ヘリコニア過去ログ180101~07

   
 一連の元ツイート


 ツイッターのやりとりの非常に稀な、正しいあり方ですね。
 それにしても同じ鉄拳制裁なのに、かたや非難轟々、かたや問題にもならないむしろ賞賛されるって……。いやー日本人って本当に面白い民族ですね。ではでは(>おい!)(^^ゞ

 
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 7日(日)04時02分37秒
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新年会

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 7日(日)03時26分32秒
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   今日は2年前からやっている小学校同期有志の新年会。今回が3回目なんですが、昨年は、私の父親が交通事故で、入院や何やかやでそのことをすっかり失念してしまっていまして、当然電話がかかってきたのですが、あれま珍しいやつから電話が状態(汗)。おーなんじゃらほい、なんじゃらほいやないがな、新年会やぞ。あちゃー。
 当新年会は主催者の自宅に参加者が食材を持ち寄る形式でして、私は2千円〜3千円程度の白ワインを持って来いと言われていたのですが、そういう次第で去年の二の舞いにならぬよう、すでに去年のうちに最寄りの(ウイスキーやビールを購入する)ディスカウント酒店に足を運んで、おさおさ怠りなく購入済みなのでした。
 なんですが、ワインなんか飲む習慣がないので、売り場を見てびっくり。2千円を越えるようなものは殆んど置かれていなかった。三桁のものばっかり。これは当地が、大阪でもっとも景気のよくない地域といわれているのと相関しているのか。まずそんなことが思い浮かんだのですが、もしかしたら、単に行った日がクリスマス明けだったので、そのへんの価格帯が売り切れていたのかもしれません。
 白ワインでその価格帯のは1品目しかありませんでした。それを購入して帰ったのですが、あとでそれがスパークリングワインだったことに気がつきました。まあ別に構わんだろうと、本日持参しました(^^)
 メンバーに中央市場関係者がいるので、てっさ、白子の湯引き、ミナミマグロの刺し身などすべて上等なのが食い放題。美味しかった! 飽食させてもらいました(^^;
 ところで今日気づいたのですが、メンバーは当然同い年ですから、親は大抵90を超えているわけです。それが全員とは言いませんが、健在なんです。主催者のご母堂も少し顔をみせてくれたのですが、大正8年生れの98歳。全然しっかりされているのです。近所で一人暮らししていて、スーパーにひとりで買物に行かれるとのこと。うちの親は92歳と89歳(2月で90)ですからひよっこです(^^; いまや90歳は普通の存在になりつつあるようです。
 気の置けない友人たちと、自宅飲みでくつろいでいたら、腰を上げるのが遅くなり、日付をこえた1時前に最寄り駅帰着。久しぶりに最終電車での帰館となりました。

 あっそうだ、最終電車車中で気がついたのですが、乗客の9割(もっとかも)は女性でした。男子は早めに帰宅し、女子はぎりぎりまで遊ぶのが、近頃の若者なんでしょうかねえ(^^ゞ

 

伊藤瑞彦「赤いオーロラの街で」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 5日(金)02時09分52秒
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   伊藤瑞彦『赤いオーロラの街で』(ハヤカワ文庫電書版、17)読了。

 今日ネットを巡回していましたらこんな書評が。
 なになに、巨大太陽フレアによる「世界停電」でインフラが壊滅?
 著者名も作品名も全然知らない本でしたが、ビビっときました。その場でKindleのサイトを開き、購入→光の速度でKindle本が到着。
 ときどきこういう直感が働きます。で、それがだいたい当たるのです。
 今回も大当たり(^^; 一気通読。面白かった。
 現代文明が「電気文明」であること、又それが脆弱点でもあることが、本書を読んで改めて意識させられました。
 太陽表面で発生した巨大太陽フレアによる観測史上最大の太陽嵐が地球に届き、快晴の星空が瞬く間に不気味な赤いオーロラのような光に覆われます。それは先触れでした。
 オーロラは、太陽嵐の第三波(第一が光速で届く電磁波、第二波が宇宙線)であるプラズマ流「コロナ質量放出」(CME)が地球磁気圏と衝突した際に発生する現象ですが、その激しく乱された磁気圏が元に戻ろうとするときに、巨大な地磁気誘導電流が発生する。これによって地上の変電設備(変圧器)や高圧電線が破壊されてしまうのだそうです。
 つまり全世界で停電となる。「世界停電」であります。これが大問題なのでした。
 普通の停電ならば、すぐに復旧するのでしょうけど、CME到達時に稼働していたすべての変電設備がパーになった本篇の事態では、変電所の復旧は簡単ではなく、停電は実に3年から10年に渡ると予測されたのです。
 でもそれは、まあ大変だろうが我慢できることではないのか。
 いやいやそれは認識が甘い。
 実のところ、現代文明はほとんどすべてに電気が関わっているのですね。卑近なところではスーパーのレジが動かない。銀行の業務も(ATMでけではなく)すべて電算化されている。電話もIP電話です。農業も酪農も工業も電力なくして稼働しません。GPS衛星がショートしたので、船の運行も大昔の六分儀で行われるようになる。つまり世界は、一気に中世のような状態に戻ってしまったのです。
 一見小松SFみたいな世界ですよね。でも違うのです。
 本篇では、政府や一部のエリートの側からの客観的、鳥瞰的な描写や解説は一切なされません。ここが正反対なんです。政府もいろいろ対策を講じているようなのですが、その情報は間接的にしか伝わってこない、そういう筆法なのです。
 仕事の進め方に対して自信を喪失したウェブプログラマーが主人公。社長の心遣いで北海道の片田舎、斜里町の町おこしの一環として開設されたリモートワーク施設に、リフレッシュを兼ねて派遣されたのですが、ちょうどそのときこの事態に遭遇します。この現象によって北海道自体も孤島化するんですが、その一辺境である斜里町も、交通網が途絶して孤立化、主人公は帰るに帰れず、情報も遮断された町に滞在し続けるしかなくなる。
 そんな「虫瞰的」世界で、もともと主人公は「必要に応じて適切な技術を調達して課題を解決する。そういう場当たり的な解決」をしてきたのでしたが(それが自信喪失の原因でもあった)、その能力を発揮して、電気なき世界でアナログ的な工夫を重ね、なんとか町のインフラを維持しようと頑張るのです(ここが読みどころです)。
 じつは同じことを大局的に進めている(上からの)計画とバッティングしていることが分かってがっかりしたりするのですが、その事実自体が、小松的世界観へのアンチテーゼになってもいるのですね(ただしそのことに著者自身が自覚的なのかどうかは分かりません)。
 これって、レヴィ=ストロースの言う「ブリコラージュ」ではありませんか。ありあわせの材料と道具で、当面必要なものを作り上げてしまう。上記に読みどころと書いたように、本書の魅力はそこの描写にあるように思います。
 じっさい、太陽フレアによる世界停電というグランドセオリーは、ブリコラージュ的世界を準備するだけなんですね。メインは、その世界で、いかなる手製技術が綻びを修繕していったか、それが坦々と記述されるばかり。この辺、小説というよりもルポルタージュに近い読み心地です。主人公の自称は、「自分」なんですが、主語「自分」は殆んど使用されません。途中で気がついたのですが、これは意識的な筆法でしょう。そしてこの筆法も、本篇をルポルタージュぽくしているように思いました。よく取材もなされていて感心しましたし、思うに著者は、もともとライター出身なんじゃないでしょうか。
 満足して読了しました(^^)

 追記。でもタイトルはどうなんでしょう。「赤いオーロラの街」だったのは、最初の二、三日だけなんですよね(>おい)(^^;

 

命令は転々。遂に千五百新兵を引率し長沙へと南下を開始す

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 3日(水)20時09分4秒
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  > No.8330[元記事へ]

 急ぎ原隊に復帰する道程のはずだったが、突然、椿見習士官全員、桜集団漢口第11軍司令部に集合せよとの命令。
 突如出てきた用語で戸惑うのですが、椿部隊とは218連隊のことのようです。というかその上位組織である34師団のことのようです(ウィキで調べた)。集合したのは218連隊の80名と同じく34師団の輜重隊70名だった。そこで命令されたのは、著者等と同様に武昌(漢口同様武漢の一部)待機中の(椿部隊と鳳部隊に配属予定の)、ただし士官見習いではなく、初年兵及び召集兵の集団を、それぞれの部隊に引率追求せよとの命令だった。
 前者は上記のとおり218連隊で、湘桂作戦を終了し、現在広西省柳州より桂林に向かって反転北上中。後者は南支広東付近に駐留中とのこと。
 著者は同期見習士官30名、輜重隊見習士官20名計50名とともに、鳳部隊の初年兵1300名と軍馬150頭の広東への輸送を命じられる。著者はその指揮官を命ぜられます。
 著者は彼らと、彼らが仮泊している大東亜寮で対面する。大東亜寮は紡績工場の跡で荒廃した廃屋のような建物なんですが、実は著者らが漢口に到着した、そのわずか6日前に、いわゆる漢口大空襲があったんですね。
 で、著者は「おっ魂消」ます。ボロ屋にではありません。彼らの装備が、兵隊として全員持参していなければならない筈の小銃が3人に1丁、帯剣は各自持参していたが、水筒は孟宗竹の竹筒という状態だったからです。著者は「日本も最早ここまで来ているのか」と一抹の不安を感じたのでした。
 彼らは心身もひ弱そうで、これから起こさんとする長駆広東までの厳しい行軍に体力が耐えられるのかと心配になります(地図で見たら600キロほど?)。
 軍馬も問題山積。初年兵は皆、馬など扱ったことがなく、士官見習いでも著者ともう一人以外は経験も知識もない。しかも馬具がなかった。素人が裸馬をどう扱えというのか。著者は交渉に交渉を重ねてなんとか頭数分の馬具を確保します。
 しかし今度は列車を調達できない。列車編成の割当がなかなか来ないのです。列車輸送自体がすでに困難になってきていたのでしょう。待機している間に、連合軍の空襲も。
 昭和20年2月8日、ようやく手配ができ、無蓋の貨車に70〜80名すし詰めながら、汽笛一声、列車は武昌站を出発、長沙站に向かって南下を開始したのでした。

 しかし1500名の人員の輸送を、まだ実戦経験もない士官見習いに指揮させるのですから、よほど人材が払底していたということなんでしょうね。

 

前線基地漢口にて束の間人間に戻る

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 3日(水)05時12分49秒
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  > No.8319[元記事へ]

 南京予備士官学校金陵部隊を卒業した218連隊見習士官80名は、原隊復帰のため前線基地漢口に向けて揚子江を遡行します。
 著者は金陵部隊教官として残留することになっていたのが、突如呼び出されて、湘桂作戦で原隊の将校が著しく欠損しており貴様も急遽復帰させてくれとの要請が原隊よりあった。残念だが至急帰ってやれ、と告げられます。そして「218連隊見習士官全員の引率を命ず」。
 ここのシーンで著者の心の中は書かれていませんが、前線に戻されると知ったとき、がっかりしたのか、それともよーしやってやるぞだったのか。どっちだったんでしょうね。
 閑話休題、昭和19年12月23日、南京下関港より出航、25日漢口着。漢口で10日ほど待機となるのですが、さすが士官となりますと自由に出歩けるのですね。美味しいコーヒーを飲ませる喫茶店に日参し、大きな顔をして偕行社の将校集会所で偕行社特製のカレーを食べる。市の西方には花街があり、祇園というお茶屋があったと書かれていますね(^^;
「我々見習士官は今まで1年余の間、新兵時代より金陵部隊南京予備士官学校の厳しい教育期間を通じて、漸く人間的自由な時間と行動の自由を漢口に来て満喫することが出来たのである」
 とはいえそれも十日ばかりの話。前進基地の漢口は、あるいはこれから前線に動員され戻ってこれないかもしれない者たちに、束の間今生の慰安に浸れる場所として、端から設定されていたのかもしれませんねえ。

 

Kindle化計画

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 2日(火)19時59分53秒
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   下に掲載したユーチューブですが、「公務員ではないから罪にはならない」ことで、モラルが麻痺していると言ってますね。その結果、半公然化していることが伺われます。これが事実だとしますと、紅白とか相撲のような、芸能部だけでそのようなことが起こっているとは考えにくいですよね。
 しかし他の部署がきちっとしているなら、いくらなんでも磯野チーフプロデューサーだけ人身御供に警察に差し出すことで、上位の二人がその後も安穏と地位を維持し得た(さらに出世していった)なんてありえないと思うんですよね。お前らだけええ目しやがって、と絶対になるはず。
 それがならなかったのは、他の部署も同じように甘い汁を吸っていたからではないのでしょうか。
 もしも、いわゆる「天海詣で」を白日のもとに晒し、天海部長を失脚させたら、おそらく天海部長も黙ってはいない。それこそ他の部署の悪事をバラしまくるに違いない。
 事実、警察に手柄をあたえることで黙らせたあとは、旧態が依然としてそのまま維持されたわけです。
 だとしたら政治部、いやトップも同じ穴の狢であって不思議はない。いや当然そうなるでしょう。
 おそらく岩田明子なんか雑魚の部類なんです。もっと上部に、政権は美味しい目をさせているに違いないと思います。現状の放送内容の偏向をみれば(たとえばあべっちに不利な国会中継を放送しなかったりしましたよね)、明らかですよね。

 ということで、今日はチャチャヤング・ショートショート・マガジン3号のキンドル化に手を付けかけたのですが、うーん、これはかなり難儀な感じです。
 この頃は私もワードの知識が乏しく、泥縄でやっていたのが、今響いているのです。紙版は見た目で整っていたらいいのですね。で、それに合わせるため、原理原則ではなく小手先でいじってなんとか目に見ておかしくない(ように見える)かたちにしている(それこそ1行ずつ設定を変えている部分もあるのです)。
 それをキンドルでそのまま使おうとしますと、手先の糊塗がどんどんあらわになってきてしまうのでした。
 あとこの号は、西秋生追悼特集号なので、エッセイと創作の二部構成になっています。もくじも、これまでの二冊のような自動生成的なのではうまくないのですね。ワードのもくじ生成法を勉強しなければならないようです。
 ちょっと読みかけたのですが、頭が痛くなってき、中断。
 まあ、ゆっくり進めようと思います。

 てことでキンドル関係は棚上げ。ユーチューブで「AKIRA」を観ました。名前はよく知っていましたが初見。なるほど世評の高さを納得しました。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 2日(火)04時55分13秒
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日本ロックの女王

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 1日(月)21時05分3秒
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   今日は、最近マイブームの浜田麻里を聴いていました。
 ひと月ほど前、たまたま(自動再生をオンにしている)ユーチューブから最近のライブビデオが流れてきて、うわー今はこんなんなんや、といっぺんにファンになってしまいました。
 いやもちろん80年代後半の曲は知っていますよ。最初に知ったのはソウル五輪の「Heart and Soul」だったと思います。それから化粧品CMの「Return to Myself」。
 ただこの頃はアイドル路線「も」めざしていたような露出に違和感がありました(曲は気に入っていましたが)。抜群の声量も、悪くとればキンキン声とも私には感じられました。
 ですから聴き方も、いわゆる「シングル盤歌手」の範疇で聴いていました

※ただしシングル盤を購入していたのは中学まで。高校からはLPオンリーになっていたので上記の曲を購入することはなかった。その意味で、実は「シングルカット」というのは邪道だという意識がいまだにあります。
 ついでにいえば中学時代に買ったEP盤は、ナンシー・シナトラ「カリフォルニア天国」、ショッキング・ブルー「悲しき鉄道員」、オリジナルキャスト「ミスター・マンデイ」等。つまりそういう歌手の範疇で捉えていたわけです。
 ヘイ・ジュードやレット・イット・ビーも買いましたが、結局レット・イット・ビーは高校でLPを買い直しています。ヘイ・ジュードを買い直さなかったのは、この曲がそもそもシングルカットじゃなくて、シングル盤オリジナルで発売されたものだからです。というか、ビートルズもLPで勝負するようになったのは「サージェント・ペパーズ……」からでしょう。同時期発売の「ヘイ・ジュード」は、シングルヒットビートルズの最後の作品と言ってよいかも(ストーンズの「ホンキー・トンク・ウイメン」が同じ位置づけですね)。

 話を戻します。そのような次第で、80年代後半の浜田麻里はすぐに私の関心から外れてしまった。浜田麻里自身もシングルヒット路線はすぐにやめて、(これはあとで調べたことですが)90年代は海外進出していきます。私の狭いレーダーには全くひっかかからなくなってしまい、その存在自体、ほとんど忘れてしまっていました。(そういえば濱田マリが出てきたとき(90年代なかば?)、そういえば浜田麻里は今どうしているんだろうと思い、ネット検索したことがありました。しかし当時はインターネットも情報量が乏しかった時代ですよね。けっきょく消息についてはよくわからなかったのでした)。
 ところが1か月ほど前、上記したように、ユーチューブから流れてきて、その変貌にびっくりしてしまったのでした。考えてみれば30年ぶりに聴いたことになります。
 どう変わっていたかといいますと、純然たるハードロックシンガーになっていた。いやファンの人に言わせれば最初からヘビメタだった。変わっていないとなるんでしょうが、私はシングルヒットを飛ばし始めた頃しか知らないので、そう感じたということです(集中的に聴いた感じでは、現在のスタイルに定まったのは10年ほど前(2008年前後)からのようです)。
 まず、声がさらに豊かになり、キンキン声ではなくなっていました。現在55歳ですが、ふつう年齢とともに音域は下がるのですが、この人は、デビュー当時より音域はさらに上方に伸びています。デビュー時(80年代)の「ブルー・レヴォリューション」と最近の同曲がユーチューブにありますから、聴き比べたら一聴瞭然です(声の進化は現在も継続しており、2008年より2014年のほうがさらによくなっています)。
 演奏する曲自体が、ポップス的要素は姿を消しており、まさにハードロック化しています。それからこれに私は撃ち抜かれたのですが、ハイトーンでのビブラートが、まさにハードロックの唱法となっている点。日本人でこれができる歌手は、この人以外にいないのではないでしょうか。
 私はハードロック唱法は(日本語と英語の発声法が根本的に違うため)日本人には不可能だとずっと思っていましたので、しびれてしまいました。
 とにかく私は、音楽が肉体労働であることを感じさせてくれるプレイが大好きなんです(^^)
 そういう次第で、CDも購入するほどのイレ込みよう(ただしスタジオ製作のCDよりユーチューブで聞けるライブ演奏のほうが遥かによいこともわかりましたが)。
 DVDがほしいのですが、DVDは6000円以上するので二の足を踏んでいます。飲み会での6000円なんて屁とも思わないんですけどねえ(>おい)(^^;

 2008年

 2014年

 

Re: 謹賀新年

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 1日(月)16時29分47秒
返信・引用 編集済
  > No.8325[元記事へ]

 雫石さん
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 年が明けてもひきつづきアニメを見ていまして、「ヴァンパイヤー・ウォーズ」(91)を観ました。原作菊地秀行かと思って選択したんですが、笠井潔でした。
 わずか50分で(映画ではなくビデオで発売されたものでしょう)なんと物語が始まるところで終わってしまいます。続編があるのかもしれないなと、検索しましたが、ユーチューブはおろか、商品情報も見当たりません。
 もしかしたら不評で、この1巻のみであとは出なかったのかも。50分にまめるためシーンをかなり削ったことが歴然としていて、しかもその削った部分のつなぎ目が無造作で、これでは中断もむべなるかなと思いました。
 原作は読んでいないのですが、ビデオを見ると、なかなか構想雄大ですね。原作を読んでみたくなりました。
「寝ずの番」はタイトルも知らなかったのですが、日本映画繋がりで、今朝のツイッターに大島渚の名前が頻出しています。テレビか何かで特集が組まれたのかもしれません。

 

Re: 謹賀新年

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2018年 1月 1日(月)08時39分22秒
返信・引用
  > No.8324[元記事へ]

あけましておめでとうございます。
わたしも、「紅白」なんてバカなもんは見ません。
昨夜は、らもさん原作の映画「寝ずの番」(傑作、おすすめ)を見て、ストックしてある上方落語のDVDを見てました。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

謹賀新年

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 1月 1日(月)00時57分2秒
返信・引用 編集済
   みなさま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 大晦日の夜は、菊地秀行原作のアニメ大会でした。
 年末だし、久しぶりにビデオでも見ようかと思ったわけです。で、ツタヤに行きかけて、カードが8月で期限切れになっていることに気づきました。あちゃー。
 全く利用していなかったので、今日の今日までそれに気がつかなかったのでした。そういえば前回の更新のときも、1年間全く利用しなかったことを、当掲示板に書き込みしたと思います。
 つまりほぼ2年半ちかくツタヤを利用していない(更新の際もらった無料サービスは消化しましたけど)。映像作品への興味、いや、欲求が消滅してしまったようです。
 ですから、あ、切れているのか、まあいいか、という感じだったんですが、ふと、ユーチューブに映画がアップされているかも。アクセスしてみたら、なんかうじゃうじゃあるではないですか。
 洋画を見かけたのですが、やはり画面が小さい、それも縮小しているのではなく上下左右少しずつ切り詰めているみたいなのです。これはさすがに見ておれんと。
 日本のアニメはどうか。ぱっと出てきたのが「妖獣都市」(1987)。ちゃんと見れて画質もそこそこで、けっこう面白かった。
 私は自動再生をオンにしているのですが、そうしますと、次に「魔界都市〈新宿〉」(1988)が始まった。しかしこれはもひとつでした。高校生を主人公にしたらこうしかならないのかも。
 そこで「バンパイアハンターD」(2000)を観た。これは秀作でした。天野喜孝のデザインをフィーチャーした本格的なアニメ映画で、この原作シリーズは読んでいませんが、原作よりも整った作品になっているのでは?

 ということで、テレビの年末特番なんか見るより数倍楽しめたと思います。上記の洋画はたまたまそんな加工をしたのに当たっただけみたいで、少しザッピングしてみたところ、ちゃんと観れるのが大半のようです。もうツタヤカードは必要ないと確信したことでした(汗)



 


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