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Re: 10年以上前の記事なんですが投稿者:管理人 投稿日:2017年 8月 5日(土)23時51分47秒 |
> No.7960[元記事へ] 堀さん、ご指摘ありがとうございます。 たしかにひどいのはひどいですね。 しかし眉村さんの項目がこんなにひどかったとは(ーー;。 以前、当掲示板に書き込みしてくれたりしていた(当時)大学生の眉村ファンの方が、ウィキペディアに書きましたという旨の書き込みをされて、見に行ったことがありましたが、それからしても随分変更が加えられているようです。 眉村さんの退社は1963年と、眉村卓コレクション異世界篇1の自筆年譜にはなっています。それを見ますと、「燃える傾斜」出版(5月)以降の9月に辞められています。ですから誰も信じなかったというエピソードは、まだ会社をやめられていない時期ですから間違いありませんね。(そういえば堀さんも工場のおばちゃんに著書をお見せになられたのでしたね。信じてもらえたのでしたっけ)(^^; 「1963年には大広を辞め」は「1963年には大阪窯業耐火煉瓦を辞め」の勘違いか誤記となりますね。 大広の常勤コピーライターになったのが10月。翌年(64年)非常勤となり、その翌年(65年)嘱託契約を解消して作家専業となられたようです。 この63年は眉村さんにとって(時間線がこっちへと定まった)忘れられない年で(とおっしゃっていました)、処女作出版年であり、会社退職年である他に、長女で歌人の村上知子さんが生まれた年であり、阪南団地に当選して住み始めた年でもあるのですね。 ウィキペディアを修正してくれる方(が見てくれていたらですけど)の参考になればとちょっと調べて書きました。 追記。あ、勘違い。阪南団地引っ越しは前年62年の5月6日でした(ここ)m(__)m |
Re: 10年以上前の記事なんですが投稿者:堀 晃 投稿日:2017年 8月 5日(土)23時00分46秒 |
ウィキペディアがまあまあ信用できるのには同感ですが、ブリタニカに載ってない項目も正確かというと、間違いは結構多いです。 たとえば「眉村卓」の項。 ----------------- ・大阪窯業耐火煉瓦株式会社(のちの株式会社ヨータイ)に入社、日生工場(現岡山県備前市日生町)転勤[2]。 ・1958年に大阪窯業耐火煉瓦を退社、株式会社大広の嘱託コピーライターとなる一方で、1960年からSF同人誌『宇宙塵』に参加する。 ・1963年には大広を辞め、初めての単行本である処女長編『燃える傾斜』を発表、専業作家としての活動を開始する。 ----------------- 上記のうち、 ・「転勤」は正確には「赴任」。日生勤務は1年未満のはず。 ・大阪窯業耐火煉瓦を退社は1964年のはず(1965年かも/自信なし)。『燃える傾斜』出版時は大阪窯業耐火煉瓦勤務で、会社で本を見せたが誰も著者が「村上さん」とは信じなかったという話はエッセイに書かれてます。出版記念会に出席しましたから、これは間違いありません。 ・したがって「1963年には大広を辞め」も間違い。1964(か1965)年からコピーライターで、小説に専業となられた年月日は正確には知りません。 上記の記述は以前(3年ほど前)から気になっていて、どなたか修正してくれませんかねえ。 |
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「地蔵千年、花百年」読了
投稿者:管理人 投稿日:2017年 8月30日(水)23時14分27秒柴田翔『地蔵千年、花百年』(鳥影社、17)読了。
これはよかった。570枚の大作で、(散りばめられた記述から推測して)おそらく昭和10年生れの主人公の一生が点描されるのですが、しかし単に主人公の一生が描かれるのではありません。主人公が生きているうちに出遭った軽重様々な人々が、そこに結び付けられている。その中には、死んでいった者もいますが、死んでもなお主人公とその者は結びついている。記憶の中で? いやいやそうとも言えないのです。
ずばり、本篇は個人版「果しなき流れの果に」といえるのではないでしょうか。宇宙や時間は出てきませんが(ただし時系列はリニアではない)、そのような要素を「果しなき流れの果に」から引いたらどんな話が残るか。それは「出遭いと再会」の物語でしょう。
主人公加見直行は工科大学院で就職も内定していたのだが、気まぐれに訪れた温泉地で、一人の男と出遭う。男は南米の小国で貿易の仕事をしている。その国は特殊で、現地民は古いイタリア語方言を話すので(ここ参照)、イタリア語のできるパートナーを探しているのだといいます。別に勧誘されたわけではないのですが、大学で(たまたま当時付き合っていた女に一緒に受講しようと誘われ)イタリア語を履修していた加見は「私はできます」と男に言う。そして内定していた会社を蹴り、中退届を出して南米に行ってしまう。
イタリア語を勉強していたのもたまたまなら、男と出遭ったのも偶然。南米へ行こうという気になったのもその場の気まぐれ(というか一種の天啓だったのですが。というか後からすれば全部必然だったわけです)。
そんな風に到着した小国に、当の貿易商の男、通称オキシンはいなかったのです。そのとき加見は知るはずもなかったのですが、オキシンは学生運動の或る党派のリーダーで、日本にいられなくなって南米に逃げ潜んでいたのでした。但し南米でもそういう党派と交流があって、その関係で当局に身分がバレ、またもや逃げ出さざるを得なくなり、姿を消したのでした。
到着早々、貿易の仕事を引き継がなければならなくなった加見ですが、オキシンの二人の部下である現地人の女性秘書と男性社員のサポートで、何とか仕事をこなしていきます。一年後、その秘書と同棲を始め、早くも4年の月日が流れる。
女のお腹に子供が授かったことがわかった日、困難が持ち上がる。女は、オキシンの知合いの現地急進派のリーダーの妹で、その関係で秘書の仕事に就いていたのですが、親族たちによってアメリカに厄介払いされていた兄が、無理矢理帰国をはかり、その関係で玉突き式に加見に国外退去命令がくだされたのです。
親族と協議するため部族の里に帰っていた女が音信不通となり、加見は女の生死もわからぬまま帰国させられてしまう。
加見が戻ったニッポンは、東京オリンピックの直前、好景気に沸き返っており、貿易会社を加見から引き継いだ男性社員の好意で、日本側の窓口として作った加見の会社も、好景気に乗って順調に拡大していくのでしたが……
かくのごとく、戦後史を概観できるのも興味深いのですが、加見はとりわけ自己決断するわけでもなく、流されるように歳を重ね、当然結婚し子供も生まれる。それもまた(ある意味)偶然の出遭いだったといえる。
南米へわたるときも、加見は何かに後押しされる感覚を覚えるのですが、そういう運命の差配を、加見は信じるでもなく、当然として受け入れるところがあります。
人生は偶然の連続といえますが、「意味のある偶然」の連続なのかもしれない。ではその意味は誰が与えるのか。加見は信心があるわけではない。ですから神ではなく「運命」を信じるという他ない。「偶然を必然に転化するのは本人の直感です。自分を呼ぶ声を瞬間に信じる」(付録の対談より)。
「果しなき流れの果に」では、それは高次存在として描写(暗示?)されていたと思います。
後半は、前半の出遭い→離別(死別含む)から「再会」のオンパレードとなります。つまり全ては必然で結びついてしまう。
本書の挟み込み付録の、菅野彰正との対談で、著者は「この小説の中では、機会は来るべくしてくる。機会が欲しかったけど、それがなくて一生つまらぬ人生を送ったという、そういう小説だってあり得るわけですよね。だけど僕は、いつかどこかで機会は現れて、別の未来が開けるという世界を書きたかった。いままでのリアリズムだと、そんなに話がうまくいくはずがないというふうになるけれど」
これは野々村と佐世子の再会が、まさにそうじゃなかったでしょうか。
本書には、意味ある偶然が溢れかえっていて、たしかにそんなわけないやろ、と思わないでもないのですが、少なくともその半分は主人公の思い込みや幻視で解釈できます。もちろん著者自身は必然として描いているわけですが、「奇跡」として描いているわけではない。解釈の自由は保証されています。例えばアメリカから帰る飛行機の、座席の前の雑誌入れの中に、なぜか日本の過激派の機関紙が差し込まれているのは「奇跡」なのか「偶然」なのか。確率はきわめて低いけれども偶然でありえるのです。
本篇で目立つのは「死」で、多くの死が主人公の前に現れ、主人公自身も死んでしまう。死の近さ切実さが小松作品と異なっています。それは35歳の小松左京と80歳の著者の差異でしょう。「死」についての考察、葬式、墓は必要か、魂はあるのか。あるとしたら留まるのか行ってしまうのか、という問題が描写で示され、私の歳になりますと、そこがとりわけ興味深かったりしました。
地蔵千年 花百年
あの子 流れて はや万年……