ヘリコニア過去ログ1306

眉村卓書影館

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月30日(日)23時05分22秒
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   おもてのホームページですが、小説へのリンクを外したので、なにか変わりになるものはないものかと考えていて、そうだ、眉村卓書影館を開設するつもりだったんだ、と思い出しました。
 先般、眉村作品の中国版を入手したことは当掲示板で報告しましたが、そのときに、あれをHPに載せてはどうか、という助言を頂き、それは良い考え、そうしようそうしましょう、と言っていたのを、なんとなく取り紛れているうちに忘れてしまっていた。
 で、HPを開けてみたら、『駅にいた蛸』の双葉文庫版の掲載ができていないではないですか。何もかも遅れているうちに忘れてしまっている。いかんなあ、ということで、『駅にいた蛸』『たそがれ・あやしげ』の書影とかんたんな内容をアップしました。→とべ、クマゴロー!
 それだけで2時間(ーー;。HPの方は原始的にタグで作って行かなければならないのですが、継ぎ足しに継ぎ足しで、もうわけが分からなくなってしまっていて、なまじさわると変なふうになってしまうので怖いんですよねえ。というわけで、今日はこれまで。眉村卓書影館(といっても中国館だけしかありませんが(^^;)はまた後日。そんなことを言っているうちにまた忘れてしまうかも(^^;
 
 


「たそがれ・あやしげ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月29日(土)14時59分8秒
返信・引用 編集済
  眉村卓『たそがれ・あやしげ』(出版芸術社 13)読了。

 本書は、15枚前後の短い短篇21篇を収録したもの。「人生のたそがれに遭遇するあやしげな出来事集」です(^^;。収録全作品に、はしがき<T.Mいわく>が付されており、これが効いています。本書と同じく出版芸術社より8月刊行予定の短篇集『自殺卵』に収録が決まったことに対応して、当HPからの閲覧リンクを外した3作品(昨日の書き込み参照)と同系統の、いわゆる<私ファンタジー>ですが、それよりもさらに舞台が現実的(より私的)。とはいえまるっぽ著者自身の身辺雑記かといえば、当然ながら違う。作者と作品のいわく言いがたい距離(決して同一視してはいけない)、それに読者の注意を喚起することが<T.Mいわく>を付した理由であるようです。

「絵のお礼」 若い頃イラストレーター志望で、それがため二回転職し、そこで諦め三度目に入った会社で定年まで勤め上げた主人公。その会社で嘱託となるも、次の契約延長はなかった。ということで就活中だが、見通しは全く暗い。それでも主人公が明るいのは……

「腹立ち」 の主人公も定年退職した会社で嘱託になっている。で、近頃思うのは、自分が怒りっぽくなったこと。これは老人一般の現象らしい。その理由を著者は<T.Mいわく>で「自信の喪失」が主原因と分析します。たしかに。しかしそれは、現役バリバリで仕事をしていた過去の自分と比べて今のオレは……という自信喪失であって、事実と言うよりも多分に心理的な自己卑下というか縮み思考なんですね。でもそれも又過渡的な現象というべきであろう、と著者は言います。さらに老齢化が進むと……

「五十崎」 主人公はリストラされ就活中の六十男。なまじ技術を持っているという自負が災いしていて、このご時世それはちょっと甘すぎると、つてを頼って訪れた会社の経営者に諭される。消沈して最終の出たバス停のベンチにすわっていると、もうその乗り場には来ない筈のバスがやってくる。それは別世界でやり直しを賭ける者たちを送り届けるバスだったのですが……

「多佳子」 定年後、再就職がままならず年金生活者になっている主人公は、亡妻と結婚前デートした地方都市のお城が、大改修を終えたと知り、ふと訪れてみる。そこで主人公は、10年前になくなった筈の妻と出逢うが……

「新旧通訳」 年を取るにつれて若い人の使う言葉が分からなくなったと述懐する著者が、その苛立ち(?)を未来に向けて伸ばしてみた江戸長崎的な小品(>おい)(^^;。

「中華料理店で」 70手前の主人公は年金生活者。できる事なら働きたいが、その実そんな元気はない。という主人公が散歩の途中ふと立ち寄った中華料理店では、オバサン連中があたり構わず声高にしゃべっている。聞くともなく聞いているうちに、そういえばそんな場面を自分も昔経験した、と、子供の頃の記憶が戻ってくる……

「息子からの手紙?」 息子の育て方について妻と話した日の夕方、「自分は成功している、あなたがかくあるべしという縛りをせずやりたいようにさせてくれたおかげです」と知らせる「未来の息子」からの手紙が届く。それは結構なことながら、なぜそんな手紙が届いたのか? そう訝しむ主人公の脳裏に浮かんだ理由は……

「有元氏の話」 一応功成り名遂げて、70を目前にして事業を息子に譲った有元氏。しかし引退は早すぎたかと後悔が。そこへ「空っぽ」の青年を連れた謎の人物が登場。この肉体にあなたを満たしてあげるから、人生やり直して見ませんか。さて有元氏はどうしたのでしょうか?

「あんたの一生って……」 これはアイデアストーリーとしても秀逸。主人公は5年前、60近い年齢で、勤めていた会社が親会社の不振のあおりを受けて倒産。習得した技術がものをいって今の会社に拾ってもらうも、きのうリストラの通告を受けとる。そんな主人公を、見ず知らずの通行人が、バチバチ写真を撮り始め、なおかつ「あんたの一生ってなんだったんだろうな」などという言葉を放って通り過ぎていく。一体何だ? どうなっているんだ? 就活は依然として先が見えない。そんなとき、見知らぬ紳士が「あそこの売り場で宝くじを買いなさい。天が与えたチャンスですよ」とひとこと言って離れていったのだ。主人公は宝くじを買ったのか、買わなかったのか。買ったとしてその顛末は……!? 「世界のどんでん返し」がある傑作。

「未練の幻」 主人公は60を過ぎている。社用で、いま母校で教授となっている友人に面会に、久しぶりに大学を訪れる。と、前方から、これも同級生で同じく母校に残った(ただしこちらは人事の巡り合わせが悪いのか准教授の)Hがやってきてすれ違う。主人公を無視して。教授に面会してその話をすると、Hはこの4月から(この大学での先行きを見限って)別の大学に移ったはずだが、と首を傾げる。その後教授から、Hの姿が学内で何度か目撃されているとの話が。どうやら本人ではなく(また生霊でもなく)、大学に残存した「未練の幻」ではないかとなる。定年になる前に役員となった主人公も、社を去る日が来た。しかし主人公は何かにつけ用を作っては元の会社に電話している。なぜなら……

 ふう。ここまでで、収録21作品中前半の11編。このへんでやめておきます。
 かくのごとく、本書のテーマは「《老い》が遭遇するそれぞれの場面」といえましょうか。かなり統一性があり、連作集とみなせます。それもそのはずで、本集収録作品は、中高年が読者層の、とある業界誌に連載されたもの。
 それからもうひとつの特徴は、すべての作品が著者の身辺に取材されたものである点で、地元の読者なら(たとえN電鉄という風になっていても)どこが舞台となっているか一目瞭然。同じく主人公に著者が二重写しになってくることは、これは避けようがありません。
 もっともこれらの主人公を全面的に著者自身とすることはできません。「昔の団地で」では、著者は、本篇の舞台が著者自身がかつて住んでいた「阪南団地」がモデルであることを<T.Mいわく>で明言しています。が、それと同時に「この話の主人公の過去は作りもので、私のことではありません」とも。
 ですから外的容器をすべて著者と考えるのは危険なんですが、主人公の「内容」は著者とみなして構わないと思います。
 「まえがき」で著者は、「そして、これまた例によってだが、ここの一人ひとりについて、これはそうなっていたのかもしれない私なのだ」と言っています。
 たしかに本書の諸篇は、一種のオブセッションのようにも感じられます。著者も上記引用に続けて、「自分自身の一生が一回限りだとの気持ちが強すぎるのであろうか」と書いています。
 後半の諸篇になりますと、「一回限りであるが故、この一回ではない別の、他の、あり得たかもしれない、一回」に、よりこだわった世界が展開されます。一回限りであることが何とも無念な著者は、せめて想像の中ではと、虚構の世界を建てては壊し、別の人生を生き、生きておられるのかもしれませんね。
 ちなみに、「F駅で」の<T.Mいわく>で、「そういえば私は、無数のパラレルワールドが現実に出現してしまったという長篇の構想(どんな話なのか、まだ言いたくない)をあたためていて、しかしストーリーが錯綜しているので鬱陶しくて、まとめ切れないでいる」と書かれています。おお、これは期待しちゃいますねえ。イーガンとはまた一味違う《多世界小説》になること間違いなし。楽しみに待ちたいと思います(^^)
 
 

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月29日(土)13時51分21秒
返信・引用
  段野さん

>この度、(自費出版で)日本文学館より7月の新刊で「特定店」に並びます
 おお、それはおめでとうございます。購入して読ませて頂きますね。
>(すいません、宣伝してしまいました)
 いえいえ、全然構いません。出版の暁には当板で大いに宣伝して下さい(^^)

海野さん

>なれるもんならなっとるわい。
 いやいやこれからですよ!
 加川良も歌っているではありませんか。命はひとつ人生は一回だから、希望を捨てないようにね、って(>違)(^^;
 あとでアップする『たそがれ・あやしげ』の感想文も参照のこと!
 
 

Re: 出版芸術社さん

 投稿者:和田宜久  投稿日:2013年 6月29日(土)13時37分42秒
返信・引用
  > No.4555[元記事へ]

出版芸術社さんと言えば思い出すことがあります。
『妖異百物語』に僕の「忘れるのがこわい」を載せていただいたときに、掲載本を送ってくださったのですが、その封筒の表書きが「和田宜久先生」になっていました。
嬉しいやら、面映ゆいやら。
それを見た嫁さん。
「小説家になったら?」
なれるもんならなっとるわい。

その封筒は今も大事に保存しております。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:出版芸術社さん

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月29日(土)13時21分15秒
返信・引用 編集済
  管理人様
補足をさせてもらえれば、「特定店」とか「直販」とかはあくまで出版社さんの裁量でして、いきなり「直販」の書籍が返ってきたりして、大騒ぎになります。
自分の宣伝をするようで、心苦しいのですが、この度、(自費出版で)日本文学館より7月の新刊で「特定店」に並びます。この版元も特定店扱いで、どこの書店にも並んでいるという訳ではありません。(すいません、宣伝してしまいました)
ともあれ、出版芸術社さんは、貴重な存在ではないでしょうか。(ポリシーをもっておられるようなので。今時の出版社は、売れればいいと、思っておられるところも見受けられますので)
 

Re: 出版芸術社さん

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月28日(金)22時05分4秒
返信・引用 編集済
  > No.4555[元記事へ]

段野さん
 へえ、配本にもいろんな分類があるのですね。「特定店」とか「直販」とか、それは出版社が自分で選択するものなのですか? 取次が勝手に分類してしまうのでしょうか?
 いずれにしましても、出版芸術社が出す本はベストセラー狙いではない。もっと正直に言えば売れない本を出してくれる奇特な出版社なんですね。おそらく刷り部数はかなり少ないので、薄く広く書店にばらまくのは(或いはばら撒かれてしまっては)メリットがないどころか逆に不利だと思います。それよりも特定店舗に固めるほうが、実際購入者的にもそっちのほうがありがたいのではないでしょうか。関西で言えば、旭屋と紀伊國屋とジュンク堂とブックファースト(の基幹店)で取り扱いされていたら、購入者としてまず不便はないですね。《ふしぎ文学館》をロードサイドの「雑誌店」に探しに行く人はいないです。(その意味で「特定店」は理にかなった妥当な方針だと、私は思います)
 そのかわり、出版しても売れなければすぐに品切れにしてしまう最近の大手とはまぎゃくで、たとえば《ふしぎ文学館シリーズ》は一書たりと品切れさせずに維持していると聞いたことがあります。私が好んで読むのは、なぜか大抵”売れない本”なので、そんな私としましては、出版芸術社のような良心的な出版社は、「特定店」扱いでであろうがなかろうが、また眉村さんの本を数多く出してくれているとかいないとか、そういうことは無関係に、応援したいですねえ(^^;

追記。出版芸術社は電子出版もやっていまして、かつて私家版で出された『日課・一日3枚以上』(全10巻)が、『妻に捧げた一日一話 完全版』(全10巻)として電子化されています→こちら
 一冊420円とお買い得ですので(元版は2500円)、もし元版を買いそびれていらっしゃいましたら、ぜひ電子版でお読みいただきたいと思います。
 私の希望としては、紙版未刊の1001話から1778話までの一日一話も、電子版で出版してほしいです。
 
 

出版芸術社さん

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月28日(金)15時08分47秒
返信・引用 編集済
  管理人様
出版芸術社さんは、まず普通の書店に置いていません。探ってみると、「特定店」扱いらしいのです。決まったお店にしか、送品しないようですね。かといって「直販」でもないです。(直販なら、短冊に直とかいてある)斎藤様の言われるように、四半世紀も出版が続いているのですから、どこかでお目にかかっているはずなのですが、出会いはジュンク堂書店か、図書館なのです。
出版芸術社さん、お願いですから、扱う書店さんを増やして下さいませんか。(めちゃ勝手な言い分ですいません)たくさん、買い求めにいきますので。次々に眉村さんの作品を出版される予定とのことですので。お願いします。(勝手な奴です)
ところで、囲碁のセットですが、私の会社にもありました。そのときの上長がそのような趣味を持っておられたようで、囲碁のセットがありました。今では上長も変わったので、どうなっているのかはわかりませんが。(ちなみに、お追従な部下は「レッツ碁」という雑誌を定期購読してました)
 

Re: 眉村さん情報「たそがれ・あやしげ」「神戸新聞」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月27日(木)22時55分41秒
返信・引用 編集済
  > No.4553[元記事へ]

斎藤さん

 出版芸術社の社長(創業者)は、50年前に『燃える傾斜』の編集者だった方なんだそうですよ。まさに作家と編集者の、最高に麗しい関係ですね。

>「たそがれ・あやしげ」を近所の丸善で店頭購入してきました
 おお、私も読み始めました〜! 8月に、同じく出版芸術社より刊行の短篇集『自殺卵』の収録作品と同系統の、いわゆる<私ファンタジー>ですが、それよりもさらに舞台が現実的(より私的)な作品群みたいですね(リストラされて(或いは定年退職して)次の就職先が決まらない話が多いのでなかなか興味深いですよ、と、誰へともなく(^^;)。

 それで思い出しましたが、HPの方で閲覧可能でした「自殺卵」「ペケ投げ」「佐藤一郎と時間」の、『自殺卵』収録が決まったことによるリンク切りの件、思い立ったが吉日で今やってしまいました→http://okmh.web.fc2.com/i/#zisaturan
 今後は出版芸術社版でお楽しみください(^^)

 あ、そうそう、継続観察に措置されていたジュンク堂大阪本店ですが、さっき確認したら、在庫になっていました! それも黄色△じゃなくて、青色◯でした。きのうはたまたま売り切れていたのかも。疑って悪かった>ジュンク堂大阪本店。頑張って販売してくれたまえ(>おい)(^^;

 眉村話が続きます。今日の出版芸術社さんのツイート↓
 ←クリックすれば画像も表示
 わ、眉村先生の後頭部を撮影するのはタブーなのに(文化出版局版『変な男』のカバーを見よ!)>嘘ですよm(__)m
 拡大写真は→こちら(>おい!)
 

Re: 眉村さん情報「たそがれ・あやしげ」「神戸新聞」

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 6月27日(木)21時27分8秒
返信・引用
  > No.4552[元記事へ]

今日、「たそがれ・あやしげ」を近所の丸善で店頭購入してきました。
やっぱり、ネット通販で買うよりも、店頭で現物を手に取って購入する方が、より嬉しさが増しますね。
平積み、あるいは棚差しでも面出しを期待したのですが、残念ながら一冊だけの普通の棚差しでした。
今回の作品集では、一編毎に眉村さんのイラストが入っていて、「鳴りやすい鍵束」を思い出してしまいました。(別の本だったかも)
単行本の巻末には、作品集「自殺卵」が8月発売という近刊案内が掲載されていました。
出版芸術社を初めて知ったのは、「異世界分岐点」の新芸術社の時でしたが、その時には、好きもののマイナー出版社だなあという程度の認識で、いつまで経営がもつのかなあ、くらいの認識でした。
気が付けば、眉村さんの本だけで12冊も出版していいて、最初の「異世界分岐点」が89年ですからほぼ四半世紀に渡って継続して眉村作品を出版されているのですね。
「いつまで経営がもつのかなあ」などという失礼な感想を持ってしまって本当に申し訳ない思いです。
感謝感謝です。
いつの日か、「ゲームの戦士」(未完)も単行本化してくれないかなあ、などと思っています。
 

眉村さん情報「たそがれ・あやしげ」「神戸新聞」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月26日(水)23時08分0秒
返信・引用 編集済
   28日発売予定だった眉村卓『たそがれ・あやしげ』(出版芸術社)が、意外に早くアマゾンに入荷したようです→【Amazon】

 リアル書店でもすでに店頭に並んでいるみたいです→紀伊國屋書店の店舗在庫ジュンク堂関西の店舗の在庫状況→大阪本店は在庫していないのか。やっぱりやる気がないなあ。要継続観測。

 共同配信で神戸新聞(ほか地方紙)に連載中の眉村さんのエッセイ第3回(最終回)が掲載されたとのことで、深田亨さんが切り抜きのPDFを送ってくださいましたm(__)m
 見出しは「だんだん人でなくなる!?」。小見出しは「みな同じ顔に見える」。
 おいおい。この見出しは何ですか(笑)。もうちょっとマシな見出しに出来なかったのかねえ。「現実」に対して好奇心や興味が失われてゆくのは、老いて「この世への未練を捨てようとする本能的な進行なのではないか」という仮説を「だんだん人でなくなる」と表現されているのですね。
 これはぎくりとした。実は私も、最近女性の(とりわけ化粧した)顔は、個性よりも類型で認識していることが多いので。それが6種類に分類できるのかどうかは、未熟にしてまだそこまで観察できていないのですが(^^;
 

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月26日(水)17時47分4秒
返信・引用 編集済
  斎藤さん
>10分の1である300枚や100枚というものを結構見ます
 へえ、今はそんな状況なんですか! それでは「飯を食っていく」なんてとんでもない話ですね。
 でも100枚ー300枚レベルでいちおう「商業作品」が制作できるというのは、ある意味羨ましい話で、紙媒体ではそれは自費出版になり何十万という費用が持ち出しになってしまいます。電子出版が今後発展すれば、又状況は変わっていくでしょう。
 いまテレビのドラマが「大衆」にレベルを合わせてクソつまらないように、一般出版社が売り出すエンターテインメント小説も次第にそうなってきつつありますから、電子出版で100人、200人を相手にするような小説が世に出やすくなれば、わが余生もいくらか楽しくなるんですけどねえ(^^;

>手書きでは生じえないと思える誤り
 ああ分かります。これ意外に起こりますよね。もっとも斎藤さんのタイプミスに関しては、私の目がミスして正しく読んでいました。マイナスかけるマイナスでプラスになったのでした(笑)

>チャチャヤングの創刊号も楽しみにしています
 ご期待ください!!

段野さん
>一つ一つ、資料にあたられて
 いやいや、資料は全巻一括して主宰者の方に貸していただいたので、そういう苦労はなかったです。
 大変だったのは、半世紀以上前の経年劣化した紙の上に、手がきでガリ切りされた文字や文章の判読ですね。自己流の略字も難敵でした。正直な話、老眼が一気に進行しました(^^;
 

完売おめでとうございます

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月26日(水)14時12分28秒
返信・引用
  管理人様
はるけき道を、一つ一つ、資料にあたられて、ようやく完成した詩集。完売おめでとうございます。振り返ればすごいことをやってのけられたのではないでしょうか。出来上がりの内容の濃さは勿論のこと、眉村さんのまた違う面をさがしてこられたこと、絶賛に値するのではないでしょうか。作製だけでなく、それに付随した発送業務、入金確認、など、ややこしいこともこなされました。本当にお疲れ様でした。
詩集の内容は、読めば読むほどに、何か新たな発見(いや、私ごときがいうのもおこがましいのですが)がありまして、改めて、光があたったということにも意味があるように思えます。
ところで、チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号、期待を胸に、お待ち申し上げております。(お前はどやねん、と言われそうですが)
>これに手をだすことにしました。
大丈夫です。ご心配ありがとうございました。裏道があるので、それを使います。
 

Re: 「《捩子》の時代―眉村卓詩集―」完売御礼

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 6月26日(水)08時53分56秒
返信・引用
  管理人様、お早うございます。
音楽の世界では、海外アーティストのCDやLPの限定プレスで、依然は1000枚とか3000枚が多かったのですが、最近はその10分の1である300枚や100枚というものを結構見ます。
この枚数で世界流通が出来て、しかも日本で手に入ることに驚いてもいます。
「もの」がいかに売れなくなって来ているかを物語っていると思います。
そんな中、完全な私家版冊子で45部、55部完売というのはすごいですね。
チャチャヤングの創刊号も楽しみにしています。

ところでなのですが、6月23日に投稿させて頂いた私の文章の最後の一文にとんでもない誤字があることに気づきました。
ひらがな一文字なのですが、意味が真逆になってしまいました。
次の一文です。

誤り:「是非、思い切ったもう一歩の踏み出しを期待しないですね。」

実は、次の文章が正しいものでした。

正しくは:「是非、思い切ったもう一歩の踏み出しを期待したいですね。」でした。

最後の「期待したい」が「期待しない」になっていました。
手書きでは生じえないと思える誤りでした。
誤りの方で見ると、すごく皮肉っぽく見えます。恥ずかしいです。
キーボードで作成する文章は本当に気を付けないとと改めて思いました。
誤字、失礼しました。
 

「《捩子》の時代―眉村卓詩集―」完売御礼

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月25日(火)23時18分40秒
返信・引用 編集済
   本板でも何度かご案内いたしました『《捩子》の時代――眉村卓詩集――』ですが、用意していた材料を使い切りましたので、完売とさせて頂きます。たくさんのご支援を賜りありがとうございました。
 結局、全部で45冊になりました!
 いやまあ、本体部分は1冊から製作可能なんですが、表紙の色画用紙が40冊分で1単位なので、これをまた注文しましても、今後40冊すべて捌けるとは到底考えられません。これにて打ち止めと致します。
 40冊単位なのに、なぜに45冊?
 実はひそかに色ちがい版を5冊、『チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊準備号』の表紙で使用し在庫が残っていたきみどりの色画用紙で作っていたのです(そのうち1冊を自分用として)。しかしそれも(色ちがいで構わないかと確認した上で)捌けてしまいました。結局私の手元には残らなかったのであった(ーー;

 あ、それから上記『チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊準備号』の方も、今回何人かの方が購入してくれまして、こちらも材料がなくなりました。完売とさせて頂きます。
 こちらは60枚1単位の色画用紙を購入していたので、5枚引いて55冊製作しました。

 次は愈々『チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号』であります。今秋刊行予定で作家さんたちの尻を叩いておりますので、よろしければこちらも又ご贔屓に、よろしくお願いいたしますm(__)m
 
 

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月25日(火)21時15分56秒
返信・引用 編集済
  段野さん
>これに手を出すことにしました。
 おお、手を出されますか!(^^;
 しかし――
 この本、アマゾンマケプレで6737円ではありませんか!→【Amazon】
 こんなの購入したらあきませんで。古本屋のボッタクリですがな。
 あ、図書館を利用されるのかな。確認したら西宮市立図書館に在庫があるようですね→こちら

海野さん
>お〜い。
>リンクもしてないし
 いや、本板の御物見衆は、当然海野さんのHPも見ておられると思いまして(^^;
 まあ要するに、この前お会いした時に海野さんに指摘されてしまいましたが、いわゆる韜晦趣味の悪い癖ですな。大変失礼しました。遅まきながらリンクしましたm(__)m

 しかし雑誌長期連載には、そういう傾向が必ず生じると思いますね。有名なエピソードで、ストーリーの続きを思いつかないので、思いつくまで作中人物に何か月も延々マージャンをさせていたというのがありましたよね(バランスの悪さ)。まあこの例は確信犯(誤用)ですけど(^^;
 で、そういう矛盾や齟齬は、連載誌の読者も(微視的連続感の中にいるので)実は気づきにくい。たぶん「どこまでも遥香」を毎日読んでいる読者は、バランスが悪いとか矛盾とか感じていないと思いますね。でもそれに甘えていては駄目で、すべからく作者は良いものにすべく手を入れて行かなければなりません。単行本で一気読みする読者にははっきり見えるのですから。
 とはいえ――
 そういえば眉村さんが、短篇は将棋で長編は囲碁だといっておられました。長篇で行き詰まったら局面を移せばいいと。将棋の場合は盤面が狭いので局面を移すようなことはできないが、囲碁はできるそうです。つまり長編の方が統制が緩やかなんですね。だから私がいう矛盾の解消はあんまり言ってはいけないのかも(短篇の発想なのかも)。そういう意味では光瀬さんの流儀のほうが、長篇を殺さないのかもしれませんね。私自身100枚以上書いたことがないので、長篇の方法論は理屈だけになってしまいます。
 

Re: 「風の王国(8)」読了

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年 6月25日(火)19時38分52秒
返信・引用
  >「この作品は出来上がったものを分割してツイートしているわけではなく、考えたその場でどんどんアップしているので、色んなところがバランスの悪い作品になっていますね。最初に書いた所はこうした方がいいとか、あ、これでは矛盾が出て来てしまったとか、いろいろあります」というのに近い感じではないでしょうか(>おい)(^^;

お〜い。
リンクもしてないし、全国数十万人のこの掲示板の読者には何のこっちゃわからんでしょう( ̄ー ̄;
こちら↓

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:名残の雪

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月25日(火)14時42分50秒
返信・引用 編集済
  管理人様
いつもお手をわずらわせてしまいましてすいません。
調べましたところ、「NHK少年ドラマシリーズのすべて」(増山久明)(アスキー出版局)があることがわかりました。これに手を出すことにしました。
どんなことが載っているのか、楽しみです。(期待外れだったらどうしよう……)
ともあれ、いらぬお時間をとらせてしまいまして、すいませんでした。ありがとうございました。
あ、それから、やはり「山城はるか」は宝塚歌劇団の人だったのですね。「11人いる!」では主役でした。
 

「風の王国(8)」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月25日(火)02時58分40秒
返信・引用 編集済
  平谷美樹『風の王国(8)黄金の仮面』(ハルキ文庫 13)読了。
 相変わらず一気に読まされてしまうテンション。ただし今回は映画の予告編みたいに広がりきった小説世界の各所が、ピョンピョンとフラッシュバック的に点描される。それ以外はすべて戦さの描写。軍記物ですからある意味当然ですが、戦闘場面に興味がない私は、やや疲れた。
 あと、復活した突欲のキャラクターがどうも焦点を結ばずときどきブレる。というか、その行動原理がまだよく理解出来ません。たとえば道隠との再会の場面とか。
 まあ今回は終末局面へ向かって、一回全体の平仄を合わせておこうという巻なのかも。これだけの大長編になると、それも一種の連載もののパターンで執筆されていると思うので、作中人物の性格もいつの間にか変わってしまったりするのは容易に想像できます。「この作品は出来上がったものを分割してツイートしているわけではなく、考えたその場でどんどんアップしているので、色んなところがバランスの悪い作品になっていますね。最初に書いた所はこうした方がいいとか、あ、これでは矛盾が出て来てしまったとか、いろいろあります」というのに近い感じではないでしょうか(>おい)(^^;。ときどき立ち止まって整理するのは必要な作業なんでしょう。
 そういえば司馬遼太郎の歴史長編でもそれはたまに感じました。大体歴史上の人物を首尾一貫した性格で描けるかといえば絶対にそんなことはない。たとえばなぜ光秀はクーデターを起こしたか、なぜ頼朝は義経を疎んだか、それは連続ではなくてやはり断絶なんですよね。そこで物語作者は金柑頭とかを持ち込んで何とか一貫性を維持しようとする。またその辻褄の合わせ方が作品の評価を左右するんですよね。
 そういうのは以前から思っていましたが、それとは別に、今回この大長編に付き合うことで殆んど初めて気づいたのは、上に書きましたが長期連載に必然的なブレという問題です。これまで司馬作品でも雑誌連載で読む経験はなく、すでに出来上がった作品を一気に読むのが常だったので、連載という要素は余り念頭になかった。それを考えると、本作はかなりそういう矛盾を抑えている方ですね。その点は司馬も同じです。大方の連載時代小説家は余り気にしてないように感じます(光瀬もその傾向あり)。
 さあ、あと残すは2巻のみ。どのような結末を迎えるのか、さっぱり見当もつきませんねえ(^^;
 

検索対策で書名は伏せますが(>おい)(^^;

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月24日(月)22時44分12秒
返信・引用 編集済
  海野さん
 ジュンク堂大阪本店には2冊ありましたよ。大型書店には在庫されているみたいですね。ということは、刷り部数もそこそこ(一般の文芸書籍並みに)あるんでしょうね。
 頭から3つ(だけ)読みました。冒頭の大賞作品は、さすがにうまいですね。感心しました。センスもあると思います。2番めの優秀賞は、あざとくて「盛り下がり」ました。3つ目の優秀賞は「〜したの」の「の」が気になった。古臭いというか(内容も。まあ合わないだけかも)。年寄りが若ぶって作ったのかなと思っていたら、31歳とあって意外でした。
 若い女性ターゲットの、日常の断片それも深刻ではないもの、というのが暗黙のガイドラインでしょうか。こんな入口のせまいところに、よくもまあ海野ショートショートが入り込めたなあ、と思いましたよ。大多数の読者は、「え、なに?なんでラストこうなんの?」と目を白黒させたんじゃないでしょうか(^^;

 お気遣いなく。夏場が稼ぎどきのお仕事。休みの日はぐったりでしょう。今度会う時でいいですよ(^^)
 

かわいい 第16回フェリシモ文学賞優秀作品集

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年 6月24日(月)21時08分46秒
返信・引用 編集済
  お買い上げいただいた上に、感想までいただいてありがとうございます。
そ、その上に読んでいただいたなんて!
読まないと感想が書けない?
そりゃそうなんですけどね。
「交通事故」は同じ頃にツイッターで連続して書いた宇宙人もの5本のうちの一つです。
「207号室の宇宙人」は小説現代に投稿して没だったんですよね。
そうそう、その中の1本に宇宙戦争に発展するオチの物がありました。
知らない人に声をかけられても返事をしてはいけないと教えられている幼い女の子に宇宙人が声をかけて、最後に女の子に蹴っ飛ばされるというお話。

あ、そうそう「捩子の時代」の代金、定休日が来るたびに振り込みに行こうと思いながらもうすぐ3度目の定休日目前。
ほんと、出るのが億劫で、ごめんなさい。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 名残の雪

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月24日(月)21時05分30秒
返信・引用 編集済
  段野さん
「11人いる!」は、”少年ドラマシリーズ”だったんじゃないですか?
 確認したら、1977/1/2放送で、実際のところ「幕末未来人」(1977/9/5〜9/29)よりも以前に放送されていますね(こちら)。でもシリーズには珍しく1回完結で、その意味では「単発」ではありますね。
 そういうわけで、ひょっとして再放送があってそれで視聴されたのかも、と、[11人いる!|再放送 ]で検索してみましたが確認できませんでした(「11人もいる!」ばかり引っかかってきて)。
 ちなみに、この「11人いる!」の次の放送作品が、「未来からの挑戦」(1977/1/10〜2/11)なんですね(原作「ねらわれた学園」+「地獄の才能」)。
 いずれにせよ、「幕末未来人」も「未来への挑戦」も「11人いる!」も、残念ながら私は見ていません。1977年といえば大学三年生で、毎日遊び呆けて、夕方六時過ぎなんて早い時間に自宅に帰って来てなどいるはずがないのでした(^^;
 萩尾望都は「ポーの一族」と「11人いる!」は、勧められて読みましたかね。読まざるものSFファンにあらずみたいな感じでしたね。

 追記。「山城はるか」はウィキペディアにありました→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%8B
 しかし、「11人いる!」への出演は記録されていません。一時代を画したNHK少年ドラマシリーズへの出演を落とすなんて、やっぱりウィキペディアは鵜呑みにせず注意して利用しなければいけませんなあ(^^;
 

Re:名残の雪

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月24日(月)15時04分46秒
返信・引用 編集済
  管理人様
しつこくて申し訳ございません。
少し思い出したことがありまして。
「少年ドラマシリーズ」が終了した後に、NHKは単発でSFものを放映していました。「11人いる!」萩尾望都ですね。それ以外にも思いだしたかのように何作が放映していました。この「11人いる!」は私にSF漫画の方向を指してくれました。萩尾望都の作品を読み漁ったりしたのもこの頃です。(このドラマに主演をしていた、中性的な役を演じた、山城はるか、と言う人は今頃どうしているのでしょう。何か、宝塚歌劇団にいる人みたいでした)あと、竹宮寰qの作品も(これは少し傾向が違うか)読みました。丁度会社に入った頃なので、流通倉庫に入りびたり、休み時間には何かないものか、と探しまくっていました。(せめて、買うなりなんなりしろよ、と言われそう)「銀の三角」を読んでいた関係会社の女子社員がいて、「お前もか」などと妙に親近感を覚えたのもこの頃です。(ちなみに、語りあったりとかはしなかった)何故か「パタリロ」なんかも読んでいました。
その後、結婚した友人の家に行って、びっくり。「エリア88」が整然と本棚に並んでいました。聞けば、夫の趣味とのこと。ううむ、あちこちに潜んでいたのですね。
随分昔のことを書きだしたりして、お邪魔しました。
 

岡本家記録の

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月23日(日)23時38分31秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥さんが『《捩子》の時代――眉村卓詩集――』の書評を書いてくださいました→岡本家記録とは別の話
 そうそう、そうなんです! 私もそれを言いたかったんですがうまくまとめることが出来なかったのでした……彼我の筆力表現力の差を痛感(ーー;

斎藤さん
 なんと、そんな謎を「幕末未来人」は抱え込んでいたのですか!
 それは気になりますねえ。「続・幕末未来人」を志されたのもむべなるかなです。
 で、さっそく検索しましたが、同じような疑問は発見できませんでした(こちらの方が言及されていますが、「謎」には気づいておられないようです。追記、あれ、意外にあるようです→こちら。でもやはりその意味を深く考えようとはしていないです)。こんな大きな謎が見過ごされていたなんて、信じられませんね。
 たぶん脚本家の頭のなかには設定があったんでしょうね。それを視聴者の想像に任す手法を採用したのか、それともおっしゃるように、「続編」を念頭にしていたのか。
 いやいや、斎藤さんのように「これはもう、続編しかない」と考える視聴者に投書させて、続編を現実化させようという深謀遠慮だったのかもしれませんぞ(>妄想ですね。すみません)(^^;
 

Re: 名残の雪

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 6月23日(日)21時07分56秒
返信・引用
  管理人様

>  私はすでに大学生で見ていなかったのですが、ナゾとは、幕末の人間がなぜ昭和の名曲である「雪の降る街を」を口ずさめたのか、という事でしょうか?

そうなんです。「ゆき」は和田と伊藤が幕末に来てしまう遥か前に、幕末の時代で赤ん坊の頃に拾われて育てられたという設定でした。時々予言めいたことを口にしながら、「雪の降る街を」を口ずさむという、全て「雪」に絡めたミステリアスな設定でした。
結局「ゆき」は現代(昭和)人なのか、そうでないのか、現代人だったら、どういう経緯で幕末に紛れ込んでしまったのか、等々一切が明かされぬまま伊藤、和田と共に銃撃に会い、和田だけが海に落ちてしまうのです。
そして和田だけが昭和の時代にタイムスリップで戻ってきて終了でしたので、伊藤とゆきの生死、更には現代に戻ってこれたのかどうかも不明なままなのです。
これはもう、続編しかない。
伊藤は生きているのか、ゆきの正体は、等々、当時テレビを見ていた中学生の私の頭の中は妄想だらけとなってしまい、ついには、その妄想を自分で書くしない、などと思いつめ、ノートに「続・幕末未来人」なるものを結構な字数で書きなぐったことを覚えています。
あの中学時代のノートは果たして今どこに?
というような訳で、「幕末未来人」には特別な思い入れなどがあったことを思い出した次第でした。

>  斎藤さんも、日頃からいろいろ妄想されているようですね。善哉善哉(笑)。いや妄想素晴らしいですねえ。これからもご一緒に妄想いたしましょう!(^^ゞ

はい!今でも妄想癖は抜け切れずです。
楽しく妄想しましょう。


段野様
そうですよね、NHKにはSFドラマの遺伝子が根付いているはず。
私はジュブナイルどころか、SFそのものに開眼させてもらったのが、少年ドラマシリーズでした。
このテレビドラマシリーズで初めてSFを意識したのが「なぞの転校生」で、その原作者である眉村さんを知りました。
NHK大河ドラマでのSFもの。本当に実現して欲しいですね。
実は、大河ドラマも内心ではSFに走りたいと思っているのではないか、などと思うこともあるのです。
「炎立つ」の最後で、義経は衣川で討ち取られず、生死を定かにしなかったのです。
鎌倉には、泰衡を襲って逆に討ち取られた弟・忠衡の首を義経の首として差し出すというストーリーでした。
もうここまで来たら、あとは思い切って大陸に渡らせて、「蒼き狼」に...とまたまた妄想してしまう次第です。
是非、思い切ったもう一歩の踏み出しを期待しないですね。
 

Re: 名残の雪

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月23日(日)20時19分5秒
返信・引用 編集済
  > No.4536[元記事へ]

段野さん
 えーと、お月さんなんか出て来ましたっけ。ラストは当然「名残の雪」でしょう。

>謎の女の子「ゆき」
 私は見てないので状況からの推理ですが、「名残の雪」を大幅に改変した「幕末未来人」ですが、それを気にした脚本家が「ゆき」という名前を与えたのでは? つまり原作「名残の雪」の名残が「ゆき」なのです(>おい)(^^;

>大阪ではないんでしょうかね。
 大阪は駄目ですね。きのうジュンク堂大阪本店のSFWJ50周年記念コーナーを見ましたが、眉村作品は一冊も陳列していませんでした。やる気ナッシングですね(>死語)。
 せめて出版芸術社の『眉村卓コレクション異世界篇』全三巻くらい並べておきなはれ、と忠告しちゃろかと思いましたが、やる気のない書店に何を言っても無駄。というかSFWJ広報担当は、各書店ちゃんとコーナーを維持しているかどうか、巡察官制度を導入すべきであると思いました。

『風の王国8 黄金の仮面』に着手の予定。
 
 

名残の雪

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月23日(日)16時35分15秒
返信・引用 編集済
  管理人様
斎藤様
映画化される「幕末高校生」となると、ますます、「名残の雪」から外れていきそうな気がするんですが。大体「幕末未来人」も、ラストはお月様が出て来るんですが、それ以外は脚本によりかなりというか、随分違う物語として描かれていました。謎の女の子「ゆき」(古手川裕子のデビュー)も原作にはありませんでしたですものね。未だに謎の存在です。
しかし、映画化となれば、また、徒党を組んで鑑賞会を行うことになるのだとは思います。
どのようになるのか、ある意味では楽しみであります。
ところで、東京で眉村さんのフェアがあるとのこと、大阪ではないんでしょうかね。あれば
真っ先に駆けつけたいところですが。(版元の事情もあるのでしょう)
斎藤様
あれだけ「少年ドラマシリーズ」を作っておきながら(ジュブナイル、というジャンルを知ったのはこのシリーズがあったからなのであります。沢山ドラマになりました。おかげで、いろいろな方の作品を間近に知ることができました)
、大河ドラマではSFがない。ここまできたら、ほんと、「司政官シリーズ」で作ってほしいと、思うのであります。(これも妄想か)
 

「ベンスン殺人事件」再考

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月23日(日)14時11分53秒
返信・引用 編集済
  > No.4534[元記事へ]

 さて、昨日は畸人郷例会出席のため梅田へ。まずはジュンク堂にて懸案だった『かわいい 第16回フェリシモ文学賞優秀作品集』を購入。
 さっそく海野久実「交通事故」を読みました。夜、見通しの悪い交差点を横道に曲がったら、夜なのにライトも付けず交差点を曲ってすぐのところに着陸していた宇宙船にぶつかってしまう。宇宙船から宇宙人が降りてきてインネンをつけ始めるのですが、さてそのテンマツは……
 いやもうほのぼのとするファーストコンタクトならぬワーストコンタクト(汗)。ちょっとヨコジュンを彷彿とさせられるほんわかしたムードがよろしいなあ。しかし、これがきっかけで宇宙戦争が起こらなければいいのですが(>おい)(^^;

 読書会は日暮雅通新訳版『ベンスン殺人事件』。やはり予想通り、トリック等ミステリ読み的見地からは評価が低かったのですが、ヴァンスのキャラクターに関して、殆んどの出席者が好意的で、この面で加点されて、平均すれば7点と8点の間に収まりました。
 あと加点要素は、(ヴァン・ダインが)長篇探偵小説の型を定めたという点。たしかにトリックはなく、心理的捜査法も口先だけで最後は物証がものをいうなどの欠点はありますが、とにかくこれぞ探偵小説という雰囲気が充満しているわけです。マーダーケースという語の使用も含めて、そういう形式性は後代に計り知れない影響を与えているのは紛れもない事実。
 逆に、トリックはないわ一人しか死なないわで、よくぞ400頁近く、ダレもせず保たせた、という、なんか二軍選手が一軍で活躍したかのような褒め方も(^^;。
 その点はやはりヴァンスの特異なキャラクターが大きく寄与しているわけで、その根本にホームズがあるにせよ、しかしホームズ長篇は基本的に冒険小説であるばかりか、バスカービル家以外は中篇をくっつけた構造であることを鑑みれば、その独自的な存在感はもっと評価されるべきではないでしょうか。

 ここから私の妄想ですが、「ベンスン」以前に、解説によればすでにクロフツやクリスティは世に出ており、「赤い館」や「赤毛」や「矢の家」や「陸橋殺人事件」もすでに存在した。そんななかでかかる欠点を持つヴァン・ダイン作品が万雷の拍手を持って迎え入れられたのはなぜかというに、ひとつはほぼ初めてアメリカ人が書いたミステリであった点は大きかったでしょう。
 と同時に、読者はアメリカの(知的)上層階級だったわけですが、彼らに受ける要素をヴァンスが体現していたことも忘れてはならないのではないか。
 ヴァンスのシニシズムは基本的に、大戦前から急速に勃興し、大戦を経て確立したアメリカ資本主義が生み出した「大衆」に対して向けられているわけです。本書の中にも出てきますが、今ちょっと見つけられないのですが、いわゆるアメリカ式「大きい事はいい事だ」への違和感が表明されていて(それはイギリスへの憧憬の裏返しでもある)、それが当時のニューヨークの閑静な住宅街に住んでいた人種の共感を誘った。大衆にはさっぱり分からないシェークスピアを引用するスノビズムは、教養に満ちた上層階級の人々には好意的な苦笑を持って受け入れられたのではないでしょうか。考えてみたら、ヴァンスが徹底的にコケにするところの、ヒースに代表される警察機構なんて、まさに大衆(社会)の代表的アイコンですよね。
 それから重要だと思うのは、ヴァンスの「南欧性」です。事実ヴァンスはイタリアに隠棲しますし、顔がメジチ家の肖像画に似ていたりと、その出自のイタリア系を疑わせますが、「のんきで移り気」と描写される「享楽的」な性格も、いかにも南欧的です。南欧的ですが、アリとキリギリスに例えればキリギリスでもあります。これはピルグリム・ファーザーズに由来する、アリ的な、ホーソーン的なアメリカの一面への拒絶でもあるのではないか。おそらく当時の大多数の(ヴァンスから見て無教養な)アメリカ一般大衆は色濃くピルグリム的な禁欲精神に縛り付けられていた。そうした批判の目は、南部出身のリーコック大尉の過剰な女性崇拝(実は男性原理)にも向けられていて(この批判はまるでジョン・カーターに向けられているようにも感じられました(^^;)、こっちはひょっとしたらカトリック由来かもしれませんが、どちらの場合も(ヴァンス的には)無知と無教養で硬直した倫理性にがんじがらめになっている人々であり、それが(たとえばフォードを勃興させる契機ともなって)アメリカ大衆社会を成立させてしまう。ニューヨークの上層階級はそのような大衆から絞りとった剰余価値で知性と教養を勝ち取ったわけですが、その結果とりわけ二代目は(父親世代のピルグリム性を脱却して)ひじょうにまろやかな人間観を獲得する。そうなりますと、今度はその見地から、アメリカ大衆のその無知無教養由来の硬直性が我慢ならなくなるというループを措定できるのではないか。かかる教養あり(イギリスに憧れたり留学経験がある)アメリカ資本家二代目が、ヴァンスの登場を(自分たちに重ねあわせて)熱狂的に支持したのではないでしょうか。
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月23日(日)12時01分39秒
返信・引用
  > No.4533[元記事へ]

斎藤さん
>「雪の降る街を」
 私はすでに大学生で見ていなかったのですが、ナゾとは、幕末の人間がなぜ昭和の名曲である「雪の降る街を」を口ずさめたのか、という事でしょうか? なるほど、それはきちんと納得させてほしいですよねえ。

 たしかに「名残の雪」のシナリオでは一年間の長丁場は無理でした。いろいろ付け加えてせいぜい4、5時間でしょうか。ならば、日本テレビの「年末時代劇スペシャル」を復活させましょう(>おい)。大晦日の放送というのもぴったりではありませんか。あ、雪は雪でも、名残の雪は春なのか(^^;

 未来小説の大河ドラマ化というのは、良いアイデアですねえ。「消滅の光輪」なら、あのNHKドラマの重々しい結講雰囲気によく似あってますものね。
 斎藤さんも、日頃からいろいろ妄想されているようですね。善哉善哉(笑)。いや妄想素晴らしいですねえ。これからもご一緒に妄想いたしましょう!(^^ゞ

 『かわいい 第16回フェリシモ文学賞優秀作品集』より、海野久実さんの「交通事故」を読みました。感想もふくめてその他諸々は後ほど(^^)
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 6月23日(日)10時05分17秒
返信・引用
  > No.4532[元記事へ]

管理人様

お早うございます。
「名残の雪」の大河ドラマ化、ワクワクするような妄想ですね。
タイトルも本当にそれっぽくて良いです。
ドラマ「幕末高校生」はコミカルな印象がありましたから、どうせなら、よりシリアスでミステリアスな「幕末未来人」をベースにして欲しかったなあと思います。
「幕末未来人」でナゾのままとなってしまった美少女「ゆき」が口ずさむ「雪の降る街を」のナゾに答えを出すようなエピソードも入れて完結編として制作して欲しいなあと思います。

「大河ドラマ化」、本当に良い響きですね。
私の「大河ドラマ化」の妄想は、管理人さんとはちょっと違ったものでした。
大河ドラマが一時期現代物路線に転換されたとき、「このまま未来もの(SF)にも行ってくれ!!」と本気で思ったもので、その時には是非「消滅の光輪」をと思ったものでした。
大河ドラマにふさわしいテーマ(政治、経済、戦争)、重厚なストーリー(超巨大プロジェクトの遂行に懸けた一管理官の栄光と挫折)、そしてほのかなロマンスと完璧な内容に仕上がるのではないかと思うのです。
これだけの物語世界の映像化は1,2時間の映画ではなく、一年という長丁場のドラマでこそと思う次第です。
ああ〜、妄想です。
でも実現してくれないかなあ。
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月22日(土)14時23分16秒
返信・引用
  > No.4531[元記事へ]

斎藤さん
 サイン本>作家に目の前でサインしてもらうのが本来のサイン本なんでしょうけどね(汗)。

 それはさておき、(仮)にしても『幕末高校生』とタイトルされているということは、やはり『名残の雪』そのものからではなくて、以前フジテレビで放送された連続ドラマ「幕末高校生」のリメイクということなんでしょうね。細川ふみえ版は面白かったですけど、オリジナルとはぜんぜん別物ですものね。一度オリジナルの『名残の雪』を忠実に映像化したのを見たいですねえ。内容的に考えると本格時代劇になるはずで、NHKの大河ドラマが入れ物としては最適じゃないでしょうか(>おい)(^^;

 もうすぐ畸人郷に向かいますので、今晩は書き込みできないと思います。
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 6月22日(土)07時52分2秒
返信・引用
  > No.4530[元記事へ]

管理人様
>  斎藤さん、ありがとうございました。東京堂書店の日程は分かり次第掲載しますので、眉村さんのサイン本、ゲットして下さいね(^^)

おお〜、サイン本!!
これまで「サイン本」に一切縁の無かった私としては、これは「ゲットせねば!」です。
期待が高まります。
こちらこそ、嬉しい情報をありがとうございました。
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月21日(金)22時03分7秒
返信・引用 編集済
  > No.4529[元記事へ]

 斎藤さん
 これはまた大変な情報提供ありがとうございます!
 早速検索してみました。フジテレビ映画企画・東映制作で来年春〜夏公開予定の映画「幕末高校生(仮)」で、4月末から関西各地で撮影が開始されていますね。
 エキストラ募集で検索したら、いや続々引っかかりました。たとえば、
◯5/1淡路島、100名、役:江戸に進軍する官軍兵士役。ここ

◯5/9三重県伊賀市内、40名、役柄は「新型大砲の装填(そうてん)練習を行っている旧徳川軍とそれを見守るかみしもを着た侍」こことかここ

◯5/31滋賀県大津市内、140名、江戸に進軍する官軍兵士、江戸の町人 役。こことかここ

◯京都市内は物語の主舞台だけあります。こちらからコピペ。
A.日時:2013年4月30日(火) 6:00〜18:00(予定)
           雨天時延期:2013年5月2日(木)同時間帯
  撮影場所:京都市近郊
  募集役:江戸に進軍する官軍兵士 役
  募集条件:16〜50代男性(100名)

**************************************
B.日時:2013年5月10日(金) 7:00〜18:00(予定)
   雨天時延期:2013年5月11日(土)同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸の武家街の人々 役
  募集条件:16〜50代男性(50名)、16〜50代女性(40名)

**************************************
C.日時:2013年5月11日(土) 7:00〜20:00(予定)
   雨天時延期:2013年5月18日(土) 同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸の町人 役
  募集条件:20〜60代男性(50名)

**************************************
D.日時:2013年5月12日(日)7:00〜18:00(予定)
                   ※集合時間相談可
     雨天時延期:2013年5月14日(火)15日(水)同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸の町人 役
  募集条件:18〜60代男性(30名)、16〜50代女性(25名)、
                              子供※小学生以下(5名)

**************************************
E.日時:2013年5月13日(月) 7:00〜18:00
                           (※女性、子供、70代男女は22時)(予定)
   雨天時延期:2013年5月14日(火)15日(水)同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸の町人 役
  募集条件:18〜60代男性(40名)、16〜60代女性(30名)、
      子供※小学生以下(20名)、70代男女(10名)

**************************************
F.日時:2013年5月21日(火) 7:00〜18:00(予定)
             ※集合時間相談可
   雨天時延期:2013年5月22日(水) 同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸の町人 役
  募集条件:18〜60代男性(60名)、16〜50代女性(20名)

**************************************
G.日時:2013年5月26日(日) 7:00〜18:00(予定)
   雨天時延期:2013年6月2日(日) 同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸に進軍する官軍兵士 役


**************************************
H.日時:2013年5月27日(月) 7:00〜21:00(予定)
   雨天時延期:2013年5月29日(水) 同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸に進軍する官軍兵士、関所の役人 役
  募集条件:18〜50代男性(90名)

**************************************
I.日時:2013年5月28日(火)7:00〜18:00(予定)
   雨天時延期:2013年5月29日(水) 同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸の町人 役

**************************************
J.日時:2013年6月3日(月) 7:00〜18:00(予定)
   雨天時延期:2013年6月4日(火) 同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:江戸の町人 役
  募集条件:18〜60代男性(40名)

**************************************
K.日時:2013年6月6日(木)8:00〜17:00(予定)
   雨天時延期:2013年6月7日(金) 同時間帯
  撮影場所:京都市内
  募集役:現代設定。バスで通勤、通学する人々 役
  募集条件:16〜20代前半の男性(6名)、
                               16〜20代前半の女性(10名)、
      20〜50代男性(15名)、20〜30代女性(20名)
      ※移動するバス車内での撮影です!!

**************************************

 ものすごい動員ではありませんか! ひょっとしてソ連映画並みの大作なのでは? いやわかりませんが(*でもエキストラは皆ボランティアなんですよね。私がどてらい男にエキストラ出演したときは僅かですが(税を差っ引かれた)ギャラが出ましたけれど。今はボランティアなのか)。
 そして、<6/8追記:この作品は無事クランクアップした旨のご連絡がありました>という記事が!(東京エキストラというサイトの、PCサイトからは既に終了したので消されていますが、ケータイサイトに、上記記事が残っていました)

 クランクアップしたということは、この作品はほとんど完成したということですよね? 映画って、かくも深く静かに潜航して制作されるものなんでしょうか。いやまあいずれにせよ、ヨカッタヨカッタ。
 斎藤さん、ありがとうございました。東京堂書店の日程は分かり次第掲載しますので、眉村さんのサイン本、ゲットして下さいね(^^)
 
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 6月21日(金)18時08分15秒
返信・引用
  > No.4527[元記事へ]

管理人様
>某方面より、東京堂書店神保町店にて、眉村さん作家生活50周年記念コーナーが設置されるとの情報ががっ!

いやあ〜、これは又素晴らしい情報をありがとうございます。
神保町の東京堂書店は昔結構行ってました。
久々に行ってみたいと思います。
来週以降が楽しみです。

あと、全然別のお話ですが、「幕末高校生(仮題)」という映画が来年上映予定というお話をネットで見ました。
これが、眉村さん原案とクレジットされていた昔の同名のテレビドラマの映画化なのかどうかは不明ですが、同じタイトルなのでその可能性が高いのではないかとワクワクしています。
エキストラ募集(現在は終了)の記事が目につきましたので、アニメではなく実写と思います。
映画本体の詳細情報はネットでもまだ見当たらないのが残念です。
早く詳細情報が公表されるといいなあと思います。(別物だったら死ぬほど残念ですが...)

 

新訳「ベンスン殺人事件」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月20日(木)22時14分54秒
返信・引用 編集済
  S・S・ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』日暮雅通訳(創元推理文庫 13、原書 26)読了。

 定番の井上勇訳ではなく、日暮新訳版です。ところどころ新旧訳を対照しながら読んでいたのですが、あまりの面白さにストーリーに引きずり込まれてしまって、そんな辛気臭いことやってられんと、その企ては途中放棄(^^;
 いやー面白かった。とりわけ前半の疾走感は、シリーズ随一ではないか(犯人のキャラクタで僧正に及びませんが)。
 翻訳は、さすがに読みやすくなっているとは思いますが、旧訳も全然悪くないなあ、と感じた。難訳そうなところを見比べましたが、井上訳もきちんと訳してありました。また日暮訳では(『僧正殺人事件』も読んでますが)、小説世界のイメージが変わるのかな、と思いましたが、そんなこともなかった。きちんと誠実に訳されていれば、訳者が異なっても小説世界は変わらないんですね。まあ当然か。
 あ、でもヴァンスのシニカルな発言の面白さは、日暮訳の方がよく表現されているかも。ヴァンスとマーカムの掛け合い(というか一方的ないじり(笑))が、シリーズの二本柱の一本なのですが、たとえミステリーの構成にケチを付ける人がいても(実際いるわけですが)、それでもこのシリーズはヴァンスの魅力で永遠に読み継がれるでしょうね。

 さて、本篇は6月14日未明に起こった殺人事件を、14日の午前にヴァンスが登場し、20日(木)の犯人逮捕までの推理過程を描写しているわけですが、お気づきのように、曜日廻りがまったく、この2013年の6月と同じなんですね。で、私も(読み始めたのは6月16日でしたが)途中から日付と同期して読み進め、本日読了した次第(^^;
 本書は1926年10月刊行なのですが、では6月20日が木曜であるこの小説世界は西暦でいつを想定しているのか気になって調べてみました。
 当然1926年以前ということになります。調べると1926年以前で、同じ曜日周りになる直近の年は、1918年でした。
 ところが小説世界では、第一次世界大戦はすでに終わっているのですね(だからベンスン少佐もリーコック大尉もヨーロッパから帰ってきている)。
 したがって1918年以前の同じ曜日廻りの年は無視してよいわけです。事実、巻末解説で戸川安宣さんは、この1918年に比定されています。
 しかるにこの比定は問題があって、1918年6月時点では、まだ欧州大戦は終結していないのです。実は米軍が欧州戦線に投入されたのが5月で、これがきっかけで一気に西部戦線で連合国軍が優勢に転ずるのです(マルヌ会戦は7月)。1918年の6月頃は、そんな情勢下です。ちなみに欧州大戦が実質終結するのは11月です。
 ですから本篇の小説世界を、1918年に比定することはできないのですね。
 この点、戸川さんが1918年に比定されているのは、別の根拠からではあるのですが、やや拙速だったのではないか。
 むしろそのような比定を避けるために、ヴァン・ダインは、実際(1919〜1926*原書は1926年10月刊)にはありえない曜日廻りを設定したのだとするのが、案外正しいように思われます。
 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月20日(木)20時53分19秒
返信・引用 編集済
   某方面より、東京堂書店神保町店にて、眉村さん作家生活50周年記念コーナーが設置されるとの情報ががっ!
 ヤンヤ、ヤンヤ!!
 いやこれはうれしいですねえありがたいですねえ。まさに時宜を得た好企画ではありませんか!
 詳しい日程は決まっていないようですが、おおよそ来週のなかごろから一か月間で予定しているそうです。
 新刊『たそがれ・あやしげ』(出版芸術社)がメインで陳列されるのでしょうね。たくさん売れてほしいなあ。
 あ、『たそがれ・あやしげ』の眉村さんサイン本が15冊並ぶ予定とのことです。関東の眉村ファンは見逃せませんね。日程が決まりましたらお知らせしますね(^^;
 (註)なお、上記リンク先で『たそがれ・あやしげ』の収録作品名が公開されています。

 ところで、フェアをするのなら、これは是非お願いしたいのだが、五木ひろしに頼んで「たそがれ、あやしげ、ホテルの小部屋〜」の替え歌で吹き込んだのを終日コーナーで流してほしいなあ。売上倍増は疑いなしですぞ(^^;
 そんなの無理って? いやなに、康快さんに頼んだら一発です(>おい!)m(__)m
 
 

Re: 「夜のミステリー」「ミステリーゾーン」について

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月20日(木)18時35分25秒
返信・引用 編集済
  > No.4524[元記事へ]

ムトウさん
 お久しぶりです。ご来信ありがとうございます。
 実は最近、ちょくちょく貴サイト訪問させていただいており、重宝しております。まことにありがたいサイトです(^^;
 さて、大変懇切なご説明感謝します。
 してみると、
 ◯75/10〜79/3まで連続で、ミステリーゾーン→夜のミステリー(「夜はともだち」内)→夜のミステリー(単独番組)
 一旦途切れて、
 ◯86〜89/3まで、ミステリーゾーン
 ということですね。長い間続いたんですねえ。それなりに安定した聴取率(?)を取れたんでしょうか。眉村さんの「男のポケット」も、79/1〜85/3まで正味6年続きましたから(この間何度か中断があったみたいですが、きちんと確認できていません)、ラジオで聞くショートドラマには、根強いファンがいるのかもしれませんね。
 もっとも男のポケットは眉村さん自身の朗読なので、これは本当に局側に何の準備もいらないわけですが、ラジオドラマとなると、脚本から声優、音楽まで、(たとえ10分と言えども)裏方のスタッフがなければ成立しません。逆に言えば、それだけの準備が可能な(ペイする)広告が取れたということでしょう。
 やはり70年代後半から90年代初頭にかけて、ニッポンがもっとも景気がヨカッタ時代の、今から思えば非常にありがたい特産物のひとつといえるのかもしれませんねえ。

 追記。お名前の件>別に決まりはありませんので。「ムトウ」さんで何ら問題はありませんです(^^;
 

ムトウさま

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月20日(木)17時00分37秒
返信・引用
  ムトウさま
レーザーディスクの情報、ありがとうございました。見事、現在では、DVD化されたもののようです。各版元などから、シリーズものとして出回っております。そうでないものは、セルDVDとなっております。(スタートレックなどは予約して買いまくりました。結果、それまでVTRに録画したものが、無用の長物と化したのでありました。うう(ー_ー)!!)
ラジオドラマについては、関西では聞けそうもなかったラインナップで、うらやましいことです。当方も結構録音していたつもりなのですが。それくらい、ラジオがまだ中心の時代だったということでしょうか。音源、大切になさって下さいませ。
 

「夜のミステリー」「ミステリーゾーン」について

 投稿者:ムトウナオキ  投稿日:2013年 6月20日(木)12時44分27秒
返信・引用
  久しぶりです。ムトウです。
今頃、気が付きましたが、この掲示板、基本的に本名フルネームなのですね。
とりあえずカタカナで許してください。

「夜のミステリー」も「ミステリーゾーン」もTBSラジオをキー局として地方でも放送していましたが、関西では、恐らくやっていませんでした。
逆に「チャチャヤング」は関東ではやっていなかったので、私は聴いたことがありません。
1975年10月に「ミステリーゾーン」のタイトルで始まった平日(月〜金)放送、正味10分程のラジオドラマです。
1976年4月に一慶・美雄の「夜はともだち」の内包番組になって「夜のミステリー」に改題されました。
1977年10月からは日曜深夜の30分番組(正味25分くらい)に変更されて、1979年3月に最終回の「幽霊屋敷」が放送されました。
1986年に再び「ミステリーゾーン」のタイトルで平日(月〜金)放送の正味10分ほどのラジオドラマとして復活。1989年3月が最終回。
管理人さんが聴いた作品のうち、「砂糖菓子」(伊藤海彦)のみ、初期(1975年)の「ミステリーゾーン」。
「夜のミステリー」作品は1977年の放送。残りの「ミステリーゾーン」は1986〜1989年の復活版「ミステリーゾーン」の作品ということになります。
また、伊藤海彦作品と「夜のミステリー」の作品は放送作家のオリジナルを放送する「書き下ろし競作シリーズ」というシリーズです。
他の作品は推理作家やSF作家などの原作を脚色したものになります。
管理人さんが伊藤海彦作品を気に入ったのは、元々ラジオドラマとして書かれたものだから、ラジオ的な想像力が刺激されたからではないでしょうか?
また、「幽霊屋敷」もホストの都筑道夫氏が最終回用にラジオドラマ的な趣向を凝らした作品として書いたのがよかったのだと思います。
私も大好きな作品です。

>「武藤の大冒険」
>上記4作品名は、このリストには記載がありませんね。「好きな話をいくつかあげます」となっていますから、管理人さんの基準には達してなかったのでしょうか。
いやいや、あくまで好みの問題というのと、それぞれ作者の作品を偏らずに1,2作あげようと思いまして、
例えば横光晃氏でしたら「居心地のよい部屋」「買われた」を、山元清多氏は「笑えない話」「汚点(しみ)だらけの男」をあげていましたので
基本的に全ての話(全部聴いたわけではないけれど)がレベルが高いと思います。
この4作では「凍った花」が特に好きです。
>なんかすごい方が来て下さっていたのですねえ
いえいえ、一介のサラリーマンです。先々週に仕事でポカをやらかしまして、先週、今週と始末書を書かされていて、しょげています。

眉村卓氏作品
「夜のミステリー」では「通り過ぎた奴」、「仕事ください」がドラマ化されています。
「通り過ぎた奴」は岸田森主演の10分番組、「仕事ください」は草野大悟主演の25分番組でした。どちらも面白かったです。
また「ミステリーゾーン」では「二次会のあと」(講談社文庫)から以下の作品がドラマ化されているようです。
「叫ぶ草」「根なし草」「二次会の後」「バッジ」「資格魔」
ただし、こちらは聴き逃したので、出演者他、詳細は不明です。

かんべむさし氏作品
「夜のミステリー」では「建売住宅温泉峡」が25分番組で広瀬昌助、岡本茉莉主演でドラマ化されています。これも面白かったです。
「ミステリーゾーン」では「俺はロンメルだ」(講談社文庫)から以下の作品がドラマ化されています。
「俺はロンメルだ」「伸びるのびる」「ならやま審議会」「記憶の欠落 「心かわり」
こちらは常田富士男他出演で、放送日時は何と眉村卓作品放送の一週間前です。

高井信氏の作品はラジオSFコーナーで「シャドウ効果」という作品を聴いた記憶があります。

>レーザーディスク
これは私も買いました。
ソフトも「刑事コロンボ」「スパイ大作戦」「宇宙大作戦」「必殺仕置屋稼業」など、主にテレビ作品中心に集めました。
かさばります・・・。

長くなりました。では、また。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/mutoh/mystery.html

 

高井CDより

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月18日(火)21時27分17秒
返信・引用 編集済
  > No.4517[元記事へ]

段野さん
>レーザーディスク
 あれは本当に寿命が短かったですね。
 そういえばMDが出てきたとき、その対抗馬としてDTT(カセットテープのデジタル版)というのが喧伝されてましたが、こっちはもっと短くて線香花火で終りました。
 メディア系の技術が進歩するのは考えもので、営々と収集したコンテンツが一朝にしてクズに帰してしまう。眉村さんの「正接曲線」ですね。その点、紙の書物は人間の寿命程度は十分カバーするメディアなんですよね。

 閑話休題。高井CDより、ミステリーゾーンの残りを聴きました。
 交換(倉橋由美子)
 赤い斜線(半村良)
 遺伝(生島治郎)
 砂糖菓子(伊藤海彦)
 自恋魔(半村良)
 マカーガー峡谷の秘密(ビアス)

 一番面白かったのは「砂糖菓子」。ラストのオチが、意外性もある上に、シュールレアリスティックな絵になっていてよかった。実はこの話、前回気に入った「忘れ物」と同じ伊藤海彦という人の作品です。このシナリオ作家、なかなか才能がありますね。
 ビアス作品もよかったんですが、畢竟怪談なんですね。怪談というのは、オチもありますが、オチでそれまでの叙述がポジからネガに変わるようなことはまずない。大きく見れば予定調和なわけです。「断絶→膨張」がない。あとから振り返れば、まあそういうオチだろうな、と、納得できてしまう。大きく見れば連続的なんですね。倉橋作品も半村作品も生島作品も、みなこのパターンなんです。
 その意味で、伊藤海彦作品は怪談ショートショートじゃなく、純然たるショートショートといえるように思います。

 以上、高井さんからのいただきもの観了。ありがとうございました。あらためて80年代前後に「《ラジオドラマ》の時代」があったのだな、と認識を新たにしました。唐突ですが、阪神大震災の前と後ろでは、社会全般でパラダイム変換みたいなものが起こったような気がしますね。
 

無題

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月18日(火)17時33分8秒
返信・引用
  空気読めなくてすいません。MDでちょっと思い出したことがありまして。昔「レーザーディスク」というのがあったのを思い出しまして、ちょうどLPレコード盤の大きさで、しかも、長尺ものの映画などは二枚組だったりして、おまけに表裏をひっくりかえさねばならないしろものでした。余程購入したかったのですが、そのレコーダーも購入しなければならない。あまりそのソフトも種類が少ない。諦めました。友人の家で大鑑賞会を開いたのが、見た最初で最後でした。ちなみに、それは二枚組の「ブレードランナー」でした。(欲しかったソフトは「スタートレック」でした)
MDプレーヤーはまだ健在です。しかし、それも風前の灯みたいな存在ですね。そのうちに、ビデオデッキもそうなるのか? 今までせっせこせっせこ録画してきたテープも哀れな存在になるのだとしたら…早い目に大事なものを選り分けて、DVD化しなくては。お宝が出てきて欲しいものです。(ビデオテープはノート化せずそのままあるだけなので、発掘が必要)
これは何とかしなければならないな、と思った次第です。
 

Re: 「捩子の時代」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月17日(月)00時21分18秒
返信・引用
  > No.4520[元記事へ]

> それについてはツイート済みです(笑)
 あらら、すみません。見落としていました(^^;
 どうもツイッターのタイムラインってやつは見にくい(システムのせいにする)m(__)m
 

Re: 「捩子の時代」

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年 6月17日(月)00時13分13秒
返信・引用
  >これはなかなか気分が良いんではありませんか>海野さん(^^;

それについてはツイート済みです(笑)

https://twitter.com/marinegumi/status/345501388048056321

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 「捩子の時代」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月16日(日)20時56分59秒
返信・引用 編集済
  > No.4518[元記事へ]

段野さん
 「くすぶっている」は、おっしゃるように散文詩にして小説の趣きですよね。小説を書きたかったのだが、身についた詩の文体でしか書き始められなかった。それが途中から小説の呼吸を会得してああいう風になった――というのが実体なのではないでしょうか。そう推理しましたが如何。
 編集後記で書いたように、[捩子→宇宙塵]:[詩→小説]だったとすれば、個体発生は系統発生を繰り返すではありませんが、この作品は一種の個体発生の例なのかも。その意味でも「くすぶっている」が《捩子》最終号掲載だったのは非常に象徴的であるように思われます。

 さて、アマゾンを見たら、『かわいい――第16回フェリシモ文学賞優秀作品集が購入可能になっていました。ところが、「通常1~4週間以内に発送します」なんですよね。まだ在庫にはなっていない。これはちょっと胡散臭い表現で、実はまだ確実に手配できる状況じゃないことをあらわしているような気がします。それは、『ひらく』以下、旧刊はすべてアマゾン在庫になっているところからの推理でありまして、要するに、あまりにも「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」状態が長くなり、問い合わせやクレームが多くなってきたんで、このように表現を変えて非難をそらそうとしただけなように思われます。
 こういう時期に発注しても待たされるだけで精神衛生上よろしくないのは、実は何度も経験しているんですよね(だから上記クレームになる)。したがって、海野さんには申し訳ないですが、アマゾン在庫になるまでは発注はひかえるつもり。最悪、来週大阪に出るのでそのときリアル書店で購入します。

 それはそうとアマゾン、出版社のコメント欄に作品名と作家名が表示されましたね! 海野さんの名前も当然ですが、ちゃんと記載されています。これはなかなか気分が良いんではありませんか>海野さん(^^;

 今日は推理が冴えているようなので、来週の畸人郷課題図書の、新訳版『ベンスン殺人事件』に着手しました。ときどき旧訳版と対照しながら読むつもり(^^;
 

「捩子の時代」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月16日(日)18時52分21秒
返信・引用
  管理人様
完成作もお疲れ様でしたし、発送業務もお疲れ様でした。(入金確認も大変そうですね。お疲れ様です)
「くすぶっている」は、私には、最初の場面では、詩を読むような感覚がありました。勿論、そのあとには、ストーリーがある小説になっているのですが。
詩を読む小説、なんと不思議な体験でしょうか。改めて、眉村さんの凄さを追体験させていただいたような、小説なのではないのでしょうか。(拙い言い方で申し訳ありません)
次の新作、期待しております。(早く画像がアップされれば、イメージも湧くかもしれません)
 

高井CDより

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月15日(土)22時42分32秒
返信・引用 編集済
  > No.4507[元記事へ]

 堀晃さんの日記(6月14日)『《捩子》の時代――眉村卓詩集――』の感想が! 確かに身につまされますねえ(^^;

 高井CDより「ミステリーゾーン」の、前半5本を聴きました(すべて10分程度)。
 こちらによれば、TBSラジオ「一慶・美雄の夜はともだち」の1コーナーだったようで、途中で「夜のミステリー」に改題された由。「一慶」はおそらく小島一慶さんでしょうね。

明日の夢(都筑道夫)
剃刀(野呂邦暢)
さとるの化物(小松左京)
底無沼(角田喜久雄)
忘れ物(伊藤海彦)

この中では「忘れ物」がよかった。なんか『観画談』とか『押絵と旅する……』みたいなよくある出だしかと思ったのだが、ラストのひねりがよかったです。ショートショートとしてみた場合でも秀逸。

高井CDも、残すところあと6本。
 

Re: いやまあ。実にどうも

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月15日(土)20時34分50秒
返信・引用
  > No.4515[元記事へ]

かんべさん
「課長サンの厄年」は案外貴重なテープかもです。
 ツタヤサイトで、レンタルDVDでチェックしたところヒットしませんでした(セルDVDは引っかかりましたが、実質廃盤でした)。
 ちなみに私は、役者萩原健一が岡田以蔵で好きになりまして、70年代のちょっと歪んだ役どころの作品は結構見ました。「青春の蹉跌」とか「化石の森」とか「アフリカの光」とか。たまに見直したいと思うのですが、ツタヤには見当たりませんねえ。

 youtubeで「サンタナ・バディマイルズ・ライブ」発見!
 恥ずかしながら初めて聴きました。傑作。こんなにエキサイティングだったとは。
 どうもバディ・マイルスというのが、何となく胡散臭かったんですよね。今聞けば一目瞭然ですが、このアルバム、「サンタナ3」と「キャラバンサライ」をちゃんと繋いでいます。しかもこの時期からジャズの影響が……。A面はコルトレーン→フリージャズ。B面はエレクトリックマイルス。
 いやあ40年間も聴き逃してしまいました。少なくとも400回は聴いていた筈。嗚呼、人生を無駄にしてしまった(ーー;
 

 

いやまあ。実にどうも

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2013年 6月15日(土)19時36分13秒
返信・引用
  問いかけ一つに、怒濤の投稿。恐れ入りました&ありがとうございます。
まあ、DVDに変換するだけの意味があるかどうか、継続審議ということで。
VHSについては、昔、NHKニュースハイライト30何巻(戦後の30何年分)を、
当時のカネで、確か20何万円で買いましたがな。それがあんた、現在では、
似たようなニュース年代記集のDVD、一枚300円くらいでパラ売りしとる。
怒るでホンマ。しかしまあ、織田正吉さんが以前、電卓が一桁1万円になったとき、
「これが底値や!」と思って買ったら何と〜、と言うてはりましたから、
ようあるパターンなんでしょうけどね。MDも、私も愛用者やから怒っとりまっせ。
 

Re: (無題)

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 6月15日(土)10時41分31秒
返信・引用
  >  いずれにせよ、ビデオデッキは必須なので、海野さんのおっしゃるように「知り合いに頼む」他ないみたいですね。
 時間はかかりますが、作業自体は単純です。セットして、再生が終わるまで放置しておくだけ。
 ビデオデッキとDVDレコーダーがあれば、誰にでもできると思います。ご近所の方に頼むのが最も手間がかからないと思いますが、ビデオデッキをお持ちの方、少ないかもしれないですね。
 ちなみに、うちのビデオデッキはまだまだ現役で稼働中です。
 

Re: (無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月15日(土)09時16分47秒
返信・引用 編集済
  > No.4511[元記事へ]

海野さん、高井さん
 早速にレスポンスありがとうございます。
 私は”ビデオキャプチャー”という連結コード?があればいいんじゃないかな、と考えたのですが、ソフトもいるのですね(フリーソフトであるのかな)。
 いずれにせよ、ビデオデッキは必須なので、海野さんのおっしゃるように「知り合いに頼む」他ないみたいですね。
 その意味で、高井さんがやってくださるなら、願ったりかなったりですね(^^)

かんべさん
 というわけで、折角ですから高井さんにお任せしてみてはいかがでしょうか。
 せっかく貴重なコンテンツがあるのに利用できないのはもったいないです。

追記。海野さん、MDはほんとに寿命が短かったですね。私は100枚弱持っていますがデッキが壊れたので宝の持ち腐れになりました。一時、中古のMDデッキを購入してCDRに移そうかと考えたことがありましたが、youtubeでほとんどが聞けますので、その必要はなくなりました(^^;

 

Re: (無題)

 投稿者:和田宜久  投稿日:2013年 6月14日(金)23時45分29秒
返信・引用
  ふと、思い出したんですが、「チャチャヤング」を録音していたのは初めはオープンリールのテープレコーダーでしたね。
そして、最後の方ではカセットテープでした。
眉村さんの最終回を毎日放送のスタジオで録音したのはポータブルのカセットレコーダーでした。

カセットテープはしぶとく生き残っていますが、驚いた事にMDレコーダーはもう風前のともしびですね。
VHSデッキもそんな感じです。
面白そうな映画は、VHSで録画して、それを見ていないのに放送があるとDVDに録画して、それをまだ見てないのに同じ映画をブルーレイにどんどん録画しています。
なんちゅうことでしょう。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: (無題)

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 6月14日(金)22時39分58秒
返信・引用
  > No.4510[元記事へ]

> 呼びました?
> VHSテープはパソコンでどうこうは出来ませんね。
 できますが、それ用のソフトをインストールする必要があります。それ用のケーブルも必要かも。
> VHSデッキとDVDデッキを接続して、とりあえずDVDにダビングすればあとはパソコンでなんやかんや出来ます。
 そうなんですよね。というか、DVDレコーダーに保存しちゃえば、パソコンを使うまでもなく、その段階で好きなように編集できます。(いずれにしてもビデオデッキは必須)
> 業者に頼むとけっこう高額になると思うので、知り合いに頼むのがいいと思います。
 私でよければ。
 ビデオを送っていただければ、DVDに焼いて返送します。
 

Re: (無題)

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年 6月14日(金)22時25分14秒
返信・引用
  > No.4509[元記事へ]

呼びました?
VHSテープはパソコンでどうこうは出来ませんね。
アナログですから。
VHSデッキとDVDデッキを接続して、とりあえずDVDにダビングすればあとはパソコンでなんやかんや出来ます。
業者に頼むとけっこう高額になると思うので、知り合いに頼むのがいいと思います。

《捩子》の時代、楽しみに少しづつ読んでいますよ。
振り込みの方はそのうちね(笑)
金融機関へ行くのが大の苦手なもので。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: (無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月14日(金)21時28分34秒
返信・引用 編集済
  > No.4508[元記事へ]

かんべさん

>こういうのって、DVD化は業者に頼むんですかね
 個人のパソコンで出来ると思います。残念ながら私自身は知識がないのですが。
 どんな方法があるか、調べてみます。
 あ、そういえば、詳しい方が何人か、ここをご覧になっているのでした。
 ご教示いただければありがたいです。よろしくお願いしますm(__)m


邦光史郎『まぼろしの女王卑弥呼(下)』(集英社文庫 89、元版 82)読了。
 面白かった。本篇では魏使は邪馬台国まで来たという設定。不弥国までは確定していますからそのとおりですが、魏使に、倭国が広大……というよりも本陣の邪馬台国が遙か僻遠であることを印象づけるため、引率者に命じてくねくねと回り道をさせたとなっていて、この説はもともとあったものだけれども、個人的に不自然という感が強かったのだが、こうして小説に具体的なかたちで描写されてみると、なかなか中っているのじゃないか、と納得させられますね(つまり傍国は倭人が魏使に吹き込んだ虚構)。
 しかし全体を通してみた場合、長篇小説としてはいささか稚拙の感が免れ得ません。そもそも堅実な作風で、私が読んだ古代史ミステリー作品やSF作品では、そんな感じはなかったので、ちょっと不思議。可能性としては、本篇は、倭人伝中で比定確定した地名以外は(西暦的な時間も)明記されない叙述原理で一貫されていて、それは好ましいのですが、そもそも著者は資料に頼って書くタイプ(今ならさしずめ福田和代か)。本篇はあえてそれを封印するものなので、作者自身がその原理を持て余したのかも。
 あと、これは史観というよりも人間観の違いなのでどうしようもないことですが、倭人たちが原始人(というのは語弊があるのだが)すぎる点が、わたし的にはひっかかった。かんたんにいえば動物的な面が(と書くのも語弊があるのですが)強調されすぎている。私はクロマニヨン人の時代からこの21世紀まで、人間の社会というものは殆んど変わっていないとする説に与するものでありまして、とりわけ性の管理は社会維持の根幹であって、いわゆる19世紀社会進化論的な乱婚時代は空想の産物なんですね。たしかに女は貫頭衣、男は”たふさぎ”一本のみ、というのは事実に近いと思いますが、だからといって本篇の男も女も(卑弥呼も)いやにそっちに関心を持ち過ぎ(^^;。バルスームの男女も裸に近いがそんなことはない。これはひょっとして本篇が連載された『歴史と旅』(初刊本が秋田書店刊であることからの推理ですが)の要請なのかな。としますと、1910年代の『オールストーリーズ』の読者の方が1980年代の『歴史と旅』の読者よりも上品だったということなんでショッカー(^^ゞ
 閑話休題。「長篇小説としてはいささか稚拙」感は、「叙述原理を持て余したからかも」、と書きましたが、それは端的にストーリーにあらわれていて、シナリオの第一稿にしか感じられなかった。個別のシーンは具体的で悪くないので(と言うかシーンが連鎖しているばかりで、その奥に一本貫くストーリーが弱い)、この草案を、何人かのライターがブレーン・ストーミングしながら鍛錬したら、緩急がついてもっとよい長篇小説になったのではないか。そんな風にも感じました(いわゆる「文学」ではないタイプの小説、作家の個性が意味を持たない小説の場合なら、そんな方法もありだと思います)。いろいろな意味で「惜しい」作品でした。
 

(無題)

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2013年 6月14日(金)18時40分9秒
返信・引用
  《捩子》の時代を、お送りいただき、ありがとうございました。
本日拝受。ゆっくり、読ませていただきます。
とりいそぎ、御礼ならびに御報告まで。

がらりと調子が変わりまして、テレビドラマの話題が出とりますが、
「課長サンの厄年」、何回分かのVHSがあるんですけど、
ビデオレコーダーはとうに壊れて破棄。手元にあるのはDVD機器のみ。
こういうのって、DVD化は業者に頼むんですかね。
まあ、別に再見できなくても、かまわんと言えばかまわんのですが。
 

「武藤の大冒険」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月14日(金)01時30分20秒
返信・引用 編集済
  高井CDの中から、「夜のミステリー」を聴きました。
 真夜中のサーファー(佐藤信)
 凍った花(横光晃)
 缶詰(山元清多)
 幽霊屋敷(都筑道夫)
 クレヤボヤンス(横光晃)

 都筑作品が30分弱。それ以外は10分程度。
 都筑作品は怪談ですが、さすがにずば抜けて面白かったです。
 あと、「缶詰」がよかった。

 高井さんに聞いていた「夜のミステリーについて」というホームページに行ってみました→こちら
 資料的価値が非常に高いHPです。
 都筑作品以外は「書き下ろし競作シリーズ」のようです。が、上記4作品名は、このリストには記載がありませんね。「好きな話をいくつかあげます」となっていますから、管理人さんの基準には達してなかったのでしょうか。

 一番下の「戻る」をクリックしてトップページに行ってみました。→武藤の大冒険
 素晴らしいリスト群です!
 しかし。
 まてよ。
 と、過去ログを確認。
 ややっ。「武藤」って、以前当掲示板に書き込んで下さったムトウさんじゃありませんか!
 そういえばこのご投稿で「夜のミステリー」に言及されておられるのでした(気づくのが遅すぎる)。
 なんかすごい方が来て下さっていたのですねえ(高井さんは気づいておられたのかしらん)(^^)。


 

Re: 高井信原作テレビドラマより(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月13日(木)20時01分17秒
返信・引用
  > No.4505[元記事へ]

高井さん
 説明ありがとうございます。メールも拝見しました。
 20年も継続した由緒ある劇団だったんですね。
 それが自分たちの代で廃部とは、無念如何ばかりか、察して余りあります。
 ネットによればOB会活動は続いているようで、それだけ密度の濃い学生生活が送れた劇団だったんでしょう。
 想像ですが、そのような凝集性の高い部活ほど、薄い関係しか望まない最近(たってここ30年くらい?)の学生には不人気なんでしょうねえ。
 

Re: 高井信原作テレビドラマより(3)

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 6月13日(木)07時49分48秒
返信・引用
  > No.4504[元記事へ]

 感想をありがとうございます。
>  上に「人形劇(?)」とクエスチョンマークをつけたのは、登場人物が人形のみではなく、人間の役者も出てくるからなんですね。この趣向はあんまり機能していない。というか、こんな風にした意図がよくわからなかった。
 意図というより、そうせざるを得なかったようです。当時の部員はわずか2人で、その人数では人形の操演もままならず、それゆえファイナル=解散公演となったと聞きました。
 パンフに「人形劇といっても2人では無理です」と書かれています。まあ、だったら人形劇と銘打たなければいいわけなんですけどね(笑)。
 

Re: 高井信原作テレビドラマより(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月13日(木)00時10分5秒
返信・引用 編集済
   人形劇(?)『ハッピーエンドの妙薬』を観ました。原作は『インプリンティングの妙薬』(ソノラマ文庫 91)。人形劇団むうのファイナル公演(96)のビデオのようです。調べたら愛知教育大の学生たちの劇団だったようですね。
 上に「人形劇(?)」とクエスチョンマークをつけたのは、登場人物が人形のみではなく、人間の役者も出てくるからなんですね。この趣向はあんまり機能していない。というか、こんな風にした意図がよくわからなかった。劇中何回かある暗転もぎこちなく、まあ学生劇団はこんなものなのかもしれません。ふだんオリゴ党の劇を見慣れているからで、逆に、オリゴ党はさすがに舞台回しがソツがないのだなあ、と気付かされました。学生劇団と20年くらい続いている一般劇団を比べたらいけませんね。

 DVD高井信劇場はこれにて観了。あと、TBSラジオのドラマシリーズ「ミステリーゾーン」を録音したCDも頂いており、これもすこしずつ聴いていくつもり。

 邦光史郎『まぼろしの女王卑弥呼(上)』(集英社文庫89、元版82)読了。ひきつづき下巻に入ります。
 この世界の邪馬台国は吉野ケ里を想定しているようですが、史実べったりの作風ではなく、ほとんどヒロイック(ヒロイニック?)ファンタジーです。
 邪馬台国の南は筑後川流域が大湿地帯になっており、一種のアマゾン、いやバルスームのトゥーノル大湿原を彷彿とさせます(ついでに言えば、日神信仰のモリはイサス教団的ですし、ヒミコを目の敵にする巫女の世話係はサルコジャを想起しないではいられません)。
 はばかりながら私の妄想では2世紀の筑後川流域は筑後内海なんですが、著者はそこまで海進させず、支流が網の目のように走る大湿原に設定しています。まあこっちのほうが事実に近いでしょう(したがって二十日市水道は存在できず、その部分は舟を担いで行く形になります)。この大湿原地帯の描写がまさに蛭や蛇や虫がウジャウジャいる魔境で、実際古代の照葉樹林帯の湿地ってこんな感じなんでしょうね。著者の子供の頃はこれに似た自然があったに違いない。だから類推で描写できるんでしょう。そんな経験ゼロの21世紀の作家には無理ではないか。大体、現代の日本に、蛭がばらばら落ちてくるような場所なんて、残っているんでしょうか。

追記。吉野ケ里の発見は1989年なので、82年発表の本作が吉野ケ里を参考にしている筈はありませんね。むしろ吉野ケ里発見で、ほぼ同じ地帯に邪馬台国を想定した本作が再発見され、89年に文庫化されたとみるべきかも。いずれにしてもリアリズムで申し訳ないが、邪馬台国の時代と吉野ヶ里の時代はずれているので、卑弥呼の住んだ都市ではありえないのです。だからといって、あのあたりに邪馬台国があったというのは論理的で、著者の慧眼はいささかも曇りませんが(私は筑後川流域を挟んだ対岸に比定しますがね(^^;)。
 

名張人外境で

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月12日(水)01時48分36秒
返信・引用
   名張人外境で、『《捩子》の時代――眉村卓詩集――』を紹介して頂きました!→こちら
 「もくじ」を確認できますよ。

 『まぼろしの女王 卑弥呼(上)』は130頁。

 

村上芳正回顧展と画集刊行のお知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月11日(火)00時35分48秒
返信・引用 編集済
   沼正三『家畜人ヤプー』の装幀であまりにも有名な村上芳正画伯ですが、このたび弥生美術館にて、大規模な本格的回顧展が開催されるとのこと、本多正一さんよりご案内頂きました。いつもありがとうございます>本多さん。
 7月5日(金)から9月29日(日)まで開催されているそうです→詳しくはこちら
 リンク先にもありますように、回顧展に合わせて国書刊行会より200頁程度の、ほぼ全画業を収録した全集に近い画集も刊行されるようです。編者は本多さん。画集のために執筆された長文の解説を、友人のよしみでこっそり読ませて頂きました(^^;。
 おお、これは力作! 画伯にインタビューされたんでしょうか、本格的な、きわめて精細な評伝にして作家論です。その生い立ち、戦争体験が、いかにあの独特な画風に結実したか、さらには三島由紀夫との交流、『家畜人ヤプー』……。
 いやこれは必読でしょう。この辺のジャンルに興味をお持ちの方は当掲示板には多くいらっしゃると思います。国書のHPにはまだ反映されていないようですが、刊行の暁には、ぜひお手に取っていただきたいですねえ(^^)。
  ↓クリックで拡大

 

「《捩子》の時代」一時品切れ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 9日(日)22時39分36秒
返信・引用 編集済
  『《捩子》の時代――眉村卓詩集――』ですが、そろそろお手元に届いたと思います。今日は一日、クロネコの荷物お問い合わせシステムでチェックしていたのですが、意外なことに最初に届けられたのは長野県。で、最後はなんと、大阪市内(生野区)! というか、まだ届けられていません。心配になって電話で確認しました。明日配達とのことです(Tさんもう少しお待ちくださいね)。
 いや別にクレームをつけようと思っているわけではなく、誤差も一日なら許容範囲なんですが、日本全国へ一括発送した場合にのみ見えてくることがあったりするという話でありました(^^;
 さて、ともあれ好評につき、注残を残して、在庫がなくなってしまいました! 可及的速やかに第二回分を製作し、土日までには発送いたします。
 いや嬉しい悲鳴(^^)
 高井さんからは「前より明らかにスキルアップしていますね」とお褒めの言葉も頂き、モチベーションがまた上がりました(^^)
 いや、実際私自身、われながら上手になったなあ、と、ほれぼれ(>おい!)している次第で、やっぱり創刊準備号を経験するのは意味があったと思います。実地にやってみなければ気が付かないことや、昔はできていたのに忘れてしまっていたことが確かにあって、それがノウハウとして蓄積されてきたわけです。
 今秋刊行予定の『チャチャヤング・ショートショート・マガジン』創刊号本番では、さらにスキルアップした製本ができるのではないでしょうか(>願望)(^^; チャチャヤング・ショートショートの会々員の皆様におかれましては、力作をよろしくお願いしますね。

 ということで(どういうことだ)、邦光史郎『まぼろしの女王 卑弥呼』に着手。

 

Re: 高井信原作テレビドラマより(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 9日(日)11時29分57秒
返信・引用 編集済
  > No.4499[元記事へ]


>その通りです。さすが!
 ほっ(笑)。ここで唐突にストーリーになって、緩んじゃいますよね。

>ちなみに、『奇妙劇場』の初版は拙作の最終ページが欠落。2刷で修正されました。
 それはひどいですね。太田出版て全然無名の出版社で、『世にも奇妙な物語』で当てたのかな。『奇妙劇場』はその副産物で、ノベライズではなくオリジナルアンソロジーでした。西さんが(2)に掲載されたので、そっちは持っています。(2)はアンソロジーとしてよくできていました。『世にも奇妙な物語』で当てた編集者が、その威光で自分の趣味を誰はばかることなく出したシリーズなんじゃないかな、と思った記憶がありますが、「最終ページが欠落」なんて、やっぱり出版社としては(当時は)素人同然だったのかもしれませんね。

 しかしこの時代のドラマ映像は興味深い。独特のファッションでファッション史の中でも、ここだけつながりを欠いて異質ですよね。私もこの時代にスーツをいっぱい買っていて、今は絶対着れません。むしろそれ以前のスーツならいま着てもさほどおかしくないと思うのですが、体系が合わないのでした(もうないし)(^^ゞ

追記。わ、今アマゾンを見たら、『奇妙劇場(Vol.2)』は2万1千円の価格が!! 海野さんに千円勝ってしまった(^^;
 

Re: 高井信原作テレビドラマより(2)

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 6月 9日(日)00時04分4秒
返信・引用
  > No.4498[元記事へ]

>  そうしますと、ラストで同じ趣味であることがわかり和解してしまう、要するに「物語化」がなされるのですが、これは原作どうりなのかなあ。私はドラマ化に際して付加されたんじゃないかと思うのですが、如何(^^;
 その通りです。さすが!
 ちなみに、『奇妙劇場』の初版は拙作の最終ページが欠落。2刷で修正されました。
 

高井信原作テレビドラマより(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 8日(土)23時36分13秒
返信・引用 編集済
  > No.4492[元記事へ]

高井信劇場、本日は「新・世にも奇妙な物語」を観ました。
 92年4月9日放送で、二時間枠で5本。春の特別編のようです。
 第一話「シャドウボクサー」は、柳葉敏郎主演。瞬間的に超スピードで動けるようになったボクサーの悲哀。これ、眉村さんの「枯れた時間」と同じアイデアですね。
 第二話「笑いの天才」は、菊池桃子主演。売れない(才能もない)女漫才師が笑いを取りたいと念じた結果、何を喋ってもどっと笑われるようになるのですが……。ラストで二重オチ。

 第三話「奇遇」が高井さん原作。原作は「世にも奇遇な物語」(単行本未収録なのかな。アンソロジー『奇妙劇場(1)』(太田出版)に入っています)。片岡鶴太郎主演(仲本工事共演)。
 本作も、高井信一流のストーリーではなくシチュエーションが転がっていくもので、原作は未読なのですが、引っ越したマンションに、同じ日に引っ越してきた隣人が同名で奥さん同士も同名。勤め先も同じビルの向かい同士。出勤でドアを出れば、隣人も出てきており、同じ通勤電車。トイレに行っては出会い、帰りも一緒になる。こういうシチュエーションがもし身に起これば、きっと顔を合わすのも嫌になるに違いない。実際ドラマもそうなり、主人公は相手を出し抜こうとあの手この手を弄する。ところが隣人も同じ考えであの手この手を弄するものだから、たとえばエレベーターではなく階段を使ったら、相手も階段を使おうとしていたり、けっきょく元の木阿弥というか「奇遇」が続きます。これはストーリーではなく、シチュエーションが自己増殖して転がっていっているだけなんですね。「だけ」と書くとなんだか否定しているみたいですが、要するにシチュエーションに純化しているという意味です
 こういう状況は現実には絶対ありえない。いや小説的にもありえない。そこを原作者は強引に、すべて重ね合わせにしてしまう。このへんが高井作品の前衛性(?)といいますか、作者がふと現実に帰って中途半端にしてしまうと、とたんに緩んでしまうところを、思いついたら一点突破式に攻め込んでしまうからこそ、緊密性が持続し、最後まで読まされてしまうわけです。
 そうしますと、ラストで同じ趣味であることがわかり和解してしまう、要するに「物語化」がなされるのですが、これは原作どうりなのかなあ。私はドラマ化に際して付加されたんじゃないかと思うのですが、如何(^^;
 ちなみに5本中、原作があるのは本篇だけ。後のはすべてこの番組のために書かれたシナリオのようです。

 第四話「震える愛」は、南果歩主演。これは「キャリー」的な、と比較するものが古すぎますが、超能力少女ホラー(少女ではないか(^^;)なんですが、最後の事件が不自然で安易すぎた。
 第五話「気づかれない男」は、陣内孝則主演。もともと存在感がないため、無理やり目立ちたがりになっていた男が、座右の銘として壁に貼ってあった「存在感」と墨書された紙を剥がしたら、元の存在感がない男、いやそれ以下になってしまう話。眉村さんにこんな話がありましたよね。本篇も不備があって、それはなぜ「存在感」の墨書にそんな力があったのか、全く説明していないこと。時間の関係で「推して知るべし」としたんでしょうが、いやもちろん分かるわけですが、ストーリー的には不備という他ない。
 第三話も第四話も、ストーリーは破綻しているのだが、それでも演出や役者の演技力や、それこそ存在感で、十分面白いドラマに仕上がっていて、小説とは違ってドラマにおいては、ストーリーは数ある要素のひとつにすぎないんだなあ、と感じさせらrました。

ここでお知らせ。あるサイトで知ったのですが、「ツングース特命隊」が、全10回のラジオドラマになるようです→NHKFM青春アドベンチャー
 7月1日(月)〜7月5日(金) 22時45分〜23時(1-5回)
 7月8日(月)〜7月12日(金) 22時45分〜23時(6-10回)

 

Re: 海野さんがツイッター小説大賞優秀賞に!

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 6月 8日(土)23時19分12秒
返信・引用
  > No.4495[元記事へ]

 おお、連続ですか! 素晴らしいですね。
 本日、フェリシモ文学賞の『かわいい』を買いました。さっそく海野さんの作品を拝読。
 お。SFですね。で、かわいい。――ほんわかした気分になりました。
 ますますのご健筆をお祈り申し上げます。
 

Re: 海野さんがツイッター小説大賞優秀賞に!

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 8日(土)18時16分1秒
返信・引用
  > No.4495[元記事へ]

海野さん
>海野久実名義で、初賞金(笑)
 タカってやろうと思いましたが、2万円ではさすがに申し訳ない。
 次はぜひ、10万円以上でお願いしますね(>おい)(^^;
 

Re: 海野さんがツイッター小説大賞優秀賞に!

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年 6月 8日(土)08時45分20秒
返信・引用
  > No.4494[元記事へ]

ありがとうございます。
海野久実名義で、初賞金(笑)

『第16回フェリシモ文学賞優秀作品集』の「著者」が最優秀賞の方の名前になっていますね。
なんかこの人の作品集みたいでうらやましい。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

/NOBR>

海野さんがツイッター小説大賞優秀賞に!

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 8日(土)01時13分34秒
返信・引用 編集済
  海野久実さんが、第3回ツイッター小説大賞優秀賞(賞金2万円)を授賞されました!
http://twnovel.net/
フェリシモ文学賞に続いての連続受賞。
おめでとうございます(^^)

あ、アマゾンで『かわいい─第16回フェリシモ文学賞優秀作品集』が発売になっている! と思ったら、早くも「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」ではないか!(ーー;

 

「軍靴の響き」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 7日(金)22時36分28秒
返信・引用 編集済
  半村良『軍靴の響き』(角川文庫74、元版72)読了。
 この世界では、西イリアンに大油田が発見されており、日本のエネルギー事情は一気に好転しています(本篇は72年雑誌連載。73年第一次石油ショック)。なんたって、西イリアンから経線にそって北上すれば東京湾なのです。ややこしいマラッカ海峡を通る必要もない。当然、日本はこの生命線の権益を独占している。しかし在留邦人の傍若無人なふるまいに、反日感情が高まりを見せている。また中国やアメリカも、現状の日本の独占が面白くない。裏で操っているのか、資金援助しているのか、反日ゲリラが先鋭化してくる。
 これを千載一遇のチャンスとしたのが自衛隊で、石油資本と結託し、合意の上で、タンカーを(ゲリラの犯行に見せかけて)沈没させ、権益保護の名目で海外派兵をなし崩し的に認めさせる。
 本篇はかかる自衛隊の強大化志向を、『日本沈没』のように権力側から全貌を俯瞰して描くのではなく、あくまで庶民の側に、すこしずつ漏れてくる情報を繋ぎあわせてゆくように進行します。この視点がさすがです。
 もっとも、一般民衆はこのような事態の進展に対して、なにか事を起こして抵抗するわけではない。大勢に流されていくばかり。一部の憂国者(愛国者にあらず)がゲリラ活動を組織し、東京をブラックアウト化したり、江戸川を決壊させて東京大洪水化するんですが、これが逆に自衛隊の拡大に利してしまう。
 先の戦争を知っている者たち(72年から少し未来の設定なので、戦後三十年も経っていない)は、軍隊なんかコリゴリと思っています。しかしだからといって、何も出来ない。
「嫌なものは嫌。私はね、そんな忘れっぽい女じゃないんだよ。兵隊はこりごりさ。顔を見るのも傍へ寄るのも嫌だよ」(……)「お前はよっぽど兵隊に嫌な思い出があるんだな」「当たり前さ。あいつら人殺しが商売だもの」(199p)
 と、ふて腐れるのが関の山。
 一方、若者たちにそんな屈託はない。自衛隊によるクーデターは成功し、電話の盗聴で反体制分子がどんどん挙げられ北海道の収容所へ電車に詰め込まれて送られてゆくなか、復活した徴兵制で(自発的な)予備登録せざるもの人にあらず的な潮流が作られ、就活ではそれが(具体的には黄色い星のバッジが)大きくモノを言う(そのように企業は指導される)。もっと卑近な例では、映画館が割引になるのです。
 いや、これは考えましたね。素晴らしいアイデア。映画館(おそらく特典は他にいっぱいあるんでしょう)が割引になるのだったら、現実の、イマココの、子たちもホイホイ予備登録するんじゃないでしょうか。電話盗聴は、イマココならツイッターの監視ですね。ツイッターでつぶやかれる反体制的な単語を予め設定しておけば、自動的に引っかかってくるという寸法です。そんなことは、このアベノミクス・ワールドでは実に簡単な技術なんです。ツイッターで思慮足らずにつぶやいた結果、次の日から行方不明という事例が、今後増えてくるのではないでしょうか! いや素晴らしい新世界ではありませんか!!(>フィクションと現実を混同しておる)(汗)
 
 

高井信原作テレビドラマより(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 5日(水)23時35分32秒
返信・引用 編集済
   高井信さんに、高井さん原作のテレビドラマの録画DVDをいただきました。それだけでなく、ラジオドラマもCDにたくさん録音して送って下さいました。いつもありがとうございます。
 それらはおいおい視聴した感想をアップしてゆくつもりですが、今日はそのなかから、まず高井信原作のテレビドラマを二本鑑賞しました。

 フジテレビの深夜番組「奇妙な出来事」で放送されたもののようです。
 まず「電話のある風景」は1989年10月24日放送。電話にまつわるショートドラマ三本のオムニバスです。うち「第1の電話:オーム返し」が高井さん原作。原作タイトルは「自分電話」(『夢中の人生』所収)。これは不条理で笑わせるいかにも高井信らしい作品。不条理ショートショートは高井さんの独壇場ですね。不条理シチュエーションに特化してしまう。もうそれだけ突き詰める。ストーリーはない! したがってオチもない(^^;。シチュエーションが増殖してゆくだけ。だけ、というのは否定的な意味ではなく、シチュエーションに純化しているという意味です。こんなショートショートは、書けますが(>おい)、こんなんばっかり嬉しがって書き続けているのは高井さんをおいて他には思い浮かびません(笑)。
 あとの2本「第2の電話:長電話」「第3の電話:キャッチホン」は原作者の記載なしなのだが、これらも不条理シチュエーションが転がっていくタイプで、高井さんが書きそうな話で、面白かったです。

 つづいて「不幸なコンタクト」は1989年11月21日放送。原作は「あなたとコンタクト」(上と同じく『夢中の人生』所収)。高井さんの作品集では、『夢中の人生』のみ未読なので、「あなたとコンタクト」も読んでいません。このドラマはホラー仕立てになっているんですが、原作はどうなのかな。ホラーじゃなくてユーモア仕立てだったんじゃないかな。それともホラーを書かれたのかな。もちろん面白かったのですが、違う質の面白さのような気がしました(でもこのドラマ、うっすら記憶があるんですが、検索しても引っかからないので偽記憶なのかも)。

 たくさんいただきましたので、いっぺんには視聴出来ませんが、鑑賞する都度に紹介させて頂きますね(^^)
 

「軍靴の響き」着手

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 4日(火)22時55分20秒
返信・引用 編集済
   半村良『軍靴の響き』(72)に着手。今この時、安倍政権下でこそ読んでおくべき、或いは読み返すべきSFではないのか! と、とつぜん思いついたので(^^;

 「僕はだいぶ古いらしい」
 老人は苦笑しながら言った。
 「戦争放棄、再軍備反対といったような考え方が頭にしみついてしまっているよ」
 「何も我々だって戦争をしようと言っているわけじゃありません」
 「それはそうだ」
 老人は物判りのいい笑顔になった。
(88p)

追記。わ、福田和代『TOKYO BLACKOUT』(08)と同じアイデアじゃないか!>「東京大停電」
「くもの巣のように張りめぐらされた東京の電力供給網も、その源をたどって行くといくつかの大きな流れになります」(93p)「そのために僕らは、変電所や開閉所しか占拠しないのです。もっと少数の人間で、安全にしかも効果的にできるのは、人里離れた山中の送電線なり塔を破壊すればいいのです。そこまではしないということの意味は、すぐに理解してもらえるはずです」(96p)
 

「寺山修司青春歌集」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 4日(火)01時22分19秒
返信・引用
   眉村さん詩集ですが、おかげさまで早速注文が届いております。ありがとうございます。
 現在、鋭意製作中ですが、なにぶん家内制手工業につき、一日5部くらいしか作れません(それ以上すると雑になってしまう)。来週には発送できると思います。お楽しみに〜(^^)
 なお、『チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊準備号』もご要望があれば製作しますので、こちらもよろしくです。今年度フェリシモ文学賞優秀作品に輝いた海野久実(和田宜久)の作品が読めるのは、当マガジンだけですよ〜(いやネットでもガンガン読めますが)(^^;

 さて、『寺山修司青春歌集』を、もう何か月もたらたら読み進めているのですが、たらたらとしか進まないのは今いちピンとこないからなんですが、「田園に死す」(初刊では第3詩集)に至ってバシッと照準が合いました。
 それまでの作風(歌風?)とはガラリと変わって、世界がフィクショナルな方に広がった感じで、一気に引き込まれた。フィクショナルな、とは要するにケレン味が強くなったということなんですが、例えばこんな感じ。

 売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

 なんとなくポランスキーの「タンスと二人の男」が浮かんできます。意識していたのかどうか。

 縊られて村を出てゆくものが見ゆ鶏の血いろにスカーフを巻き

 も、シュールレアリズムっぽい。もしくはマカロニ・ウェスタン風(えらい違いや)(^^;

 いやそれよりも、「新・病草子」と「新・餓鬼草紙」という章(?)に収められているのが、短歌ではなく、「草子」という題から想像できるように、「お伽草紙」風の擬古文で書かれたもので、これが一種のショートショートとして読めるのです。というかお伽草紙自体が、ショートショートとして読めるものですから、当然かも。
「変身」という作品では、ある男が朝起きたら体が縮んでいる。どんどん縮んでいく。かなしみて詠める歌。「地球儀の陽のあたらざる裏がはにわれ在り一人青ざめながら」(^^;
 しかし身が縮むのは男のみにはあらず、万物の定めであると学者いわく。
「地球のちぢむ速度と、ひとの丈のちぢむ速度の比こそ問はれるべし。この比の破れたるときのみ小人、巨人の類あらはるなり。/ただひとり、いそがむとするもののみ恐怖につかれむ。いざ、ゆっくりとちぢむべし。/地球とともにちぢむべし。これ、天人の摂理にして、すこやかなる掟なり。」
――ちぢみたる男、砂礫のなかにまじりて「ああ、ひとなみにちぢみ、おくれもせず、いそぎもせざれば、かく恥かくこともなからざりしを」

 と、嘆息したそうな(^^;
 なんか、ラファティみたいではありませんか。
 

眉村卓詩集『《捩子》の時代』製作開始

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 2日(日)20時14分8秒
返信・引用 編集済
   今頃気づきましたが、村上策治って……(^^;

告知
 眉村卓50周年記念企画の一環としまして、鋭意編集作業を進めてまいりました眉村さんの詩集ですが、すでに編集作業は終了、製作の段階に入りました。
 書名は『《捩子》の時代――眉村卓詩集――
(チャチャヤング伝統の)横長A5版で、総ページ数71ページ。7月1日発売予定です。
 当会ではすでに、50周年企画プレ企画として『チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊準備号』(横長A5版、77ページ)を発行しておりますが、眉村さんの詩集となりますと、会員以外でも興味のある方がおられると思います。一般頒布いたします。
 一部500円(本体420円、送料80円)でお頒けします。希望者は当掲示板を一番下までスクロールしたら[管理者へメール]というボタンがありますので、そこから申し込んで下さい。

 眉村卓の鋭利にして洒脱な《詩》世界を、ご堪能あれ!

 ところで「捩子」ってなに? という方は【編集後記】をご覧ください。→【編集後記】

 ↓クリックで拡大↓
 

「ミステリとしての『カラマーゾフの兄弟』」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 6月 1日(土)23時02分35秒
返信・引用 編集済
  高野史緒『ミステリとしての『カラマーゾフの兄弟』スメルジャコフは犯人か?(ユーラシアブックレット181)読了。
 乱歩賞を受賞した『カラマーゾフの妹』は、作者の死によって終に実現しなかった「〜兄弟」第二部で当の作者が謎解きするつもりであった(と想像される)フョードル殺しの真犯人(下手人)を、まさにドストエフスキーになりかわって謎解きしてみせた、いわばミステリ版第二部の試みで、その厳密で明快な考証(と四兄弟の新解釈)に愉快を感じたものでした。
 本書で高野史緒は、今度は小説としてではなくさらにミステリ論という形で、「〜兄弟」のミステリ的構成の如何に厳密であったかを検証しています。それはまた(当然ながら)「〜妹」のミステリ的な論理性を援護するものでもあります。
 本論の前提は、「ドストエフスキーの記述には(基本的に)矛盾はない」という点です。著者はそれを、作中の出来事をタイムテーブルに書きだして確認してみせる。そしてすべて時系列上辻褄が合っていることを確認し、「〜兄弟」が、本格推理的読解に耐える作品であることをまず証明する。これが大前提であることは言うまでもなく、この結果から「〜兄弟」をミステリ小説として読む(解釈する)正当性が担保される(天文的事実と教会聖務の時間割から、本来架空の町であるスコトプリゴニエフスクを、ドストエフスキーが何処を想定して書いていたかも確定される)。
 読んでいると、あの長大な叙述の中では薄ぼんやりとしか把握できていなかった事柄が、まるではめ絵のようにパチパチと繋がって、頭のなかがスッキリしていく快感があります。しかしそれも単に逐次的解釈に終始するならば、なるほど、で終わってしまう。
 それよりも何よりも、著者の解釈によって、カラマーゾフ三兄弟、アレクセイ、ドミートリー、イワンへの「復讐の構図」が見事に成就する点で、これはまさしく検証的徘徊からの突出・超越であり、SF的に言えばセンス・オブ・ワンダーなんですね。本論考の面白さはここにおいて爆発します(読者の脳内で爆発は遡行してゆく)。小説であるがゆえに多面的・多反射的である『カラマーゾフの妹』とはまた違う、一点集中型の面白さを堪能しました。
 

Re:海野さん情報「フェリシモ文学賞」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 6月 1日(土)12時12分52秒
返信・引用 編集済
  海野様
>人柄がストレートに出ている感じ
恐れ入りました。どのような感じで出ているのか、「人柄」が見えるものなら、ぜひとも見させていただければ、今後の参考になるかも知れません(どんなんやー、ですか)
>応募しても入選を
眉村さんはそれをもの凄く期待されておられます。ぜひともそのご期待を叶えなければいけないな、というのが、強く感じさせられている、セミナーであります。
>アマゾンに
実はフェリシモの出版物はリアル書店では見ていない(仕訳されたところを見ていない)ものですから、アマゾンでのご活躍を期待しております。
管理人様
>かなりうろたえて
はい、そのようです。ちょっとへこんでいるのかも知れません。自分自身のなかで。
とりあえず、ここは気持ちを切り替えて、視線を変えて、なんとかしていきたいと思っております。よろしくお願いいたします。
 

Re: 海野さん情報「フェリシモ文学賞」

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年 6月 1日(土)01時37分30秒
返信・引用 編集済
  段野さんありがとうございます。
本の売り上げはあまり僕には関係はないような気もしますが、まあ、売れればそれだけ多くの人の目に留まると言う事ではいい事ですよね。
ぼくも出来れば眉村さんの講座に参加してレベルを上げたい、応募しても入選を目指せるようになりたい。
そんな気持ちがしております。
お互い頑張りましょうね。

でも、この段野さんの文章、ご本人を目の前にしている気がしますね。
人柄がストレートに出ている感じ。

『たそがれ・あやしげ』買わなくっちゃなー
復刻『サブマリン707BOX』も欲しい。

http://marinegumi.exblog.jp/

 


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