卓通信第2号−1

 

無用の(?)雑感



 

 

 第二巻(101)(200)であります。

 

 妻の、二週間に一度の病院行きのパターンが日常化したこの時期になると、こちらも一日一編書くことに慣れてきた。とはいうものの、一方では(前回に述べた制限の中ではあるが)ショートショートらしいショートショートを書こうとの気持ちがありながら、他方、日常感覚の反映というべきものが面白くなり、その混在がはっきりしてきた感がある。

 以下、思いつくままに何編かの話についての、いわば雑感をしるさせて頂く。

 (101)作りものの夏=ぼく自身が年々照明を暗く感じるようになっているので、前からこういう場所があればと考えていた。しかし現実に作ろうとすればこうなるはずで……若く、世界が明るく映る人には、全然ぴんとこないだろう。

 (107)浦島次郎=途中まででいいので、勢いでおしまいの部分まで行ってしまったが、やり過ぎかもしれない。とかくもっと大きな問題を持ち出してひねりたがるぼくの癖が出ているようである。

 (109)会費プラス威張り代=皮肉を書いてから、自分が無関係なところから気楽にいっているのではないかと反省すると、このようにおのれのことに持って来る傾向が、ぼくにはあるらしい。

 (115)水槽の幻影=架空のことを書いているのに、これは実際にあるのではないかといわれる場合が、ちょいちょいある。空想が現実から抜け切れていないとすべきなのか、リアリティがあるのだと胸を張るべきなのか……むずかしいところなのですなあ。

 (127)ミニミニロボット=かわいくて面白いといってくれた女の人が何人かいた。しかしお話だからいいけれども、こんなものがどんどん出て来たら迷惑至極だろうという一例。

 (138)雑談封じの術=ぼくは今、ある大学で喋っているが、文芸学科といういささか特殊な学科のせいか、学生の私語はほとんどない。あってもごく一部の二、三人だ。それにかつて別の短期大学に出講していたとき、教室がざわざわしている中、ひとりが立ち上がって、みんな静かにして下さい、先生の話が聞こえない、わたしは恥ずかしいわ、と叫んだこともあった。だからこれは作り話で、ぼくにこんな願望はないのである。

 (145)ロフトから=こういうものを書いていると、少年時の記憶が次々とよみがえってきて、もっともっと書きたいと思う。だがこれはショートショートなのだ。

 (155)水晶の力=ぼくは机に小さな水晶玉を置いている。眺めているとこんなストーリーが出て来るのは、やはり水晶の力なのだろうか。

 (169)大晦日=馬鹿げた話に相違ないけれども、ここには、妻が元気で新しい年を迎えられそうだというぼくの気持ちが反映しているみたいだ。

 (173)悪戯のリスト=物語を書いた経験のある方ならおわかりだろうが、こういうものこそ、アイデアをどう並べるか、それらをどういうかたちでまとめるか……頭をひねりメモを作らなければならないのである。

 (184)老人と坂=この話、妻が好きなのだそうである。なぜかよくわからない。物語というのは、書き手の計算を超えた効果を持っているのだろうか。

 (197)見抜かれる=今はそうでもないけれども、若い頃のぼくは、店員の説明を受けて商品を買うのが苦手であった。自分でもなぜこんなものを買ったのか不思議――ということが何度もある。現代のようにスーパーやコンビニが普及していたら、克服のための訓練なしに、そのままになっていたかもしれない。

――何編かといいながら、こんなにたくさん書いてしまった。以前、星新一さんが、あとがきなんて弁護みたいなものだから自分はやらないという意味のことを書いておられたのを思い出すと……どうも、みっともないことだ、との気にもなる。

 

 前回に倣って、この第二巻の百編のうち、すでに他に収録されたり紹介されたりしたものを、以下に掲げる。(省略)

 おしまいになったが、この稿をしるしている本日現在、妻は元気であることをご報告しておきます。

(一二・八・四)

  

 


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