ヘリコニア過去ログ****

Re: 「図ですぐ!わかる相対論 橋元流物理の世界」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月 2日(金)00時57分3秒
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  > No.8437[元記事へ]

 橋元さん

 これは私の方の問題なのかも分かりませんが、ときたま図(画像)が画面に出てこない場合があるのです。タブレットでもPCでも起こります。
 タブレットの場合は縦長で読んでいたのなら、横長にしたら現れます。PCの場合は全画面にすると現れます。
 もしかしたら画像は、文字よりも桁違いに重いので、端末に到着するのがちょっと遅れるのかもしれません。これは相対論効果なのでしょうか(>なわけない)(^^;
 mobiファイルは、元のワード文書でこしらえたものが、思ったようになってないときがあるんですよね。チャチャヤング・ショートショート・マガジンでも泣かされました(今も泣いたままです)。いや単に当方のワイファイの問題かもしれませんが。

 ということで、51%まで読みました。
 光子ロケット搭乗者がふりかえって見た地球が、船が光速に近づくにつれ、時間が遅れていくというのは、目からウロコでした(というか考えたことがなかった)※。つまり無意識裡に、常に視点が地球に残っていたわけです。なかなか地球中心主義から自由になることができません。
※てことは、地球の管制室で「ロケットが出発して10年になるが、ロケット内部では8年しか経過していないのだよ」と話しているとします。その一方で、ロケット内部で10年経過したとき、搭乗者は地球を見て「あっちはまだ8年しか経過してないのか」とつぶやく。それで合っていますよね。合っているのかな。わからなくなってきました(汗)

 
 

Re: 「図ですぐ!わかる相対論 橋元流物理の世界」に着手

 投稿者:橋元淳一郎  投稿日:2018年 3月 1日(木)23時10分53秒
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  > No.8433[元記事へ]

管理人さま、
フォローありがとうございます。
おっしゃる通りですね。無視して次の出版に邁進します!
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月 1日(木)21時15分40秒
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「え?蜃気楼なんですか」てあのね。ほんまに空中に浮かんでると思いはったんやろか。
【設問】
 1)素直すぎて疑うことを知らない
 2)言葉を字義どおりにしか理解できない(反語やレトリックを読み取れない)。
 3)アニメ世界と現実世界が当人の中で矛盾なく共存している。

 こういう人がネトウヨかしこ連中の工作にかんたんにひっかかっちゃうのかも。
 ※追記。この方のTL覗いてきた(ーー;

 元記事
 元記事

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 3月 1日(木)19時01分44秒
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   元記事

 

Re: 「図ですぐ!わかる相対論 橋元流物理の世界」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月28日(水)22時24分50秒
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  > No.8432[元記事へ]

 橋元さん

 私も、下にリンクを貼るときに気づきました。この人物が他にどんなレビューを書いているのか興味がわきましたので、ちょっと見てきたのですが(ここ)、本書を敵視したというより、相対論関係の著作に対して、誰彼なく当たるを幸いという感じで罵倒しているんですよね。
 自分に理解できないのはすべて「間違い」と認識してしまう人のようですね。
「宇宙は何個もあるんかな?一個に決まっとるやろ。宇宙はそんな甘いもんやないで」(佐藤勝彦 『宇宙は無数にあるのか』のレビュー )なんて失笑してしまいました(汗)

 それにしても災難でしたね。しかし相対論に関心があってKindleの本書のページを訪れた人なら、あの文章をまともだと思う人はいないでしょう。無視するに如かずです。そのうち好意的なレビューもアップされて、相対的に打ち消されていくんじゃないでしょうか。

 

Re: 「図ですぐ!わかる相対論 橋元流物理の世界」に着手

 投稿者:橋元淳一郎  投稿日:2018年 2月28日(水)21時51分54秒
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  > No.8431[元記事へ]

管理人さま、早速に拙著をご購入下さり、また読み進めて頂きありがとうございます。
100パーセント理系物理の本なのに恐縮のかぎりです。雰囲気を読み取って頂ければ嬉しいです。
それにしても、Amazonのカスタマーレビューで悪意に満ちた書き込みをしている人がいるのは困ったものです。レビューにある訳の分からない式などどこにも書いていないので、おそらく本を読まずに(そして多分買わずに)書いているのだと思います。
 

「図ですぐ!わかる相対論 橋元流物理の世界」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月28日(水)21時28分45秒
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   橋元淳一郎『図ですぐ!わかる相対論 橋元流物理の世界』に着手しました。39パーセント(3章)まで読みました。
 いやもちろんわかったとはよう言いません。よう言いませんが、しかし門前の小僧で著者のKindle本シリーズを読み続けているおかげで、著者の話に、即応はできないにしても(以前はいちいち考え込んでいた)、追いつく時間がだいぶ短くなってきたような気がします気がします(^^;
 非因果領域も、なんとなくイメージできるようになってきました。この領域、SFのアイデアの宝庫ですね。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月28日(水)19時35分22秒
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   元ツイート


 大阪だって負けていません(>無意味な対抗意識)

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Re: ベストSF2017

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月28日(水)12時18分58秒
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  > No.8428[元記事へ]

 堀さん、ご教示ありがとうございます。
 調子に乗って、三重県には股毛があるようです。オッタマゲです!→卑猥なものを連想させる地名

 

Re: ベストSF2017

 投稿者:堀 晃  投稿日:2018年 2月28日(水)08時04分49秒
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  > No.8426[元記事へ]

「穴毛」ならぬ「毛穴」ですか。
まあ、これは表意文字としても、まあ普通ですね。
岐阜に「尻毛」というところがあって、これはねえ……
 

ベストSF2017

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月27日(火)22時27分7秒
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   堺市に「毛穴」という地名が残っています。「穴毛」じゃないですよ。「ケナ」と読みます。ちょっと珍しい名前なので、どんな由来があるのかと検索してみました。ヤフー知恵袋によりますと、
 ・鎌倉時代にこの一帯を統治していた毛穴一族に由来するという説
 ・14世紀の初めにこの地に乱入した毛穴円明と言う悪党に由来するという説
 ・荘園の領主に抵抗した毛穴左衛門五郎に由来するという説
 など諸説があるようです。

 でもこの三説、時代がズレていますから、一本に繋がりそうな気がします。
 ・平安時代末期、荘園領主に抵抗するような武家が台頭し、それが毛穴左衛門五郎だった。
 ・その一族が鎌倉幕府によって平安貴族没落後の同地に安堵された。
 ・鎌倉幕府が滅ぶとともに、毛穴一族も滅亡した。
 ・室町時代になり(14世紀)、一族の末裔の毛穴円明(遺児か遺臣)が再び力を蓄え、旧領を襲った。
 うーむ。ありそうではないですか。

 で、ここからは私の想像ですが、あの辺は渡来人の多かった地域なんです(古墳も多い)。有名な茅渟県陶邑もこのあたりです。新しい焼物(須恵器)の技術を伴って朝鮮半島から渡来した人びとがこの地に定着したんですね。
 私は「穴」は「安羅」だと想像したい。ラ→ナ→ヤは音通で転訛しやすいのです。加羅カラ(伽耶カヤ、韓カナ)地方の安羅アラ(安耶アヤ、安那アナ)からやって来た一族で、東漢(ヤマトノアヤ)氏が武力に優れた渡来人だったように、毛穴氏も軍事氏族で、最初は荘園警護に雇われていた。それが貴族階級衰退でのし上がったのではないでしょうか。
 ところで、毛穴町には「毛穴なかよし橋」というバス停もあるらしい。毛穴なかよし橋――なんか洒落ていますね。穴毛なかよし橋ではサマになりませんね(>おい)(^^ゞ

 2月は明日まで。もうこれ以上読めないと思うので、森下さんのベストSF2017に投票してきました。

 

「日本SF傑作選 眉村卓」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月27日(火)03時39分31秒
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  > No.8422[元記事へ]

 今日読んだのは「最後の手段」「産業士官候補生」です。いずれも100枚前後の中篇。
「最後の手段」はパイオニア・サービス社無任所要員もの。昨日、無任所要員たちが言うインサイダーは、インサイダー文学論のそれとは違うと言いましたが、本篇で後者のインサイダーが登場しました。
 主人公・南条はパイオニア・サービス社の社員ではありますが無任所要員ではない。良心派と目されていて、どんな汚い仕事でも取ってくる会社に対して自分の信条と相容れない仕事は拒否する、と言いたいところですが、そこは宮仕え、職務は果たしますが、会社に迷惑をかけない必要最低限のところで手を打つ。私は、これはこれでヌエ的だと思うのですが、さはさあれそれが許されているのは、気に入った仕事では抜群の成果を残すからなのです(とはいえそんなわけで最近は地方仕事ばかりで大きな仕事は回されてこない)。
 そんな主人公ですから、無任所要員たちの暗躍ぶりはあんまりよく思っていません。「かれらには良心というものがないのではないか」(632p)
 その頃日本の医療技術は世界ではじめて脳以外すべて人工物に置き換えるサイボーグ化に成功したのですが、将来は別にして莫大な費用がかかる。その技術を特例に終わらせず一般人も利用できるよう、財界の有志が資金を出し合い、財団法人化して専用の施設を建設することになる。それをパイオニア・サービスが請負い、そのプロジェクトのリーダーに南条が指名されます。
 久しぶりの大きな仕事であり、信条にもぴったり合致するプロジェクト。主人公は張り切るのですが、無任所要員のサブが付くといわれる。もともと彼らに対する心証も悪いですし、そんなのは必要ないという自負もある主人公は、彼らを無視して仕事を進めます(無任所要員たちは、彼らは彼らで裏でいろいろすすめているようなんですが、主人公は一切関知しようとしません)。
 さて、主人公の獅子奮迅の甲斐あって、計画は予定どおり進捗し、完成を間近に控えたある日、主人公は、この計画がオモテの建前とは別の意図があったことを知る。それは良心派の主人公には絶対に許容できないことだった。主人公は会社を辞め、個人で建設反対の訴えを起こすのですが……
 この結末は、たしかに主人公に「最低限」の勝利をもたらしますが、私に言わせればその手段は構造的な勝利ではなく、個別一回的な(一回しか通用しない)勝利でしかないのですね。
 しかもインサイダーとしてそれを行えたわけでもない。むしろ自分の(優れていると思っていた)能力が、大会社の看板を背負っていたがゆえ発揮できたことを思い知らされる。
 特筆すべきは、無任所要員の杉岡が、主人公の得た結果を賞賛するのですが、それはあくまで勝った負けたのレベルの話でありまして、杉岡自身が、内心では主人公を応援していた、という話ではありません。杉岡自身のインサイダー観は不変のままなんです。

 こうしてみますと、司政官も挫折の話ばかりですし、著者のいわゆるインサイダーが成功した話というのは、どうも書かれてはいないのではないでしょうか。というか、そんな(成功なんて万に一つもありえない)ことは著者は百も承知で、それでもなお、組織内存在者でありながらその良心に従って行動しようという人びとと、それと同時に組織の現実そのものを、ふたつながらに小説化したいという欲求に、この当時の著者は駆られていたんだろうなというのが、私の感想です。

「産業士官候補生」は《高1コース》に連載されたものですが、ジュニア小説にあるまじき苦い認識は、ジュニア小説の範疇を逸脱しています(汗)。だから著者の一般向け作品集である『時のオデュセウス』(ハヤカワSFシリーズ)に収録されたわけです。
 中学を卒業し<産業将校>の養成機関に抜擢されて入所した主人公が、その人間を非人間化する教育システムに次第に反発を覚え(客観的には)落伍する話。
 主人公が最後の決断をするのは、実家が融雪による増水で流され家族が全滅したニュースを見たことがきっかけで、実はこれフェイクニュースで、産業将校となるためには、家族がどうなろうとそれに動揺する人間であってはならないことを試すものだったのです。
 つまり本篇は、第一部収録の「養成所教官」と同じ小説構造なんです。「養成所教官」での落伍はテレパシーを持たないがゆえ旧来の思考から脱却できなかったゆくたてですが、本篇の主人公も「産業人間」になりえず「旧来の人間」から脱却できなかった。
 これ、著者のなかではアンビバレンツなところもあるんじゃないでしょうか。

 ということで、眉村卓『日本SF傑作選3 眉村卓』(ハヤカワ文庫、17)読了。
 著者の初期作品を読み返す貴重な機会を与えられ、この企画に感謝する次第。
 それにしても眉村さん自身はこれらの作品群を否定しておられるのかもしれませんが、著者の気持ちなど関係なく、これらの作品群が客観的に自立した傑作であることは否定しようがありません。そのことを再認識する読書となりました。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月26日(月)21時01分23秒
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アフロ・ブルー

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月25日(日)23時18分4秒
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   フィギュアスケート金メダリスト・ザギトワ選手のエキジビションの演目が「アフロ・ブルー」だったのですが、もちろんコルトレーンではありません。調べたらジャズメイア・ホーンとのこと。
 
 おお、いいですね。クルセ・ママみたい(^^;

 とはいえこっちもいいです(^^)
 

 

「日本SF傑作選 眉村卓」読み中(続)

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月25日(日)21時44分1秒
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  > No.8418[元記事へ]

 承前。今日読んだのは、「惑星総長」「契約締結命令」「工事中止命令」「虹は消えた」の四篇。
「惑星総長」について、私はずっと「司政官」の前代の形態と思い込んでいましたが、今回読み返して、それがとんでもない誤読だったことに気がつきました。
 司政官は、いうまでもなく中央政府から派遣された統治のエキスパートの官僚・国家公務員です。ところが本篇の惑星総長は「現地採用」なんです。要するに地方公務員の行政長官(厳密に言えば選挙で選ばれた首長なんですが、司政官との対比で(^^;)。いや行政権だけでなく司法立法の長でもあります。だから「総長」なんですね。だったら大統領とか総統の方がよさそうな気もします。私が思うに、著者は本当は「惑星総統」としたかったのではないかなと邪推しているんですが、さすがに忖度が働いたのではないでしょうか(おい)(^^;。
 そういう設定ですから、惑星総長が握っている情報は限られているわけで、本篇のような仕儀になってしまう。20年に一度、査察官の査察があるわけですが、これは、のちに巡察官となっていくんでしょう。
 司政官が全員クソ真面目なことをとりあげて、なかにはやる気のない司政官がいてもいいのではないか、という意見はときどき耳にし、いや実は前史的作品には登場しているんだけどなあ、と歯痒い思いをしていたのですが、知ったかぶりして言わなくてよかった(>ほっ)(^^ゞ

 あとの3篇は(次の「最後の手段」も)「パイオニア・サービス会社」もの。
 パイオニア・サービス会社って、これまで総合商社(ラーメンからミサイルまで)の進化したものと捉えていましたが、今だったらさしづめ「電通」ではないでしょうか(^^; 戦前は別にして今政商といえるのは電通のほうですよね。
 このユーチューブ※、ときどきホンマかな、と眉に唾をつけたくなるのですが、何はともあれここに描き出された電通こそ、パイオニア・サービス社ではないでしょうか。(※40分もあって長いですが、私は設定で速度を1.5倍にして視聴したので、3分の2の27分で聴了しました。1.5倍で充分聞き取れます)
 このような「巨悪会社」での「無任所要員」の 活躍 暗躍を描いているのが本シリーズ。
「契約締結命令」にちょこっとだけ「ビッグ・タレント」が出てきます。こちらも著者の未来社会ものの重要な設定で、超管理社会である未来世界でどこにも属さない自由人(アウトサイダー)の産業人。「無任所要員」や「産業将校」のアンチテーゼ的存在として措定されているんですが(その立場が必然的に彼らを非人間的労働環境に置くというパラドックス)、本篇ではそれがあまり見えてこないですね(ビッグ・タレントをもっと真正面から描いた作品が他にあるんですけどねえ)。
 この「契約締結命令」で、「無任所要員」の登場人物杉岡が「何だあんなビッグ・タレントのひとりやふたり。あんな消耗品はいくらでも代わりが出てくるさ。いまの社会はわれわれのようなインサイダーが大切なんだ」(541p)と嘯くのですが、この文脈でのインサイダーは、著者のインサイダー文学論の文脈でのそれとは180度違っています。本篇発表時点(67年1月)で、インサイダー文学論はまだ固まってなかったのでしょうか。少なくともパイオニア・サービス社ものの「無任所要員」たちは、自己の存在に疑いを持っていませんね(ここでの作者の意図は、「表裏両面から見る眼」(751p)を持ってこそ世界は理解できる、ということだと思われます)。

 今日読んだ中では「虹は消えた」が、財政出動(贋金ですが(^^;)による公共事業というケインズ理論を(SF的に加工した上で)実施する国家プロジェクトを具体的に描いていて面白かった。最終的に破綻するのですが、そしてそれは無任所要員のミッション外のためすでに帰国しており描かれないのですが(つまりスパイ大作戦みたいな展開)、どう破綻していくのか見たかったです。

 

Re:  

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月25日(日)14時07分5秒
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  > No.8420[元記事へ]

 深田さん

 おお(笑)
 そういえばドムドムって、まだ行ったことがないかも。
 太巻きをアップしたときは、たしかにやんちゃが過ぎるぞと私も思ったのですが、よくよく考えれば子供の頃、家で作る握り寿司のアイテムに玉子焼きをのせたのはふつうありましたし(寿司ご飯と玉子焼きを海苔で巻いてしまったようなのもあったような)、好物だったという記憶が甦ってきました。
 ハンバーガーも、サンドイッチの親戚と思えばさほど突飛でもないような気がしてきました。厚焼き玉子バーガー、案外人気メニューなんじゃないでしょうか(^^;

 

Re:     

 投稿者:深田亨  投稿日:2018年 2月25日(日)11時29分1秒
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  こんなのもあります・・・

https://domdomhamburger.com/menu_burger
 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月25日(日)01時09分38秒
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   元ツイート

 

Re: 「日本SF傑作選 眉村卓」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月24日(土)21時13分10秒
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  > No.8415[元記事へ]

 第2部は未来社会ものが集められています。今日は「還らざる空」「準B級市民」「表と裏」を読みました。
「準B級市民」がダントツによい。

「長い間均衡を保っていた人口は、資源の開発に対する遅れをとり戻し始めていた。
資源開発の進行に追いつき、それを管理するために、政府は産業部門ごとに絶対的に不足するであろう種類の人間を、人工的に合成によって埋め合わせてきたのだが、今ではその必要は消えようとしていた。そんなことをしなくても、”本当の” 人間がぐんぐん増えはじめていたのだ。
しかもなお悪いことには、こうして生まれてくる ”本物”は、いかに低俗で本能的な存在であろうと、人間であることだけは忘れなかった。
かれらの社会的な不満は、政策出生者にだけ集中した。為政者にとってもそれはある意味で好都合なことだったのだ 」(421p)


「政策出生者」を「移民」あるいは「在日朝鮮人」に置き換えてみましょう。「移民」に置き換えますと現在のヨーロッパ、「在日朝鮮人」なら当然日本の現在の状況が浮かび上がってきますよね(もちろん日本においても移民差別は存在します)。
 まるでこの21世紀の現在を予見していたかのようにみえます。
 しかし、著者はそんな個別的な差別を念頭にしていたとは思われません。もっと一般的普遍的な差別の構造を小説化することで顕在化してみせたわけです(その結果、読者はそれぞれの自分の立ち位置(時空座標)に立ち還って、「移民」を想起したり「在日朝鮮人」を想起したりしただけの話です)。
 要するに著者は、「予言」(ガーンズバック的な)したのではなく、社会に普遍的に存在する差別構造を「アレゴリー」として提示した。それが後世の読者の目には予言と映ることになったということです。
 話を戻します。
 個別的な社会的差別を引き起こす普遍的な原因があります。
 それを著者は「低俗で」(且つ)「本能的な存在」と言っています。(もちろん彼らが仕事において「競合」するという具体的理由もあります)。
「本能的」という意味は、差別が人間に本源的に備わった機制であるということです。
 しかし――それと同時に「低俗で」とも書かれています。
「且つ」は私がおぎなったものですが「同時に」という意味です。
 したがって「低俗で本能的な存在」とは、その両方を満たした存在でなければなりません。
 しかしながら、「低俗」に対して「高潔」という言葉がすでに存在しているように、すべての人間が低俗であるわけではありません。
 本篇では(長さの関係か)、低俗な人間しか登場しません。ここが本篇のやや舌足らずなところかもしれません(読者にすれば、一面的とみえるかも)。
 そういう意味で、わたし的には、政策出生者たちを非合法に救済しようとする人間や組織も描いてほしかった。そこが個人的にはちょっと残念な気もするのですが、しかし本篇はその原型が《宇宙塵78号》(62年9月)に発表されたものなんです。デビュー作「下級アイデアマン」が61年10月雑誌掲載ですから、そのわずか1年後という最初期の作品。さすがの著者も、まだそこまで発展させきれなかったのだと思います(長さ的にも)。
 とはいえこのような視点は、SFジャンル的には孤高のものといえます。星小松筒井の御三家も豊田さんも(本人たちがエリートすぎて)持ち得なかったものです※。著者の独自の立ち位置を示した作品であり、その意味で日本SF通史に書き残すべき(記述しなければならない)秀作といえるでしょう。(※半村さん平井さんは近いものを持っていたかも)

「還らざる空」は(「エピソード」とともに)光瀬龍の影響を感じさせる遠未来もの。まったくの私見ですが、「光瀬節」の模写の試みなのではないでしょうか(著者が自身の幅を広げるための)。

「表と裏」、これまたアメリカのSF雑誌に載っていそうな作風で、著者の用語の「軽SF」だと思います。種々の偶然的な条件の結果、人間の主人公が、宇宙船のメインコンピュータにアンドロイドと誤認識され、そのうち主人公自身も、自分をアンドロイドと自己認識し始めるのが可笑しい。アンドロイドと思われていた間、コンピュータとの間に生まれた「人間的交流」(?)が、すべてが明らかになった時点で消失してしまうのも、なんか切ない(^^;

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月24日(土)01時43分50秒
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  > No.8416[元記事へ]

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 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月23日(金)21時46分37秒
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「日本SF傑作選 眉村卓」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月23日(金)01時23分13秒
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  > No.8412[元記事へ]

 承前。「フニフマム」「時間と泥」「養成所教官」「かれらと私」「キガテア」「サバントとボク」を読みました。第一部、了。

「フニフマム」は、先日も書きましたが、とても気に入っている作品です。ちょっと光瀬龍のラナを髣髴とさせますが、いくら長命とはいえ、ラナはこの時空の生命体です。フニフマムは、この時空でも見えているのだと思いますが(記述はない。もし見えているとしてもそれは不動の岩のように存在しているのだと思います)、三次元的な移動はできず、その代わり四次元=時間軸を行ったり来たりできる。といっても三次元は動けないから、位置的には或る一地点のみ。ただその地点の時間線を自由に移動できる。しかしそれも限度があり、生まれた(存在を始めた)「時点」から死ぬ(存在しなくなる)「時点」まで。
 未来の方向に成長していくのですが、老いると(前方への)成長は止まる。のみならず、後方(フニフマムを時間線に沿って伸びた蛇状生物だとすると、尻尾)の先(存在を始めた時点)から縮んでいく。そうなると最終的に尻尾は頭に追いつき、その時点で消滅つまり死ぬのですね。
 フニフマムの種族同士が交差している場合があり、そこで友情が育まれたりもする。
 ながいながい午睡から覚めたフニフマムが、生まれたての頃交差し、仲良くなっていた仲間に会いに、尻尾の方まで戻るのですが、交差点が存在しなくなっており愕然とします。それはつまりフニフマムの尻尾が、交差点よりも未来方向に縮んでしまったということで、いよいよオレもそんな年齢かと。
 しかしそれを確認に、頭の先端まで行ってみたところ、以前来たとき先端だったその時点よりもさらに先(未来)へ自分の体が伸びていることがわかる。眠っている間にまた成長したようです。フニフマムはほっとします。
 そのとき、フニフマムは宇宙からある物体が彼のそばに着陸したことに気づく。
 フニフマムにはわからないことですが、それが逃亡中の人間の男女であることは読者にはすぐ分かる。その人間は、宇宙軍の追跡を逃れてフニフマムの惑星に到着したのですが、すぐに追手が姿を現す。
 進退窮まった男女は非常脱出用のタイムマシンに運命を託し、タイムマシンの能力限界まで未来へ飛んでいきます。
 フニフマムの時間線に沿って伸びた体のすぐ横に、細い線が一直線に伸びています。男女の乗ったタイムマシンの航跡です。
 興味を覚えたフニフマムは、自分の先端まで行ってみます(新たに伸びたその時点へ初めて行ったわけです)。しかし航跡は、フニフマムの体よりもはるかな先に伸びていて追いつけないのでした。
 フニフマムは、まあいいか、そのうちオレの体も伸びて、連中がどうなったのか知ることができるだろう。それまでにオレが死んでしまうかもしれんが、それもまた善哉。
 と、またながいながい午睡に入るのでした……

 いい話ではありませんか(^^;

「時間と泥」「養成所教官」はテレパシーがテーマ。そもそも人間同士は直接につながってなく、汝と我は切れているわけです。これは現象学の根本命題(現象学的還元はそれを超越するための手法)。
 ところでこれは著者独特の観念ですが、テレパシーはその断絶を解消するものとします。テレパシーがあれば嘘はつけなくなるからです。
「時間と泥」のカポンガはテレパシーを持った生物なので、個別思考(=私)は存在しない。種族でひとつの「私」だった。ところが新種の病菌によって脳と体を繋ぐ神経が切断される。つまり高度な知性を持った頭脳は下等な体に閉じ込められてしまう(脳同士のやりとりはなお続けられているが一切が無力)。
 そこへ(テレパシーを持たない)地球人の先遣隊がやってき、カポンガがそんな風になっているとは気づかず(テレパシーがあればカポンガの訴えに気づけた)、下等生物に見えるカポンガをロボットみたいに使役しようと、捕まえてきたカポンガの個体の頭にすっぽりと制御帽をかぶせてしまいます。
 その結果、カポンガ同士で出来ていたテレパシー会話ができなくなる。各カポンガはそれぞれ各カポンガの体に閉じ込められ、他者と交流できなくなってしまいます。
 なんやかんやあって、地球人は逃げ帰り、カポンガは制御棒を取り外す。そのときはじめて、各カポンガは、自分たちが統合された一箇の「私」ではなく、それぞれ独自の意識を持った個体となってしまっていることに気づくのでした……

「養成所教官」は銀河連邦の官僚を育てる養成所の話。宇宙の高等種族の多くはテレパシーを持っている。ところが最近加盟したテラからやってきた官僚候補生はテレパシーを持たない種族だった。連邦の官僚となるということは、出身星のしがらみを切り捨てるということにほかならない。でなければ公正な行政は望めないからです。
 テラ出身の候補生はテレパシーを持っていないという不利にも関わらず、持ち前の負けん気(反抗心)でそこそこの成績を残し、教官も、これなら中級程度の官僚になれるだろうと、ほっとします。
 養成所卒業パーティの日、テラが連邦に反旗を翻したとの情報。しかし官僚は出身星と切れてこそ官僚なのです。教官は特に心配しなかった。なぜなら自身も出身星の連邦への反旗−滅亡を経験していたから。しかし翌日の点呼の際、テラの行方不明が確認される。宇宙船を奪ってテラへ帰っていったのです。
「彼は、テレパシーを持たなかったからこそ、仲間を捨て去ることができなかったのだ。相手の本心を知ることがないという制限のもとでは、信じるか信じないかのどちらかしか許されない。とすれば……形態の同じ連中と、違う連中との、どちらを選ぶべきかというとき……結論は最初から出ていたのではないか?」

「キガテア」「サバントとボク」は比較的新しい作品で『異形コレクション』初出。さすがに初期作品よりはるかに複雑です。前者は司政官制度前史。後者は遠未来、社会を取り仕切っているのはロボットで、「エロイ族」化した人間はサバントという個人用ロボットに世話をされて生きている。本篇の主人公のサバントは、主人公にサバイバル技術を身につけさせるのに熱心で、主人公は辟易している。
 人間の中には、それは「奉仕」ではなく「飼育」ではないのかと疑問を呈する者がいた。しかしそんな思考の持ち主は思考修正を受けさせられるのだという。
 その話を聞いたのは知合いからだった。その知合いが映話で連絡してきて集会への参加を勧められる。主人公はサバントに相談する。サバントはその映話の像は合成のようだ。罠かもしれない。しかしこれは目をつけられた印だから、思考修正を受けさせられるだろう。
 サバントは長命で、何代もの人間に使えるのだが、前の主人は思考修正を受けさせられ、素直で協調的でいつも笑っている性格になり長生きして死んだ。あなたはこれを受け入れるか。それとも都市の外へ逃げるか。と問う。自分はこの時のためにサバイバル技術を教えてきたのだと。主人公は荒野へ逃れる道を選び、荒野では活動を維持できないサバントは都市へ戻る。何らかのお咎めが待っているだろう都市へ……。

 いい話ではありませんか・・

 

自分を騙したところで事実まで騙されてくれるとは限らない

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月22日(木)22時06分51秒
返信・引用 編集済
   たまたま昼食時にテレビを見ていたら、「ひるおび」という番組をやっていて、平昌五輪における日本勢のメダル獲得数が、最多だった長野五輪を上回った、などと大騒ぎしていたのですが、あるコメンテーター(名前知らない)が、長野のときより競技数が1.5倍になっているので、そんなに喜んでいられるものでもない、と控えめに釘を差していたのが印象的でした。
 そこで調べてみました。
 
※平昌のメダル数はこちら、長野はこちらより。

 あちゃー各国軒並みプラスではありませんか! プラス3以上が13か国中9か国もあるのですから、日本のプラス1なんて全然誇れませんよね。
 もうホントにね、ベースの違うデータを比較して意味のない日本すごいはやめてくれませんかねえ。これ、裁量労働制であべっちがやったゴマカシと同じなんですよね。

※標題は安部公房の箴言。



 

「図ですぐ!わかる相対論 橋元流物理の世界」発売

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月21日(水)22時31分40秒
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   橋元淳一郎さんが久しぶりにKindle本を出されました。

 『図ですぐ!わかる相対論 橋元流物理の世界』

 さっそくDLしました!
 もっとも、読めるのは3月に入ってからになりそう(森下さんの「ベストSF2017」投票のための読書が続くため)なんですが、楽しみです(^^)

 

 

Re: 「日本SF傑作選 眉村卓」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月21日(水)22時08分46秒
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  > No.8411[元記事へ]

 承前。今日は「正接曲線」「使節」「重力地獄」「エピソード」「わがパキーネ」を読みました。
 宇宙SF(異種生命SF)は、私の思い込みなんですが、著者の本領が発揮されていないと思っていて、著者の作品群の中ではあまり評価していませんでした。そのせいか読みも浅かったのかもしれません。
 今回読んで、あれ?どの話もめちゃくちゃ面白いやないの、と(^^; よい意味で予想外でした。
 また、記憶以上にアメリカSF雑誌に載っていそうな出来上がりになっていて、これもちょっとした発見でした。
「下級アイデアマン」や「重力地獄」などまさにその好例で、著者自身、それっぽくなるよう工夫している雰囲気があります。
 初期の(NWが日本に紹介される以前の)SFM読者が求めていたのはこんな日本SFだったんでしょうね。
 というか、こんなふうな話でないと福島さんは買わなかったのかも(つまりそんな雑誌を目指しておられたんでしょうね)。そういう意味で、最初から発表するために書く作品と自分の書きたい作品の齟齬が、眉村さんの中にあったんじゃないでしょうか。
 とはいえ、その結果として世に出ることになったこれらの宇宙異種生命SF群は、著者自身の気持ちはどうであれ、独特の世界があって面白い!
 主人公を固定して「ヒノシオ」シリーズみたいなのも書けたんじゃないかなと夢想しました。いやもちろんこれらの設定は、のちの司政官シリーズに生かされているわけですが。
 今日読んだ中では「わがパキーネ」が間然とするところのないちょっとずば抜けた傑作で――というのは今日読んでの評価。当時はあまり好みではなかったのです。当時の読みの浅さを深く恥じ入った次第。
 本篇を『60年代日本SFベスト集成』に採録した筒井さんの慧眼に、今更ながら脱帽しました。私は「なんでこの話? 他にいいのがあるやん」と思っていたのでした。ああ恥ずかし(汗)

 

「日本SF傑作選 眉村卓」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月20日(火)21時49分5秒
返信・引用 編集済
   眉村卓『日本SF傑作選 眉村卓』を読み始めました。まずは順番に「下級アイデアマン」「悪夢と移民」を読んだ。
 もちろん収録全作品既読。三読も四読もしているのですがそれも何十年も前の話で、だいぶ忘れていますね。
「下級アイデアマン」て、こんな話だったのかと、ちょっと驚きました。いやストーリーのゆくたては憶えているのです。しかし作者がそれに乗せた意図は全然記憶できていませんでした。ひょっとしたら記憶できてなかったんじゃなくて、意図を読み取れてなかったのかも(汗)。
 水星はその過酷な環境ゆえ人間が外で活動することがありえない。そこで現場で働く作業ロボットは(人間との遭遇の可能性を無視してよいので)ロボット三原則の「人間」が「作業要項」置き換えられている。すなわち、
 1)ロボットは「作業要項」に従わなければならない
 2)ロボットは作業に対する妨害を看過してはならない
 3)右2条に違背しないかぎり、自己を守らなければならない
 このロボットって、まるで過労死する日本人の行動原理そのものではないですか(汗)。

 ところで本書、元版のハヤカワ文庫版のあとがきが付録として収録されています。これがまた、今読むと非常に示唆的なのです。
「てっとり早く言えば、それが面白いSFかどうかということより、どれだけおのれの投影であるかということのほうが、意味を持ちはじめたのだ」「今のぼくは、実のところ<宇宙もの>を書くのが苦痛である」(宇宙ものを集めた『重力地獄』(昭和48年)のあとがき)

「世の人々が、急速に産業とか社会というものに対して、表裏両面から見る目を持ちはじめているように思える現在、何もこれ以上ぼくが同じようなことを書きつづける必要はないのではあるまいか」(社会派ものを集めた『産業士官候補生』(昭和49年)あとがき)

「こうして並べてみると……ことに今じゃとても書けないだろう、あるいは書きたくはないというものを見ていると、どこかむなしい気がするのは事実である」(未来ものを集めた『還らざる空』(昭和50年)あとがき)

 初期作品(≒本書収録作品)の全否定ではありませんか!
 ここで、昨日読んだ「『妻に捧げた1778話』のあとで」に戻りますと、
「妻が発病して手術を受けた頃、私自身は物書きとして、大きな曲がり角にさしかかっていた。それまで書いてきたものが、今の自分にとって、必ずしも書きたいものとは言えなくなり、しかもそのこれから書きたいものは、どうも世の中には受け入れてもらえそうにない――と感じるようになっていたのだ」
 上の3あとがきときれいに対応しているのですね。3あとがきの時期は「司政官シリーズ」執筆中の時期と重なります。司政官シリーズは初期作品群の集大成でありながら、初期作品の否定でもあったと考えていいのではないでしょうか。
 そして同時に、その頃から角川文庫オリジナル短篇集が出始めます。『あの真珠色の朝を…』(昭和49)『ワルのり旅行』(昭和50)『異郷変化』(昭和51)
 これらは明確に眉村さんの「私性」が濃厚に現れた作品群です(とはいっても私小説(私ファンタジー)ではなく、普通の小説の形式です)。

 いずれにせよ、眉村さんはデビュー10年余りで、早くもそれまでの自己の小説観を否定していたのですね。

 

「『妻に捧げた1778話』のあとで」を読んだ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月20日(火)01時27分41秒
返信・引用
  > No.8406[元記事へ]

《新潮45》3月号が到着。収録の眉村卓「『妻に捧げた1778話』のあとで」を読みました。20枚の力作。タイトルどおりの内容で、5年間の看病生活から現実社会に帰還してみると、世の中は大きく変化していた(言うならば「未来」になっていた)。しかし妻を失った著者はもはや社会の変化に追いつこうという意欲を失っていた。というのは、自身も或る意味変化していたから。即ち社会に生きる目的を喪失してしまっていたのです。もはや「余生」だ。そう著者は実感します。
 それでも小説は書き続けます(作家の業でしょうか)。但し内容は、上記の変化に対応して、現実を生きる話ではなく、外から現実を眺める話に変わっていく。
 これを著者は「未来滞在者」になってしまったからだと考えます(余生を生きるとはそういうことなんですね)。そのような、未来滞在者としての自分自身に対して正直に書かれた(見方を変えれば、社会外から社会を見る無責任な視線によって書かれた)作品群を、「私ファンタジー」と名づけるのでした。
 ところが、妻が亡くなってから時間が経過するにつれ「日にち薬」の効用で「妻の死」という呪縛(余生という意識の源泉)も薄れてきた。また10年後には自身も食道がんの手術をし、極端に体力が落ちるというそんな経験もした。そんなこんなで少し考えが変わってきたことに気づく。もっと自由になってきたと著者は言います。
 どういうことか。私の理解では、著者は社会内存在として生きることをやめ「余生」「未来滞在者」となったわけですが、実はそのような態度の根底には「現実否認」(「一種のひがみ」とも書いておられますね)があるわけです。この「現実否認」はどこからくるのか。それは「否認」すべき「現実」からというほかない。つまり現実否認は現実の存在が前提となっている。
 現実社会の軛から自由になったはずの「余生」ですが、実はその根本において「この現実」に強く繋ぎ止められていた。逆説というべきでしょうか。
 なぜ現実を否認「できる」のか、と言い換えてみましょう。そうしますと、それは自分自身がなお現実内に「存在」しているから、ということが浮かび上がってくるでしょう。この「存在」は著者の80有余年の「生」ということです。
 ところが著者は、そのような、繋ぎ止められていた最後の鎖からも自由になったのです(それは論理的に80有余年の生という「過去」から自由になったということでもあります)。
 それを著者は「余生」から「別の生」、「未来滞在者」から「未来転入者」と表現しておられます。
 その結果、書かれる作品も「また」変化しました。もっと自由に、もっと無責任に、「何でもあり」になってきた。現実否認から自由になり、しかし元のような社会内存在として諸規範に従う必要もない。「80有余年の生」(=過去)という事実の重みからも解放される(これは「私や私の分身が過去に今と違うコースに入っていたら」という著者の一方の重要なテーマの否定になるはずです)。
 かくして「私ファンタジー」は「モーロク短話」に様相を変じます。現実否定の暗さに、無責任な光明が差し込んでくる。たしかに双葉文庫三部作は、第二部で暗さの極みに達し、最新の第三部はかなり明るい感じがします。私も感想文で次のように書いています。
《本書の収録作品群は、たしかに老人小説であるという意味では統一性がありますが、「峠」以外は、その老人に著者自身の成分が占める割合が比較的には減じている作品が多い印象を持ちました(そういう意味では『終幕のゆくえ』が一番重かったような感じがしています)》

 

うみねこ堂開店4周年記念イベント

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月19日(月)06時15分14秒
返信・引用 編集済
   さっき目が覚めました。
 昨日は、神戸元町うみねこ堂書林の「開店ほぼ4周年記念イベント」※に参加していました。例によって二次会で飲み過ぎ、帰りの電車を乗り過ごしてしまい、ちょうどすべりこんできた反対方向の列車に慌てて飛び乗って這々の体でなんとか帰宅、そのまま倒れ込んでバタンキュー。目が覚めたらこんな時間だったわけです。
※「ほぼ」となっているのは、実際は4月開店なのですが、決算月なので比較的暇な2月に前倒しで実施したからとのこと。
 会場は2階のジャズ喫茶を借り切って行われました。ゲストは有栖川有栖さんで、店主の野村さんが聞き手となり、近年日本人作家は隆盛ですが、その分海外作品が読まれなくなっている(絶版も増えている)との現状を踏まえて、海外ミステリで育ったお二人が「海外ミステリの楽しみ」を語り合うというもの。
 下の写真は、有栖川さんがこの日のためにお作りになったパンフレットでして、「見つけて読みたいミステリ20」。「現在絶版で且つ電子書籍も出ていない」、しかしもしどこかで見つけたら是非ゲットして読んでほしいという作品を有栖川さんが20作選んだ超マニアックなリストなんですね。いうまでもなく私のようなミステリの表面を撫でているだけの軽い読者からしますと、大半が知らない作家作品で、見事に20作品全部未読(笑) ただ辛うじてトマス・ブロックだけは、当該作品は未読ですが、『亜宇宙漂流』はSFなので読んでいましたけど。しかし有栖川さんの話術で、そんな私でも大変面白く、興味深く拝聴することができました。リストを片手に古本屋回りをしようとは思いませんが(>あ、カフカがサスペンスを書いたようなと評された作品はちょっと気になりました)(^^;。
 裏表紙に「定価200円」となっていますので、中身はお見せする訳にはいかないと思います、表紙のみでご勘弁。うみねこ堂に行かれたら入手可能かと思います。
 

 こちらは、著書にサインしていただいたもの。
 
 

 こちらは、二次会で同席した阿藤玲さんの創元文庫から出た著書のチラシ(裏面は書下ろし掌編)。この本がデビュー作とのこと。なんと編集部持ち込みで本になったそう。すごいですねえ(^^)
 

 この冊子は、同人誌活動を研究されている大学の先生から頂きました。戸川さん、芦辺さん、小浜さん等のインタビューが収録されています。調査の一環として参加されたそうで、ざっと目を通した感じでは関西SF関係がやや手薄か。「SOLITON」についての言及がありません(ちゃんと読んでないので見落としているかも)。小浜さんが星群について語っておられますが、チャチャヤングに関して芦辺さんが少し触れてくれているんですけどその後も連綿と続いているので調べてくださいとお願いしておきました(ちゃんと南山鳥27の名前も挙げておきましたよ)(^^ゞ
※いまふっと思い出したので、忘れないうちに書き足しておくのですが、パンパカ集団というグループもありましたよね。検索したら高井さんのブログ記事が引っかかりました。というかそれしかありません。知っている人はそのうちどんどん鬼籍に入っていくでしょうから、こういうところも今のうちにきちんと記録を残しておくことは大切かも。
 

 二次会では、私の周辺はロックの話題で盛り上がりました。ミステリの話にならなくてほっ(>おい)。ビートルズをけなしストーンズを持ち上げる私のロック観に共感して下さる方がおられて、百万の援軍を得たような気分になりました(なかなかないことだったので)(^^;
 まあそんなわけで飲みすぎてしまったのかもしれませんなあ。楽しい会で満足しました。

 

Re: 眉村さん情報:新潮45

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月18日(日)11時27分41秒
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  > No.8407[元記事へ]

 段野さん
 情報ありがとうございます。

>何故「外した」のかお伺いしたかったのですが
 読んだら分かるということかもしれませんね。
 あ、それも授業の一環で、わざと言及しなかった可能性もあるんじゃないですか? 行間から隠された意味を読み取るのも、修行的には大事なことですもんね(^^;
「それはこういう理由だからなんじゃないだろうか」という主体的な読み(推理)を求めておられるのであって、漫然と「お聞きしたい」では不興を買うかも。
 お訊ねするにしても、「私はこう推理したのですが、実際のところお聞きしたいです」とすると喜ばれるんじゃないですか(^^)
 ということで、段野さんにはぜひお読みになった感想、というよりも、こういうことで「外した」のではないかという「読解」を、ぜひ書き込んでいただきたいと希望します!

 さて、今日はとあるイベントに出席のため、神戸元町に出かけます。往復3時間強(ーー;。二次会もあると思うので、本日中に書き込みはできないかもしれません。

 

Re:眉村さん情報:新潮45

 投稿者:段野のり子  投稿日:2018年 2月18日(日)10時42分12秒
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  管理人様
「新潮45」に掲載された「予告と死」は、「『夕焼けのかなた』に載せようとしたが、とある理由で外した10枚の作品」ということでした。何故「外した」のかお伺いしたかったのですが、時間切れで判りませんでした。次、時間がありましたなら、お聞きしたいものです。
 

眉村さん情報:新潮45

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月17日(土)21時34分25秒
返信・引用 編集済
   本日発売の《新潮45》3月号に、眉村卓さんのエッセイ「妻に捧げた1778話のあとで」(20枚)と、書下ろしショートショート「予告と死」が掲載されています。

 

 早速注文しましたが、《新潮45》って前からこんな雑誌でしたっけ(汗)

 

上田早夕里「破滅の王」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月16日(金)20時45分33秒
返信・引用 編集済
  > No.8404[元記事へ]

 上田早夕里『破滅の王』(双葉社、17)読了。

 承前。残り50頁ですから、当初想像していたような壮大なポスト・アポカリプス小説にはなりませんでした。というか、いわゆるSFでもなかった。もちろん広義のSFではありまして(したがって2月末締切の森下さん主催年間ベストSFには当然本作にも投票します)、SF的ガジェットである「キング」がこの世に出現する。本篇はその「キング」に照らし出された人びとを丹念にトレースしていくのです。
 その意味で「キング」は『赤いオーロラの街で』の「巨大太陽フレア」と同じ機能を果たしています。つまりSF的ガジェットそのものが直接人間や社会に及ぼす影響はごく限られている。『復活の日』は、外形的には本篇と似ていますが、そこが違うんです。SF的ガジェットに真正面から人類がぶつかっていくようなのを本格SFとするなら、少し違うんですね(キングの描写はハードSF的ですが、小説の「契機」(Moment)ではない。キングではない何か別のガジェットであってもストーリーは特に影響されない)。
 結局本篇で著者が描いているのは、「キング」によって登場人物たちが(自分の所属する集団や思想信条という前提条件の軛のなかで)どのように考え、行動したかの記録なんです(あるいはいかに軛から超越したか)。
 私は著者の『華竜の宮』『深紅の碑文』二部作について、「全体小説」であると述べたことがありますが、本篇もそういう意味で全体小説となっています(そこが『赤いオーロラの街で』と異なるところです)。
 登場人物である宮本、六川、嵯峨、灰塚、藤邑、真須木、魏たちは、「キング」を前にして、それぞれ反応が異なる。それは上記したようにその人がどんな社会に属し、どのようにこれまで生きてきたか、個人の性格、学歴、思想信条が全員同じではないわけで、それが行動に反映する。
 その描き分けの、とんでもなく緻密であるのが、本篇の最大の特徴であり、優れた点なんですよね。ちょっとなんといいますか、「スキがない」のです。よくここまでコントロールできたものだと驚かされます。小松さんも眉村さんもここまではできません。著者本人の「柄」が、作品の世界観を突き破って出てきてしまうのです。
 原理的に言えば、作中人物の初期条件を決めてやりさえすれば、あとはそれに従って各人勝手に動き出す。それをトレースすればいいわけですが、実際にはそんな機械みたいな訳にはいかないんですよね。
 それが(ほぼ完璧に)できるのが、この著者なんです。素晴らしいです。
 こうして本篇は、世界が破滅することもなく、最終的に世界史の(大枠の)流れを変えることがなかった。ある意味非常に地味な話なんです。ダイナミックな小説的物語性に欠けているように見えるかもしれません(事実、公式には何も起こらなかったわけです)。
 ところが、一旦物語を構成する作中人物の関係の網の目としてのストーリーに着目すれば、これほどリアリティにみちた緊密な小説(虚構)世界もない、と私には思われます。そこを読み込んでいくならば、本書がいかに驚異的な構成力のもとに執筆されているか、その「スキのなさ」に読者は驚嘆する他ないのではないでしょうか。
 日本のSF作家の中でも、これほど「厳密」な小説世界を長篇で構築できる作家は、私の知るかぎりにおいては著者以外にはちょっと思い当たりません。前からそう思ってはいましたが、本篇で改めて再認識させられました。日中戦争当時の中国の描写のリアルさ(含:間違いのなさ)は圧巻。資料をどれだけ読み込んだのだろうかと(いうまでもなく著者は戦中どころか戦後も知らない世代です)。いやー面白かった(^^)

 追記。「補記」は映画「ヒトラー 〜最期の12日間〜」を意識した趣向ですね(いや知らんけど)(^^;

 

「破滅の王」は残り50頁

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月15日(木)23時50分6秒
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  > No.8403[元記事へ]

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 こういう写真を見ると、人間は一瞬にして<物語>を読んでしまいますよね。人間の思考作用の構造的な不具合なんでしょうね(^^; (※でも、上のはおそらく写真家に要求されたポーズだと思います)

 上田早夕里『破滅の王』は300頁まで。主題的には起承が終わって、ようやく展開していきそうな感じになってきました。 しかし残り50頁ではないか。ここから急転直するのか? いやー、どうでしょうか(汗)

 

Re: 「破滅の王」灰塚の位置づけ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月14日(水)23時40分56秒
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  > No.8402[元記事へ]

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   あほや

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 上田早夕里『破滅の王』は250頁まで。灰塚の立ち位置について、昨日書き込みしておいて正解でした。今日だと威張れません(>おい)m(__)m
 いやまあ、作者はそういうのがそれとなく伝わるように小説を構成しているので、そもそも威張れません。著者からすれば思い通りに読者をリードしたわけでしてやったりでしょうね(笑)

 またまた重箱の隅です。240頁上段「浦口駅発の列車に乗り込めば」云々のところ、「浦口」に「ほくち」とふりがなが振られていますが、これはいかにも変。ふつうは「ほこう」ではないか(もしくは「プーコウ」)。
 例の自叙伝でも、揚子江北岸を東進していた218連隊の最終到着地が浦口でした。揚子江の北側は共産軍の占領地区で(本篇にもそう書かれていますね)、国府軍と話し合いで、連隊は共産軍に対する示威のため北岸を進軍し(一旦事があった場合は連隊は国府軍に協力して共産軍に立ち向かうという約束)、浦口でようやく武装解除されたのでした。
※しかし浦口に「ほくち」と振るのは(音+訓)編集者のミスとしてもきわめてありえないような。当時南京の日本人社会では「ほくち」と言ってたんでしょうかねえ・・

 

「破滅の王」灰塚の位置づけ

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月13日(火)21時51分53秒
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  > No.8401[元記事へ]

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 上田早夕里『破滅の王』は200頁まで。
 灰塚少佐が、軍隊組織特有の単なる犬的人物ではないことは、通州事件の章で予め読者は了解済みなのですが、主人公宮本には、まだこの段階では分かっていません。この二重性は上手いですね(いろいろ想像させる)。
 ところで通州事件(1937)直後に、灰塚は(大尉に昇進の上で)一旦帰国を命じられ、上海経由で帰国することになっています(実際に帰国したのかどうかは記述されていません)。
 その灰塚が(少佐として)宮本の前に初めて現れたのが1943年。つまりその6年の間に、灰塚は再び中国に戻ってきていることになります。
 6年前と6年後で、ちょっと雰囲気が変化しているのは、与えられたミッションがよりレベルの高いものになっているからかもしれません。
 そしてその任務とは、必ずしも軍の正式な命令系統からのものではないんじゃないか。そんな想像をしているんですよね。当たるも八卦当たらぬも八卦ですが(^^;

 

Re: 「破滅の王」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月13日(火)02時52分47秒
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  > No.8398[元記事へ]

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 三浦瑠麗が本当にデイリー・メールを根拠にしたのか、にわかに信じられなくて検索していたら、ハフポストの取材に対して「例えばイギリスのメディアが、北朝鮮がラジオ放送に暗号を忍ばせて各国のスリーパーセルに指令を出していたと報じるなど」と発言していましたが、具体的な紙名は濁していますね。
 本人のブログ日記にありました。ただし直接には名前は出さず、
   下記(韓国の情報源に基づく英国の記事)
 こんな風にリンクに隠すかたちで。やっぱり恥ずかしかったんでしょうねえ。大笑い。いや笑い事じゃないですね(>失礼しました)。

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 ということで、上田早夕里『破滅の王』は150頁まで。

 

Re: ホット冷やし中華

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月12日(月)16時24分43秒
返信・引用 編集済
  > No.8399[元記事へ]

 雫石さん
 いま私の脳内スクリーンには、つけ麺のようにタレを別にし、冷麺を温かいタレにつけて食べるという映像が映し出されました。
 いや逆かな。タレを温めたら酸味が飛んでボケてしまう?
 温かい中華麺を冷たいタレにつけて食べる、これや、これしかありません。
 いずれにしてもゲテですね。
 店主「ホットけ!」

 

Re: 「破滅の王」読み中

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2018年 2月12日(月)09時17分2秒
返信・引用
  > No.8398[元記事へ]

なんなんですか、この「HOT冷し中華」というのは、ちょっと想像できません。
どっちかというとまずそうです。
私も真冬に冷し中華を食いたくなって、自分で作りました。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/62d0a2262bf32f00b5fa2a2bbe4cfdf6

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

「破滅の王」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月12日(月)00時41分48秒
返信・引用
   元ツイート

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 通州事件については、『破滅の王』でも少し触れられていますね。事件の背景に中国側にとって許容し難い出来事があったこと等が冷静に記述されていて、好感を持ちました。
 ということで、上田早夕里『破滅の王』は100頁まで。

 目薬が切れてしまったら忽ち目が不調になってしまいました。ちょっと薬局まで買いに行けばいいのに、休みだと出不精になってしまいます。頻繁に水道水で目をパチパチしながら読み中。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月10日(土)23時41分23秒
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 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月10日(土)23時07分46秒
返信・引用 編集済
 
《特攻に駆り出されたパイロットは飛行時間も少なく技量に劣り、機材も爆装ゼロ戦どころか白菊だの中練まで掻き集めて。迎え撃つ側はレーダーで早期発見して、今や技量でもすくなくとも特攻機操縦員は確実に上回り機材(機種)も最新鋭のF6FやF4U。しかも対空砲はVT信管で命中率は10倍以上。帝国海軍がついに持たなかった中距離対空砲火(40mmボフォース)まで装備して、特攻命中率は真珠湾もマレー沖もはるかに下回っていました》
「濠門長恭の硬式ブログ」


 (C)濠門氏

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月10日(土)13時10分2秒
返信・引用
   統計資料を恣意的誘導的に利用する典型的な捏造手法ですね。あべっちが「というデータ<も>あるということは、ご紹介さして頂きたい」と答弁しているのはいかにも巧妙で、恐らく「必ず<も>と言って下さい、<が>といったら駄目ですよ」と念をおされているはずです(ーー;

 長いので、続きは元ツイートでどうぞ。

 元ツイート

 それにしてもここまで事実に対して敬意を持たない内閣は空前ですね。絶後かどうかは分かりませんが。というか現政権があと2、30年続く可能性も現実性を帯びてきたような(コワイもの見たさはちょっとあるね>おい)

 

「破滅の王」着手

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月10日(土)01時06分4秒
返信・引用 編集済
   上田早夕里『破滅の王』は50頁まで。
 舞台は、日中戦争時の中国。奇しくも(なのか?)先日まで読んでいた(現在も読み中ですが今は戦後篇)自叙伝と同じ時代空間じゃありませんか! ということで、物語はまだ殆ど何も始まっていないのですが、弥が上にも期待が高まってきました(^^)
 それにしても我ながら面白いのは、「時代小説」の舞台である江戸の地名は、本当に皆目鑑が働かないのに(当然平谷作品も例外ではなく、始めの頃は古地図をネットで見ながら読んでいましたけど最近は諦めて気にしなくなりました(^^;)、中国の(当時の)地名は、ぱっと脳内地図にプロットできるんですよね。どうやら私にとって20世紀前半の中国は、18世紀の江戸よりもずっと近しい時空間であるみたいです(^^ゞ

 閑話休題。瑣末事ですがちょっと気になったのは、24p下段の「随」。「随の時代に大運河が造られ」云々とありますから、「随」は「隋」だと思われます。念のため調べたところ、「隋」は「随」から作られた造語のようです。ですから間違いではないのかもしれません。しかしウィキペディアには「中唐以降に「隨」と「隋」とは区別されて地名は「隨(随)」、王朝名は 「隋」と固定した」とあり、わざわざ「随」を当てるのは特殊といえます。著者に何か思い入れがあるのかもしれませんが、その説明はなさそう。やはり誤変換が残ってしまったと見るのが妥当でしょう。校正者が見逃してしまったのでしょうか。

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 9日(金)11時55分1秒
返信・引用 編集済
   元ツイート

 まるで筒井さんの小説を読んでるかのようではないですか。
 筒井さんは戯画化して描いたはずなのに、あべっちのおかげでリアリズムになってしまいました。
 おもろいなあ、あべっちって(棒読み)

 [追記]
 元ツイート

 

    

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 8日(木)21時35分8秒
返信・引用
   元ツイート
 元ツイート
 元ツイート

 元ツイート

      上田早夕里『破滅の王』に着手しました。


 

Re: 「草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 唐紅色の約束」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 8日(木)12時47分46秒
返信・引用
  > No.8390[元記事へ]

 平谷さん

>今回書かなかった登場人物もいますので、チョコチョコとは挟み込みたいと思います
 おお、楽しみにしております♪

 

Re: 「草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 唐紅色の約束」読了

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2018年 2月 8日(木)07時46分40秒
返信・引用
  > No.8389[元記事へ]

管理人さま

> 「今回は」ってことは、本書だけのイレギュラーってことでしょうか? それは残念。毎回(3本とは言いません)1本くらいあってもいいと思うのですが(^^;

今回書かなかった登場人物もいますので、チョコチョコとは挟み込みたいと思います。



 

Re: 「草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 唐紅色の約束」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 2月 8日(木)01時21分27秒
返信・引用
  > No.8388[元記事へ]

 平谷さん

>今回はサイドストーリーを入れてみました
「今回は」ってことは、本書だけのイレギュラーってことでしょうか? それは残念。毎回(3本とは言いません)1本くらいあってもいいと思うのですが(^^;
 そういえば思い出しましたが、或る作家のハードボイルド連作集にサイドストーリーが入っていました。それが正篇の主人公をパロディ化したものだった。マンガでいうところの3等身キャラにデフォルメしたもので、いうならばセルフ二次創作、何をやってるのかと目を疑いました。
 本書のサイドストーリーはそんな自己満足なものではなく、小説世界を押し広げていくものなので、むしろ厚みが出てきてよいのではないかと思うんですけどねえ(^^)

 

Re: 「草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 唐紅色の約束」読了

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2018年 2月 8日(木)00時09分51秒
返信・引用
  > No.8387[元記事へ]

管理人さま
拙著の感想ありがとうございます♪
「薬楽堂」は楽しんで書いていますが、最近のシリーズはみな書いていて楽しいです(笑)

「薬楽堂」は登場人物が多いので、この辺りで脇役を掘り下げておかなければと思い、今回はサイドストーリーを入れてみました。

来週あたり「義経暗殺」が出ますし、来月は「江戸城御掃除之者!」の3巻目と、「鍬ヶ崎心中」という単行本が出ますのでそちらもよろしくお願いします(笑)

 


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