引用部分を読み上げれば良くなった。 格段にラクになりました。
 今後、引用は、これまで以上に増えることになるかもしれませんなあ(^^;


 

Re: 第二次執筆革命

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月23日(木)22時14分50秒
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  > No.7132[元記事へ]

  うーむ。今日はタブレット端末で音声入力しようとあがいていました。しかしなかなかうまくいきませんなあ。
 最初、google ドキュメントアプリが正常にダウンロードできていないのじゃないかと思ったのですが、どうもそうではないようです。
 この google ドキュメントは、原稿用紙が自PC内にあるのではなく、インターネット上のどこかクラウドの場所に存在しているのです。 私の音声がマイクで拾われますと、それがインターネットでどこかクラウドの場所に飛ばされて、そこで書き込まれるわけです。
(原稿用紙がクラウドに存在するので、タブレットと pc で同じテキストを編集できるのですね)
 ですから電波の状態によって若干タイムラグが発生しているんだと思います。PCの能力があれば無視できる時差なのでしょうけど、私のタブレットの感度が(安物なので)おそらく悪いんじゃないでしょうか。
 で、 きちんと読み取られた音声データが、正確にすべて原稿用紙に届いてないんじゃないかなと推理しています。
 それ以外にも、私のタブレットは電話契約していないので、外での使用環境はフリー wi-fi のある場所でなければ使えないのです(そもそも読書用なので)。
 従ってタブレット自体、インターネットが使える場所は限定されるわけで、どこでもというわけにはいきません。使い勝手は悪そうです。しかも考えて見れば、衆人環視の環境(例えば喫茶店)で、タブレットに向ってぶつぶつと呟いているのも、他人からすればちょっと異様かもしれません。
 というわけでタブレットでの音声入力は 現状での使用は断念しました。

追記。ところで、音声の取り聞きは、たしかにすごい精度なんですが、やはり聞き取ってもらいにくい音があるようです。「う」とか「わ」が 音列の頭にくると、なかなか反応してくれません※。まあこれは、私の発音が悪いせいもあるのかもしれません。それとも音声認識もAI的に学習して、私の声質や口調のくせに特化していくのでしょうか。
※もっとも「私」は一発で出てきます。これは「わ」が認識できなかったとしても、あとにつづく「たくし」で、頭音が「わ」なのだろうと推測するんだと思います。ちなみに、「(わ)たし」と発声するより「(わ)たくし」と発声したほうが聞き取り率はよいようです。そういう意味ではAIが搭載されているといえるのかな。

 

いやまあ略

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月23日(木)17時13分43秒
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 すばらすいい! 世の中の進展は、私のケチな想像力など及びもつかないのでした(ーー;

 

Re: 第二次執筆革命

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月23日(木)04時43分38秒
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  > No.7131[元記事へ]

 少しだけと、うっかり横になったら本格的に眠ってしまい、またこんな時間に目が覚めてしまいました。

 さて、さっきの句読点の件ですが、調べてみました。どうやらandroid(windows?) の音声入力では不可能なようです。できるのは アップル系の Iosという種類ものだそうです。 (ここ、参照)
 となりますと、手入力を兼用するしかなさそうです。まあそれも慣れてしまえばそんなにストレスのかかるものではないと思われます。
 そういうわけで、この書き込みは、文章ではなく、短い文単位で発声し 、手入力でてんやまるを打っています。適宜変換ミスも訂正しながら。(音声で誤変換された単語をあとで正しく打鍵で変換しようとしてもできない。これは難儀です。やり方を知らないだけならいいのですが)

 こんな風に練習しているのですが、 音声では思ったように言葉が出てきませんね。
 従来の手打ちだったら、とりあえず文章を打ち始めたら、自動的に文章が出てきたものですが。 これも慣れなんでしょうか。

(打鍵による追記)最近、パソコンに長時間向って文章を打ち込んでいますと、右肩が耐えられないほど痛くなってくるんですね。肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)の類だと思うのですが、そういうこともあるので、音声変換ストレスなくできるようになりたいのですねえ。

 

Re: 第二次執筆革命

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月22日(水)20時59分46秒
返信・引用
  > No.7130[元記事へ]

 マイクを買ってきました。クリップで襟などに留めるタイプで730円でした。
 amazon ですと500円台であったんですが、最近 amazonは 送料を取るようになったんですね。そうしますと合計で900円台になってしまうのです。500いくらのものに300いくらの送料をとられるのはいかにも馬鹿らしいじゃないですか。900円出すのであったら、近所の電気店に行けばもっといいのが買えるのではないかと。それでヤマダ電機にいって、本品を購入しました。
 機能的にはこれで十分ですね。
 実際、今、口述でこの文章を書いているのですが、むしろ問題としては、私がまだ使い方がよくわかってなくて、オタオタしている面が強い。泥縄式の作業なので、すっとはいきません。
 昨日挙げた youtube では、「マル」といえば「句点」が出てきていましたけど、私がマルと言っても、ひらがなで「まる」と出てくるだけなんですねえ。
 どういう風に設定すれば音声「マル」が句点に変換されるのか、そういう習熟がこれから必要かと思われます。
 ここまで書いてきた文章に、句点読点やカッコを入れたり誤字を直したりして修正したものが、今みなさんの見ている文章であります(汗)


 

第二次執筆革命

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月21日(火)21時11分58秒
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   眼の調子は、ほぼ復旧しました。よかったよかった。
 しかし視力はかなり落ちているようです。最近タイプミスがむちゃくちゃ多くなっているんですが、それが原因でしょう。
 眼の調子が今よりよくなることはあり得ませんから、なんか対策を考えなければなりません。
 で、思った。

 音声入力を導入しようか。

 実はこれを読んで突然思い立ったのでした。
 リンク先のユーチューブを、直接こっちに載せておきましょう。

 

 私はPCで試してみました(タブレットにグーグルドキュメントをインストールしようとしたのですがうまくできなかったので)。
 PCの場合、マイクが必要なんですが、マイクを持ってないので、ある方からご好意で頂いたラジオドラマ「オムニバス消える」のCD(放送局で録音されたクリアーな音質のもの)から、米朝さんが朗読する小松左京作「日本漂流」の冒頭部分を、PCの音声入力に読み取らせてみました。
 下がその結果。

    ――――     ――――      ――――


(1)PCの音声認識→テキスト化
それは美しい国でした春には一斉に花は咲かおりそれがしたたるばかりの娘緑に変わると夏がやってくるやがて山野が紅に彩られると秋に女を舞う雪が冬の訪れをを告げる今四季の変化が美しいところはどこにもない男の人々は思ってました国の中央には万年雪をいただいた口座さながら天から降ってきたおおぎの如く2装備フリー飾りのように連なるですと静かに見下ろしていた経済の発展は文明の繁栄を支えそれを背景に政治的発言力も世界(聞き取らず) さらなる明日の生活を何の疑いもなく犯していましたそこはいわば学院でや20世紀における神話の国でありました

(2)私の聞き取り→タイプ
それは美しい国でした。春には一斉に花が咲きかおり、それがしたたるばかりの小緑に変わると夏がやってくる。やがて山野が紅に彩られると秋になり、?と舞う雪が、冬の訪れを告げる。こないにまあ四季の変化が美しいところはどこにもない、とその国の人々は思うてました。国の中央には万年雪をいただいた高山が 、さながら天から降ってきた扇のごとくに聳え、首飾りのようにつらなる列島をしずかに見下ろしていた。経済の発展は文明の繁栄を支え、それを背景に政治的発言力も、世界(の諸国家の中ではすでに侮りがたいものになってました。何の不安もなかったし美しい国の豊かな人々は、昨日に続く今日、今日に)連なる明日の生活を何の疑いもなく謳歌していました。そこはいわば、楽園であった。20世紀における神話の国でありました。

    ――――     ――――      ――――

 これだけ読み取ってくれるのだったら、十分実用に耐えるのではないでしょうか。あとからちょちょっと手直しすればいい。まあ米朝さんですから、PCも聞き取りやすかったとは思いますが。マイクからの入力ならもっと精度が上がるでしょう。ユーチューブのように。

 これはもう、ゆうてる間に、全作家志茂田景樹化してしまいますね(^^;
 1980年代に手書きからワープロタイプへの革命がありましたが、いままた第二の革命が訪れようとしているのかもしれません!
 明日、電気屋で安いマイク(500円位であるらしい)を買ってこようと思います(笑)


 

大坂SF

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月20日(月)22時12分35秒
返信・引用
 

 

野田新橋筋商店街

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月19日(日)16時24分1秒
返信・引用 編集済
  > No.7127[元記事へ]

 廃墟感は、私が子供の頃母親の買い物について行っていた野田新橋筋商店街も負けてませんよ。
 グーグルストリートビューから↓
 
 

 あ、ユーチューブがありました。
 

 おや、案外賑わってますね。映像から察するに、どうやら当日は百縁笑店街という商店街催事の日だったみたいですね。なるほどそれでか。
 それはそうと、動画の真ん中へん(5分10秒)に映る林書店、この本屋で、私は初めて自分の小遣いで本を買いました※。店名も変っていませんね。そこからもう少し行ったところ(5分40秒)のCD屋の場所が昔レコード楽器店で、そこははじめてレコードを買った店です※※。こんな名前ではなかったと思いますから、経営者が変ったのでしょうか、業態変更で店名も変えたのでしょうか。
※講談社世界の科学名作シリーズ全15巻を、毎月一冊ずつ買っていました。まだ持っています(^^;
※※テナーサックスを練習していたのでリードもよく購入していました。
 

タイムスリップ2007・中津商店街

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月19日(日)15時48分5秒
返信・引用
 

 

富岡多恵子は淀川南岸の西淀川区で生まれた

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月19日(日)03時29分29秒
返信・引用 編集済
  > No.6550[元記事へ]

 以前、富岡多恵子の生家が、筒井さんの文章を素直に読めば淀川の北岸(右岸)となり、「此花区伝法町」という百科事典の記述と矛盾することについて、いかにすればその矛盾を合理的に解消できるか、いろいろ考えたことがありました。ここ

 つい先日、富岡多恵子『冥土の家族』(講談社文庫版)を入手したのですが、付録の年譜に、「大阪市西淀川区(現・此花区)伝法町北1丁目27番地に(……)長女として生まれる」と書かれてありました。

 なに、伝法町が西淀川区? で、現・此花区ってどういうこっちゃ。
 調べてビックリ、かつて西淀川区は、新淀川の両岸に区域があったらしい(区役所は現福島区海老江にあった)! →ウィキペディア
 現在の区域になったのは1943年からなのだそうです。

 つまり、筒井さんが参照された資料には、生誕地が西淀川区伝法となっていたのでしょう。で、ご自身は西区北堀江なので、ついうっかり「伝法大橋をはさんで北と南」と思ってしまわれたのではないでしょうか。
 長年の(でもありませんが)疑問が解けてよかったよかった(^^;

 

「彼女がエスパーだったころ」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月18日(土)18時47分24秒
返信・引用
   というわけで、『彼女がエスパーだったころ』に着手。
 
 

 

ウィキペディア「百匹目の猿現象」について

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月17日(金)23時23分31秒
返信・引用
   
 .

 

眼の調子が

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月16日(木)00時29分58秒
返信・引用
   ここ最近、2、3週間前あたりから急に眼の調子が悪くなって、気持ち悪くて仕方ありません。
 さいしょの自覚症状は、まつ毛がかぶさってくる感じでした。抜けかけたまつ毛が眼球の前を遮断しているのかな、と、しきりにまつ毛を引っ張ったりしていたのでしたが、それは錯覚で、実際は飛蚊症のでかいのが、左目の外側の半球にどうやら発生したみたいなのです。
 常ではないのですが、状態が悪い時は、視点(黒目?)がその部分に触れると、映像がぐにゃりと歪む感じなんですねえ。
 それに気づいたのが6月5日(その日に眼の調子が悪いとツイートしているので確定できる)。
 これはあかんと、目薬を買ってきて、頻繁に点し始めたら(10日で容器の半分使いました。だいぶましになってきましたが、今日は調子が悪かった。
 まつ毛がかぶさっている感じの時から点眼を開始していれば、もっとましだったのかもと思うのですが、目薬を切らしていたのです。というのも、今年は花粉症が出なかったので、目薬は不要だったのでした。で、目薬を点すということを思いつかなかったのですねえ。
 面白いのは、点眼開始当初より今のほうが、頻繁に目がシバシバしてくるのです。これはおそらく目が点眼を要求しているのだと思います。最悪の状態の時はシバシバもしなかった。健常だったからではなく、訴える力もなくなっていたと見るべきでしょう。
 ましになったとはいえ、違和感は常にあるので、難儀です。メガネもあってないような気がします。

 

Re: 不審な書き込み

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月15日(水)18時29分43秒
返信・引用 編集済
  > No.7121[元記事へ]

 段野さん
 だから拡散したいんでしょう。でもただ載せるだけでは逆効果なんですよね。殆どの掲示板では即座に消されているはずです。管理人さえ見に来なくなっている掲示板にのみ残っているんですが、そんな掲示板はすでに閲覧者はおらず機能していないわけで、結局だれにも読まれることはないのですね。
 追記。出入り禁止にしちゃいましたので、もうお目を汚すことはないと思います。

 

Re:不審な書き込み

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 6月15日(水)09時58分48秒
返信・引用
  管理人様
夕べもまた、ありましたね。おっしゃるとおり、一々面倒なことをしているんでしょうか。何をしたいんでしょう。けったいですね。
 

「カメリ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月15日(水)02時34分51秒
返信・引用
   北野勇作『カメリ』(河出文庫、16)読了。

 (人為的?)災厄で形象(かたち)あるものはすべて一様に、泥化してしまった地球。
 そんな地球を見捨てて、人間はテレビの中へ去ってしまう。その世界を(泥でできた)ヒトデナシが、いつか帰ってくる人間のために、泥世界をもとの形象ある世界へ戻すために働いている。
 そのヒトデナシたちが仕事前と仕事帰りに必ず立ち寄るカフェ。そこで働くレプリカメのカメリが主人公です。

 この世界設定は『ヒトデの星』と共有しています。が、本篇は『ヒトデの星』ほど難解ではない。
 『ヒトデの星』では「私」とはなにか。自由意志とはなにか。といった哲学的な問いが重要なテーマでしたが、本篇のカメリは、あんまりそんなことを考えません(ただし時々考える)。この世界をあるがままに、というよりも積極的に好ましく受け入れている。
 その結果、カメリの視点で描かれるこの世界は、黄昏の色調を帯びた、一種懐かしい世界として読者にも受け入れられます。

 そのような世界として設定されているのは、ひとつにはこの世界が作者の内宇宙だからです。
 それは或る、一種永遠に似た小世界なのです。
 変化の兆しはありますが、それは退けられる。

 「カメリ、テレビに出る」で、テレビ局から帰ってきたカメリは、その間に何百年も時が過ぎて、カフェが廃墟になっているのを見ます。そこから新しい冒険の物語が始まってもいいのですが、結局玉手箱がオリジナルのそれとは逆に働いて、カメリは元の世界に戻ります。
 「カメリ、子守をする」のラストで、カメ型宇宙船に乗船した自分やアンや石頭マスターを見る。宇宙船は出発し星海に小さくなって消えてしまう。この船に乗った方のカメリの冒険を追いかけてもよかったのに、それを目撃したカメリがふと気づくと、自分はこの世界にいるのでした。
 「山があるから登る」も「海辺でバカンス」もしかり。

 このゆくたては何を意味しているのか。
 私はその(作家と作品の)ありように、バラードとヴァーミリオン・サンズの関係を想起せずにはいられませんでした。ヴァーミリオン・サンズの作中人物と同様、主人公カメリや、アンや石頭マスターたちもまた、永遠に変わらない世界で午睡の微睡みのなかで夢を見ているようです。
 本篇は北野版「ヴァーミリオン・サンズ」といってよい。
 『ヒトデの星』の鋭角さはない代わりに、ほのぼのと甘く湿った、なんとも懐しい世界が現出しています。勿論具体的に懐かしいのではなく、内的な懐しさです。
 ときたま、ヒトデナシたちの行動に対して、自主的なものなのか(私があるのか)、単なる模倣なのか、カメリは考えますが、深く突き詰めません。まあええやんかと思考停止しそのまま受け入れます(そっちを追求したのが『ヒトデの星』)。

 この短い文章に「受け入れる」という言葉を何回使ったことでしょうか。その角度から見れば、本書は大いなる受容の物語なんですね。
 主人公カメリの、なんと健気なことでしょう。読者はカメリの陰日向のない行為に心打たれるとともに、ほっとした気分で本書を読み終えるのではないでしょうか。
 たいへん面白かったです。

 

中相作氏電子出版に意欲

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月14日(火)22時03分1秒
返信・引用
 
    こちら

 

ううむ。動画がいまいち

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月14日(火)20時59分23秒
返信・引用
   
 .
 

Re: 不審な書き込み

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月14日(火)17時06分26秒
返信・引用 編集済
  > No.7115[元記事へ]

 段野さん
 マルチポストといっても、最近の掲示板はその対策でパスワードを手打ちしなければ書き込めなくなっているんですよね。
 つまりこの投稿者は、あちこちの掲示板に手打ちで投稿しているわけです。
 ご苦労様なことなのですが、だったら一行挨拶くらい書き込んだって大して手間がふえるわけではないのですけどね。
 そして、初めましてとか時候の挨拶が文頭にあったら、問答無用の削除もし難くなるんですよね。そうしたら拡散の目的にも合致するはずなんですが、まあそんなことをする連中は視野狭窄で挨拶なんて思いつきもしないのでしょう。結局たらずバカなんです。なりすましみたいな高度なネット技術は持っているのですけどねえ。

 

Re:不審な書き込み

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 6月14日(火)13時58分45秒
返信・引用
  管理人様
私も見ました。私のパソコンには、この掲示板に何かが書き込まれますと、案内メールが来ます。昨日でしたか、妙なのが書かれているな、と思って、掲示板を見ますと、管理人様が消去されたのだと思いますが、ありませんでした。
またも、案内メールが来ました。(案内メールの中身は見えます)妙なのがありました。
けったいですね。何なんでしょうか。
 

Re: お誉めいただき恐縮です

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月14日(火)12時16分5秒
返信・引用
  > No.7112[元記事へ]

 かんべさん

 下に引用した竹熊健太郎さんも時期尚早との見方ですね。竹熊さんは課金の問題を挙げていますが、かんべさんが仰言るように、砂浜から一粒の砂を拾い上げるシステムがより問題でしょうね。

https://www.youtube.com/watch?v=fMyS6E2VVTc
 \(^o^)/
 

不審な書き込み

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月14日(火)10時22分50秒
返信・引用
   昨日も書き込みされていて即消したのですが、最近おかしなマルチポストが(昨日を含めて3回)当掲示板に投稿されます。マルチポストなのはその文言で検索すればいくつも引っかかるのでわかります(たとえばここ
 こういうのはめったにないとはいえ、たまにあるので、見つけたらバッサリ削除するだけなのですが、今回気になったのは、投稿者のアドレスが、これまで定期的に閲覧に来られている方のアドレスだったからです。たぶんもう10年以上前から当掲示板に来られていると思います。
 その方が、とつぜんおかしな文面を続けて3回(同じ文章を)投稿されたことになるのです。

 ひょっとして乗っ取られているのでは?

 そう思ったので、あえてこの文を書き込んでいます。
 昨日21時過ぎ頃、当掲示板のこちらの記事に直接来てくださった方です。
 昨日は2回訪れてくれていて、2回めは23時半頃、こちらの記事に来ておられます。
 その同じホスト名とIPアドレスで、上にリンクしたのと同じ内容の投稿がなされているのです。

 お心当たりの方は、至急チェックされることをおすすめします。

 

お誉めいただき恐縮です

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2016年 6月14日(火)09時49分6秒
返信・引用
  ランダム案内、自分の勉強だと思って書きましたからね。
しかし電子出版も、かなり厳しいですね。とにかく、
公開されてる作品点数が多いから、早い話が、ジュンク堂本店の
全書籍の、そのまた何倍かがずらっと出てるようなもんだから、
何かよほどのきっかけとか、吸引力がないと、特定作品には
注意を向けてもらえんのでしょう。いやはや。

全然関係ないけど、バカバカしくておかしいという
下記URLの歌をどうぞ。こんなん、好っきや~!

https://www.youtube.com/watch?v=fMyS6E2VVTc
 

  > No.7109[元記事へ]

 堀さん

 私も最初、大野川緑陰道路が中津川の元川筋なのかな、と思っていたのですが、かんべさんがお書きのように、その 西 の野里住吉神社の横を流れていたようです。
 ところで、改めて「大坂ランダム案内」を読み、最近私が発見した(と勝手に思っていた)ことのほとんどに言及がなされていて、がっくり。連載中はかかさず読んでいたはずなのですが。
 このエッセイ(紀行文?)、とてもよいエッセイだと改めて思いました。電子書籍で出されたらどうでしょうか。もはや出版社頼みの時代ではないと思います。

 それにつけても、私はニワカですが、堀、かんべ両先生はもう十年以上~数十年、大坂の町を研究されているのですから、そろそろ本格的に大坂小説(大坂SF)に取り組んでいただきたいものです。
 神戸アンソロジーというのは数あるけれども、大坂アンソロジーは殆んどありません(というか私は寡聞にして知りません)。その昔大谷晃一さんが編んだアンソロジー以後では、有栖川さんの『大坂ラビリンス』くらいしか頭に浮かんできません。
 ここはひとつ、両先生に大坂小説アンソロジーの決定版をお願いしたいです。いま読み中の『カメリ』にも引っ張ってこれそうな話があると思います(^^;

 すいません。酔っ払っています。今日は例の、前の会社の上司連中の定例飲み会に久し振りで参加し、先ほど帰宅したところで、まだふらふらです。何を書いているのかわからなくなってきましたので、オチも何もないですが、これにて。失礼の段平にご容赦お願いいたしますm(__)m

 
 

Re: 古代豊崎は北に突き出した岬だった

 投稿者:堀 晃  投稿日:2016年 6月13日(月)21時44分10秒
返信・引用
  > No.7106[元記事へ]

旧中津川の蛇行、なるほど南北に大きくうねってたのですね。
阪神で姫島あたりを通過する時に、川筋みたいな細長い公園が見えます。
かんべさんが自転車で走っていて、大野川の跡と書かれてますね。
http://www.ne.jp/asahi/kanbe/musashi/osakakonohana.html
↑ここの下の方。
この大野川のもとは、中津川かその支流だったのかも。
このあたりは、時間はかかりますが、市バスなら50円で行けるエリアなので、そのうち探検することにします。
 

Re: 古代豊崎は北に突き出した岬だった

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月12日(日)19時55分17秒
返信・引用
  > No.7106[元記事へ]

 そういえば、先日の高校クラブの飲み会には、例の渡し船で通学していた男が出席していて、おそらく21世紀になってからは初めて会ったのですが、早速そのことを確認したら、たしかに渡し船がメインで、たまに環状線を利用していたとのことでした。実家に帰ってくるときはいつも、環状線から下を覗いて、ああ、ないなあ、と思うとのこと(^^;
 この男も当時はショートショートを書いたりしていた奴で、最近、酉島伝法という新鋭作家が出てきたというと、ついに郷土の作家が誕生したかと、大喜びしていました(^^;

 彼が利用していたのは下図の三丁目渡という渡船。平成一年に廃止されたようです。
       クリックで拡大
 

Re: 古代豊崎は北に突き出した岬だった

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月11日(土)16時10分23秒
返信・引用 編集済
  > No.7105[元記事へ]

 堀さん
 野里住吉神社※の東の道が中津川の川筋だったようで、それが南流して国道2号線の淀川大橋北詰と阪神高速三号線の淀川架橋南詰(阪神淀川駅)を結ぶ線で現在の新淀川を渡っていたようです。
 つまり酉島はもともとは中津川の右岸だったのです。それが、新淀川の工事で大部分が水没し、辛うじて南北の端っこが両岸に分かれて残存したんですね。飛び地でも何でもなかったのでした。
※それにしても西淀川区には、いたるところに(恵比寿神社とは別系統ですがやはり水神を祀る)住吉神社がありますね。水害に悩まされた地域だったからでしょうね)

>エッセル
 知りませんでした。『時の密室』読まねばの娘。

 多羅尾伴内7つの顔説、なるほど! そして「皆勤の徒」が、泥海に浮かぶ甲板上でのドロドログチャグチャな話なのは、水没した酉島の怨念なのではないか。あるいは水底に沈んだ酉島が見ている夢なのかもしれませんね(^^;。
    ↓クリックで拡大
 

Re: 古代豊崎は北に突き出した岬だった

 投稿者:堀 晃  投稿日:2016年 6月11日(土)07時53分29秒
返信・引用
  > No.7104[元記事へ]

なんだか「アースダイバー」になったような気分ですね。
西淀と此花を分断した新淀川工事のグランドデザンイを描いた「水利技術に長けた」ひとりがエッセル、画家エッシャーの親父ですね。これは芦辺拓さんが『時の密室』で書かれてます。
気になるのが西淀の「酉島」を開墾した多羅尾七郎右衛門という人物。多羅尾伴内の先祖なんでしょうか。
となると、此花にいる『皆勤の徒』の作者は七つの顔のひとつなのかも。
気になることが増えますねえ。
 

Re: 古代豊崎は北に突き出した岬だった

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月11日(土)03時04分45秒
返信・引用 編集済
  > No.7103[元記事へ]

 今日は高校のクラブの飲み会でした。11時前には帰宅していたのですが(最近は二次会とかやらなくなりました。年取ったということでしょうね)、さほど飲み過ぎたわけでもないのに、バタンキューで、こんな時間に目がさめてしまいました。

 で、昨日の続きです。
 恵比寿神社の祭神はヒルコ(水の神様)ですから、古代安曇族のような水人(アマ)族系の神社であり、ふつうは海辺に建てられています(西宮戎、今宮戎、堺の石津神社、野田恵比寿、尼崎戎)。
 ところが堀川戎は、見かけ、かなり内陸です。でも現・大阪市北区野崎町の南東隅にほぼ接しているんですね。つまり古代、野崎が岬だった頃は海岸だった時期があったのだと思われます。
 もっとも堀川神社自体は14世紀半ば(尊氏の時代)に現在地に遷座してきたそうです。
 しかし、もともとそれ以前から水人族が祀る戎神社がその地に存在していたんだと思います。その容器に、堀川戎の祭神が勧請されたと考えることが出来ます(少なくとも小説的には)(^^;

 姫島は、調べたら稗島と呼ばれていて、阪神稗島駅が大正14年に姫島と改称された事実が浮かび上がりました。早速古代を近代の地名で解釈してしまったかと慌てたのですが、もともとは、媛島・日女島・比売島と古代の文献にはあるそうで、それがいつの間にか稗島になってしまっていたのを戻したみたいです。ほっ。
 この姫島の貴字→卑字化の反対が福島で、もともとは餓鬼島だったのを、菅原道真が九州へ流される途中に立ち寄った際(おそらく天満宮の直後)、餓鬼島の字を憎み富貴島と改めさせたのが、いつのまにか福島に転化したらしい。これは私が小6のとき、郷土研究で調査したので確かです(^^;

 歌島も一種の貴字化で、もとは加島だったのが歌島となり、か→うたに転化したようです。
 歌島の北には現在も加島がありますから、もともとは南北に長い加島という島だったのではないでしょうか。この加島にたぶん神崎(加の埼)という岬があり、その対面の陸地に尼崎という岬があったのかもしれません。尼崎なんてモロ水人(アマ)族の岬という意味です(妄想はどんどん拡がります)。
 そういえばかつて西淀川には酉島という地名があったそうで(現在は廃止)、古代加島の南西に酉島という小さな島(洲?)があったのかも。そうしますと、現在此花区にある酉島との関係が気になってきます。飛び地だったのでしょうか。
 じつは伝法大橋北詰から500メートルのところに福という地名が現存しているんですが、「旧村名であるが、地名の由来は不詳である」とこちらにあります。これは福島の飛び地だったのかな。

 さて、再び東に戻ります。中島には中島城が、戦国時代の16世紀初頭には既に存在していたようです。この中島城は堀城という別称もあり、どっちの名称でも水辺(現新淀川・もと中津川北岸)の城だったことがわかります(ウィキペディア)。
 もしかしたらもともとこの地には堀氏という水利技術に長けた豪族がいたのかもしれませんね※。それと播州龍野の名族堀氏との関係はわかりませんが、もし傍流なのだったら、500年の時を越えた不思議な因縁を感じずにはいられませんねえ(^^ゞ
 ※堀川戎のもととなった堀川(運河)の開削は16世紀末となっていますが、上記のように堀川戎の勧請は14世紀半ばですから、もしその時点から堀川戎という神社名だったのなら、実際は14世紀半ばに(プレ)堀川という運河が存在していたことになります(遷座した時点では既に海岸ではなかったということでもありますね)。
 もしそうなら、そのプレ堀川の開削には、中島の堀氏が関与した可能性が浮かび上がってきます。だから堀川という名前になったのではないでしょうか。


 

古代豊崎は北に突き出した岬だった

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 9日(木)23時54分21秒
返信・引用 編集済
   地図を眺めていて気づいたのですが、ウメキタ地区って、「崎」のつく地名が目立ちますよね。
 淀川の南岸(左岸)から、

        豊崎
      (中津)
      中崎 黒崎
     曽根崎   野崎
     (北 浜)
         大阪城

 上町台地は大阪城の北、大川南岸で切れ落ちます。
 古代、上町台地は海に突き出したプチ半島だったのですね。

 しかし中世、近世と時代を下るに従って、上町半島の東西北の三方が陸化していきます。
 完全に陸化するのは江戸時代でしょう。
 古代から江戸時代までの間、すこしずつ陸化していくのですが、下の地図のように、大川を挟んで上町半島の対面(の西側)に、すこし標高が高い部分があるのです。
 
 この部分はかなり早期に陸化したはずです。
 これが、おそらく上町半島の飛び地みたいに海に突き出していた。その北端が豊崎という岬だったのです。
 そして西に中崎という岬(出っ張り)があった。
 中崎と豊崎の2つの出っ張りに挟まれた湾が港になり、中津と呼ばれた。
中崎辺は東西に狭く、東岸の岬である黒崎とは背中合わせな感じだった。
 その南には曽根崎があり、この辺りまで来ると、東西に陸地がひろがっており、東岸に野崎があった。そして大川を挟んで上町半島に接続していた。
 もちろん大川はなく狭い水道だったのですが、現在の大川(の南流部分)よりもずっと西側に(野崎辺まで)海もしくは河内湖は食い込んでいたのではないでしょうか。
 ただ地名を扱うのは慎重でなければなりません。その地名がいつの時代から使われていたか確認しなければ、とんでもないミスをしてしまう可能性があるのですね。それが明治になってから付けられた地名の可能性もあるわけです。それをもって古代を云々していたらバカですよね。なのでこれは思いつきにすぎないことをお断りしておきます(>おい)(^^;
 ついでに言えば、豊崎と淀川を挟んだ対岸は南方ですが、これはもともと「南潟」だった。これは古田武彦さんの説です。つまり中島という島があり、その南岸が潟湖状態だったということ。中島の東に柴島、西は歌島、姫島。その南は福島、四貫島だったわけです。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 9日(木)01時48分44秒
返信・引用 編集済
   
 対岸の神戸市(須磨方面?)。雲が山より低く垂れ込めていました。

 

「カメリ」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 8日(水)21時55分35秒
返信・引用 編集済
   北野勇作『カメリ』に着手。90頁まで。
 ああこれは好いですね。『ヒトデの星』みたいに難解ではないのですっと読み進められます。
 人間がすべてテレビの中へ去ってしまった地球。ヒトデナシたちが、いつか帰ってくる人間のために、世界を修復する作業に従事しています。(この設定、『都市』を想起させられますね)
 カメ型ロボット・レプリカメのカメリは、ヌートリア型ロボット・ヌートリアンのアンとともに、シリコン頭に膨大な過去の記憶を保持している石頭がマスターのカフェで働いています。
 この世界、なんとなくフランスっぽいのです。カメリは螺旋街のはずれの古いアパルトマンに住んでおり、地下水路の決まった経路をメトロと呼ばれる足の生えたオタマジャクシが一定速度で巡回しており、それに乗って移動できます。ヒトデナシたちはエスカルゴが大好き。乱獲で数が減ってしまい、今や調査目的で年数匹許可されるだけ。少し前に洪水があって、まだ完全には復旧していません(パリが今まさに洪水の真っ只中)。大川に掛かっていた橋も流されてしまったのですが、第4話でようやく新しい橋が掛けられた。橋の名前がポン・ヌフ。シュル・ポン・ダビニョンのポンですね(^^; おかげでカメリは大川を泳がなくても中之島の図書館に行けるようになって大助かり。橋桁はヒトバシラならぬヒトデナシバシラ(カフェの常連だった)で出来ているので、カメリは感謝を込めて橋をわたるときはいつもカフェで出している泥饅頭を流れに落としてあげるのです……
 いや本当に魅力的な世界ではないですか。
 ところで中之島、実は宇宙に飛んでいける巨大な船なのだそうです。霧に沈む戦艦未来の城かよ(^^;

 

西秋生の乱歩評論を発掘

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 8日(水)02時01分26秒
返信・引用 編集済
   探しものをしていたら、西秋生の乱歩評論が出てきました(妹尾俊之名義)。
 1995年12月《風のたより 特別版》として発行されたもの。約50枚あります。※《風のたより》は、《同人誌・風の翼の》会報。

 
 

 追記。西秋生リストに追加しました。
 →https://files.acrobat.com/a/preview/1ffa120e-b611-4684-b89b-fa68fc30f97a

 

『死美女の誘惑』読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 8日(水)00時02分44秒
返信・引用 編集済
  > No.7093[元記事へ]

 「狐美女の決意」では《水狐》の仕業と思われた殺人が、「飛美女の執念」では《精衛》(山海経に現れる妖鳥)の仕業と思われた殺人が、結局人間の所業であったことを、佳人(兄?)があばきます。
 後者は白影が操っていたような大凧(墨子が考案し公輸搬が作成した《木鷹》を真似たものとなっていますが)をつかった物理トリックなんですが、牛が空中に持ち上がったりとかいくらなんでも無理すぎました(汗)

 しかし最終話第5話「蛇美女の嫁入り」はなかなかの秀作。これもまた蛇女化する過程が、とてもあり得ないのですが、なぜかこれは許容できるんですねえ。
 怪談として良く出来ていて、そんな疑問を思いつく暇を読者に与えないということもありますが、どうやら私自身の趣味として、物理トリックには点が辛いということが大きいかも(^^;。「夢美女の呼び声」と甲乙つけがたい本集中の二大傑作でした。

 ということで、丸山天寿『死美女の誘惑 蓮飯店あやかし事件簿』(講談社ノベルス、13)読了。

 本書は無心たち徐福塾の面々が打ち揃って咸陽出張中の琅邪で発生した怪事件を、ふらりと琅邪にやってきた佳人(兄?)がホームズ役となって(ワトソン役は蓮)解決する短篇集という体裁でした。佳人(兄?)は、蛇美女事件を解決したあと、またふらりとどこかに消えてしまうのですが、驚天動地の展開が待っていました。なんと琅邪山中の墓地(墓室――古代中国では木郭墓)に葬られたはずの佳人(オリジナル)の死体が、いつのまにか消失していたのです。ひょっとして佳人(兄?)とは……!?
 そうなりますと、第1話で私が不成立とした根拠が消えてしまい、成立しちゃうのか???……(汗)

 という次第で、続刊が待たれるのですが、実は本書上梓後、著者は(ウィキペディアによりますと)「体調不良により2013年から休業中」とのこと。早くよくなって復帰されることを願って已みません。

 

Re: 「瞳の中」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 7日(火)18時24分57秒
返信・引用 編集済
  > No.7096[元記事へ]

岡本さん

>実際体験をしたのかというと、ちょっと違います
 や、そうでしたか。失礼しました。
 それはそうと、岡本作品には昔から「ドッペルゲンガー」ものが少なからずあって、近作では「魔天楼2.0」とか「群衆」がその範疇だと思っています。実は本篇もそうなんじゃないでしょうか。
 ただそういうテーマにこだわる(あるいはそういうパターンに自然に流れてしまう)作者の内面の志向性は、今のところ私にはまだ「謎」なんです。
 ところで私にもその傾向(慣性)があって、自分自身その意味を摑めていないんですね。岡本SFを読むことで翻って私自身の無意識がわかってくるんじゃないかと、そんな期待もしているのです(^^;


 

Re: ファン1号?

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 7日(火)18時23分53秒
返信・引用
  > No.7095[元記事へ]

段野さん

>ファン1号?
 おお、それはうれしいですね(^^)
 でも、そういう積極的なファンは、反面、主人公と作家を同一視したり思い込みが強かったりするかもしれませんね。
 先般も地下アイドル(ってんですか?)がストーカーに刺殺された記事が出ていましたけど、相手がよく分かるまでは版元を介在させておいたほうがいいかも。

 

Re: 「瞳の中」を読んだ

 投稿者:岡本俊弥  投稿日:2016年 6月 7日(火)13時23分9秒
返信・引用
  > No.7094[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

>
>  ここからは妄想ですが、(本篇から推測するに仕事の大半を成功させてきた)順風満帆だった著者の会社員人生で、たった三度(あ、二度か)、いまだに悔いの残る決断をしてしまった苦い経験が忘れがたいのでしょう。それを小説化という一般化で昇華しようとしたのが本篇ではないでしょうか。私ファンタジーという所以です(>ホンマか)m(__)m
>

いつもご講評ありがとうございます。ただ、私ファンタジーという見方は正しいのですが、実際体験をしたのかというと、ちょっと違います。私自身、さほど責任ある立場ではありませんでしたからね。そういう空想も含めての、私ファンタジーなのです。
 

ファン1号?

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年 6月 7日(火)10時05分34秒
返信・引用
  以前に、「織り屋おりん」という本を出しました。それを読んだ方から、版元に、「話がしたいので、連絡先を教えて欲しい」との申し出があったそうです。
坪井さんからは「続編が読みたい」とおっしゃっておられたのは知っていましたが、全くの知らない人からの連絡です。ファンでしょうか。気になるところです。(お話してもいいですよ、とお答えしましたが)
 

「瞳の中」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 7日(火)00時16分36秒
返信・引用
   岡本俊弥さんの10作目「瞳の中」がアップされていたので、読んでみました。こちら
 最近の岡本作品は、自己の体験を根底に据えた「私ファンタジー」化が顕著ですよね(昔は「個人的な体験」ならぬ「一般的な体験」を表現していたと思います)。本篇もその例に漏れません。

 主人公「わたし」は、ある権限を与えられて、海外へ新しい事業の交渉に向かう。それは非常に微妙な交渉事項で、こちらに情報が不足していたり時間的猶予が限られていたりする、ある意味不均衡なマイナスから出発するもので、主人公はそのことに葛藤があるのです。
 そんな主人公が、往路の飛行機で謎の美女と隣り合わせになる。彼女はなぜか主人公の立場に精通しており、アドバイスめいた情報を与えてくれる。しかしそれを(交渉の不均衡性ゆえ)主人公は交渉に生かせない。結果その事業は失敗に終わる。
 10年経過し、主人公はより大きな権限を与えられ(そういう地位についたということ)同様の交渉に赴く。ふたたび美女が現れるも、またもやそれを生かせず、新事業は失敗する。
 さらに10年が経過し、主人公は経営責任者となっている。今回は中国のグローバル企業に会社そのものを身売りする交渉。どこまで売ってしまうのか。みたび美女が現れ……

 本篇のテーマは「決断」でしょう。美女は主人公の中にある冷厳な事実認識を反映しており、一方、主人公自身の判断は(意識的にはどうであれ)「希望的観測」なのです。
 三度目にようやく、主人公は冷厳な客観的な判断を受け入れるのですね。

 ここからは妄想ですが、(本篇から推測するに仕事の大半を成功させてきた)順風満帆だった著者の会社員人生で、たった三度(あ、二度か)、いまだに悔いの残る決断をしてしまった苦い経験が忘れがたいのでしょう。それを小説化という一般化で昇華しようとしたのが本篇ではないでしょうか。私ファンタジーという所以です(>ホンマか)m(__)m

 

『死美女の誘惑』読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 6日(月)22時01分10秒
返信・引用 編集済
  > No.7092[元記事へ]

 第2話「夢美女の呼び声」を読みました。これは面白い。
 所用で儒者の笠遠が、蓮の経営する呑み屋兼曖昧宿を訪れる。と、飲んでいた船大工の夏がとつぜん笠遠に打ちかかる「この人殺しめ」と。
 慌てて引き離し仔細を尋ねたところ、一目惚れした娘を、笠遠が殺したというのです。「それはどこでだ」「夢の中で」。オイオイ(汗)
 ところが誰もそれをさほど不思議がらない。
 徐福塾新入りで、夢の中に入って心の病を治療する技を使う嬌娜が、それでは夢の中に入って、調べてみましょう、ということになり……
「蓮は呆然とした。ここはすでに夢の中なのか、どこが現実との境目だったのか」
 と、とんでもない話になっていきます(^^;
 夢の出来事を現実と同一視して調べようと言い出す出だしからありえないですが、独特のユーモラスな文体※が効いて、全然違和感がありません(舞台が古代琅邪ということも相俟って)。
 ※儒者笠遠の応答など、いかにも「儒者らしくトンチンカン」で絶妙(笑)
 本篇はメフィスト掲載ですが、むしろSFマガジンに載っていそうな話です。荒熊雪之丞シリーズやテレワークシリーズなんかと一緒にユーモアSF特集に掲載されていても不思議ではありません。というかそれを見たい(^^;
 といっても、最後は結局現実の事件になってしまうので、SFファン的には消化不良かも(笑)。
 私もSFファンの端くれなので、夏が夢美女の呼び声に感応して夢を見るのはぜんぜん許容できるのですが、それが最終的にミステリになってしまうと、浮いているように感じてしまうんですよね。もっと大法螺話にしてほしかったかも。
 でも十分に面白かったです(^^;

 

『死美女の誘惑』に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 6日(月)02時23分18秒
返信・引用 編集済
  > No.7091[元記事へ]

 シリーズ第5巻『死美女の誘惑』に着手。
 今回は短篇集。舞台は琅邪。時系列的には第3巻で徐福たちが咸陽に行っている丁度その頃、琅邪で留守部隊が遭遇した事件のようです。
 ということで、第1話「死美女の誘惑」を読みました。スタイルも、別系統というべき第4巻から元の脱力系(笑)に戻っています。一種の時代小説的な文体ですね。
 本篇の探偵役は佳人です。
 えっ、佳人は第1話で死んだのでは?
 そうでした。いや実は佳人の兄(自称)なんです。容貌も性格も瓜二つ。房中術を研鑽しているのも同じ。
 その兄がなぜ佳人を名乗るのか。本人がそう呼んでくれというのです。余計ややこしいやん(実際後述するように作者自身が混同しちゃってます)(^^;
 その佳人が、(どうやら徐福塾に寄食するつもりで)琅邪めざして歩いていると、ひとりの下女が近づいてきて、ぜひわが女主人に会って頂きたいと、声をかけられる。誘われるままに馬車に乗り、目隠しをされて着いた部屋で、美女と一夜を共にします。朝、目覚めてびっくり。そこは墓地だったのです。ひょっとして自分は鬼(≠日本のオニ)に誑されたのか!?

 うーん。これって拙作「冬への扉」と同じシチュエーションではないですか(>おい)(^^;
 いやまあ、中国の怪談によくあるパターンで、私もそれを狙ったわけでして、さらさらオリジナリティを主張する気はありません。作者も一種のオマージュでこの設定を用いているんでしょう。
 もとより本篇はミステリーですから、最後に鬼の仕業ではなかったことが明らかになります。

 さて、目覚めた佳人、懐に何か入れられていることに気づく。そしてそれは、その頃琅邪じゅうを震撼させていた妊婦連続殺人事件の重要な手がかりだったのです……
 例によってゆるい推理が展開されるストーリーで、まあ面白かったのですが、上述のように、作者自身がうっかり佳人と兄を混同しており、それは58頁で、「そもそもの始まりは、呂家の当主の病からでしょう。二年前跡継ぎの件で、あの母親が相談に来られたときには」(云々)という事実は、当然それを喋っている佳人ではなく、死んだ弟の経験でなければなりません。それを話者の佳人が知っているのは辻褄が合わない。しかし本事件解明にはその事実が不可欠ですから、厳密に言えば本篇は成立していません。
 でも、読んでいる間は面白いんですねえ。
 結局、第4巻のような純然たる伝奇小説よりも、こういうキャラの立ったゆるい推理モノのほうが人気が出るのかもしれませんなあ。

 

「邯鄲の誓」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 5日(日)02時06分33秒
返信・引用
  > No.7086[元記事へ]

 丸山天寿『邯鄲の誓 始皇帝と戦った者たち(講談社、12)読了。

 シリーズ第4巻ですが、シリーズとは別系の物語とみなすべきかも。本篇に至って、ついにミステリ色は完全に消えました。ミステリの、ストーリーを後ろから前へ遡っていく契機はなくなり、ひたすら単純に前から後ろへ前進していく推進力だけで、本書は作られています。要するに《物語》ということです。

 本篇は三部構成で、第一部は韓の宰相家に生を享けた張順(これまでシリーズでは狂生と呼ばれていた人物)の物語。
 張順には胸に瑞兆――龍の痣――があるのですが、兄の張良(シリーズでは無心)によって落城寸前の韓の都から趙都・邯鄲へ落ちのびさせられる。その際2つのことを命じる。韓滅亡後はひとりで秦王を斃すようにと。そして、そのために戦うとき背中を任せられる人物を見付けるようにと。
 趙の王進の道場で荊軻を知り、彼こそ背中を任せられる人物と確信するが、荊軻は燕の都・薊へ出発する。

 第2部は匈奴の娘で瑞兆を身体に持つ桃が、父親の率いる部族を秦軍に壊滅させられたあと、数奇な運命に引き寄せられるように咸陽、邯鄲、燕都・薊と流されていき、薊で荊軻と運命の出逢いをする。
 荊軻は燕王子の秦王殺害の要請で、刺客となり咸陽へ出発する(この辺の経緯は史記刺客列伝の記述を踏襲しているようです。荊軻伝の南方の友人が張順ですが、副使は武季に変えられています)。
 荊軻は桃に、自分の出立後張順が到着するだろう。もしその時自分が失敗していたら張順と共に秦王を討つようにと言い残す。

 第3部はようやく張順が到着し、桃と二人で荊軻の後を追う。咸陽に到着するも、すでに荊軻は失敗していた。そこでふたりは互いに相手の瑞兆を見る。二人が抱き合ったとき、龍の口が黒い太陽を飲み込む図となった。ここに至って張順は、桃こそが背中を任せられる者だったこと、桃は運命の相方が順だったことを知る。

 と、この辺から水滸伝とか八犬伝めいてき、ラストではすべてが中原の民の発祥の地である邯鄲の山の地母神(?)と関係づけられる(順が遅刻したのもその意志だった)驚愕の展開となります。
 いやー面白かった。
 しかしこうなると、第一話、第二話は、上に別系と書きましたが、むしろ骨太の大河伝奇物語の1エピソードにすぎなかった、という感じですねえ。

 物語はいまだ始まったばかりなのです。


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 4日(土)23時04分53秒
返信・引用
 

 東京漫才では一番好きなコンビでしたねえ。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 4日(土)23時01分20秒
返信・引用
   筒井康隆トークショーレポートその1、その2(筒井康隆氏についての…)


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 3日(金)00時19分19秒
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   元ツイート

 

「邯鄲の誓」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 3日(金)00時07分21秒
返信・引用
  > No.7085[元記事へ]

 シリーズ第4巻『邯鄲の誓』に着手。この巻だけハードカバー。なんか意味があるのだろうか。
 ほんの冒頭を読んだだけですが、本書、どうやらシリーズ前日譚みたいですね。無心・狂生兄弟の、出生から徐福塾へ合流するまでが描かれているのではないでしょうか。
 無心、実は劉邦の軍師の張良だったのですね。そういえば第一巻で始皇帝の馬車にテロを仕掛けるエピソードがさりげなく出ていましたが、知識不足で気づかず。子供の頃、史記物語みたいなのを読んだきりなので気づくのは無理でした。しかしこれも縁ですから、『項羽と劉邦』あたり読んでみましょうかねえ。
 文体が前作迄と打って変って重々しい。まるで歴史小説みたい(>おい)(^^;。いやそれはそれで嫌いじゃないのですが、前作迄が、のほほんとした、そして平気で「徐福仙薬研究所」なんて命名する大人的超歴史文体だったので、唐突感あり。ミステリから歴史小説へ移行させようとの目論見かな。あ、だからハードカバーなのか。
 想像するに著者は、もともと歴史小説的なものに興味があったのだと思います。ところがデビュー作はメフィスト賞応募作品なので、ミステリ風味を加味したのでしょう。でもシリーズ化され何作も書くうちに、本来の歴史小説的な筆法に戻りたくなった(^^;
 いや単なる私のカンです。なんの根拠もありません(笑)

 追記。歴史小説と云っても、先日宇月原の名を挙げたように、司馬遼的な史実重視の作風ではありません。ウィキペディアを見ると、張良の弟(本書では張順)は、始皇帝襲撃以前に亡くなっているみたいですから。


 

「咸陽の闇」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月 1日(水)22時29分42秒
返信・引用 編集済
  > No.7084[元記事へ]

 丸山天寿『咸陽の闇』(講談社ノベルズ、11)読了。

 うむ。やはり最後は(私の期待したとおり)いわゆるミステリの範疇を越えてしまいました。本篇は(半村良流の)伝奇ミステリとして成立しているといって差し支えありません。
 統一するまでは、良くも悪くも信長のような合理主義君主だった始皇帝が、なぜ不老不死などを求めるようになったのか、それが明らかになります。すなわち「天帝少女」の実在です。
 このアイデアは秀逸。なるほど、と膝を打ちました。
 とはいえ本篇で提出された謎は、すべて「天帝少女」の実在によって惹起させられたのですから、これをミステリ――すなわち読者が作者に対抗して推理で真相に到着することを競うことは原理的に不可能。
 ですから本篇の面白さは、純粋に物語(もの騙り)の面白さにほかならない。
 したがって、例によって無心が、提出された謎を一つ一つ解き明かすのですが、むしろそれがかったるい。どうでもいいやん、とすら思えてきます。
 たとえば里の老人たち(実は秦が趙を破った長平の戦いの生き残り)が、兵馬俑のある驪山(始皇帝の生前墓ですが、本篇によれば実は!?)で蒙恬将軍と戦う場面。驪山の建設現場に侵入するため丸坊主になる(工事をする奴隷に化けるため)のですが、戦うときにはふさふさと白髪なんです。丸坊主のままでは、秦軍に由緒ある趙兵であることを認識されないので、剃った自毛で鬘を作ってそれを被っているというんですが「あ、そう」としか(^^; 大体鬘を被って肉弾戦を戦えるもんでしょうか。ずれるのが気になって隙ができてしまいそうです(^^;
 でもそういう風に、すべて説明しなければ気がすまないという筆法は好感が持てます。先日読んだ『緑衣のメトセラ』も不老不死がテーマなんですが、感想で書いたように、一番大事なそこの説明を飛ばしているんですね。これは手抜きです。
 私はバカとアホを区別して、足りないのがバカ、過剰なのがアホと定義しているんですが、まさに本篇はアホで『緑衣……』はバカといえるでしょう。鶏頭を割くに牛刀を持ってするアホな愚行は、読んでいて共感できるんですよねえ。過ぎたるは及ばざるより嘉し(>おい)
 などと余計なことを書いている私がいちばんアホなんですけどね。失礼しましたm(__)m

 



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