ヘリコニア過去ログ1707


    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月31日(月)23時31分45秒
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Re: 軍艦アパート

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月31日(月)17時59分27秒
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  > No.7947[元記事へ]

 段野さん
>時化の時に上陸(そう呼んでいる)したのですが、よく沈まないなと感心しました
 おお、それいいですね! 本土から4.5キロメートル離れた海上に、現生人類が発生する前から座礁している長さ480メートル、幅160メートルの超巨大軍艦――かつて大いに繁栄し、6千万年前に滅びた伝説の超古代文明の遺物(なので実際それが軍艦なのかも本当はわからない)。それを駆動させていた技術は遙か過去に失われ、ただ海上に傾いた巨体を晒し続けているばかりだったのですが、いつの頃からか本土でんでん党の圧政に耐えかねた人々が移り住み、その海底に豊富な炭鉱が発見されたことからにわかに鉱山島として活況を呈し、その(超巨大とは言い条)狭い島に、一攫千金を夢見て人々が大挙押し寄せ、一時は東京都以上の人口密度が集まり、島の権力を掌握したスミヤキ党の指導の元、軍艦島と言えば誰もが思い浮かべる、あの前後左右上下縱に歪み伸び拡がる超高層アパート群が建設されたのでした。
 この世の春を謳歌した軍艦島の住人ですが、しかしただひとつ悩みがあった。それは海上が時化ると船の揺れが激しく、しかも巨大ですから振幅が超長い! 遊園地のバイキングなんかそれに比べたら屁みたいなもんです。皆気持ち悪くなって吐瀉するので住民は吐瀉用のバケツを常に携行していたそうです。それゆえ吐島(はきしま)とも称された。現在の正式名称である端島(はしま)はこれが転訛したものとも言われていますね。

>件のアパートも、雨の時には時化状態になるんでしょうか
 これは調べてみました。下寺アパートと言うくらいですから日本橋よりもだいぶ東ではないかと思っていたのですが、ウィキペディアがありました。2006年に解体されたのですが、21世紀のその時点でも家賃は200〜300円だったんですって。いやー知っていたら住みたかったです(^^;
 現在はライフ下寺店になっているとのことでGoogleMapを見たら松屋町筋の西側です。東側は下寺町や夕陽丘の寺院が並んでいて、つまり口縄坂や愛染坂、いわゆる「天王寺七坂」の登り口に当たるあたりです。
 この辺は土地勘がないのですが、結局上町台地の縁で、かつては海もしくは海岸だったのかもしれませんね。となると、台地よりも地盤が弱いですから、台風のときは時化のようにグラグラ揺れたかもしれません。家賃200〜300円というのも納得ですね(>おい)(^^;

 

Re:軍艦アパート

 投稿者:段野のり子  投稿日:2017年 7月31日(月)09時38分44秒
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  管理人様
>軍艦島
時化の時に上陸(そう呼んでいる)したのですが、よく沈まないなと感心しました。件のアパートも、雨の時には時化状態になるんでしょうか。
 

Re: 軍艦アパート

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月30日(日)17時06分32秒
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  > No.7945[元記事へ]

 トマトさん
>軍艦アパート
 これは軍艦島を彷彿とさせられるところから付いた通称なんでしょうね。
 

 こちらは私が小中の頃住んでいた町の商店街の横道”地獄谷”!!
 

 住んでいた頃は商店街には毎日のように行ってたのですが、地獄谷は知りませんでした。近頃小中の同窓会が盛んになってはじめて知り、連れて行ってもらったのでした(^^;
 野田阪神新橋筋商店街と戦後のドサクサ横丁「地獄谷」
    ↑
 ここによると、JR神戸駅前にも「地獄谷」があるそうです・・

 

軍艦アパート

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 7月30日(日)13時23分58秒
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  軍艦アパートというより
「ガラスのわら人形アパート」
ですね〜。

パンスケがいて、おでん屋夫婦がいて、へっぽこヤーさんがいて、そして何やら怪しげな新興宗教の祈祷市がいて…。

雫石さんの、ところ見ました。これは貴重なページですね!表紙も:…。
あの頃のSFマガジンは、三十代のサラリーマンが新橋の会社から多摩ベッドタウンにかえるまでの会社からも家庭(主としてカミサン)からもら解放された世界だったのかなー。有楽町の珈琲店のウエイトレスのエプロンのしたのおしりを見るのがささやかな楽しみという…、

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月29日(土)23時30分29秒
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Re: アップデート

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月29日(土)21時59分12秒
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  > No.7942[元記事へ]

 段野さん

>「プライバシー設定」って、何? どこを開ければでるのかも分からず、そのままです

 下の赤丸したところ、「設定の確認」を選択してクリックすると確認画面へ飛べるのです。

 

 「あとで通知する」は、今はそんなことをしている隙がないというときにクリックします。すると、何日かしたらまたこの画面が表示されるので、そのときに確認すればいいわけです。

 段野さんがどちらも選択しなかったのなら、「あとで通知する」とみなされているんじゃないでしょうか。だからそのうちこの画面がまた出てくると思います。
 もし確認したとみなされていたら、再起動をして下さいという指示が出たはずですし、下のタスクバーに新機能のアイコンが出ているはずです。べつだん焦ることはないと思います。

 なお、上の画像は、新機能のWindows Ink ワークスペースで作成しました。しかし従来のスクリーンショット→ペイントで加工とどこが違うのか、いまいちよく分かりませんねえ(^^;



 

Re:アップデート

 投稿者:段野のり子  投稿日:2017年 7月29日(土)19時42分45秒
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  管理人様
>次のアップデートに備えてプライバシー設定を確認する
これで私は躓きました。「プライバシー設定」って、何? どこを開ければでるのかも分からず、そのままです。アップデートされているのでしょうか。貼り付けて頂いた画面は私も見ました。その後、「何かをせよ」とかの案内はないようです。これでええんかな、というのが現状です。
 

アップデート

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月29日(土)17時36分16秒
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   先日来、大騒ぎしていたアップデートですが、あれって結局Windows 10 Creators Updateの先触れだったんでしょうか。先週でしたか下のような画面が出、設定の確認を打ち込んだら始まりました。
 
 再起動がなかなか終わらず、1時間以上かかったような気がします。よほど大きなアップデートだったんでしょうね。
 で、何が変わったか。
 たしかに「タスクビュー」ボタンで今何が開いているか分かるようになりましたが、一度に何十も開くような作業をしない私にはあんまり必要ない。「ワークスペース」ボタンがちょっと使えそうですが具体的なイメージはまだありません。「タッチキーボード」に至っては指でタッチしてもうんともすんとも言わない(カーソルには反応する)。これはタブレット用の機能なのではないか。
 そういう次第で、新機能は全く私には役立ちません。
 ところが、OS(C:)の空き領域は5GBも減ってしまいました。困ったもんです。
 10のみなさま、新しい機能自分はこのように使っているよというのがありましたら、ぜひご教示いただきたいです。(若干早くなったような気はします)

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月28日(金)21時05分8秒
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Re: 昔のSFマガジン

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月28日(金)17時59分27秒
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  > No.7938[元記事へ]

 雫石さん
 貴「SFマガジン思い出帳」は非常に資料性が高く、私も折に触れて参照しています。
 データだけならもっと詳しくやっている人がいます。でもデータだけでは、たしかに客観性は担保されていてそれで事足りる場合もあるんですが、しかしそれだけでは何か足りないんですよね。空気が流れてないといいますか。
 その点「SFマガジン思い出帳」には、ひと言かもしれませんが内容の解説や感想が付されていて、こういうのは他に類例がないように思います(以前はあったんですがいつの間にかなくなっていて、それも70年代前半の数年分しかなかったと思います)。その当時が(自分が知らない「当時」さえも)甦ってくるのですよね。
 ぜひとも、少なくとも80年代前半辺りまでは、つづけて下さいね(^^)

>私はSFマガジンを読み続けるでしょう。
 それがアカンのですよ。誌面に対する批評はお便りするか、購読を辞めることでしか伝わらないのです。いまのSFMはお便り欄が機能してませんよね。とすれば不買で態度を表明するしかない。
 ところがSFMの特異なところは、そういう調査があるわけではないですが、ずっと書い続けているからという理由で読みもしないのに購入する読者層が購買数のなかで大きな割合を占めていることだと私は思っています(HMMも似たようなもんらしいですけど)。
 これでは売上が落ちないので編集部は危機感を持ちません。またどんな企画を打ち出しても売上が大きく変化することもない。何をしても一緒ではモチベーションも上がらないでしょう。理想に燃えて入社してきた者も、次第に公務員的になってしまうに違いありません。読み切りよりも連載のほうが本数が多いなんて、読者をバカにしてますよね。
 あと、嘗てのSFAや奇想天外のようなカウンター誌が出てくれば状況は変わるんですけどねえ・・
 

Re: 昔のSFマガジン

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 7月28日(金)09時01分18秒
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  > No.7937[元記事へ]

私は、こんなことしてますので、
http://seigunonline.web.fc2.com/archives.htm
古いSFマガジンを読んでますが、確かに1970年代のSFマガジンがいちばん面白かったですね。
今のSFマガジンは目をおおうばかりの惨状です。
でも、たぶん、私はSFマガジンを読み続けるでしょう。
困ったもんです。ほんとに。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: 昔のSFマガジン

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月27日(木)21時25分5秒
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  > No.7935[元記事へ]

 トマトさん
 1969年から1975年まで編集長だった森優さんは、かの南山宏ですからね、超常現象的なお話は載りやすかったのでしょうね。
 そういう意味では、森優の後継者も、SFマガジンでは育たなかったということになりますかねえ。
 それでも1979年くらいまではまだ多様な誌面でおもしろかったですけど、それ以降どんどん劣化していったような認識ですね。というか読まなくなってしまいました。それは就職したことが大きいのですけど、日本作家に限って言えばポストモダン的といいますか、それまで培われてきた積み上げられてきたSF的なものを消尽するようなものばかり掲載されるようになってつまらなくなりました。
 たしかに読者がそういうのを求めたからですが、私には合わなかったようです。

 

珍奇なる昭和人

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月27日(木)21時05分33秒
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  > No.7934[元記事へ]

 そうだ。以前から気になっていて、見かけるたびに?となり、これは掲示板に書き込まねば、と思いつつも、けれどもその段になると常に忘れてしまって果たせていなかったのですが、それをたまたま今日は、下のリンク記事の中に見つけましたので、今度こそ忘れないうちにメモしておきましょう。
 それは最近の「用語」に対する違和感なのです。
> No.7934[元記事へ]から、リンク先をご覧ください。見出しが「自由な動き」の4〜5行目「「何この子そんなに強いの」と最初っから感心せざるを得ません」の、「せざるを得ません」なんです。
 私の感覚では、この文脈で「感心せざるを得ません」はちょっとニュアンスが違うと感じるのです。「感心せずにはいられません」ではないでしょうか。
 みなさんはどう思われます?
 実は「せずにはいられない」を「せざるを得ない」で代用している例を、最近、というか10年ほど前から、私はよく見かけるんですね。むしろ近頃では「せずにはいられない」という文章を殆んど見かけなくなってしまったような気がします。
 この2つはたしかによく似ているんですが、私の感覚では微妙に適用範囲が違うのです。
「せざるを得ない」は、「したくはないのだけど(するつもりはなかったのだけれど)しなければならない」と言う感じではないでしょうか。やや消極的対応、受け身の感じ。
 対して「せずにはいられない」はもっと積極的で、「しなければ気が済まない」という感じを、私はもっています。
 この感覚、合ってますよね。私が間違っています?
 それがいつの間にやら、「せざるを得ない」の適用範囲がぐんと拡がって、昔なら「せずにはいられない」というべき場面にも進出してきている、と私には思えてなりません。
 まあ言葉は世につれなんで、どんどん変化していくのをむげに否定するの気はないのですが、この例では、かつては文脈に応じて二種類に使い分けていたのが、ひとつに統合されてしまったわけで、これは弁別の厳密性がゆるみといえる。つまり言語センスが貧弱化した、ありていにいえば言葉が減少したとも言えるのではないか。
 エスキモー語には雪を示す言葉を何十種類もあるそうです。日本語も、雨を示す言葉がたくさんありました。それは言葉が生活と密着しているからなんですが、日本語では、久雨とか白雨とか紅雨なんて、漢和辞典には載っていても実質死語ですよね。それは端的に現代日本人が室内にこもってしまって雨と向き合うことが少なくなってしまったからでしょう。
 せざるを得ないとせずにはいられないの区別がなくなってしまったのも同様で、日本人の言語感覚が大雑把になってしまったからかもしれませんね(ボキャブラリーの減少?)。

 で、また思い出したのですが、「しかない」もそれと同じ違和感なんですよね。
 今、ツイッターの検索窓に「しかない」を入れて検索すると、次のような用例が……。(※ツイッターは平成口語の宝庫です)
 1)今日体洗ってやるしかないな
 2)これはもう行くしかないと思って
 3)やっぱり感動しかない
 4)色々ツッコミどころしかないけど
 5)テストやり切った感しかない
 6)この部分とか良さしかないですね
 7)監督各位には尊敬しかない

 1)2)は私にも理解できる用例です。
 3)何かの演技を見た感想として「やっぱり感動しかない」とツイートしているのですが、これが最近よく見るニュアンス的に違う用法なんですね。私だったら「感動せずにはいられない」でしょうか。
 4)これはふつうに「いろいろツッコミどころがあるけど」
 5)これは微妙で、違和感があるんですけど、対案を思いつきません。
 6)「良いとしか言いようがない」?
 7)「尊敬してもしきれない」?

 今後私のような者は、珍妙なる昭和人として好奇の目で見られるようになるのかもしれませんなあ(ーー;

 

昔のSFマガジン

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 7月27日(木)20時25分42秒
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  夕べはほとんど徹夜でした。夜中にむっくり起き上がってパソコンの前に座ってコーヒーのみながら法務文書書いてアノ取引の民事上無効を立証し終わったところです。 SF覆面座談会があった頃、眞鍋博なんかの挿絵画家(他には中島靖侃なんか)が飛び込んだものでした。のちに角川文庫になった「未来の記憶」ももともとはSFマガジンに連載されていたものでした(SFマガジン連載版「未来の記憶」にはインパクト強烈な挿絵があったけど、角川版には無いです。)「未来の記憶」のほかにも似たような連載があったことを記憶しています。もちろん未来の記憶を史実だと信じていました。ウチはオヤジが田舎の役人していて僻地の出張所なんかにいて、そこには半村良的な世界が広がっていました。(庄ノ内民話考的な世界)庄ノ内民話考というのは日本版未来の記憶的なお話で、東北地方の庄ノ内=実在する山形県庄内地方に伝わる事実だと思い込んでいたのです。にしても石川喬司の夢書房シリーズなんかまで事実だと信じていたんですから・・・(笑)のちに早川がローダンとかサーガとかそういうのになってしまったそういう雰囲気が無くなっなっちっゃったのは私には詰まらなかったですね・・・。ちなみに福島さんの『未踏の時代』はすごく面白かったです。表紙も中島靖侃だし・・・。これも立ち読みで読破したので、本屋のオヤジには嫌われたでしょうね。  

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月27日(木)16時57分19秒
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チャチャヤング・ショートショート・マガジン5号

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月26日(水)22時43分7秒
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   や、まだまだ先と思っていたチャチャヤング・ショートショート・マガジン5号(通巻7号)の締切ですが、あますところ一か月ちょいではありませんか。
 と気がついたのが数日前。にわかに心がそわそわ落ち着かなくなってきました。実は構想がないではないのですが、それを具体的にどう書いたらいいのか、シーンを全く思いつかず、手をつけあぐねているのです。というか、むしろ小説の書き方を忘れてしまったというべきかも。何とか間に合わせたいと思うと、さらにドキがムネムネ……。
 これはいけません。書けるものも書けなくなってしまいます。
 そこで、とりあえず旧作を一本、手を入れて提出することにしました。
 またかよ。いやそうなんですが、少なくともこれで「落とす」ことはなくなるわけで、精神的にも落ち着き、新作に没頭できる…………かも(汗)
 私の旧作の中に、アッチに掲載された作品が数篇あるのですが、いきさつ的に、あまり読んだ人はいないと思います。ところが、わたし的にはそれらは意外に自己評価が比較的ましなのですね(あくまで自己評価ですよ)(^^;。
 それを掬い上げたいという気持ちが、実は以前からなくもなかったのです。
 ということで、昨日PCの中を捜していたのですが――卒然と思い出した。
 創作関係を収納したUSBメモリーをクラッシュさせてしまっていたことを。
 が〜〜〜〜ん!!
 いつの間にか忘れてしまっていたのですねえ。
 困った。困ったのですが、なんとかしなければ。で、閃いた(^^)
 収録誌からOCRで抽出すればいいのです。
 というわけで、当該誌をスキャンしてPCに取り込み、取り込んだデータは画像なので、それをPDF化します。PDFにすると、なぜか(理由はわからないのですが)OCRでテキスト化できるんです。
 テキスト化しましても、正しく認識したのは8割くらいでしょうか。昨日はそれを修復するところまでやりました(いつものことですが、これがまた微妙な誤認識をやらかすので、ついうっかり見過ごしてしまうのですねえ)(汗)←イマココ
 10枚ほどの作品なのですが、記憶ではよく練り込んだつもりなんですが、いま読み返すとやはり拙くてがっかりしました。今日から推敲作業を始める予定です。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月26日(水)21時54分44秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月26日(水)03時06分40秒
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Re: エーテル

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月26日(水)01時16分28秒
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  > No.7929[元記事へ]

 雫石さん
>売れる小説は、必ず、どっかから出てくるでしょう
 おっしゃるとおりですね。広瀬正『マイナス・ゼロ』はご存じのように65年に宇宙塵に連載されたのですが、福島さんは採用しなかった。しかし70年に河出書房から刊行され、直木賞候補にまでなりましたよね。5年かかりましたけど、出るべくして出、広瀬さんは一躍流行作家になったんですよね。
 たとえ福島体制がさらに7年続いたとしても、半村さんも平井さんも出るべくして出ていたに違いありません。だとしたら福島さん続行が一番良い選択肢だったかも。
 なぜって、もしそうだったら久野四郎が書きつづけたはずだからです。おそらく長篇も書き上げたんじゃないでしょうか(そして専業になっていたかも)。広瀬、半村、平井に加えて久野もいる時間線て、日本SFファン的にはこの時間線よりもずっと天国ではないでしょうか(^^;
 ただ福島さんは激務がさらに続くことになるわけで、『虚妄の島』や『出口なし』のような現時点で福島SFの到達点と目される作品は書かれなったかもしれません。
 というのはこの系統の最初の作品は「分茶離迦」ではないかと私は思っているのですが、これが69年12月号で、つまり編集長退任後書かれたものなんです。

>1976年に亡くなるわけですから
 いや、激務の継続は、福島さんをさらに蝕んだと思われます。おそらく7年はもたなかったかも(>おい)m(__)m

 

Re: エーテル

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2017年 7月25日(火)22時09分54秒
返信・引用
  > No.7928[元記事へ]

くだんの座談会、私はリアルタイムで読んでいます。
また、10年前にも、この号は再読しました。
http://seigunonline.web.fc2.com/sfm-3.htm
確かに、福島編集長では半村良復活も平井和正ウルフガイもなかったと思います。
ただし、早川からはないかもしれませんが、他の出版社から出ていたでしょう。
売れる小説は、必ず、どっかから出てくるでしょう。
それに福島は1976年に亡くなるわけですから、状況が7年遅れてたかもしれませんね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: エーテル

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月25日(火)20時58分37秒
返信・引用 編集済
  > No.7927[元記事へ]

 トマトさん
>あの座談会が無ければ福島さんはもっとSFМの編集長をしていだろうし、久野作品ももっと載っていたのでは
 それはそうかもしれませんね。ただ私個人的にはあの座談会の記事には非常に影響を受けました。リアルタイム(69年2月号)では読んでないのですが(私は69年12月号から読み始めたので)、大学のSF研の先輩にコピーを頂き、何度も熟読したものです(そのコピーは今でも保存しています。ちなみに西さんではないです)。
 その意味では痛し痒しなんです。それにもし森さんに交代していなかったら、半村良の復活もなかったわけで(半村さんも福島さんと確執があったそうです)、『産霊山秘録』も『妖星伝』も世に出ていなかったという、とても不毛な分岐世界に移行していた可能性があるのですねえ(^^;
 あと平井和正のウルフガイもどうだったでしょうか。今考えても、福島「編集長」があの作風を許容したかどうか、とても興味があります。

 

エーテル

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 7月25日(火)20時00分33秒
返信・引用
  管理人さん、山野さんの「エーテル」はよく覚えていますよ。挿絵も独特で・・・。中学時代、北関東の古書店「夢書房」(笑)で立ち読みしました。毎回毎回文学賞に応募してはボツになっているらしい「夢書房」の店主が不機嫌で、そんな同じのチクチクしたオーラを避けながら立ち読みしていました。のちのSFМはなんていうかアキハ系オタク系のノリになっちゃいましたが、かつてはサラリーマンが通勤途中に電車のなかで読むような、リアリティありお色気ありでかなりアダルトな要素が多かったですね・・・。しかしふの伝説のSF覆座談会、あれで福島さんはSFМの編集長を降りたんですが、覆面座談会が乗っていたSFМはたしか久野四郎の「ガラスのわら人形」掲載号の前の号だったとおもいます。あの座談会が無ければ福島さんはもっとSFМの編集長をしていだろうし、久野作品ももっと載っていたのでは・・・?  

Re: 山野浩一さん

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月24日(月)21時36分46秒
返信・引用 編集済
   トマトさん

>SFマガジンでよくお会いした山野浩一さん
 実は山野さんがSFMで活躍したのは、70年代前半だけだったんですね。75年2月号の「エーテル」が最後の掲載作品なんです。
 その理由として私が想像しているのが、森優編集長(南山宏)の退任なんです。森さんは74年5月号をもって退任されています。
 9か月も前じゃん、と思われるかもしれませんが、2月号の販売は12月ですから、締切は10月頃じゃないかと思います。だとすれば作家への発注はその数か月前。森さんは山野さんヘ発注後に退任されたのかも。あるいはすでに原稿を預かっておられた可能性もあります。
 福島さんが退任されて、久野四郎さんがプッツリと掲載されなくなりましたよね。ああいう感じを想像しているのです。
 その福島さんですが、福島さんはSFの文学路線を敷いたという定評があります。その意味では山野さんの作風は、福島さんが推進した文学路線にぴったりだと思うのですが、実際は「X電車で行こう」1作しか採用していないのですね。この事実は、実はツイッターで指摘されて私もへえ、と意外だったんですが、このへん、もっと詳しい事情を知りたい気がしています(「首狩り」は福島さんがお蔵入りさせていたのを、森さんが日の目を見させたものだそうです。「首狩り」は傑作だと私は思うのですけどねえ)。
 福島さんが亡くなったとき、NW-SFに山野さんが追悼文を書いていて、実は福島さんと山野さんの対談の企画が進行中だったそうです。NW-SFは引っ越しのどさくさに紛失してしまっていて、記憶で書きますが、日本SF界を総括しようというテーマで、丁々発止の対論というよりは、二人がSF界に対して抱いている不満を総ざらえしようという内容になるはずだったのではないかなと、その文を読んだとき思った記憶があり、私自身は二人の小説観はかなり違っていたと思いますが、「SF界」という状況に対しては近い意見を持っていたのではないでしょうか。
 とはいえそれは、福島さんが亡くなった76年頃の関係だったというべきかもしれません。NW-SFの別の号で福島さん晩年の『虚妄の島』や『未踏の時代』(これは短編集の方ではなく死によって中断した評論の方でしょう)を絶賛していたそうですが、その福島さんは、初期は『SFハイライト』や『SFの夜』のような軽いアイデアストーリーを書いていて、前半(編集長時代)と後半で作風は真逆になります。どっちが本質かと言えば後半でしょう。アイデアストーリーは編集長という立場上書かれたものかもしれませんが、そういう志向も福島さんにはあったと思います。そんな初期作品を山野さんが読んだら、まあ、どう思ったか想像に難くないわけですね。
 また福島「編集長」のパワハラに泣かされなかった第一世代作家はいなかったそうです(星さん除く)。眉村さんも福島さんに黙って『燃える傾斜』を出したとき、しばらくSFMに採用してもらえなかった。機嫌を損ねたんでしょう、と言っておられます(いつだったか東京での公開インタビュー)。
 さっきも言いましたが、「首狩り」は傑作ですから、ひょっとしたら山野さんと福島さんの間で、上記眉村さんのような、何か感情的なことがあったのではないでしょうか(全くの憶測ですが)。
 あ、NW-SF の創刊は1969年ですから、時期的には重なっています。「編集長」の福島さんには、別のSF雑誌を立ち上げるなんてのは、とんでもない自分への反逆と映ったかもしれませんね。※
 福島さんも山野さんもなくなった今、そのへんの実情を関係者に取材したノンフィクションを読みたいですねえ。

※今調べたら、NW-SF創刊は1970年7月ですね。すでに森編集長(69年8月号〜)になっています。したがってこの思いつきはダメなようです(汗)

 

山野浩一さん

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 7月24日(月)18時19分26秒
返信・引用
  こんばんは。

古本屋のSFマガジンでよくお会いした山野浩一さんがなくなったんですね。
ご冥福をお祈りします。

かつて古本屋のSFマガジンでお会いした山野浩一さんは若かったですね…。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月24日(月)01時15分57秒
返信・引用
 
          読む

 3時間で一気に読了。これはよい手記でした。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月22日(土)22時32分26秒
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チャチャヤング・ショートショート・マガジン5号

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月22日(土)19時30分55秒
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   雫石さんから、チャチャヤング・ショートショート・マガジン5号(通巻7号)の原稿(30枚)を落掌しました!
 編集者の役得で早速拝読。
 おお、いいですねえ。ある事態が進行中なのですが、その原因が何であるのかは明かされません。最後まで明かされません。作中人物は知っているようですが、読者はわからないのです。
 そういう構成なので、謎めいた不穏な雰囲気が持続します。ミステリなら、最後に謎が明かされなるほどそういうことか、と膝を打つわけですが、そういう意味でのカタルシスはない。その意味では不条理小説と言ってもいいかもしれません。
 私は読んでいて、小松左京が浮かんできました。小松SFには不可解なシチュエーションに置かれた人間の行動を描く話が意外に多いのですが、2タイプあって、『日本沈没』のようにそのシチュエーションを招いた原因がリアルに描かれる作品群と、原因をあえて描かない作品群に大別できるのではないでしょうか。
 後者でまず思い浮かんだのは『こちらニッポン』ですね。この長篇では日本列島から主人公以外の全ての人間が消失してしまい、主人公は文明の遺産を利用しながらサバイバルするという話でしたが、人間消失の理由は説明されなかったと思います(>私の記憶が確かだったら)。
「お召し」では突如13歳以上だったかの人間が全ていなくなり、小学生以下の子供だけで社会が維持されていくのですが、これも原因はわかりません(推測はなされるも論理的技術的な裏付けはない)。
 雫石作品は後者の、『こちらニッポン』や「お召し」の系統なんですね。とも言いきれないか。というのは作中人物には原因がわかっているからです。わからないのは読者であって、その意味ではミステリの叙述トリックに対応するかもしれませんが、叙述トリックはトリックなので、そこは違います。
 しかし読者の立場からすれば、この小説は小松SF2タイプのうち後者と同じと感じられるはずです。
 で、作中人物は知っているので、その行動は「原因」に強く規定されています。その結果、ニーヴン「無常の月」のような静謐さが全篇を覆ってもいるのですね。
 うーむ。ちょっとネタバレになりましたかね。今のは忘れて下さい。と言うまでもなく5号発行は秋なので、きっと誰も覚えてないでしょう(>おい)(^^ゞ

 今回、海神シリーズはお休みとのこと。というのは、海神シリーズの書籍化が現在進行中なんですね。こちらも刊行が楽しみです(^^)

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月22日(土)00時14分18秒
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プリンタのインクを購入した

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月21日(金)23時03分2秒
返信・引用 編集済
   プリンタの黒インクが切れかけてきたので、アマゾンに注文しようとしたら、これまで送料完全無料だったのが、いつのまにか2000円以上送料無料になっているではありませんか。以前はマジック1本でも無料で送ってくれていたのに。
 けだしクロネコ便価格改定の余波なのでしょうか。
 メーカー純正品ですと、1152円。これに、従来送料無料だったのが、350円の送料がかかり、1502円。
 実は私、最近は純正品ではなくリサイクル品を利用しているのです。リサイクル品ですと、596円。正規品の半額近い。質が良くないのではないか。全然そんなことはありません。全く問題なく使えています。

 話は少しそれますが、私、FAXを20年以上使い続けていて、これが時代遅れのインクリボン式なんですが、これもリサイクル品を使っています。で、使用者として嘘偽りなく申し上げますが、リサイクル品のほうがメーカー正規品より品質がよいです。嘘ではありません。
 私はりんしょくなので、使い切ったリボンを巻き直してもう一回使うようにしていまして(つまりリサイクル品の再利用)、当然ながら二度目はカスれる部分が発生します。
 ところが、あるときからリサイクル品を使い始めたところ、殆んどカスレないことに気づいたのです。見比べても、リサイクル品のほうがツヤツヤしています。おそらくインクの質がよいのでしょう。
 何故こんなことになるかと考えたことがあるのですが、メーカー品といっても、メーカーにもいろいろあるじゃないですか、低価格帯で勝負するメーカーがあります。私のFAXはそれなんです。しかもその最低価格帯の製品。おそらくインクリボンも安く供給できるよう材料を「吟味」しているはず。当然インクも。
 一方、そのメーカーよりは比較的上の価格帯で勝負しているメーカーもあるわけで、そんなメーカーのインクリボンは、やはりそれに見合った材料で作られているんじゃないでしょうか(>いや調べたわけではありませんよ)。
 私が使っているリサイクルインクリボンは、リボンを巻いている軸というのか芯も他社のを流用しているらしく、機械に嵌まるように削っている部分があります。
 つまりリサイクル業者は、少なくとも二社分共通のインクリボンを生産している。その場合、問題が起きないよう、上質のインクに合わせるんじゃないでしょうか。
 その結果、私のFAXの正規リボンよりリサイクルリボンのほうが、品質がよくなってしまった。
 そんな風に想像しているんですねえ(^^;

 話を戻します。ここから本題です。
 プリンタのインクカートリッジですが、リサイクル品は596円と書きました。
 ではアマゾンは、596円に送料350円を足せば送ってくれるのか。くれないのです。この品は合わせ買い商品につき、2000円以上のお買上げでなければ売れません、というのですなあ。
 そんなアホな、以前はどうだったのか、覚えてないのですが、そんな合わせ買い商品なんてのはなかったような。
 よく見ると、カラー4色セットなら2001円(!)。これはもう、セットを買わそうという魂胆がミエミエ。でもうちのプリンタ、カラー三色は全然減ってないのです。それを無理やり買わすか越後屋いやさアマゾン!!
 てことで、他をあたってみたところ――
 ヨドバシ・ドットコムでは655円で売っていました。59円割高ですが、
 送料無料!!
 20日の午前2時に注文したら、今日21日午後4時には届いていました。早ッ。
 安くて早いヨドバシ・ドットコム、気に入ったのでこれからもせいぜい利用しようと思います。
 しかしアマゾン、こんなことでは壊滅的な売上減少になっているのではないかしらん。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月20日(木)21時38分31秒
返信・引用
   元ツイート

 

インストール成功

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月20日(木)00時42分14秒
返信・引用 編集済
   さっき風呂から戻ってきたら、更新が成功していました!
 今日は、最近打率750と(打撃は)絶好調の糸原が、落球エラーした際に足をひねり退場した頃(9時半頃ですか)からダウンロードが始まり、ふつうなら1時間ちょっとで失敗するのですが、蜿蜒終わらず、これはいけるかも、と期待していたのでした。しかし11時を過ぎてもまだ終わりません。これは待っていても仕方がない。先に風呂に入るに如かずと入って出てきたら終わっていた次第。再起動させて←イマココ。
 あー助かった。ということで、せっかく岡本さんに教えていただいた方法を試す必要がなくなってしまいました。しかしこれ、汎用的みたいですね。ブックマークしておきました。なにはともあれお世話になりました。ありがとうございました>岡本さんm(__)m

 それはそうと今日の試合、私はMBSラジオで聴いていたのですが、解説の藪さんが、これだけ好調だと上位で使いたくなりますね、と言っていた矢先の負傷退場。ツイてないですね。糸井に続いて長期離脱でしょうか。
「タイガース、今日は踏んだり蹴ったりやったな」
「あ、タイガースは阪神サンドバックスに改名したで」
「サンドバック・・」

 

ゲリラの冬

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月19日(水)18時29分23秒
返信・引用 編集済
   暑いですねえ。
 ということで納涼画像。
 元ツイート
 これ、昨日の東京です(^^;
 昨日のゲリラ豪雨で、東京に、つかの間の冬が訪れたのです。
 逆「ロケットの夏」ですなあ(^^ゞ

 

Re:   

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月19日(水)18時18分13秒
返信・引用
  > No.7915[元記事へ]

 岡本さん
 ありがとうございます。
 休日にチャレンジしてみます(^^)

 

Re:   

 投稿者:岡本俊弥  投稿日:2017年 7月19日(水)13時37分13秒
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。


> 《「更新の一時停止」機能です(画面1)。ただし、この機能が提供されるのはPro、Enterprise、Educationエディションであり、残念ながらコンシューマー向けのHomeエディションには提供されません》



それは失礼しました。MSらしい差別化ですね。Homeでも使える方法としては下記があるようですが、MSのツールをダウンロードする必要があります。時間が取れるのでしたらお試しください。

http://freesoft.tvbok.com/win10/hide_windows_updates.html

 

Re:   

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月18日(火)23時13分10秒
返信・引用 編集済
  > No.7913[元記事へ]

 岡本さん
 アドバイスありがとうございます。
 さっそく「詳細オプション」まで行きましたが、「更新の一時停止」は見当たりません。
 そこで「更新の一時停止」で検索してみたところ、ここに、
《「更新の一時停止」機能です(画面1)。ただし、この機能が提供されるのはPro、Enterprise、Educationエディションであり、残念ながらコンシューマー向けのHomeエディションには提供されません》
 と書かれていました。ガーン!!
 わが10はHomeエディションなんでしょうね。がっくり。
 しかし何はともあれ、ご親切に感謝です。ありがとうございました(別の方法がありましたらよろしくです)(^^;。


 

Re:   

 投稿者:岡本俊弥  投稿日:2017年 7月18日(火)22時39分54秒
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

> 「更新プログラムのインストール中に問題が発生しましたが、後で自動的に再試行されます」

こういう場合は、デスクトップ右下の「吹き出しマーク」をクリック→「すべての設定」をクリック→「更新とセキュリティ」→「Windows Update」→「詳細オプション」→「更新の一時停止」をオン、すると一週間は一時停止できます。時間稼ぎですが、その間に修正版と入れ替わっているかもしれません。


 

Re:   

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月18日(火)21時56分7秒
返信・引用 編集済
  > No.7911[元記事へ]

「更新プログラムのインストール中に問題が発生しましたが、後で自動的に再試行されます」

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月18日(火)21時48分38秒
返信・引用
   遅くなったと思ったら、ダウンロードが始まっていた。
(タブレットから書き込み)
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月18日(火)21時30分9秒
返信・引用 編集済
   
               記事を読む

 この記事の主旨は全くそのとおりと思います。
 ところでこの広告、どうやってポスターになったのかというと、結局のところ、広告代理店が持ち込んだわけでしょう。もちろんその前に自民党からかくかくこのようなポスターを作りたいので案を出せ、というコンペティションがあって採用されたのかも分かりませんが、いずれにしても自民党の然るべき連中がヒップホップとはなんぞやという知識があったとは思われません(まあクラシックは多少聴いているかも)。「ヒップホップ? ジャンプが抜けとるがな、あかんがな」「ヒップホップ? ヒッポポタマスならカバじゃけんど」「ヒップホテップ? そら古代エジプトの王様じゃな」。結局意味もわからず代理店の説明に丸め込まれたというのが大方のところではないでしょうか。
 私がこの記事を読んで嫌気がさしたのは、記事の主旨以前に、そういうコピーを作った代理店の軽薄さに対してです。直接文案を作ったコピーライターは、当然ヒップホップの知識が多少はあったわけです。それを自民党のポスターに持ってくるのは、まあ相反するものをぶつけるという広告手法的には理にかなっているのかもしれません。しかしそれはヒップホップを(少なくとも生き方とリンクさせている人を)貶めてしまっているわけです。
 そういうことはやはりやってはいかんというリミッターが働かないのがコピーライターだという偏見が私にはあって、ああまたこんなことをやっていると。
 コピーライターには職業倫理というものはないのでしょうか。というか自己嫌悪にならんのでしょうか。ならへん人が続けていけてるということかも。

 

トレーン命日

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月18日(火)01時01分2秒
返信・引用
   今日は(まだ就寝していないから今日でいいでしょう)コルトレーン命日。1967年7月17日没ですから今年は51年目になるのですね。高校生の後半にはすでに聴きだしていましたから、私も44、5年くらい聴き続けているんですねえ。われながらびっくりです。
 以前は、この日はLPを何枚も掛けて偲んだものですが、近年は1枚か2枚聴く程度、最近はたまに忘れそうになることも。トレーン愛が薄れたのか。いやいやそんなことはありません。忙しいことはないのですが、なんか慌ただしいのですね。理由もなくあせっているような気持ちになっているんですね。やはり終末がそこまで近づいてきているという強迫観念を、無意識に感じているのかもしれません。
 ということで、今日は亡くなる3か月前、4月23日録音の「オラトゥンジ・コンサート」。この時はもう立ってられなくてすわって演奏したそうです。
 しかしまあ、こんな演奏していたら死んでしまうわな、と納得(>おい)の鬼気迫るパフォーマンス。録音がもうちょっとよかったらなあ。

 

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月17日(月)21時31分14秒
返信・引用 編集済
  > No.7907[元記事へ]

 ということで
「更新プログラムのインストール中に問題が発生しましたが、後で自動的に再試行されます。」

 今日はぢ〜っと注視していたのですが、どうやらダウンロードはできているみたいですね。インストールで失敗するみたい。いずれにしろ難儀なことです(ーー;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月17日(月)20時53分2秒
返信・引用 編集済
  また更新プログラムのダウンロードが始まった。
(タブレットから書き込み)
 
 

Re: パルナス、パルナス、パルナス♪

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月16日(日)23時21分9秒
返信・引用 編集済
  > No.7904[元記事へ]

 

 

 .

 

インストール不具合

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月16日(日)22時23分0秒
返信・引用
    2017-07 x64 ベース システム用 Windows 10 Version 1607 の累積更新プログラム (KB4025339)というのを、月曜から蜿蜒「インストールに失敗しました」なんですが、みなさんはいかがですか?
 ここに不具合報告がありますから、私のPCだけではないようです。そのページにリンクがあるここに強制手動の試みが報告されているのですが、かなり面倒そう。
 最初のリンク先に、
>Microsoft側の不手際であればそのうち修正されるかもしれません
 とありますから、ほっておけばそのうち解決するのかもしれませんが、これ、インストールが始まると10が95みたいになってしまうんですよね。それが毎回失敗するので、マンが悪くPCを酷使しているときにこれが始まると(得てしてそういうときに始まる)もう本当に迷惑。かといって後のリンク先の方みたいにゴンヅクもパトスも持ち合わせてないんですよねえ……

 

Re: パルナス、パルナス、パルナス♪

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月16日(日)13時24分26秒
返信・引用 編集済
  > No.7903[元記事へ]

 トマトさん
>昭和の西欧にたいする情景
 西欧っていうかモスクワですよね。パルナス創業は1947年とのことですから戦後すぐ。
 私には不思議なんですが、戦後から昭和30年代まで(象徴的には東京オリンピックまで)、なぜかロシア的なものが日本人の心を掴むんですよね。歌声喫茶がまさにそうでした。加藤登紀子の両親がロシア料理店スンガリーを開店するのは昭和32年。
 この風潮――ロシア的なものへの郷愁――が私には不思議なのですよ。
 だって、この時代は、まさにシベリア抑留者が毎年のように引揚げてきていた時代に重なっているのです。
 シベリア抑留者の帰国事業が開始されたのが1947年からで、実に昭和30年代に入っても帰国事業は継続します。つまり運の悪い人は終戦後10年近くあの悪名高い過酷な強制労働に従事させられていた。あの「岸壁の母」も、ナホトカから引揚船が出港するたびに、舞鶴港の岸壁に立っていたわけです。
 大抵の日本人は、当時シベリアから帰ってきたという人を、直接間接に見知っているはずなんです。ソ連憎しの国民感情であって不思議ではないのに、歌声喫茶ではロシア民謡が歌われ、パルナスのピロシキを人々は頬張り、スンガリーのロシア料理に舌鼓をうっていたというのは、なかなか想像し難いんですねえ。
 たしかに左翼運動は高まりを見せていて、それも考慮するべきなんですが、スターリンのソ連が社会主義にあるまじき独裁国家であったことも、当時は周知の事実だったはずなんですよね。

 
                  ↑
               [クリックして視聴]


 

パルナス、パルナス、パルナス♪

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 7月16日(日)12時07分8秒
返信・引用
  管理人さんに教えてもらってその存在を知ったパルナスですね〜
昭和の西欧にたいする情景を感じさせるっていう感じ…しかし強は暑い…ですねー(>_<)
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月15日(土)20時07分6秒
返信・引用 編集済
   
          元記事

 

Re: チャチャヤンKindle化計画

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月15日(土)13時53分35秒
返信・引用
  > No.7900[元記事へ]

 段野さんはPCと相性が悪いですからねえ。いや、電化製品すべてに反抗されているんでしたっけ(>おい)m(__)m。
 しかしながら近年ネットに自作を公開する作家志望者が一般的になってきており、未発表作品が投稿基準となっている公募新人賞にネット公開作品で応募する人が増えているとのこと、あれはSFマガジン新人賞でしたか、ついにネット公開作が(基準を満たすと判定されて)授賞したんじゃなかったでしょうか。
 こうなってくると未発表作品という基準自体が再考を余儀なくされてくるわけで、そのような流れの中に今回のWITコンテストがあるのは間違いなく、今後公開作品を応募基準とする公募賞が、燎原の火の如く雨後の筍の如くあっという間に蔓延るのは火を見るよりも明らかではないかと思われます。
 その場合ネット上に無数にあるテキストを選考者が管理するのはなかなか難しいでしょうから、おそらくWITのようにKDP公開作品を一つの枠として利用してくるんじゃないでしょうか。
 段野さんも今からそのような事態に備えておくのは重要かもしれませんよ!

 

Re:チャチャヤンKindle化計画

 投稿者:段野のり子  投稿日:2017年 7月15日(土)10時18分34秒
返信・引用
  管理人様
>ちなみに、私はKDPの登録だけはしています
>しかし段野さんは多分と言うか確実に登録されていないと思います
はい、そうです。大体、KDPって、何?のレベルですから。すいません。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月15日(土)01時35分33秒
返信・引用
   
          ツイート元

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月15日(土)00時30分56秒
返信・引用
   
          元記事

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月14日(金)21時17分48秒
返信・引用
 
        元記事

 

Re: チャチャヤンKindle化計画 

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月14日(金)13時22分21秒
返信・引用
  > No.7895[元記事へ]

 岡本さん
 わ、35枚という数字だけ認識していて、字数は見ていませんでした。どうも最近目が悪くなってから、そのつもりはないのですが、きちんと逐一読まなくなってしまいました。ご指摘ありがとうございました。にしても、
>原稿用紙1枚は1428字
 って、なんですかそれ。そんな原稿用紙がどこにあると。
 枚数が書かれてあると、イコール400字詰めと思い込んでしまうんですよね。35枚とか、50枚という数字をみるだけで、だいたいどのくらいのボリュームの話を作ればいいか、即座に分かりますよね。それを、400字という基準を勝手に操作されてしまうと、見取り図が作れなくなる気がします。いやまあ400字詰めに換算すればいいだけの話ではありますが。

>ちなみに、私はKDPの登録だけはしています
 あ、そういう人は多いんでしょうね。海野さんも登録されているような気がします(いやなんとなくですが)。しかし段野さんは多分と言うか確実に登録されてないと思います(>おい)(^^;
 いずれにせよ、少なくとも今号に120枚超の中篇が寄稿されることはありえないと思いますので、Kindle化の方針は変わりませんが、ま、ぼちぼち進めることにします(^^;。

 

Re: チャチャヤンKindle化計画 

 投稿者:岡本俊弥  投稿日:2017年 7月14日(金)09時51分18秒
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

WITの規定を見ると、原稿用紙1枚は1428字(400字で3.5枚相当)になっていますね。
ということは、35枚というのは400字詰めで122枚は必要になります……。
確かに中編クラスが、そろそろ出てきてもよいかもですが。

>・文字数:本文が、5万字〜20万字
>(A4用紙ヨコ、縦書き、42字×34行の場合35枚〜140枚相当)

ちなみに、私はKDPの登録だけはしています(活動歴なし)。


 

チャチャヤンKindle化計画 

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月13日(木)22時58分53秒
返信・引用
  > No.7892[元記事へ]

 Kindleで出版(無料含む)するためには、まず電子出版社であるKDP(Kindleダイレクト・パブリッシング)へ登録(契約)が必須なようで、その登録フォーマットに順番に記入していたのですが、売上が発生した場合の入金先である銀行口座の登録(これはデフォで、無料本しか作る気がなくても必要なのです)まできて、はたと止まってしまいました。
 登録できる銀行が、指定された大手銀行だけなのです。私が常日頃使っている地方銀行の口座は受け付けてくれないのでした。でも多分ぜんぜん使ってない古い口座があったはずなので、それを探さなければなりません。もし解約していたら、新たに口座を開設する必要が生じます。めんどくせー。

 なぜ突然そんなことをはじめたかといいますと、「WIT STUDIO賞 WITノベル部門コンテスト」ですがな(^^;
 このコンテスト、35枚からオッケーなんですね。ところが、応募条件としてKDPで出版し、Kindleストアで販売されているもの」でなければならないのです。
 お前が応募するんか? 滅相もない。今秋刊行予定の《チャチャヤング・ショートショート・マガジン5号》ですがな(^^;
 すでに受け取った服部作品は60枚、段野作品は50枚。どちらも応募枚数に達しているのです。これから続々到着するであろう中にも、35枚以上の作品がきっとあるはずですよね。
 つまり応募締切日までに《チャチャヤング・ショートショート・マガジン5号》をKindleで販売(もちろん無料)できれば、自動的に応募基準を満たすじゃないですか!
 本としての結構は、応募条件と関係ないですから、とりあえず読めるかたちで出しゃあいいんです。現状私の技倆では傍点みたいな細かい装飾はできないのですが、とりあえず傍点やルビなしで発行することは可能です(正式版は現状のPDFでそれらを反映させたのを公開すればいいでしょう)。

 てなことを突然思いつき、何はともあれと登録作業をはじめたのでした。
 口座残っているかなあ。なかったら面倒くさいので尻切れトンボになってしまうかも(>おい)(^^ゞ

 

「世事は煙の如し」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月13日(木)00時47分23秒
返信・引用 編集済
   余華『世事は煙の如し』飯塚容訳(岩波書店、17)読了。

 著者は1960年生まれ、作品が映画化もされる中国のベストセラー作家で、映画化された長篇は、読んでいませんが、解説によるとリアリズム系のようです(でなければベストセラーになんかなりませんよね)。しかし初期(80年代)は非常に幻想味の強い作風で、本書は、その奇怪不可思議な初期の中短掌篇が収録されています(表紙カバー折り返しに「現代中国文学を牽引する著者による、暴力と狂気と不条理に彩られた魯迅×カフカな六つの物語」とありますが、この惹句は部分的にしか妥当せずちょっと違うと思いましたけど)。
 いやとんでもなかった。圧倒されました。今年もまだ半ばを過ぎたばかりですが、早くも年間マイベストワン当確かも。
 6篇収録されているうち、最初からの4篇は、本国版の第1作品集『十八歳の旅立ち』(89)から採られているようです。残り2篇は90年代後半の作品。

「十八歳の旅立ち」は20枚。短篇というよりは長めの掌篇です。
 主人公は山間の一本道を歩いている。歩き続けているがどこにもたどり着かない。ただ蜿蜒と登ったり下ったりしながら道がつづいている。通行人に、この先はどうなっているのか、宿はあるのかと訊ねても、誰も知らない。「行ってみるんだな」と言われるばかり。だんだん疲れてきて、ヒッチハイクしようかなと考えるのだが、車はぜんぜん通らない。ある坂を登りきると、見おろす下り道の向こうに軽トラックが止まって、運転手が修理していた。大喜びで下り降りる。リンゴを荷台に満載したトラックだった。乗せてほしいと頼んだのだが……
 これは容易に人生の旅立ちを道路に見立てたアレゴリー小説と知れるのですが、最後に場面が変わって出発の朝の情景が描写されるのです。元気よく出発する主人公。この転換に胸を打たれるのでした。

「北風が吹きすさぶ午後」は14枚。純然たる掌篇。主人公は余華です。朝目覚めると、誰かが玄関の戸を叩いている。無視していると、見知らぬ男が蹴破って入ってくる。そして親友が亡くなったと言うのにそのざまはなんだ、と怒りだす。早く着替えて葬式に出ろ。しかしその死んだ友人の名前を聞いても、余華にはとんと聞き覚えがない。人違いだろうという余華を、男は無理矢理引っ立てて葬式の最中の家に連れて行くのです。その家で死んだ友の老母が嘆き悲しんでいます。余華は事を荒立ててもと思い、老母にいたわりの声をかけ、気を落とさず元気で生きてねと言う。老母は感激し、息子は死んだがあんたがいる。これからはあんたが私の息子よ。余華は……。
 これはたしかにカフカ的ですが、ショートショート的でもあります(前者はブッツァーティぽいかも)。いずれにしろこの二篇は最初期の作品だと思いますが、まだ書き慣れてないせいかストレートで、またアレゴリー性が前面に出ていて解釈しやすく、その分読みやすかった。
 問題は次の二篇の中篇なんです(汗)

「四月三日の事件」は120枚の中篇。これは要約不可です。と言うか書き出したら全部写さなければならない(再読すればいくらか整理できるかもしれませんが)。とにかくどこまでが現実でどこからが夢の世界か、と言った視界的読書は無効なんです。現実の世界に夢の世界が侵入しているかと思えば、その夢の世界は現実の世界に侵入されている。そういうわけで、叙述は時系列を追っているようで実は追ってなかったり並列していたりするのです。作中人物も、夢であることに気づいていたり、いなかったりしていますし、夢が現実に影響を及ぼしても、それを当然のように受け入れていたりする。そんな輻輳した、泥の海に足を取られるような粘液質の悪夢的世界に、読者もいつしか囚えられてしまって、遠近的な視界を失ってしまうのですねえ。
 そういう小説世界ですから、因果的なストーリー性があるはずもなく、そのあたりはウィリアム・バロウズのカットアップ小説とは無論意図からして違うものなんですが、因果性がない(薄い)のは同じなわけで、似ているなあという印象を持ちました。
 つまり、一般的に因果性のない事物の羅列を記憶するのが困難であるように(バロウズの小説を叙述順に想起するのが困難なように)、本篇もおいそれとは事態が(前後的に)把握できないのです。何度も戻って読み返さなければならず、そういう意味では(バロウズ同様)難読でした。

「世事は煙の如し」は107枚。本篇も前作と同じ筆法で現実と夢の世界が混沌と癒着していて、ふつうは現実があって夢があるわけですが、この世界ではどちらが先かを問うのも不可能。夢でみたことが現実に起こる予知夢とはぜんぜん違う事態なんです。夢がその存在で現実に作用するというのは予知夢ではないですよね。
 ところで本篇の登場人物は、「7」とか「4」とか「2」と言った風に数字で表記されていて、これがまた難読性を弥増しにしちゃうんですねえ。「7」や「1」にはそもそも属性がないじゃないですか。浩とか洋子という命名がいかに記憶を助けるか、ということを改めて思い知らされました。名前には属性をくっつけられるんです。それなりに(とりあえず性別は)イメージでき、記憶できる。ところが「7」や「4」ではそれが妨げられるので、この面でもページを捲り直して誰だったか確認しなければなりませんでした(そうか、メモしながら読めばよかったのか)(汗)。
 と書いていてはっと気づいた。この「7」や「3」を、ショートショートN氏みたいな風に考えていましたが、もしかして人間じゃない? 「7」は文字どおり「7」で、この世界は数字が歩いたり生活したりしている世界なのかも(^^;
 前作はバロウズが想起されたのでしたが、そういう意味でも本篇はケリー・リンクでした。本篇をリンクが読んだら、間違いなく気にいると思います。これは保証できます(>おい)(^^;
 しかし本篇の底にあるのは、中国怪談の伝統かもしれません。実はこれまで述べてきた混沌とした作風は、本篇の場合前半にそれが現れていて、後半はかなり普通の小説の結構になっていくのです。ところがそうなると、今度は中国怪談風のモチーフが強く現れてくるんですね。というか底流でそれは一貫してあったんですが、混沌とした世界設定の印象が強すぎて(と読者には感じられて)、あまり目立たなかったというのが事実でしょう。
 そのようなこと全部ひっくるめて、本篇の圧倒的な迫力に、読者である私は、前作にもまして打ちのめされてしまいました。

 残りの二篇は90年代後半の作品で、これまでとは打って変わった小説世界が展開されます。
「黄昏の少年」は16枚。リンゴのモチーフは「18歳の旅立ち」と共有しています。この時代設定は(執筆された時代である)中国の90年代後半でしょうか。中国は広くいまだにこんな世界があるのかもしれませんが、私は超時間的な設定だと思います(一種民話的な)。リンゴ売りの男が道端に店を広げている。そこに腹をすかせた少年(浮浪児)がやってきて、リンゴ売りの一瞬の目を盗んでリンゴをかっぱらって逃げる。すぐに気がついた男は追いかけ、捕まえ、徹底的に(陰惨なまでに)罪を償わせる。ここまでするかな、と読者は思うのですが、日が暮れて店じまいをする時間になり、ようやく男は子供を解放する。少年はとぼとぼと西へ、地平線から射す黄昏の光の中へ消えていく。男も家に帰る。そこで読者が知るのは……徹底的な折檻の理由なのでした。

「名前のない男」は47枚。惹句で魯迅が挙げられていたのは、この作品を念頭してでしょうね。「阿Q正伝」。主人公は自分の名前も言えない、かなり「足りない」男。いつもからかわれている。親が死んでからは名前を呼んでくれる人はいなくなる。皆、おい、とか適当に男を呼ぶ。そのうち誰も男の名前を思い出せなくなる。しかし、男は自分の名前を言えたのです。自ら名乗らなくなったのは……
 うーん。これも切ない。なんか1世紀ほど昔の話のように見えますが、しかし前作同様、時代設定があるとは思えないのです。本篇もやはり超時間的な小説世界。一見リアリズム小説とみえますが、実は著者によって、この物語をのせるに最適な世界として架構された想像的な小説空間なんですね。(それでふと思ったのは、上に長篇はリアリズム系と記しましたが、実はそうみえて、著者はリアリズム小説として書いたわけではないのかもしれんなと。読んで確かめてみなければ)

 いやー何度も言いますが、面白かった。本年度マイベストワンかも、ってこれも上に既述でしたね(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月12日(水)21時31分40秒
返信・引用
 
われと思わん方は是非是非!!(^^)
↓ ↓ ↓ 




 

お仕事小説とハードSFのあいだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月11日(火)04時01分25秒
返信・引用 編集済
   昨日は飲み会で、例によって帰宅即バタンキュー。さっき目が覚めました。
 もう一度寝直すつもりですが、段野さんよりチャチャヤング・ショートショート・マガジン5号(通巻7号)の原稿(50枚)が届いていましたのでご報告。
 例によってお仕事小説ながら、今回は現代小説。専門学校を卒業し街の美容室に就職したばかりの主人公、最初は鈍くさい、つまり要領が悪くていちいち指示されているのですが、やがて一人前の美容師となっていく姿を描いた作品。この頃は書くたびに文章力がめきめき上達している著者ですが、本篇においても文体の練磨がさらに追求されていて、文章下手なプロ作家(っているんです)などよりよほどストレスなく読めます。
[補足。以下は一般論です]
 散髪屋さんしか利用したことがないので、美容室の風景は私にはなかなか珍しく楽しめたのですが、ふと、この小説美容師さんとか、日頃美容室を利用している女性が読んで、どう感じるかな、と気になりました。
 いやこれは段野作品を貶しているのではありません。当作品に限らず、お仕事小説一般に言えることではないでしょうか。
 というのは、お仕事小説を書く作家は、その仕事に従事していたんなら何も問題ないのですが、大抵は調べたり聞きに行ったりして作っているはずです。いわば素人が知識で書くわけで、専門家が読んだとき、これはないやろ、となったりするのではないか。
 ハードSFもそういう面があると思います。私は(科学の素養もないのに)ハードSFを書きたいのですが、いつもその点で筆が止まってしまうんですね(あ、もちろん鍵を打つ手がという意味です。為念)(^^;
 むしろそのような実体験があるので、お仕事小説にも同じ問題があることに気づいたといえるかも。もちろんストーリーが面白ければ見逃してもらえる部分もあります。でもハードSFでも、のちのち語りぐさになるのは、ストーリーの秀逸さより間違った描写だったりする場合も、なくはないですからねえ。うーむ。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月10日(月)02時30分1秒
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   元ツイート

 橋下凋落と同じパターンに嵌まりましたね。
 身内優先で馬謖を斬れないのは、そもそも宰相の器ではないということでしょう。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 8日(土)22時16分17秒
返信・引用 編集済
  > No.7888[元記事へ]

 ところで、こちらの13話「目の前の背中」は満賀道雄が手塚治虫の背景がきを手伝った話ですね。


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 8日(土)21時53分18秒
返信・引用 編集済
   元ツイート


 

Re: 本八幡の大黒屋など

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 8日(土)15時15分37秒
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  > No.7886[元記事へ]

 トマトさん
 荷風が大黒屋に通ったのは「病魔歩行殆困難」となって近所しか歩けなくなった最晩年の(亡くなるまでの)2か月ほどなんですね。ですから味が気に入ったからというより、便利だった(そこしか選択の余地がなかった)というのが最大の理由だったかもしれませんね。

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Re: 本八幡の大黒屋など

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 7月 8日(土)05時25分16秒
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  > No.7883[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

>  トマトさん
> >本八幡の大黒屋
>  「本八幡といえば大黒家」というぐらい有名な老舗割烹料理屋さんらしいですね。でも閉店してしまったということは、名前に安住して研鑽を怠り、客が離れてしまったのでしょか

おはようございますーというか(笑)
大黒屋…たしか見た目はショボかった…あの界隈はごちゃごちゃしているし…。本八幡って、やっばり千葉県だからピコ太郎見たいなヤンキーさんのメッカ…。カツ丼ぐらい食べておけば良かったですね。駅ビルにおしゃれな食材コーヒー店できて、本八幡もどこもここも自由が丘化していますね。
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 8日(土)01時24分3秒
返信・引用
   これ面白いです。シーツオブサウンド・ウイズ・ハードバップというか(笑)

 

 

岡本俊弥「兵士」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 6日(木)22時31分43秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥「兵士」(27枚)を(mobiファイルに変換してキンドルで)読みました。
 いや何ごとも練習練習(^^;
 PDFと違って、縦にも横にも対応します。
 
 
 簡単な(出来合いの)表紙だったら付けられるようになりました。と言うか扉ですね。作品集内の、個々の作品に付ける扉だったらこれでいいかもしれません。問題はいろんなフォントを使ったり画像を付けたりする必要がある「表紙」なんですよねえ。
 あと覚えなければいけないのは、傍点やルビの入れ方ですね。まだまだ先は遠いです。

 ということで、「兵士」。
 都心のターミナル駅(地下鉄駅?)に、突如、小銃を構えた一名のゲリラが出現。乱射しますが、捕縛される。驚いたことに70半ばかという老人でした。
 老人本人も、ここは一体どこなのかと、驚くばかり。話を聞くと、老人のいた「日本」では、75以上になると、各県に数カ所ある、老人だけが住む自治国家(全国に300か所ある)に(日本国籍を剥奪されて)移動させられる。それは体のよい棄民政策だった。不満を爆発させた老人たちは、ゲリラ兵士となって日本国内に潜入する……
 この世界の日本から枝分かれしていくその過程が、いかにも岡本作品らしく非常にリアルです。面白かった。雫石さん好みの作品かも(^^;
     
 

Re: 本八幡の大黒屋など

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 6日(木)20時42分53秒
返信・引用
  > No.7882[元記事へ]

 トマトさん
>本八幡の大黒屋
「本八幡といえば大黒家」というぐらい有名な老舗割烹料理屋さんらしいですね。でも閉店してしまったということは、名前に安住して研鑽を怠り、客が離れてしまったのでしょうか。
 店一番の人気メニューが「荷風セット」、「おちょうし1本にお新香がついたカツレツ丼セット」とのこと。しかし1500円!
 
 一度食してみたい気もしますが、一度で十分かも。と言うか、もう食べられないのですねえ(^^;

 

本八幡の大黒屋など

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 7月 6日(木)16時27分6秒
返信・引用 編集済
  本八幡の大黒屋ですね・・・。一、二度てんぷらでも食べに行きましたね。誰かと・・・。まあ由緒ある店らしいですが、てんぷらは天屋のほうがいいです・・・。早く来るし、てんぷらも天屋のほうがさくさくで、しかも安いし・・・。

  ところでわたしが子供の頃だけど、家族で北関東から東京に出て着て巨人戦を観戦したりした頃だと思うけど、家族でデパートにいったんですよ。そうしたらヨソの男の子に衝突されたんです。むこうがぶつかって来たわけ。そうしたらその男の子の母親が
「よくもウチの○○を・・・」
といって平手打ちされたんです。そしてその子の父親らしい刈り上げたおじさんも私を睨みつけたわけ・・・私は悔しくて泣いてフロア中を探してそのピンクのスーツを着たババァを見つけては後ろからとび蹴りして
「殺してやる。」
と吐き着付けたんです。本気で殺してやろうと思いましたよ。そうしたら姉がすっ飛んできて強引に私の手を引っ張って階段のところに連れてきて、
「やめなさい。」
とたしなめられたんです。そして姉に強引に親父と母の許に連行された・・・ということなんですが・・・。そのとき姉は
「私たちは子供なんだから大人には絶対に適わない。だからやめなさい。」
といったんです。でもそれが大きなトラウマになって、後にわたしが法律を学ぶ要因の一つにもなったわけです。 が現実には法律の条文やら判例やらをひけらかしたところでそういう現場では何もならない・・・わけです。
結局あのババァも自分の息子がヤーさんとぶつかったら平謝りにあるあやまるでしょうし、刈り上げのおじさんだって自分の息子がぶつかった相手がヤーさんだったら平謝りに謝ってその場からトンズラするでしょう。ヤーさんじゃなくとも上司の息子とかにぶつかったりしたら類似した態度を取るでしょう。

  さて、昨今の行政改革の現場・・・政府機関からたとえば理研などの組織に至るまでそれまでは「親分肌」が予算配分から人事を仕切っていたんですがそれがすべて官邸・・・菅長官を頂点としたいわば独裁的な構図になってしまった・・・んです。その過程でかつての親分肌とその側近は追い出され、その代わりに官邸へのゴマをすっては友達は裏切れるような人たちが幅を利かせてきたんです。理研の小保方さんのと愛人の笹井さんだって類似したものだとおもいますよ。一方であの2人に煮え湯を飲まされた人たちだって居たわけで・・・。

 とにかくわたしが子供の頃に都内のデパート(たぶん渋谷の東急百貨店?)であじわった辛酸とおなじようなものを味わった人たちも沢山居たんです。
そして今、政治も潮目に来ていて、かつて虎の威を借りる狐だった人たちが虎の庇護がなくなりつつある状態かもしれません。そうでなくても退職した時点で虎の庇護はなくなるわけですが・・・それで私情が絡んだ復讐の対象となりつつあるということなんですが・・・。

  さて、子供のころのトラウマですが、いまだ健在です。あのババァとおじさんに後ろからフライングニーパットしてやりたいと今でも思っていますよ。

  そうそうかつて娘がアウトレットの婦人服会場で、誰かババァに説教されたといって思っていましたね。娘の態度が公共心に欠如していると娘の間違いを指摘し、そしてババァに正しい考え方をしつこく押し付けられたということらしいんです。がその場に居たマツコデラックスみたいな大きくて太って派手なオバハンにはそのババァにはなにもいわないんだそうです。そのマツコみたいなオバハンは堂々と座ってアウトレット古着を籠に入れてそして仕分けていたというのに、どうして自分だけ?と娘は文句をいっていたのです。マツコみたなオパハンには私だって何も言えませんよ。
 

岸政彦「街の人生」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 5日(水)22時40分11秒
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  > No.7879[元記事へ]

 第五章「西成のおっちゃん」を読みました。
 西成の路上生活者「矢根」さんへの聞き取り。「矢根」は仮に付けた名前で、聞き取り時点では本名も年齢も教えてもらえなかったそうです。聞き取り内容から、1931〜2年生まれと聞き取り者は推測しています。あ、小松さんと同い年かも。
 前四篇とはかなり趣きを異にした語り口。もう矛盾だらけで、さっき話したのとはまた違うことが語られていたり。もはやラテンアメリカ小説の世界(^^;
 お話(まさにお話)は、矢根さんが満州から引揚げてくるところから始まります。終戦の翌年(自分では17歳の時と言ってますが計算が合わん)、ようやく帰国の許可が出、その地域の日本人2千人が列車に詰め込まれて出発します。
 途中の駅(「新京かどっか」)で、運転手から「此処から先は自分たちでは行けない。乗り換えです」といわれる。(その数行手前で「どこで乗り換えたんかなあ、瀋陽か奉天か、新京いってもわからんわな、満州国の前の首都やったんや」と言ってますが、下記のとおりで新京でなければなりません)
 これがなかなかリアリティがあって、ロシアから譲渡された南満州鉄道は長春(新京)と大連を結ぶ路線(連京線)だけでした。その後満州国ができてからは全線が満鉄に接収されるのですが、新京-ハルピン間は別路線扱いで(京浜線)、調べもせず想像ですが、運行的にハルピン-大連間を直通でむすぶのは、特急あじあ号だけだったんじゃないでしょうか(そのあじあも、ウィキペディアによれば、高速を誇ったパシナ形蒸気機関車が新京-大連間の線路でしか使用できず、新京-ハルピン間は従来型のパシイ形蒸気機関車で牽引したそうですから、純然たる直通とはいえませんね)。
 ですから、矢根さんが新京で乗り換えたというのは語っている内容の信憑性を保証すると思います。また矢根さん一家は北満のどこか(ハルピン?)に住んでいたことがわかります。
 リアリティはさらに保証されます。
 引揚げの列車は何度も停車する。運転手がいろいろ理由を言うのですが、要は金の要求なんですね。駅に停まれば停まったで現地人がわらわらとものを売りに来る。食料は必要で助かるわけですが、これもまあその地帯を通過するための通行税みたいなもの。あるときは中国軍が一晩女を出せと要求してくる(どうせ八路軍じゃなくて国民党軍かその地方の軍閥でしょう)。
 なぜリアリティがあるかといいますと、私の知人、といっても父親より歳上です(大正10年生まれ?)。終戦を重慶で迎え、列車で引揚げてくるのですが、やはりたびたび停車し、そのたびに通行税みたいなのを払わなければならなかった、と言っていたからです。金を渡せば通してくれる間はよかったのですが、南京に近づくと、要求がどんどん厳しくなり、中国人の憎悪も強くなっていったそうでたびたび立ち往生を余儀なくされた。その体験からその人が言うに、南京大虐殺は事実だったのだろう、とのことでした。
 閑話休題。そういう話が、ホントか嘘かわからない語り口で語られるのですが、矢根さんとこれまでの語り手の人たちとの違いは、そのような語り口(の違い)の他にもありまして、他の4人はまあ賢くて、社会的に不利な立場から、マイナスの位置から、それなりに創意と工夫と立ち回りで少なくともプラマイゼロに戻しているのに対して、インタビューで俺はあほやと何度も言っているように、日本に引き揚げて以降ずっとマイナス状態のままだったこと。その人生が(別に悔いもない口調で)飄々と語られていて、まああらゆる意味で自由人ですね、こんな恬淡とした人生もありかな、と、半分呆れつつも、肯定的に読み終わったのでした。

 あ、そうだ。「財前直見」ですね(>おい)(^^;

 ということで、岸政彦『街の人生』(勁草書房、14)読了。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 4日(火)22時56分3秒
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Re: 「街の人生」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 4日(火)21時58分3秒
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  > No.7874[元記事へ]

『街の人生』は第三章「マユ」、第四章「よしの」を読みました。
「マユ」さんは摂食障害だった女性。摂食障害って、これは判らんねえ。経験の埒外で、(共感的に)了解する手掛りさえ見出だせません。在日や部落よりもわたし的には遠い世界かも。
 私も恒常的に過食気味なんですが、病的とは思えませんね。とは言い丈このマユさんも、最初は自分でもダイエットが極端かな、くらいにしか思ってなかったようですが、そのうち自覚がなくなっていく。結局オブセッションの一種なんでしょう、自分が普通ではない状態であることが認知できない。
 のちに「回復」(と言う言葉には違和感を持っているようですが)してからようやく当時が客観的に見れるようになり、当時と現在の違いを、現在は「芯ができた」「外の存在に気づいた」と言っていて、つまり当時は意志が弱かった、一般的に言えば自己の確立が何らかの原因で遅れていた。それと相関するわけですが、社会の中の自分というものをイメージする、一歩離れた地点から客観的に見る、ということができなかったんだろうな、と想像(一般化)できる気はします。その結果どんどん孤独の世界にはまりこんでいった。
 この人も、そんな状態でも関大に入学しており、潜在的な知的能力は高い。もちろんそれと自我の強さはあまり関係ない(あとで繋がる)。大学で自助グループの会に出会ったことが改善につながっていくんですが、自助的なグループを(自分で)見つけたこと自体が、すでに我の確立(当然社会の発見と相関)がある程度進んでいたということではないでしょうか。そして大学という環境を得たことで、自分を学問する術を知ったと思われます。ここで知的能力が結びつくんですね。結果、改善が飛躍的に進んでいったように想像されます。社会に関わっていく、関われようになる事がいかに大事か、というのがこの方の結論みたいです。

「よしの」さんはシングルマザー。亭主はバブルのとき羽振りがよかったが、弾けて転落。愛想を尽かして三人の子供を連れて実家の岩手に帰る。亭主の借金の保証人になっていたのでそれも引き受ける。最初は水商売をしていたが、それでは足りないのでデリヘル嬢に転身。借金は完済し長男は大学に。ずっと生活保護を受けているとあるので、副業は隠れてなんでしょう。もちろんネトウヨではないのでそんなことを問題にするつもりはありません。ルール違反に目くじらを立てるばかりで、そのルールがルールとして妥当かどうかには目が向かないのがネトウヨです(そうすると、ネトウヨも一種のオブセッションかも)。
 いや面白い。といっては不謹慎かもしれませんが、なにはともあれ、この方の生きていく力には感服しまた。オブセッションみたいなものが入りこむ隙はなさそうです。社会は公平ではなく、幸運もあれば不運もある。しかし不運を不運と嘆かず、嘆く暇もないでしょうけど、生活に邁進する姿は感動的でした。むしろ小説で読みたい(^^;


 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 4日(火)18時59分38秒
返信・引用
   元ツイート

 

ヤマトvsトマト

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 4日(火)18時56分9秒
返信・引用 編集済
  > No.7876[元記事へ]

 トマトさん
 栃木県、群馬県は、昔の国制度(令制国)では下野国、上野国と呼ばれていましたが、そもそもは(律令以前は)毛野国という一つの国でした。
 近年、毛野国は、「魏志倭人伝」に卑弥呼の邪馬台国と抗争していると記された狗奴国ではないかという説が有力になってきています(この場合邪馬台国は大和説となります)。
 邪馬台国は、狗奴国に押されていて、それで卑弥呼は大夫(外相)難升米を遣わして、魏に援軍を要請したのですが(AD239)、魏はメンド臭かったのか、翌年、軍隊の代りに、帯方郡の軍事顧問(塞曹掾史)である張政に黄幢をもたせて邪馬台国に行かせます。
 黄幢とは要するに魏の旗印で、これを見せれば狗奴国は震え上がり、尻を絡げて逃げ出すであろうというわけですが、いやいやいや、そんなわけはない。張政が見守るその戦いで、邪馬台国軍は敗れたみたいです。
 黄幢を持たせたのに負けるとは何事かと、面目をつぶされた張政は激怒(したのかどうかそんな記述はどこにもないですけど)、卑弥呼に死を命ずる(ひょっとしたらそういう命令を受けていたのかも)。そこで新たに男王が邪馬台国の国王になりますが(私は魏に覚えのよい難升米(奴国の升米)が就任したと思います)、国中分裂、結局卑弥呼の娘なのか一族の娘なのか分かりませんが、卑弥呼同様宗教的権威を身にまとった壱与が王位につき、ようやく統一が回復するのです。
 ちょっと話がズレました。
 一時は邪馬台国よりも強盛だった狗奴国ですが、その地理的位置からしても、民族は蝦夷だったに違いないと思います。但し純粋の蝦夷ではなく、稲作文化を受容した「弥生化した」蝦夷だったのではないでしょうか(縄文文化のままだったら技術物量的に弥生文化に敵わないです)。
 トマトさんの一族も、もとは蝦夷だったかもしれません。ですから、
>山形とか岩手とかいうところから来るので、車内の雰囲気も言葉もまったく違って
>いました・・・ね。あの当時は地方色というのが強く残っていました
 とおっしゃるのは、まさに同族の匂いなんだろうなと、大いに納得しちゃいました(^^;

※あと毛野人には騎馬民族の血も濃いんですけど、それはまた別の機会に(^^ゞ

 

都議会選など

 投稿者:トマト  投稿日:2017年 7月 4日(火)14時05分49秒
返信・引用
  土曜日の秋葉原での「安倍帰れ安倍辞めろ」コールは知りませんでしたが・・・千葉民には投票権のない都知事選の結果は・・・の通りです・・・。
しかし市川市は都営線が通っているので事実上東京都市川区ですよ!江戸川の向こうの葛飾は投票にいけて、こっちは投票権がない・・・


宇都宮・・・宇都宮ってかつては東京駅じゃなくて上野駅から出る「急行ざおう」「急行あぶくま」なんかでいったものでした。ということは宇都宮から東京に行くときは「急行ざおう」「急行あぶくま」なんかていったということですね・・・。特急料金は高いけど急行料金は安いから・・・。これらの急行は山形とか岩手とかいうところから来るので、車内の雰囲気も言葉もまったく違っていました・・・ね。あの当時は地方色というのが強く残っていました。今はどこにいっても東京のコピーで、宇都宮はもちろん、仙台福島もどこもここも渋谷や新宿と変わらないです・・・かえって駒込とか戸越とかいう都内とか、大口や横浜橋などの横浜市内のほうが地方色が残っているようですね。
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン5号

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 3日(月)21時19分28秒
返信・引用
   今秋刊行予定の《チャチャヤング・ショートショート・マガジン5号(通巻7号)》ですが、服部さんが先陣を切って50枚の力作原稿を届けてくれました。
 早ッ!(^^)
 良雄を主人公とする連作ものの最新作で、「(一応)最後の作品」とのこと。早速読ませてもらいました。
 や、これ、シリーズ解決編? 小説の(こっちを向いているのであろうと読者が思い込んでいた)ベクトルが、コロッと入れ替わっちゃいましたよ。ネガポジ反転といいますか。いや面白い!
 原稿末尾の記載によれば、著者は本シリーズを連作『もうひとつの夏もうひとつの夢』と名付けたようです。全6篇で、良雄の3年生の夏から6年生の秋までが描かれています。ざっくりカンで言えば、トータル300枚前後でしょう。一冊の書籍に十分なボリュームです。単行本化が期待されますね(^^;。
 って先走ってしまいました。まずはシリーズ最終作である本篇を掲載のチャチャヤング・ショートショート・マガジン5号を、どうぞお楽しみに〜(^^)
 会員諸氏の力作も、鶴首してお待ちしていますよ!!

 

「街の人生」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 2日(日)18時57分10秒
返信・引用 編集済
   岸政彦『街の人生』は、第一章「ルイス」と第二章「ゆき」を読みました。
 本書はインタビュー集。インタビュー集と言えば、ふつう有名人や公的人物へのインタビューを無意識に想像しますが、本書は違います。
 第一部の語り手ルイスは、中学一年のとき南米から日本へ移住してきたいわゆる在留外国人。日系の血はひいていません。そして日本で自分がゲイであることを自覚します。そういう意味で二重のマイノリティなんですが、現役で、つまり来日わずか6年で、当然日本語のハンデがあるのにもかかわらず、一般試験で早稲田に合格します。優秀なんです。
 丸紅を蹴ってソニーに就職が内定していたのですが、何の不手際か、語学の単位の代用になるTOEICの試験結果が大学の採点期限に間に合わず、まさかの留年。
 翌年が例のリーマンショックで、大会社は落ちまくり、結局和民ではないけど同業種の◯◯屋に、という天国と地獄。ところがやっぱりブラックだった。で早々に辞めたみたいですが、その後の職歴は語られてないのでわかりませんが、あとはうまく言っているんでしょう。
 日本へは親戚一族が多く働きに来ていて、ルイスは頭がよく法学部卒学士ですから、いろいろ頼られる。一族のお抱え弁護士だと笑いながら話すのですが、そういう次第でいろいろ差別を目撃する。もちろん自分も差別される。その中には、マジョリティである日本人が気がつかず行なっている差別もあるんですね。これは私もうーんと。
 たとえば飯屋で店員がタメ口で喋ってくる。明らかに他の客とは違うのです。それはしかし、見た目ガイジンだから、言葉がわからないだろうと勝手に判断して、ちゃんと伝わるように敬語をはずして単語を並べたのかもしれない、とルイスは頭がよいから一面でそう斟酌もするのですが、やはり気分はよくない。実際、先般の難波南海通りの市場ずしの例を想起すれば、そういう差別は恒常的にあるんじゃないでしょうか。いえば言葉がわからないことを盾にとった差別で、本章でも深夜手当を法定の25%増しで支払わず、経営者が、君は優秀だからちょっと5%色つけておいたよ、と親切めかしていう差別が語られていて、この国は本当に官民一体の差別社会差別国家なんだなと、改めて思いました。

 第二章の語り手・ゆきはシーメール。幼時から自分がちょっと違っている(男の容器に女が入っている※)ことを意識していた彼女は、小中高と、それをあまり隠さない。尼崎という土地柄もあって、それで受け入れられてきた面があったそうですが、やはり毅然と自立的な態度を貫いたから、それが容認された(面もあった)んじゃないでしょうか。
※リボンの騎士がオナベだというのは、言われればそうですがびっくりしました。マジョリティの盲点ですよね。全く気づいていなかった。で、ゆきは手塚治虫を尊敬するのですが、そういう論考はすでにあるのでしょうか。
 それはさておき、ルイスもゆきも、しかし家族への告知では悩みます(たとえ薄々感づいていたとしても)。どちらも母が泣くんですねえ。
 ところで、この二人は言葉の真正な意味で「賢い」人たちなんですね。ゆきは言います。
「性同一性障害って言う新しい分野が確立したときに、そこは精神の病のひとつに入れられてるのね。だから「仕方がないからこの人たちの戸籍を変えてあげましょ。でないとこの人達はよう生きてかれへん」言うてんねんから、「病気やから仕方がない」っていう感覚で認められることに、私は「病気やないのよ」って」
 ルイスもゆきも自分の言葉を持っているんですね。賢いから自分の言葉を操れる。実は、それだから聞取者と阿吽の会話が交わせているように、読んでいて思えるのですね。つまり知的な共通地盤を共有している。聞取者にすればやりやすい人たちのはず。
 ところで大多数の在留外国人やゲイやニューハーフのようなマイノリティは、おそらく自分の言葉というものを持っていないのではないか。それは大多数のマジョリティが自分の言葉を持っていないのと対応するわけですが、そのような人たちは、この二人のようには社会と対峙していないと思うのです。極端なことを言えば自分がどこにいるのかよく分かっていない。あべっち支持率があんまり落ちないのと同じです。識者はなぜ支持率が落ちないのか不思議がるのですが、そういうものでしょう。
 一方、この二人は自覚もあり信念もあり対応する術も備えているので、風もゆるくなるし受け流せる。でも大多数はもっと強い風を感じているかもしれません。受け流せてない場合が多いんじゃないかなと思ったのですね。そういうインタビューを(も)読みたいと思いました。

 

キンドル本への遠い道

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 2日(日)02時05分41秒
返信・引用
   昼間は蒸し暑さにだらけきっていたのですが、夜になって突如、久しぶりに過集中していました。
 何に過集中していたかといいますと、テキスト文書をMobiファイルに変換して、それをKindleの画面で読む技術の習得に没頭していたのでした。
 今までも、PDFファイルに変換してKindleに落とし込んで読んでいたのではないのか。そうなんですが、あれはつまるところ画像なので、行数×字数は変えられなかったんですね。
 Mobiファイルというのは、まさにKindle本のフォーマットなので、ふつうの電子本と同じように、縦にしても横にしても、それにちゃんと収まるように行数×字数が勝手に変わっちゃうのです。
 Kindleで書籍を販売するためにはこのファイルで作らないと駄目なんです。
 ただ、縦書きに変換するのが難しいと、なにかで読んでいたので、これまではちょっと敬遠していたのでしたが、昼間だらけきってネットサーフィンしていたら、これなら私でもできるかも、と思われるのがあったのでした。
 ところが説明書を読まない性格ゆえ、場当たり式泥縄式でことを進めるので、しかも説明が英語、まあどっちみち読まないのでそれは関係ないのですが、なかなかうまくいかず、結局、そうですね、3時間くらい没入していたんでしょうか。
 とにかく(理屈は皆目不明ながら)手順は覚えました。そこまではせいぜい20枚までの短い文章で練習していたのですが、紙の書籍一冊分程度の容量が扱えなければ、私の使い方には役に立ちません。
 そこで、オロモルフ先生の『卑弥呼と日本書紀 第4版 第7章』(300枚くらい)を変換してみたところ、問題なくダウンロードできました。しかもPDFだと1メガ弱なんですが、Mobiファイルだと500KBいきませんから容量も半減です。
 それからMobiファイルが便利なのは、ハイライトや栞や付箋が使えることです。検索も可能。PDFをKindleで読む場合、これらの機能が使えなかったので、小説を読む分には問題ないのですが、『卑弥呼と日本書紀』のような、学術論文や解説書のたぐいは非常に不便でした。タブレットでの読書の幅が大きく広がりそうです(^^)

 

 今秋発行予定の《チャチャヤング・ショートショート・マガジン5号》はキンドル版を製作できるかもしれません。
 まあ私の技倆がどこまで進歩するかにかかっている訳ですが。今のままでも自分が読む分には殆んど問題ないのですが、電子本の体裁を整えるとなりますとねえ。現状まだ改ページの仕方もわかりませんし、扉ページや目次も全く未知の領域なんですね。

 

Re:  

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 1日(土)13時28分52秒
返信・引用 編集済
  > No.7871[元記事へ]

 武藤さん
 本人は間違って進入したつもりはないので、脳内地図では勝手に、自分が走っている車線の右の車線が反対方向の車線、つまり片側1車線の道と、その瞬間は固く信じているわけです。ところが「あれ、左側(の中央分離帯の向こう)にも道路がある!」と気がついて逆走に気づくのですが、その瞬間、脳内の地図は、見事にカチッと正しい地図に入れ替わるんですねえ。人間が現実を見ず、加工された仮想現実を見ていることが納得されました(と書くと長々しいですが、実際は進入して1秒以内の心的出来事です)(^^;
 それで思いついたのですが、高速道路でも、たまにゲートを通ってから道が別れていて、案内板をよく見ていないと反対方面へ入ってしまいそうになる入り口があります。田舎の高速道路では、真夜中だと、視界範囲に車が走ってない、貸切状態になることがあるんですが、このようなときに逆走したら、しばらく気がつかずに走行している可能性があるのではないでしょうか。自分が逆走しているとは全く思っていませんから、前方から小さな車のライトが現れた場合、「あ、あの車逆走してやがる」と勘違いしてせせら笑うドライバーの姿が目に浮かんでしまいました(おい)(^^;

>何人もの秘書が辞めていく中、反省などしなかったのでしょうか?
 おそらく議員は、自分は「本人のためを思って」これだけ親身になって教育してやっているのに、という仮想現実に生きているので、恨みを持たれていたとはよもや気が付かないんでしょうね。相手は恐縮して自分のミスです、本当に申し訳ないと、内心はどうであれ、平身低頭謝っているような態度を示すでしょうから。相手の態度の中に本当の気持を読めない人が管理職になると、得てしてこんな問題が起こるんですよね。
 逆に言えば、辞めるときにはじめて、被害者は本心をむき出しにします。と言うか出来るようになる。この被害者もそうですし、前川さんもそうでした。かつて私の昔の上司に(前回言及した上司とは別の上司ですが)、「何でこの忙しいときに辞めるとか言い出すのか、状況はわかってるだろうに」とぼやいたとき、辞めるというのは大変な決断であり、それゆえ究極の怖いものなしになることだ、と諭されたことを思い出しました。

 

Re:  

 投稿者:武藤  投稿日:2017年 7月 1日(土)07時42分5秒
返信・引用
  > No.7868[元記事へ]

おはようございます。武藤です。

私もゴールデンウィーク、宇都宮で少し逆走しました。
道に迷って広い道路に入ろうとして間違った事にきづいて直ぐにUターンしました。
このとき、ほんの短い距離ですが、逆走してしまいました。

それにしても豊田議員の一回り以上年上の人に対して、あの発言。
僕なども、今は若い人の中に混ざって仕事をしていて、プロジェクトの先輩は若い人ばかりです。
当然、私も仕事でミスをすることもあれば、遅れることもあります。
そういうときに若い先輩は、一瞬、あきれたり、困った顔をすることもあります。
しかし、どうするべきかを丁寧に説明してくれたり、黙々と間違った処理を直してくれたりします。
けして、「このハゲ」と言ったり、頭を叩いたりはしません。
私も申し訳ないとは思うものの、けして恨みなんて持ちませんし、
先輩のマイナスになることを録音したりもしません。

キャリア出身で選挙でも追い風に乗って、一回で当選と順風満帆で他人が馬鹿にしか見えなかったのでしょう。
秘書など、人間とは思っていないのでしょう。
何人もの秘書が辞めていく中、反省などしなかったのでしょうか?
また、秘書が自分に反旗を翻すなど考えなかったのでしょうか?
そういう意味では豊田議員は馬鹿ですね。
自民党を離党しただけで説明責任を放棄して、入院したみたいだけれど
次から次への不祥事。官邸の身内への甘い処分。屁理屈答弁。
今の自民党は末期状態だと思いますわ。

http://blog.livedoor.jp/mutoh1go/

 

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