卓通信第2号−2
卓ちゃん人形
きみが描くあの変てこなのは一体何だ? オバケか?
という方が少なくない。
あの変てこなのとはつまりこれである。
たしかに何となく、オバケのQ太郎に似ている。
それにこんな絵は、基本的には誰でも描けるはずなのだ。
なのにぼくは、おだてられるままに、いくつかの自分の作品集に、カットとしてこのオバケ(?)の絵を入れてもらった。天をも恐れぬ所業であるが、おだてた人も悪いのだ。
しかしこういう卓通信などとというものがあるのをさいわい、このさいこの稚拙なキャラクターについて、なぜこんなものを描くに至ったかを書かせてもらうことにする。
ぼくは子供の頃、外で遊ぶのが苦手であった。
大体が、小学校に入って(入学の年に国民学校になった)登校するとき、子供たちは一年生を先頭にして列を作って行くのであるが、一番前のぼくは、しょっちゅうつまずいて転び、膝をすりむいていた。倒れまいとすれば余計につまずくのだ。運動神経が鈍かったのである。
それに近所のガキ大将は、歴代、怖かった。自分が六年生になればガキ大将か、ガキ大将でなくてもその補佐役位になって楽が出来るかもしれないと思ったけれども、四年生の三学期に空襲で家が焼け、別の土地に移ったので、少なくとも生まれ育った地域ではそうなれなかったのだ。
話を元に戻し――そんなわけでぼくは、家の中で遊ぶ癖がついた。弟と一緒にマンガばかり描いていた。
マンガどころか、本自体がなかなか手に入らなかったから、もちろん我流である。幼いときから我流で何か描きだすと、大抵、こういう人物(?)を描く。
それが少しずつ進歩し、マンガ家の絵の真似をしたり、描きたいものをマンガ風にスケッチしたりしているうちに、我流ながらキャラクターが出来てきた。
今それを描けといわれても、もう無理である。
年月は飛んで……戦後、少年少女雑誌がどんどん出だした頃には、自分でもいっぱし描けるつもりになっていた。あっちこっちに投稿したのである。中学生になった時分にはマンガ家になろうと考え始めていた。
そこで遭遇したのが、手塚マンガである。手塚治虫さんのことだ。ぼくは手塚先生と呼ばなければならない。宝塚在住時代の手塚先生にたびたびファンレターを出し、マンガ家になりたいと書いたりした。お返事も頂いたのだ。
一方、今では伝説となっている「漫画少年」への挑戦もつづけていたが、他の雑誌とことなり、ぼくの実力では到底歯が立たなかった。いつも選外佳作かせいぜい佳作であり、その上の秀逸というのには、一回しかなったことがない。さらにその上の優等入選になっている連中には、絵もアイデアも、及びもつかなかったのだ。
おまけに手塚マンガの影響を受けてぼくの絵は、どんどん手塚風になり個性がなくなり……ぼくはマンガ家にはなれないと諦めて、高校に入った。
とはいえ、長い間の習慣は簡単には消えない。高校生になって大学に行っても、ぼくは遊び半分でよくマンガ風の絵を描いた。もちろんそれは素人の手すさびであり、人前に出せるものではないと承知していたが……。
そして、さらに年月が経つうちに、ますますタッチは簡略化され、ごらんのズングリになってしまった。
それなら描くのをやめたらいいのだろうが、やはり、何かというと描いてしまう。描くときは結構一心不乱で、心をこめているのである。自分で描くべき絵の表情を作って、歯をむき出したり、にたにたしたりで、それをまた面白がってよろこんでくれる人がいるものだから、つい調子に乗って次から次へと描き、いつの間にかスタイルが出来上がってしまった。というわけだ。
何だこれ、といわれるのは百も承知で、座興のために描いていたのが、だんだん図に乗って、カット扱いにしてもらうようになったので……恥知らずと笑われても仕方がない。実際、かつてある短大での創作研究の講義のテキストに、そうした絵をカットにしたぼくの作品集を使ったところ、ひとりの学生が、
「何やのん、これ、こんなもん、わたしのほうがよっぽどうまいわ!」
と叫んで、出て行ったことがあった。
ま、その通りなのだろうとも思う。
にもかかわらず描きつづけているのは……多分、甘えであり、少年時代の自分への懐旧であり、描いているとうれしいからであろう。
さて。
初めに戻る。
これはオバケではない。
人間のつもりである。少なくとも人間を念頭に置いてはいる。
でも、ま、人間的などこかの異星人ということでも構わない。
で、名前なのだ。
ある人が、「卓ちゃん人形」といいだした。賛成する人が少なくないのだ。
人形なら、人形でもいい。
でも、自分で卓ちゃんと、ちゃんをつけるのはおかしいだろう。
卓人形はどうだろうか。
タックンはどうかといった人もいた。
いっそ、自分の書いたよその惑星の住人の名前を使ったらどうだろう。といってもぼくは、こんな地球外生命体を書いたことはないから、語感だけで、ポグ人とか、カポンガとか……。
名無しの――ナナシくんはどうだろか。
あるいは、ただのナナシ。
なかなかいい案が浮かばないのだ。
誰か考えてくれないだろうか。
やっぱり、みんなのいうように卓ちゃん人形でいいのかもしれない。
しかし。
こんなことを真面目に書いているぼく自身がどうかしているのではないか、という気もして来ているのである。