ヘリコニア過去ログ1712
宇宙気流No.90
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月31日(日)21時37分3秒
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本日、『宇宙気流No.90』(SFM同好会、平成29年12月10日発行)を拝受。ありがとうございました! 読むのが楽しみ(^^)
北野勇作「水から水まで」を読んだ
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月31日(日)00時08分26秒
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編集済
北野勇作
『水から水まで』
(惑星と口笛ブックス、」17)
読了。
本書は
Kindle本
です。とてもよかった。どこともわからぬ、しかし似ていなくもない、ポストアポカリプスぽい9世界の風景。同じ地点の9つの並行世界かも。
まあ、大きくはいつもの北野ワールドなんですが、同じ北野ワールドでも、小説ではなく(流れていく)散文詩に近い。もっといえば、太古、焚き火を囲んだ人々に、夜毎語り部が語り聞かせていたような、そんな耳から聞こえる「物語」の感触。著者の文体が、そもそも描写じゃなくて「語り」なんですよね(落語とか演劇をやっておられたからでしょうか。筒井さんもそうですね)
文字列を読んでいるのですが、それが「声」(音の連なり)として聞こえてくる、そんな文章なのですね。それが気持ちよいのです。
この気持ちのよさは、「画像認識」的な速読的読書では得られないはずです。なぜなら共時的な画像認識では、通時的要素である「リズム」が抜け落ちてしまうから。文章を脳内で音に変換してこそ、その独特のよさが伝わってくる、それが著者の作風ではないでしょうか。
そんな著者の特色がよくあらわれた作品集でした。
あ、作品集で思い出したが、本書、「シングルカット」という副題が付いているのですが、私の感覚では、これはシングルカットじゃないですね。大体どこからカッティングしてきたのか(>おい)(^^;
私は、本書はLP盤だと思いました。9曲が収められ、曲と曲の間は白紙頁が挟まっている。白紙頁はレコードの溝幅が広がっている部分です。大体30分から1時間弱で読み終わる分量なのもLP盤ぽい。
又このような形式で出されるのでしたら、シングルカットではなく、「読むLP」みたいな惹句を検討してほしいですねえm(__)m
Re: ひさしぶりの部隊名
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月30日(土)20時40分58秒
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>
No.8320[元記事へ]
かんべさん
それは貴重なお話です。本書の著者は、よかったことは記録してても、あまり惨めだったりしたことは避けているように、読んでいて感じられなくもないので、そのようなエピソードも一緒に残しておくことができるのは、将来使うことがあるかどうか分かりませんが(まあないでしょう)、ありがたいです。
しかし南京の夏は「猛烈に暑」くて雀もトタン屋根には止まらないそうです(焼き鳥になってしまうから。雀落炎暑という言葉があるらしい)。ことに南京予備士官学校は、南京城の中山門を出てすぐ、紫金山山麓に広がった広大な(擂鉢の底のような)盆地に建物も営庭も在り、盆地特有の猛暑の中で訓練が行われたようです。著者の218連隊同期生のひとりは栄養失症で亡くなったようです。
著者は特別に頑健な身体の持ち主だったようですが(私も友人の親父さんだから見知っていますが、眉毛のきりりと濃い人で、恐かったことを覚えています)、普通の体力の人(しかも学徒)は殺されるような恐怖があったとしても不思議ではないように想像されます。
かんべさんも、よいお年をおむかえください(^^)
ひさしぶりの部隊名
投稿者:
かんべむさし
投稿日:2017年12月30日(土)17時05分1秒
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南京の金陵部隊。何十年ぶりにその名前に接しました。広告マン時代、あるクライアントの年配次長が雑談で、戦争中の話を懐かしいという雰囲気でしだしたら、一緒に出向いていたフリーのカメラマン(当方よりぐっと年長だが、その次長よりは若い人)が、「金陵部隊ですか。私にはあそこは地獄でした」とマジで言い、それで次長も話をやめたことがありました。だから、金陵部隊イコール南京士官学校だったのなら、次長は多分、そこに所属していた下士官で教育する側。カメラマンは下記自伝の著者と同じく、命令一本で放り込まれてしごかれた若者だったのでしょう。終戦と同時に家々に「青天白日」旗がひるがえり、衛兵に立たされたカメラマンは、銃は持てず木銃(銃剣術の稽古用)で立ったとか。そこへ石をばらばら投げられたとか。そんな話だったと記憶してます。ちなみに、金陵は南京の別称だと聞いた覚えもあります。御参考までに。では、良いお年を!!
軍曹襟章を大空に投げ捨て、茲に学徒士官誕生す
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月29日(金)23時52分28秒
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No.8316[元記事へ]
二泊三日の船旅で南京埠頭着。これから7か月教育訓練を受ける南京士官学校[金陵部隊](総軍直轄の教育隊)に旅装を解く。
5月1日入校式。陸軍伍長に進級。ここに入校できるのは未来の将校ですから、訓練は厳しかったにせよ(体力のない者は落伍していく。殊に真夏の南京)、ある程度自由でもあった(というか南京市内を大威張りでのし歩いています)。中華料理のコースを食べに行ったりしています。一兵卒と将校の何という身分差。
6月中旬の蒸し暑い夜、ふと目覚めると、目の前に、蓮塘で目をかけてもらっていた上官の姿が。しかし吸い込まれるように消える。その時は気にしなかったが、後日(卒業して原隊復帰したとき)、上官がその日戦死していたことを知る。
8月1日、陸軍軍曹に進級。そんなこんなで7か月が過ぎ、12月20日卒業式。襟に金筋星3つの曹長の階級章をつけ、その上に軍曹の襟章を留め(右腕に将校勤務の章をつけ)て式典に臨む。最後に卒業する候補生がお互い向き合って乾杯と同時に互いに襟に留めてあった軍曹の襟章を「おー」という掛け声とともに剥ぎ取って空中高く投げ捨て、ここに名実ともに晴れて学徒士官が誕生したのでした!
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月29日(金)20時37分50秒
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年賀状
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月29日(金)20時08分29秒
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年賀状、個人関係分を完成させ、本局で投函してきました。7時15分位だったのですが、集荷時間19時頃となっていた。間に合ったかどうか微妙。投函した音の感じはやわらかくて、ポストの中に残っている感じでしたが。
去年は92歳の老父が交通事故に逢っていろいろ大変で、年賀状にかまけている余裕がなく、かなり間引いたのですが、どう間引いたのかはっきり覚えてないのです。とりあえず今年届いたのを参考にしながら宛名書きをしましたが、保管もきちんとできていなかったみたいで、毎年送ってくれてる方のが見当たらなかったり。まあ正月に届く賀状を見ながら、出し漏らしをチェックすることにします。
ということで、あとは仕事関係です
(ーー;
。
甲幹候補生となり、再び長江を下る
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月29日(金)02時29分8秒
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>
No.8296[元記事へ]
蓮塘での厳しい訓練が続く中、年も変わって昭和19年1月中旬、学徒兵の幹部候補生試験が連隊本部であり、著者はめでたく甲種幹部候補生(甲幹)に合格、3月1日付で陸軍上等兵に進級。4月1日付で陸軍兵長に進級。
通例なら内地の予備士官学校に進むことになるはずが、海上交通事情が悪くなっている(制海権の喪失)ところから、急遽支那派遣軍総司令部直轄の南京予備士官学校に入校するように変更となります。
こうして4月15日、著者ら甲幹候補生一同は4か月半の初年兵訓練を受けた蓮塘に別れを告げ、再び揚子江を下る。
一方218連隊も、その10日後、警備していた南昌を離れ、未曾有の大作戦「湘桂作戦」(大陸打通作戦)の一翼を担って最前線へ出動し、蓮塘で別れを告げた直属の上司(教官)たち全員が、その2か月後には湖南湘江の露と消えていたのでした。
ところで、この初年兵訓練の描写では、彼らは常に腹を空かせています。ある作戦で出動した著者は二日分の弁当を一日で食べてしまう。さあ困った。しかし、
「今朝の朝食の分まで食ってしまっていたので又、米を探してきて朝食を取った」
一体どこから調達したのか。当然、現地民の所から、なんでしょう。強奪したのか、頼み込んで分けてもらったのか。でも頼み込んで、だったら、それを面白く書くのではないでしょうか。
別の場面では、成っていた西瓜を貪り食っていて、それは見つかるのですが、しかし怒られないどころか、その大食いを賞賛される。
こんな軍隊、他国でもそうなんでしょうか。
いやそれはないんじゃないか。ドイツ軍でも(公的な接収とかは別にして)そんなことは許されなかったのでは?
しかしその元は、若い兵隊が極度の空腹状態に置かれていたということで、この段階の日本軍は、すでに「戦争」を継続する組織としての要件を備えていなかったんじゃないでしょうか。
「たべるのがおそい」読・・
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月28日(木)23時09分20秒
返信・引用
>
No.8313[元記事へ]
残りのエッセイの類を読む。皆川博子が抜群に読ませる。あたりまえか。
てことで、
『たべるのがおそいvol.4』
(書肆侃侃房、17)読了――
――と言いたいところなんですが、木下古栗作品を途中棄権したので、読了とはならないのです(>自分ルール)。よって読了リストにも記録できない。いつか古栗作品を読んだ時点で、記録となります。その時点が来るかどうか(>おい)。
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月28日(木)01時22分45秒
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元ツイート
「短歌」を読んだ
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月26日(火)21時36分39秒
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>
No.8310[元記事へ]
『たべるのがおそいvol.4』
収録の「短歌」を読みました。
歌人4名の作品が掲載されています。
私は、伊舎堂仁の歌集「IN IN in」が面白かった。三十一文字の定型は守られているものの、その「刻み方」が独特で、インパクトがありました。たとえば、
さすまたは無いんですか、にさすまた? と訊かれ描いたら「ない」と言われる
ケレンがあるからいいのですよね。これをふつうにさらりと、
か
《さすまたは 無いんですか、に さすまた?と 訊かれ描いたら ないと言われる》
では、平凡とまではいいませんが、印象が薄まってしまうような。「にさすまた?」にまず目が釘付けになります。???と。毒々しいくらい強い(笑) その意味では米朝ではなく枝雀(^^;
前に戻りますが、「刻み」というのは私の造語かも分かりません(私が知らないだけで、定まった用語があるんじゃないでしょうか)。ポピュラー音楽で気がつきました。同じメロディでも、刻み方で印象がガラリと変わってしまうのですね。
山下トリオの「寿限無」や「砂山」、「うさぎのダンス」がそうなんですが、私はそれ以前に、吉田拓郎のメロディへの歌詞の乗せ方でそれを意識しました(拓郎はボブ・ディランの影響かもしれませんが)。
歌詞の乗せ方(刻み方)は拓郎以前と以後で大きく自由度が上がりました。あと90年代のミスターチルドレンの刻み方もびっくりしました。これは(私のような)昔の音楽で育った人間には絶対無理だな(発想できないな)と思った記憶があります。ミスターチルドレンも後発者にすごい影響を与え、あの刻み方が一般化してしまいました。
あ、その伝で言えば、そもそもチャーリー・パーカーがそうですよね。それ以前のスイングジャズからすればナンジャコレ?な刻みが新鮮で、以後のジャズが変わってしまった。
この歌人は短歌でそういうことをしようと思っているのではないでしょうか。いやまあ短歌なんか全然知らないので、そういう流れというか流派があるのかもしれませんけど。
寄せ書きのおつかれさまでした。とかも込みで国旗になった日本
も強烈です。
ニッポン
《寄せ書きの おつかれさまで した。とかも 込みで国旗に なった日本》
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月25日(月)22時47分3秒
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元ツイート
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月25日(月)22時42分26秒
返信・引用
元ツイート
「マルレーン・ハウスホーファー集」を読んだ
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月25日(月)18時42分28秒
返信・引用
>
No.8302[元記事へ]
『たべるのがおそいvol.4』
より、「マルレーン・ハウスホーファー集」を読みました。
著者は1920年生れ。日本の第三の新人と同世代ですね(安岡章太郎と同い年)。また、いま読んでいる自叙伝の著者が大正10年(1921)生れですから、ひとつ年上。
つまり「戦前」(1940)においてすでに成人になっている。戦前の伝統的な社会や階級の教育を受けて大人になった最後の世代といえるでしょう。そのことについては洋の東西は無関係です。
掌篇が三篇収録されているのですが、どうやら私小説です。読むと、オーストリアの田舎の名士の家系の娘のようで、裕福かどうかは分かりませんが、決して貧しくはない。皆が皆、寄宿学校に入れるわけではないでしょう。
伝統的な宗教的世界で育ったことは、特に第二話「雌牛事件」で、多分に因習的な(前科学的な)禁制が列挙されていることで分かります。
しかしその禁制は、主人公によって破られていく。このへんは、第三の新人と同じく、戦前と戦後にまたがって、その変化を体現した世代であることも示しています。
北杜夫が描いた幼少期の東京山の手の光景や旧制高校の世界が、読者を甘酸っぱい郷愁に導いたように、本集の三篇もまた「古きよき」(よくも悪くも)オーストリアのある時代の少女を活写していて(たぶんラノベとは正反対)、なかなかよかったです。
ということで、
『たべるのがおそいvol.4』
の「小説」はほぼ読了(木下古栗は挫折した)。
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月25日(月)01時53分44秒
返信・引用
元ツイート
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月25日(月)01時37分1秒
返信・引用
編集済
元記事
「外部」との接触は人間の発達にとってとても大事な要素なんですよね。「異文化接触」も同様なんですが。
しかしこの女児が使っているロボット(テクノロジー)が「米国の企業」で開発されたものなのは、つまるところ日本製では役に立たつものがなかったから、と必然的になるわけで、ロボットに限らず日本のテクノロジーや製造業は、どんどん世界から取り残されていっているみたいで心配になりますねえ。
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月25日(月)00時55分37秒
返信・引用
元ツイート
元ツイート
Re: 『日本SF傑作選3 眉村卓』(ハヤカワ文庫)
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月24日(日)21時40分53秒
返信・引用
編集済
>
No.8305[元記事へ]
道南さん、お久しぶりです。
>『60年代SFベスト集成』巻末の編者コメントではないかなあと
ご教示感謝です。あ、たしかにそれかも。そんな気がしてきました。確認しようと思ったのですが、私も、どこに仕舞い込んだのか皆目見当がつきません。
とにかく、具体的な文言は薄っすらとしかおぼえていないのですが、その寸評の内容自体ははっきりと記憶しているんですね。眉村さんの異種生命体SFすべてに当てはまる、これほど適確な評言はないと思います。
『日本SF傑作選3 眉村卓』
の前半は、そんな異種生命体SFが集められているのですけど、特に私が好きな生命体は、<フニフマム>です(^^)
まだ読み返してないので、40年前の記憶ですが、このフニフマム、時空的に制限された人間の側から見た姿って描写されていましたっけ。それはなかったように記憶しています。しかし、もし外部からその姿を見たら、単に石か岩のようにしか見えないんじゃないでしょうか(^^;
追記。筒井さんでは、「お紺昇天」が、とてもよい異種生命体SFでしたね。踏襲した作品が雨後の筍のように出たので一般化してしまって、いまはじめて読む人にはインパクトが薄いかもしれませんけど。オーネット・コールマンがそんな受容のされ方をされましたよね。オーネットの場合は私は後者になってしまいます(汗)
Re: 『日本SF傑作選3 眉村卓』(ハヤカワ文庫)
投稿者:
道南
投稿日:2017年12月24日(日)20時14分49秒
返信・引用
>
No.8282[元記事へ]
今ちょっと現物を確認できないのですが、『60年代SFベスト集成』巻末の編者コメントではないかなあという気がしました。
「我がパキーネ」が収録されています。
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月24日(日)17時34分47秒
返信・引用
元ツイート
「フランス古典小説集」を読んだ
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月24日(日)01時37分58秒
返信・引用
編集済
>
No.8293[元記事へ]
『たべるのがおそいvol.4』
より「フランス古典小説集」を読みました。
アルフォンス・アレー「風変わりな死」は、せっかくの幻想画風なゆくたてが最後の一言で無に帰される。しかしこれ、著者はわかってやっているのですね。読者が無意識に望む自動的な物語にはしないぞと。いかにもフランス人らしい知の勝った批評的コント。挿絵はマグリット風なのがよかったかな。
マルセル・ベアリュ「小さな少女がパリにやってきた」は二枚のごく短いコント。ある意味残酷な話だが、日本人のように湿ってベタッとしないフランス人には笑えるんでしょうね。
ここまで、フランス的笑話集かと納得しかけていたのですが、最後の話でびっくり。
マルセル・シュオップ「眠れる都」は堂々たる幻想譚でした。いやこれは傑作。
Re:
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月23日(土)16時25分1秒
返信・引用
>
No.8298[元記事へ]
岡本さん
>Amazonトップのおすすめは、個人によって自動的に変わりますからね
なんだ、そういうシステムなんですか。売上数かなと思っていました。ちょうどその時間帯あたりに大量に(但し当社比)売れていたもので(^^;
>過去にチャチャヤング関係や近いものを検索、購入した人は、新刊が出た時に表示される可能性が高くなると思います。
それはありがたいですね。とりあえず出版すればするほど認知度が上がるシステムであることは私にもわかってきました。
何はともあれどんどん出していきましょう! もちろん過去作だけではなく新作も(^^)
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月23日(土)16時10分45秒
返信・引用
元ツイート
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月23日(土)15時57分32秒
返信・引用
編集済
元ツイート
動画は元ツイートで
まるでブラッドベリの小説世界みたいですね。
Re:
投稿者:
岡本俊弥
投稿日:2017年12月23日(土)14時50分1秒
返信・引用
>
No.8297[元記事へ]
管理人さんへのお返事です。
>
> 昨日、Amazonの一般書籍で「おすすめ商品」TOPに『チャチャヤング・ショートショート・マガジン』が紹介されていた(時間帯があった)との報告が雫石さんのブログに! ああ残念。見逃した
>
Amazonトップのおすすめは、個人によって自動的に変わりますからね。一番買いそうなものをおすすめするAmazon AIのたくらみです。誰でも同じものが見えるわけではありませんが、過去にチャチャヤング関係や近いものを検索、購入した人は、新刊が出た時に表示される可能性が高くなると思います。
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月23日(土)13時15分59秒
返信・引用
昨日、Amazonの一般書籍で「おすすめ商品」TOPに『チャチャヤング・ショートショート・マガジン』が紹介されていた(時間帯があった)との報告が雫石さんのブログに! ああ残念。見逃した→
コメント欄
。
元ツイート
※動画は元ツイートで
Re: 自叙伝に復帰
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月23日(土)03時39分32秒
返信・引用
編集済
>
No.8292[元記事へ]
上海に到着した一行は、鉄道で南京。南京から船で揚子江をさかのぼり、九江。そこから再び鉄道で南昌。上海南京間は普通の客車だったが、このあたりになると最前線近しの感を呈してくる。ワム型貨車一両に70〜80名つめこまれ、朝出発して翌夜半南昌駅着。漢江にかかる木製の南昌大橋(橋の所々に爆撃か砲弾で穴が開いている)を渡って218連隊第一大隊本部着。
そこで一行は、第一大隊に配属される者は南昌、第二大隊は尚甚村、第三大隊は羅家墟、大隊本部歩兵砲・通信は連隊本部の所在地蓮塘へと、それぞれ別れる。主人公は歩兵砲中隊に配属され、蓮塘へ向かう。
ここで主人公を待っていたのは、過酷な訓練に次ぐ訓練でした(特に乗馬)。
エピソードをひとつふたつ。
深夜とつぜん叩き起こされ、何もわからないまま行軍させられ、とある村の郊外に着く。そこで今回の目的が、敵の便衣がその村に侵入したとの情報による作戦であると明かされる。初の敵地突入である。照明弾が打ち上げられ喚声を上げながら突入。着剣したまま各家々を検索して回る。
或る家を探索中、主人公は美しい蒔絵を施した手頃な壺が寝台の下にあるのを見つけ、立派な芸術品だろうと、持ち帰る。
実はそれは、夜中に姑娘が使う便器だったという笑い話なんですが、訓練途中の新兵が勝手に持ち帰られるものでしょうか。やはり突入の際それを許可する言葉が上官からあったればこそでしょう。
この作戦は(書かれていませんが)おそらくホンモノではなく訓練の一環だったんだと思います。村人こそいい迷惑ですが、中国人部落からは何を盗ってきても問題にされなかったことがわかりますね。こういうことは、やっていた者も内地に帰れば善良な市民なので)大抵黙ってしまって伝わらないのですが、ここでは笑い話として思わず書き残されてしまったものと思われます。
和歌山で入隊以来一緒だった槌野は京大出らしく左がかった思想の持ち主で、訓練も怠けがちだった。本人一人が怠けるのはいいが、軍隊では連帯責任になる、ということで主人公は意見したこともあるのだが、聞く耳持たない。主人公も説得を諦める。そんな彼が「明日も砲の演習があるが、そのとき、反転移動の際車輪に足を突っ込むから、俺の足を轢け」。複雑骨折したら片輪になるので内地に送還され除隊するのだという。それは翌日が雨で訓練が中止になって有耶無耶になるのですが、諦めない槌野はくすねてきた注射器に泥水を詰め、膝に注射する。必ず関節炎になる。これは実行され野戦病院に入院する。しかし一ヶ月後治ってしまって部隊に復帰させられてしまうのでした。
どちらも(著者の描写も優れていて)まるで戦争映画の1シーンみたいですね。
ネトウヨあほ列伝
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月22日(金)18時40分22秒
返信・引用
編集済
元ツイート
元ツイート
参考に
※ ※ ※
元ツイート
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月21日(木)22時15分50秒
返信・引用
元ツイート
宮内悠介「ディレイ・エフェクト」を読んだ
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月21日(木)20時56分20秒
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編集済
宮内悠介「ディレイ・エフェクト」(『たべるのがおそいvol.4』所収)を、満足して読み終えました。
劈頭に主題を道破すれば、懐かしい!! まるで70年代のSFマガジンを読んでいるような感慨(^^; いやホンマですよ。じっさい誌面をみながら錯覚しかけました。いま手にしているのは、もしかしてホントにSFマガジンではないのか、と(^^;
時は2018年。正月早々異変が起る。東京じゅうで人々の目に、二重写しに別の風景が見えるようになる。
別の風景とは、1944年正月同日の東京の風景なのでした。それからは現在と72年前の幻像が、同じ速度で進んでいく。つまり1月3日には72年前の1月3日の風景が、1月4日には72年前の1月4日の風景が、という具合に。うまいことに(なのか?)2018年も1944年も閏年なので、2月29日で1日ずれることもなく、異常現象は1年以上続いていきます。
この現象はディレイ・エフェクトと名付けられます。これはエレキギター等電子楽器のエフェクターの用語で、訳せば「ヤマビコ効果」です。
で、その事実が意味するのは、翌年の3月9日になれば、現代の東京の人々は、否応なく東京大空襲を目の当たりにするということなんです!
主人公の妻は、一人娘にそんな惨劇を見せたくないので「疎開」しようといいますが、主人公は煮え切りません。実は娘に「体験させたい」と考えているのでした。そのことで夫婦の関係はギクシャクしていき……
そうなんです。まるで小松左京(の初期)作品かと思わせる内容なのです。この2018年に発現したヤマビコ効果、その発現の原因は最後まで解明されませんが、「上位者の意図」もほのめかされ、この辺も小松らしさを感じさせますね。(しかも、具体的な過去描写は広瀬正を髣髴とさせるんですよね!)
このような外枠の大きな設定がある一方で、この現象によって夫婦間に亀裂が入り(というよりも顕在化し)、主人公は自己のこれまでの生き方を内省する機会を与えられる(実は妻の方も)。この内枠は小松作品では(ないとはいいませんが)あまり顧みられないものではないでしょうか。
かかる外からに加えて、それに拮抗する内からのアプローチのあることが、本篇の小松SFの亜流ではない独自性であって、そのことによって本篇は小松SFよりも焦点が読者に近く、読者に「同時代性」を強く印象づける作品となり得ているように思います。
いや面白い(^^) 小松左京を挙げましたが、むしろディレイ・エフェクトというアイデアで料理する手法は、まさに福島正実が定式化した(日本独特の?)SFのそれといってもいいような(懐かしさもそこからくるのかもしれません。社会的には2018年以降も現政権が続いているようで、2017年の今年よりもさらに人々が窮屈に生きづらくなっていっている描写は、著者自身の思いが篭められているんでしょうね)。
そのような意味で「日本的に正統な」本格SFであるといえます。私が70年代SFマガジンかと懐かしく感じたのも、そんなに的はずれではないと思います。
しかしこんなガチなSF作品が(直木賞でもなく)芥川賞候補になるなんて……。世の中は確実に変化してきているんですねえ(>しみじみ)
追記。校正もれ?
13p 現任 → 原因?
17p 山そのもの → 山彦そのもの?
Re: 自叙伝に復帰
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月20日(水)21時58分2秒
返信・引用
編集済
>
No.8289[元記事へ]
「11月19日夕刻、我々が乗った輸送船デンマーク丸は再び朝鮮西海岸の木浦を出港して、朝鮮半島西海岸に沿って航行して行った」
「朝鮮西海岸沖を航行し、渤海湾沿いに黄海を中国大陸に向かっている様であった」
「日本を離れてより二、三日(……)輸送船は順調に中国大陸東岸に沿って航行して行った」
「輸送船は海面が黄色くなった海域に入り敵潜水艦の脅威も薄らぎ、デンマーク丸は南へ南へと進路を取って居た。支那大陸の大河大揚子江の影響であろうか」
え???
とつぜん揚子江が出てきて私はびっくりしました。
黄河じゃないのか……著者の書き間違い?
上の引用文を読まれて、皆さんはどういう航路をイメージされていましたか?
やっぱりその航路だったら(黄色い海面という描写と相俟って)黄河を思い浮かべますよね。私は朝鮮半島西岸北上→黄海南道に突き出した長山串岬あたりから渡海→山東半島北岸西行→黄河(→天津?) そんな航路をイメージしていました。
しかし――
「翌11月21日、広大な黄色の海域の帯の中を、輸送船デンマーク丸は悠々進んで行った(……)支那大陸の海岸線が見えてきた海面は、益々黄色くなってきていた。前方に沢山の高層ビルが林立しているのが見えてきた。「上海だ!上海だ」」
うーむ。やはり上海に到着したのでした。
今書き写していて気がついたのですが、「デンマーク丸は南へ南へと進路を取って居た」となっていますね。見落としていました。
しかし上海が目的地なら、五島列島あたりから一気に東シナ海を渡ったらいいはずです。
なぜそんな遠回りをしたのか。考えられるのは、
1)そのコースを取るつもりだったが、敵潜水艦の攻撃を受けて逃げ回るうちに木浦まで行ってしまい、仕方なく上記のコースに変更した(但し山東半島南岸を西行→南行)。
2)東シナ海の制海権は連合国に既に奪われており、直進コースは不可能だった。つまり上記のコースを取ることは最初から決まっていた。
このどちらかではないでしょうか。
上引用文を見返しますと、「輸送船は海面が黄色くなった海域に入り敵潜水艦の脅威も薄らぎ」と書かれています。大陸沿岸や渤海湾の制海権はまだ奪われていなかったようです。とすれば、2)が正解だったのかもしれませんね。
ネトウヨあほ列伝
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月20日(水)20時42分26秒
返信・引用
元ツイート
※ ※ ※
元ツイート
元ツイート
>実際その戦略は功を奏して長期政権になっている
まさにこの↓漫才の最後の一言ですね。視聴は元ツイートで。
元ツイート
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月20日(水)00時04分27秒
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元記事
「有機物」が表面から剥がれて、地球に落ちてきた可能性はないんでしょうか?(^^;
自叙伝に復帰
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月19日(火)21時31分2秒
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No.8244[元記事へ]
自叙伝に復帰。昭和18年11月、主人公は輸送列車で深夜下関に到着。連絡船で門司に渡る。
翌日、待機していた川崎汽船所属の輸送船デンマーク丸約3千トン(すでに船底には弾薬砲弾、軍馬が満載)に逐次乗船。蚕の棚のように仕切られた船倉の一角に芋虫のように潜り込んだときは夕暮れになっていた。
夕暮れの中、満載のデンマーク丸は僚船8隻とともに船団を組んで荒天の門司港を出帆。
大時化でなかなか寝つかれないでいると、真夜中頃、突如ブーブーという警報が鳴るとともに電灯が消え真っ暗闇となる。「潜水艦警報!」。
救命胴衣をつけ身動きもできない船内で不安に心細くなっているうちに寝てしまう。
目覚めるとエンジン音が聞こえない。昨夜と打って変わった静けさ。
甲板に出ると、点々と島影が見え、陸地は赤茶けた岩山が連なっている。
船は朝鮮木浦沖に停泊していたのだった。
昨夜、完全に灯火管制をしながら大時化の玄界灘を、蛇行を繰り返しながら敵潜水艦の攻撃を逃れ、ようよう木浦港に逃げ込んだとのこと。
うーむ。昭和18年11月時点で、既に玄界灘の制海権も、日本軍は失っていたみたいですねえ。
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月19日(火)21時00分33秒
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元記事
それにしても昨日の接近遭遇映像はビックリでしたよね。
もう一回アップしておきましょう。
ネトウヨあほ列伝
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月19日(火)20時42分21秒
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元ツイート
こんな思い込みばっかりですよね、ネトウヨって。
いったい何なんですかね。頭のなかにとつぜん浮かんでくるんでしょうか。電波が飛んで来るんでしょうか
(ーー;
Re: 『江戸城 御掃除之者!地を掃う』読了
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月19日(火)01時47分30秒
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No.8285[元記事へ]
平谷さん
>3月には3巻目の刊行。現在、執筆中です
楽しみにしております(^^)
伝奇味の濃い『鉄の王』の続編もぜひ!!
Re: 『江戸城 御掃除之者!地を掃う』読了
投稿者:
平谷美樹
投稿日:2017年12月19日(火)00時15分51秒
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No.8281[元記事へ]
拙著の感想、ありがとうございました!
帯にもあったように、3月には3巻目の刊行。現在、執筆中です(笑)
1話目を書き終えて、2話目に入っています。うまくいけば年内に脱稿です。
投稿者:
管理人
投稿日:2017年12月18日(月)23時13分33秒
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元記事
オウムアムアからやってきたのかな?(>おい)(^^;
宇宙気流No.90
投稿者:管理人 投稿日:2017年12月31日(日)21時37分3秒