「スウィングしなけりゃ意味がない」(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月31日(金)22時21分24秒
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  > No.7651[元記事へ]

『スウィングしなけりゃ意味がない』130頁まで。
 ここまでは締め付けが厳しくなっていく中で、それに反抗して、ナチス何するものぞと気ままに振る舞う不良たち(金持ちの子弟という特権でですが)の一種さわやかな青春小説の趣きがありました。
 本章では、一転、これまで背景に退いていた当時の社会の暗い現実が、前面に出てきます。
 マックスの祖母は半分ユダヤ人(厳格なルター派)。ですからその妹(マックスの大叔母)も半分ユダヤ人。祖母の子供(マックスの父)は4分の1ユダヤ人。ここまでは分かる。ところが大叔母の子(叔母)は、なぜか100%ユダヤ人なのです。不思議でしょう?
 その理屈は本書を読んでもらうとして、その「人為的な区分け」が、マックスの一族に悲劇をもたらす。本章ではその顛末が描かれます。独立した短篇の趣きがあります。
 祖母が死んだ翌日、偶然にも叔母の一家がポーランドの収容所ゲットーへ送られる日にあたっていたのですが、偶然と書きましたけど、そんなにうまいこと偶然が起こるとは思えません。祖母の死はポーランド出発が契機だったのかもしれません。
 叔母は祖母の死を知らずに出発する。マックスはその出立を隠れて見送る。まるで映画のラストシーンを見ているような、印象的な場面でした。

追記。章題の「奇妙な果実」は、祖母を暗示しているのでしょう。

 

「スウィングしなけりゃ意味がない」読み中(続)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月30日(木)22時33分39秒
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  > No.7650[元記事へ]

『スウィングしなけりゃ意味がない』は100頁弱。
 前章でヒトラーユーゲントによってスパイをさせられていたクーですが、主人公たちにそれをバラされないようにするため、結果的に逆スパイとなってしまいます。それはもう、もともとコンプレックスとルサンチマンに苦しんでいたクーを更なる葛藤の深みへと引きずり込む。
 ところで、実はクーも音感が優れていて、マックスらにくっついてスウィングを聴いているうちにその虜になっていたのです。主人公のエディにふと、自分もギターをやりたいと呟く。「やったらいいじゃん」あっさりとエディ。金持ちの御曹司は簡単に言うが、一般市民の息子でユーゲント団員が退廃音楽(まだ退廃音楽で禁止はされていない。しかしやがて敵性音楽となる)にうつつを抜かしているとなれば、その上昇志向がオジャンになってしまうのです(クーの鬱屈は眉村さんの主人公に通底していると思います)。
 諦めるクーですが、そんなクーにエディの悪魔の所業。ゲシュタポのダンスホール手入れの際(それはこれまでに何回もある)、クーの服のポケットにイギリス空軍がばらまいたビラを忍ばせたのです。凍りつくクーにエディが囁く。「ギター買いにいけよ」。友情なのか何なのか(^^ゞ

 さて本章では国防軍の英雄を父に持つデュークにスポットが当てられます。彼は一種の破滅型(?)のようで、私は強く共感したのでした(笑)が、おそらくその退廃的でアイロニカルな性格は、英雄軍人である父親を持ったことの反動形成も多分にありそう。
 本章は「アマポーラ」というタイトルですが(すべての章名は曲名が充てられていて、これまでは必ずその曲が登場した)、「アマポーラ」は出てきません。代わりに曲名の分からないレコードがかかって、その詩が引用されます。「アマポーラ」ではないのは明らか。厳しくてとてもよい詩で、私はあるいは著者の自作かと思ったのでしたが、念のためタイトルと見当をつけた単語で検索したらヒットしました。「スラバヤ・ジョニー」、有名な曲らしいです。
 そうそう、音楽仲間のカヌーという少年。カヌーはあだ名であることがだんだん分かるのですが、最初の出会いである舟からシームレスにその名が導き出される超絶技巧。さすが上手いねえ。真似したい(>おい)(^^ゞ

追記。「アマポーラ」は出てこないと書きましたが、いまパラパラっとめくり直していて気がついた。本章最後の、主人公がエヴァと踊るシーンでかけたレコード、「甘ったるい腑抜け音楽」と形容されたそのレコードこそ、「アマポーラ」だったのでしょう。
 

「スウィングしなけりゃ意味がない」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月29日(水)21時22分38秒
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  > No.7649[元記事へ]

『スウィングしなけりゃ意味がない』60頁ちょっとまで。
 ここまで金持ちの不良子弟しか出てこなかったが、ようやく無産階級の少年が描かれる。これがなかなかヌエ的で興味ぶかい。
 金持ちのボンボンたちは、タカをくくっています。滅多なことにはなるまいと。もしなったとしても、親がなんとかしてくれる。
 ところが無産階級の子供にそんな後ろ盾はない。この少年クーの父親は、赤旗のデモで突撃隊に襲撃され大怪我をし、その怪我がもとで足が不自由になり半端仕事しかできず、母親が働いている。実は主人公の工場で事務をしているのですが、優秀でそこそこ給料がある。なので母親はクーを大学にまで行かせようと考えており、実際それが可能なんです。
 ただ、頭が良いだけでは駄目。どれだけ国家にとって有益な人材であるかを証明しなければならない。つまりはヒトラーユーゲントに入っているかどうかということ。で、多分仕方なしに入団するのですが(この段階ですでにボンボンたちに負い目を感じているはず)、まず父親が良い顔をするはずがない(父親と気まずくなる)。しかも入団したての下っ端ですから、地域を見回って風紀係みたいなことをさせられている。
 ところが上記の不良ではなく、そのへんに屯している不良は、階級的にはクーと同じだが、大学などへ行けるものたちではない。だからクーの立場を知っているものからすれば(同じ地区ですから大抵知っている)、クーは彼らの目の敵なんです。同じ階級なのに別の階級へ移ろうとしている。喫煙などを注意しようものなら逆にコテンパンにされてしまう。
 それにマイったクーは、別の職務へ移りたいと願い出る。そこで与えられた新しい職務というのが――なんと、金持ちボンボンたちに金魚のフンのようにくっついて、彼らの動向を上に上げる――スパイなのでした。
 いやはやこんな立場ですから、クーのコンプレックスというか、ルサンチマンは大変なもの。しかもクーがスパイであるのは、とうにボンボン達に知られていたのです。
 しかし主人公は、そんな彼を、自分の父親の会社の従業員の息子を、なぜか衆人に告発し罵倒したりしません。
 一方、ピアノ好きのマックスは、ダンスホールで生演奏を聞いたり密かに入手したジャズのレコードを聞いたりして、研究に余念がない。
 ある夜、楽団員たちが休憩室に引き上げたとき、マックスはピアノの前に座りおもむろに、鍵盤を弾き始める。それは何とも奇妙な響きで、その場にいた主人公やクーやボンボン連中を驚かせる。そして彼らは魅入られたようにその不思議なフレーズに惹き込まれる。それは「ホット」ではなく「クール」な、「踊れないジャズ」なのでした……

 

「スウィングしなけりゃ意味がない」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月28日(火)21時54分58秒
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  佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』に着手。まだ30頁ちょっとですが、これは面白い。ゆっくり読もう。
 ナチ政権下のドイツ、どんどん締め付けが厳しくなっているが、それでもまだ及んでない、もしくは目をつぶっているところもあって、それはドイツの政治経済を牛耳るあわわもとい国家を担っている支配階級の子弟たちが遊ぶ場所。そこでは夜が更けても「退廃音楽」のジャズが流れ、上述の若者たちが踊り狂っているのです(というか、ナチスを支えるこのような富豪層自体が、留学体験があったりしてアメリカ的な自由主義に触れており、密かに謳歌している。この辺はヴィスコンティの映画(「地獄に墜ちた勇者ども」など)にも描かれていますね)。
 主人公の友人で、ピアノの才能があり正統音楽を一直線に学習中だったマックスは、たまたまデューク・エリントンの「キャラバン」を聴き、その虜になる。もっとこんな音楽を聴きたい。そこで自由主義的な父母の影響でナチス的なものを嫌悪している主人公を巻き込み、中学生であることがバレぬよう、せいぜいそれっぽい服装に身を固めて、「不良」たちの溜まり場で、ジャズの生演奏が聴けるダンスホール、カフェ・ハインツェに潜り込んだのでしたが……

 上にも書いた次第で、いきおい脳内映像がヴィスコンティ風に見えてしまうのですが、今のところ、不良っぽくはあっても退廃的な要素は皆無。いやまあジャズは退廃音楽なんですが、そんな規定をしているのは、くそリアリズムの画家志望に率いられたドイツ第三帝国ですからねえ(^^ゞ

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月28日(火)17時38分9秒
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   寺山書簡の発見者である本多正一さんの、中井に宛てた手紙が、今日の読売新聞朝刊に掲載されていました。

 

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月27日(月)21時23分55秒
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   元ツイート
      

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月27日(月)17時48分56秒
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   元ツイート

 

「おぼえていないときもある」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月26日(日)21時45分44秒
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   W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』浅倉久志・山形浩生・他・訳(ペヨトル工房、93)読了。

 読み終えるまでずいぶんかかりました。先日も言い訳したように、ここのところ読書時間が殆どなかったからですが、本書自体にもその原因の一端があったように思います。
 ――「おぼえていられない」のです。
 記憶力には自信がある方なので、あまり栞などにたよることがありません。大体で見当つけてぱっと開けば、前日読んでいたところなどすぐに発見できる。
 ところが本書では、その特技があまり働かなかったのでした。
 既読部分であることが明らかな、どの頁を開けて目を通してみても、読んだという確信が持てない。「おぼえていない」のです。
 当然、そこからまた読み始めざるをえない。なのでなかなか進まなかったのでした。

 なぜ、たった一日前に読んだところが記憶できていないのか。実はその理由も明らかなんですね。
 バロウズの小説が、基本ストーリーを拒絶しているからなのです。

 そもそも現世人類は、岡本俊弥の所謂「エピソード形成」を獲得した事で、記憶保持力を格段に発達させた(cf「ビブリオグラフィ」チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号所収)。この能力によって人類は、ライバルであったネアンデルタール人や他の別人類を凌駕し、滅ぼし、唯一の人類としてこの地球に君臨することができたのでした。
 ツイッターでよく見るような気がするのですが、人間の「物語的理解」を貶す人がいます。その人のアイコンをクリックして履歴を見ますと、大抵理系の研究者なんですね。事実「物語」(エピソード化)が厳密に因果関係であることのほうが稀ではあるというのはそのとおりです。でもざっくりと物語化する能力を得たことで人類は「記憶力」という最高の武器を手に入れたんです。今日の原子力文明、IT文明に至る人類文明の進化発展は、物語化による記憶形成に強く依拠していると、そういっても間違いではないと思います。

 本来事物は離散的に存在しています。ミンコフスキー時空図は、「時間の流れ」など存在していないことを現していると聞いたことがあります。服部誕「藁半紙の大きさ」がそれを取り扱っていましたよね(チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊準備号所収)。
 ところが離散的に存在する事物を個別にいちいち記憶するのはなかなか大変なんです。それを仮構であれひとつながりの流れとして捉えると、なぜか記憶が容易になる。そのことはどなたも受験勉強で覚えがあると思います。これはそれによって記憶にかかるリソースを軽減できるからです。
 人間は物語化(通時化)することで、記憶力が拡大するのです。それを嘲笑する人は、人類はネアンデルタール以前に戻るべきだと考えているのでしょうか(ーー;

 閑話休題。バロウズ作品ではその(物語化)機能が封じられるのです。次々移り変わってゆくシーンには原則つながりはありません。
 もとよりそれは意識的な小説作法で、結局バロウズがやっているのは、ストーリーを破壊し記憶を無化することなのです。私が記憶できないのは当然なのでした。
 そんなんどこが面白いの?
 面白いんです(^^;
 バロウズ作品の面白さ楽しさは、頁に印刷された文章と視線のぶつかるその瞬間の偶然性の面白さであるといえるのではないか。で、思ったのですが、それによって喚起されるこの新しい情動は、ニュージャズで得られる情動ときわめて近いように感じました。
 たとえば――
「かれは髭剃りの最中に切ってしまった止血棒を探したが見つからずタオルで顔をたたき押さえながら燃える金属の匂いと味を思い出していたくもった鏡の中十代の顔に十字につけられた瘢痕組織遠のくのそして昔の何かを見ているような薄灰色の眼見える限り白白白前方に目も眩む閃光のような白キャビンは爆発した星の匂いを放ち白い嘘キリストからヒロシマに至る連綿たる否定白い声は絶えず否定し弁解する果てしない白い新聞なぜ我々はヒロシマに原子爆弾を落としたのだ(……)」(宇宙飛行士の帰還)
 これなどまさにフリージャズのサックスのソロに置き換わって、共感覚の強い私には聴こえてくるのです。

 とはいえ本書の場合、『ソフト・マシーン』『ワイルドボーイズ』(いずれもペヨトル工房刊)のような著者の他書に比べると、それが(良くも悪くも)かなり緩めですね。かすかながらストーリーのあるのも収録されています。中でも「完璧な召使い」はエリスン的な話で、しかもエリスンなんかよりずっと過激で面白い。これに比べればエリスンは中途半端です。いうまでもありませんが、ストーリーが一応ありますから 「完璧な召使い」は直ちにその内容(ストーリー)を想起できます(^^;。

 その意味では浅倉久志訳の表題作は、もっともストーリー性があるわけですが、ちょっと本集中の他作品と比べて異質なほど一貫したストーリーになっている。
 何の根拠もないのですが、今回再読し、どうも浅倉さんが必死になって原文に、なんとかストーリー性を見つけだそうと努力しながら(解釈しながら)訳している姿が目に浮かんで仕方がなかったのでした(^^;。
 いや実際のところは原文と対照したわけではないので知りませんよ。単なる妄想です。いわば翻訳という名のもとに共作された素晴らしい傑作なのではないかなあと。
 ここまで書いて、ちょっと語弊があるかなと気になったので、少し言い訳しますと、あとがきで山形さんも書いておられますが、私自身メリル第7巻に収録された本篇でウィリアム・バロウズの名前を決定的に刻印されたクチです。そんな私ですから、浅倉訳にケチをつける気など毛頭ありません。むしろ原文よりよくなったのではないかなと思っているのです(>おい)(^^;。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月26日(日)14時00分29秒
返信・引用 編集済
 
「誰かに見られている…見慣れた風景に潜む「恐怖」を芥川賞作家が描く

《かわうそ堀という舞台にはモデルがあるんでしょうか》
《モデルは、大阪にある立売堀です。作中に「羽凪公園」が出てきますが、立売堀の近くにも靭公園があるんです》




 

Re: 「酒の味」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月25日(土)16時13分31秒
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  > No.7642[元記事へ]

 まあ、そんなことを深く考えていたら書けなくなってしまいますよね。書けても発表できなくなる。
 感想会で言いましたように、拙作の冒頭の一文の中の「出発するために乗った」、推敲するたびにつけたりはずしたりしていて、結局今の形で載ったのは時間切れでそうなったのであって、締切がなければ今でもつけたりはずしたりしているはずです。私が小説家に向いていないところだと思います。

 

Re: 「酒の味」を読んだ

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 3月25日(土)16時01分6秒
返信・引用
  > No.7641[元記事へ]

「海神」で飲まれる酒。あまり深く考えてません。
たまたま、それを書くとき、私が飲んでるウィスキーが出てくることが多いです。
「酒の味」を書いたときはメーカーズマークを飲んでいます。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: 「酒の味」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月25日(土)14時12分30秒
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  > No.7640[元記事へ]

 なるほど、たしかに雰囲気は40年ほど前ですね。それには当然気がついていたのですが、閉店時間を関連付ける方へシナプスがつながりませんでした。失礼しましたm(__)m
 さて、そうと知って違う関心が湧き上がってきました。
 海神ではバーボンを注文する客が多いように思うのですが、10年前(1970年代後半)日本でどうだったか。ウィキペディアによれば当時バーボンはそれほどポピュラーな存在ではなかったとあります。私が知った(初めて飲んだ)のは78、9年頃チャーリー・ブラウンで、まあ若者の店。ふつうに飲み屋の並んでいたのは間違いないにしても、今ほど銘柄が揃っていたのかどうか。
 少なくともターキーやハーパーやジャックダニエルのような代表的な銘柄はあったと思いますが、今回のメーカーズマークなんて、私は本篇ではじめてその名前を知りました。
 ウィキペディアによると、今はサントリー系列ですが、それは2013年からで、それ以前は明治屋が輸入していた。
 明治屋は1970年代は卸会社で、前に勤めていた量販店では缶詰や瓶詰めジャムなどを仕入れていましたが、大した量ではなかった。
 地方のバーまで行き渡らせる販売力があったのか、検索する程度では分かりませんでした。
 あ、それから、これは現代の話ですが、バーにはサントリー系列とキリン系列があるようで、当時フォアローゼスに凝っていて、注文しようとしたら扱ってなかった。そのとき一緒にいた友人が、キリンの物流をやっていて、系列があることを教えてもらったのです。1970年代にもそんな系列化があったのかどうか。単純に考えて当時のトリスバーにキリン系のフォアローゼスは入らなかったのではないか。(然し今ふっと思い出しましたが、ニューサントリーファイブでフォアローゼスがあったような記憶が・・汗)
 あ、個人輸入という手もありますからね。明石のバー、デスペラのオーナーは幻想文学界で有名な方ですが、大量の在庫を持っておられて開店資金や回転資金にも転用されていますね。

 また話が漠然とした物になってしまいました。もちろん当シリーズは、そんなことを気にするような種類のシリーズではありません。私の単純な疑問をメモ代わりに書いているだけなので、気にしないでくださいね(^^;

>オンデマンド出版
 や、遂にその気になりましたか! 慶賀慶賀。楽しみにしております。

       ――――――――         ――――――――

 追記。ダラダラ書いてきて、自分が何を言いたかったのかに気づきました。
 無駄な部分が一切ないと書きましたが、どうやら「午後9時」と「メーカーズマーク」に引っかかっていたようです。
 で、これはあくまで私だったら、ということで、雫石さんに教示しようなどという上から目線のものではないことを予めおことわりしておきます。
 私だったら、
「夜の9時を過ぎた。」をカットして「そろそろ店をしめよう」からストーリーを始めたい。
 そして、
「鏑木はメーカーズマークをグラスに入れてカウンターに置いた。」を削り、
《「バーボン。なんでもいい。ストレート」
 初めての客だ。男はひと息で飲んだ。》
 とつづけたい。m(__)m

 あくまで私の(最近の)趣味ではそういう感じなんですねえ.
 ですから旧作を推敲しますと、どんどん短くなっていきます。そのうちなんにも残らなくなってしまうんじゃないかと心配しているのです(>おい)(^^;

 

Re: 「酒の味」を読んだ

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 3月25日(土)04時00分45秒
返信・引用
  > No.7639[元記事へ]

どうも、ご愛読ありがとうございます。
実は、私が「海神」でイメージする三田は40年ほど昔のモノです。
40年昔、オヤジが西宮市山口町の工場を持っていて、そこによく手伝いにいきました。
山口は西宮といっても、中国道の山口ジャンクションの近くで、六甲山より北です。
この山口から、三田まで車で15分ほどの距離です。
神戸の私の自宅から、山口までは、宝塚まで行って、そこから176号線で山口までです。
三田には三菱電機三田工場があって、そこに車で納品に行きました。私の三田のイメージは、そのころのモノです。
ですから、実は、三田には電車で行ったことがないのです。一度、電車で、今の三田を見に行かなければと思っております。
ところで「海神」シリーズ。深田さんのお手をわずらわして、オンデマンド出版すべき、いま、見直してます。8月のチャチャヤング・ショートショート・マガジン№5に合わせようと思っております。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

「酒の味」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月25日(土)01時55分6秒
返信・引用 編集済
   雫石鉄也「酒の味」を読みました。
 BAR海神シリーズ最新作です。無駄な部分がまったくなく、極限まで削ぎ落とされたショートショートで、シリーズ中でも十指に入る秀作ではないでしょうか。
 ただひとつ気になったのが、冒頭の「夜の9時を過ぎた。そろそろ店をしめよう」というくだり。
 客がいなかったからにしても、ちょっと早すぎるような。
 BAR海神の所在するS市は三田市だそうです。作者本人から聞いたので間違っていないはず。
 三田市は、私の子供の頃はとんでもないド田舎のイメージでした。小学校5、6年の担任だった先生が、三田に別荘(一応)(^^;をもっていて、よくクラスの生徒(児童?)を招待してくれたのですが、見渡す限りの田んぼだったか畑だったか、それを一直線に区切る道路を延々と歩かされた記憶しか残っていません。
 そんな三田市ですが、近年は大阪神戸のベッドタウンとして大発展を遂げているようです。つまり大阪や神戸に通勤する人々の町なのですね。
 大阪から三田まで、どれくらいかかるのでしょう。いま、ケータイの乗換案内で大阪駅を午後6時に出発したら、三田駅に何時に着くか、調べてみました。
 大阪18時発の宝塚線新三田行き(23分)川西池田着(2分待ち)新快速三田行き(21分)三田着18時46分という答え。(阪急だと梅田18時10分発宝塚行き急行(35分)宝塚(6分待ち)JR快速篠山口行き(14分)三田19時5分)
 大阪駅18時というのは、ほぼ定時上がりでなんとか間に合う時間ではないでしょうか。おそらく19時発あたりがピークでしょう。
 とすれば、三田着19時50分。
 海神が駅前にあったとして21時まで正味1時間しかありません。
 20時発の電車だったら、10分位しか時間がない。
 もちろん客がいれば、閉店時間は延長されるんでしょうけど、それでもそういう立地で、9時閉店はいかにも早い。稼ぎ時には既にしまっているということになりかねません。
 何年か前、名張で中さんらと飲むことになり、5時頃でしたけど、駅前で店を探したらどこも開いていなかったのです。名張もベッドタウンです。
 で、そのテの店は、サラリーマンが帰ってくる時間帯に合わせてもっと遅く開店するということを、まだ開店準備中でしたが無理やり上がり込んだ中さんの知り合いの店の人が言ってました。当然閉店時間もそれにともなって遅めなんでしょう。
 たぶん三田も、似たような感じなんではないでしょうか。
 そろそろ閉めようか、という時間は、私は23時というのが頃合いなんではないかと思うのですがm(__)m

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月24日(金)22時12分20秒
返信・引用 編集済
   元ツイート
「ネイコアツ街道」は光瀬さんからでしょうね。
「ジローニモ」は小松さん!
「カポンガ」ってだれだっけ。としばらく気持ち悪かったのですが、なんだ「時間と泥」じゃないですか(^^ゞ

 追記。わ、「ピーや」を見落としていた。

 

ウイルスソフト

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月24日(金)21時21分5秒
返信・引用
   先月、ZAQから、EO光に乗り換えました。必然的にウイルスソフトも、ZAQに無料で付属していたマカフィーが使えなくなり、EOが推奨するトレンドマイクロ社のウイルスバスターに変わったのですが、なんか急に重くなってしまいました。マカフィーもいい加減重かったのに、それ以上になってしまったので非常に使い勝手が悪いです。自腹でマカフィーに戻すか、別の軽いウイルスソフトを探すか、実際のところマカフィーもトレンドマイクロも大手ですが、それ以外のウイルスソフト(無料のもある)とくらべて特段優れていると言うものでもない、むしろ軽い分使い勝手がよいと聞くんですけどね。
 それともメモリーを増設するべきなのかな。

 読書の捗らない原因が、ようやく取り除かれました。ほっ。私の読書時間は、仕事で外回りをする、その合間に捻出するもので、だいたい一時間ほどなのです。ところが上記の原因に大体一時間かかっていた。したがって差し引きするとゼロだったわけです。これから少しは捗るものと思います。とはいえあんまり予断はというか楽観は許されないのですが。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月23日(木)18時39分56秒
返信・引用
   元ツイート

 

Re: マリア四郎の「火星の落日」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月23日(木)17時00分20秒
返信・引用
  > No.7634[元記事へ]

 実は、最初から30分ほどしか復元できなかったのです。はじまってほぼすぐに「火星の落日」がかかったので、ラッキーでした(^^)

 

Re: マリア四郎の「火星の落日」

 投稿者:和田宜久  投稿日:2017年 3月23日(木)08時48分28秒
返信・引用
  ご苦労さまでした。思ったよりも良い録音状態ですね。
なんとなく、冒頭にセリフが有ったような記憶はありましたが、一言もでてこなかったです。
そうか~、地球のことを歌っている三番まであったんですね。
 

マリア四郎の「火星の落日」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月22日(水)23時43分20秒
返信・引用
  > No.7632[元記事へ]

 チャチャヤング最終回より切り出しました。
 ふう。正味6時間かかりました。
 昔のXP機を引っ張り出してきて、メールソフトを開き、添付の圧縮データを確認するまではまあ簡単だった。そこからが大変なのであった。いろいろ説明したい気は満々にあるのですが、もう疲れ果てました。
 なにはともあれ、どうぞお聴きください(^^)

 

 

Re: スラリコ・スラリリ?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月21日(火)22時30分16秒
返信・引用
  > No.7631[元記事へ]

 では小川さんので、と探しているのですが、ざっと見、CDの棚に見当たりません。
 そういえば、CDでもらったのではなくて、メールに添付された圧縮ファイルでもらったことを思い出した。ということは、PC内にあるはずですが、ひょっとしたらこの前クラッシュしたUSBメモリーに入っていたのかも・・という気がしてきました。
 この音声ファイルを入れたCDは配布しませんでしたっけ。
 

Re: スラリコ・スラリリ?

 投稿者:和田宜久  投稿日:2017年 3月21日(火)21時43分14秒
返信・引用
  > No.7630[元記事へ]

あの録音は副調整室で録音したもので、正味一時間で、半分ぐらいは放送終了後の副調整室でのあれこれですからね。「火星の落日」は入ってなかったと思います。
 

Re: スラリコ・スラリリ?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月21日(火)21時02分27秒
返信・引用 編集済
  > No.7629[元記事へ]

 和田さん、どうも(^^)
 そういえば和田さんからもらった中にも最終回が入ってましたっけ。
 小川さんのテープは信州エアチェックなので雑音が激しいのでした。

 

Re: スラリコ・スラリリ?

 投稿者:和田宜久  投稿日:2017年 3月21日(火)20時55分42秒
返信・引用
  > No.7627[元記事へ]

大熊さん、どうも(*^_^*)
「スラリコスラリ」は小説のタイトルでしたね。
「産業士官候補生」の中一遍。
これに「火星の落日」の原型みたいな歌詞が出てきますね。
 

Re: スラリコ・スラリリ?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月21日(火)20時53分8秒
返信・引用 編集済
  > No.7627[元記事へ]

 今、いろいろ捜していたのですが、以前小川圭太さんから頂いたチャチャヤン最終回のテープで、「火星の落日」がかかっていたという記録を発掘しました。
 全く忘れていました。というか全然思い出せません。
 今度聴き直してみます。見つかったら切り出して聴けるようにしますね(^^)
 

Re: スラリコ・スラリリ?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月21日(火)20時48分20秒
返信・引用 編集済
  > No.7626[元記事へ]

雫石さん
あ、すれ違い。今そちらに書き込みしてきたところです(^^;

和田さんのおっしゃるとおり、当掲示板に書き込んでくださっています。
http://okmh.web.fc2.com/kakolog/herikonia-log0505.htm(5/29)
http://okmh.web.fc2.com/kakolog/herikonia-log0507.htm(7/19)

 

Re: スラリコ・スラリリ?

 投稿者:和田宜久  投稿日:2017年 3月21日(火)20時44分1秒
返信・引用 編集済
  > No.7625[元記事へ]

あ、なんと。
ここの過去記事にマリア四郎さんが登場してらっしゃいますね。
タイトルは「火星の落日」でした。
http://okmh.web.fc2.com/kakolog/herikonia-log0505.htm
 
 

Re: スラリコ・スラリリ?

 投稿者:和田宜久  投稿日:2017年 3月21日(火)20時22分30秒
返信・引用 編集済
  > No.7624[元記事へ]

テープに録音してよく聞きました。
ひょっとしてまだ残っているかも。
マリア四郎の歌で、タイトルは「スラリコスラリ」だったと。

スラリコスラリリ ヒルルトリリリ
スラリコスラリリ ヒルルトリリリ
火星の空が 恐い 恐いと
泣いたあの子の 小さなお墓

スラリコスラリリ ヒルルトリリリ
スラリコスラリリ ヒルルトリリリ
むらさき空が 嫌だ 嫌だと
泣いたあの子の 小さなお墓

こんな感じでしたね。
歌詞は多少怪しいですが、メロディーは完璧に歌えます。
 

スラリコ・スラリリ?

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 3月21日(火)20時09分45秒
返信・引用
  昔、北西航路に投稿してた木田という人が
「火星の土が怖いといった」という歌の詳細を覚えてますか?
というコメントを私のブログのチャチャヤング・ショートショート・マガジン4号を紹介した記事によこしてきました。
私は、題名は「スラリコ・スラリリ」歌手はマリア四郎と答えました。そうですね?
歌詞の詳細まで覚えてませんと答えました。歌詞はおぼえてますか?

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: 御参考までに

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月20日(月)22時28分31秒
返信・引用 編集済
  > No.7622[元記事へ]

 おせっかいながら、夕方、ツイッターでも紹介したのですが、約6時間経過した午後10時20分現在で、
 『西宮文学案内』ツイートにはインプレッション(ユーザーがこのツイートを見た回数)187、アマゾンへのリンクのクリック数3、リツイート3、いいね2
 『人工知能の見る夢は AIショートショート集』ツイートには、インプレッション94、リンクのクリック数2、リツイート1、いいね2
 でした。チャチャヤング・ショートショート・マガジンでもそうでしたが、なかなかリンク先まで進んでもらえません。(※などと言っているうちに、『西宮文学案内』のインプレッション200を超えましたが)(^^)

 

Re: 御参考までに

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月20日(月)14時23分13秒
返信・引用
  > No.7621[元記事へ]

 かんべむさしさん

 新刊(近刊?)のお知らせ、ありがとうございます。トップページはとばして直接フリーメモに入ることが殆んどなので、気がついていませんでした。
 どちらの本も、アマゾンで予約受付中になっていますね。
 『西宮文学案内』
 『人工知能の見る夢は AIショートショート集』

 最近出る日本SFは、AIテーマが多いです。全部と言っていいほどですが、AIに対するアプローチは、人間そのもののような思考をするものから、その論理が人間には全く不可知なものまで、作家(の想像力)によってかなり違っています。最近読んだ中では、『AIと人類は共存できるか?』の早瀬耕作品は前者でしたし、岡本俊哉の「ノンバルとの会話」等、最近のSSはほぼ全て後者をテーマにしているように思います。
 その多様性は、現実のAIがいまだ人々に対して確固とした共通のイメージを結べるほどには確立していないが故に、作家が自由に想像をふくらませる余地があるからかもしれません。
 そういう意味で、最近のAIテーマSFには注目しており、楽しませてもらってもいるのですが、『人工知能の見る夢は AIショートショート集』は、思うに、そのような多種多様なAI観の顔見世大会、オンパレード的な本になっているのでしょう。
 これは楽しみにしたいと思います。


 

御参考までに

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2017年 3月20日(月)07時10分39秒
返信・引用
  当方ホームページのトップ欄に、「西宮文学案内」と
「人工知能の見る夢」の、お知らせを掲載しておりますので、
よろしければ、御参照ください。
http://www.ne.jp/asahi/kanbe/musashi/
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月19日(日)14時33分22秒
返信・引用
   

寺山修司新発見続報

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月19日(日)14時01分6秒
返信・引用
  > No.7614[元記事へ]

 昨日の東奥日報より。

 

 発見された書簡や歌稿は4月後半、東京古書会館で展示されるとのこと。
 画像の一番下が切れていますが以下の内容です。

  「寺山修司、中城ふみ子、中井英夫ーー現代短歌の起点」
  会場:東京古書会館
  会期:2017年4月18日~5月1日、日曜休館。
  入場無料、問い合わせ:03-3293-0161東京古書会館





 

「ホルケウ英雄伝」の史実

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月18日(土)22時20分11秒
返信・引用
  > No.7612[元記事へ]

 『ホルケウ英雄伝』ですが、どの程度史実を踏まえているのかなと思って検索したら、こんなHPがありました→按察使上毛野広人殺害

 アゼティ殺害は史実だったんですね。でも、
「なお、残念ながら広人を殺害した蝦夷の名は伝わっていない」
 とのこと。つまり本書のアゼティ殺害の経緯はまるまる著者の創作と考えてよさそう。そらそうですわな、「広人を殺害した蝦夷」と、まあ普通は想像するわけですが、実は人間オット以下はネタバレに付き省略(^^ゞ

 本書は、形式として英雄マサリキンのことを歌ったユーカラがありそれを元にして小説化しているとなっています。そういうのも実際には存在しないのでしょうか?

 ユーカラとはアイヌの叙事詩ですが、本書のエミシの民俗や思考は、いわゆるアイヌのそれを下敷きにしているようです。というか萱野茂がひろめたそれに準拠している。
 ところがそういう(平和的でエコロジカルな)アイヌの姿は、せいぜい近世以降のアイヌに茅野が幻視したものかもしれないというのが瀬川拓郎のアイヌ像でして、少なくとも中世以前のアイヌは活動的な商業民族であったそうです。
 アムール川をさかのぼってオホーツク諸民族を攻め、攻められた民族が、当時かれらの宗主国だった元にアイヌ(骨嵬)の非道を訴えたことから、元寇と同じ頃、サハリンをめぐって10年以上にわたって元と戦っていたのですね。そんな現代のアイヌイメージからは想像できない好戦的な民族でも、アイヌはあったようです。

 

海文堂書店復活?

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月18日(土)01時29分50秒
返信・引用
   ツイッターでは告知したのですが、肝腎のこっちを忘れていました。明日からです。
 
 

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月18日(土)01時10分52秒
返信・引用
   ともちゃんの顧問弁護士の件もそうでしたけど、なんか身内がどんどん夫妻を追い詰めていきますね(笑)

 元ツイート
 

 

「続夷堅志・其他(金・元)」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月17日(金)21時41分4秒
返信・引用 編集済
  『中国怪奇小説集』より「 続夷堅志・其他(金・元)」を読みました。口上にあるように、金・元代は不振みたいですね。思いつきですが、征服王朝になると、小説は衰退するのかも。
 なんたって小説などというものはそもそもヒマ人の手すさびですからね。日本で言えば文化文政のような退廃享楽的な時代が生み出すものといっても過言ではありません。
 その点、金の満州族にしろ元の蒙古族にしろ、原住地では遊牧や狩猟漁労に従事していたわけで、まさに自然とともにあった人たちなのですね。中原に押し出してくる以前は、「小説?なにそれ、食い物?」てな感じだったんでしょう。「文」に対する敬意もはじめの頃はなかった(後半は中国化したでしょうけど)。とうぜん文人を庇護するという習慣もなかったのではないか。
 そりゃあ衰えてしまいますね。もっともだから異民族国家は駄目だとは思いません。初期の金元からすれば、唐や宋や明など、官吏は威張るわ情実は罷り通るわで、不健全きわまりない国だったでしょうね。そういえばわが国もそんな感じになってきましたが、あべっちの精神的基盤がネトウヨだとすれば、それも当然の帰結と納得しちゃいますよね(汗)

 

寺山修司が中井英夫に宛てた10代の書簡が発見された

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月16日(木)21時18分45秒
返信・引用 編集済
   本日の読売朝刊に下の記事が掲載されていました。
 

「書簡は、当時「短歌研究」編集長で後に小説「虚無への供物」などで注目された中井英夫の遺品の中から発見された」
 ――ってことは、つまり、中井の著作権継承者である本多正一さんが発見したということですよね?
 そういうことなら、本多さんのコメントなり取材記事もそのうち新聞等に掲載されるかもしれません。楽しみです(^^)
 しかしそれにしても、
「この返事、白紙でもいゝから二日以内に書いて下さい」
 なんて、後年の寺山のイメージからは想像もできませんよね。
「書簡の詳細は20日発売の「短歌研究」4月号で紹介される」らしいので、これは読みたい!
(ということで近所の図書館をチェックしましたが、「短歌研究」は所蔵していませんでした)(ーー;





 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月15日(水)23時18分14秒
返信・引用
   雫石さんが紹介をしてくれました!

 

 

「ホルケウ英雄伝(下)」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月15日(水)22時24分27秒
返信・引用 編集済
   山浦玄嗣『ホルケウ英雄伝(下)』(KADOKAWA、16)読了。

 去年の年末に出た著者のメジャーデビュー作上下巻740頁1600枚の大長篇、めちゃくちゃ面白かったです。
 時は8世紀初頭元正天皇の御代、その頃までに朝廷は関東の強国古代ケヌ王国を滅ぼしています。そして、さらにその北方にひろがる広大なエミシモシリにも進出、ピタカムイ大河(北上川)の南岸にまで達していました。その南岸を経営しているのは丸子党といい、エゾ地における蠣崎氏(松前氏)のような存在で、ウォーシカ(牡鹿)やモーヌップのエミシに対して悪政を敷いています。
 鎮所はミヤンキ平野のニタットル川(名取川?)とピラノシケオマナイ川(広瀬川?)が合流するあたりに所在し、最近、ピータカ女帝(元正帝)より令外の官である按察使の官位を賜った初代陸奥按察使上毛野朝臣広人(アゼティ・カミツケヌ・アソーミ・ピロピト)が着任したところ。
 彼は古代ケヌ王国(もともとはエミシの同族ですが早くから農耕を受け入れ和人化した民族)の王統を引く者で、広大なエミシモシリのフロンティアにケヌ王国再興の野望を持って着任したのです。ピタカムイ川南岸の沃野のエミシを絶滅させ、その空地に関東から同族のケヌ族を呼び、植民させようというわけです。
 そういう次第で、アゼティ着任来、エミシに対する誅求は苛烈になり、結果としてヌペッコルクルという反和人ゲリラ組織が生まれる。ヌペッコルクルと和人(ウェンカムイ)の抗争が激しくなってきた頃、北上川の上流、草深い北方ケセ族の若者で遍歴修行中のマサリキンが、愛馬トーロロハンロクに乗って通りかかり、たまたまウェンカムイが無理やり引っ立てていこうとしていたエミシの娘チキランケに一目惚れ、ウェンカムイの手からチキランケを奪還しようとしたところから、この物語は始まるのでした。……

 上記からも分かるかもしれませんが、なんといってもエミシ語の《異化作用》が強烈で半端ないです。地図で見れば、宮城県北半の直径50キロの円内に物語は収まってしまうのですが、それがエミシ語の異化作用で、宮城県がまるで異世界ファンタジーの世界のように無限大に広がって感じられます。(地図なんか見てチェックしないほうがよいです。そんなことをしているのは私だけかもしれませんが)(^^;

 ラストは意外でした。これではシリーズ化できませんがな。でもヌペッコルクルの謎めいた軍師で、おかしな発音で喋り、典籍にもくわしいカオブエイ将軍の出自が結局ここまででは明らかになっていなかったり、タイトルの「ホルケウ」がエミシ語で狼のことであるのは読んでいけば分かるのですが、なぜマサリキンがホルケウなのか(と呼ばれるようになるのか)は、ぜんぜん出てきません。そういう意味では、まだまだ物語が続く気配もあるのですね。どうなるのでしょうか。続編期待したいです(^^)

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月15日(水)18時08分59秒
返信・引用
   ツイート元

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月15日(水)13時43分46秒
返信・引用
   元ツイート
 

無意識などないと放言して許されるのはミシマだけである

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月15日(水)01時32分9秒
返信・引用 編集済
   最近、人の名前がなかなか出てこなくなったと感じませんか。あ、やっぱりそうですよね。ご同慶の至りです(>おい)(^^;
 実は今日、顧客から電話がかかってき、「お前とこから仕入れてるアレ、最近材質が変わったか? 薄なったんとちゃうか?」というおたずね。
「いや、メーカーからそんな通知はないし、変わってないはずですよ」
 で、卒然と思いだした。
「5、6年前でしたか、仕様が変更になって、メーカーをつれて説明にうかがったことがありました。そのときは、当時の○○工場長さんに実地に確認してもらい、オーケーをもらいましたが、それ以後は変わってないはずです」
「そうか、それならいいんや」
 ということで新たに発注していただいたのでしたが、○○工場長さんなんて、そのとき一回お会いしたきりで、いつの間にか定年退職されて、今日の今日まで完全に記憶からなくなってしまっていた方なのでした。
 それが上記の状況を思い出すや、○○というお名前もすっと出てきて、おかげで支障なく話が済んだのでした。
 ところが――
 今日そんなことがあったことをもすっかり忘れていたのですが、いま風呂に浸かっていてなぜか思い出した。ところが、○○さんの名前が出てこないのです。じつは今もまだ出てこなくて、○○は実名を避けてそうしているのではなく、本当に思い出せないから○○にしているのです。
 それがですね、その名前が必要なときはスラスラと出てきたわけです。
 いやー無意識のメカニズムのなんたる不思議さ。
 でもそんなものなんでしょうね。

 その伝で行くと、ともみちゃんの説明は腑に落ちません。たしかに12年前のことなんて、普段は忘れているでしょう。でも、ひとたびそれを問われれば、その瞬間、無意識のメカニズムはともみちゃんの意識に、そのときのシーンまるごと鮮明に甦らせたに違いないはずなんですね。
 ですから、いまだにその記憶はないといっているのは、無意識のメカニズムからして不自然で、信用なりません。
 いやまあ、実際は最初から承知で嘘をついているんでしょうが、その言い訳があまりにもお粗末だということですね。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月14日(火)19時12分28秒
返信・引用 編集済
   元ツイート

 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン感想会

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月14日(火)10時49分32秒
返信・引用 編集済
  > No.7606[元記事へ]

 当日、”同人誌読み”という表現をしましたが、とりわけ私の読みの偏りなんですが、篁作品の主人公は作者自身であるわけです。それは同人仲間には自明で納得できるのです。
 ですから、作者と面識のない一般読者にはなぜこんな行動をとるのか、不明である(という指摘があったその)部分が、作者と混同(無意識に同一視)することでするっとその行為が腑に落ちてしまって(勝手に物語を付加して)、小説として不備であるはずのところを(作者同様)スルーしてしまったきらいがあります。
 それをある方が指摘されたのでしたが、その解決法として、別の方が、主人公(視点)を「広井さん」のほうにしたらどうか、との発言がありました。
 いわば私小説を客観小説として再構築するということで、私も「それはよいアイデア」と賛成したのでしたが、帰宅して、「しかしこれは自分自身にも言えるな」と気づきました。私自身も、これまで自分自身の視点でしか描いてこなかったことに気づかされました。
 篁さんに言われていることは、私に対しての指摘でもあるな、と反省したのでした。(備忘)

 

Re:チャチャヤング・ショートショート・マガジン感想会

 投稿者:段野のり子  投稿日:2017年 3月14日(火)09時37分34秒
返信・引用
  管理人様
>進化しているとも言えるわけで
ありがとうございます。まあ、俎上にのせられてしまうのは、目に見えていましたから、そのとおりだなあ、と思ったのでした。いろいろと言って頂くのは、それだけでも良いことなので、こちらとしては、嬉しく受け止めました。
こんな調子の感想会なので、お開きになったのは、結構時間が経っていた頃になりました。参加された皆さま、お疲れ様でした。
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン感想会

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月13日(月)21時11分6秒
返信・引用 編集済
   昨日は《チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号》の感想会ということで、久しぶりに梅田まで。近頃は大阪に出てもせいぜい難波までなのです。梅田は半年ぶりくらいではないでしょうか。(追記。あ、忘年会が1件あったかも)。
 5時半集合ということで、4時頃出発しようとして、ふとコートを着ていったほうがいいのかどうか、迷いました。
 普段は車で移動するばかりなので、どんなに寒い日でもコートなんか着ません。ですから、電車で外出するとなると何を着ればいいのか、本当にわからなくなってしまうのです。そもそもスプリングコートなんていう洒落たものは持ち合わせていません。
 誰か歩いていれば、その人の真似をするのですが、田舎なので人通りというものがありません。うかうかとコートを着ていって、そんな格好で歩いているのは私だけだったりしたら目も当てられません。
 外を見たら全然寒くない。暫く様子をうかがっていたのですが、次第に、この気温で冬装束はいかにもおかしいだろう、という確信めいたものが……。結局、私は春秋に着るのですが、人によっては夏場にTシャツの上に引っ掛けるような薄いジャケットを羽織って出掛けました。
 関空快速なので大阪まで直通。車中ではずっと下を向いてチャチャヤング・ショートショート・マガジン4号を読み返していた。大阪駅でドアが開いてびっくり。なんとホームに充満する半分以上の人々がしっかり冬装束なのでした。空気も泉州地方より心なしかつめたいではありませんか。
 たぶん難波だったらここまで冬装束の人はいないと思います。というのは、難波に集まる人々の多くは、南海本線にしろ高野線にしろ近鉄線にしろ、緯度的には難波以南からやってきた人たちだと思われるからです。
 一方、大阪梅田に集まってくるのは、能勢電や宝塚線やJR京都線など、おもに梅田以北からやってきた人々なのでしょう。同じ大阪府下といっても、北部と南部ではかなり気候が違うことを実感させられたのでした。(帰途は本当に寒くて、帰宅したら体が冷え切っていました)

 えー、またも枕が長くなってしまいました。本題は簡単に(>おい)(^^;
 久しぶりに柊たんぽぽさんも出席され、掲載全作品を俎上に言いたい放題を述べ合い、とても楽しかったです。私もかなり耳の痛いお言葉を頂戴しました(有難いことです)が、欠席者の作品ほどではありません。やはりどうしても欠席裁判に傾いてしまいますなあ(>嘘ですよ)(^^;
 一番活発に意見が飛び交ったのは篁作品でした。まあ予想はしていましたが(>おい)m(__)m しかし逆に言えば、殆どの人達が停滞しているか低速で進んでいる中、篁さんだけがそれだけいまだに(しかも急激に)進化しているとも言えるわけで、それはある意味驚異的と言っていいのではないでしょうか。さらなる研鑽を期待したいです!

 ということで、次号締切は8月末日。テーマは設けず、フリーに書いていただきたいと思います。10月発行をめざします。みなさま、次号もよろしくお願いいたします。

 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン電子版

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月11日(土)16時43分6秒
返信・引用
   たまに当掲示板に書き込んで下さるムトウさんが、ご自身のブログ武藤の大冒険で、チャチャヤング・ショートショート・マガジンの紹介をして下さいました→ここ

ムトウさん、ありがとうございます。感謝感謝です!



 

「異聞総録・其他(宋)」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月11日(土)12時46分44秒
返信・引用 編集済
  > No.7588[元記事へ]

『中国怪奇小説集』より「異聞総録・其他(宋)」を読みました。
 本章収録作品は、どれも掌篇としてよくできていました。時代が下るにつれ(とりわけ唐代以降となると)先例となる前代の作品が量として増えてきて、それを読んで新たな作家となるもののセンスも、比例して洗練されていったのではないでしょうか。「両面銭」にいたっては、怪奇現象かと思われたものが実はトリックだったという話で、ミステリーのはしりといえますね。

「報寃蛇」(後半)
 旅人が日暮れて宿に行き着くと、旅舎の主人と息子が客の荷物をじろじろと眺めている。その様子が怪しいので、ひそかに主人らの挙動をうかがっていると、父子は一幅の猴の絵像を取り出して、うやうやしく禱っていた。
 旅人は注意して夜もすがら眠らず、剣をひきつけて窺っていると、やがて戸をあけてはいって来た物がある。それは一匹の猴で、体は人のように大きかった。剣をぬいて追い払うと、猴はしりごみして立ち去っ た。
 暫くして母屋で、主人の哭く声がきこえた。息子は死んだというのである。(独醒雑志)

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月10日(金)22時28分9秒
返信・引用 編集済
    海野さんがリツイートしてくれました。
      ↓
  




       ↑
    深田さんのショートショートも掲載されていますよ!

 

「ホルケウ英雄伝(上)」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 9日(木)23時00分28秒
返信・引用 編集済
   山浦玄嗣『ホルケウ英雄伝(上)』(KADOKAWA、16)読了。

 いろいろ立て込んでいて、なかなか虚心に本を読むことを楽しめない気分がつづいているのですが、少しずつ読み進めてようやく上巻を読み終わりました。こういうバローズ型の小説は一気に読みたいのですが。
 それにしても、この著者、小説執筆はおそらく趣味の範疇だと思うのですが、天性のストーリーテラーですね。バローズは敵味方を峻別します。敵はあくまで卑劣な悪者です。ファーストボーンでブラックパイレーツのゾダールのように、改心してジョン・カーターの味方になった場合も、決してカーターと対等ではありません。一方、本書ではどんな敵役の悪者でも、なにかしら人間的なものを持ち合わせています(下巻で、今は敵側でもおそらくマサリキンを助けるようになる者が少なくとも3名)(^^;。敵の総帥アゼティ(初代陸奥按察使上毛野朝臣広人)ですら、心に葛藤を抱えています。カーターはウルトラ自信家で鼻につきますが、マサリキンは修行中という設定もあってか、ずっと穏やかで謙虚です(作者がアメリカ人か日本人かという違いが反映されているともいえる)。
 そして、デジャー・ソリスに対応するチキランケは、380頁読んで、まだマサリキンと再会できません。いや、ソリスよりもっとひどい目にあって、記憶喪失になってしまいました。下巻への引きもなかなか。ベテランストーリーテラーにも引けを取りませんねえ(^^;

 

Re: なるほどなるほど。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 9日(木)18時18分31秒
返信・引用 編集済
  > No.7599[元記事へ]

かんべさん
>腰に手ぬぐい→首に手ぬぐい
 そんな変化があったんですか。ドヤ街にも流行りすたりがあるんですねえ(^^;
 と、検索したらこんな写真が。昭和35、6年の山谷らしいです。
 元ページ
 赤丸の人は首に手ぬぐいですね。でも青丸の人は腰に手ぬぐい?
 その頃がちょうど、流行の移り変わりの端境期で、ライフスタイルが併存していたのかな、などと妄想すると楽しいです(-_-;)。

>「横から失礼します」って、私は意味がわかったけど(……)
 いや、リンクしたらお返事を強要しているみたいではありませんか。それはさすがに。スルーされてもいいし、レスをいただければなお嬉しい、というスタンスなのでしたm(__)m [追記。ツイッター語ではエアリプというらしいです]
 そもそもかんべさんに伝わったらよかったわけで、他の人が???でもかまわなかったのです。とはいっても、当掲示板の常連は、大抵「ふりーめも」も閲覧しているので、ほぼ通じていると思われます。

>「ショートショート集」御礼。
 ご高覧いただければ嬉しいです。

 

なるほどなるほど。

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2017年 3月 9日(木)14時10分6秒
返信・引用
  地方の大学で、1年上で、応援団でとなると、そんなやつもいたんでしょうな。
ついでに書いておくと、1969年か70年かに、三島由紀夫が
自衛隊調査学校、山本ナニガシの教えを受けて、欺騙訓練もしていた。
あるとき、山谷のドヤ街に潜入するので労務者の姿になってこいと言われ、
汚れたシャツやズボンは合格したのだが、「腰に手ぬぐい」はペケだった。
なぜなら、彼らは手ぬぐいは首に巻いているからだと、指導されたとのこと。
あの時代に、すでに労務者もそんな恰好はしてなかったんだから、まして
大学生においておやと、そう思ったのでした。ところで、それはそれとして、
「横から失礼します」って、私は意味がわかったけど、リンクなしやから
他の閲覧者には、何で突然そんなタイトルで、下欄のことを書いたのか、
わからんのと違うかな(笑)。あ。それから「ショートショート集」御礼。


 

横から失礼します

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 8日(水)22時40分29秒
返信・引用 編集済
   吉田拓郎を調べていたのですが、1946年4月5日生まれなんですね。かんべさんより1学年上なんです(序ながら堀さんより2学年下)。
 1965年(昭和40年)に広島商科大学に入学し、カントリー&ウエスタン部と応援団に入部した、とウィキペディアにあります(1969年カワイ楽器広島店に就職内定)。
 なんと、応援団だったんですね!
 ところで広島商科大学(後の広島修道大学)は、意外に新しい大学で、1960年創設。
 応援団は「昭和37年 廣島商科大学應援團 として、田丸政明、杉原義孝、の両名により創設」とあります(応援団HP
 吉田拓郎は大学の6期生であり、応援団4期生ということになります(上記応援団創設者はまだ在学していたかもしれません)。
 ウィキペディア「我が良き友よ」には、「歌詞に出てくるバンカラの大学生は吉田の大学時代の同級生がモデルである」というおそらく吉田自身の発言が記録されており、この同級生というのは、応援団で一緒だった可能性がありますね。
 大学の校風はどうだったのか、それは見つけられなかったのですが、大学よりも歴史が古い修道中学・高校は「伝統的にバンカラ気質という評価もある」(ウィキペディア)ようです。そういう意味では、たとえ同時代であったとしても、関学のようなチャラチャラした風景とは、かなり異質な風景だったんじゃないでしょうか。

 Yahoo知恵袋に「大学生が学生服を着ていたのっていつごろまで」という項目があり、60年代までは「教養課程の間は、学生服着用の大学生が多かったと思います」「普通の大学生が学生服を普段の学校生活で着なくなった大きなきっかけは、やはり1960年代末の大学紛争ではなかったかと思います」「1970年代に入ると、応援団や特別の運動部以外は、学生服姿は大学のキャンパスから消えて行きました」という回答が載っています。

 広島という地方都市の、やや硬派の大学に60年代中頃に入学し、応援団に所属した吉田拓郎の同級生に、汗臭い学生服を着用し、腰に手ぬぐいをぶら下げて朴歯の(かどうかは分かりませんが)下駄音高く鳴らして闊歩する友人がいたとしても、そんなに不思議ではないような気がしますね(^^;。

追記。拓郎の歌には、一体に旧制高校的な心情へのあこがれが強く出ており、そういう意味ではこの詞もかなり誇張がなされていて、手ぬぐいも下駄も、拓郎のファンタジーだった可能性は高いかもしれません。

 

 

「梅田一丁目明石家書店の幽霊」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 7日(火)23時42分28秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥「梅田一丁目明石家書店の幽霊」を読みました→こちら

 おお、明石家書店! 本店ですね。懐かしい~(^^)。でもそんな因縁話があったとは……知らなんだ(>フィクションです)(^^;
 事実(大抵過去)と虚構をシームレスに繋いでしまう一種半村的筆法がなかなかあざやか。勉強になります。私も試してみたくなりました!


 追記。今頃気づいたのですが、中さんも紹介してくれていました→名張人外境ブログ

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 7日(火)20時25分10秒
返信・引用
   元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 7日(火)18時27分59秒
返信・引用
   岡本さんがリツイートしてくれました(^^)

 元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 7日(火)01時12分50秒
返信・引用
   深田さんが紹介してくれました(^^)

 元記事

 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号現時点の報告

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時10分57秒
返信・引用 編集済
   チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号(通巻6号)の電子版を3月1日に一般公開して今日で5日目、これまでのところ、25アクセスがありました。
 うーん。
 紙版が42冊でしたので、それに25を足せば67。25という数字が25人とイコールであるかどうかは定かではありませんが、一応そうだとしたら、これまでの6号の中ではいちばん読者が多くなったことにはなるのです。(ついでながら3月1日以前に16アクセスあって、会員にはもっと以前から公開していましたので、これは会員の足跡です。ですから上記25アクセス中に会員の足跡は(可能性はあるとしても)含まれていません)
 でも、私の皮算用ではもっとアクセス数があると見越していたんですよねえ。少なくとも紙版の製作数はすぐに越えてしまうだろうと期待していただけに、この数字はいささか不本意なのです。
 ツイッターでも3月1日に告知していまして、現在まで1738の「インプレッション」があったようです。インプレッションとは、「ユーザーがTwitterでこのツイートを見た回数」なんですが、その一方で、当該ツイートに埋め込んだリンクを辿って電子版のプラットホームを訪ねた回数(「リンクのクリック数」)は、実に僅かに6回のみ。
1738÷6=290、つまり300インプレッションに1回しかリンクをクリックしてくれていないわけです。
 無料なんだから、ちょっとクリックしてくれてもよさそうなものですが、いやーなかなかキビシイですねえ(ーー;

 

Re: Re:本が読めない

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 5日(日)21時31分36秒
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  > No.7591[元記事へ]

 段野さん
 もちろん再販制には功罪があります。
>多種多様な出版物が流通しているのです。
 は、たしかにそうですが、再販制のせいで無駄に多いのも事実です。
 基本出版界は水膨れ体質になっていませんか?
 大体、売上高は落ちているのでしょう?
 「日本の出版販売額(取次ルート)」によると、1995年の書籍販売額は10500億円。2008年は9000億円で、10パーセント以上のダウンです。
 ところが、「新刊書籍の発行点数と販売部数の推移」によると、
 1995年 61,302 点 89,371 万冊(※1点あたり実売14578冊)
 2008年 76,322 点 75,126 万冊(※1点あたり実売9843冊)
 点数は125%(25%アップ)。販売部数は84%(16%ダウン)※1点あたり実売68%(32%ダウン)
 両統計を比較できるのは、92年から08年ですが、新刊発行点数の収録範囲は、1995年より改定されているとのことなので、95年を起点としました。
 なお、実売部数の算定方法は、取次出荷部数-小売店から取次への返品部数=販売部数。
 これは売上の減少を補填するため出版点数を増やしたということですが、焼け石に水ですね。じゃなくて、むしろそれが全体のレベルを低下劣化させてしまっているのが現実ではないでしょうか。出版点数が増えれば増えるほど編集者の目は行き届かなくなるのですから。
 というか、日本の人口が1980年代以降12000万で止まっているのですから、読書人人口も増えているはずがない(実際は減っている)。購入者のパイが同じところへ品種品目を増やしたって、一人の購入冊数が目に見えて増えるわけがないのです。

 で、今どうしているかと言えば、付加価値を付けての高単価化なんです。装釘を豪華にして2000円がところの本を5000円で売ろうというわけです。
 でも本来、本はメディアであって中身を乗せる器にすぎないのです。それをいくら豪華にしたって、内容が豪華になるわけではありません。
 これはまさに出版社の勝手を読者に押し付けるもので、私が思うに、このような発想の根源が再販制だと思うのですね。(実は再販制のおかげで作家の数も多すぎるのですね)

「時限再販」という言葉ははじめて知りました。週刊誌で行って成功しなかったとのことですが、結局のところ再販制に戻したほうがラクだから、「いつの間にか消滅」してしまったんだろうと邪推せざるを得ません。
「新本フェア」も、おっしゃる通りなら中途半端ですよね。やるなら正真正銘の新本でやらないと。

 結局出版社が、ダブついた自己をダブついたまま延命させようとしているのが現状なんです。しわ寄せは、2000円の本を5000円で買わされる読書人なんです。もちろん本を部屋のアクセサリーとして買う層は確かに存在します。しかしそれは本来の本のあり方ではないのです※。

 一度出版界は半分に縮小するべきかもしれません。逆に作家は、出版社頼みではなく、自ら本を作り売ればいいんじゃないでしょうか。佐藤亜紀さんは今度出た新刊を最後に出版界とは縁を切り、今後は電子書籍で自著を発売していくそうですし、北野勇作さんも復刊されない旧作を、ぞくぞく電子書籍化しています。ひょっとしたら分水嶺に来ているのかも。

※実はこれ、出版社が自分の首を絞めているのでもあります。月のお小遣いから本代として5000円を使っている若い読者が、5000円で1冊買ったら、その月は他の本を買えません。ところが500円の本なら10冊買える。この出版社は原理的に他社の売上を奪ってしまっているわけです。もちろん読者も、月に一冊では満足できませんから、図書館で渇きを満たす。でも教養というのは積み上げですから、若いうちは積読でもいいからどんどん買っておいたほうがいい※※。本は安ければ安いほどいいのですね。その意味でも自分たちの首を出版界は互いにしめあっていて、緩やかな死をむかえようとしています(前項で護送船団式と言ったのはそういう意味です)
※※あ、60になっても相変わらずそんなことをしているのは馬鹿です(>おい)(^^ゞ

 

Re:本が読めない

 投稿者:段野のり子  投稿日:2017年 3月 5日(日)15時01分3秒
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  >結局再販制に寄りかかる体質が諸悪の根源
ああ、すいません。でもこの再販制があるので、多種多様な出版物が流通しているのです。今度、消費税が上がる時には、新聞は8%のまま、出版物は10%になるらしいんですが、これは出版物が再販とならないと判断されたのでしょうか。今時、月極の新聞読者は減って新聞社は必死で、契約をとろうと躍起になっています。(すごくしつこい)
>ちなみに音楽産業も再販ですが
出版業界的に言いますと、「時限再販」みたいな制度になっています。(私の認識が違っていたらごめんなさい)CDアルバムの裏面に日付が記されていますが、発売日から半年後の日付が記されていると思います。その間はレンタル禁止、記載されている価格(例えば、2980円+税)で販売すること、とかです。半年過ぎちゃえば、ツタヤとかで、新盤として(200円ぐらいでしたか)レンタルできます。つまり、「200円(+税なのか)」で買った、と同じになります。
この「時限再販」ですが、出版業界、週刊誌で行ったことがありました。つまり、最新号が発売されたら、週遅れの分は自由価格で売ることができる(但し、この分は返品不可)としました。しかし、どうも芳しくない、でいつの間にか消滅しました。
書籍雑誌とも、「安く」買うことができるシチュエーションがあります。スーパーとかで、「新本フェア」と銘打った特売日があったりします。定価のところにシールを貼って、安売りです。ところが、この出版物、「新本」ではありません。見た目、きれいですが、「返品不可」「倒産版元」など、いわくつきの物です。要するに、「古い」のです。「古くても良い」のなら、お買い上げ下さい。私は、買いませんが。(「古書店」とは、違います)
ぐたぐた申し上げまして、失礼しました。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 5日(日)02時01分54秒
返信・引用
   元ツイート

 

本が読めない

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 4日(土)20時40分17秒
返信・引用 編集済
   不調というわけではないのですが、今月に入ってから全く紙の本が読めていません。
 今読み中の『ホルケウ英雄伝(上下)』は大変面白いのですが(こちら参照)、四六判ハードカバーである上に400頁近くもありまさに重厚長大、片手で持てないことはありませんが、表紙を曲げられないのでコントロールしづらく、すぐに腕が疲れちゃいます
 日本人の一般的な読書形態は「満員電車内片手つり革読み」だと思うのですが、表紙を曲げられない四六判ハードカバーはこれに全く対応していませんよね。
 私自身は電車読みは殆どしませんが、ちょっとした空き時間にちゃちゃっと数ページ読むといった読み方でして、そのたびにカバンからご大層に出してこなくてはならない四六判ハードカバーはやはり不向きです(カバーを開ければ即座に該当ページが現れるタブレットになっちゃいます)。
 かくのごとく四六判ハードカバーは、現代日本人の読書環境には全く以て適合しません。なぜこのような形態が、いまだに日本の代表的な書籍の形態であり続けているのでしょうか。
 私が思うに、これは単に出版社の、現状に胡座をかいた怠慢以外の何物でもありません。日本人の読書環境が、アームチェアでゆったりと読む19世紀英国のそれと同じとでも思っているのでしょうか。おそらく顧客調査なんて殆どしていないのでしょうね。
 読書離れが進行している理由は一通りでは無論ありませんが、読者の読書環境の変化に即した書籍形態を模索しようともせず現状に安住していることからして一事が万事ではないでしょうか。結局再販制に寄りかかる体質が諸悪の根源。護送船団式に徐々に縮小していくだけ。映画産業は出版不況以前に大変になり、ドラスティックな改革が行われたのですよね。その結果、映画館入場料は四六判ハードカバー1冊の値段よりもはるかに安くなってしまいました。ちなみに音楽産業も再販制ですが、CDアルバム一枚の値段は2000円台で、私の高校大学時代のLPの値段と同じです。

 すいません。つい熱くなって話がそれてしまいました。今月に入って本が読めない理由は、上記もあるのですが、もっと根源的には、年末年始の状況が再発したせいなのです。本を読む時間がなくなったどころか、仕事にも差しさわりが出、後回しにできるものは後回しにしていたら、週明けの月曜日のスケジュールが大変なことになってしまいました。それを考えると、今から鬱になってしまって、休みとはいえとても本なんか読んでいる気分になれず、さらに読書は停滞するのでありました。


 

「異聞総録・其他(宋)」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 3日(金)00時36分36秒
返信・引用
  > No.7585[元記事へ]

『中国怪奇小説集』より「異聞総録・其他(宋)」に着手。

「竹人、木馬」>これは傑作。
 両淮地方の兵乱がようやく鎮定し、江南へ逃れていた人もぼつぼつと戻ってきた。主人公もその一人で、淮陽を通過し北門外に宿ろうとすると、宿の主人が、
「宿屋の親父が言うのも何ですが、戦の後とて治安もまだ悪く、部屋も汚くなっています。十里ばかり先に呂という家があり、そこなら閑静綺麗で賊を防ぐ用心もできています。お送りさせますからそちらへお泊まりなさい」
 と下人と馬を付けてくれた。途中も無事で夜中にならない内に呂家に行き着いた。
 家の者が出迎え、不思議そうに、
「近頃この辺には色々化け物がでるというのに、どうして夜歩きをなすったのです?」
 かくかくしかじかと説明して鞍から降りようとすると、馬も下人も突っ立ったままで動かない。
 飛び降りて明かりに照らしてみると、下人も馬も消え果て、そこにはただ、枯れた太い竹と木の腰掛けが立っているばかりだった。竹も木も打ち砕いて焼いてしまったが別に怪しいこともなかった。
 半年後、ふたたび先度の北門外を通ると、そこは空き家で、主人らしい者は住んでいなかった。

 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン電子版公開

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 1日(水)22時09分49秒
返信・引用 編集済
   3月になりました。いくぶん寒さもましになりました。春がこの国に届きつつあるようです。
 一方《チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号》のほうは、いまだ若干名のお手元に届いていません。
 けれども奥付は、厳然と3月1日発行となっております。もちろん電子版の奥付も同日付です。
 前項で記しましたように、電子版は紙版が行き渡ってからと考えていました。とはいえ発行日も無視できません。発行日より前倒しはもとより構いませんが(大抵の雑誌がそうです)発行日より遅れた例は、寡聞にして聞いたことがありません。
 遠く異朝をとぶらうまでもなく、近くば寄って見渡せば、高田渡さんも当初は――

  公開があるとしても今ではない。
  なるべく公開はさけたい。
  公開せざるを得ないという声もあるが、
  公開するかどうかは検討中である。
  公開も避けられないかもしれないが、
  まだまだ時期が早すぎる。

 と言っておられましたが、でも結局――

  公開の時期は考えたい。
  公開を認めたわけではない。
  すぐに公開はしたくない。
  公開には消極的であるが、
  年内、公開もやむを得ぬ。
  近く公開もやむを得ぬ。
  公開もやむを得ぬ。
  公開に踏みきろう。

 となってしまったではありませんか!

 という次第で、チャチャヤング・ショートショート・マガジン4号電子版のURLを公開いたします!

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 今回のオンライン化の試みは、申すまでもなく、より多くの方に読んでいただきたいからに他なりません。紙版ではせいぜい50部が製作の限界なのです。オンライン版はその点限界がありません。その意味で、よろしければ当オンライン版の存在を拡散していただけると、大変ありがたいです。どうかよろしくお願いいたしますn(__)m


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月 1日(水)20時19分8秒
返信・引用
   元ツイート  

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