ヘリコニア過去ログ1701

Re: でんでん

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月31日(火)23時50分9秒
返信・引用
  > No.7525[元記事へ]

武藤さん、お久しぶりです。
 「でんでん」て、いくら棒読みでも、発声した瞬間、おかしいと気づかなかったんでしょうか。まさか「うんぬん」という言葉自体知らなかった?
 しかも速記録からはこっそり削除しているんだそうで、あったことを簡単にないことにしてしまうその軽々しさが情けないですね。
 ネトウヨの捏造体質と共通するものを感じてしまいました。

 それはそうと、飲み過ぎにはご用心(^^;

 
 

「アイヌ学入門」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月31日(火)23時20分38秒
返信・引用 編集済
   瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書、15)に着手。150頁まで。
 本書を読んでいて、少し認識を変えました。
 アイヌと東北の蝦夷(少なくとも荒蝦夷)は、基本的に同じ民族と考えていましたが、どうやらそうではなさそうです。
 東北にはアイヌ語由来の地名が残っていて、これは蝦夷の言葉がアイヌ語と同じだからで、アイヌ語っぽい地名があるのは当然という認識でした。(アイヌ語と日本語(弥生語)は全く違う別系統の言語というのも改めて認識した)
(以下は本書に触発されていますが、本書にそう記述されているわけではありません。念のため)。
 著者は、蝦夷は和人であるとします。
 弥生人が東北まで北上し、東北にいた縄文人を吸収した。狩猟採集の縄文人の人口はきわめて希薄で、狩猟採集の何十倍も人口保持力がある稲作の弥生人の人口と比べれば桁外れに少数だった。縄文晩期には、本州以南で7万人程度だった。
 一方日本に侵入した弥生人は、埴原和郎は100万単位といっています。そこまで多くはなくとも、稲作による人口爆発で、事実上瞬く間にその程度の人口になった。
 清朝を建国した満州人は非農耕民で人口希薄でしたから、広大な中国経営のため、大半の満州人を中国各地に送り込まねばならず、そのため本拠地である満州が真空状態になってしまいました。それで満州への他民族の流入を禁止していたのですが、清朝が弱体化し権威も権力もなくなると、あっというまに中国人が満州になだれ込み、満州人は、なんと本拠地の満州で少数民族になってしまいました。
 それと同じようなことが縄文人と弥生人の間で起きたのですね。
 ですから東北の蝦夷も、実質的には弥生人で、それに多少他地域よりは縄文人の血の割合が濃いという程度だったようです。
 その前に、縄文人は晩期に7万人といいましたが、最盛期には30万近くいたようです。
 ところが中期以降気候変動による植生の変化で縄文人の狩猟採集の場だった落葉広葉樹林帯が西日本から姿を消したのと、九州で火山の大噴火(破局噴火)があり、晩期には西日本はほぼ無人地帯になっていたのです(九州は全滅)。ですから7万人というのは実質東日本の人口です。
 弥生人は、まずその無人地帯の西日本に侵入したわけですから、西日本人はほぼ朝鮮半島の弥生人100パーセントな人々だった。
 そして関東以北に侵攻した弥生人は、圧倒的な人口差で縄文人を吸収した。
 ですから蝦夷の言語(文法)は弥生語つまり日本語だったんですね(単語は縄文語が残った)。
 蝦夷とは、東北に残ったアイヌではなく、西日本の純粋弥生人から見て、混血した東北弥生人を蔑んだというか、一種異人と認識した蔑称だったのではないでしょうか。(とはいえアテルイなんてどう考えても和人の名前ではないので、やはり荒蝦夷はアイヌだったのではないかなと思いたい)

 さて、東北のアイヌ地名に戻しますと、実は4世紀に一種の小氷期が起きます。世界史的にはフン族の侵入ゲルマン大移動を引き起こしましたが、日本では東北も稲作不適地となり、稲作民である和人(蝦夷)が南へ退く。その空白地帯にアイヌが北海道からやってきて占めたのです。東北のアイヌ地名はそのときの残存のようです。(川をあらわすナイとペツという2つのアイヌ語から導かれるその考証は理路整然として明快で、納得させられます)
 ところでアイヌはこのように南へ進出しましたが、逆にサハリンからオホーツク人(現在のニブフ)が南下してき、アイヌ人は道北から撤退しているのですね。
 そして8世紀(奈良時代)に再び温暖化すると、和人の北上→アイヌの北海道への撤退→オホーツク人のサハリン撤退が連動する。世界史的にはアイスランド、グリーンランドにヨーロッパ人の入植が始まるのが9世紀です。
 北海道という局所的な歴史の動向も、世界史規模の動向に対応しているのですねえ。

 

Re: でんでん

 投稿者:武藤  投稿日:2017年 1月31日(火)22時35分58秒
返信・引用
  > No.7513[元記事へ]

お久しぶりです。武藤です。
よりによって「でんでん」とは・・・あきれの果ても尽き果てました。(ムーミンのスノーク風に)
本当は役人の書いた文章を読み上げるだけ(読めなかったけれど)の体たらく首相を怒るべきなんでしょうが。

役者のでんでんは大迷惑だったことでしょう。

http://blog.livedoor.jp/mutoh1go/archives/52207929.html

 

     神樂坂

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月31日(火)02時17分53秒
返信・引用 編集済
 


神樂坂は夕暮れどきから馬車一切が通行止になる。
それで夏の強い陽射しの名殘りが夜空をまだ藍いろに彩つてゐる下へ
人工の燈りが妍を競ふやうになると、
そのはざまを團扇を手にした浴衣がけの人人が我物顏でのし歩き始める。
薄闇がちらちらする中で、その光景は潤んで蕩け出しさうである。

――西秋生「神樂坂隧道」――




元記事


 

「アイヌと縄文」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月29日(日)23時54分11秒
返信・引用 編集済
   瀬川拓郎『アイヌと縄文――もうひとつの日本の歴史』(ちくま新書、16)読了。

 《金子快之・札幌市議が落選 「アイヌ民族、いまはもういない」発言で自民を除名》


 この金子快之前市議の発言を覚えていますか? もう3年以上前になるんですね。
 金子氏の主張が、金子氏のHPに掲載されていました。以下です。

      ――――――      ――――――      ――――――

 
      ――――――      ――――――      ――――――

 本書を読めば、というかこの新書たった一冊で、金子氏がいかにアホかが分かります。要は、上掲の表を見て、その内容にあたってみようともしないで、勝手に解釈しているのです。
 北海道の縄文文化は、図のとおりで、ほぼ本州のそれと連動していました。つまり本州と北海道には、同じ縄文人が住んでいたのです。
 しかし本州が弥生文化に取って代わられたときに分化します。北海道では弥生文化は受容されなかった。縄文文化がさらに続く(続縄文文化)。
 本州では朝鮮半島から弥生人が、稲作を携えて大挙日本列島に侵入、瞬く間に東北まで達します。本州の縄文人は、弥生人の(稲作による)圧倒的な人口圧に吸収されてしまいますが(ただし東北ではまだら状に縄文人が残っていたようです≒荒蝦夷?)、弥生人は津軽海峡を渡らなかった。北海道の気候が水稲耕作に不向きだったというのが定説ですが、著者は別の見方を示します(後述)。私自身はその両方だろうと考えます。
 さて、金子氏がアホなのは、続縄文文化→擦文文化→アイヌ文化という文化の変遷を、民族が変わったと思い込みで事実誤認(というか妄想)しているところです。
 実は本書でもそういう勘違いに対して危惧が示されていて、アイヌ文化の代わりに「ニブタニ文化」を提唱しているのです。
 アイヌ(ニブタニ)、擦文、続縄文、縄文の各文化の担い手は、ぜんぜん変わっていません(もちろん本州の縄文人も)。現在のアイヌの祖先たちです。
 表によれば縄文文化は1万6千年前に開始されていますが、それ以前に、3万5千年前から旧石器人が住んでいた。当時は氷河期で日本列島は東北アジア大陸の海岸だった。この旧石器人は、6万年前に出アフリカした現生人類が長い道のりを経て、極東のはずれに達した人々でしたが、実は縄文人は、まさにこの人々の末裔なのです(出アフリカ古層A型。遺伝子解析で確定済)。
 これは随分珍しいことだと思います。これほど(他民族と混血もせず)出自がはっきりした人々は他にありません。
 世界には系統がわからない孤立言語が9つあります。サハリンのニブフ語(オホーツク文化人の後裔)、アイヌ語、日本語、朝鮮語、ケット語、クスンダ語、ニハーリー語、ブルシャスキー語、バスク語ですが、そのうちニブフ語、アイヌ語、日本語、朝鮮語の4つもが、同一地域に隣接しているのは、やはり出アフリカのひとつの終着点が、日本列島周辺だったからではないでしょうか。それゆえ、これら4言語は出アフリカ古層A型に由来するとされているそうです。
 もうひとつ面白いのは、アイヌ語が、やはり孤立語で、エニセイ川流域のケット語ときわめて親近性があることで、これは出アフリカ後シベリアルートでアメリカ大陸へと渡っていった一族の言語が、それからはずれて行き止まったアイヌ語とケット語に残存したからでしょう。
 つまり、日本語や朝鮮語よりも出アフリカ人のオリジナル言語を色濃くとどめているのがアイヌ語といえます(日本語は朝鮮半島から弥生人が持ち込んだ言語で、縄文人を吸収する際、縄文語を取り込んだもの)。
 結局のところ、アイヌ人は3万5千年前から北海道に居座ってどこにも移住しなかった、きわめて純粋に近い出アフリカ人の子孫なのです。

 金子氏の主張が、どんだけ無知無教養な言説であるばかりか、それを意図したものとは思いませんが(そこまで賢くはなさそうです)、結果的に捏造史観をばらまいているわけで、彼もまたネトウヨあほ列伝にその名を残すに値する人物であるとは、言わざるを得ませんねえ(ーー;

 あ、書き忘れましたが、アイヌの先祖が弥生文化を受け入れなかったのは、アイヌが日本文化の圧倒的な引力に囚えられ、衛星化したためで、日本人のために、毛皮やオオワシの尾羽や鮭の干物等、日本の需要に応えるため、それらの狩猟漁労に特化していったからというのが著者の考えで、実際、人口の少ないアイヌが、かつては薄く広く北海道に広がっていたのが、擦文時代になると、鮭の漁場となる川筋等に集中して、人口的に不自然な分布を示すことで分かるようです。この説も私にはセンス・オブ・ワンダーでした。

 
 

「アイヌと縄文」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月28日(土)22時57分16秒
返信・引用 編集済
   グーグルマーズで火星に建つ巨塔(高さ6km)を発見! エイリアンの巣か、電波発信基地か!?

 

 いつのまにか、グーグルマーズなんてのができてたんですねえ。びっくり。

 ということで(>どういうことだ)、瀬川拓郎『アイヌと縄文』(ちくま新書、16)に着手しました。100頁まで。

 

「夢みる葦笛」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月27日(金)20時22分10秒
返信・引用 編集済
   上田早夕里『夢みる葦笛』(光文社、16)読了。

 これは好い作品集でした! 傑作ぞろいで堪能しました。
 堪能したのですが、実は冒頭の表題作はどうも合わなかった。この作品、初出の異形コレクションでも読んでいるのですが、そのときもやはり反りの合わないものを感じましたので、相性が悪いのかもしれません。
 次の「眼神」は堪能したのですが、その次の「完全なる脳髄」でまた引っかかった。
 しかしその後はすべて大満足でした(^^)。
 本集は発表順(もしくは執筆順)に配列されているので、後になるほど好いということは、わたし的視座からは、作家の力量がどんどん上がっていったことを証明していると言うことになるのですが、とはいえ冒頭作タイトルを書名に選んでいるところを勘案すれば、著者自身はまた別の評価軸があるんでしょう。
 それとは別に、後になるほどSF味が強くなっていくのが、私の興味の偏りに対応したということもあるかもしれません。
 その意味で、「氷波」や「プテロス」は純然たるハードSFで嬉しくなりました。
「滑車の地」は本集マイベストフェイバリット。関西SF名物泥SF。酉島伝法『皆勤の徒』、北野勇作<ヒトデナシ>ものと共に泥SFベスト3に挙げたい逸品でした。
「楽園(パラディスス)」と「アステロイド・ツリーの彼方へ」は近年のトレンドであるAIや人工知性もの。意識を構成するものとして身体は必要不可欠な契機であるという基本姿勢が著者にはあるようで、全く同感。
「上海フランス租界祁斉路320号」は、これは珍しい現代史SF。著者の新機軸でしょうか。こういう傾向のもどんどん書いてほしいと思いました(^^)


 

Re: 中西印刷株式会社(京都企業案内)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月27日(金)18時15分16秒
返信・引用 編集済
   段野さん
 ご指摘ありがとうございます。M27は2月生まれでしたか。
 そうしますと、前書き込みの、「3)4/2~4/26(1学年下)」ではなく、「2)1/1~4/1(早生れ)」に該当することになりますね(遅生れじゃなくて早生まれですね。訂正します)。
ところがそれだと、「1)と2)は同学年(A)」ですから、Aだと79年3月で卒業してしまい、大森さんとの接点がなくなってしまうんですね。それでは岡本さんの証言と矛盾してしまいます。それはまずい。歴史が変わってしまうではないですか。M27は1979年中も学生でなければならないのです。
 うーむ。M27の履歴に誤認があるのかもしれません。
 どうすれば辻褄が合うか。
 私は考究に考究を重ね、ある結論に達しました。
「そうか。2浪じゃなくて3浪にすればいいのだ!!」
 私は2浪と記憶していましたが、事実は3浪だったのかもしれません。そう言えば、そんな気がしてきました(>おい)(^^;。
 前エントリーでは、「(A)の場合、高校卒業は69年3月。2浪で71年4月京大入学。8年で79年3月卒業。」としましたが、これを3浪に訂正すれば、「高校卒業は69年3月。3浪で72年4月京大入学。8年で80年3月卒業。」
 となり、大森氏とM27は、一年だけ重なることができるのです。
 そんな数字合わせは安易ではないのか。
 いやいや、決してそんなことはありません。事実ダークマターやダークエネルギーも、そのようにして存在することになったではありませんか。ダークエネルギーが負の引力を持つというのも、やはりつじつま合わせ。現代科学はそれを許容しています。
 ならば、M27も3浪だったのです! そういうことにしてしまいましょう。そうすれば、この宇宙は辻褄が合い、安定するのですから(>おい)m(__)m


 

Re:中西印刷株式会社(京都企業案内)

 投稿者:段野のり子  投稿日:2017年 1月27日(金)10時10分30秒
返信・引用
  管理人様
>M27の誕生日
は2月生まれです。いつぞやの定例会で、「お祝い」をしました。ですので、「早生まれ」になります。
 

Re: 中西印刷株式会社(京都企業紹介)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月26日(木)19時17分10秒
返信・引用 編集済
  > No.7517[元記事へ]

 岡本さん
 ご教示ありがとうございました。私、勘違いしていますね。国立大学(私学もですが)を目一杯利用する限度は、7年じゃなくて8年でしたね。これにかぎらず、記憶がどんどん贋記憶に上書きされていくので恐ろしくなります。そのうち昔はよかったなあ、などと言い出すんでしょう(汗)
 さて、となりますとM27が1950年生まれというのも、私の記憶なんですが、事実かどうか心配になってきました。
 そういえば、《北西航路》は会員名簿が付いていて、年齢も書かれていたなと思い出しました。
 早速引っ張り出してきました。年齢が記載されているのは2号から4号までの3冊でした。全号に年齢が記載されていると記憶していたので、これもちょっと意外でした。

 号数 発行日付    M27年齢
 2号 75年10月27日  24歳
 3号 77年 4月27日  26歳
 4号 78年10月27日  27歳

 これで分かるのは、4/27~10/27の間に誕生日はないということです。
 誕生日は次の3つの範囲のいずれかとなる。

 1)10/28~12/31
 2)1/1~4/1(遅生れ)
 3)4/2~4/26(1学年下)

 ところが、10/27時点で24歳であるためには、2)と3)は、1951年生まれでなければなりません。
 1)のみ、1950年生まれです。
 ですからM27が1950年生まれであるためには、誕生日は10/28~12/31でなければならない。

 さて、1)と2)は同学年(A)です。3)は一学年下になります(B)。
(A)の場合、高校卒業は69年3月。2浪で71年4月京大入学。8年で79年3月卒業。
(B)の場合は、72年4月京大入学で、80年3月卒業。

 ここで大森さんの生年月日と、岡本さんの「M27と大森はカスッていた」というご指摘が重要な鍵になります。
 1961年2月早生まれの大森さんが(現役で)京大入学するのは、1979年4月。これは「1979年にSF研を再建した」という事実と符合します(ですから現役入学で正解です)。

 となりますと、(A)では1979年3月M27が卒業し、同年4月大森望が入学したというすれ違いになります。
 (B)の場合のみ、M27と大森さんは1年間京大で一緒だった。

 そういう次第で、私はM27の生年を1950年と記憶していたのですが、それは記憶違い。実際はM27は51年生まれ(4/2~4/26)で確定となります。

 いやーおかげさまでM27の真の年齢が確定して、ヨカッタヨカッタ(^^;

 それにしても、安田さん、中西さん、M27、大森さん、小浜さんのうち、M27だけウィキペディアに項目がないんですよね(小浜さんもないですが、はてなキーワードにはある)。あったらこんな面倒な計算をしなくてもよかった。M27のウィキペディア、だれか作ってくれませんかね。Y氏あたりどうなんでしょう。適役では? しょーもない捏造をしている暇があるんだったら、その時間をコッチに回した方がよほど生産的だと思うんですけどねえ(>おい)m(__)m

 

Re: 中西印刷株式会社(京都企業紹介)

 投稿者:岡本俊弥  投稿日:2017年 1月26日(木)10時45分22秒
返信・引用
  > No.7516[元記事へ]

正確にいうと、安田さんは京大SF研第2期の創始者です。ちょうど1970年頃に関西の大学SF研が一斉に創部されたころに立ち上げられましたが、京大はその前に第1期があります。京大の特徴は各時期が独立していて、お互い継承関係がないこと(みんな個性的ですからね)。それに、M27さんは安田さんと同い年ですが、色々な事情があって在学期間は中西秀彦、大森望と被っていたはずです。

> 京大SF研の創始者は安田均さんです。大森さんのすぐ下に東京創元社の小浜徹也さんがおります。
> 安田さん、中西さん、M27、大森さん、小浜さん。こうして並べると、M27の異様さが際立ってますね。
 

Re: 中西印刷株式会社(京都企業紹介)

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 1月26日(木)09時31分16秒
返信・引用
  > No.7514[元記事へ]

京大SF研の創始者は安田均さんです。大森さんのすぐ下に東京創元社の小浜徹也さんがおります。
安田さん、中西さん、M27、大森さん、小浜さん。こうして並べると、M27の異様さが際立ってますね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月26日(木)00時23分15秒
返信・引用 編集済
   元ツイート

   

 

Re: 中西印刷株式会社(京都企業紹介)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月25日(水)22時06分12秒
返信・引用
  > No.7512[元記事へ]

 雫石さん
 中西さんの著書を読んだことがありますが、大変勉強になりました。雑誌は始めから終わりまで通読されることを意図していないとか、目からウロコでした。
 ところで、中西さん(1956生)は私とほぼ同年代なんですね。もっと上かと思っていました。
 京大ではSF研だったそうですが、M27(1950)と大森望(1961。但し早生まれ)のちょうど中間で、どちらとも被っていませんね。と思ったら、M27は2浪して入って目一杯7年間いましたから、M27と中西さんは一緒だった時期がありそうです。一方、中西さんも1浪(1留?)のようで80年卒(wikipedia)ですから、大森さんともかすっていますね。
 あれ、wikipediaでは、京大SF研は79年大森さんによって再結成されたとなっていますね。てことは中西さんは4年のとき1年間だけ新SF研に合流されたということでしょうか。
 M27は2浪プラス7年=9年で、つまり77年まで京大の学生だった。早生まれの大森さんは(現役なら)78年入学なので、惜しくもかすっていませんね。かすってたら大変だったでしょうねえ(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月25日(水)21時23分24秒
返信・引用 編集済
   

 アベッチぃ~(泣)
 ユーチューブのこの動画を見て、私、最初何がなんだかわかりませんでした。でんでん? 一体何??
 ”云々(うんぬん)”を”でんでん”と読んでしまったんですって。
 こうして文字にしてようやく得心しました。おそらく”云々”の読み方を知らず、咄嗟に”伝々”から類推したんでしょうね。(しかし一国の宰相が云々を知らんか)
 それにしても、言うにこと欠いて”でんでん” て・・・(ーー;
 これはもはや ”みぞゆー” どころの話ではありません。”未曾有” は読もうと思えば ”みぞゆー” と読めます。しかし ”云々” を ”でんでん” とは絶対に読めません。
 いやーほんとによかった。え、何がって?
 日本語を解する人が、世界人口70億のうちわずか70分の1の、1億人強しかいないことです。
 でもまあ、逆にいえばこの宰相の言い間違いの可笑しさが分かるのも、わずか1億人しかいないということで、それはそれで、なんか残念ではありますね(>おい)(^^;
 今後は「でんでん宰相 」の愛称で呼ぶことにしましょう。デンデン!(あ、チャンチャン!か)(^^;

 #でんでん

 元ツイート

 

Re: 中西印刷株式会社(京都企業紹介)

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 1月25日(水)09時36分41秒
返信・引用
  > No.7511[元記事へ]

中西印刷さんですか。
社長の中西秀彦さんは、私の古くからの友人です。
SFファンでコマケンの会長で、星群の副代表だった人です。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 


ぜぴゅろす12号をいただく

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月24日(火)22時50分9秒
返信・引用 編集済
   『風立つ高原の文芸誌 ぜぴゅろす』(2016年・冬 第12号)を主宰の櫻井節さんより頂戴しました。ありがとうございました。
 今号の特集は、《『孤独』が翳るとき。輝くとき。》。
 ぱらぱらとめくっていたら、上野千鶴子さんのこんな文章が目に飛び込んできました。
「在宅ひとり死には、どんな人が向きますか?」とインタビューで訊かれて、こう答えた。
「そうですね、おひとりさま力のある人ですね」(『おひとりさま力』)

 著者は、ネガティブな「孤独」ではなく、「おひとりさま」と敬称をつけて呼ぼうと提唱します。「離婚」を「バツイチ」と呼び換えるようなものだが、それだけで少し肩身が狭くなくなったと※。
 同様に「哀れな最期」という意味を内包する「孤独死」はやめて「在宅ひとり死」と。
 ひとりでいることが苦にならない著者はひとりでいることの世間一般のマイナスイメージが何とかならないかと思い、そんな言い換えをしてみるのですね。でも大抵の人は孤独が耐えられない(と無意識に思い込んでしまっている)。
「おひとりさま力」そんなアプリオリな思い込みを解体してしまうことなのかもしれません。

※たぶん眉村さんが以前言われていた「没イチ」も、「妻に先立たれた夫」が内包するマイナスイメージを言い換えで軽くするもので、同じ効果を意図したものでしょう。

 

広告の志

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月24日(火)01時41分35秒
返信・引用
   バズる
 

アイヌ語はSVO構文だった?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月23日(月)22時00分31秒
返信・引用
   とんでもなく刺激的な仮説が発表されました。

 アイヌ語のルーツを探る 南方の言語と長期間接触?

「かつてアイヌ語圏の南側には中国語と同じ語順の言語がありました。しかしある時、大陸から日本列島に日本語が入ってきたのです。このため、アイヌ語は同じ語順の南方の言語と分断され、北に押しやられてしまいました。日本語と同じ語順の言語はアイヌ語圏の南北に展開することになり、アイヌ語圏を取り囲んでしまいました。そのうちに、かつて中国語と同じ語順だったアイヌ語の語順がひっくり返った」

 縄文人とアイヌ人の先祖は同系統と私は考えていますが、縄文人をアイヌの先祖が別系とする見方もあるようです。
 これは結局、北海道の続縄文と擦文の担い手をどうみるかということに帰着します。
 続縄文→擦文文化人を北海道に渡った蝦夷とみれば後者ですが、実際、東北にはアイヌ系地名が残存しており、やはり東北蝦夷とアイヌの祖先は同じ言語(方言程度の差異)だったとみるほうが筋が通ります。
 ただし縄文人もルーツはひとつではなく、伊豆諸島の黒曜石を日本各地に伝えたのはそのうちの海洋民族系だったでしょう。
 彼らは環太平洋南洋系(南島系)の言語を持っていたに違いない。
 とすれば、「かつてアイヌ語圏の南側には中国語と同じ語順の言語がありました」とされるところの言語とは、かかる(海洋系縄文人を介してつながった)南島系諸言語だったかもしれません。
 とすれば、「ある時、大陸から日本列島に日本語が入ってきた」は、とうぜん弥生人ということになり、弥生人の言語こそが原日本語だったということになる。
 つまり現日本語は、大陸からの侵入者の言語(のなれのはて)であり、それはまず本州の縄文人を呑み込み、アイヌ語と南島語のつながりを断ち切った。
 アイヌ語は周囲を日本語に取り囲まれた結果、語順がひっくりかえって、現代のアイヌ語となった。
 もしかしたらアテルイが喋っていたのは、SVO型の構文だったのかもしれません※

 一方、日本語の源郷がどこかはわかりません。とうぜん弥生人もルーツは一つではないのでしょう。ただ、白村江後、百済人が大挙亡命帰化してきて、日本の朝廷の枢要を押さえましたが、言葉に不自由したというような記述は見た記憶がありません。
 これは想像するに、当時の日本語と百済語は、せいぜい方言程度の差異しかなかったからではないでしょうか。
 となりますと、現在私たちが母語としている日本語は、そもそも朝鮮半島で使われていたものであった可能性を無視できないのではないでしょうか。

 リンクの記事を読んで、そんな想像をしたことでした。

※今後、東北の蝦夷を小説化する場合は、「オレタチ、タタカウ、ヤマトノヘイシト」みたいに書けばリアリティが数段増すかもしれませんね(^^;

 

Re: 「中国怪奇小説集」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月22日(日)21時10分7秒
返信・引用
  > No.7500[元記事へ]

『中国怪奇小説集』より、「稽神録(宋)」を読みました。
「餅二枚」
 旅人が通りかかった土地は大飢饉で、宿を仮るような家もなかった。高いところへ登って見回すと、遠い村落に烟りの上がるのが見えたので、急いで訪ねていった。門を叩くと娘が出てきて、「飢饉で家中の者皆煩っており、客人をお通しすることはできないが、中堂に榻(ベッド)がありますから、それでよろしければ」
 旅人がそこへ入れてもらうと、娘はその前に立っていた。やがて妹も出てきたが、姉の後ろに隠れて顔を見せなかった。
 旅人は携帯の食事を済ませ、女たちにも餅を二つやった。
 女たちは餅をもらって母屋に帰ったが、その後は全く人声も聞こえず、森閑としているので、旅人はなんだかゾッとした。
 夜が明け、暇乞いに母屋に声をかけたが返事がない。不思議に思い、戸を壊して入ってみると、沢山の死体が折り重なって、大抵はもう骸骨になりかかっていた。
 そのなかで女の死体は死んでからまだ10日を越すまいと思われた。妹の顔はもう骨になっていた。ゆうべの二枚の餅は、めいめいの胸の上にあった。
 後に旅人は、彼らの死体をみな埋葬してやったという。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月21日(土)19時04分31秒
返信・引用 編集済
   今日は幕内で取って11勝目。来場所大阪場所での新入幕が確実です。画像は控えでジトーと見上げる臥牙丸。なんともうらめしげな表情が笑えます。嫌なやつが上がってくるなあ、てな感じでしょうか。実際、臥牙丸や魁聖や碧山のようなタイプは、恰好のエジキになりそうですなあ(^^;
追記。わ、臥牙丸と宇良は同部屋なのか!! 同部屋力士は対戦しませんから、あのジトッとした視線は何だったんでしょうか(^^ゞ
 
 
 

 

Re: 椿實『メーゾン・ベルビウの猫』

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月20日(金)20時57分28秒
返信・引用
  > No.7504[元記事へ]

 椿實は、中井英夫、吉行淳之介らと第十四次『新思潮』をやっていたメンバーの一人で、当時は吉行、中井より先に注目され、柴錬、三島由紀夫、林房雄らに注目され『群像』『文学界』に小説を発表するようになる。そういう経緯で、『群像』合評で谷崎の初期と比較されたんだそうです。


 

椿實『メーゾン・ベルビウの猫』

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月20日(金)20時36分22秒
返信・引用 編集済
 
     元ツイート



     幻戯書房NEWS

    ↓クリックで拡大
 

十両史上初の珍手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月20日(金)16時58分33秒
返信・引用
   

←クリック
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月19日(木)21時32分0秒
返信・引用
   これは珍しいシェップのボーカル。
 

 

線引に抗して

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月18日(水)21時37分36秒
返信・引用 編集済
   外国人力士の人数制限ができてからの韓国人力士と言えば、10人が10人、春日王を想起するのではないかと思います。「外国人力士」なんていう区分けができて以降の韓国人初の幕内力士だった春日王は例の八百長問題に巻き込まれて5年ほど前に引退してしまったのでしたが(wikipediaによれば、引退式には力道山夫人も参加したそうです)、もっと最近まで現役だった韓国籍力士がいるのです。
 といえば、あ、そうだった、と思い出した方もいるでしょう。
 そう、栃乃若ですね。2メートル近い長身で大器と期待されていました。ただ栃乃若はソウル出身の春日王とは違い、尼崎出身なのです。在日韓国人の父親と韓国人の母親の間に生まれた在日3世なのですが、国籍は韓国。ですから純粋な意味で外国人力士ではないのかもしれません。
(外国人力士一部屋一人という基準の適用外なのかな。いや最近の日本人自大主義の流れで「帰化力士も含めて1部屋1人まで」となったそうなので、今だったら外国人力士の範疇に入るのではないかな)
 それはさておき、入門してしばらくは本名の「李」を四股名にしていました。躰はめぐまれているのにあんまりヤル気のない力士でしたね。2年前、26か7で突如引退してしまいましたが、相撲協会の外国人力士差別が嫌になったのかもしれません。ここ数年の白鵬も、優等生からちょっと朝青竜風になりましたが、それも同じ原因ではないかと私は疑っています。
 そういう風潮のなか、新しいカタチの外国人力士がぐんぐん力をつけてきています。
 いま、大関を狙う力をつけてきた高安と御嶽海です。実は彼等は日本人ですが、母親がフィリピン人、つまり日比ハーフなのです(一時、心臓が悪いため20秒しか闘えない力士として有名になった舛ノ山もそうです。舛ノ山は怪我で幕下に下がってしまいました)。
 バブル期以降、外国人の嫁さんを貰うのはそんなに特殊なことではなくなってきており、一方、規制で純粋外国人力士はあたま数をおさえられていますから(なぜ日本人は線引をしたがるのでしょう)、今後はそもそも日本人であるフィリピン(むしろ東南アジア?)勢が、隠然たる勢力を形成するのではないでしょうか。いやそうなるのを望みたいです(^^;

 ということで(どういうことだ?)、『夢みる葦笛』に着手しました。

 

「中国怪奇小説集」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月17日(火)20時37分18秒
返信・引用 編集済
  > No.7492[元記事へ]

 『中国怪奇小説集』は「 白猿伝・其他(唐)」と、「 録異記(五代)」を読みました。
 前者の「白猿伝」は、この一篇で独立のタイトルになっているだけあって、起承転結がはっきりとあり、物語といっていいように思います。
 酒呑童子は本篇が粉本と書かれています。
 妻を妖怪に攫われた主人公が、捜し求めて高山深く分け入り、妖怪の広壮な屋敷に辿り着く。そこで妻を見つけるが、簡単に妖怪を倒せるわけがない。同じく攫われてきた女たちの助言で食い物や酒を用意する。帰ってきた妖怪はそれを飲食し、酔って眠ってしまう。女たちによって巨人は三本重ねた綵糸で括り付けられる。そこで主人公が、妖怪の唯一の弱点と教えられた臍の下に刀を突き立てると、さしもの不死身の妖怪も死んでしまう。
 酒呑童子の粉本とは著者の解説ですが、この弱点の部分は、「ニーベルンゲンの歌」のジーグフリートの背中や、「サムソンとデリラ」のサムソンの髪の毛や、アキレスのかかとを髣髴とさせますよね。
 私は、「ジャックと豆の木」も思い出しました。ジャックは豆の木をよじ登って雲上の巨人の城に辿り着く。巨人の妻の助言で宝物を地上に持ち帰ります。しかし歌うハープを持ち出そうとしたとき、ハープが喋りだしてしまい、巨人は目を覚ます。そしてジャックを追いかけて豆の木を伝って降りてくるのですが、ジャックが豆の木を切り倒したので、墜落死してしまったのでした。
 構成する具体的な要素は微妙に異なりますが、物語の構造(要素間の関係)は同一といってよい。構成する要素も、神話素としてみた場合、同じ意味を担わされています。
 そういえばオオクニヌシがスセリヒメを連れて逃げ出そうとする場面、眠っているスサノオの髪の毛を柱に結び付けます。しかしスセリヒメの琴の弦が何かに触れ、鳴ってしまい、スサノオは目を覚ましてしまう。しかし髪の毛をほどくのに手間取っている間に二人は黄泉平坂を越えてしまうのでした。
 髪の毛をくくり付ける行為は、「白猿伝」の綵糸でくくりつけるのと同じ構造です(サムソンの髪の毛を「切る」というのも、「括り付ける」と神話的には同構造です)。琴が鳴って起こしてしまうのもやはり、「ジャックと豆の木」でハープが喋りだすのと同一なんです。
 そのような次第で、「白猿伝」の作者は不詳とのことですが、私はむしろ、本篇はもともと神話的に成立したもので、作者というものはいないのではないかと思いました。はるかな過去から語り伝えられてきた神話的物語が、唐代に誰かによって採録されたというのが正しいのではないでしょうか。
 はるかな過去と言えば、今日、なんと偶然にも、こんなニュースが!?
 「ジャックと豆の木」の起源は5千年以上前だった! 童話の起源が大幅に見直される!

 もう一篇、「 録異記(五代)」は唐-宋間の混乱期である五代十国の時代の志怪集。著者によれば、五代は「文芸方面は頗る振わなかった」時代だったようで、当「録異記」は「五代ちゅうでも屈指の作として知られている」とのことですが、私の読んだところ、六朝時代に戻ってしまったような感じで、素材はなかなか面白いのですが、こねくり回し方が単純すぎて、紹介するほどの作品はありませんでした。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月16日(月)22時49分59秒
返信・引用 編集済
 
         元記事
 

「月と太陽の盤」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月16日(月)20時53分8秒
返信・引用
   宮内悠介『月と太陽の盤 碁盤師・吉井利仙の事件簿』(光文社、16)読了。

 いやーまいった。技のデパート舞の海(笑)のような連作集でした。
 第一話「青葉の盤」はプロローグ。これはまるで正調中国の怪談志怪小説で、そういうのが大好きな私は、今回はこういう作風なのかなとわくわくしながら、第二話「焔の盤」に着手したのでしたが、その期待は早速裏切られ(^^;、一転、ホンモノとニセモノのすり替えの応酬という一種のコンゲーム。
 あれれ、と戸惑いながら、第三話「花急ぐ榧」。これがまた、なんか中井英夫「とらんぷ譚」みたいな話で、つづく第四話「月と太陽の盤」は140枚の中篇。本集の白眉でしょう。なんとなんと、本格ミステリにしてアンチミステリの傑作!! 見立、前言否定、倒錯(倒立)と全て揃っている。「館」の図面は言うまでもなし(^^; いや、前作に中井を感じたのは我ながら鋭かった、と自己満足したのでした(汗)。但し直近のルーツは竹本健治かもしれません(新本格世代なのかも)。
 第五話「深草少将」、第六話「サンチャゴの浜辺」になると、今度は淡彩画の世界。ストーリーはあるけれどもないに等しい。これは日本の伝統的な文学の手法では。こういうのも好いです。私は大好き。後者はなんとなく小松左京「岬にて」を思い出しました。
 かくのごとく、個々の作品はそれぞれ楽しめたのですが、あまりに多彩(多才)すぎて全体の統一的な印象がなかなか像を結ばなかったのです。
 堀晃さんの評言を読んで、なるほど! と膝を打ちました。
 そうなんです。各自バラバラな筆法で書かれたこの連作集を一つに纏めているのは、「榧の木」という背景なのです。ハードSFの醍醐味は、個々の作中人物の営みではなく、それら前景の後ろに控えて、それらを照らし出す、いわば背景輻射であるところの、(人間の時間を超越する)超時間的な何かなのですよね。
 これは目からウロコでした。私の読みは前景に囚われすぎていて、それが見えていませんでした。堀さんの評を読んだ瞬間、わっと広がりました(SOW)。
 もちろん前景の多彩さは味読してしかるべきです。が、それと同時に、視点を後退させて小説を成り立たせている背景にももっと目を向けるべきでした。
 なかなかユニークな連作集で、堪能しました。

 

銭形平次物語の時代設定変更について・とりあえず最終報告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月14日(土)11時28分30秒
返信・引用 編集済
  > No.7493[元記事へ]

 野村胡堂『銭形平次捕物控52話~61話』(青空文庫Kindle版)読了。(但し52話、53話、55話、58話、欠)
 タイムスリップの兆候がまだありません。知識がないため見落としている可能性があります。欠話も多いですし。
 ただ、これはどうでしょうか?
「時々出した火の元用心の觸れ書も、實に行屆いたもので、大風の吹く日は外出を禁じ、庇や屋根に水を打たせ、二階に灯を點けさせなかつた時代さへあります」(59話「酒屋火事」)
 前項で紹介したように、「二階に灯を點けさせなかつた」のは万治3年(1660)のこと、すなわち銭形平次のオリジナルな時代設定の範囲内です。
 「二階に灯を點けさせなかつた時代さへあります」という表記は作者の解説ですが、「そういう時代が昔あった。いまはそこまでは言われない」というニュアンスを私は感じさせられます。だとすれば、本篇「酒屋火事」の時代は万治3年よりずっとのちの、そういう規制が解除された時代と考えられなくもないような。乱歩との対談で語っているように、著者はどこかで時代を19世紀前半(文化文政期)に持って行きたかったわけですが、当記述は、そのための伏線として配置されたものなのではないでしょうか。
 もちろん、小説内の著者の解説が、当の小説の時代に即して記述されなければならないいわれはありません。
 引用文の少し前に、「江戸の火事の恐ろしさは、明暦、天明の大火を引合ひに出す迄もありません」
 という文がありますが、この記述は普通に読めば後者の、超時代的な、一般的記述のようにみえます。でもこの文章も、著者の視点が19世紀前半に即したものだとしても解釈できるんですね。明暦大火は1657年、天明の大火は1788年で、どちらも化政期以前ですから、視点を化政期に固定して、その過去の出来事として二つの大火を引用文のように語ることは可能なんですねえ(^^;
 というか、もし最初の引用文を前者の視点で読むならば、二番目の引用文も同様に前者の固定視点で読むべきです。

 さて、当文章はしかし、多分に印象的な、根拠としては薄弱なタイムスリップの証拠でしかありません。もっと確実なものを見つけたいところですが、今回も10篇中4篇が欠だったように、青空文庫への収録が、このあたりになるとまだ整っていません。ひょっとしたら今回の欠録分のなかに確実な証拠が合ったかもしれません。
 というわけで、とりあえず一つ発見したことに満足して、この探求はいったん休止し、青空文庫がもっと完備してから再開したいと思います。ただし忘れていなければですが(>おい)(汗)

 次は宮内悠介『月と太陽の盤』に着手します。


 

「カブールの園」「半地下」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月12日(木)22時42分12秒
返信・引用 編集済
   宮内悠介さんが芥川賞候補になったそうです。私は賞を獲った作品はその直後には読まないことにしているので、あわてて昨日、候補作品「カブールの園」(110枚)が掲載された文學界2016年10月号と、文學界デビュー作品「半地下」(150枚)が掲載された2016年2月号を、図書館で借りてきました(受賞前ならマイ原則に抵触しないのです)(^^;
 昨晩一気に両作品とも読んでしまいました。今日、前者を再読しました。

「カブールの園」の主人公は日系三世の女性。母親は日系二世、父親は日本からやって来た画家。しかし父親は主人公が生まれると母と子を捨てて出ていってしまう。そういうことで主人公は母親に共依存的に囚えられているがそれが自分自身を縛っていることに気づいてもいて、長じて母親を「否認」します。
 もうひとつ主人公を苦しめているのは、幼児期に虐めを受けたことによるトラウマです。
 これらが複合して、主人公は自分に自信が持てず外界に対して防御的な性格になってしまっています。
 主人公は大学で中高では得られなかった尊厳に基づく友情を互いに抱ける友人二人を得る。卒業後、彼らとベンチャービジネスを立ち上げ、それで「母の否認」がようやくできたのですが、「否認」は「否認」で母親との葛藤が消えたわけではない。
 精神的に追い詰められていることに気づいた友人たちに、主人公は二週間の休暇を強制的に取らされる。
 旅に出た主人公は、戦時中、日系人の隔離施設であったマンザナー強制収容所の跡地を訪れる。そこに保管されていたテープには、なんと子供の頃世話になった人の声が残されていた。そんな「意味のある偶然」に引き寄せられるように、主人公は、自分、母、祖母3代にわたるルーツ確認の旅に送り出されるのでした……
 これは素晴らしい作品。ルーツの旅は主人公の心を開く方向に働いたようで、アメリカ人の無意識に根強く残る有色人種差別すら、相対化して利用できるようになります。
 その分水嶺となったのが、主人公に否認された母親が、その主人公の(母親否認の契機となった)大学の学費のために、自分自身が「否認」していた祖母に頭を下げて、折から戦時日系人強制収容の非を認め支払われた補償金を譲ってくれないかと頼みに行ったという構図で、その知によって主人公は寛解したと思うのですが、私も感動しました。

「半地下」は、父親が事業に失敗し、5歳の主人公と姉を連れてニューヨークへ夜逃げしてくる。ところが姉弟を残して父親は蒸発してしまう。姉が主人公を養って働き始める……
 これはまた色彩豊かな物語、いや、神話的作品といいたい。疲れたのであらすじは省略しますが、私は「カブールの園」より本篇のほうが好きかも。
 どちらの作品も、とても楽しめました。

 

岡本俊弥「汽笛」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月11日(水)21時24分45秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥「汽笛」を読みました。
 時は1968年、物語は汽笛一声開始されます。国民学校の建つ高台からは4キロ下の海岸までよく見晴らせる。その傾斜の中ほどに国有鉄道工場があり、そこで建造されている新型蒸気機関車が鳴らした汽笛なのです。その機関車は高さ5m、長さ40m、重さ300tという超弩級。当然従来の狭軌鉄道ではなく、新しく敷設された広軌鉄道を時速200キロで突っ走る。
 つまりこの小説世界は、新幹線ではなく超高速蒸気機関車が走る”もうひとつの時間線”なのです。
 電気は発達していないようで、蒸気機関が主たる動力源。したがって燃料となる木材が大量に必要で、従来の森林は伐採され、代わりに3年で巨木となる品種改良されたアメリカ杉が至る所に植林されています。
 このような世界になったのは、23年前(1945年)3月、奇しくもこの世界の神戸大空襲の日、突如宇宙から現れた宇宙人によって地球が征服されたからなのです……。その日出現したのはまるで蝗の大群のような夥しい宇宙機。それが急降下しては、蜘蛛型歩行機を吐き出し、それが無差別に人類を襲い始めたのでした……

 面白い面白い! この蜘蛛型歩行機、キリキリという音を発して動き回り、私は宇宙戦争のトリポッドを想起しました。しかしその中には運転するエーリアンはいません。どうやら「砂漠の惑星」の昆虫のような存在としてイメージされているようです。ではエーリアンどこにいるのか。どうも宇宙人といったものは存在せず、AIであることが仄めかされるのですね(その意味ではバーサーカーが浮かんできます)。この地球制服は、AIによる宇宙征服の一環なのでしょうか!?
 本篇自体は静謐な物語ですが、雄大な構想のスペースドラマの序章であり、こんご続編が続々と発表されるのかもしれません。楽しみ~(>ホンマか)(^^;

 

「銭形平次42話~51話」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月10日(火)21時41分3秒
返信・引用 編集済
   野村胡堂『銭形平次捕物控42話~51話』(青空文庫Kindle版)を読みました。(但し44話、49話、欠)

 それはさておき。
 元ツイート

 これらから明らかなのは、教養が不足していること(中高で落ちこぼれた?)、社会いや世界と交通していないので常識がないこと(ひきこもり?)、ネトウになるためにはこの二つの条件が必要不可欠ということですねm(__)m。

 

銭形平次物語の時代設定変更について・さらに続報

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 9日(月)21時59分46秒
返信・引用
  > No.7491[元記事へ]

45話「御落胤殺し」
 八五郎が暢気に狸穴坂の菊細工を眺めながら歩いています。「菊細工はまだ麻布の狸穴坂の兩側を本場にした頃、ガラツ八は飯倉へ用事で來た序に、此處まで足を伸して(……)菊を眺めて、返したところを妖かしの網に引つ掛つたのでした。( 註、菊細工の本場は文化以後染井巣鴨に移り、弘化年間に根津、谷中、駒込を中心として精巧な菊人形に進化し、一時中絶して、明治十年頃團子坂の菊人形に復活したのです。)」
 ということで、本篇ではまだ、狸穴坂が菊細工の本場の頃ですから、文化文政以前です。

47話「どんど焼」
 正月早々商家の離れの二階で殺人事件。平次は言う。「殺された若旦那は、宵から二階などへ上がつて居たのか――此節は御觸がやかましくて、町家の二階では灯を點けてはならぬことになつて居る筈だが――」
 というのは他でもありません。
「萬治三年は正月から大火があつて、湯島から小網町まで燒き拂ひ、二月は人心不安の爲將軍日光社參延引を令し、六月には大阪に雷震、火藥庫が爆發し、到頭江戸町家の二階で紙燭、油火、蠟燭を禁じたのです」
 つまり本篇の時代は、萬治三年の翌年、即ち萬治四年以降のいずれかの年の正月のお話ということになるわけですが(萬治四年は1661年。ただし4月25日に寛文に改元される)、先回記しましたように、38話「一枚の文銭」は寛文4年で確定していますから、当の47話「どんど焼」の時代設定は寛文5年あるいはそれ以降のある年の正月のお話となります。(但し当シリーズが木枯し紋次郎シリーズなどと同様、時系列を追って物語られているのであれば、ですが)

 いずれにせよ、少なくとも第47話までの物語は、家光・家綱の時代、17世紀前半から中頃にかけての時期が舞台であり、それで替りないことが判明しました。
 それにしても「30話」なんて云うのが流布しているのは何なんでしょうね。どんな間違い・勘違いが介在したものか、興味深いです。というか、だれもトレースして確かめてみなかったんでしょうか。

 
 

「中国怪奇小説集」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 8日(日)23時01分47秒
返信・引用
  > No.7490[元記事へ]

 「宣室志(唐)」を読みました。
李生の罪
 巡察の吏が役目でやってくる。狷介な人物らしいので、迂闊な者を侍らせて粗相があってはと、太守自ら一人で相手をしていたが、さすがに間が持たなくなってくる。吏も相客を望んだので、この者なら大丈夫という男を呼んだ。召出した男を一目見るなり吏はみるみる不機嫌になる。男の方も蒼褪めている。と、吏が「あいつを縛って獄屋につなげ」。引っ立てられていってしまうとまた機嫌がなおり無事酒宴は終わった。
 太守はほっとすると同時に不思議に思い、獄中に人を遣わして理由を尋ねると、「私は昔は放蕩無頼で、27年前、満載した馬を引いてやってくる10歳位の少年を崖から突き落とし、馬も荷物も自分のものにしたことがありました。それを元手に金儲けしたので悪行からきっぱり足を洗い、読書に努めた結果、今の地位に付きました。今日宴席に出仕し吏の顔を見たら、昔殺したその少年にそっくりで驚きました。これぞ因果応報、吏に殺されるのは当然で覚悟しております」
 吏が酔からさめ、すぐに男の首をもってこいとのこと。命乞いするすべもなく首を落として吏に渡すと、快げに笑っている。
 一体どういう理由でご機嫌を損ねたのかと聞くと、「いや別に罪はない。これまで会ったこともない。ただ顔を見たらなんだか無闇に憎らしくて殺す気になった。理由は自分でもわからない」。
 太守が吏に歳を聞くと、恰も37歳とのことであった。

 

銭形平次物語の時代設定変更について・続報

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 8日(日)13時50分59秒
返信・引用 編集済
  > No.7489[元記事へ]

 野村胡堂『銭形平次捕物控32話~41話』(青空文庫Kindle版)読了。(但し36話、欠)

 前回、長尺化で密度が減じたように感じると書きましたが、その傾向は今回も続いており、どうもそれは必ずしも長尺化のせいというわけではなく、筆法のせいであることがだんだん分かってきました。
 作者が地の文で説明して描写を省く傾向が出てきたのです。それが作品を一種の「あらすじ」みたいに読者に感じさせてしまうのです。小説は作中人物なり世界なりに読者を同一化するものなのですが、あらすじはそうではなく、外的に俯瞰する態度からなされるものなので、動的なドラマ性が幾分薄まってしまうのです。
 で、ああ遂にマンネリ化したか作者は定型に当てはめて書き出したかと、ちょっと読み続ける意欲を失ったのですが、しかしまあ、「タイムスリップ」の時期を確定したいという欲求もあって読み続けることにした。
 すると、30話台も中段に入って突如密度が復活。以前よりもより小説として面白くなってきました。ミステリ風味も格段に近代化されて、少なくとも乱歩の通俗長篇程度のレベルにはなっています。
 前回紹介した乱歩との対談で「そうだね。むかしは大衆小説風に書いたね。チャンバラ式にだ。それからだんだんコナン・ドイル風になってきた」という言葉と対応するのかと思います。もっともこの対談はシリーズ開始から21年後のもので、30番代中盤とは3年目にかかるあたりなので、胡堂が私の感じたあたりを念頭に置いた発言なのかどうかはわかりません。

 ところで、「タイムスリップ」問題(承前)ですが、38話「一枚の文銭」にこんな文章が。
「寛文2年というと、ツイ一昨年の春、この瓶を埋めた先代総七郎が死んでから三月も後のことです」
 つまりこの話の時間設定は寛文4年ということになります。
 寛文は1661~72。家光の次、4代家綱の治世です。その4年は西暦1664年ですから、少なくともこの38話までは、「タイムスリップ」は起こっていないことになるでしょう。
 ということで、ウィキペディアの記述は(その出典の『時代劇解体新書』の記述も)間違いであることが明らかになりました(^^;

 

「中国怪奇小説集」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 7日(土)19時27分48秒
返信・引用
  > No.7487[元記事へ]

「酉陽雑爼(唐)」を読みました。唐代になると、小説も洗練されてきますね。「捜神記」について、落とし噺という言葉を使いましたが、たまたま直前に読んだのがそんな感じで、それに引っ張られてしまった。実際はナイーブな、小説としてのひねりはあんまりないものが多かった。むしろ創作という意識より「こういう不思議な事実があった」という書き方なんですね(もちろんそれだからダメとは思わないです。逆にストーリーの因果的定石をはずすことで不安な感じが醸成されていてよい場合もありました。意図的かどうかは違うと思いますが)
 一方本書になると、ひねりは意図的で、唐代の作家はいうまでもなく六朝の志怪を読んで育ってきたと思うわけですが、それへのリスペクトを保ちつつも、自分ならこう書くという一種反省的視点を獲得していたことで、創作技術が進歩したのだろうと想像されます。
 それがいいことかというと、そうともいえない。たとえば第一話「古塚の怪異」は、結局のところ墓あばきは罰を受けるという倫理道徳譚になっていて、唐代の怪談は因果応報という意味で、現代の大衆小説的な方向に向かっている(という面もある)んですね。その点では六朝の志怪は純文学的といえるかも。
「刺青」
 ある町で何度も獄屋に入れられる乱暴者がいた。しかしその背中に彫られた毘沙門天を憚って獄吏はよう杖を当てられない。それをいいことにますます暴れまわる。ついに堪忍袋の尾を切らした役人が筋金入りの杖で撃ち据えるが死ななかったので無事釈放される。暫くして件の男が役所に乗り込んでくる。「ごらんなさい。あなた方のおかげで毘沙門天の御尊像が傷だらけになってしまいました。その修繕をしますから、相当の御寄進をねがいます」
「人面瘡」
 二の腕に人面のような腫物ができる。別に痛くない。戯れに腫物の口に酒を注ぐと飲んでしまい、酔ったように赤くなった。食い物を与えると何でも食った。食いすぎると腕が腹のように膨れた。それを聞いた名医が、あらゆる薬や草木も食わせてみろと言うので、食わせたら、唯一つ貝母という草だけは口を閉じて食おうとしなかった。「それだ!」と手を打って名医は、管で腫物の口をこじあけ、貝母の汁を注ぎ込むと、数日にして腫物は小さくなって癒った。

 

銭形平次物語の時代設定変更について

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 7日(土)17時34分21秒
返信・引用
  > No.7488[元記事へ]

 承前。前回、銭形平次の物語の時代設定が、途中で寛永から化政期に移行されているとのウィキペディアの記述を紹介しました。
 ここから移行になったという30話を読んだ限りでは(31話も読みましたが)、私にはその「移行を示す証拠」を見出すことはできませんでした。私にそれを見分ける知識がないからだと思いますが、もしかしたら「30話」というのが、ウィキペディアの勘違い乃至誤記の可能性はないのだろうか、と思いつきました。
 幸い、ウィキペディアはその根拠として『時代劇解体新書!』(メディアファクトリー)を参考文献に挙げています。
 ということで、図書館に行って調べてみました。
『時代劇解体新書!』というのは、ムック本でした。《ノスタルジックTVグラフ》というシリーズの第3巻で、1993年刊。
 銭形平次の項目に、「時代設定」としてこう書かれていました。
「原作では平次は最初、投げ銭として寛永通宝を投げ、将軍家光の寛永(1624-44)から、家綱の治世である承応(1652-55)あたりで活躍していたが、原作の第30話ぐらいからは、文化文政(1804-30)の頃が舞台に。野村胡堂によると、この頃の文化、風俗が、最も書きやすいためとか」(36p)
 平次の項目には10頁費やされていますが、時代設定移行については、上引用部分のみでした。
 せっかく図書館まで出かけましたが、30話あたりで移行というウィキペディアの記述が誤記でないことは分りましたけれども、「移行を示す証拠」に就いては、何も分かりませんねえ(ーー;

 

「銭形平次捕物控21話~31話」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 6日(金)21時20分24秒
返信・引用 編集済
  > No.7485[元記事へ]

 野村胡堂『銭形平次捕物控21話~31話』(青空文庫Kindle版)読了。(但し21話、26話、29話は欠。青空文庫未収録)
 先回、どうも最初の頃に比べて話が長くなっているような気がすると書きました。31話を読んだとき、これはちょっと長すぎるな、と思ったので、あらためて第1話と31話の長さを実際に計算してみました。第1話は27枚で、第31話は55枚でした。ほぼ1.5倍。
 この31話がおそらく1~31話の中では最長だと思います。これはさすがに途中でダレました。かといって第1話からの数話は、短すぎて話が一直線に結末に達していて、後の作品を読んだ眼で見返せば、いささか不満。やはり40枚台あたりが、ストーリーも適度に複雑で、且つ平次と八五郎との落語のようなやりとりにもそこそこスペースが割けて、このシリーズにはちょうどよい長さのような気がします。
 ところで、ウィキペディアによれば、当初、寛永期(家光の時代。17C前半)が舞台だったのが(第3話には家光が登場)、第30話から化政期(家斉の時代。19C前半)に舞台が移行していると書かれているのですが※、私が第30話を読んだ限りでは、それはわかりませんでした。細かい設定で、分かる人には分かるのでしょうか(たとえば寛永期にはなくて化政期にはあった制度が30話に出てきているとか)。
※胡堂と乱歩の対談「探偵小説このごろ」(青空文庫)で、「平次もはじめは元禄時代にして書いたんだがね。次第に書きにくくなって、今は化政度[ママ]のつもりで書いている」と語っているので、どこかで切り替わっているのは間違いないのですが……

 

「中国怪奇小説集」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 5日(木)21時26分14秒
返信・引用 編集済
  > No.7486[元記事へ]

 「捜神後記(六朝)」を読みました。「捜神記」の後編というべきもので、東晋の詩人陶淵明の撰と言われていますが、それは疑わしいと本篇に書かれています。ちなみに「捜神記」は東晋の干宝の作。干宝は彼の父にまつわる神秘体験によって「捜神記」述作を志したのですが、ということやその神秘体験そのものは、こっちの「捜神後記」に収録されています(「干宝の父」)。
 印象ですが、全体に南方・水辺を舞台にした話(蛇、蛟etc)が多いように思いました。振り返って思い出せば「捜神記」もそうだったような。そういえば陶淵明は言うまでもなく江南の人ですし、干宝も生まれは河南省のようですが呉に関係が深く、父は江蘇省の長江南岸の丹楊の県丞だった(wikipedia)。上述の神秘体験も丹陽での出来事であったと推定できます。編者と目される二人が、いずれも江南にゆかりがあるのですから、編纂された志怪小説に南方系のものが多いのも、ある意味頷けますねえ。

 

「中国怪奇小説集」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 4日(水)23時39分50秒
返信・引用 編集済
   青空文庫に分割して収められた岡本綺堂『中国怪奇小説集』より、第3部「捜神記(六朝)」を読みました。
 ちなみに第1部は「凡例」、第2部は「開会の辞」。
「開会の辞」とはどういうことかといいますと、この『中国怪奇小説集』の趣向が、中国の怪談を、15人の語り手が手分けして、それぞれ時代別に担当して、かの青蛙堂に集合した者たちの前で語るという、一種百物語形式になっていて、その開催にあたっての、主催者(つまり青蛙堂主人)のひとこと――というわけです。
 で結局、そういう趣向にのせて、著者が企図したのは、中国の志怪怪談小説のその基本的なところは、本書を読めば大体押さえることができるという、中国怪談入門書なのですね。
 その意味では岩波文庫の『唐宋伝奇集』と重なるのですが、『唐宋伝奇集』がその名のとおり、唐宋限定であるのに対し、本書は六朝から前清までカバーしていることです。
 当第3部は(事実上の第1部ですが)、六朝時代の怪談集成。日本では卑弥呼の時代から倭の五王時代を含む六朝時代のことですから、収録作品もナイーブな、短い話が多い。しかしその分、ショートショート的な味わいもあります。というか落とし噺ですね。
 たとえば、兄弟が野良仕事をしていると、父親があらわれてとんでもない暴力を振るい始めたので、慌てて家に逃げ帰ったら、父親は家に居た。父親は「それは妖怪に違いない。今度あらわれたらぶっ殺せ」。次の日、兄弟が仕事に出かけた後、気になった父親が様子見に出掛ける。それを見つけた兄弟によって殺されてしまう。兄弟は家に帰って、部屋に居た父親に仔細を報告する、という話は、ちょっとディックみたいです。
「羽衣」という、日本の羽衣伝説の元ネタも採録されています。
 なお、『唐宋伝奇集』の冒頭作「白い猿の妖怪」と本書第5部の「白猿伝」を読み比べてみましたが、まあほぼ同じと言ってよさそう。つまり綺堂はいうまでもなく小説家ですが、そのサガで原典を膨らませたりしていないということが、それで言えるように思います。むしろ『唐宋伝奇集』が膨大すぎる註のせいで、読むリズムが失われてしまうのですが、それがない分純粋に怪談を楽しめます。
 ということで、順々に読んでいこうと思います。

 

「銭形平次捕物控13話~20話」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 3日(火)22時24分45秒
返信・引用 編集済
   野村胡堂『銭形平次捕物控 13話~20話』(青空文庫Kindle版)読了。
 どうも一話の長さが12話までと比べてすこし長くなっているような。ただし電子本なので各話の頁数がわかりません。私の感覚です。この感覚が正しいとしたら、それはやはりストーリーが複雑になっているからでしょう。
 今回も12話、第24話まで読もうと思っていたのですが、濃さが違います、20話でお腹いっぱいになってしまいました。
 その意味では、シリーズ全作品読破というような目的がないのなら、13話あたりから読み始めたほうがいいかもしれません。13話からはお静も平次の女房として常時登場しています。

 ところで、一話読み終われば、次の一話をダウンロードするという風に読んできたのですが、それで一つ不思議なものを見つけてしまいました。
 これです。青空文庫をそのままオン・デマンド本にしたものと思われます。オン・デマンドですから一冊から製作できます。値段は540円。いっておきますが、このシリーズの一篇の長さは、せいぜい20頁から30頁。リンク先の第一話は、大体の見当で40枚弱、25、6頁といったところでしょう。ですから、ペーパーバックと謳っていますが、おそらく中綴じの、冊子に毛が生えたようなぺらぺらの本でしょう。それに540円も取るとは。まさにボッタクリ以外の何物でもありません。だいたい青空文庫で無料で読めるものなのです。
 こんなのだれが買うのかと思いますが、売れ筋ランキングを見たら順位が出ているではないですか。つまり最低1冊は売れているのです。
 古書店のボッタクリ売価も大概ですが、初心者を食い物にする新手の詐欺といっても過言ではないのじゃないでしょうか。いやまあ、ひでー話です。

 

Re: 2016年読了書

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 3日(火)17時36分47秒
返信・引用
  > No.7483[元記事へ]

 和田さん 雫石さん
 あけましておめでとうございます。年賀状ありがとうございました。私はまだ作れていません(>おい)。なんかめんどくさくなって、今年は出さないかもしれませんm(__)m

 和田さん
 意外に長期入院になりましたね。しかしポジティブに捉えて、読書と創作に励んで下さいませ(^^;
>病院の環境に慣れてしまったからでしょうね。
 そういうのはありますよね。私も何か書きたいなと思っているのですが、PCの前に座っても、何も浮かんできません。というか、書き方がわからなくなってしまいました。
 で、はっと思い到ったのですが、もしかしたら初手からワープロで書こうというのが間違っているのかも。アイデアをストーリー化する段階では、昔のように、紙と鉛筆でこねくり回さなければいけないのかも。和田さんのように作り慣れてきたらそうではないのかもしれませんが、今まで書いてなかった者が突如ワープロの前に座っても、それはムリですねえ。

 雫石さん
>私は明日から入院です
 雫石さんの場合は数日の入院でしたよね。つつがなくご退院されることをお祈りしております。まあメスを入れる手術ではないとのことなので、安心しております(^^)
 入院記、楽しみにしております(^^ゞ

 

Re: 2016年読了書

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 1月 3日(火)16時58分32秒
返信・引用
  > No.7482[元記事へ]

あけましておめでとうございます。
私は明日から入院です。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: 2016年読了書

 投稿者:和田宜久  投稿日:2017年 1月 3日(火)16時38分6秒
返信・引用
  > No.7479[元記事へ]

あけましておめでとうございます。入院生活はもう少し続きます。
いやあ、入院も慣れてくるとなかなかいいものです。入院中に読んだ本が55冊ぐらい。書いたショートショートが25本(年末に書いた超短編12本を入れずに)ぐらいかな。
正月は一時帰宅してましたが、書こうという気が起きませんでした。病院の環境に慣れてしまったからでしょうね。
 

「銭形平次捕物控1話~12話」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 3日(火)00時07分13秒
返信・引用 編集済
   野村胡堂の『銭形平次』シリーズを、青空文庫のKindle版で、第1話から12話まで読みました。
 当シリーズは、オール読物創刊号(1931(昭和6)年4月号)に第一話が載り、1957(昭和32)年まで、長短併せて総計383篇が執筆されたそうです。のちには新聞連載や他の文芸誌にも掲載されたようですが、オール読物には、少なくとも53年9月号まで掲載が続けられたようですね(青空文庫への掲載がまだ途中のため、確認不可)。
 ということで、私が読んだのはそのほんの3パーセント。オール読物1931年4月号~32年3月号掲載分の12篇ということになります。
 いや、推理ものとすれば他愛ない話ではあるのですが、意外に面白く、最初は5篇でやめておくつもりだったのが、5篇読み終わったら、まあ10篇まで読もうかと、10篇まで来たら、せめて1年分12篇まで、と、ズルズル読んでしまいました。
 つい読んでしまうと言えば、江戸川乱歩がそうですよね。そういえば、文章の講談調なところや、お話が渋滞せずポンポンと飛ぶように進んでいくところなど、乱歩の通俗長篇のタッチによく似ています(年齢は乱歩より12歳歳上)。
 最初の数話は飛ぶように進んでいくにしても、はっきり言って一直線だったのが、回数を追うごとにそれなりに世界が深まっていくのは、捕物小説に筆が慣れてきたのとガラッ八との漫才めいたやり取りとか、シリーズとしての世界観が固まってきたからでしょう。実はガラッ八も、最初からではなく、第3話から登場するのです。のちに女房となるお静は、この12話のうちまだ3回しか登場しませんし、三回目(第10話)でようやく結婚式を挙げるも、その後も一緒に暮らしている場面はありません。有名な「親分大変だ!」「なんだ騒々しい」という定型が定まるのも、ようやく9話あたりから。
 ですからこの12話は、シリーズとしてまだ完全には固まっていないと言えそう。
 しかし、ストーリーは今日的見地からすれば他愛ないにしても、江戸の風俗などはきっちりと詳しく書き込まれていて、毎月連載されているのにマンネリにならないのが凄い。著者の博識の賜物でしょう。
 一応、野村胡堂『銭形平次捕物控1話~12話』(青空文庫Kindle版)読了とカウントしておきます。
 

アニメ「銀河鉄道の夜」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 1日(日)22時22分16秒
返信・引用 編集済
   アニメ「銀河鉄道の夜」(85)を観ました。
 非常にきれいな映像で、むしろこの映像に合わせて原作が採用されたかのような印象すら受けました。映像はきれいなのですが、銀河鉄道の旅の前半は、全体を把握していないので、エピソードがそれこそ車窓の風景のように流れていってしまうばかりのように感じられて、ちょっとコックリしてしまいました。(旅の後半はエピソードが積み上がっていく形となって、何を暗示しているのかようやく分かってきて、眠気は退散しました)
 私は原作を一度読んでいますが、なにぶん何十年も前のこととてストーリーは忘れていました。ただアニメを見ていたらところどころシーンは甦ってきましたけれども。ですからアニメを見終わってようやく、なるほどストーリーはカムパネルラがジョバンニに別れを告げに来るという設定の話だったのかと知った次第。
 ではアニメは、原作をどれ位反映しているのだろうか、と気になってきて、観終わった後、(持っている新潮文庫版は仕舞い込んでしまっていてなかなか出せないので)青空文庫で読み返してみたのでした。眉村さん絡みで、宮沢賢治体系的に読む必要を感じていたので、渡りに舟でした。
 ストーリーはほぼ同じでした。やはり旅の前半は平板な印象だったので、アニメは原作に忠実なストーリーになっていることがわかった。もう少し短くできるのではないかという気もしますが、やはり旅の長さはあれくらいないと、ラストが効いてこないのかも。
 と、書いている間にも、読後感はどんどん良くなってきており、たぶん続けて再読すればもっと良くなってくるはずで、やはり代表的な名作なのだろうと、あらためて思ったのでした(^^;
 

Re: 2016年読了書

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 1日(日)17時32分16秒
返信・引用 編集済
  > No.7478[元記事へ]

 あ、いまふと思い出しましたが、去年『20億の針』を読んだのでした(汗)。ですから小説(海外)1冊、総計65冊(58冊)となりますね。


 

2016年読了書

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 1日(日)17時26分7秒
返信・引用 編集済
   昨年中に読了した書籍は以下のとおりで、計64冊でした。ただし『科学と哲学に関するつぶやき』全8巻を1冊とみなしますと(ボリューム的にはそのほうが妥当)、57冊となり、ほぼ例年どおりとなりますので、やはり一冊としてカウントすべきでしょう。

 あと、これは自分でも意外でしたが、今年は海外小説を一冊も読まなかったみたいですね。でもよく考えたらそんなに意外でもなくて、海外小説と言えばわたし的には海外SFと同義になるわけですが、SF文庫のカバーイラストが興味をなくさせていたようです(たまに、これええやんと思うカバーは大抵既読書の復刊再刊)。まあ内容もカバーに準じているんでしょうから、そもそも興味を惹かれるものではなかったということですね。※
[※私の偏見というだけではない証拠に、この方の感想でも「勧めません」の印はほぼすべてハヤカワSF文庫]

追記。あ、いまふと思い出しましたが、去年『20億の針』を読んだのでした(汗)。ですから小説(海外)1冊、総計65冊(58冊)となりますね。

 

「ALWAYS続・三丁目の夕日」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 1月 1日(日)05時06分43秒
返信・引用 編集済
   新年最初のDVDは「ALWAYS続・三丁目の夕日」(07)を観ました。
 舞台は昭和34年(1959)の東京。前年のクリスマスに営業開始した東京タワーが、つねに画面のバックに聳え立っています。今では高層ビル群に囲まれて山手線からも殆んど望むことはできなくなってしまいましたが、その頃は他に並び立つ高い建物はなく、この映像を信じれば、まさにただひとりという感じで上空に伸びていたのですねえ。
 前作にひきつづき、CGを上手に使って昭和30年代を表現していましたが、この続編は案外CGの動きがカクカクしていることに気づきました。9年前の作品ということで、CG技術がまだ進んでなかったんでしょうか。しかし前作では殆ど気にならなかったんですが……。
 『東京ゲリラ戦線』は68年頃が作品の舞台でした。本篇はそれより10年ほど前に当たります。もはや戦後ではないと言われたのが昭和31年ですが、その3年後である本篇の世界には、なお戦後がそこかしこに残っていて、戦友会に出かけた堤真一が戦死した戦友(部下?)の幻像を見たり、薬師丸ひろ子はシベリアから5年前に帰国したの昔のBFと偶然出会ったり、六子の同級生は復員兵の装束で詐欺を働きます。
 この時期、山村工作隊はすでになく、というか、小松さんが書いているとおり、山村工作隊はそんな武闘組織ではなかった。独立遊撃隊というのが山村工作隊と混同されたとのネット記事を読みましたが、労働運動や学生運動はずっと盛んだった。
 その一方で、本篇の町内のような、地縁的社会がまだ機能していた。それが良くも悪くも崩壊していくのは70年代になってからで、その意味では『東京ゲリラ戦線』的なのと『三丁目の夕日』的なのが併存していたのが、1960年代だったのかもしれません。
 偶然ですが、その両面をそれぞれ描く創作物を、つづけて読み視聴したわけで、ちょっとしたステレオグラム効果を味わうことが出来ました。

 
 




過去ログ
inserted by FC2 system