ヘリコニア過去ログ1612

「犬神家の一族」(76)を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月31日(土)22時49分40秒
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   映画「犬神家の一族」(76年版)を観ました。いま見ると、いろいろ無理がありますね。
 ところで、最後に松子が毒薬を混ぜたタバコを準備しているところ、金田一がチラッと見て目をそらす場面が一瞬挿入されます。これは自殺するのを黙認したことを示す演出で、解釈ですよね(だから大仰に「しまった」と叫ぶのは金田一の演技)。
 というのは、同じく市川崑・石坂浩二で撮られた「犬神家の一族」2006年度版のウィキペディアに、「金田一により一同の前で真犯人が明らかにされた後、真犯人の取る行動は旧作、本作とも同様である。しかし、その行動に対する金田一の対応は、旧作と本作とでは大幅に異なっている。一見すると金田一の行動に違いは見受けられないが、金田一の視線の演技が異なるため、旧作と本作とでは意味が全く異なる」と記されているのを見かけたからです。
 気になったので、調べていたところ、ユーチューブに2006年度版そのものがアップされているではないですか(というか76年版もアップされていた。あちゃー)。
 それで、そのシーンだけ確認してみました。
 私は旧版も新版も同じ解釈に見えました。ただし新版は、よりわざとらしく演出されています。
「大幅に異なっている」とウィキペディアが書く根拠は、石坂浩二の『金田一です。』なのですが、本人がそう語っているのならそうなんでしょう。そうなんでしょうとはどうなんでしょうか。気になります(^^ゞ

 

「東京ゲリラ戦線」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月31日(土)15時50分41秒
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  > No.7474[元記事へ]

 藤本泉『東京ゲリラ戦線』(アドレナライズ16、初刊68)読了。

 註。ネタバレしますのであらかじめご注意。
「日常生活を変えない範囲でレジスタンスしよう」。三人のナンチャッテシンパの女子大生が立川基地の端っこのフェンスに仕掛けた蚊取り線香を利用したチャチな時限爆弾が爆発。それなりに満足するはずだった。ところが、偶然その瞬間に米軍の有力将校の車が通りかかり、死亡。三人は青ざめ、事件を知った二人は郷里へ逃げ帰る。残った一人が偶々その行為で知合った活動家に引き寄せられるように、ゲリラのアジトへ。そこは横田と立川の間の、中央区ほどの面積に広がる「立横カスバ」だった。
 「立横カスバ」とは、基地拡張で土地を取り上げられそうになった地主が、その前に細かく土地を小分けし安価で売却(折からの東京人口膨張に対応)することで強制執行を不可能化した土地に、さらに不法居住者や何やらが住み着いた、スラム地区です(カスバは滓場)。
 米軍の意を受けた警察の捜査は執拗極まるが犯人は見つからず、そのうちこれを機にカスバそのものを一挙に潰してしまおうという意見が自衛隊に起き、自衛隊がしゃしゃり出てくる。
 自衛隊員が扮したデモ隊が大騒ぎし、そこへ移動中の戦車部隊が遭遇、偶発的に争いが起こり、カスバに流れ弾が飛び、火災が発生するというシナリオ。
 ところがそれはゲリラ軍に筒抜けで、逆に奇襲をしかけ、成果を上げ、籠城する。
 籠城後は、まあ秀吉の高松城や三木城と同じで内部の軋轢が描かれるのですが、ここからは主人公の女子大生の、自分の行動が自立的な革命的なものなのか、単にゲリラ指導者への個人的な恋情なのかと悩む話になっていくのは(結局三角関係の構図)、女性の自立は著者の主テーマであるので致し方ないのですが、ひょっとしてこの関係からゲリラは崩壊していくのかも、と嫌な予感がしていたのでした。
 ところが……!?

 おお、なんとSFになってしまいました(^^;
 226事件が成功したような状況となり、それがおかげでアジトへの総攻撃は腰砕けとなる。つまりゲリラ側は更に強力化し、一方日本は青年将校たちの「皇国」となる。かかる二極分化の状況の成立で話は終わるので、なんか物語自体はこれから始まるような雰囲気。そうなると別の時間線の長大な物語になっちゃうんですが、読みたいです。まあこういう終わり方は著者には案外多いので、そもそもそんな構想はなかったんでしょうけど。
 60年代後半当時の、時代の雰囲気を追体験できる逸品でした。


 

「東京ゲリラ戦線」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月30日(金)22時00分50秒
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  『東京ゲリラ戦線』に着手。先般電書化され、ようやく読むことができました。電子書籍、本当にありがたいです。
 Kindle本で52%まで。一気に読んだ。否、読まされました。
 本書は1968年に刊行された長篇小説。1968年といえばパリ5月革命の年。学生運動が頂点に達した年で、当時の学生や労働者の(全部とはいいませんが)考えの座標原点が、熱気あふれる気分とともに(もちろん設定は虚構ですが)リアリティゆたかに捉えられているように思います。
 リアリティゆたかと書きましたが、さあ、今の若い人が読んでもそう感じられるのか、むしろ非現実なファンタジーと感じるかもしれませんね(笑)
 藤本泉の長篇小説は、本書で全部読んでしまうのだが、この小説が一番好きかも。

 

「大きな鳥にさらわれないよう」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月29日(木)18時59分9秒
返信・引用 編集済
   川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社、16)読了。

 著者の初読みであることは先回記しました。ネットで、著者が初めて書いたSFとの紹介を目にして、読みたいというモチベーションがむくむくわき起こって来たのでした。たしかに本書は、まさに、紛うかたない、「いわゆる」SFでしたね。オールタイム級の傑作かも。面白かった!
 感想をネットで検索してみますと、ル=グインとか、ヴォクトのスランを想起された意見が見つかりましたが、私はシマックが浮かんできました(特に雰囲気)。中盤ではコードウェイナー・スミスもちょろっと感じられた。
 でも、読み終わって最後はやはりシマックでした。この静謐な感動は。
 終章で、滅亡した人類とはまったく別種の(ネズミの細胞から発生させられた)新人類が文明を築き上げていく姿が描かれますが、これも『都市』の終章を髣髴とさせられます。「気配」なんてのも、シマック的ですよね。
 とはいえ、だからといって本篇がシマックの亜流だといいたいわけではありません。本書の小説世界は、そんなパスティーシュ的なものではなく、確固たる自立的な小説世界です。ただ、著者とシマックは、体質的に通ずる所があるのではないでしょうか。その結果だと思います。いやまあ初読みでそこまで言うのは言いすぎでしょうね(^^;
 とにかく、海外の有名作家の名や作品を並べて挙げたくなる。後述の新人類の発生はミクロコスモステーマが敷衍されているわけで、要するに著者のSF体験が本書の小説世界を構成する諸要素に(意識的か無意識的かは分かりませんが)ふんだんに反映されているということなのかも。
 そういえば人類滅亡後(或いは去った後)、人間が作り出した新人類が擬似的な社会を営んでいるというと、北野勇作の「ヒトデナシ」ですが、本書の「ニセ人間」も小説世界の構造論的には同じポジションといえるのではないでしょうか。
 うむ。そうだとすればニセ人間の世界は、ヒトデナシの世界の何本か隣の並行世界なのかも、という気がしてきました(^^;


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月28日(水)22時09分37秒
返信・引用
   
 《まずコンピュータは文章が読めないんです。つまり、今回コンピュータが小説を出力するんだけど、その
 内容をコンピュータは全然わかってない》
 《だから「コンピュータが書いた」とか擬人化するのは本当はよくない。コンピュータが意識や自由意思を
 持つかのような幻想を人間に抱かせてしまう》




 『大きな鳥にさらわれないよう』は150頁まで。半分弱。面白い。川上弘美を読むのは、実は初めて。厳密にはNW-SFに載った山田弘美や小川項名義の作品以来。35年ぶり?(^^;

 

ハイカラ神戸展京都編

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月27日(火)18時54分7秒
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   風の翼に、「ハイカラ神戸ミニフェア」の記事がアップされています。たしかに「ミニフェア」ですね(^^;
 それにしても解せぬのは、恵文社のHPにも、ツイッターにも、当フェアの案内が出ないことです。せっかく場所を取って開催しているのにね。告知すれば近所の一人や二人は訪れてくれるかもしれんではないですか。
 なんか釈然としませんね。
 ひょっとして、京都人特有のイケズなエスノセントリズムで、神戸の宣伝なんかしてやるものか、と思っているのでしょうか。
 あ、それだったら納得です(>おい)m(__)m

 『大きな鳥にさらわれないよう』に着手。

 

「アメリカ最後の実験」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月26日(月)21時38分22秒
返信・引用 編集済
   宮内悠介『アメリカ最後の実験』(新潮社、16)読了。

 実質的に読み始めたのが昨日で、冒頭からあまりの面白さに、どんどん活字を追いかける速度が上がっていくので(筋を追いかけてしまうので)、夕方、これはいかんと100頁あたりでとりあえず緊急停止したのですが、夜また、結局2時頃まで布団のなかで読みつづけ、残り30頁で頭が働かなくなって寝てしまいましたが、朝目覚めて読みきりました。
 面白かった。音楽SFです。
 参考文献が半端ではなく、当初これは知識で書き上げたものかと思ったのでしたが、いやいや、読めば一目瞭然、著者は楽器をやっていたか、もしかしたらバンドを組んでいたこともあるのではないでしょうか。そんな体験性からしか出てこないリアルな描写があって、半ば共感しながら読みました。まあ私自身の体験性など屁のようなものですが(汗)
 ブルーノートの半音下げについての会話で、ブルーノートのフラットは半音(ピアノが発音する12平均律)より少し高いところで発音される(だからピアノでは不可能)というのは知らなかったし、そもそも聴き取れていません(ーー;
(※ギターでチョーキングする際、近い感覚で半音まで上げなかったりはしていたかもしれません)
 ドの♯はレの♭ではないというのも(私にすれば)センス・オブ・ワンダーでした。これは知識なのかもしれませんが、こんな会話がなされていると、恐れ入ってしまいますよね(^^; そういえば河内家菊水丸さんが西洋音階は12しかないが、音頭はもっと細かく何十もある、と言ってたことを思い出しました。
 さて本書は、西海岸の名門音楽院の入試に日本からやってきた主人公が、入試(実技)の過程で仲良くなった、ギャングの息子の少年とメキシコ系の大入道の、三人(トリオ)の、音楽を介した友情の物語であり、主人公渡米の今一つの目的である父親探しの過程で手に入れた悪魔のシンセサイザー”パンドラ”が紡ぐ物語であり、且つ、元ピアニストながら”失音楽症”となったせいで世界から音楽を追放しようと画策する富豪の実験を、トリオを中心に出来上がった人の輪が、それを粉砕する物語でもあります。
 いやー宮内悠介、面白いです。ふと思ったのですが、この作家のジャンルにおけるポジションは、われわれ世代にとっての山田正紀に匹敵するそれなのではないでしょうか。何の前触れもなくさりげなくSFMに掲載された「神狩り」を読んだ時のショックを今でも忘れませんが、それに匹敵するショックを、宮内作品は最近の若いSF読者に対して与えているのではないか。そんな構図を思い浮かべてしまいました。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月25日(日)22時27分25秒
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   ツイート元


 

「駆込み女と駆出し男」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月24日(土)23時57分37秒
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   映画「駆込み女と駆出し男」(15)を観ました。
 江戸時代、女の方から離婚を申し立てることは許されていなかった。そんな時代、鎌倉の尼寺・東慶寺は、唯一幕府から認められて、そのような法の不備を繕う縁切り寺として、夫から逃れてきた女たちの駆け込み場所となっていた。
 ただし駆け込んだら即離婚が認められるのではなく、寺は夫に離縁状を書かせる(ことができる)のですが、それを預かるのですね、妻が二年間寺で修行を積んだのち、初めて妻の手に離縁状が渡され、縁切りが成就されるというシステム。(男のほうは離縁が済めばその翌日でも再婚が出来ます)
 本篇はたまたま二人の女が東慶寺をめざして逃走中に一緒になり、寺へ入るための聞き取り調査を受け持つ門前の御用宿柏屋へ到着する。
 同じ日、柏屋の親戚で、江戸で医者修行の傍ら戯作作家を目指していた信次郎という男が、折からの水野忠邦の天保の改革で鳥居耀蔵が南町奉行となり強引な引締め策を強行、戯作本が弾圧されるに至り(但し合巻の「八犬伝」のような忠君勇壮なものは残った。が、本篇で馬琴が仄めかしたように色々配慮しなければならず自由には書けなかった)、戯作を諦めて柏屋に帰ってきます。
 この二人の駆込み女と信次郎が絡んで、ストーリーは進行してゆきます。
 これは傑作でした。ストーリーの出来といい、配役の豪華さといい、金の掛かったセットといい、まさに日本のメジャー映画の良作と言ってよかろうと思いました。
 大泉洋は、なんとなく昔の石立鉄男を髣髴とさせられますね。いい役者ですね。

 

「新宿スワン」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月24日(土)13時47分48秒
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   映画「新宿スワン」(15)を観ました。
 スッカラカンで帰るねぐらもなく、とぼとぼ新宿歌舞伎町を歩いていた主人公、チンピラと触れた触れないで喧嘩を始める。その喧嘩っぷりが気に入ったとたまたまそれを見ていたスカウト会社の幹部にスカウトとしてスカウトされます。
 スカウトとは路上を往来する女性に声をかけ、風俗に斡旋する仕事で、当映画によると契約が成立したら斡旋した女性の稼ぎから10パーセントが、その女性が働いている間ずっと支払われるという仕組み。
 スカウト会社に所属しているのですから当然スカウト会社にも何%か行く筈で、それがスカウトの取り分から徴収されるのか、スカウトとは別途契約した風俗店等から支払われるのか、それは映画の説明ではよく分かりません。
 いずれにしても一種の搾取構造であるのは間違いないとはいえ、諸般の理由でスカウトされたくて歌舞伎町をうろうろしている者もいて(或いは踏み出しかねて背中を押してもらうためにうろうろしている者もいるでしょう)、そのような人には店とを繋ぐ一種の仲介業の役割を果たしている。
 主人公はいわば良心的なスカウトで、良心的な店を紹介していて多くの女性に感謝されているのですが、だとしてもスカウトに店の内情が分かっているわけではなく、知らずに悪徳業者に紹介してしまうこともあるわけです。そもそも悪徳スカウトは言うに及ばずです。
 というわけで、主人公はこの世界で、一種の正義を貫いて闘うヒーローではありますが、そもそもその基盤が上記のように危ういところに立っている。まあヤクザ映画は皆そうかもしれません。
 ストーリーは、歌舞伎町を二分するスカウト会社の食うか食われるかという抗争が主軸で、敵対するスカウト会社に所属する秀吉という名の男が、異常に主人公に対して牙を剥いてくるのですが……

 まさに21世紀的な新しい意匠(衣装)で作られた旧きヤクザ抗争映画で、面白かった。ロードショーで観た観客が、肩で風を切って上映館から出ていくのが目に見えるようでした(^^;

 

「Visions」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月24日(土)00時37分0秒
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  > No.7461[元記事へ]

 承前、長谷敏司200枚の中篇「震える犬」を読みました。
 コンゴでチンパンジー知性化プロジェクト(すでに石器使用段階に達している)のフィールドワークに従事する人類学者と、知性化を促進されたティミーというチンプの「出森林」の両方向から描かれ、それにコンゴの部族間対立が絡む熱気に溢れたストーリーで、大いに楽しみました。最終的に知性化チンプの「出森林」が、結局現世人類の再現でしかないという重ね合わせの苦い予感に包まれるラストもよかった。
 この著者は、「あなたのための物語」でその悪文に辟易させられ、以後手を出していなかったのですが、本篇で文章が目覚ましく改善されていることを知りました。とはいえ従来の、「自分だけ分かっている」構文が全く消えてしまったわけではなく、何を書かれているのか不明な箇所もいくつか残存していて、それはどうやら著者がアドレナリンを滾らせて書いている場面であることが分かってきました。打鍵が頭に追いつかないという感じ。まあありがちですよね。こんなのは少し寝かせて読み返せば簡単に発見できると思います。惜しい。

 ということで、大森望編『Visions』(講談社、16)読了。冒頭の「星に願いを」がひとつだけ異質で、それ以外はどれも楽しめました。「星に願いを」は古いSFの焼き直しというより、SFとは文法が違うように感じました。この作品群の中に並べられると割りを食ってしまいましたね。

 

「ジヌよさらば」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月23日(金)13時47分30秒
返信・引用 編集済
   映画「ジヌよさらば」(15)を観ました。(ジヌはカネ(ゼニ?)の東北方言のようです)
 元銀行員営業で、貸し剥がしなどを実見しているうちに、金は見るのも恐ろしく、触ったら失神してしまう「お金アレルギー」になってしまい普通の都会生活を営めなくなった男が、もうお金というものには一切かかわらないと決めて、東北の限界集落、人口数百人のうち大半が老人というかむろば村にやってくる。一軒家と農地を100万円で買い※、お金とは縁を切ろうと自給自足生活を始めるのだが、早速困難に直面する……
※それでも300万ほど貯金が残っていて、もう必要ないと通帳印鑑まるごとゴミ出し(これも本当は村へ費用を支払わなければならないのですが村長の好意で大目に見てもらう)したところ、分別しなかったので発見され大騒ぎとなり村民全員に知られるところとなる→これが伏線となります。
 ……という出だしからすると、どんな話になるのか大体見当がついて、それで大いに興味を持ち観ようと思ったのですが、あらら、お話はどんどん横へずれていきます。
 登場人物は、主人公も含めて全員ちょっとおかしい。一筋縄ではいかない、可怪しいし可笑しい連中ばかりで※、どうやら「生き神様」まで存在する世界らしい。
 という具合に、設定のかむろば村自体が現実離れした幽境仙境めいた世界に見えてきます。
 一種夢の世界のようで、一人一人を取り上げて見ると、現実の人たち(を描いている)とするには辻褄があわないのですね。
 そういう意味ではずっと首をかしげて見ていたという感じでした。
 このようなデフォルメはちょっと漫画的かなと感じ、漫画が原作なのかもとふと思ったのですが、調べたらそうではなかった。むしろ監督が演劇畑だそうで、デフォルメは演劇的なのかもしれません。
 ――とはいっても、鑑賞中はただの一度たりとも(どうも安倍さんが自己弁護の強弁に「〜たりとも」を頻用するのでこの頃これを使うのに抵抗が出てきて困ります)我に返ったりすることはなく、退屈の「た」の字もなく(同上)、没入して視聴し、満足して観了したのですから、映画としてよくできているのは間違いないでしょう。
 あるいは私自身が、松尾スズキ監督の世界に慣れていない(初めて観た)せいかもしれません。

※話はそれますが、三津田信三がデヴューしたときすごい作家が現れたものだとしばらく出れば必ず読んでいたのですが、ふと可怪しいも可笑しいも「可笑しい」と書いていることに気づいてしまい、追いかけるモチベーションが消えてしまったのでした(というかそれは従で、作品の出来不出来が激しく小説を甘く見ている(製品の品質管理基準が甘い)気がしてきたというのが主たる理由ですが)。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月22日(木)22時46分6秒
返信・引用
   元記事 英文記事 2ch

 

「本迷宮」

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月22日(木)21時54分14秒
返信・引用
   先々月、斎藤さんが紹介して下さった『本迷宮』ですが(こちら)、私も知合いの方のご厚意で、ラッキーにも入手するを得ました。ありがとうございました。嬉しい(^^)
 
 さっそくパラパラ見たりしています。いやこれは想像していた以上! 丁寧に作り込まれた造本、3枚いただいたそれぞれに意匠を凝らした表紙カバーもなかなかのものですが、わけてもふんだんに挿入された挿絵がどれも素晴らしいです。まさに書物の工芸品ですね。
 眉村さんのショートショート「来たければ来い」は、『イシュタルの舟』ミニ版という感じ。いいですねえ(^^)。
 

 

分岐点?

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月21日(水)20時49分51秒
返信・引用
   今日はお葬式。実はおととい、FAXで連絡が来ていたのですが、うっかり見落としていて、昨日、当掲示板の書き込みをした直後に FAXを発見。すでにお通夜は終わっている時間でした。
 昨日の書き込みで葬式の例をあげましたが、ですから偶然の一致なのです。
 それはいいのですが、昨夜あわてて喪服を出してきて着てみたところ、なんと、ズボンがきつくなっていて、ホックが留まらないどころか、ファスナーが三分の二までしか上がらないではありませんか。
 そういえば、ここ数年喪服を着る機会がなかった。いつの間にかずいぶん成長してしまっていたようです(>おい)。
 難儀やなあ。困ったなあ。仕方がない、普通の黒いズボンを穿いていくしかないかなあ、と考えながら就寝したのでした。
 今日のお昼、出かける直前に、もう一度喪服のズボンをはいてみました。
 あら不思議。ホックが留まったじゃありませんか。
 びっくりしました。わずか 12時間ほどの間に、ズボンが穿けるまでにやせたのでしょうか。しかしそうとしか考えられません。
 午前中にトイレに行きましたが、それで穿けるようになったのか? トイレの前と後とで、そんなに腹回りが変わるものでしょうか。
 何はともあれ、おかしな格好で参列せずに済み、ほっとしたのでした。
 亡くなったのは取引先の社長で、今日知りましたが、享年 62歳とのこと。もうちょっと上かと思っていたのですが、私より一つ上なだけと知ると、なんか愕然とします。
 最近、60過ぎで亡くなる方が私の周りで多いような。
 印象に引きずられてる? いやいや、この世代は繁栄の中で育った世代なんですね。飽満世代です。もうだいぶ前になりますが、西丸震哉が 42歳寿命説をとなえましたね。今、日本人は男女とも高寿命ですが、ひょっとしたら我々の世代から順次短命化が進んでいくのかも。いや分かりませんよ (^^;。

 

「Visions」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月20日(火)21時42分13秒
返信・引用
  > No.7456[元記事へ]

 『Visions』は「あなたがわからない」迄読みました。
 「あなたがわからない」は大変面白かったのですが、よく考えるとこれ、「KYは死ななきゃ治らない」という、KY者にすれば、なんとも容赦のない残酷な話なんですよね(ただし発達障害が原因の場合)。
 小説(虚構)の設定ですからそれを否定したりはしませんけれども、リアルな立場からすると、《経験の蓄積効果》が等閑視された設定だと思います。現実はそんな白黒的な硬直したものではない。白黒が混ざった灰色です。
 先日読んだ『コンビニ人間』はかなりリアリティがありまして、ふつう「コンビニ人間」的な対処法で何とかなっているんですね。
 当然社会関係を取り結べば結ぶほど、場数を踏めば踏むほど、いろんな事例に遭遇し、こういうときはこう反応する、という反応のパターンをどんどん増やしていける(当然ながら引き籠もっていてはムリです)。
 で、そのうちそれが意識せずとも出るようになります。無意識に行えるようになったパターンは、健常者のそれと、外から見る程度で区別できるものではありません。
 葬式で鼻をすするのは、最初は意識的であったとしても、無意識に出て来るようになれば、本当の感情と異ならない。最初は模倣だったとしてもいつしかそれは自然な感情と区別がつかなくなる(極端ですが、私はボッコちゃんと人間の間は地続きだと思っています)。
 『コンビニ人間』で、健常者も実際は同じメカニズムで行動していることが喝破されますが、そうなんですね。KYという、健常者とは別の人々がいるわけではない。KYと健常者の間は非常に曖昧なんです。
 このように、そもそも人間て「可塑的」なんですね。そして社会自体も人間関係の網の目が社会ですが、そんなに厳密ではない。人と人を結びつけるのは会話ですが、会話も科学の検証や哲学の対話みたいなものではなく、多分に浮ついた感覚的な世界であり、結局人は人と会話しているつもりで、実際は自分の内部と話しているにすぎません。
 そのような人間由来の曖昧さが、柔らかさが、この小説の世界観にはみられない。その意味でこの小説は救いがなさすぎるような。面白かったですけど(^^;

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号パイロット版

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月19日(月)17時04分3秒
返信・引用 編集済
  > No.7458[元記事へ]

 段野さん

>(前号で三分割したとある作品を)一挙掲載するらしいです
 おお、それは楽しみです〜。前篇掲載号も何年前でしたっけずいぶん前で完璧に忘れており、あらためて一挙掲載は逆にありがたいですね(^^;
 しかしそうしますと、頁の大半をH作品が占めることになるはずで、つまり二度目のH氏特集号ということなんでしょうね(^^)

 

本の雑誌、大森さんによる紹介

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月19日(月)16時44分33秒
返信・引用
   本の雑誌2017年1月号に掲載された大森望さんの『神樂坂界隈』紹介文。

 
 

Re:チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号パイロット版

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年12月19日(月)10時04分37秒
返信・引用
  管理人様
>どこぞとは違ってうちは平等主義ですから
あ、別に気にもしておりません。(でも、何のことか、分からない方がおられるやも)
その件のところは、とうに雑誌が発行されてもいい頃なのですが、原稿が集まらずに、とうとう、(前号で三分割したとある作品を)一挙掲載するらしいです。書き手が減ったところですから、四苦八苦しているんでしょうね。
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号パイロット版

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月18日(日)22時34分21秒
返信・引用 編集済
   パイロット版をつくってみました。表紙の色は暫定です。
 
 

 うん。なかなかのものではないでしょうか(>自己満足)
 このパイロット版で通読しながら、ミスがないか確認していくつもり。
 で、のっけからミス発見。
 誌面は2段組なんですが、篁さんの作品がなぜか1段組になってました。さっそく修整。
 どこぞとは違ってうちは平等主義ですから、平等に負担してもらっているのですから、ひとりだけ特権的に1段組というわけにはいかんのです(>おい)(^^ゞ。
 その結果、先回お見せした目次が変わってしまいましたので、訂正して再掲しますね。
 
  追加↓
  

※言うまでもないですが、篁さんに他意はありませんからね。ごめんね(笑)

 

「Visions」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月18日(日)19時44分46秒
返信・引用
   大森望編『Visions』に着手。
 冒頭の、宮部みゆき「星に願いを」を読みました。
 うーん。これ、外的ストーリーも、内的ストーリーも辻褄が合わないような……

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月18日(日)17時20分14秒
返信・引用
   元記事

 

「刑罰0号」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月18日(日)13時47分7秒
返信・引用 編集済
  > No.7448[元記事へ]

 4話「エレクトラ」、5話「NOVO 0号」、6話「聖戦」、7話「グラウンド・ゼロ」を一気に読み、西條奈加『刑罰0号』(徳間書店、16)読了。

 4〜7話はそれで一つづきの中篇です。
>「生涯かけてやってきたことは、ひとつだけだ」が繋がらないのですが、この後の話で繋がっていくのでしょうか。
 と、書き込みましたが、繋がってました! いらぬ心配でしたm(__)m

 いやー面白かった。まさに《第一世代SF》でした。いうまでもなく、《第一世代SF》的という評言は、わたし的には最大の賛辞です。念のため(^^;
 同時に、本書のメインアイデアである<記憶の抽出→他者脳へ転写>という「テクノロジー」の具体的な解説がなく、ブラックボックスである点も、ある意味《第一世代的》といえるかも。
 いやほんまですよ。石原さんや小松さんの一部の作品を除けば、第一世代はブラックボックス化することでストーリーを円滑に流していて(たとえば『復活の日』は説明の膨大さに苛々して私にはとても読み難かったです)、私はそれがポピュラリティ獲得に繋がったと思っています。
「他者脳へ転写」と書きましたが、厳密には100%そのままではなく、というかそもそも人間は100%記憶しているわけではなく、パターン認識でリソースを減らしているわけですが、まずいったん疑似脳で「加工」(物語化)されたものが「転写」されるのです。
 これはしかし記憶そのものがそういうものですよね。ですから転写された記憶に不都合が生じたら、すぐさま脳は、「無意識」がそれを修整する。(『代体』ではまさにその場面が活写されてましたね)。
 Aなる若者へ転写されたBなる老人の「不連続な」記憶(≒人格、意識)は、若い身体という条件変化とも相俟って、過去の欠落を合理化で埋めつつ、未来に向かっては、Cなる第三の人格として出発し経験を積んでいく。という説明は、全くそのとおりですね(ときどきAやBが顔を覗かせはしますが)。

『代体』もですが、本書も《脳SF》です。ゼロ年代は猫も杓子も《電脳SF》でしたが、10年代はイーガンの影響かどうか分からないですけど、脳SFが隆盛なんでしょうか。こんな流行はうれしいですねえ(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月17日(土)22時15分5秒
返信・引用
   
 扉と目次

 

Re: すいません、しつこくて

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月17日(土)21時44分44秒
返信・引用 編集済
   段野さん
 恵文社はよく分かりませんね。
 風の翼に書き込みされているように、凛さんが近々観に行かれるようなので、報告があるかもしれません。

 大阪ほんま本大賞――って初めて聞きました。いろいろ調べてみました。「大阪の本屋と問屋が選んだ、ほんまに読んでほしい本」とのことで、そんな文学賞があったんですね。
 しかもすでに今年で4回目、今年の受賞者が増山実さんなのですね。
 そして気がつきましたが、どうもその年の出版でなくてもいいみたいですね?
 というのも、受賞作の『勇者たちへの伝言』は3年前、2013年に上梓された本なんです。しかもなんと阪急ブレーブスがテーマの小説ではないですか。

《 ベテラン放送作家の工藤正秋は、リサーチのために乗車していた阪急神戸線の車内アナウンスに耳を奪われた。「次は……いつの日か来た道。――」それは「西宮北口」の聞き間違いだったが、彼は反射的にその駅で電車を降りた。
 小学生の頃、今は亡き父とともに西宮球場で初めてプロ野球観戦した日のことを思い出しつつ、街を歩き始めた正秋。いつしか、かつての西宮球場の跡地に建つショッピング・モールに足を踏み入れる。
 その片隅の阪急西宮ギャラリーには、野球殿堂入りした阪急ブレーブスの選手と関係者のレリーフが展示されていた。正秋の意識は、その場所から、「いつの日か来た道」へ飛んだ。四十数年前の西宮へ―― 》


 面白そう!! でもこれ、出版業界小説なんですか? 主人公は放送作家ですが。というか、段野さん読みました?(←疑惑のまなざし)(笑)。いやいいんですけど、読んだこともない作家に猪突インタビューするなんて、いかにも段野さんらしいなと(>おい)m(__)m

※あ、勘違いしていました。ここによれば、対象は文庫本ということですね。本書は去年文庫化されているので、対象になったわけですね。

 

すいません、しつこくて

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年12月17日(土)20時57分43秒
返信・引用
  今日、講演会に行きました。講師は「増山実」さん。「勇者たちへの伝言」で、角川春樹事務所からデビュー、それが「大阪ほんま本大賞受賞」された方です。出版社にお勤めだったとのことだったので、「どちら様ですか」とお問合せしました。逆に、「あなたは何者ですか」と問われ、(やはりな)と正直にお答えしました。
「業界ものを書きますと、嫌がやれます」とお答えしますと、「わたしも、業界物、書きたいですね」とのお答え。有り難く、頂きました。
ちょっと、嬉しかったです。「業界もの」を書けば、ブーイングの嵐でしたから。
 

恵文社一乗寺店

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年12月17日(土)20時22分53秒
返信・引用
  あのですね、その「ハイカラ神戸幻視行展」が、その書店で開催されているのかは、やはり分からないのですが、ひょっとしたら、「BOOK AND BED」という形態のお店が、その近くで開店したのです。まあ、ジュンク堂の「お泊り書店」と同じような企画を、東京で展開し、成功したので、京都で、開店しました。ニュースにもなりました。書籍の納入は、「恵文社一乗寺店」でした。よって、その企画があっても不思議ではありません。ニュース映像では、「企画」のところはなくて、専ら、「お泊り」できることだけを報道してましたが。
ベッドがあって、寝転がって、本を読むことが出来るシステムです。但し、その本は購入出来ません。(恵文社で買ってくれ、ということなんでしょう)
男女別、カプセルホテルみたいなものです。
テレビ映像では、「ジュンク堂お泊り企画」よりはましにみえたのですが。(ジュンク堂では、床に毛布を引いただけだった。ここは、「カプセルホテル」にしている)
いろんなことをやらないと、「リアル書店」は、勝ち目は、ないです。
 

京都でハイカラ神戸展開催中!

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月17日(土)19時24分31秒
返信・引用
   風の翼によりますと、昨日から京都でハイカラ神戸幻視行展が開催されているそうです。→「恵文社一乗寺店」
 ただしリンク先に行っても情報は何もありません。開催期間もわからないのですが、場所は京フェス会場よりちょっと北ですね。
 京都近辺の方は是非!(おい)(^^;

 本の雑誌2017年1月号に、大森望さんによる『神樂坂隧道』の書評(?)が掲載されているそうです。買わなくては。でも近所では売ってないんですよねえ。
 何はともあれ、影響力のある大森さんですから、期待できますね(^^)

 

Re: 「刑罰0号」より

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月17日(土)00時19分15秒
返信・引用 編集済
  > No.7447[元記事へ]

 ひきつづいて第3話「ギニーピッグ」を読みました。
 ああ、これはよかった。
 74歳の意識をもってしまった17歳の少年の、6年後(23歳)の物語。
 逆か。
 17歳の少年の体に閉じ込められた74歳の意識。
 一種八百比丘尼の哀しみに通ずるものがあります。SF認定(^^;
 ただ、第1話のラストのひとこと、「生涯かけてやってきたことは、ひとつだけだ」が繋がらないのですが、この後の話で繋がっていくのでしょうか。もちろん状況が許さなかったという説明はありです。

 

「刑罰0号」より

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月16日(金)21時55分49秒
返信・引用 編集済
  > No.7446[元記事へ]

 第2話「疑似脳0号」を読みました。
 短篇集だと思っていたのですが、連作集だったんですね。
 死者の脳から記憶を抽出し、別の人間の脳に送り込み、映画というよりも、一種ヴァーチャル空間的な追体験を可能にする技術が開発されます。これに法務省が注目する。
 死刑に値する兇悪な犯罪者が、法の(被害者遺族からすれば)不備によって無期刑や、場合によっては責任能力なしということで放免されることの理不尽さはつとに言われています。法務省は、そのような(法の隙間に逃げ込む)連中に、この技術が適用できないかと考えたわけです。
 加害者の脳に、被害者の脳から抽出した、殺されたり陵辱されたその現場での生の記憶を流し込み、被害者「自身」としてヴァーチャル体験させるという刑罰の可能性です。
(今ふと思い出しましたが、この刑に比べれば「カンタン刑」は子供っぽいですね)(汗)
 ところがその刑罰は実用化されなかった。実験的に施術された死刑囚がことごとく発狂、精神退行、植物化、自殺してしまったのです。そのあまりの強烈な作用に見送られてしまう――
 というのが本シリーズ共通の前提設定で、第1話はその1年後に起きた事件の話。
 第2話である本篇は6年後の話。さらに研究が続けられ、当時失敗した問題が改善される。改善点は、当時の失敗は、一気に記憶を流し込んだことが原因で、加害者の脳がそれに耐えられなかったのです。そこで脳に同期する疑似脳が開発されます。被害者の記憶はまず疑似脳にセーブされる。加害者の脳と同期して、少しずつ記憶を流し込むよう働く。その結果加害者の脳の負担が軽減されるのです。
 原理的には『代体』の脳デバイスと同じアイデアですね。
 しかしこのアイデア、この第2話に限っては生かされていません。この結末は、ミステリ的収束もSF的膨張もしていない。単なるホラーの小道具にしかなっていないように思いました。

 

「刑罰0号」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月15日(木)22時53分6秒
返信・引用 編集済
   昨日あたりからリアル書店の店頭に、眉村卓『終幕のゆくえ』(双葉文庫)が並び始めたようです。
 確認したところ、大阪では紀伊國屋書店、旭屋書店、ジュンク堂書店の主要な店舗で在庫アリになっていますね。神戸はジュンク堂三宮店だけ確認しました。在庫ありです。
 たぶん全国的にも、大きな書店ならば入手可能と思われます。
 土日でしたらさらに間違いないです。安心してお買い求めにお出かけ下さいね(^^)

 さて、西條奈加『刑罰0号』に着手しました。冒頭の表題作を読みました。うーん。設定がオチになっているので紹介しにくい(^^; 近未来版「邯鄲夢」ですね。ただし人工的な。ちょっと違うか。「夢応の鯉魚」かな(^^;


 

「真夜中のでんしんばしら」を読んだ。

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月15日(木)00時41分6秒
返信・引用
   眉村卓さんの新刊『終幕のゆくえ』が、アマゾンで注文可になりましたね→https://www.amazon.co.jp/dp/4575519561

 その『終幕のゆくえ』に収録された「真昼の送電塔」に、宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」が重要な役割を果たしていることは先回述べました。
 この童話、私は未読だったので、青空文庫で読んでみました。で、一読これはモダニズムだなと思いましたね。
 お話のなかで、電気総長(電気将軍)という、一種の電気の精みたいな存在が出てきて、電信柱の行進を監督するのですが、あきらかに電気という、新時代のツールに対する驚異と憧憬の念とが読み取れます。「あかりをけしてこいと上等兵殿に云われて新兵がふっふっと吹いて消そうとしているのが毎年五人や六人はある」 電気は一種の魔法だったかも(笑)
 となれば、当然タルホが思い浮かぶわけです。本篇の幻想世界とタルホ的世界はかなり近接してあるように思われるのですね。賢治はタルホとは三つしか違わず、ほぼ同時代といってよい。
 もっとも「月夜のでんしんばしら」にかぎらず、賢治は殆んど読んだことがありません。この一作だけで賢治の全体像を云々するのは憶断と云われても仕方がない。
 そこでウィキペディアをみましたが、モダニズムのモの字もありません。ところが「宮沢賢治|モダニズム」で検索したらぞろぞろヒットしました。やはりモダニズムは賢治の重要な要素であるようです。
「真昼の送電塔」にはこう書かれています。
「好きで何度も何度も読み返すうちに、覚えてしまった。他の宮沢賢治の童話も好きだったが、なぜか……初めて出会った宮沢賢治の世界だったせいか……「月夜のでんしんばしら」は、この年になった現在でも、暗唱しようと思えばぽつりぽつりとではあるものの、できる気がする」
 眉村さんが賢治の、ことにも本篇に惹かれたのは、けだし西秋生がタルホに惹かれたのと根は同じだったのではないかという気がしますねえ。それは日本的風土とは異質なモダニズムの都会的なキラキラする輝きへの同一化だったのではないでしょうか(賢治に対して都会的と形容するのはどうなのかわかりませんが)。
 ともあれ、眉村さんがSF作家になったのは、必然的だったといえそうですね。

 

「コンビニ人間」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月14日(水)02時06分49秒
返信・引用 編集済
   店の前の道路を車で通りかかるときしか利用しないので、週に一度行くか行かないかなんですが、なぜか店長(オーナーの奥さん?)と仲よくなってしまい、行けば軽口を叩いたりしていたコンビニが閉店してしまうのでした。
 先週末に寄ったら、半分ぐらい店頭から商品がなくなっていて、驚いてレジの女の子に改装かと訊ねたら、完全閉店との返事。
 それで挨拶くらいはしておこうと月曜にも立ち寄ったのですが、体調が悪くてついさっき帰宅したとのことで、あらためて今日行ってきました。幸い居てはりましたが、風邪なのかマスクをして声がガラガラに嗄れていた。お元気で、と言って店を出たのでしたが、風邪は風邪なんだろうけど、やはり原因は心労でしょうね。
 どんなにきっちり売り場を作っており、店員の態度が良くても、近所にできたての真新しい店が開店したらやっぱり負けてしまいます。そういうのをよく見かけます。たぶんチェーン本部は意識的にぶつけているはずで、巻き込まれるフランチャイズのオーナーこそ犠牲者ですよね。本部にすれば数百店のうちの一店の存廃でしかないけれども、店のオーナにとってはそれがすべてなのですから。キビシイ業界ですなあ。

 ということで、村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋、16)をKindle本で読了。
 いや前から気になっていた本なんですが、ちょうどKindleで半額セールだったのです。定価1399円※ですが、699円分のポイントがもらえるのです。
※紙版が1404円で定価で5円しか安くないのはどうかと思いますが。定価で差別化せず、セールで売っていくやり方なのかもしれません。
 実質700円というのは、おそらく文庫化されてもそのくらいですよね。だったら3年待たなくてもいい分、利用してしまいますわな。
 そして699円分のポイントを早速使って、最近電書化された藤本泉『東京ゲリラ戦線』を購入(^^)。これで藤本泉は歴史物以外完集! こっちも楽しみです。

 前置きが長くなりました。
 人の振り見て我が振り直せという言葉がありますが、私たちは意識しているかしていないかにかかわらず、社会の中でそのような微修正を絶えずやりながら成長していくのです。小さいときからそうして常識を身に着けていく。常識の英語はコモンセンス、直訳すれば共通の感覚ですね。あるいはTPO。それが身に付いていないと、「変な人」「あっちの人」に思われてしまいます。
 本篇の主人公は、この「微修正」が子供の頃からできない。しかしそれなりに対人関係の経験を積んで、どう行動すれば他人に「こっち側」の人間と思わせられるかわかってきて、中高大をそれなりに身過ぎ世過ぎして生きてきた。
 そんな彼女が、ふとしたきっかけでコンビニでバイトを始める。そしてコンビニで教えられるマニュアル化された行動様式がとても馴染んでしまうことに気づくのです。マニュアル通りに動いていれば、どうすれば「こっち側」と思われるか思い悩まずに済むからなんですね。
 それがきっかけで、主人公は周囲の他人を観察し、その行動様式や趣味を取り込もうとし始めます。模倣することは得意で性格にもあっていたのです。
 で、そのように他人を観察していくうちに、自分ほど自覚的ではないにせよ、どの人たちも無意識に他人の真似をしていることにも気づいてしまいます。
 結局、主人公と他者の違いは、人の振り見て我が振り直せを、意識的にしているか無意識的かの違いでしかなかったのですね。
 でもコンビニ・ユートピアは永遠の存在ではなかった。主人公は18の時から18年間、コンビニでバイトを続けていますが、その年齢(36歳?)で結婚もせず正社員でもないというあり方が「常識」とはずれ始めていた。そこに、発達障害は発達障害ですが、現れ方が違う男が登場してきて……

 いやこれは面白かった。常識というものが必然的にコッチとアッチの間に線を引いてしまい、ときにそれが理不尽な、まさに「暴力的」な力をもってアッチを攻撃してしまう様が、特に後半生々しく描かれていて巻於く能わずでありました。

 

グーグルマップすごい!

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月12日(月)21時31分42秒
返信・引用
   

 敷地内を埋め尽くす汚染水タンク群。バッチリ写っています! もう満杯ですね。
 →

 

「スペース金融道」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月12日(月)00時40分36秒
返信・引用 編集済
   宮内悠介『スペース金融道』(河出書房、16)読了。

 面白かった(^^)。最初はスペオペの現代化がテーマかと思いましたが、スペオペじゃなかった。どんどん現実社会の戯画化というか、現代社会の内容を別の形相(世界)に移行させたものになっていきます。
 初出一覧を見ますと、第一話が2011年で、だいたい年一篇ずつ書かれて、完成までに6年かかっています。その間に小説世界がどんどん自立的に拡がっていったのかも。最終話など、もはや現実のカリカチュア小説といってよさそうです。

 ストーリーの骨格である金融ゲーム理論は全然理解できなかったのですが(理解できたらさらに面白かったんでしょうけど)、それを措いても、この惑星《二番街》の世界・社会は十分に魅力的で、この世界を舞台にしたいろんな話をもっと読みたいと思いました。2巻、3巻と続けていってほしいですねえ。

 別の世界設定でこの現実社会を批評する、いわゆる風刺小説という手法は、ガリバーから連綿とつづき、SFに引き継がれてきたのですが、第一世代、第二世代以降、その試みがなくなりはしませんが、一種非政治的姿勢と相俟って、前面に出ることはなくなっていたのではないでしょうか。
 本書は久々に風刺小説らしいSF小説と感じられ、とてもよかった。

 そして本書、単に風刺小説であるだけではありません。
 この世界ではアメリカ社会の黒人的な位置にアンドロイドがいます。差別は表向きなくなってきているが、いまだ公民権運動が盛んで、ということはつまり差別社会は解消されていない。
 アンドロイドには人間に従属させるための「三原則」が組み込まれていて、原理的に人間と対等に競争することができないのです(それを組み込まれなければ逆に支配されてしまうという危惧が人間の側にある)。ロボット三原則のアンドロイド版ですね。
 この三原則によって、アンドロイド(つまりAI)は、いわばAIらしさを封じられています。AIといえば人間とは別の論理で思考し、その過程は人間には不可知なんですが、不可知では人間としては管理しづらい。
(このへんは風刺小説とは別の要素でして、独自のSF風景が開示されています)
 そういうわけで、アンドロイドに集合無意識が埋め込まれる。人間のインターネットには「衆知」が蓄えられています。これをアンドロイドの無意識領域に埋め込むことで、無意識に人間らしい行動をアンドロイドは取るようになるのです(だから現実の人間のネットにアクセスすることが禁じられている。三原則の第三項)。
 悲しければ涙を流します。しかし主人公はそれが人間の涙と同じものなのか、確信できない、という描写が一箇所出てきます。
 その一方で、アンドロイド専用のネット空間ができている。ここはAI本来の思考が飛び交う場なので、人間が覗いてみても理解できません。なので、暗黒網(ダークウェブ)と呼ばれています。

 この世界がユニークなのは、アンドロイドと人類だけで構成されているわけではないところです。地下には原住種族らしき地下生物がいますし、空中植物は意識があるようです。
 主人公は高利貸しの取立人で(このへんが金融ゲーム理論的設定なのですが)、この世界では地下生物も空中植物も借金しており、主人公はどこまでも取り立てに赴く、というのがシリーズのメインストーリーとして設定されている。(こうなってくると、オケラが喋ったりする荒熊雪之丞シリーズにも近づいて見えてきてしまいますね(^^;)

 さらに主人公の体内にはミトコンドリアに変わるナノマシンが常駐していて、これまた意識を持っているのです。こいつがまた好漢(?)なのです。名前まで持っています。名前はザック。主人公の名前の一部分をもらっているのです。
 それで私は見当がつきました。本書の主人公は「ぼく」であって直接名前で呼ばれることがありません。ですから読者はその名を知らないのですが、おそらく主人公の名前はアイザックだと思います。名前の一部がザックであり、且つ、ロボット三原則の批評態であるアンドロイド三原則が存在する世界なんですから、アイザックである蓋然性はかなり高いと思います。

 あ、それで思い出しましたが、第四話「スペース珊瑚礁」のラストで主人公は巨大化した筈なんですが、第五話「スペース決算期」では元のサイズに戻っています。四話と五話の間をつなぐお話があるはずです。なければなりません。
 それからザックは第四話で消滅したはずなんですが、第五話ではどうも消えていなかった気配。そうなっているからには、このザックの話もつづきがあるのかも。
 それらは当然、次巻に掲載されるんでしょうなあ(^^ゞ

 

     

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月11日(日)00時18分54秒
返信・引用
   元記事

 

「終幕のゆくえ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月10日(土)21時15分19秒
返信・引用 編集済
  > No.7439[元記事へ]

 眉村卓『終幕のゆくえ』(双葉文庫、16)読了。

 うーむ……。前著『短話ガチャンポン』を読んだとき、「或阿呆の一生」を想起したと書きましたが、それは形式に於てでした。ところが本書では、その内容にそれを想起させられたのでした。まさに、鬼気迫るといいますか。
 要するにタイトルどおり「終幕のゆくえ」なんです。
 本集には、人生の終幕のゆくえのみならず、世界の終幕のゆくえ、宇宙の終幕のゆくえも語られます。しかしそれらは、結局、人生の終幕の変形といってよいのではないでしょうか。
 各話はそれに対して、凹んだり、拗ねたり、開き直ったり、様々ですが、目前に終幕が迫っているのは変わらない(という認識が幻想をひらく)。
 作品集ですが、全体で一本の物語といえる。とはいえ最終話「林翔一郎であります」は日本SF年間ベスト級。いつのまにか主人公に同一化して読んでおり、ぐらぐらと現実崩壊感覚を味わされてしまいました。

 終幕の認識が幻想をひらくと書きました。
「コキ」では主人公に旧知の大杉が長広舌を振るう。しかし本当に大杉が喋ったのか?
「スガララ・スガラン」>「さようなら。地球をよろしく」
「真昼の送電塔」>ふと降り立った小駅。彼方の山に向かって送電塔が一列に並んでいる。と、真昼が夜に反転し、そこは宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」の世界なのだった。
「いのちの水」>急に襲ってきた体調変化に倒れ込んでいると、見知らぬ女が「いのちの水」を調合し飲ませてくれた。一命を取り止めるが……それが「達観」を「未練」に変えてしまう。
「N氏の姿」>会社が吸収合併され自社ビルが取り壊されることに。ビルの無人の最上階の窓に、創業者の姿があらわれる(主人公の目には)。
「幻影の攻勢」>主人公の目に屡々現れるようになった幻覚が、自身の生み出したものであることは、老人である自分に甘く都合のよいものであることで知れた。なお、S・KというSF作家のある作品がちょこっと言及されます。
「あと10日」>「あと10日であんたは死にます」と告げられたときは驚いたが半信半疑だった。友人が亡くなり、未亡人から「あと10日と告げられたその10日目だった」ときかされて慄然とする。その10日目が、一日、一日と迫ってくる……

「あとがき」を読み、なるほど本集中の作品群はすべて「意識」の作物であるのかと納得。いやまあ創作なんだから当然なんですけど。作家の掌中で踊らされてしまいました(笑)

 

Re: 眉村卓「終幕のゆくえ」到着

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 9日(金)21時13分34秒
返信・引用 編集済
  > No.7438[元記事へ]


>あとがき
 

眉村卓「終幕のゆくえ」到着

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 9日(金)20時19分11秒
返信・引用 編集済
   眉村卓さんの新作短篇集『終幕のゆくえ』(双葉文庫)が、著者代送で版元様より届けられました。ありがとうございました。
 全篇書き下ろしで20篇収録。パラっと目次を見たら、「幻影の攻勢」のタイトルが!!(笑) 「スガララ・スガラン」というタイトルも。これは「スラリコ・スラリリ」のもじりでしょうか(^^;
 店頭発売は12月15日頃です。みなさんお楽しみに〜(^^)
    
 

「スペース金融道」着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 8日(木)21時45分2秒
返信・引用 編集済
   宮内悠介『スペース金融道』に着手。まず冒頭の表題作を読みました。
 おお、これは古いスペースオペラの革袋に新しい酒を注ぎ込もうという試みでは?

 余談ですが、岡本さんの「チャーム」はこの表題作からタネをもらったのではないか。そしてそれを本書のテーマとは全く別の方向へ飛ばし地面に落ち開花したのが「チャーム」なのではないでしょうか。

 

Re: 星の運行

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 8日(木)18時42分58秒
返信・引用 編集済
  > No.7435[元記事へ]

 段野さん
 なるほど!
 でも六曜にしろ七曜にしろそれは暦であって分類概念にすぎません。日本や中国では現実の惑星衛星に七曜から月火水と名付けましたが、西洋では神話の神名をあてています。つまり暦の月曜と衛星の月の間には何の因果関係もありません。六曜にいたっては天体名とも無関係。またインドは九曜らしいですよ。
 ウィキペディアの「旧暦2033年問題」を見ると、なぜそれが起こるかというと、現在準拠されている平山清次による定義の結果であって、もし定義を変えてしまえば雲散霧消してしまいます。
 その方は暦の星ではなく現実の物理学の惑星衛星が人間の運命に関与しているというのですから、17年後の暦上の問題がその小説のシステムに影響をおよぼすことはありえないのです。
 だいたい創作小説のアイデアなんですから、それに対して現実はどうだこうだというのはちょっと違うかも(^^;
 とはいえ、その試みを、読者に納得させるような話にするのはとんでもなく難しいでしょうね。やり遂げたら凄いです。
 というわけで、いくらかは版元に見てもらえる自費出版か完全自費出版かはともかく、どんな話が出来上がるのか、出版されるのを大いに期待しようではありませんか!!(^^ゞ
 

Re:星の運行

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年12月 8日(木)15時19分8秒
返信・引用
  管理人様
まあ失礼しました。何故、こんなことを記したのかといいますと、くだんの女性物理学専門人(自分で思っているだけ)が、17年先の、「カレンダー」とか「六曜」(大安とか、仏滅とか、友引とかです)の危機を知って、それでもなおかつ「人は星の運行に左右されている」なんて、言えるのかと思った次第です。
「六曜」ですが、2033年から2034年ぐらいから、「六曜」が、暦に適応されなくなる恐れがでてきたんだそうです。(11月26日の新聞メールによる)
カレンダーは、やはり17年後、「うるう年」の策定が出来なくなるという(うろ覚えですが)記事を読みました。
どういう仕組みでそうなるのか、さっぱり分からないのですが、報道されたのなら、誰かが調べたことなのだろうと思います。特に、「六曜」なんて、旧暦ですよね。殆どの現代日本人は気にもしないかも知れませんが、葬儀に「友引」はいかん、とか、ありますので、気にする人は存在すると思います。
17年後、近い未来ですよね。それでも「星の運行」が支配しているのでしょうか。くだんの女性に聞きたくもありました。
失礼しました。
 

「チャーム」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 7日(水)22時28分49秒
返信・引用
   岡本俊弥「チャーム」を読みました。
 人間社会において、人間が下す判断は、必ずしも合理的なものではない。科学者ですらそうです。
 平凡で大した実績もない人が、順調に要職についてしまったり、実績のある人がなかなか出世にめぐまれない、というのはよくあることです。
「それは論理にあいませんね」ということが実際の人間社会を動かしています。
 そのような非合理な事態は、当の判断される者に対して一方的に下されるものであり、その事態に対して判断される者は受動的であり関与しないというのが、常識的妥当な見方でしょう。
 でも、もしそれが判断される者が発する何かに拠っているのだとしたら……
 というのが本篇のテーマ。
 これって平井和正では? スタイルは冷静に対して情念と、まるで正反対な印象ですが。いや、ラストは同じかも(^^ゞ

 

「代体」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 7日(水)21時04分46秒
返信・引用 編集済
  > No.7429[元記事へ]

 山田宗樹『代体』(角川書店、16)読了。

 「代体」とは重篤な病気や怪我で長期間入院しなければいけなかったり、その療養が大変な苦痛を伴うものであったりした場合、「意識」が律儀にそれに付き合わなくてもいいじゃないか、という発想から生まれたもので、身体がしっかり養生にこれ努めているあいだ、「意識」を一時的に移しておく一種のロボットボディのことです。「代車」に対する「代体」ですね。病気や老衰で死期が迫った患者に、最後に代体で健常者の生活を体験させてやるという使いみちも。

 意識を別人に移植すると言うのはある意味SFに昔からあるモチーフで、ハミルトンの『スターキング』もそうでしたよね。
 でも本書では、それは可能なんですが法律で禁止されている。富豪が金にあかせて永遠の生を生きることは表向きできません。
 では代体を乗り継いでいったらいいわけですが、精密機械ですからきわめて厳重に管理されていて、それも不可能なんです。
 それ以前に、代体はなかなか壊れませんが、意識を移す容器(脳デバイス)が、1か月程度しか保たない。

 ところが、悪いやつは悪知恵が働く。そんなことを請け負う組織ができる。
 五体満足ながら死期の迫った人間の身体から当人の意識を抜き、カラになった脳に意識を転送する。
 こうなると、全く他人に入れ替わってしまえる(代体の顔はホログラムになっていて、脳デバイスに入った人のセルフ・イメージ像が反映されるので、他人にはなれない)。
 そんな悪事も生起する近未来、もっと大変なことが出来する。
 そもそも移るためには脳デバイスか、人間のカラの脳髄が必要だったのです。それが大前提。ところが、ある狂気の天才がウイルスをばらまく。あっという間に何十億もの人間が感染する。それに汚染された脳(脳デバイス)は、脳内に一種のゲートを埋め込まれてしまう。そのゲートを辿れば、人から人へ、瞬時に移動できる。それは光速に拘束されない一種のワープなんですね。
 つまり次元ジプシーならぬ、脳ジプシーです!!
 その男が、何十億の脳をぐるぐると回り始める。自分が何十億の脳を瞬時に回ることで、何十億の脳が一つのシステム、ひとつの脳となる。
 何のためにそんなことをするのか。
 橋元さんが複数の脳を直列することで、人類は新しい階梯に達するかもしれないというヴィジョンを示されましたが、まさにそれなんです。
 ところが、ちびくろサンボでぐるぐる回り始めた虎たちが、あまりに早く回りすぎたため最終的に溶けて融合し、バターになってしまいましたが、同じことが回転する男に起こり、その男の意識が溶融してしまうおそれがあるというのです。それを防ぐために男が案じた一計とは……!?

 ということで、テーマは代体ではなくそれに入っていて然るべき存在の話です。いやー面白かった!
 この狂気の天才である男はガインという名ですが、もちろんイーガンですよね(^^;
 かくのごとく、上述の橋元さんのアイデアはハードSFのそれでしたが、本書のそれは、述べてきたようにむしろヴォークトの線(汗)。
 そしてラストは、まさに日本SF第一世代の復活。そのセンチメントに感動しました。
※意識とは何か、という話になるかと思ったら(偽記憶を貼り付けられた男がそれを守るために悪戦苦闘するところなどから、もしや、と思いましたが)、特に後半は「意識」は(あるという)既存のアプリオリなものとなってしまって、その意味では物足りません。が、それはそれ、小説として面白ければなにも言うことはありません(前半の無駄な描写も含めて)。大変面白いSFでした(^^)


 

「ショートショートラント」西秋生・安田五郎追悼号

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 7日(水)18時55分5秒
返信・引用
   高井信さんから、ほぼハガキ大の豆雑誌(?)『ショートショートラント2《追悼★西秋生・安田五郎》』をいただきました。ありがとうございました。
 いうまでもなく、「ショートショートランド」のオマージュ誌。サイズは違いますが、本物と比べても遜色ありません。表紙イラストが斎藤肇さん! いやーびっくり。まさにプロはだしの技倆ですね(^^)。
 西さんの収録作品は、「日曜日の出来事」と「年越しの星」。
 前者は眉村卓編『チャチャ・ヤング=ショート・ショート』(講談社刊)初出。後者は西さんが2015年正月に出された年賀状に印刷されたもの。
 西さんも喜んでおられることと思います(^^ゞ
    クリックで拡大
 

Re: 星の運行

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 7日(水)18時20分51秒
返信・引用
   段野さん
>とある説明会に、行きました
 と、ぼかして書いておきながら、最後まで読めばどこへ行ったかまるわかりじゃないですか。これぞ頭かくして尻かくさずですがな(^^;
 好意的に解釈しますと、この方は、ありきたりの星占いではだれも見向きもしない、ということがわかっているので、「物理学的」にこだわっているのではないですか?
 天文学も広義の物理学の一分野でしょう。宇宙物理学とか天体物理学というのが実際にありそうです。
 そういえば、クライン・ユーベルシュタインの『白い影』だったか、実際に天文学で星占いをしていたと記憶しています。どういう原理かよくわかりませんでしたが(笑)
 いや、実際のところ物理的な天体の運行が人の運命を司っているという(ことを読者に納得させられる)お話が本当に書ければ、それは出版するに値しますね。
 自分史に限らず、それこそお金を出しさえすればどんな破綻した話でも本にできるのが、自費出版じゃないですか。
 そうだとすれば、当該の「説明会」は、たんなる「自費出版」ではなく、出版社がいくらか負担するたぐいの自費出版の説明会であると推理できるわけです。しかし私が思うに、それは表向きで、実体はそういう甘い汁で集めて、最終的に100%自費の出版に誘うのが目的の、説明会だったのではないですか(汗)
 屹度その物理星占いの方も、最終的に出版社の蜘蛛の糸に絡め取られてしまうのでしょうね(>おい)


 

星の運行

 投稿者:段野のり子  投稿日:2016年12月 7日(水)16時53分39秒
返信・引用
  すいません。つまらん話かもしれませんが、まあ、お聞き下されば、ありがたく思います。
とある説明会に、行きました。予約の時間より早く到着したので、その「貸し会議室」の中で
待っておりました。先客は、女性で、何やら、自分の理論を、力説しています。何でも「物理学的に、人の運命は、星の運行に支配されている。それを、書きたい」。
「星の運行」なら、単純に、「星占い」になると思った私は、何故、この人が「物理学的」にこだわるのか、分りませんでした。彼女は、「物理学」の専門だと、言っているのですが、「星の運行」なら、天文学とか、まあ、下世話に言いますと、「星占い」ですよね。
で、何か「レジュメ」でも持参しているのかと思ったのですが、単に、出版社の担当者に、語っているだけです。「章立て」とか、「メインの落としどころ」とか、語りません。多分、分からないのでしょう。出版社の担当者に相談したら、速攻、「本」が出来ると思っていたのかもしれません。(そんな甘いもんやないでー)
ラスト、担当者は、「では、男性読者に対するアプローチはどうされるんですか。興味を持って貰わないと、女性だけでは」と提案しました。その先客の女性は、あっと驚いて、「そのことは、想定しませんでした」と言いました。そこで、担当者は「次に、詳しい文章を『作って』下さい。それをみて、今後の作品に向かいます」と言いました。
こんなレベルでも、「自費出版」が出来るのかと、唖然としました。大体、「自己原稿」があってのものだと思っていましたから。まあ、「おじいちゃん」の「自分史」が、「自費出版」の殆どみたいところがありますので、そんな人もいるのだと、改めて感じた次第です。
 

「代体」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 4日(日)22時51分55秒
返信・引用 編集済
  > No.7414[元記事へ]

 140頁まで。テーマは面白く、この後の期待度も高いのですが、筆法がSFじゃないと思うんですよね。ふつうのエンタメの筆法。私からすれば、素直にSFとして書けばいいのに、なんで要らん枝葉を付けるのか、と思ってしまいます。
 枝葉を切り落せばもっとスッキリして見透しもよくなり、なによりもっと枚数を少なくできるはず。小芝居はいらんのです(もちろんエンタメ読者の視点から見れば、こっちが幹なんだろうとはわかっていますが)。
 先回も言ったように、複数の話が交互に語られる事自体を否定しないが、もう少し流れも考えたほうが読みやすい(読者が乗りやすい)んじゃないでしょうか。
 たとえば、ゼロ・テクノロジー社の研究施設で、御所と斉藤が閉じ込められ、上から何か気体が吹き出してくる。ストーリーのひとつの頂点と言えるシーン。ところがここで別の場面に変わってしまう。それが数ページ。再び室内に戻ってつづきが……。
 ここなんか一気に描写したほうが、絶対読者は面白い。なんで流れをぶった切ってしまう、そんな書き方をするんでしょうか。
 やはり映画の影響なのかもしれません。それが悪いとは言わないが、図式的で型にはまってしまっているような気がします。
 本書の感想というより、エンタメ系のSF作品への不満になってしまいました(汗)

 
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 4日(日)21時20分13秒
返信・引用
   元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 4日(日)21時01分23秒
返信・引用
 
   元ツイート
     《フルスクリーンでご覧ください》
 

小学校忘年会

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 4日(日)13時11分59秒
返信・引用 編集済
   昨日は恒例の小学校有志の同窓会。今回初参加者がいて、席が隣になりいろいろ話したのですが、なかなか劇的な話を聞かせてもらえました。なんと全日本プロレスに入門していたんだそうです。大仁田厚とは同期ではないみたいですがほぼ同じころの入門で、大仁田は天才で別扱いだったらしい。どういう天才だったかは訊きませんでしたが(^^;
 その後やめて何回か仕事を変わり、最終家業を継いだのですが、ある日深夜に飲んで帰ってきたところ、自宅が火事になっていた。消防やらがうじゃうじゃいて、止められ、いやあれが自分の家やというと、家族はどこそこに避難していると教えられ、そっちに向かう。
 翌朝戻ってみたら全焼。火元は二軒となりで、ところが火元の家の向こう側に爆発物がある工場があったのです。そっちの消火が優先されたため、当人の家は後回しにされた結果、綺麗サッパリ焼けてしまった。ところが法律によると(細かい理由は忘れましたが)火元に賠償責任はないんだそうで、なにも残らなかった(当然小学校のアルバムやら何やらも失ったが、アルバムは小学校(PTA?)の好意でコピー製本版を貰えたそう。にしてもいろんな記録が失われたのが一番つらいことだったよし)。でも仕事は市場なので、問題なく継続できたんでしょうね、昨日見た当人は元プロレスラーらしくガッチリ筋肉質の上に脂肪がついて、押し出し堂々としており、二次会散会後はさらにひとりで飲みに行くと言って消えていきました(^^;
 さて二次会に連れて行かれたのが、なんと、当時中学校に購買部があり、婆さんと20過ぎの娘さんがやっていたのですが(婆さんとは中学生の見た婆さんであって、実際は40代くらいだったかも)、その娘さんがやっているスナック。顔はひと目見て思い出しましたが、我々が中学生というと50年近く前。一体お年はいくつくらいかと、密かに計算してしまいました(汗)

追記。風呂に入っていてふと思い出し、上がってから書き込んでいるのですが、小学校の生徒が急激に増えているそうです。私たちの小学校はさほどでもないんだけれど(2年生だけだそうですが1学年従来2クラスが3クラスに。1年生も40人以上のクラスになっているとのこと)、同じ中学の校区の別の小学校では7倍になったとか(ただしいま書き込んでいて、ちょっと多すぎるなと思いました。聞き違いか記憶違いかも)。
 都市部に手頃なマンションが増えて郊外で生まれた若い夫婦がどっと流入しているのかも。そして車がなければ生活できない当地のような郊外は、年寄りしかいなくなってる。うちの両親はすでに免許を返上しており、どう考えても都市部に移ったほうが生活しやすいはず。なんか矛盾していますねえ。

 

Re:  潜水艦の台所  

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 4日(日)12時41分22秒
返信・引用 編集済
  > No.7422[元記事へ]

 あ、漫画の該当シーンが浮かんできました。横長のコマで、甲板を何人かで清掃しているシーンで歌ってませんでしたっけ。海野さんの書き込みを読んで直ちに捏造された贋記憶かもしれませんが(^^ゞ

>YouTubeに全編アップされてますね
 探せば何でも出てきますねえ>インターネット。
 実は、かつて見た映画「雨のエトランゼ」を検索したら、Youtubeのビュアーがあらわれて《free Watch online 何時から》となっていて、ただで見れるのかと喜んで、その時刻に再び訪れたのですが、始まらない。いろいろ調べたら登録しなければならず、しかも無料はお試しの5日間限りで、その間に登録解除を忘れると法外な月額料金を請求され、そこからの脱会はなかなか困難というので、二の足を踏んでしまったのでした。
 https://www.youtube.com/watch?v=74ch_MDw7bE
 ただこの映画、近所のツタヤにもツタヤディスカスにもなく、というかDVDになってるのかどうかもわからないようなものなので、まだあきらめがついてないんですね。うまく立ち回れば無料で視聴できるんじゃないかと(>おい)(^^ゞ

 

Re:  潜水艦の台所  

 投稿者:和田宜久  投稿日:2016年12月 4日(日)05時05分24秒
返信・引用 編集済
  まあ、アニメ化されてないことはないのです。後の若い世代によって作られたOVAで「サブマリン707R」と言うのがあります。見てないですけどね。https://youtu.be/7rpCH5j_ddk 見たくなってきました。あ、このプロモーションビデオに海野千太が出てますね。「うみのせんた」と名乗ってますが、オリジナルでは「うんのせんた」だったんですよ。
あ、なんだ、YouTubeに全編アップされてますね。パート1,2とあるようです。https://youtu.be/Lf9PZ99iZFs

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:  潜水艦の台所  

 投稿者:和田宜久  投稿日:2016年12月 4日(日)04時49分43秒
返信・引用
  いやいや、「サブマリン707」はアニメにはなっていません。
漫画の中で主人公たちが歌うんです。
だから当然文字だけで、メロディは勝手に想像していたわけです。
ただ、少年サンデー連載時にアニメ化の話はあったみたいなんですが、パイロットフィルムまで作られていながら立ち消えになってしまいました。
僕が初めてネット上のコミュニティに漫画を投稿し出した時は本名でしたが、IDがwadasubmarine(ワダサブマリン)だったんです。
それ以来ずっとこのIDをひねくり回してペンネームにしています。
「サブマリン707」の主人公の少年達、三人の中で一番地味な、後に707の厨房係に落ち着く少年の名前が「海野千太」なんですよね。
アニメ化と言えば同じ作者の「青の6号」が「AO6」と言うタイトルでアニメ化されてましたが、原作とはかけ離れた物でした。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:  潜水艦の台所  

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 4日(日)01時53分8秒
返信・引用
  > No.7419[元記事へ]

 海野さん
>サブマリン707の中に出てくる歌ですが、これが原型だったんですね。
 へえ、そうなんですか。というか、漫画は読んでいましたが、アニメ化されていたことは知りませんでした(汗)
 このユーチューブも、単に潜水艦の中の様子が興味深かったのでアップしたのでしたが、意外なところにつながっていたんですね。

>サブマリン707は、数ある僕のペンネームの大元ですからね
 それもビックリ。和田さんの作品は海や水中を幻視する話が多いですよね。ペンネームも同じくそういう志向性から付けられたのかなと思っていたのですが、サブマリン707だったとは、これも意外や意外でした(^^;。

 

Re:  潜水艦の台所  

 投稿者:和田宜久  投稿日:2016年12月 3日(土)18時50分25秒
返信・引用 編集済
  ♪ 海の底からうまそうなにおいがするわい
 潜水艦の台所で揚げたおいもが魚雷型〜 ♪

サブマリン707の中に出てくる歌ですが、これが原型だったんですね。
いやいや、初めて聞きました。
サブマリン707は、数ある僕のペンネームの大元ですからね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

   

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 2日(金)23時29分53秒
返信・引用
   .  

本の処分

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 2日(金)23時02分13秒
返信・引用 編集済
   準備だけして何か月も放ってあった処分本をブックオフに売ってきました。
 持っていった分の半分だけ売れて、レシートを見たら32冊で805円也。1冊あたり25円。
 てことは、数えてなかったのですが、全部で60冊ほど持っていったわけですね。
 残りはどうしますかと言われたので、処分して下さいと返事したのですが(ホントに処分したか、実際は店頭に出したのか、今度行ったとき確認しなくては)(汗)、『現代語訳南総里見八犬伝』(上下巻)は持って帰ってきました。これ、表紙にカビが生えていて、やばいなあと思ったのですが、案の定でした。
 数か月前処分本の準備をしたとき、少しでも高く売れるようアルコールで拭いたりしたのですが、この本だけクリーニングし忘れていたようです。
 でもこれ、購入したのは10年ほど前で、カビるのが早すぎ。保管場所が悪かったのでしょう。しかし天も小口も多少焼けていますがきれいなものなんです。
 ということで、しっかりクリーニングして、次回処分のときは屹度売ってやろうと思います(>おい)(^^;

 

   

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 1日(木)23時45分17秒
返信・引用 編集済
 
.
 

「代体」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 1日(木)21時18分13秒
返信・引用 編集済
   山田宗樹『代体』に着手しました。
 人間の「意識」を、外部に移動させることができる技術が開発された近未来の日本の話。ということで、ちょっとイーガンぽい予感。期待しています。
 まだ 40ページほどで、作品世界の地固めをしているような段階なのですが、章が変わるごとに(章といってもたかだか10数ページ)舞台が変わり、人物も変わってしまって、そこで流れが断ち切られてなかなか没入していきません。
 本篇に限らず最近のエンタメ小説はたいていこういうのなんですよね。これって映画の手法ではないでしょうか。
 思うにこれは、おそらく作者が、小説で映画をつくっているからだと思います。近ごろの作家は、小説よりも映画に影響を受けて作家を志しているのかも。
 私は少し違和感を持つのですが、最近の読者はそうでもないのでしょうか。読者の方も、読書体験量より映画体験量の方が多いのかもしれません。


 

「青春の逆説」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月 1日(木)01時26分21秒
返信・引用 編集済
   織田作之助『青春の逆説』(青空文庫00、初刊41)読了。

 450枚の長篇小説。めちゃくちゃ面白かったです。今年読んだベストワンかも知れません。
 最初は主人公の母親の話で、この部分はいかにもオダサクの短篇そのままの世界といえる。
 しかし、主人公の半生記になってからはどんどん筆が伸びて(そしてその分通俗的な展開になりつつも)巻措く能わずの面白さ。
 最後が大団円になってしまうのも、前半の(半分は本人に由来する)頑なな生き辛さを読んできている結末なので、(多少唐突感はあるといえ)それなりに爽やかな読後感になりました。
 主人公、いまなら発達障害の素因もありそうな、その劣等感(生まれ育ち環境)に由来する、なにごとも後ろ向きに考えてしまうところから醸成される肩肘張ったプライドだけ高いある意味頑迷な生き方が社会とぶつかるのですが、それでもめげない(発達障害の効用?)。
 そこが舌打ちしたくなると同時にいっそ清々しくもあって、たまらんなあ、となります。戦時中発禁になったというのも分からないではありません。たしかに公序良俗に対して無闇矢鱈と歯向かっているわけですから。
 それにしても、昭和16年の作品なんですが、戦後(ある程度復興した昭和20年代後半から30年代前半)の小説だといわれても違和感ありません。文体も現代的で読みやすい。
 読みやすいのは文体がプリミティブでもあるからで、ナレーションの多い連続テレビドラマみたいです。長生きしていたら戦後の流行作家になっていたんじゃないでしょうか。
 オダサクは長篇小説はこれだけなんでしょうか。ウィキペディアを読んでもそういう情報は全く書かれていないのですが、他にもあるのなら読んでみたいです。

 




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