ヘリコニア過去ログ1607


    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月31日(日)22時34分24秒
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 この画像を見つけた時、何か気にかかるものがあってRTしておいたのですが、だんだんとこれ、見たことが実際にあるような気がしてきました。
 小学校低学年か、もしかしたら小学校入学以前に、実家(生家)の前の道を通っていたという映像がうっすらと浮かんで来たのです。
 ですからその記憶が、もしねつ造でなく事実だとしても、今から 50年以上前の話ということになります。
 私が見た(ことがあると思い出した)のは、単に竹製品の行商人だったのかもわかりませんが(現在でも当地には竹製品を製造販売しているらしい小売店があります)、その時点からさらに 60年ほど前である1901年のこの写真の人物は、ひょっとしたらまさに「山の民」の一員だったのではないか。などと想像してしまうのですねえ (^^;

 

「なにわの源蔵事件帳2 新春初手柄」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月30日(土)01時21分29秒
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 最終話「不知火の化粧まわし」を読みました。

 当時大相撲は東京と大阪で分かれていて、人気も実力も東京の方が上だった。で、実力も野心もある大阪の力士の中には、大阪相撲のレベルに飽き足らなくなって、東京へ出ていくものがあった。ところが、大阪相撲出身者は出世等で差別されることもあったようです。
 これなど、現在の大相撲でモンゴル出身力士がいろいろ難癖をつけられたり、一方日本人力士の稀勢の里がどんどん基準を甘くされている(ところがその基準すらクリアできない)現状とどこかよく似ていますね。

 そんな差別をものともせず東京相撲で横綱を張った不知火が、引退後大阪に戻り、湊部屋の頭取※に収まっている。しかし病床で、1か月はもっても 2か月は難しいと言われている。そんな折、不知火の化粧まわしが盗まれ、早速源蔵に捜査の依頼がかかる。
 年が明けて明治12年の寒い日の朝のことでした。
 病状が病状だけに、源蔵親方も早く解決せねばと心焦ります。
※大阪では頭取ですが、東京では親方と呼んでいたとのこと。現在の相撲部屋も親方と呼びますが、してみますとこれは、今の大相撲が当時の東京相撲の系譜だからなんでしょうね(そういえば源蔵は親方と呼ばれていますが、江戸では親分ですね)。

 さて、盗人たちは湊部屋に忍び込むにあたり、鴨居を無理やり押し上げて雨戸を外しているのですが、よほどの力持ちが数人がかりでやらなければとても無理なのは一目瞭然だった。ところが足場が悪くて何人もの者が立てるような場所ではないのです。この謎を、現場を検分した源蔵親方はひと目で見破る。それは霜柱を利用したトリックだったのでした。
 このトリック、私は膝を打ちましたが、著者のオリジナルのものなのかどうか、残念ながら、それを判断する知識を持ち合わせていません。オリジナルのアイデアったのなら、本格ミステリーとして十分通用する物理トリックでしょう。このトリックの解明から足がついて、犯人は捕まり、動機も明らかになります。
 何年か前、グループサウンズのヴィレッジシンガースのボーカルの贋者が、長野県だったかに現れて話題になりましたが、情報の発達していない当時は、そんな連中が地方には多くいたのかもしれませんね。そして村人たちも半分贋者だとわかって、娯楽として楽しんでいたのではないでしょうか。

 ということで、有明夏夫『なにわの源蔵事件帳2 新春初手柄』(小学館文庫08、各話初出「野生時代」79~80)読了。
 明治10年頃の浪花の風俗、知識がかなり正確につめ込まれていて、興味深く楽しめました。

 

源蔵親方神戸へ出張る

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月29日(金)02時11分3秒
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  > No.7191[元記事へ]

 第4話「灯台の光」を読みました。
 今回は、海坊主親方神戸へ出張る、の巻です。
 紅染並紅白粉製造商組合の出納監事を勤めていた男が、組合の掛け金六百余円を横領して姿をくらます。のちにこの男、有毒顔料を無害と偽って菓子屋や餅屋に卸していたことが、被害者が続出したことで発覚する。
 その男が神戸に潜んでいるとの情報があり、源蔵親方の出番となります。
 なぜ源蔵親方なのか ?
 当時神戸の、特に開港場は、アメリカの西部開拓地みたいな世界で、ならず者がうようよしていたみたいですね (^^;
「うむ、アコはガラが悪いよってに、素人にはちょっと無理やろなあ」と親方。
 くだんの男は、おそらく開港場の仲仕寄場にでも潜り込んでいるのだろうとあたりをつける。
「お尋ね者が潜り込むには、もってこいの場所だからである。ことに神戸は新開地であるだけに、粗暴専横の気風が強く、頭分にもいい加減な奴が多いと聞いている」
 本書によれば、当時、梅田のステンショから神戸方面へは 1時間半に一本の割で陸蒸気が出ており、神戸までおよそ1時間足らずだった。調べると大阪駅は1874年(明治7年)に大阪駅 - 神戸駅間の鉄道開業と共に開業したとあり、本篇の時代は明治11年ですから、開業から 4年しかたっていないわけで、建物も新しかったことでしょう。
 
(当時の駅舎はゴシック風の赤煉瓦造り2階建てで、現在地より西の大阪中央郵便局付近に当たる場所にあり、周辺は民家がわずかにあるだけで田圃が広がっていた。ウィキペディアより)

 さて源蔵親方は、海岸通の宿屋に宿泊します。南向きの、オーシャンビューが素晴らしい部屋で、
「窓一杯に青磁色の海が拡がり、その中で黒い煙を吐きつつ往来する蒸気船の群れは、流石に雄大な力に溢れていて、堂島川や土佐堀川で眺める光景とは桁が違う。神戸はやはり海の町である」
 と、源蔵は感心します。
 西の方に岬が二つ見え、遠い方の岬の先端には長い櫓が突っ立っている。
 いうまでもなく、和田岬灯台ですね。現在、須磨海浜公園に移設されているのは、源蔵が見たのから何代か後の鉄製の赤色のものですが、源蔵が見たのは初代の、明治4年に完成した木製の白い建造物だったようです。
「本来は白い色なのだろうが、赤い夕陽を浴びて、さながら蠟燭の炎のようだった」
 
 明治20年に撮影された灯台とその付近の海。元記事

 さて捕物の方ですが、外人居留地の亜米利加一番館、通称「亜米一」にウォルスホル商会※という貿易会社があり、最初は木綿の襤褸を輸出していた。
 実はこれ、ペーパーの原料として輸出されたのですね。ところが日本の着物には藍の染料が使われている。藍の染料は高価なので、染物屋は襤褸から藍を抜く。その際石灰が使われる。
 その石灰はどうしても襤褸の中に残ってしまう。しかも襤褸は水分を含んでいるので、このふたつが混じりあうと航海中に自然発火する危険性がある。ならば日本でペーパーにしてから輸出したらいいではないか、ということになり、居留地の隣に二千五百坪の土地を借りて大きな製紙工場を建てた。で、大量の襤褸が買い求められた。
(※モデルはウォルシュ商会で、神戸製紙所。後に岩崎家が買収し、現・三菱製紙)
 開港場の人夫寄せ場に逼塞していた件の男、それを聞いてこれは千載一遇のチャンスと儲け欲に火がつく。もともと染料を扱っていたから襤褸の調達などお手の物なわけです。それでつい、カタツムリのツノを出してしまったのが命取り。
 偶然に偶然がうまいことに重なり、あれよあれよという間に解決してしまいました(汗)。著者も少しは気になったのか、
「人間、ツイとる時にはトコトン押していかなあかん。それは、わしの長い経験で掴んだコツや。芽が出ん時の悪足掻きは禁物やが、勢いに乗ったら何もかもええ方角へ転がって行きよる。ツキとはそういうもんじゃ。解ったか、この青二才」
 と、あらかじめ源蔵に云い訳させていますな。
 いやまあ、時代が下った大正末期になっても、ハワイ警察の中国人探偵チャーリー・チャン警部なんか、その捕縛法は源蔵親方とそんなに変わっていませんから、いいのではないでしょうか (^^;

 

Re: 「なにわの源蔵 新春初手柄」読み中(追記)

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月27日(水)22時37分2秒
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  > No.7190[元記事へ]

 昨日は、調べたことを書き込むのに気を取られ過ぎて、ストーリーについて書くのを忘れていました。
 本篇、悪徳金貸し寺島千之助が、配下の強盗を使って自分の貸したその金を強奪させる。証文をかたにとって借人の家財産を根こそぎ差し押さえる、という悪行に対して、当時の法律は無力だった(一応合法)。
 それが気に食わない源蔵親方、一計を案じる。逆に相手を引っ掛けてやるのだ。
 戎座(後の浪花座)の狂言作家、勝諺蔵に台本を書かせ、当時まだ無名ながら新進気鋭の若手だった初代中村鴈治郎(本篇の時代は明治11年。實川鴈二郎が中村鴈治郎、を襲名、もとい、に改名、したのが同年で、その翌年初めて座頭を務める。ウィキペディアによる)に、いわゆるおとり捜査の芝居をさせ、ついに寺島千之助を強盗の現行犯で捕縛しちゃいます。
 この時、強奪して寺島が所持していた札束が、強奪された札束であることを証明するために、ある化学的な仕掛けが施されます。あらかじめ札束にラクムス水溶液という薄い水色の薬品を塗っておくのです。
 さて、この手元の札束が、貸した札束やという証拠があるんかい、と寺島がすごみます。
 よう言うたと源蔵親方、札束に持参した希塩酸をぬる。するとあら不思議、札束は赤く変色し、盗まれた札束と、今ここにある札束が同じモノであることが証明される。要するにリトマス試験紙の原理ですな (^^;
 なかなかよくできた短編小説でした。

 

Re:「なにわの源蔵 新春初手柄」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月26日(火)22時37分29秒
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  > No.7189[元記事へ]

 第3話「召捕夢物語」を読みました。
 前回、同心町も気になると書きましたが、そこは違いました。本篇で源蔵が、朝日町の家から、綿屋町の耶蘇教の伝道師、秋元半左衛門と歩き出し、松ケ枝町で二人は別れる場面があります。
「源蔵はそのまま豊崎村の川崎へと向かった。この地の俗に「同心町」と呼ばれるところに、厚木寿一郎※は住んでいる」
 となっていて、それからしますと、朝日町は松ケ枝町の南にあったということになるはずです。松ケ枝町の南は東天満です。東天満の成り立ちがどこかに記されていないか、検索しましたが、よう見つけられませんでした。しかしまあ、ほぼこのあたりに間違いなさそうです。
(※厚木は大阪府警察(前身は府兵局、巷では浪花隊と呼ばれていた)十等警部。もとは東町奉行所同心なので、同心町に住んでいるのは当然なのです。としますと、源蔵はもと東町奉行所手廻り。手廻りって同心のことだと思っていたのですが、間違っていたのかもしれません。岡っ引きだったんですね)

 ところで、秋元半左衛門の住む綿屋町も、現在の地名には存在しません。ただ 堀川のウィキペディアに、架かっていた橋の名前が上流から並べられていて、梅ケ枝橋と寺町橋の間に綿屋橋という名前が見られます。
 しかしこちらの地図では、梅ケ枝橋と寺町橋の間に橋は存在していません。うーむ。どういうことか。
 その謎に対する仮説が、こちらのHPにありました。
「このあたりは当時、綿花業者が軒を連ねる綿屋町と呼ばれていた場所で、梅ヶ枝町というのは西天満に旧地名として残っているので、ここに架けられた橋がなぜに梅ヶ枝橋という名称なのか…、謎です」「ただ、「摂津名所図会大成」を見てみると、この橋に該当する箇所に「綿屋橋」というのがありまして、どうやら、この「綿屋橋」が、どっかで「梅ヶ枝橋」に名称変更しているような気がするんですよね」

 いや面白いではありませんか(^^)
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「なにわの源蔵 新春初手柄」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月25日(月)23時02分22秒
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  > No.7188[元記事へ]

 第2話「異人女の目」を読みました。
 朝日町の位置が大体分りました。ここに住所の記載があるのですが、現在は存在しない地名です。どうやら天満に吸収されてしまったらしい。
 唯一、ネットでひっかかったのが 朝日町運輸倉庫㈱という会社で、「昭和26年2月大阪市北区朝日町(現・北区天満)にて創業」という記述にかろうじて残っていました。
 本篇で、源蔵親分が朝日町の家から曽根崎警察署に行くのですが、途中「寺町橋」を渡るとあります。この寺町橋も、天満堀川(現阪神高速12号守口線)に掛かっていた橋で、当然今はなく、親柱が残されているばかり。
 かつ、食事は南へ下った天満橋北詰の「だしじゃこ屋」でとるのが常のようですから、天満橋の北、寺町橋の東の交点の内側のどこかに、朝日町(筋)が存在したんだろうと考えています。ただし親分は元手廻り(同心)でしたから、同心町も気になるんですけどね。


 

「なにわの源蔵 新春初手柄」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月24日(日)21時48分41秒
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   小説の中の大阪シリーズは、有明夏夫『なにわの源蔵事件帳2 新春初手柄』に着手。まずは冒頭の表題作を読みました。
 このシリーズは『大阪ラビリンス』で読み、気になっていたもの。テレビドラマは見ていません。最初ちょっと見て、枝雀さんの源蔵が枝雀さんらしくなかったので。
 本篇でもそうですが、源蔵親分は肝っ玉のすわったコワモテの親分なのです。当時の私の中に定着していた枝雀さんは、いまだ小米でして、つまり第8連隊でありまして、親分と言うのとは役柄がちょっと違うなあ、と不満に感じたのだったと思います。

 さて、源蔵親分は朝日町に住んでいるようです。この朝日町がよくわからないのですね。今はなくなった地名なのかも知れません。地理的には大川右岸、天満辺にあったのではないでしょうか。読み進めていけばもっとはっきりするかも知れません。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月24日(日)01時18分57秒
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「ショートカット」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月23日(土)23時19分8秒
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  > No.7185[元記事へ]

 最終話「ポラロイド」を読んだ。
 本篇の舞台は東京なので、残念ながら空間的把握は全くできませんでした (ーー;
 最後にようやく大阪に帰ってきた主人公は、今はなき大正ロマン香り高き大丸心斎橋店(現在改装中)の南西角の 「歩道の隅に設置された、心斎橋周辺の建物を象ったブロンズの模型」の前で男と待ち合わせをする。
 

 全4篇の作品集で、主人公の名前も違いますし、原則として別々の話なのですが、内的には連続しています。第1話では遠距離恋愛中の、東京に住んでいる男のもとへ<ワ━プ>するくらいなのに、第2話では、
「同じ場所にいるだけでなにも言わなくてもわかることが、電話の向こうとこっちで別々の景色を見ながらいくらしゃべってもきっと伝わらないって、決定的にわかり始めていた」
 となっていて、第3話は別れた直後、最終話では半年くらい経っています。
「今、新宿のはずれで飲んでいることを電話して知らせたいのも、ここからそう遠くないところに住んでいるはずのその彼ではなくて、大阪にいる別の人だった」
 そういう意味では一種の連作長篇といえる。
 ついでに言えば、タイトルの『ショートカット』は、<ワ━プ>の言いかえではもちろんなく、4話すべてに登場する男はみな(元彼氏だけでなく)ショートカットの髪形なのです。元彼は別人格ですが、他の登場する男は、内的に同一人物でしょう。ある意味、演劇的な小説手法と言ってよいのではないでしょうか。大変面白かったです。

 ということで、柴崎友香 『ショートカット』(河出書房、04)読了。

 追記。最終話のラストは、第1話の<ワ━プ>と対応していると思います(直接的には、仙台行きのエピソードに対応しているのですが)。きれいな対称形になっている。こう書いてしまえるのが著者のセンスなんでしょうが、まさに柴崎ワールドというほかありません。


 

Re: 「ショートカット」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月22日(金)22時17分36秒
返信・引用 編集済
  > No.7182[元記事へ]

《和佳ちゃんが指さした川の先には、高さが三十メートルくらいありそうな巨大なアーチ型の鉄の橋のようなものが見えた。でもほぼ半円形をしていて絶対に登れないので橋じゃない。
「水門ちゃうん?  あれを横に倒して閉めて、水が来えへんようにする」》


 第3話「パーティー」を読みました。
 本篇の行程は、木津川水門付近にある、架空の大阪港南マリーナ(付近には大正マリーナと阪神マリーナが現実にありますが、たぶん阪神マリーナがモデルのようです)からクルーザーで明石海峡大橋、そこから新快速、大阪市営バスと乗り継いで戻り、深夜のクラブでのパーティーへ。
 著者の小説は、必ず中盤から後半にかけて、夢なのか現実なのか不思議なシーンがあり(というか、現実なのですが主人公がそれをダリ的に解釈して「見ている」のだと思います)。本篇でのそのシーンは、最終の市バスの中で「見られ」るものです。(例えば市バスのいちばんうしろに坐っていて、バックミラーで運転手と目が合うことは、現実にはあり得ないと思います※。そこがダリ的な歪像です。ケータイで電話をした三沢くんが偶然にもバスの横を自転車で走っている、というのもそう)
 都合がよすぎる、と言いたいのではありません。それがシーンとしてとてもよいのです。ダリの絵画のように……。
※それとも 2002年に開始、2013年に運行を終了した「赤バス」に乗っていたのでしょうか(本書は2004年の刊行)。


 

「柳は萌ゆる」連載スタート!

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月22日(金)18時41分50秒
返信・引用
   平谷美樹の歌詠川通信
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月22日(金)00時29分13秒
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  元ツイート
野末陳平通信


 

「ショートカット」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月21日(木)22時15分15秒
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  > No.7181[元記事へ]

 第2話「やさしさ」を読みました。
 南堀江のはずれにある、友人のカフェの開店1周年パーティーからの帰り道、何となく送ってもらうようなかたちになった年下の(彼氏ではない)男と、深夜の千日前通を西へ歩いて行く。言ったらそれだけの話なんですが、いいですねえ・・

「高速道路の高架は交差点で左に逸れ、頭の上が開けてその広さがわかった。大阪の夜の空には、いつもたくさん星が見える。ちゃんと、見れば。」

 

「ショートカット」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月20日(水)23時21分12秒
返信・引用 編集済
   大阪小説シリーズは、柴崎友香 『ショートカット』に着手。冒頭の表題作を読みました。
 著者の小説は、読書メモを確認したら、 2014年に 『その街の今は』を読んで以来で※、本書で5冊目のようです。
 この作者、どの作品を読んでも独特の柴崎ワールドで、その意味ではオンリーワンなのですが、逆に一冊一冊の区別がくっきりしない。どうしても印象が混ざってしまうのです。そのへんは光瀬龍とすこし似ているかも。
 表題作も、いかにも典型的な柴崎ワールドでした (^^)。
 今回は〈ワープ〉という、ちょっと SF的な設定があって、その物理的にありえない設定がどう解決されるのか、興味津々で読み進めることができました(タイトルはワープの言い換えなのかな。それともやっぱり森川の髪型?)。ラストはなぞが残るとともに、やられた(なーんだ)という明快さもあり(ミステリの叙述トリックの援用)(^^;、なかなかよくできたお話でした 。
 舞台は、心斎橋筋から東に少し歩いた合コン会場で、著者の小説で飲みのシーンはたいていそのあたりから東心斎橋にかけてのあたりですね。著者の行動範囲が反映されているのでしょう。しかし後半は、〈ワープ〉で東京表参道に舞台は移ってしまうのでした(汗)
※面白いのはこのときもかめくんと大久保町を続けて読んでいるんですねえ(^^;


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月20日(水)17時00分51秒
返信・引用
  .  

「鉄になる日」聴きました

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月19日(火)22時27分34秒
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   先日のMBSラジオドラマ「鉄になる日」、録音しておいたのを本日ようやく聴くを得たのですが、期待していたほどではなかった。
 具体的には言いませんが、原作者の意図があまり反映されていなかったです。
 まあ 1時間やそこらで、それは当然不可能なんですけどね。でも時代を現在(現未来 ?)に繰り下げることにどのような意味があったのか、逆にそれが原作のいちばんよいところを消してしまったような。ちょっと残念でした。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月19日(火)16時41分45秒
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安部公房読書会への往復

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月18日(月)23時50分9秒
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   今日は安部公房読書会で、阪急高槻市まで出かけてきたのですが、事前にケータイの乗り換えソフトで確認したところ、面白いルートを提案してきたのですね。
 関空快速で新今宮、地下鉄動物園前まで歩き、堺筋線接続阪急で淡路。阪急京都線特急で高槻市。この行路が時間的に一番早いらしい。
 実はこの行き方は今まで利用したことがありません。大体新今宮 ‐ 動物園前間で乗り換えをした記憶がない。あったとしても、おそらく数10年前が最後。頭の中をまさぐっても行程の風景が全然浮んで来ません。
 天神橋6丁目 ‐淡路間も多分これまで利用したことがないはずです。しかしこの区間は、上方 SFにとって重要な区間であります。車窓から見るだけですが、見ないよりはまし、ということで往路はこのルートを選択しました。
 いやケータイ、面白いルートを提案してくれました。

 ところで第二ルートとして提案されていたのが、天王寺から地下鉄御堂筋線で西中島南方/南方、阪急京都線準急で高槻市というルート。これも捨てがたい。帰路はこれを利用しようと決めました。
 でそうしたのですが、私はケータイの表示が「西中島南方 / 南方」となっていたので、連絡しているのだと思ったんです。それで高槻市から天王寺までの連絡切符を買ってしまった。
 ところが、なんと地下鉄西中島南方と阪急南方はつながってなく、いったん改札を出なければならないのでした。
 あちゃー。切符が無駄になるけど仕方がないなあ、と、改札を出ようとしたところ、、ピンポンピンポンと警告音が出て、近くの電話から係員に連絡して下さいとの音声。
 で、かくかくしかじかと言ったところ、乗り越し精算機で精算して下さい。すると過払いが返ってきました。助かった。
 でも普通、乗り越し精算機にはこんな過払い分を返す機能はないのではないでしょうか。とすればおそらく、この駅では私のように、西中島南方と南方が連絡している、と勘違いする乗客が多いのでしょう。ありがたいサービスでしたが、それならいっそ地下ででも連結して連絡切符が通用するようにすればいいのに、と思わないでもなかったのでした。ちゃんちゃん!

 なお、読書会については、Uストリームで視聴できるそうですので、そちらをご覧ください。閑散としていますが、今回もいろいろ啓発されました。得るところが多く楽しい会でした (^^;

 追記。2次会の途中から右肩がジンジン痛くなってきて、じっと座っているのも辛く、それは帰路の電車の中でもおさまらなかった。これは一体どうなることやらと心配していたのですが、帰宅し風呂に入りネットを見ながら(クーラーを入れないで)安静にしていたら、収まってきました。読書会の会場の冷房が効きすぎていて、めちゃくちゃ寒かったのですが、どうやらそれが原因で一時的に冷房病にかかっていたのかも知れません。大事に至らずほっとしましたが、いずれにしても難儀なことです。
 

トレーン忌

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月17日(日)22時53分11秒
返信・引用 編集済
   
 
 とツイートしたけど、不正確でした。
 実際はもう少し前から聴いています。命日を初めて意識したのがこの年(1975)だったんですね。
 なぜそう確言できるのか。それは1975年10月発行の《北西航路2号》に、下の駄文を寄稿していて、それで1975年7月17日は命日として意識していたことが分かるからなのです。
 
 ツイッターは訂正できないので、こちらで釈明しておきます(我ながら中二だ)(^^;

 

「鉛の卵」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月17日(日)03時13分32秒
返信・引用 編集済
   それはそうと、18日の安部公房読書会ですが、「鉛の卵」も課題作品であることに今ごろ気がつきました(汗)。「R 62号の発明」と「棒」だけなんて、楽勝楽勝と思っていましたが、やっぱりそんなわけないですよね (^^;
 ということで、「鉛の卵」いまあわてて読み終りました。
 ううむ、この話、未来が現在を断罪するという定式に当てはまらないんですよね。過去(我々の現在)が現在(我々の未来)を断罪してもいないし。
 ――と思ったけど
 未来に紛れ込んだ現在 ?
 で、現在が想像もしていなかった未来に戸惑っていたら、ある意味想像通りの進化した未来が現れる。なのに、このラストの段落は ……

 

Re: 平谷さん、新聞連載小説がスタート

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月17日(日)03時10分31秒
返信・引用
  > No.7173[元記事へ]

 平谷さん
 新聞連載の大長篇を、スタート以前にすでに書きあげているなんて、そんな作家は平谷さん以外にはめったにいないのではないでしょうか (^^;
 何はともあれ、楽しみにしております !

 

Re: 平谷さん、新聞連載小説がスタート

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2016年 7月16日(土)23時55分21秒
返信・引用
  > No.7171[元記事へ]

ご紹介ありがとうございます。すでに脱稿しているのて、すぐにでも読んでいただきたい気分です(笑)
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月16日(土)17時35分55秒
返信・引用
 
 
                      小松左京ライブラリ     MBSラジオ週間番組表

 

平谷さん、新聞連載小説がスタート

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月16日(土)00時56分55秒
返信・引用 編集済
   平谷美樹さんがこの二十日より、 新聞連載小説を開始されるようです。平谷さんのブログ
 こちらは 岩手日報HPの記事
 新聞連載は『義経になった男』以来ですね。久々の大長篇歴史小説です。
 タイトルは「柳は萌ゆる」。幕末の盛岡藩(南部藩)の家老、楢山佐渡のお話とのこと。
 すみません。楢山佐渡、まったく知りません(^^; いやいや、片寄った前知識などない方が、物語を虚心に白紙で楽しめるのです。(それにしても原田甲斐とか、東北独特の通称でしょうか)
 残念ながら、我々は連載を毎日楽しむというわけにはいきませんので(東北の新聞ゆえ)、本になるのを待つしかありません(しかもかなり長期の連載になりそうな気配)。
 でもブログによりますと、書き下ろし 4冊分が待機中とのことで、何年も指をくわえて待たされることはなさそうです。ほっと一安心ですね(^^)。
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 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月14日(木)12時44分27秒
返信・引用
  .  

「冥途の家族」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月14日(木)00時07分41秒
返信・引用 編集済
  > No.7168[元記事へ]

 最終話「極楽通り極楽番地」を読みました。
 本篇は前作からかなり時がたっている。ナホ子の弟はすでに結婚し、母親と実家に同居している。ここで嫁姑の(まあどこにでもある)問題がある。母親からすれば不満ということです。
 また、ここまでの話では出てこなかったが、母親は父親と一緒になる前に別の男と結婚していて、娘も設けていたことが初めて語られる。そしてその娘はナホ子の姉として育てられていた。その関係で母親としては不満ないろいろ問題がある。
 それらは要するに、抑圧的な母親が子供の成長とともにその力を発揮できなくなってきたことの表れであるわけです。
 そんなこんなでナホ子は、母親に、定期的に(愚痴を聞いてもらうために)大阪へ呼び戻される(命令される)。結果的にナホ子は家族間のあつれきの静め役となっている。
 それをナホ子は、自分が家を飛び出し、家族の外側の存在になったことで得られた立場だと考える。つまり依然としてナホ子は母親を拒絶しているのです。
 さらに年月がたち、やがて母親は自分の立場を受け入れる。それは老いの受け入れでもある。その結果、母親は、自らが望んでいた家の中心に座っていたいという願望を、いつの間にか成就していたのです。
 前作で「冥途の家族」はナホ子の家族ではなく、池田と目される男の家族を揶揄したものとしましたが、本篇に於いて、少なくとも連作集としての「冥途の家族」というタイトルに著者が籠めたものは、拒否※しても結局運命共同体として繋がっておらざるを得ない主人公の家族のことだったようです。
「だれも、頼むから産んで下さいというたつもりはないけどね」(169p)

 ということで、富岡多恵子『冥途の家族』(講談社文庫76、元版74)読了。

 大衆小説として書けば大長篇となるだろうお話を、テーマに不要な部分は省きに省き、コンパクトな点描法に徹したことで本書は、大衆小説特有の(末弟の結婚式での感動を盛り上げるセレモニーに就いてナホ子がつぶやいた「いやなことをするのねえ、このごろの結婚式は」と同じ意味での)いやらしさを排除したドライな作風で、著者にとっては好ましいと同時にうとましい、家族というものへのアンビバレンツな思いを、うまく(面白おかしく)表現していて、なかなかよかったです。

 余談ですが、年譜によれば著者の父親は「鉄材の古物商」だったようで、小説では仕事の内容は不明ですが戦時中工場を接収されてしまったと書かれています。「鉄材の古物商」だったら当然そうでしょう。ところで「鉄材の古物商」って、「クズ鉄」を扱う商売ということですよね。小説では戦後、闇屋をしていたらしいが、家族は何をしているのか知らなかったとなっています。これはひょっとしてかのアパッチと関係があったかも――と想像するとたのしい。小松左京ともつながってくるのですが(^^;

 

Re:「冥途の家族」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月12日(火)23時07分0秒
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  > No.7167[元記事へ]

 表題作「冥途の家族」を読みました。
 主人公の名前はナホ子。なのですが、前作までのふく子と同一人物とみなしてよい。要するに著者の小説内人格です。
 物語の時間は、父親が死んでから数年後(年譜に添うなら3年後)。ナホ子は相変わらず東京で男(現実には池田満寿夫)と暮らしている。この男が浮き世離れした男で、基本的に社会で(というよりも身の回りで)何が起こっていようが関係ないタイプ。ナホ子の母親にまともに挨拶もできない。同様に自分の生活にも気を使わない。したがって一家の主として稼がなければならないという気もないし、その前に稼ぐ手段も知らない。そのうちなんとかなるだろう、と常に考えている。ナホ子にすればやさしいだけが取柄の男(ただし後述のように共感力がないから、そのやさしさは無関心と表裏一体なのです)。
 男には妻がいて、本当ならナホ子と同棲する前に何らかのカタをつけておくべきところなのに、何もしないでほったらかしている、そんなダラシナイ男でもある。
 一方ナホ子は、そもそも父親に(金に糸目をつけず)蝶よ花よと育てられた人間なので、最底辺の居住環境には耐えられない。そこへ前妻がいろいろ心理攻撃を仕掛けてくる。ストレスがたまって、子供を授かるのだが流産してしまう。
 ナホ子は母親とは縁切り同然で大阪を飛び出して男のもとに来ていたのだが、そういう状況で、母親のサポートを受けざるを得なくなる。
 この母親が、大阪のオバハンと言いますか、一種の烈婦でして、気働きもしだんどりも早く何でもチャッチャと片付けてしまえる。ある意味良妻賢母と言えなくもないのだけれど、なんでも自分の裁量で片付けてしまいがちということは、見方を変えれば子供に「他我」を認めない、「抑圧的」ともいえるわけです。
 ナホ子が家を出たのも、ひょっとしたらそういう母親から逃れたかったのかもしれません。そう考えると、前作までの話で、父親が家に寄りつかなくなった理由も、それが一因であった可能性も考えられそうです。
 反発しながらも(その一方で甘えて)大阪の家で 1カ月養生して東京に戻ったナホ子は、無意識に母親の考え方や口調が移っていて、やや強い調子で男をなじる。
 ――と、男は菜穂子に何も告げずあっさりと(新しい女を作って)去って行ってしまったのでした(>おい)(^^;

 うーむ。現実に突き合わせると、これは池田満寿夫の既成のしがらみから自由すぎる、立場を変えれば無責任さ、思いやりのなさ、つまるところ冷淡さに振り回された著者が、虚構の小説に仮託してグサリと突きはなった蜂の一刺し、もといイケズ※の一刺しだったんじゃないでしょうかねえ(^^; ※筒井康隆『みだれ撃ち瀆書ノート』参照。
 とすれば、タイトルの「冥途の家族」とは、ナホ子の家族ではなく、男の家族(男の両親もええかげんコミュ障で、この親にしてこの子みたいな描かれ方がされている)を指しているのかも。おまえらそろって地獄へいけよ、という著者の「にじみ出る残酷さ」※を感じ取れるではありませんか(>おい)(^^; ※上掲書参照。

 

「冥途の家族」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月11日(月)22時57分11秒
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  > No.7164[元記事へ]

 第二話「餓鬼の晩餐」を読みました。
 この第一話と第二話は、ふく子という主人公を同じくする二つの話で、第一話はふく子が 5歳から 14歳までの話、第二話はすでに大人になっており、父親の死までの話(年譜に沿うなら25歳~30歳)。
 ふく子が主人公と書きましたが、ふく子は8割方視点人物で、実際はふく子が見た父親が描かれているといえる(ふく子自身にもいろいろごちゃごちゃあるのだが、それは描かれない)。
 この父親が非常にユニークで、というか一種典型的な(桂春団治みたいな意味で)大阪の商売人でして(「カネは使うために儲ける」)、悪く言えば成り金趣味。第一話の後半あたりからはほとんど家に帰って来ません。死んだ時も借金しか残さなかったのですが、しかし自宅の家は抵当に入っていない、という最低限の責任感はある。主人公はことのほかかわいがられ、学生時代は贅沢三昧させてもらえたのです。
 そんな主人公と父親の微妙な距離関係が描かれていて、一気に読まされます。
 どうもこの連作は、著者の自伝的要素が強いようです。
 会話の大阪弁が昭和前半のそれで、今はきかなくなりましたが、「庶民流に洗練された」しゃべり言葉のキャッチボールが、私の子供のころはこんなだったなと懐かしかった(新喜劇のせりふに少し残っていますが)。
 地の文も、一応共通語風ですが、大阪弁のしゃべり言葉の、例えば「~やった」を「~だった」というふうに単純に変えただけのもので、脳内音読では大阪弁のイントネーションで聞こえてきます。これも読んでいてなかなか気持ちがいいものです。

 

筋がのびた?

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月11日(月)01時01分3秒
返信・引用 編集済
   肩の調子が一向に良くならないのですが、どうやら筋をのばしてしまったのかも知れません。
 今、腕立て伏せをしようとして腕を曲げたら、そのままくにやりとつぶれてしまって、自分でもびっくりしてしまいました。
 そういえば、高校の時にもそんなことがあった。なんだったか忘れましたが、力いっぱい投げたら、腕が抜けたようになり、しばらく使いものにならなかったことを思い出しました。
 どうもそんな感じ。(どうやって治したかは記憶にない)。
 こういうのって、無理にでも腕をぐるぐる回した方がいいのか、それとも安静にしておいた方がいいのか、どっちがいいでしょうねえ。

 しかしそのお蔭さまで、音声入力はかなり上達しました。(PCがずいぶん私の発音を聞き取ってくれるようになりました)。そのうち、手打ち入力よりも早く入力できるようになるかも知れません (^^;

 

「R 6 2 号の発明」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月10日(日)23時02分47秒
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   安部公房読書会が来週であることを、昨日不意に思い出して、あわてて課題の「R 62号の発明」と「棒」を読みました。前日にもう一回読むつもり。

 ちょっとだけメモ。
「R62号の発明」では、脳にコントローラーのようなものを入れられた主人公は「まるで植物のように自足」してしまい(一種のロボット化)、R 62号と名づけられる。意のままに操られるようになる。経営者的には、残業手当はいらず、不平も言わず、手を抜くことも思い至らないロボット労働者の誕生ということになります。
 しかし、一番安いのは人間の労働者(不平を言ったり組合を作ったりしなければ)
 元技術者であったR 62号は、そんな人間の労働者を極限的に効率的に働かせるシステムを開発することを命じられる。
 出来上がった機械のお披露目式。ロックアウト中の工場で、R 62号は、その機械の席に、まず工場の経営者を立たせるのでした ……
 本篇の面白いのは、前半で自発性(意志)を消去された人間(=ロボット)、資本家の言いなりになる人間をつくった。ロボットは命じられるままかれらの期待どおりの機械を作ったわけですが、しかしロボットの論理は労働者と資本家を区別しなかったのですねえ(アルファ碁の指し手を人間が理解できなかったことを思い出させます)。
 そこがシニックで面白いところです。

※追記。復讐という見方もありえるでしょう。そのへんは読書会で論点になりそうですね。

 

「冥途の家族」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 9日(土)22時09分26秒
返信・引用 編集済
   大阪小説シリーズは、富岡多恵子『冥途の家族』。第一話「地蔵和讃仕方咄」を読みました。

 著者が此花区(出生当時は西淀川区)伝法町で生まれたことは既報の通りですが、今回、戦時中の一時期に明石市大久保町に住んでいたことを知りました。
 ぐうぜんとはいえ、好感をもたずにはいられません(^^;
 ちなみにウィキペディア大久保町三部作の項目には、「架空の明石市大久保町」とあるのですが、大久保町は実在する町です。
 でも、だからといって「架空」という表現を、間違いだと断定するのも、ちょっと違いますよねえ(>おい)(^^;

 

西秋生「走る」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 9日(土)15時00分6秒
返信・引用 編集済
   西秋生「走る」(『ネオヌルの時代3』85)を読みました。ネオヌル7号(77)初出。
 じっとしていたら植物化してしまう奇病が蔓延する世界、それに抗してオートバイで移動し続ける主人公。不動と動を対比させた構図が秀逸。ハーレー乗りの森下一仁さんが大喜びしそうですね(^^;
 バイク描写がなかなか専門的なんですが、西さんバイクなんか乗っていたかなあ。意外感あり(^^;

 

「泥の河」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 9日(土)14時12分20秒
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  > No.7161[元記事へ]

「汚ない泥の底に、よく肥えた赤い沙蚕が生きていることが、信雄には不思議でならなかった。自分の胸を切り開くと、厚い泥の幕があり、そこから無数の沙蚕が這い出てくる夢を、信雄はずっと以前に見たことがある。いつか臍の緒を長くゆらめかせながら、生まれたばかり赤子が流れて来たことがあった。そのときもまた信雄は、無数の沙蚕が這い廻る夢でうなされた」(35p)

 宮本輝 「泥の河」(『螢河・泥の河』新潮文庫94、元版78)を読みました。

 今回がたぶん3度目の挑戦で、初めて読了。いやこれまでは勝手に悲惨な結末を予想して、読み進められなくなってしまっていたのでした。実際は思っていたようなドラスチックな話ではありませんでした。
 昭和30年夏。土佐堀川にかかる端建蔵橋、その北詰のうどん屋の息子で小学二年生の信雄が、端建蔵橋の一つ上流の湊橋(といっても100メートルほどしか離れていない)の、対岸の橋の袂にある日突然やってきた屋形船に住む同い年の喜一(そしてその家族)との、ひと夏の交流を抑制された筆致で淡々と描いたもの。しかし天神祭が終わり、八月も中旬となり大阪の夏も終わろうというある日、喜一らの舟は何の連絡もなく、再び突然もやいを解いて土佐堀川の上流へ去っていく……

 本篇は昭和30年の話ですが、私が小学生だったその10年後くらいでも、まだ船上生活者はいたらしい。その事実を私はリアルタイムでは知らなかったのだけれど、数年前、小学校の同窓会で友人から聞き、えーっと驚いたものでした。
 そこの子供が私達の小学校に通っていたのだと。私達の1つか2つ上の学年で、本篇とは違って土佐堀川ではなく堂島川の、堂島大橋北詰の下流側あたりに船は停泊していたんだそうです。
 そんな事実を知って本篇を読んだら、やっぱり単なる創作小説(もちろんモデルがあったのでしょうけど)とは思えないわけで。惻々と迫ってくる何かがあるんですよねえ。
 いや、絶品でした。

 

「泥の河」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 9日(土)01時15分44秒
返信・引用 編集済
  大阪小説シリーズは、宮本輝『泥の河』に着手。

   ↓クリックで拡大
 

「プリンセス・トヨトミ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 8日(金)23時03分20秒
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  > No.7159[元記事へ]

 万城目学『プリンセス・トヨトミ』(文春文庫11、元版09)読了。

 承前。
 いやー面白かった。大阪SFの傑作でした。いやむしろ上町台地SFと呼びたいかも(^^;
 そういう一種鬼面人を驚かす、非常にユニークな設定の外枠の内部を流れるストーリー自体は古いタイプの物語なんですね、父と子の(色んな意味での)再会reunionとか友情とか。反近代的というか、あるいは大衆的というか。要するにまさしくナニワの新喜劇なのでした。
 登場人物も、大阪側は基本的に庶民、オッサンでありオバハンでありゴンタクレたちであるのに対して、東京側は超エリートの役人。ただし超エリートの中身の奥の奥には大阪由来の要素が隠れていた。それが物語を通っていく過程で、次第に表層に浮かび上がってくる。そしてラストの大団円(まさに大団円でしょう)。
 すばらしい筆力。感嘆しました。
 あとがきがわりのエッセイ「なんだ坂、こんな坂、ときどき大阪」もよい。
 私にとって大阪とは第4象限、要するに旧地名の西成郡である北区、福島区、此花区、港区、西区……つまり水平な平地なんですね。高低差なんか感じたことがない。
 ところが、本書あるいは本書の著者にとっては、大阪とは第1、第2象限の西側(Y軸側)、つまり上町台地の西斜面にあたるのです。
 その大阪は、まさに文字どおりの坂の町である。立ち小便すれば必ずそれは西に向かって流れていく土地で、「お笑い芸人コンビのブラックマヨネーズが、M-1グランプリで優勝したとき披露したネタのなかで、万が一、ボウリングの玉をうっかり外で落としたとき(……)「そんなん、もし上六で玉を落としたら、ゴロゴロゴロて千日前まで転がっていってまうやんけ」「考え過ぎや」」(543p)
 こういう大阪は、私のなかには存在しなかった。異質で、その分新鮮でした。大阪も広いんやな、と(^^;
 カバーの紹介文に「大阪下町育ちの少年少女」とあるのですが、空堀商店街は台地の斜面にあるのであって、下町という表現は間違っている。この表現は私に言わせれば東京エスノセントリズム臭ふんぷんたるもので、ここは「上町育ちの少年少女」と書くのが正確なのです(>おい)(^^;
 本書を読んで卒然と思い至ったのですが、実は眉村さんのホームグラウンドであるあべの筋界隈も上町台地上になるのですね。上町台地の根元ですから坂上は広いので高低はなく、私の感覚では平地という認識だったのですが、そこから西に帝塚山の方に折れますと、とつぜん急坂を下りていく道となる。これも上町台地の西斜面だったんですねえ。何十回も通っている道ですが、はじめて坂道の意味を理解しました(汗)
 坂の町なんて、東京の代名詞かという先入観がありましたが、実は大阪の名が示すように、大阪「も」坂の町だった。いや、「も」ではなく大阪「は」坂の町だったのです。私のホームグラウンドの第4象限なんて、ほんの千年~数百年前に陸化したばかりの新参者(西成……上町半島の西に成った土地)なのですから(^^ゞ

 

Re: 「プリンセス・トヨトミ」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 7日(木)23時56分44秒
返信・引用 編集済
  > No.7158[元記事へ]

 承前。
 わ、しまった。気づいたら 400頁 !
 いよいよ「大阪全停止」の準備は整いました。
 大阪城ライトアップの、通天閣のネオンの、道頓堀かに道楽巨大カニのハサミの、戎橋南詰グリコの手のひらの、木津川渡し船の、そして紀伊国屋書店ビッグマンのスクリーンに浮かび上がった「合図」「合図」「合図」。
 いやーこのあたり、ゾクゾクっとしました(「未知との遭遇」での世界同時多発の「合図」を思い出しました)。粛々とした描写が「開戦前夜」という雰囲気をいやが上にも盛り上げます。

「通天閣のてっぺんをよく見ると、マヨネーズのキャップのようなでっぱりがついている。このでっぱり部分のネオンの色が、実は明日の天気を表現している。白色なら晴れ、オレンジ色なら曇り、青色なら雨。上下二層に分かれたネオンが、上から白・青と光っていたら、晴れのち雨という意味だ。気象庁のデータとも連動した、れっきとした天気予報である」(374p)
 ↑知らなかった。

 

Re: 「プリンセス・トヨトミ」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 6日(水)22時27分55秒
返信・引用
  > No.7152[元記事へ]

 昨日は肩の調子が悪くて何をする気にもならず、早々に寝てしまったのですが、少しだけ音声入力の勉強をしました。それと私の発音の癖をパソコンに覚えさせるためのトレーニング(そういう機能があるのです)をやっていました。どうも、私の発音が悪いのでしょうか、頭音の「な」行音があんまり聞き取ってくれません。これがネックなんですね。(続けて発音する 1文の中の「な」行音は比較的聞き取るのですが)。
 今から「なにぬねの」と発音します。

 >何の面の

 もう一回。

 >なにも無念の

 と、こんな感じなのですねえ(ーー;

 なかなか道は遠いです。

 『プリンセス・トヨトミ』は 250頁。

「大阪国総理大臣――真田幸一です」

 上町台地の地下に秘密の抜け穴があって、からほり商店街から大阪城の真下にまでつづいており、そこには大阪国の、秘密司政庁(?)が存在していた!!
 一体全体何がどうなっているのか……。まだ殆んど全体像が見えてきませんが、面白い面白い。面白すぎて、つい目がストーリー追いかけて走り出してしまいます。それをぐっとがまんするのが大変 (^^; 脳の容量が小さいので、目が走り出すと理解が付いていかなくなるのですよねえ。
 それにしてもこの著者、半村良並みのストーリーテラーですなあ(^^)

 

JRの事故で

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 5日(火)05時07分6秒
返信・引用 編集済
   昨夕は飲み会。意外に早くお開きになり、9時過ぎの天王寺発快速に乗ることができたのですが、これがラッシュアワー並の満員で、全く座ることができませんでした(その前の地下鉄も含めて)。
 この日は夕方から、どこかの踏切で遮断棒が折れるという事故があり(おそらく遮断間際に急いで渡ってしまおうとして閉じ込められた車が、無理やり遮断棒を押して脱出したのでしょう)、往路私が乗った電車も40分遅れの到着で(通常だったら40分の行程。倍かかったわけです)、当然飲み会は遅刻だったのですが、その影響が9時過ぎというそんな時間まで残っていたからなのでしょうか(事実復路の快速も、上の理由で3分遅れで発車とアナウンスがあった)、それとも9時過ぎという時間帯は、ふつうにこんなふうに混んでいるのでしょうか、月に1、2度乗るのがせいぜいの私には判断がつきません。しかし後者なのだったら、サラリーマン諸氏は常から10時~11時の帰宅になっているということで、いや毎日ごくろうさんですなあ。

 そんなこんなで10時過ぎにへろへろになって帰宅したらもう、バタンキュー、今頃起き出してきたという次第。今から始業時間まで本でも読みますかねえ。


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 4日(月)00時58分16秒
返信・引用 編集済
  元ツイート
    コーラって薬っぽいんだよなあ、三ツ矢サイダーのほうが好きなんだけど、
    オイラ六本木族だから、コーラ飲む・・ってイキがっていたんでしょうか(笑)
          



 

今日はタブレットから

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 4日(月)00時36分2秒
返信・引用 編集済
   せっかくの日曜日なのに、こう暑くては本など読めたものではありませんね。
 ということで、仕事関係の郵便物を郵便局(本局)まで出しに行った以外は、一日無為にすごしておりました。ようやく少し涼しくなったのでこれを書きこんでいます(現在室温32度。おそらく日中は35度くらいだったんでしょう)。
 しかしそのおかげか、蚊がいなくなりました。
 去年も書いた記憶がありますが、近年のこの国の夏は、蚊でさえもに生存に不適化しているのでしょうか(それとも当地の特殊条件?)。
 つい数日前までは、網戸をし雨戸をしていても必ずどこから侵入してきて、痒い目に合わされていたのが、今日は(網戸はしていますが)雨戸を開け放していても、一匹も見当たりません。嘘のような快適さです。
 ふと思い立って検索してみました。あるサイトによると「多くの蚊は気温が15度以上になると吸血を始めると言われており、26度から31度くらいでもっとも盛んに吸血活動を行います。通常の活動期間内であっても気温が15度以下に下がったり、35度を越えるようなことがあると、野外では物陰や落ち葉の下などでじっと して活動しなくなります」
 とのこと。しかし私の観察するところ、33度前後で蚊の活動力は弱まるような感じです。
 夏といえば蚊というのがこれまでの常識でしたが、これからは蚊の活動が弱まったら夏になり、夏の終わりとともに蚊が復活するというべきかもしれません。

 それはさておき、キイボードを長時間叩いていると肩が気持ち悪くなるのは、全然改善されません。
 観察していますと、どうやら俯いた姿勢が悪いようです。頭というか首が、両肩の線より一定の角度以上に前に傾くと不具合が生じているみたいです。
 椅子の背にもたれてふんぞり返って(首が肩より後ろに位置して)いれば問題ない。
 困ったもんです。
 とりわけ今日のような蒸し暑い日は椅子に座ってキイボードを叩く気にもなりません。

 実はこの文章は、別室に寝転がって、タブレットに向かって音声入力しているのです。
 タブレットでグーグルドキュメントを使う方法はうまく行きませんでしたが、ウィンドウズ10と同じでタブレット自体にも音声入力が装備されていることに気づいたのでした。

 そういう次第で、いま読んで頂いている書き込みは、タブレットのメールに口述したもの(むちゃくちゃ誤字脱字読み取りミスがあるの)を、PCのメールアドレスに送信し、PCのメモ帳で(これはキイボードで)修整したもの、なんですねえ(^^;




 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 3日(日)01時02分37秒
返信・引用
 

 

「廃墟にて」「湊」「終着駅」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 2日(土)21時49分33秒
返信・引用 編集済
  > No.7151[元記事へ]

 「廃墟にて」(北西航路2号、75)、「湊」(北西航路3号、77)、「〈人草〉の日々」(北西航路4号、78)、「終着駅」(北西航路5号、82)を読みました。
 甲者は、ゼミ教授からこの成績では卒業させられないとののしられ教室を飛び出した主人公が、下宿のある海辺の町に帰ってくると、海岸に突然遺跡が出現したと大騒ぎの最中。主人公は、それまで顔だけは知っていた女に誘われ、二人で(立入禁止の)遺跡に突入すると……
 おお、『ストーカー』(ストロガツキー兄弟)みたい(^^;
 本篇は、多分、著者が初めて書いた短篇(18枚)です。でも卒業できない程度で現世を捨てられるものでしょうか。このへんはバラードっぽい。しかし廃墟がそれほど魅力的には(読者には)みえない(>書込不足?著者自身もイメージできなかった?)――が気になりました。バラードの場合ははじめから狂人なので、読者は動機を求めないのですが、本篇はごくふつうの(卒業できないことで凹む)学生なんですね。
 もちろんそこには「現実」なんか目じゃないという矜持があるのでしょう。

 乙者は、去年夏休みを利用してのゼミの調査旅行で訪れた、かつて風待ち湊として栄え今は廃墟と化している見捨てられた土地へ、二人の学生が再び訪れる。実は去年の旅行の際、もう一人のゼミ学生がその時行方不明(現在も見つかっていない)になってしまった。それで二人は今年も訪れたのだ。二人で友人を偲ぶのだが、深夜、二人は幻像を見、友人の声を聞く。その声は「歓声のように聞えた」
 本篇では主人公ではなく友人が「現世」に見切りをつけて異界へ(喜々として)行ってしまうわけで、構造は同じなんですが、行為者を友人にした分、動機が間接的となり客観性が担保されて違和感がなくなりました。

 丙者は既述。

 丁者は、鉄道旅行中の(おそらく若い)主人公が、とある分岐駅から「盲腸線」(本線から分岐していきそのままどこへも繋がらない線)が出ていると小耳に挟み、忽ち途中下車する気になる(気ままな一人旅というわけではなく、何かを断ち切るための旅行であったことが仄めかされる)。
 接続に3時間以上待たされその盲腸線に乗ったのはほぼ深夜。中間に駅はなく次の駅が終着駅だった。プラットホームから眺めれば何もない土地。車掌が寄ってきて今日はこの列車の折り返しが最終だが、と聞かれる。主人公はなんとなく反発を覚える。列車が行ってしまったあと、後悔するが、野宿しようと決める。と、もう列車は来ないと聞かされたはずなのに、列車が到着する。降りてきたのは……
 翌朝目覚めてプラットホームに出てみて愕然とする。線路敷にはレールなぞ敷かれてなかったのです(廃線で撤去されていた)。
 今回は物理的に異界へと(図らずも)到着したわけですが、主人公は「都会での出来事と昨夜のあの亡者の戯れとが」「その意味が掴めてきた」。そうして「都会へ帰って、生きよう――とおもった」
 前二作の立ち位置から明らかに変化しています。
 本篇は82年の「北西航路」掲載作品ですが、同じ82年に刊行された「風の翼」には、「しかしいまは会社にも慣れ、創作よりも広告の仕事に情熱を覚える瞬間さえある」(「郷愁について」※)と記されていて暗合を感じてしまうのですが、自立的な作品としてみた場合は「その意味が掴めてきた」という記述は、それだけでは了解しようがないのも確かな気がします。
 ※『チャチャヤング・ショートショート・マガジン3号(西秋生追悼特集号)』(16)に再録。

 
 

「プリンセス・トヨトミ」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 2日(土)00時33分10秒
返信・引用 編集済
   『プリンセス・トヨトミ』も順調に読んでいますよ。現在 140ページ。
 舞台はからほり商店街。このあたりは私もあまりよく知らない。で、地図を見ますと、北野勇作さんによく出てくる天神橋筋商店街の南端から、まっすぐ松屋町筋を南下し、長堀通を渡ってもう少し行ったところから東に延びる商店街で、東西に800m連なり、東は上町台地ですから途中から急な坂になっており、本書によれば「坂道を抱いた」商店街と形容されています。
 そういう次第で、120ページ当たりには、正面から見ると4階建てなのに裏から見ると 2階建てという建物が出てきて、なるほどなあ、と。そういえば徳島の山奥にそんな旅館だったかホテルだったかがありました。いや興味深い(^^;
 ストーリーは、まだ序の口ですが、ばつぐんの面白さ。文章もうまい。
 1976年生まれらしいのですが、同世代の作家は多かれ少なかれラノベ文体で読み難いこと夥しくて辟易させられるのに比べて、全然そんなことはありません。ラノベ文体と世代は関係ないのでしょうか(^^;

 

「晩夏」「あの頃のこと」「蝉」「犬の死と」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 1日(金)22時41分15秒
返信・引用 編集済
  > No.7150[元記事へ]

 「晩夏」(風の翼 3号、78)、「あの頃のこと」(同 2号、77)、「蝉」「犬の死と」(同 1号、77)を読みました。大学卒業間近か、直後の作品。
 甲者はいかにも著者らしい独特の嫋々たる文体でつづられた掌篇。文体を味わうだけで満足できます。最近廃線となったと何かの記事で読んだ主人公は、ふとその「湖畔鉄道」を歩いてみたいと思い立ち、訪れる。一種の心象風景描写で、つまるところ過去もしくは子供であった自分への決別。
 乙者はエッセー。チャチャヤングの一部でマドンナ的な人気を博していた松浦えり子への(文学的)ラブレター。同様のを雫石鉄也も、小説でですが書いていますね。
 丙者も子供であった自分への決別。丁者は記載はないがエッセーでしょう。
 通して感じられるのは、自己への甘美なセンチメンタリズムですね。初期の著者には、いささか読者を気恥ずかしくさせかねない、このような心象をてらいもなく表現するところがありました。このあたりの作品は、やはり同人誌小説というべきかも(ただし大変秀れた同人誌小説であることはいうまでもありません)。

 つづいて北西航路を読みます。

 

「星の降る夜の物語」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 1日(金)00時23分51秒
返信・引用
  > No.7149[元記事へ]

 西秋生「星の降る夜の物語」(風の翼 4号、79)を読む。40枚の、これまたハイファンタジーです。
 湖の岸辺の町に住む少年の話。湖の中央には遠い過去に水没した城が、その先端を小島のようにのぞかせている。年に一度、流星雨が降り注ぐ星祭の夜には、湖の中央に過去の繁栄していた時代の城の幻が浮かび上がる――というクラーク・アシュトン・スミス張りの世界設定。
 いや実に魅力的な(私好みの)世界設定なんですが、さすがの西さんも、当時まだ25歳。この設定この長さはちょっと荷が勝ちすぎたかも。「霧」は掌篇だったから制御しきれたのでしょう。惜しい。
(いやこれはこれで気に入る読者がいると思います。ビジュアル的には萩尾望都のような画像が浮かんできますね)
 それにしても、この頃は異世界ファンタジーにも関心があったようですね。M27の影響ばかりではなく(>おい)(^^;、当時はそういうのも書きたいという意欲があったのに違いありません。やがてそれが、次第にホラーへと絞り込まれていったのかも。


 



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