ヘリコニア過去ログ1704


「サウンド・オブ・サンダー」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月30日(日)22時58分6秒
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  「サウンド・オブ・サンダー」(06)を観ました。
 原作はブラッドベリ「雷のとどろくような声」(『ウは宇宙船のウ』『太陽の黄金の林檎』)ですが、間違っても原作をイメージして観てはいけません。もうまったくハリウッド製ジェットコースター・ムービーに変貌させられています。面白かった(>おい)(^^;
 ハードSF的厳密性はありません。蝶を踏んだことで歴史が変わるのですが、それが津波の到来のように何波にもわたって現代を襲う。その波ごとに植物、下等生物、動物、と順番に変化していき、最後の波で人間が変わってしまうのは、どう考えても理屈に合いません。
 もはや30年代スペオペですね。奇想天外の「SF怪作劇場」に、どんどん退化していく話があったと記憶しているのですが、それとおっつかっつかも(笑)。
 ジェットコースターと書きましたが、後半は変貌したシカゴの街を、行って帰ってくる冒険行道中ものになっていて、陸はゴリラと恐竜のキメラみたいなのや、空も同じくゴリラとコウモリのキメラみたいなの、水がたまった地下鉄の坑道には魚竜みたいなのがいて、主人公一行を脅かします。そういう意味ではアトラクションの幽霊屋敷的でもありますね。
 ただ、恐竜ハンティングツアーは何度も行われるわけですが、標的のティラノサウルスは常に特定の一頭の個体なんです。それは原作どおり、火山噴火に巻き込まれて死ぬ直前のやつで、そいつをハンターに撃たせる。次のツアーでもおなじ時空ポイントに客を連れてきてそいつを狙わせる。永遠にその一頭で莫大な利益が稼げるんですねえ。時空ポイントが定まっているのですから、毎回計算し直すこともないし、別の死ぬ直前の恐竜を探す必要もない。これはなるほどと思いました。
 ブラッドベリを念頭に置きさえしなければ、充分愉しめる作品です(^^)

 

「地球、最後の男」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月29日(土)22時47分56秒
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  「地球、最後の男」(13)を観ました。
 原題は「LOVE」。これは邦題のほうがずっとよいですね。
 20年間放置されていたISSに、復活第1弾として送り込まれた主人公、着任早々地球からの交信が完全に途絶える。窓から眺める地球の夜の側の灯もどんどん少なくなっていき、真っ暗になる。主人公には原因が全くわからない。とにかく延々と地球を周回するISSのなかで、たったひとり、何もすることがなく、何も出来ずただ手を拱いているばかり。
 たしかにISSに閉じ込められた環境では、たとえば「火星の人」のような能動的な努力は不可能ですよね。そんな孤独で閉塞的な環境が、社会的生物たる人類の、一員である主人公の精神を蝕んでいき、妄想とも現実ともつかない日々が単調に過ぎ去っていく。
 時の経過とともに、地球からの支援のないISSも、次第に壊れていきます。支援がなければ、主人公一人の力では何も修理できないのです(おまけにマニュアルはロシア語)(^^;
 そして6年が経過。ついに生命維持装置も危うくなって、主人公は決死の決断をするのですが……
 南北戦争中に発見された地球外遺構(宇宙船?)の観察記録が船内で発見されたりとか、理屈に合わない(主人公の幻覚かもしれない)ふしぎな現象を主人公は体験したり(ラストはおそらく「2001年宇宙の旅」のラストを意識したものでしょう)、小説に喩えれば、荒巻義雄の幻想SFのテイストです。つまり思いつきをどんどん付加していったというか、要するにシニフィエをもたないシニフィアン(当然映像的な)ですな(笑)。音楽に喩えるならピンク・フロイド(共感覚的でスミマセン)。だってピンク・フロイドの音響にだれも意味など求めないでしょう?
 たしかに南北戦争中に発見された宇宙船の同類が、主人公を観察していたというストーリーが一見ありますが(主人公の幻視でなければ)、これも思いつきのたぐいというべきでしょう。荒巻SFや光瀬SFと同じようにこけおどし(ヴィジョン)を楽しめばいいのだと思います。私は大いに楽しませてもらいました。


 

SF検討会

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月29日(土)15時51分47秒
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   昨日は久しぶり(1年ぶり?)に、ジャズ住職との定員二名内容非公開のSF検討会。近況報告。お互いに読んだ本の紹介。最近話題のブラック宗派のレクチャー。福島区の人口が急激に増加している件。久々に開催される中学同窓会どうするかの相談。等々なかなか中身の濃い検討会でした。
 最初居酒屋。揚げ物を並べ生中3杯で腹を満たしてから例のMI6でタラモア・デューのロック2杯。いつも書いてますがここは安い。チャージ料ナシ、アテもナシ(というか注文を取りに来ない)、純粋に飲み代だけ。しかも8時半までは100円引きで500円ですから、1000円払っただけ。ただし国家機密情報だけはここで話題にすることは出来ません。もっとも我々もそんな情報は知らないので全く問題ナシ(^^;
 というわけで、そんなに飲んでないのですが、昨日は実質月末で意外に忙しく、昼飯抜きで駆けつけたせいか、11時前には帰宅したのですが帰宅してから急に酔いが回りだし、いったんはPCの前に座ったものの我慢できず寝てしまいました。
 そんな中途半端な時間に寝たので、4時前に目が覚めてしまった。そんな中途半端な時間に起きたので、10時過ぎくらいから急激に睡魔に襲われ、二時間ほど仮眠。
 いや確実に弱くなっていますね。

 

「ソラリス」(02)を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月27日(木)22時55分14秒
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  「ソラリス」を観ました。タルコフスキー版ではなく、ソダーバーグの2002年リメイク版。地球上のシーンではつねに雨が降っているのは、タルコフスキー版へのリスペクトでしょうか。
 レムの原作からはタルコフスキー以上に遠く隔たってしまっていますが、これはこれで面白かった。観了後検索したところ眠くなること必定みたいな感想を見つけましたが、全然そんなことはありません。吸い込まれるように見入ってしまいました。映画に没頭している私の姿をもし誰かが見ていたら、きっと彫像のように動かなかったんじゃないでしょうか(^^;
 昨日のクラーク同様、レムの原作も、いま確認したら69年10月に読了しているようで、多分再読はしていません。殆んど半世紀前です。タルコフスキー版はレンタルビデオ屋でVHSビデオを借りて観たという記憶があるので、少なくとも30年以上前であるのは確実です。(追記。いや違った。タルコフスキー版はロードショーで観た(パンフレットも持っていた)。今思い出しました。そしてレンタルビデオでも観たのでした)
 当映画では、ソラリスの送り込んだコピーが自分の出自で悩み葛藤するのですが、原作やタルコフスキー版ではどうだったんでしょう。原作のコピーはそんな風に人間臭くはなかったような。そんな記憶が薄っすらとあるのですが、そしてテーマからしてもそんな展開にはならない気がするんですけど、断言する自信はありません。
 タルコフスキー版のラストでは、ソラリス上に地球が再現されていたんでしたっけ。本篇も仕掛けがしてあって、主人公は救命艇で脱出し地球に帰還したようなんですが、地球に戻っても離人症的になってしまっている。そしてある怪我をきっかけに、救命艇に乗り込む直前からの記憶がない事に気づいてしまい……
 このラストもなかなか良かったです。なにはともあれ、レムの原作を読み返したくなりました。タルコフスキー版も!

 

「2001年宇宙の旅」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月27日(木)01時03分44秒
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   例のアマゾンプライムで「2001年宇宙の旅」(68)を観ました。ほとんど忘れていました。鮮明に思い出せたのは、プロローグでの、猿人が放り上げた武器として獲得した骨が、宇宙ステーションへと向かうシャトルに画面転換するシーンと、ラストの不思議な邸宅でのシーン。真ん中がすっぽり抜け落ちているのはどうしたことでしょう(汗)
 ところでこの映画、HALの故障にはどんな意味があったんでしょうか。そういえばこの、ディスカバリー号のパートが私の記憶から抜け落ちてしまっていたわけですが、考えたらこのパート、テーマと関係がないような。その意味ではストーリーが分裂しているんじゃないのか、と見終わってから思った次第。
 うーむ。そう言えば原作も、中学のとき中之島図書館で、ハヤカワノヴェルズ版(たしかタイトルは『宇宙のオデッセイ2001』だった)を読んでから一度も読み返していません。いま頭の中を探ってみましたが、なにも甦ってきませんね。半世紀前ですから当然か(^^;。いちおうハヤカワ文庫版は所持しているので、これを機会に読み返してみましょうかねえ。

 ところでプライムは利用していまして、キャプテンウルトラは全部視聴しました。第1クールは駄目ですが、第2クールは見れますね。並行して見ていた(といっても10本も見ていませんが)ウルトラセブンよりはるかに面白いです。

 あと、科学番組で2011年BBC制作の「Wonders of the Universe 神秘の宇宙」という4回シリーズ、これはBS朝日で放送されたものらしいですが、なかなかタメになる番組でした。恥ずかしながら引力と重力の違いをはっきり理解しました(いままではテキトーに使っていた)。

 音楽もストーンズやサンタナのアルバムを聴いていまして(しかし音楽はあんまり揃っていませんね)、もう十分年会費分くらいは利用した気がしますが、おためし期限が5月7日までなので、せいぜい使い倒してやろうと思っているのであります(^^;。

 

「幸せな裏方」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月26日(水)19時52分29秒
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  > No.7700[元記事へ]

 藤井青銅『幸せな裏方』(新潮社、17)読了。

 先に書いたように、本書は脚本家、放送作家、ゲーム作家、作詞家、演出・プロデューサー等々、広大なマスコミ業界に裏方として関わった著者の業界観察録であり交遊録であり、それはおのずと著者の半生回顧録となってもいて、予想以上に面白く読まされました。
 とりわけ終章は著名人とのかかわりのエピソードからはなれ、同じく裏方である仕事仲間先輩後輩との交遊がしたためられていて、これが一番興味深かった。
 星新一コンテストからこの世界に入ったとはいえ、ラジオドラマをきっかけに、数年後には放送作家のような仕事をするようになっていた著者ですが、本業の小説家としては、細々とショートショートを発表するくらいで、それも年に数本しか採用されない状態。
 その面では煮詰まっていた著者は、発表の当てがない100枚の中篇小説を書き上げる。しかし編集者に知合いがいるわけでもありません。
 ツテを頼って横田順彌さんを訪ねます。当時横田さんは世田谷の閑静な高級住宅街の、有名な演歌歌手の要塞のような邸宅の近所に住んでいたらしい。へぇー。私は中華料理店の二階に間借りしているとばかり思っていました(^^;。それは冗談ですが、ユーモアSFという意味では作風が似ている横田さんに読んでもらい、あわよくばという感じだったんでしょうか。
 結果オーライでSFアドベンチャー編集長を紹介してもらえ、デビューを果たします。
 その後横田さんから電話があり、星さんが「俺を訪ねてくればいいのに。やっぱり俺には話しづらいのかなあ」と言っていたと聞かされるのでした。
 SFA編集者だった関智氏とは後年偶然街で出会い、プレステ用ゲームを一緒に作ることになるのですが、そんな数珠繋がりがいろいろ書かれていて、この業界が人と人のつながりで成り立っているんだなあと(^^;

 ひとつ興味深く読んだのは、「ショートショートとも詩ともエッセイともつかない不思議なショートストーリー集」を企画し持ち込むのですが、どこに持ち込んでも、内容はいいがこういうのは売れないと採用されません。惚れ込んだ編集者が会社を変わりながら出版にこぎつける。でもやはり売れなかったのですが、後にケータイ配信と電子書籍にしたら評判も売れ行きもよかった。「つまりは読者への届け方しだいなんだろう」。これは傾聴すべき指摘ですね。

 
    (管理人) わ、しまった。この投稿を誤ってリンク先の元記事に上書きしてしまいました。復元できないかいろいろやってみましたが無理なようです。
すみませんが悪しからずですm(__)m
 

「輟耕録(明)」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月26日(水)01時55分34秒
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  > No.7615[元記事へ]

 『中国怪奇小説集』より、「輟耕録(明)」を読みました。
 明代になりますと、突き放したような怪異譚は少なくなり、そこに因果を見る話が主流となってきますね。そんな印象です。本篇もそういう話。

鬼の贓品
 陝西の村に老女が住んでいた。毎日道士のような人が来て、食物を所望するのだったが、老女は快く与えていた。と、ある日道士が「この家に妖怪の祟りはないか」。あると答えると、では祓ってあげようと御符を取り出し、火に焼いた。すると落雷のような音が響き渡った。
「これで妖怪は退治した。しかし1匹だけ取り逃がしてしまった。二十年後にもう一度災いが起こるだろう。その時はこれを焚きなさい」と鉄の簡を渡して立ち去った。
 歳月が過ぎ、老女の娘が鄙には稀な美人に成長した。二十年が経ったある日、大王と称する者が大勢の供を連れて老女の家に宿った。大王が「お前の家には嘗て異人から授かった鉄簡があるそうだが見せてくれ」。
 これまでもそう言ってくる者が屡々あったので、老女は贋物を作りそれを見せるようにしていた。本物は常に腰に着けていた。今日も贋物の方を差し出すと、大王はそれを返さないばかりか、娘を呼んで酌をさせろと言い出す。断っても聞かないどころか、乱暴に及びそうな様子になってくる。
 ははあこれが道士の言っていた災いか。老女は腰の鉄簡をそっと取り出し、竈の火に投げ込むと、忽ち雷が轟き電光が迸って火と烟りが部屋中に立ち籠めた。
 暫くして火も烟りも鎮まると、数十匹の猿が死んでいるのだった。一番大きいのがかの大王で、先年逃げ去ったものと思われた。彼らの携えてきた諸道具は皆本物の金銀宝玉製だったので、老女が官に報告したところ、それらは臓品として官庫に没収された。記録には「鬼贓」と記された。鬼の贓品という意である。

 

「幸せな裏方」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月25日(火)23時04分39秒
返信・引用 編集済
   藤井青銅『幸せな裏方』(新潮社、17)読了。

 先に書いたように、本書は脚本家、放送作家、ゲーム作家、作詞家、演出・プロデューサー等々、広大なマスコミ業界に裏方として関わった著者の業界観察録であり交遊録であり、それはおのずと著者の半生回顧録となっていいるわけで、予想以上に面白く読まされました。
 とりわけ終章は著名人とのかかわりのエピソードからはなれ、同じく裏方である仕事仲間先輩後輩との交遊がしたためられていて、これが一番興味深かった。
 星新一コンテストからこの世界に入ったとはいえ、ラジオドラマをきっかけに、数年後には放送作家のような仕事をするようになっていた著者ですが、本業の小説家としては、細々とショートショートを発表するくらいで、それも年に数本しか採用されない状態。
 その面では煮詰まっていた著者は、発表の当てがない100枚の中篇小説を書き上げる。しかし編集者に知合いがいるわけでもありません。
 ツテを頼って横田順彌さんを訪ねます。当時横田さんは世田谷の閑静な高級住宅街の、有名な演歌歌手の要塞のような邸宅の近所に住んでいたらしい。へぇー。私は中華料理店の二階に間借りしているとばかり思っていました(^^;。それは冗談ですが、ユーモアSFという意味では作風が似ている横田さんに読んでもらい、あわよくばという感じだったんでしょうか。
 結果オーライでSFアドベンチャー編集長を紹介してもらえ、デビューを果たします。
 その後横田さんから電話があり、星さんが「俺を訪ねてくればいいのに。やっぱり俺には話しづらいのかなあ」と言っていたと聞かされるのでした。
 SFA編集者だった関智氏とは後年偶然街で出会い、プレステ用ゲームを一緒に作ることになるのですが、そんな数珠繋がりがいろいろ書かれていて、この業界が人と人のつながりで成り立っているんだなあと(^^;

 ひとつ興味深く読んだのは、「ショートショートとも詩ともエッセイともつかない不思議なショートストーリー集」を企画し持ち込むのですが、どこに持ち込んでも、内容はいいがこういうのは売れないと採用されません。惚れ込んだ編集者が会社を変わりながら出版にこぎつける。でもやはり売れなかったのですが、後にケータイ配信と電子書籍にしたら評判も売れ行きもよかった。「つまりは読者への届け方しだいなんだろう」。これは重要な指摘だと思いました。

 

Re: 「ショートショートの宝箱」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月24日(月)23時03分23秒
返信・引用
  > No.7698[元記事へ]

 海野さん
>公募は今回「ショートショートの宝箱」が出たのをきっかけに始まったんです
 あれ、そうだったんですか。下の書き込みの際、念のため光文社のサイトを見たら公募になっていたので、そう書いてしまったのですが、そういえば前回見に行ったときは、どうやって募集したんだろうと気になったことを、今思い出しました。
 いずれにしろこのような公募サイトが出来たことはいいことですね。これを機に各出版社のサイトでも開設してほしいです。紙雑誌でも「公募ガイド」がやってますよね。
 その意味ではSFマガジンがショートショートの公募をやめたのは時代に逆行していましたね。
 さて「ぼくにはかわいい妹がいた」ですが、この作品には、生き物屋さんで売っているペットは食べさせるフードによって特性が決まってくるというウラ設定があって、それは最後まで隠されている。つまりオチなわけですが、それがウラからストーリーを最初から最後までビシっと統制している。これをオモテからみると、話が二転三転しているように見えるという構造になっているのですね。その作り込みに感心させられたのですが、なんと犬の散歩の行き帰りの間に、大体の概要が出来上がったのですか! 出来上がるときはそんなものなんですかねえ(^^;

 

Re: 「ショートショートの宝箱」読了

 投稿者:和田宜久  投稿日:2017年 4月24日(月)21時48分37秒
返信・引用 編集済
  「異形コレクション」の中の2冊のショートショート集からこんなにたくさん再録されるとは思わなかったですね。ショートショートスタジアムと「SF宝石」からだと思っていたのです。「SF宝石」の中にはショートショートコーナーの「ショートショートの宝箱」と言うのがありますからね。
ところで、いわゆる公募は今回「ショートショートの宝箱」が出たのをきっかけに始まったんです。これまでは広く募る公募ではありませんでした。狭く募る「狭募」かな。あ、そうだ。公募は公に募るでした。おおやけの反対語って何だ?どうでもいいか。
ところでわが作品「ぼくにはかわいい妹がいた」についてのエピソードです。
僕は毎日、愛犬(トイプードル)を散歩させているのですが、その散歩道に時々ペットのエサが置いてあります。それはその辺に住んでいる野良猫のために誰かがわざわざペットショップで買って来て置いたものなんですね。わが愛犬はそう言う物を見つけると当然食べようとするので、そのたびにリードを引いて食べさせないんです。(毒でも盛られているかもしれないし)ところがある日、油断していたすきに、少しでしたが食べてしまったんですね。その時、思わず口から出たのが
「お前、キャットフードなんか食べると猫になってしまうぞ!」
自分が思わず言ったその言葉に自分で笑ってしまいました。そして、ピンときたんですね。これはショートショートになるんではないかと。散歩から帰って来る頃にはほぼお話の概要が出来ていました。
まあ、犬の散歩をテーマにしたお話はいくつか書いていますね。あの生まれ変わりのやつとか。

追記
公募の対義語は私募という、証券取引用語になるとか。
 

「ショートショートの宝箱」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月24日(月)19時16分49秒
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  > No.7696[元記事へ]

 ということで、光文社文庫編集部編『ショートショートの宝箱』(光文社文庫、17)読了。
 全30篇中、半分が再録で、しかもその殆どが異コレからというのはいささか残念でしたが、なかなか粒ぞろいでよかった。新作はSSスタジアムという光文社のWeb上での公募サイトの入選作からのセレクトのようで、意外に新作にオッと思う作品が多かったです。いかにもショートショートの型にはまったという感じではない、斬新な作品が目につきました(いやもちろん星メソッドを良くも悪くも内面化してしまった私のような者の目には、ということで、今はそんな作品がふつうに存在しているのかもしれません)。
 これは上記サイトのような、俳句や短歌の世界における「結社」に比定される機関が増えてきて、ショートショートも俳句や短歌みたいに一般の方がふつうに作っては投稿するという環境が整ってきたからではないかな、とふと思いました。そのうち新聞にもショートショート投稿コーナーが出来たりして(^^;
 本書が好評だったら続刊が出るそうです。次回があるのなら、オール新作でもいいんじゃないでしょうか(^^)

 

Re:Re:Re:Re:「ショートショートの宝箱」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月24日(月)02時38分1秒
返信・引用
  > No.7694[元記事へ]

 深田亨「海豹」を読みました。北の涯の絶海の孤島に流れ着いた男が、無人の苫屋で見つけたものは……。
 いやこれは絶品。スコットランド・ケルト民話集に収録されていても決して違和感ありません。
 おもえば大昔、眉村さん編の「チャチャ・ヤング=ショート・ショート2号」の劈頭を飾った著者の「岬」、半世紀近く前はじめてこの名作に接したときは、なんとなく能登あたりをイメージしていましたが、「海豹」を読んでしまった今は、あれはスコットランドの海辺の寒村が舞台だったんだな、と記憶が改変されてしまいました!
「深田亨・ケルト民話集」が読みたくなってきたではありませんか(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月24日(月)00時37分49秒
返信・引用
   元ツイート

 

Re:Re:Re:「ショートショートの宝箱」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月23日(日)23時27分1秒
返信・引用 編集済
  > No.7693[元記事へ]

 225頁まで。
 まずは北野勇作「白昼」。あれ、これ読んだことがあるような。巻末を見たら初出情報が。なんだ『異形コレクション』からの再録だったのか。よく見ると本集30篇の内、13篇が異コレ(「ひとにぎりの異形」7編、「物語のルミナリエ」6篇)。2篇が「SF宝石2015」からの再録でした。
 純然たる新作は、ですから15篇と半分だったんですね。うーん。そんなただし書きはカバーにも帯にもどこにもありません。SF宝石は未読ですが、異コレの二冊は持っている。ちょっと騙されたような気分。まあいいか。ここまで読んできて、再録分をすでに6篇読んでいるのにそのことに全然気づかなかったのですから、私も強く主張できる立場ではありませんね(「カタミタケ汁」に就いて既視感云々と書きましたが、その時点では異コレが念頭にあったので、昔読んだ本篇の印象が残っていたのかも)(汗)
 ということで、「白昼」。これは怖い。著者を全て読んでいるわけではないので雑な話ですが、家族小説化以後の作品とそれ以前の作品ではちょっと触感が違っているような認識があります。いやむしろ2傾向の作品群が並行しているのかも。内への侵入を許す作品群と許さない作品群。本篇は後者です(それが本篇を中国怪談ぽくみせてもいて好かった)。初出が2007年で10年前なんですが、2005年刊行の『空獏』も後者。2008年刊の『レイコちゃんと蒲鉾工場』は既に前者でした(『かめくん』はどうなんだと言われたら困るので、やはり2傾向並列説がよいかも)。ちょうどその中間、本篇と同じく2007年刊の『恐怖記録器』と『ウニバーサル・スタジオ』が未読なので、近いうちに読んで検証したい。というのは前から思っていたことです。
 柴田千紘「君に会いたい」は、私の苦手なイマっぽい文体でちょっと苛々させられるのですが(それは私が時代性を排除する星メソッドに囚われているからです)、それでも読まされるのは著者の筆力でしょう。ラストも決まっています。佳品。
 行方行「さびしいめがね」も、こういう主人公設定は好まないのですが、筆力で読まされてしまいました。両作品とも星引力の影響を受けていないショートショートだと思います。
 黒川進吾「死の扉」は星型ショートショート。論理オチがバシッと決まって、思わず膝を打ちました。快作。
 堀晃「開封」も異コレからの再録。ずばり星新一トリビュートにしてパロディです(^^)。トイレの男のほうが先に移動しているわけでオリジナルのような気がしますが、そういう時間的前後関係は、超空間内部では無効化されるんでしょうね(^^;

 

Re:Re:「ショートショートの宝箱」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月23日(日)13時08分41秒
返信・引用 編集済
  > No.7692[元記事へ]

『ショートショートの宝箱』は162頁まで。海野作品以外で私が気に入ったのは、工藤玲音「冬のメリーゴーランド」、篠田真由美「墓屋」。これらは星新一のショートショートの型にとらわれていないのですね。私のような世代は星SSの印象が強すぎて、ああいう風に作られていなければ、無意識にSSと認めないところがあります。それを壊したのが(いや現在も壊し続けているのが)眉村さんのショートショート、具体的には私掌篇という方法論です。これら二作が眉村SSの影響を受けたかどうか分かりませんが、たぶん関係ないでしょう。若い世代は星新一も読まずにSSを書き始めているということ。もっとも後者は、最後は相対化オチとなって星SSに回帰するのですが、それがなくてもストーリーに問題はない(星SSではオチをはずしたらストーリーが瓦解します。本集でいえば「裏庭の死体」がそれ)。この作者は古い人なのでまだ星メソッドにとらわれているんでしょうね。
 高井信「さかさま」は作者の独壇場日本語SS。竹本健治「漂流カーペット」でメタ小説を定義しましたが、本篇も(だけじゃなく日本語SSは全てそうなんですが)土台は観念的に抽象されたメタ空間なんですね。
 我妻俊樹「魔物」は、これは嬉しい志怪SS。全体を通して機能している斥力がいかにもそれらしい。いかなる因果もここにはありません。初期の志怪小説を彷彿とさせられました。その意味では加門七海「阿房宮」も中国怪談(伝奇)。最後の場面がなかなか洒落ていて私の好みではあるのですが、その結果中国怪談からは外れて現代小説になってしまいました(^^;

 

「ショートショートの宝箱」より

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月22日(土)23時20分20秒
返信・引用
  > No.7691[元記事へ]

『ショートショートの宝箱』より、海野久実「ぼくにはかわいい妹がいた」を読みました。
 これこれ、これですがな。チャチャヤングで、和田宜久が毎週のように眉村さんに朗読されていた、向うところ敵なし状態だったあの時代、その朗読をラジオから聴きながら私は、凄いなあと諦めの溜息を吐いていたのでしたが、その頃の、感傷的なのにトリッキーな、トリッキーなのに感傷的な、和田宜久が還ってきた、そんな印象に打たれました。
 ショートショートを読むときは誰でもそうでしょうけど、そのその落ち着く先を予想しながら読むわけですが、この話に限っては二転、三転予想を裏切られ、最後まで設定が分かりませんでした。先回既視感と書きましたが、少なくとも私には本篇からはいかなる先行的なアイデアも思い出すことはできません。これぞ和田宜久(いまは海野久実)。傑作でした(^^)

 

「ショートショートの宝箱」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月22日(土)21時42分10秒
返信・引用 編集済
  『ショートショートの宝箱』に着手。85頁まで読んだ。ちょうど3分の1。
 ここまででは、橋本喬木「待ち人来たる」が飛び抜けてよかった! ストーリーに見合った文体が選択されていて、形式と内容が互いに手を取り合い、渾然一体となって最後のタネ明かしに到達します(オチとは言いたくない)。これぞショートショートの真髄。傑作でした(^^)
 あと、梶尾真治「カタミタケ汁」が、さすがに第2世代きってのストーリーテリングで最後まで読ませます。ただこの手の話は既視感があるのですね。真ん中より手前あたりで大体どうなるか見当がついてしまいました(オチに向かって収斂していくタイプではなく、ショートショート・ホラー・ストーリーなので、オチが割れたって別にどうってことないとはいえ)(汗)。

 

「しあわせな死の桜」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月22日(土)02時32分54秒
返信・引用
  > No.7689[元記事へ]

 スペードの部より最後の短篇「しあわせな死の桜」を読みました。
 これって「夜は訪れぬうちに闇」の続篇? いやいや、当該短篇の結末からしてそんな筈はありません。してみますと本篇の小説世界は「夜は訪れぬうちに闇」の世界に重なって存在する別次元の平行世界なのかも(^^;
 いやーよいですねえ! 猛烈な桜吹雪の中での心霊合戦(>違)。桜の樹の下には死体が埋まっているが、本篇では、人は死にその体積分の桜吹雪に変じて散りはてるのです(比喩にあらず)。
 むせ返るほどに濃厚な世界描写に酔いました。

 ということで、竹本健治『しあわせな死の桜』(講談社、17)読了。
 バラエティにとんだ、併しどれを取り上げても竹本健治世界としか言いようのない強烈個性的な短篇集で、堪能しました。

 

Re: Re: Re: 「しあわせな死の桜」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月21日(金)22時40分40秒
返信・引用 編集済
  > No.7688[元記事へ]

 スペードの部より、「漂流カーペット」を読みました。70頁140枚の中篇。
 ナンジャコリャー!?(^^;
 主人公ら三人が目覚めてみると、そこは森のなかで、彼らはそこに――森のなかに――あるべきではない赤い絨毯の上で目覚めたのです。しかも三人共自分の名前も何もかも覚えていない記憶喪失者として。
 この出だしは、到着することで始まるという幻想小説の要件に適っています(但しカフカ「城」のケース)。つまり彼らが目覚めた世界は、現実ではない、別の何処かだった。
 しかも読んでいけばわかりますが、この世界は或る謎解きをするために設えられた、純粋に仮設された抽象的な空間なんです。
 三人は、そこがどこなのか皆目見当がつかないまま(当初は日本であるのかもわからない)、とりあえず助けを乞うべく集落を求めて、踏み分け道を辿り始める。
 このように、幻想小説ぽく始まりましたが、どうも幻想小説という雰囲気ではありません。主人公たちが記憶喪失者であるというのも、人工的で抽象的な設定です。こういうのは、おそらくメタ小説と言われるものなんじゃないでしょうか。
 さて、途中の分かれ道で猟師に道を聞いたりしながら、やがて村に到着する。
 ところがこの村では、よそ者の質問には一回しか答えないという決まりがあった。これなんかも、この世界が一種人工的な(自然に反した)抽象的な(具体的ではない)世界であることを読者に強く意識させます。
 そしてこの村は、シロモンとクロモンという二種の人々で構成されていることも分かる。先に明かしますが、シロモンはウソを付くことができない人、クロモンはウソしか付くことができない人。現実にそんな人はいません。しかし芦辺さんの死肉喰い恐竜と同じでメタ空間ではありです。
 そんな世界で、殺人(もしくは事故死)が起きます……
 実は私、本篇について、文体のスタイルがヨコジュンのハチャハチャSF――荒熊雪之丞シリーズのような――に似ていると感じました。主人公は雪之丞同様下品ですぐ鼻の下が伸びる青年なんです。村長に振る舞われた酒にすっかり酔っ払って前後不覚になりながらも、しかし村長の家のきれいなお手伝いさんを口説くことは忘れず、ちょっと色よい返事をもらってすっかり舞い上がってしまうのですが(>スミマセン。少し盛ってしまいました)(^^;、実はその娘さんが密室状況で死んでしまうのです。
 ただ荒熊シリーズは、1頁に必ず一つは下らないダジャレがありましたが、本篇ではそれはない。ですからハチャハチャまではいかなくて、せいぜいハチャ(>おい)(^^;
 そしてヨコジュンハチャハチャSFでは、結末でナンジャコリャーというのが少なくなかったですよね。しょーもないダジャレで終ってしまうとか。
 本編はそこも似ているんです。ダジャレではないですが、突然この世界(ミクロコスモス?)の観察者らしき女の子が現れ、つまり「系外者」ですね、「系内」にとらわれている三人には絶対にわからない情報を授けてくれ、あっというまにパタパタと密室殺人の謎が解明される。これは反則です。
 ここだけ捉えれば、冒頭に書いたように、読者はナンジャコリャー! となるに違いありません。しかし私が思うに、著者の狙いはそこにはないのですね。つまり古典的な謎解き小説の作法から意図的に離脱を図った小説といえるのです。
 本篇は、一度最後まで読み終わって、それから、すべての系内事実を理解した上で、もう一度最初から読み返すことを要求するものなんです。
 そうして(それを前提に)再読すれば、分かれ道で猟師がなぜそう言ったのか、を手始めに、謎めいていたことがすべて「何の不思議もなく」辻褄が合って、なるほど! と膝を打つこと間違いありません。なるほど、なるほど、の連続になるはずです。それを楽しむ小説だと思います。ちょっとアリスを想起させられますね(^^)。
 こういうミステリもありなんですねえ。今回、私もはじめてその可能性に思い至らされました。
 さて、そういう趣向で組み立てられた本篇は、上述しましたように、メタ小説というのが妥当です。この小説世界そのものが、メタ空間に設定されているわけです。
 つまり本篇はメタにしてハチャ。そう、ハチャハチャでもハチャメチャでもない、「ハチャメタ」ミステリの試みと言ってよいかもしれませんなあ(>おい)(^^ゞ

※「トリック芸者……」で「最近よそのものが来たといえばあんたたちくらいだ」は引っ掛けではないのかと書きましたが、本篇317頁「戸口を通った人間は誰もいない」が同じ手口ですね。ということから、やはり「あんたたち」は著者の意図的な引っ掛けであったことが傍証されたのではないでしょうか。

 

Re: Re: 「しあわせな死の桜」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月20日(木)21時04分11秒
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  > No.7687[元記事へ]

 スペードの部より、「トリック芸者 いなか・の・じけん篇」を読みました。
 本篇は謎解きミステリなんでしょうか? まあ「いなか・の・じけん」と副題がついているくらいですから久作のオマージュでもあるわけで、それなりなんでしょうが、すべての手がかりが提出されるまでは、なかなか本格的な結構。
 第一の事件の解明は、猪口奴が「足」で見つけたもので、謎解きというものではないにしても納得しました。
 次に第二の事件――
 つかさシリーズと同様、アームチェア探偵が登場して、手がかりから犯人を指摘するのですが、(ここからは本篇を読んでいなければトレースできない書き方をします)この犯人は、「事前に第一の事件を徹底的に調べた」となっていて、ほぼ第一の事件の全貌を把握していた。だから第二の事件の犯人たり得たわけです。
 でもこの事件の性格上、「徹底的に調べる」ためには現地での調査が不可欠なように私は思いました。
 ところが、243頁に「最近よそのものが来たといえばあんたたちくらいだ」という村民の証言があって……

 あれ?

 待てよ。

「最近よそのものが来たといえばあんたたちくらいだ」とあるから、犯人が事前に現地に来ているはずがない、と結論しようと思ったのですが、村民たちのいう「あんたたち」が、「昨夜」山車で到着したところの5人を意味するとは、そういえば、どこにも書かれていませんねえ!
 ひょっとしたら、村民の意識の中では「あんたたち」は具体的な顔のある「あんたたち」を指していたのかも、という気がしてきました。
 だとしたら(ああネタ割れせずに書くのは難しい)、村民の証言と犯人の現地事前訪問は矛盾しない!?

 うーむ。

 最初の予定では、犯人の「事前調査」の不可能性と「(とんでもない)動機」から、本篇は謎解きミステリの衣を纏ってはいるが、その実体は「現実にはない村」での「現実にはありえない犯行」を描いた「幻想小説」なのです、と結論するつもりだったのです。
 何故そう結論付けられるのか?
 それは本編冒頭にあります。
 実は本篇、トリック芸者たちが黒牛二頭に引かせた山車に乗って、三味線を弾きながら深い霧の中から次第に凝るように現れ、村に到着するという、非常に印象的な(またいささか奇矯な)シーンから開始されるのですね。
 これは先日述べた、幻想小説では主人公が何かの交通手段で幻想の地に到着することで物語が開始されるという、幻想小説の契機に合致している。

 では、犯人の辻褄が合ったことで、本篇は謎解き小説となったのでしょうか。
 私にはどうもそうとは思えないんですねえ。
 村民の証言のなかに「引っ掛け」を潜ませる、その手口は公明正大性を旨とする本格ミステリにはふさわしくないのです。
 むしろバカミステリの手法ではないでしょうか(^^;
 あ、もっとよいレッテルを思いつきました。本篇はアンチ・ミステリなんです! アンチ・ミステリとは、一面でバカミステリですし、また別の一面では幻想小説なのですから、その両面を備える本篇は、正々堂々誰に憚ることもないアンチ・ミステリと申して全然問題ないのではないでしょうか(>おい)(^^ゞ

 

Re: 「しあわせな死の桜」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月19日(水)22時21分33秒
返信・引用 編集済
  > No.7686[元記事へ]

 『しあわせな死の桜』、今日はハートの3篇を読みました。

 ここまでクラブと◇の部には、怪談やファンタジーも含めて広義の幻想小説が収録されていました。
 今回のハート部は、ガラリと趣きが替って、いわゆる謎解き小説が収められています。
「明かりの消えた部屋で」と「ブラッディ・マリーの謎」は、つかさという探偵マニア(?)の少女を主人公とするシリーズ物のようです。ただし本当に謎解きをする探偵役は、芳川という検事で、つかさが関係するところで事件が起き、つかさを狂言回しに、謎解明に必要なすべての手がかりが出揃ったところで芳川が登場(後者では電話口に出て)、その手がかりから犯人を指摘します。
 つまり典型的なアームチェア・ディテクティブ。ストーリーも謎解きに特化していて、多くの推理小説が身にまとわされている(読者の注意力をそらせるための)怪奇趣味やディレッタントな無駄口は潔く排除されています。その結果、あたかも本格ミステリはこうやって組み立てるのだという例題みたいな作品に仕上がっているのですね。実際、両篇とも「問題編」と「解決編」そして「その後の一景」に章分けされていて、まさに教科書という感じです。
 前者ではその時刻にはすでに被害者は死亡しているという時刻に、死体などなかったことをつかさによって確認され封印された部屋に、いつのまにか死体が現れた謎、後者では雪の山荘で、犯人の、血しぶきを浴びたはずの衣類が見つからない謎、がそれぞれ閉鎖系の中で、外に由来する補助線なしに解明され、「なるほど!」と膝を打ちました(^^;

「妙子、消沈す。」も、別のシリーズの一篇らしく、主人公は妙子という中年の女性で、興信所を開いているようです。アルバイトの助手とその友人がレギュラーメンバーのようで、面白いのは、キララという女の子が、どうもロボットという設定みたいなんですね(全然説明がないので、シリーズ前作があるのでしょう)。
 これは謎解きミステリというより、一種のパロディです(パロディと言うならばつかさものもパロディといえますが)。もしこれをトリックと認めるなら、年齢限定トリックとするべきかも(汗)。
 主人公妙子が、卒然と老眼になったことに気づくのが発端。事件が解決した結果、妙子のユウウツが弥増しになるのですが、これは私、以前に本板に紹介したことがあります。笑わされた後ゾッとさせられたのでありました(笑)
※気になった方はこちらをチェック。本篇を読む予定の方は見ないように(^^;

 当段の3篇は前段の6篇とは真逆の作風で、本集はなかなかバラエティにとんだ趣向になっているようです。

 

「しあわせな死の桜」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月18日(火)22時06分58秒
返信・引用 編集済
  > No.7684[元記事へ]

『しあわせな死の桜』より、◆の3篇を読みました。

「妖かしと碁を打つ話」は初出の《幻影城終刊号》で既読。その時の感想はこちら
 ということで、感想はそっちに任せてよしなしごと。
 幻想小説とはつきつめれば「この世の外」の世界の話でありまして、「猫町」では、逆の方向から町に入ることで幻想世界に入り込んでしまったわけです。
 読者を幻想世界へ誘う(「こっち」から「あっち」へ移る)方法として、最も一般的なのは、汽車や馬車等の交通手段があります。荒巻義雄『神聖代』がそうですし、今再読中のシュルツの、「クレプシドラ・サナトリウム」もそうです(カフカの「城」のように交通手段が不明なのもありますが)。
 あと「夢見」も同様の機能があります。本書の「夢の街」がこれです。「彼ら」もそうでした。
「依存のお茶会」の場合は、少し凝っていて、友人たちの悪意で三月兎のお茶会に参加するアリスという見立でコスプレした主人公の女の子が、(お茶会が開催される)小さな東屋に案内される。あるいは「通用口」をくぐった瞬間、既に幻想世界に入りこんだのかも。
 で、本篇ですが、本篇もやはりそれは同じで、主人公が最初に見る異様な月(の暈)が、幻想世界に入り込んだサインとなっているわけです。

 と、いわずもがなのことを書いてしまいました(^^;

「羊の王」は6頁の掌篇。これは難しかった。私にはお手上げだったのでヒントを求めて検索。なるほど、そういうことか! 人と獣が落ちていたのはわかった。でもなぜそれが「未完成」なのか? ○○には聖人の意味がありますが、「未完成」とはそれに達することができなかったということか。では彼らをそう規定したお地蔵さんは○○なんでしょうか。たしかに「お地蔵さん」の外見は聖人の趣きがありますが……

「瑠璃と紅玉の女王」、これは純然たる「物語」ですね。華美で豪奢なハイファンタジー※。まるでアラビアンナイトのなかの一話のようでした。
※幻想小説と言わずファンタジーと言ったのは、本篇の世界が「この世の外」ではなく「この世」と無関係に存在する世界だからですね。

 

エベッサ・デベッサ・ドラマサデ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月17日(月)20時57分19秒
返信・引用 編集済
   今ふと気がついたのですが、私さっきから、エベッサ・デベッサ・ドラマサデ、という言葉を、節を付けて(心のなかで)呪文のように繰り返しているではありませんか。
 あ、これは歌の文句だ、とすぐに分かりました。たぶん、小学校か中学校の音楽の時間に歌わされたものです。それは確信を持って言えるのですが、いかんせん、この部分だけしか出てこない。というか、この部分も、今ふと気がつくまでは、まったく意識からは消え去っていたものなのです。
 そうなると、一体この歌は何か、非常に気になってきました。思い出そうと努力したのですが、上記の文句(と節)以外は何も浮かんでこない。
 そのとき、これはひょっとしたらネットで検索すれば分かるかも。と思いついた。
 さっそく、「エベッサ・デベッサ・ドラマサデ」と打ち込んでみたら――
 ヒットしました!
 但し2件だけ。





 2件の内1件は、大阪エベッサ関連でしたが、もう1件が、まさにこの歌の情報なのでした(^^;
 クリックしてみますと――
『アチャパチャノーチャ』という、なんと日本の童謡とあります。へえー。
 ユーチューブもありました。当然視聴します。
 おお、これです。完全に思い出しました(^^)

 いやー、それにしてもこれ、何だったんでしょうね。とつぜん半世紀前に習ったと思しい歌の一節が、何の関連性もなく無意識の深奥から浮上してくるなんて……
 しかもネットで確認できたなんて。
 いわゆるパノラマ視現象の、これは先触れなのでしょうか(>おい)(^^;

 
 

「しあわせな死の桜」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月17日(月)02時32分22秒
返信・引用 編集済
   竹本健治『しあわせな死の桜』に着手。
 短篇集で、クラブ、ダイヤ、ハート、スペードの4部構成。そのクラブの3篇を読みました。

「夢の街」は明らかに乱歩へのオマージュ。それはすぐに分かりましたが、その一方で、ハミルトンも想起されました。つまりその夢世界の描写が(描写自体はごく短いのですが)オマージュを超えて自立的で、惹き込まれました。
「彼ら」も夢ものですが、その夢世界は当初「夢の街」と同構造かと思っていたら、ちょっと眉村さん風の社会SF的なタネ明かしがあって、ああ現実に付属するのか、と思ったら、もっと粘つく悪夢に……。
「依存のお茶会」は一種心理劇ですが、私は王朝もののバリエーションとして楽しんだ。主人公の女の子がうさぎの恰好をして飛び込んだ穴、もとい小さな東屋の中は、夢の世界とは違いますが、やはり異世界で……。

 

「ウルトラセブン」と「キャプテンウルトラ」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月16日(日)20時43分22秒
返信・引用 編集済
   アマゾンプライムで、今日はウルトラセブンを見たのですが、さすがに6話で飽きてしまいました。歳のせいでしょうね。これでも30代前半くらいまでは、当時の「貸ビデオ屋」で東宝や大映の怪獣映画を借りてきては視聴しVHSテープに録画したものでしたが、30代なかばになり、子供と一緒に戦隊モノを見出したとき、もう楽しめなくなっていることに気づいて愕然としたものです。
 ウルトラシリーズも、リアルタイムではウルトラセブンまで見ており、見た中ではそのウルトラセブンが一番面白かったと記憶していたのですが、いまや6話が限度。
 でもこれは自然な反応の筈で、50代、60代になっても楽しめるほうが希少な存在ではないのでしょうかねえ、いえ決してあなたのことを当てこすっているわけではないですよ、為念(>おい)m(__)m

 さて、6話見て満腹した筈なのですが、なにか物足りなくて、そうだ、キャプテンウルトラはウルトラシリーズには珍しく、というか唯一の宇宙もので、内容は殆ど覚えてないのですが、面白かったという記憶だけが残存していて、しかしその後ビデオ等で再視聴したことはなかったことを思い出しました(ウルトラマンやウルトラQなどは、全話ではないですけど部分的に再視聴したことがあるのですが)。
 それならばと、キャプテンウルトラを観た。
 うむ。バンデル星人と言う名前は全く失念していましたが、その形態はうっすらと深いところから浮上してきました。
 しかし――
 何かが違うんです。それは何かとしばし熟考。はたと手を打つ。
 くっきりしすぎているのです。
 昔、リアルタイムで見たのは当然ながらフレドリック式ブラウン管テレビで画面も小さく白黒で、分解能が(今と比べれば)きわめて悪かった。バンデル星人はもやもやっと曖昧で形状も定かでなくミステリアスで、反語的ですが、だからこそリアルだったんですね。今はデジタル技術で解像度が飛躍的に良くなっており、人間のお肌も毛穴まで見える。バンデル星人もくっきりはっきり、ビニール製のぬいぐるみであることが一目瞭然なのです。
 それはあかんでしょう。やはり怪獣ものは、たとえ技術があってもそこは押さえてちょっとぼんやり曖昧にしておくべきではないのか。そんなことを思いましたねえ(^^;

 それから、これはあとで調べたのですが、キャプテンウルトラは東映製作で、実は円谷プロが週一のウルトラマンの準備ができなくなってきて、半年の休載を申し入れ、それで東映がそこに入りこんだものだったそうです。たしかにSF的設定が(ウルトラセブンに比べて)だいぶ甘い。
 でも円谷映画の演出と截然と違うのが、主人公キャプテンウルトラなのです。このキャプテンウルトラ、まるで時代劇の主人公そのまま。具体的には顔で演技するんです。目をグリグリと左右に動かしたり(^^;。つまり見得を切るんですね。この人、確実に時代劇出身だなと思いました(笑)
 そう思って観ると、宇宙人との斬り合いは時代劇の剣戟をそのままなんです。
 これって無意識に「東映流」が出てしまったんだろうな、と納得しかけたのですが、テロップに監修者名が流れてのけぞる。
 都筑道夫と光瀬龍!
 この時代劇臭さは、無意識ではなく意図的なものだったのかもしれませんねえ。しかしいくらなんでも自分らのシニシズムとスノビズムを子供番組にぶち込んだらあかんやろ、と思いました(^^;

 

アマゾンプライムお試し

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月15日(土)23時10分50秒
返信・引用
   ということで、どんだけDVD借りてきてんねん、と思われたかもしれませんが、実はアマゾンのプライムを利用しているのです。正確には1ヶ月間の無料お試しを利用しているのです。もし気に入ったら年会費3900円(1か月325円割)払って本会員になるのですが、映画好きには絶対お得ですね(それ以外にも音楽が無料で聴き放題とかいろいろ特典があるようです)。はっきりいってツタヤより安くなると思います(※週に1本観れば1か月4本。ツタヤなら432円で、既に安くなる勘定)
 ただ私自身は、月に何本も映画を見る習慣がありませんし、私が観たいような古い映画もあまりないのですねえ。ヴィスコンティは2本くらいしかありません。最近見直したいと思っている「雨のエトランゼ」も残念ながらなかった。
 となると、数か月くらいはお得感がありますが、そのうち利用しなくなりそうです。
 とりあえず映画も飽きてきました(^^;
 なので、結局本会員にはならないと思います(それにいつでも会員になれますし)。



 

「宇宙からのメッセージ」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月15日(土)22時44分49秒
返信・引用 編集済
   「宇宙からのメッセージ」(78)を観ました。
 初見でしたが想像していたほどには酷くなかった(>おい)(^^;
 ただ、このセットは、どう見たってスターウォーズのパクリですよね。しかしまあ好意的に解釈すれば(笑)、そこかしこでスターウォーズ意識してるよ、というのを見せつつ、独自の物語を物語ったとも言えなくもないですね(^^;
 70年代には「フラッシュ・ゴードン」も製作されて、こちらはメカニック感皆無の、いかにもスペオペっぽさが横溢していましたが、本篇もどっちかといえば「フラッシュ・ゴードン」側。私の好みからすれば、もっとこっちよりで製作してほしかった気がしますが、野田さんはメカにこだわりがありますからねえ……そうはならなかったでしょうね(^^;

 

「ヒトラー 最期の12日間」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月15日(土)17時39分1秒
返信・引用 編集済
   「ヒトラー 最期の12日間」(05)を観ました。
 これって時々ユーチューブに上げられ、私も当掲示板に貼り付けたりしているのでご記憶の方もいるかと思いますが、あべっちをヒトラーになぞらえたパロディ動画の元映画でした。
 ヒトラーの秘書で、ヒトラーとゲッベルスの遺言の口述筆記を担当したトラウデル・ユンケという女性が主人公というか視点人物で、彼女が見届けた文字どおりヒトラー最後の12日間の、追い詰められ参ってしまい、現実を失って、惑乱錯乱した行動を活写しています。こういうヒットラーに密着した描写は、客観性を重視する史書ではありえないので、大変興味深く観ました。
 ただユンケをはじめ、食事係の女性にいたるまで、ヒトラーが女性に対してはとても礼儀正しく思いやり深く描かれていて、あまりヒトラーを知らない人が視聴した場合、「ヒトラーって意外にいいやつじゃん」みたいになってしまうんじゃないかな、と心配になりました。優しくて子供っぽいのは、日本では無条件に肯定されてしまいがちなので。
 いや、作中でのエヴァ・ブラウンの言葉に、ヒトラーは本来優しい性格なのだが、フューラーと呼ばれる場面では別人になる、というのがありましたが、まさにそういうことだったのかも。
 ただし以上は本映画を観た限りでの印象ですので念のため。
 ゲッベルスについては殆ど知識がなかったのですが、本篇の描写を信じる限りでは、ヒムラーもゲーリングも離れていく中、最後までヒトラーに付き従っており、いわば信長に対する柴田勝家みたいな存在だったのかも(それともただ無能だっただけ? まあその意味では勝家も無能でしたが)(^^;。
 面白かったのはエヴァ・ブラウンの描写で、非常にさばけた性格のように描かれ、最後までヒトラーを信頼すると同時に、年上女房みたいな関係だったような印象を受けました。その一方で、さばけた性格の別の面ですが、ダンスを愛好し、ソ連軍がほんの数キロ先にまで迫り、四六時中砲撃が総統官邸を揺るがす中、最後のダンスパーティを催すのですが、至近に砲弾が届きレコードの針が吹っ飛んでしまい、一瞬静寂になる。そのとき「こんなときこそ、スウィングよ!」とスウィングのレコードを掛けさせ、テーブルに飛び上がって踊りだすのです(映画の中の話ですよ)。佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』を思い出さずにはいられなかったのですが、そんな趣味のエヴァがヒトラーと暮らすことにおいて、ストレスも溜め込んでいたんじゃないかなとも思わされた。もっともヒトラーも、本篇の性格描写を信じるならば、エヴァがスウィングを好むことに対してはとやかく言わなかったのかもしれませんねえ。
 いやー面白かったです(^^)

 

「月に囚われた男」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月15日(土)03時03分57秒
返信・引用
   映画「月に囚われた男」(10)を観ました。
 めちゃくちゃ面白かった。ヒューゴー賞映像部門を受賞したのは伊達ではありませんね(^^)。
 決してハードSFではありませんが(※)、いわゆるSF味は超濃厚。ちょうどアシモフ作品が、決してハードSFではないけれども、どの作品も「アシモフはやっぱりわかってるな」と思わせますが、そんな感じです。コアなSF映画だと思います。
 しかしこれ、ストーリーを紹介しにくいですねえ。ネタバレしてしまいそう。私は前知識ゼロで観たので(ヒューゴー賞受賞作であることも、本篇観了後に検索してはじめて知ったくらい)、このアイデアが劇中で明かされたとき、わっと思っちゃいました(^^;。まだご覧になってない方は、ぜひとも白紙の状態で視聴されることをおすすめします。
(※)基地内をすたすた歩いたり、地球からのほぼライブの電波が届かない月の裏側という設定なのに(詰めとしてL2ポイントの通信衛星が壊れている)、ラストで地球が仰角30度くらいの位置に満月もとい満地球で掛かっている。


 

「いつかギラギラする日」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月14日(金)23時14分23秒
返信・引用 編集済
   映画「いつかギラギラする日」(92)を観ました。
 注意。河野典生原作ではありません。河野作品は「いつか、ギラギラする日々」。ウィキペディアを見れば、なぜそんな紛らわしいタイトルになったのかわかります(^^;

 さて本篇は、萩原健一VS木村一八という二大反社会派俳優の一騎打ち。堪能しました!
 観る前は、ショーケンに対して木村一八ではずいぶん格落ちだなと思いましたが、いやどうして全然そんなことはなかった。演技というよりほとんど地で演っていたのかも(>おい)というのは冗談ですが、深作欣二作品であること、昨日観た「探偵はBARにいる」の数倍は金をかけていることなどで、「ギラギラ」した映画になり得たのでしょう。
 両人とも映画界から抹殺状態ですが、惜しいですね。

 

「探偵はBARにいる2」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月14日(金)01時13分48秒
返信・引用
   映画「探偵はBARにいる2 ススキノ交差点」(13)を観ました。
 最近の映画俳優は、男優も女優も殆ど興味がなく、名前も覚えられませんが、大泉洋は例外。昔の石立鉄男みたいな雰囲気があっていいですねえ。
 本篇は、半分がた漫画の実写版みたいな感じのハードボイルドで、こんなんを活字で読まされたくないですけど、映画だったら充分許容範囲です。面白かった。

 ところで話はとびますが、映画と小説の棲み分けはもうできているんでしょうね。従来小説が描いていたものは、大抵、映画が引き受けてしまっていて、小説に残されているのは、映画では表現できないもの(読者が能動的に読んではじめて楽しめるもの)だけだと思います。
 その意味で、映画で表現できるものを、今更小説で表現しても仕方がない。受動性でまさる映画にかないっこないのです。ところがエンタメ小説の多くは、まだそんなのが幅を利かせている(量的に、という意味ですよ)ように思います。
 などと書いていたら、だんだん恐ろしいことを言い始めたので、読み返して削除しました(>おい)(^^; まだ死にたくありません(^^ゞ

 

ブルーノ・シュルツ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月13日(木)21時28分57秒
返信・引用 編集済
  いま、ブルーノ・シュルツを少しずつ読み返しています。これまで90年に恒文社抄録版、05年に平凡社ライブラリー版と、それぞれ35歳と50歳で読んでいて、今回が三読目になるわけです(今度も平凡社ライブラリー版)。
 何度読んでも幻想のイマジネーションが凄すぎて、眩しすぎて圧倒される許りなんですが、今回は少しなかに入り込むことができ構造が見えてきた気がします。
 それは端的に、これまでは嫌で目を背けていた(無意識に潜り込みを避けていた)主人公の老父が、少し立ち入って見えるようになってきたからなんですが、これはやはり私が今や老人で、作中の老父を共感的に(とまではいきませんが少なくともソラリスとは思わなくなった)捉えることができてきたからだと思われます。歳取って見えてくるものがたしかにありますねえ。いやそれは、自分がどっちにいるのか、こっちなのかあっちなのかが、見えてくるということでもあるんですねえ(^^;

追記。いまハッと気がついたのですが、シュルツとケリー・リンクは似ていると思った。幻想の暴走性が似ているような(類似しているというのではなく、その飛び去り具合が)。

 

「レッド・ドーン」を観た

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月12日(水)21時35分33秒
返信・引用 編集済
   映画「レッド・ドーン」(13)を観ました。
 アメリカの田舎町にパラシュート部隊が襲来し、瞬く間に町を制圧。主人公たち少年少女は山に逃げる。制圧者は北朝鮮軍だった。アメリカはほぼ全土を占領される。山に逃げた主人公の兄はイラク帰りの海兵隊員で、たまたま休暇で里帰りしていた。彼は少年少女たちを急造で鍛え、ウルヴァリンズ(クズリ)と名乗って、北朝鮮占領軍にゲリラ戦で挑んでいきます……

 もともとは1984年製作『若き勇者たち』のリメイク。最初のシナリオでは中国軍だったらしいのですが、それが北朝鮮軍に変更されたのは、いまやアメリカ映画の大消費国である中国に忖度した結果らしい(^^;
 なにはともあれ、最近の米朝情勢に鑑みれば、なかなかタイムリーな映画だったかもしれませんねえ(^^;。

 

EWI日記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月11日(火)22時10分48秒
返信・引用 編集済
   最近(ここ1週間ほど?)、EWIの練習を復活させています。
 最初の日、なんとなくEWIに電源を繋いだところ、通電せず、わ、壊れたかとアセったのでした。コネクタをグリグリ回したらつながって、ホッとしたのですが、これは、私が思うに、営業をつづけている鉄道のレールはピカピカしているのに、廃線となったレールはすぐに曇り、やがて錆びてきますよね、アレだったんだと思います。
 やはり継続的に使わなければイタミも早くなるんでしょうね。
 ということで、毎日は無理にしても、できるだけ(10分でも20分でも)練習しているのです。
 最初はガタガタでしたが、ちょっとはましになってきました。下は本日の練習の成果。というか一番マシなの(^^;

 

 

Re: 「鉄の王」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月11日(火)05時23分43秒
返信・引用
  > No.7672[元記事へ]

 平谷さん

>続編アリの予定です。波瀾万丈の展開を考えています(笑)
 可及的速やかにお願いします(^^)
 あの『妖星伝』が、たしか年一回の刊行だったんですけど、それくらい間隔があくとストーリーを忘れてちゃうんですよねえ(^^;

 

Re: 「鉄の王」読了

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2017年 4月 9日(日)23時50分48秒
返信・引用
  > No.7671[元記事へ]

管理人さま
またまた感想、ありがとうございます!
続編アリの予定です。波瀾万丈の展開を考えています(笑)
 

「鉄の王」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 9日(日)23時03分18秒
返信・引用 編集済
  > No.7669[元記事へ]

 平谷美樹『鉄の王 流星の小柄』(徳間文庫、17)読了。

 殺害された子供は、小柄を拾ったのではなかった。ことの成り行きに不審を抱き、いろいろ探っていた重兵衛は、行きずりの雲水が、子供に、これを重兵衛に売って小遣いにしろと与えたものであることを突き止める。
 その雲水は何者なのか。重兵衛に何かを伝えたかったのか。いずれにしろ自分が、子供の死に深く関わっていたことを知り、子供の仇討ちを誓って謎の雲水の行方を探し始めた重兵衛は、上総の小藩・兼地(かぬち)領の鉄山開発を巡るいざこざにたどり着く。
 兼地家が自領に豊富にある鉄山の開発権を廻船問屋宝屋に任せようとしたところへ、どうも幕府の意を汲んでらしい白田屋が、横槍を入れてきた。で、入札となるも、結局宝屋が落札したというのです。
 なぜ幕府が介入しようとしたのか。
 その前に、兼地家の兼地は鍛人(かぬち)で天津麻羅の後裔、即ち天孫に繋がる蹈鞴衆の末裔だったのです。その関係で、兼地の後ろには鎌倉以来の武家政治に不満を持つ京都の或る勢力が付いているようなのです。その勢力に使嗾されて兼地家は大規模な鉄山開発を開始する。そのため在地の蹈鞴衆や歩き筋蹈鞴衆が集められています。
 ではその目的は何か。幕府が介入しようとするわけですから、ある程度察しが付きます。
 ところが、そんな兼地の動きは、二大産鉄民である奥州の蹈鞴衆や出雲の蹈鞴衆の知るところとなる。彼らも兼地領に集まってきます。
 重兵衛をこの暗闘の中に引き込もうとした雲水は、出雲の蹈鞴衆だった。彼は何故重兵衛を引き込もうとしたのでしょうか?
 そんなことは知らない重兵衛は、ただ子供の敵討ちに、やはり兼地領へとやってきています。彼は、奥州の蹈鞴衆を頼っている。
 いよいよ兼地の陰謀が本格化し、遂に幕府も御庭番の一隊を向かわせる。
 誰が誰と戦っているのかわからない混乱した戦闘が始まり、負傷した重兵衛の体に、不思議な現象が発現して……

 いやー面白かった!!
 なお本篇は序章に過ぎません。今後、半村良ばりの伝奇SFになるのか。それもまだ判然としません。
 とりあえず現状では、ノンストップ・エンターテインメント歴史時代小説であるとだけ言っておきましょう(^^;
 続篇の可及的速やかなる刊行を、強く望みます!!

 

パソコンの掃除

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 9日(日)15時14分7秒
返信・引用
   最近、パソコンのファンの音がウィンウィンと半端なくうるさいので、思い立ってカバーを開けてみました。
 うわ!?
  ↓
 
 

 びっしりとワタボコリが!!
 あわてて掃除しました。ホコリの上にホコリが層状に重なっていたのでしょうね、爪楊枝で突っつくと、ポロリと固まりになって剥がれ落ちてきました(汗)
 定期的に(1年に1回くらいは)掃除しなければいけませんね。といいながら、きっと来年の春には、そんなこと綺麗サッパリ忘れているのですけど(^^;

 

「鉄の王」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 8日(土)22時46分56秒
返信・引用
   平谷美樹『鉄の王 流星の小柄』に着手。120頁まで読みました。
 時は宝暦4年。主人公重兵衛は、今でこそ屑鉄買いで生計を立てている町人だが、元は武士。鉄鐸(さなき)重兵衛といって下野金谷藩の鉄山奉行だった。金谷藩が改易となり失業したので、仲間とともに江戸に出てきたのでした。
 ところで鉄鐸一族、もともとは奥州の歩き筋蹈鞴衆で、後に金谷藩お抱えの蹈鞴衆となったのだが、その始祖伝承によれば、一族の始祖が空から星が落ちるのを目撃し、駆けつけてみると地面に大穴があき、大きな鉄の塊が転がっていた。それに触れた始祖は不老不死になった。千年生きたある日、体が溶け大地に吸い込まれてしまったと伝えられている。子孫たちも長寿を誇ったが、代を重ねて次第に短命になっていった。それでも九十、百まで生きるのも珍しくないという一族なのです。重兵衛自身も大怪我をしてもすぐ治ってしまう。
 そんな重兵衛に、時々古釘を売りに来る子供が一振りの小柄を持ってきた。見ればそれは流星鉄(隕鉄)を鍛えたものであることは一目瞭然だった。なぜそんなものを子供が持っているのか不審だったが、とにかく買い上げてやりました。
 翌朝、その子供の一家三人が惨殺され、重兵衛は否応なく流星の小柄めぐる錯綜した陰謀の渦中へと巻き込まれていくのでした……

 いや面白い! まだ120頁ですが、すでに大興奮状態(^^; こういうのを書かせたら天下一品の著者の筆は、冴えまくっています。半村良ばりの伝奇SFになるのかどうか、それはまだ分かりませんが、波乱万丈のエンターテインメント作品となるのは間違いありませんね。続きが楽しみ!!

 
 

Re: 眉村先生インタビュー

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 8日(土)20時52分23秒
返信・引用 編集済
  > No.7667[元記事へ]

 柚さん、こんにちは。
 眉村さんのインタビューSF界の大御所眉村卓氏が『マゲとリボルバーにモノ申す!?僕ならこう創る!!』をお教え下さりありがとうございました。
 早速読ませていただきました。
 おお、これはすばらしいです。先生とても楽しそうに、ノリノリでお話されていますよね。しかも、なんとラノベのアイデアまで(^^;
 このインタビュアーさん、只者ではありませんね。先生が喋りたいことや読者が聞きたいことを実に上手に引き出されているなあと感心しました。
 おそらく先生の作品をよく読んでおられ、しっかりと咀嚼しておられる方ですね。ですから先生の発言に適確に即応して応答されています。それだからこそ先生も気分よくお話されていますし、多種多様な内容を引き出すことができたのだと私は思います。
(たまに、何でそこもっと突っ込まへんのん? というインタビュー記事も見かけるのですよね。読者も思うしインタビューされる作家さん自身もそう思うような)(汗)
 いや、とてもよいものを読ませていただきました、感謝感謝です。ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

 

眉村先生インタビュー

 投稿者:  投稿日:2017年 4月 8日(土)19時02分31秒
返信・引用
  こんにちは。
イービッグコミック4という電子コミックサイトに、眉村先生のインタビューが掲載されています。
「マゲとリボルバー」という漫画の感想を眉村先生に伺っているのですが、後半は眉村先生の近況や、近作の制作意図、さらに今後書きたい作品のことなどにはなしが及んでいます。
面白いインタビューではないかと思います。

http://www.ebigcomic4.jp/column/detail/20170407_interview.html

 

夕焼けエッセー公開選考会

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 8日(土)17時01分1秒
返信・引用 編集済
   産経新聞のエッセイ投稿コーナー《夕焼けエッセー》ですが、今年は年間賞の選考が公開形式で行われるそうです。
 従来、年間賞選考会は非公開だったので、初めての試みです。
 眉村卓さん、玉岡かおるさん、産経文化部長の3人が選考し、月間賞作品12本の中から年間賞が決定されます。
 どんな賞も最終選考は非公開であるのが普通ですので、どんなふうに決まっていくのか、その様子を目のあたりにできるのは稀有な体験ではないでしょうか。
 参加応募は往復ハガキで。但しもう来週の話で、既に定員に達している可能性もあります。興味のある方は問い合わせて下さい→06-6633-9760産経新聞社文化部

 元記事
 

Re: 「江戸城御掃除之者!」読了

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2017年 4月 8日(土)12時53分47秒
返信・引用
  > No.7664[元記事へ]

管理人さま
ありがとうございます♪
 

Re: 「江戸城御掃除之者!」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 8日(土)10時28分47秒
返信・引用
  > No.7663[元記事へ]

 平谷さん
>ネタはあるので、続編は書きたいなぁと
 期待しております!

 ということで、今日から『鉄の王 流星の小柄』に着手の予定(^^)

 

Re: 「江戸城御掃除之者!」読了

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2017年 4月 8日(土)00時21分54秒
返信・引用
  > No.7662[元記事へ]

管理人さま
拙著の感想、ありがとうございます!
ネタはあるので、続編は書きたいなぁと思っています。
 

「江戸城御掃除之者!」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 7日(金)22時06分4秒
返信・引用
  > No.7661[元記事へ]

 平谷美樹『江戸城御掃除之者!』(角川文庫、17)読了。

 第二話「象道中御掃除の事」は、採薬師佐平次シリーズに繋がる、本シリーズ的には番外編です。
 第三話「御殿向 開かずの間御掃除の事『亡魂あり』」が、第一話から直接つながっていく話で、これは傑作でした(^^)
 尺は120頁で、第一話より2割ほど長いだけですが、ぐんと奥行きが出、物語に厚みができたように感じました。
 僅か2割の増減がこんなふうに感じさせるのか。しばし熟考。
 いやいやそうではない。第一話を既に読んでいることによって、その100頁の物語が本篇の前提となり、結局のところ220頁の、ほぼ短い長篇と言ってよい物語を読んだと認識され、そのように感じさせたのですね。
 それと、本篇は著者大得意の亡魂もの(?)であり、そのことも印象の形成に与っているのは間違いありません。

 ストーリーは第一話より一年後。再び大奥。大奥に開かずの間がある。かたく秘密にされ口外されることはありませんが(ということになっていますが、江戸中でも知らないものはないようです)、怨霊が出るのです。
 実は20年前、宇治之間というその部屋で5代将軍綱吉が、ある理由で御台所信子によって殺害されたのでした。ですから、その怨霊は綱吉であろうというもっぱらの噂。
 1年前の手柄を認められてか、その怨霊が出る部屋の掃除を、山野小左衛門率いる山野組が任せられる。そんなところで認められたくなかったのにと、半ば嘆きながらおっかなびっくりその部屋に入った彼らの前に、なにやらうすぼんやりと白いものが……

 あと、山野小左衛門にはどうやら中村主水が重ねられているようで(但し姑はいない。代りに息子兄弟がいる)、第一話ではその設定が少しうざかったのですが、本篇ではちゃんと物語に溶け込んで機能していました。当然それも前篇があったからこそで、そういうところやはり著者は長篇型なんでしょうね。なにはともあれ面白かったです(^^;
 続篇があるのか、分かりませんが、この設定、城内での掃除が基本ですから、ヴァリエーションが似てきそう。シリーズ化はなかなか難しそうな気がするのですが、それだからより著者的にはチャレンジ心を鼓舞されているかもね(^^ゞ。

 

「江戸城御掃除之者!」に着手。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 6日(木)22時21分40秒
返信・引用 編集済
   平谷美樹『江戸城御掃除之者!』に着手。第一話「音羽殿の局御掃除の事」を読みました。
 御掃除之者とは、読んで字の如く江戸城の掃除を担当する者で、当時はそんな役職があったのですねえ。はじめて知りました。担当者はれっきとした譜代の者たち。といっても身分はかなり低かったようです。
 今で言えば、市役所の環境衛生課みたいな部署でしょう。今は外部委託も多くなっていると思いますが、昔は市が直接屎尿の汲み取りをやっていましたよね。その実際の担当者も市役所職員だったわけですから、それを重ねると分かりやすいかも。
 ただ昔はそういう部署は役所の中でも特殊で、ある意味放任されていて、そういえば京都市環境局事件というのがありました。
 本書の御掃除之者たちは、そんな無頼漢ではなく、職務に忠実で常にどうすればもっときれいになるか、日夜研鑽を重ねているような真面目な者たちです(ただし見習いの若い弟子たちはまだその域に達していません)(^^;
 さて第一話ですが、三組ある御掃除之者のうちのひとつ、組頭・山野小左衛門率いる山野組に極秘命令が。なんと男子禁制である大奥の掃除を命じられたのです。
 七代将軍家継の生母月光院付きのお年寄り音羽の局の部屋が、今でいうところの「ゴミ屋敷化」しているので、それを綺麗に掃除してくるように、と……
 大奥にゴミ屋敷? 面白い!! いかにも著者らしい発想ですね。
 山野は、ゴミ屋敷化させる者のなかには、単に掃除嫌いというより心の病、何かを抑圧した結果、その代償行為としてそうなる場合があるのではないかと考えます。今でいう精神分析ですね。
 実際そういうことで、代償物を別の何かに転移させることで解決する。その解決策はなかなか面白かったです。
 ただ本篇は100頁なんですが、殆どストレートに話が進んでいきます。渋滞も後退もないのは、ちょっとあっさりし過ぎかな、と思いました。この話、できれば150ページ位使って書いてほしかったかな(^^;

 

「機械か人か」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 6日(木)19時34分56秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥さんの25枚「機械か人か」を読みました。《機械の精神分析医》シリーズ第2弾です(>ホンマか)。
 ほんの少し未来(現未来)、日本の最新鋭のスーパーコンピュータ垓(GAI)が中国のShenWei XIVを抜いて、TOP500の1位となった。そんなコンピュータですから莫大な維持費がかかる。普通の民間企業ではコストが合いません。で、結局、防衛予算がつぎ込まれて半分以上の時間が軍事研究に利用されている。その中には、アメリカの機関と共同で「超高速で動くスーパー脳」の開発というプロジェクトもあった。
 ところがその仮想脳が、担当者に宛てて担当者本人しか知らない個人情報を送ってきた。そこで機械の精神分析医である主人公に調査の依頼があったのだが……
 というゆくたては、正直に言って私には難しすぎてよく分かりませんでした(汗)
 ただ、これはこれで怪談のかたちになっているのではないでしょうか。スーパーコンピュータの中で一体何が起こっているのか、とか、ある意味ブラックボックスですよね。名付けて電脳怪談※。ちょっと気味悪いです。
※異形コレクションにそんなタイトルありましたっけ。なかったですよね(^^;

 

「かわうそ堀怪談見習い」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 5日(水)21時38分56秒
返信・引用 編集済
  > No.7658[元記事へ]

「変わった言うて、変わってへんとこなんぞないけどな。わしが最初にここらに来たときに見た、漆喰に黒瓦の店が並んでいる街なんか、幻やったんかと思うわ」「なんもかも焼けてしもて。このへんからでも上町の坂がよう見えてたわ」

柴崎友香『かわうそ堀怪談見習い』(カドカワ、17) 読了。

 めっちゃ面白かった。先に短話集と書きましたが、なんと長篇だった(汗)。
 いや各章は短話として完結しているのです。が、それがすべて、話者である「わたし」――「怪談見習い」の女性作家(谷崎友希という名前)――の中学時代の体験につながって、実はその体験を「わたし」は忘却(抑圧?)していたのだが、一冊かかって最後にそれを思い出す、というゆくたてなんですね(作中何度か「まだ思い出されへんの?」とそれを知るたまみに問われる)。
 まず個々の怪談のテクニックがすばらしい。というかかなり剛腕で、しかもぽいとそのまま放り出してしまう、その「間」の取り方に感服しました。最早ベテランの域かも(^^;。こんなふうに書いてみたい(>おい)。というか、怪談系でもあるUさんやFさんも読んだらいいと思います。参考になるかも。ハードボイルド系のSさんは畑違いかもしれませんが、読んで決して損はしませんよ!
 本書は著者にとって怪談という新機軸であるわけですが、で、たしかにそれはそうなんですが、でもカメラマンの青年は毎度登場するキャラクターだし、結局のところいつもの柴崎ワールドなんですね。善哉。楽しませていただきました。

 

「かわうそ堀怪談見習い」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 4日(火)21時55分7秒
返信・引用 編集済
   柴崎友香『かわうそ堀怪談見習い』に着手。60頁まで。
 いつのまにか恋愛小説家と認識されていることに気づいた「わたし」は、3年ぶりに大阪へ戻ってきたのを機に、そういうのはもうやめ、怪談を書こうと一念発起する。
 現在の住居は、以前住んでいた区の、隣の区で、近くに大きな図書館がある。かわうそ堀という地名。その2丁目のマンション。1丁目には公園がある。うなぎ公園。
 さて怪談を書こうとして、自分には全く怪奇体験がないのに気づいた「わたし」は、友人で、そんな話に強そうなたまみを呼び出すのだったが……
 全部で28話。殆どが数頁で長くても10頁くらいまで。短話集です。オチなどはなく怪異めいたものがあってもそのまま投げ出されているだけ。掌篇集じゃなく短話集といったのはそれが理由です。ですから「わたし」が「怪談」と言っているのはまさにそのとおりで、文体こそ著者らしくやわらかいですが、中身は中国の怪談に近い感じがします。ちょっと北野勇作テイストのもあれば、眉村さんぽいのもあって(「まるい生物」とか)、なかなかいい感じ(^^)

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 4日(火)20時21分15秒
返信・引用
   引用元

 

「スウィングしなけりゃ意味がない」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 3日(月)22時14分57秒
返信・引用 編集済
  > No.7655[元記事へ]

 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』(KADOKAWA、17)読了。ラスト100頁は一気読み(^^)

 主人公たちは8月1日をもって、Uボート(つまり潜降)することで衆議一決します。ところが――
 7月24日午前0時57分頃、ハンブルクはこれまでとは桁違いの空襲に見舞われる。世に言うハンブルク大空襲です。

《コードネームゴモラ作戦は、イギリス空軍の指揮の下に行なわれた1943年7月末に始まる一連のハンブルク空爆作戦である。当時の航空戦史上もっとも甚大な被害を出した空襲であり、イギリス政府は後にこれを「ドイツのヒロシマ」と呼んだ》(ウィキペディア)

 7月27日の空襲では、市の中央部に湖があるという地形的特殊性も与って強烈な「火災旋風」が発生しました。このとき主人公たちはヨットで湖の真ん中にいたのですが、マックスの機転で火災旋風が強烈化する前に帆を降ろしていたので事なきを得ました。

《この現象(註:火災旋風)により屋外は溶鉱炉さながらとなった。最大風速は240km/h、気温は800℃に達した。市街は21km?に渡って焼け落ち、街路のアスファルトが突然発火して防空壕へ避難した者もしない者も大勢死亡した。ゴモラ作戦の犠牲者40,000人のほとんどがこの夜の空爆が原因で死亡している》(同上)

 本篇でも、カリカリに焼けてしまった死体等その地獄図会が描写されています。この日の空襲で主人公は両親をなくし、クーも母親を失う。直接の犠牲者は上記4万人ですが、市外への退去が奨励され、ハンブルク市は往時の170万の人口が3分の1の50万人にまで減ってしまう。
 当然、「Uボート」は中止。エディは父親の跡をついで叔父とともに工場の復興に忙殺される。
「Uボート」に成功していれば、新しい「ユートピア」が待っていた筈です。ところが工場の復興はその対極にある、リアルな現実世界だった。市当局や親衛隊相手の面従腹背の日々が続き、エディは内面からポロポロ剥がれ落ちていく。
 そして、もはや限界というそのとき、遂に、待っていた日の出が……

「ぼくは電話を切って、終わったぞ、と言う。クーはカウボーイみたいに叫ぶ。マックスの顔にはゆっくりと笑みが浮かんで来る」

 この一文を目にして、私が即座に想起したのは、眉村さんの『夕焼けの回転木馬』で、主人公が、彼を追い抜いていった進駐軍兵士の鈴なりに乗ったトラックに向かって、あたりはばからず大声で万歳、万歳と叫びながら後を追いかけていった、あのシーンでした。

 いやー面白かった。本書はスウィングを介して仲間になった富裕階級の子弟たちの、その出自に由来する特権的な自由を存分に行使してツッパリ切った、反骨精神にとんだ青春小説であり(実際彼らは降伏時点でまだ二十歳そこそこなんです)、青春の終わり小説であり(おそらく彼らの顔には深いしわが刻まれているはず。そんな描写はないですが)、そういう彼らを活写することでドイツの或る時代相を描ききった現代史小説(というのは歴史小説とはまだ言い難いので)といってよいでしょう。傑作。堪能しました!


 

「スウィングしなけりゃ意味がない」(7)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 3日(月)01時40分44秒
返信・引用 編集済
  > No.7654[元記事へ]

『スウィングしなけりゃ意味がない』230頁弱まで。
 少年鑑別所で9か月、「つけ」を支払って出てきたエディはげっそりとやつれている。ばかりか足の爪は無残に変形し、出所後手術しなければならないほどでした。
 鑑別所体験の前と後では、エディ自身も周囲も、劃然と変わってしまう。前章まではある意味金持ちボンボンの道楽であり甘えの面もないとはいえなかった。第三帝国内にポッカリと別次元の、多少のことは許される、一種のユートピアだった。その意味で本章は、起承転結で言えば転なのかもしれません。いやむしろ、序破急の破のほうが適当かも。ユートピアが壊れて、次はどうなるかだから。
 ドイツの情勢はその金持ちの特権がすでに無効化するところまで悪化していたのです。たとえば帰宅してまず気づいたのは、工場内にSSが我が物顔に常駐していること。じつは工員が出征し人手が足りなくなったのを、収容所に収容されている捕虜で埋めていたのです※。
 仲間の非合法商売のアジトで、エディはあるレコードを聴かされる。それはオペラ「さまよえるユダヤ人」の一部だった。言うまでもなく永遠に船で海をさまよわなければならないオランダ人船長の物語。
 仲間たちがそれによって言わんとしているのは、非合法商売が当たるに当って売れに売れており(彼らがやっているのは禁止されたジャズをBBCから録音しそれをレコード化して流通させる商売)、事業を拡大しても確実に成功する。一方やばくもなってきている。やめるか、それとも本格的に地下に潜ってビジネスを拡大継続するか。あるいは国外に脱出してそれをやるか……。マックスたちは既に決心していて、エディにも決断を促しているわけです。
「永遠に海をさまよわなきゃできない訳じゃあるまい」「この国じゃ無理だよ」

 前項で、「《秋》を予感させる章でした」と書きましたが、とんでもない。物語は前章をバネに第2段階へと、新たなステージへと進んでいこうとしているようです。

※ 当時日本でも、例えば麻生炭鉱では朝鮮人は当然のこと、戦争捕虜を強制労働させ、死亡させている。同じことをやっていたのですね。本書を読むことでブーメラン式に立ち返ってくる。これは小説の豊かさであり重層性であり、且つ本書が「開かれた」小説であることの証左でもあります。

追記。オペラのレコード(勿論BBCから録音したもの)を聴いたあとでエディが歌手はだれと聞きます。わからないけど黒人だろうとマックスが答える。「二度と名前を聞くことはない。舞台に立てないから」そして「何でこんな方向に行ったのかな」と。
 これ、最初意味がわからなかったのですが、思うにオペラ界には黒人差別があったのかも。この辺の細部のしっかりしているのも小説世界に奥行きと重層性を与えているように思います。


 

「スウィングしなけりゃ意味がない」(6)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 2日(日)20時34分36秒
返信・引用 編集済
  > No.7653[元記事へ]

『スウィングしなけりゃ意味がない』は190頁まで。
 本章の章題は「残念なのは誰?」。Who’s Sorry Now?は60年代ポップス歌手コニー・フランシスのヒット曲ですが、本章に訳出されている詞はちょっと違います。調べたら戦前にオリジナル曲があって(マックスが演奏しているんだから当然ですね)、コニーのはカバー曲なんですね。しかもコニー盤は冒頭部分がカットされている。ユーチューブで見つけたオリジナル盤を、最初ちょっと聴いた限りの判断で、同名異曲なのかとうっかり思い込んでしまったのですが、ずっと聴いているとお馴染みのメロディが流れてきた。本書の訳詞で見ると、コニー盤は、オリジナルから第一連と第四連がカットされたもののようです。

 枕が長くなりました。
 本章の内容は、文字どおり訳詞の一節「やりたいようにやったんだから つけは払うしかない」という話なのでした。
 1942年も4月半ばを過ぎますと、イギリス軍の空爆が激しくなってきます。しかしまだ身の危険を感じる段階にはなっていなかった。夜間空襲の翌日は午後からでしたが、学校も毎日授業が行われた。ただ1学年上の連中が(卒業して?)召集されました。しかし主人公エディの仲間の先輩連中は(親のコネで)軍需や港湾の仕事に潜り込んでおり、召集を免れた。来年は自分たちの番だが、これなら楽観してもよさそうとエディは胸をなでおろしていたのですが……

 マックスのバンドでクラリネットを吹いているアディ(一応エディの婚約者)がアカの大学生に感化されビラまきを始める。そんなことをしていたら簡単に捕まる、とエディは翻意を促すのだが聞く耳持たない。エディが(闇商売をしている組織とつながっている)叔母の息子兄弟に頼み込んで、彼女を地下に潜らせる手配をしているうちに大学生ともども捕まってしまう。
 デュークは昨日書いたように健全な市民を装っていたのですが、そんな健全極まる生活はデュークのような人間には段々と何かが溜まっていくのですね。やがて昼の生活に釣り合いを取ろうとするかのように夜は巡回のゲシュタポ狩りに精出するようになる。(「非合法活動の快感は」「ヘロインより強烈だ」(168p)
 結句は大立まわりとなり何人ものゲシュタポに組み付かれて御用。有罪判決を受けたデュークは前線送りとなるも、なぜかそれを甘んじて受け入れる。その代わり、この際(同棲していたエヴァと)結婚するので数日の猶予を願い出、許される。親が親だけに盛大な結婚式。二人は新婚旅行で、デンマークの国境に近いデュークの祖母の家へと出発するのでしたが……

 このようなことがあって、エディの心は鬱屈していきます。ニッキーも「どうでもよくなったから兵隊にいこうかな」などと言い出す。タバコ工場の御曹司カキもそんな顔をしている(カキは、最初に少し出てから全く登場しなかったので、性格もよくわからないのですが、著者は彼の本書では描写されないあれこれを知悉しているようです)。
 皆が皆「宴のあと」というかエントロピー平衡状態みたいになってしまっているのに気づいたカキは、「それじゃ一世一代の大パーティを開こうじゃないか」と提案する。この時世、そんなことをすれば確実にゲシュタポに襲いかかられること必定なんです。
 おそらくカキは「アディもデュークもつけを支払った。じゃあ俺達も」という考えなのです。エディも賛同する。こうして真っ昼間から(叔母兄弟から入手した闇物資を蕩尽するかの如き)大パーティが始まったのでしたが……

 この物語の《秋》を予感させる章でした(いやわかりませんけどね)(^^;

追記。最後のパーティで、マックスがゲシュタポ何するものぞと「A列車で行こう」を披露するのですが、この曲は「ドイツでは対米開戦までの僅か十ヶ月間しか聞くことのできなかった曲」。調べたらエリントン楽団によるレコード発売が41年2月15日。ドイツの対米宣戦布告が同年12月11日。まさにその間10ヶ月なのでした。


 

「スウィングしなけりゃ意味がない」(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 4月 1日(土)22時48分39秒
返信・引用 編集済
  > No.7652[元記事へ]

 『スウィングしなけりゃ意味がない』は160頁まで。1941年秋、不良仲間だった上級生たちはアビトゥーアもちゃっかり取って、仲間からも「卒業」していきました。あのデュークでさえ、少なくとも見た目はしっかりした社会人です。「やんちゃな季節」が「永遠」に続くなんて彼らは思っていなかったのですね。髪を切ってきた言い訳程度の感傷も、本書には記録されていません(汗)
 残されたのは、エディとマックス、そしてクーとカヌー。
 ユーゲントでクーの上級生(上司?)だった僚友長は親衛隊入隊に失敗する。体格が貧弱だったからですが、それは僚友長に大きなダメージを与えます。下層階級が成り上がっていくには親衛隊入隊しか手がないのです。それができなかったからには普通に軍隊に招集されるしかない。そしてその軍隊には、彼が僚友長の権威をかさにきて顎で使っていた連中がうようよいる。その連中と彼は軍隊で同じ階級になってしまうのです。一体どんな恐ろしいことが待っているか……。震え上がった僚友長は精神に異常をきたし――

 この章は内容で2つに分かれます。前半は、かの僚友長が半ば気が狂って行った行為に対して、不良たちが天に替わって厳しいお仕置きを施す必殺仕置人アンファンテリブル編(^^;。子供のやることは、ときに本当に恐ろしい(>おい)。
 後半は少年起業家編。同年12月、ドイツはアメリカに宣戦布告する。それは彼らにとってどういうことを意味したのか。まずレコードが手に入らなくなった。ジャズは遂に敵性音楽として禁止される。いやレコード屋自体が、日本におけるパン屋さんじゃないですけど、ゲシュタポに目をつけられて店主は逮捕され、店に陳列されていたレコードは粉々に破壊されてしまったのです。
 やんぬるかなエディたちのフンガイはいかばかりであったか。しかし彼らはめげません。一計を案じる。金持ち子息の経済的利点を活かし(ゲットー行きを逃れた叔母の息子兄弟も新たに加わって)彼らが非合法に始めたのは……
 いやー日本では闇市の時代にこういう話はありそうですが(たとえば半村良『晴れた空』)、これは戦前、規制がしだいに強くなり人々を雁字搦めにしていくそんな時期の話です。この「蛮行」には本当にわくわくさせられました。

 ところでふと思ったのですが、著者はクールとホットを厳密に区別しているようです。ごきげんなスウィングを形容するときは「ホット」になっています。一方「クール」は、ここまで多分2回だけしか出ていませんが、その二回とも、即興演奏がとんでもない効果を発揮したときです。一度も明示されませんが、その使用状況からして「クール」はジャズに対してのみ著者は使っているのかもしれません。いや単なるカンですが、後半で確認できるかな。


 



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